2010-11-23

愛すること。

今日も暖かくなりました。
朝は5度くらいでしたが昼間は18度くらいまで上がりました。
そして、夜になって寒冷前線が通過。
雨は殆ど降りませんでしたが、
これから冷えてくると思います。


今は夜の10時半で気温は11.3度ありますが、
明日の朝は2−3度の予想が出ています。


今日朝一番に目に飛び込んできたニュースが
朝鮮半島での砲撃。
ほんとうに心配です。


一日祈りつつ思いめぐらしていた中で、
子供の頃から、朝鮮半島にゆかりのある方々との出会いがたくさん与えられ、励まされ、支えられてきたことに気付かされました。


大学時代のゼミやクリスチャンのサークル、少しずつ。
そして、聖書学院の仲間たち、
EmoryやDrewの学友たち。
特にDrewの仲間たちは質・量共にパワフルでしたねえ。


こちらの教会で出会った皆さん。民団系の方も総連系の方も、半島出身の方も。


そして、今、特に思わされるのは地区の牧師会で共に歩んでいる先生方のこと。韓国教会に支えられている日系教会もいくつかあり、韓国からの宣教師の方々にも本当に力を貰っていると思います。


そして、なかなか直接お会いすることはできませんが、互いのブログで交流をしているハワイやカルフォルニアの聖書学院出身の先生方、奥様のご家族が半島におられたり、ご自身半島にルーツをお持ちだったり。


お一人ひとりの顔を思い出しながら、どんな思いで祈られているか、心を向けながら祈っています。




でも、そんなことを思いながら、
正直に感じたこと・・・。


自分はアフガニスタンやイラクの戦争のために、
コソボやアフリカ各地の紛争のために、
こんなに祈ったことがあっただろうか。


身近なところに、その地にゆかりのある方々を置いてくださって「祈れ」と主が招いてくださっているのだ、とはわかるのですが、自分の関心がいかにも自分の周りだけに、自分と関係のあるところだけに、なってしまっているのだろうかと思わされたのです。




それには伏線があって・・・。


昨日ご紹介した茂木氏ですが、
いつの頃からか、注目してきました。
考え方が違ったり、
不祥事でがっかりしたこともありますが、
心の底でやっぱり応援しています。


どうしてか、というと、
一つは、難しいことを分かりやすく説明できる人が尊敬できる、ということが一つ。
でも、もっともっと大きなことは、
面識とかないんですが、
同じ時代に同じ高校で過ごしているんですね。
1年先輩。


この心の動きってなんだろうと思っていました。


愛校心ていうか、それが一方的な仲間意識みたいになって・・・。
自分のアイデンティティーを作っている一部だから、
そこを共有しているのがうれしい、ってことでしょうか。


でも、同じ愛◯心で、
今、こんな紛争が起こるとき思わされるのが
「愛国心」。


オリンピックやW杯なんかでも感じますけど、
紛争の時に思うのは、「どうなのかな」という思い。


9-11直後のアメリカを席巻した愛国心。
違和感を感じながらも、それを口に出したときの人々の感情的な反応。
God Bless Americaばかりが流れて、
「アフガニスタンは神にとってどうでもいいのか?」と思ったこと。
空爆が始まったときにクリスチャンの施設の中で沸き起こった拍手への「なにそれ?」という思い。


いろんな思いがかけめぐっています。
ああ、また整理できない・・・。
整理できないままこんな表明していいのか・・・と思いつつ書いてしまっています。


近くにゆかりのある人がいるから、より具体的に祈ることができる、そうなんですよね、それはいいんです。でも、愛することは自分の領域から一歩外に出ることだと思うから・・・。


でも、いずれにせよ、今回祈りに招かれていることは間違いないです。
主が各国のリーダーたちの決断を守ってくださいますように。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記22:10−33でした。


「欠陥のあるものは、いっさいささげてはならない。」20節。

主へのささげ物に、自分としては余り大切ではないものをささげようという人がいたんだろうなあ。これは差別の問題とは全く無関係で、大切なモノを主に捧げることの意味を伝えた言葉。

果たして自分はどうだろうかと思う。

たいせつなものをささげるから、ささげ物の意味がある。

自分にとって大切なモノはなんだろうか?
神さまよりも大切にしているものはないだろうか?

それをささげなさい、と言われたときに、
主にささげたくないものがあるだろうか。

主を信頼して、最高のものを主のもとに持っていく、
そのような生き方をしたい。

そう、主は必要なものをすべて与えてくださる、と約束してくださったのだから。

神さま、
どうでもいいもの、余ったもの、役に立たなくなったもの、
そういうものではなくて、
最高のものをあなたのもとにお捧げすることができますように。
あなたのために最高のものを用いていただくことができますように。
それはまた、元々あなたからお預かりしたものなのですから。

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