2007-04-22

神による力

今日もまたまた暖かかったです。
27度まで上がりました。
今は夜の8時過ぎで17度。
ダイスケ君が、我らがYankeesに向かって投げています。
ボコボコにされることでしょう。

明日は30度も夢ではありません。

今日の朝は教会学校の先生たちで、
JOYJOYキャンプのテーマを考えました。
一年の中で一番楽しい会議です。

どんなテーマになるか、まだわかりません。
そう、まだ結論は先送りです。
楽しみにお待ちください。

その中で、話題に上ったのが、
「アリジゴク」。
意外と皆さん知らないんですね。
のんちも、「えー、自然にロウト型の地形ができると思っていた」そうです。

1-2センチのすり鉢の下に虫が待っていて、
落ちてくるアリを食べるんです。
ウスバカゲロウの幼虫です。
シチーボーイの私は図鑑でしか読んだことがなくて、
小学生の時に、いなかに遊びに行った時に、
捕まえたくて捕まえたくて、
「そんなのたくさんいるよ」と言われて取ってきて、
東京まで持って帰りました。
はい上がろうとするアリに下から砂をかけて、
はい上がれないようにするんですよね。
コワイですねえ。
なんだか、調べてみると、幼虫の間は肛門がなくて、糞をしないとか。
のんちに話したら「食べたもの全部消化するんだ・・・」なんて看護師っぽいこと言っています。
まあ、たぶん食べるんじゃなくて、体液を吸っているだけなので、糞は出ないんでしょうね。
いろいろ勉強になります。

英語ではantlionなんでしょうか。
こちらにもいるんでしょうね。

あ、別にこれがJOYJOYキャンプのテーマではありませんよ。
ご心配なく。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の29章を読みました。

「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」11節。

主は「ご自分の民」に力を与えられる。
主の許に留まることの大切さを思わされる。

そう、イスラエルの人々も、「自分たちは神の民だ」と思っていた。
でも、神から離れていた。
だから、形だけではなくて、
名目だけではなくて、
神の民になること。
その大切さを思わされる。

「光とされたのだから、光の子らしく歩きなさい」ということの大切さを思わされる。

主よ、
あなたの力を与えてください。
あなたの力に満たしてください。
そのためにあなたの民として歩むことができますように。
あなたの民として歩むことを教えてください。

2007-04-21

主が牧者

今日も暖かくなり最高は26度。
いやあ、本当にいいですねえ。
鼻はむずむずしますが・・・。

でも夜は、今11時過ぎで13度ほど。
この温度差には気をつけなければいけません。

ちなみに月曜日の予想は28度。
来週の後半には最高が13度くらいの日もあるようです。
気をつけましょう。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の28篇です。
「どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。」9節。

これも今私の祈りです。
主が羊飼いになってくださること。
一人一人に語りかけ、一人一人を導いてくださること。
一人一人の罪を示し、砕き、
そして赦しの宣言を与え、立たせてくださること。
それが私の祈りです。

そのサポートをするのが自分の役割だと思わされています。
主との関係をしっかり築いていくこと。

そして、また自分自身も主に養っていただく必要を感じます。
弱い者だから。主に養っていただかなければいけないことを感じます。

主よ、
どうか、私を養ってください。
どうか、教会の一人一人を養ってください。
あなたが私たちの牧者であってください。
あなたに目を向けることができますように。
あなたご自身に目を向けることができますように。

待ち望め主を

昨日も暖かかったですが、
今日も暖かくなりました。

どんどんいろんな花が咲いてきています。

昼頃で23度まで行きました。

もう寒くならないでほしいものです。

さてさて、昨日の聖書箇所。
昨日は詩篇の27篇を読みました。

「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」14節。

主よ、
自分の心が守られますように。
恐れや怒りに支配されることがありませんように。
あなたの御顔を望み見ながら歩む者となりますように。
主の支配を信頼して歩むことができますように。
あなたを待ち望み、勇気を持って歩むことができますように。

2007-04-20

更新は明日

今日は夜集会があったので、
更新はまた明日。

今日は本当に暖かくなりました。

ではでは。

2007-04-19

心を調べてください

今日は午後から晴れてきて、
とてもうれしかったですね。

気温も上がって15度くらいまで来ました。

明日は朝からすっきり晴れて、
気温も20度近くまで行きます。

そして月曜日には25度くらい行くみたいです。
いきなり春全開になるみたいです。

今日の朝の祈り会、
エペソ人への手紙の1章の後半を読みました。
そこで、「心の目を開いてください」という祈りについて考えさせられました。

その中でまた旧約聖書のエリシャが敵の軍隊に包囲された時のことを思い出しました。
エリシャの住んでいる町が敵に包囲された時に、
エリシャのしもべは、あわてふためいたのですが、
エリシャには見えていました。
敵の軍隊よりも多くの天の軍勢が自分を守っていることが・・・。

心の目が開かれる時に、勇気を持って進むことができる、
そのように語らせていただきました。
語りながら、自分に言い聞かせているようでした。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の26篇を読みました。

「主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。」2節。

この祈りは私の祈りです。
純粋な主への思いを持ちたいと願います。
自分の中に不純なものがないかどうか、
自分が神様以外のものを見て、
それに動かされていないだろうかと、思わされます。

ですから、「私を調べてください」と祈らないではいられません。

主よ、
どうか私の心を探ってください。
私の心を調べてください。
私の中に、
不純なものがあるならば、
どうか聖めてください。
私が傲慢であるならば、それを教えてください。
私が何かを恐れているならば、それを取り除いてください。

あなたの道を見せてください。

道を教えられる主

遅くなりました。
日付が変わって昨日のことになりますが、
昨日もまたどんよりとした一日でした。
でも日に日に気温は上がって、
昨日は11度くらいまで行きました。

今日もまたどんよりで、またぱらぱら雨が降るかもしれません。

でも、それも今日まで。
金曜日からはどんどん春らしくなって、
日曜日以降は毎日20度くらいまで上がるようです。
花粉症が心配ですが、まあ、とにかく暖かくなるのは楽しみです。

昨日は日本からのお客さんが来て、
夜のNYの集会に出られました。
20代の若者なのですが、
牧師の息子で、4人男の兄弟だそうで、
「牧師の息子のプレッシャー」を感じていたそうで、
「おなじじゃん」って感じです。

3ヶ月NYに滞在されるそうで、
これからの交わりが楽しみです。

さてさて、
昨日の聖書の言葉、
詩篇の25篇を読みました。

「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。」12節。

吹っ切れたかな。
ちょっと悩んでいたこと。
「主を恐れる人に選ぶべき道が示される」と。

主を恐れて歩むことが大切なんだよね。
他の何かではなく、理屈でもなく、
主を恐れて歩む姿勢が大切。

他に恐れるべきものは何もない、
ただ、主を恐れて、主に従っているという平安を求めて、
祈っていこう。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたの前に、あなたの導きを待ち望みます。
他の何かではなく、あなたを恐れて、
決断をすることができますように、
あなたが教えられることを待ち望むことができますように。

2007-04-17

戦いに力ある主

今日も一日どんよりしていましたが、
雨はほとんど降らず、
薄日も差し込むようになってきました。

一日一日回復に向かっています。
でも、まだ渡れない橋、あふれている川があるようですね。

大変なstormでした。

明日も今日と同じような天気でしょう。
金曜日あたりから天気がぐんぐんよくなって、
土曜日からは15度を超える日が出てくるようです。
やっと・・・ですね。

また繰り返された乱射事件。
歴史はわかるけれども、
今、銃の所持が許されているのはどうしてなんだろうか?
人が怒ったり、恨みに支配されたり、
妬みに焼かれたりすると、ふつうのコントロールがきかなくなるのはわからないのだろうか?

銃規制が問題を解決しないのはわかっている。
けれども、せめて銃をもっと社会から閉め出していれば・・・という場面がたくさんある。

今の時代、「銃を持っていて助かった」というケースはどれくらいあるんだろうか・・・。

8年前のコロンバインの時、私も若かったのだろうか、
銃規制よりも、心の問題だと考えた。
でも、心の問題がそれほど簡単に解決できない大きな問題だということを
たくさんたくさん経験していく中で、
コントロールできるものをコントロールすべきだと思うようになった。
たとえそれが根源的な問題の解決にはならないとしても・・・。

さて、今日の聖書です。
今日は詩篇の24篇です。

「門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。」7-8節。

この最後の、「戦いに力ある主」という言葉が心にとまりました。
これはこの時代にはやはり「戦争」を指していたのでしょうが、
私にとっては、「信仰の戦い」のことを思わされます。
最近、本当に信仰は戦いだなあ、と思わされます。

だから、戦いに力ある主が私と共にいてくださるのは本当にうれしいことです。
自分の力で戦うのではない、主が私のために戦ってくださる。
それがどれほど心強いことかと思います。

この方を頼って、この方を信頼して、
この方の力をいただいて歩みたいと思います。

主よ、
どうか私を守ってください。
あなたが私の主であってくださることに感謝します。
あなたが私のために戦ってくださることに感謝します。
どうか、私がこの信仰の戦いの中にあっても、
勝利をしていくことができますように。

教会の一人一人も日々の戦いの中で勝利していくことができますように。

2007-04-16

恐れない

今日も一日どんよりしていました。
ものすごい嵐だったみたいですね。
いくつもの記録を塗り替えたようです。
特に雨量はすごかったみたいです。

確かに、昨日は朝からでしたが、
礼拝中も、礼拝後も、役員会の後帰る時も、
帰って家でくつろいでいる時も、
ものすごい降り方でしたから・・・。

明日もまたどんよりとした一日みたいです。
そして肌寒い一日でしょう。

去年のtax returnのfileは今年は明日までなんですね。
私も終わりました。
毎年、「早くやろう」と思うのですが、
なかなか締め切りまではできません。

「締め切り」があるということはなんとありがたいことかと思います。
それがないと、どこまでもどこまでもたまってしまうんですね。

人によって違うと思いますが、
私は締め切り必要派です。
直前になると気合いが入ります。
でも、時々、その直前に初めて、
やっているうちに途中で必要なものが見つかって、
それを手配している間に間に合わなくなってしまうことがあります。

だから、毎回、もっと早く準備しようと思います。

でもこれがまた難しいのが性格なんですよね。

今日できることは今日やる。
明日があるとは思うな。

と思います。

「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。」ヤコブの手紙4章14節。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の23篇を読みました。

いつも読んでいる詩篇の23篇ですが、
今日また新しい感動を覚えながら読みました。

「私は、乏しいことがありません。」1節
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」4節
「いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」6節

一つ一つの言葉の豊かさを覚えます。
特に痛みの中で、悩みの中で、この言葉がどれほど慰めであり励ましであるかと思います。
乏しいことない歩み、
死の陰の谷のようなところを歩む時にも、災いを恐れない平安。
そして恵みが私たちを追っかけてくる幸い。

そのような歩みを与えられていることに心から感謝します。

霊的な豊かさを求めていきたいと思います。
調子のいい言葉ではなく、
表面的な楽しさではなく、
どんな戦いの中でも、平安が与えられていく
霊的な豊かさを求めていきたいと思います。

まさに数日前に与えられた、
「主の前にある喜び」
それが私には必要なんだと思わされます。

主よ、
どうか私の歩みをお守りください。
あなたと共に歩めることに感謝します。
もっともっとあなたと共にいることを喜ばせてください。
あなたから来る慰めで満たしてください。支えてください。

悩みを聞かれる主

なんだか目が冴えて、眠れないので、
ここで更新。

夜の2時半。
なんだか雨の音が静かになりました。

昨日1日24時間で116mmの雨。
あちらこちらで川があふれているようです。

昨日の礼拝の中で、子供のためのお話がありました。
そのお話の中で、子供たちから質問が出ました。

「先生は会社行かないの?」
「行かないよ。先生は神様のお話しするのがお仕事なの」
「じゃあ、先生お金はどうするの?」
「その話はまた後でするね・・・」

あとで、ちゃんとしておいた方がよかったかなと思いました。
嘘つきにならないように、今度ちゃんとしたいと思います。

牧師の給与は(日本では牧師謝儀という言葉が一般的です)、
教会にささげられた献金を会計さんがまとめて、
教会の中から選ばれた役員さんが、
予算を組んで、総会での承認を経て、
対外援助を含めて、
様々な教会の働きのために使うのですが、
その中に、「牧師の給与」という項目があります。

そこから出ているのです。ハイ。

さーて、子供たちにはどうやって説明しようかな。

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は詩篇の22篇を読みました。

「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。」24節

悩む者の声を聞いてくださる主。
そんな馬鹿なことで悩むなとは言われない方。
面倒くさがらずに聞いてくださる方。

前半を読むと、神に捨てられているかに見える者が、
後半を読むと、決してそうではなかったことが明らかになる。

主は私の悩みも、私の叫びも聞いてくださる。
そのほとんどが愚かな、レベルの低い悩みだろうと思う。
主から見るならば、「そんなことで心配するな」「そんなことで恐れるな」ということだろうと思う。
でも、主は聞いて下さる。

主よ、
あなたの元に行けることを感謝します。
あなたのところで、平安をいただき、
あなたのところで答えをいただけることに感謝します。
どうか、あなたの御顔を拝させてください。
あなたとのチャンネルをじゃまするすべてのものを取り去り、
あなたのみ声を聞くことができますように。

2007-04-15

すごい雨

もう、峠は越したのでしょうか?
今日は一日すごい雨でした。
明日も今日のような降り方はしないと思いますが、
雨は続くようです。
雪が混じるという予報を相変わらず出している天気予報もあります。

一日一章はまた明日書きます。

ではでは。

2007-04-14

神の御前での喜び

今日はちょっと暖かくなって15度。

久しぶりに穏やかな天気でした。

でも、明日は大雨です。
天気予報もちょっと「100年に1度の嵐」からはトーンダウンして、
「嵐」くらいになっていますし、ここら辺は雪の心配はほとんどないようですが、
とにかく風は強いようです。
雨も明日の夕方には峠を越えるようですが、
まとまった雨になるようです。

そして、月、火、とぐずつくみたいです。

今日は土曜日、明日に備える日です。
祈りつつ早く休みます。

ですから、早速聖書。

今日は詩篇の21篇を読みました。
「御前の喜びで彼を楽しませてくださいます。」6節の言葉。

「御前の喜び」って何だろうと思いました。
神様と共に歩む喜び、
神様の前に歩む喜び、

自分は本当にそれを喜びとしているだろうかと思います。

そして、その喜びに対するあこがれ、求めがどんどん大きくなってきています。

今までずっと、表面的な楽しさや喜びを「主にある交わり」と勘違いしてきたのかもしれません。クリスチャンのお互いが、「神様」という言葉をスパイスのように使いながら、楽しく過ごしていく、そして、時々、大変なことがあると、祈り合う程度のことが「主にある交わり」だと思ってきたのかもしれません。いえ、それだけじゃないと思ってはいましたし、それだけじゃむなしいことも知っていました。でも、本当に神様の前にいることに喜びを感じるような、そんな経験があっただろうかと、思わされたのです。

何もなくても、何か楽しいことがなくても、ただただ、主と共にあることに喜びを感じて、主とともにいることに喜びを感じて、そこに歩んでいく、そこに感謝をしていく、それが大切なんだろうと思います。

「主を喜ぶ」という言葉が聖書にあります。
「主を喜ぶ」ということを本当に経験したいと思います。

主よ、
他の何ものでもなく、
他の何かをくっつける必要もなく、
あなたと共にいることを、喜びとさせてください。
あなたと共にいることの喜びをもっと経験させてください。

明日の礼拝が、そのような喜びを経験する礼拝となりますように。

神の力を信じて

日付が変わっているので、昨日の話。

昨日も肌寒い一日でした。
どんよりとしていたし、風も強かったので、
本当に寒く感じます。

そして、日曜日から火曜日にかけて嵐です。
Nor'easterと言って、東海岸沖に進んでくる猛烈な低気圧です。

北東風が吹いて嵐が来るから、
昔の人は北東からやってくる嵐だと思っていたようです。
実際は南か南西から来るんですが・・・。

今度の問題はそれがものすごい勢いで発達することと、
発達した後、ニューヨーク沖で丸一日半くらい停滞することです。

これが真冬に来たわけではないことは、不幸中の幸い、と言う感じになると思います。
それでも、天気予報によっては雪が混じる予想もでています。

さてさて、どうなることでしょうか?

昨日の夜は深夜祈祷会でさっき(12時半頃)帰ってきたばかりなのですが、
ちょっとしたハプニングがありました。

パンクとかは何回もあったのですが、
今回は「ガス欠」初体験。

今日の午後、Fort Leeの方から帰ってくる時に、
「ガソリン入れなきゃなあ」と思っていました。
そう、もう「ガソリンありませんランプ」がついたのが、
午前中の集会に行く時だったので、
10マイルくらいは楽勝だと思いながら、
どこかで入れよう、と思いながら走っていました。

でも、すっかり忘れてしまって、夜の集会10分前。
「まあ、あと20マイルくらいは走るだろう」といつもの経験から、
軽く考えていました。
結構いつでもガソリンは警告ランプがついてから20マイルくらい走ってから入れるのが当たり前でしたから・・・。

そして、夜の祈祷会が終わって、
カミさんと二人で帰ってくる途中、
あと次の道を曲がれば100メートルくらいで着く、というところで、
なんだか車がガタガタ言い出したんです。
そして、そのまま、エンジン停止。
「ああ、とうとうやった、ガス欠だ!」
22歳で免許を取ってから22年目にして初めての経験でした。

エンジンが止まると、車は惰性で走っても、
ハンドルは重いし、ブレーキがきかない。
坂道だったので、何とか牧師館までは着きましたが、
ドライブウェーに半分入ったところで完全に停止。

「ガレージに芝刈り機用のガソリンがあったよ確か・・・」と思ったのですが、
あいにく、完全に使い切ったところ。
留守番をしながら待っていた息子と、お預かりしている高校生と3人で押して
やっとドライブウェーに入りました。

いやあ、車って、ガソリンがなくなったら、止まるんですね。
ホントに。
そして、こればっかりは、昔のテレビみたいにたたけば動く、っていうものでもなくて、
何回エンジンをかけ直しても、止まっちゃうんですね。
当たり前と言えば当たり前ですが・・・。

いやあ、それにしても、よく、家まで着いたものです。
途中でガス欠だったら、AAAを頼むか、近くのガソリンスタンドで、
タンクを貸してもらうか、ですからね。
夜の12時半では知り合いに頼むってのも難しく・・・。

経験から学んだ教訓:ガソリンはぎりぎりまでこらえず「減ったかな」くらいで入れること。

私たちはいつも聖霊様によって満たしていただいていくことが大切!
心がガス欠だと止まっちゃうよん。
どんなにアクセル踏んでも、どんなにエンジンかけ直しても、
ダメ。
聖霊様に満たしていただかないとダメです、私たちも・・・。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の20篇を読みました。

7節の言葉
「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」

自分の才能、能力、実績、性格のよい部分、それも神様が与えてくださったもの、
教会の人数、財力、実績、性格のよい部分、それも神様が与えてくださったもの、

でも、それが私たちの誇りであってはならない。
神様ご自身、神様ご自身こそが私たちの誇り。
私たちの力。私たちの頼るべきもの。

本気で主を信頼して、
本気で主に祈って、
力を与えていただいて、
奇跡を起こしていただいて、
歩んでいきたいと思う。

自分は本気で「主を誇りとする」歩みをしたいと思った。

主よ、
あなたがわたしの誇りです。
あなたがわたしの力です。
どうか、わたしをあなたが支え、
あなたの力によって生かしてください。
他の何ものか、ではなく、
あなたを信頼して歩む者でありますように。

2007-04-12

傲慢から守られますように

今日は朝から雨。
本降りでした。

でも、天気予報キチガイの世界は、
日曜日から月曜日の天気に関心を移しています。

100年に一回のstormが来るかもしれない、と大騒ぎです。
「potentially historic storm」とか、
「a 100-year storm」とか言う言葉が踊っています。

確かに、昨日から、コンピューターモデルが、
こぞって、ニュージャージー沖に日曜日の夜に猛烈な低気圧が進んできて、
そこで火曜日くらいまで停滞する(正確に言うとloopする)とはじき出しています。
ここら辺は雨で、場合によっては雪が混じる、くらいみたいですが、
ペンシルベニアは50-100センチの大雪。
それもしめった雪なので、木が倒れたり、停電したり、かなり被害がでるかもしれません。
また、雨のところでも雨量が多くなり、河川の氾濫の危険があり、
風が強く、波が荒く、海岸線が変わってしまうほど浸食される危険もあります。

くれぐれもご注意を・・・。

ボストンマラソンの日だそうで、
もろに向かい風みたいですね。
大きな被害が出ないように祈りつつ。

今日のJOYJOYキッズクラブ・・・、
昼頃になって「やべえ」と思いました。
昨日の夕方、教会に行ったら、教会のジムで、
アメリカ人のおばちゃんたちがせっせと「蚤の市」の準備中。
「フリーマーケット」ではなくて「ラメージセール」なので、直訳すると
「がらくた市」ですね。

「ああ、どうも・・・いつですか?明日ですか?」
なんて何にも気がつかないで挨拶していた自分。
「あしたじゃなくて、あさってと土曜日よ」なんて、返事をもらっていたわけで・・・。

それを、今日になって、「何やっているんだ、今日はJOYJOYキッズクラブじゃないか?」とあわてても、後の祭り、最悪は、ほかの小さな部屋でやるか、と思っていました。

そして、今日、3時過ぎに教会に着いてみると、
しっかりきれいに並んでいるんですよね。売り物が・・・。
ガラス製品とかは、いくら「ラメージ」と呼ばれていても、やはり「売り物」なわけで、
心配しました。

でも、なんとか場所をつくって、ジムの片隅でキッズクラブをしました。
今日も20人くらいのみんなが集まってくれました。
楽しかったです。

ホント気をつけなければいけませんね。
今回は何とかできましたが、
コミュニケーションがうまくいっていなくて、
私たちが何か大きなことをしているときに、
アメリカ人の方々が「私たちの予定があったのに・・・」と入ってこられたりすると、
大変なことです。

そして、ここを使わせていただいていること、
当たり前のように思ったりしないことが本当に大切だと思いました。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の19篇を読みました。

「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。」13節。

本当に罪から守られたいと思う。
この傲慢という罪、
他人の中にこれが見えたときには、
本当に恐ろしいと思うし、嫌悪感を感じる。

でも、自分の中にこれがあるときにはなかなか気づかない、気づけない。
だいたい、傲慢なんだから、自分の傲慢さがわかるわけがない。
だから、主に祈るしかないのだろうと思う。
そして、聖霊様はそのことを教えてくださるのだと思う。
「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください」
これは本当に大切な祈りだと思った。
日々に祈るべき祈りだと思った。

それとともに、今から23年前に、わたしに対して、
「君は本当に傲慢な人間だね」と言ってくださった先生に、
心から感謝したいと思う。

もしも、わたしもそのように言うべき時があるならば、
そのように言うことができる勇気を与えていただきたいと思った。

主よ、
どうか、わたしを守ってください。
傲慢の罪から、わたしを守ってください。
もしも、わたしがそれに捕らわれている時には、
それをわたしに示してください。
聖霊様、その罪をわたしに示してください。

2007-04-11

敵の方が強いから

今日も肌寒い一日でした。
今夜から明日の午前中まで雨です。
ちょっとまとまった雨になりそうです。

それから土日も雨。
雪が混じるかも・・・という予報もでています。
今日の時点で多くのコンピューターモデルが、
ニュージャージー沖に猛烈な低気圧が進んでくる、
という予報を出してきているそうです。
ちょっと心配です。

今日はNYDayだったのですが、
夕方42丁目のタイムズスクエア、
7番街を横切っていました。

42丁目がめちゃくちゃ混んでいて、
一人の婦人警官が7番街から曲がって42丁目に入ろうとする車を規制して、
曲がれないように誘導していました。

そこを無理矢理曲がろうとしたのが、大きなバス。
婦人警官はしきりに「まっすぐ行け」と合図をするのですが、
バスの運ちゃんもなんだかいろいろ叫びながら、強引に曲がろうとします。
でも、そこは婦警さんも譲らずに体を張って、「こっちには曲がれない」と
阻止しようとします。
「あのバスの運ちゃん強引だなあ」と思いながら、見ていましたが、
婦警さんの譲らず、最後はバスの運ちゃんがあきらめて、ハンドルを切り直して、
まっすぐ行きました。

思わず、婦警さんに拍手をしたくなりました。

「ダメなものはダメ」
そう言うことの大切さを最近特に思わされています。

面倒なことを避けるがあまり、
「おかしいなあ」と思うことを許してきた自分の甘さを恥じています。

このケースだと誰が見ても、バスの運ちゃんが「わがまま」で、婦警さんは「しっかりしていた」なんですが、教会の場合はなかなか難しいですよね。牧師がいつも正しいわけではない(それはよくわかります)中で、でも、どう考えてもおかしいことに関しては妥協してはいけない・・・。この婦警さんの強さを持ちたいと思いました。教会を愛し、人々を愛しているが故の強さ、を持ちたいと思いました

今日の聖書。
今日は詩篇の18篇を読みました。

「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。」17節の言葉です。

敵の方が強い。
なんだか、負けず嫌いの男にとってはなかなか認めたくないことです。
反対に言うと、「自分の方が弱い」ってことですから。

今日読んでいた教会のリーダーシップについての本の中で、
「(ルターが勇敢な人として引き合いに出されて)すべての人が生まれつき勇敢なわけではありません。生まれつきルターよりも気の弱い人もいます。大胆か控えめかにかかわらず、神さまは、リーダーが勇気を持ち、恐れに屈しないようにと召しておられます。恐れは現実生活の一部ですから、神さまは、私たちに聖霊をお与えになり、力を満たしてくださるのです。私たちは、その力を働かせて、恐れないようにしなければなりません。」
という文章に出会いました。

自分は弱くても、
主がおられる。
聖霊様に満たされて、
「力と愛と慎みとの霊」に満たされて、
歩むことができればと思います。

だから、いつもいつも聖霊様に満たされること、
それが大切なことなのだと。
自分の勇気を鼓舞することよりも、
「こうしなければいけない」と考えるよりも、
聖霊様に満たされることを求めることの大切さを思わされます。

主よ、
どうか私に聖霊様を与えてください。
聖霊様に満たしてください。
そして、その力によって、正しいことを正しいと、
ダメなことはダメ、と言うことのできる者とならせてください。

明日のキッズクラブもすばらしいときとなりますように。

2007-04-10

神の御姿に満ち足りる

昨日の前半部分、文字化けしていたそうで・・・。
みなさん、これからもそういうことがあったらお知らせしてください。
私のPCでは何の問題もなく、読めていたので、全然気がつきませんでした。
今度は直っているでしょうか?

今朝も氷点下の朝でしたね。

昼間は10度くらいまでは行きました。
春はまだもう少しお預け。

明日も今日と同じくらい。
朝が0度くらいで、昼間が10度くらい。

夜には雨。
それがなんとみぞれ混じりになると予報がでています。
ざあっと20日くらいまでの予想を見ても、
10度を超える日はぽつぽつ、という感じです。

1ヶ月くらい季節が遅れている感じです。

しょうもない話なんですが、
最近、よく口の中を噛みます。
子供の頃から時々あるのですが、
最近は1食に1回とか2回とか・・・。

ですから、ほっぺたの内側がボロボロになり始めています。
もっとひどいのは、「口の中噛んじゃうんじゃないか恐怖症」
とにかく、食事をしながら、怖くてしょうがありません。
自分のしっぽを食べてしまった蛇の話を聞きますが、
絶対あり得ないと思います。
「気がついたらもうほとんど自分を食べていた、なんてあり得ません。
怖くて怖くて、でも、食べるのは好きなので、食べるんですが、
怖いですねえ。

そして、それを忘れた頃に、またガブッとやってしまいます。

忘れて調子よく食べてしまった自分の不注意に、また情けなくなるわけです。

噛み合わせなのか、太りすぎなのか。

体重はあんまり増えてなくて、
逆に減っているくらい何ですが、
肉はおなかの周りと顔につきまくっているようで・・・。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の第17篇。

「目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」15節の言葉です。

この前には、人々が豊かな生活をしている様子、
子供たちに財産を遺してあげている様子が書かれています。

しかし、この詩人にはそんなことはできなかった、
貶められ、攻撃を受け、
「神を避け所とする」生活をしていた。

だから、周りの人々のように、
また自分の敵のように、子供たちに遺すものは何もなかった。
財産といえるようなものは何もなかった。

でも、天国で目ざめるときに、
そこで、主の御姿を見る、それだけで十分、とこの詩人は言うのです。

自分の目はどこに焦点が当たっているだろうかと思います。
主に焦点が当たっているだろうかと思います。
ほかのものではなくて、
ただ、主に焦点を当てて、主を見上げて、
主にお会いする日を楽しみにして、
歩んでいく者でありたいと思います。

主よ、
あなたとお会いする時を楽しみにしています。
あなたの御姿を見るのを、そしてそれで満足することを楽しみにしています。
でも、もう一つ、楽しみにさせてください。
この地上で共に歩んだ、愛する仲間たちと、
あなたのもとで、再会することを。
信仰の先輩たちと、お会いすることを。

2007-04-09

主がわたしの受ける分

今日は昨日よりはちょっと暖かかったですが、
まだまだ春にはなりません。
レンギョウの花はずいぶん咲いてきましたが、
たとえばチューリップはこの1週間、つぼみが同じ大きさです。

最低は-2度くらい。
最高は9度くらい。
明日も同じようなもんでしょう。
なかなか出口が見えません。

今日は朝から、半年ぶりの歯のチェックアップ。
虫歯はなかったのですが、
なんと、強く歯磨きをしすぎるのか、
歯が減ってきてしまっているそうです。
確かに、歯茎と歯の境目くらいに、
溝ができているのを感じます。
歯医者も、日本にいるときは一回行って1000円とか、少ないときは100円とか、だったよなあ、と思いますねえ。チェックアップしないで虫歯になったら、もっと大変なんですが、チェックアップも決して安くはないし、一生懸命歯磨きしてても、「磨きすぎ」でまた治療しなければいけないなんて、困ったもんです。

虫歯になっちゃいかんと、ちょっと気合いを入れて磨きすぎたのでしょうか?
15年くらい前、まだ日本にいるときに、歯医者さんで、
歯と歯茎の間をターゲットにして45度の角度で歯ブラシを当てて、
細かく磨く、と聞いたので、忠実にそれを守り続けているのですが、
まあ、ちょっとやりすぎたのかも・・・。

あと、「かため」の歯ブラシはダメだそうで、
「やわらかめ」にしてくださいね~、とスティーブン先生に優しく言われてしまいました。
でも、早速くださった「やわからめ」の歯ブラシ使ってみましたが、
なんかやっぱり物足りないですねえ。歯を磨いた気がしないってゆーか。
やはり習慣というのは恐ろしい・・・。

あと、夕方から、コンピューターの大掃除。
っていうか、あまりにデータがたまりすぎたのと、いろんなソフトを入れたり捨てたりして、
不安定になって、ちょっとエラーメッセージが多くなってきたので、
工場出荷状態に戻して、必要なものだけを入れて何とか快適な状態を保とうとしています。
「出荷状態に戻す」のも最近のコンピューターは便利にできていて、ボタンを何回か押すだけです。
こんなことをするのは何年ぶりかで、この簡単さにはびっくりです。
とても気持ちのいい状態です。

仕事部屋の方も、それをやらなければいけないのですが・・・。


さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の16篇を読みました。

「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」この2節の言葉は長女の名前の由来となった言葉。いつも心に響く言葉です。

でも、今日はもう一つ。
5節の、「主は私のゆずりの地所、また私の杯です。」

ほかのなにものでもなく、
財産ではなく、
主ご自身が私の神様からいただいた最高のもの。
そう、ほかには何もなかったとしても、
この方をいただいて、神様ご自身をいただいて、
歩めることは何という幸いかと思います。

私の財産は何よりもこの信仰であり、
神様ご自身です。

ほかのものに目が奪われたり、
経済的なものに魅力を感じたり、
表面的な成功(教会の人数とか)に
心が奪われたりしないで、
確かに、主ご自身と共に歩めることを喜びとしていく者でありたいと、
そう思います。

主よ、
あなたが私のゆずりの地所であってくださること、
ほかのものではなくて、あなた自身を私に与えてくださっていることを、
心から感謝します。
どうか私の心がぶれることがありませんように。
いつもいつもあなたを見つめて歩む者とならせてください。


2007-04-08

心の真実を語る人

今日も寒い朝でした。
-2度くらいまで下がりました。
そして昼間も5度止まり。

何だか冬です。
ただ、ちゃんと日が長く、朝も夕方も明るいのは全然気分が違います。

早く暖かくなって欲しいものです。
明日は10度くらいまでは上がるみたいですよ。
朝は氷点下でしょうが・・・。

今日はイースター。
礼拝には、中高生以上で90名を超える方々が来られました。
礼拝後の愛餐会もとても良かったです。
たくさんの方々が来られたこと、お一人一人に感謝。

また、今日は特に、深川二中出身の方がおられたのもうれしかったです。
ちなみに私は深川三中。
(以前、深川六中出身という方も教会にはおられましたが・・・)
私は木場三丁目、彼は冬木。
超ローカルな話ですが、5分圏内です。
学年も一年違い。
でも、小学校も中学校も違うので、
「共通の友人がいる」というところまでは行きませんでしたが・・・。

そうそう、
どこかで書いたかもしれませんが、
NJで、集会に来られていた奥様のご主人が、
高校の同級生、というのがありました。
それも、たまたま、クリスマスカードを頂いて、
ご家族一緒の写真がついていて、
「ああ、こういうご主人なんだあ」と思っておったところに、
たまたま、高校時代の卒業写真集を、息子が宿題のネタか何かに使って、
そこら辺に出しっぱなしにしていたのを見ている時に、
「あー、この顔、この名前、つい、この間見たばっかり・・・」と気がついたわけです。

世界は狭いというか、そういうことがあるもんですねえ、というか、
でも、やはり、一つ一つの出会いが神様から与えられている、ということなんでしょうね。

感謝。

今日の一つ一つの出会いに感謝。

今日の聖書。
今日は詩篇の15篇。

「心の中の真実を語る人」2節。

これは、神様と共に歩む人はどんな人でしょうか、という問いに対する一つの答え。

「心にあることを語る」
何でも思ったことを口にする、ということではないと思いますが、
でも、礼儀を守った上で、ちゃんと言うべきことを言う、
そして、ごまかさない。
そのような態度だと思います。

元々、言うべきことが言えないで苦労した子供時代がありました。
それでいて、外交辞令も言えないで、苦労している部分もあります。

自分の弱さは弱さとして認めた上で、
でも、本当に真実に歩む者でありたいと思います。
勇気を持って語るべきことを語る者でありたいと思います。

そして、すべての言葉が、「恐れ」ではなくて、
「愛」を土台とした、言葉となるようにと願います。
牧師は「霊的なリーダー」であると言います。
「恐れ」に支配されている人は、周りの人も「恐れ」で支配しようとします。
あのイエスが誕生した時代にエルサレムやベツレヘムを支配していたヘロデ大王はその典型です。彼が人々を恐れさせて支配したのは、彼自身が恐れに支配されていた人だったからです。
「愛」に支配されて、愛で人々共に歩んでいく「霊的なリーダー」となることができるようにと願います。そこには愛ゆえの「厳しさ」も必要だと思わされています。

主よ、
どうか、私が真実にものを言う者となることができますように。
単に自分の思ったことを何でも口にする、という意味ではなくて、愛を持って真実に語ることができますように。人の言葉に耳を傾ける広さと、はっきりと語る強さを与えて下さい。


2007-04-07

主が避け所

今日もまた寒い日でした。
朝は6時過ぎに出て教会の祈り会だったのですが、その時点で-3度くらい。
昼間も6度くらいまでしか上がりませんでした。

ちょっと買い物に出た時には肩をすぼめて歩く・・・という冬の力の入り方、でした。

明日はイースターで、あちらこちらの教会で早朝野外礼拝をすると思いますが、
かなり寒いのではと思います。

確か、アトランタのストーンマウンテンのてっぺんでもありますよね。
ちなみに、その付近の明日の最低気温は-3~4度C。
かなりきつそうです。
でも山の上からの日の出を見ながらの礼拝、すばらしいでしょうね。
超教派の礼拝のようです。
ここら辺ではそういうところはないのでしょうか?
NJの西の方の山の上とか・・・。
マンハッタンの方から日が昇ってくるなんて、いいですよね。

イエスさまの復活の日曜日を待ち望みつつ。

明日の礼拝の準備、
通訳の方には申し訳なかったのですが、
本当にいろんなことを思わされて、
今日の昼過ぎまでかかってしまいました。

本当に御言葉と格闘する1週間でした。
というか、月報にも書きましたが、
自分にとって、イエスの復活はどんなものなのかをもう一度問われたこの数週間でした。

イースターはアメリカではお祭りムード一色ですが、
2000年前のイースターの朝は、
涙に暮れている人々に、
good newsが届いた日なんですよね。

明日の礼拝も、
痛みの中にある方々、涙の谷を通っておられる方々に、
慰めと癒し、そして立ち上がる力が与えられるような
礼拝となりますように。

今日の聖書。
今日は詩篇の14篇でした。

「おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所である。」6節の言葉です。

悩みの中で、考え抜いて、悩み抜いて歩み出したことさえも、
はずかしめられる、ようなことがあるのだという。
屈辱的なこともあるのだろう。
しかし、そんな時にも、主は私の避け所。
主にこそ救いがあり、
主にこそ答えがある。

Jesus is the answer...という歌があった。

今、自分は本当に主にあって答えをもらいたいと思う。
主が導いておられるのはどこなのかを、教えて欲しいと思う。

そして、どこにあっても、
単純に、イエスを証ししていく者でありたいと思う。

他の何ものでもなく、
主を避け所として、
主を慰め主、癒し主として、
そこに解決を頂いて、歩んでいきたいと思う。

主よ、
あなたに解決があることを、
あなた御自身に答えがあることを、
教えてください。
経験させてください。


目の輝き

今日も寒かったです。
朝は0度くらいで、最高気温も5度くらい。
冬に戻ってしまったみたいです。

明日も寒いでしょう、ってゆーか、ずっと寒いでしょう。

そしていつ小雪が舞っても不思議ではないでしょう。
NJの南の方では、積るほど降る予報が出ています。

日本は入学式の日でしょうか?
みんな元気に学校いったでしょうか?
今年帰ったS君もR君も・・・。

今日はGood Friday。十字架の日です。
サンディエゴのO倉先生のページにこんな話が・・・。
人の話を聞ける者でありたいと思います。
そう、「どうしてこんな目に遭うの・・・」ということが私たちの歩みの中には起こってきます。納得いかない、どうしてこうなるか分らないことが・・・そんな私たちのところに来て下さった主に感謝。

今日の夜は教会に集まって聖餐式をしました。
イエスさまの十字架をもう一度覚えて祈る時。
とても幸いな聖餐式でした。

「ふさわしくないままで・・・」という言葉。今日は特にズシンと来ました。本当なら私もふさわしくなかった。私もふさわしくない。でも、あの十字架ゆえに、罪赦され、受け入れられている。そして、特別に聖餐式を導く立場を与えられている。厳粛な思いがしました。

今日の聖書。
今日は詩篇の13篇でした。

「私の目を輝かせてください。」3節。

この言葉が心に響きました。
自分の目は今日は輝いているだろうか?
自分では分らないことかもしれません。
でも、「輝かせて下さい、神様!」という思いがあふれてきています。

10年前、JOYJOYキャンプを始める時に、
「皆さんはご存じですか?子供が子供になる瞬間。その目の輝き。JOYJOYキャンプは子ども達の目の輝きを大切にします・・・」なんて文章を書きました。今読んでみるとちょっとくさいかな、と思いますが、あのころは本気でした。子ども達の目が輝くときって、うれしいですよね。

でも、今自分の目は輝いているだろうかと思います。
子ども達の目の輝きを引き出すためには、
僕らが輝いていないとダメだよな、と思います。

教会の一人ひとりの目が輝くことを期待する前に、
私の目が輝いているだろうかと思います。

いつもいつも主から力を頂いて、
主から命を頂いて、答えを頂いて、
輝いて歩んでいけるようにと思います。
どんな状況の中でも・・・。

主よ、
どうか私の目を輝かせて下さい。
私の内側にあなたの光を満たして下さい。
あなたの命にあふれさせて下さい。

2007-04-06

誰が支配者?

4/5の聖書。
詩篇の12篇を読みました。

「われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。」4節。

これは詩人を苦しめる人々の言葉です。

言葉は武器です。
ヒットラーが雄弁であったことはよく言われますが、
妙な説得力を持った人がいると、
その意見にぐーっと人々の気持ちが流れていきます。

私は雄弁な方ではないので、
それほど心配はしていないのですが、
どうしたらわかってもらえるか、どうしたら伝わるか、ではなくて、
どうしたら自分の思った方向にことが進んでいくか、
ということを考え始めたらまずいな、と自戒することがあります。

「誰が我々の支配者なのか」
とうそぶく人々。

自分たちが支配者だと思っているのです。
わたしはどうだろうかと思います。
自分の人生の主人は自分ではない、神様。

神様の支配の元に歩むことがどんなことか、
一つ一つ教えて頂きたいと思わされます。

主よ、
あなたが私の主です。私の王です。
このことが単なる言葉ではなくて、
実際にどんなことを意味しているのか、
一つ一つ教えて下さい。
実生活の中で、あなたを私の王として歩んでいくことを教えて下さい。

感謝

日付が変わってしまいました。
昨日、4/5は予想通り、雪が降りましたね。
ヤンキースの中継をしている時にも雪が舞っているのが映っていました。
今は夜中の12時過ぎですが、
0.6度で小雪が舞っています。

これから1週間、いつ小雪が舞ってもおかしくないような
日が続くでしょう。

朝晩は氷点下、昼間は10度止まりです。

今日は連れ合いのBirthdayだったので、
夜は家族でゆっくり過ごしました。

家族とされたことを主に感謝しつつ。
もっともっと理解することができるように祈りつつ。

詩篇の12篇はまた明日の朝に・・・。

2007-04-04

主に身を避ける

今日は予想通りの冷たい雨。
予想よりも寒く、一日中5-6度の寒さでした。

今朝のニュースでは東京も19年ぶりの4月の雪だったそうですね。
こちらもかなり冷たい空気が入るので、
夏の「夕立」のように、
夕方になると、4月の日差しで暖められた空気が上昇して、
積乱雲を作り、そこから雪やみぞれが降ってくる可能性はあります。

明日からは最高気温が8度くらい。
朝晩は-3度くらいの日が続くみたいです。

今日はいろいろ考えさせられる記事に出会った。
asahi.comに行って、
「アスパラクラブ」の中の「家族」という連載。
ここはメンバーになってログインしないと見れない。

でも、無料でメンバー登録をすればいい。
記事によっては朝日新聞を取っていないと読めないけれども、
この連載は取っていなくても読める。

特に今連載している
「ある少年の更生」。
4回連載のうちの3回まで進んでいる。

傷害事件を起して少年院に行った経験のある末息子と、
会社が倒産して150億円の借金を抱える親父。

その心のすれ違いとふれあいを記事にしている。

特にお父さんがクリスチャンになったことで、
聖書の「放蕩息子」のたとえ話になぞらえて話が展開していくのが興味深いです。

一番のテーマは、
息子達のよい子のところを喜ぶ親と、
その期待に答えようと自分を偽る子ども達。

でも、これって本当にたくさんあるんだろうなあと思います。

牧師としての働きの中でも、
「信徒に期待する牧師とその期待に表面的に答えて、自分を偽る信徒達」
ということはあるのではないかと思います。

本当の心の叫びを聞くこと、
それがどれほど大切なことかと思います。

時々、もっと強いリーダーシップを持つべきなのかと思う時があります。
でも、人を黙らせて、表面的に従っていく人々を作ってもしょうがない、と真剣にそう思います。
聞く耳を持ちつつ、伝えるべきことを伝えていく、本質的なところでは一致を求めながら、広さを認めるそんな働きができればと思いますが、「絵に描いた餅」でしょうか。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の11篇。
この詩も、敵に脅かされている中で歌われた詩です。

心に留まったのは
「主に私は身を避ける。」という1節の言葉です。

主の許に答えがある、
今朝、そのように思いました。
いろんな声が聞こえてくる時、
そこに恐れを感じる時にも、
主の許に答えがある。

いつもいつも主に聞いていく、
そこからぶれてしまってはいけないと思います。

他のところに身を寄せるのではなくて、
主の許で安らぎをえて、
主の許で解決を頂く、
そのような者でありたいと思います。

主よ、
どうか私を守って下さい。
いつもいつもあなたの元に身を寄せて、
あなたから守って頂いて、
あなたの語りかけを待ち望んで、
あなたの御言葉によって生かされて歩ませて下さい。

2007-04-03

見ておられる主

今日は、暖かくなりましたね。
朝のうちは昨日と同じような感じでしたが、
9時頃にはもう明るくなって、
晴れてきました。20度くらいまで上がりました。

でも、この後、ちょっと春はお休み。

明日からはまた寒くなります。
あちらこちらの天気予報で「S」の字が躍っています。

東京の場合は一番遅い雪が4月17日(1969年)・・・自分は5歳?

ニューヨークはなかなか見つかりませんが、
確か5月に降った記録もあると聞いたことがあります。

まだ4月の初めですから、何が起こっても驚かないようにしましょう。

日曜日の説教の中でお話しした。
「私は主を愛しているだろうか」
「私は教会を愛しているだろうか」
「私は人々を愛しているだろうか」
「私は家族を愛しているだろうか」

考えさせられます。

大体、メッセージは語った一週間、特に、自分が問われます。

「私は自分の夢のために主を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために教会を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために人々を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために家族を利用しようとしていないだろうか」

余り考えたことがありませんでした。

でも、考えたことのないこと自体が危険なことなのかもしれません。
おそらく、周りを利用しようとする人は自分がそういう傾向があること自体、
気がつかないのでしょうから・・・。

今夜ある方と学びをしている中で、
「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マタイ16:23)
というイエスのペテロをいさめる言葉が、心に深く響きました。

神様が私たちをどう見ておられるのか、
神様が私たちに何を望んでおられるのか、
それをもっともっと求めていきたいと思います。

人々を愛することは、どういうことなのか、
もっともっと教えて頂きたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の第10篇を読みました。

「彼は心の中で言う。『神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ。』」(11節)

「あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。」(14節)

私たちが苦しみに遭う時、
神様が私のことを忘れてしまっている、
神様が私のことを見て下さっていない、
そんな風に思うことがあります。

忘れられる、
見られていない、
それは何と悲しいことでしょうか?

人は忘れることもある。
人に覚えてもらっていない時もある。

私も失礼なことをしてしまう時もある。

でも、主は忘れていることはない。
主はいつも見ていて下さる。
私たちを御手の中に収めるために。
その御手で守るために。

疑わないことにしよう、
忘れないことにしよう、
主が私を心にかけて下さっていることを。
主がJCCNJを愛し、
心にかけて下さっていることを。
教会の一人ひとりを愛し、
心にかけて下さっていることを。

主よ、
感謝します。
あなたが居て下さることに。
あなたが見ていて下さることに。
あなたが御手を延べて守って下さることに。
私があなたの愛を疑うことがないように、私の心を守って下さい。
あなたが私をいつもいつも心にかけて下さっていることを、
忘れないように守って下さい。

人が誇らないように

また日付が変わってしまいました。

昨日(月曜日)はもっと暖かくなるはずだったのですが、
なかなか雲が取れずに、ひんやりした一日になりました。
特に午前中は10度以下。どんよりとして、肌寒かったです。
午後はちょっと日も差して、15度くらいまで行きましたが、
期待していた20度はほど遠かったです。

今日(火曜日)も昨日と同じで、何時頃から晴れてくるかがポイントでしょう。
今日よりは早いと思いますが、
それでも、午前中はどんよりしていると思います。
そして、この次の暖かくなるのは10日以上先のことだと思います。
お体には気をつけて・・・。

2週間ほど前に雪が降りました。
その後Sleetがかなり降ったのですが、
それが悪かったのか、翌日の土曜日、
教会の車のワイパーが、走っている途中で突然動かなくなったのです。

え~、これはまずい、と思いました。
雪の後は、道路の凍結を防ぐために撒いた塩が
フロントガラスについて、真っ白になってしまうので、大変なんです。
ただ、近所だったので何とか帰ってきました。

後で気がついたのですが、
Highなら動くんですよね。
つまり、ぽつぽつと雨が降ってきた時も、
ワイパーをHighにしなきゃいけないわけです。
みんなが間欠ワイパーで時々「カッチャン・・・カッチャン・・・」と使っている時も、
一台だけ、「カシャ、カシャ、カシャ・・・」とものすごい勢いで動かさなければいけない。
すごい勢い、というよりも、「せわしない」という感じですよね。
しかも、High 以外のところに合わせると、その場で止まる・・・。
それもカッコ悪いです。

で、次の週に直してきました。
ついでに助手席側の窓が開かないと言う症状も出ていたので、
直してもらいました。
まだ5年まで延長しておいた保証期間内だったので、タダ。
よかったです。大体、3年保証の車は3年を越えるとあっちこっち、がたが来始めますから。

でも、この間の金曜日に、今度は「窓を開けると閉まらない」という症状が出てきました。
運転しながら、運転席から、助手席側の窓が閉まらない。
今時、窓の開け閉めを手でやる車はかなり少数派でしょうが、
こう言う時は電気仕掛けは困ります。
「開かない」というのよりもたちが悪い。
だいたい、そういう時って、
「あれっ」と思って、スイッチをがちゃがちゃするじゃないですか。
そうすると、開く時は動くわけだから、どんどん窓が大きく開いていくんですよね。

雨が降ってきたらどうする?
焦りました・・・。

幸い、助手席のスイッチでは閉まるので、ホッとしました。
「ああ、よかった・・・」

でも・・・土曜日、
出かけた先で、今度は、運転席側の窓が閉まらない、という症状が出ました。
これはまた焦った。
マジで焦りました。
今度は他のスイッチはないですからね。
運転席側の窓のスイッチは運転席の横にしかないわけですよね、普通。
でも一生懸命あっちこっち探してしまいました。
どこかにスイッチがないだろうか?
もう一つ、どこかにスイッチがあったら、それは動くかもしれない・・・と。

ま、最終的には何回かトライしているうちに、窓が閉まったのですが、
雨の中でそんなトラブルがあったら大変です。
時間ができたらまた修理に持っていきますが、
何だか、窓を開けるのが怖くなってきてしまいました。

ちなみに、「サンルーフ」が閉まらなくなって、
ひどい目にあった、という話も聞いたことがあります。
「オープンカー」なんかも大変でしょうね。電気系統が雨の中トラブったら・・・。

さて、昨日、月曜日の聖書。
詩篇の9篇を読みました。

心に留まった言葉が、
「主よ。立ち上がってください。人間が勝ち誇らないために。」19節の言葉です。

神様の力です。
人の力ではなくて、
神様の力を見せて頂きたいと思っています。
今、私たちの教会は大きな転機を迎えようとしています。
人間の力で、見えてくるものもあります。
何とかなるかなあ、と思います。

でも、なかなか思い通りに行かない。
人間の力ではないんだろうと思います。
神様の力が必要なんだと思います。
そこに目を留めるべきなんだろうと思います。

私たちが誇ることがないために・・・。
自分が何かをしたことや、
「強い信仰」を持っているかのように思うことさえ、
分っているかのように思うことさえ、
誇ることがないために、
主は私たちを「思い通りに行かない」ところに導かれるのだろうと思います。

主が介入して下さいますように。
主が御力を表して下さいますように。

あのモーセと共にあって下さった主が、
その幕屋に雲を満たして、
光を満たして、
「確かにここに私はいるんだよ」と
示して下さった主が、
今日も私たちと共にあって、
「確かに私はここにあなたがたと共にいる」
と、示して下さいますように。

主よ、
どうか、あなたの臨在を表して下さい。
あなたが共にいて下さっていること、
あなたが導いていて下さっていること、
私たちに分るように表して下さい。

2007-04-01

神の力

礼拝から帰ってきました。
この時間に、時間ができるなんて、すごい久しぶりです。
こういう日が必要だなと思います。

雨も今のところ大したことはありませんが、
ちょっとこれから降るようですね。

そして、明日は20度近くまで上がって暖かい日になるでしょう。

その後水曜日からの一週間が寒の戻りで、
氷点下の日もあるみたいです。

予報にはsnowの字もちらほら見えます。

今日は月に一度の聖餐式。
それも「受難週」イエスが十字架にかかったのが、今週の金曜日。
十字架の一週間。
聖餐式のパンとぶどうジュースはイエスのからだと血を表します。
今日もそのイエスの十字架ゆえに神様の前に出れることを
感謝しました。

「ぶどうジュース」・・・教会によってはぶどう酒を使います。
イエスもぶどう酒を使ったんだろうと思います。

なぜ、ぶどうジュースを使う教会が多いのかというと、
「未成年者への配慮」「元アルコール中毒の方への配慮」
が大きいと思います。

あと、アメリカは20世紀前半に「禁酒法」があったくらい、
教会と禁酒運動とのつながりは強いです。

私もそのような伝統の中で育ってきました。

私たちの教会も、教会のプログラムの中はいっさいノンアルコールです。
結婚式を教会でする方で、レセプションも教会でする場合、
ゲストの方々に理解して頂くのは難しいことかもしれません。
でも、そのようにやってきました。

ある牧師さんは、
近所の方々を招いてBBQをしたあとに、こう言われたそうです。
「ノンアルコールであんなに楽しい時を過ごせるなんて新しい発見だった」と。

でも、私たちが建物を借りている教会はドイツ系の教会で、
元々私たちが日本語教会であるような意味での、
ドイツ語教会でした。

その教会は教会行事の中でも、
アルコールが入ることがありました。
確か100周年記念集会に出た時に、レセプションでアルコールが出ていました。
みんな車で来ているのにね・・・。不可解でした。
日本も去年の9月に日本に行った時には、
ちょうど問題になっていて、かなり厳しく取り締まられていましたが、
今はどうなんでしょうか。

運転する人は論外ですが、それ以外は文化と言ってしまえばそれまでですが、聖書の中に、

「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」エペソ5:18-19

とありますから、一滴も飲んではいけない、とは思ってはいませんが、酔うほど飲むべきではなく、何よりも、私たちは「御霊に満たされること」を求めていくべきなんだと思います。

さて、今日は詩篇8篇を読みました。
心に留まったのは、2節の言葉です。
「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。
それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。」

幼子や乳飲み子の口から出る言葉によって、
神様は力を打ち立てられる。
私たちの弱いところに働いて、
御業をなされる。

子ども達の「あぶあぶ~」という声も主は用いられる。
主の力はどんな中に表されるのか、
私たちの思いを越えていると思う。

大人達のいろいろ考えて理屈をこねて作り上げられたものよりも、
子ども達の、それも乳飲み子のような子ども達の
喃語を主はそのご栄光を表すものとして用いられるのだ。

大きな声を出さなくていい。
理屈をこねなくていい。
素朴な主への声が上がっていくところに、
主の力が表されるのだ。

主よ、
必要な休息を感謝します。
ありのままの主の前の叫び、
嘆き、ホッとした一息、それらがあなたに受け入れられることを心から感謝します。
どうかあなたの命を私の中に満たして下さい。

主の許に身を避ける

昨日は暖かい中で、JOYJOYイースター。
去年がみぞれの中だったことを考えると、
穏やかな日で本当によかったなあと思います。

でも、天気がよかった+日本の春休みシーズンで、土曜補習校が休みだったので、お出かけされた方も多かったのでしょう。参加者は50名と、みぞれの中の去年並、でした。

でも、昨日も元気な子ども達の声が教会に響き渡りました。

初めての子も何人かおられてうれしかったです。

今日は雨のようですね。

でも、まあ、大したことはないでしょう。

昨日は詩篇の7篇を読みました。
心に留まったのは1節の言葉。

「私の神、主よ。私はあなたのもとに身を避けました。」

自分は行き詰まった時、
攻撃を感じた時、
どこに行っているだろうかと思った。
本当に主の許に行っているだろうか?

主の許に身を避けているだろうか?

他のことでストレスを発散したり、
反撃に出たり、
そんなことで解決していないだろうか?

主の許に行く。
きつい時だから、
しんどいところだから、
どう受け取ったらいいか分らないような状況だから、
主の許に行く、
それが大切なことなのだと思わされた。

主よ、
どうか助けてください。
あなたを避け所とします。
あなたの元に隠れます。
あなたのところで平安を頂いて、
進んでいくことができますように。
私の心の目があなたからぶれてしまう時に、
どうか私を守ってください。

2007-03-30

unfailing love

今日は朝は冷え込んで-0.6度。久しぶりの氷点下です。
でも、昼間は20.2度Cとグッと暖かくなりました。
こんな日は家の中の方が寒いくらいです。

今は夜の11時ですが、10度あります。
でも、今夜もそこそこ寒くなりそうです。

昼間はまあまあでしょう。

そう、明日はJOYJOYイースターです。
午後3時から。
天気はいいです。今年は去年みたいにみぞれが降ったりしません。
元気なみんなをお待ちしています。

今日の夜のレント集会はとても大切な内容でした。
「私たちが共につけられる十字架」

私たちはいつも「私の罪」がイエスの十字架にかけられなかったと思います。
でも、ほんとうは「私自身」が十字架にかけられなければいけないほど、
「私」と「私の罪」は一つになってしまっているのです。

だから、パウロは「わたしはキリストと共に十字架につけられた」と言っているのです。
とても大切な「教会が教会となる」ために大切な学びだと思うので、
おいでになれなかった方々は是非HPで聞いて下さい。
まだアップされていないようですが、レント集会の3月30日のメッセージです。

さて、今日は詩篇の第6篇を読みました。
心に留ったのは、「あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。」という4節の言葉です。

私は今、日英対訳で読んでいるのですが、
この「恵み」ということばが英語のNew International Versionという訳では、
「unfailing love」と訳されています。
「確かな、揺るぎない、信頼できる愛」という意味です。

苦しみ中で、
いつでも共にいて下さる神様に
「帰ってきて下さい」と言わなければいけないほどの苦しみ。

神様が共にいて下さることさえ、
忘れてしまう、
見失ってしまうほどの苦しみ。

でも、その中でも彼は、
神様の恵みが
unfailing loveであることを信頼していたのです。

自分に対する神様の気持ちは
unfailing loveであると確信していたのです。

単純に神様を信頼していく者でありたいと思いました。

幼子のように神を信頼していく者でありたいと思います。

主よ、
どうかあなたのunfailing loveを信頼して、
歩む者でありますように。
幼子がお父さんを、お母さんを信頼するように、
私もあなたを信頼します。
あなたの御手の中で歩ませて下さい。

2007-03-29

主の盾

今日は昨日までに比べるとひんやりした日でした。
朝は1.1度C。昼間も12度くらいまでしか上がりませんでした。

で、自分はジーンズの下にパッチを履いているオヤジなのですが、
もう最近は暖かいから大丈夫だと思って、
今日もジーンズ一枚で過ごしていたら、
もう午後には足が冷えて冷えて、
3時頃に降参してパッチを履いています。

今夜も冷えるみたいですね。

でも、明日は20度近くまで上がるようで、
パッチレスで過ごせそうです。

JCCNJは今年が20年目。
初めての会堂を持とうといろいろ調べています。
でも、調べてみると、町によっていろんな法律があるんですね。

ある郊外のまだ更地のたくさんある町の場合、
新しく教会を建てるなら10エーカーの土地が必要だそうです。
=4万平方メートル=1万2千平方メートル。

ちなみに私が住んでいる町は最低2エーカーだそうです。
そんなに大きくない教会もたくさんあるのですが、
たぶん、そんな法律ができる前に建てたものなのでしょう。


そういう規制がないところもあります。
市街地に行くと、もっと小さい規定があるところもあります。
最低2000平方メートルとか。大体600坪くらい。

これでも、日本では考えられない話ですよね。

昔ながらの教会は駐車場もないものが多いです。
つまり「歩いていける教会」だったんでしょうね。
でも、今は町の法律で
「教会堂の座席3に対し、駐車場1台分」
とかなっている町が多いです。

なかなかむずかしいです。

神様が私たちにどんな道を準備しておられるのか、
心をオープンにして待ち望みたいと思っています。

今日は詩篇の5篇。
5篇は最初の「朝ごとにあなたを待ちます」という言葉も大切な言葉ですが、
今日は最後の言葉が心に留りました。

「主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。」12節の言葉です。

いろんな攻撃があります。
それにたじろいでしまったり、
心に壁を作ってしまったり、
恐れて言うべきことが言えなくなってしまったり。

そして、サタンからの攻撃があります。
誘惑があったりします。
牧師が骨抜きになれば、
教会は骨抜きになる。
牧師がみんなの信頼を失えば、
教会のメンバーは人間不信になる。
そういう風に考えるんでしょうね。

だから、私には主の盾が必要なんだと思わされます。
主御自身がその愛で私を守って下さる。
それが大切なんだと思います。

それがありがたいですし、それが必要だと思います。

主よ、
あなたの守りを感謝します。
どうか、あなたの盾で私を守って下さい。
あなたの下に隠れ、あなたを避け所とすることができますように。
どうか、守って下さい。

教会堂についても、あなたの道を示して下さい。

喜び

昨日は詩篇の第4篇。
「あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。」7節。

主が与えて下さる喜び、それは収穫の喜び、経済的に満たされた中にある喜びを遙かに超えるのだという。
農業をやっている方々にとって、収穫の喜びはどんなに大きなものかと思います。
また今の時代とこの聖書の時代、そして聖書の生まれた地域、との違いを考えてみる時に、
収穫がどれくらいあるか分らない、不安定さは、この時代の方がずっと大きかったのだろうと思います。

だとすると、この詩人の言葉の重さがどれほどかと思います。

その大きな喜び、収穫の喜びを超える神の与える喜び。

苦しみがあり、怒りがあり、悩みがあるような状況の中で、
主が与えて下さる喜び。

もっともっと経験させて頂きたいと思いました。
主の喜びを満たして頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、私の心に、
あなたしか与えることのできない、
あなただけが与えることのできる、
喜びを満たして下さい。

他のどんなに楽しいこと、
どんなにうれしいことも、
与えることのできない、大きな喜びを私に満たして下さい。

また朝に・・・

今日(もう昨日になってしまいましたが)は朝早く「コンピューターを持たないで」(使うひまがないと分っていたので)NYに行って、先ほど帰ってきたので、これからごはんなので、更新は明日~
おやすみなさい。

2007-03-27

眠れるということ

今日はほんとうに暖かい一日でした。
朝から10度くらいありましたが、
昼間には25度まで上がって、
汗ばむほどでした。

でも、ここまで暖かいのは今日だけ、
明日は15度くらい。
あさってからは10度そこそこのようです。

でも、ほんとうに一日でもこういう日があると、
春になったんだなあ、と思いますね。

明日はNYの日です。
すばらしい一日になりますように。

今日は詩篇の3篇でした。
敵に命をねらわれる中で、書かれた詩です。

その中で、この言葉が心に留りました。
「私は身を横たえて、眠る。 私はまた目をさます。」5節です。

夜眠れる方ですが、
何だか「悩みがないんじゃないの?」と思われると、ちょっと悔しいような気もします。
でも、時々、やはりいろんなことが心に巡って、
どうしても眠れない時があります。

やはり眠れるということは恵まれているんですよね。
不眠症で悩まれている方々は、
どんなにおつらいことかと思います。

この詩人、命をねらわれるような危険な状況にあって、
自分が眠れるのは神様の守りの中にあるからだ、と、
しみじみと語っているのです。

神様の守りがあること、
神様の支えがあること、
眠れる平安が与えられていること、
すばらしいプレゼントなのだと思います。

眠れない時は祈ります。
祈ると不思議と眠れます。
お祈りがお居寝りになってしまいます。
ほんとうは、もっと苦しいところを通っていないからそんなことを言えるのかもしれません。
でも、時分が与えられている恵みを素直に分ち合うと、
ほんとうにそうだと思います。
祈る時に与えられる慰め、平安、主に感謝します。

主よ、
あなたに祈ることのできる幸いを感謝します。
痛みの中で、苦しみの中で、不安の中で、
祈ることを教えて下さい。
そして祈る中で与えられる平安のうちに歩んでいくことができますように。
今夜もよく眠れますように。

2007-03-26

おののきつつ喜ぶ

今日も穏やかな天気。
気温は余り上がりませんでしたが、それでも12度くらい。
夜になってから雨が降ってきたようですが、
明日は回復して20度くらいまで行くみたいです。

庭のクロッカスが満開になりました。


去年よりも10日遅れて、春になっているようですね。

去年も4月の8日のJOYJOYイースターの時にみぞれが降りましたからね。
今年もまだまだ「寒い!」日はあるでしょう。

ちなみに今年のJOYJOYイースターは3月31日、
今週の土曜日です!

今年はスカッと晴れます!きっと・・・たぶん・・・。

先週の月曜日に紹介したおにぎりの素。
裏に「おにぎりを作る時にはよく手を洗って・・・」と書いてありましたが、
それにびっくりして、その後はさらっと読んでしまいましたが、
よく読むと、「調理後はできるだけ涼しいところに保存し、お早めにお召し上がり下さい」だって。うーん、手取り足取りですね。

でも、「注意書き」でググルと、またいろいろ出てきますね。
2005年のアメリカの注意書きコンテストのニュース、日本語になっています。いいですねえ。このトイレブラシの話といい、体温計の話といい・・・。やるひとがいるんでしょうか?
でも、この団体のHPを見ると、今年版が載っています。第10回だそうです。

今年は「この洗濯機で人間を洗わないでください」だそうです。
これは絶対いないと思います。さすがに・・・。
でも、グランプリの賞金500ドルと一緒に賞品として渡される本の題名にもなっている「たたむ前に子供を下ろしてください」という折りたたみ式のベビーカーの注意書き、これもすごいなあ、と思います。これもいないでしょう。それはさすがに・・・でもうっかりそういうことをしてしまった人がいたら、メーカーはその責任を負わされたりするということを恐れているんでしょう。コワい世の中です。

あ、でも、自分的には、
ミニバンのうしろの跳ね上げ式のドアに、
「閉めるドアで頭を打たないようにご注意下さい」
と書いておいて欲しいなあ、と思います。

車のドアに自分の手を挟んだことはありませんが、
何でか、あのミニバンのうしろのドアというか、ゲートというか、
あれはよくやるんですよね。

車のメーカーを訴えたら、勝てるかな?

昨日から読み始めた詩篇、今日は第2篇を読みました。
新改訳の第3版というので読んでいますが、
心に留ったのは、その11節の言葉。

「恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。」

主の前の畏れ、そして、おののき。
それを失わないなかで、「喜ぶ」。

恐れを持ちながら、喜ぶ。
ほんとうに恐れがあるから、喜びが大きくなる、のだと思いました。
でも、時々、「恐れ」を忘れてしまうから、
いつのまにか、「本来、神の前に立てるような自分ではない」ということを
忘れてしまうから、喜びも、感謝も、感動も、いつの間にか薄れてしまって、
慣れっこになってしまって、
「昔はもっと熱かったけどなあ」なんて思ってしまう。
喜びも、他のものに求めるようになってしまう。
いつの間にか、クリスチャンとしての「成功」や、
人との楽しい一時に喜びを求めてしまう。
「恐れ」を忘れない、
「罪深さ」を忘れない、
「どれほど大きな愛をもらったか」忘れない

そういう歩みをしたいと思いました。
主に愛されている喜びにあふれるものでありたいと思います。

主よ、
罪深い私をおゆるし下さい。
私のためにどれほど大きな愛が注がれたか、
どれほど大きな犠牲が払われたか、
忘れない者としてください。
そして、喜びにあふれさせてください。
あなたから来る喜びにあふれさせてください。
他のものをすべて失っても、その喜びを与えて下さい。

2007-03-25

昼も夜も

夕方はちょっと肌寒いですが、
昼間は暖かいですね。
やはり春分の日を過ぎて、太陽がどんどん高くなっているのもあると思います。
今は夜の11時半。3.9度C。ちょっと冷えそうですね。

でも、あさってには20度くらいまで温度が上がりそうです。

今日からどういう風に聖書を読もうかと思っていましたが、
詩篇をまた「一日一篇」で読んでいきたいと思います。
中には「この一篇ですか?」と感じるようなところもあるかもしれませんが、
その中から、語られることを待ち望みつつ、読みたいと思います。

ということで、今日は詩篇の1篇。
神の言葉、聖書のメッセージを慕って歩む、
その言葉に従って歩む者の幸いを書いた箇所です。

その中の2節の言葉が心に留りました。
「昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」

英語ではmeditateという言葉が使われています。
口ずさむ、と訳した新改訳には特別な思いがあるんだろうな、と思います。
単に思いめぐらすのではなく、喜びとして、鼻歌のように口に出てくる。

御言葉を喜びとする、
歌とする。
そんな歩みをしたいと思いました。

聖書を読むのが、ちょっとお勤めっぽくなってしまって、
毎日毎日「読まなければいけない」ではなくて、
それが口をついて出てくるような、
そんな歩みをしたいと思いました。

楽しい信仰生活を送りたいと思いました。
それも御言葉を中心とした楽しさ。

それをもっともっと味わっていきたいと思います。

主よ、
御言葉による喜びを、
それを知る喜びを、語られる喜びをもっともっと教えてください。
経験させてください。
そして、私の唇に、あなたの対する賛美を与えて下さい。
もっともっと賛美させて下さい。

都の中央を流れる川

去年の7月9日から一日一章ずつ読み始めた新約聖書。
3月24日に読み終わりました。
もう日付が変わってしまいましたが・・・。

一日一章ずつ、というのは私の今までのスピードに比べるととても遅いのですが、
それもほんとうに必要な時だったと思います。

聖書は「神様からのラブレター」だと言われます。
ラブレターはもらったら、何度も何度も読み返しますよね。
繰り返し繰り返し、ニタニタうっとりしながら・・・。

でも、聖書を読む時には時々「義務」になっていないかと。

クリスチャンの一人ひとりが悩んだり、苦しんだりするポイントかもしれませんが、

「義務感で読むのはおかしい」
「読みたいと思うまで待っていていいものではない」

この二つの思いの間を行ったり来たりするのです。

でも、御言葉を味わう喜び、
いや、それ以上に、「御言葉によって取り扱われる幸い」を経験すると、
もっと語って欲しい、もっと取り扱いを受けたい、と思うものです。

今回の新約聖書の通読、
私にとってはそんな原点に帰るような経験でした。

そして、昨日24日に読んだのはヨハネの黙示録24章でした。
その中で心に留ったのは、
1-2節。

「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。」

時々、無性にどこか静かなところに行きたくなる時があります。
自然の中に飛び込んでゆっくり過ごしたくなる時があります。
自分にはそれが必要なんじゃないかと思う時もあります。

でも、今日、この聖書の箇所を読んで祈っているなかで、
「いのちの川は都の大通りの中央を流れていた」という言葉を読んで、
そうじゃない。主が私にいのちの水を与えて下さるのは、
決して自然の中に入っていった時とか、バケーションでゆっくりしている時とかではなくて、
この今生かされているこの場所なのだ、ということを感じました。

私は東京の下町で育ちました。
都会の川はどす黒く、悪臭を放ち、
田舎の川が澄んでいて、たくさんの魚が生きている、そういうものだと思っていました。

それを天国の川にも当てはめて考えている自分に気づきました。
天国の標準で言うならば、水晶のように光るいのちの川が、
都のど真ん中に流れている。

いま、生かされているこの場所でいのちの水の満たしを与える、と主が語ってくださったように感じました。ここで主が満たして下さるならば、大丈夫、と思いました。元気が湧いてきました。

また、日曜日、主が用いて下さることを期待します。
待ち望みます。

主よ、
あなたは今、ここにいる私を満たすことのできる方であること、
どこか静かなところに行って、祈らなければ、満たされない、
そんなお方ではなくて、
ここにいる、今を生きている私をも、満たすことのできる方であることを、知りました。
感謝します。
ここに生きる者、今を生きる者としてください。


2007-03-24

マイトロンボーン

今から10年前、留学生でした。
いろんな方々のサポートを頂いていましたが、
一応自費の留学生でした。
カミさんがアルバイトしたり、
日本で数ヶ月働いたりして、
支えてくれました。
私も翻訳をやったり、休み中にはアルバイトをしたりしましたが、
日本で国家資格を持っているカミさんとは比較にはなりません。
お小遣い程度にしかなりません。
苦労をかけました。
(今も、別の意味でかけてますが・・・)

10年前ですから、
16歳の息子はそのころ6歳。
留学生活が始まったのが息子が1歳の時からですから、
5年間、それまではホントいろいろ我慢させたと思います。

こっちも気合い入っていましたから・・・。
1ヶ月の食費が100ドルだったり、
光熱費が20ドルだったり・・・。

カミさんに言わせると、
「1ドル以上のものは買ってあげない」ということだったらしく、
「これ1ドル以上?」「これはダメだよね1ドル以上から・・・」と買い物に行くたびに、「いじらしい」ことを言っていたようです。逆に親はこういうのには弱いんですよね。「買って買って」とぎゃあぎゃあ言って、寝ころんで泣き騒がれるよりも、「ダメだよね、これ高いから・・・」の方が効くんですよね。でも、それでも買ってやらないくらい、こちらも気合いが入っていました。というか、現実問題、無理でした。

で、今でも、何だかいろいろ欲しがりません。
周りの子が楽器とか買ってもらっても、
こちらも「どうする?」って聞くのですが、
欲しがりません。
「我慢なんかするなよー」と言うのですが、
子供の時の経験がもう染みついてしまっているのかもしれません。

そんなことを考えていたら、
自分の子供の頃のことを思い出してしまいました。

中学でブラスバンドに入ってトロンボーンを始めました。
最初はどうでもよかったのですが、
やはり2年生、3年生と進んでいくうちに、
「マイ楽器」を買ってもらう仲間が増えてきました。
ドラムのヤツ、トランペットのヤツ、ホルンのヤツ、
そして、フルートの子、クラリネットの子。
伝統・・・っていうか、歴史が長いというだけなんですが・・・
がある学校だったので、
学校の楽器は古い。
でも、実績はないので、部には新しい楽器を買うお金はない。
学校の楽器は凹んでいたり、さびて、使っていると緑青が手につくような、
そんな楽器でした。

今考えると、そんな楽器でも使い込むといいのかもしれませんが、
そのころはみんなのピカピカの楽器がうらやましくてしかたありませんでした。

カタログを見ては「欲しいなあ」とため息をつく毎日でした。
そして、ある時、親に言いました。
トロンボーンが欲しい、と。
「無理だ」と言われました。
泣きました。
あんまり泣いているので、
部屋に親父がやってきて
「いくらくらいなんだ?」と聞いてくれました。
「一番安いので5万円・・・でも、ボクが欲しいのは10万円」
それを聞いて親父は「バカ!」の一言を残して部屋を出て行ってしまいました。

泣きました。
思いっきり泣きました。

そして、あきらめました。
無理だと思っていました。

でも、数ヶ月後、
親父に「中古の楽器があるけど見てみるか?」と聞かれました。
宣教師の先生に聞いてくれたみたいです。

そして出会ったのがマイトロンボーン1号。
親父が2万5千円で買ってくれたのです。
もう天にも昇るような思いでした。
それを5年くらい使いました。

高校時代、おぼっちゃま、お嬢様方も多かったので、
30万円のホルンやら20万円のチェロ(これは安い方でしょうが・・・)やら持っている仲間がいて、またまた「うらやましい病」が再発してしまいましたが、「まあ、自分の楽器があるからいいや」と我慢しました。

でも、さすがに大学へ行くと、楽器のレベルがちょっとネックになってしまって、
「この楽器じゃなぁ」という感じになってきたので、
子供の頃からためていた貯金と
アルバイトで稼いだお金で23万円のトロンボーンを
渋谷のネロ楽器で新品で買いました。
(今もあるんでしょうか・・・)
あこがれのBachの42BGL(だったかな)、
10本の同じ型番の楽器の中から、よく鳴るヤツを
プロの女性のトロンボーン奏者、宮下宣子さんに選んで頂きました。
宮下さんのファンだったので、とてもうれしかったです。

今、そのマイトロンボーン2号、日本のどこかで、若者が使ってくれているようです。

こうやって振り返りながら、
息子に「無理して我慢するなよ」と思いながら、
でも、自分が何でも好きなものを簡単に手に入れることができなかったことが、
よかったことなんじゃないだろうかと思っています。

神様はどうなんだろうなあ、と思います。
私たちが「あれが欲しい」「これが欲しい」というのを
どういう目で見ておられるのだろうかと思います。

うちの親父と違って、
自分とも違って、
この神様はどこまでもどこまでも豊かな方ですよね。

与えるものが無かったら、
「無理だ」と言うのは簡単だと思います。ほんとうなんだから・・・。

でも、あるのに「今は与えない」と決断されるのはどんな気持ちなんだろうかと思います。
「神様はほんとうにいるんだろうか」
「神様はケチな方だ」
「神様は意地悪だ」
「神が愛だなんて嘘っぱちだ」
「何でも聞いてくれるって言ったくせに・・・」
そんなことを言われるリスクがあるわけですよね。

「 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。」ヘブル12:10

神様は今の私たちのことをどんな気持ちで見ておられるんでしょうか?

2007-03-23

夜がないところ

まずい、最近、「脱力系牧師」でなくなってしまっているかもしれない。
このブログも固くなっているかもしれない。
今日、そんなことを思っていました。

でも、分ったんです。いいんだってこと。レッテルを気にしなくても・・・。

自分であることが大切で、「脱力」してても、「元気」でも、「気合い」入っても、
そんなのは何でもいいんだ。

主の前にホッとできる自分であれば・・・それでいい。

うん。そうだ。(妙に納得)

今日も何だか暖かいような、肌寒いような、
どんよりしたり、ちょっと明るくなったり、雨が降ったり、
スカッとしない天気でした。

そして、朝からずっと12度くらいだった気温は、
夜になってから下がり始めて夜の12時前で7度。
明日の朝には1-2度くらいまで下がるようです。
そして明日も雨。
それだけではなく、明日の夜には「s」wordが出てきています。
雨に雪が混じるだろうと・・・。

そして、再来週あたりはかなり冷え込むだろうと・・・。
春はまだまだでしょうか・・・。

明日、中高生の集まり。
「友情」について話して欲しいというのですが、
いろいろ考えさせられますね。

「間違ったことをしている友人がいたら、どうするか?注意するのが友情か?注意して友情にひびが入ることを恐れるのか?」
「『mixi疲れ』っていうのがあるらしいけど、日記に足跡残してコメント残さないのが許されないことがあって、それで逆に疲れてしまうらしいけど、コメント残さないと友人とは言えないのか?」(ちなみにかきごおり牧師はmixiやっていません。念のため。でも、知っています。mixiの場合は誰が自分のページに来てくれたか、足跡が残るということ・・・)
・・・なんてのを考えていて、中高生達がどんな気持ちで今の時代を生きているのかと思ったりね。

やっぱり中高生の時って友人関係がすべてみたいに感じちゃいますからね・・・。

でも、何でも「義務」になったらしんどいよね。
「コメント残さなきゃいけない」
「自分の日記にコメント残してくれたら、相手の日記にもコメント残さなければいけない」とかだったら、しんどいよね。

最近読んだ本の中に
「不機嫌な人」は、「自分がこうしたら、相手はこう応答して欲しい」と思っていて、
それに対して、相手が自分の期待していたような応答をしてくれない時に、
甘えた怒りを覚えて、不機嫌になる。
小さな子供だと、その要求を言葉にできるからいい。
でも、大人になったら、それができない。だから不機嫌という形で表す。
と書かれていました。
なるほど・・・と納得してしまいました。
自分もそういうときある・・・からね。

ストレートに言えばいいのにね。
「こうして欲しいんだ!」ってね。
でもそれはプライドが許さなかったりする。

相手に義務を課さない。
要望があるなら、それをちゃんと伝える。

「大切なことはみんな幼稚園で習う」ってホントだな、と思いました。

さて、今日の聖書。
今日は黙示録の21章を読みました。
いよいよ、世の終わり、世界の完成の場面です。

25節に「そこには夜がないからである。」とあります。

その言葉が心に留りました。

もう夜はない。見えないところはない。
トンネルの中に入って出口が見えない時もない。
不安で不安で、ほんとうに夜は明けるんだろうか、という日もない。

そして、その新しい世界を照らす光は主ご自身だというのです。

そう、主が今、私たちと共にいて下さるのとはレベルの違う近さで、共にいて下さる。
それだけで楽しみで楽しみでしかたがない。

また「天国へ行きたい病」が始まってしまいそうだ。
「この世の天国」も捨てたものではない。
この世で神様と共に歩んでいく「この世の天国」もすばらしい。

でも、「あの世の天国」はダンチ(死語?)なんだろうな。
もっともっと神様を近く感じられるのだから・・・。

主よ、
天国の約束を感謝します。
あの世の天国で、あなたが世界を照らす光となって下さることに希望を持ちます。
でも、どうか、この世で、その天国のかけらを見つけていくことができますように。
この世にもあの世の天国のforetasteである「この世の天国」があることを感じることができますように。


2007-03-22

この大いなる救い

今日は午後からグッと暖かくなりました。
朝は3度くらいでしたが、
最高気温は19度まで行きました。

残念ながらこの天気も今日限り。
明日はまた12度くらいに戻ってしまうみたいです。
1週間前は雪が降っていたことを考えるとずっといいですが・・・。

ちょっとどんよりした日が続くようです。

今日は春めいた天気になったせいか、
JOYJOYキッズクラブも、いつもよりたくさんの仲間が来てくれて、
なんか、楽しかったです。
やっぱり「暖かい」「明るい」って大切なんだなと思います。

これで花粉症がなければ、春は最高の季節なのですが・・・。

去年の今頃どうだったかな、と思って見てみたら、
去年の3月23日は今日キッズクラブをしたレオニアの教会で
レンギョウの花が満開だったんですね。
今日はまだまだ。
3月15日にはウチの庭のクロッカスが咲いていた・・・と。
4月1日には25度を記録しています。

年によってこんなにも違うんですね。
でもクロッカスも雪の中から顔を出しています。
この週末くらいから咲き始めるでしょうか。

最近、「ホントの自分である」ことの意味を考えさせられています。

「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」ルカ9:25

「自分自身を失う」ということがある。
他のものを大切にして、
自分の立場を大切にしたり、
物質的な豊かさを求めたり、
表面的な「成功」を求めたりして、
ほんとうの自分を失ってしまうことがあるのだと。

ほんとうの自分は主と共に歩む中にある。

それが聖書の主張だ。

それと共に裸の自分で主の前に立つということ。
肩書きや立場や、そういうものもすべて置いて、
主の前に立つということ。

そのような自分の時を大切にしていこうと思います。
主の許に重荷を下ろして、安らぐ時を。

さて、今日も黙示録を読みました。
いよいよあさってで新約聖書一日一章が終わります。
7月から初めて3月までかかりました。
今日は20章。

「この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。」6節の言葉です。

この言葉の裏には、
第二の死の力の恐ろしさがあります。
本来、私たちは自分たちの罪ゆえに、それを経験するのが
当然の結果でした。
当然のことでした。
この第二の死は永遠の苦しみであり、永遠の孤独です。
永遠に心の中に「憎しみ」「恨み」を持ち続ける世界です。

「地獄で会おう」なんて冗談で言う人がいますが、
あまりに不謹慎です。
「地獄」は「この世の地獄」レベルではありません。
「この世の地獄」だってどうにもならない苦しみであるのに、
ほんとうの地獄はどうだろうかと思います。
「昔の仲間」にそこで会っても、
「やあ、どうしてた、おまえ・・・」なんて懐かしい気持ちが湧いてくるところではないでしょう。
誤解と苦しみ、恨みと、非難・・・。

でも、そこから解放された。

それはイエスの十字架のゆえです。
イエスの十字架のゆえに、私たちは初めてその「第二の死」から救われているのです。
その「第二の死」は全く私たちにとっとは無力なんです。

感謝。

主よ、
あなたの救いの大きさに感謝します。
その救いがあるから、私のうちに平安があるのです。
その救いがあるから、死も恐れることはありません。
「第二の死」は私たちに対して、全く力がないことを、
心から感謝します。
この大きな救い。この救いの大きさを忘れることがありませんように。

2007-03-21

イエスのあかし

今日は朝は冷え込んで-5.5度まで下がりました。
昼間も10度までは行きませんでしたが、でも、穏やかな一日。

今、夜の12時ですが、3.5度。
もうこれ以上下がりません。

そして、明日は暖かな春の日になるでしょう。

どんどん春になって欲しいですが、
今年の春は何だかどんどん暖かくなるというよりも、
いつまでも、暖かくなったと思ったら、
肌寒い日が帰ってくる、という感じになるみたいです。

外れて欲しいものです。

地球温暖化、
つい、この間までは、「そうやって騒いで、経済活動が停滞したらどうするんだ!」
というのがアメリカでの大方の反応でしたが、
だんだん本気で「これはやばいぞ」と思い始めたみたいですね。
白熱電球から蛍光灯にどんどん変わってきています。
省エネ車が結構人気です。
相変わらず大きな車も多いですが・・・。

教会で支援している「日本国際飢餓対策機構」のニュースレターの3月号には、
こんな記事も。
世界中の氷がガンガン溶けているのだと・・・。
子供の頃には「氷河期が来る!」って本が売れてたけどね。
今度は反対に温暖化。
でも、これは根拠がはっきりしている。
単なる気候変動ではなくて、
化石燃料を燃やして来たツケが回っているんですね。

でも、この文明にしっかりと恩恵を受けているわけですから、
「外にいるかのように批判している」だけでは、いけないわけです。

省エネ、ちゃんとしないとな。
車は必要以上に使わない。
電気やガスも節約。

神田先生の「
少々の不自由さを楽しもうではありませんか。」という言葉、
楽しそう!と思いました。そうですね。そのように生きたいと思いました。

今日は黙示録の19章。
続いて悪の力への裁きが下されていきます。

その中で、ヨハネが天使を拝もうとした時に、天使が言った言葉が心に留りました。
「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟たちと同じしもべです。神を拝みなさい。イエスのあかしは預言の霊です。」10節。

「イエスのあかし」
それは「預言の霊」だといいます。
「預言」とは神からの語りかけを人々に伝えることです。
今日の「説教」もこの一つです。

聖書の言葉を分析して語るのではなくて、
神様からの言葉を読んで、
自分に対する語りかけとして聞いて
それによって、自分が問われて、
自分に御言葉が突きつけられて、
それを人々に語っていく、
そのようなものです。

それが「イエスのあかし」つまり、イエスが私たちと共におられることの証拠であり、
私たちがイエスの弟子であることの証拠です。

そのようにいつもいつも主から聞いていく者でありたいと思います。
主から聞いて、主に語って頂いて、
主に教えられて、整えられて、
力を頂いて、進んでいく者でありたいと思います。

主よ、
どうか私に語ってください。
あなたが教えてください。
あなたの御言葉を与えて下さい。
そして、「預言」として人々に語り続ける者でありますように。
いつもいつもあなたと共に歩ませて下さい。
私の心を守って下さい。
あなたのみこころにしたがって歩むことができますように。

2007-03-20

おごれるものも久しからず

今日は思いの外暖かくなりました。
10度くらいまで温度が上がり、雪解けも進みましたね。
あと少しです。
でも、今夜だけはちょっと冷えます。
今、夜の11時半ですが、ちょうど0度。
天気予報は軒並み-5度以下を予想しています。

明日の夜はNYですが、
まあ、今夜並み。
でも、夜半頃からは冷え込まずに、逆に暖かくなってくるようです。

木曜日からの暖かさが楽しみです。

今日の夜、ある方からお電話。
「今、月食じゃないですか?」との問い合わせでした。
そんなバカな・・・というのが最初の反応。
だって、月食は「満月」と決まっているのに、つい最近、三日月を見たからです。

そう、月食は月の上に地球の影がかぶさるのですから、太陽、地球、月の順番に並んで、月は光っている面をこっちに向けるので、絶対に満月です。逆に、日食は太陽を月が隠してしまうので、太陽、月、地球の順番に並ぶわけですから、月は背中を地球に向けているわけで、必ず新月です。ですから、三日月の時に月食は起きないのです。ちなみにこの前の満月の時にちょうど月食があったんですね。ここら辺は余り条件はよくなくて、話題になりませんでしたが・・・。

次は8月28日。こちらもアメリカ東部では明け方になってしまい、余りいい条件ではないみたいですね。

でも、その方どうして「月食?」と思われたのだろうと思って、外に出てみると、三日月の光っていない部分もうっすらと見えていました。確かに、月食の時はこんな感じですよね。どうして、今日はこんなに光っていない部分がよく見えるのかなあ、と思いました。よくわかりません。それと月の上に明るく輝く星が見えていましたが、これはたぶん、金星。

・・・と調べていたら昨日場所によっては「部分日食」だったんですね。それは知りませんでした。

でも、あんなに明るい金星も、月も、確かにそこに輝いているのに、昼間は全然見えない。私たちの日々の歩みの中でも、たしかにそこにおられる神様が他のものにかき消されて、見えない時があるんですね。でも、私たちが気がつかなくても、確かにそこにおられる。それを信頼して歩みましょう。

さて、今日も黙示録。
今日は18章を読みました。
いよいよ終わりが近づいてきました。
今日は昨日紹介した「この女」への裁きのところです。
栄華を極めた大都市が、滅びるのです。

その中で、この言葉が心に留りました。
「あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。」17節の言葉です。

この時代の教会は迫害され、地下に潜っていました。
立派な会堂を建てることも許されず、
大々的に集会の宣伝をすることもできず、
人々の気に入るプログラムを持つこともできず、
クリスマスやイースターのパーティーや、
ピクニックや、子ども達のキャンプや、バザーをすることもできませんでした。

そして、それとは対照的に、彼らを取り巻く社会は繁栄を楽しんでいる社会でした。

それでも、教会には光がありました。
人々の嗜好におもねるのではなく、
厳しい迫害の中でも、
ホンモノを持っている教会は人々を惹きつけていきました。

今の教会に必要なのはその冷静さと、
ホンモノに対する飢え渇きと、
ホンモノを持っているのだという自信ではないだろうかと思います。

栄華をほしいままにした、大都市も滅びるのです。

この時代のローマ(ここではバビロン、と言われているけれども・・・)が
やがて衰退していく、などと当時の人はまったく考えられなかったでしょう。
ちょうど、今のNYが、アメリカがいつまでも繁栄するかのように私たちが思っているのと同じように・・・。

だから、淡々と単純に、福音を語り続ける者でありたいと思いました。
流行を追うのではなく、人々の関心を買おうとするのではなく、
単純に今まで通りに、大胆にキリストの福音を語り続ける者でありたいと思います。

主よ、
この大都市も、やがては衰えていくのでしょうか?
この国も、いつの日にかは衰えていく時があるのでしょうか?
信じられません。
でも、歴史はそれを暗示しています。
どうか、周りに振り回されない確かなものを握っていくことができますように。
確かなものを語っていくことができますように。
単純に語り続ける者でありますように。

2007-03-19

純粋であること

先週は牧師会だったので、
今日は2週間ぶりの完全休日。
前回は何があったのかなあ、と2週間前の記録を見てみたら、
「献血失敗」の日だったんですね。

今日は、ご飯つくったり、買い物行ったり、
洗濯物を放り込んだりたたんだりの
マイホームパパをしてしまいました。
悪くないかな。
でも、のんちみたいにはできません。
改めて感謝。

今日は朝は-6度まで下がりましたが、

昼間は8度くらいまで上がりました。
でも、風があったせいか、それほど暖かく感じませんでした。

夕方からはちょっと小雨。

明日はまたちょっと冷えるようですね。

でも、冷え込みも明日の夜まで。
その後はグッと春らしくなってくるようです。

早く雪が融けて欲しいものです。

そうそう、下の娘が今幼稚園なのですが、
「あさって、springになるんだよ」としきりに言っていました。
日本で言うと「春分の日」がこちらではfirst day of springなんですね。
確かに、日本の「立春」は「え?もう春が始まるの?」って感じですし、
「春分の日」を過ぎると結構暖かい日も多くなりますから、
アメリカ版の春の決め方の方がいいんでしょうね。


このあとも、
夏至に夏が始まり、
秋分の日に秋が始まり
冬至に冬が始まります。

春と夏は季節感がぴったりですが、
秋分の日に秋が始まるというのは???です。
NJでは8月の終わりには秋が始まっています。

冬も11月の終わりから始まっているかなと思います。

今日は久しぶりに「えー?」という話を一つ。
日本からのおみやげで頂いたものでしょうか、
日本の「おむすびをつくるためにご飯に混ぜ込むふりかけ」みたいなやつ。
何の気なしにパッケージを見ていました。
製品名は「鮭わかめごはん」ってやつですが、
その裏を見ると、



「おにぎりを作る時は、手をよく洗って下さい」だって!
えー、「洗わない人なんかいるわけないじゃん!」って声を挙げてしまいました。

これ書いてないと、「何にも書いてなかったから、手を洗わないで作ったら、変な味がした」なんて、苦情が出るんでしょうかねえ?アメリカみたいに「このおむすびの素を使う時に、手を洗わないで作ったら、お腹をこわした。手を洗ってから作ってください、と書かなかったメーカーの責任である。治療費と慰謝料として500万円(ちょっと控えめ?)を支払え」と訴えられちゃうんでしょうか。それとも、手を洗わないで作る人がいるから・・・それがまず信じられない・・・でも、トイレで手を洗わない人が結構多い、という話も聞いたことあるしなあ・・・よくお店の中のトイレに「従業員は必ず手を洗うように」なんて書いてあるから、やっぱりいるのかなあ・・・教育的な意味で「おにぎりはを作る時は、よく手を洗いましょうねえ」って宣伝しているのか・・・。

なんか「ペットを乾かそうと思って電子レンジに入れるのはおやめ下さい」と同じレベルですよね。

今日の聖書。
今日は黙示録の17章を読みました。

「地の王たちは、この女と不品行を行ない、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」2節の言葉です。

「この女」は一つの都市であることが後の方に書かれています。
経済的な繁栄をしている一つの都市のことです。
当時の人々はローマのことを指していると思ったことでしょう。

人々はその都市との関係に全く疑問を抱かなかったのだろうと思います。
その年との関係で自分たちが潤うことを喜んでいたのです。

私たちの生活の中でも、
みんな「あたりまえじゃないか」と思っていることで、
ほんとうは神様から見て、「止めて欲しい」と思われていること、
怒りを買っていることがあるのではないかと思いました。

不品行・・・これはみだらな行い、ということだと思います。
それは聖書の中では象徴的な意味で用いられる時には、
神を信じながら、神以外のものを信じていることを指しています。
二股をかけているというか・・・。

純粋さを失わない者でありたいと思います。
世間では通用しないと人は言うかもしれません。
清濁併せのむべき、人々は言うかもしれません。
でも、聖書は、純粋さを求めています。

目先の成功とか、
表面的な華やかさとか、
人数の多さとか、
そんなものではなくて、
ほんとうに純粋なもの、「ホンモノ」を求めていきたいと思います。

主よ、
どうか私があなたのことだけを見つめて歩むことができますように。
あなたの願われる道を歩んでいくことができますように。
派手なもの、目立つもの、そのようなものに振り回されるのではなく
純粋なもの、「ホンモノ」を求めていくことができますように。

2007-03-18

語り続けること

まだまだ雪が残っています。
朝は-3度くらいまで冷えましたが、
最高気温は5度くらいまで上がったようです。

でも、今は夜の10時で-0.6度。
明日の朝は-5度くらいまで下がるのでしょう。

明日はにわか雨かにわか雪があって、暖かくなり、
火曜日にはまたグッと冷えて、
でも、週の後半にはまた春めいてくると思います。

だんだん待ち遠しくなってきました。

今日もたくさんの方々と共に礼拝を守ることができました。

でも、その一方でおいでになることができなかった方々もたくさんおられました。
病気の方、
子供が熱を出したという方、
飛行機が出なくて、出張先から帰れなくなった方、
そんなことでご主人が帰ってこられなくて、家から出られない、という方、
などなど、
ほんとうに残念でした。
右側に礼拝説教のリンク貼っておきますね。

ほとんどのメンバーが当たり前のように守っている礼拝。
でも、この礼拝を守れることも決して当たり前ではない、
ということをおぼえて感謝しましょう。

さて、今日の聖書。
今日は黙示録の16章を読みました。

「こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。」9節。

「そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。」11節。

「また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。」21節。

これらを読みながら、
そうだろうなあ、と思いました。
いろんな苦しみがあったときに、神様に悔い改めるべきだということは、
このような聖書を読むと、客観的にそうだよなと思うのですが、
実際に自分がそんなことに出会うと、
「さあ、悔い改めよう」と思うだろうかと思いました。

そして、もっと深く思わされたのは、
このような状況の中で、自分は福音を語り続けることができるだろうか、
悔い改めへの招きを語り続けることができるだろうか、ということです。

人がたくさん救われていったら、いいでしょう。
人がメッセージを聞いて、「そうですね、私は悔い改めます」と言ってくれたら、
語ったかいがあるでしょう。
でも、人々は「こんな苦しみがあるなんて、神なんかいるもんか、神なんか信じるもんか!」と言うというのです。そんな状況の中で、私は語り続けることができるだろうか、ほんとうにそのことを思わされました。語り続ける者でありたいと思いました。
人がどう思うかではなく、主がどのように語りなさい、と言われているかにかかっているのだと思います。

この聖書を読んだのは朝ですが、これを書いているのは夜です。
今日の礼拝の中で、「あなたは罪人です」と語りました。
語りながら、「教会行ったら、罪人だと言われるのがイヤだ」という声を聞いたことがあることを思い出しました。「ああ、なんて自分は大胆なことを言っているのか」と思いました。でも、主が語ることを求められたことを、人の反応を見て、止めてしまうならば、自分は何のためにここにいるのだろうと思います。いつもいつも主の御心を求めながら、歩んでいきたいと思いました。

主よ、どうか私の唇を守ってください。
あのエゼキエルに対して、そのようにされたように、
私の額を「ダイヤモンドのように固い額」としてください。
人の反応に振り回される者ではなく、
あなたが「語れ」と言われることを語る者であり続けることができますように。
弱い私を支えて下さい。


2007-03-17

神の怒り

今日はとにかく雪かき。
昨日も2回やっておいたのですが、
今日起きたら、またすげえ積っていました。
雪と言うよりはSleet。
めちゃくちゃ重いです。
そして、固くなっていました。

もっと悪いことに、
昨日はバスケをしていていなかったので、「今日はやってもらうぞ・・・」と思っていた息子が、土曜日の朝8時半から朝飯喰ってるではないですか?まさか、おぬし、どこかに行くのか?と聞いたら、9時から友達の家で宿題をすることになっている、なんてぬかすではありませんか。

「宿題」「勉強」という言葉にめっぽう弱い親。
「雪かきしてからにしなさい」と言えず、送ってきましたよ。
その途中で2回もスタック。
周りの人に助けて頂いて、なんとか愚息を送り、
一人黙々と雪かきしました。
でも、固い固い。朝飯前の仕事ではなかったので、
朝食食べて、再開。
午後は娘達にも手伝わせて、終わったら4時半になっていました。ふー。

息子がいないと労働力は半分ですからね。
娘達もがんばってはくれますし、
のんちも元気なときはやるのですが、
今日はちょっとダウン。

その息子も、友達の家の前が除雪してなくて、3回も車がその家の前で立ち往生して、
ヘルプに行ったそうです。「宿題なかなか進まなかった・・・」と5時頃に帰ってきました。

近所もどんどんsnow blowerを使う家が増えてきました。
ここに引っ越してきたときはそんなでもなかったですが、
今日などは、半分以上が機械を使って雪かきをしていました。

ま、うちは息子が家にいるうちは・・・あと冬2回?・・・スコップでがんばろうと思っています。

今日の聖書。
そんな一日ですが、朝はもちろん聖書でスタート。
今日は黙示録の15章を読みました。

「神の激しい怒りはここに窮まるのである。」

1節の言葉が心に留りました。

私は「神の怒り」という言葉からは意識的に目をそらしていたのかもしれません。余り得意な言葉ではありません。聖書の中に出てくる言葉なのですが、何とか見つめないようにしてきたのだと思います。でも、今日はこの言葉が心に留って、いろいろ思いめぐらさせられました。神は罪に対して、私たちの罪に対して、私たちが従わないことに対して、怒っておられるのだ、と言うことを考えさせられたのです。

そして、明日の子ども達のためのメッセージの中で、イエスが十字架にかかる前の夜の「ゲッセマネの祈り」のところをお話しするので、そのことを準備している中で、その「神の怒り」ということを考えさせられたのです。

イエスがあの十字架を前にして、それまでも何度もご自身予告しておられたし、そのためにこの世に来られたのに、十字架を恐れて、「悲しみの余り死ぬほどだ」とまで弟子たちに漏らされたイエス。それはこの「神の激しい怒り」を自分の身に負うことの恐ろしさから来ていたことを思わされたのです。イエスは私たちの罪を負われたときに、神の激しい怒りを受けなければいけないことを知っておられた。十字架に釘打たれることも、むち打たれることも、人々に侮辱されることも、もちろんそれら一つ一つが十字架の痛みだったと思いますが、私たちの罪に対する「神の激しい怒り」を受けなければならないということがどれだけの痛みだったかと思います。

その怒りを私のために負ってくださったイエスに感謝します。

私もその怒りを覚えるときに、その怒りを受け止められたイエスの痛みを覚えるときに、「すべての罪から離れたい」と思います。

主よ、
あなたが私のために罪を負ってくださって、
私が受けるべき神の怒りをご自分の身に負ってくださったことを感謝します。
どうか、私を罪から守ってください。
ホンの小さな罪からも、(ああ、そういう罪に大小をつけること自体が恐ろしいことですね)
私を守ってください。罪を甘く見ることがありませんように。

2007-03-16

イエスの行くところについて行く

雪だったのは2時頃までで、
その後はSleetがガンガン降っています。
全部で15センチくらいでしょうか?
もしもこれが全部雪だったら50センチくらいいっていると思います。

今、夜の9時45分ですが気温は-4度。
Sleetが激しく降っています。

究極の選択・・・

こんな天気の夜に運転するのは・・・

1.タイヤは新しいんだけどワイパーが動かない車
2.ワイパーは動くんだけど、タイヤの溝がかなり減っている車

今日の夜は集会を中止にしたのですが、
中止にしても連絡がつかなくて、来る人があったら申し訳ないし、
集中して祈る時を持ちたかったので、
教会に行って来ました。

でも、行こうと思ったら、教会の車のワイパーがなぜか動かない。
氷のせいだと思うのですが、動かないんです。
で、悩んだあげく、2を選択。
安全運転でいってきました。

基本的に雪の中の運転は好きな方なので、
「めちゃくちゃ急いでいる」とか
「めちゃくちゃひどい雪」
は、イヤですが、今夜くらいなら、楽しんでいます。

自分は安全運転なんですが、もらい事故はイヤですよね。
今日も横を大きなトレーラーがすごいスピードを出して追い越していきました。

また雪の下り坂で前の車が急ブレーキをかけたときはヒヤッとしました。
いつもの5倍くらい車間をとっているので、「ヒヤッ」だけで済むんですが。

でも、そんなにしていった教会での一時の祈りの時間。
とても幸いな時間でした。

さて、夜中の1時、昼の2時に続いて、今日3回目の「一日一章」。
やっと追いつきました。

今日読んだのは、黙示録の14章。
心に留ったのは4節の言葉。
今日はほんとうに深く深く探られました。

「彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。」

私たちがイエスさまの行かれるところについて行く。
私たちが行きたいところに、「イエス様、一緒に行ってください」とお願いするのではなくて、
私たちがキリストの行かれるところについて行く。
それはもしかしたら、あのペテロにイエスが言われたように、
「行きたくないところ」「望んでいないところ」かもしれない。
不本意かもしれない。

でも、イエスさまが共に行ってくださるならば、そこが天国。
それが喜び。
もしも共に行ってくださらないならば、そこは地獄。

今、不本意という言葉を書いて、
自分がNJに来たときのことを思いだしてしまった。
元々不本意だった。
他の大学に行きたかったのだった。
でも、今は主の導きを信じることができる。
はっきりそう言うことができる。

イエスさまを振り回すのではなくて、
イエスさまに振り回される生涯を送りたい。

イエスさまと太いパイプを持っていきたい。
聖霊様にいつも聞いて歩んでいきたい。

主よ、
どうか私の歩みを守ってください。
いつもいつもあなたの導きを尋ねていきますように。
あなたの導きを求めていきますように。
あなたの行かれるところにどこにでもついていきます。
ついて行かせてください。
「あなたの行かれるところ」を
敏感に知ることのできる者としてください。

忍耐と信仰

今日は本格的な雪。
今年、一番本格的な降り方なのではないかと思います。
でも、学校は平常通り。
早く終わるかと思っていたのですが、
何も連絡はありませんでした。

でも、教会の集まりは
午前中の「聖書を読む会」も、
夜の「レント集会」もお休み。

東京も16日、初雪だったみたいですね。

このあと、雪とsleetのMixが夜まで降り続くようです。
今午後の2時で10センチくらい。
30センチくらい積るでしょうか。

今日の第2回目の「一日一章」昨日の分。
昨日、木曜日の聖書箇所は、黙示録の13章でした。
「 ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」10節、
「その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」17節。

世の終わりに「666」のシンボルで表される「反キリスト」があらわれるという。
その時に、キリストに従っている者たちは、
ものを買うことも、売ることもできなくなる。
ビジネスにも行き詰まり、買い物もできない。
そんな中で、信仰を守り続けることができるだろうか、
そんなことも思わされる。
世界の大多数が、その「反キリスト」の支配のもとにあって、
「反キリスト」が圧倒的な人気があって、
でも、それでも、信仰を守り続けることができるだろうか?

今の信仰が問われていると思う。
今、この現在の時点で、
周りに流されたり、
周りに合わせてしまったりすることのない、
いつも変わらないものを信じ続ける、
確かな信仰が大切だと思う。

主よ、
どうか、私の信仰を導いて下さい。
どんな中にも、周りに流されることのない、信仰を与えて下さい。
70年前、日本でもドイツでも、多くの信仰者達が、
周りに流されていきました。
9/11の時はどうだったでしょうか?
多くの人々が周りに流されていきました。
その中で確かな動かないものを持ち続ける者であり続けることができますように。
いつもいつもあなたの御言葉を中心に歩む者でありますように。

戦いに勝つもの

もう16日になりましたから、「今日」ですが、
今日は大雪でしょう。

どれくらい大雪かは天気予報によって違いますが、
一番少なめに見積もっているところは3-6インチ。
多めに見積もっているところは8-12インチです。
もっと行く可能性もあります。

今は夜の12時50分ですが、
2.5度で雨が降っています。
明日の朝には氷点下に下がるようです。

昨日はNYでいろいろ考えさせられ、祈らされましたが、

心に響いてきた聖書の言葉は、
「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていた」使徒行伝1章14-15節の言葉です。

120人の熱い祈りを捧げる人々がいた。
そこに聖霊様が注がれて、
3000人の人々が救われた。
そして、教会が誕生した。

単純に思わされ、祈らされました。
120人の、訓練された、祈りの人を送って下さい、と。
与えて下さい、と。

そして、先日から思わされていること。
「箱をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、――ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、――上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。」ヨシュア記の3章15-16節。

神様が導いて行かれるとき、
祭司達が先頭に立っていった、
決してみんな横一列に並んでいたわけではない。
祭司が前に進み、
その足の裏が水際に浸ると同時に、
川の水は涸れた、という。

指導者の責任を感じました。
ここ一番というとき、
やはり勇気を持って進んでいくのは指導者達だと、
横一列に並んでいたわけではなく、
指導者達が勇気を持って踏み出したときに、
人々は川を渡ることができたと。

でも、決して民のことを無視していたわけではなくて、
民の備えもできていた。
民の備えと、指導者が先頭に立つこと。
この両方が必要なんだと思いました。

一昨日、水曜日の聖書。
一昨日は黙示録の12章でした。

心に留ったのは「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」11節の言葉です。

私たちの勝利は、こひつじの血、つまり、イエスの十字架、
そして、「自分たちの証の言葉」のゆえ、だといいます。

イエスの十字架は分ります。
でも、自分たちの証の言葉とは何でしょうか?
イエスのことを証しする言葉、
メッセージ。
イエスが私の人生の中にどんなすばらしいことをして下さったか、
ということです。

それが私たちに勝利を与える。
証をすることは大切なことです。
もっともっと周りの人々に、
もっともっとこの地域の人々に、
この方のお証をしていこうと思います。
もっともっと大胆に伝えていくことができますように。

主よ、
私も「証の言葉」によって勝利を頂きたいです。
もっともっと証をさせて下さい。
私にさせて下さい。
そして教会のお一人一人にそれが広がりますように。
証の波が広がっていきますように。
証をしよう、といううねりが広がっていきますように。

2007-03-14

怒り

今日はNYDayです。
一日一章が一日遅れですし、
夜遅くなると、また更新が億劫になってしまうので、
今のうちに1回分。

今日はほんとうに暖かいです。
朝は3度くらいでしたが、
今はもう20度あります。
パッチを履くかどうか悩んだくらいです。

でも、金曜日から土曜日の朝にかけて
雪の予報が出始めています。

結構降るかもしれませんが、
今のところ、1-3インチという予想です。

こんなに暖かいのに?
という感じかもしれませんが、
奇しくも昨日はsuperstorm '93の14周年記念日。
アトランタに住んでいて、
大学の休暇を利用して、
2歳の長男を連れて3人でフロリダに行きました。
1週間の休暇だったのですが、
火曜日までに宿題を終わらせて、
水曜日に出発。
その時には70度F、つまり20度C以上ありました。
天気予報では「週末はみぞれかも・・・」みたいな予想を出していましたが、
「まさか・・・」って感じでしたね。

そして、木、金と滞在して、
金曜日のうちにアトランタに電話したら、
みぞれが降っているとのこと・・・。

わあ、と思って、土曜日は早めに出ました。
金曜日の夜はフロリダは大嵐だったのですが、
ハイウェイで北上する中で、
道路沿いに竜巻の爪痕もありました。

ところが、アトランタは吹雪だったようで、
途中で帰宅断念。
日曜日は軒並み教会も休みだったみたいです。
日曜日に帰ったら、15センチくらい積っていました。
そして、あそこらへんは除雪車がないから、大変。
道路でも日陰はしばらく雪が融けないで残っていました。

まあ、今回のstormはそこまですごいものではないと思いますが、
暖かいときの方が低気圧が発達しやすいので、要注意です。

そうそう、私が大学を卒業して、
聖書学院に入る前の3月の末に、東京でやっぱりそういうのがありました。
暖かい日が続いて、もう春だね、と言っていたら、
急に寒くなって、大雪。
1986年3月23日でしたね。
その日、日曜日だったのですが、
ホーリネス教団という150くらいの教会が集まっている団体の、
大会があって、みんな東京の青山に行ったのですが、
私は「誰か来られるとまずいから・・・」と教会の留守番を買って出ていました。
雨がざあざあ降っていて、
どなたも来られなかったのですが、
昼にちょっとテレビをつけると、
雪の映像。
どこかな?
と思って見てると、渋谷じゃないですか?
深川と渋谷でそこまで違うか!?と思いました。
吉祥寺とか、練馬とか、東村山とか、立川とか、八王子ならわかりますが、
渋谷が雪で、深川が雨?
と思ってみていたら、みるみる深川も雪に変わりました。

都心は数センチでしたが、
多摩地区は30センチくらいだったみたいですね。

今年、東京はまだ雪が降っていないようですが、
さてどうなるんでしょうか?金曜日には「一時雨か雪」と出ていますね。

長くなりました・・・。

昨日、火曜日の聖書。
昨日は黙示録の11章を読みました。

「諸国の民は怒りました」18節。

どうして怒ったのか、考えました。
やはりいろいろな災害のゆえだと思います。
私たちはいろんな災害が起こるたびに、
「神も仏もあるものか」と言います。
「神がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのでしょう」と言います。

そういう怒りなのかと思います。
こんな苦しみを与える神は分らない。
そんな神は信じたくない。
そういう怒りなのだと思います。

テロリストの行為なら、
殺人犯の行為なら、
そこに怒りを向けます。
誰かの過失でも、不注意でも、
そこに怒りを向けるでしょう。

でも、天変地異の場合、
自然災害の場合、どこにも怒りを向けられません。

そして、自然をも支配しておられる神に怒りを向けるのです。

聖書は、自然災害も人間の罪の結果の「被造物のうめき」だといいます。
神様の意図されたものと言うよりも、
私たちの罪の結果です。

でも、自然界をも神様が支配しておられることを思うと、
そこでも神は悔い改めを願っておられるのだと思います。
「力を合わせて乗り切れ」ではなくて、
「悔い改めてわたしの所に帰ってきなさい」と。

主よ、
私の歩みを守って下さい。
自然界をも通して、あなたは私たちに語ってくださっていることを、
私が忘れないように、守ってください。
あなたに怒りをぶつけるのではなく、
あなたの悔い改めへの招きを聞き取ることができますように。

2007-03-13

時が延ばされなくなるとき

今日はまた暖かかったです。
朝は0度くらい。
昼間は18度くらいまで上がりました。
明日も暖かな一日で20度を超える予想が出ていますが、
雨も降りそうです。

そして、金曜日から寒くなって、
注目は土曜日。
もしかしたら、NJ沖を低気圧が通って、
雪になるかもしれません。

最近、夜、ゆっくりバスタブ(湯船)につかる(といっても半身浴)のが、
楽しみになってきて、昨日もTime誌を片手に浸かっていました。

そしたら、小さな記事なんですが、
国際捕鯨委員会の総会が5月にある、
最近、風向きが変わってきて、
捕鯨国の味方をする国々が増えている、
ということが書かれていました。
でも、商業捕鯨再開のためには加盟国の4分の3の賛成が必要だそうで、
それは無理だろう、とも書かれていました。

日本は調査捕鯨をしていて、ノルウェーとアイスランドは捕鯨禁止を無視している、
ということも書かれていました。

一部の「反捕鯨国」の主張が通って、
それを文化にしている国々の立場が隅に追いやられているのは、
おかしいよなあ、と思っていますが、

今日の朝のニュースで、
入り江に迷い込んでしまった鯨を沖に返そうとした、
人々の中の3人が海に投げ出されて、
そのうち一人の方が亡くなられたというのをやっていました。

それで、もっと、なんだか、おかしいよなあ、と思いました。

無理して海に返そうとして、
それで人が亡くなってしまうなんて・・・。

そこで鯨が死んでしまったら、
そして、その鯨をありがたく食用なんかにしてしまったら、
(40年前までは当たり前だったと思いますが)
世界中から非難を浴びるから、
一生懸命海に返そうとするんだと思いますが、
それって、人の命を危険にさらしてまでするべきことなんでしょうか?

とっても痛ましい、とっても疑問を感じるニュースでした。

さて、昨日の聖書です。
昨日(月曜日)はヨハネの黙示録の10章を読みました。

「もはや時が延ばされることはない。」
6節の言葉が心に留りました。

私たちは、神様がいつまでも、忍耐を持って待っていて下さる、
と思っています。思いこんでいます。
私たちの準備ができるまで待っていて下さると思っています。
でも、それはもしかしたら、大きな誤解であり、
ものすごい甘えなのかもしれません。

確かにペテロの手紙の中には、
神様はあなた方のために忍耐をしておられる、と書かれています。
でも、それはいつまでも待っていて下さるといっているわけではありません。

私たちの人生の最後の日が、「まだ来ないだろう」と思いつつ私たちは生きていますが、
必ず「今日が最後だよ」という日が来る、という厳粛な事実を忘れてはなりません。

自分が決断できないでいる一つ一つのことも、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来ることを忘れないでいたいと思います。

主よ、
御言葉に感謝します。
あなたがもう一度、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来るのだ、
ということを思い出させて下さったことに感謝します。
どうか、時を見る目を与えて下さって、
決断をさせて下さいますように。

あなたの導きを見逃すことがないように、
敏感な目を与えて下さい。

2007-03-12

苦しみにあったとき

今日はずいぶん暖かくなりました。
朝は-3度くらいまで下がりましたが、
昼間は16度まで行きました。
建物の中にいた方が肌寒いくらい。
車に乗ると汗ばむほどでした。

明日まで暖かくて、
水曜日からは雨。
最初は暖かい雨ですが、
金曜日は冷たい雨になりそうです。
雪の可能性だってあります。

そして、週末は寒いみたいです。

そうそう、日本も寒の戻りみたいですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいますが、
3月中は何があるか分りませんね。

今日は週末からのリカバリ中。

でも、本来月曜日は週に一度の休みなんですが、
今日は牧師会で朝から出かけておりました。
同じ思いで、この地域の日本語を使う方々に
どのように福音を伝えるかということに、
日々腐心している戦友なので、
大切なときだと思います。
自分にとっても大切だし、
自分の存在が周りの仲間の励ましになれば、
という思いもあります。

今年の秋には、フィラデルフィアの日本語の達者な韓国人の牧師さんが、
牧師のためのrefreshとempowermentの集まりを開いてくださいます。
日本にいると、確かにそのような集まりは年に何回かあるのですが、
こちらで日本語でそのような集まりを持つのは初めてではないかと思います。
今から楽しみにしています。

牧師が、いつもいつも神様からのpowerをもらっていないと、
教会がダメージを受けます。おかしくなっていきます。

この地域の10数個の日本語教会のために、牧師達のために祈ることの大切さを思います。

昨日、日曜日の聖書。
昨日は黙示録9章でした。
災いが続くところです。
余り読んでて気持ちのいいところではありません。

その中で心に留ったのは、
「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」20-21節の言葉です。

人々が、
「苦しみにあっても悔い改めようとしなかった」
ことがここに書かれています。

どうしてだろうと思います。
でも、考えてみると、
自分が苦しみにあったときに、
「悔い改めよう」と思うだろうかと思いました。
今、人々は「どうしてこんなことが起こるんだろうか」と思います。

9/11の時にも、
「悔い改めなさい!」と叫んだ人々がいました。
その人々のことを自分はどう思ったか思い出すと、
「こんな時に・・・」と思ったように記憶しています。

いろんな困難の中で、
悲劇的な出来事の中で、
「これは神様が私たちを悔い改めに招いているんだ」
と果たして思えるだろうかと思いました。
いつもいつもそうであるかというと、そうではないんだろうと思います。

でも、「そうかもしれない」
と受け止めることは大切なんだ、聖書的なんだと思います。
「主よ、悔い改めるべきことがあるならば、教えてください」と祈るべきなのだ、
と思いました。

主よ、
苦しみにあったとき、
あなたが私を悔い改めに導いておられるかどうか、
そのことを祈り求めることを、私はできるでしょうか?
どうか、私にこのことを思い出させてください。
苦しみに遭うときに、
あなたのメッセージを聞くことができますように。
そして、「悔い改めを迫られている」と気がついたときに、
素直にあなたの前に出ることができますように。



太陽も月も

昨夜は帰ってきたのが1時過ぎになって、
今日も12時前になって、ちょっときついですが、
たまるとまたきついので、昨日の分の更新。

結婚式、いやあ、僕ら夫婦と花嫁は別に親子ほどは年は離れていないのですが、
ちょっとそんな気持ちもあり、神様に感謝しました。
これからがスタートなんでしょうが、
とにかく、守られてきたなあ、と思いました。

そして花婿氏も、1週間前にゆっくりと結婚前カウンセリングをしたこともあり、
とっても親しくなったような気分です。
今日も教会に一緒に来て下さいましたが、
結構、こちら的には仲間意識ができてしまいました。

祝福を祈ります。

さてさて、昨日、土曜日の聖書箇所。
昨日は黙示録の8章でした。
その中の12節には「すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、昼の三分の一とが打たれたので・・・」とあります。

これを読むたびに、また黙示録のいろんな記事を読むたびに、
こんなことほんとうに起こるんだろうかと思います。
それほど、太陽も、月も、星も、私たちは「かわらないもの」として見ているんでしょうね。
それもやがて、「打たれる」時が来る。
「天地は滅びるであろう、しかし、わたしの言葉は変わることがない」と聖書にはあります。
この天地さえも滅びてしまう。
そんな日が、そんな信じられないようなことが起こるのだ、
でも、それでも、主は変わらない方としておられる。
変わらない方として、共にいて下さる。
主のみことばは変わらない。

そこを信頼して、そこに希望を持って、
それを私たちの寄って立つ土台として、歩んでいきたいと思う。

主よ、
どうか私を守って下さい。
太陽も月も打たれるときに、
あなただけを、あなたご自身を信頼して歩ませて下さい。
あなたご自身を土台として歩んでいく祝福を経験させて下さい。

2007-03-10

天国の祝福

そして、朝になりました。
昨日はグッと寒さがゆるみ、
風もなく、穏やかな一日でした。
朝は-12度ですから寒かったですけどね。

でも、もう厳しい冷え込みも終わりです。
今日から10度くらいの日が続きます。
春になるみたいです。
来週の週末には一時寒気が入ってきますが、
大したことはなくて、
その後はぐんと春らしくなるでしょう。

去年は13日にクロッカスの花が咲いていました。
今年はもうちょっと遅れそうですが、
来週中には咲くのでは・・・。

いよいよ明日からDaylight Saving Time。
皆さん礼拝に遅れないように・・・。

昨日、金曜日の聖書。
昨日は黙示録の7章を読みました。
15-17節に、天国の様子が垣間見えています。

「彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」16-17節

特に「いのちの泉」という言葉に目が留りました。
いのちがわき上がってくる泉がある。
この地上で経験できることと、
天国に行ってから経験することとの間には
大きな開きがあるんだろうと思います。
でも、この地上でも「いのちの泉」を経験することができる、
その幸いを思いました。

私たちは確かに泉なしには生きていないのだと。
ため池の水を飲みながら、生きていくことはできないのだと。
滾々とわき出る泉を自分の内側に持たなければ・・・と思います。

イエスはそれを与えて下さる。

満たして頂きたいと思いました。

主よ、
私の心を満たして下さい。
あなたが天国に持っておられる「いのちの泉」からの水を、
私の地上の生涯でも味わわせて下さい。
喜びにあふれて、生かしてください。

天国でもっともっと豊かないのちが待っていることに感謝します。

また朝に・・・

今日は先ほどまで深夜祈祷会をしていたので、
12時20分頃帰ってきました。
また朝起きてから更新します。

ではでは。

結構冷えてますね。
今-4度C。

2007-03-08

天変地異

今日もまた寒い日でした。
朝は-10度くらいまで下がって、
その後、昼間の気温は2度くらいまで上がりましたが、
また夜になって-7度くらいまで下がっています。
今夜はこの時期としては記録的な冷え込みのようです。
-12度とか、-14度とかの予想が出ています。

ブルブルです。
この「ブルブル」もしかしたら、英語から来てるんでしょうかね。
それとも世界共通の感覚なんでしょうか。
英語ではBrrrrr...です。

今日のキッズクラブ、久しぶりににぎやかでした。
20人を超える仲間が集まりました。
日が延びたからでしょうかね。
終わって片づけをして、6時前に教会を出てもまだ明るかったです。
そして、今度の日曜日にはDaylight Saving Timeが始まります。
今の6時は来週の7時ですから、
7時まで明るいんですよ!3月だというのに!
そして、うれしいことに来週は暖かくなりそうで、
何だか「春がやってきた」って感じになりそうです。
わくわくします。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の6章を読みました。
「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。」という14節の言葉が目に留りました。

やがて、そんな時が来るのだ、
天が消えてなくなり、山や島が動くようなときが。
これがあるから大丈夫だというものは何もない。
何も私たちを守ってくれない。

でも、そんな中で変わらないものがある。
変わらない方がいる。

「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。」
詩篇の46篇の言葉です。

そこに私たちの希望があるのです。
そこに私たちの希望を持つべきなのです。
他に土台とするものが何もなくなったときに、
神を希望として、神を頼って生きる、ということが分ってくるのです。

主よ、
世の終わりの天変地異の中でもあなたを見上げて、信頼していけるでしょうか?
私の人生の中での嵐の中でも、あなたを信頼して、平安な心で生きていけるでしょうか?
主よ、
どうか、すべてが揺さぶられたときに、すぐにあなたの元に飛んでいけますように。
あなたの支配を信頼して、安心して歩んでいくことができますように。
どうかあなたが守って下さい。

2007-03-07

すべてのものが主をほめる

今日も寒い一日でした。
朝は雪が降っていました。
1センチくらい積ったでしょうか?
-10度くらいのとても低い気温でしたので、
パウダースノーでした。

そして、最高気温も-2度くらい。
夜の9時で-6.4度まで下がってきています。

この寒さ、金曜日まで続くようです。
早く暖かくなって欲しいものです。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の5章を読みました。

「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』」13節。

すべての造られたものが、父なる神と、キリストとをほめる。
聖書は人間だけが神を礼拝するものであると言っているわけではない。
この自然界のすばらしさも、
動物たちも、みんな神をほめている。
日本では大きな滝や、大きな山や、大きな木、大きな岩、
みんなその中に神が宿っていると思われてきた。
でも、そうじゃない。
その大きな滝も、大きな山も、大きな木も、大きな岩も、
神をほめたたえているのだ。

決してニューエイジなんかに勝手に解釈させていてはいけない。
小川の水の音も、鳥の声も、
みんな神をほめたたえているのだ。
キリストの救いをほめたたえているのだ。

その全世界の賛美、全自然界の賛美に私たちは参加させて頂いているだけなんだ。
私たちが賛美をささげるときに、キリストを賛美するときに、
全世界の自然界の賛美に参加しているのだ。

主よ、
感謝します。
私の目を開いて下さって、
世界の賛美に参加している、その喜びを
感じさせて下さっていることに感謝します。
どうか、私たちの賛美が、
独りよがりのものになりませんように、
全世界の賛美と調和するものでありますように。
自然界の賛美と調和するものでありますように。


2007-03-06

ここに上ってきなさい!

いやあ、寒いですねえ。
ホント寒いです。
今朝は-12度。
昼間も-5度止まり。
そして夜の11時にはまた-12度。

明日の朝は何度まで下がるんでしょうか?

でも、これから曇ってきて、
明日は一時雪です。
大したことはありません。
もっと南の方、ワシントンとかの方にエネルギーがいっちゃうみたいです。
学校は休みにはなり得ません。
とても軽いパウダースノーです。

その後も寒くて、暖かくなってくるのは土曜日あたりみたいです。
結婚式は大丈夫ですね。
よかったよかった。

さて、今日はさっそく聖書。
黙示録の4章を読みました。

「その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。『ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。』」1節の言葉です。

ここから黙示録の難しいところが始まりますが、
今朝はゆっくりこの言葉を読んで思いを巡らしていました。
天に開かれた門がある。
そして「ここに上れ」と声をかけて頂く。
主が私たちを招いておられることを思わされました。

主は毎日毎日、私たちを待っていて下さる。
御言葉によって語ろうと、私たちを招いて下さっている。
天の門を開いて、「ここに上れ」と。
そのこと自体に喜びを覚えました。
主が私たちにもっといろんなことを見せようとしておられる。
その招きに従って、
もっともっと主に近づけて頂きたいと思います。
もっともっとspiritualなことに目を開かせて頂きたいと思います。
そうそう、今ニューエイジの影響か、
spiritualという言葉が何か誤解されそうですが、
「霊が見えます」とか、そういうことではなくて、
御言葉によって取り扱われる、という面で、
もっともっと世界が開かれていくようにと思います。

主よ、
あなたの招きを感謝します。
もっともっとあなたの愛の深さ、
あなたの与えて下さる力の大きさを、
知る者となれますように。
どうか、あなたの懐深く、踏み行かせて下さい。

2007-03-05

開かれた門

寒くなりました。
今日の午後3時頃、急に雪が激しく降りました。
ほんの数分だったので、何ともなかったですが、
まだまだ冬なんだなあと思います。
今は夜の9時半。
-4.3度まで下がりました。
今夜は-12度まで下がるそうで・・・。

明日は一日氷点下。
そしてあさっては雪のようです。
「ちょい雪」。
でも3-5インチの予報を出しているところもあります。

その後はどんどん春になるようです。

今朝「成分献血」に行って来ました。
血小板だけを取り出すというヤツ。

実はこのところ、時々電話がかかってきて、
「次の月曜日の朝ならできる」と2回も答えていたのに、
2回とも結局行けず、申し訳ないなあ、と思っていました。
そしたら、先週、また電話がかかってきて、
「バスケットのチケットがもらえるプロモーションやっているから・・・」とお声がかかり、
その話の中で、「今、血小板がほんとうに必要なんです、よろしくお願いします」と頼まれて、
「じゃあ、月曜日の朝に」と予約を入れてあったのでした。

そして、今朝9時にいざ出陣、
簡単なチェックをした後、
献血開始・・・しかし、右腕で血を採っていたのですが、
開始間もなく痛くなり、チェックしたら、針が他の血管を圧迫しているということで、中止。
「帰るか、それとも、左腕で採るか」と聞かれ、
今日は月曜日で休日でもあり、「役に立ちたい」と思ったので、
「左腕でお願いします」と再度挑戦。
「なんだ、こっちの血管の方が簡単じゃない。これから、いつも左腕でやって、と言ってね」と言われて、「最初から、両方見ればいいだろうに・・・」と思いつつ、おとなしく、針を刺されました。
「ほら、こっちは大丈夫」と言っておられたのですが、
最初ちょっと血を採って、その中から血小板を取り出して、血をまた戻すときに、
「おー!」っと声を挙げるような激痛。
針がずれていたようで、返ってきた血が内出血状態。腫れ上がりました。
即、献血中止。

ということで、あえなく、役に立てずに帰ってきました。

nurseの方も、立て続けの失敗に激しく落ち込んでおられました。
神様が造られたわたしの両腕ですが、
血管の走り方が、複雑なんでしょうかねえ。

でもめげないでまた挑戦しようと思います。

「受けるより与える方が幸い」ですから・・・。

今日の聖書。
今日は黙示録の3章。
心に語られた言葉がありました。

「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」
8節の言葉です。

主が門を開かれるときに、
誰もそれを閉じることはできない。
ものすごい励ましを頂きました。

主が開かれるときに、
人の力も、
力関係も、
経済力の問題も、
何もそれを閉ざすことはできないのです。

主が開いてくださっていること、
そのことのすばらしさを感じました。

主よ、
どうか、私にあなたの開かれた門を見せてください。
あなたを信頼します。
あなたを見上げます。
水の上を歩くときに、
波ではなくて、嵐ではなくて、
あなたのことを見つめ続けることができますように。

2007-03-04

両刃の剣

今日はグッと冷え込んで、
朝は小雪が舞いました。
さっき外にゴミを捨てにいったらまた小雪が舞っていました。

明日も寒い日のようです。
そして、火曜日が寒さの底で、
木曜日までは一日中氷点下の日が続くようですね。

水曜日はGFSのモデルでは「ちょい雪」です。

今日は礼拝後、
教会堂のことで教会全体の話し合い。
皆さんのいろんな意見を伺ったり、
考えたり、考えて頂いたり、考えさせられたり、
必要な時だったのだと思います。

今まで19年間も、私たちはアメリカの教会の会堂を使わせて頂いています。
今日の礼拝も80名くらい。決して「開拓教会」ではありません。
でも、なかなか自分たちの会堂を持つことができないでいます。
狭くても、とにかく自らの懐を痛めて、また祈って奇跡を見せて頂いて、
自分たちの建物を持つことが、信仰の成長のために必要だと思っています。

そんなことで、
私たちに会堂を貸して下さっているザイオン教会の歴史を見てました。
1899年に創立。
1903年に土地購入。住宅2軒分の敷地。
1904年に建物完成。・・・ちなみにこれは今お借りしている建物ではなくて、教会の裏の坂道を上がった右側の建物です。土地と建物で2340ドル。そのうち、教団からの無利子の借り入れが620ドル、教会債が500ドル、その他が積み立てですから、計算すると1220ドル。
5年で、初めての会堂です。この町の2軒分のロットは決して大きくありません。最初は礼拝を守れるだけのスペースだったのでしょう。でも現在、同じことをしようと考えると最低でも60万ドルくらいはかかるんでしょう。

そして少しずつ少しずつ周りの土地を買い足していったようですね。
今から50年くらい前に今の土地の半分を買って移転。
それから10年ほどして、残りの半分を取得。駐車場としたようです。
それからまた10年後、今から30年前ですが、入って右側の部分、ジムとロビー、オフィス、コワイアルーム、キッチンあたりを造ったそうです。それも、78年に計画が始まって完成は82年。いくらかかったかはもう少し調べないと分りませんが、工事が遅れてよけいにかかったお金だけで約40万ドル。

今はかなり人数も減っていますが、10年前は2回の礼拝をしていましたし、200人以上の方々が集っていた教会。その教会が100年かけて造ってきた教会堂、それを何だか当たり前のように使わせて頂いて、もっともっと、感謝すべきだなあと思いました。

そして、この108年の歴史全体では何千人になるだろう人々の汗と涙と祈りの重さを考えるときに、私たちが会堂を与えられるために、主がどんなことを備えておられるか、そのためのプロセスにどれほどのことが待っているのか、それをほんとうに自分は甘く見ていなかったか、いろいろ考えさせられました。

こんなこと、わたしも今までちゃんと調べたこともありませんでしたし、
もちろん、お話ししたこともありませんでした。
こうやって書きながら、ザイオン教会の方々への、その歴史を背負ってこられたお会いしたこともない方々への、感謝と、それを知らなかったことへの申し訳なさ、知らないで口に出してきたたくさんのわがままについての悔い改めの気持ちがどんどん湧いてきました。そして、こういうことを日本語教会に集う方々にお話ししないできたことに悔恨の思いも湧いてきます。

主よ、この一時を感謝します。気づかせて下さってありがとうございます。

今日の聖書。(って書いているうちに日付は変わってしまいましたが・・・)
今日はヨハネの黙示録2章。
「鋭い、両刃の剣を持つ方」12節の言葉です。

イエスは「優しい人」そんなイメージがあります。
でも、それと共に「両刃の剣を持っておられる方」です。
ここに「口の剣」とありますが、「御言葉」のことです。
神の言葉、イエスの言葉、聖書の言葉は私たちの心に剣のように
刺さってくるときがあります。

決してここちよいときばかりではありません。
でも、その方がいいのだと思います。
御言葉が心に刺さってきて、
それで整えられる、悔い改めさせられる、
そうなんだと思います。

御言葉によって整えられる、
それを恐れないで、それを真剣に受け止めて、
歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか、わたしに語ってください。
日々語ってください。
そして、御言葉によって取り扱ってください。
御言葉によってきよめてください。
御言葉によって整えられて、
あなたの用いやすい器としてください。