今日はNYDayです。
一日一章が一日遅れですし、
夜遅くなると、また更新が億劫になってしまうので、
今のうちに1回分。
今日はほんとうに暖かいです。
朝は3度くらいでしたが、
今はもう20度あります。
パッチを履くかどうか悩んだくらいです。
でも、金曜日から土曜日の朝にかけて
雪の予報が出始めています。
結構降るかもしれませんが、
今のところ、1-3インチという予想です。
こんなに暖かいのに?
という感じかもしれませんが、
奇しくも昨日はsuperstorm '93の14周年記念日。
アトランタに住んでいて、
大学の休暇を利用して、
2歳の長男を連れて3人でフロリダに行きました。
1週間の休暇だったのですが、
火曜日までに宿題を終わらせて、
水曜日に出発。
その時には70度F、つまり20度C以上ありました。
天気予報では「週末はみぞれかも・・・」みたいな予想を出していましたが、
「まさか・・・」って感じでしたね。
そして、木、金と滞在して、
金曜日のうちにアトランタに電話したら、
みぞれが降っているとのこと・・・。
わあ、と思って、土曜日は早めに出ました。
金曜日の夜はフロリダは大嵐だったのですが、
ハイウェイで北上する中で、
道路沿いに竜巻の爪痕もありました。
ところが、アトランタは吹雪だったようで、
途中で帰宅断念。
日曜日は軒並み教会も休みだったみたいです。
日曜日に帰ったら、15センチくらい積っていました。
そして、あそこらへんは除雪車がないから、大変。
道路でも日陰はしばらく雪が融けないで残っていました。
まあ、今回のstormはそこまですごいものではないと思いますが、
暖かいときの方が低気圧が発達しやすいので、要注意です。
そうそう、私が大学を卒業して、
聖書学院に入る前の3月の末に、東京でやっぱりそういうのがありました。
暖かい日が続いて、もう春だね、と言っていたら、
急に寒くなって、大雪。
1986年3月23日でしたね。
その日、日曜日だったのですが、
ホーリネス教団という150くらいの教会が集まっている団体の、
大会があって、みんな東京の青山に行ったのですが、
私は「誰か来られるとまずいから・・・」と教会の留守番を買って出ていました。
雨がざあざあ降っていて、
どなたも来られなかったのですが、
昼にちょっとテレビをつけると、
雪の映像。
どこかな?
と思って見てると、渋谷じゃないですか?
深川と渋谷でそこまで違うか!?と思いました。
吉祥寺とか、練馬とか、東村山とか、立川とか、八王子ならわかりますが、
渋谷が雪で、深川が雨?
と思ってみていたら、みるみる深川も雪に変わりました。
都心は数センチでしたが、
多摩地区は30センチくらいだったみたいですね。
今年、東京はまだ雪が降っていないようですが、
さてどうなるんでしょうか?金曜日には「一時雨か雪」と出ていますね。
長くなりました・・・。
昨日、火曜日の聖書。
昨日は黙示録の11章を読みました。
「諸国の民は怒りました」18節。
どうして怒ったのか、考えました。
やはりいろいろな災害のゆえだと思います。
私たちはいろんな災害が起こるたびに、
「神も仏もあるものか」と言います。
「神がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのでしょう」と言います。
そういう怒りなのかと思います。
こんな苦しみを与える神は分らない。
そんな神は信じたくない。
そういう怒りなのだと思います。
テロリストの行為なら、
殺人犯の行為なら、
そこに怒りを向けます。
誰かの過失でも、不注意でも、
そこに怒りを向けるでしょう。
でも、天変地異の場合、
自然災害の場合、どこにも怒りを向けられません。
そして、自然をも支配しておられる神に怒りを向けるのです。
聖書は、自然災害も人間の罪の結果の「被造物のうめき」だといいます。
神様の意図されたものと言うよりも、
私たちの罪の結果です。
でも、自然界をも神様が支配しておられることを思うと、
そこでも神は悔い改めを願っておられるのだと思います。
「力を合わせて乗り切れ」ではなくて、
「悔い改めてわたしの所に帰ってきなさい」と。
主よ、
私の歩みを守って下さい。
自然界をも通して、あなたは私たちに語ってくださっていることを、
私が忘れないように、守ってください。
あなたに怒りをぶつけるのではなく、
あなたの悔い改めへの招きを聞き取ることができますように。
2007-03-14
2007-03-13
時が延ばされなくなるとき
今日はまた暖かかったです。
朝は0度くらい。
昼間は18度くらいまで上がりました。
明日も暖かな一日で20度を超える予想が出ていますが、
雨も降りそうです。
そして、金曜日から寒くなって、
注目は土曜日。
もしかしたら、NJ沖を低気圧が通って、
雪になるかもしれません。
最近、夜、ゆっくりバスタブ(湯船)につかる(といっても半身浴)のが、
楽しみになってきて、昨日もTime誌を片手に浸かっていました。
そしたら、小さな記事なんですが、
国際捕鯨委員会の総会が5月にある、
最近、風向きが変わってきて、
捕鯨国の味方をする国々が増えている、
ということが書かれていました。
でも、商業捕鯨再開のためには加盟国の4分の3の賛成が必要だそうで、
それは無理だろう、とも書かれていました。
日本は調査捕鯨をしていて、ノルウェーとアイスランドは捕鯨禁止を無視している、
ということも書かれていました。
一部の「反捕鯨国」の主張が通って、
それを文化にしている国々の立場が隅に追いやられているのは、
おかしいよなあ、と思っていますが、
今日の朝のニュースで、
入り江に迷い込んでしまった鯨を沖に返そうとした、
人々の中の3人が海に投げ出されて、
そのうち一人の方が亡くなられたというのをやっていました。
それで、もっと、なんだか、おかしいよなあ、と思いました。
無理して海に返そうとして、
それで人が亡くなってしまうなんて・・・。
そこで鯨が死んでしまったら、
そして、その鯨をありがたく食用なんかにしてしまったら、
(40年前までは当たり前だったと思いますが)
世界中から非難を浴びるから、
一生懸命海に返そうとするんだと思いますが、
それって、人の命を危険にさらしてまでするべきことなんでしょうか?
とっても痛ましい、とっても疑問を感じるニュースでした。
さて、昨日の聖書です。
昨日(月曜日)はヨハネの黙示録の10章を読みました。
「もはや時が延ばされることはない。」
6節の言葉が心に留りました。
私たちは、神様がいつまでも、忍耐を持って待っていて下さる、
と思っています。思いこんでいます。
私たちの準備ができるまで待っていて下さると思っています。
でも、それはもしかしたら、大きな誤解であり、
ものすごい甘えなのかもしれません。
確かにペテロの手紙の中には、
神様はあなた方のために忍耐をしておられる、と書かれています。
でも、それはいつまでも待っていて下さるといっているわけではありません。
私たちの人生の最後の日が、「まだ来ないだろう」と思いつつ私たちは生きていますが、
必ず「今日が最後だよ」という日が来る、という厳粛な事実を忘れてはなりません。
自分が決断できないでいる一つ一つのことも、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来ることを忘れないでいたいと思います。
主よ、
御言葉に感謝します。
あなたがもう一度、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来るのだ、
ということを思い出させて下さったことに感謝します。
どうか、時を見る目を与えて下さって、
決断をさせて下さいますように。
あなたの導きを見逃すことがないように、
敏感な目を与えて下さい。
朝は0度くらい。
昼間は18度くらいまで上がりました。
明日も暖かな一日で20度を超える予想が出ていますが、
雨も降りそうです。
そして、金曜日から寒くなって、
注目は土曜日。
もしかしたら、NJ沖を低気圧が通って、
雪になるかもしれません。
最近、夜、ゆっくりバスタブ(湯船)につかる(といっても半身浴)のが、
楽しみになってきて、昨日もTime誌を片手に浸かっていました。
そしたら、小さな記事なんですが、
国際捕鯨委員会の総会が5月にある、
最近、風向きが変わってきて、
捕鯨国の味方をする国々が増えている、
ということが書かれていました。
でも、商業捕鯨再開のためには加盟国の4分の3の賛成が必要だそうで、
それは無理だろう、とも書かれていました。
日本は調査捕鯨をしていて、ノルウェーとアイスランドは捕鯨禁止を無視している、
ということも書かれていました。
一部の「反捕鯨国」の主張が通って、
それを文化にしている国々の立場が隅に追いやられているのは、
おかしいよなあ、と思っていますが、
今日の朝のニュースで、
入り江に迷い込んでしまった鯨を沖に返そうとした、
人々の中の3人が海に投げ出されて、
そのうち一人の方が亡くなられたというのをやっていました。
それで、もっと、なんだか、おかしいよなあ、と思いました。
無理して海に返そうとして、
それで人が亡くなってしまうなんて・・・。
そこで鯨が死んでしまったら、
そして、その鯨をありがたく食用なんかにしてしまったら、
(40年前までは当たり前だったと思いますが)
世界中から非難を浴びるから、
一生懸命海に返そうとするんだと思いますが、
それって、人の命を危険にさらしてまでするべきことなんでしょうか?
とっても痛ましい、とっても疑問を感じるニュースでした。
さて、昨日の聖書です。
昨日(月曜日)はヨハネの黙示録の10章を読みました。
「もはや時が延ばされることはない。」
6節の言葉が心に留りました。
私たちは、神様がいつまでも、忍耐を持って待っていて下さる、
と思っています。思いこんでいます。
私たちの準備ができるまで待っていて下さると思っています。
でも、それはもしかしたら、大きな誤解であり、
ものすごい甘えなのかもしれません。
確かにペテロの手紙の中には、
神様はあなた方のために忍耐をしておられる、と書かれています。
でも、それはいつまでも待っていて下さるといっているわけではありません。
私たちの人生の最後の日が、「まだ来ないだろう」と思いつつ私たちは生きていますが、
必ず「今日が最後だよ」という日が来る、という厳粛な事実を忘れてはなりません。
自分が決断できないでいる一つ一つのことも、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来ることを忘れないでいたいと思います。
主よ、
御言葉に感謝します。
あなたがもう一度、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来るのだ、
ということを思い出させて下さったことに感謝します。
どうか、時を見る目を与えて下さって、
決断をさせて下さいますように。
あなたの導きを見逃すことがないように、
敏感な目を与えて下さい。
2007-03-12
苦しみにあったとき
今日はずいぶん暖かくなりました。
朝は-3度くらいまで下がりましたが、
昼間は16度まで行きました。
建物の中にいた方が肌寒いくらい。
車に乗ると汗ばむほどでした。
明日まで暖かくて、
水曜日からは雨。
最初は暖かい雨ですが、
金曜日は冷たい雨になりそうです。
雪の可能性だってあります。
そして、週末は寒いみたいです。
そうそう、日本も寒の戻りみたいですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいますが、
3月中は何があるか分りませんね。
今日は週末からのリカバリ中。
でも、本来月曜日は週に一度の休みなんですが、
今日は牧師会で朝から出かけておりました。
同じ思いで、この地域の日本語を使う方々に
どのように福音を伝えるかということに、
日々腐心している戦友なので、
大切なときだと思います。
自分にとっても大切だし、
自分の存在が周りの仲間の励ましになれば、
という思いもあります。
今年の秋には、フィラデルフィアの日本語の達者な韓国人の牧師さんが、
牧師のためのrefreshとempowermentの集まりを開いてくださいます。
日本にいると、確かにそのような集まりは年に何回かあるのですが、
こちらで日本語でそのような集まりを持つのは初めてではないかと思います。
今から楽しみにしています。
牧師が、いつもいつも神様からのpowerをもらっていないと、
教会がダメージを受けます。おかしくなっていきます。
この地域の10数個の日本語教会のために、牧師達のために祈ることの大切さを思います。
昨日、日曜日の聖書。
昨日は黙示録9章でした。
災いが続くところです。
余り読んでて気持ちのいいところではありません。
その中で心に留ったのは、
「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」20-21節の言葉です。
人々が、
「苦しみにあっても悔い改めようとしなかった」
ことがここに書かれています。
どうしてだろうと思います。
でも、考えてみると、
自分が苦しみにあったときに、
「悔い改めよう」と思うだろうかと思いました。
今、人々は「どうしてこんなことが起こるんだろうか」と思います。
9/11の時にも、
「悔い改めなさい!」と叫んだ人々がいました。
その人々のことを自分はどう思ったか思い出すと、
「こんな時に・・・」と思ったように記憶しています。
いろんな困難の中で、
悲劇的な出来事の中で、
「これは神様が私たちを悔い改めに招いているんだ」
と果たして思えるだろうかと思いました。
いつもいつもそうであるかというと、そうではないんだろうと思います。
でも、「そうかもしれない」
と受け止めることは大切なんだ、聖書的なんだと思います。
「主よ、悔い改めるべきことがあるならば、教えてください」と祈るべきなのだ、
と思いました。
主よ、
苦しみにあったとき、
あなたが私を悔い改めに導いておられるかどうか、
そのことを祈り求めることを、私はできるでしょうか?
どうか、私にこのことを思い出させてください。
苦しみに遭うときに、
あなたのメッセージを聞くことができますように。
そして、「悔い改めを迫られている」と気がついたときに、
素直にあなたの前に出ることができますように。
朝は-3度くらいまで下がりましたが、
昼間は16度まで行きました。
建物の中にいた方が肌寒いくらい。
車に乗ると汗ばむほどでした。
明日まで暖かくて、
水曜日からは雨。
最初は暖かい雨ですが、
金曜日は冷たい雨になりそうです。
雪の可能性だってあります。
そして、週末は寒いみたいです。
そうそう、日本も寒の戻りみたいですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいますが、
3月中は何があるか分りませんね。
今日は週末からのリカバリ中。
でも、本来月曜日は週に一度の休みなんですが、
今日は牧師会で朝から出かけておりました。
同じ思いで、この地域の日本語を使う方々に
どのように福音を伝えるかということに、
日々腐心している戦友なので、
大切なときだと思います。
自分にとっても大切だし、
自分の存在が周りの仲間の励ましになれば、
という思いもあります。
今年の秋には、フィラデルフィアの日本語の達者な韓国人の牧師さんが、
牧師のためのrefreshとempowermentの集まりを開いてくださいます。
日本にいると、確かにそのような集まりは年に何回かあるのですが、
こちらで日本語でそのような集まりを持つのは初めてではないかと思います。
今から楽しみにしています。
牧師が、いつもいつも神様からのpowerをもらっていないと、
教会がダメージを受けます。おかしくなっていきます。
この地域の10数個の日本語教会のために、牧師達のために祈ることの大切さを思います。
昨日、日曜日の聖書。
昨日は黙示録9章でした。
災いが続くところです。
余り読んでて気持ちのいいところではありません。
その中で心に留ったのは、
「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」20-21節の言葉です。
人々が、
「苦しみにあっても悔い改めようとしなかった」
ことがここに書かれています。
どうしてだろうと思います。
でも、考えてみると、
自分が苦しみにあったときに、
「悔い改めよう」と思うだろうかと思いました。
今、人々は「どうしてこんなことが起こるんだろうか」と思います。
9/11の時にも、
「悔い改めなさい!」と叫んだ人々がいました。
その人々のことを自分はどう思ったか思い出すと、
「こんな時に・・・」と思ったように記憶しています。
いろんな困難の中で、
悲劇的な出来事の中で、
「これは神様が私たちを悔い改めに招いているんだ」
と果たして思えるだろうかと思いました。
いつもいつもそうであるかというと、そうではないんだろうと思います。
でも、「そうかもしれない」
と受け止めることは大切なんだ、聖書的なんだと思います。
「主よ、悔い改めるべきことがあるならば、教えてください」と祈るべきなのだ、
と思いました。
主よ、
苦しみにあったとき、
あなたが私を悔い改めに導いておられるかどうか、
そのことを祈り求めることを、私はできるでしょうか?
どうか、私にこのことを思い出させてください。
苦しみに遭うときに、
あなたのメッセージを聞くことができますように。
そして、「悔い改めを迫られている」と気がついたときに、
素直にあなたの前に出ることができますように。
太陽も月も
昨夜は帰ってきたのが1時過ぎになって、
今日も12時前になって、ちょっときついですが、
たまるとまたきついので、昨日の分の更新。
結婚式、いやあ、僕ら夫婦と花嫁は別に親子ほどは年は離れていないのですが、
ちょっとそんな気持ちもあり、神様に感謝しました。
これからがスタートなんでしょうが、
とにかく、守られてきたなあ、と思いました。
そして花婿氏も、1週間前にゆっくりと結婚前カウンセリングをしたこともあり、
とっても親しくなったような気分です。
今日も教会に一緒に来て下さいましたが、
結構、こちら的には仲間意識ができてしまいました。
祝福を祈ります。
さてさて、昨日、土曜日の聖書箇所。
昨日は黙示録の8章でした。
その中の12節には「すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、昼の三分の一とが打たれたので・・・」とあります。
これを読むたびに、また黙示録のいろんな記事を読むたびに、
こんなことほんとうに起こるんだろうかと思います。
それほど、太陽も、月も、星も、私たちは「かわらないもの」として見ているんでしょうね。
それもやがて、「打たれる」時が来る。
「天地は滅びるであろう、しかし、わたしの言葉は変わることがない」と聖書にはあります。
この天地さえも滅びてしまう。
そんな日が、そんな信じられないようなことが起こるのだ、
でも、それでも、主は変わらない方としておられる。
変わらない方として、共にいて下さる。
主のみことばは変わらない。
そこを信頼して、そこに希望を持って、
それを私たちの寄って立つ土台として、歩んでいきたいと思う。
主よ、
どうか私を守って下さい。
太陽も月も打たれるときに、
あなただけを、あなたご自身を信頼して歩ませて下さい。
あなたご自身を土台として歩んでいく祝福を経験させて下さい。
今日も12時前になって、ちょっときついですが、
たまるとまたきついので、昨日の分の更新。
結婚式、いやあ、僕ら夫婦と花嫁は別に親子ほどは年は離れていないのですが、
ちょっとそんな気持ちもあり、神様に感謝しました。
これからがスタートなんでしょうが、
とにかく、守られてきたなあ、と思いました。
そして花婿氏も、1週間前にゆっくりと結婚前カウンセリングをしたこともあり、
とっても親しくなったような気分です。
今日も教会に一緒に来て下さいましたが、
結構、こちら的には仲間意識ができてしまいました。
祝福を祈ります。
さてさて、昨日、土曜日の聖書箇所。
昨日は黙示録の8章でした。
その中の12節には「すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、昼の三分の一とが打たれたので・・・」とあります。
これを読むたびに、また黙示録のいろんな記事を読むたびに、
こんなことほんとうに起こるんだろうかと思います。
それほど、太陽も、月も、星も、私たちは「かわらないもの」として見ているんでしょうね。
それもやがて、「打たれる」時が来る。
「天地は滅びるであろう、しかし、わたしの言葉は変わることがない」と聖書にはあります。
この天地さえも滅びてしまう。
そんな日が、そんな信じられないようなことが起こるのだ、
でも、それでも、主は変わらない方としておられる。
変わらない方として、共にいて下さる。
主のみことばは変わらない。
そこを信頼して、そこに希望を持って、
それを私たちの寄って立つ土台として、歩んでいきたいと思う。
主よ、
どうか私を守って下さい。
太陽も月も打たれるときに、
あなただけを、あなたご自身を信頼して歩ませて下さい。
あなたご自身を土台として歩んでいく祝福を経験させて下さい。
2007-03-10
天国の祝福
そして、朝になりました。
昨日はグッと寒さがゆるみ、
風もなく、穏やかな一日でした。
朝は-12度ですから寒かったですけどね。
でも、もう厳しい冷え込みも終わりです。
今日から10度くらいの日が続きます。
春になるみたいです。
来週の週末には一時寒気が入ってきますが、
大したことはなくて、
その後はぐんと春らしくなるでしょう。
去年は13日にクロッカスの花が咲いていました。
今年はもうちょっと遅れそうですが、
来週中には咲くのでは・・・。
いよいよ明日からDaylight Saving Time。
皆さん礼拝に遅れないように・・・。
昨日、金曜日の聖書。
昨日は黙示録の7章を読みました。
15-17節に、天国の様子が垣間見えています。
「彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」16-17節
特に「いのちの泉」という言葉に目が留りました。
いのちがわき上がってくる泉がある。
この地上で経験できることと、
天国に行ってから経験することとの間には
大きな開きがあるんだろうと思います。
でも、この地上でも「いのちの泉」を経験することができる、
その幸いを思いました。
私たちは確かに泉なしには生きていないのだと。
ため池の水を飲みながら、生きていくことはできないのだと。
滾々とわき出る泉を自分の内側に持たなければ・・・と思います。
イエスはそれを与えて下さる。
満たして頂きたいと思いました。
主よ、
私の心を満たして下さい。
あなたが天国に持っておられる「いのちの泉」からの水を、
私の地上の生涯でも味わわせて下さい。
喜びにあふれて、生かしてください。
天国でもっともっと豊かないのちが待っていることに感謝します。
昨日はグッと寒さがゆるみ、
風もなく、穏やかな一日でした。
朝は-12度ですから寒かったですけどね。
でも、もう厳しい冷え込みも終わりです。
今日から10度くらいの日が続きます。
春になるみたいです。
来週の週末には一時寒気が入ってきますが、
大したことはなくて、
その後はぐんと春らしくなるでしょう。
去年は13日にクロッカスの花が咲いていました。
今年はもうちょっと遅れそうですが、
来週中には咲くのでは・・・。
いよいよ明日からDaylight Saving Time。
皆さん礼拝に遅れないように・・・。
昨日、金曜日の聖書。
昨日は黙示録の7章を読みました。
15-17節に、天国の様子が垣間見えています。
「彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」16-17節
特に「いのちの泉」という言葉に目が留りました。
いのちがわき上がってくる泉がある。
この地上で経験できることと、
天国に行ってから経験することとの間には
大きな開きがあるんだろうと思います。
でも、この地上でも「いのちの泉」を経験することができる、
その幸いを思いました。
私たちは確かに泉なしには生きていないのだと。
ため池の水を飲みながら、生きていくことはできないのだと。
滾々とわき出る泉を自分の内側に持たなければ・・・と思います。
イエスはそれを与えて下さる。
満たして頂きたいと思いました。
主よ、
私の心を満たして下さい。
あなたが天国に持っておられる「いのちの泉」からの水を、
私の地上の生涯でも味わわせて下さい。
喜びにあふれて、生かしてください。
天国でもっともっと豊かないのちが待っていることに感謝します。
2007-03-08
天変地異
今日もまた寒い日でした。
朝は-10度くらいまで下がって、
その後、昼間の気温は2度くらいまで上がりましたが、
また夜になって-7度くらいまで下がっています。
今夜はこの時期としては記録的な冷え込みのようです。
-12度とか、-14度とかの予想が出ています。
ブルブルです。
この「ブルブル」もしかしたら、英語から来てるんでしょうかね。
それとも世界共通の感覚なんでしょうか。
英語ではBrrrrr...です。
今日のキッズクラブ、久しぶりににぎやかでした。
20人を超える仲間が集まりました。
日が延びたからでしょうかね。
終わって片づけをして、6時前に教会を出てもまだ明るかったです。
そして、今度の日曜日にはDaylight Saving Timeが始まります。
今の6時は来週の7時ですから、
7時まで明るいんですよ!3月だというのに!
そして、うれしいことに来週は暖かくなりそうで、
何だか「春がやってきた」って感じになりそうです。
わくわくします。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の6章を読みました。
「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。」という14節の言葉が目に留りました。
やがて、そんな時が来るのだ、
天が消えてなくなり、山や島が動くようなときが。
これがあるから大丈夫だというものは何もない。
何も私たちを守ってくれない。
でも、そんな中で変わらないものがある。
変わらない方がいる。
「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。」
詩篇の46篇の言葉です。
そこに私たちの希望があるのです。
そこに私たちの希望を持つべきなのです。
他に土台とするものが何もなくなったときに、
神を希望として、神を頼って生きる、ということが分ってくるのです。
主よ、
世の終わりの天変地異の中でもあなたを見上げて、信頼していけるでしょうか?
私の人生の中での嵐の中でも、あなたを信頼して、平安な心で生きていけるでしょうか?
主よ、
どうか、すべてが揺さぶられたときに、すぐにあなたの元に飛んでいけますように。
あなたの支配を信頼して、安心して歩んでいくことができますように。
どうかあなたが守って下さい。
朝は-10度くらいまで下がって、
その後、昼間の気温は2度くらいまで上がりましたが、
また夜になって-7度くらいまで下がっています。
今夜はこの時期としては記録的な冷え込みのようです。
-12度とか、-14度とかの予想が出ています。
ブルブルです。
この「ブルブル」もしかしたら、英語から来てるんでしょうかね。
それとも世界共通の感覚なんでしょうか。
英語ではBrrrrr...です。
今日のキッズクラブ、久しぶりににぎやかでした。
20人を超える仲間が集まりました。
日が延びたからでしょうかね。
終わって片づけをして、6時前に教会を出てもまだ明るかったです。
そして、今度の日曜日にはDaylight Saving Timeが始まります。
今の6時は来週の7時ですから、
7時まで明るいんですよ!3月だというのに!
そして、うれしいことに来週は暖かくなりそうで、
何だか「春がやってきた」って感じになりそうです。
わくわくします。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の6章を読みました。
「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。」という14節の言葉が目に留りました。
やがて、そんな時が来るのだ、
天が消えてなくなり、山や島が動くようなときが。
これがあるから大丈夫だというものは何もない。
何も私たちを守ってくれない。
でも、そんな中で変わらないものがある。
変わらない方がいる。
「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。」
詩篇の46篇の言葉です。
そこに私たちの希望があるのです。
そこに私たちの希望を持つべきなのです。
他に土台とするものが何もなくなったときに、
神を希望として、神を頼って生きる、ということが分ってくるのです。
主よ、
世の終わりの天変地異の中でもあなたを見上げて、信頼していけるでしょうか?
私の人生の中での嵐の中でも、あなたを信頼して、平安な心で生きていけるでしょうか?
主よ、
どうか、すべてが揺さぶられたときに、すぐにあなたの元に飛んでいけますように。
あなたの支配を信頼して、安心して歩んでいくことができますように。
どうかあなたが守って下さい。
2007-03-07
すべてのものが主をほめる
今日も寒い一日でした。
朝は雪が降っていました。
1センチくらい積ったでしょうか?
-10度くらいのとても低い気温でしたので、
パウダースノーでした。
そして、最高気温も-2度くらい。
夜の9時で-6.4度まで下がってきています。
この寒さ、金曜日まで続くようです。
早く暖かくなって欲しいものです。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の5章を読みました。
「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』」13節。
すべての造られたものが、父なる神と、キリストとをほめる。
聖書は人間だけが神を礼拝するものであると言っているわけではない。
この自然界のすばらしさも、
動物たちも、みんな神をほめている。
日本では大きな滝や、大きな山や、大きな木、大きな岩、
みんなその中に神が宿っていると思われてきた。
でも、そうじゃない。
その大きな滝も、大きな山も、大きな木も、大きな岩も、
神をほめたたえているのだ。
決してニューエイジなんかに勝手に解釈させていてはいけない。
小川の水の音も、鳥の声も、
みんな神をほめたたえているのだ。
キリストの救いをほめたたえているのだ。
その全世界の賛美、全自然界の賛美に私たちは参加させて頂いているだけなんだ。
私たちが賛美をささげるときに、キリストを賛美するときに、
全世界の自然界の賛美に参加しているのだ。
主よ、
感謝します。
私の目を開いて下さって、
世界の賛美に参加している、その喜びを
感じさせて下さっていることに感謝します。
どうか、私たちの賛美が、
独りよがりのものになりませんように、
全世界の賛美と調和するものでありますように。
自然界の賛美と調和するものでありますように。
朝は雪が降っていました。
1センチくらい積ったでしょうか?
-10度くらいのとても低い気温でしたので、
パウダースノーでした。
そして、最高気温も-2度くらい。
夜の9時で-6.4度まで下がってきています。
この寒さ、金曜日まで続くようです。
早く暖かくなって欲しいものです。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の5章を読みました。
「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』」13節。
すべての造られたものが、父なる神と、キリストとをほめる。
聖書は人間だけが神を礼拝するものであると言っているわけではない。
この自然界のすばらしさも、
動物たちも、みんな神をほめている。
日本では大きな滝や、大きな山や、大きな木、大きな岩、
みんなその中に神が宿っていると思われてきた。
でも、そうじゃない。
その大きな滝も、大きな山も、大きな木も、大きな岩も、
神をほめたたえているのだ。
決してニューエイジなんかに勝手に解釈させていてはいけない。
小川の水の音も、鳥の声も、
みんな神をほめたたえているのだ。
キリストの救いをほめたたえているのだ。
その全世界の賛美、全自然界の賛美に私たちは参加させて頂いているだけなんだ。
私たちが賛美をささげるときに、キリストを賛美するときに、
全世界の自然界の賛美に参加しているのだ。
主よ、
感謝します。
私の目を開いて下さって、
世界の賛美に参加している、その喜びを
感じさせて下さっていることに感謝します。
どうか、私たちの賛美が、
独りよがりのものになりませんように、
全世界の賛美と調和するものでありますように。
自然界の賛美と調和するものでありますように。
2007-03-06
ここに上ってきなさい!
いやあ、寒いですねえ。
ホント寒いです。
今朝は-12度。
昼間も-5度止まり。
そして夜の11時にはまた-12度。
明日の朝は何度まで下がるんでしょうか?
でも、これから曇ってきて、
明日は一時雪です。
大したことはありません。
もっと南の方、ワシントンとかの方にエネルギーがいっちゃうみたいです。
学校は休みにはなり得ません。
とても軽いパウダースノーです。
その後も寒くて、暖かくなってくるのは土曜日あたりみたいです。
結婚式は大丈夫ですね。
よかったよかった。
さて、今日はさっそく聖書。
黙示録の4章を読みました。
「その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。『ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。』」1節の言葉です。
ここから黙示録の難しいところが始まりますが、
今朝はゆっくりこの言葉を読んで思いを巡らしていました。
天に開かれた門がある。
そして「ここに上れ」と声をかけて頂く。
主が私たちを招いておられることを思わされました。
主は毎日毎日、私たちを待っていて下さる。
御言葉によって語ろうと、私たちを招いて下さっている。
天の門を開いて、「ここに上れ」と。
そのこと自体に喜びを覚えました。
主が私たちにもっといろんなことを見せようとしておられる。
その招きに従って、
もっともっと主に近づけて頂きたいと思います。
もっともっとspiritualなことに目を開かせて頂きたいと思います。
そうそう、今ニューエイジの影響か、
spiritualという言葉が何か誤解されそうですが、
「霊が見えます」とか、そういうことではなくて、
御言葉によって取り扱われる、という面で、
もっともっと世界が開かれていくようにと思います。
主よ、
あなたの招きを感謝します。
もっともっとあなたの愛の深さ、
あなたの与えて下さる力の大きさを、
知る者となれますように。
どうか、あなたの懐深く、踏み行かせて下さい。
ホント寒いです。
今朝は-12度。
昼間も-5度止まり。
そして夜の11時にはまた-12度。
明日の朝は何度まで下がるんでしょうか?
でも、これから曇ってきて、
明日は一時雪です。
大したことはありません。
もっと南の方、ワシントンとかの方にエネルギーがいっちゃうみたいです。
学校は休みにはなり得ません。
とても軽いパウダースノーです。
その後も寒くて、暖かくなってくるのは土曜日あたりみたいです。
結婚式は大丈夫ですね。
よかったよかった。
さて、今日はさっそく聖書。
黙示録の4章を読みました。
「その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。『ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。』」1節の言葉です。
ここから黙示録の難しいところが始まりますが、
今朝はゆっくりこの言葉を読んで思いを巡らしていました。
天に開かれた門がある。
そして「ここに上れ」と声をかけて頂く。
主が私たちを招いておられることを思わされました。
主は毎日毎日、私たちを待っていて下さる。
御言葉によって語ろうと、私たちを招いて下さっている。
天の門を開いて、「ここに上れ」と。
そのこと自体に喜びを覚えました。
主が私たちにもっといろんなことを見せようとしておられる。
その招きに従って、
もっともっと主に近づけて頂きたいと思います。
もっともっとspiritualなことに目を開かせて頂きたいと思います。
そうそう、今ニューエイジの影響か、
spiritualという言葉が何か誤解されそうですが、
「霊が見えます」とか、そういうことではなくて、
御言葉によって取り扱われる、という面で、
もっともっと世界が開かれていくようにと思います。
主よ、
あなたの招きを感謝します。
もっともっとあなたの愛の深さ、
あなたの与えて下さる力の大きさを、
知る者となれますように。
どうか、あなたの懐深く、踏み行かせて下さい。
2007-03-05
開かれた門
寒くなりました。
今日の午後3時頃、急に雪が激しく降りました。
ほんの数分だったので、何ともなかったですが、
まだまだ冬なんだなあと思います。
今は夜の9時半。
-4.3度まで下がりました。
今夜は-12度まで下がるそうで・・・。
明日は一日氷点下。
そしてあさっては雪のようです。
「ちょい雪」。
でも3-5インチの予報を出しているところもあります。
その後はどんどん春になるようです。
今朝「成分献血」に行って来ました。
血小板だけを取り出すというヤツ。
実はこのところ、時々電話がかかってきて、
「次の月曜日の朝ならできる」と2回も答えていたのに、
2回とも結局行けず、申し訳ないなあ、と思っていました。
そしたら、先週、また電話がかかってきて、
「バスケットのチケットがもらえるプロモーションやっているから・・・」とお声がかかり、
その話の中で、「今、血小板がほんとうに必要なんです、よろしくお願いします」と頼まれて、
「じゃあ、月曜日の朝に」と予約を入れてあったのでした。
そして、今朝9時にいざ出陣、
簡単なチェックをした後、
献血開始・・・しかし、右腕で血を採っていたのですが、
開始間もなく痛くなり、チェックしたら、針が他の血管を圧迫しているということで、中止。
「帰るか、それとも、左腕で採るか」と聞かれ、
今日は月曜日で休日でもあり、「役に立ちたい」と思ったので、
「左腕でお願いします」と再度挑戦。
「なんだ、こっちの血管の方が簡単じゃない。これから、いつも左腕でやって、と言ってね」と言われて、「最初から、両方見ればいいだろうに・・・」と思いつつ、おとなしく、針を刺されました。
「ほら、こっちは大丈夫」と言っておられたのですが、
最初ちょっと血を採って、その中から血小板を取り出して、血をまた戻すときに、
「おー!」っと声を挙げるような激痛。
針がずれていたようで、返ってきた血が内出血状態。腫れ上がりました。
即、献血中止。
ということで、あえなく、役に立てずに帰ってきました。
nurseの方も、立て続けの失敗に激しく落ち込んでおられました。
神様が造られたわたしの両腕ですが、
血管の走り方が、複雑なんでしょうかねえ。
でもめげないでまた挑戦しようと思います。
「受けるより与える方が幸い」ですから・・・。
今日の聖書。
今日は黙示録の3章。
心に語られた言葉がありました。
「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」
8節の言葉です。
主が門を開かれるときに、
誰もそれを閉じることはできない。
ものすごい励ましを頂きました。
主が開かれるときに、
人の力も、
力関係も、
経済力の問題も、
何もそれを閉ざすことはできないのです。
主が開いてくださっていること、
そのことのすばらしさを感じました。
主よ、
どうか、私にあなたの開かれた門を見せてください。
あなたを信頼します。
あなたを見上げます。
水の上を歩くときに、
波ではなくて、嵐ではなくて、
あなたのことを見つめ続けることができますように。
今日の午後3時頃、急に雪が激しく降りました。
ほんの数分だったので、何ともなかったですが、
まだまだ冬なんだなあと思います。
今は夜の9時半。
-4.3度まで下がりました。
今夜は-12度まで下がるそうで・・・。
明日は一日氷点下。
そしてあさっては雪のようです。
「ちょい雪」。
でも3-5インチの予報を出しているところもあります。
その後はどんどん春になるようです。
今朝「成分献血」に行って来ました。
血小板だけを取り出すというヤツ。
実はこのところ、時々電話がかかってきて、
「次の月曜日の朝ならできる」と2回も答えていたのに、
2回とも結局行けず、申し訳ないなあ、と思っていました。
そしたら、先週、また電話がかかってきて、
「バスケットのチケットがもらえるプロモーションやっているから・・・」とお声がかかり、
その話の中で、「今、血小板がほんとうに必要なんです、よろしくお願いします」と頼まれて、
「じゃあ、月曜日の朝に」と予約を入れてあったのでした。
そして、今朝9時にいざ出陣、
簡単なチェックをした後、
献血開始・・・しかし、右腕で血を採っていたのですが、
開始間もなく痛くなり、チェックしたら、針が他の血管を圧迫しているということで、中止。
「帰るか、それとも、左腕で採るか」と聞かれ、
今日は月曜日で休日でもあり、「役に立ちたい」と思ったので、
「左腕でお願いします」と再度挑戦。
「なんだ、こっちの血管の方が簡単じゃない。これから、いつも左腕でやって、と言ってね」と言われて、「最初から、両方見ればいいだろうに・・・」と思いつつ、おとなしく、針を刺されました。
「ほら、こっちは大丈夫」と言っておられたのですが、
最初ちょっと血を採って、その中から血小板を取り出して、血をまた戻すときに、
「おー!」っと声を挙げるような激痛。
針がずれていたようで、返ってきた血が内出血状態。腫れ上がりました。
即、献血中止。
ということで、あえなく、役に立てずに帰ってきました。
nurseの方も、立て続けの失敗に激しく落ち込んでおられました。
神様が造られたわたしの両腕ですが、
血管の走り方が、複雑なんでしょうかねえ。
でもめげないでまた挑戦しようと思います。
「受けるより与える方が幸い」ですから・・・。
今日の聖書。
今日は黙示録の3章。
心に語られた言葉がありました。
「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」
8節の言葉です。
主が門を開かれるときに、
誰もそれを閉じることはできない。
ものすごい励ましを頂きました。
主が開かれるときに、
人の力も、
力関係も、
経済力の問題も、
何もそれを閉ざすことはできないのです。
主が開いてくださっていること、
そのことのすばらしさを感じました。
主よ、
どうか、私にあなたの開かれた門を見せてください。
あなたを信頼します。
あなたを見上げます。
水の上を歩くときに、
波ではなくて、嵐ではなくて、
あなたのことを見つめ続けることができますように。
2007-03-04
両刃の剣
今日はグッと冷え込んで、
朝は小雪が舞いました。
さっき外にゴミを捨てにいったらまた小雪が舞っていました。
明日も寒い日のようです。
そして、火曜日が寒さの底で、
木曜日までは一日中氷点下の日が続くようですね。
水曜日はGFSのモデルでは「ちょい雪」です。
今日は礼拝後、
教会堂のことで教会全体の話し合い。
皆さんのいろんな意見を伺ったり、
考えたり、考えて頂いたり、考えさせられたり、
必要な時だったのだと思います。
今まで19年間も、私たちはアメリカの教会の会堂を使わせて頂いています。
今日の礼拝も80名くらい。決して「開拓教会」ではありません。
でも、なかなか自分たちの会堂を持つことができないでいます。
狭くても、とにかく自らの懐を痛めて、また祈って奇跡を見せて頂いて、
自分たちの建物を持つことが、信仰の成長のために必要だと思っています。
そんなことで、
私たちに会堂を貸して下さっているザイオン教会の歴史を見てました。
1899年に創立。
1903年に土地購入。住宅2軒分の敷地。
1904年に建物完成。・・・ちなみにこれは今お借りしている建物ではなくて、教会の裏の坂道を上がった右側の建物です。土地と建物で2340ドル。そのうち、教団からの無利子の借り入れが620ドル、教会債が500ドル、その他が積み立てですから、計算すると1220ドル。
5年で、初めての会堂です。この町の2軒分のロットは決して大きくありません。最初は礼拝を守れるだけのスペースだったのでしょう。でも現在、同じことをしようと考えると最低でも60万ドルくらいはかかるんでしょう。
そして少しずつ少しずつ周りの土地を買い足していったようですね。
今から50年くらい前に今の土地の半分を買って移転。
それから10年ほどして、残りの半分を取得。駐車場としたようです。
それからまた10年後、今から30年前ですが、入って右側の部分、ジムとロビー、オフィス、コワイアルーム、キッチンあたりを造ったそうです。それも、78年に計画が始まって完成は82年。いくらかかったかはもう少し調べないと分りませんが、工事が遅れてよけいにかかったお金だけで約40万ドル。
今はかなり人数も減っていますが、10年前は2回の礼拝をしていましたし、200人以上の方々が集っていた教会。その教会が100年かけて造ってきた教会堂、それを何だか当たり前のように使わせて頂いて、もっともっと、感謝すべきだなあと思いました。
そして、この108年の歴史全体では何千人になるだろう人々の汗と涙と祈りの重さを考えるときに、私たちが会堂を与えられるために、主がどんなことを備えておられるか、そのためのプロセスにどれほどのことが待っているのか、それをほんとうに自分は甘く見ていなかったか、いろいろ考えさせられました。
こんなこと、わたしも今までちゃんと調べたこともありませんでしたし、
もちろん、お話ししたこともありませんでした。
こうやって書きながら、ザイオン教会の方々への、その歴史を背負ってこられたお会いしたこともない方々への、感謝と、それを知らなかったことへの申し訳なさ、知らないで口に出してきたたくさんのわがままについての悔い改めの気持ちがどんどん湧いてきました。そして、こういうことを日本語教会に集う方々にお話ししないできたことに悔恨の思いも湧いてきます。
主よ、この一時を感謝します。気づかせて下さってありがとうございます。
今日の聖書。(って書いているうちに日付は変わってしまいましたが・・・)
今日はヨハネの黙示録2章。
「鋭い、両刃の剣を持つ方」12節の言葉です。
イエスは「優しい人」そんなイメージがあります。
でも、それと共に「両刃の剣を持っておられる方」です。
ここに「口の剣」とありますが、「御言葉」のことです。
神の言葉、イエスの言葉、聖書の言葉は私たちの心に剣のように
刺さってくるときがあります。
決してここちよいときばかりではありません。
でも、その方がいいのだと思います。
御言葉が心に刺さってきて、
それで整えられる、悔い改めさせられる、
そうなんだと思います。
御言葉によって整えられる、
それを恐れないで、それを真剣に受け止めて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、
どうか、わたしに語ってください。
日々語ってください。
そして、御言葉によって取り扱ってください。
御言葉によってきよめてください。
御言葉によって整えられて、
あなたの用いやすい器としてください。
朝は小雪が舞いました。
さっき外にゴミを捨てにいったらまた小雪が舞っていました。
明日も寒い日のようです。
そして、火曜日が寒さの底で、
木曜日までは一日中氷点下の日が続くようですね。
水曜日はGFSのモデルでは「ちょい雪」です。
今日は礼拝後、
教会堂のことで教会全体の話し合い。
皆さんのいろんな意見を伺ったり、
考えたり、考えて頂いたり、考えさせられたり、
必要な時だったのだと思います。
今まで19年間も、私たちはアメリカの教会の会堂を使わせて頂いています。
今日の礼拝も80名くらい。決して「開拓教会」ではありません。
でも、なかなか自分たちの会堂を持つことができないでいます。
狭くても、とにかく自らの懐を痛めて、また祈って奇跡を見せて頂いて、
自分たちの建物を持つことが、信仰の成長のために必要だと思っています。
そんなことで、
私たちに会堂を貸して下さっているザイオン教会の歴史を見てました。
1899年に創立。
1903年に土地購入。住宅2軒分の敷地。
1904年に建物完成。・・・ちなみにこれは今お借りしている建物ではなくて、教会の裏の坂道を上がった右側の建物です。土地と建物で2340ドル。そのうち、教団からの無利子の借り入れが620ドル、教会債が500ドル、その他が積み立てですから、計算すると1220ドル。
5年で、初めての会堂です。この町の2軒分のロットは決して大きくありません。最初は礼拝を守れるだけのスペースだったのでしょう。でも現在、同じことをしようと考えると最低でも60万ドルくらいはかかるんでしょう。
そして少しずつ少しずつ周りの土地を買い足していったようですね。
今から50年くらい前に今の土地の半分を買って移転。
それから10年ほどして、残りの半分を取得。駐車場としたようです。
それからまた10年後、今から30年前ですが、入って右側の部分、ジムとロビー、オフィス、コワイアルーム、キッチンあたりを造ったそうです。それも、78年に計画が始まって完成は82年。いくらかかったかはもう少し調べないと分りませんが、工事が遅れてよけいにかかったお金だけで約40万ドル。
今はかなり人数も減っていますが、10年前は2回の礼拝をしていましたし、200人以上の方々が集っていた教会。その教会が100年かけて造ってきた教会堂、それを何だか当たり前のように使わせて頂いて、もっともっと、感謝すべきだなあと思いました。
そして、この108年の歴史全体では何千人になるだろう人々の汗と涙と祈りの重さを考えるときに、私たちが会堂を与えられるために、主がどんなことを備えておられるか、そのためのプロセスにどれほどのことが待っているのか、それをほんとうに自分は甘く見ていなかったか、いろいろ考えさせられました。
こんなこと、わたしも今までちゃんと調べたこともありませんでしたし、
もちろん、お話ししたこともありませんでした。
こうやって書きながら、ザイオン教会の方々への、その歴史を背負ってこられたお会いしたこともない方々への、感謝と、それを知らなかったことへの申し訳なさ、知らないで口に出してきたたくさんのわがままについての悔い改めの気持ちがどんどん湧いてきました。そして、こういうことを日本語教会に集う方々にお話ししないできたことに悔恨の思いも湧いてきます。
主よ、この一時を感謝します。気づかせて下さってありがとうございます。
今日の聖書。(って書いているうちに日付は変わってしまいましたが・・・)
今日はヨハネの黙示録2章。
「鋭い、両刃の剣を持つ方」12節の言葉です。
イエスは「優しい人」そんなイメージがあります。
でも、それと共に「両刃の剣を持っておられる方」です。
ここに「口の剣」とありますが、「御言葉」のことです。
神の言葉、イエスの言葉、聖書の言葉は私たちの心に剣のように
刺さってくるときがあります。
決してここちよいときばかりではありません。
でも、その方がいいのだと思います。
御言葉が心に刺さってきて、
それで整えられる、悔い改めさせられる、
そうなんだと思います。
御言葉によって整えられる、
それを恐れないで、それを真剣に受け止めて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、
どうか、わたしに語ってください。
日々語ってください。
そして、御言葉によって取り扱ってください。
御言葉によってきよめてください。
御言葉によって整えられて、
あなたの用いやすい器としてください。
2007-03-03
万物を支配される主
そしてとうとう追いついた今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録に入って、第1章。
「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」8節。
神様は、すべての支配者。
すべてを持っておられる方。
ビル・○イツでもなく、
トランプさんでもなく、
NYの市長でもなく、
神様がすべてを持っておられる方。
だから、この方に信頼していこう。
この方を信頼して歩んでいこう。
この方に求めていこう。
私たちの目を主に合わせて、
すべてを支配しておられる方に合わせて歩んでいこう。
「万物の支配者」
すべてのもの、全部が、主の御手の中にある。
だから、恐れないでいこう。
主に求めていこう。
主よ、
あなたがすべてを持っておられる方であることを、
忘れることがありませんように。
それを信頼して歩んでいくことができますように。
わたしが勘違いをすることがありませんように。
ただ、あなたの支配を信頼して、すべてがあなたの御手の中にあることを
信頼して歩んでいくことができますように。
今日はヨハネの黙示録に入って、第1章。
「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」8節。
神様は、すべての支配者。
すべてを持っておられる方。
ビル・○イツでもなく、
トランプさんでもなく、
NYの市長でもなく、
神様がすべてを持っておられる方。
だから、この方に信頼していこう。
この方を信頼して歩んでいこう。
この方に求めていこう。
私たちの目を主に合わせて、
すべてを支配しておられる方に合わせて歩んでいこう。
「万物の支配者」
すべてのもの、全部が、主の御手の中にある。
だから、恐れないでいこう。
主に求めていこう。
主よ、
あなたがすべてを持っておられる方であることを、
忘れることがありませんように。
それを信頼して歩んでいくことができますように。
わたしが勘違いをすることがありませんように。
ただ、あなたの支配を信頼して、すべてがあなたの御手の中にあることを
信頼して歩んでいくことができますように。
聖霊によって祈る
今日もあっという間に時間が過ぎていきました。
朝は-2度だったのですが、
昼間はほんとうにポッカポカになりました。
15度くらいまでいったでしょうか?
でも、今は夜の11時半で、3.8度。
明日からは寒い日が続きそうです。
火曜日水曜日あたりは-10度以下まで下がるようです。
今日は一日祈らされていました。
御言葉を待ち望みながら祈りました。
今週一週間に与えられた御言葉。
「あなたがたの手で食物をやりなさい」
「わたし自身が共に行くであろう」
「静まってわたしこそ神であることを知れ」
やはり伝道したいと思いました。
思いっきり伝道したいと思いました。
5000人の人が5つのパンと2ひきの魚で満腹した記事を思い出して、
ほんの少しの手の中にあるものを主にささげて、
その主の祝福によって、多くの人が満たされるような御業を見せて頂きたいと思います。
昨日(金曜日)の聖書の言葉。
ユダの手紙でした。
「聖霊によって祈り・・・」20節。
聖霊によって祈るというのはどういうことなのだろうかと思わされました。
聖霊様によって導かれる歩み、
聖霊様が教えてくださること。
ほんとうにその世界をもっともっと知りたいと思います。
聖霊様の助けを頂いて、
聖霊様に満たされて歩みたいと思います。
「知識として知っている」じゃなくて、
「聞いたことがある」じゃなくて、
「後で振り返ると」ではなくて、
聖霊様によって祈ることを教えて頂きたいと思いました。
「求めてくる者に、聖霊を下さらないことがあろうか」と言われたイエスの言葉を信頼して、
聖霊様を求めます。
主よ、
聖霊によって祈る、祈りへわたしを導いてください。
聖霊様に満たして下さい。
どうか、教えて下さい。
経験させて下さい。
聖霊様、あなたを求めます。
わたしを満たして下さい。
私のうちにあふれて下さい。
わたしのすべてを支配して下さい。
朝は-2度だったのですが、
昼間はほんとうにポッカポカになりました。
15度くらいまでいったでしょうか?
でも、今は夜の11時半で、3.8度。
明日からは寒い日が続きそうです。
火曜日水曜日あたりは-10度以下まで下がるようです。
今日は一日祈らされていました。
御言葉を待ち望みながら祈りました。
今週一週間に与えられた御言葉。
「あなたがたの手で食物をやりなさい」
「わたし自身が共に行くであろう」
「静まってわたしこそ神であることを知れ」
やはり伝道したいと思いました。
思いっきり伝道したいと思いました。
5000人の人が5つのパンと2ひきの魚で満腹した記事を思い出して、
ほんの少しの手の中にあるものを主にささげて、
その主の祝福によって、多くの人が満たされるような御業を見せて頂きたいと思います。
昨日(金曜日)の聖書の言葉。
ユダの手紙でした。
「聖霊によって祈り・・・」20節。
聖霊によって祈るというのはどういうことなのだろうかと思わされました。
聖霊様によって導かれる歩み、
聖霊様が教えてくださること。
ほんとうにその世界をもっともっと知りたいと思います。
聖霊様の助けを頂いて、
聖霊様に満たされて歩みたいと思います。
「知識として知っている」じゃなくて、
「聞いたことがある」じゃなくて、
「後で振り返ると」ではなくて、
聖霊様によって祈ることを教えて頂きたいと思いました。
「求めてくる者に、聖霊を下さらないことがあろうか」と言われたイエスの言葉を信頼して、
聖霊様を求めます。
主よ、
聖霊によって祈る、祈りへわたしを導いてください。
聖霊様に満たして下さい。
どうか、教えて下さい。
経験させて下さい。
聖霊様、あなたを求めます。
わたしを満たして下さい。
私のうちにあふれて下さい。
わたしのすべてを支配して下さい。
2007-03-02
真理そのものの証言
今朝はすごい雨でしたね。
川がごうごう流れていました。
でも、昼頃には晴れ間も出てきて、
暖かくなりました。
13度くらいまで上がって、
春の陽気です。
これからは毎日ではなくても、こんな日々が出てくるのだと思います。
明日までは暖かくて、
その後、また火曜日、水曜日くらいを底にして、
冷え込むみたいです。
朝晩は-15度、昼間も0度以下の日があるみたいです。
そして10日を過ぎると、また暖かくなるでしょう。
来週は教会の方の結婚式があります。
私自身の司式ではないのですが、
新しく築かれる家庭に祝福がありますように祈ります。
姉妹の存在が周りの方々にとって、
神様の祝福の流れていくポイントとして用いられますように。
結婚式当日が、
「大雪」とかになりませんように。
あの"Superstorm"は3月半ばでしたからねえ。
昨日の聖書。
昨日はヨハネ第3の手紙でした。
その中で心に留ったのは、
「デメテリオはみなの人からも、また真理そのものからも証言されています。」という12節の言葉です。
真理から証言されている。
声を大きくして言わなくてもいい。
真理が証言する、ということ、
それのすばらしさを思わされた。
焦ることがある。
でも、焦らなくていい。
真理は自ずから明らかになるのだから。
自分たちの結婚式の時に、
恩師がひいてくださった聖書の言葉。
「アロンの杖からは芽が出た」
という言葉。
一生懸命論証しなくていい。
それがホンモノならば芽を出すのだから。
神様ご自身が明らかにしてくださるのだから。
安心していいのだと思わされた。
主よ、
あなたの御手に委ねます。
あなたがすべてを導いてください。
あなたが真理を明らかにしてください。
杖から芽を出させてくださる
あなたの御手に委ねます。
川がごうごう流れていました。
でも、昼頃には晴れ間も出てきて、
暖かくなりました。
13度くらいまで上がって、
春の陽気です。
これからは毎日ではなくても、こんな日々が出てくるのだと思います。
明日までは暖かくて、
その後、また火曜日、水曜日くらいを底にして、
冷え込むみたいです。
朝晩は-15度、昼間も0度以下の日があるみたいです。
そして10日を過ぎると、また暖かくなるでしょう。
来週は教会の方の結婚式があります。
私自身の司式ではないのですが、
新しく築かれる家庭に祝福がありますように祈ります。
姉妹の存在が周りの方々にとって、
神様の祝福の流れていくポイントとして用いられますように。
結婚式当日が、
「大雪」とかになりませんように。
あの"Superstorm"は3月半ばでしたからねえ。
昨日の聖書。
昨日はヨハネ第3の手紙でした。
その中で心に留ったのは、
「デメテリオはみなの人からも、また真理そのものからも証言されています。」という12節の言葉です。
真理から証言されている。
声を大きくして言わなくてもいい。
真理が証言する、ということ、
それのすばらしさを思わされた。
焦ることがある。
でも、焦らなくていい。
真理は自ずから明らかになるのだから。
自分たちの結婚式の時に、
恩師がひいてくださった聖書の言葉。
「アロンの杖からは芽が出た」
という言葉。
一生懸命論証しなくていい。
それがホンモノならば芽を出すのだから。
神様ご自身が明らかにしてくださるのだから。
安心していいのだと思わされた。
主よ、
あなたの御手に委ねます。
あなたがすべてを導いてください。
あなたが真理を明らかにしてください。
杖から芽を出させてくださる
あなたの御手に委ねます。
2007-03-01
キリストに留まる
今日も暖かい一日でした。
でも、夜は雨。9時半現在、まだ大したことはありませんが、
「大雨」だそうです。
明日の昼頃までは雨が降るようです。
もう今日から3月。
暖かな日も多くなってくるでしょう。
今日、聖書を読んでいたときではなかったのですが、
心に響いてきた聖書の言葉。
「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」
ルカ9:25
「自分自身を失う」という言葉がほんとうに心に深く深く響いてきました。
自分は今「自分自身」を失っていないだろうか、見失っていないだろうか、
主に問われたように感じました。
今、教会では教会堂のことを真剣に祈り、求めています。
でも、教会も「自分自身を失う」ということがないように、
何よりも、御言葉によって取り扱われ、
御言葉によって生かされて歩んでいくことができるようにと祈ります。
「教会の本質」を失うことがないように、祈ります。
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」とイエスが言われたように、
一生懸命な奉仕でもなく、楽しさでもなく、多くの人が集まることでもなく、
もちろん、立派な建物でもなく、
ただ、御言葉に聞き従うということが、「なくてならぬもの」として、
堅く立っていくように、祈ります。
さて、昨日(水曜日)の聖書。
ヨハネの第2の手紙です。
心に留った言葉は、
「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。」9節の言葉です。
キリストの教えに留まること。
目新しいことや一般ウケしそうなことに心を奪われたり、
何か派手なことを求めたりすることでなくて、
単純に、愚直に、
キリストの教えを大胆に語っていくこと、
それが自分の使命だと思わされました。
私も人の影響を受けやすい人間です。
どこかで成功している教会の話を聞くと、
派手な、目新しいことを、
まねしたくなることもあります。
でも、
ほんとうに真実に、
単純にキリストの教えを語っていくことが
大切なのだと、
私の使命なのだと再確認させて頂きました。
教えられました。
主よ、
ただ、福音に生きる者としてください。
単純に福音を信じて、
福音を伝える者としてください。
御言葉の力をもっともっと経験させてください。
そして、御言葉によって取り扱われる方々を
次々と起してください。
transformationが一人ひとりの歩みの中に
起されていきますように。
でも、夜は雨。9時半現在、まだ大したことはありませんが、
「大雨」だそうです。
明日の昼頃までは雨が降るようです。
もう今日から3月。
暖かな日も多くなってくるでしょう。
今日、聖書を読んでいたときではなかったのですが、
心に響いてきた聖書の言葉。
「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」
ルカ9:25
「自分自身を失う」という言葉がほんとうに心に深く深く響いてきました。
自分は今「自分自身」を失っていないだろうか、見失っていないだろうか、
主に問われたように感じました。
今、教会では教会堂のことを真剣に祈り、求めています。
でも、教会も「自分自身を失う」ということがないように、
何よりも、御言葉によって取り扱われ、
御言葉によって生かされて歩んでいくことができるようにと祈ります。
「教会の本質」を失うことがないように、祈ります。
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」とイエスが言われたように、
一生懸命な奉仕でもなく、楽しさでもなく、多くの人が集まることでもなく、
もちろん、立派な建物でもなく、
ただ、御言葉に聞き従うということが、「なくてならぬもの」として、
堅く立っていくように、祈ります。
さて、昨日(水曜日)の聖書。
ヨハネの第2の手紙です。
心に留った言葉は、
「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。」9節の言葉です。
キリストの教えに留まること。
目新しいことや一般ウケしそうなことに心を奪われたり、
何か派手なことを求めたりすることでなくて、
単純に、愚直に、
キリストの教えを大胆に語っていくこと、
それが自分の使命だと思わされました。
私も人の影響を受けやすい人間です。
どこかで成功している教会の話を聞くと、
派手な、目新しいことを、
まねしたくなることもあります。
でも、
ほんとうに真実に、
単純にキリストの教えを語っていくことが
大切なのだと、
私の使命なのだと再確認させて頂きました。
教えられました。
主よ、
ただ、福音に生きる者としてください。
単純に福音を信じて、
福音を伝える者としてください。
御言葉の力をもっともっと経験させてください。
そして、御言葉によって取り扱われる方々を
次々と起してください。
transformationが一人ひとりの歩みの中に
起されていきますように。
みこころにかなう願い
順調に礼拝説教の準備が進んで、
原稿を通訳の方にお送りしました。
1時過ぎに更新できるなんて・・・。
水曜日はNYに行く日。
暖かい日で助かりました。
正確には分りませんが、10度くらいあったのでは・・・。
木曜日の夜・・・今日の夜は「大雨」だそうです。
ドライブは気をつけて・・・。
今日も何人かの方々とNYでお会いしましたが、
やはり私の仕事はそのお一人一人が神様の方に目を向けることを
サポートすること。
焦点がずれていたら、「ずれていますよ」と言わなければいけない。
それをまっすぐ受け取る人はぐんぐん成長する。
それも勇気がいる仕事。
でも、ほんとうに報われる働きだなあ、と思います。
聖書によって取り扱われた証しを伺うことほど、
うれしいことはありません。
そして、その「お互いが神様の方に目を向けることをサポートする」
ということは、牧師だけしかできないことではない、と思います。
そのようなことがお互いの中でできていくときに、
教会は元気になって、成長していくのかな、と思います。
期待しつつ。
火曜日の聖書。(なかなか追いつけないですね。読んではいるのですが・・・)
火曜日はヨハネ第1の手紙の5章を読みました。
その中で心に留ったのは、
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」14節の言葉です。
「みこころにかなう願いをするなら・・・」という言葉。
ここがポイントなんだろうなあと思います。
だったら、どのように御心を知ることができるか?
聖書。
やっぱり聖書を読むことなのか、
聖書から教えられることなのか。
いろんな試練の中でも、神様に近づけられる。
だったら、試練も必要なのだと思う。
そう、ヘブル人への手紙の12章を読んだら、試練によって、
「神のきよさをshareしてもらえる」という。
もっともっと神様に近く歩みたい。
もっともっと神様と共に歩きたい。
そう思いました。
主よ、
もっとあなたの御心が知りたいです。
あなたの御心を教えてください。
私にあなたのきよさをshareしてください。
明日の出会いも祝福されますように。
原稿を通訳の方にお送りしました。
1時過ぎに更新できるなんて・・・。
水曜日はNYに行く日。
暖かい日で助かりました。
正確には分りませんが、10度くらいあったのでは・・・。
木曜日の夜・・・今日の夜は「大雨」だそうです。
ドライブは気をつけて・・・。
今日も何人かの方々とNYでお会いしましたが、
やはり私の仕事はそのお一人一人が神様の方に目を向けることを
サポートすること。
焦点がずれていたら、「ずれていますよ」と言わなければいけない。
それをまっすぐ受け取る人はぐんぐん成長する。
それも勇気がいる仕事。
でも、ほんとうに報われる働きだなあ、と思います。
聖書によって取り扱われた証しを伺うことほど、
うれしいことはありません。
そして、その「お互いが神様の方に目を向けることをサポートする」
ということは、牧師だけしかできないことではない、と思います。
そのようなことがお互いの中でできていくときに、
教会は元気になって、成長していくのかな、と思います。
期待しつつ。
火曜日の聖書。(なかなか追いつけないですね。読んではいるのですが・・・)
火曜日はヨハネ第1の手紙の5章を読みました。
その中で心に留ったのは、
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」14節の言葉です。
「みこころにかなう願いをするなら・・・」という言葉。
ここがポイントなんだろうなあと思います。
だったら、どのように御心を知ることができるか?
聖書。
やっぱり聖書を読むことなのか、
聖書から教えられることなのか。
いろんな試練の中でも、神様に近づけられる。
だったら、試練も必要なのだと思う。
そう、ヘブル人への手紙の12章を読んだら、試練によって、
「神のきよさをshareしてもらえる」という。
もっともっと神様に近く歩みたい。
もっともっと神様と共に歩きたい。
そう思いました。
主よ、
もっとあなたの御心が知りたいです。
あなたの御心を教えてください。
私にあなたのきよさをshareしてください。
明日の出会いも祝福されますように。
2007-02-28
2007-02-27
恐れからの解放
今朝はやっぱりうっすらと雪が降っていたみたいですが、
学校はもちろん、平常通りでした。
そして、昼間には8度くらいまで上がりました。
いいですね。
そうそう、今朝起きたら、何だか変なにおい。
またまたスカンクのにおいです。
こんな季節に・・・。
一日中なんかスカンクのにおいが取れません。
どこで一発こいたのでしょうか?
うちの床下にでも入り込んだのだろうか・・・。
今夜も一時小雪とか言っていますが、
明日は、晴れるみたいです。
4日ぶりの太陽。
暖かくなって欲しいです。
昨日(月曜日)の聖書。
昨日はヨハネ第1の手紙の4章を読みました。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」18節。
ほんとうに自分の課題。
人に対して恐れを抱くのではなくて、
愛を持つこと。
読む度にどきっとするし、祈らされる。
「愛を持って真実を語る」ってできるだろうかと思わされる。
主よ、
私に愛を与えて下さい。
人を愛する愛を与えて下さい。
恐れを締め出す愛を与えて下さい。
そして、愛を持って真実を語ることを教えて下さい。
明日はNYDayです。
学校はもちろん、平常通りでした。
そして、昼間には8度くらいまで上がりました。
いいですね。
そうそう、今朝起きたら、何だか変なにおい。
またまたスカンクのにおいです。
こんな季節に・・・。
一日中なんかスカンクのにおいが取れません。
どこで一発こいたのでしょうか?
うちの床下にでも入り込んだのだろうか・・・。
今夜も一時小雪とか言っていますが、
明日は、晴れるみたいです。
4日ぶりの太陽。
暖かくなって欲しいです。
昨日(月曜日)の聖書。
昨日はヨハネ第1の手紙の4章を読みました。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」18節。
ほんとうに自分の課題。
人に対して恐れを抱くのではなくて、
愛を持つこと。
読む度にどきっとするし、祈らされる。
「愛を持って真実を語る」ってできるだろうかと思わされる。
主よ、
私に愛を与えて下さい。
人を愛する愛を与えて下さい。
恐れを締め出す愛を与えて下さい。
そして、愛を持って真実を語ることを教えて下さい。
明日はNYDayです。
2007-02-26
憎まれても・・・
今朝は5時半に電話が鳴って
・・・鳴ると分っていたんですが・・・
子ども達の学校は2時間遅れスタート。
子ども達は「えー!」、大人も「休みでもいいのにね」。
でも、確かに雪は朝に上がって10センチくらい。
お休みにするほどではありませんでしたから・・・。
それで、一番早い長男の予定に合わせて、
8時から雪かき開始。
8時45分には終わって、
シャワー+朝飯+身支度で、
9時20分のバスに乗っていきました。
次が長女で10時15分に学校。これは歩けるけど、
雪の時は車で送ります。
次が次女で11時に学校。
こちらもがんばれば歩けるでしょうが、
幼稚園児に20分の、雪の道や、
寒い朝はちょっと大変なので(大人は往復だし)、
送りました。
なんだか、一日がとても短く感じます。
学校から帰って、娘達はsnowman作りを楽しんでいました。
snowmanとは訳すと「雪だるま」なんですが、
ちょっと違うんですね、このsnowmanと「雪だるま」。
「雪だるま」は雪の玉を2つ重ねますが、
snowmanは3つなんですね。
今日も「手伝って」と言われて、
2つ積み上げて「できたできた」と言ったら、
「もう一個」と要求されました。
日本で育った私にとっては
2つで当然なんですが、
こちらで育っている彼女たちにとっては、
3つないとダメなんですね。
勉強になりました。
今夜も小雪。
今は小雨が降っていますが、後で雪になるみたいです。
でも、今夜は積っても1-2センチだそうで、
学校は普通通りでしょう。
昨日(日曜日)の聖書。
昨日は第1ヨハネの3章を読みました。
「兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。」13節。
もちろん、「自分の不徳の致すところ・・・」というケースも多いと思いますが、
必要以上に「憎まれたくない」という気持ちが働くことがあります。
幼児経験があるのでしょうか?
それとも持って生まれたものでしょうか?
そして、気に入られようと思ったり、ご機嫌を取ったり。
でも、私たちが見ていくべきなのは神様であり、
主の喜ばれるところを歩んでいくことが大切なんですよね。
しっかりと主を見つめながら、
主のみ声に焦点を合わせながら、
歩んでいきたいと思います。
恐れないで歩んでいきたいと思います。
主よ、
どうかあなたを見つめて歩ませて下さい。
あなたのみ声を聞きながら歩ませて下さい。
あなたのみ声に焦点を合わせます。
・・・鳴ると分っていたんですが・・・
子ども達の学校は2時間遅れスタート。
子ども達は「えー!」、大人も「休みでもいいのにね」。
でも、確かに雪は朝に上がって10センチくらい。
お休みにするほどではありませんでしたから・・・。
それで、一番早い長男の予定に合わせて、
8時から雪かき開始。
8時45分には終わって、
シャワー+朝飯+身支度で、
9時20分のバスに乗っていきました。
次が長女で10時15分に学校。これは歩けるけど、
雪の時は車で送ります。
次が次女で11時に学校。
こちらもがんばれば歩けるでしょうが、
幼稚園児に20分の、雪の道や、
寒い朝はちょっと大変なので(大人は往復だし)、
送りました。
なんだか、一日がとても短く感じます。
学校から帰って、娘達はsnowman作りを楽しんでいました。
snowmanとは訳すと「雪だるま」なんですが、
ちょっと違うんですね、このsnowmanと「雪だるま」。
「雪だるま」は雪の玉を2つ重ねますが、
snowmanは3つなんですね。
今日も「手伝って」と言われて、
2つ積み上げて「できたできた」と言ったら、
「もう一個」と要求されました。
日本で育った私にとっては
2つで当然なんですが、
こちらで育っている彼女たちにとっては、
3つないとダメなんですね。
勉強になりました。
今夜も小雪。
今は小雨が降っていますが、後で雪になるみたいです。
でも、今夜は積っても1-2センチだそうで、
学校は普通通りでしょう。
昨日(日曜日)の聖書。
昨日は第1ヨハネの3章を読みました。
「兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。」13節。
もちろん、「自分の不徳の致すところ・・・」というケースも多いと思いますが、
必要以上に「憎まれたくない」という気持ちが働くことがあります。
幼児経験があるのでしょうか?
それとも持って生まれたものでしょうか?
そして、気に入られようと思ったり、ご機嫌を取ったり。
でも、私たちが見ていくべきなのは神様であり、
主の喜ばれるところを歩んでいくことが大切なんですよね。
しっかりと主を見つめながら、
主のみ声に焦点を合わせながら、
歩んでいきたいと思います。
恐れないで歩んでいきたいと思います。
主よ、
どうかあなたを見つめて歩ませて下さい。
あなたのみ声を聞きながら歩ませて下さい。
あなたのみ声に焦点を合わせます。
2007-02-25
罪から離れる
昨日からPAのブリンマー日本語教会に行って参りました。
このHPの一部はエンコードを韓国語(EUC-KR)にすると日本語が文字化けしない、という不思議なページなのですが、「教会紹介」は日本語(Shift-JIS)で読めます。
2000年に始まった新しい教会ですが、30人くらいの方々が集まる教会になっています。
元気な先生と元気な皆さんの教会で、
こちらが元気をもらって帰ってきました。
それで昨日は更新はお休みしました。
そして、今は外は雪。
ちょっとまとまった雪になるそうです。
学校は休み、かな?・・・まだ発表、連絡はありません・・・。
そのブリンマーの教会の牧師の李先生と夜、話しながら、
先生が教会でいつも言っておられる言葉を伺いました。
「それ、もらった!」と思いました。
「みことばはinformationではなく、transformation」
うまく言うなあ、と思いました。
私も最近そのことを強く思わされていました。
「御言葉の根が心の内側に食い込んでいく」なんて言い方をしていましたが、
それより、ずっと、この先生の言い方の方がすっきりしていてわかりやすい。
聖書のみことばは「知識」を増やすものではなくて、
あなたのことを、あなたの内側を造りかえるもの。
あなたが料理するものでも、
それで人を料理するものでもなく、
自分がそれによって料理されるもの。
「みことばはinformationではなくて、transformation」
このページを読まれたあなたにも、
そのことが起こりますように。
ただ、informationとして、聖書を読むのではなくて、
それによって、あなたのうちにtransformationが起こりますように。
昨日、土曜日の聖書。
第1ヨハネ2章でした。
「私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」1節。
罪から離れること、
罪を犯さなくなること。
そんなことを意識していたら、おかしくなってしまうのでは、と思う自分がいます。
でも、さっき書いたように、この御言葉によって、
私のうちにtransformationの御業が起こるようにと祈ります。
自分の思いもこだわりも打ち砕かれるようにと祈ります。
「怒っても罪を犯してはならない」という言葉もあります。
罪から守られるようにと祈ります。
神様が私を罪から守って下さるようにと祈ります。
故意の罪からは完全に離れたいと思います。
誘惑に負けない強さが欲しいと思います。
そして、感情的な波に押し流されて、
罪を犯してしまうことがないようにと思います。
御言葉にいつもいつも守られて、「罪を犯さない」者でありたいと思いました。
主よ、
御言葉によって、私を罪から守って下さい。
私を御言葉によってtransformして下さい。
私をきよめてください。
教会をきよめてください。
このHPの一部はエンコードを韓国語(EUC-KR)にすると日本語が文字化けしない、という不思議なページなのですが、「教会紹介」は日本語(Shift-JIS)で読めます。
2000年に始まった新しい教会ですが、30人くらいの方々が集まる教会になっています。
元気な先生と元気な皆さんの教会で、
こちらが元気をもらって帰ってきました。
それで昨日は更新はお休みしました。
そして、今は外は雪。
ちょっとまとまった雪になるそうです。
学校は休み、かな?・・・まだ発表、連絡はありません・・・。
そのブリンマーの教会の牧師の李先生と夜、話しながら、
先生が教会でいつも言っておられる言葉を伺いました。
「それ、もらった!」と思いました。
「みことばはinformationではなく、transformation」
うまく言うなあ、と思いました。
私も最近そのことを強く思わされていました。
「御言葉の根が心の内側に食い込んでいく」なんて言い方をしていましたが、
それより、ずっと、この先生の言い方の方がすっきりしていてわかりやすい。
聖書のみことばは「知識」を増やすものではなくて、
あなたのことを、あなたの内側を造りかえるもの。
あなたが料理するものでも、
それで人を料理するものでもなく、
自分がそれによって料理されるもの。
「みことばはinformationではなくて、transformation」
このページを読まれたあなたにも、
そのことが起こりますように。
ただ、informationとして、聖書を読むのではなくて、
それによって、あなたのうちにtransformationが起こりますように。
昨日、土曜日の聖書。
第1ヨハネ2章でした。
「私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」1節。
罪から離れること、
罪を犯さなくなること。
そんなことを意識していたら、おかしくなってしまうのでは、と思う自分がいます。
でも、さっき書いたように、この御言葉によって、
私のうちにtransformationの御業が起こるようにと祈ります。
自分の思いもこだわりも打ち砕かれるようにと祈ります。
「怒っても罪を犯してはならない」という言葉もあります。
罪から守られるようにと祈ります。
神様が私を罪から守って下さるようにと祈ります。
故意の罪からは完全に離れたいと思います。
誘惑に負けない強さが欲しいと思います。
そして、感情的な波に押し流されて、
罪を犯してしまうことがないようにと思います。
御言葉にいつもいつも守られて、「罪を犯さない」者でありたいと思いました。
主よ、
御言葉によって、私を罪から守って下さい。
私を御言葉によってtransformして下さい。
私をきよめてください。
教会をきよめてください。
2007-02-23
光の中を歩く
今日はまた寒くなりました。
日中も0度から2度くらいの間を上がったり下がったりでしたが、
夜になってから、ぐんと冷えて、今、夜の11時で、-6.1度Cでした。
明日も寒いでしょう。
そして、日曜日から月曜日にかけて、ちょっと雪も降るみたいです。
今回も大したことはないみたいですが・・・。
今日、ふと思ったのですが、
あの23年前の時、
私に「君は傲慢な人間だね」と言ってくださった先生、
ほんとうに感謝しています。
その言葉がなかったら、私はあの問題を乗り越えられなかったかもしれません。
適当にうまいこと「慰め」てくれていたら、
その場は何とか「良かった良かった」と思ったかもしれませんが、
神様の愛は分らなかったかもしれません。
もしかしたら、先生の方も勇気がいったんじゃないかと。
自分だったら言うことができるだろうかと。
「私を信頼して言ってくださったのだろうか」と思いますが、
そうじゃなくて、「神様の恵みを信頼しておられた」のだと思います。
私もそれができる者となりたいと思いました。
その人が受け止められるかどうかを考えるよりも、
神様の恵みを信頼する、
神様がその方の目を開いてくださる、という信頼をもって語っていきたいと思いました。
今日の聖書。
今日はヨハネ第1の手紙の1章を読みました。
「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」6-7節。
光の中を歩く。
それが大切。
「神と交わりを持っている」と言うことは誰にでもできる。
でも、ほんとうに「光の中」を歩んでいるだろうか?
神様に隠れることなしに、
神様の前に真実に歩んでいるだろうか?
光に照られたものは、それがまた光となる。
いつもいつも真実でありたいと思います。
主よ、
あなたの前に真実であることができますように。
ウソのない歩みをあなたの前に守ることができますように。
どうか私の歩みを守ってください。
誘惑や怒りから守ってください。
あなたの愛で支配してください。
あなたの愛で満たして下さい。
日中も0度から2度くらいの間を上がったり下がったりでしたが、
夜になってから、ぐんと冷えて、今、夜の11時で、-6.1度Cでした。
明日も寒いでしょう。
そして、日曜日から月曜日にかけて、ちょっと雪も降るみたいです。
今回も大したことはないみたいですが・・・。
今日、ふと思ったのですが、
あの23年前の時、
私に「君は傲慢な人間だね」と言ってくださった先生、
ほんとうに感謝しています。
その言葉がなかったら、私はあの問題を乗り越えられなかったかもしれません。
適当にうまいこと「慰め」てくれていたら、
その場は何とか「良かった良かった」と思ったかもしれませんが、
神様の愛は分らなかったかもしれません。
もしかしたら、先生の方も勇気がいったんじゃないかと。
自分だったら言うことができるだろうかと。
「私を信頼して言ってくださったのだろうか」と思いますが、
そうじゃなくて、「神様の恵みを信頼しておられた」のだと思います。
私もそれができる者となりたいと思いました。
その人が受け止められるかどうかを考えるよりも、
神様の恵みを信頼する、
神様がその方の目を開いてくださる、という信頼をもって語っていきたいと思いました。
今日の聖書。
今日はヨハネ第1の手紙の1章を読みました。
「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」6-7節。
光の中を歩く。
それが大切。
「神と交わりを持っている」と言うことは誰にでもできる。
でも、ほんとうに「光の中」を歩んでいるだろうか?
神様に隠れることなしに、
神様の前に真実に歩んでいるだろうか?
光に照られたものは、それがまた光となる。
いつもいつも真実でありたいと思います。
主よ、
あなたの前に真実であることができますように。
ウソのない歩みをあなたの前に守ることができますように。
どうか私の歩みを守ってください。
誘惑や怒りから守ってください。
あなたの愛で支配してください。
あなたの愛で満たして下さい。
2007-02-22
しみも傷もない者として
今日は朝の最低気温は-2.4度。
そこそこ冷え込みました。
昼間から雨が降ってきて、夜には雪になるだろうと言っていましたが、
それほど冷えずに今も夜の10時で、3度もあり、雨が降っています。
でも、明日はまた寒い一日になるようです。
今日はレオニアでのキッズクラブ。
最近、こちらは、ちょっと参加者が少なかったので、
心配しました。
でも、終わってみると楽しかったです。11名の子ども達が集まりました。
初めての子達も喜んでくれました。
またこれから、暖かくなって、もっともっと盛り上がっていくことを期待しています。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章。
14節の言葉が心に留りました。
「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」
「・・・しなければいけない」「・・・してはいけない」というところからイエスによって解放された私は、こう言う聖書の箇所にはあまり目を留めていませんでした。それよりも目をそらしていたのだと思います。そして、それから20年以上経って、今また、こういう聖書の言葉が心に迫ってきます。「しみも傷もない者となる」それを本気で求めて、与えられたいと思います。「人間はみんな罪人だから・・・」ということに立てこもり、「律法的になるといけないから・・・」とごまかしていたのかもしれません。聖書の言葉は神様からの言葉として、ストレートに受け止めて、「そうだ、しみも傷もない者になりたい」と思いました。
悔い改めて、悔い改めて、一つ一つ具体的に悔い改めて、
主に赦されて、きよめられて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、
私をきよめて、
しみも傷もない者としてください。
悔い改めます。
今日、悔い改めて、あなたの赦しときよめを求めます。
どうか、全き者となしてください。
そこそこ冷え込みました。
昼間から雨が降ってきて、夜には雪になるだろうと言っていましたが、
それほど冷えずに今も夜の10時で、3度もあり、雨が降っています。
でも、明日はまた寒い一日になるようです。
今日はレオニアでのキッズクラブ。
最近、こちらは、ちょっと参加者が少なかったので、
心配しました。
でも、終わってみると楽しかったです。11名の子ども達が集まりました。
初めての子達も喜んでくれました。
またこれから、暖かくなって、もっともっと盛り上がっていくことを期待しています。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章。
14節の言葉が心に留りました。
「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」
「・・・しなければいけない」「・・・してはいけない」というところからイエスによって解放された私は、こう言う聖書の箇所にはあまり目を留めていませんでした。それよりも目をそらしていたのだと思います。そして、それから20年以上経って、今また、こういう聖書の言葉が心に迫ってきます。「しみも傷もない者となる」それを本気で求めて、与えられたいと思います。「人間はみんな罪人だから・・・」ということに立てこもり、「律法的になるといけないから・・・」とごまかしていたのかもしれません。聖書の言葉は神様からの言葉として、ストレートに受け止めて、「そうだ、しみも傷もない者になりたい」と思いました。
悔い改めて、悔い改めて、一つ一つ具体的に悔い改めて、
主に赦されて、きよめられて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、
私をきよめて、
しみも傷もない者としてください。
悔い改めます。
今日、悔い改めて、あなたの赦しときよめを求めます。
どうか、全き者となしてください。
2007-02-21
何に支配されているか
今日は暖かな一日でした。
朝の最低気温はちょうど0度C。
昼間の最高気温は9.5度まで上がりました。
でも、今、夜の11時で、-0.8度。
さすがに夜には氷点下になりましたね。
明日は時々雨で、
夜には雪も混ざるようです。
おとといですが、夜、ゆっくり風呂につかりながら・・・アメリカの浅いバスタブなんですが、最近これにはまっています・・・雑誌のTimeを読んでいました。
その中に、アメリカで、今、「中絶反対運動」が変わりつつある、という記事がありました。ただ「反対」を叫んだり、クリニックの前で「殺人だ」と責めたりすることではなくて、つらい中、困難の中にいる妊婦の人々に救いの手をさしのべて、何とか思いとどまってくれるようにと励ますグループがどんどん生まれているそうです。ほんとうに大切なことだと思います。
教会では結婚という枠の外での男女の体の関係は認められていません・・・というか、神は結婚を祝福されたわけで、不倫にせよ、婚前交渉にせよ、神の祝福を失うことです。
ほんとうに大きな誘惑はあるし、社会はそれを「時代遅れ」「化石」と呼びます。
「この歳で経験がないなんて恥ずかしい」なんてアホなことを思わせるような文化です。
でも、胸を張って宣言すべきだと思います。
そして、「第2のバージン」という言葉さえあります。
クリスチャンでありながら過ちを犯した人、クリスチャンではなかったので、そのような価値観を持っていなかったけれども、後にクリスチャンになって生まれかわった人が、悔い改めて、その時から、結婚まで慎む、という意味です。
でも、もう一つ大切だと思うことは、
「今まで純潔を守ったから、私たちの結婚はうまくいく」なんて安易に考えてはいけない、ということです。結婚はほおっておいて祝福されるものではないなあ、と思います。日々、神様から力を与えられて、互いを大切にしていいくこと、チャレンジです。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
きついことがどーっと書かれているところですが、
その中で、次の言葉が心に残りました。
「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」19節の言葉です。
自分はいったい何に支配されているだろうかと思いました。
ほんとうに神様の愛に支配されているだろうか。
神様の愛が私の心の隅々まで支配しているだろうかと。
他に私を捕らえてしまっているものはないだろうか、
もう一度心の中を探られました。
「完全な愛は恐れを取り除く」
私のテーマ聖句です。
主の愛に満たして頂きたいです。
主よ、
今日の一日を感謝します。
夜の集会を特別に感謝します。
どうか、明日もあなたの恵みでいっぱいにして下さい。
そう、あしたはキッズクラブです。
多くの子ども達との出会いがありますように。
朝の最低気温はちょうど0度C。
昼間の最高気温は9.5度まで上がりました。
でも、今、夜の11時で、-0.8度。
さすがに夜には氷点下になりましたね。
明日は時々雨で、
夜には雪も混ざるようです。
おとといですが、夜、ゆっくり風呂につかりながら・・・アメリカの浅いバスタブなんですが、最近これにはまっています・・・雑誌のTimeを読んでいました。
その中に、アメリカで、今、「中絶反対運動」が変わりつつある、という記事がありました。ただ「反対」を叫んだり、クリニックの前で「殺人だ」と責めたりすることではなくて、つらい中、困難の中にいる妊婦の人々に救いの手をさしのべて、何とか思いとどまってくれるようにと励ますグループがどんどん生まれているそうです。ほんとうに大切なことだと思います。
教会では結婚という枠の外での男女の体の関係は認められていません・・・というか、神は結婚を祝福されたわけで、不倫にせよ、婚前交渉にせよ、神の祝福を失うことです。
ほんとうに大きな誘惑はあるし、社会はそれを「時代遅れ」「化石」と呼びます。
「この歳で経験がないなんて恥ずかしい」なんてアホなことを思わせるような文化です。
でも、胸を張って宣言すべきだと思います。
そして、「第2のバージン」という言葉さえあります。
クリスチャンでありながら過ちを犯した人、クリスチャンではなかったので、そのような価値観を持っていなかったけれども、後にクリスチャンになって生まれかわった人が、悔い改めて、その時から、結婚まで慎む、という意味です。
でも、もう一つ大切だと思うことは、
「今まで純潔を守ったから、私たちの結婚はうまくいく」なんて安易に考えてはいけない、ということです。結婚はほおっておいて祝福されるものではないなあ、と思います。日々、神様から力を与えられて、互いを大切にしていいくこと、チャレンジです。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
きついことがどーっと書かれているところですが、
その中で、次の言葉が心に残りました。
「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」19節の言葉です。
自分はいったい何に支配されているだろうかと思いました。
ほんとうに神様の愛に支配されているだろうか。
神様の愛が私の心の隅々まで支配しているだろうかと。
他に私を捕らえてしまっているものはないだろうか、
もう一度心の中を探られました。
「完全な愛は恐れを取り除く」
私のテーマ聖句です。
主の愛に満たして頂きたいです。
主よ、
今日の一日を感謝します。
夜の集会を特別に感謝します。
どうか、明日もあなたの恵みでいっぱいにして下さい。
そう、あしたはキッズクラブです。
多くの子ども達との出会いがありますように。
2007-02-20
信じるところで留っていないで
今日は暖かな一日になりました。
夜のうちに気温が上がって、
朝にはもう氷点下を脱出。
そして、最高気温は8度まで上がりました。
今は夜の11時で3.3度。
暖かな夜です。
今、外は雨が降っています。
雪が混じるでしょうか?
明日も暖かな日になりそうです。
朝は、教会で祈り会があったのですが、
学校が休みのため、子ども達がゆっくり寝ていられるということで、
カミさんも来ました。
そして他に来られる方がおられなかったので、2人で祈りました。
教会の一人ひとりのことを覚えて
家で祈るときとはまた違った、
熱い祈りを捧げることができました。
とても新鮮な朝でした。
昨日29回目の洗礼記念日を迎えた彼女。
共に歩めることに心から感謝します。
午後には牧師のためのセミナーがあって、
ニューヨークに行って来ました。
行きはマンハッタンの北の方までバスで行って、
マンハッタンに入ったら地下鉄、と思っていたのですが、
何と警察が大集合していて、地下鉄が止っているとのこと。
ニュースにも何にもなっていなかったので、大事件ではなかったようですが、
バスで行ったら1時間以上かかって、大遅刻。
でも、セミナー自体は良かったです。
一つの伝道の方法を紹介するセミナーだったのですが、
その方法の中で、
「聖霊に満たされること」
が強調されていました。
ああ、それを求めていきたいなあと思いました。
日本では良く聞いていた言葉です。
でも、最近あまり耳にしなくなっていました。
いや、耳にしたり、歌の歌詞に歌われていたりしても、
意識していなかったのかもしれません。
how toとか知的な面に焦点が当たりすぎていたようにも思います。
「聖霊に満たされること」
聖霊なる神様に私のうちに満ちて頂いて、
あふれて頂いて、
それが人びとに伝わっていくような、
そのような伝道をさせて頂きたいと思いました。
教会にいつも来ておられる方々に対してもそうです。
私自身が聖霊様に満たされることを通して、
人々に神様の業が広がっていくような、
人々が造りかえられ、整えられていくような、
そのような教会となるようにと願いました。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙に進んで、
1章を読みました。
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」5-8節。
信仰をもったら、救われたらそれで終わり、ではなくて、
その後にはまたいろんな課題がある。
いや、救いがタダで与えられるから、
その後の課題を感謝して歩んでいくことができる。
「徳」「知識」「自制」「忍耐」「敬虔」「兄弟愛」「愛」といくつものステップがある。
自分はどこにいるだろうかと思わされました。
大体、自分はこれをほんとうに求めてきただろうかと思いました。
「証し」に書いてきたように、
自分は「・・・しなければならない」というところから解放されたのですが、
その影響で、ほんとうにすべての「・・・しなければならない」というものを
捨ててしまったように思うのです。
愛されているから、救われたから、
喜びがあるから、
「このような歩みをしなさい」
といわれても、そこに生きていくことができるのに、
それさえも拒否していたときもあったと思います。
一つ一つ求めていきたいと思いました。
「徳」といわれるもの一つ一つを先ず求めていきたいと思いました。
主にあって成長させて頂きたいと思います。
主よ、
感謝します。
私を救って下さったことに感謝します。
感謝して、「徳」を求めて参ります。
どうか、一つ一つ教えて下さい。
経験させて下さい。
与えて下さい。
夜のうちに気温が上がって、
朝にはもう氷点下を脱出。
そして、最高気温は8度まで上がりました。
今は夜の11時で3.3度。
暖かな夜です。
今、外は雨が降っています。
雪が混じるでしょうか?
明日も暖かな日になりそうです。
朝は、教会で祈り会があったのですが、
学校が休みのため、子ども達がゆっくり寝ていられるということで、
カミさんも来ました。
そして他に来られる方がおられなかったので、2人で祈りました。
教会の一人ひとりのことを覚えて
家で祈るときとはまた違った、
熱い祈りを捧げることができました。
とても新鮮な朝でした。
昨日29回目の洗礼記念日を迎えた彼女。
共に歩めることに心から感謝します。
午後には牧師のためのセミナーがあって、
ニューヨークに行って来ました。
行きはマンハッタンの北の方までバスで行って、
マンハッタンに入ったら地下鉄、と思っていたのですが、
何と警察が大集合していて、地下鉄が止っているとのこと。
ニュースにも何にもなっていなかったので、大事件ではなかったようですが、
バスで行ったら1時間以上かかって、大遅刻。
でも、セミナー自体は良かったです。
一つの伝道の方法を紹介するセミナーだったのですが、
その方法の中で、
「聖霊に満たされること」
が強調されていました。
ああ、それを求めていきたいなあと思いました。
日本では良く聞いていた言葉です。
でも、最近あまり耳にしなくなっていました。
いや、耳にしたり、歌の歌詞に歌われていたりしても、
意識していなかったのかもしれません。
how toとか知的な面に焦点が当たりすぎていたようにも思います。
「聖霊に満たされること」
聖霊なる神様に私のうちに満ちて頂いて、
あふれて頂いて、
それが人びとに伝わっていくような、
そのような伝道をさせて頂きたいと思いました。
教会にいつも来ておられる方々に対してもそうです。
私自身が聖霊様に満たされることを通して、
人々に神様の業が広がっていくような、
人々が造りかえられ、整えられていくような、
そのような教会となるようにと願いました。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙に進んで、
1章を読みました。
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」5-8節。
信仰をもったら、救われたらそれで終わり、ではなくて、
その後にはまたいろんな課題がある。
いや、救いがタダで与えられるから、
その後の課題を感謝して歩んでいくことができる。
「徳」「知識」「自制」「忍耐」「敬虔」「兄弟愛」「愛」といくつものステップがある。
自分はどこにいるだろうかと思わされました。
大体、自分はこれをほんとうに求めてきただろうかと思いました。
「証し」に書いてきたように、
自分は「・・・しなければならない」というところから解放されたのですが、
その影響で、ほんとうにすべての「・・・しなければならない」というものを
捨ててしまったように思うのです。
愛されているから、救われたから、
喜びがあるから、
「このような歩みをしなさい」
といわれても、そこに生きていくことができるのに、
それさえも拒否していたときもあったと思います。
一つ一つ求めていきたいと思いました。
「徳」といわれるもの一つ一つを先ず求めていきたいと思いました。
主にあって成長させて頂きたいと思います。
主よ、
感謝します。
私を救って下さったことに感謝します。
感謝して、「徳」を求めて参ります。
どうか、一つ一つ教えて下さい。
経験させて下さい。
与えて下さい。
2007-02-19
神が心配して下さっている
今日は一日氷点下でしたが、
ほんとうに明るい一日。
日が長くなってきたので、
寒々とした日ではありませんでした。
今、夜の10時過ぎですが、
-4度で、7時頃から下がっていません。
今夜はこのままこれくらいの温度で推移するでしょう。
もう、先週までの2週間のような寒さはさよならです。
一歩一歩春に近づいています。
今日は丸まるお休みだったので、
今頃、2006年の紅白歌合戦のビデオを見ています。
あまり評判の良くなかった昨年の紅白ですが、
良くない評判ばかり聞いていたからでしょうか、
「そうでもないじゃん」と思います。
もちろんすべてではないですが、
一つ一つの歌の歌詞に共感を覚えながら聞いています。
若い人たちの歌も捨てたもんじゃないと思いますし、
だんだん、「演歌を早回しするのはもったいない」
という感じになってきました。
「兄弟船」とか「おふくろさん」とか、いいですねえ。
逆に「軽い」曲についていけないですねえ。
そういう歳になってきたんだなあ、と思います。
そして、何よりも「ハレルヤ」とか、何か違うところで使われてたりすると、
何だかなあ、と思います。
「ハレルヤ」は調子のいいかけ声ではなくて、
「主をほめたたえよ」という言葉です。
神様のすばらしさをたたえよう、という招きです。
ヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスを聴いたイギリスの王様が立ち上がらないでいられなかったといいますが、そういう厳粛なもんなんだろうと思います。
日本で大きな教会の副牧師をしていたときに、
教会に来ていた高校生の女の子達に頼まれて、
カラオケボックスへ連れて行ってあげたことがあります。
歌とか好きでしたし、いくつか歌える歌もあったのですが、
なんだか、歌詞を味わっていたら、とっても虚しくなったのを覚えています。
心から歌うことのできる歌である賛美の歌が与えられているのに、
全然共感できない歌詞を歌っている自分はいったい何をしているのだろうかと・・・。
それも、彼女たちを導く立場にいながら、
「連れて行く」「監督する」という名目で、
実際は「ついて行った」だけだったんですよね。
心から歌える歌を求めて、
心から歌える歌を口ずさんでいきたいと思います。
今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙5章を読みました。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」7節の言葉です。
特に後半の「神があなた方のことを心配して下さる」という言葉が心に留りました。
私にも思い煩うことがあります。
心配になることがあります。
でも、私が心配する以上に主が心配して下さっている。
主が気にかけて下さっている。
だから、主の御手に心配事を委ねていいと言っている。
じゃあ、委ねようという思いになりました。
主が導いて下さる道を、
主が与えて下さることを、
受け取っていきたいと思いました。
主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたが私と教会のことを心配して下さっている。
だから、思い煩わないで、私に任せなさい、と言ってくださっている。
感謝します。
あなたを信頼します。
あなたをもっともっと信頼させてください。
ほんとうに明るい一日。
日が長くなってきたので、
寒々とした日ではありませんでした。
今、夜の10時過ぎですが、
-4度で、7時頃から下がっていません。
今夜はこのままこれくらいの温度で推移するでしょう。
もう、先週までの2週間のような寒さはさよならです。
一歩一歩春に近づいています。
今日は丸まるお休みだったので、
今頃、2006年の紅白歌合戦のビデオを見ています。
あまり評判の良くなかった昨年の紅白ですが、
良くない評判ばかり聞いていたからでしょうか、
「そうでもないじゃん」と思います。
もちろんすべてではないですが、
一つ一つの歌の歌詞に共感を覚えながら聞いています。
若い人たちの歌も捨てたもんじゃないと思いますし、
だんだん、「演歌を早回しするのはもったいない」
という感じになってきました。
「兄弟船」とか「おふくろさん」とか、いいですねえ。
逆に「軽い」曲についていけないですねえ。
そういう歳になってきたんだなあ、と思います。
そして、何よりも「ハレルヤ」とか、何か違うところで使われてたりすると、
何だかなあ、と思います。
「ハレルヤ」は調子のいいかけ声ではなくて、
「主をほめたたえよ」という言葉です。
神様のすばらしさをたたえよう、という招きです。
ヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスを聴いたイギリスの王様が立ち上がらないでいられなかったといいますが、そういう厳粛なもんなんだろうと思います。
日本で大きな教会の副牧師をしていたときに、
教会に来ていた高校生の女の子達に頼まれて、
カラオケボックスへ連れて行ってあげたことがあります。
歌とか好きでしたし、いくつか歌える歌もあったのですが、
なんだか、歌詞を味わっていたら、とっても虚しくなったのを覚えています。
心から歌うことのできる歌である賛美の歌が与えられているのに、
全然共感できない歌詞を歌っている自分はいったい何をしているのだろうかと・・・。
それも、彼女たちを導く立場にいながら、
「連れて行く」「監督する」という名目で、
実際は「ついて行った」だけだったんですよね。
心から歌える歌を求めて、
心から歌える歌を口ずさんでいきたいと思います。
今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙5章を読みました。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」7節の言葉です。
特に後半の「神があなた方のことを心配して下さる」という言葉が心に留りました。
私にも思い煩うことがあります。
心配になることがあります。
でも、私が心配する以上に主が心配して下さっている。
主が気にかけて下さっている。
だから、主の御手に心配事を委ねていいと言っている。
じゃあ、委ねようという思いになりました。
主が導いて下さる道を、
主が与えて下さることを、
受け取っていきたいと思いました。
主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたが私と教会のことを心配して下さっている。
だから、思い煩わないで、私に任せなさい、と言ってくださっている。
感謝します。
あなたを信頼します。
あなたをもっともっと信頼させてください。
祈りのために
子ども達は今日から1週間学校お休み。
今日はPresidents Dayで祝日です。
そして、今日は月曜日なので、週に一度のお休み。
ゆっくり寝坊できるかなあ、と思っていたのですが、
やっぱり7時には目が覚めました。
朝起きたら-12度C。
冷え込みましたねえ。
今日は一日中氷点下。
でも、今回はもう明日には暖かくなるみたいで、
「雨」の予報も出ています。
今朝起きたら2通「証し」の原稿が届いていました。
昨日、私が寝るときに一生懸命やっていたウチの高校生2名。
一人は息子で、一人は教会に出るために週末泊まりに来る寮生活をしてる子
夜の11時半までプロバスケットのオールスターゲームを見ていたのに、
それから一生懸命書いたみたいです。
もっとこつこつやってればいいのに、
期限直前になってから慌てるんだから・・・。
でも、意外と真面目なんだなあ、と。
自分の高校時代を思い出すと、
彼らもこれからガンガン悩むのかもしれませんが、
何よりも、本音でいろいろ話し合ったり祈り合ったり励まし合ったりできる
クリスチャンの同世代の親友がいるというのはホントにうらやましい話です。
さて、昨日、日曜日の聖書箇所。
昨日はペテロ第一の手紙4章でした。
「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」
7節の言葉が語られました。
祈りのためにそれなりの備えが必要だということ。
生活の整理。
生活のリズムを作ること。
必要のない部分を削ること。
いろいろ大切なものがあると思います。
もっと祈りたい。
そのような願いを持つだけで、
そのために動き出すことがなかなか難しいのですが、
難しい、を続けていてはいけないと思いました。
ほんとうに祈りのために他のものを整理して、
祈ることを大切にしていこうと思います。
思うのではなく、祈ること。
考えるのではなく、祈ること。
主よ、
御言葉に感謝します。
あなたが語ってくださったことに感謝します。
私自身が「祈りの家」となりますように。
私の生活自体が祈りに支配されますように。
今日はPresidents Dayで祝日です。
そして、今日は月曜日なので、週に一度のお休み。
ゆっくり寝坊できるかなあ、と思っていたのですが、
やっぱり7時には目が覚めました。
朝起きたら-12度C。
冷え込みましたねえ。
今日は一日中氷点下。
でも、今回はもう明日には暖かくなるみたいで、
「雨」の予報も出ています。
今朝起きたら2通「証し」の原稿が届いていました。
昨日、私が寝るときに一生懸命やっていたウチの高校生2名。
一人は息子で、一人は教会に出るために週末泊まりに来る寮生活をしてる子
夜の11時半までプロバスケットのオールスターゲームを見ていたのに、
それから一生懸命書いたみたいです。
もっとこつこつやってればいいのに、
期限直前になってから慌てるんだから・・・。
でも、意外と真面目なんだなあ、と。
自分の高校時代を思い出すと、
彼らもこれからガンガン悩むのかもしれませんが、
何よりも、本音でいろいろ話し合ったり祈り合ったり励まし合ったりできる
クリスチャンの同世代の親友がいるというのはホントにうらやましい話です。
さて、昨日、日曜日の聖書箇所。
昨日はペテロ第一の手紙4章でした。
「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」
7節の言葉が語られました。
祈りのためにそれなりの備えが必要だということ。
生活の整理。
生活のリズムを作ること。
必要のない部分を削ること。
いろいろ大切なものがあると思います。
もっと祈りたい。
そのような願いを持つだけで、
そのために動き出すことがなかなか難しいのですが、
難しい、を続けていてはいけないと思いました。
ほんとうに祈りのために他のものを整理して、
祈ることを大切にしていこうと思います。
思うのではなく、祈ること。
考えるのではなく、祈ること。
主よ、
御言葉に感謝します。
あなたが語ってくださったことに感謝します。
私自身が「祈りの家」となりますように。
私の生活自体が祈りに支配されますように。
2007-02-18
内なる飾り
今日は一日寒くもなく暖かくもなく、
まあ、典型的な冬の一日だったのですが、
夜になって急に冷え込んできました。
今日の最高気温は2度まで上がりました。
でも、今は夜の10時半で-7.7度です。
そして今もどんどん気温は下がっています。
この調子で行くと明日の朝は-10度以下ですね。
火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、
ちょっと雪が降るかもしれません。
大したことはありませんが・・・。
今日は洗礼式がありました。
今年初めての洗礼式。
4ヶ月ぶりでした。
やはりうれしいですね。
今日洗礼を受けた方は音楽をする方。
洗礼を受けられて、これから、どんな音楽をなさるか、また楽しみです。
今、教会の皆さんに「救いの証し」を書いて下さるように、
お願いしています。
とりあえず、締め切りが今日。
10数名の方が出して下さいました。
あと1時間。
まあ、無理はしないで欲しいのですが、
期限を決めないと、「いつかやろう」と思ってしまうでしょうから、
決めてよかったのだと思います。
あと1時間で何通届くでしょうか?
でも、皆さんのお証を読んで励まされますし、
またお一人一人自分で今まで歩んできた道を振り返る時が持てるのはいいのではないかと思います。
そして、神様がどんなにすばらしいことをして下さったか、
それを味わうのは何とすばらしいことでしょうか?
そして、それを15分に収めるのも大切なプロセスです。
まだの方、これを読まれたら、是非、取りかかって下さい。
昨日の聖書。
昨日はペテロの第1の手紙3章でした。
その中で特に心に留ったのは3-4節の言葉です。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」
これは直接的には女性に対して語られたことですが、
私は男性ですが、やはりそのようになりたいと思いました。
「心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい」と。
そのように内なる人が美しくなりたいと思います。
内なる人が強く、内なる人が豊かになりたいと思います。
肩の力を抜いて、
主がなさることを待ち望み、
主がして下さった一つ一つのことを感謝しながら、
内なる人が豊かになっていくのを求めていきたいと思いました。
主よ、
私の内なる人を探って下さい。
そして、私の内なる人をきよめて下さい。
内なる人を美しくして下さい。
内なる人を豊かにして下さい。
まあ、典型的な冬の一日だったのですが、
夜になって急に冷え込んできました。
今日の最高気温は2度まで上がりました。
でも、今は夜の10時半で-7.7度です。
そして今もどんどん気温は下がっています。
この調子で行くと明日の朝は-10度以下ですね。
火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、
ちょっと雪が降るかもしれません。
大したことはありませんが・・・。
今日は洗礼式がありました。
今年初めての洗礼式。
4ヶ月ぶりでした。
やはりうれしいですね。
今日洗礼を受けた方は音楽をする方。
洗礼を受けられて、これから、どんな音楽をなさるか、また楽しみです。
今、教会の皆さんに「救いの証し」を書いて下さるように、
お願いしています。
とりあえず、締め切りが今日。
10数名の方が出して下さいました。
あと1時間。
まあ、無理はしないで欲しいのですが、
期限を決めないと、「いつかやろう」と思ってしまうでしょうから、
決めてよかったのだと思います。
あと1時間で何通届くでしょうか?
でも、皆さんのお証を読んで励まされますし、
またお一人一人自分で今まで歩んできた道を振り返る時が持てるのはいいのではないかと思います。
そして、神様がどんなにすばらしいことをして下さったか、
それを味わうのは何とすばらしいことでしょうか?
そして、それを15分に収めるのも大切なプロセスです。
まだの方、これを読まれたら、是非、取りかかって下さい。
昨日の聖書。
昨日はペテロの第1の手紙3章でした。
その中で特に心に留ったのは3-4節の言葉です。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」
これは直接的には女性に対して語られたことですが、
私は男性ですが、やはりそのようになりたいと思いました。
「心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい」と。
そのように内なる人が美しくなりたいと思います。
内なる人が強く、内なる人が豊かになりたいと思います。
肩の力を抜いて、
主がなさることを待ち望み、
主がして下さった一つ一つのことを感謝しながら、
内なる人が豊かになっていくのを求めていきたいと思いました。
主よ、
私の内なる人を探って下さい。
そして、私の内なる人をきよめて下さい。
内なる人を美しくして下さい。
内なる人を豊かにして下さい。
2007-02-17
御言葉によって成長する
昨日は朝が-10.8度、
最高気温が-1.1度で、
火曜日から続く氷点下の日々が4日目。
でも、今日あたりはこれを脱出しそうです。
この後21日くらいと、26日くらいに天気が崩れそうですが、
もう、ここまで寒い日が続いたし、
とにかく一回雪が降ったし、
もう春になってもいいかなあ、と思います。
「おお雪だあ!」という興奮も今年はあんまり感じなくて、
年かも・・・。
日本ではNHKの「受信料」っていうものがありましたが、
アンテナでテレビが見えていましたよね。
でも、ここら辺ではケーブルが主流。
アンテナ立っている家もありますが、
室内アンテナとかでは全然見えません。
学生をやってて、寮に入っていたときは、
学内ケーブルでは日本語放送が見れなくて、
でも、どうしても日本語放送見たくて、
「高性能室内アンテナ」っていう50ドルくらいのヤツを買って、
窓にぴたっと貼り付けて、見てました。
でも、ここではケーブル。
そこに最近参入してきたのが、
ファイバーケーブルのTV。
電話やさんのV社が、ケーブルテレビのC社よりも、格安で参入してきました。
インターネット接続も早くて、安定していて、安い。
どうしようかなあ、と思っていた1月の半ば。
個別訪問のセールスにやってきました。
そんなの普通は相手にしないのですが、
今回は興味があったのと、より安くなる・・・これに弱い・・・、プラス100ドルのギフトカード・・・こういうのにも弱い・・・、最初の1ヶ月は無料、最初の1ヶ月以内の解約はペナルティーなし、ということで、話に乗ってしまいました。
設定には3日くらいかかっていましたが、おおむね満足。
まだ最初の請求書が来ていないので、
どれくらいお得なのか分りませんが、
ま、いいかな、と。
ちなみに電話はV社とは別のIP電話で月々20ドルくらいで済んじゃいます。
・・・V社にまとめる方が高くつく・・・
でも、ウチの場合は自宅内でも携帯の電波がいいので、
そのうち、一人一本ずつの携帯があれば、ウチの電話はいらなくなってしまうのでは・・・
なんて思い始めています。
あ、そうそう、何でも競争があるってのはいいみたいで、
C社のケーブルをキャンセルするときに、
「どうして?」と聞かれて、「乗り換えるんだ」と話したら、
「もっと安くするよ!」と言われました。
「もう遅いよ!」と答えたのですが、
はったりでもいいから、「もっと安くしてくれないと乗り換えちゃうよ」というのはいいかもしれません。
何事でも、交渉ですから、この国は。
昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙の2章でした。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」2節の言葉です。
御言葉によって成長する。
これの大切さを思わされました。
いいお話はたくさんあります。
言葉だけではなくて、いろんな暖かい態度や行動によって癒されます。
でも、御言葉には特別な力があります。
そのことを最近何度も何度も教えられています。
自分は口では「御言葉です」と言いながら、
ほんとうにその御言葉の力をどれくらい経験してきたか、
どれくらい信頼してきたか、
もう一度探られるような思いがしました。
私自身、御言葉によって成長する、ということを経験させて頂きたいですし、
教会のお一人一人が御言葉によって成長する、ために何ができるか、を
求めていきたいと思います。
励ましていきたいと思います。
主よ、
あなたの御言葉を感謝します。
御言葉によって私自身、成長させてください。
御言葉によって歩ませてください。
実を結ぶ者とならせてください。
そして、そのような教会形成をすることができますように。
最高気温が-1.1度で、
火曜日から続く氷点下の日々が4日目。
でも、今日あたりはこれを脱出しそうです。
この後21日くらいと、26日くらいに天気が崩れそうですが、
もう、ここまで寒い日が続いたし、
とにかく一回雪が降ったし、
もう春になってもいいかなあ、と思います。
「おお雪だあ!」という興奮も今年はあんまり感じなくて、
年かも・・・。
日本ではNHKの「受信料」っていうものがありましたが、
アンテナでテレビが見えていましたよね。
でも、ここら辺ではケーブルが主流。
アンテナ立っている家もありますが、
室内アンテナとかでは全然見えません。
学生をやってて、寮に入っていたときは、
学内ケーブルでは日本語放送が見れなくて、
でも、どうしても日本語放送見たくて、
「高性能室内アンテナ」っていう50ドルくらいのヤツを買って、
窓にぴたっと貼り付けて、見てました。
でも、ここではケーブル。
そこに最近参入してきたのが、
ファイバーケーブルのTV。
電話やさんのV社が、ケーブルテレビのC社よりも、格安で参入してきました。
インターネット接続も早くて、安定していて、安い。
どうしようかなあ、と思っていた1月の半ば。
個別訪問のセールスにやってきました。
そんなの普通は相手にしないのですが、
今回は興味があったのと、より安くなる・・・これに弱い・・・、プラス100ドルのギフトカード・・・こういうのにも弱い・・・、最初の1ヶ月は無料、最初の1ヶ月以内の解約はペナルティーなし、ということで、話に乗ってしまいました。
設定には3日くらいかかっていましたが、おおむね満足。
まだ最初の請求書が来ていないので、
どれくらいお得なのか分りませんが、
ま、いいかな、と。
ちなみに電話はV社とは別のIP電話で月々20ドルくらいで済んじゃいます。
・・・V社にまとめる方が高くつく・・・
でも、ウチの場合は自宅内でも携帯の電波がいいので、
そのうち、一人一本ずつの携帯があれば、ウチの電話はいらなくなってしまうのでは・・・
なんて思い始めています。
あ、そうそう、何でも競争があるってのはいいみたいで、
C社のケーブルをキャンセルするときに、
「どうして?」と聞かれて、「乗り換えるんだ」と話したら、
「もっと安くするよ!」と言われました。
「もう遅いよ!」と答えたのですが、
はったりでもいいから、「もっと安くしてくれないと乗り換えちゃうよ」というのはいいかもしれません。
何事でも、交渉ですから、この国は。
昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙の2章でした。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」2節の言葉です。
御言葉によって成長する。
これの大切さを思わされました。
いいお話はたくさんあります。
言葉だけではなくて、いろんな暖かい態度や行動によって癒されます。
でも、御言葉には特別な力があります。
そのことを最近何度も何度も教えられています。
自分は口では「御言葉です」と言いながら、
ほんとうにその御言葉の力をどれくらい経験してきたか、
どれくらい信頼してきたか、
もう一度探られるような思いがしました。
私自身、御言葉によって成長する、ということを経験させて頂きたいですし、
教会のお一人一人が御言葉によって成長する、ために何ができるか、を
求めていきたいと思います。
励ましていきたいと思います。
主よ、
あなたの御言葉を感謝します。
御言葉によって私自身、成長させてください。
御言葉によって歩ませてください。
実を結ぶ者とならせてください。
そして、そのような教会形成をすることができますように。
2007-02-16
2007-02-15
聖なる者となる
今日はまた寒い一日でした。
朝は-10度。
昼間の最高気温は-5度。
そして夜の10時でまたまた-9度。
これで氷点下daysは連続3日目です。
シカゴとかは連続19日にもなっているようですが・・・。
明日も寒い一日でしょう。
もう一日は確実に氷点下です。
でも、この寒波ももう出口が見えてきているみたいで、
あと一週間ほどで10度くらいまで上がる日も出てくるようです。
春はもうすぐです。
「証し」の第12章。
私は4人兄弟ですが、
それぞれ個性的ではあります。
その中で、兄貴はさすが長男!というところがあります。
その兄貴、名前は「氷小豆」(仮名)と申しますが、
子供の時から「ボクは牧師になるんだ!」と言っておりました。
そして、何においても一生懸命。
そして、積極的でした。
そしてまとめる力もありました。
うらやましいヤツでした。
というか、次男のかきごおりはそのように思っていました。
いつも兄貴のようになりたい。
いつも兄貴はいいなあ、と思っていました。
算数では負けない自信がありましたが、
リーダーシップや信仰ではかなわないと思っていました。
一生懸命友達を教会に誘ってきたり、
友達に神様の話をしたり、
「子供週報」とかを小学校5年生くらいから作って、
マンガとか書いて、配っちゃう氷小豆君にはかなわないと思っていました。
私の教会では、というか、私の中ではいつの間にか「氷小豆神話」が生まれていました。
「氷小豆はすごい」「氷小豆君はいかにも牧師になったらいい、という感じだよね」
そんな声が聞こえてきました。
それは、「うらやましい」と思うと共に「自分にはできない」という劣等感を持っている次男かきごおりには、「氷小豆君はいいけど、かきごおり君はねえ」という声に聞こえてきてしまうんですね。
ですから、第11章の「君は牧師には向いていない、止めた方がいいよ」というKGKの主事の言葉はいつもいつも自分の心の中にあった声でもあったのです。
「だよね・・・。やっぱ、向いていないよね。兄貴みたいに伝道もできないし、リーダーシップもない。クリエイティブなこともできない、話も下手。赤面症、恥ずかしがり屋・・・、向いてないよねえ」
それから悩みました。
そんな中で参加したのが、またまた「大島泉の家」のキャンプ。
集会の後で祈っていました。
「神様、どうしたらいいんでしょうか?私はあなたが召して下さったと思って牧師になろうと思いました。でも、客観的に見たら向いていないんです。兄貴のようにはできません。でも、止めてもいいんですか?止めた方がいいんですか?・・・」
しばらく祈っている中で、聖書の言葉が心に響いてきました。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」第2コリント12章9節の言葉です。
「ああ、神様の力だ、イエスの力だ、その力が私の『向いていない』ところに完全にあらわれるのだ。だったらいいじゃないか、だったら、神様の力を見せて頂こう。完全な力を見せて頂こう」そう思いました。迷いは完全に吹っ切れました。人の言葉も怖くなくなりました。ホントは人の言葉ではなくて、自分の劣等感だったのだと思います。でも、それでもいい、自分の弱さは自分が一番知っている。その弱さに神様の力を表して頂こう、と思いました。
そして、今、はっきりと申上げられることは、この聖書の言葉は、単に劣等感に捕らえられている人を励ますための言葉ではなく、事実なのだ、ということです。ほんとうに主は私の弱いところにご自分の力を表して下さってきた、ということです。私の弱い、不十分なところ、よくわかっていないところ、未熟なところにその力を表し続けて下さったのだということを思います。そして、これからも、この方は私を用いて下さるのだ、ということを信頼して言うことができます。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙に進んでその第1章です。
「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」15節の言葉が心に留りました。
「聖なる者」
何か仙人のようになってしまうような感じがします。
世離れしてしまうような気がします。
それは誤解だろうという気持ちもあります。
でも、誤解ではなくてもいいのかもしれません。
「聖なる者」となりたいと単純に思いました。
聖書に書いてあるんだから。
「聖書にはそう書いてあるけど・・・」という生き方もあります。
でも、私は「聖書にはそう書いてあるから・・・」と生きたいと思いました。
そのように書いてあるんだから、神様に「聖なる者」とされたい、と思いました。
「聖」とは「他のものと区別された、特別な」という意味があると言われます。
神様に焦点を合わせた、
神様のみこころに焦点を合わせた、
神様の言葉に焦点を合わせた歩みをしたいと思います。
昨日の佐藤彰先生の言葉のように、
その背後に神様が見えてくるような、そのような者となりたいと思います。
神様がこの人と共におられる、ということがクリスチャン以外の方にも見えるような、
土の器である私の中にあるキリストという宝が輝き出るような者でありたいと思います。
主よ、
私をきよくしてください。
私を聖なる者として下さい。
あなたのことを指し示す、
あなたのすばらしさを表す者とならせてください。
朝は-10度。
昼間の最高気温は-5度。
そして夜の10時でまたまた-9度。
これで氷点下daysは連続3日目です。
シカゴとかは連続19日にもなっているようですが・・・。
明日も寒い一日でしょう。
もう一日は確実に氷点下です。
でも、この寒波ももう出口が見えてきているみたいで、
あと一週間ほどで10度くらいまで上がる日も出てくるようです。
春はもうすぐです。
「証し」の第12章。
私は4人兄弟ですが、
それぞれ個性的ではあります。
その中で、兄貴はさすが長男!というところがあります。
その兄貴、名前は「氷小豆」(仮名)と申しますが、
子供の時から「ボクは牧師になるんだ!」と言っておりました。
そして、何においても一生懸命。
そして、積極的でした。
そしてまとめる力もありました。
うらやましいヤツでした。
というか、次男のかきごおりはそのように思っていました。
いつも兄貴のようになりたい。
いつも兄貴はいいなあ、と思っていました。
算数では負けない自信がありましたが、
リーダーシップや信仰ではかなわないと思っていました。
一生懸命友達を教会に誘ってきたり、
友達に神様の話をしたり、
「子供週報」とかを小学校5年生くらいから作って、
マンガとか書いて、配っちゃう氷小豆君にはかなわないと思っていました。
私の教会では、というか、私の中ではいつの間にか「氷小豆神話」が生まれていました。
「氷小豆はすごい」「氷小豆君はいかにも牧師になったらいい、という感じだよね」
そんな声が聞こえてきました。
それは、「うらやましい」と思うと共に「自分にはできない」という劣等感を持っている次男かきごおりには、「氷小豆君はいいけど、かきごおり君はねえ」という声に聞こえてきてしまうんですね。
ですから、第11章の「君は牧師には向いていない、止めた方がいいよ」というKGKの主事の言葉はいつもいつも自分の心の中にあった声でもあったのです。
「だよね・・・。やっぱ、向いていないよね。兄貴みたいに伝道もできないし、リーダーシップもない。クリエイティブなこともできない、話も下手。赤面症、恥ずかしがり屋・・・、向いてないよねえ」
それから悩みました。
そんな中で参加したのが、またまた「大島泉の家」のキャンプ。
集会の後で祈っていました。
「神様、どうしたらいいんでしょうか?私はあなたが召して下さったと思って牧師になろうと思いました。でも、客観的に見たら向いていないんです。兄貴のようにはできません。でも、止めてもいいんですか?止めた方がいいんですか?・・・」
しばらく祈っている中で、聖書の言葉が心に響いてきました。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」第2コリント12章9節の言葉です。
「ああ、神様の力だ、イエスの力だ、その力が私の『向いていない』ところに完全にあらわれるのだ。だったらいいじゃないか、だったら、神様の力を見せて頂こう。完全な力を見せて頂こう」そう思いました。迷いは完全に吹っ切れました。人の言葉も怖くなくなりました。ホントは人の言葉ではなくて、自分の劣等感だったのだと思います。でも、それでもいい、自分の弱さは自分が一番知っている。その弱さに神様の力を表して頂こう、と思いました。
そして、今、はっきりと申上げられることは、この聖書の言葉は、単に劣等感に捕らえられている人を励ますための言葉ではなく、事実なのだ、ということです。ほんとうに主は私の弱いところにご自分の力を表して下さってきた、ということです。私の弱い、不十分なところ、よくわかっていないところ、未熟なところにその力を表し続けて下さったのだということを思います。そして、これからも、この方は私を用いて下さるのだ、ということを信頼して言うことができます。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙に進んでその第1章です。
「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」15節の言葉が心に留りました。
「聖なる者」
何か仙人のようになってしまうような感じがします。
世離れしてしまうような気がします。
それは誤解だろうという気持ちもあります。
でも、誤解ではなくてもいいのかもしれません。
「聖なる者」となりたいと単純に思いました。
聖書に書いてあるんだから。
「聖書にはそう書いてあるけど・・・」という生き方もあります。
でも、私は「聖書にはそう書いてあるから・・・」と生きたいと思いました。
そのように書いてあるんだから、神様に「聖なる者」とされたい、と思いました。
「聖」とは「他のものと区別された、特別な」という意味があると言われます。
神様に焦点を合わせた、
神様のみこころに焦点を合わせた、
神様の言葉に焦点を合わせた歩みをしたいと思います。
昨日の佐藤彰先生の言葉のように、
その背後に神様が見えてくるような、そのような者となりたいと思います。
神様がこの人と共におられる、ということがクリスチャン以外の方にも見えるような、
土の器である私の中にあるキリストという宝が輝き出るような者でありたいと思います。
主よ、
私をきよくしてください。
私を聖なる者として下さい。
あなたのことを指し示す、
あなたのすばらしさを表す者とならせてください。
2007-02-14
祈りの力
今日は朝早く起きたらsleetが降っていました。-7.7度C。
そして最高気温は-2.2度。一日中氷点下。
予定されていたメトロポリタン美術館の宗教画ツアーも中止になって、
朝9時頃、NYに車で行きました。道は結構シャーベット状で時速30マイル=50kmくらいで走っていました。NYに入ったらきれいになるだろうと思ったら、どうしてどうして、歩道も車道もぐしゃぐしゃ。こんな日はいくらNYでもスノーブーツですね。失敗しました。スニーカーで出かけた自分。日本の「つま先用ホッカイロ」が役に立った一日でした。
1時過ぎからは外は吹雪模様。NYにいると降っているのか、ビルの上から風で飛ばされているのか分りませんが、とにかく横殴りの雪が降っていました。
夕方からいろんな方にお会いして、帰ったら10時半。
帰りはすいすいでした。
雪の中の運転、ひどいのは嫌ですけど、ちょっとシャーベットくらいは緊張感があっていい感じです。
今は夜の11時半で、気温は-9.1度。今夜も鬼のように寒い夜です。
「証し」の第11章。
それから2年。大学の4年生になっていました。
お茶の水の学生キリスト教会館、現在のお茶の水キリスト教センター、略してOCCの2階男子トイレの中。一緒に奉仕していた仲間と連れだって用を足していたところにやってきたのが、KGKの主事。KGKは「キリスト者学生会」の略。KGKの主事の方の中には若い方も多いのですが、この方はすでにこのころ、かなり貫禄がありました。
「かきごおり君、牧師になるんだって、やめたほうがいいよ、向いてないよ。○○君、きみなんかどうかなあ。君、牧師になったらいいよ!」
自分が向いていないことなんて人に言われるまでもありませんでした。自分が一番よく知っていました。でも、ここまではっきり言われたことはずっと押さえていたことを表面に引っ張り出すのに十分な効果を持っていました。
さかのぼること4年半。高校2年生のかきごおり少年は理系に進むか文系に進むか迷っていました。将来どんな仕事をしたいか、と考えたときに、一つ当たり前のように出てきたのは、「天気予報のおじさん」。これは私にとっては非常に自然なことでした。今でこそ、「お姉さん」が多いのですが、そのころの天気予報は大体おじさんでした。それも真面目そうな地味系のおじさんでした。その天気予報のおじさんになりたかったのです。そうすると、ぜったい理系ですよね。気象大学校には入りたいと思っていました。もう一つは、「牧師」。これは親の姿を見て、そのような思いを持ちました。また兄が「牧師になるんだ」とよく言っていましたから、「お兄ちゃんがなるなら、ボクもなる」的な気持ちもありました。でも、もちろん、高校生くらいになると、そんな気持ちでは動けないことなんてさすがに分ってきます。悩みました、祈りました。
そして、高校3年生の履修科目を決めなければいけないその直前に、一つの言葉が、心に響いてきました。それは私が、「もしも伝道者になるなら、この言葉によってだけはいやだなあ」と思っていた言葉です。もっと違う言葉を語って欲しかったです。でも、この言葉が心に与えられました。与えられたら、もうかっこいいとか悪いとか、そんなことはどうでも良くなります。
「収穫は多いが、働き人が少ない。」マタイ9:37の言葉です。
この言葉を心に語られて、自分は牧師になる決心をしました。
そして、少しでも役に立つかと思い、文系の大学、「社会学部」を受けることにしました。
実際はあんまり関係なかったかもしれませんが・・・。
そして、「神様が私を召して下さったんだ」との思いを胸に大学4年になっても、就活もせずにいました。
大学の仲間達は売り手市場のそのころ、4月から、どんどん銀行に、商社に内定が出ていました。
その様子を見ながら、このまま牧師になるための学校に進んでいいのだろうか、そんな迷いを持ちながら過ごしていた春。主事の言葉が心に突き刺さりました。
「だよね・・・」
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙5章でした。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」16節の言葉です。
祈ろうと思いました。
祈りは聞かれる。
祈りは私を変える。
祈りは平安を与える。
祈りはひらめきを与える。
祈りは主からの語りかけに耳を澄まさせる。
いろんな出来事の中で、いろんな思いが駆けめぐる心。
でも、私には主がおられる。
祈るときに何が起こるか見せて頂こう。主の奇跡を見せて頂こう。
祈ろう。
今日読んだ、佐藤彰先生の著書から
「あなたが神様の前に出て静まり、祈りの時を持つなら、『ああ、この人の背後には神様を感じる。人生経験は私の三分の一しかなくても、この人は神様から立てられた人だ』ということにもなり得るのです。」(「教会形成の喜び」より)
主よ、祈ります。
どうか私を守り、
家族を守って下さい。
教会を守って下さい。
一人ひとりの心を守って下さい。
そして、何よりも御言葉によって支えられて、
御言葉によって砕かれて、主に従う者たちが起されますように。
そして最高気温は-2.2度。一日中氷点下。
予定されていたメトロポリタン美術館の宗教画ツアーも中止になって、
朝9時頃、NYに車で行きました。道は結構シャーベット状で時速30マイル=50kmくらいで走っていました。NYに入ったらきれいになるだろうと思ったら、どうしてどうして、歩道も車道もぐしゃぐしゃ。こんな日はいくらNYでもスノーブーツですね。失敗しました。スニーカーで出かけた自分。日本の「つま先用ホッカイロ」が役に立った一日でした。
1時過ぎからは外は吹雪模様。NYにいると降っているのか、ビルの上から風で飛ばされているのか分りませんが、とにかく横殴りの雪が降っていました。
夕方からいろんな方にお会いして、帰ったら10時半。
帰りはすいすいでした。
雪の中の運転、ひどいのは嫌ですけど、ちょっとシャーベットくらいは緊張感があっていい感じです。
今は夜の11時半で、気温は-9.1度。今夜も鬼のように寒い夜です。
「証し」の第11章。
それから2年。大学の4年生になっていました。
お茶の水の学生キリスト教会館、現在のお茶の水キリスト教センター、略してOCCの2階男子トイレの中。一緒に奉仕していた仲間と連れだって用を足していたところにやってきたのが、KGKの主事。KGKは「キリスト者学生会」の略。KGKの主事の方の中には若い方も多いのですが、この方はすでにこのころ、かなり貫禄がありました。
「かきごおり君、牧師になるんだって、やめたほうがいいよ、向いてないよ。○○君、きみなんかどうかなあ。君、牧師になったらいいよ!」
自分が向いていないことなんて人に言われるまでもありませんでした。自分が一番よく知っていました。でも、ここまではっきり言われたことはずっと押さえていたことを表面に引っ張り出すのに十分な効果を持っていました。
さかのぼること4年半。高校2年生のかきごおり少年は理系に進むか文系に進むか迷っていました。将来どんな仕事をしたいか、と考えたときに、一つ当たり前のように出てきたのは、「天気予報のおじさん」。これは私にとっては非常に自然なことでした。今でこそ、「お姉さん」が多いのですが、そのころの天気予報は大体おじさんでした。それも真面目そうな地味系のおじさんでした。その天気予報のおじさんになりたかったのです。そうすると、ぜったい理系ですよね。気象大学校には入りたいと思っていました。もう一つは、「牧師」。これは親の姿を見て、そのような思いを持ちました。また兄が「牧師になるんだ」とよく言っていましたから、「お兄ちゃんがなるなら、ボクもなる」的な気持ちもありました。でも、もちろん、高校生くらいになると、そんな気持ちでは動けないことなんてさすがに分ってきます。悩みました、祈りました。
そして、高校3年生の履修科目を決めなければいけないその直前に、一つの言葉が、心に響いてきました。それは私が、「もしも伝道者になるなら、この言葉によってだけはいやだなあ」と思っていた言葉です。もっと違う言葉を語って欲しかったです。でも、この言葉が心に与えられました。与えられたら、もうかっこいいとか悪いとか、そんなことはどうでも良くなります。
「収穫は多いが、働き人が少ない。」マタイ9:37の言葉です。
この言葉を心に語られて、自分は牧師になる決心をしました。
そして、少しでも役に立つかと思い、文系の大学、「社会学部」を受けることにしました。
実際はあんまり関係なかったかもしれませんが・・・。
そして、「神様が私を召して下さったんだ」との思いを胸に大学4年になっても、就活もせずにいました。
大学の仲間達は売り手市場のそのころ、4月から、どんどん銀行に、商社に内定が出ていました。
その様子を見ながら、このまま牧師になるための学校に進んでいいのだろうか、そんな迷いを持ちながら過ごしていた春。主事の言葉が心に突き刺さりました。
「だよね・・・」
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙5章でした。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」16節の言葉です。
祈ろうと思いました。
祈りは聞かれる。
祈りは私を変える。
祈りは平安を与える。
祈りはひらめきを与える。
祈りは主からの語りかけに耳を澄まさせる。
いろんな出来事の中で、いろんな思いが駆けめぐる心。
でも、私には主がおられる。
祈るときに何が起こるか見せて頂こう。主の奇跡を見せて頂こう。
祈ろう。
今日読んだ、佐藤彰先生の著書から
「あなたが神様の前に出て静まり、祈りの時を持つなら、『ああ、この人の背後には神様を感じる。人生経験は私の三分の一しかなくても、この人は神様から立てられた人だ』ということにもなり得るのです。」(「教会形成の喜び」より)
主よ、祈ります。
どうか私を守り、
家族を守って下さい。
教会を守って下さい。
一人ひとりの心を守って下さい。
そして、何よりも御言葉によって支えられて、
御言葉によって砕かれて、主に従う者たちが起されますように。
2007-02-13
神に従う
今日はまた再び氷点下Day。
最高は未明の-0.2度C。
明け方-5度くらいに冷え込んで、
昼間ちょと上がった後、
夕方からどんどん冷え込んできています。
今は夜の9時半ですが、雪で-7.5度C。
うっすら白くなっています。
この後、温度はもう少し下がった後、
上がっていくでしょう。
そして、明日の朝には雪からIce Stormに変わっているでしょう。
Ice StormはSleetとFreezing Rainがありますが、
Sleetは雨が降ってくる途中で凍った氷の粒。
Freezing Rainは途中で凍らなかった雨が、
地面についたとたんに凍り付くやつです。
これはスケートリンクになります。
木や電線に凍り付きます。
場合によっては気温が氷点下を脱するかもしれません。
そうしたら、今度は雨です。
そして、午後はまた雪に戻るという予報が出ています。
と思って外に出たら、もうすでに雪からSleetになっています。
「証し」の第10章です。
「君はほんとうに傲慢な人間だね」と言われて、
どういう意味か分りませんでした。
自分のような、自分の愚かさ、醜さ、偽善性に落ち込んでいる人間は
「傲慢」なんかじゃない、砕かれているんだ、
と思いました。
でも、そんな気持ちを知っておられたのかどうか分りませんが、
先生は続けました。
「君はまだ自分に期待しているのかね。君はもう、あのキリストの十字架に共につけられているんだよ」と。
その時に、私は初めて分りました。
自分が一生懸命がんばっても、
せいぜい偽善者止まり。
外側を繕うことくらいしかできないからこそ、
そんな人間だからこそ、
イエスは十字架にかからなければならなかった。
自分でがんばって立派な人間になれるなら、
イエスは十字架にかからなくてもよかった。
自分がそんな立派な人間ではないから、
イエスは自分を投げ出されたのだ。
そして、その時に、子供の頃から耳にたこができるくらい何度も何度も聞いていた、
「神の愛」「十字架の愛」が自分に注がれていることが頭ではなく心で分りました。
こんな偽善者にしかなれないような人間のために、
命を投げ出して下さった方がいる。
そこまでして下さった方がいた。
その事実に、ほんとうに愛されている喜びを感じました。
大げさではなくて、
今もその愛が自分を生かしている。自分を動かしている。
そう感じます。
それまでは、人がどう思うかが私を動かしていました。
人の期待に応えるのが自分にとって一番大切なことでした。
こう期待されているから、こうしたい、(逆に、したくない、と意固地になったこともありました)
そのように生きてきました。
でも、この時からは、「ありがたい」「私には何ができるだろうか」という思いが、
私を動かすようになりました。
ここから、「伝道」が楽しくなりました。
さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の4章でした。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」7節です。
単純な言葉ですが、
この言葉が私の心に留りました。
神に従う、
当たり前のことですが、
そのことにしっかり立っていきたいと思いました。
調整型の生き方をしてきたかもしれません。
あちらも立ててこちらも立てて・・・と。
でも、本気で神様を信頼して、
神様に従ってきただろうかと反省させられました。
本気で神様に従っていきたいと思います。
軋轢もあるかもしれない、
批判を受けることもあるかもしれない。
でも、主に信頼して、
主に従って歩んでいこうと思います。
主よ、
どうか私を導いて下さい。
私に語り続けてください。
そして、私が大胆にあなたに従っていくことができますように。
本気で従っていくことができますように。
勇気と愛を与えて下さい。
最高は未明の-0.2度C。
明け方-5度くらいに冷え込んで、
昼間ちょと上がった後、
夕方からどんどん冷え込んできています。
今は夜の9時半ですが、雪で-7.5度C。
うっすら白くなっています。
この後、温度はもう少し下がった後、
上がっていくでしょう。
そして、明日の朝には雪からIce Stormに変わっているでしょう。
Ice StormはSleetとFreezing Rainがありますが、
Sleetは雨が降ってくる途中で凍った氷の粒。
Freezing Rainは途中で凍らなかった雨が、
地面についたとたんに凍り付くやつです。
これはスケートリンクになります。
木や電線に凍り付きます。
場合によっては気温が氷点下を脱するかもしれません。
そうしたら、今度は雨です。
そして、午後はまた雪に戻るという予報が出ています。
と思って外に出たら、もうすでに雪からSleetになっています。
「証し」の第10章です。
「君はほんとうに傲慢な人間だね」と言われて、
どういう意味か分りませんでした。
自分のような、自分の愚かさ、醜さ、偽善性に落ち込んでいる人間は
「傲慢」なんかじゃない、砕かれているんだ、
と思いました。
でも、そんな気持ちを知っておられたのかどうか分りませんが、
先生は続けました。
「君はまだ自分に期待しているのかね。君はもう、あのキリストの十字架に共につけられているんだよ」と。
その時に、私は初めて分りました。
自分が一生懸命がんばっても、
せいぜい偽善者止まり。
外側を繕うことくらいしかできないからこそ、
そんな人間だからこそ、
イエスは十字架にかからなければならなかった。
自分でがんばって立派な人間になれるなら、
イエスは十字架にかからなくてもよかった。
自分がそんな立派な人間ではないから、
イエスは自分を投げ出されたのだ。
そして、その時に、子供の頃から耳にたこができるくらい何度も何度も聞いていた、
「神の愛」「十字架の愛」が自分に注がれていることが頭ではなく心で分りました。
こんな偽善者にしかなれないような人間のために、
命を投げ出して下さった方がいる。
そこまでして下さった方がいた。
その事実に、ほんとうに愛されている喜びを感じました。
大げさではなくて、
今もその愛が自分を生かしている。自分を動かしている。
そう感じます。
それまでは、人がどう思うかが私を動かしていました。
人の期待に応えるのが自分にとって一番大切なことでした。
こう期待されているから、こうしたい、(逆に、したくない、と意固地になったこともありました)
そのように生きてきました。
でも、この時からは、「ありがたい」「私には何ができるだろうか」という思いが、
私を動かすようになりました。
ここから、「伝道」が楽しくなりました。
さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の4章でした。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」7節です。
単純な言葉ですが、
この言葉が私の心に留りました。
神に従う、
当たり前のことですが、
そのことにしっかり立っていきたいと思いました。
調整型の生き方をしてきたかもしれません。
あちらも立ててこちらも立てて・・・と。
でも、本気で神様を信頼して、
神様に従ってきただろうかと反省させられました。
本気で神様に従っていきたいと思います。
軋轢もあるかもしれない、
批判を受けることもあるかもしれない。
でも、主に信頼して、
主に従って歩んでいこうと思います。
主よ、
どうか私を導いて下さい。
私に語り続けてください。
そして、私が大胆にあなたに従っていくことができますように。
本気で従っていくことができますように。
勇気と愛を与えて下さい。
2007-02-12
BかMか
今日は暖かくなりました。
朝は-6度でしたが、昼間は5度まで上がりました。
でも、今、北の方から冷たい空気が下がってきています。
今夜はまたかなり冷え込むでしょう。
そして、明日の夕方から雪です。
昨日の朝までのBlizzardの声に変わって、
Mixed Precipitationの声が広がっています。
暖かい空気が南や東から入ってきて、
雪がSleetやFreezing Rainに変わるということです。
もっと暖かくなると、「雨」なんですが、
NYCはそうかもしれませんが、ここら辺は微妙みたいです。
まだまだ分らない状況です。
「大したことはない」
「Ice Stormで電線がやられる」
「吹雪でwhiteout!」
いろんな可能性があります。
積雪量も3-5センチから15センチ以上までいろいろありますが、
さすがに30センチ以上を予想するところはないみたいです。
明日にはもうちょっとはっきりすると思うのですが・・・。
今日はまた遅くなったので、
聖書の言葉に行きます。
今日はヤコブの手紙の3章を読みました。
「いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。」12節の言葉です。
結局、表面的なことではなく、
中身なんですよね。
中身がきよめられていないと、
どんなに表面的にいいものを出そうと思っても、
それは出るわけがない。
だから、いつもいつも心の内側に気をつけなさい、ということ。
心の中にあるものが表面に出てくる、
外側に出てくる。
だから、いつもいつも神様の前に歩む、
神様と共に歩む、
心を主に支配して頂く、
それがどれほど大切かと思います。
表面的にかざってもしょうがない。
一時的にだまされる人がいても、
やがて、ばれていく。
「隠れているもので、明らかにされないものはない」
主よ、
心の内側に目を留めます。
きよめてください。
砕いてください。
満たして下さい。
あふれて下さい。
外側はついてくる。
それを単純に信じて、歩ませて下さい。
朝は-6度でしたが、昼間は5度まで上がりました。
でも、今、北の方から冷たい空気が下がってきています。
今夜はまたかなり冷え込むでしょう。
そして、明日の夕方から雪です。
昨日の朝までのBlizzardの声に変わって、
Mixed Precipitationの声が広がっています。
暖かい空気が南や東から入ってきて、
雪がSleetやFreezing Rainに変わるということです。
もっと暖かくなると、「雨」なんですが、
NYCはそうかもしれませんが、ここら辺は微妙みたいです。
まだまだ分らない状況です。
「大したことはない」
「Ice Stormで電線がやられる」
「吹雪でwhiteout!」
いろんな可能性があります。
積雪量も3-5センチから15センチ以上までいろいろありますが、
さすがに30センチ以上を予想するところはないみたいです。
明日にはもうちょっとはっきりすると思うのですが・・・。
今日はまた遅くなったので、
聖書の言葉に行きます。
今日はヤコブの手紙の3章を読みました。
「いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。」12節の言葉です。
結局、表面的なことではなく、
中身なんですよね。
中身がきよめられていないと、
どんなに表面的にいいものを出そうと思っても、
それは出るわけがない。
だから、いつもいつも心の内側に気をつけなさい、ということ。
心の中にあるものが表面に出てくる、
外側に出てくる。
だから、いつもいつも神様の前に歩む、
神様と共に歩む、
心を主に支配して頂く、
それがどれほど大切かと思います。
表面的にかざってもしょうがない。
一時的にだまされる人がいても、
やがて、ばれていく。
「隠れているもので、明らかにされないものはない」
主よ、
心の内側に目を留めます。
きよめてください。
砕いてください。
満たして下さい。
あふれて下さい。
外側はついてくる。
それを単純に信じて、歩ませて下さい。
2007-02-11
行いと共に働く信仰
今日も2日連続でプラスになりました。
朝は-8度くらいまで下がりましたが(ちゃんと記録していない)、
最高気温は1.9度まで上がりました。
今も夜の9時半ですが、まだ-3.3度です。
明日までは比較的穏やかな天気でしょう。
問題は火曜日の午後から水曜日です。
南にそれるという可能性はほとんどなくなってしまったようです。
水曜日の降水確率は100パーセントをつけるところも出てきてしまいました。
問題は、低気圧が昨日の予想よりも内陸を通るという可能性が出てきて、
雪が雨に変わるかもしれないと言うこことです。
変わらなければ、30センチから60センチくらいの大雪、
プラス強風のBlizzardになる可能性もあります。
48時間後の予報ですから、だんだん確率が上がってきます。
1996年1月のBlizzardの時にも、
あれは日曜日の昼頃から降り始めて、月曜日の昼まで24時間降り続いたのですが、
降り始める36時間前までは、「南にそれる」と言っていたのが、
24時間前には「こちらに来るでしょう」
6時間前には「この雪はインチではなくてフィートで測る雪です」と予報を変えてきました。
その日の朝のスーパーマーケットの買い物する人たちの目の色が違ったのを驚いて見ていたのを、
思い出します。
水曜日はメトロポリタン美術館の宗教画ツアーの予定があるので、
大雪はゴメンしたんですが・・・。
accuweather.comのHenryさんのブログを読むと、
「すごいのがくるぞー」と大騒ぎをしています。
さて、どうなることでしょうか?
今日は日曜日でした。
ちょっとお休みだった方もいつもより多かったのかなあ、と思います。
でも、今日の良かったのは、礼拝の後、
時間があったこと、あまり「ミーティング」「ミーティング」に忙殺されないで、
ゆっくりいろんな方とお話ができたこと。
私にとって、ほんとうに大切なことだと思います。
今、教会は自分たちの会堂を持つために動き始めています。
夕方には売りに出ているユダヤ教の会堂を見に行きました。
いいですねえ。
それなりの金額はしますが・・・。
神様が私たちをどこに導こうとされているのかまだ分りませんが、
楽しみです。
でも、それ以上に楽しみなのは、
神様がこのことを通して、どのように私たちを取り扱おうとされているかです。
私たちを御言葉によって取り扱い、整えて下さるかです。
それをもっともっと祈って、もっともっと神様のすばらしさを語り合って、
すばらしい御業を見せて頂きたいと思います。
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の2章を読みました。
心に留った言葉は、
「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ・・・」という22節の言葉です。
信仰は行いが伴わないと、意味がない。
ほんとうにそう思います。
「信じている」と言うことは簡単です。
でも、それは行動にならないものでは、「信じている」ということにはならないのです。
信じているなら、そのように行動するはずです。
信じているなら、そのような言葉が出てくるはずです。
言葉だけの人間にならないでいたいと思います。
信じているなら、主を信頼しているなら、
聖書の御言葉を信頼しているなら、
そこに自分の人生をかけていく者でありたいと思います。
生活自体が神様の支配の元で守られていくようにと願います。
主よ、
どうか、私の信仰が、
あなたに対する信頼が、
私の人生を、生活を支配するように、
守って下さい。
生きた、ホンモノの信仰に生かしてください。
教会の中にもそれがあふれますように。
朝は-8度くらいまで下がりましたが(ちゃんと記録していない)、
最高気温は1.9度まで上がりました。
今も夜の9時半ですが、まだ-3.3度です。
明日までは比較的穏やかな天気でしょう。
問題は火曜日の午後から水曜日です。
南にそれるという可能性はほとんどなくなってしまったようです。
水曜日の降水確率は100パーセントをつけるところも出てきてしまいました。
問題は、低気圧が昨日の予想よりも内陸を通るという可能性が出てきて、
雪が雨に変わるかもしれないと言うこことです。
変わらなければ、30センチから60センチくらいの大雪、
プラス強風のBlizzardになる可能性もあります。
48時間後の予報ですから、だんだん確率が上がってきます。
1996年1月のBlizzardの時にも、
あれは日曜日の昼頃から降り始めて、月曜日の昼まで24時間降り続いたのですが、
降り始める36時間前までは、「南にそれる」と言っていたのが、
24時間前には「こちらに来るでしょう」
6時間前には「この雪はインチではなくてフィートで測る雪です」と予報を変えてきました。
その日の朝のスーパーマーケットの買い物する人たちの目の色が違ったのを驚いて見ていたのを、
思い出します。
水曜日はメトロポリタン美術館の宗教画ツアーの予定があるので、
大雪はゴメンしたんですが・・・。
accuweather.comのHenryさんのブログを読むと、
「すごいのがくるぞー」と大騒ぎをしています。
さて、どうなることでしょうか?
今日は日曜日でした。
ちょっとお休みだった方もいつもより多かったのかなあ、と思います。
でも、今日の良かったのは、礼拝の後、
時間があったこと、あまり「ミーティング」「ミーティング」に忙殺されないで、
ゆっくりいろんな方とお話ができたこと。
私にとって、ほんとうに大切なことだと思います。
今、教会は自分たちの会堂を持つために動き始めています。
夕方には売りに出ているユダヤ教の会堂を見に行きました。
いいですねえ。
それなりの金額はしますが・・・。
神様が私たちをどこに導こうとされているのかまだ分りませんが、
楽しみです。
でも、それ以上に楽しみなのは、
神様がこのことを通して、どのように私たちを取り扱おうとされているかです。
私たちを御言葉によって取り扱い、整えて下さるかです。
それをもっともっと祈って、もっともっと神様のすばらしさを語り合って、
すばらしい御業を見せて頂きたいと思います。
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の2章を読みました。
心に留った言葉は、
「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ・・・」という22節の言葉です。
信仰は行いが伴わないと、意味がない。
ほんとうにそう思います。
「信じている」と言うことは簡単です。
でも、それは行動にならないものでは、「信じている」ということにはならないのです。
信じているなら、そのように行動するはずです。
信じているなら、そのような言葉が出てくるはずです。
言葉だけの人間にならないでいたいと思います。
信じているなら、主を信頼しているなら、
聖書の御言葉を信頼しているなら、
そこに自分の人生をかけていく者でありたいと思います。
生活自体が神様の支配の元で守られていくようにと願います。
主よ、
どうか、私の信仰が、
あなたに対する信頼が、
私の人生を、生活を支配するように、
守って下さい。
生きた、ホンモノの信仰に生かしてください。
教会の中にもそれがあふれますように。
2007-02-10
試練をこの上もない喜びとする
今日2回目の更新です。
とうとう氷点下Daysを脱出しました!
今日の最高気温は何と1.8度まで上がったのです。
でも、今午後6時過ぎですでに-3度まで下がっています。
今夜もまた厳しく冷え込みそうです。
そして、来週のstormですが、
今日の午後になってBlizzardの言葉が踊り始めました。
南にそれるのではなくて、
北に上がってくる確率の方が上がってきたからです。
いろんな天気予報のコンピューターモデルが
そろって、ニュージャージー沖で低気圧が急速に発達する予想を出してきたのです。
日本でも「爆弾低気圧」という呼び方をするようになってきていますが、
こちらでも、the storm system is exploding(低気圧が爆発する)という言い方をします。
まさにそれの可能性があります。13日から14日にかけて・・・。
両日とも教会のプログラムが入っているので、
何とか外れて欲しいのですが・・・。
さて、「証し」の第9章。
自分が偽善者だと気がついたとき、
ほんとうに落ち込みました。
自分をののしり、「おまえは偽善者だ!」と日記に書き殴りました。
子供の時から聖書を読んでいる中で、
こういうタイプの人間にはなりたくないと思っている種類の人々がいました。
それは「律法学者」であり、「パリサイ人」でした。
規則を細かく守りながら、
でも心の中は醜いものでいっぱい、
傲慢で、人を見下げている人々。
イエスも「おまえ達は白く塗った墓だ」と彼らを厳しく非難しました。
「ほんとうに嫌な連中だ!」と私は聖書を読むたびに思っていました。
でも、気がついたら自分がその偽善者になっていた。
すべてがバカらしくなりました。
聖書を読むことも、
お祈りをすることも、
奉仕をすること、
教会に行くこと、
伝道をすること
すべてがバカらしくなりました。
子供の頃から一生懸命やってきて、
それで自分が一番なりたくないような種類の人間になっていたわけですから。
そして、最後は生きていることさえもバカらしくなりました。
この後どうして生きていったらいいか?
「人間なんてみんな偽善者だ」と割り切って生きていくか、
このまま偽善を通して生きるか?
いろんな人に相談しました。
あまり相手にして頂けませんでした。
「若いっていいね」「そんなこと気にしていてはダメだよ」「君は立派だよ」
最後の期待を持って、
あの大島のキャンプ場で、自分の父親くらいの先生に話しました。
先生は私の話をしっかり聞いてくださいました。
そして、言われました。「君はほんとうに傲慢な人間だね」
さて、今日の聖書。
今日は続いてヤコブの手紙に入りました。
ヤコブの手紙の1章。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」2-4節
何といっても、最初の「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉があまりにも衝撃的です。試練の中で「これはすごい喜びだ」と思うなんて、そりゃないよ、と思いますが、でも、その後の続く言葉はまた魅力的な言葉です。そこで忍耐が生じる。そして成長させられるのだというのです。
信仰が試されるとき。
それは神様が私たちを試されるこの上もないチャンスなのです。
ものすごく大きなチャンスなのです。
そこで、「忍耐」ということが大切だと言います。
忍耐。できるだろうかと思います。
逃げ出したくなる方です。投げ出したくなる方です。
ほんとうに主のなさることを信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
守って下さい。
忍耐を経験させて下さって、
そこで与えられる訓練、「整えられる」ということを経験させて下さいますように。
次に私に大きな試練がやってくるときに、
またこの言葉を思い出させて下さい。
とうとう氷点下Daysを脱出しました!
今日の最高気温は何と1.8度まで上がったのです。
でも、今午後6時過ぎですでに-3度まで下がっています。
今夜もまた厳しく冷え込みそうです。
そして、来週のstormですが、
今日の午後になってBlizzardの言葉が踊り始めました。
南にそれるのではなくて、
北に上がってくる確率の方が上がってきたからです。
いろんな天気予報のコンピューターモデルが
そろって、ニュージャージー沖で低気圧が急速に発達する予想を出してきたのです。
日本でも「爆弾低気圧」という呼び方をするようになってきていますが、
こちらでも、the storm system is exploding(低気圧が爆発する)という言い方をします。
まさにそれの可能性があります。13日から14日にかけて・・・。
両日とも教会のプログラムが入っているので、
何とか外れて欲しいのですが・・・。
さて、「証し」の第9章。
自分が偽善者だと気がついたとき、
ほんとうに落ち込みました。
自分をののしり、「おまえは偽善者だ!」と日記に書き殴りました。
子供の時から聖書を読んでいる中で、
こういうタイプの人間にはなりたくないと思っている種類の人々がいました。
それは「律法学者」であり、「パリサイ人」でした。
規則を細かく守りながら、
でも心の中は醜いものでいっぱい、
傲慢で、人を見下げている人々。
イエスも「おまえ達は白く塗った墓だ」と彼らを厳しく非難しました。
「ほんとうに嫌な連中だ!」と私は聖書を読むたびに思っていました。
でも、気がついたら自分がその偽善者になっていた。
すべてがバカらしくなりました。
聖書を読むことも、
お祈りをすることも、
奉仕をすること、
教会に行くこと、
伝道をすること
すべてがバカらしくなりました。
子供の頃から一生懸命やってきて、
それで自分が一番なりたくないような種類の人間になっていたわけですから。
そして、最後は生きていることさえもバカらしくなりました。
この後どうして生きていったらいいか?
「人間なんてみんな偽善者だ」と割り切って生きていくか、
このまま偽善を通して生きるか?
いろんな人に相談しました。
あまり相手にして頂けませんでした。
「若いっていいね」「そんなこと気にしていてはダメだよ」「君は立派だよ」
最後の期待を持って、
あの大島のキャンプ場で、自分の父親くらいの先生に話しました。
先生は私の話をしっかり聞いてくださいました。
そして、言われました。「君はほんとうに傲慢な人間だね」
さて、今日の聖書。
今日は続いてヤコブの手紙に入りました。
ヤコブの手紙の1章。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」2-4節
何といっても、最初の「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉があまりにも衝撃的です。試練の中で「これはすごい喜びだ」と思うなんて、そりゃないよ、と思いますが、でも、その後の続く言葉はまた魅力的な言葉です。そこで忍耐が生じる。そして成長させられるのだというのです。
信仰が試されるとき。
それは神様が私たちを試されるこの上もないチャンスなのです。
ものすごく大きなチャンスなのです。
そこで、「忍耐」ということが大切だと言います。
忍耐。できるだろうかと思います。
逃げ出したくなる方です。投げ出したくなる方です。
ほんとうに主のなさることを信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
守って下さい。
忍耐を経験させて下さって、
そこで与えられる訓練、「整えられる」ということを経験させて下さいますように。
次に私に大きな試練がやってくるときに、
またこの言葉を思い出させて下さい。
キリストのはずかしめを身に負う
昨日も氷点下Dayが続きました。
朝が-8.8度C。
最高気温が何と-0.1度C!
これで7日連続。
今朝の最低は-7度。
昼間はもしかしたらやっとプラスになるかもしれません。
そして、Stormの噂ですが、
うーん、南にそれるかも・・・。
13-14日にかけてちょっと降るくらいかなあ、という感じです。
こればっかりは月曜日くらいにならないとはっきり分りません。
少なくとも低気圧が東海岸に来ることは確かなんですが、
どこまで北に上がってくるのかが微妙です。
北からの高気圧に押さえ込まれて、
大雪はフィラデルフィア止まり、というのが、
今のところの予想です。
「証し」の第8章。
それで、20歳の時。
夏でした。
私は時々伊豆大島にあるホーリネス教団のキャンプ場に
ワーカーとして奉仕に行っていました。
この大島泉の家・・・何だか重い、このサイト。
私はここで育てられました。
船に乗っていかなければ行けないというところがまたいいんですよね。
一度行ったらもう終わるまで帰れないし、
他に周りに何もない、真っ暗なところ、
停電したときなんかなーんにも見えませんでした。
それから星がきれい、
海がきれい、
クワガタがたくさんいる・・・
まあいろいろあったのですが、
何よりも良かったのは、そこで持たれたキャンプが、毎回毎回良かった。
教会の規模は今のJCCNJと同じくらいなんですが、
中高生はうちの兄弟とちょこちょこ・・・。
で、このキャンプ場に来て、50人とか、100人とかの仲間の中に入って、
中高生向けのメッセージを聞いて、
共に歌って、共に祈って、
悔い改めに導かれたり、
友達のために祈ったり、
新しくされて帰ってきたものでした。
行き帰りの船の中では前の方に集まって、
みんなで賛美をしました。
そのキャンプ場で大学生になってからは
時々ワーカーをしていたわけです。
ワーカーをしているときには、
一生懸命陰の奉仕をします。
朝は5時半とか5時とかから朝ご飯の準備、
みんなが海に遊びに行っているときにはキャンプファイアーの準備とか、
夕食の準備とか、
汗だくになりながら、泥だらけになりながら、奉仕をしていました。
そんな陰の奉仕に気がついて、
声をかけて下さる方々もおられました。
「君のような人がいるからキャンプができるんだよ、ありがとう」
そして、キャンプが終わって家に帰ったとき、
自分が一人でいるときに、キャンプの裏方で奉仕をしていたときの自分と
まるで違う、心の中に醜いものがたくさん渦巻いている自分に気がついたのです。
その時、私は自分が「偽善者」だということに気がついてしまったのです・・・
さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の最後、13章を読みました。
心に留った言葉は、
「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」13節の言葉です。
イエスの足跡を踏む。
「そんなこと必要ないでしょう」
2000年前にもサタンはイエスに言った。
今日もサタンは私に言う。
「そんなこと必要ないでしょう」と。
「キリストのはずかしめ」
自分にとってなんだろうかと思います。
「宿営の外に出ること」
私にとって何を意味するのでしょうか?
それはある時には逃げたくなることでしょうし、
地味な働きで、誰にも気がつかれないことかもしれません。
いや、もしかしたらやはり「はずかしめ」ですから、
逆の意味で注目されるのかもしれません。
でも、主がそれを望まれることであれば、
勇気を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
イエスさまの十字架のあとをついて行かせて下さい。
イエスさまが歩まれたように歩ませて下さい。
勇気を与えて下さい。
道を示して下さい。
朝が-8.8度C。
最高気温が何と-0.1度C!
これで7日連続。
今朝の最低は-7度。
昼間はもしかしたらやっとプラスになるかもしれません。
そして、Stormの噂ですが、
うーん、南にそれるかも・・・。
13-14日にかけてちょっと降るくらいかなあ、という感じです。
こればっかりは月曜日くらいにならないとはっきり分りません。
少なくとも低気圧が東海岸に来ることは確かなんですが、
どこまで北に上がってくるのかが微妙です。
北からの高気圧に押さえ込まれて、
大雪はフィラデルフィア止まり、というのが、
今のところの予想です。
「証し」の第8章。
それで、20歳の時。
夏でした。
私は時々伊豆大島にあるホーリネス教団のキャンプ場に
ワーカーとして奉仕に行っていました。
この大島泉の家・・・何だか重い、このサイト。
私はここで育てられました。
船に乗っていかなければ行けないというところがまたいいんですよね。
一度行ったらもう終わるまで帰れないし、
他に周りに何もない、真っ暗なところ、
停電したときなんかなーんにも見えませんでした。
それから星がきれい、
海がきれい、
クワガタがたくさんいる・・・
まあいろいろあったのですが、
何よりも良かったのは、そこで持たれたキャンプが、毎回毎回良かった。
教会の規模は今のJCCNJと同じくらいなんですが、
中高生はうちの兄弟とちょこちょこ・・・。
で、このキャンプ場に来て、50人とか、100人とかの仲間の中に入って、
中高生向けのメッセージを聞いて、
共に歌って、共に祈って、
悔い改めに導かれたり、
友達のために祈ったり、
新しくされて帰ってきたものでした。
行き帰りの船の中では前の方に集まって、
みんなで賛美をしました。
そのキャンプ場で大学生になってからは
時々ワーカーをしていたわけです。
ワーカーをしているときには、
一生懸命陰の奉仕をします。
朝は5時半とか5時とかから朝ご飯の準備、
みんなが海に遊びに行っているときにはキャンプファイアーの準備とか、
夕食の準備とか、
汗だくになりながら、泥だらけになりながら、奉仕をしていました。
そんな陰の奉仕に気がついて、
声をかけて下さる方々もおられました。
「君のような人がいるからキャンプができるんだよ、ありがとう」
そして、キャンプが終わって家に帰ったとき、
自分が一人でいるときに、キャンプの裏方で奉仕をしていたときの自分と
まるで違う、心の中に醜いものがたくさん渦巻いている自分に気がついたのです。
その時、私は自分が「偽善者」だということに気がついてしまったのです・・・
さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の最後、13章を読みました。
心に留った言葉は、
「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」13節の言葉です。
イエスの足跡を踏む。
「そんなこと必要ないでしょう」
2000年前にもサタンはイエスに言った。
今日もサタンは私に言う。
「そんなこと必要ないでしょう」と。
「キリストのはずかしめ」
自分にとってなんだろうかと思います。
「宿営の外に出ること」
私にとって何を意味するのでしょうか?
それはある時には逃げたくなることでしょうし、
地味な働きで、誰にも気がつかれないことかもしれません。
いや、もしかしたらやはり「はずかしめ」ですから、
逆の意味で注目されるのかもしれません。
でも、主がそれを望まれることであれば、
勇気を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
イエスさまの十字架のあとをついて行かせて下さい。
イエスさまが歩まれたように歩ませて下さい。
勇気を与えて下さい。
道を示して下さい。
2007-02-09
2007-02-08
ゆりうごかされないもの
氷点下Days 第6日。
今日も朝は-10.5度C。
昼間は-2度まで上がりましたが、それで終わり。
今は夜の10時半ですが-6.5度Cです。
明日の朝も-10度くらいでしょう。
明日はプラスになる可能性があることにはあります。
上がっても1度とかでしょうが・・・。
今週は一週間「寒い」+「晴れ」という天気予報をする人にとっては楽なような、退屈なような天気だったのですが、来週からはそうはいかないようです。何度か雪の可能性があります。
まず最初は13日。これは南にそれて、こっちに来ても、大雪にはならないようです。
その次が16日くらい。その次が19日くらいです。
去年の記録を見てみると、
ちょうど2月の12日に40センチくらいの大雪になっています。
あまり興奮しすぎないように注目していこうと思います。
今日は息子の16回目の誕生日。
年々頼もしくなってくる息子を見て、主に感謝します。
私たちは結婚と同時に「神様のいいと思われる一番早いタイミングで子供を与えて下さい」と祈り始めたのですが、「神様のいいと思われる一番早いタイミング」というのがかなり早かったようで、結婚2ヶ月足らずで妊娠が分かりました。そして、「切迫流産で絶対安静、トイレに行く以外は立ち歩かないように」というお医者さんの話でした。しかし、奉仕に追われ、使命感に燃えていた私は・・・妻に対する思いやりもなく・・・「そんなのできないよね」と聞き流していました。
それを知った教会のある方が厳しくまた愛をもって涙ながらに私を諭して下さいました。その命がどれくらい大切なものか、この時期安静にすることがどれほど大切なことなのか、安静にしていても無理な場合もある、でも、無理をして赤ちゃんがなくなってもしょうがない、というのはおかしいと、ご自分たちの経験を含めて語ってくださいました。そして、その後安定期にはいるまでの2、3ヶ月の間、近所の集会に集っておられる皆さんがおかずを一品ずつ持ち寄って、まとめて運んでくださいました。そんな愛と祈りの中で、この世に迎えられた息子はほんとうに幸せ者だと思います。
これからの息子の人生の中でも、神様が場所場所に良いアドバイスを下さる方々を与えて下さって、人間的に成長させて下さるようにと祈らされます。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙12章を読みました。
その中でいろんな言葉が心に留ったのですが、
最後の方の言葉、
『この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。』(27節)
これが心に深く届きました。
「揺り動かされるものが取り除かれる」
それは決して揺り動かされることがないものが残るため
といいます。
これは直接的には世の終わりのことを指しているのだと思います。
でも、それだけではなくて、私たちの人生の中で、
ほんとうに変わらないものをあきらかにするために、
変わるものが取り去られることがある、ということを語られたように思いました。
変わるものは取り去られてもいい、取り去られた方がいい、
それはほんとうに変わらない、たいせつなものが明らかにされるため。
私も決して変わらない、大切なものを第一に、そこをしっかり見据えながら歩んでいきたいと思いました。
主よ、
どうかほんとうに大切なもの、
ほんとうにかわらないものを見せてください。
そしてそこに焦点を当てて、歩んでいく者とならせてください。
そのために変わってしまうもの、揺り動かされるものが、取り除かれることをも
恐れない、強さを与えて下さい。
今日も朝は-10.5度C。
昼間は-2度まで上がりましたが、それで終わり。
今は夜の10時半ですが-6.5度Cです。
明日の朝も-10度くらいでしょう。
明日はプラスになる可能性があることにはあります。
上がっても1度とかでしょうが・・・。
今週は一週間「寒い」+「晴れ」という天気予報をする人にとっては楽なような、退屈なような天気だったのですが、来週からはそうはいかないようです。何度か雪の可能性があります。
まず最初は13日。これは南にそれて、こっちに来ても、大雪にはならないようです。
その次が16日くらい。その次が19日くらいです。
去年の記録を見てみると、
ちょうど2月の12日に40センチくらいの大雪になっています。
あまり興奮しすぎないように注目していこうと思います。
今日は息子の16回目の誕生日。
年々頼もしくなってくる息子を見て、主に感謝します。
私たちは結婚と同時に「神様のいいと思われる一番早いタイミングで子供を与えて下さい」と祈り始めたのですが、「神様のいいと思われる一番早いタイミング」というのがかなり早かったようで、結婚2ヶ月足らずで妊娠が分かりました。そして、「切迫流産で絶対安静、トイレに行く以外は立ち歩かないように」というお医者さんの話でした。しかし、奉仕に追われ、使命感に燃えていた私は・・・妻に対する思いやりもなく・・・「そんなのできないよね」と聞き流していました。
それを知った教会のある方が厳しくまた愛をもって涙ながらに私を諭して下さいました。その命がどれくらい大切なものか、この時期安静にすることがどれほど大切なことなのか、安静にしていても無理な場合もある、でも、無理をして赤ちゃんがなくなってもしょうがない、というのはおかしいと、ご自分たちの経験を含めて語ってくださいました。そして、その後安定期にはいるまでの2、3ヶ月の間、近所の集会に集っておられる皆さんがおかずを一品ずつ持ち寄って、まとめて運んでくださいました。そんな愛と祈りの中で、この世に迎えられた息子はほんとうに幸せ者だと思います。
これからの息子の人生の中でも、神様が場所場所に良いアドバイスを下さる方々を与えて下さって、人間的に成長させて下さるようにと祈らされます。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙12章を読みました。
その中でいろんな言葉が心に留ったのですが、
最後の方の言葉、
『この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。』(27節)
これが心に深く届きました。
「揺り動かされるものが取り除かれる」
それは決して揺り動かされることがないものが残るため
といいます。
これは直接的には世の終わりのことを指しているのだと思います。
でも、それだけではなくて、私たちの人生の中で、
ほんとうに変わらないものをあきらかにするために、
変わるものが取り去られることがある、ということを語られたように思いました。
変わるものは取り去られてもいい、取り去られた方がいい、
それはほんとうに変わらない、たいせつなものが明らかにされるため。
私も決して変わらない、大切なものを第一に、そこをしっかり見据えながら歩んでいきたいと思いました。
主よ、
どうかほんとうに大切なもの、
ほんとうにかわらないものを見せてください。
そしてそこに焦点を当てて、歩んでいく者とならせてください。
そのために変わってしまうもの、揺り動かされるものが、取り除かれることをも
恐れない、強さを与えて下さい。
2007-02-07
行き先を知らないで
氷点下Days 第5日目。
今朝は-10.6度C。
昼間には-3.5度Cまで上がりましたが、
もちろん氷点下脱出にはほど遠い温度。
今は夜の11時半で-8.2度です。
昨夜よりはずっとましですが、
やっぱり明日の朝は-10度以下なんでしょう。
明日も氷点下の一日となると思います。
今日は「証し」の続きを書こうと思っていたのですが、
昨日もいかにも「明日をお楽しみに・・・」という終わり方でしたしねえって教会の人たちはもう耳にたこができるくらい聞いておられるので、この後の展開も皆さんご存じなんですが・・・
ちょっとうれしいことがあったので、おあずけ。
夜にある方からお電話をいただいて、
主が心に触れて下さった、
語ってくださったことを分ち合ってくださいました。
平安が与えられたことを伝えてくださいました。
もちろん、ここに内容を書くようなことではないのですが、(そんなことしたら、誰も電話しなくなるって・・・)ほんとうに良かったなあ、と思いました。
その後、お風呂に入って・・・てあのアメリカの浅いバスタブなので、半身浴。でも、いつかいただいた入浴剤入れて、雑誌持ってゆっくり入っていました。神様に感謝しながら・・・。
そして、そこから上がろうとしたときに、
心に響いてきた言葉がありました。
「静まって、私こそ神であることを知れ」
詩篇の46篇の言葉です。
静まることの大切さ、祈ることの大切さ、主を信頼することの大切さを思わされました。
主は信頼に足る方です。
私たちが焦って八方手を尽くすよりも、
主の御業を待ち望みたいと思います。
それで、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙11章でした。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」18節の言葉です。
いやあ、どんなに不安だったことかと思います。
でも、またそれと共に、こんな大胆なことをするとは、
どれほど確信であふれていたかと思います。
そう、御言葉が語られるときに、
召しが与えられるときに、
それがどんなに突拍子もないことであっても、
それに従うのが平安なのです。
それに従わないのは、
どんなに人間的に見て、賢明なことであったとしても、
どんなに周りの人が肯定してくれても、
不安なのです。
主がそのように語ってくださったら、
そこに進んでいくことです。
行き先を知らなくても。
大体、私たちは自分の明日の命さえ分らない存在です。
ならば、誰も「行き先を知っている」という人はいないはずです。
主の御言葉を待ち望んでいきたいと思います。
主が語ってくださること、
主が私の心に、
一人ひとりの心に語ってくださることを
待ち望んで歩んでいきたいと思います。
主よ、
今日の一日に感謝します。
あなたが与えて下さった一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つのみことばに感謝します。
一人ひとりに語ってくださったことに感謝します。
どうか、あなたの語りかけを私に与えて下さい。
そして、一人ひとりに語ってください。
今朝は-10.6度C。
昼間には-3.5度Cまで上がりましたが、
もちろん氷点下脱出にはほど遠い温度。
今は夜の11時半で-8.2度です。
昨夜よりはずっとましですが、
やっぱり明日の朝は-10度以下なんでしょう。
明日も氷点下の一日となると思います。
今日は「証し」の続きを書こうと思っていたのですが、
昨日もいかにも「明日をお楽しみに・・・」という終わり方でしたしねえって教会の人たちはもう耳にたこができるくらい聞いておられるので、この後の展開も皆さんご存じなんですが・・・
ちょっとうれしいことがあったので、おあずけ。
夜にある方からお電話をいただいて、
主が心に触れて下さった、
語ってくださったことを分ち合ってくださいました。
平安が与えられたことを伝えてくださいました。
もちろん、ここに内容を書くようなことではないのですが、(そんなことしたら、誰も電話しなくなるって・・・)ほんとうに良かったなあ、と思いました。
その後、お風呂に入って・・・てあのアメリカの浅いバスタブなので、半身浴。でも、いつかいただいた入浴剤入れて、雑誌持ってゆっくり入っていました。神様に感謝しながら・・・。
そして、そこから上がろうとしたときに、
心に響いてきた言葉がありました。
「静まって、私こそ神であることを知れ」
詩篇の46篇の言葉です。
静まることの大切さ、祈ることの大切さ、主を信頼することの大切さを思わされました。
主は信頼に足る方です。
私たちが焦って八方手を尽くすよりも、
主の御業を待ち望みたいと思います。
それで、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙11章でした。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」18節の言葉です。
いやあ、どんなに不安だったことかと思います。
でも、またそれと共に、こんな大胆なことをするとは、
どれほど確信であふれていたかと思います。
そう、御言葉が語られるときに、
召しが与えられるときに、
それがどんなに突拍子もないことであっても、
それに従うのが平安なのです。
それに従わないのは、
どんなに人間的に見て、賢明なことであったとしても、
どんなに周りの人が肯定してくれても、
不安なのです。
主がそのように語ってくださったら、
そこに進んでいくことです。
行き先を知らなくても。
大体、私たちは自分の明日の命さえ分らない存在です。
ならば、誰も「行き先を知っている」という人はいないはずです。
主の御言葉を待ち望んでいきたいと思います。
主が語ってくださること、
主が私の心に、
一人ひとりの心に語ってくださることを
待ち望んで歩んでいきたいと思います。
主よ、
今日の一日に感謝します。
あなたが与えて下さった一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つのみことばに感謝します。
一人ひとりに語ってくださったことに感謝します。
どうか、あなたの語りかけを私に与えて下さい。
そして、一人ひとりに語ってください。
2007-02-06
大胆に!
今日2回目の更新。
先ほど教会に行く用事があって、
出かけていました。
寒い!
言いたくはないですが、寒いです。
今、夜の9時過ぎで-9.3度。
今夜はどこまで下がるのでしょうか?
また-13度くらいでしょうか?
一発がーんと冷えて-15度とかよりも、
こうやって、毎晩毎晩-13度は結構きついですねえ。
氷点下DAYS4日目。
週末、氷点下脱出は微妙です。
もしかしたら、このまま氷点下記録を更新し続けて来週に突入することになるかもしれません。
久しぶりの「証し」第7章。
20歳になりました。
いろいろ悩みながらではありましたが、
まあ、真面目に神様を信じて生きていました。
そしていつの間にか、自分の信仰の姿勢に誇りを持つようになっていました。
それが「傲慢」になっていったのです。
聖書も(ほぼ)毎日読んでいました。
お祈りもしていました。
教会も休みませんでした。
友達も誘いました。
献金も思いっきりささげていました。
そんな自分のクリスチャンとしての歩みが自慢でした。
そして、そうできない友人を見下げていました。
高校時代は桶に入っていた、ん?オケに入っていたのですが、
合宿とかが日曜日に重なると悩んでいましたねえ。
オケと合唱で合わせて音楽部(オペラとかやっていましたからねえ)だったのですが、
一回は合宿に行って、日曜日にその場で、人を集めて「日曜礼拝」までやっていましたねえ。
結構集まりましたよ。60人くらいのうち、20人か30人か・・・。
また大学受験の時は
意地でも日曜日にある模擬試験は受けませんでした。
今考えるとなんて嫌なヤツなんだろうと思うのですが、
日曜日に模擬試験に行っていた教会の友人には、
「そこまでして大学行きたいか?」とか毒づいていました。
20歳になった夏、そんな自分の傲慢な気持ちが打ち砕かれるときがやってきました。
私にとっての大きなターニングポイントです。
続きは8章で・・・。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙の10章を読みました。
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」19節。
今日はこの言葉がとてもうれしかったです。
私たちは恐れることなく、遠慮することもなく、
大胆に神様の懐に飛び込んでいいと。
最近、「罪を忘れない」という気持ちが強すぎたのかもしれません。
神様に申し訳ない、という気持ちになってきていました。
でも、主は私を赦し、私の罪を忘れてくださっている。
だから、大胆に飛び込んでいい。
大胆に主の恵みの中で安らいでいい。
主に信頼していい。
そのように思わされて、何かとてもうれしくなってきました。
主よ、
感謝します。
あなたの懐に大胆に飛び込んでいけることに心から感謝します。
安心して、喜んで飛び込ませて頂きます。
どうか私の歩みを支え、導き、喜びで満たして下さい。
私の心を守って下さい。
先ほど教会に行く用事があって、
出かけていました。
寒い!
言いたくはないですが、寒いです。
今、夜の9時過ぎで-9.3度。
今夜はどこまで下がるのでしょうか?
また-13度くらいでしょうか?
一発がーんと冷えて-15度とかよりも、
こうやって、毎晩毎晩-13度は結構きついですねえ。
氷点下DAYS4日目。
週末、氷点下脱出は微妙です。
もしかしたら、このまま氷点下記録を更新し続けて来週に突入することになるかもしれません。
久しぶりの「証し」第7章。
20歳になりました。
いろいろ悩みながらではありましたが、
まあ、真面目に神様を信じて生きていました。
そしていつの間にか、自分の信仰の姿勢に誇りを持つようになっていました。
それが「傲慢」になっていったのです。
聖書も(ほぼ)毎日読んでいました。
お祈りもしていました。
教会も休みませんでした。
友達も誘いました。
献金も思いっきりささげていました。
そんな自分のクリスチャンとしての歩みが自慢でした。
そして、そうできない友人を見下げていました。
高校時代は桶に入っていた、ん?オケに入っていたのですが、
合宿とかが日曜日に重なると悩んでいましたねえ。
オケと合唱で合わせて音楽部(オペラとかやっていましたからねえ)だったのですが、
一回は合宿に行って、日曜日にその場で、人を集めて「日曜礼拝」までやっていましたねえ。
結構集まりましたよ。60人くらいのうち、20人か30人か・・・。
また大学受験の時は
意地でも日曜日にある模擬試験は受けませんでした。
今考えるとなんて嫌なヤツなんだろうと思うのですが、
日曜日に模擬試験に行っていた教会の友人には、
「そこまでして大学行きたいか?」とか毒づいていました。
20歳になった夏、そんな自分の傲慢な気持ちが打ち砕かれるときがやってきました。
私にとっての大きなターニングポイントです。
続きは8章で・・・。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙の10章を読みました。
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」19節。
今日はこの言葉がとてもうれしかったです。
私たちは恐れることなく、遠慮することもなく、
大胆に神様の懐に飛び込んでいいと。
最近、「罪を忘れない」という気持ちが強すぎたのかもしれません。
神様に申し訳ない、という気持ちになってきていました。
でも、主は私を赦し、私の罪を忘れてくださっている。
だから、大胆に飛び込んでいい。
大胆に主の恵みの中で安らいでいい。
主に信頼していい。
そのように思わされて、何かとてもうれしくなってきました。
主よ、
感謝します。
あなたの懐に大胆に飛び込んでいけることに心から感謝します。
安心して、喜んで飛び込ませて頂きます。
どうか私の歩みを支え、導き、喜びで満たして下さい。
私の心を守って下さい。
心をきよめるイエス
さぶいですねえ。
今朝も-12.5度。
昼間は「今日は暖かくなりましたねえ」という挨拶が交わされるような温度までは上がりましたが、実は-3.5度C。風が穏やかになってきたので、暖かく感じるのでしょう。
でも、我が家のガレージは「冷蔵庫」から「冷凍庫」になってきたみたいで、野菜が軒並み凍結。
今日は2回のアップデートで、「一日一章」も追いつこうと思って、早い時間に更新中。
昨日の夕方から、なぜかコンピューターが立ち上がらない。
焦りますねえ。いかにコンピューターに頼った生活をしているかということですが、
ホント、ろくにデータのバックアップもとっていないし、
やばいなあ、と思っていろいろ格闘。
電源を入れるとBIOSまでは行くのですが、
その後、左上にカーソルが点滅したまま、何も起らない。
しかし、その後、なぜか、F2KeyでBIOSに入ってexitすると立ち上がることを発見。
でも、そんな条件で検索をかけても、何の解決法もひっかかってこない。
とにかく何よりもデータを失うのはコワイ。
3年保証をつけて購入後まだ2年しか経っていないので、
「えい、もう修理に出すか、でもちゃんと『データ消さないでね』とちゃんと言わなきゃなあ」と思いつつ、メーカーのSupportページに行きました(その昔、アメリカで買ったコンピューターに日本語のシステムを入れていたら、修理に出したとき、部品交換と一緒にデータもなくなって帰ってきました)。そうしたら、Tech Supportとチャットをする、というメニューがあったので、「電話より気が楽だ」とチャットしましたよ。Manishaさんという方と。
「ちょっと待って」「ちょっと待って」といろんなことを調べてくださって、「Biosに入って、"USB Emulation"というのをDisableにする」ということを提案してくださった。早速やってみたら、無事一発解決!30分ほどのチャットで解決。
なかなかいいかも。電話だと受話器を耳につけたまま、20分とか待たされると大変だけどね。
さて、まずは月曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙9章でした。
「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」14節の言葉です。
イエスが十字架の上で流された血は、
私たちの心をきよめると。
教会ではまず「赦される」と聞きます。
「罪意識」から解放されるのでしょう。
そして、神様から見て「罪のない者」と見て頂けるのです。
でも、それだけで本当にいいのかと思います。
私たちはもっと神に喜ばれる、
人を生かす存在になりたいと思います。
人を傷つけながら(やはり私たちは誰をも傷つけないで、一度も人を傷つけないで生きていくことはできないのかもしれない、と思ったりもしますが・・・)、「私は赦されている」と感謝して生きていくことはできるのでしょうか?やはり、「きよめられたい」と思います。失敗をすることもあるでしょうが、ほんとうに心きよめられていきたいと思います。
主はそのことをしてくださる。
イエスの十字架で流された血にはその力がある。
神の恵みに対して、optimisticに生きていきたいと思います。
神様にはその力がある。
「人にはできないが神にはできる」という言葉を信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
わたしをきよめてください。
私の心を、きよめてください。
あなたにはそれができる、イエスの十字架の血にはその力がある、
というメッセージを感謝します。
どうか、私の心を探り、
あなたに対して、人々に対して純粋な者とならせてください。
今朝も-12.5度。
昼間は「今日は暖かくなりましたねえ」という挨拶が交わされるような温度までは上がりましたが、実は-3.5度C。風が穏やかになってきたので、暖かく感じるのでしょう。
でも、我が家のガレージは「冷蔵庫」から「冷凍庫」になってきたみたいで、野菜が軒並み凍結。
今日は2回のアップデートで、「一日一章」も追いつこうと思って、早い時間に更新中。
昨日の夕方から、なぜかコンピューターが立ち上がらない。
焦りますねえ。いかにコンピューターに頼った生活をしているかということですが、
ホント、ろくにデータのバックアップもとっていないし、
やばいなあ、と思っていろいろ格闘。
電源を入れるとBIOSまでは行くのですが、
その後、左上にカーソルが点滅したまま、何も起らない。
しかし、その後、なぜか、F2KeyでBIOSに入ってexitすると立ち上がることを発見。
でも、そんな条件で検索をかけても、何の解決法もひっかかってこない。
とにかく何よりもデータを失うのはコワイ。
3年保証をつけて購入後まだ2年しか経っていないので、
「えい、もう修理に出すか、でもちゃんと『データ消さないでね』とちゃんと言わなきゃなあ」と思いつつ、メーカーのSupportページに行きました(その昔、アメリカで買ったコンピューターに日本語のシステムを入れていたら、修理に出したとき、部品交換と一緒にデータもなくなって帰ってきました)。そうしたら、Tech Supportとチャットをする、というメニューがあったので、「電話より気が楽だ」とチャットしましたよ。Manishaさんという方と。
「ちょっと待って」「ちょっと待って」といろんなことを調べてくださって、「Biosに入って、"USB Emulation"というのをDisableにする」ということを提案してくださった。早速やってみたら、無事一発解決!30分ほどのチャットで解決。
なかなかいいかも。電話だと受話器を耳につけたまま、20分とか待たされると大変だけどね。
さて、まずは月曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙9章でした。
「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」14節の言葉です。イエスが十字架の上で流された血は、
私たちの心をきよめると。
教会ではまず「赦される」と聞きます。
「罪意識」から解放されるのでしょう。
そして、神様から見て「罪のない者」と見て頂けるのです。
でも、それだけで本当にいいのかと思います。
私たちはもっと神に喜ばれる、
人を生かす存在になりたいと思います。
人を傷つけながら(やはり私たちは誰をも傷つけないで、一度も人を傷つけないで生きていくことはできないのかもしれない、と思ったりもしますが・・・)、「私は赦されている」と感謝して生きていくことはできるのでしょうか?やはり、「きよめられたい」と思います。失敗をすることもあるでしょうが、ほんとうに心きよめられていきたいと思います。
主はそのことをしてくださる。
イエスの十字架で流された血にはその力がある。
神の恵みに対して、optimisticに生きていきたいと思います。
神様にはその力がある。
「人にはできないが神にはできる」という言葉を信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
わたしをきよめてください。
私の心を、きよめてください。
あなたにはそれができる、イエスの十字架の血にはその力がある、
というメッセージを感謝します。
どうか、私の心を探り、
あなたに対して、人々に対して純粋な者とならせてください。
2007-02-05
あわれみ
さむいですねえ。
氷点下の日々の第3日目。
朝は予想よりも1度低い-14度C=7度F。
昼間は-7度C。
今は夜の11時半で-11度C。
いやあ、寒い。
シカゴとかミネアポリスとか、もっと寒いみたいですが、
NJとしては、かなり来ているのではないでしょうか?
そして今回は長い!
最初に氷点下を脱出する可能性があるのが、
金曜日の昼間。
それまでは、ずーっと氷点下です。
明日の朝はやはり今朝と同じくらいの-14度くらいでしょうか?
明日の早朝祈祷会、気合いが入りそうです。
今日はVIP-NYの集会でお話をしてきました。
人数は多くはなかったのですが、
お一人一人との出会いに感謝しました。
で、昨日、日曜日の聖書。
ヘブル人への手紙の8章を読みました。
「わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さない」
12節の言葉が心に留りました。
これは旧約聖書のエレミヤ書の言葉の引用です。
私の罪を今日も忘れてくださる方がいる。
自分では忘れられない。
自分の心からは消え去りはしない。
でも、神様は忘れてくださる。
思い出さない、と言ってくださる。
感謝。
私も人の悪を思い出さない者になりたい。
すぐ忘れてしまう者になりたい。
「バカ」と言われたい。
「脳天気」と言われたい。
すぐに忘れてしまいたいと思う。
でも、傷ついている人のことが分る者になりたいと思う。
自分の傷は忘れてしまうのだけれども、
人の傷には敏感な者になりたいと思う。
主よ、
あなたが私の罪を忘れてくださる方であることを、
イエスさまによって完全に赦してくださる方であることを、
感謝します。
私も人の罪を忘れる者となることができますように。
でも、人の痛みに気づく者でありますように。
氷点下の日々の第3日目。
朝は予想よりも1度低い-14度C=7度F。
昼間は-7度C。
今は夜の11時半で-11度C。
いやあ、寒い。
シカゴとかミネアポリスとか、もっと寒いみたいですが、
NJとしては、かなり来ているのではないでしょうか?
そして今回は長い!
最初に氷点下を脱出する可能性があるのが、
金曜日の昼間。
それまでは、ずーっと氷点下です。
明日の朝はやはり今朝と同じくらいの-14度くらいでしょうか?
明日の早朝祈祷会、気合いが入りそうです。
今日はVIP-NYの集会でお話をしてきました。
人数は多くはなかったのですが、
お一人一人との出会いに感謝しました。
で、昨日、日曜日の聖書。
ヘブル人への手紙の8章を読みました。
「わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さない」
12節の言葉が心に留りました。
これは旧約聖書のエレミヤ書の言葉の引用です。
私の罪を今日も忘れてくださる方がいる。
自分では忘れられない。
自分の心からは消え去りはしない。
でも、神様は忘れてくださる。
思い出さない、と言ってくださる。
感謝。
私も人の悪を思い出さない者になりたい。
すぐ忘れてしまう者になりたい。
「バカ」と言われたい。
「脳天気」と言われたい。
すぐに忘れてしまいたいと思う。
でも、傷ついている人のことが分る者になりたいと思う。
自分の傷は忘れてしまうのだけれども、
人の傷には敏感な者になりたいと思う。
主よ、
あなたが私の罪を忘れてくださる方であることを、
イエスさまによって完全に赦してくださる方であることを、
感謝します。
私も人の罪を忘れる者となることができますように。
でも、人の痛みに気づく者でありますように。
2007-02-04
イエスのとりなし
今日は礼拝の日。
主を賛美すること、喜びとすること、力です。
多くの方々と共に礼拝が守れることは喜びです。
年末から1月にかけて、
毎週礼拝に来られる方々大人4人、子供3人が日本に帰られました。
週平均で大人4人減るのは大きいですよね。
「送り出す教会」ではありますが、
やはり痛みがないわけではありません。
まだまだ残っている教会の空間が早く埋まるようにと願います。
礼拝後は、
教会の今後について、
牧師としてのビジョンや思いを分ち合うときが与えられました。
とても、緊張して一週間を過ごしましたが、
終わってホッとしています。
また伝わった手応えも感じています。
・・・ここを読んでおられる教会の方々で「え?」と感じられる方がおられたら、
また教えて下さいね・・・もしも、私が勘違いしているとするとまずいから・・・。
『するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。』(マタイ14:28-29)
そして、土曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の7章。
心に留ったのは
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」25節の言葉です。
イエスさまは今もとりなして下さっている。
私のことをとりなして下さっている。
何度も失敗をして、
何度も自己嫌悪におちいる私をも主はとりなして下さっている。
今も。
ご自身の血潮をもって、
とりなして下さっている。
この方がおられなかったら、
自分は今生きていないかもしれないと思う。
そう「証し」の続きの中で書きたいと思うけれども、
イエスの十字架がなかったら、
今の自分はいなかった。
今もとりなして下さっていることに感謝。
今も見捨てないで覚えていて下さることに感謝。
主イエスよ、感謝します。
私のためにあなたが今もとりなして下さっていることに感謝しています。
どうかこれからもあなたの恵みの中に歩むことができますように。
教会を守り、祝福して下さい。
教会に集う一人ひとりを祝福して下さい。
主を賛美すること、喜びとすること、力です。
多くの方々と共に礼拝が守れることは喜びです。
年末から1月にかけて、
毎週礼拝に来られる方々大人4人、子供3人が日本に帰られました。
週平均で大人4人減るのは大きいですよね。
「送り出す教会」ではありますが、
やはり痛みがないわけではありません。
まだまだ残っている教会の空間が早く埋まるようにと願います。
礼拝後は、
教会の今後について、
牧師としてのビジョンや思いを分ち合うときが与えられました。
とても、緊張して一週間を過ごしましたが、
終わってホッとしています。
また伝わった手応えも感じています。
・・・ここを読んでおられる教会の方々で「え?」と感じられる方がおられたら、
また教えて下さいね・・・もしも、私が勘違いしているとするとまずいから・・・。
『するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。』(マタイ14:28-29)
そして、土曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の7章。
心に留ったのは
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」25節の言葉です。
イエスさまは今もとりなして下さっている。
私のことをとりなして下さっている。
何度も失敗をして、
何度も自己嫌悪におちいる私をも主はとりなして下さっている。
今も。
ご自身の血潮をもって、
とりなして下さっている。
この方がおられなかったら、
自分は今生きていないかもしれないと思う。
そう「証し」の続きの中で書きたいと思うけれども、
イエスの十字架がなかったら、
今の自分はいなかった。
今もとりなして下さっていることに感謝。
今も見捨てないで覚えていて下さることに感謝。
主イエスよ、感謝します。
私のためにあなたが今もとりなして下さっていることに感謝しています。
どうかこれからもあなたの恵みの中に歩むことができますように。
教会を守り、祝福して下さい。
教会に集う一人ひとりを祝福して下さい。
主への熱心
一日中氷点下の「真冬日」第2日目。
今朝は-9.4度まで下がり、
昼間も-4.1度止まりでした。
今は夜の8時半で-6.8度でした。
明日の朝の予想はズバリ-13度。
寒い一日でしょう。
雪はありません。
天気予報的には「楽勝」の天気が続くようです。
「寒い」+「晴れ」
さて、3日分たまってしまった聖書。
もちろん、その日には読んでいるのですが、
それがまた記憶が薄れてくるんですよねえ。
ヤコブの手紙の1章の言葉、身につまされます。
「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブ1:23
そして、実際に金曜日に読んだのは、
ヘブル人への手紙の6章でした。
「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。」10-11節
ユダヤ人クリスチャンの人々の愛、それを主はお忘れにならない。
その熱心さ、その情熱を主はお忘れにならない。
「熱心さ」はあまり肯定的に言われないときもある。
ペテロは熱心だったけれども、人間的な熱心さで、
「あなたにどこまでもついていきます」と言ったときには、
そのイエスに「あなたはわたしを3度知らないと言う」と言われて、
実際にそのような失敗をしてしまいました。
「熱心さ」にはそのようなイメージがあるので、
ネガティブな印象もあるのですが、
この所ではポジティブですね。
自分のがんばりの熱心さじゃなくて、
主の御手の中にある熱心さがあるのだと思います。
そんな情熱があるのだと思います。
そう、わがままな熱さではなくて、
主の導きに従った情熱。
それを味わわせて頂きたい、
そこに生かして頂きたいと思います。
主よ、
どうか、私を熱い者として下さい。
情熱を与えて下さい。
あなたの使命に従う、
わがままな、自己中心的な熱心さではなくて、
あなたの御手の中にある、
あなたの導きに従った熱心さを与えて下さい。
今朝は-9.4度まで下がり、
昼間も-4.1度止まりでした。
今は夜の8時半で-6.8度でした。
明日の朝の予想はズバリ-13度。
寒い一日でしょう。
雪はありません。
天気予報的には「楽勝」の天気が続くようです。
「寒い」+「晴れ」
さて、3日分たまってしまった聖書。
もちろん、その日には読んでいるのですが、
それがまた記憶が薄れてくるんですよねえ。
ヤコブの手紙の1章の言葉、身につまされます。
「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブ1:23
そして、実際に金曜日に読んだのは、
ヘブル人への手紙の6章でした。
「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。」10-11節
ユダヤ人クリスチャンの人々の愛、それを主はお忘れにならない。
その熱心さ、その情熱を主はお忘れにならない。
「熱心さ」はあまり肯定的に言われないときもある。
ペテロは熱心だったけれども、人間的な熱心さで、
「あなたにどこまでもついていきます」と言ったときには、
そのイエスに「あなたはわたしを3度知らないと言う」と言われて、
実際にそのような失敗をしてしまいました。
「熱心さ」にはそのようなイメージがあるので、
ネガティブな印象もあるのですが、
この所ではポジティブですね。
自分のがんばりの熱心さじゃなくて、
主の御手の中にある熱心さがあるのだと思います。
そんな情熱があるのだと思います。
そう、わがままな熱さではなくて、
主の導きに従った情熱。
それを味わわせて頂きたい、
そこに生かして頂きたいと思います。
主よ、
どうか、私を熱い者として下さい。
情熱を与えて下さい。
あなたの使命に従う、
わがままな、自己中心的な熱心さではなくて、
あなたの御手の中にある、
あなたの導きに従った熱心さを与えて下さい。
2007-02-03
1週間の氷点下期間に突入
「一日一章」は2連敗。
今日はそろそろ休みます。
ここの御言葉を支えにしておられる方には申し訳ないのですが、
また明日の朝、時間ができたら更新します。
昨日の夜から氷点下に入り、
そのまま来週の金曜日くらいまで0度Cは超えないでしょう。
寒い日が続きます。
皆さんしっかりパッチを履いて
寒さを乗り越えましょう!
今日はそろそろ休みます。
ここの御言葉を支えにしておられる方には申し訳ないのですが、
また明日の朝、時間ができたら更新します。
昨日の夜から氷点下に入り、
そのまま来週の金曜日くらいまで0度Cは超えないでしょう。
寒い日が続きます。
皆さんしっかりパッチを履いて
寒さを乗り越えましょう!
2007-02-02
Groundhog Day
今日はグランドホッグデー。
グランドホッグが自分の影を見るか、見ないかで、
冬があと2週間で終わるか、6週間続くか、わかるという、
そんなこと分るわけないじゃん、という日です。
詳しくは去年の今日の記録へ
ちなみに、今年は「あと2週間」だそうです。
そんなわけないじゃん、と思いつつ、そうだったらいいな、と期待してしまいます。
今日の夜は雪が降って、
うっすら雪化粧しています。
路面がうっすら凍結しています。
さっき帰ってきたばかりですので、
そして、明日の朝は早いので、「一日一章」もお休み。
また明日。
グランドホッグが自分の影を見るか、見ないかで、
冬があと2週間で終わるか、6週間続くか、わかるという、
そんなこと分るわけないじゃん、という日です。
詳しくは去年の今日の記録へ
ちなみに、今年は「あと2週間」だそうです。
そんなわけないじゃん、と思いつつ、そうだったらいいな、と期待してしまいます。
今日の夜は雪が降って、
うっすら雪化粧しています。
路面がうっすら凍結しています。
さっき帰ってきたばかりですので、
そして、明日の朝は早いので、「一日一章」もお休み。
また明日。
2007-02-01
敬虔さ
今日も寒かったですねえ。
昼間はプラスになりましたが、
朝は-4.8度。
今も夜の11時前で-0.5度。
この後雪になるようです。
でも、大したことはないみたいです。
明日も朝と夜に教会の集会があるので、
大したことはないと助かります。
今日はちょっともう遅くなってきたので、
「証し」はお休みして・・・たぶん明日も土曜日も難しいと思うので、
たぶん日曜日か月曜日。
そして、さっそく聖書。
今日はヘブル人への手紙5章。
7節の言葉が心に留りました。
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
イエスの祈りは「敬虔さのゆえに」聞き入れられたという。
敬虔さ、という言葉に今日はものすごい語りかけを感じました。
私には「敬虔さ」があるだろうかと。
主を畏れる思い。
主の前にひざまずく思い。
主を利用するのではなくて、
主を主として、あがめ、そこに従っていく決意。
その主との関係の中に歩んでいきたいと思いました。
主を主としてあがめる歩みをしていきたいと思います。
いろんな物事が周りに起ってくる中で、
それを整理していくだけで、
自分の仕事をこなしていくだけで精一杯のところもあります。
でも、そんな時にも、
何よりも主を主としてしたがっていきたいと思います。
主よ、
あなたが私の主です。神です。
私の人生のリーダーです。
教会のリーダーです。
どうか、あなたの導きの元に謙虚に歩んでいく者としてください。
敬虔さを身につけさせてください。
一つ一つの決断をするときにも、
あなたを見上げつつ、
あなたがどのように願っておられるかに注目しつつ歩ませてください。
昼間はプラスになりましたが、
朝は-4.8度。
今も夜の11時前で-0.5度。
この後雪になるようです。
でも、大したことはないみたいです。
明日も朝と夜に教会の集会があるので、
大したことはないと助かります。
今日はちょっともう遅くなってきたので、
「証し」はお休みして・・・たぶん明日も土曜日も難しいと思うので、
たぶん日曜日か月曜日。
そして、さっそく聖書。
今日はヘブル人への手紙5章。
7節の言葉が心に留りました。
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
イエスの祈りは「敬虔さのゆえに」聞き入れられたという。
敬虔さ、という言葉に今日はものすごい語りかけを感じました。
私には「敬虔さ」があるだろうかと。
主を畏れる思い。
主の前にひざまずく思い。
主を利用するのではなくて、
主を主として、あがめ、そこに従っていく決意。
その主との関係の中に歩んでいきたいと思いました。
主を主としてあがめる歩みをしていきたいと思います。
いろんな物事が周りに起ってくる中で、
それを整理していくだけで、
自分の仕事をこなしていくだけで精一杯のところもあります。
でも、そんな時にも、
何よりも主を主としてしたがっていきたいと思います。
主よ、
あなたが私の主です。神です。
私の人生のリーダーです。
教会のリーダーです。
どうか、あなたの導きの元に謙虚に歩んでいく者としてください。
敬虔さを身につけさせてください。
一つ一つの決断をするときにも、
あなたを見上げつつ、
あなたがどのように願っておられるかに注目しつつ歩ませてください。
2007-01-31
おりにかなった助け
今日も寒い一日でした。
朝起きたら-6度。
昨夜の雪も、coatingですみました。
昼間も1度くらいかな。
今は夜の10時で、-3.7度です。
そして、明日の朝から金曜日にかけての雪ですが、
やっぱり大したことはないようです。
集会があるので、雪が大したことがないのはうれしいですが、
何だか、今年の冬は寒くなっても雪は降らない、って
ちょっと変な冬ですね。
そして、来週はほんとうに寒いみたいです。
その寒さが抜けたら、いよいよ春近し、って感じですよね。
楽しみです。
さて、
「証し」の第6章。
中高生時代の問題、その2は、
露骨に書くとフィルターソフトを使っている人が
読めなくなってしまうので書きませんが、
男としての誘惑との闘いでした。
いやあ、遅かったのかもしれませんが、
そしてオヤジになったから恥ずかしげもなく書けますが、
中学生になってから、自分の頭はおかしくなってしまったのかと思いました。
難しいですよね、中高生にとって。
どこまで健康的な成長の過程で、どこからが「罪」となるのか、
私の場合は、自分の心の中の葛藤のレベルでしたけれども、
「どこまで行っていいのか」なんてことも中高生向けの雑誌を見ると、
書いてありましたね。早熟の子はそんなことで悩んでいたのかも・・・。
そして、中高生のころは、このような葛藤は
大人になったらなくなるのだと思っていました。
結婚前は結婚したらなくなるのだと思っていました。
でも、そんなことはない、みたいですね。
いつもいつも神様に守られていなければいけないと思います。
時々、こともあろうにその分野で失敗をして
牧師を続けられなくなる同労者がいます。
気をつけなければいけないと思いますし、
神の守りを祈って頂きたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日は早く目が覚めて、
神様からの「祈りなさい」コールだと思って、
早く起きて聖書を読んで祈りました。
その中で与えられた言葉。
「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」14-16節です。
長いですが、その中の特に「おりにかなった助け」という言葉に心が留りました。
主は私のために「おりにかなった助け」タイムリーな助けを与えて下さるというのです。
今、自分に必要な助け、
今、教会に必要な助けを
主は与えて下さることがおできになるのだというのです。
これはとてもうれしいことです。
今朝、私は神様の助けを必要としていました。
神様の答えを必要としていました。
祈っている中で、
平安が与えられました。
ほんとうに必要な助けが与えられたなあと思います。
神様がいつも守って下さるのだという
確信を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
どうか、私に今必要な助けを与えて下さい。
あなたがそれを与えて下さる方であることに心から感謝します。
どうか、あなたの助けを私に与えて下さい。
タイムリーな、まさに今必要な助けを与えて下さい。
朝起きたら-6度。
昨夜の雪も、coatingですみました。
昼間も1度くらいかな。
今は夜の10時で、-3.7度です。
そして、明日の朝から金曜日にかけての雪ですが、
やっぱり大したことはないようです。
集会があるので、雪が大したことがないのはうれしいですが、
何だか、今年の冬は寒くなっても雪は降らない、って
ちょっと変な冬ですね。
そして、来週はほんとうに寒いみたいです。
その寒さが抜けたら、いよいよ春近し、って感じですよね。
楽しみです。
さて、
「証し」の第6章。
中高生時代の問題、その2は、
露骨に書くとフィルターソフトを使っている人が
読めなくなってしまうので書きませんが、
男としての誘惑との闘いでした。
いやあ、遅かったのかもしれませんが、
そしてオヤジになったから恥ずかしげもなく書けますが、
中学生になってから、自分の頭はおかしくなってしまったのかと思いました。
難しいですよね、中高生にとって。
どこまで健康的な成長の過程で、どこからが「罪」となるのか、
私の場合は、自分の心の中の葛藤のレベルでしたけれども、
「どこまで行っていいのか」なんてことも中高生向けの雑誌を見ると、
書いてありましたね。早熟の子はそんなことで悩んでいたのかも・・・。
そして、中高生のころは、このような葛藤は
大人になったらなくなるのだと思っていました。
結婚前は結婚したらなくなるのだと思っていました。
でも、そんなことはない、みたいですね。
いつもいつも神様に守られていなければいけないと思います。
時々、こともあろうにその分野で失敗をして
牧師を続けられなくなる同労者がいます。
気をつけなければいけないと思いますし、
神の守りを祈って頂きたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日は早く目が覚めて、
神様からの「祈りなさい」コールだと思って、
早く起きて聖書を読んで祈りました。
その中で与えられた言葉。
「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」14-16節です。
長いですが、その中の特に「おりにかなった助け」という言葉に心が留りました。
主は私のために「おりにかなった助け」タイムリーな助けを与えて下さるというのです。
今、自分に必要な助け、
今、教会に必要な助けを
主は与えて下さることがおできになるのだというのです。
これはとてもうれしいことです。
今朝、私は神様の助けを必要としていました。
神様の答えを必要としていました。
祈っている中で、
平安が与えられました。
ほんとうに必要な助けが与えられたなあと思います。
神様がいつも守って下さるのだという
確信を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
どうか、私に今必要な助けを与えて下さい。
あなたがそれを与えて下さる方であることに心から感謝します。
どうか、あなたの助けを私に与えて下さい。
タイムリーな、まさに今必要な助けを与えて下さい。
2007-01-30
励まし合う
今日の朝は寒かったです。
でも-8度くらい。
昼間は2度くらいまで上がりました。
そして夜は雪が舞っていました。
今、夜の11時半ですが、
ちょうど0度くらいで、小雪が舞っています。
外はうっすら雪化粧です。
そして、問題は木曜日の夜から金曜日の朝。
少なくとも、少しは雪が降るみたいですが、
金曜日の朝には暖かい空気が入ってきて、
雨に変わるかもしれません。
金曜日、さて、学校がDelayed openingになるでしょうか?
「証し」の第、えーと、5章。
中学校の1年生、13歳の時に、洗礼を受けました。
毎年、夏にいろんな教会から同世代の仲間が集まって、
「キャンプ」をしたのですが、
毎年、悔い改めるべき課題を持っていったような気がします。
小学生の頃は、「弟をいじめてしまう自分」がイヤでしょうがなかったのですが、
中学校にはいるとちょっとそれが変わってきます。
楽しいキャンプなのですが、やはり楽しいだけでは終わりません。
自分の心が探られるのです。
相変わらずよくケンカはしたんですが、
それに加えて、2つのことで悩むことになります。
今日はその1つ目。
それは、「ねたみ」でした。
自分はほんとうに無口でした。
恥ずかしがり屋で、いつも誰かにくっついて、
それでみんなの仲間に入れてもらっていました。
男兄弟で育ったので、
女の子にどのように接していいかも分らず、
自分から女の子に声をかけることなんか絶対にできませんでした。
時々、声をかけてくれる子がいると、
それだけでまたカーッと赤くなって、
しどろもどろで答えていました。
だから、自然に女の子に優しくできるヤツとか、
なれなれしく、声をかけられるヤツとか、
かっこいいヤツとか、スポーツのできるヤツとか、
もてるヤツとか、
うらやましかったです。
極めつけは、ある年のバレンタインデー。
親友の水泳選手のヤツと一緒にいました。
そこで、突然女の子に声をかけられるかきごおり君。
「かきごおり君、ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて、「お、おれか?○○じゃなくて・・・」
と舞い上がって、照れながら、一人でその子のところに行くと、
「かきごおり君ちょっとこっちおいでよ、かきごおり君がいつも○○君と一緒にいるから、△△ちゃんが○○君にチョコをあげられないじゃない・・・」
・・・
まあな、言われてみればそうだよな・・・。
今考えるとなんて「配慮の足りない」自分だったかと・・・。
ま、そんな中学生だったのです。
黒ブチめがねに坊主頭(これは校則)だったし・・・。
何とか、自分も勇気を出して誰とでも話せる人間になりたいと思いました。
気軽に誰にでも声をかけられるようになりたいと思いました。
そして、それができるヤツをうらやましく思いました。
そして、それがいつの間にか「ねたみ」や「憎しみ」に変わることもありました。
そんな自分の心を神様に探られて、
悔い改めて出ました。
ちょうどキャンプに来ている仲間に対してそんな思いを持っていた時があって、
その友人のところに行って、悔い改めの祈りをしたこともありました。
貴重な体験だと思います。
宝物のような体験でした。
今でも、あのころの「キャンプ」がどれだけ自分に大切だったか、
よく思い出します。
スタッフの皆さんがどれほどの情熱と体力でぶつかって下さったか、
考えると、ほんとうに感謝の気持ちが湧いてきます。
今の中高生達にも、そのような経験が与えられるようにと祈らないではいられません。
今日の聖書はヘブル人への手紙3章でした。
「『きょう。』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」13節の言葉が心に留りました。
「互いに励まし合って」と言うことの大切さを思わされました。
私たちの信仰は個人的なものです。
一人ひとりの信仰が大切なのです。
でも、私たちは「惑わされやすい」。
だから、励まし合う、ということが大切なのです。
決してもたれ合うのではありません。
自分の信仰は人を頼りにして守っていくことはできません。
でも、自立した信仰者同士が、
互いに励まし合っていくときに、
強くされ、支えられ、守られていくのです。
お互いに「神様を見上げよう」と神様との関係に立たせてくれるような、
そのような励まし合いが必要なのです。
お互いを見るのではなく、
お互いに神様を見上げるように、
神様の方に心が向くように、
励ましていくような関係。
そのようなお互いでありたいと思います。
そのような関係を支えていく牧師でありたいと思います。
主よ、
どうか、
「励まし合い」、それも「神様を中心とした励まし合い」の
輪を広げて下さい。
そのような関係が教会の中にあふれますように。
それによって支えられ、守られ、強められる教会でありますように。
心を開いて、語り合い、祈り合う時を与えて下さい。
でも-8度くらい。
昼間は2度くらいまで上がりました。
そして夜は雪が舞っていました。
今、夜の11時半ですが、
ちょうど0度くらいで、小雪が舞っています。
外はうっすら雪化粧です。
そして、問題は木曜日の夜から金曜日の朝。
少なくとも、少しは雪が降るみたいですが、
金曜日の朝には暖かい空気が入ってきて、
雨に変わるかもしれません。
金曜日、さて、学校がDelayed openingになるでしょうか?
「証し」の第、えーと、5章。
中学校の1年生、13歳の時に、洗礼を受けました。
毎年、夏にいろんな教会から同世代の仲間が集まって、
「キャンプ」をしたのですが、
毎年、悔い改めるべき課題を持っていったような気がします。
小学生の頃は、「弟をいじめてしまう自分」がイヤでしょうがなかったのですが、
中学校にはいるとちょっとそれが変わってきます。
楽しいキャンプなのですが、やはり楽しいだけでは終わりません。
自分の心が探られるのです。
相変わらずよくケンカはしたんですが、
それに加えて、2つのことで悩むことになります。
今日はその1つ目。
それは、「ねたみ」でした。
自分はほんとうに無口でした。
恥ずかしがり屋で、いつも誰かにくっついて、
それでみんなの仲間に入れてもらっていました。
男兄弟で育ったので、
女の子にどのように接していいかも分らず、
自分から女の子に声をかけることなんか絶対にできませんでした。
時々、声をかけてくれる子がいると、
それだけでまたカーッと赤くなって、
しどろもどろで答えていました。
だから、自然に女の子に優しくできるヤツとか、
なれなれしく、声をかけられるヤツとか、
かっこいいヤツとか、スポーツのできるヤツとか、
もてるヤツとか、
うらやましかったです。
極めつけは、ある年のバレンタインデー。
親友の水泳選手のヤツと一緒にいました。
そこで、突然女の子に声をかけられるかきごおり君。
「かきごおり君、ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて、「お、おれか?○○じゃなくて・・・」
と舞い上がって、照れながら、一人でその子のところに行くと、
「かきごおり君ちょっとこっちおいでよ、かきごおり君がいつも○○君と一緒にいるから、△△ちゃんが○○君にチョコをあげられないじゃない・・・」
・・・
まあな、言われてみればそうだよな・・・。
今考えるとなんて「配慮の足りない」自分だったかと・・・。
ま、そんな中学生だったのです。
黒ブチめがねに坊主頭(これは校則)だったし・・・。
何とか、自分も勇気を出して誰とでも話せる人間になりたいと思いました。
気軽に誰にでも声をかけられるようになりたいと思いました。
そして、それができるヤツをうらやましく思いました。
そして、それがいつの間にか「ねたみ」や「憎しみ」に変わることもありました。
そんな自分の心を神様に探られて、
悔い改めて出ました。
ちょうどキャンプに来ている仲間に対してそんな思いを持っていた時があって、
その友人のところに行って、悔い改めの祈りをしたこともありました。
貴重な体験だと思います。
宝物のような体験でした。
今でも、あのころの「キャンプ」がどれだけ自分に大切だったか、
よく思い出します。
スタッフの皆さんがどれほどの情熱と体力でぶつかって下さったか、
考えると、ほんとうに感謝の気持ちが湧いてきます。
今の中高生達にも、そのような経験が与えられるようにと祈らないではいられません。
今日の聖書はヘブル人への手紙3章でした。
「『きょう。』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」13節の言葉が心に留りました。
「互いに励まし合って」と言うことの大切さを思わされました。
私たちの信仰は個人的なものです。
一人ひとりの信仰が大切なのです。
でも、私たちは「惑わされやすい」。
だから、励まし合う、ということが大切なのです。
決してもたれ合うのではありません。
自分の信仰は人を頼りにして守っていくことはできません。
でも、自立した信仰者同士が、
互いに励まし合っていくときに、
強くされ、支えられ、守られていくのです。
お互いに「神様を見上げよう」と神様との関係に立たせてくれるような、
そのような励まし合いが必要なのです。
お互いを見るのではなく、
お互いに神様を見上げるように、
神様の方に心が向くように、
励ましていくような関係。
そのようなお互いでありたいと思います。
そのような関係を支えていく牧師でありたいと思います。
主よ、
どうか、
「励まし合い」、それも「神様を中心とした励まし合い」の
輪を広げて下さい。
そのような関係が教会の中にあふれますように。
それによって支えられ、守られ、強められる教会でありますように。
心を開いて、語り合い、祈り合う時を与えて下さい。
2007-01-29
主の兄弟
今日は寒かったですね。
朝は-6度。
昼間も-2度くらいまでしか上がらなくて、
夜の9時ですが、もう-6度まで下がっています。
ずっと暖かくて、「冬らしくない」とか言っていましたが、
2週間で、「もう十分」という感じです。
明日の夜も小雪。
そして、木曜日の夜から金曜日の朝にかけて10センチくらいの雪になるかもしれません。
来週も寒いみたいです。
早く春になって欲しいです。
花粉症は勘弁して欲しいですが・・・。
月曜日なので、ちょっと息抜き。
実は先週の月曜日、久しぶりに時間ができて、
「買い物行く!」と言って、一人でチャイニーズの食料品店に行きました。
そこに行ったら楽しみなのは、「どんなものが売ってるのかなあ」と見ること。
いろいろ見ました。
何よりも楽しいのは、楽しい日本語の書いてある商品。
今、日本の製品も結構日本語変わっていると思いますが、
どこかのちょっと日本語の分る方が、
「ボクに任せて・・・」と日本語を入れたんじゃないかなあ、
という商品の数々。
読んでると、腰砕けになるくらい力がぬける日本語。
その中で、かきごおり的に「気に入った!」「食べてみたい!」と思ったのが、
これ。

「にぱんのラーメン」???
んー、っと考えて、
「日式拉麺」を読んで、
「ああ、にっぽんのラーメンて、書きたかったのか」
とわかりました。
お昼にいただきました。
4食入って1.99ドルですから、
高くもなく、さりとて「めちゃくちゃ安く」もなく、
「うーん、うまいねえ」って感じでもありませんでしたが、
まあ、いけましたよ。
満足はしました。
もう一回買うか、と言われたら、???
でも、考えてしまいました。
私なんか、英語での会話は苦手だけど、
まあ、書く方がいいかな、と思ったりします。
でも、日本語に置き換えて考えると、
片言の日本語が話せる方がおられた場合、
会話だったら、ちょっと間違っていても、
「ああ、こういう意味なんだろうなあ」と先回りをするし、
分らなかったら確認します。
そしてコミュニケーションを取ろうとします。
でも、印刷されていたり、書かれていたものだったら、
「なんだこりゃ」となってしまいます。
そして、笑える場合は笑いますし、
笑えない場合は、困ってしまいます。
いずれにせよ、コミュニケーションは難しいですよね。
だから、自分ももっともっと勇気を出して、どんどん会話の方をしていったらいいんですよね。
その中で、伝わっていくものがある、それを大切にしたい、と思いました。
今日はヘブル人への手紙の2章を読みました。
心に留った聖書の言葉は、
「主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで・・・」
という11節の言葉です。
私のことを「恥ずかしい」と思わないでいて下さる。
主は私のことを受け入れて下さって、私のことを、
恥ずかしい、とは思われない。
とてもうれしく思いました。
自分の姿を見ると、
イエスさまに「恥ずかしい」と言われてもしかたがないような者です。
でも、その私のことを主は「恥ずかしい」とは思われない。
「兄弟」として迎えて下さる。
あの放蕩息子の兄のように、
「あんなヤツ」と思われても誰が文句を言えるだろうか?
でも、主は、私を「弟分」として受け入れて下さる。
ありがたいです。
イエスさま、
あなたが私を「弟」として受け入れて下さって、
恥としないで、喜んで受け入れて下さることに感謝します。
あなたがお兄さんであることは、私にはものすごい喜びです。
これからもよろしくお願いします。
どうか、こんな弟ですが、かわいがってやって下さい。
一緒に楽しいところに行ったり、心が躍るような、すばらしいことをたくさん経験させて下さい。
朝は-6度。
昼間も-2度くらいまでしか上がらなくて、
夜の9時ですが、もう-6度まで下がっています。
ずっと暖かくて、「冬らしくない」とか言っていましたが、
2週間で、「もう十分」という感じです。
明日の夜も小雪。
そして、木曜日の夜から金曜日の朝にかけて10センチくらいの雪になるかもしれません。
来週も寒いみたいです。
早く春になって欲しいです。
花粉症は勘弁して欲しいですが・・・。
月曜日なので、ちょっと息抜き。
実は先週の月曜日、久しぶりに時間ができて、
「買い物行く!」と言って、一人でチャイニーズの食料品店に行きました。
そこに行ったら楽しみなのは、「どんなものが売ってるのかなあ」と見ること。
いろいろ見ました。
何よりも楽しいのは、楽しい日本語の書いてある商品。
今、日本の製品も結構日本語変わっていると思いますが、
どこかのちょっと日本語の分る方が、
「ボクに任せて・・・」と日本語を入れたんじゃないかなあ、
という商品の数々。
読んでると、腰砕けになるくらい力がぬける日本語。
その中で、かきごおり的に「気に入った!」「食べてみたい!」と思ったのが、
これ。

「にぱんのラーメン」???
んー、っと考えて、
「日式拉麺」を読んで、
「ああ、にっぽんのラーメンて、書きたかったのか」
とわかりました。
お昼にいただきました。
4食入って1.99ドルですから、
高くもなく、さりとて「めちゃくちゃ安く」もなく、
「うーん、うまいねえ」って感じでもありませんでしたが、
まあ、いけましたよ。
満足はしました。
もう一回買うか、と言われたら、???
でも、考えてしまいました。
私なんか、英語での会話は苦手だけど、
まあ、書く方がいいかな、と思ったりします。
でも、日本語に置き換えて考えると、
片言の日本語が話せる方がおられた場合、
会話だったら、ちょっと間違っていても、
「ああ、こういう意味なんだろうなあ」と先回りをするし、
分らなかったら確認します。
そしてコミュニケーションを取ろうとします。
でも、印刷されていたり、書かれていたものだったら、
「なんだこりゃ」となってしまいます。
そして、笑える場合は笑いますし、
笑えない場合は、困ってしまいます。
いずれにせよ、コミュニケーションは難しいですよね。
だから、自分ももっともっと勇気を出して、どんどん会話の方をしていったらいいんですよね。
その中で、伝わっていくものがある、それを大切にしたい、と思いました。
今日はヘブル人への手紙の2章を読みました。
心に留った聖書の言葉は、
「主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで・・・」
という11節の言葉です。
私のことを「恥ずかしい」と思わないでいて下さる。
主は私のことを受け入れて下さって、私のことを、
恥ずかしい、とは思われない。
とてもうれしく思いました。
自分の姿を見ると、
イエスさまに「恥ずかしい」と言われてもしかたがないような者です。
でも、その私のことを主は「恥ずかしい」とは思われない。
「兄弟」として迎えて下さる。
あの放蕩息子の兄のように、
「あんなヤツ」と思われても誰が文句を言えるだろうか?
でも、主は、私を「弟分」として受け入れて下さる。
ありがたいです。
イエスさま、
あなたが私を「弟」として受け入れて下さって、
恥としないで、喜んで受け入れて下さることに感謝します。
あなたがお兄さんであることは、私にはものすごい喜びです。
これからもよろしくお願いします。
どうか、こんな弟ですが、かわいがってやって下さい。
一緒に楽しいところに行ったり、心が躍るような、すばらしいことをたくさん経験させて下さい。
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聖書
2007-01-28
キリストは変わることはない
今日は暖かくなりました。
最高気温は6.7度。
でも、夜は雪が降ってちょっと雪化粧。
今も夜の11時ですが、0度で小雪が舞っています。
もうちょっと降るようですが、
まあ大したことはないでしょう。
学校も普通通りあると思います。
「証し」の第4章。
イエスさまの十字架を信じて、罪を悔い改めて、
晴れてクリスチャンになった、小学校二年生の学少年ですが、
その日から、二度と弟をいじめませんでした・・・
なんてことはありませんでした。
ちょっとは優しくできるのですが、
やっぱりちょっと生意気なことを言い出したり、
自分の方の虫の居所が悪いと、
すぐイヤなことを行ってしまうんですねえ、これが。
それで悩みました。
もう自分はダメなんじゃないかと。
せっかく悔い改めたのに何も変わっていないじゃないかと。
こんなんじゃ神様に天国に入れてもらえないと・・・。
そう、小学生の頃の罪意識のほとんどは、
この弟との間のことでした。
なんてイヤな兄貴なんだろうと自分で思っていました。
でも、それでも、イエスを信じたときに神の子とされているのだということを確信したのは次の言葉との出会いからでした。
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネによる福音書1章12節
聖書には「二度と罪を犯さなかったらあなたがたは神の子である」と書かれているのではありませんでした。「イエスを受け入れた者、その名を信じた者」が神の子とされると書いてあるのでした。
だから、私は神の子なんだと分りました。
そう、私たちは完璧にならなくても、
罪を全く犯さない人間にならなくても、
神の子とされているのだ、
ただ、信じるときに、内側は神様が造りかえて下さるのだから、
ただ、信じるときに、神の子とされるのだ、と分りました。
それから、今の子ども達にも、とにかく、悔い改めて、イエスを信じることの大切さを伝えていきたいと思わされています。
そして、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙に入って第1章。
イエスについて書かれているところですが、
その中で心に留った言葉が、
「あなたは変わることがなく・・・」というイエスに対していわれている言葉です。
私は変わってきました。
これからも変わっていくだろうと思います。
時代も変わってきました。
世界の常識も変わってきました。
何が良くて何が悪いことなのかも変わってきました。
でも、イエスは変わることがない。
いつまでも変わることがない。
この聖書の言葉は
いつもいつも新鮮で、私たちを生かしてくれる、
そのことにいつも驚かされています。
主よ、
どうかあなたの御言葉によって、
あなたの語りかけによって、
私を支えて下さい。
私たちの土台となって下さい。
私たちの力の源となって下さい。
この移ろいやすい世の中にあって、いつもいつも変わりない土台であって下さい。
最高気温は6.7度。
でも、夜は雪が降ってちょっと雪化粧。
今も夜の11時ですが、0度で小雪が舞っています。
もうちょっと降るようですが、
まあ大したことはないでしょう。
学校も普通通りあると思います。
「証し」の第4章。
イエスさまの十字架を信じて、罪を悔い改めて、
晴れてクリスチャンになった、小学校二年生の学少年ですが、
その日から、二度と弟をいじめませんでした・・・
なんてことはありませんでした。
ちょっとは優しくできるのですが、
やっぱりちょっと生意気なことを言い出したり、
自分の方の虫の居所が悪いと、
すぐイヤなことを行ってしまうんですねえ、これが。
それで悩みました。
もう自分はダメなんじゃないかと。
せっかく悔い改めたのに何も変わっていないじゃないかと。
こんなんじゃ神様に天国に入れてもらえないと・・・。
そう、小学生の頃の罪意識のほとんどは、
この弟との間のことでした。
なんてイヤな兄貴なんだろうと自分で思っていました。
でも、それでも、イエスを信じたときに神の子とされているのだということを確信したのは次の言葉との出会いからでした。
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネによる福音書1章12節
聖書には「二度と罪を犯さなかったらあなたがたは神の子である」と書かれているのではありませんでした。「イエスを受け入れた者、その名を信じた者」が神の子とされると書いてあるのでした。
だから、私は神の子なんだと分りました。
そう、私たちは完璧にならなくても、
罪を全く犯さない人間にならなくても、
神の子とされているのだ、
ただ、信じるときに、内側は神様が造りかえて下さるのだから、
ただ、信じるときに、神の子とされるのだ、と分りました。
それから、今の子ども達にも、とにかく、悔い改めて、イエスを信じることの大切さを伝えていきたいと思わされています。
そして、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙に入って第1章。
イエスについて書かれているところですが、
その中で心に留った言葉が、
「あなたは変わることがなく・・・」というイエスに対していわれている言葉です。
私は変わってきました。
これからも変わっていくだろうと思います。
時代も変わってきました。
世界の常識も変わってきました。
何が良くて何が悪いことなのかも変わってきました。
でも、イエスは変わることがない。
いつまでも変わることがない。
この聖書の言葉は
いつもいつも新鮮で、私たちを生かしてくれる、
そのことにいつも驚かされています。
主よ、
どうかあなたの御言葉によって、
あなたの語りかけによって、
私を支えて下さい。
私たちの土台となって下さい。
私たちの力の源となって下さい。
この移ろいやすい世の中にあって、いつもいつも変わりない土台であって下さい。
2007-01-27
どこに投資するか
今日はずっと暖かくなりました。
朝起きたら-3度まで上がっていて、
一日中曇っていましたが、気温は2.3度まで上がりました。
今、夜の11時半ですが、気温はまだ1.8度もあります。
レーダーには何か降っているエコーが出ていますが、
実際には、家のあたりでは何も降っていません。
上空で何かが降っていても、下に届くまでに蒸発してしまう場合があります。
今も多分そうなのでしょう。
12時45分アップデート・・・外はみぞれが降っています。でも、プラスの1.9度。
明日も、今日同様、どんよりとあまり寒すぎない日でしょう。
月曜日はまた寒くなります。
「証し」の第3章。
私がイエス・キリストを救い主と信じたのは小学校2年生の時でした。
私の記憶によると・・・。
3年生から東村山の聖書学院で持たれていた
2泊3日の「小学生キャンプ」に行けるのですが、
特別にスタッフの一人であった父について、行きました。
夜の集会で、先生がお話をされていたのですが、
内容は何にも覚えていません。
で、最後にみんなが「・・・立って下さい」と言われて、
立ったんですよね。それで私も立ちました。
1年生の弟と一緒に・・・。
それに気がついた父が「どうして立ったんだ?」と聞いたのですが、
「みんなが立ったから、どうしたのかな?と思って」と答えたのだと思います。
でも、その時、私は父の口から、びっくりすることを聞きました。
「罪があったら、天国に行けない」
もうびっくりです。
教会で育って、神様のことを知っていました。
イエスさまのことも知っていました。
天国のことも・・・そして、当然、自分は行けるものだと思っていました。
でも、初めて「罪があったら天国に行けない」というのです。
それは困ったと思いました。
昨日も書いたのですが、
いつも弟をいじめていたからです。
だから、罪があることはよくわかっていました。
その時に、イエスさまが十字架にかかって下さったこと、
ゴメンナサイとお祈りすべきことを知りました。
私は単純に、というか、素直にと言うか、ほんとうに
それしかないと思って、泣きながら、ゴメンナサイと神様にお祈りしました。
1971年7月21日だったかな?
2年生の夏休みの最初の方の出来事でした。
「 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネ第1の手紙1章9節
これが私にとっての「救い」の経験です。
でも、これはほんとうに始まりの始まりでした。
ですから今でも私は信じています。
どんなに幼い罪意識でも、
どんなに小さな罪意識でも、
軽く見てはいけないこと。
ちゃんとイエスさまの十字架の赦しを語ることの大切さ。
決して、「そんなことは気にしなくていい」と言ってはいけないこと。
そして、どんな薄っぺらな罪意識でも、
それを悔い改めたときに、神様に受け入れられること、救われること。
「救いの経験」はその時に与えられること。
そして、それはそれが「始まりの始まり」でだんだん深められていくこと。
さて、今日の聖書です。
今日はピレモンへの手紙です。
「その請求は私にしてください。」18節。
1章だけの短い手紙。
でも、その背後にあるドラマはどれほどのものだったかと思います。
ピレモンの奴隷でありながら、主人を裏切り、主人に損害を与え、
逃げ出したオネシモ。
しかし、彼はその後パウロに出会い、
悔い改めて新しい出発をします。
そのオネシモをピレモンの元に送り返すときに、
その手に持たせたのが、この手紙です。
「私がそれをかぶる」とパウロは言ったのです。
オネシモのために自分の持てるものを差し出したのです。
私はどうだろうかと思いました。
このようにできるだろうかと。
神様が私に託して下さったもの。
それは神様の許しの中で、神様の喜ばれるように使うことを前提に、
私たちに任されているもの。
それをどのように使うのか、問われているように思いました。
何に投資するのか、問われているように感じました。
最近、「次の世代のために何ができるか」と言うことをよく考えます。
自分が先輩達に与えられたように、私も次の世代にのために投資できるだろうかと。
神様から託されているものを、
喜んで与える、喜んでささげるものでありたいと思います。
次の世代のために。
主よ、
私に愛を与えて下さい。
あなたに対する愛を、
次の世代に対する愛を与えて下さい。
そのために、
いつもいつも、あなたからどんなに大きな愛を与えられているか、
忘れることがありませんように。
どんなに大きな愛を与えられているか、見つめ続けることができますように。
明日の日曜日に祝福を満たして下さい。
朝起きたら-3度まで上がっていて、
一日中曇っていましたが、気温は2.3度まで上がりました。
今、夜の11時半ですが、気温はまだ1.8度もあります。
レーダーには何か降っているエコーが出ていますが、
実際には、家のあたりでは何も降っていません。
上空で何かが降っていても、下に届くまでに蒸発してしまう場合があります。
今も多分そうなのでしょう。
12時45分アップデート・・・外はみぞれが降っています。でも、プラスの1.9度。
明日も、今日同様、どんよりとあまり寒すぎない日でしょう。
月曜日はまた寒くなります。
「証し」の第3章。
私がイエス・キリストを救い主と信じたのは小学校2年生の時でした。
私の記憶によると・・・。
3年生から東村山の聖書学院で持たれていた
2泊3日の「小学生キャンプ」に行けるのですが、
特別にスタッフの一人であった父について、行きました。
夜の集会で、先生がお話をされていたのですが、
内容は何にも覚えていません。
で、最後にみんなが「・・・立って下さい」と言われて、
立ったんですよね。それで私も立ちました。
1年生の弟と一緒に・・・。
それに気がついた父が「どうして立ったんだ?」と聞いたのですが、
「みんなが立ったから、どうしたのかな?と思って」と答えたのだと思います。
でも、その時、私は父の口から、びっくりすることを聞きました。
「罪があったら、天国に行けない」
もうびっくりです。
教会で育って、神様のことを知っていました。
イエスさまのことも知っていました。
天国のことも・・・そして、当然、自分は行けるものだと思っていました。
でも、初めて「罪があったら天国に行けない」というのです。
それは困ったと思いました。
昨日も書いたのですが、
いつも弟をいじめていたからです。
だから、罪があることはよくわかっていました。
その時に、イエスさまが十字架にかかって下さったこと、
ゴメンナサイとお祈りすべきことを知りました。
私は単純に、というか、素直にと言うか、ほんとうに
それしかないと思って、泣きながら、ゴメンナサイと神様にお祈りしました。
1971年7月21日だったかな?
2年生の夏休みの最初の方の出来事でした。
「 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネ第1の手紙1章9節
これが私にとっての「救い」の経験です。
でも、これはほんとうに始まりの始まりでした。
ですから今でも私は信じています。
どんなに幼い罪意識でも、
どんなに小さな罪意識でも、
軽く見てはいけないこと。
ちゃんとイエスさまの十字架の赦しを語ることの大切さ。
決して、「そんなことは気にしなくていい」と言ってはいけないこと。
そして、どんな薄っぺらな罪意識でも、
それを悔い改めたときに、神様に受け入れられること、救われること。
「救いの経験」はその時に与えられること。
そして、それはそれが「始まりの始まり」でだんだん深められていくこと。
さて、今日の聖書です。
今日はピレモンへの手紙です。
「その請求は私にしてください。」18節。
1章だけの短い手紙。
でも、その背後にあるドラマはどれほどのものだったかと思います。
ピレモンの奴隷でありながら、主人を裏切り、主人に損害を与え、
逃げ出したオネシモ。
しかし、彼はその後パウロに出会い、
悔い改めて新しい出発をします。
そのオネシモをピレモンの元に送り返すときに、
その手に持たせたのが、この手紙です。
「私がそれをかぶる」とパウロは言ったのです。
オネシモのために自分の持てるものを差し出したのです。
私はどうだろうかと思いました。
このようにできるだろうかと。
神様が私に託して下さったもの。
それは神様の許しの中で、神様の喜ばれるように使うことを前提に、
私たちに任されているもの。
それをどのように使うのか、問われているように思いました。
何に投資するのか、問われているように感じました。
最近、「次の世代のために何ができるか」と言うことをよく考えます。
自分が先輩達に与えられたように、私も次の世代にのために投資できるだろうかと。
神様から託されているものを、
喜んで与える、喜んでささげるものでありたいと思います。
次の世代のために。
主よ、
私に愛を与えて下さい。
あなたに対する愛を、
次の世代に対する愛を与えて下さい。
そのために、
いつもいつも、あなたからどんなに大きな愛を与えられているか、
忘れることがありませんように。
どんなに大きな愛を与えられているか、見つめ続けることができますように。
明日の日曜日に祝福を満たして下さい。
2007-01-26
良いわざに励む
今日は寒かったですねえ。
朝の気温は-14度C。
そして、昼間も-6度C。おまけに風もありました。
夜になって一度-8度まで下がった気温が、
今は-7度。
あまりこれ以上下がらないようです。
明日あさっては気温がプラスに上がって、
ちょっと楽になるようです。
そして、月曜日の朝には金曜日と同じようにちょっと雪が降って、また寒くなるみたいです。
今日は、「証し」の第2章。
今日の信徒勉強会では「証し」について学んだんですが、
その基準からすると神様を指し示す「証し」というより、
spiritual autobiography(自分の霊的な足跡をたどる作業)なのですが、
でも、その中でも、神様が私の人生にどんなことをして下さったか、
それが伝わったらいいなあ、と思います。
そう、自分の子供時代の中で大きな存在だったのは、
両親もでしたが、
正直言うと、兄弟の存在は大きかったです。
男ばかりの4人兄弟の2番目なのですが、
上の3人は年齢が近かったので、ほんとうに兄と弟の存在が自分にはものすごい、
影響がありました。
2つ上の兄はリーダーシップもあるし、
優しいし、
ちょっと変わっているところもあるけれども、
兄弟のまとめ役。
頼りにしていました。
私も生意気だったと思いますが、
かわいがってもらいました。
そして、兄の後をついていくのが、常になりました。
「お兄ちゃんがいくならボクもいく」
「お兄ちゃんがするなら、ボクもする」
それで交通事故にもあったのですが・・・。
中学でトロンボーンを始めたのも、
牧師になりたいと思い始めたのも(最終的には自分の決断でしたが・・・)、
兄の存在によるものでした。
弟は元気で楽しいヤツでした。
でも、1才違いの兄の私にとっては
また「生意気なヤツ」でもありました。
言葉では勝てない無口で内気な私にとって(ホント)、
どうやって弟を打ちのめしてやるか、
ぐうの音も出ないほどにしてやるか、
それが課題でした。
きつい目つきでにらみつけたり、
手を出したり足を出したり、
とにかくケンカをしたら、泣かさなければいけません。
でも、その後、必ず親に叱られて、自分も泣くことになるのですが・・・。
そう、いつも弟をいじめていたことが、
子供時代の「罪意識」の中心でした。
初めて「君にも罪がある」という話を聞いたときに、
何の抵抗もなくそれを「ほんとうにそうだ」と感じることができたのは、
そういう自分がイヤでしょうがなかったからです。
それが私に「救いの経験」を与えてくれました。
今日の聖書。
今日はテトスへの手紙の3章です。
「神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」
8節の言葉です。
今日、日曜日の礼拝説教の準備をしながら、
ほんとうに「福音」の大切さを感じていました。
私たちは良い行いによって救われるのではない。
立派な人間になったら神様に受け入れられるのではない。
私たちは罪人なのに、神様は私たちを愛して下さって、
私たちのためにイエスを与え、
イエスが十字架の上で私たちの罪のために身代わりの死を経験して下さることによって、
私たちが赦される、というその福音です。
良い行いによって救われるのではないのです。
でも、良い行いをするようにと、
私たちは生かされているのです。
ただ、キリストの福音に感謝しながら、
愛されている喜びに満たされながら、
そのパワーを「良い行い」に向けていく、
そのように私たちは使命を与えられているんだと思います。
良い行いによって救われるのではなくて、
救われた喜びによって良い行いをするのです。
私の行いが人々を生かすものとなるようにと願います。
主よ、
御言葉によって生かしてください。
福音によって生かしてください。
喜びを満たして下さい。
あなたが与えて下さった大きな愛に感謝します。
どうか、その大きな愛に感謝して、
感謝と喜びを、「良い行い」に向けていくことができますように。
朝の気温は-14度C。
そして、昼間も-6度C。おまけに風もありました。
夜になって一度-8度まで下がった気温が、
今は-7度。
あまりこれ以上下がらないようです。
明日あさっては気温がプラスに上がって、
ちょっと楽になるようです。
そして、月曜日の朝には金曜日と同じようにちょっと雪が降って、また寒くなるみたいです。
今日は、「証し」の第2章。
今日の信徒勉強会では「証し」について学んだんですが、
その基準からすると神様を指し示す「証し」というより、
spiritual autobiography(自分の霊的な足跡をたどる作業)なのですが、
でも、その中でも、神様が私の人生にどんなことをして下さったか、
それが伝わったらいいなあ、と思います。
そう、自分の子供時代の中で大きな存在だったのは、
両親もでしたが、
正直言うと、兄弟の存在は大きかったです。
男ばかりの4人兄弟の2番目なのですが、
上の3人は年齢が近かったので、ほんとうに兄と弟の存在が自分にはものすごい、
影響がありました。
2つ上の兄はリーダーシップもあるし、
優しいし、
ちょっと変わっているところもあるけれども、
兄弟のまとめ役。
頼りにしていました。
私も生意気だったと思いますが、
かわいがってもらいました。
そして、兄の後をついていくのが、常になりました。
「お兄ちゃんがいくならボクもいく」
「お兄ちゃんがするなら、ボクもする」
それで交通事故にもあったのですが・・・。
中学でトロンボーンを始めたのも、
牧師になりたいと思い始めたのも(最終的には自分の決断でしたが・・・)、
兄の存在によるものでした。
弟は元気で楽しいヤツでした。
でも、1才違いの兄の私にとっては
また「生意気なヤツ」でもありました。
言葉では勝てない無口で内気な私にとって(ホント)、
どうやって弟を打ちのめしてやるか、
ぐうの音も出ないほどにしてやるか、
それが課題でした。
きつい目つきでにらみつけたり、
手を出したり足を出したり、
とにかくケンカをしたら、泣かさなければいけません。
でも、その後、必ず親に叱られて、自分も泣くことになるのですが・・・。
そう、いつも弟をいじめていたことが、
子供時代の「罪意識」の中心でした。
初めて「君にも罪がある」という話を聞いたときに、
何の抵抗もなくそれを「ほんとうにそうだ」と感じることができたのは、
そういう自分がイヤでしょうがなかったからです。
それが私に「救いの経験」を与えてくれました。
今日の聖書。
今日はテトスへの手紙の3章です。
「神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」
8節の言葉です。
今日、日曜日の礼拝説教の準備をしながら、
ほんとうに「福音」の大切さを感じていました。
私たちは良い行いによって救われるのではない。
立派な人間になったら神様に受け入れられるのではない。
私たちは罪人なのに、神様は私たちを愛して下さって、
私たちのためにイエスを与え、
イエスが十字架の上で私たちの罪のために身代わりの死を経験して下さることによって、
私たちが赦される、というその福音です。
良い行いによって救われるのではないのです。
でも、良い行いをするようにと、
私たちは生かされているのです。
ただ、キリストの福音に感謝しながら、
愛されている喜びに満たされながら、
そのパワーを「良い行い」に向けていく、
そのように私たちは使命を与えられているんだと思います。
良い行いによって救われるのではなくて、
救われた喜びによって良い行いをするのです。
私の行いが人々を生かすものとなるようにと願います。
主よ、
御言葉によって生かしてください。
福音によって生かしてください。
喜びを満たして下さい。
あなたが与えて下さった大きな愛に感謝します。
どうか、その大きな愛に感謝して、
感謝と喜びを、「良い行い」に向けていくことができますように。
2007-01-25
威厳を保つ
いやあ、今日は寒いですねえ。
家の中にいても、冷たい空気がどこからか忍び込んできてるみたいです。
朝起きたら、外は雪化粧。
1-2センチくらい積っていましたね。
そして、今は夜の12時頃ですが、
外は-10.9度C。
今もまだまだ下がっています。
明日の朝は-13度くらいでしょうか?
大雪は降らないのですが、
時々小雪が舞う日がここ数日あるみたいですね。
昨日の夜、
日曜日に放送されていた「平成教育委員会」見ましたが、
その中で日本語の問題がいろいろ出ていました。
難しいですよね。
ATOK & 一太郎 第2回全国一斉日本語テスト
やってみましたが、
うーん、難しいもんですね。
平均は超えましたが、
言葉を使う仕事をしているのに、
こんなにもいい加減なのかと・・・。
特にマナーとか敬語の使い方とか・・・。
最近どうなのかなと思うのは、
「了解」と「了承」と「承知」の使い方。
「ご了承下さい」という言葉をよく聞きますが、
「承る」という言葉は「謙譲語」なのに、
それを使った「了承する」という言葉は「謙譲語」ではない、ってわけなんでしょうか。
「謙譲語」だと「承知する」?「承知致しました」とか。
でも、個人的には「ご了承下さい」って言葉も、何か、違和感あって、
いろいろ考えて今日も「ご了解下さい」という言葉を使いましたが、
それも、ちょっとおかしいなあ、と思い・・・、
何か難しいですね。
こういうとき、社会経験のなさが露呈してしまいます。
気にしすぎると、よけいおかしくなるけど、
最低限のことは身につけておきたいなあ、と思います。
同世代の中でも平均より下じゃないということは、
特別に無知なのではないかもしれませんが、
「牧師のための日本語講座」とか、どなたかにやって頂こうかな。
で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙2章でした。
最後の15節が心に留りました。
「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。」
「権威をもって話す」「軽んじられないように」
どきっとします。
自分の権威ではなくて、
神様が与えて下さった権威、
それをほんとうに分っていない自分がいるような気がしたからです。
主の召しに対する確信、
主が与えて下さったこの教会の牧師としての使命、
そして権威。
それをしっかりと信じて、
信頼して、与えられたメッセージを語ることの責任を感じさせられています。
自分の能力とかを考えると、
権威とは無縁ですが、
主が与えて下さった権威を軽く見ないで、
また、人からも自分という人間ではなくて、
主が与えて下さっている権威を軽く見られることがないように、
堅く立っていくことが大切だと思わされました。
主よ、
あなたの使命、
あなたの与えて下さっている権威を感謝します。
その使命と権威を私自身が、
軽く見てしまうことがありませんように。
「謙虚でありたい」という言葉を、
自分の甘えの隠れ蓑にすることがありませんように。
また、あなたが与えて下さっている権威が
軽く見られているときに、それに甘んじることのない勇気を与えて下さい。
あなたの与えて下さっている権威にもっともっと信頼できますように。
家の中にいても、冷たい空気がどこからか忍び込んできてるみたいです。
朝起きたら、外は雪化粧。
1-2センチくらい積っていましたね。
そして、今は夜の12時頃ですが、
外は-10.9度C。
今もまだまだ下がっています。
明日の朝は-13度くらいでしょうか?
大雪は降らないのですが、
時々小雪が舞う日がここ数日あるみたいですね。
昨日の夜、
日曜日に放送されていた「平成教育委員会」見ましたが、
その中で日本語の問題がいろいろ出ていました。
難しいですよね。
ATOK & 一太郎 第2回全国一斉日本語テスト
やってみましたが、
うーん、難しいもんですね。
平均は超えましたが、
言葉を使う仕事をしているのに、
こんなにもいい加減なのかと・・・。
特にマナーとか敬語の使い方とか・・・。
最近どうなのかなと思うのは、
「了解」と「了承」と「承知」の使い方。
「ご了承下さい」という言葉をよく聞きますが、
「承る」という言葉は「謙譲語」なのに、
それを使った「了承する」という言葉は「謙譲語」ではない、ってわけなんでしょうか。
「謙譲語」だと「承知する」?「承知致しました」とか。
でも、個人的には「ご了承下さい」って言葉も、何か、違和感あって、
いろいろ考えて今日も「ご了解下さい」という言葉を使いましたが、
それも、ちょっとおかしいなあ、と思い・・・、
何か難しいですね。
こういうとき、社会経験のなさが露呈してしまいます。
気にしすぎると、よけいおかしくなるけど、
最低限のことは身につけておきたいなあ、と思います。
同世代の中でも平均より下じゃないということは、
特別に無知なのではないかもしれませんが、
「牧師のための日本語講座」とか、どなたかにやって頂こうかな。
で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙2章でした。
最後の15節が心に留りました。
「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。」
「権威をもって話す」「軽んじられないように」
どきっとします。
自分の権威ではなくて、
神様が与えて下さった権威、
それをほんとうに分っていない自分がいるような気がしたからです。
主の召しに対する確信、
主が与えて下さったこの教会の牧師としての使命、
そして権威。
それをしっかりと信じて、
信頼して、与えられたメッセージを語ることの責任を感じさせられています。
自分の能力とかを考えると、
権威とは無縁ですが、
主が与えて下さった権威を軽く見ないで、
また、人からも自分という人間ではなくて、
主が与えて下さっている権威を軽く見られることがないように、
堅く立っていくことが大切だと思わされました。
主よ、
あなたの使命、
あなたの与えて下さっている権威を感謝します。
その使命と権威を私自身が、
軽く見てしまうことがありませんように。
「謙虚でありたい」という言葉を、
自分の甘えの隠れ蓑にすることがありませんように。
また、あなたが与えて下さっている権威が
軽く見られているときに、それに甘んじることのない勇気を与えて下さい。
あなたの与えて下さっている権威にもっともっと信頼できますように。
2007-01-24
言葉と行動
今は夜の11時前。
9時過ぎにNYから無事帰還しました。
今日2回目の更新です。
これで「一日一章」が追いつきます。
気温は0.8度「も」あります。
「も」というのは、
明日あさってはここまで上がることはないだろうからです。
今北の方からどんどん冷たい空気が南に降りてきているみたいで、
今夜から明日にかけてにわか雪が降るみたいです。
軒並み60パーセントの雪の確率が出てきています。
うっすら雪化粧するかもしれません。
で、何日か前に「ああ、消えたー」と落ち込んだのは、
どんなことを書いていたかというと、
「証し」の1章として、
「牧師の家庭に生まれたこと」でした。
「牧師の家庭」に生まれるということは、
日本ではほんとうに特別なことだと思います。
100人に1人のクリスチャンで、
そのうちの牧師のうちなんて。
だから「恵まれている」ことは確かです。
もしも、自分が牧師の家に生まれていなかったらクリスチャンになっていたか?
どうだっただろうか、と思います。
だから、私にとって、そこに生まれたことはとても良かったことなのです。
それなしに今の自分はあり得ません。
でも・・・
まさにそれがゆえにある「痛み」もあると思います。
少なくとも私の場合は。
勘違いしないでください。
別に何か特別なことがあったわけではありません。
やはり恵まれているんだと思います。
でも
「恵まれているんだよ」と言われれば言われるほど、
行き場がなくなってしまうのです。
自分でも自分にそういい聞かせます。
そして、自ら行き場をつぶしていくのです。
何か、「何があったんだろう?」と疑心暗鬼になる方がおられると困るので、
「何も特別なことはなかったんだよ」という意味で、ちょっと書きますと・・・。
何でしょうか、自分で自分にプレッシャーをかけていたのでしょうか、
「牧師の息子だからこうしなければいけない」という気持ちはいつもありました。
学校の友達にも「教会の子供がそんなことをしていいのか?」みたいな、言われ方もしましたしね。
教会も楽しかったです。別に嫌なことがあったわけではないです。
でも、自分たちの休みの日である日曜日は親は一番忙しい日。
自分たちの親ではなくなり、教会のみなさんのものになる日。
祝日も何かいろいろ教会行事が入ったものです。
小学校1年生の時に、
『開校記念日』で、日曜日でも祝日でも何でもない日が休みになったとき、
5月13日。絶対に忘れません。
父が潮干狩りに連れて行ってくれました。
それから、ずっと「また潮干狩りに行きたい」と37年間思い続けています。
というくらいなんです。
だから、特別に何かがあったわけではないのです。
書きながら、「自分の『痛み』ってそんなもんかい、やっぱりホントに恵まれているよなあ」と、また思いました。
うーん、まだ自分の中でどう受け取っていいのか分らないのかもしれません。
これは自分の人生の宿題ですね。
で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙に入って、1章。
「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。」
16節
どきっとする言葉ですよね。
「言ってることとやってることが違うじゃないですか!」
なんて言葉を聞いたりします。
他人事とは思えない感じがしました。
自分はどんな生き方をしているだろうかと。
もう一つの聖書の言葉を思い出しました。
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブの手紙1章22-24節
神様を神様とする歩み。
それが信仰のキモなんでしょう。
自分を神様にするのではなくて、
神様を神様とする。
明日は今月最後のJOYJOYキッズクラブです。
神様のすばらしさが示されますように。
主よ、
どうか、御言葉を聞くだけ、語るだけのものではなく、
そこに生きる者としてください。
自分を神とするのではなく、
あなたを神として従っていくことができますように。
明日のキッズクラブも祝福して、
たくさんの子ども達との出会いが与えられますように。
9時過ぎにNYから無事帰還しました。
今日2回目の更新です。
これで「一日一章」が追いつきます。
気温は0.8度「も」あります。
「も」というのは、
明日あさってはここまで上がることはないだろうからです。
今北の方からどんどん冷たい空気が南に降りてきているみたいで、
今夜から明日にかけてにわか雪が降るみたいです。
軒並み60パーセントの雪の確率が出てきています。
うっすら雪化粧するかもしれません。
で、何日か前に「ああ、消えたー」と落ち込んだのは、
どんなことを書いていたかというと、
「証し」の1章として、
「牧師の家庭に生まれたこと」でした。
「牧師の家庭」に生まれるということは、
日本ではほんとうに特別なことだと思います。
100人に1人のクリスチャンで、
そのうちの牧師のうちなんて。
だから「恵まれている」ことは確かです。
もしも、自分が牧師の家に生まれていなかったらクリスチャンになっていたか?
どうだっただろうか、と思います。
だから、私にとって、そこに生まれたことはとても良かったことなのです。
それなしに今の自分はあり得ません。
でも・・・
まさにそれがゆえにある「痛み」もあると思います。
少なくとも私の場合は。
勘違いしないでください。
別に何か特別なことがあったわけではありません。
やはり恵まれているんだと思います。
でも
「恵まれているんだよ」と言われれば言われるほど、
行き場がなくなってしまうのです。
自分でも自分にそういい聞かせます。
そして、自ら行き場をつぶしていくのです。
何か、「何があったんだろう?」と疑心暗鬼になる方がおられると困るので、
「何も特別なことはなかったんだよ」という意味で、ちょっと書きますと・・・。
何でしょうか、自分で自分にプレッシャーをかけていたのでしょうか、
「牧師の息子だからこうしなければいけない」という気持ちはいつもありました。
学校の友達にも「教会の子供がそんなことをしていいのか?」みたいな、言われ方もしましたしね。
教会も楽しかったです。別に嫌なことがあったわけではないです。
でも、自分たちの休みの日である日曜日は親は一番忙しい日。
自分たちの親ではなくなり、教会のみなさんのものになる日。
祝日も何かいろいろ教会行事が入ったものです。
小学校1年生の時に、
『開校記念日』で、日曜日でも祝日でも何でもない日が休みになったとき、
5月13日。絶対に忘れません。
父が潮干狩りに連れて行ってくれました。
それから、ずっと「また潮干狩りに行きたい」と37年間思い続けています。
というくらいなんです。
だから、特別に何かがあったわけではないのです。
書きながら、「自分の『痛み』ってそんなもんかい、やっぱりホントに恵まれているよなあ」と、また思いました。
うーん、まだ自分の中でどう受け取っていいのか分らないのかもしれません。
これは自分の人生の宿題ですね。
で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙に入って、1章。
「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。」
16節
どきっとする言葉ですよね。
「言ってることとやってることが違うじゃないですか!」
なんて言葉を聞いたりします。
他人事とは思えない感じがしました。
自分はどんな生き方をしているだろうかと。
もう一つの聖書の言葉を思い出しました。
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブの手紙1章22-24節
神様を神様とする歩み。
それが信仰のキモなんでしょう。
自分を神様にするのではなくて、
神様を神様とする。
明日は今月最後のJOYJOYキッズクラブです。
神様のすばらしさが示されますように。
主よ、
どうか、御言葉を聞くだけ、語るだけのものではなく、
そこに生きる者としてください。
自分を神とするのではなく、
あなたを神として従っていくことができますように。
明日のキッズクラブも祝福して、
たくさんの子ども達との出会いが与えられますように。
時が良くても悪くても
今日はNYの日です。
昨日の夜よりも今朝の方がちょっと暖かくなったような気がします。
でも、だまされてはいけません。
これから寒くなるみたいですから、
明日は小雪やにわか雪が降るだろうということですから、
そしてあさっては昼間でも-5度以下だそうですから・・・。
月曜日に4年に一度の免許証の更新にLodiにいってきました。
厳しくなったという話も聞きますが、
逆にデジタル化されて、とても早くなったような気もします。
来られたばかりの方々はIDをそろえるのが大変なようですが、
14年もいると、その場で「これある?これは?じゃ、これは?」って聞かれるまま
出していったら、そろってしまいました。
そして、1/8に書いた臓器移植のこと、
ちゃんと書類に書く欄がありました。
そこにチェックを入れると、免許証にOrgan Donerと入ります。
そして写真も「今までの使う?」と聞かれて、Yesと答えたもんだから、
全部で15分くらいでしょうか?
家を出てから帰るまでで45分でした。
4年前は「郵送での更新OK」で
その後、厳しくなって、本人の出頭が必要で、
時間がかかるようになったみたいですが、
ちょうど今回の更新の時には迅速化されていて、ラッキーだったと言えましょう。
2週間後にはいよいよ息子が16歳になってLearner's Permitです。
「もうかい!?」って感じです。
で、昨日の聖書。
昨日はテモテ第2の手紙4章でした。
心に留ったのは
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」2節
2つのことを教えられました。
1つ目はいつでも伝道すること。
状況的に伝道に適しているとき、適していないとき、ということがやっぱりあるんですね。
でも、たとえ「適していない」時であったとしても、御言葉を伝える責任があるということ。
「とにかく伝道しなさい」ということ。
励まされました。
そして2つ目は「教えたり、責めたり、戒めたり、勧めたりすることの大切さ」です。
「責めたり、戒めたり」というのはやはりリスクが伴います。
「そんなこと言われたくない」とか「そっちだって・・・」というときもあるでしょう。
「わたしを裁くのか」と言われるかもしれません。
でも、それを恐れていてはいけないんですね。
責められたり、戒められたりすることによって、
主の前に出て、御言葉によって成長するチャンスもあるのに、
それをみすみす奪っているのかもしれません。
愛と誠実さを持って
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
主よ、
御言葉の力を信頼して、
伝道させて下さい。
御言葉の力を信頼して、
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
私自身、御言葉によって整えて下さい。
そして、大胆に語る者とならせてください。
昨日の夜よりも今朝の方がちょっと暖かくなったような気がします。
でも、だまされてはいけません。
これから寒くなるみたいですから、
明日は小雪やにわか雪が降るだろうということですから、
そしてあさっては昼間でも-5度以下だそうですから・・・。
月曜日に4年に一度の免許証の更新にLodiにいってきました。
厳しくなったという話も聞きますが、
逆にデジタル化されて、とても早くなったような気もします。
来られたばかりの方々はIDをそろえるのが大変なようですが、
14年もいると、その場で「これある?これは?じゃ、これは?」って聞かれるまま
出していったら、そろってしまいました。
そして、1/8に書いた臓器移植のこと、
ちゃんと書類に書く欄がありました。
そこにチェックを入れると、免許証にOrgan Donerと入ります。
そして写真も「今までの使う?」と聞かれて、Yesと答えたもんだから、
全部で15分くらいでしょうか?
家を出てから帰るまでで45分でした。
4年前は「郵送での更新OK」で
その後、厳しくなって、本人の出頭が必要で、
時間がかかるようになったみたいですが、
ちょうど今回の更新の時には迅速化されていて、ラッキーだったと言えましょう。
2週間後にはいよいよ息子が16歳になってLearner's Permitです。
「もうかい!?」って感じです。
で、昨日の聖書。
昨日はテモテ第2の手紙4章でした。
心に留ったのは
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」2節
2つのことを教えられました。
1つ目はいつでも伝道すること。
状況的に伝道に適しているとき、適していないとき、ということがやっぱりあるんですね。
でも、たとえ「適していない」時であったとしても、御言葉を伝える責任があるということ。
「とにかく伝道しなさい」ということ。
励まされました。
そして2つ目は「教えたり、責めたり、戒めたり、勧めたりすることの大切さ」です。
「責めたり、戒めたり」というのはやはりリスクが伴います。
「そんなこと言われたくない」とか「そっちだって・・・」というときもあるでしょう。
「わたしを裁くのか」と言われるかもしれません。
でも、それを恐れていてはいけないんですね。
責められたり、戒められたりすることによって、
主の前に出て、御言葉によって成長するチャンスもあるのに、
それをみすみす奪っているのかもしれません。
愛と誠実さを持って
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
主よ、
御言葉の力を信頼して、
伝道させて下さい。
御言葉の力を信頼して、
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
私自身、御言葉によって整えて下さい。
そして、大胆に語る者とならせてください。
2007-01-23
神の人を整えるため
今日も寒い日でした。
昨日の夜もちらほら小雪が舞っていましたが、
それだけです。
木曜日もそうみたいです。
Stormではなくて、小雪が舞うくらいみたいです。
そして、金曜日は今年一番の寒さになるようです。
どうやらこのまま雪かきをしないまま、2月を迎えることになりそうです。
今日も早速聖書に行きます。
昨日の聖書はテモテ第2の手紙3章でした。
その中で心に留った言葉は、
「それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」17節の言葉です。
「十分に整えられた者」
これはまた大切な言葉ですね。
「奉仕のうちで整えられる」という面があると思います。
「十分に整えられるまで奉仕はできない」というのはまた違うかなあと思います。
でも、ほんとうに用いられるために「整えられる」ということがどれほど大切かと思います。
考えてみれば、
モーセも、情熱に燃えて、地位もあったときには用いられませんでした。
ペテロも、主のためにどこまでも!と情熱だけだったときには失敗だらけでした。
弱さを知り、砕かれたときに、用いられたのです。
主にとっては、この「整えられる」ということがどれほど大切なことかと思いました。
御言葉によって整えられて、用いて頂きたいと思いました。
御言葉がまた一人ひとりを整えてくださるのを見せて頂きたいと思いました。
人が救われることもほんとうに大きな喜びです。
でも、それだけではなくて、
キリストを信じた方が、
みことばに取り扱われて、
悔い改めに導かれて、
主によって整えられて、
主に用いられていくのを見るのは、
どれほど大きな喜びでしょうか?
そのような御業を日々の歩みの中で見せて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたのみことばに感謝します。
どうか、わたしに日々に御言葉を与えて下さい。
ただ「いいなあ」というレベルではなく、
魂を探られるような、魂が砕かれるような、
魂がゆさぶられるような御言葉を与えて下さい。
昨日の夜もちらほら小雪が舞っていましたが、
それだけです。
木曜日もそうみたいです。
Stormではなくて、小雪が舞うくらいみたいです。
そして、金曜日は今年一番の寒さになるようです。
どうやらこのまま雪かきをしないまま、2月を迎えることになりそうです。
今日も早速聖書に行きます。
昨日の聖書はテモテ第2の手紙3章でした。
その中で心に留った言葉は、
「それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」17節の言葉です。
「十分に整えられた者」
これはまた大切な言葉ですね。
「奉仕のうちで整えられる」という面があると思います。
「十分に整えられるまで奉仕はできない」というのはまた違うかなあと思います。
でも、ほんとうに用いられるために「整えられる」ということがどれほど大切かと思います。
考えてみれば、
モーセも、情熱に燃えて、地位もあったときには用いられませんでした。
ペテロも、主のためにどこまでも!と情熱だけだったときには失敗だらけでした。
弱さを知り、砕かれたときに、用いられたのです。
主にとっては、この「整えられる」ということがどれほど大切なことかと思いました。
御言葉によって整えられて、用いて頂きたいと思いました。
御言葉がまた一人ひとりを整えてくださるのを見せて頂きたいと思いました。
人が救われることもほんとうに大きな喜びです。
でも、それだけではなくて、
キリストを信じた方が、
みことばに取り扱われて、
悔い改めに導かれて、
主によって整えられて、
主に用いられていくのを見るのは、
どれほど大きな喜びでしょうか?
そのような御業を日々の歩みの中で見せて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたのみことばに感謝します。
どうか、わたしに日々に御言葉を与えて下さい。
ただ「いいなあ」というレベルではなく、
魂を探られるような、魂が砕かれるような、
魂がゆさぶられるような御言葉を与えて下さい。
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