2006-05-23

私たちを弁護する方

今朝は寒かったですね。
6.3度まで下がりました。
朝、ナスの苗が寒さのあまりしなびていました。
まだポットに植えてあるので、入れておけば良かったのですが、
まあ、大丈夫だろうと思ったのが間違いでした。
カメラが今出かけているので、どんな状態だったかお見せ出来ないのは残念ですが、
めちゃくちゃショックでした。
午後になって
暖かくなってきたら、まっすぐに立ちましたが・・・。

今夜はどうかなあ。
後悔先に立たずだから、取り込んでおきます。

今日の午後の集会では、
「聞く」ということを学んでいます。
うーん、とうなりたくなるほど的確で、
「あるある」と思うような事例が出てきます。
確かに人の話を聞くことは、
できているようでできていないことです。
「自分で責任を担う」ということが今日は出てきました。
人のせいにしない、ということです。
すぐに「そっちがそんな言い方するから・・・」
と相手の責任を追及して、自分の責任からは逃げている、
でも、本当は、みんな自分の決断で、話して、
自分の決断で行動しているんですよね。

「今日はこれをやらなきゃいけない」「あそこに行かなきゃいけない」
そんなことを言いますが、それはすべて自分で選んでいるんです。
「これをやる」ことを選び、「あそこに行く」ことを選んでいるんです。
何をすべきかを考え、それをしなかったときの影響を考え、
一つの行動を選んでいるんです。
でも、私たちはつい、「やらなきゃいけない」「行かなきゃいけない」という言い方をする。
「でも、私はあの人にやらされているんだ」と言うかもしれません。
でも、本当は、従った場合と従わなかった場合の結果を比べて、
「その人に従う」という方を選んでいるんです。

人のせいにするのは止めようと、思いました。

明日は朝4時半に起きなければいけません。あれ?そうじゃない。
明日は朝4時半に起きる、ということを私は選びました。
あれ、4時半に起きたら遅いのかな、4時半に家を出るのかな?
ま、いいや、4時半に起きて、4時40分に家を出ることを選びました。決めた。

今日はゼカリヤ書1-7章を読みました。
あ、あと2日で旧約聖書が終わります。
6月いっぱいで新約聖書まで読み終わるでしょうか?
まあ、それは大した問題ではありません。
毎日、御言葉に触れていくことの方が大切ですから。

心に留ったのは、3章2節の言葉です。
ここで、サタン(悪魔)が大祭司を訴えています。
その訴えを聞いた神様がサタンに対して、言うのがこの2節です。
「サタンよ、主はおまえを責められる」
サタンは私たちを責める。でも神様は私たちを弁護してくださる。
ましてや、イエスはご自分の血潮をもって、私たちを赦してくださった。
私たちを弁護してくださる。
私たちの味方になって下さる。
この大祭司の衣が汚れていたように、
私たちは本当に罪人だ。
なのに、主は私たちの弁護をしてくださる。
本当はサタンの言うとおりなのかもしれない。
責められなければいけない存在なのだろう。
でも、主は私たちを弁護してくださる。
何という幸いだろうか?
私たちの方には、弁護される資格などないのに、神は弁護してくださる。

主よ、
あなたが私たちの味方であり、
私たちの弁護者であることに感謝します。
それに甘えてしまうことがないように、
本当はそんな資格もないものであることを忘れることがないようにしてください。
そして、感謝する心を失わないように守ってください。
私の側に立ってくださることに感謝します。

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