2006-05-21

主の許で休む

自分は周りの人に影響を受けやすい人間だなあ、と思います。
頑固なところもありますがねえ。
特にゲスト・メッセンジャーの姿に影響を受けます。
さすがに元ヤクザの牧師さんの時には、経験の違い、キャラクターの違いで、
あんまり考えませんでしたが、
昨日の集会でお話ししてくださった先生の姿を見ながら、
あのように語りたいなあ、と思いました。
今日の礼拝の中で、あのようには語れないなあ、と焦っている自分がいました。

ちょっといろんなことに追われすぎていたのかもしれません。
時間がないわけではないのに、自分で勝手に焦っていたのかもしれません。
一生懸命、人の心に届く牧師になろうと焦っていたのかもしれません。
今朝、静まって祈っている中で、
「すべて重荷を負って疲れている者は、わたしのもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう」との言葉が心に響いてきました。
イエスが私の心に語りかけてくださいました。
不思議と焦りが消えて、ただ、神様のすばらしさを見たい、
神様の奇跡を見たい、イエスによって造りかえられる人の姿を見たい、
その場に居合わせる祝福を与えてください、その祈りだけが残りました。

今日の礼拝もすばらしい神様の祝福の溢れるところとなりますように。

今日はナホム書とハバクク書を読みました。
ハバクク書は「神への疑問」が投げかけられていて、興味深いです。
心に留ったのはハバクク1:5の言葉です。
昨日、東欧の話を聞いたからでしょうか?
「おまえ達の時代に一つのことが行われる」という言葉が心に残りました。
自分は毎日毎日平和であるかのような歩みをしている、
それはそれで感謝すべきことだと思う。
でも、主は大きなことをなさろうとしておれる、時代を動かそうとされている。
その大きな流れの中に生かされているのだ。
また、何か起るんだろうなあ。
でも、そこで動かされないものを持っていたい。
主がすべてを御手の中に収めておられることを信頼して歩んでいきたい。

主よ、
あなたのもとで安らぐことができたことに心から感謝します。
今日の礼拝を祝福してください。
あなたのすばらしさを見ることができますように。

2 comments:

  1. 私は先生のしゃべり方も大好き。

    錦織先生が錦織先生らしさをなくして、他の先生のように話したら、さぞ残念だと思う人がいっぱいいるでしょうに。

    いろいろな主に仕える先生がいらっしゃって、そんな方々を通して、主をより知ることができるのは、信徒にとってとても幸せなことです。

    今日の礼拝待ち望みつつ。

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  2. コメントありがとうございます。
    本当に主がそこに生かしてくださる一人一人なんですよね。

    主の許に休む。ずっとずっと持ち続けるテーマでしょう。

    今日の礼拝は感謝でした。
    ホント、「歌を聴いている」というよりは、一緒に賛美している気持ちでした。

    主が今日来られたお一人一人の心に触れ続けてくださいますように。

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