2010-11-12

明けの明星。

今朝は、6時ごろに、東の空に、金星が明るく輝いていました。
さすがにiPhoneのカメラでは・・・と思いながら、撮ってみると、
・・・ハハハ、わかるかな。



ま、わからなくもない・・・というところでしょうか。
ゴミが付いたのかな?という程度。


でも、ちゃんと写るんですから、ほんとに明るいんですね。
マイナス4等星くらいだそうです。


冷えましたが、ぎりぎり氷点下にならず。0.5度。
昼間は暖かくなりました。
夜はそこそこ冷えて、今9時半前で5.5度。


この先、週末は暖かな日が続きそうです。


さて、今日は早速聖書。
今日はレビ記の16章1−22節。


「わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現れるからである。」2節。

「贖いのふた」とはイエスのことを予表するもの。
イエスの十字架を予表するもの。
そこにご自身が現れてくださる。

そう、神さまはいつも十字架の上にご自身をあらわされる。
その愛を知りたければ、十字架を見ればいい。
それなのに、いつの間にか、私たちは、
「物事の順調さ」に神を見ようとする。

たとえば、健康が与えられたり、
仕事が順調だったり、
子どもが願っていた学校に進めることの中に、
神様の祝福を見ようとする。

だから、うまくいかないと、
「神様の愛がわからない」となってしまう。

でも、聖書はそんなところに神の愛をさがすなよ、
と言っていると思う。

いかにも神さまが祝福してくださっている、
というところよりも、
神さまがおられるなら、どうして、というところにこそ、
私たちのちっぽけな頭で、一番「神さまらしからぬ」ところに、
ご自分をあらわされる。

十字架はその極致。

人々は「お前がそこから降りたら信じよう」とののしった。

そう、人間の常識では、
神だったら、神の子だったら、
そこから降りることができて当然だ、
いや、そこから降りるべきだ、
そんなところにイエスは行かれたのだ。

なのに、私たちはいつの間にか、
「トントン拍子に行く」
「うまく物事が進む」
ことのなかに、「神さま」を見ようとしていないだろうか?

十字架のもとに行こう。
そして、自分自身も十字架を負って歩み始めよう。
そこに神さまがおられるというのだから。

主よ、
あなたが、イエスの十字架に、ご自身を現しておられること、
そこに気がつかせてくださってありがとうございます。
あなたの十字架のもとにやすらい、
自分の十字架を背負って歩む者であることができますように。

2010-11-11

葉っぱのフレディを読む。

今日はまたいい天気でした。
朝から晩までスカっと晴れました。


夜、冷えてきています。
今は夜の11時ですが、すでに2.5度。
明日の朝は氷点下ですね。


この秋最低の−0.2度を下回る可能性もあり!


さて、今日はMaywoodのJOYJOYキッズクラブ。
楽しかったです。20人余りの子たちが来てくれました。
そのなかの7割くらいが男の子。


そんな中で、今日は久しぶりに私が絵本の読み聞かせを担当しました。
今月は秋らしく「葉っぱのフレディ」。
子供たちは一生懸命聞いてくれました。


日野原先生が紹介してくださったということもあり、
日本では、クリスチャンの間でもかなり受け入れられている本であり、
またアメリカでも、Cokesburyなど、クリスチャン系の本屋でも売られています。


でも、今回、もう一度読んでみて、
聖書の死生観とどこまで一致するのか、いろいろ考えさせられています。


まあ、一番簡単なのは「聖書とは違う」と一刀両断してしまうことなんですが、それもいいのかな・・・というところもあり。


でも、今回もう一度英語で読んでみて、
それから日本語訳も読んでみて、
ずいぶん印象が違うことが気になりました。


私にとって決定的に違うな、と思わされたのは、


原作の
"Will we return in the Spring?" (春になったら、僕たちはここに戻ってくるの?)
"We may not, but Life will"(多分違うな、でも、いのちは戻ってくる。)
というくだりが、日本語訳では全くなくなってしまっているところです。


"may"と柔らかにですが、「輪廻」が否定されているのが、
日本では受け入れられないと訳者は考えたのでしょうか。


生かされている意味(木の全体像は、フレディが落ちていく時に初めて見える・・・)、みんな違う存在なのだ、死は恐れなくていい、というメッセージなどは、そうだなあと思いますが、やはり神のもとに行くのだという聖書のメッセージがそこに込められているかというと、違うなあと思いました。


今日はその後に「わたしがよみがえりであり、命である」と言われたイエスのことを話してまとめましたが、ちょっとこの後もこのテーマ、考えていきたいと思います。

昨日、今日の聖書。
レビ記15章。


「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」創世記1:27。

聖書の言葉は、今日の箇所ではないけれども、レビ記15章の面倒な一つ一つの戒めを読みながら、なんで、神さまは人間を男と女とに造られたのか、いろいろおもいめぐらしていた。人間に男と女がいるから起こることがこの世にはたくさんある。

人間に男も女もなくて、ただ「人間」だけだったらどんなに楽だろうかと思ったりすることもある。

でも、男と女とに造られたことが、「神のかたちに造られた」ことの意味だという解釈もあるくらいだ。

一つ思わされたことがあった。
女性は子供を産むがゆえに、自分のお腹を痛めるがゆえに、9か月間その一部として共に生きる。でも父親は違う。それをともに歩むけれども、やはり自分の一部ではなく、自己の大切な存在である妻の中に、自分とつながりのある命が宿る。でも、やはり、母親のように、その存在が自分の一部であるということはない。だから、子供との距離感が違う。見方が違う。本当に母の愛は偉大だ。父親である私にはどうにも太刀打ちできないほどの深いものを感じる。脱帽だ。でも、また神はまた違った見方をする父親という存在をもおいておられる。

女性に男性がいることによって、神は違った視点で物を見ることを要求しているのだと思う。
逆もまた真だ。

違った視線で見る人の存在をそこに与えておられるのだと思う。

男と女が造られた神秘。
また一つ一つ知っていきたいと思う。

主よ、
私を男性として作って下ったことに感謝します。
男性として与えられていることを、
積極的に行うものとなれますように。
そして、足りないものを、主に求める者とならせてください。


また、女性がこの世に与えられていることに感謝します。
もっともっと愛し、敬うことを教えてください。

NYはこの季節がいい。

日付が変わって、昨日の事でしたが、ミッドタウンのBryant Parkを通ったら、スケートリンクがオープンしていました。まだまだ真冬の寒さには程遠いのですが、こういう風景が、この街には似合うんですねえ。

今夜は、もう遅くなったので、また、明日。

2010-11-10

バスに乗り遅れて電線に文句を言う。

NY行のバスの時間をミスして、バス停で待っていたら、
また、神様のプレゼント。携帯カメラで撮ってみるのだが、電線がジャマだと文句を言っている自分。いつもお世話になっているのにね。

かなりワガママ。

あっと、バスが来た。 BlogBooster-The most productive way for mobile blogging. BlogBooster is a multi-service blog editor for iPhone, Android, WebOs and your desktop

2010-11-09

朝の戦いは前の晩に勝負がついている。

ということで、
明日は朝から教会に行って、そのままNYに行く日なので、
今夜は早く休んでおきます。

いつだったかの学びの中で、
「次の日の朝の祈りの時のQualityは前の晩にもう勝負がついている」という文章を読みました。本当だなあと思います。

明日は朝7時半からNYのミッドタウンのマクドナルドで小さな祈り会を守ります。
Lexington Ave.の45th St.のところです。

多くの人々が生活しているマンハッタンの中で、
主の目がそこに注がれていることに感謝しながら。

2010-11-08

初sleet。

今朝は場所によっては雪も降り、
うっすら雪化粧したところもあったようですが、
こちらはほぼどんより曇り。
時々、雨が降ったり、時々「パチパチ」とsleetが降ったりしました。
このsleetというのは氷の粒で、雪よりも気温が高めでも降る場合が多いです。


明日からはしばらく暖かめの日が多いみたいです。
MY初雪はまだまだお預けのようです。


最近、こちらに滞在されて、教会に集っておられる方がおられるのですが、初めて来られたときに、「デンバーの修養会に先生が来たときに、私もそこに行っていたのです。」と言われて、「その時に初めてイエスの十字架の意味がわかったんです」と言われました。


それはうれしいですよねえ。今から9年前。まだサキがのんちのおなかの中にいた頃ですよ。
初めてJCFNに関わった修養会。
その時にお会いした方々の多くが日本に帰ったかな。
一緒にNYから行った人たちも誰が残っているだろう?
ん?もしかしたらみんな日本?
そして、天国に召されていった方もいる。


そこで時間を共有していたんですよね。
そして、一人の方がイエスの十字架の意味に目が開かれる。


それは確かに神さまのみ業。そう、人間業じゃあない。そこに関わることができたのは神様からのプレゼントだなあ、と思う。


これからも、たくさんの方々と「イエスの十字架の意味がはっきりと示された」という瞬間を共有させていただきたいと思う。


今夜はここで。

2010-11-07

S-Word

今日の朝はやはり霜が降りていて、
朝、車を出すときにカリカリ剥がした。

でも、まあ、気温は氷点下になっていなかったので、
楽でしたが・・・。

今日はいい天気でしたが、
明日は雨です。
東のほうから低気圧が西に進んできて、
もう、すでにボストンとかでは雨が降っていますが、
これが西に広がって来るようです。
そして、S-wordが天気予報に入っていました。
そう、午前中雨に雪が混じる可能性もあるようです。

でも、これからだんだん、「可能性」「混じる」から、
「雪だ!」という日が増えてくるんだと思います。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の98篇。

「主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。」3節。

この「真実」という言葉に目が留まりました。
ある英語の聖書ではindefatigable loveという言葉に訳されていました。
日本語にすると『疲れを知らない愛」。

神様の愛が疲れを知らない愛でよかった。
自分の愛は疲れることがある。

でも、この方の愛は疲れることを知らない。

この愛にどっぷりつかっていたいと思いました。
この愛の中に生かされている喜びを感じました。

主よ、
あなたの愛を感謝します。
あなたは私に対して疲れはててしまうことがない方であることに感謝します。
支えられます。励まされます。
あなたの愛の中に憩う者でありますように。

2010-11-06

神との関係に生きる。

今朝はギリギリ霜が降りるか降りないかという冷え込み。
車の窓の半分は凍って半分は大丈夫でした。


でも、明日の朝はバリバリに凍りそうです。


今は夜の10時半ですが、5.3度C。
明日の朝は0度くらいに下がりそうです。


それに今夜は一年で一回の、1時間長い夜。
明日の朝、ちょっとゆっくり休めるかと思うとホッとします。


そう、今朝はどういうわけか、目覚ましに使っているiPhoneのアラームが1時間早くなりました。朝の4時40分。「え〜!?」ともう一度寝ようかと思いましたが、予定の5時40分に鳴らなかったら、どうしようか、と気になって、もう眠れません。


そして、その運命の5時40分。


鳴りませんでした・・・。


これはコワイですね。


ヨーロッパとアメリカとでの夏時間の終わるタイミングが違うがゆえにプログラムミスでこうなってしまったのだとは思いますが、もしも、間違えて1日早く夏時間が終る設定だったら、1時間遅く鳴ってくれるはずだったのですが(これも困るが・・・)、どういうわけか、1時間早く鳴ったわけだ。多分、シロウトのわかるレベルのバグではないのだろう。
それに、午後3時前のアラームはバッチリ時間通り鳴っていた。


なんだか、訳がわからない。


ま、とりあえず、しばらく他の目覚ましで起きることにして、様子見だ。


さて、今日は、「日々のみことば」の方ではなくて、朝の祈祷会で開いた民数記の20章1−13節から。


「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから・・・」12節。

この部分、かなりナゾだ。
だって、モーセは人々に「水がない」と責められて、
神さまから「岩に命じなさい、そうすれば水が出るから」と言われて、
でも、もうイライラしていたのかもしれない。
「なんで、自分たちがこんなことをしなければいけないんだ!」と
岩を2回、バンバンと叩いたのだった。

それで、神さまからこのような叱責を受ける。
おそらく、「自分たちが・・・」という軽率な言葉と
命じなさい、と言われたのに、叩いたことが問題なんだと思う。

でも、それはちょっと厳しすぎるのでは・・・という声もあった。

ですよね。厳しいです。

でも、注意深く読んでいると、
6節では、不平を言うこの民の前を去って、
神の前に行ってひれ伏している。

この態度は正しい態度だと思う。

人々から責められて、でも、すぐに彼らは神に向かって、神からの解決を受けようとする。

ところが、彼らは形の上では神の前に行ったけれども、心のなかには人々に対する怒りや自分がこんなにやっているのに・・・という気持ちなどいろんな思いが渦を巻いていたのだと思う。

だから、「なんで自分たちがこんなことを・・・」という言葉が飛び出してきたのだと思う。

だから「命じなさい」と言われたのに「2度叩く」という行為になってしまったのだ思う。

それを神は責められた。
ホントは神が彼らをリーダーとして立てられたのに、
いつの間にか、民との関係だけでモノを見るようになっていた。

そこに落とし穴があった。

結局、この民とモーセとの関係には、
神さまが出てこない。
直に要求と答えがぶつかっている。

振り返って、自分の心を覗いてみた。
ほんとうに自分の話だと思った。

自分も「みんなが言うから」とか、
「皆さんがそう思うなら」とか、
そういうことに心が向いていることがある。

違うのだ。

神さまが命じられることに従うのだ。
神さまが立たせて下さり、
神さまが使命を与えてくださるからでていくのだ。

責任転嫁をしてはいけない。

神さまが与えようとしている使命をしっかりと見据えて、
人のせいにしないで、信仰者として決断して進んでいく。
その大切さを思わされた。

主よ、
どうか、私が、いつもあなたとの関係で答えをいただいて、
あなたの与えられた使命に立って、
歩んでいくことができますように。


平安を与えてください。

2010-11-05

すげえな、神さま。

今日は一日どんよりでしたね。
夕方ちょっと日が差してきました。


でも、それと同時に冷たい空気がどんどん入っているんでしょうね。
今、夜の11時前ですが、5.3度Cです。
明日の朝は1度か2度。


今日はアトランタ郊外のNorcrossやStone MountainでもSleet(雨氷?いや凍雨の方)が降ったと、@BradNitzWSB(ch. 2の天気予報のおじさん)がtweetしていましたが、明日はこちらでもsnow showerあるかもですね。


さて、ここ数日の聖書から。
昨日は詩篇95篇でした。


「地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。」4−5節。

地の深み、山々の頂き、とは、当時の人々にとって、一番遠いところであり、一番神秘なところだったのでしょう。ですから、今日で言えば、宇宙の果て・・・ということになるのでしょうか?先日も書いたように、ほんとうに、宇宙の大きさってすごいと思います。またこの宇宙の歴史もものすごく長いです。その広さや長さを日々明らかにしてくれている科学者の方々に対して、今まで自分がどこまでちゃんと敬意を払ってきただろうかと、最近本当にそのことを反省させられます。

だから、本当にその世界を造った神さまに目が向くのです。

なんてすごいんだろうかって。

そして、毎日同じこと感じていますが、その神さまが私を覚えていてくださっていることが、なんという幸いだろうかと。

あのマリヤの讃歌も思い出します。

「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。力あるかたが、わたしに大きなことをしてくださった。」(ルカ1:48-49)

主よ、
最近教えてくださっている
この世界の大きさ、人間が作られるまでにあなたがかけられた時間、
それにほんとうに心が圧倒されます。
そう、あなたにとって、こんな大きな宇宙を作る必要はなかったかもしれないし、
人間を造るときにもチョチョイのチョイで造ることもできたはず。


でも、あなたは時間と空間を使われた。


あなたの大きさを示すため。


そのあなたが私に目を留めてくださっていることに、
心から感謝。

2010-11-04

休暇中。

今日は一日雨でしたね。
冷たい雨でした。


明日はだんだん回復に向かいますが、
北西の風が強く、また寒いみたいです。


実は、今日明日私はお休みをいただきまして、
今日は2ヶ月半ぶりに、家族の休日が全員そろったので、
昨日の夜からちょっと遠出をしていました。


明日はのんちが仕事があるのと、
サキの補習校の宿題があるので、
私は在宅休暇です。


また、明日にでもまとめて・・・かな。

2010-11-02

大きな神さま



BlogBooster-The most productive way for mobile blogging. BlogBooster is a multi-service blog editor for iPhone, Android, WebOs and your desktop今朝はこの秋初めての氷点下。
最低気温は-0.2度Cでした。
キーンと冷えた朝、祈りを終えて6:50頃に外に出ると、
薄暮(「薄明」ですよね、今気がついた[11/3 7:16am])の中、1/3くらいになった月が中空に輝いていました。


月から地球に届く光は1秒くらいで届いていると思いましたが、


先日は130億年かけて届いた小宇宙の光(というか電波というか)の記事を読みました。UDFy-38135539という小宇宙ですが、これは、今は、銀河系からどんどん離れているので、300億光年近く離れているそうです。まあ、本当に想像ができません。このとんでもない宇宙を造られた神が、私という小さな存在に目を留めていてくださることに畏れを感じます。


そして、聖書が言うように、この空の星も、すべて私達のために造られたとするならば、神の目的はどんなものだろうかと思います。130億年もの時間と、何百億光年もの広さを持つ宇宙を、この私達のために造られた。それは、なんのためだったのでしょうか?今日、思わされたのは、それは神の大きさを私達に示すためだったのではないだろうかと。少しでもだとすると、科学者は、神の大きさを少しでも明らかにしていく、という尊い働きを任されているんですね。彼らの努力なしには、ハッブルのような高性能の望遠鏡がなければ、私たちはこの神様の大きさを知ることができなかった・・・。


本当に畏れを感じます。
また科学者の真摯な努力に敬意を表します。


明日の朝も同じくらい冷えそうです。
今は夜の10時前ですが、3.3度C。


明日ももう一日晴れそうです。


あさっては雨みたいですね。


さて、今日の聖書。
今日の聖書は詩篇の93篇。


「大水のとどろく声よりも力強く、海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主。」4節。

そう、神の大きさを思うときに、
また自分の小ささを思わされる。
この大きな宇宙の中で、その小さな小さなひとつの星に過ぎない地球。
でも、その海の波にも飲み込まれる小さな自分。

でも、その小さな自分に主が目を留めておられることに、
本当に大きな感謝を感じる。
今日も覚えられていることに感謝を覚える。

このことにただ感謝しつつ歩んでいこう。

主よ、
あなたの大きさの前にひれ伏します。
そして、あなたが私を覚えていてくださることに感謝します。
あなたの大きさを、あなたの愛をもっともっと知ることができますように。

2010-11-01

納得いかない繁栄。

今朝、0度まで下がるかと思っていたのですが、意外と冷え込まず、2度止まり。でも、今夜は行きますよ。この秋始めての氷点下。今は夜の11時半ですが、すでに3度まで下がってきています。


明日も晴れ。寒い一日でしょう。


次の雨の可能性は木曜日。
ああ、子供たちも学校が休みで、私もお休みを頂いている日なのですが・・・。


さて、今日はおとなしく「日々のみことば」から。
この「日々のみことば」、11月号から、聖書箇所が読みやすくなりました。助かります。

その記念すべき最初の日。
ずっと列王記でユダ・イスラエル南北王国の歴史を読んできたのですが、今日から突然、詩篇です。

その詩篇92篇。
「悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと・・・」7節。

誰かのことを「悪者」と決め付けること自体気をつけなければいけませんが、どう見ても、「なんであの人が栄えるんだ」と思うようなケースがあります。

いや、妬みでそう思う時もあるでしょうが、
そうじゃなくて、「どうして?」と思うような場面もあるでしょう。

人を踏みつけてのさばっている人などがいるとやりきれない思いになります。

でも、そんな場合にも、私たちはそれに振り回されたり、囚われたり、する必要はないのです。神様はすべてご存知なのですから、神様はすべてを支配しておられるのですから。

そんなことにエネルギーを吸い取られてはいけないのです。

私たちはそんな中でも、主を見上げるところに招かれています。
主を見上げて、自分のなすべきことをしていくのです。

主よ、
あなたに従わないで、人を踏みつけて栄えている人を見ると、辛くなります。あなたが許しておられること自体に疑問を感じることさえあります。どうか助けてください。それに囚われないで、振り回されないで、ただ、あなたを信頼して、自分の使命を果たさせてください。


悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。
主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。

詩篇37:1−8

2010-10-31

歴史を見る目。

今日は寒いです。
まあ、もう10月も今日で終わりですから、
寒くて当然といえば当然なのですが、
今は夜の10時で6.1度。
明日の朝は0度くらい、という予想が出ています。
Freeze Warning発令中です。


明日も晴れで寒いでしょう。


先週の後半、「日々のみことば」で列王記第一のアハブ王の時代を読みました。
そこで、ちょっと調べ物をしたくて、Wikipediaで「アハブ王」を調べると、先週末現在の記述で(これはいろいろ編集がされるので、またあとで読むと、違うことがまた書いてあるかもしれませんので、リンクは貼りません)、「旧約聖書に基づく事績」と「史実に基づく事績」という2つの項目が出てきます。そして、そこでは、まるで旧約聖書の記述と「史実」がまるで食い違っているかのような記述がされています。ものすごい違和感を感じました。


余り議論を巻き起こすことをこういうところで書くのは好きではないのですが、あまりに偏っていると思うので、思わされたことを書きますが、そういうのが嫌な方は読み飛ばしてください。


いったい、この項目を記述した方は歴史をどんなものだと理解しているんだろうか?
まるで一つの歴史観や世界観をもたない客観的な「史実」というものが存在して、それに対して、聖書は偏った歴史観で書かれているので、「史実」とは対立するかのような書き方だ。


しかし、そんな「史実」を私たちはどこにも見ることはできない。過去に起こった出来事が記述されるときに、それは必ず何らかの歴史観、世界観の中で書かれている。それがない「歴史」というものはこの世に存在するわけはない。確かに聖書は一つの独特の世界観を持って書かれている。アハブ王が神に従わないで、偶像礼拝を他国から導入したということに批判的な立場から書かれている。もちろん、それは「為政者にとって、どんな経済的な利益や軍事的な利益よりも神に従うことの方が大切である」という立場である。そういう視点で聖書は歴史を見ている。私もそうだ。それに対して、この編集者が「史実」だと言っている立場は「国の軍事的、経済的な発展」こそが為政者を評価する基準だという立場である。その2つの立場がぶつかっているだけなのに、その片方をあたかも客観的な事実であるかのような「史実」と呼ぶのはあまりに無邪気であるし、また不公平でもある。


ちなみに、聖書も、アハブ王が多くの功績を上げたことは決して無視はしていない。それを認めている。「アハブのそのほかの事績と、彼がしたすべての事と、その建てた象牙の家と、その建てたすべての町は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。」列王記第一22章39節。


でも、それは聖書にとっては大したことではない。ちょうど、この編集者が「イゼベルの祖国の宗教を持ち込んだ」ことを大したことではないかのように書いているのと何の違いもない。


歴史を見るときに、どんな視点で見るか、それは本当に大切な事である。


そして、それに負けないくらい大切なのは、自分がどのような視点で見ているかを忘れないことである。間違っても、自分の視点こそが「史実」を見る唯一の視点であるかのような勘違いをしないことである。そして、自分の視点では見逃してしまうことがあるのだ、ということをいつも忘れないでいたい。


もしかしたら、これは「歴史」だけじゃなくて、「人間関係」「政治」「科学」すべてを見るときに、いつも大切な事なのかもしれない。


ふう、疲れた。こういう文章を書くのは難しい・・・。


さて、いつものペースで「日々のみことば」から。
今日は列王記第一の22:41−53でした。


「彼は、父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼をこの国から除き去った。」46節。

この「神殿男娼」ってのはいったい・・・という感じがしますが、
聖書はそういう恥ずべき歴史も覆い隠さず書いているんですね。

でも、なかなか、一度生まれたものは取り除くことができない。

どんなにそれが神に喜ばれないものだと分かっていても、
そこに需要があり、そこに自分の身を売るものがいるときに、
そして、何よりも、甘い汁を吸う者がいるときに、
なかなか、それを一掃するのは大変なんだろうと思う。

アサ王はそれができなかった。

でも、アサ王の次のヨシャパテ王はそれを敢行した。

敢行する勇気と、それを達成させてくださる神。

私の心のなかも、取り除くことができないものはない。

主に求めよう。
主に期待しよう。

主が全てを取り除き、一つ一つのものをきよめてくださいますように。

主よ、
どうか、ヨシャパテ王の決意と勇気を与えてください。
そして、あなたが全てをきよめてください。

2010-10-30

感謝と備え。

昨日は9時半頃には半沈していて、
10時半にもう壊れていました。
で、そのままほんとに沈没。
おかげで今朝はすっきり目が覚めました。


というか、4時前には目がさめてしまっていました。
やっぱり5時間睡眠人間になってしまったようです。


寝るの大好きなんだけどなあ・・・。


今日のギョウザバレー大会、こどもと大人と合わせて73人参加。盛況でした。
ま、お子ちゃま入りバレーだったので、本格的に楽しみたかった皆さんには物足りなかったかなあ、大人バレー時間を確保すればよかったなあ、と反省はありますが、楽しかったです。


やっぱ、遊ばなきゃなあ・・・。


でも、明日は日曜日。備えてもう休もうと思います。


今朝は5度くらい。
昼間はそこそこ上がりました。
明日の朝はそれほど冷え込まないかもしれませんね。
今、夜の12時で、9度あります。
天気は晴れ。明日の夜が冷え込むみたいです。


ということで、今日の聖書。
今日は列王記22:29−40でした。


「私は変装して戦いに行こう」30節。

アハブ王は、昨日のところの預言者の言葉に恐れたのか、
変装して戦いに行きます。


でも、


「一人の兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射ぬいた。」34節。


という。


いやあ、本当に虚しいですね。
主が守ってくださらないならば、
人の努力は虚しいですね。


人の姑息な計画、それは何の役にも立ちません。


ただ、主の導きに従っていかなければ・・・。


主よ、
自分は小さいのに、何も分かっていないのに
いろいろ計画を立てます。
ただ、あなたの導きに従いながら、
あなたのみ声を聞きながら、計画を立てる者とならせてください。


さあ、日曜日に備えて・・・。

2010-10-28

聞く耳を持つ。

今日も朝から暖かかったですが、
夕方になってだんだん冷えてきました。


今、夜の12時で、12.8度。
明日の朝は7度くらい。
明日からは12-3度。秋らしい日が続きそうです。


来週前半までは晴れ。
その後、もしかしたら、ちょっとぐずつくかもしれません。
来週後半、子供たちの学校が休みなんだけどなあ・・・。


先週から今週にかけて、
3回、同じ話をしたのですが、
ヨナ書の学び。
本当によかったです。


自分自身、姿勢を正されました。


ヨナが自分の考えにこだわって、
神様のなさることが気に入らなかった、
「もう、死んだほうがましです!」とまで神様に食って掛かっている。
そのことを彼は最後は文章に残すほどまでに砕かれて、
正直に書き残している。


正直さ・・・自分の弱さ、失敗を認めること、
それは特に男性に必要なことだと、
脳科学者の茂木氏も、
そのブログで言っておられるけど、
それはやはり自分の力ではない、神の恵みに生かされているとわかると、
そこらへんも自由になるんでしょうね。
恥とか、そんなに恐れない。
存在自体が受け入れられていると分かっているから、
その自信があるから、平安があるから、
自分の実績とか、自分の偉さとか、自慢する必要もない。


自分が恥をかいても、神様の素晴らしさが自分の人生を通して伝われば、それでOK。というか、OKどころじゃない、それが本望。


聖書の中には自分の弱さを包み隠さない男たちがたくさん出てくる。
アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ、エリヤ、エリシャ、エレミヤ、そして、誰よりも、ペテロ、そしてパウロ・・・。


私もほんとに砕かれて、自分ではなくて、神様がほめられること、神様が崇められることだけを求める者となりますように。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一22:1−14。


「私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。」8節。

アハブ王の周りには「預言者」を自認しながら、
アハブ王の喜ぶことばかりを預言していた人々がいた。
神の言葉を伝えるのが預言者の使命なのに・・・。

王の耳に心地いい言葉だけを語る預言者がいた。

アハブ王もそれを期待して、そこに甘んじていた。

私たちもそうだ。
耳に心地よい言葉を聞きたい。
ほめてくれる言葉、賞賛の声を聞きたい。

でも、本当に自分を生かすのは、
神の言葉だ。

たとえそれが自分の耳に痛いことであっても、
耳障りな言葉であったとしても・・・。

主のことばを聞き、主のことばに従うものでありますように。

主よ、
あなたの言葉を聞き、
あなたの言葉に従うことができますように。
自分に都合のいいことば、
いい気持ちにさせてくれることばに
惑わされることがありませんように。

2010-10-27

神を恐れないと人を恐れることになる。

今日は暑いくらいでした。
朝から20度。
一日雨が降ったりやんだりでしたが、
特に夕方にざあっと降って、
夜になってちょっと涼しくなってきています。


明日の朝は10度くらい。
昼間はまた20度を超えそうです。


そして、金、土は、10月末らしい、
10度ちょっとの日が続きそうです。


ここ10日間くらいの私のテーマ聖句。
「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒20:35)


愛されることよりも愛することを、
理解されることよりも、理解することを、
求めていきたいと思います。


放っておくと、すぐ、理解されること、与えられること、愛されることを期待してしまう自分がいるから。


だから、毎日、「今日、神様が私に愛を表しなさい、と言われるのは誰だろうか」と求めつつ歩もうと思います。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一21:11−29。


「アハブがエリヤに『あなたはまた、私を見つけたのか。わが敵よ。』と言うと、エリヤは答えた。『あなたが裏切って主の目の前に悪を行なったので、私は見つけたのだ。』」20節。

エリヤは王様に対して堂々としている。
一度は弱さに打ちひしがれた、エリヤも、
ここでは、本当に恐れないで王様にモノを言っている。

それは神を恐れたから、
神の前に出たから。

先日の牧師会で、サムエル記のサウル王の姿を読みながら、
ある先生が言われた。「神を恐れないと、人を恐れることになる」

本当にそうだと思う。

神を畏れる者でありたい。
そして、神の前にひれ伏して、
神の前に降参して、
そして、人の前に立つ者となりたい。

主よ、
あなたを畏れる者でありますように。
そして、人を恐れないで、愛する者でありますように。

2010-10-26

Superdry(TM) Paramus進出。

今朝は暖かかったです。
朝から16度。


その中で、10日ぶりのジョギング。




紅葉の真っ盛りの公園も、モヤっていました。


昼間は晴れて暖かくなりました。
この暖かさ木曜日まで続くようで、
今のうちに楽しんでおかなければ・・・です。


今夜これから雨。
明日も雨が降ったりやんだりみたいです。


さて、今日の夜、ちょうど送られてきたクーポンを持って、
しばらく懸案になっていた靴を買いに、近くのショッピングモールに行ったのですが、
靴のサイズを測ってもらったら、「そんな小さいのはない」と言われて、
なんだか、存在を否定されたような気がして(大げさ)、
おもいっきり凹んで、ショッピングモールをぐるぐる徘徊。
気晴らしにSony StyleでVaio Pか、Apple Storeで11in のMacBook Airかを買ってしまうような勢いでしたよ。そしたら、Vaio Pは置いてなくて、MBAは思ったより重くて、もちろん買いませんでしたけどね。いや、そうじゃなくても、予算的に無理でしたが・・・。


でも、そろそろ帰ろうかな、と思ったところで出会ったのが、
この看板。11月の終り頃に開店する、お店の広告でした。




ん?小さい字で「極度乾燥(しなさい)」?
なんだこの命令口調は?これは狙ったボケか、それとも天然か?
中国系の食料品店に並んでいる怪しい日本語入りスナックの仲間か?


ということで、ググッてみたところ、
ヒットするヒットする。イギリスでは各地にあるチェーン店だそうですね。
ヨーロッパ各地にも展開しています。
そして、アメリカでも、マンハッタンに1軒、そして、ウッドベリーのアウトレットに1軒。


だったら、これは絶対「狙ってるんだろう」と思いますよね。


でも、HPに行ったら、「もしかして、狙ったわけじゃないかも・・・」というワケ分からん日本語が氾濫。


「製造所を最作」
「会員証な」
「東京はえ精神」
「日馬車ソフト業務用」

ナゾめいている。
だいたい、カッコいいお兄ちゃん、お姉ちゃんが、大真面目な顔をして、
このTシャツを着てポーズを決めているのが、不思議すぎる。
「極度乾燥(しなさい)」開店が楽しみだ。11月26日。
絶対買わないけど・・・。


ってゆーか、「日馬車ソフト業務用」のTシャツに42ドルは出さないでしょう。ふつう。
80%OFFとかだったら・・・やっぱり買わないな。


ってゆーか、このTシャツいかす(死語?)でしょう!って感じで着てる普通のアメリカ人のお兄ちゃんに「この日本語どういう意味?」って聞かれたら、どうしよう・・・。


さて、今日の聖書。
列王記第一21:1−10。


「アハブは不きげんになり、激しく怒りながら・・・」4節。

実は昨日のところでも、20:43に同じ表現が出てくる。
ちょっと思い通りに行かなかったり、責められたりすると、
不きげんになって、怒ってしまうアハブ。

この姿を見ながら、自分を見ているような気分でした。
(夜の靴屋の対応に不きげんになっている自分にも、またガックリ)

神様の警告を聞いたときに、
また自分の思い通りにことが進まないときに、
不きげんにならないで、主を見上げるものでありたいと思います。

主よ、
私の心を守ってください。
自分はこのアハブを笑えません。
主よ、私が、ただただ、あなたに仕え、
人を愛し、人に仕えることに心を向ける者でありますように。









2010-10-24

どの分野でも。

今日は本当に天気が良かった。
朝ちょっと雨が降ったみたいだし、
夕方も降ったみたいだけど、
ほとんど大丈夫で、暖かかった。


でも、明日からはしばらく雨続きみたいです。
気温はかなり暖かめ。


どんよりの日が多いのですが、
気温が高いのは助かります。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一20:22−34。


「アラムが、主は山の神であって、低地の神でない、と言っているので、わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ主であることを知るであろう。」28節。

アラムの人々が、イスラエルの神は「山の神」だと言ったという。
エル・シャダイ(「全能の神」と訳される言葉)が「山の神」ともとれるから?

でも、主は、全地の主。
すべての分野の王。

心の問題、お金の問題、仕事の問題、健康の問題、人間関係の問題、全てにおいて、私の支配者であられる。

あのペテロが、イエスにお姑さんを癒していただくときには、何も言わずにお願いしたのに、イエスが漁のことに口を出してきたときには、一言言わないではいられなかった。
「私たちは一晩漁をしましたが、何にもとれなかったんですよ・・・」と。

今日もまた「すべての道で主を認めよ」ですね。

主よ、
すべての道で主を認めよ、ですね。
すべての分野であなたが私の主です。
私の導き手です。
すべての分野であなたに主導権をお委ねします。

2010-10-23

やっぱり初霜。

最近、朝がきつい日が続いていて、
とくに明日は日曜日なので、
今夜は早く休みます。


ただ、一言。
今朝は最低気温が2.2度。
初霜が降りました。


去年は11月7日に最低気温-2.3度で
一昨年は10月20日に最低気温0.2度で
3年前は10月29日に最低気温1.6度で


初霜を観測していますので、
まあ、平年並みでしょうか。


まあ、よくも、こうも毎年、「初霜だ!」って騒いでいるなあ、と自分でも笑ってしまう。


今夜は11時で14度以上あります。
明日は暖かい一日なりそうです。


これで終わるのはやっぱり気がひけるので、
今日の聖書。
今日は列王記第一10章13−21節。


「あなたは、私こそ主であることを知ろう。」13節。


アハブ王は神を信じない、偶像礼拝を進める王でしたが、
神様の憐れみで、ここでは敵の包囲から守られます。
その中で、「あなたは私が主であることを知る」と預言者から告げられるのですが、
それでも、神の前にひれ伏そうとはしないのです。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということでしょうか。
ただ、自分が守られたらそれでいいのでしょうか。

先日、ある集会で、どれだけ、自分が神様に感謝をすることをしてこなかったか、思わされるときがありましたが、私たちもこのアハブを非難することはできないのかもしれません。

神様がいろいろな場面で、私を守り、支えてくださっている中で、
主を主として認めて、従っているだろうか、ひれ伏し、感謝し、賛美しているだろうか。

生活のあらゆる側面で主を認める、そのような歩みをさせていただきたい。

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:6。

主よ、
あなたを認めます。
でも、祈りの時、聖書を開くときだけではなくて、生活の一つ一つの側面で、あなたを認める歩みをさせてください。


明日の日曜日も豊かに祝福してくださいますように。

2010-10-22

きっと初霜。

今朝はそれほど冷え込まないで、
初霜はお預けでしたが、
昼間は気温も上がらず、風も強く、
冬を思わせるような天気でした。
今、夜の11時前ですが、外の気温はすでに4度まで下がっています。
明日はほぼ確実に初霜になるでしょう。


でも、明日の昼間は今日より暖かくなって、いい天気で過ごしやすいと思います。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一20:1−12。


「王よ、仰せのとおりです」4節。

これは敵の無理な要求に対するイスラエルの王の言葉。
どうして彼は、そんな無理な要求に対して、
こんなに簡単にYESと答えてしまったのだろうか。

もっとひどい要求を敵に突きつけられたユダのヒゼキヤ王が
神の前にその手紙を広げて「神様、見てください」と言ったのとは、対照的だ。

ひとつひとつのことについて、
自分はどのような判断をしているだろうか?

まず、ひざまずいて神に聞き、
神から答えをいただいて歩んでいこうと思う。

主よ、
日々の歩みの中で、大切な決断をするときに、
あなたの御心を求めて知っていくことができますように。
人の反応や、勢いに流れていくことがありませんように。