2010-10-28

聞く耳を持つ。

今日も朝から暖かかったですが、
夕方になってだんだん冷えてきました。


今、夜の12時で、12.8度。
明日の朝は7度くらい。
明日からは12-3度。秋らしい日が続きそうです。


来週前半までは晴れ。
その後、もしかしたら、ちょっとぐずつくかもしれません。
来週後半、子供たちの学校が休みなんだけどなあ・・・。


先週から今週にかけて、
3回、同じ話をしたのですが、
ヨナ書の学び。
本当によかったです。


自分自身、姿勢を正されました。


ヨナが自分の考えにこだわって、
神様のなさることが気に入らなかった、
「もう、死んだほうがましです!」とまで神様に食って掛かっている。
そのことを彼は最後は文章に残すほどまでに砕かれて、
正直に書き残している。


正直さ・・・自分の弱さ、失敗を認めること、
それは特に男性に必要なことだと、
脳科学者の茂木氏も、
そのブログで言っておられるけど、
それはやはり自分の力ではない、神の恵みに生かされているとわかると、
そこらへんも自由になるんでしょうね。
恥とか、そんなに恐れない。
存在自体が受け入れられていると分かっているから、
その自信があるから、平安があるから、
自分の実績とか、自分の偉さとか、自慢する必要もない。


自分が恥をかいても、神様の素晴らしさが自分の人生を通して伝われば、それでOK。というか、OKどころじゃない、それが本望。


聖書の中には自分の弱さを包み隠さない男たちがたくさん出てくる。
アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ、エリヤ、エリシャ、エレミヤ、そして、誰よりも、ペテロ、そしてパウロ・・・。


私もほんとに砕かれて、自分ではなくて、神様がほめられること、神様が崇められることだけを求める者となりますように。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一22:1−14。


「私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。」8節。

アハブ王の周りには「預言者」を自認しながら、
アハブ王の喜ぶことばかりを預言していた人々がいた。
神の言葉を伝えるのが預言者の使命なのに・・・。

王の耳に心地いい言葉だけを語る預言者がいた。

アハブ王もそれを期待して、そこに甘んじていた。

私たちもそうだ。
耳に心地よい言葉を聞きたい。
ほめてくれる言葉、賞賛の声を聞きたい。

でも、本当に自分を生かすのは、
神の言葉だ。

たとえそれが自分の耳に痛いことであっても、
耳障りな言葉であったとしても・・・。

主のことばを聞き、主のことばに従うものでありますように。

主よ、
あなたの言葉を聞き、
あなたの言葉に従うことができますように。
自分に都合のいいことば、
いい気持ちにさせてくれることばに
惑わされることがありませんように。

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