2008-07-19

賛美。

今日は本当に暑かったです。
昼間は36度。
そして夜になってもむっとしています。
今、夜の11時ですが、27.4度。

明日は32度くらいで、雷雨もあるかもしれません。
その後も今日ほど暑くなる日はちょっとないと思います。

でも、まだまだ夏です。

ずっとずっと書きたいと思っていたことは、
今週の初めに見た日本のテレビ番組のことでした。

1ヶ月くらい前に、東京で牧師をしている兄から、
この番組、いいから、見なさい、とメール。
そんなの初めてだったので、TVJapanの番組で、
うちでは見れないので、見れる方々に録画をお願いしました。
そして、「見よう見よう」と思っているうちに、
何週間かたったのですが、今週、時間を作って見ました。


NHKの番組なんですが、
韓国人のテノール歌手、ベー・チェチョルさんのことを取材したドキュメンタリー。

豊かな声量と広い音域に恵まれて、活躍を期待されていたオペラ歌手の彼が甲状腺ガンの手術で、声帯や横隔膜を動かす神経を切ってしまって、歌う声が出なくなってしまいます。しかし、彼が希望を捨てないで、歌う声を取り戻そうと周りの人たちに励まされ、手術を受け、リハビリを続けている様子が描かれていました。

ベーさんのことを支えて来た輪島さんが書いておられる文章はこちら


私自身が一番心を動かされた場面が、
声が出なくなって人前で歌うことをしなかった彼が、
少しずつ声が帰ってきたときに、
最初に歌うことを決心したのが教会。
子供の頃から親しんでいた讃美歌を歌うのです。


しかし、いろいろなことに胸がいっぱいになり、
所々、どうしても声が出なくなります。

そのときに、どこからともなく、賛美の声が上がってきて、
最後まで彼を支えるのです。


それを見ながら、教会が目指すべき賛美はこのようなものだと思いました。
自分自身にとって心からの賛美であり、
人々が自然と賛美を口ずさまないではいられないものであり、
そして、人々の支えで完成するものであること、
本当に大切だと思いました。


明日の礼拝でもみんなで共に神をたたえる賛美ができること、
心から楽しみです。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙10章14-22節。


「ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。」14節。

この前後関係の中では、
この言葉はいわゆる「偶像」、
ふつうの「異教の神々」という意味でしょう。


でも、今朝は、私自身本当に神様を第一としているだろうか、
それを問いかけられたような気がしました。


私はいったい本当に神様以上に大切にしているものはないだろうか?
本当に神様を礼拝しているだろうかと。


今朝のところは、「あ、これだ!」と思ったものはありませんでした。
でも、どうかな、と思ったのは「自分」です。
やはり自分の夢、自分のこだわり、
そのようなものにとらわれていないだろうかと思いめぐらしました。


どこまでも、どこへでも、主に従っていきたいと思わされました。
それが自分の納得いかない、自分の願っていない道でも、
主がそれを導いておられると確信したならば、それに従っていきたいと思いました。


主よ、
私は本当にあなたを第一としているでしょうか?
私が捨てなければいけないもの、私がささげるべきものがあるならば、
それを示してください。
ささげる勇気と、従う勇気を与えてください。

2008-07-18

あちい・・・再来。

今日はホント暑かったですねえ。
36度くらい。
夜の11時になっても29度もあります。

明日も暑い一日になりそうです。

今日もいろいろ頭の中には巡っているのですが、
遅くなると明日に響くので、今日は早速聖書。

今日はコリント人への第一の手紙10:1-13でした。
「 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」11節。

ここで、私たちのための教訓がいくつか書かれていますが、
第一は偶像礼拝についての戒め
第二は姦淫についての戒め
第三は主を試みることについての戒め
第四はつぶやくことについての戒め


結構「自分は大丈夫」と思っていることが多いです。
でも、戒めである以上気をつけなければいけないんだと思います。


偶像礼拝も、姦淫も、主を試みることも、つぶやくことも、
そんなに簡単に自分がそんな罪に陥ることはない、
と思っている自分がいます。


でも、自分みたいなヤツがいるから、
「立っていると思っている者は倒れないように気をつけなさい」(12節)
とパウロは言わなければいけなかったんでしょうね。


また、今朝は「姦淫の罪」が聖書の中でも
何回も何回も取り上げられて、取り扱われていることについて
思いめぐらしていました。


どうしてなんだろうかと。

ニュースの中でも「レイプ」事件が取り扱われる中で、
「容疑者は同意の上であると、容疑を否認している」という言葉がよく使われます。
「被害者」の言い分と、「加害者」の言い分のどっちが正しいんだか、
判断に迷うだろうなあと思います。
それはとてもプライベートなものでしょうから。

もしか冤罪だったら、「被害者」はホントは「加害者」で、
「加害者」はホントは「被害者」なんですから・・・。


いや、言いたかったのは、同意だったらいい、というのが
この世の法律の限界。(国によって違うでしょうが・・・)
それを神様は恐ろしい罪として取り扱われる。



やはり人格の深いところにまで関わる罪だからでしょうか。


主に守って頂きたいと思わされました。


主よ、
どうか、「立っている」と思っている自分を守ってください。
こんな愚かなこと、自分はするわけはない、
と思っている自分の心の隙にサタンが攻撃を仕掛けてくるでしょう。
どうか、あなたがその心の隙を守ってください。

2008-07-17

忍耐。

今日もまた暑かったですねえ。
35度までいきました。
そして、夜になっても、気温が下がるスピードは遅く、
9時45分で26度あります。

明日はまた今日以上に蒸し暑い日になりそうです。
英語ではoppressive heatといいますが、
英和辞典では「うだるような」という訳がありますが、
もともとの言葉は「うだる」というよりも、
「押しつぶされる」という感じです。

そんな暑さになりそうです。

先日のハミルトンの記事で、
おばあちゃんが対決したことが書かれていましたが、
それを読みながら、
先日、去年お会いした、ミシガンの中嶋先生のブログにあった、
「相手のことを本当に心配しているなら、ぶつかっていく」
という記事の中で紹介されていた、
"Caring Enough to Confront"という本を思い出しました。


早速、注文して買っていたのですが、
なかなか読めないでいたのを、読み始めました。


この著者のAugsburgerはうちの教会のある集会で読んだ、
「聞く」という本を書いた人。


その最初のところで一つの言葉が心に留まりました。


"I feel deeply about the issue at stake."



この言葉を反芻している中で、自分はこんな気持ちになったことが、
今までどれだけあっただろうか、と思いました。

そして、

「自分の深いところには問題を無視しようとする気持ちがある」
と気がついたのです。


「イエス様に目を向ける」といいながら、
実際はただ、問題を問題として見るのが怖くて、
逃げていただけなのかもしれない。
イエス様に祈りながら、問題に取り組んでいくのではなく、
ただただ、問題を無視しようとして来たのではないだろうかと。


そして、今日の午前中の祈祷会でも、
「忍耐」という言葉が話題になりました。

「暑さの中で忍耐する」「イヤなことが怒る中で忍耐する」
というときに、ただただ、文句を言わないで、黙っているというイメージがあります。
昔のCMの「男は黙って・・・・・・・」というヤツです。

でも、それが本当に聖書の言う「忍耐」なんだろうかと。

「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。」という忍耐なんだろうかと。

ただ、問題を問題としないで、
それを無視して、それから逃げて、
ただ、じっと我慢している、
それが神様の私たちに望んでおられることなんだろうかと。


ホントの忍耐は、何だろうか、ちょっと宿題になっていますが、
神様の愛と真実を信頼して、試練の中でも、神様の答えを待ち望むこと、
それは単なる沈黙ではなくて、葛藤や、神様への訴え、格闘なんかも含むんだろうなと思います。


さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙の9章19-27節。


「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」
19節。


本当の自由を経験した人だけが、
本当に僕になることができる。
そんなことを感じました。


何かにとらわれているとき、
何かにこだわっているとき、
誰かの存在に振り回されているとき、
(それがポジティブでもネガティブでも・・・)

私たちは僕になることはできない。

本当にイエスによって与えられた自由をいつもいつも
確かに持っていたいと思いました。


そして、その自由をもって、
人に仕えていくものでありたいと思いました。


主よ、
あなたの与えてくださった自由を感謝します。
でも、時々、恐れが私を支配します。
時々、欲望が私を支配します。


神様、あなたの自由の中に私を守ってください。
そして、その自由をもって、
自由に仕えていくことができますように。

 

 

2008-07-16

心のマッサージ。

今日もまた暑くなりました。
昼間は34度くらい。
夜になってずいぶん下がってきましたが、
夜の11時45分で23度。
まあ良しとしておきましょう。
明日はもう一段階暑く、もう一段階湿度が上がりそうです。
かなりきついでしょう。

今日もたくさん書きたいことがあるのですが、
また一つだけ。

今日、教会のメンバーの指導で「クロッキー教室」なるものがありました。
絵を描く集まりです。

私は自慢ではありませんが、子供の頃から、絵はダメダメです。
小学生の頃、図工の時間に、先生がまだ描きかけの絵を取って、
「はい、皆さん、よく見てください、これは悪い例です。なぜならば・・・」
と例に使われたことが何回あったことでしょう。
先生たちには打たれ強い、ちょっとこういうことに利用しても大丈夫な、
鋼の心の持ち主だと思われていたのでしょうか?
いつも生意気な奴だったので、いじめたくなったのでしょうか?
でも、やっぱり、それはきつかったですね。



中学の美術では筆記試験も点数に入ったので何とか挽回しましたが、
ホント、苦手意識の固まりです。
高校で美術が選択科目になったときにどんなに救われた気持ちがしたことでしょう。


ですから、ふつう、こういう教室があっても、
「自分には関係ない・・・」と思っていました。

でも、この教室を指導してくださるアーティストの方と、
そんな話をしている中で、
萎縮しないで、心の中にあるものを外に出す方がいい、
と思うようになりました。
そして、ちょっとやってみたい、そんな気持ちになっていました。


だから、今回、とても楽しみにしていました。


そして、今日、参加しながら、
心のマッサージを受けているような気持ちになりました。


「上手に描こう」「みんなに見られても恥ずかしくないものを描こう」と萎縮してしまっている心が少しずつほぐされて、「いいんだよね」という気持ちになっていました。


こういう心のマッサージ、
あちらこちらの分野で必要なんだろうな、と思います。
「隙を見せてはいけない、つけ込まれる」「こんな自分の姿を知られたら、みんなにどう思われるだろうか」そんなことで私たちはがんじがらめになっていないだろうかと思います。だから、それがほぐされて、「大丈夫じゃん」となることが大切なんじゃないかと。


私自身、いろいろな方々とお話しするときに、
いろいろな集会でお話しするときに、
そのような働きができれば、と思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント第1の手紙の8章1-18節。

「 主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。」14節。

伝道者の生活が教会に支えられるようにというのは主の定められたこと。
でも、パウロはここで自分の手で働いて生活の糧を得ていることも誇りに思っている。

考えてしまいました。
牧師は教会から与えられるモノだけで生活するのが本当の信仰なのか、
それとも、パウロのように自分で働いて、教会に負担をかけないことを誇りにすべきなのか。

結局ローマ人への手紙の14章にあるように、
「あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。」
ということなんだろうと思います。

神様が自分に与えてくださっている使命をしっかり見据えながら、
その使命をしっかり果たしていきたいと思いました。
私は自立自活自給教会を建て上げることを、神様から示されています。
だったら、パウロの誇りとは違うけれども、自分の使命にしっかり立って、
教会を建て上げることのために用いて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたの使命に堅く立つ者としてください。
周りの人の姿や、
周りの声に振り回されるのではなく、
あなたの与えられる使命に立つ者でありますように。

また、私を用いてください。
用いやすい器になるように整えてください。

2008-07-15

奇跡。

今日は朝は涼しかったですが、
昼間はやはり暑くなりました。
でも、ドライでしたね。
日が暮れたら、どんどん涼しくなってきます。

今は9時20分ですが、外は24.5度。
明日の朝は16度くらいの予報が出ています。

これから毎日、だんだん暑く、
だんだん湿度が高くなっていくと思います。
夏です。

いくつか書きたいことはあるんですが、
一つずつ。

昨日のジョシュ・ハミルトン。
もっといろいろ書いているのが、
こっちの記事

昨日のリンクはテキサスの新聞記事でしたが、
こちらはESPNで、本人の言葉が書かれています。

いくつかの心に残る言葉があるのですが、
これなんかは「おー」と思う言葉です。

Baseball is third in my life right now, behind my relationship with God and my family. Without the first two, baseball isn't even in the picture. Believe me, I know.」

神様一番、家族が二番、野球は三番。

神様との関係と、家族がなかったら、野球はあり得ない。
本当に彼自身の本音だよねえ。

昨日の記事の中にあったけれども、
おばあちゃんが対決してくれた。
「いつまで周りの人を傷つけるんだ・・・」
もちろん、それまでも対決してくれた人たちがいただろう。
でも、それがうまくいかなかった。
たまたま、このおばあちゃんの言葉が心に突き刺さったのは、
そこには神様のみ業があると思う。
でも、やはり対決することの大切さを思う。

悪魔におそわれる夢の話も印象的です。
おばあちゃんのところでまだ完全に解放される前に見た夢では、
悪魔はたたきのめしても、何度も何度も立ち上がってきたそうです。
そして、目が覚めても、おばあちゃんのベッドに潜り込まなきゃいけないくらい怖かった。
でも、その後、神様の前に降参して、解放された後の夢では、
自分の隣で、キリストが一緒に悪魔をたたきのめしていた。


「You can doubt me, but I swear to you I dreamed it. When I woke up, I felt at peace. I wasn't scared. To me, the lesson was obvious: Alone, I couldn't win this battle. With Jesus, I couldn't lose.」


1人では勝つことのできない戦い、でも、イエスと一緒だったら、負けることはあり得ない。


今回のことで、本当に多くの人が注目しているでしょう。
用いられれば用いられるほど、悪魔は攻撃してくるでしょう。


彼のために祈ることの大切さを思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙8章。


「私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」1節。

正しいことが必ずしもいいことではない。
知識を持っていて、正しいことをすることよりも、
愛を持って、弱い人のこと考えることの大切さを思わされました。


自分も弱い人間です。

自分は強い者だと、傲慢になってはいけないと思います。
でも、信仰の弱い人の気持ちもくむ愛が必要だと思いました。

主よ、
信仰の弱さに苦しんでいる人々への
愛の配慮を忘れないようにしてください。
自分が正しいと思うから、いいんだというところに、
立てこもることがありませんように。

リンク修理

昨日のリンク、切れていましたね。
直しておきました。

改めて書きますが、
Josh Hamiltonの信仰による回復について、
書いている新聞記事。

http://www.dallasnews.com/sharedcontent/dws/spt/baseball/rangers/stories/012708dnspowebrangersz.218a1b6.html

2008-07-14

再起。

今日は朝から雨。
昼頃には上がりましたが、
ちょっと湿度が高いのが残りましたね。
蒸し暑く感じました。

でも、夜の気温は11時前で21度。
昨日までよりずっとしのぎやすいです。

明日から晴れて、昼間は暑い、
夜はまあまあ、という日が続きそうです。

こちらは明日がメジャーリーグのオールスターゲームなので、
今日はホームラン競争。

アメリカに来て16年ですが、

初めて、ゆっくり座って見ました。


何よりもすごかったのがJosh Hamiltonという若い選手が、
1回目に打った28本。
10回凡打かファールを打つまでに28本のホームランを打ったわけですから、
すごかったです。
当たり前のようにホームラン。


もちろん新記録だったそうで。


プロに入ったのはドラフト1位指名だったのに、
契約金が大きすぎたのでしょうか?
それとも、怪我をしたりしてでいらいらしていたのでしょうか?

3年くらい前までは酒におぼれ、麻薬をやっていたりして、
人生を棒に振るところでした。


でも、再起して去年メジャーに上がって、
今年はオールスター。
Wikipediaによると、

その再起には「神のみ業」があり、
クリスチャンの信仰によって歩んでいるといいますが、
彼の信仰の歩みについてはまたゆっくり調べてみます。
Wikiで参考に上げられていた記事はこちら

まだちゃんと読んでいませんが・・・。



でも、私が今日本当に感動したのは、
彼のピッチャーを務めたClay Counsil 71歳の方。

彼が子供の時から、バッティングピッチャーをしていたと。


それが本当に彼のスイートスポットに投げるんですね。
どんどんホームランを打つから、
50球以上投げることになってしまうわけですが、
そこに愛を感じました。


次の世代のためにできることは何だろうか?
それを考えて、実行することの大切さを思わされます。


今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙7章29-40節。


「しかし、結婚した男は、どうしたら妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。」33-34節。

パウロは結婚している男性は、神を喜ばせることと、妻を喜ばせることで心が分かれてしまう、と言うのです。

今までは、ふーん、まあ、そうだねえ。と思って読んでいたのですが、
今日は、ここを読んで、「いや、自分は結婚した男としてそんな板挟みになっているだろうか」と思いました。というか、自分は神様のことも、妻のことも、本気で喜ばせようとしているのだろうか。本当に自分が喜ばせようとしているのは自分なんじゃないか、と気がついてしまいました。というか、気がつかせて頂きました。

つくづくそう思います。
神様であれ、妻であれ、本気で喜ばせようとしたことがあっただろうかと。
何が神様が喜ばれることなのか、
何が妻が喜ぶことなのか、
本気で考えたことがあっただろうかと。

そして、それを本気で実行したことがあっただろうかと。

いつもいつも神様を喜ばせること、
妻を喜ばせること、
を考えて、
自分を喜ばせることを後回しにする、
そんなことを実行してみようと思いました。

できる、できない、疲れる、楽しい、
そんなことは実行してみてから、いえばいいこと。

とにかく神様の喜ばれることを求めよう、
とにかく妻の喜ぶことを求めよう、
そう思いました。

主よ、
今までずっとずっとホントは、
自分のことばかり考えてきました。
人の顔色を気にするときも、
その人のことを本気で考えていたというよりも、
自分がどう思われるかの方が大切だったんだと思います。

どうか、本気であなたが喜ばれることを求め、
本気で妻が喜ぶこと、
本気で教会のひとりひとりが祝福されることを、
求める者としてください。 






2008-07-13

まつり縫い。

今日は朝はなんだか涼しくて、
いいかなあと思ったのですが、
夜、教会から帰ってくると家の中がむっとする。

外も夜の11時前でまだ25度。
これから雨のようですが、
早く降ってきてほしいものです。

明日は雨のち曇り。
明日の夜あたりから湿度も下がって、
過ごしやすくなると思います。

今日、教会に行こうと思って、
ズボンをはこうと思ったら、
裾がほつれている。


自分は先祖代々由緒正しい短足の家系なので、
だいたい、どんなズボンでも20センチくらいは裾上げしてある。
ジーンズなどはウェストのサイズより、長さの方が短い。(ふつう?)

その裾上げしたところに、
足の爪とかが引っかかって
(ちゃんと靴下はいてからはけばいいのだが・・・)
だんだんほつれてくる。
一度ほつれると、足を入れるたびに、
なぜか、そのほつれた方に足が入る。
で、どんどんほつれて、今日はとうとう2センチくらいを残して、
ほとんど一周ほつれた。


で、必要は発明の母・・・ということで(ちょっと違うか)

で、小学校の家庭科以来の、ほぼ30年ぶり、うそ、33-4年ぶりの、
「まつり縫い」に挑戦。


言葉はわかるけど、やり方は忘れた。
でも、たぶんこうだろうなあ、と思いながらやった。
「これって絶対つっちゃっておかしくなるだろうなあ」と思いながら、
何とか一周。まあ、上出来。
我ながら、「お、ここまでできれば、もう一本!」
と、気をよくして、もう一つのズボンもやろうかと思う。
でも、そこで教会に行く時間。


ボタン付け以上の針仕事はしたことがないのですが、

ちょっとしたことも、妻の手を煩わせないでできると、
ちょっとうれしい。ちょっと自慢げ。

でも、針に糸を通すのが難しくなった・・・。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙7章17-28節。


「自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。」22節。

自分は自由。
だから、キリストに救われて、
キリストに属する奴隷になった。
奴隷になったんだから、
自分の気の向くままに生きるんじゃないと思う。
自分の好きなことだけをしているんじゃないと思う。

主が導かれるところ歩むことが、
主に従うことが、
大切なことなんだと思う。

主に従うのは楽しいこと。
でも、きついことも、願わないことをするように導かれることもあるだろう。
そのことを逃げないで負っていくものでありたいと思いました。

主よ、
今日の一日も感謝します。
今日の出会いの一つ一つに感謝します。
どうか、私があなたの御声を聞いて、
それが自分の願いと違っていても、
従っていく、勇気を与えてください。
従うことの意味を教えてください。

2008-07-12

Quality Time

今、夜の11時前。
外の気温はまだ24.3度あります。
蒸し暑い夜になりそうです。


神様に祈るとき、ぼーっとしているときがあります。
ぼーっとしているとき、
自分は何をしているんだろうなあと思います。


でも、一冊の本を思い出しました。
「The Five Love Languages」
この本については去年も書きましたね。
http://njotenki.blogspot.com/2007/09/love-language.html 


自分のLove Languageは「Quality Time」なんで、
ぼーっとしている中にも愛を感じてしまうんですね。
ぼーっとさせてくれる神様に愛を感じてしまう。 
神様も、一緒にぼーっとしてくださるのかもしれない。



神様の愛も、「神様と一緒に夕日を見る」とか、
「神様、ちょっと今日はしんどいんで、ごろっとなりますよ」
っていうだらしないところも受け入れてもらっている、
ときに、感じるんですよねえ。


あ、もちろん、言葉で、熱く熱く祈るときにも、
祈りに導かれたなあ、と感じるし、
そこに神様の力を感じます。
「つきぬけた~」と感じるときもあります。


でも、神の前にぼーっとする、ということと、
神に熱く願いを祈ること、
その2つは本質的に違うんだろうと思います。

どっちも大切なんでしょうが、

何よりも、主の前に憩う。
それが幸せだと思います。
神様とのQuality Timeを大切にしていきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙7章8-16節。

「 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。」14節。


今日はご夫妻のうちどちらかだけで信仰を守っておられる方々のために祈りました。
その方の存在がそのご夫妻の祝福の基となっていることを思い、
その方が主の恵みがご夫妻の中に流れ込む拠点になっていることを思い、
お一人ひとりの信仰が守られ、支えられるように。

心に平安と勇気が与えられるように祈りました。


主よ、
私たちひとりひとりが神様の祝福の基であることに感謝します。
その方をあなたは祝福の流れ込むポイントとして用いられていることに感謝します。
これからも、もっともっと、あなたの恵みが流れますように。
流れ込みますように。

クレジットカードのお誘いに踊る。

あちいですねえ。
6月のあの熱波を経験していたら、
たいしたことはないですが、
でも、あちいです。


今日あたりから湿度も上がってきました。
日曜日の夜から月曜日にかけて雷雨があって、
その後、またドライになるみたいですが、
暑さは来週いっぱいくらい続くようです。

ま、夏だからいいですが・・・。


アメリカでは大人ひとりあたり平均7.6枚の
クレジットカードを持っているそうですが、
私はもっと持っていると思います。

今から12年くらい前、
アメリカに来て4年目くらい目までは、
ホントにクレジットカードを作りたくても作れない。
お誘いは時々来るのですが、
お誘いに応えて送ってみると
「残念ですが・・・」
と薄っぺらい手紙が来る・・・。

でも、今はもう作ろうと思うだけ作れてしまう。
昔の悔しい思いがあるから、作れるだけでうれしくなってしまう。

何で、って、カードによって特典が違うから。
こっちのカードは毎日のスーパーでの買い物で5%ポイントがつく、
こっちのカードはガソリンで5%。
こっちは郵便局が5%。
こっちは4-6月に限りデパートで5%。
こっちはAT&Tの支払いが10%OFF。
こっちはMITSUWAの買い物が8月の平日は10%OFF。

そして、今作ると最初の買い物で10000ポイントもらえる!

なんて、お誘いがあると、ホイホイ乗ってしまう。

どこでどのカードを使ったらいいか、
くらいなら、何とか、覚えていられるけど、
大変なのは、どのカードの支払いがいつか・・・。
もちろん、残高は例外なく全額払う。
そうしないと利子がついてしまいますから・・・。

最近は自動引き落としもだいぶ普及してきたけど、
あまりそれを利用しないので、
時々、支払いが遅れて、手数料を取られる。
だったら、ポイントもらっても意味ないじゃんと思うんですが、
交渉すれば、だいたい手数料を免除してくれる。

ということで、財布はこーんなに分厚くなっちゃうんですね。

で、アメリカのカード社会、
2004年の統計で、一世帯あたりの平均で、
信じられない・・・。

この借金、どこまで含むのか、と思うけれども、
Average households carry some $8,000 in credit card debt.
とあるのを見ると、車や家のための負債は入れないで、
純粋なカードの負債なんでしょうね。

よく読むと、家のための負債を入れないで
$18,654 per householdで、
その中の車のローンとかを除いた8000ドルくらいが
Credit Cardの残高であると・・・。

(いろいろ調べてみると、ホントは2000ドルくらいじゃないかという説もありますね。自分は5000ドルだから、アメリカ人の平均より少ない、なんて思わない方がいいです・・・)

気をつけなければ・・・と思います。
日本の「節約術」とかで、
項目ごとに現金を封筒に入れて、
それ以上は使わないようにする、
というのがありますが、
カードを使っているとなかなかそれもできない。

与えられたものを正しく使う。
もう、あまり、「カード作りませんか?」の
お誘いにホイホイと乗らないようにしないと・・・。
(この「あまり」というのがくせ者でしょうが・・・)



さて、昨日、金曜日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙7章1-7節。

「妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。」4節。

この聖書の言葉は本当に印象に残るので、
よく覚えている言葉です。
でも、「妻のからだは夫のもの」という
夫にとってとても都合のいいところに目をとめるんですね。

でも、昨日は違いました。
夫のからだの権利は、妻にある・・・。

これってどういうことかなあと思いました。

朝、これを読んだときは、
妻のために自分のからだを使おう、
と思いましたが、
一日終わって、今翌日になって、
どうだったかなあ、と思い反省しています。

つくづく自分勝手な自分です。

愛することを教えてほしいと思います。

主よ、
自分のからだが妻のものであると、
そのことを具体的に実行していくものでありますように。
自分勝手な思いから解放して、
仕えることができますように。

2008-07-10

アメリカの靴下。

今日はぐっと湿度が下がって朝晩はさわやかです。
でも、昼間は暑かったです。
ドライだけど、暑い。

今、夜の10時過ぎですが、22度まで下がっています。
明日の朝は13度くらいまで下がる予報が出ています。
それはホントに肌寒いくらいですね。


そして、昼間は今日同様、暑い一日になるでしょう。


さて、今日の夕食時。
サキが、「パパとママこれからどこか行くの?」と聞いてきます。
それにたたみかけるように、「You guys need some private time.」だって。
なんでしょう?テレビかどこかで聞いたのかなあ。


で、その声に励まされて、夜8時半過ぎから二人で買い物へ。


目的は「靴下を買う」。

最近、靴下を買っていなくて、
軒並み靴下に穴が空いています。
子供の頃は、穴をふさいではいたりしましたが、
さすがに、今はしません。


でも、私は基本的に穴が空いていてもOKです。
気にしません。
アメリカでは日本みたいに靴脱がないし、
脱いでも椅子に座っている分にばれません。


で、結構穴が空いたまま使っていた靴下もあったのですが、
さすがに直径が5センチを超えると、「こりゃもうそろそろ寿命かな」
と思うわけですよね。


で、最近バンバン捨てていっているんですが、
そうすると、靴下がたりなくなってくる。
で、暑いのに冬用の靴下しかない、なんてことになって、
さすがに買わなきゃいけなくなったわけです。


でも、日本とアメリカで違うものがたくさんありますが、
その中でもこっちの生活で、かな~り不満なのが、靴下。


日本に行ったときには必ず買いたくなるくらい、こっちのはイヤです。


理由は主に二つありますが・・・


1.あんまり安いのは「かかとがない」
  うーん、5足で7ドルとか袋に入っているのは、
  なんだか、ただの筒?みたいなやつもあります。


  でも、これは安いのを買わなきゃいい。
  で、本当に困るのはもう一つの理由。


2.サイズがない。
  これはホントに何とかしてほしいです。私の足は24センチ。
  男性としては日本でも小さい方ですが、
  アメリカに来るとまさに1footで30センチくらいの人もざら。
  ですが、それでも靴はちゃんとサイズがあるんですが、
  靴下はないんですよね。
というか、一つのサイズでみんなをカバーしようとしている。

  One Sizeとか、「靴のサイズ 6-12用」とかあります。
  靴のサイズの6って22センチくらいでしょう。
  そこから30センチくらいの人までワンサイズって、いったい、何?
  そういうのを買うと、かかとが足首のところに来ます。
  だったら、1の「かかとがない靴下」の方がずっとまし・・・。


で、今日、お店行ったら、やっぱりないんですよねえ。
ちょうどいいサイズの靴下。
男用のSとか・・・。


で、のんちのおすすめで女性用を買いました。
ま、花柄とかじゃないですよ、ピンクとかでもなく・・・。
リボンもフリルもついてないやつ。

もちろん、あの強盗が頭にかぶる「ストッキング」(日本語の・・・)でもなく。


男女どっちでも大丈夫なようなやつ。


自分ひとりじゃ、婦人用を買う勇気はないですが、
のんちが「これがいいんじゃない?」と言うので、買ってみました。


まあ、考えてみたら、ご婦人でも私よりも足の大きい方は、
アメリカにはいくらでもおられるわけで・・・。

でも、何とかしてほしい・・・。



さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章12-20節。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり・・・」19節。


今日は自分の身をきよく保つことの大切さを戒められましたが、
(実際の姦淫はもちろんのこと、心の中の姦淫、目が犯す姦淫を含めて・・・)
でも、それ以上に、「聖霊様に住んでいただくこと」の大切さを思わされました。


そして、今、自分が実感として、「ああ聖霊様が住んでくださっているなあ」と感じているかというと、
実はそうではなくて、「私が気がつかなくても、意識していなくても聖霊様はいてくださる」と聖書から教えられているわけです。
で、今朝は「もしも実感として感じることが大切ならば、それを教えてください」と祈りました。
でも、今朝は「これだよ」と教えていただけなかったように思います。
そのときに、「ああ、これも聖霊様の自由な働きなんだろうな」と思いました。
自分が一生懸命求めたから、とか、
神様に喜ばれる歩みをしているから、とか、
実感として感じさせてくださる、のではなくて、
ある時には「実感として聖霊様の働きを感じる」ということを経験させてくださって、
ある時には、「自分の実感を頼りにするんじゃなくて、私の言葉である聖書を頼りにするんだよ」と教えてくださる。


でも、自分が気がつかないときにも、
もうすでに聖霊様は働いてくださっているんだ、
今日はもう一度そのことを感謝しながら、
もっともっと教えてください、と祈らされました。


聖霊様、
あなたの導きが必要です。
あなたがもっともっと圧倒的な力を持って私を満たしてくださることを求めます。
どうか、あなたの自由な働きで、私を導いてください。
私が主人になってあなたを利用するのではなくて、
あなたが私の主人となって、私を振り回してください。

2008-07-09

苦言を呈する気持ち、苦言を受ける気持ち。

今日はたぶん、夜遅くなると思うので、
今のうちにNYPLで更新。

昨日に比べるとずっと涼しくなりました。
でも、まだ乾いた空気は入ってきていません。
今夜これから雷雨があって、
そして、明日からはドライになると思います。


今、午後の4時頃ですが、
レーダーを見ると、NJの真ん中くらいまで雷雲が近づいてきています。
1時間後にはNYもにわか雨がありそうです。

NYに来たとき、

日系のお弁当でもいいんですが、
図書館のそばの日系のお店は混んでいるので、
どうしてもアメリカ系のファーストフードになってしまいます。


でも、最近その手の話がうちで話題になるんですが、
やっぱりカロリーとか、
脂肪分とか考えると日系の方がいいかな、と思って、
今日はランチが2時半になったので、
ランチの時間を過ぎて、ずいぶんすいていた日系のところに行きました。


お弁当買って、コーヒー買って、
食べてたんですが、
コーヒーがひどい。
濃いのか煮詰まったのか、
とにかく飲めない。


かなりStrongなコーヒーが好きな私でも
どうしても飲めない。



で、ちょっと手の空いていた店員さんに、
「あのコーヒー、なんだかものすごい濃いんですが・・・」と
これからくるお客さんのために、
またお店の評判のために、

半分親切心でお伝えしたんですが、
機械の方をチェックもせずに、
「ドリップしている途中のを入れたんじゃないですか?お湯で薄められますよ。」だって。


そこで反論する気も失せてしまって、
お湯で半分くらいに薄めて、クリームと砂糖をどぼどぼ入れて、
それでも濃かったです。


考えてしまいました。
自分は苦言を呈されたときに、どんな風に聞いているだろうか、
そして、苦言を呈する方はどんな気持ちでそれを話すか、
そのことを考えて聞いているだろうかと。

苦言を呈する方は、もう、どうでもいいかな、と思いながら、
やっぱりちょっと言っておこう、ということもたくさんあると思うんですよね。
自分が収まりつかない、って時もあるかもしれないけど、
それだけだったら、どっかで愚痴ればいいのかもしれない。
だから、苦言を呈するのは、「聞いてもらえる」「言って価値がある」と思うときですよね。
つまり「希望を持っている」時。


でも、自分が聞く側に立つと、そんな気持ちがなかなか伝わらなくて、
素直に聞けなかったりする。
こっちはプライドの問題でしょうね。
それはまた不安の裏返しみたいなもんで、
自信がないときほど人の話が聞けなかったりする。


「あの人には何を言ってもしょうがない」と言われないように、
聞く耳を持ちながら、でも、ロバを売りに行った親子のように、
周りの声に振り回されないように、大切な軸はしっかり持ちながら、
歩みたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6:1-11


「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」7節。

自分が損をすることでも、だまされていることができるでしょうか。
そしてだまされていていいんでしょうか。


考えさせられました。

これは教会の中でのことですよね。


よけい、ん~と考えてしまいました。

実際に自分が損をした時に、
この言葉の意味がわかるだろうと思います。


今までの私だったら、平気で「損をしよう」と言っていたと思います。


どうなんでしょうね。
これは宿題。ここで無理に何かを言おうとしないで、
自分が実際にこのような出来事に出会ったときに、
このみことばに従って与えられる恵みがあったら、
どこかで分かち合えるかもしれません。


でも、主が語ってくださったことは、
語ってくださったこととして、心にとめておきます。


主よ、
私はこのようなことに巻き込まれたくありません。
でも、巻き込まれたら、どのように反応するでしょうか?
私が将来、このようなことに巻き込まれたときに、
このみことばを覚えていることができますように。
そして、ただ、覚えているだけではなくて、
言い訳をしないで、抜け道を造らないで、従うことができますように。

2008-07-08

16年。

今日は朝から晴れて、めっちゃくちゃ暑くなりました。
今、夜の11時ですが、29度もあります。
東京みたいです。

明日は蒸し暑いですが、
雲も多く、今日のように暑くはならないと思います。
そして、午後からは雷雨。
木曜日からは湿度が下がって楽になりそうです。

昨日気がついたのですが、
この間の日曜日、7月6日は、
アメリカに来て、まる16年になる記念日でした。

16年前、まだ20代だったんですね。
3人家族でサンディエゴの空港に降り立ちました。

そのとき、どんなこと考えていたかなあ、と思い出していました。

2-3年勉強して帰ろうと思っていました。・・・これはNJに来て変わりました・・・。
そのころから、日本語教会で奉仕をしたいと思っていました。・・・これは今も変わりません。
英語がわかるつもりでした。・・・これは来てすぐ打ち砕かれました。ハイ。
学費は別として、家賃を入れて1000ドル以内、できれば800ドルくらいで生活できるようにとがんばっていました。・・・これは今思い出してもすごい、と思う。ときどき、「あのころを思い出せ」と思います。でも、やっぱり学生だからできたのかも・・・。


4人家族になって、NJに来て、
今の教会との出会いがあって、
11年前に牧師になって、
5人家族になって、
いろんなことがありました。


でも、この16年で、一番自分の中で変わったのは、
牧師の働きを甘く見なくなったことでしょうか。
16年前、学生ですから、自由奔放でした。
生意気なことをいろいろ考えていました。
今考えると赤面ものです。



なめちゃいけないですよね。
甘く見ちゃいけない。
今、牧師としての働きに恐れを感じます。 
神様の助けなしにはできない、実感を持って感じます。

ホントに謙虚に、主の助けを待ち望んで、
これからも仕えていきたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙5章。

「古いパン種を取り除きなさい。」7節。

教会で「愛」を盾に、いろいろな問題が取り扱われないで、
すんでしまうことがどれだけあるでしょうか?
本当はそんなのは愛ではなくて、
事なかれ主義で、自分が傷つきたくないだけで、
ただ、逃げているだけ、ということがどれだけあるでしょうか?

古いパン種を取り除く。
放っておいたら、全体に影響があって、
取り返しのつかないことがある。


自分を守ろうとしないで、
逃げないで、
古いパン種を丁寧に取り除いていく、
そのような知恵と勇気を与えていただきたいと思いました。


自分の人生を通じての課題だと思います。
愛するが故に対決する。
対決しつつ、愛する。

その大きさと強さを持たせていただきたいです。


主よ、
古いパン種を丁寧に取り除かせてください。
問題を問題として、取り扱う勇気を与えてください。
本当に愛を持って問題に立ち向かう強さを与えてください。

2008-07-07

JOYJOYキャンプモード

今日も蒸し暑かったですね。
「ガソリン燃やさず、体脂肪燃やせ」のスローガンのもと、
今朝、サキを町のデーキャンプに連れて行くとき、歩いたら、汗びっしょり。


この蒸し暑さはあと2日くらい続いて、木曜日からましになるようです。

ホントかな?


これはホントに当たってほしいです。


さて、今日は牧師会で一日出ていましたが、
頭の中は、どちらかというと、JOYJOYキャンプモード。
あと5週間しかないので、
かなり追い込んでいます。


で、これは去年のテーマ(ワンダー博士の大冒険)だったらよかったのになあ、
去年、見ていたらなあ、と思った映像。
去年静電気の実験をしましたが、ここまで面白い方法があるとは・・・。

今年のテーマ(きらリンピック)でも工作で使えるかな。
「体操の選手」とかで・・・。



昨日の「でんじろう」先生が今日も登場です。







情報をたくさん集めて、その中でどれを使うか、
何よりも子供たちの目の輝きを思いながら選ぶ、それが本当に大切ですね。
テレビよりも楽しく、ビデオゲームより引き込まれ、
でも、思いっきり、神様のことを伝えられるキャンプとなりますように。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙4章6-21節。


「私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。」14節。

自分はいったいこの愛を持っているだろうかと思いました。
この手紙の中でパウロはかなりきつい態度を取り、
きつい言葉を使っています。

でも、それは愛ゆえだったんですね。
その愛を自分は持っているだろうか。
考えさせられました。
「神様にゆだねる」という言葉を使いながら、
本当は面倒から逃げている。
対決する愛から逃げている。

愛することをもっともっと教えてほしいと思いました。

主よ、
私に愛を与えてください。
人を愛する愛を満たしてください。
逃げないで、語る愛を与えてください。

2008-07-06

もりだくさんの日曜日。

今日は昼間はどんよりとして蒸し暑い日でしたが、
夕方から、雲も切れてきて、
湿度もちょっと下がってきました。

そんな中で、夜は町の花火を見に行ってきました。
去年、ずいぶん派手になったので、「おー」と思ったのですが、
今年は去年並かちょっとおとなしめ。


でも、十分楽しみました。

それからテレビで野球観戦。
テレビをつけたら7回で4-4の同点。

そのあと、両者譲らなかったのですが、
延長10回サヨナラ勝ち。
やっと溜飲が下がった感じ。



そして、やっとこのページに取りかかったところです。

今、夜中の12時前ですが、外は23度くらい。
明日もまだ雷雨が降りやすい、蒸し暑い一日になりそうです。


今日の教会は夏休みで日本に帰った方も多く、
連休でお出かけの方もおられて、
来られた方は、いつもより、少なかったですが、
それでも、本当に幸いな日曜日になりました。
ひとりひとりが共に祈り、
みことばに応答している姿に励まされます。

あと、子供たちにも聖餐式の意味を話すときが与えられました。
サキに「わかった?」と聞いたら、「うーん・・・」という返事でしたが、
大切な一時だったと思います。
来週はThe BRAVEの先生が、洗礼式の話をしてくださいます。
子供たちがそれらのことを少しずつ、消化してくれますように。



JOYJOYキャンプもあと5週間になり、
これから追い込みです。
今日もミーティングをしました。

テーマソングの録音も着々と進んでいる・・・ようです。



結構何回もやってきた、
空気砲という工作があります。
JOYJOYでは、子供の発明なのですが、
その上にコップを乗せて、「空気砲ロケット」で遊んでいます。


で、今日、こんなビデオを見つけました。





うーん、いつか、JOYJOYキャンプでもやってみたい・・・。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙の3章16節から4章5節。


「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。」4:3-4

きょう、ここを読みながら、自分はこのように言えるだろうかと思いました。
そして、まだ、私の心の中の「謙虚さ」とか「傲慢さ」の基準が、
人間同士の中での関係にどれほど支配されているかと見せつけられました。

結構衝撃的でした。



自分はまだ、人との関係で、「謙虚」になりたいと思い、「傲慢」と思われたくない、
と思っているのではないだろうか。
また人を見るときに、人間関係の中での謙虚さや傲慢さの方に目が留まって、
その人が神様の前に謙虚であるかどうか、をちゃんと見ているだろうかと。

神様の前の謙虚さ、神の前にへりくだっていること、
それが大切なんだと、今日は思わされ、
どこまでも、主の前にへりくだった歩みをさせていただきたいと思いました。


主よ、
どうか、あなたの前に謙虚な者としてください。
人との関係が前に出て、
あなたとの関係から目が離れてしまうことがないように、
どうか、私の歩みを守ってください。
今週一週間も、なすべきこと、一つ一つ教えてください。
一つ一つの出会いが祝福されますように。

2008-07-05

動くことと静まること

今日は一日どんよりとして、
時々雨が降る、日本の梅雨のような蒸し暑い一日でした。

去年のこのころも蒸し暑かったり、
雨が降ったり、涼しかったり、だったみたいですね。
でも、今年はホントに蒸し暑い・・・。


今日は朝から教会で祈り会。
ホントはハドソン川沿いの公園でするのですが、
天気が悪かったので、今日は教会に場所が変更になりました。
先月は4人と寂しかったのですが、
今日は10人と2倍半になって、
ホントにぎやかでした。
出エジプト記19章からの学びもよかったです。
神の前に畏れることの大切さを忘れないでいたいと思いました。


でも、その後は今日はずっと明日の準備。
お休みもいただいていたので、
やることがたまっていました。
ホントはばたばた動いていたい方です。
いろいろな人に会ったり、
走り回っていた方が、伝道しているつもりになりやすいです。
牧師の働きをしているつもりになりやすいです。

でも、このようなときが大切なんだろうと思って、
祈りつつ、準備をしていました。

「祈りとみことばのご用に専念する」ということの大切さ、
そして、それを意識的にすることの大切さを思わされました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙3章1-15節。


「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」12-13節。

土台はイエス様、
でも、その上に何を建てるか?
それが伝道者、牧会者の働きなのだ、ということです。
その真価は、火の中でわかると。

火の中で焼けてしまうような働きがある。
でも、火の中で残るような働きがある。

それは普段はわからない。
もしかしたら、わらの教会の方が、
普段は元気に見えるかもしれない。
魅力的に見えるかもしれない。

でも、その真価は火の中でわかる。

火に耐えるような教会形成をさせていただきたいと思います。
そのようなものを祈っていこうと思いました。

そして、いつの間にか、
周りが気にならなくなっている自分がいました。

ただ、人々を愛し、
人々にそのときそのときに必要な励ましと、戒めと支えを示すことができるような、
神様を示すことができるような働き人になりたいと思いました。
心から主に感謝しました。

主よ、
あなたが私の心にふれていてくださることに感謝します。
何が大切なのか、目を開いてくださっていることに感謝します。
どうか、火の中にも耐える教会形成をさせてください。
見るべきものを見て、見なくてもいいものを見ない者であることができますように。

2008-07-04

雨、雨、雨。

7月4日、一日で6回分更新しました。
下の方から上の方への順番です。
雨が続くようですね。
帰って天気予報を見たら、こんな感じ。
見事に「Heavy Rain」が続いています。
日曜日のうちの町の花火もどうなるでしょうか?
その後も、蒸し暑くて、雷雨の多い夏となりそうです。
今日は昼の12時のチェックアウトの時間ぎりぎりまでのんびりして、
プールに入ったり、ゴロゴロしたりして、
(朝はばっちり5時半に目が覚めましたが・・・)
そのあと、MITやHarvardという名門大学、
Chinatownや本拠地のFenway Parkを含めて、敵地視察をしてきました。
でも、カミングアウトすると、ホントのところ、ちょっと心惹かれているかも・・・。

なんだか、自分の育った東京の下町に通じるものがある感じがして・・・。
同じにおいがするって言うか・・・。
水のある風景でしょうかね。
それから、今回、こんなモノが売られているのに気付きました。
でも40ドル。
「ちょっと高いよねえ。ネットでもっと安く売られているんじゃないの?」と
調べてみましたが、そんなもんですね。
ちょうど最近サキがチェスに目覚めているので、いいかも。
 
やっと追いつきました。
今日の聖書。

今日はコリント人への第一の手紙2章1-16節。

「この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです」13節。


結局のところ、聖霊様をいただくこと、
聖霊様に従うこと、聖霊様に満たされることがどれほど大切なことかと思わされました。

もうそこでは人の知恵とか、教えられるとか、そういうことを超えて、
神様のことが見えてくる、神様の導きが見えてくるのだと。

自分もどれだけ常識とか、知恵とかに縛られているだろうかと思います。
真剣に祈り、神様に聞き、それに従って歩む者でありたいと思います。

主よ、
聖霊様を求めます。
どうか、私の内にあふれ、あなたのみ業をなしてください。
そして、私に教えてください。
あなたの御心を示し、
あなたの愛を満たしてください。

十字架を語る。

7月4日は独立記念日の休日。
今日は全国的にお休みの日です。
Paramusの町の花火は7月6日だそうです。
ここら辺は日曜日はショッピングモールが休みなので、
ショッピングモールの隣のグランドで花火を上げるうちの町にとっては、
それがちょうどいいんでしょうね。
明日の朝は祈り会。
今日は早めに帰って・・・と言っても9時半でしたが・・・
明日に備えます。

さて、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第一の手紙の1章18-31節。


「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」22-23節。

人の求めるものが、神様から「語りなさい」と与えられることと違うことがどれだけあるでしょうか?
それは本当にストレスです。
でも、人の求めることを語っていたら、それは伝道者失格です。
そして、それは本当の愛ではありません。

届くことを語りたいという思いはあります。
でも、それが人間の小賢しい考えに寄ってであってはならないのです。
ただ、聖霊様がそのようにふれてくださるときに、
伝わっていく、それが大切なんだと思います。

ただただ、忠実にイエスの十字架を語り続けることなんですね。

「しるし」・・・私も求めます。
「知恵」・・・なるほどなあ、とうなるようなメッセージを語る人もいます。

でも、それらがキリストの十字架よりも大切になってしまうならば、
全然違うものになってしまうのでしょうね。

主よ、
私の中にもっともっとはっきりとイエスの十字架を刻んでください。
そして、いつもいつも馬鹿のようにキリストの十字架を語る者にしてください。
そして、そのとき、聖霊様、どうかひとりひとりの心に、
そのことが伝わるように助けてください。
いや、それはあなたの御手の中にあることです。
よろしくお願いします。

Fire Alarm騒動。

3日の朝のことでした。
泊まったところはもちろん朝食付きのところ。
それも、マフィンとシリアルとコーヒー・OJだけじゃなくて、
ちゃんとした朝食が付くところをねらいました。

そして、9時すぎに水族館に行くために、
あわてて朝の食事をしていたのですが、
途中で、ピピピ・ピピピと鳴っています。
私「ありゃ、これは誰かが火事を出したのかな、
しょうがないなあ・・・。」
サキ「サキの学校のfire drill(避難訓練)みたい」
のんち「こんな音で大丈夫なのかしら」
私「あんまり迫力ないねえ、Drew大学の寮の時なんか、
ワオン・ワオンで、すごかったよねえ。でも逃げなくていいのかな」
そして、しばらくして「あ、止まったねえ」なんて話していました。

さらにしばらくしたら、マネージャーらしき方が、つかつかと近寄って声をかけてきました。
「あの、406号室にお泊まりですか?」
私「あ、はい」(ちょっとどきっとする)
マネ「先ほどのfire alarmですが、お持ちのvaporizerが煙探知機の下にあったので鳴ってしまいました。場所をずらしておきましたが、くれぐれもご注意ください」
私「あ、そうでしたか、申し訳ありません。・・・」

んー、vaporizer(加湿器)は持ってきていません。冬じゃあるまいし・・・。
じゃなくて、rice cooker(炊飯器)でした。(爆)

かきごおり家はこのような時にはほぼ毎回炊飯器とお米を持って回り、
朝ご飯を炊いて、昼はおにぎりでランチ代を浮かします。

今回も例外ではなく・・・

お米を洗ってスイッチを入れておいたのでした。

でも、こんなことは一度もなかったのですが、
たまたま、おいたところか悪かったみたいですね。

でももちろん、「vaporizerじゃなくてrice cookerですよ」なんて野暮なことは言いませんでした。
やぶ蛇になっても困るので・・・。


教訓・・・ホテルの部屋でご飯を炊くときは煙探知機の場所を確認してからにする。

さて、2日(水)の聖書。
2日はコリント人への第一の手紙1章17節。
「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」17節。

なんだか、もう一度自分の使命を再確認されました。
もちろん、バプテスマを授けること、
そして、クリスチャンの成長のための道のりを共に歩むことも大切な使命だと思っています。
そして、それをどれだけ自分が願っているかと思います。

でも、それが許されないケースもある。
たとえば、福音を伝えたり、救いへの導きをさせて頂いたり、
そこまでは役割を与えられていながら、洗礼は他の方が授けたり、
教会は他の教会に導かれたりすることもある。

それでも一つの使命を果たしたのだと。
そしてそれを感謝しました。

それが本当に大切な使命の一つなのだと。

これからもこの働きを第一にしていきたい、
福音を伝えることを必死にしていきたいと思いました。

主よ、
私も福音を伝えるために遣わされています。
どうか、福音を伝える者としてください。
そして、その後の洗礼や弟子訓練の道が閉ざされたときにも、
あなたの平安が私の心を満たしますように。
すべてをあなたにゆだねることができますように。

Holinessに招かれている!

先日、JCCNJの礼拝にも来てくださり、
我が家にも滞在してくださったはちこさんとぼぼるさんの教会の牧師さんは、
1週間の個人的なリトリートに行かれたと言うことです。

記事はこちら


そして、それが自分の弱さを認めて、
問題が起こる前に、問題が起こりそうになる前に、
整えるべきものを整えるためだと・・・。

本当に大切な姿勢だと思いました。
このような施設が日本語でもあればと思いますが、
英語でもいいから、このような働きのお世話になりたいと思いました。

牧師研修会を昨年から李先生が企画してくださっていますが、
次回は今年ではなく来年だそうです。

それも牧師がたくさん集まり、
励まし合い、共に祈ることもすばらしいことだと思いますが、
個人的にただ自分と神様との関係を問い、
また夫婦の関係を考える時はとても貴重だと思いました。

でも、実際のところ、そのような働きを利用できるのは、
だいたい、子供が大きくなってからですよね。
本当にそのような働きの必要を切実に感じるのは、
子供が小さいときなんですがね・・・。

何とか今の状況の打開のために、
次の世代の働き人のためにも、
私のできることはないだろうかと、
思わされるこのごろです。

さて、火曜日の聖書。
火曜日は新しく、コリント人への第一の手紙を読み始めました。


「To the church of God in Corinth, to those sanctified in Christ Jesus and called to be holy・・・」2節。

いつも新改訳聖書とNew International Versionの対訳の聖書を読んでいるのですが、今回は特に英語の"called to be holy"のフレーズに心が留まりました。

私たちはきよくなるように招かれたのです。
きよい者となるようにと呼ばれているのです。

救われて、それでいいというのではなく、
救われて、きよい者となるようにと招かれている。
そのことが今回は決して重荷ではなく、
わくわくするような、
楽しみになるようなこととして受け止めることができています。

主は私たちをきよくしようとされている。
そのためにいろんなことを与えてくださっている。
それに心から感謝します。

主よ、
あなたの招きに感謝します。
あなたが私をholinessに招いてくださっていることに、
心から感謝します。
どうか、あなたの思いのままに、私をきよめてください。