2008-07-16

心のマッサージ。

今日もまた暑くなりました。
昼間は34度くらい。
夜になってずいぶん下がってきましたが、
夜の11時45分で23度。
まあ良しとしておきましょう。
明日はもう一段階暑く、もう一段階湿度が上がりそうです。
かなりきついでしょう。

今日もたくさん書きたいことがあるのですが、
また一つだけ。

今日、教会のメンバーの指導で「クロッキー教室」なるものがありました。
絵を描く集まりです。

私は自慢ではありませんが、子供の頃から、絵はダメダメです。
小学生の頃、図工の時間に、先生がまだ描きかけの絵を取って、
「はい、皆さん、よく見てください、これは悪い例です。なぜならば・・・」
と例に使われたことが何回あったことでしょう。
先生たちには打たれ強い、ちょっとこういうことに利用しても大丈夫な、
鋼の心の持ち主だと思われていたのでしょうか?
いつも生意気な奴だったので、いじめたくなったのでしょうか?
でも、やっぱり、それはきつかったですね。



中学の美術では筆記試験も点数に入ったので何とか挽回しましたが、
ホント、苦手意識の固まりです。
高校で美術が選択科目になったときにどんなに救われた気持ちがしたことでしょう。


ですから、ふつう、こういう教室があっても、
「自分には関係ない・・・」と思っていました。

でも、この教室を指導してくださるアーティストの方と、
そんな話をしている中で、
萎縮しないで、心の中にあるものを外に出す方がいい、
と思うようになりました。
そして、ちょっとやってみたい、そんな気持ちになっていました。


だから、今回、とても楽しみにしていました。


そして、今日、参加しながら、
心のマッサージを受けているような気持ちになりました。


「上手に描こう」「みんなに見られても恥ずかしくないものを描こう」と萎縮してしまっている心が少しずつほぐされて、「いいんだよね」という気持ちになっていました。


こういう心のマッサージ、
あちらこちらの分野で必要なんだろうな、と思います。
「隙を見せてはいけない、つけ込まれる」「こんな自分の姿を知られたら、みんなにどう思われるだろうか」そんなことで私たちはがんじがらめになっていないだろうかと思います。だから、それがほぐされて、「大丈夫じゃん」となることが大切なんじゃないかと。


私自身、いろいろな方々とお話しするときに、
いろいろな集会でお話しするときに、
そのような働きができれば、と思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント第1の手紙の8章1-18節。

「 主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。」14節。

伝道者の生活が教会に支えられるようにというのは主の定められたこと。
でも、パウロはここで自分の手で働いて生活の糧を得ていることも誇りに思っている。

考えてしまいました。
牧師は教会から与えられるモノだけで生活するのが本当の信仰なのか、
それとも、パウロのように自分で働いて、教会に負担をかけないことを誇りにすべきなのか。

結局ローマ人への手紙の14章にあるように、
「あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。」
ということなんだろうと思います。

神様が自分に与えてくださっている使命をしっかり見据えながら、
その使命をしっかり果たしていきたいと思いました。
私は自立自活自給教会を建て上げることを、神様から示されています。
だったら、パウロの誇りとは違うけれども、自分の使命にしっかり立って、
教会を建て上げることのために用いて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたの使命に堅く立つ者としてください。
周りの人の姿や、
周りの声に振り回されるのではなく、
あなたの与えられる使命に立つ者でありますように。

また、私を用いてください。
用いやすい器になるように整えてください。

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