2008-07-13

まつり縫い。

今日は朝はなんだか涼しくて、
いいかなあと思ったのですが、
夜、教会から帰ってくると家の中がむっとする。

外も夜の11時前でまだ25度。
これから雨のようですが、
早く降ってきてほしいものです。

明日は雨のち曇り。
明日の夜あたりから湿度も下がって、
過ごしやすくなると思います。

今日、教会に行こうと思って、
ズボンをはこうと思ったら、
裾がほつれている。


自分は先祖代々由緒正しい短足の家系なので、
だいたい、どんなズボンでも20センチくらいは裾上げしてある。
ジーンズなどはウェストのサイズより、長さの方が短い。(ふつう?)

その裾上げしたところに、
足の爪とかが引っかかって
(ちゃんと靴下はいてからはけばいいのだが・・・)
だんだんほつれてくる。
一度ほつれると、足を入れるたびに、
なぜか、そのほつれた方に足が入る。
で、どんどんほつれて、今日はとうとう2センチくらいを残して、
ほとんど一周ほつれた。


で、必要は発明の母・・・ということで(ちょっと違うか)

で、小学校の家庭科以来の、ほぼ30年ぶり、うそ、33-4年ぶりの、
「まつり縫い」に挑戦。


言葉はわかるけど、やり方は忘れた。
でも、たぶんこうだろうなあ、と思いながらやった。
「これって絶対つっちゃっておかしくなるだろうなあ」と思いながら、
何とか一周。まあ、上出来。
我ながら、「お、ここまでできれば、もう一本!」
と、気をよくして、もう一つのズボンもやろうかと思う。
でも、そこで教会に行く時間。


ボタン付け以上の針仕事はしたことがないのですが、

ちょっとしたことも、妻の手を煩わせないでできると、
ちょっとうれしい。ちょっと自慢げ。

でも、針に糸を通すのが難しくなった・・・。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙7章17-28節。


「自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。」22節。

自分は自由。
だから、キリストに救われて、
キリストに属する奴隷になった。
奴隷になったんだから、
自分の気の向くままに生きるんじゃないと思う。
自分の好きなことだけをしているんじゃないと思う。

主が導かれるところ歩むことが、
主に従うことが、
大切なことなんだと思う。

主に従うのは楽しいこと。
でも、きついことも、願わないことをするように導かれることもあるだろう。
そのことを逃げないで負っていくものでありたいと思いました。

主よ、
今日の一日も感謝します。
今日の出会いの一つ一つに感謝します。
どうか、私があなたの御声を聞いて、
それが自分の願いと違っていても、
従っていく、勇気を与えてください。
従うことの意味を教えてください。

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