2007-05-26

満ち足りる心

今日も暑い日でした。
でも、昨日のように34度までは行かなかったようです。
30度くらい。

明日も暑くなるようです。
でも一時雨もあるかも知れないようです。
補習校の運動会もある日なので、
まあ、晴れて欲しいですが、
あまり暑いのも大変だろうということで、
ほどほどであって欲しいものです。

Google Calenderを使ってみています。
なんだか、いろんな情報がGoogleに集まっていくのはどうなんだろうかと思いますが、
まあ、大丈夫でしょう。

左側のサイドバーの「予定表」からジャンプできます。
教会の集会の予定はPublic扱い。
他の個人的にいろんな方にお会いするのは、
Private扱いです。ただ「Busy」と出ます。

さてさて、
今日の聖書。
今日は詩篇の63篇を読みました。

「私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、
 私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。」
5節の言葉です。

満ち足りる心、
それをこの詩人は脂肪と髄とに満ち足りる、という言葉を使っています。
栄養たっぷり、エネルギーの源になるようなもので満たしてくださるというのです。

このところ、私の心はそのような栄養で満たされているだろうかと、
振り返りました。
そして、とにかく、そのような満たしに与りたいと思いました。
私の魂の奥深いところまで、
誰か人との関係で満たされていくことではなくて、
主ご自身との関係の中で、
満たされていきたいと思いました。

満たして頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、私を満たしてください。
私の魂をあなたの恵みと命で満たしてください。
そして、あなたの与えてくださる喜びであふれさせてください。
満たされた喜びがあふれて、周りの人々にも力となっていきますように。


2007-05-25

心を注ぎ出す

今日はまた暑かったですねえ。
34度まで行きました。
でも湿度は日本のことを考えるとめちゃくちゃ低い20パーセント台。
Wild Fireとかも起きているくらいです。

明日もまた暑い一日のようです。

ここで、今年のJOYJOYキャンプ受付状況。
今日までに申込書をいただいたのが39名。
定員まであと11名です。
あと、一週間ですが、やっぱりちょっと超えるでしょうか・・・。

明日は4周年のマツイ記念日です。
ちょっと時間のある時に、当時の写真とかビデオとか掘り出してみます。
日本の親父は写真を掲載しているスポーツ新聞を見つけ、
新聞社にかけあって、その写真を焼き増ししてもらったそうな・・・。

ではでは、今日の聖書。
今日は詩篇の62篇でした。

「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。」
8節の言葉です。

心を注ぎ出す。
どんな感じなのでしょうか?
心にあることを、すべて主の前に出していく。
自分の存在のすべて。
自分で認めたくないところ、
自分でもう乗り越えたと思っているけど、
実際は未だ苦しんでいるところ・・・。
他の人にはなかなか言えないこと、
それをすべて注ぎだして、
主にわかって頂く、
そして、主が自分の心にふれてくださることを、
待ち望んでいくことなのだろう。

苦しいことも、
自分が情けなく思ってしまうところ、
自分が自分で赦せなく思っていることも・・・。

主よ、
心を注ぎ出す祈り、
時間もかかるでしょう。
表面的な祈りではなく、
言葉だけの祈りではなく、
心からの祈りを捧げる、
そのような時が、必要だと思います。
どうか、祈らせてください。
祈ります。
主よ、
あなたに心のすべてを注ぎだして、祈る喜び、平安、
味わわせてください。

2007-05-24

衰え果てる時

お祈りありがとうございます。
娘もすっかり元気になりました。

今日のキッズクラブの帰りの車の中での父と娘の会話。

「ねえ、パパとママと、○○と、
○○と、○○と(家族の名前を全部言う)、
みんな一緒に死んだ方がいいね・・・」

「え?」

「だって、一人ずつはさびしいじゃん・・・」

「さびしいけどさ、でも、神様は助けてくれるんだよ」

「スーパーマンみたいに?」

「・・・・そうじゃなくって・・・、一人でも、神様のところに行くから大丈夫だよ」

「でもさ、神様は死なないの?」

「神様は死なないよ。」

「ずるいなあ神様。」

「・・・・いやあ、神様死んじゃったら天国はさびしくなっちゃうでしょ・・・」

いろいろ考えているんですね。
最近、時々口にするんですよね。「死」ということ。

4月のカミさんの誕生日には
「ママ、4×歳になったんだ。やだな、もうすぐ死んじゃうの・・・」
・・・オイオイ・・・ちょっと違うんですが・・・。

私も5歳くらいの時、
よく怖い夢を見ました。

だからいろいろ感じる頃なんだろうと思います。
でも、時期的なことだけですませないで、
神さまと共に歩む平安を知って欲しいと思います。

26歳の時、
2回目の交通事故に遭いました。

夜、教会の集会が終わった後、
坂道のてっぺんから後ろ向きで降りてきた車を誘導していました。
でも、愚かなことに、その車の真後ろで「オーライ」とか言っていたのです。

そして、運転しておられた方が、クラッチを切って、
そのまま、ブレーキが踏めないで、「スー」っと加速して降りてきたのです。
「ストップ、ストップ、ブレーキ!」と叫びながら、
車の後ろをたたいたのですが、
運転しておられた方もパニックを起こされて、
そのまま、車は塀に激突。
塀と車の間にはさまれそうだった私ですが、
間一髪、身をひらりとかわして、逃げたつもり。
でも、どこかで頭を打ったらしく、頭には血がべったりでした。

すぐ病院に連れて行かれました。
意識もはっきりしていましたし、
そんなに激しく打った訳ではないことはわかっていましたから、
そんなに心配していませんでした。
実際、レントゲンの結果も、「大丈夫」でした。

でも、帰りに一枚の紙を渡されました。
そこには「頭を打った時には、そのときは大丈夫でも、
あとになって、脳に障害が出たり、命にかかわることもありますので、
以下のような症状が出たら、すぐに病院に連絡して、救急においでください。
・・・・
手足のしびれ、頭の痛み、吐き気、・・・」

人間、弱いもので、それを読んだら、
急に手足がしびれてきたような気がして、
頭が痛くなってきたような気がして、
吐き気がするような気がして・・・。

その時、思いました。
もしも、本当に自分にこのような症状が出てきて、
もしものことがあったら、
その時、死の川波を渡っていくのは、
自分一人なのだ。
どんなに誰かが「大丈夫だよ」と言ってくれても、
「私がここにいるよ」と、手を握ってくれても、
この世を去っていくのは、私一人なのだ、
そう思ったら、怖くて、さびしくて、悲しくて仕方がありませんでした。

「今夜は一人で寝ないように」と言われた私は、
ある方にお世話になりました。
入眠剤までもらって、夜、ベッドに入って、天井の模様をながめていました。
しばらく、悶々としながら、時間を過ごした後、
一つの聖書の言葉が私の心に響いてきました。

「たとい、死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたが私と共におられるからです」
詩篇の23篇の言葉です。

大丈夫だ、もし何かがあっても、
私は一人ではない、私と共に死の向こう側にも共に行ってくださる方がおられる。

そう思った時に、心に大きな平安が与えられました。
そして、
入眠剤なしでも、いつの間にか、眠りについていました。

今日は32度くらいまで行きました。
明日も暑い日になりそうです。
というか、今日よりももう一段暑くなるようです。
夏、到来となるでしょうか?

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の61篇を読みました。

「私の心が衰え果てるとき・・・」
2節の言葉です。

いつでも、「勝利です」と言いたい。
いつでも輝いていたい。
いつでもはつらつとしていたい。
そう思います。

でも、この詩篇を読んで、
この言葉に出会った時に、
「そういうこともあるよね」と思いました。
「心が衰え果てる時・・・」
でも、そんなときに、叫び声を上げることのできる方がおられるのは、
本当に慰めですし、励ましです。

自分の弱さや、「衰え果てる」ことを否定する必要もない、
でも、そんな中でも、私の希望であり、
私の力の源である方がおられる。

その主に今日も目を上げて、
今日も目を向けて歩みたいと思いました。

主よ、
今日の祈り会に感謝します。
共に祈る喜びを与えてくださったことに感謝します。
どうか、ペンテコステの日曜日に、
豊かな聖霊様の満たしを与えてください。
あなたが私の希望です。
どうかあなたの御業をなしてください。

人の力と神の力

日付は変わってしまいましたが、
2回目の更新。

下の娘も、なんとか、食べられるようになったみたいです。
帰ったら、夕食食べていました。
なんか新鮮でした。食べている風景。
まあ、ほっと一息です。って、何にもしていませんが・・・私は。

水曜日はまた気持ちのいい日でした。
木曜日はもうちょっと暑くなるようですね。
30度くらいまで行くみたいです。
先週の金曜日は10度くらいでしたよね。

なんだか、夏だったり冬だったりです。

水曜日の聖書。
水曜日は詩篇の60篇を読みました。

「どうか、敵から私たちを助けてください。
 まことに、人の救いはむなしいものです。」
11節の言葉です。

戦いの中で、神の助けを祈る歌です。
何が私たちの力かが問われているように思いました。

自分は人の助けをどれだけ求めているだろうか。
神の助けをどれだけ求めているだろうか?

日曜日の説教の準備をしながら、
また「祈りの人」になりたいと思いました。
かけ声だけではなく、
祈る人になりたいと思いました。
主は私たちを祈りに招いていてくださる。
祈る人になりたいと思いました。

主よ、
祈ることを教えてください。
祈りに招いてくださってありがとうございます。
人の力ではなく、あなたの力をあてにする者とならせてください。

2007-05-23

神の超越

今日はNYDayです。
こんな時間に時間ができたので、
一回目の更新。
夜、帰ってから元気があれば、やっと「一日一篇」が追いつきます。

今日も野菜の苗を紹介しましょう。
こちらインゲンです。


インゲンには「つるあり」と「つるなし」があります。
これは「つるあり」です。
「つるあり」はものすごい勢いでつるが伸びます。
放っておいたら何メートルまで伸びるんでしょうか?
わからないくらいです。
そして、次々と花が咲いて実がなります。
「つるなし」は30センチくらいで、どんどん花が咲いて実がなります。

長持ちは「つるあり」、
短期決戦は「つるなし」です。

今年も両方苗が育ちました。

「ニンゲン」はどうか?
「短期決戦」「長く次々と・・・」それぞれの持ち味ですね。

私は「つるあり」の方に魅力を感じますが、
いずれにせよ、「実を結ぶ」者となりたいと思います。

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制・・・」

さて、昨日、火曜日の聖書。
詩篇の59篇でした。

「しかし主よ。あなたは、彼らを笑い、
 すべての国々を、あざけられます。」
8節の言葉です。

困難の中で、敵の攻撃の中で、
詩人は、主の支配を信じます。

主がすべてを超えておられることを見るのです。

本当に主の支配を信じている人は何と幸いなことでしょうか?

自分でじたばたする必要がないのです。
大騒ぎをする必要がないのです。

そのような主への絶対的な信頼を持っていたいと思いました。
主を信頼して、安心して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの守りを信頼します。
あなたがすべてを支配の元においておられることを信頼します。
どうか、私の信頼が
嵐の中でも守られますように。

2007-05-22

さばく神が地におられる

下の娘の調子の悪いのが5日目に突入。
でも、夕方からちょっとよくなってきた感じでもあります。

今日もまぶしいくらいのいい天気。
明日もまた今日と同じようないい天気のようです。

今年は野菜ネタが少ないのですが、
いくつかはやはり苗を育てています。

たとえば、これはキュウリ。


日本とアメリカで全然違う野菜の一つです。
去年はそれまで毎年やられていたグランドホッグとの戦いに勝利し、
100本以上収穫しましたが、
今年はどうでしょうか?
苗作りも去年よりもずっと遅れています。
去年は今頃もう定植していますが、
今年はまだ本葉がやっと顔を出したところです。

昨日、月曜日の聖書。
昨日は詩篇の58篇でした。

その最後の言葉。
「まことに、さばく神が、地におられる。」
11節の言葉が心にとまりました。

神様は正しい裁きをしてくださる。
その神様は天で私たちを見下ろしているのではなくて、
この地におられると。

この主に信頼していこうと思いました。
主が正しいことをしてくださるから、
主が正しい裁きをしてくださるから、
そこに委ねていこうと・・・。

だから、真実に、誠実に自分の働きを全うすればいい。
そのように思います。

主よ、
あなたがおられることを、
あなたはいつも正しい方であることを、
信頼します。
すべてをあなたの御手に委ねます。
あなたがすばらしいことをしてくださいますように。

2007-05-21

主の元に身を避ける

今日は朝はちょっとひんやりでしたが、
また昼間は暖かくなりました。
今週は日に日に5月らしい暖かさになるようです。

アスパラガスも、もう食べたくなるようなのが出てこないので、
しばらく収穫を止めて、のばすようにします。
秋口にはまた出てくるかと思います。

良く聞かれるのですが、
あの食べるアスパラガスと、
フラワーアレンジや観葉植物につかうアスパラガスは、
「同じ」です。

先っぽが開いて、ふわふわ~という感じになります。

今日もテレビ観戦ですが、
まあ、安心してみていられる感じです。
我らがマツイ君は今日はダメですが・・・。

あと、娘の腹下しは4日目に突入。
朝のうちは、今日はもう元気になったかなあ、と思ったら、
また午後からダウン。
まあ、焦らないことでしょう。
でもやっぱり痛々しいものです。

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は詩篇の57篇でした。

「神よ。私をあわれんでください。
 私をあわれんでください。
 私のたましいはあなたに身を避けていますから。
 まことに、滅びが過ぎ去るまで、
 私は御翼の陰に身を避けます。」
1節の言葉です。

この詩の標題が「滅ぼすな」の調べに合わせて、ということで、
あのダビデが未だ王になる前に、
自分のいのちをねらっていた当時の王のサウルを、
討つチャンスがあったのに、
「彼は神に選ばれた王だから・・・」と自ら手を下そうとしなかった事件を
思いながら歌われた詩だと言うことでしょう。

だとすると、
この「神に身を避ける」と言うことの意味の深さを思わされます。
自分が手を下すチャンスがありながら、
「私は主に委ねます」と主を信頼しているのです。

主を信じる、ということの壮絶さを思わされます。

主よ、
私もあなたを信じます。
あなたを信頼します。
あなたがなしてくださることを信頼します。
あなたの義をあらわしてください。

2007-05-20

みことばをほめたたえる

今日は午後から暖かくなりました。
そして、夜、久しぶりのテレビ観戦ですが、
久しぶりにスカッとした試合運びです。
未だ終わっていませんが、このまま勝ってくれることでしょう。

もっともっとこういう横綱相撲を取って欲しいもんです。
もちろん、相撲ではなくて、野球の話題ですが・・・。

あと、先週の週末は私が調子悪かったですが、
今週は一番下の子が同じような感じです。
でも、自分ではないぶんだけ、痛々しいです。

早く元気になって欲しいです。

今日の礼拝はまた幸いな礼拝でした。
教会が教会としてしっかり立っていくことができるようにと、
再出発できるようにと願います。

さてさて、昨日土曜日の聖書です。
昨日は詩篇の56篇を読みました。

「神にあって、私はみことばをほめたたえます。
 主にあって、私はみことばをほめたたえます。」
10節の言葉です。

御言葉をほめたたえる。
それはやはり御言葉の力を知るから。
御言葉がどれだけ力あるものかを知るから。

御言葉がその通りになることを知るから。
御言葉が私たちを探り、
私たちをきよめ、戒め、正しい道に導くことを知っているから。

主よ、
あなたの御言葉をほめたたえます。
御言葉の力の故に感謝します。
これからも、あなたの御言葉に従って歩んでいくことができますように。
あなたの御言葉を聞きながら歩んでいくことができますように。
教会を教会として整え、守り、成長させてください。

2007-05-19

あなたの重荷を主に委ねよ

いやあ、寒いですねえ。
今日は一日10度くらい。
時々雨が降る肌寒い一日でした。

もうすぐメモリアルデー、行楽シーズンの幕開けなのに、
まあ、こう寒いと、まだまだパッチが手放せません。

もうすぐ教会が誕生したペンテコステの日曜日がやってきます。
教会学校では、教会はどうして誕生したかを5月は3回にわたって話します。

「祈っていた人々から始まった」
「聖霊様の力によって生まれた」
「悔い改めた人々によって生まれた」

子供たちへの話ですが、
教会全体でとても大切な学びだと思いました。

もう一度原点に戻って、
教会が祈りと聖霊様と悔い改めによって再生するのを
見せて頂きたいと思います。

今年のペンテコステ、楽しみにしています。

なかなか追いつけませんが、
今日も一日遅れて、昨日の分の更新。

金曜日は詩篇の55篇を読みました。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。
 主は、あなたのことを心配してくださる。
 主は決して、正しい者がゆるがされるようには
 なさらない。」
22節の言葉です。

この詩も、苦しめられている中で歌われた詩です。

6-8節にはこのようにあります。
「ああ、私に鳩のように翼があったなら。
 そうしたら、飛び去って、休むものを。
ああ、私は遠くの方へのがれ去り、
 荒野の中に宿りたい。
あらしとはやてを避けて、
 私ののがれ場に急ぎたい。」

なんだか、この気持ちがよくわかります。
共感できます。

でも、そこには解決はないことがわかっています。
何の解決にもならないことを知っているのです。

ですから、ずっと読みながら、
22節の言葉が出てきた時には、
本当に主が語ってくださったことを感じました。
心から主に感謝しました。

重荷を主におゆだねすればいい。

主が心配してくださっているのだから。

主が助けて守ってくださるから。

主よ、
あなたの語りかけに感謝します。
「わたしにゆだねなさい」と語ってくださってありがとうございます。
あなたが心配してくださっていますから、ありがとうございます。
あなたに委ねます。
あなたの御業を見せてください。

2007-05-18

私を弁護する方

今日はまた寒いくらいの日でした。
朝晩は10度くらい。
昼間、ちょっと暖かくなって15度くらい。

朝6時に出てJFKの空港に行ったら、
雨が降っていました。

でも、帰ってきたら全く降っていなくて、
一日ほとんど降っていないと思います。

明日も今日と同じような感じで、
「降るのかなあ・・・」という一日なりそうです。

さてさて、今日もあと20分ほどですが、
ここで昨日、木曜日の聖書箇所です。
詩篇の54篇でした。

この詩も、敵の攻撃にあって、苦しんでいる中に書かれた詩です。
その中で心にとまったのが、最初の1節の言葉です。

「神よ。御名によって、私をお救いください。
 あなたの権威によって、私を弁護してください。」

主が弁護してくださる。
主ご自身が私を弁護してくださる。

「主だって、私のことなんか、弁護しきれないだろうなあ」と思うところもあります。
主に弁護なんてしてもらう資格がないだろうなあと思います。

でも、主に弁護して頂けたら、どんなにうれしいことかとも思わされました。

ローマ人への手紙8章34節を思い出しました。

「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」

今も、主が私のことを弁護してくださっている、
その幸いを思わされます。

そんな資格なんかない。
でも、そうして頂ける幸いを思わされます。

主よ、
今日も私の心を探って、
不純なものを燃やし尽くしてください。
あなたの弁護をいただけるほど、立派な人間ではないことを感じています。
資格なんかないそんな者であるのに、
ただただ、あなたの憐れみによって、弁護して頂けることを感謝します。
そのこと自体に恐れを感じます。
どうか、あなたの弁護を感謝する思いを忘れることがありませんように。


2007-05-17

おそれるべきもの

今日は昨日までとうってかわって、
さわやかな一日となりました。
ちょっと雲が多めでしたが・・・。

明日は時々雨も降る、ぐずついた天気になるようです。
というか、いつ雨が降り出してもおかしくないほど、
周りには雨雲がいっぱいです。

このぐずつき感は、日曜日まで続くようです。

さてさて、今日は時間も遅くなってきているので、
すぐに聖書。

昨日、水曜日の聖書箇所は詩篇の53篇でした。

「見よ。彼らが恐れのないところで、
 いかに恐れたかを。」
5節の言葉です。

恐れのないところで恐れる。
つまり「恐れる必要のないところで恐れる」ということなんでしょう。

そうなんでしょうね。
人間の問題というか、自分の問題というか、
恐れるべきことを恐れないで、
恐れる必要がないことを恐れていることがどれほどあるのだろうかと思わされます。

恐れてはいけないことを恐れていること、
恐れる必要なんかないことを恐れていること、
どれほど多くあるのでしょうか?

恐れるべきことを恐れ、
勇気を持って歩んでいく者でありたいと思いました。

恐れるべきこと、それは神御自身、
神を甘く見てはいけないと思います。

恐れなくていいこと、
見えない将来の道、
人の顔色、
怒っている人の声・・・。

「完全な愛は恐れを取り除く」・・・本当に愛にあふれた者になりたいと思いました。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたの前に歩むことを教えてください。
人を愛することを教えてください。
恐れることから解放してください。
恐れるべき者を恐れ、
恐れるべきでないものを恐れない、
強さを与えてください。

2007-05-16

神こそ我が力

今日も暑かった・・・。
32度くらいまで上がっていました。
そして、午後3時半頃に雷雨。

そのあと、しばらく雨が降って、今はもうやんでいます。
17度くらいまで下がりました。

明日からは涼しい毎日だそうです。

花粉がやっと峠を越そうとしています。
今年はちょっと短くすんだかも知れません。

昨日今日と暑くて、そして雷雨が降ってくれましたから・・・。


犯人はおそらくこの花。
花全体がおしべという恐ろしい花です。

この花をつける木はoak treeです。
そのoak treeがうちの前の通りには町の街路樹として、
たくさん植わっています。

ですから、この花が落ちると、
通りがこんなになります。


この道の隅にたまっているのが、上の花がたくさんからまったやつです。
その中にはもちろん、たくさんの花粉が混じっています。

oak treeの花粉はスギ花粉とは別系列のアレルギー、
シラカバ系の花粉アレルギーを引き起こします。
私の場合、鼻よりも、目に来ます。
昨日の夜、バスを降りて、南風の吹く中、
この街路樹の中を200メートルくらい歩きました。
それで、今日一日、目がかゆくて仕方がありません。

「誰だ!こんな木を街路樹にしたヤツは!」モードです。

ちなみに、秋にはドングリが落ちます。
子供が集めて喜ぶのにはいいのですが、
放っておくと、翌春には芽が出ます。

何を街路樹にするか、もうちょっと考えて欲しいものです・・・。

さて、元気を出して、
火曜日の聖書。
火曜日は詩篇の52篇を読みました


「見よ。彼こそは、神を力とせず、
 おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」
7節の言葉です。

詩篇を貫くテーマでしょうが、結局自分たちが何を頼みとしているかが、
問われているのだと思います。
強がったりしないで、自分の持っているものを頼りにするのではなくて、
主を頼りにすること、
それを主が求めておられることなんですね。

自分も、口で言うのは簡単ですが、
結局のところ、何を頼りとして歩んでいるのか、
何を頼りにして、生きているのか、
問われているのだと思います。

もっともっと主に探って頂きたいと思いました。
本当の自分の姿が主によって知らされて、
それによって整えられてきよめられる必要を感じます。

主よ、
どうか、私を探ってください。
私が本当にあなたを頼りにしているか。
本当にあなたが私の力であってくださっているか、
それを探ってください。
そして、あなたを頼りとすることを教えてください。

2007-05-15

JOYJOY Camp 2007申し込み開始!

JOYJOYキャンプの申し込みが今年も始まりました。
日程は7月30日(月)~8月3日(金)

郵便での受付で、締め切りは6月2日必着。

今年のテーマは「ワンダー博士の大冒険」。

申込書はここをクリックして、プリントアウトしてください。

砕かれた心

今日は本当に暖かくなりました。
何度まで行ったかわかりませんが、
ほんと、暑いくらいでした。

夜になってもなんだか、もやっとしています。
ただ、今日はゲストの先生とNYに行ってきたので、
帰りのバスは寒いくらいで、絶対長袖必要。
この国のエアコンは日本人にはめっちゃきつい。
で、これからの季節は、半袖+羽織るモノ。これ鉄則ですよね。

そんなことで、今日先生をご案内した
○ンパイアステートビルの展望台。

ご案内のために何回目?って感じですが、
初めて気がついた、脱力系の日本語。

NJにお住まいの皆さんは、
もう「ご案内」で何度も行ってご存じのネタかもしれませんが、
こちらの観光地によくある、1セント玉(ペニーという名前がある)をつぶして、
記念にする機械。うちの子たちも大好き。
その説明書の日本語訳。



これ、ちょっと読みにくい(or 判読不能)のですが、
それ以上に理解不能。
ぜったい、翻訳ソフトを使ったに違いないです。

英語がわかる人は英語を読めばいいです。
英語読んだら、何でこうなるのか、日本語も、まあ、想像はつきますから。
でも、わからない人は、日本語読んだらもっとわからない。

最初の「つのトークンおよび1のペニー」という日本語は、
まあ、最初の1が何らかの理由で抜けたんだろうなあ、というのはわかります。
で、予想通り、英語はこう。
"1 token and 1 penny"

「チェンジャーからトークンを得なさい」という日本語も、
まあ、ちょっと高飛車な感じが、かわいかったりするので、
個人的には好みだったりします。

しかし、ステップ1になるともうついていけません。
ここ、写真では最初の2文字が読めないのですが、
実は「設計するべきマッチの矢」。

???

でも、英語を見ると納得です。
"TURN WHEEL, MATCH ARROW TO DESIGN"
なぜか、最初の一文が無視されているのですが、
あとはまあ、そうなるか、というわけです。

ステップ2は、
「1つのトークンおよび1のペニーに置かれる」
何が?ねえ、何が置かれるの?って感じはしますが、
まあ、いいことにしましょう。
英語はもちろん、
"Put in 1 token and 1 penny"

そして、ステップ3は、
「ペニーまでの回転車輪は次に落ちる」となります。
これをまた英語に直すのはかなり難しいです。

"Turn wheel until penny drops below"

まあ、大賞はやはりステップ1でしょうね。
"match arrow to design"=「設計するべきマッチの矢」

あ、それで、もう一つなんですが、
朝書いたのハーゲンダッツの味見。
1軒目では「プリントしたものを持ってこなければダメ」
2軒目では「フリーの分は終わっちゃった、今はプリントがなければダメ」だって!

販促のためにやっているんだと思うんですけど、
そんなのってアリなんでしょうかねえ。
もう二度とハーゲンダッツを食べないぞと思いました。
でも、すぐに思い直して、1ヶ月、いや1週間は食べないぞ、と思いました。
(あ、でも、誰かがごちそうしてくださるときは、もちろん、その限りではありません・・・)

近所だったら、速攻で帰ってプリントしてくるんだけど、
NYでしたから、それもあきらめ。
ボリビアから来られたゲストの先生、ホントがっかりしておられました。
ボリビアではハーゲンダッツ売っていないんだそうです・・・。
帰ってからそんな話を伺って、
タダで試食できなくても、
その場で強引に買って、先生どうぞ、ってすればよかった、と後悔・・・。

さてさて、昨日、月曜日の聖書。
月曜日は詩篇の51篇を読みました。

「たとい私がささげても、
 まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。
 全焼のいけにえを、望まれません。
神へのいけにえは、砕かれた霊。
 砕かれた、悔いた心。
 神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
16-17節。

日曜日に続いて、
「神の喜ばれるいけにえ」はなにか?
ということ、
日曜日は「感謝」ということ、
そして、月曜日は「砕かれた心」。

何かを「やっている」ということよりも、
自分の弱さや、自分の足りなさを認めて、
主の前に出ること、
そして、主が私のためにしてくださったことに、
感謝していくこと、
それなんだなあと思わされる。

自分はどうだろうか?
何か主のためにささげたことに
満足していないだろうか?
何か主のためにしたこと、
人々のためにしたことを振り回していないだろうか?

主よ、今、私の心を探ってください。
私の心に自分があなたのためにしたことに、
私があなたにささげたものに、こだわっているところがあるならば、
主よ、そこを砕いてください。
その傲慢を砕いてください。
そこにこだわっていた私の罪を赦し、きよめ、
あなたの恵み深さに、目を留める者としてください。

感謝をささげる

今朝は4時とかに目が覚めずに、
しっかり目覚ましが鳴るまで眠れました。
絶好調です。
感謝。

今日はハーゲンダッツのアイスクリームの新フレーバーが試食タダだそうです。
夕方の4時から8時。
Retreatの講師をされた先生はアイスがお好きなようなので、
ご一緒しようかな。
でも、この2つのニューフレーバー、ちょっと両方甘そうです・・・。
先生が召し上がって失敗したという
「ゴーヤアイス」みたいなことはないでしょうが、


今日は暖かな暑い日になりそうです。
最高の予想が30度超!
でも、夜はやはり10度台に下がるようですので、要注意。

日曜日の聖書の分。
日曜日は詩篇の50篇を読みました。

「感謝のいけにえを神にささげよ。
 あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」
14節。

いろんなささげものをささげているから自分は神様に喜ばれている、
と思っていた人々に対しての
メッセージは、
神はすべてのものを支配しているのだ、
大切なささげものは、
「感謝」だと。

自分はいったい感謝をささげているだろうか。
具体的に言えば、何に感謝をささげていると言えるだろうか、
思わされました。

そして、一つ一つ、感謝をしていきました。
心配事ばかりに目がいってしまいやすい者です。
こんなにたくさんの感謝すべきことがあるのに、
それを忘れてしまっていることに気が付きました。
どこに注目しているかによって、
他のものが見えなくなってしまいやすいのだと思いました。

与えられている教会の一人一人の故に
心から感謝しました。

主よ、
感謝します。
あなたがたくさんのよいもので私の歩みを満たしてくださっていることを。
一つ一つの出会いを与えてくださっていることを。
私の目の焦点を、あなたに合わせ続けていくことができますように。
あなたの与えてくださっているよいものに合わせ続けていくことができますように。

2007-05-14

恐れなくてもいい

Retreatが始まるという日の朝から、
おなかを壊して、調子悪かったのですが、
(なぜか、今年3回目。こんなの初めて・・・+元旦とかRetreatとか目立つ時に・・・)
ようやく、夕食からふつうに戻りました・・・たぶん。

でも、明日は朝から教会で祈り会なので、
体力温存のため眠くなる風邪薬を飲んで早く休む予定・・・。

明日は暖かい南風が吹く日となりそうです。

土曜日の聖書。
土曜日は詩篇49篇を読みました。

どうして私は、わざわいの日に、
 恐れなければならないのか。
 私を取り囲んで中傷する者の悪意を。
5節。

あんまり、人の悪意ということを感じたことはありません。
「お人好し」と言われてしまうこともしばしば。
詐欺の被害に遭ってもおかしくないと言われたり・・・。
というか、本当に遭いそうになったり・・・。

でも、イエスも
「へびのように賢く、はとのように素直であれ。」(マタイ10:16)
と言われているので、鋭さも必要なんだろうなと思います。

でも、もしもそういうことがあっても、
すべては主のみ手の中にあるから、
恐れる必要はない。
たとえ悪意が動いていたとしても、
それも恐れる必要はない。

最後の最後には主が正しいことをしてくださるから・・・。

主よ、
私を守ってください。
悪意というものが働く時にも、守ってください。
平安と賢さを与えてください。

神の宮の中で

昨日、3時過ぎに無事に帰着。
その後、荷物の片づけや今日以降のための準備のために
教会に寄って、帰ったのが5時過ぎ。

9時過ぎには休んでしまいました。
で、「これ飲んで寝たら、明日の朝早く目が覚めることもないだろう」
という眠くなるアレルギーの薬を飲んで寝たのですが、
ばっちり目が覚めたら4時。

ま、いいか、と起き出して、更新しています。

Retreat。
やはりよかったです。
体調が今三くらいで、
後半だんだん持ち直してきたところだったので、
あと1泊あれば、もう少しよかったのでしょうし、
もっと皆さんといろいろ個人的にお話ができればよかったと思うのですが、
必要なひとときであったと思います。

4回の集会を通して、
イエスが私たちのために祈ってくださっていること、
そして、何を祈ってくださっているかということについて、
ボリビアで沖縄からの移住者のために宣教しておられる
先生が語ってくださいました。

私個人では、最初の集会で語られた、
「永遠のいのちの豊かさ」をもっともっと味わいたいと思わされました。
ちょっとした嵐でぶっ飛んでしまうような「いのち」ではなくて、
嵐の中でも堅く立っていくことのできるようないのちを
味わっていきたいと思わされました。

2回目の集会はちょっと限界を超えてしまって
部屋に帰って休んでいましたので、
あとで、録音を聞くのを楽しみにしています。

さて、金曜日の聖書。
詩篇の48篇でした。

「神よ。私たちは、あなたの宮の中で、
 あなたの恵みを思い巡らしました。」
9節の言葉です。

一人一人で神様のことを思うこともできるはず。
でも、私たちは特定の場所で、
みんなで集まって主の前に出る、
共に主に祈り、共に主の恵みを思うことも幸いなこと。

新約の時代に生きている私たちにとって、
この「宮」というのは、信仰者の共同体。
人々の集まりとしての教会を指しています。

そこで、共に集まる中で、
励まされ、目が開かれ、悔い改めに導かれ、
成長していく喜びを感じます。

もっともっとそのことを具体的に経験していきたいと思いました。
たくさんの方々が新しく教会に加わることも喜びですが、
それだけではなくて、
教会の中で、共に成長していく喜びを経験できればと思います。

主よ、
新しい朝を感謝します。
修養会の3日間を感謝します。

新しく歩み出していくことができますように。
共に歩む喜びを教会の中に満たしてください。
主によって取り扱われ、
整えられていく喜びを経験させてください。

新しい一週間に主がすばらしいことをしてくださいますように。

2007-05-11

今日からretreat

今日から日曜日までRetreatです。

これは「退く」ことです。
退いて、神様の前に出て祈ることです。

イエスも何度かそのようにされました。

その間、更新はお休みします。
コメントもすぐには反映されないかも知れませんが、
私がコンピューターから離れているので、
あしからず。


2007-05-10

畏れと喜び

今日は暑かったです。
ちょっと蒸し暑くも感じました。
日本から来られている方にとっては、

こちらはからっとしているそうですが・・・。

今夜、雷雨とか言っていましたが、
大したことはないようですね。

明日も一時雨。

花粉症には、花粉を一気に流してしまうような雨が欲しいのですが・・・。

昨日のことですが、
午後、病床訪問で、Roosevelt Islandに行ってきました。

2回目なのですが、
前回は車で行ったので、楽だったのですが、
今回は地下鉄。

「迷わないで行けるかなあ」と思いましたが、
そこはマンハッタンの東を流れるEast Riverに浮かぶ細長い島。

幅が200メートルくらいしかないので、
迷うことはあり得ないくらいのところでした。

暑い中、コンピューターと、聖書と、本を詰めた鞄を持って、
30分はちょっときつかったですが、
無事、目的地に着きました。

しばらくお話をして、帰り道、

なにか、「いいなあ、ここ」と思いました。
ウォーターフロントで、なんか、自分の育った東京の下町と似ているんですよね。


高層アパートがあったり、
川が流れていたり。

高層アパートの中庭では子供たちが遊んでいたりして。

地下鉄に乗って、10分くらいで、ミッドタウンの、
「いかにもNY」って観光地かつビジネス街に出ちゃうんだから、またこれがすごい。

ちょっとあこがれてしまいました。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の47篇を読みました。

「まことに、いと高き方主は、恐れられる方。
 全地の大いなる王。」
2節の言葉です。

神様は恐れられる方。
恐るべき方。

しかしまた、
「神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、
 上って行かれた。」
5節にはあります。

神様は私たちの喜びの叫びの中を通って行かれる方。

畏れと共に喜びがある。

根底にあるのはやはり「畏れ」なんだろうなあと思います。
神様の前に出る権利も、資格もない。
そんな者が、おそれおおくも、
御子の十字架によって、
「神の子」とされている。

何ということかと思います。

そこに喜びがある、そのように思います。
恐れない喜びは、あまりに表面的で、
あまりに自己中心的な、喜びだと。

主よ、
あなたが私たちを受け入れてくださること、
神の子としてくださったことに感謝します。
あなたの前に出る資格もない者であることを、
今日も忘れないように、守ってください。
一瞬たりとも忘れないように、守ってください。


2007-05-09

静まれ

今日はNYの日で、
夜はもう更新の元気がないでしょうから、
NY のPublic Libraryから・・・。

今朝はもっと暖かいかと思って期待しましたが、
10度を切っていました。

そして、今日もすかっと晴れ。

暖かい一日になりそうです。
NYはさすがに花粉もそれほどひどくなく、
助かっています。

昨日、教会の用事で郵便局に行ったら、
rate change 5/14と掲示がしてあるではありませんか。
来週から封書が41セントになるんですね。
知りませんでした。

それからシステムががらっと変わるんですね。

重くなるのはあまり高くならないのですが、
大きな封筒の場合は高くなります。
なんだかUSPSのページを一生懸命読んでしまいましたが、
わかったようなわからないような・・・。
結局、機械化が進んでいるから、
機械に通りやすいのは安いけど、
そうじゃないのは高いですよ、ということかな。
郵便局行って聞かないと・・・です。

今日の聖書。
今日は詩篇の46篇でした。

「それゆえ、われらは恐れない。
 たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。」
2節の言葉です。

これを読みながら思いました。
「本当だろうか」と。
本当にそんなことがあっても自分は恐れないだろうかと。
9/11の時、自分は本当に恐れました。
だったら、天変地異があったら、恐れないだろうか、
恐れるのではないだろうかと思いました。

そして、信仰を守る人もいれば、
いろんな理屈をつけて、
信仰を捨てたり、
骨抜きの信仰を提案する人も出てくるでしょう。

そんな中で自分は堅く立っていけるだろうかと思います。

そんなことを思いながら読んでいた時に、
心にとまったのが、
「やめよ。
 わたしこそ神であることを知れ。」
10節の言葉。

口語訳では
「静まって・・・」ですが、
そう、嵐の中でも天変地異の中でも、
この言葉をいただいていけば大丈夫だと思いました。
「静まって、私こそ神であることを知れ」です。

本当に静まることが大切だと思わされました。
そして、神を神とすること、
神様が答えを与えてくださること、
神様が解決を与えてくださること、
それを信頼していくことの大切さを思わされました。

恐れてしまうかもしれない。
たじろいでしまうかもしれない。

でも、その中で、「私こそ神であることを知れ」と
主が語ってくださったら、大丈夫だと思いました。

主よ、
今日私に語ってくださってありがとうございます。
「私こそ神であることを知れ」と。

恐れないで、
何ものにも恐れないで進んでいくことができますように。