またまた、ホントは日付が変わってしまっています。
今日は夕方からユースの集まり、教会での祈り会、そして、その後、
NYへの送迎で、時間がバタバタ過ぎていって、
あっという間に12時を回ってしまいました。
でも、今ちょっとホッと一息です。
さっきまで、(家族-5歳の娘+泊まりに来ている17歳の男の子)で、
JOYJOYキャンプのビデオを見ながら、爆笑しておりました。
キャンプの参加者のご父兄とキャンプのスタッフの皆さんには
来週中くらいに、お渡しするかお送りします。
明日の日曜日、また皆さんにお会いできるのが楽しみです。
礼拝が豊かに祝福されますように。
今朝は予想よりも高くて6.5度Cありました。
でも、今夜はもう冷え込んできて、12時半で5.6度まで下がっています。
2度くらいまで下がるでしょう。
明日の夕方には一雨あって、
月曜日からもう一段寒くなるようです。
今日の聖書は、使徒の働き16章でした。
パウロが2回目の伝道旅行に出かけて今度はアドリア海を渡ってヨーロッパに福音を伝えていくところです。
今日心に留ったのは、6-7節のところです。
「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」
福音を伝えようとするのに、
聖霊様がそれを許されなかったということはどういうことだったのだろうかと思います。
どうして、神さまはそんなことをなさったのだろうかと・・・。
そして、それはパウロがマケドニヤに進んでいくためだったことがこの後分かる訳ですが、
後にならなければわからないことですね。
その時には、「どうして、神さまのことを伝えようとしているのに・・・」という感じだと思います。
そして、ピリピに導かれた彼らは、ああ、このためだったんだ、と後になって分かるんですよね。
私たちもそういうことがある。
それでいいんだと思いました。
一つの道が閉ざされる時がある。
もう一つの道も閉ざされて、
何なんだろうか、って感じる様な時。
大体、今自分がここにいることだって、
最初は願ったことではなかったことを思い出します。
大学のカタログを見ながら、
「うーん、とりあえず送っておくけど・・・」
と思ったことを思い出しました。
でも、神さまは私をここに導かれたと、今ははっきり言うことができます。
道が閉ざされる時、
そこに神の御手を覚えることができるようにと祈ります。
主よ、
楽しいたくさんのことも、
あなたの御手の中にあることを信じます。
そして、願った道が閉ざされる時も、
あなたの御手がそこにあると信じます。
どうか、あなたの御手を見たり、感じたり、覚えたりすることのできる、
霊的な敏感さ、それを私に与えて下さい。
あなたの御手を信じ続ける信仰をお与えください。
2006-10-21
2006-10-20
主の恵みによって救われた
夜の集会が終わって帰ってきました。
今日もたくさんの方々が集まられました。
いろんな質問や意見も出て、いい集会だったと思います。
午前中の祈り会も、
多かったですね。
共に祈ろう、という方々がたくさんおられるのには、励まされます。
今日は3時頃に雨がザッと降って、
強い風が吹いて、
18度Cくらいあった気温がどんどん下がってきました。
今、夜の11時半ですが、
8度まで下がってきています。
今夜の最低気温の予想は4度C。
来週の半ばに向かってさらに下がって行くみたいです。
10月中の初雪はないでしょうが、
冬はもうすぐそこなんでしょう。
おととい(かな)、Internet Explorerの7.0が出ました。
早速入れてみました。
というのは、「タブブラウジング」ができるようになったから・・・やっと。
もう、何年もFirefox派の私にとっては、
それはもう「当然」という感じでした。
むかしは何だったけな、Firebird?
そのころからIEより軽くて、ウィルスの心配を余りしなくてよくて、
タブブラウジングができるので、
ずっとそれを使っています。
でも、IE向けに作られたページとかもあるので、
時々はIEも使っておりました。
今度のIEはいい、と思います。
深いところまで分かりませんが、見てくれはいいです。
ちょっと使ってみたところは便利です。
やっぱりちょっと重いですがね。
でもたぶん乗り換えないでしょう。
FirefoxのextensionのGmail Managerなんかも、便利だし・・・。
ちなみに、メールソフトも、この夏から、
すぐにフリーズするようになったOutlook(2000だけどね)を止めて、
Beckey!を使っています。
こっちも快適。
着々と脱Microsoft路線、邁進中。
まあ、OSはこのままxpで行くと思いますが。
今さら、10年ぶりに林檎派なんてことにもならないとは思いますし・・・。
さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの15章を読みました。
ここはエルサレム会議、最初の教会会議といわれるところです。
ここで話し合われたのは、クリスチャンになるために、ユダヤ教に回心しなければならないのか?
割礼を受けたり、律法を守ったりする必要があるのか、ということが話し合われたのです。
その中で、
心に留ったのは、
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
11節のペテロの言葉です。
ここを読むたびに感謝します。
私たちが今、ここで福音を信じることができるのは、
ここで、信仰をもって歩むことができるのは、
このエルサレム会議の決定で、
「恵みによって、信仰によって救われる」という結論に達したからです。
聖霊様がそのことを導いて下さって、
その様な結論になったからです。
この時に、「やはり、イエスを信じるためには、割礼を受けなければならない、
モーセの律法を守らなければならない」と決まっていたら、
日本にまで福音は伝わってこなかったでしょう。
ユダヤ教の一派として時代の中に埋もれてしまっていたでしょう。
「恵みによって救われる」
何というありがたいことでしょうか?
何と感謝なことでしょうか?
恵みがなかったら自分も救われていなかった、その様に思います。
主よ、
今日もあなたの恵みに感謝します。
あなたの恵みがなかったら、私の人生は20年で終わっていたことでしょう。
あの自分の真の姿を見せつけられて、
絶望のそこに落ちた時に、
私の人生は終わっていたでしょう。
あなたの恵みによって救われる、
その大きさ、そのありがたさ、そのかたじけなさ、
心から感謝します。
明日の一日が守られ、祝福されますように。
今日もたくさんの方々が集まられました。
いろんな質問や意見も出て、いい集会だったと思います。
午前中の祈り会も、
多かったですね。
共に祈ろう、という方々がたくさんおられるのには、励まされます。
今日は3時頃に雨がザッと降って、
強い風が吹いて、
18度Cくらいあった気温がどんどん下がってきました。
今、夜の11時半ですが、
8度まで下がってきています。
今夜の最低気温の予想は4度C。
来週の半ばに向かってさらに下がって行くみたいです。
10月中の初雪はないでしょうが、
冬はもうすぐそこなんでしょう。
おととい(かな)、Internet Explorerの7.0が出ました。
早速入れてみました。
というのは、「タブブラウジング」ができるようになったから・・・やっと。
もう、何年もFirefox派の私にとっては、
それはもう「当然」という感じでした。
むかしは何だったけな、Firebird?
そのころからIEより軽くて、ウィルスの心配を余りしなくてよくて、
タブブラウジングができるので、
ずっとそれを使っています。
でも、IE向けに作られたページとかもあるので、
時々はIEも使っておりました。
今度のIEはいい、と思います。
深いところまで分かりませんが、見てくれはいいです。
ちょっと使ってみたところは便利です。
やっぱりちょっと重いですがね。
でもたぶん乗り換えないでしょう。
FirefoxのextensionのGmail Managerなんかも、便利だし・・・。
ちなみに、メールソフトも、この夏から、
すぐにフリーズするようになったOutlook(2000だけどね)を止めて、
Beckey!を使っています。
こっちも快適。
着々と脱Microsoft路線、邁進中。
まあ、OSはこのままxpで行くと思いますが。
今さら、10年ぶりに林檎派なんてことにもならないとは思いますし・・・。
さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの15章を読みました。
ここはエルサレム会議、最初の教会会議といわれるところです。
ここで話し合われたのは、クリスチャンになるために、ユダヤ教に回心しなければならないのか?
割礼を受けたり、律法を守ったりする必要があるのか、ということが話し合われたのです。
その中で、
心に留ったのは、
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
11節のペテロの言葉です。
ここを読むたびに感謝します。
私たちが今、ここで福音を信じることができるのは、
ここで、信仰をもって歩むことができるのは、
このエルサレム会議の決定で、
「恵みによって、信仰によって救われる」という結論に達したからです。
聖霊様がそのことを導いて下さって、
その様な結論になったからです。
この時に、「やはり、イエスを信じるためには、割礼を受けなければならない、
モーセの律法を守らなければならない」と決まっていたら、
日本にまで福音は伝わってこなかったでしょう。
ユダヤ教の一派として時代の中に埋もれてしまっていたでしょう。
「恵みによって救われる」
何というありがたいことでしょうか?
何と感謝なことでしょうか?
恵みがなかったら自分も救われていなかった、その様に思います。
主よ、
今日もあなたの恵みに感謝します。
あなたの恵みがなかったら、私の人生は20年で終わっていたことでしょう。
あの自分の真の姿を見せつけられて、
絶望のそこに落ちた時に、
私の人生は終わっていたでしょう。
あなたの恵みによって救われる、
その大きさ、そのありがたさ、そのかたじけなさ、
心から感謝します。
明日の一日が守られ、祝福されますように。
2006-10-19
断食して祈る
もう本当は日付が変わっていますが、
19日分です。
投稿時間を自分で勝手にいじれることを発見した(遅い!)ので、
19日となっていますが、ホントは今12時を回って11分です。
今日は、帰ったのは11時過ぎだったのですが、
なぜかというと、
去年の修養会の講師をして下さった先生の、
奥様が、カーネギーで歌う、ということで、
聖書学院同窓会してました。
10人くらいの方々がカルフォルニアから来られて、
オペラのアリアとか、有名な曲を次々と歌っていく、
というプログラムで、その10人に、その牧師夫人、選ばれたんだそうです。
高校時代「音楽部」という「オペラ部」で、
トロンボーンをやっていたので、
高校時代はオペラ好きでしたねえ。
今、メトとかに行けるところに住んでいるんですが、
なかなか行けません。
12年間で1回だけ?かな。
「トゥーランドット」に行かせて頂きました。
チケット頂いて。
とにかく舞台の大きさ、豪華さに圧倒されました。
高校でやってたのは何だったのか、と・・・当たり前か。
メトの話はいいとして、
今日のコンサートもすばらしかったです。
楽しかったです。
もっと大々的に宣伝して、
JCCNJ軍団で行けばよかったかな。
今日のキッズクラブもたくさんの元気な仲間が集まりました。
今日も30人くらいかな。
この勢いで来週もたくさんみんな来てくれるといいなあ。
で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの14章を読みました。
その中で心に留った言葉、
「 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」23節。
「主にゆだねる」という言葉がここにあります。
私たちがよく使う言葉です。
「主にゆだねよう」と。
でも、ここを読むと、「断食して祈った後」と書かれています。
主にゆだねるのは、決して、軽々しく考えてはいけないことだと思わされました。
自分が主にゆだねようと言う時に、
自分はいったい、断食して祈るほどの真剣さ、
断食して祈るほどの熱心さを持って、
「主にゆだねる」という決断をしているだろうか。
自分で責任を取りたくないから、
何にも考えたくないから、
「主にゆだねよう」といっていることがないだろうかと。
ここでパウロが教会を主にゆだねる、という決断をした時に、
どれほどの大きな決断があったか、
どれほど熱い思いがあったかと思います。
本気で主にゆだねる、その様な経験をしたいと思いました。
また、断食して祈るほど熱心に祈る経験をしたいと思いました。
最後に断食したのはいつだったでしょうか?
主の前に出る真剣さ、熱さを持って歩んでいきたいと思います。
主よ、
本当の「ゆだねる」という経験を与えて下さい。
祈って祈って祈り抜く中に、
「ゆだねる」という経験を持つことができますように。
断食して祈るほどの熱い祈りを捧げさせて下さい。
他のことには熱中して食事をすることを忘れることがあっても、
祈って、食べることさえもどうでもよくなってしまうようなことはあるでしょうか?
そんな祈りへと私を導いて下さい。
19日分です。
投稿時間を自分で勝手にいじれることを発見した(遅い!)ので、
19日となっていますが、ホントは今12時を回って11分です。
今日は、帰ったのは11時過ぎだったのですが、
なぜかというと、
去年の修養会の講師をして下さった先生の、
奥様が、カーネギーで歌う、ということで、
聖書学院同窓会してました。
10人くらいの方々がカルフォルニアから来られて、
オペラのアリアとか、有名な曲を次々と歌っていく、
というプログラムで、その10人に、その牧師夫人、選ばれたんだそうです。
高校時代「音楽部」という「オペラ部」で、
トロンボーンをやっていたので、
高校時代はオペラ好きでしたねえ。
今、メトとかに行けるところに住んでいるんですが、
なかなか行けません。
12年間で1回だけ?かな。
「トゥーランドット」に行かせて頂きました。
チケット頂いて。
とにかく舞台の大きさ、豪華さに圧倒されました。
高校でやってたのは何だったのか、と・・・当たり前か。
メトの話はいいとして、
今日のコンサートもすばらしかったです。
楽しかったです。
もっと大々的に宣伝して、
JCCNJ軍団で行けばよかったかな。
今日のキッズクラブもたくさんの元気な仲間が集まりました。
今日も30人くらいかな。
この勢いで来週もたくさんみんな来てくれるといいなあ。
で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの14章を読みました。
その中で心に留った言葉、
「 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」23節。
「主にゆだねる」という言葉がここにあります。
私たちがよく使う言葉です。
「主にゆだねよう」と。
でも、ここを読むと、「断食して祈った後」と書かれています。
主にゆだねるのは、決して、軽々しく考えてはいけないことだと思わされました。
自分が主にゆだねようと言う時に、
自分はいったい、断食して祈るほどの真剣さ、
断食して祈るほどの熱心さを持って、
「主にゆだねる」という決断をしているだろうか。
自分で責任を取りたくないから、
何にも考えたくないから、
「主にゆだねよう」といっていることがないだろうかと。
ここでパウロが教会を主にゆだねる、という決断をした時に、
どれほどの大きな決断があったか、
どれほど熱い思いがあったかと思います。
本気で主にゆだねる、その様な経験をしたいと思いました。
また、断食して祈るほど熱心に祈る経験をしたいと思いました。
最後に断食したのはいつだったでしょうか?
主の前に出る真剣さ、熱さを持って歩んでいきたいと思います。
主よ、
本当の「ゆだねる」という経験を与えて下さい。
祈って祈って祈り抜く中に、
「ゆだねる」という経験を持つことができますように。
断食して祈るほどの熱い祈りを捧げさせて下さい。
他のことには熱中して食事をすることを忘れることがあっても、
祈って、食べることさえもどうでもよくなってしまうようなことはあるでしょうか?
そんな祈りへと私を導いて下さい。
2006-10-18
喜びにあふれる人
今日は暖かな一日となりました。
昨日の雨も上がり、晴れるかなあ、と思ったのですが、
結構雲が多く、どんよりとしていましたが、
22度Cくらいまで上がり、暖かい日となりました。
明日も暖かくなりそうです。
JOYJOYキッズクラブの日が暖かくてよかったです。
でも、それも明日まで。
あさっては雨で、それからまた冷え込みそうです。
でも、今回はそれほど厳しくないでしょう。たぶん。
そして来週の前半くらいまで冷えて、
そのあと、ちょっとゆるむみたいです。
ところで、accuweather.comの冬の予報が出ました。
それによると、今年は平年よりも少し寒めで、雪の多い冬になりそう、とか。
暖冬を予想している連邦政府の気象庁とは対照的な予想になりました。
ま、それほど、長期予報は難しい、ということ。
さて、どうなるか?
昨日の郵便の中に、
15歳の息子宛のWNBAからの手紙が・・・。
バスケットの絵が描いてあります。
バスケットの好きな息子のためにチケットのセールスか、
はたまた、高校生のためのトレーニングキャンプのお誘いか・・・
もしかしたら、将来性に注目してスカウトか!?
でも、"W"NBAです。
女子バスケ?
そうか、名前を間違えたんだ、
きっと5歳の娘の方の将来性に目をつけたんだ(12歳もいるけど・・・)、
と、ありえない(わからんが・・・)シナリオをいろいろ楽しく想像しながら、開けました。
開けてみて、え?でした。
なんと、
クレジットカードの勧誘・・・
まあ、私宛や家内宛には一日に2-3通はそうゆう手紙が届きますが、
とうとう息子までそんなのをもらうようになったかと。
いやあ、ちょっと申し込んでみようかなあ、なんて思いました。
まさか、作れないとは思いますがねえ。
そのうち、5歳の娘にまで来るのでは・・・と、またそれはそれでちょっと楽しみになってきました。
今日の聖書。
今日は使徒の働きの13章。
パウロの第一回目の伝道旅行のところです。
ピシデヤのアンテオケというところで、福音を語った様子が書かれています。
その最後の言葉に心が留りました。
「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」52節の言葉です。
この時の弟子たちは、決して手放しで喜べるような状況ではなかったはずです。
ユダヤ人の反対もありました。
身の危険を感じるようなこともあったでしょう。
でも、彼らは「喜びと聖霊に満たされていた」というのです。
私たちは、いや、私は、どれほど状況に振り回されやすい人間かと思います。
いいことがあると、喜びが湧いてきます。
つらいことや悲しいこと、悔しいこと、納得がいかないこと、
そんなことが起った時には、つらくなります。
喜びはどこへ行ってしまったんだろうかと思います。
喜びと聖霊に満たされていた、と人に言われるような、
その様に形容されるような、歩みをさせて頂きたいと思います。
主よ、
私を喜びで満たしてください。
あなたの喜びを私の内側に与えて下さい。
状況に左右されるような歩みではなくて、
いつもいつも心の内側から喜びがあふれてくるような、
どんな状況も喜んで受け取ることができるような、
そんな者とならせてください。
主よ、
明日のキッズクラブもあなたから頂いた喜びを持って、
出ていくことができますように。
たくさんの子ども達を送って下さい。
昨日の雨も上がり、晴れるかなあ、と思ったのですが、
結構雲が多く、どんよりとしていましたが、
22度Cくらいまで上がり、暖かい日となりました。
明日も暖かくなりそうです。
JOYJOYキッズクラブの日が暖かくてよかったです。
でも、それも明日まで。
あさっては雨で、それからまた冷え込みそうです。
でも、今回はそれほど厳しくないでしょう。たぶん。
そして来週の前半くらいまで冷えて、
そのあと、ちょっとゆるむみたいです。
ところで、accuweather.comの冬の予報が出ました。
それによると、今年は平年よりも少し寒めで、雪の多い冬になりそう、とか。
暖冬を予想している連邦政府の気象庁とは対照的な予想になりました。
ま、それほど、長期予報は難しい、ということ。
さて、どうなるか?
昨日の郵便の中に、
15歳の息子宛のWNBAからの手紙が・・・。
バスケットの絵が描いてあります。
バスケットの好きな息子のためにチケットのセールスか、
はたまた、高校生のためのトレーニングキャンプのお誘いか・・・
もしかしたら、将来性に注目してスカウトか!?
でも、"W"NBAです。
女子バスケ?
そうか、名前を間違えたんだ、
きっと5歳の娘の方の将来性に目をつけたんだ(12歳もいるけど・・・)、
と、ありえない(わからんが・・・)シナリオをいろいろ楽しく想像しながら、開けました。
開けてみて、え?でした。
なんと、
クレジットカードの勧誘・・・
まあ、私宛や家内宛には一日に2-3通はそうゆう手紙が届きますが、
とうとう息子までそんなのをもらうようになったかと。
いやあ、ちょっと申し込んでみようかなあ、なんて思いました。
まさか、作れないとは思いますがねえ。
そのうち、5歳の娘にまで来るのでは・・・と、またそれはそれでちょっと楽しみになってきました。
今日の聖書。
今日は使徒の働きの13章。
パウロの第一回目の伝道旅行のところです。
ピシデヤのアンテオケというところで、福音を語った様子が書かれています。
その最後の言葉に心が留りました。
「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」52節の言葉です。
この時の弟子たちは、決して手放しで喜べるような状況ではなかったはずです。
ユダヤ人の反対もありました。
身の危険を感じるようなこともあったでしょう。
でも、彼らは「喜びと聖霊に満たされていた」というのです。
私たちは、いや、私は、どれほど状況に振り回されやすい人間かと思います。
いいことがあると、喜びが湧いてきます。
つらいことや悲しいこと、悔しいこと、納得がいかないこと、
そんなことが起った時には、つらくなります。
喜びはどこへ行ってしまったんだろうかと思います。
喜びと聖霊に満たされていた、と人に言われるような、
その様に形容されるような、歩みをさせて頂きたいと思います。
主よ、
私を喜びで満たしてください。
あなたの喜びを私の内側に与えて下さい。
状況に左右されるような歩みではなくて、
いつもいつも心の内側から喜びがあふれてくるような、
どんな状況も喜んで受け取ることができるような、
そんな者とならせてください。
主よ、
明日のキッズクラブもあなたから頂いた喜びを持って、
出ていくことができますように。
たくさんの子ども達を送って下さい。
2006-10-17
祈りと答え
今日は一日雨。
でもその雨が降り出す前、
朝の祈り会は、とてもいい時を持ちました。
牧師として、
やはり1人1人に声をかけて、
その心の声を聞くことの大切さを思わされました。
やはりこのことのために召されている、
このことのために生かされていることを感じました。
たくさんの人の前に立つこともあります。
人々の気持ちを一つにしなければ・・・と走り回ることもあります。
子ども達の前に立ってゲームをしたりするのも大好きです。
事務的な仕事をしたり、
地味な作業をしたりすることも苦にはなりません。
でも、個人的に、または2、3人と語り合い、
心が触れ合うような時を持つ時に、
それを通して、その人の心が神さまに向いていく時に、
いつも、
「ああ、自分はこのために生かされているのかな」と思います。
そして、何よりも、それによって心にパワーをもらっています。
今日の聖書。
今日は使徒の働き12章でした。
その中で心に留ったのが、
「そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。」という12節の言葉。
でも、別に「祈っていたのか、すごいなあ、自分も祈らなければなぁ」とは
今日は思いませんでした。
その後の、人々は祈っていたんだけれども、
いざ、解放を祈っていたペテロが、
戸口に立っていたら、驚き、
「そんなことがある訳がない」と言ったり、
取り次いだ女中さんに「あなたは気が狂ってる」と言い出したり・・・。
思い出した言葉がありました。
「天が地よりも高いように、
私の思いはあなたの思いとは異なっている」
というイザヤ書55章の言葉。
私たちは祈っているんだけれども、
神さまはその私たちの期待を超えて応えてくださる方。
私たちの考えよりも、ずっとずっと大きなことをしてくださるお方。
自分たちの頭ってちっちゃいからね。
自分たちの考えって本当に浅はかだからね。
神さまのしてくださる大きなこと、
楽しみにしていきたいと思いました。
神さま、
今朝の祈り会を感謝します。
どうか、もっともっと私が出ていって、
人々の声に耳を傾けることができますように。
もっともっと心の叫びに聞くことができますように。
そして、あなたの大きな御業を待ち望みます。
私たちの祈り、
私たちの願い、
私たちの考えを遙かに超えて、
すばらしいことをしてくださいますように。
でもその雨が降り出す前、
朝の祈り会は、とてもいい時を持ちました。
牧師として、
やはり1人1人に声をかけて、
その心の声を聞くことの大切さを思わされました。
やはりこのことのために召されている、
このことのために生かされていることを感じました。
たくさんの人の前に立つこともあります。
人々の気持ちを一つにしなければ・・・と走り回ることもあります。
子ども達の前に立ってゲームをしたりするのも大好きです。
事務的な仕事をしたり、
地味な作業をしたりすることも苦にはなりません。
でも、個人的に、または2、3人と語り合い、
心が触れ合うような時を持つ時に、
それを通して、その人の心が神さまに向いていく時に、
いつも、
「ああ、自分はこのために生かされているのかな」と思います。
そして、何よりも、それによって心にパワーをもらっています。
今日の聖書。
今日は使徒の働き12章でした。
その中で心に留ったのが、
「そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。」という12節の言葉。
でも、別に「祈っていたのか、すごいなあ、自分も祈らなければなぁ」とは
今日は思いませんでした。
その後の、人々は祈っていたんだけれども、
いざ、解放を祈っていたペテロが、
戸口に立っていたら、驚き、
「そんなことがある訳がない」と言ったり、
取り次いだ女中さんに「あなたは気が狂ってる」と言い出したり・・・。
思い出した言葉がありました。
「天が地よりも高いように、
私の思いはあなたの思いとは異なっている」
というイザヤ書55章の言葉。
私たちは祈っているんだけれども、
神さまはその私たちの期待を超えて応えてくださる方。
私たちの考えよりも、ずっとずっと大きなことをしてくださるお方。
自分たちの頭ってちっちゃいからね。
自分たちの考えって本当に浅はかだからね。
神さまのしてくださる大きなこと、
楽しみにしていきたいと思いました。
神さま、
今朝の祈り会を感謝します。
どうか、もっともっと私が出ていって、
人々の声に耳を傾けることができますように。
もっともっと心の叫びに聞くことができますように。
そして、あなたの大きな御業を待ち望みます。
私たちの祈り、
私たちの願い、
私たちの考えを遙かに超えて、
すばらしいことをしてくださいますように。
2006-10-16
神のなさること
今朝は1.5度C。
でも昼間はずいぶん暖かくなりました。
明日からずっと冷え込みはゆるむみたいです。
寝る時、ちょっと足が冷えて寝付きが悪い時があります。
そんな冷え性オヤジは、
「湯たんぽ」が欲しくなります。
今から40年前(正確には37年くらい前かな)の子供時代はしっかり使っていました。
8時になると、お湯を入れて、2段ベッドの中に入れてました。
親父とかは、「あんか」を使っていたと思います。
まだあのころ30代だっただろうけどなあ、両親。
そのころは「ゆたんぽ」は確かブリキか何かの金属製でした。
「あんか」は豆炭のヤツだったんじゃないかなあ。
そのうち、電気あんかになったけど。
そして、湯たんぽは今から20年前の聖書学院時代も使っていました。
でも、この時はプラスチックの容器でした。
聖書学院は10時にストーブを消しますので、
すぐ寝ればいいのですが、
ちょっと11時頃まで起きていると、 寒いです。
で、湯たんぽ大活躍です。
そのストーブの上のやかんに入っていた熱湯を入れて使っていました。
何か日本でも2-3年前はやっていましたよね。
テレビかネットかで見たことのあるような・・・。
そこで、アメリカでも売っているか、捜してみました。
今日のところはよくわかりませんでした。
"hot water bottle"というのはあります。
でも、何か子供が抱いて寝るため、
または関節が痛い人がそこを暖めるため、
ぬるいお湯を入れるヤツみたいですね。
でも、きっとあるでしょう。にほんのゆたんぽ。
ボチボチ捜します。
さて、今日の聖書。
使徒の働きの11章です。
「どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
17節の言葉です。
主がなさることならば私たちはそれを妨げてはならない。
大切なことです。
11章の最初の方には、ペテロが人々に責められていることが書かれています。
10章を知っている私たちは、どうして?と思います。
でも、10章を知らない人々にとっては、
「どうして!?」でしょう。
で、責めてしまうのです。
その時、ペテロは丁寧に、順序立てて話しました。
そして、何よりもペテロの信仰を明らかにしました。
「神さまがして下さっているんだから、私は妨げてはいけないと思う」と。
その時、人々が一転、主をほめたたえるようになりました。
主がなさっておられることを説明すること、
そして、主がなさっておられることを妨げないこと、
主のして下さったことを証しすることです。
大切なことです。
主が何をなそうとしておられるのか、
楽しみです。
待ち望んでいきたいと思います。
それと共に主がどんなことをして下さっているのか、
証をする責任があると思いました。
主よ、
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのなさること、
私たちはそれを見たいのです。
それを妨げることがありませんように。
そして、そのあなたの御業を、
証しする者としてくださいますように。
人びとに伝わるように、
証しする者としてくださいますように。
でも昼間はずいぶん暖かくなりました。
明日からずっと冷え込みはゆるむみたいです。
寝る時、ちょっと足が冷えて寝付きが悪い時があります。
そんな冷え性オヤジは、
「湯たんぽ」が欲しくなります。
今から40年前(正確には37年くらい前かな)の子供時代はしっかり使っていました。
8時になると、お湯を入れて、2段ベッドの中に入れてました。
親父とかは、「あんか」を使っていたと思います。
まだあのころ30代だっただろうけどなあ、両親。
そのころは「ゆたんぽ」は確かブリキか何かの金属製でした。
「あんか」は豆炭のヤツだったんじゃないかなあ。
そのうち、電気あんかになったけど。
そして、湯たんぽは今から20年前の聖書学院時代も使っていました。
でも、この時はプラスチックの容器でした。
聖書学院は10時にストーブを消しますので、
すぐ寝ればいいのですが、
ちょっと11時頃まで起きていると、 寒いです。
で、湯たんぽ大活躍です。
そのストーブの上のやかんに入っていた熱湯を入れて使っていました。
何か日本でも2-3年前はやっていましたよね。
テレビかネットかで見たことのあるような・・・。
そこで、アメリカでも売っているか、捜してみました。
今日のところはよくわかりませんでした。
"hot water bottle"というのはあります。
でも、何か子供が抱いて寝るため、
または関節が痛い人がそこを暖めるため、
ぬるいお湯を入れるヤツみたいですね。
でも、きっとあるでしょう。にほんのゆたんぽ。
ボチボチ捜します。
さて、今日の聖書。
使徒の働きの11章です。
「どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
17節の言葉です。
主がなさることならば私たちはそれを妨げてはならない。
大切なことです。
11章の最初の方には、ペテロが人々に責められていることが書かれています。
10章を知っている私たちは、どうして?と思います。
でも、10章を知らない人々にとっては、
「どうして!?」でしょう。
で、責めてしまうのです。
その時、ペテロは丁寧に、順序立てて話しました。
そして、何よりもペテロの信仰を明らかにしました。
「神さまがして下さっているんだから、私は妨げてはいけないと思う」と。
その時、人々が一転、主をほめたたえるようになりました。
主がなさっておられることを説明すること、
そして、主がなさっておられることを妨げないこと、
主のして下さったことを証しすることです。
大切なことです。
主が何をなそうとしておられるのか、
楽しみです。
待ち望んでいきたいと思います。
それと共に主がどんなことをして下さっているのか、
証をする責任があると思いました。
主よ、
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのなさること、
私たちはそれを見たいのです。
それを妨げることがありませんように。
そして、そのあなたの御業を、
証しする者としてくださいますように。
人びとに伝わるように、
証しする者としてくださいますように。
2006-10-15
聖霊様の働き
今朝の最低気温は1.1度C。
朝にはヒーターが回っていました。
冬はこのヒーターはありがたいのですが、
空気が乾くのには閉口します。
冬に書いたと思いますが、
0度Cの空気が含むことができる水蒸気量は1立方メートルあたり、4.8g。
その空気を20度Cまで暖めると、1立方メートルあたり17.2g水蒸気を含むことができます。
ですから、0度Cで湿度100パーセントの湿った空気はそのまま20度まで暖めると
湿度28パーセントの乾いた空気になってしまうのです。
乾燥はのどに悪いし、インフルエンザウィルスなどは乾燥が好きといいます。
昔はよくストーブの上にやかんを置いて、
お湯を沸かすのと、乾燥を防ぐのの一石二鳥をやっていましたよね。
今はヒーターなので、火事にはなりにくいですが、
その一石二鳥ができないのが残念です。
洗濯物を干すのがせいぜい。でも、それではあんまり湿度が上がるって感じはしません。
確かに洗濯物は乾くのですが・・・。
この間、水道直すのにHome Depotへ行った時に、売ってましたね、
昔ながらのストーブ。
ちょっと興味が出てきています。
結構使っている人いるのかな?
今日も多くの皆さんと一緒に礼拝できたこと、
心から感謝します。
今日の聖書。
今日は使徒の働き10章を読みました。
ペテロが異邦人伝道に導かれていくところです。
心に留ったのが、
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。」
という44節の言葉。
人々に聖霊様が注がれて、はっきりとその様子が分かった時に、
懐疑的な人々も、神さまが異邦人(ユダヤ人以外の人々)にも救いをお与えになることを、
確信することができた。
聖霊様が注がれる時に、
人々にもそのことが分かったという。
その様なはっきりとした神さまの御業を見たいと思った。
もちろん現象面に捕らわれる必要はないと思う。
けれども、確かに人々が変えられて、新しくされて、
輝いて新しい一週間の歩みのために遣わされていく、
その御業を見せて頂きたいと思った。
「みことばによってこのように力を頂きました」
「解決が与えられました」
「悔い改めに導かれました」
その様な主を証しする言葉があちらこちらから聞こえてくるような教会になったらいいなと思います。
聖霊様を求めて祈りたいと思いました。
主よ、
私たちに必要なのは、
何よりも聖霊様が注がれることです。
お金でも、
会堂でも、
立派な人たちでもなく、
聖霊様が注がれることが一番必要なこと、
一番大切なことです。
他のものは「おまけ」です。
あなたを求めます。
あなた自身を与えて下さい。
聖霊様があふれて、聖霊様に満たされて歩んでいく者たちでありますように。
私自身が聖霊様に満たされて、歩んでいくことができますように。
朝にはヒーターが回っていました。
冬はこのヒーターはありがたいのですが、
空気が乾くのには閉口します。
冬に書いたと思いますが、
0度Cの空気が含むことができる水蒸気量は1立方メートルあたり、4.8g。
その空気を20度Cまで暖めると、1立方メートルあたり17.2g水蒸気を含むことができます。
ですから、0度Cで湿度100パーセントの湿った空気はそのまま20度まで暖めると
湿度28パーセントの乾いた空気になってしまうのです。
乾燥はのどに悪いし、インフルエンザウィルスなどは乾燥が好きといいます。
昔はよくストーブの上にやかんを置いて、
お湯を沸かすのと、乾燥を防ぐのの一石二鳥をやっていましたよね。
今はヒーターなので、火事にはなりにくいですが、
その一石二鳥ができないのが残念です。
洗濯物を干すのがせいぜい。でも、それではあんまり湿度が上がるって感じはしません。
確かに洗濯物は乾くのですが・・・。
この間、水道直すのにHome Depotへ行った時に、売ってましたね、
昔ながらのストーブ。
ちょっと興味が出てきています。
結構使っている人いるのかな?
今日も多くの皆さんと一緒に礼拝できたこと、
心から感謝します。
今日の聖書。
今日は使徒の働き10章を読みました。
ペテロが異邦人伝道に導かれていくところです。
心に留ったのが、
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。」
という44節の言葉。
人々に聖霊様が注がれて、はっきりとその様子が分かった時に、
懐疑的な人々も、神さまが異邦人(ユダヤ人以外の人々)にも救いをお与えになることを、
確信することができた。
聖霊様が注がれる時に、
人々にもそのことが分かったという。
その様なはっきりとした神さまの御業を見たいと思った。
もちろん現象面に捕らわれる必要はないと思う。
けれども、確かに人々が変えられて、新しくされて、
輝いて新しい一週間の歩みのために遣わされていく、
その御業を見せて頂きたいと思った。
「みことばによってこのように力を頂きました」
「解決が与えられました」
「悔い改めに導かれました」
その様な主を証しする言葉があちらこちらから聞こえてくるような教会になったらいいなと思います。
聖霊様を求めて祈りたいと思いました。
主よ、
私たちに必要なのは、
何よりも聖霊様が注がれることです。
お金でも、
会堂でも、
立派な人たちでもなく、
聖霊様が注がれることが一番必要なこと、
一番大切なことです。
他のものは「おまけ」です。
あなたを求めます。
あなた自身を与えて下さい。
聖霊様があふれて、聖霊様に満たされて歩んでいく者たちでありますように。
私自身が聖霊様に満たされて、歩んでいくことができますように。
2006-10-14
器と中身
今朝はまた寒かったですねえ。
って、昨日深夜祈祷会だったので、
今朝は寝坊したから、知りませんでしたが、
うちの温度計の最低気温は0.9度Cでしたよ。
霜とか降りたんでしょうかねえ。
西のWyckoffとか、北のMahwahとか、氷点下だったんでしょうかねえ。
今夜も冷え込むようです。
予想はまた2度C。
今は11時半を回ったところで、5.9度Cです。
秋はあっという間に過ぎていって、
もう冬支度ですね。
今年は日本に行っていたので、よけい短いです。
今日は、近所にある韓国の教会を訪問して、そこの教会の方とちょっとお話ししました。
オフィスビルを教会に変えて、使っているところです。
5年前に300人くらいで、300万ドルで2階建てのビルを買って、
今は1000人位の方々が集まっているそうです。
いい買い物したなあ、と思います。
オフィスビル街の教会なので、
日曜日には周りのオフィスにお願いして、
車を停めることを許してもらっているそうです。
Zoningの問題もなく、
何の困難もなかったそうです。
神さまに祈っていきたいと思いました。
本当に大きく主に期待して行きたいと思います。
「神様は私たちを助けることがおできになるだけでなく、
助けたいとしきりに願っておられる。」
ビル・ハイベルズ
今日読んだのは使徒の働きの9章でした。
ここは迫害の先頭に立っていたサウロ(のちのパウロ)がキリストを信じる者とされたところです。
その中で2つの聖書の言葉が心に留りました。
神さまがアナニヤにパウロのことを語った、
「あの人は・・・わたしの選びの器です。」
そして、そのアナニヤがパウロに語った
「あなたが・・・聖霊に満たされるためです。」
パウロは神の器だった。
そこに神は聖霊を満たした。
神の器だったパウロに、
聖霊が満たされなければならなかった。
私たちは土の器。
弱く小さな、もろい、価値もない存在。
でも、その内側に宝がある。
キリストという宝。
そして、そこにいのちが注ぎ込まれている。
聖霊様が満たされる。
私を満たして頂きたいと思いました。
私も聖霊様に満たされて、歩みたいと思いました。
パウロをパウロたらしめた聖霊様を、
同じ聖霊様を、
私のうちにも満たして頂きたいと思いました。
主よ、
聖霊様を私のうちに満たしてください。
私を御霊で満たし、喜びを与え、力を与えて下さい。
あのペンテコステの弟子たちのように、
神さまの大きな御業をほめたたえて歌う者としてください。
人々が「ここではいったい何が起っているんだろう?」と驚いて集まってくるような、
そんな御業をなしてください。
って、昨日深夜祈祷会だったので、
今朝は寝坊したから、知りませんでしたが、
うちの温度計の最低気温は0.9度Cでしたよ。
霜とか降りたんでしょうかねえ。
西のWyckoffとか、北のMahwahとか、氷点下だったんでしょうかねえ。
今夜も冷え込むようです。
予想はまた2度C。
今は11時半を回ったところで、5.9度Cです。
秋はあっという間に過ぎていって、
もう冬支度ですね。
今年は日本に行っていたので、よけい短いです。
今日は、近所にある韓国の教会を訪問して、そこの教会の方とちょっとお話ししました。
オフィスビルを教会に変えて、使っているところです。
5年前に300人くらいで、300万ドルで2階建てのビルを買って、
今は1000人位の方々が集まっているそうです。
いい買い物したなあ、と思います。
オフィスビル街の教会なので、
日曜日には周りのオフィスにお願いして、
車を停めることを許してもらっているそうです。
Zoningの問題もなく、
何の困難もなかったそうです。
神さまに祈っていきたいと思いました。
本当に大きく主に期待して行きたいと思います。
「神様は私たちを助けることがおできになるだけでなく、
助けたいとしきりに願っておられる。」
ビル・ハイベルズ
今日読んだのは使徒の働きの9章でした。
ここは迫害の先頭に立っていたサウロ(のちのパウロ)がキリストを信じる者とされたところです。
その中で2つの聖書の言葉が心に留りました。
神さまがアナニヤにパウロのことを語った、
「あの人は・・・わたしの選びの器です。」
そして、そのアナニヤがパウロに語った
「あなたが・・・聖霊に満たされるためです。」
パウロは神の器だった。
そこに神は聖霊を満たした。
神の器だったパウロに、
聖霊が満たされなければならなかった。
私たちは土の器。
弱く小さな、もろい、価値もない存在。
でも、その内側に宝がある。
キリストという宝。
そして、そこにいのちが注ぎ込まれている。
聖霊様が満たされる。
私を満たして頂きたいと思いました。
私も聖霊様に満たされて、歩みたいと思いました。
パウロをパウロたらしめた聖霊様を、
同じ聖霊様を、
私のうちにも満たして頂きたいと思いました。
主よ、
聖霊様を私のうちに満たしてください。
私を御霊で満たし、喜びを与え、力を与えて下さい。
あのペンテコステの弟子たちのように、
神さまの大きな御業をほめたたえて歌う者としてください。
人々が「ここではいったい何が起っているんだろう?」と驚いて集まってくるような、
そんな御業をなしてください。
2006-10-13
神の導きに従って
今日は深夜祈祷会の日なので、
帰ってきてからではしんどいので、
今のうちに更新。
今朝の我が家の最低気温は2度C。
冷えましたねえ。
今夜は「霜注意報」が出ています。
早くも初霜でしょうか?
そして、驚いたのはBuffalo, NY。
55センチも雪が積ったそうです。
昼過ぎで30万戸が停電。
びっくりです。
雪の多いところではありますが、
もちろん10月としては記録破り、だそうです。
今日の午前中は新しいところでの聖書を読む会。
この集会は前に場所を提供しておられた方が帰国されて、こちらに変わりました。
でも、その前はまた他の方が場所を提供されていて、その方が帰国されたので、
次の方になったんですよね。
ですから3箇所目。
このチェーンがずっと続いたらいいですね、という話をしていました。
そうですね。最初に始められた方の思いが受け継がれて、受け継がれて、
うれしく思いました。
今日の聖書は使徒の働きの8章です。
ステパノの殉教をきっかけにして起った迫害によって
散らされ行った人々、特にその中でピリポの働きが記されています。
その中で今日心に留ったのは、
「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」という神の御使いの言葉です。
26節にあります。
ピリポは伝道の成功していたサマリヤを去って、
寂しい道に行くようにと導かれました。
そして、そこではエチオピアの女王の宦官にキリストを伝えるのです。
ただそれだけのために、
この1人のために、
神さまはピリポをこの道に導かれました。
そして、その1人が救われた時に、
また神さまは違う道へとピリポを導かれました。
そこに従ったピリポもすごいと思います。
私たちはどうだろうか?
いや、私自身はどうだろうかと思いました。
神さまが示されるところ、導かれるところに、
いつでも喜んで従っていくことのできる覚悟はできているだろうかと。
もちろん、まだ、ここに使命があると思っています。
でも、いつ主が新しい道を示されても、
それに従っていくことができるか?
その神さまの御声を聞く敏感な耳と、
それに応答する素直な心とを与えて欲しいと思いました。
神さま
私たちの幸せは、
いつもいつもあなたの導かれる道に行くことです。
どうか教えて下さい。
どうか導いて下さい。
いつも従うことができますように。
従っていくことができますように。
帰ってきてからではしんどいので、
今のうちに更新。
今朝の我が家の最低気温は2度C。
冷えましたねえ。
今夜は「霜注意報」が出ています。
早くも初霜でしょうか?
そして、驚いたのはBuffalo, NY。
55センチも雪が積ったそうです。
昼過ぎで30万戸が停電。
びっくりです。
雪の多いところではありますが、
もちろん10月としては記録破り、だそうです。
今日の午前中は新しいところでの聖書を読む会。
この集会は前に場所を提供しておられた方が帰国されて、こちらに変わりました。
でも、その前はまた他の方が場所を提供されていて、その方が帰国されたので、
次の方になったんですよね。
ですから3箇所目。
このチェーンがずっと続いたらいいですね、という話をしていました。
そうですね。最初に始められた方の思いが受け継がれて、受け継がれて、
うれしく思いました。
今日の聖書は使徒の働きの8章です。
ステパノの殉教をきっかけにして起った迫害によって
散らされ行った人々、特にその中でピリポの働きが記されています。
その中で今日心に留ったのは、
「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」という神の御使いの言葉です。
26節にあります。
ピリポは伝道の成功していたサマリヤを去って、
寂しい道に行くようにと導かれました。
そして、そこではエチオピアの女王の宦官にキリストを伝えるのです。
ただそれだけのために、
この1人のために、
神さまはピリポをこの道に導かれました。
そして、その1人が救われた時に、
また神さまは違う道へとピリポを導かれました。
そこに従ったピリポもすごいと思います。
私たちはどうだろうか?
いや、私自身はどうだろうかと思いました。
神さまが示されるところ、導かれるところに、
いつでも喜んで従っていくことのできる覚悟はできているだろうかと。
もちろん、まだ、ここに使命があると思っています。
でも、いつ主が新しい道を示されても、
それに従っていくことができるか?
その神さまの御声を聞く敏感な耳と、
それに応答する素直な心とを与えて欲しいと思いました。
神さま
私たちの幸せは、
いつもいつもあなたの導かれる道に行くことです。
どうか教えて下さい。
どうか導いて下さい。
いつも従うことができますように。
従っていくことができますように。
2006-10-12
キッズクラブin Maywood
今日のJOYJOYキッズクラブは盛会でした。
9月休んだから、JOYJOYキャンプの勢いそのままに・・・というわけにはいかない、
と思っていたのですが、
4時をちょっと過ぎるあたりからたくさんの仲間が集まってきました。
全部で30人くらいかな。
4ヶ月ぶりの懐かしい顔、
キャンプ以来の顔、
いつも教会でみる顔、
そして初めての顔、
いやあ、止められません。
みんな期待して来てくれるので、
その期待を裏切らないような、
思いっきり楽しくて、
絶対また来る!っていうプログラムをしよう!と、
また燃えてきてしまいました。
会場的にはあと50人は大丈夫でしょうから、
まだまだこれからが楽しみです。
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
止めてはいけません。
神の国は、このような者たちのものです。」(マルコ10:14)
子ども達に大切なメッセージをとにかく伝えていって、
10年後にそのメッセージを胸に旅立つ若者に育って欲しい、そう願います。
9月休んだから、JOYJOYキャンプの勢いそのままに・・・というわけにはいかない、
と思っていたのですが、
4時をちょっと過ぎるあたりからたくさんの仲間が集まってきました。
全部で30人くらいかな。
4ヶ月ぶりの懐かしい顔、
キャンプ以来の顔、
いつも教会でみる顔、
そして初めての顔、
いやあ、止められません。
みんな期待して来てくれるので、
その期待を裏切らないような、
思いっきり楽しくて、
絶対また来る!っていうプログラムをしよう!と、
また燃えてきてしまいました。
会場的にはあと50人は大丈夫でしょうから、
まだまだこれからが楽しみです。
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
止めてはいけません。
神の国は、このような者たちのものです。」(マルコ10:14)
子ども達に大切なメッセージをとにかく伝えていって、
10年後にそのメッセージを胸に旅立つ若者に育って欲しい、そう願います。
天を見上げて
今日の聖書は使徒の働き7章。
ステパノが説教をするのですが、
それが人々の怒りを買い、彼は最初の殉教者となるのです。
心に留ったのは、
ステパノの言葉。
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」56節。
この「見なさい」という言葉が今日は特に心に留りました。
いつも読んでいる口語訳聖書では、「ああ」、新共同訳では訳出されていません。
でも、新改訳とNIVでは「見なさい」「Look!」です。
天を見上げなさい、といわれたように感じました。
そして、彼には見えた。
人々には見えなかったけれども、
彼には見えた。
私は見ているだろうか?
天を見上げて歩んでいるだろうか?
そして、見るべきモノを見ているだろうか?
心の目を、
霊的な目を開いて頂きたいと思いました。
神さま、
今日の一日を、
教会の1人1人の一日を守って下さい。
私が、
私たちが、
あなたを見上げていくことができますように。
あなたのことを見つめていくことができますように。
あなたから目をそらせようとする、
すべての力から
私を、
私たちを守って下さい。
今日のキッズクラブに神さまの守りと、祝福がありますように。
子ども達に最高のものを手渡しすることができますように。
ステパノが説教をするのですが、
それが人々の怒りを買い、彼は最初の殉教者となるのです。
心に留ったのは、
ステパノの言葉。
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」56節。
この「見なさい」という言葉が今日は特に心に留りました。
いつも読んでいる口語訳聖書では、「ああ」、新共同訳では訳出されていません。
でも、新改訳とNIVでは「見なさい」「Look!」です。
天を見上げなさい、といわれたように感じました。
そして、彼には見えた。
人々には見えなかったけれども、
彼には見えた。
私は見ているだろうか?
天を見上げて歩んでいるだろうか?
そして、見るべきモノを見ているだろうか?
心の目を、
霊的な目を開いて頂きたいと思いました。
神さま、
今日の一日を、
教会の1人1人の一日を守って下さい。
私が、
私たちが、
あなたを見上げていくことができますように。
あなたのことを見つめていくことができますように。
あなたから目をそらせようとする、
すべての力から
私を、
私たちを守って下さい。
今日のキッズクラブに神さまの守りと、祝福がありますように。
子ども達に最高のものを手渡しすることができますように。
2006-10-11
祈りに励む
これ日本語でももちろん大丈夫だよね。
Google Docs。
こうやって、便利なモノをどんどん作っていって、 世界を支配していくんだろうなあ。
だって、この文章だって、Googleのサーバーの中に入っているんだもんねえ。
ちょっと恐いような、でも、とても便利。
出先のコンピューターでも日本語が使えるようになってさえいれば、
編集できちゃうんだもんねえ。
こうやってメモを作っておいて、
また後で、ブログに上げたり、することもできるんだろうなあ。 と思う。
でも、印刷した時の体裁とかは?
んんん、分からない。 どうやってやるんだろう。
Word形式で保存してからワードで開くしかないのかな。
何かなあ。
でもこれ、他の人とチャットしながら編集する人とかいいのかもね。
自分はちょっとそこまでやるかどうかは分からないけど・・・。
ワードのソフトが必要なくなる訳でもないみたいだし・・・。
というのが、今日の昼間、Google Docs & Spreadsheetsを使っての感想。
そのまま、それを使って文章を最後まで書いてみます。
で、今日のニュースにはどきっとしました。
夕方出かけるために車のラジオをつけたら、
アッパーイーストでビルに飛行機が突っ込んだと・・・。
夜になってテレビをつけたら、ものすごい炎と煙だったんですね。
犠牲になったのが乗っておられた方々だけだったということが不思議なくらい。
NYの安全を祈りつつ。
今、JOYJOYキャンプのビデオのDVDを鋭意コピー中。
今年初めての試みですが、
お話が入って、テーマソングが入って、子ども達の様子が入って、
1時間半たっぷり。
今まで、スタッフの中には出回っていたのですが、
今年はご家族にもどんな話だったのか、もっと知って頂きたい。
+子ども達が何回も見ることで、聖書の話に親しんで頂きたい。
ということで、参加者には配布することになりました。
楽しいですよ。
もう、こうやって、JOYJOY後遺症から抜け出れなくなっちゃうんですよお。
明日からキッズクラブ始まるし・・・。
今日の聖書は使徒の働きの6章。
教会のなかで問題が起って、 執事が選ばれるところ。
その中で、やはり使徒達が言った次の言葉が心に留りました。
「私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
祈りとみことばの奉仕に励もうと思いました。
もっともっと祈りたいと思いました。
祈らなければ・・・みたいな義務感も、感じましたが、
それ以上に、祈りたいなあ、と思いました。
今日は早く休んで明日は早く起きようと思います。
もう時差がどうだなんて言ってられないですから・・・。
神さま、
またあなたが、私を祈りに招いてくださったことに感謝します。
どうか、祈ることのすばらしさ、
その味わいを、経験させてください。
明日のキッズクラブを守り、導いてください。
たくさんの元気な子ども達を送って下さい。
楽しい、そして、とっても、心に残る1時間として下さい。
Google Docs。
こうやって、便利なモノをどんどん作っていって、 世界を支配していくんだろうなあ。
だって、この文章だって、Googleのサーバーの中に入っているんだもんねえ。
ちょっと恐いような、でも、とても便利。
出先のコンピューターでも日本語が使えるようになってさえいれば、
編集できちゃうんだもんねえ。
こうやってメモを作っておいて、
また後で、ブログに上げたり、することもできるんだろうなあ。 と思う。
でも、印刷した時の体裁とかは?
んんん、分からない。 どうやってやるんだろう。
Word形式で保存してからワードで開くしかないのかな。
何かなあ。
でもこれ、他の人とチャットしながら編集する人とかいいのかもね。
自分はちょっとそこまでやるかどうかは分からないけど・・・。
ワードのソフトが必要なくなる訳でもないみたいだし・・・。
というのが、今日の昼間、Google Docs & Spreadsheetsを使っての感想。
そのまま、それを使って文章を最後まで書いてみます。
で、今日のニュースにはどきっとしました。
夕方出かけるために車のラジオをつけたら、
アッパーイーストでビルに飛行機が突っ込んだと・・・。
夜になってテレビをつけたら、ものすごい炎と煙だったんですね。
犠牲になったのが乗っておられた方々だけだったということが不思議なくらい。
NYの安全を祈りつつ。
今、JOYJOYキャンプのビデオのDVDを鋭意コピー中。
今年初めての試みですが、
お話が入って、テーマソングが入って、子ども達の様子が入って、
1時間半たっぷり。
今まで、スタッフの中には出回っていたのですが、
今年はご家族にもどんな話だったのか、もっと知って頂きたい。
+子ども達が何回も見ることで、聖書の話に親しんで頂きたい。
ということで、参加者には配布することになりました。
楽しいですよ。
もう、こうやって、JOYJOY後遺症から抜け出れなくなっちゃうんですよお。
明日からキッズクラブ始まるし・・・。
今日の聖書は使徒の働きの6章。
教会のなかで問題が起って、 執事が選ばれるところ。
その中で、やはり使徒達が言った次の言葉が心に留りました。
「私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
祈りとみことばの奉仕に励もうと思いました。
もっともっと祈りたいと思いました。
祈らなければ・・・みたいな義務感も、感じましたが、
それ以上に、祈りたいなあ、と思いました。
今日は早く休んで明日は早く起きようと思います。
もう時差がどうだなんて言ってられないですから・・・。
神さま、
またあなたが、私を祈りに招いてくださったことに感謝します。
どうか、祈ることのすばらしさ、
その味わいを、経験させてください。
明日のキッズクラブを守り、導いてください。
たくさんの元気な子ども達を送って下さい。
楽しい、そして、とっても、心に残る1時間として下さい。
2006-10-10
誰を欺くのか
数日ひいていた風邪も治って、体調もほぼ戻って、
日常生活に帰ってきたという感じです。
やはり帰米後10日くらいかかりました。
今日、3ヶ月ぶりに再開された集会もありました。
そして、いよいよあさってから、
JOYJOYキッズクラブが再開されます。
わくわくしてきます。
明日から金曜日の朝まで、雨模様になりそうです。
それで金曜日の夜は3度くらいまで下がります。
いよいよ秋が深まっていきますね。
でも、下の表を見ると、決して特別なことではないんですね。
これは、weather.comのこの地域の10月の平均、最高最低記録を表にしたモノです。
一番左の数字が日付。2番目が日の出時刻、3番目が日の入り時刻
4番目が平均最高気温、5番目が平均最低気温、6番目がその真ん中。
右から2番目が歴代最高気温、一番右が歴代最低気温です。

たとえば、明日の最低気温の記録、それは-2度Cです。
30度以上行った日も歴史のなかにはあるのですが。
今年は秋の深まりが早いような気がするんですが、決して特別ではないんですね。
いつも10月半ばになると、冷え込む日が増えてくるんですね。
月末には平均の最低気温が3度まで下がってしまいます。
このころには初霜とか初氷とかになるんでしょう。
今日の聖書。
今日は使徒の働き5章でした。
アナニヤとサッピラという夫婦が人々をだまし、
お金をごまかして、見栄を張った献金をするところです。
その中のペテロが彼らを責める言葉が心に留りました。
「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」4節。
実際は人をだましたのです。
神さまはだまされるような方ではありません。
すべてをお見通しです。
なのに、ペテロはそれを「神を欺くことだ」と言いました。
やはり、私のうちにも、「神さまは赦してくださるから・・・」という甘えがあるように思います。
人はなかなか赦してくれません。
でも、神さまは赦してくださる、と甘えた心を抱いているところがないだろうかと思います。
そして、人には何も分からないからいいだろう、
でも、すべてをお見通しの神さまには分かっているから、
ちゃんと悔い改めのお祈りをしておかなければ・・・。
でも、それは人を欺いているのではなくて、
神を欺いているのだというのです。
神さまが私を赦すためにはどれほどの大きな犠牲が払われているか、
どれほどの大きな犠牲によって、私が神さまに受け入れられているか、
忘れないでいたいと思います。
神さま、
私の心を探ってください。
神さま、
私の心を守ってください。
あなたがどんなに大きな愛を注いでおられるか、
忘れないようにしてください。思い出させてください。
いろいろな出来事のなかで、
私に気がつかせてください。
あなたを欺くことがありませんように。
それに気がついた時に、すぐにあなたの元に帰ってくることができますように。
日常生活に帰ってきたという感じです。
やはり帰米後10日くらいかかりました。
今日、3ヶ月ぶりに再開された集会もありました。
そして、いよいよあさってから、
JOYJOYキッズクラブが再開されます。
わくわくしてきます。
明日から金曜日の朝まで、雨模様になりそうです。
それで金曜日の夜は3度くらいまで下がります。
いよいよ秋が深まっていきますね。
でも、下の表を見ると、決して特別なことではないんですね。
これは、weather.comのこの地域の10月の平均、最高最低記録を表にしたモノです。
一番左の数字が日付。2番目が日の出時刻、3番目が日の入り時刻
4番目が平均最高気温、5番目が平均最低気温、6番目がその真ん中。
右から2番目が歴代最高気温、一番右が歴代最低気温です。

たとえば、明日の最低気温の記録、それは-2度Cです。
30度以上行った日も歴史のなかにはあるのですが。
今年は秋の深まりが早いような気がするんですが、決して特別ではないんですね。
いつも10月半ばになると、冷え込む日が増えてくるんですね。
月末には平均の最低気温が3度まで下がってしまいます。
このころには初霜とか初氷とかになるんでしょう。
今日の聖書。
今日は使徒の働き5章でした。
アナニヤとサッピラという夫婦が人々をだまし、
お金をごまかして、見栄を張った献金をするところです。
その中のペテロが彼らを責める言葉が心に留りました。
「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」4節。
実際は人をだましたのです。
神さまはだまされるような方ではありません。
すべてをお見通しです。
なのに、ペテロはそれを「神を欺くことだ」と言いました。
やはり、私のうちにも、「神さまは赦してくださるから・・・」という甘えがあるように思います。
人はなかなか赦してくれません。
でも、神さまは赦してくださる、と甘えた心を抱いているところがないだろうかと思います。
そして、人には何も分からないからいいだろう、
でも、すべてをお見通しの神さまには分かっているから、
ちゃんと悔い改めのお祈りをしておかなければ・・・。
でも、それは人を欺いているのではなくて、
神を欺いているのだというのです。
神さまが私を赦すためにはどれほどの大きな犠牲が払われているか、
どれほどの大きな犠牲によって、私が神さまに受け入れられているか、
忘れないでいたいと思います。
神さま、
私の心を探ってください。
神さま、
私の心を守ってください。
あなたがどんなに大きな愛を注いでおられるか、
忘れないようにしてください。思い出させてください。
いろいろな出来事のなかで、
私に気がつかせてください。
あなたを欺くことがありませんように。
それに気がついた時に、すぐにあなたの元に帰ってくることができますように。
2006-10-09
大胆に
とうとう北朝鮮は核実験をしました。
アメリカやロシアや中国、フランス、イギリス、インド、パキスタンそして、イスラエル、
これらの国が持っているモノを、北朝鮮は持ってはいけない、という理由がどこにあるか、
という素朴な疑問に対する答えは、何なのか、ということはありますが、
とりあえず、直近の問題としては、
これほどの国際世論の風当たりのなかで、
それを決行したことはどういうことなのかということですね。
日本では警察官や自衛隊の人、狩猟のために登録した人以外は銃を持ってはいけない、
というかんじでしょうか?
そうする理由はいろいろあるでしょうが、
その理由に納得しようと納得しまいと、
そう決まっていることを守らないでいることの結果は引き受けなければいけません。
国際社会には、「国家」ほどの決まりはないでしょうが、
今は、ひとまず国連があり、国際世論があります。
それはあの国の指導者には関係ない、ことなんでしょうか?
それとも単なる自分たちの自由を縛る圧力なのでしょうか?
政治のことはよくわからないんですが、
何をしでかしてくれるか、かなりコワイです。
日本に生きることもまた勇気のいる時代になったということでしょうか?
よく、朝日新聞のBe on Sturdayを読むのですが、
特にその「フロントランナー」にははっとさせられる言葉が時々あります。
リンクは貼りませんが、
10月7日号の松崎さんという自費出版で本を出す出版社の社長さんの言葉に、
はっとさせられました。
それは
「『一発当ててやろう』なんて気持ちで書いた人の思いは濁っているような気がします。」
という言葉です。
牧師が語るメッセージはある意味、コミュニケーションです。
伝わらない言葉なら意味がない。
伝わる言葉で伝えたい。
自分のなかだけで分かる言葉ではなく、
また、クリスチャンの間だけで分かる言葉ではなく、
人々に伝わる言葉で話したい。
でも、その気持ちが強すぎて、
時に、それこそ「うけをねらう」こともあるでしょう。
そこに濁りが生まれる。
とてもきつい一言だと思います。
メッセージでも月報でも週報でも、そしてこのページでも、
とにかく神さまが自分に語ってくださったこと、
そこに集中していきたいと思いました。
その思いを一番大切にしていきたいと思いました。
今日の聖書。
今日は使徒の働きの4章でした。
今日心に留った言葉は、
29節の使徒達の祈りの言葉です。
「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」
これ、すごいですよね。
いえ、皆さんが同意しなくても、私はすごいと思いました。
脅かされて、「もうキリストの名で語ってはならない」と言われたのに、
「もっと大胆に語らせてください」って言うんだから。
祈りだったら、普通、
「彼らを黙らせてください」とか、
「困難がなくなりますように」とかじゃないのか?
ああ、自分は何年聖書読んでいるんだろう。
何年読んだら、この聖書のように考えられるようになるんだろう。
どこかの迫害されていたクリスチャンがこのような祈りの課題を挙げられた、
という話を聞いたか、読んだか、そういう記憶がある。
「迫害がなくなるように祈らないでください。迫害のなかで信仰に堅く立つことができるように祈ってください」と。
それは何てことはない、聖書の世界観なんだな。
それがクリスチャンにとって「常識」でなければいけないのに、
「すごいな」と思うのは、
やはり自分たちが甘やかされているからではないだろうか?
生ぬるい信仰でいるなら吐き出されてしまう。
主よ、
私も、大胆に語る者としてください。
どんな反対があっても、
どんな迫害がこれからの人生のなかに起っても、
大胆に語らせてください。
試練を取り去るよりも、
信仰を増してください。
アメリカやロシアや中国、フランス、イギリス、インド、パキスタンそして、イスラエル、
これらの国が持っているモノを、北朝鮮は持ってはいけない、という理由がどこにあるか、
という素朴な疑問に対する答えは、何なのか、ということはありますが、
とりあえず、直近の問題としては、
これほどの国際世論の風当たりのなかで、
それを決行したことはどういうことなのかということですね。
日本では警察官や自衛隊の人、狩猟のために登録した人以外は銃を持ってはいけない、
というかんじでしょうか?
そうする理由はいろいろあるでしょうが、
その理由に納得しようと納得しまいと、
そう決まっていることを守らないでいることの結果は引き受けなければいけません。
国際社会には、「国家」ほどの決まりはないでしょうが、
今は、ひとまず国連があり、国際世論があります。
それはあの国の指導者には関係ない、ことなんでしょうか?
それとも単なる自分たちの自由を縛る圧力なのでしょうか?
政治のことはよくわからないんですが、
何をしでかしてくれるか、かなりコワイです。
日本に生きることもまた勇気のいる時代になったということでしょうか?
よく、朝日新聞のBe on Sturdayを読むのですが、
特にその「フロントランナー」にははっとさせられる言葉が時々あります。
リンクは貼りませんが、
10月7日号の松崎さんという自費出版で本を出す出版社の社長さんの言葉に、
はっとさせられました。
それは
「『一発当ててやろう』なんて気持ちで書いた人の思いは濁っているような気がします。」
という言葉です。
牧師が語るメッセージはある意味、コミュニケーションです。
伝わらない言葉なら意味がない。
伝わる言葉で伝えたい。
自分のなかだけで分かる言葉ではなく、
また、クリスチャンの間だけで分かる言葉ではなく、
人々に伝わる言葉で話したい。
でも、その気持ちが強すぎて、
時に、それこそ「うけをねらう」こともあるでしょう。
そこに濁りが生まれる。
とてもきつい一言だと思います。
メッセージでも月報でも週報でも、そしてこのページでも、
とにかく神さまが自分に語ってくださったこと、
そこに集中していきたいと思いました。
その思いを一番大切にしていきたいと思いました。
今日の聖書。
今日は使徒の働きの4章でした。
今日心に留った言葉は、
29節の使徒達の祈りの言葉です。
「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」
これ、すごいですよね。
いえ、皆さんが同意しなくても、私はすごいと思いました。
脅かされて、「もうキリストの名で語ってはならない」と言われたのに、
「もっと大胆に語らせてください」って言うんだから。
祈りだったら、普通、
「彼らを黙らせてください」とか、
「困難がなくなりますように」とかじゃないのか?
ああ、自分は何年聖書読んでいるんだろう。
何年読んだら、この聖書のように考えられるようになるんだろう。
どこかの迫害されていたクリスチャンがこのような祈りの課題を挙げられた、
という話を聞いたか、読んだか、そういう記憶がある。
「迫害がなくなるように祈らないでください。迫害のなかで信仰に堅く立つことができるように祈ってください」と。
それは何てことはない、聖書の世界観なんだな。
それがクリスチャンにとって「常識」でなければいけないのに、
「すごいな」と思うのは、
やはり自分たちが甘やかされているからではないだろうか?
生ぬるい信仰でいるなら吐き出されてしまう。
主よ、
私も、大胆に語る者としてください。
どんな反対があっても、
どんな迫害がこれからの人生のなかに起っても、
大胆に語らせてください。
試練を取り去るよりも、
信仰を増してください。
2006-10-08
さんび
今日はまたたくさんの方々が教会に来られました。
とてもにぎやかでした。
子ども達もたくさんで、うれしいですね。
そして、とても幸いな礼拝となりました。
歌手の方も心からの賛美をしてくださり、
教会のみんなも心を合わせて賛美をしました。

こんなことをしたらいけないのかもしれませんが、これは、weather.comのこの地域の今週の予報です。
金曜日の最高気温が11度C。
最低気温が3度C。
東京だったらもう12月ですよね。
冬支度を急がなければ・・・。
わくわく、ぞくぞくしてきます。
自分は寒いのは大の苦手で、
足元が冷えるのが堪えるのですが、
何でか、冬の天気には興奮します。
雪が好きなんでしょう。
水、木あたり、ミネソタ、ウィスコンシン、そしてシカゴからインディアナの北の方くらいまで
雨が雪に変わる予報が出ていますね。
これからお天気ネタが増えることでしょう。
今日の聖書。
今日は使徒の働きの第3章でした。
足の不自由な男の人がペテロによって癒やされて、
歩き出すところですが、
その中で、彼が賛美を捧げている様子が書かれているところに目が留りました。
「人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の『美しの門』にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。」(9-10)
人々を驚かせるような賛美。
その様な賛美を自分は捧げているだろうか、
神さまにふさわしい賛美を捧げているだろうか?
ただ、自己満足のために、
自分が大きい声を出して気持ちがいい、というためだけに、
歌を歌っていないだろうか?
歌はいい。
でも、賛美は神さまにささげるもの。
カラオケで発散させるのはいい。
でも、いつだったかな。とても虚しいものを感じたことがある。
日本で高校生の付き添いをねだられて、行った時かな。
カラオケボックスで歌いながら、
なんだろうなあ、と思ったことを思い出した。
歌詞と心が一つになっていなかったんだね。
好きな歌だったのに、どうしてか、自分の気持ちとぴったり行かなかった。
やっぱり賛美はいい。
心から捧げられるからいい。
心から溢れる賛美を捧げたい。
そう思いました。
神さま、
今日の一日を感謝します。
あなたと共に歩んだ一日に感謝します。
教会で過ごした一日に感謝します。
これからの歩みの中で、
日々、心に賛美がわき上がってくるような、
人々が驚くような、
その様な賛美をさせてください。
必要な休息を与えて下さい。
とてもにぎやかでした。
子ども達もたくさんで、うれしいですね。
そして、とても幸いな礼拝となりました。
歌手の方も心からの賛美をしてくださり、
教会のみんなも心を合わせて賛美をしました。

こんなことをしたらいけないのかもしれませんが、これは、weather.comのこの地域の今週の予報です。
金曜日の最高気温が11度C。
最低気温が3度C。
東京だったらもう12月ですよね。
冬支度を急がなければ・・・。
わくわく、ぞくぞくしてきます。
自分は寒いのは大の苦手で、
足元が冷えるのが堪えるのですが、
何でか、冬の天気には興奮します。
雪が好きなんでしょう。
水、木あたり、ミネソタ、ウィスコンシン、そしてシカゴからインディアナの北の方くらいまで
雨が雪に変わる予報が出ていますね。
これからお天気ネタが増えることでしょう。
今日の聖書。
今日は使徒の働きの第3章でした。
足の不自由な男の人がペテロによって癒やされて、
歩き出すところですが、
その中で、彼が賛美を捧げている様子が書かれているところに目が留りました。
「人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の『美しの門』にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。」(9-10)
人々を驚かせるような賛美。
その様な賛美を自分は捧げているだろうか、
神さまにふさわしい賛美を捧げているだろうか?
ただ、自己満足のために、
自分が大きい声を出して気持ちがいい、というためだけに、
歌を歌っていないだろうか?
歌はいい。
でも、賛美は神さまにささげるもの。
カラオケで発散させるのはいい。
でも、いつだったかな。とても虚しいものを感じたことがある。
日本で高校生の付き添いをねだられて、行った時かな。
カラオケボックスで歌いながら、
なんだろうなあ、と思ったことを思い出した。
歌詞と心が一つになっていなかったんだね。
好きな歌だったのに、どうしてか、自分の気持ちとぴったり行かなかった。
やっぱり賛美はいい。
心から捧げられるからいい。
心から溢れる賛美を捧げたい。
そう思いました。
神さま、
今日の一日を感謝します。
あなたと共に歩んだ一日に感謝します。
教会で過ごした一日に感謝します。
これからの歩みの中で、
日々、心に賛美がわき上がってくるような、
人々が驚くような、
その様な賛美をさせてください。
必要な休息を与えて下さい。
2006-10-07
聖霊が注がれる
あっという間に夜です。
でも、今日は何か気分がいいです。
というのは、日本から帰ってきてからずっと気になっていた、
バスルームの蛇口からポタポタと流れ出るお湯。
どんなに締めても止らなかったんです。
そして、自分で直そうと思っても、ねじ山が潰れたり、
中の構造がどうなっているか今ひとつ分からなかったりで、
時間がかかっていたのですが、
今日、ねじ山が壊れたヤツを何とか壊して、
分解して、元に戻してみたら、何と水漏れが止ったではありませんか。
うーん、不思議。
どうしてか分かりません。
どうして水漏れしていたのか、
どうしてそれが止ったのか、
分かりません。
でも、とにかくよかった。
いろんなモノ分解するのは好きですが、
分解して、元に戻らなかったら、どうするんだろうと思いますよね、
特に水回り。
だって、
分解して元通りにならなかったら、元栓開けられないし、
元栓を止めたら家中の水が出ないし、
お客さんもいるのにどうしよおおおお!
と恐る恐るでした。
めでたしめでたし。
今朝の祈り会、よかったですよ、人数は少なかったですが・・・。
教会堂が与えられるように祈りました。
天の窓が開かれて、すべての必要が満たされますように。
私たちの神さまは全能の神さまですから・・・。
ということで、今日の聖書箇所。
今日は使徒の働きの2章を読みました。
ペンテコステのところ、聖霊様が教会に注がれたところです。
その中で、
18節の言葉が心に留りました。
「その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」
聖霊様が私たちに注がれている。
私たちには聖霊様が与えられていることは確か。
でも、本当に「注がれている」ということができるんだろうか。
満たされていると言うことができるのだろうか。
もっともっと求めることを主は望んでおられるのではないだろうか?
「注がれているんだからいいんだよ」という態度は違うのではないだろうかと思った。
もっともっと主よ、注いでください、と思わされた。
ただ、このペンテコステの時に起ったようなすばらしい神の業が起るようにと願った。
主よ、
どうか聖霊様を与えて下さい。
注いで下さい。
満たして下さい。
そしてあなたのことを語らないでいられない者としてください。
今夜の休みを祝福し、
明日、喜びに満たして、礼拝を守らせてください。
でも、今日は何か気分がいいです。
というのは、日本から帰ってきてからずっと気になっていた、
バスルームの蛇口からポタポタと流れ出るお湯。
どんなに締めても止らなかったんです。
そして、自分で直そうと思っても、ねじ山が潰れたり、
中の構造がどうなっているか今ひとつ分からなかったりで、
時間がかかっていたのですが、
今日、ねじ山が壊れたヤツを何とか壊して、
分解して、元に戻してみたら、何と水漏れが止ったではありませんか。
うーん、不思議。
どうしてか分かりません。
どうして水漏れしていたのか、
どうしてそれが止ったのか、
分かりません。
でも、とにかくよかった。
いろんなモノ分解するのは好きですが、
分解して、元に戻らなかったら、どうするんだろうと思いますよね、
特に水回り。
だって、
分解して元通りにならなかったら、元栓開けられないし、
元栓を止めたら家中の水が出ないし、
お客さんもいるのにどうしよおおおお!
と恐る恐るでした。
めでたしめでたし。
今朝の祈り会、よかったですよ、人数は少なかったですが・・・。
教会堂が与えられるように祈りました。
天の窓が開かれて、すべての必要が満たされますように。
私たちの神さまは全能の神さまですから・・・。
ということで、今日の聖書箇所。
今日は使徒の働きの2章を読みました。
ペンテコステのところ、聖霊様が教会に注がれたところです。
その中で、
18節の言葉が心に留りました。
「その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」
聖霊様が私たちに注がれている。
私たちには聖霊様が与えられていることは確か。
でも、本当に「注がれている」ということができるんだろうか。
満たされていると言うことができるのだろうか。
もっともっと求めることを主は望んでおられるのではないだろうか?
「注がれているんだからいいんだよ」という態度は違うのではないだろうかと思った。
もっともっと主よ、注いでください、と思わされた。
ただ、このペンテコステの時に起ったようなすばらしい神の業が起るようにと願った。
主よ、
どうか聖霊様を与えて下さい。
注いで下さい。
満たして下さい。
そしてあなたのことを語らないでいられない者としてください。
今夜の休みを祝福し、
明日、喜びに満たして、礼拝を守らせてください。
祈りに専念する
昨日からぐーんと涼しくなりました。
この週末から来週前半くらいはまあ、
こんな感じか、もうちょっと暖かいようですが、
来週後半からぐーんと寒くなるみたいです。
まあ、もう再来週は10月後半ですから・・・。
今から13年前かな。93年の10月はアトランタにいましたが、
そのハローウィンにはアトランタで小雪が舞っていましたから・・・。
昨日の午前中の集会のあと、
何でか熊の話になって、
北海道に行った時の「熊に注意」の看板のことを思い出しました。
今から15年前。
日本の教会で副牧師をしていた時。
主任牧師の先生に許可をもらって、
若者達を連れて車で北海道の教会を回る旅に行きました。
観光と「伝道」をかねて・・・と思ったのですが、
実際のところ、北海道の教会の皆さんに励まされる旅でした。
熊の看板があったのは支笏湖のそばの「苔の洞門」
写真がどっかにあると思うのですが・・・
家の中を捜すよりwebを捜した方が早いので・・・
これです。
これ、下の方の「それでも熊に出会ったら・・・」っての、
けっこうインパクトありました。
だって、「これはダメです」「これをすると襲われる」って感じで、
じゃあ、いったいどうしたらいいの?と思いますよね。
「死んだふり」も「木に登る」ってのもダメなんですよね。
まあ、総合的に読むと、
「目を離さないで、背中を見せないで、熊が興味を持ちそうなモノを落としながら後ずさりする」
ってことでしょうか?
でも、最後の文章を読んでも、「時間が稼げます」で終わっているところがコワイ。
昨日は「蜂蜜持っていったらいいんじゃない?」という話もありましたが、
熊に出会ってから、カバンの中を捜して、蜂蜜を見つけて、そのふたを開けて・・・ってやってられるかなあ、と思います。
まあ、熊に出会うって、大変なことなんですよね。やっぱり。
お気をつけください。
NJで出る熊はヒグマほどこわくはないんでしょうが・・・。
金曜日の聖書。
「使徒の働き」に入って第1章。
口語訳では「使徒行伝」、新共同訳では「使徒言行録」
でも、今回は新改訳で読んでいるので、「使徒の働き」です。
1章の14節の言葉が心に留りました。
「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、
みな心を合わせ、祈りに専念していた。」
「祈りに専念する」
ってすごいですよね。
そのことだけやっていた。
自分はやったことあるだろうかと、振り返らされた。
いろんなことに追われて、
祈る時がまた貧しくなっていないだろうかと。
今読んでいる本のように、
「祈れないほど急がしい?」
ってか。
今日は明日の礼拝のために祈りながら、説教の準備をしていますが、
そういうことを抜きにして、祈る時、必要だと思います。
「祈りに専念する時」必要だと思います。
神さま、
また祈りに招いてくださってありがとうございます。
祈ることに専念する時が自分には必要だと思います。
どうか今晩の祈りを、
明日の朝の祈りを豊かな一時としてください。
あなたにお会いした喜びと感謝に溢れて、
明日の礼拝で皆さんにお会いすることができますように。
この週末から来週前半くらいはまあ、
こんな感じか、もうちょっと暖かいようですが、
来週後半からぐーんと寒くなるみたいです。
まあ、もう再来週は10月後半ですから・・・。
今から13年前かな。93年の10月はアトランタにいましたが、
そのハローウィンにはアトランタで小雪が舞っていましたから・・・。
昨日の午前中の集会のあと、
何でか熊の話になって、
北海道に行った時の「熊に注意」の看板のことを思い出しました。
今から15年前。
日本の教会で副牧師をしていた時。
主任牧師の先生に許可をもらって、
若者達を連れて車で北海道の教会を回る旅に行きました。
観光と「伝道」をかねて・・・と思ったのですが、
実際のところ、北海道の教会の皆さんに励まされる旅でした。
熊の看板があったのは支笏湖のそばの「苔の洞門」
写真がどっかにあると思うのですが・・・
家の中を捜すよりwebを捜した方が早いので・・・
これです。
これ、下の方の「それでも熊に出会ったら・・・」っての、
けっこうインパクトありました。
だって、「これはダメです」「これをすると襲われる」って感じで、
じゃあ、いったいどうしたらいいの?と思いますよね。
「死んだふり」も「木に登る」ってのもダメなんですよね。
まあ、総合的に読むと、
「目を離さないで、背中を見せないで、熊が興味を持ちそうなモノを落としながら後ずさりする」
ってことでしょうか?
でも、最後の文章を読んでも、「時間が稼げます」で終わっているところがコワイ。
昨日は「蜂蜜持っていったらいいんじゃない?」という話もありましたが、
熊に出会ってから、カバンの中を捜して、蜂蜜を見つけて、そのふたを開けて・・・ってやってられるかなあ、と思います。
まあ、熊に出会うって、大変なことなんですよね。やっぱり。
お気をつけください。
NJで出る熊はヒグマほどこわくはないんでしょうが・・・。
金曜日の聖書。
「使徒の働き」に入って第1章。
口語訳では「使徒行伝」、新共同訳では「使徒言行録」
でも、今回は新改訳で読んでいるので、「使徒の働き」です。
1章の14節の言葉が心に留りました。
「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、
みな心を合わせ、祈りに専念していた。」
「祈りに専念する」
ってすごいですよね。
そのことだけやっていた。
自分はやったことあるだろうかと、振り返らされた。
いろんなことに追われて、
祈る時がまた貧しくなっていないだろうかと。
今読んでいる本のように、
「祈れないほど急がしい?」
ってか。
今日は明日の礼拝のために祈りながら、説教の準備をしていますが、
そういうことを抜きにして、祈る時、必要だと思います。
「祈りに専念する時」必要だと思います。
神さま、
また祈りに招いてくださってありがとうございます。
祈ることに専念する時が自分には必要だと思います。
どうか今晩の祈りを、
明日の朝の祈りを豊かな一時としてください。
あなたにお会いした喜びと感謝に溢れて、
明日の礼拝で皆さんにお会いすることができますように。
終わっちゃいましたね
なんか、あっけなくおわっちゃいましたねえ。
ものすごいメンバーだったんですがね。
2戦目で逆転されてから、全然打てなくて。
勝負の世界はわからないもんです。
でも、勝ち負けだけではなくて、
エキサイトする瞬間が全然なかったのが、残念だったかな。
まあ、寝不足とかにならなくていいんですが・・・。
あとで、昨日の分と今日の分、更新します。(^_^)
ものすごいメンバーだったんですがね。
2戦目で逆転されてから、全然打てなくて。
勝負の世界はわからないもんです。
でも、勝ち負けだけではなくて、
エキサイトする瞬間が全然なかったのが、残念だったかな。
まあ、寝不足とかにならなくていいんですが・・・。
あとで、昨日の分と今日の分、更新します。(^_^)
2006-10-06
2006-10-05
主の栄光をあらわす生き死に
今日、野球は昼間だったんですね。
負けちゃったみたいですね。
明日も集会中ですね。
まあ、いいか。
朝の集会はたくさんの方々が来られて、
また歌とお話もとてもよかったです。
その後も、皆さんゆっくり過ごされました。
感謝。
明日の朝は歌手の方は他の教会に行かれます。
私の方は自分の教会の集会です。
それもまた楽しみです。
今日はさっそく聖書の言葉。
ヨハネによる福音書21章を読みました。
ヨハネによる福音書の最後の章です。
そこに、ヨハネ自身の注釈がイエスの言葉に付けられています。
「これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。」
19節の言葉です。
イエスが、ペテロがやがて手を縛られて、行きたくないところに連れて行かれるだろう、
とのイエスの言葉に対して、ヨハネが書いた言葉です。
「神の栄光を表す死に方」と言うことを考えさせられました。
今週の月曜日はペンシルベニア州のアーミッシュの村で、
学校に押し入った男に5人の女の子が殺されるという痛ましい事件が起りました。
手足を縛られて、黒板の前に並ばされて、
処刑をするように撃たれていった女の子達、
想像するだけで、本当に心が痛みます。
自分の子供がもしもそんな目にあったらと思うと、
また自分自身がもしもそんな目にあったらと思うと、
恐ろしくて、体が震えます。
でも、犠牲者の家族はアーミッシュの信仰の中で、
神の御手を信じました。
犯人への憎しみを口にしませんでした。
犯人の家族が弔問に来ることをも、拒みませんでした。
納棺の時に、遺体を前にして、犠牲者のおじいさんが、
「決して、これによって、犯人への憎しみに支配されてはいけない」と語ったそうです。
また、犯人、彼にも熱心なクリスチャンの妻がおりました。
3人の子ども達もいたと言います。
彼らはどんな思いで過ごしているでしょうか?
でも、そこにもサポーターが与えられて、共に祈る仲間や牧師が与えられているそうです。
昨日の夜のCNNのLarry King Liveで、
犠牲者、加害者を取り巻く多くの人々が、インタビューを受けていました。
当然憎しみを感じていいところで、
憎しみを感じても、誰にも非難されないところで、
あえて憎しみに支配されないで生きる彼らに、
心からの尊敬を覚えました。
私は「神の栄光を表す死に方」をできるだろうかと思いました。
私の死によって、人々の心が神さまに向くような、その様な死を経験したいと思いました。
もちろん、それは私自身が見ることはできないのですが・・・。
自分にはどうにもできないことですが・・・。
だから、神さまに助けて頂きたいと思いました。
主よ、
どうかわたしがあなたの守りによって、
あなたの助けによって、
「神の栄光を表す死に方」をすることができますように。
神さま、私を助けてください。
そして、生きている時にも、
もっと神さまの栄光を表すような生き方ができますように。
負けちゃったみたいですね。
明日も集会中ですね。
まあ、いいか。
朝の集会はたくさんの方々が来られて、
また歌とお話もとてもよかったです。
その後も、皆さんゆっくり過ごされました。
感謝。
明日の朝は歌手の方は他の教会に行かれます。
私の方は自分の教会の集会です。
それもまた楽しみです。
今日はさっそく聖書の言葉。
ヨハネによる福音書21章を読みました。
ヨハネによる福音書の最後の章です。
そこに、ヨハネ自身の注釈がイエスの言葉に付けられています。
「これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。」
19節の言葉です。
イエスが、ペテロがやがて手を縛られて、行きたくないところに連れて行かれるだろう、
とのイエスの言葉に対して、ヨハネが書いた言葉です。
「神の栄光を表す死に方」と言うことを考えさせられました。
今週の月曜日はペンシルベニア州のアーミッシュの村で、
学校に押し入った男に5人の女の子が殺されるという痛ましい事件が起りました。
手足を縛られて、黒板の前に並ばされて、
処刑をするように撃たれていった女の子達、
想像するだけで、本当に心が痛みます。
自分の子供がもしもそんな目にあったらと思うと、
また自分自身がもしもそんな目にあったらと思うと、
恐ろしくて、体が震えます。
でも、犠牲者の家族はアーミッシュの信仰の中で、
神の御手を信じました。
犯人への憎しみを口にしませんでした。
犯人の家族が弔問に来ることをも、拒みませんでした。
納棺の時に、遺体を前にして、犠牲者のおじいさんが、
「決して、これによって、犯人への憎しみに支配されてはいけない」と語ったそうです。
また、犯人、彼にも熱心なクリスチャンの妻がおりました。
3人の子ども達もいたと言います。
彼らはどんな思いで過ごしているでしょうか?
でも、そこにもサポーターが与えられて、共に祈る仲間や牧師が与えられているそうです。
昨日の夜のCNNのLarry King Liveで、
犠牲者、加害者を取り巻く多くの人々が、インタビューを受けていました。
当然憎しみを感じていいところで、
憎しみを感じても、誰にも非難されないところで、
あえて憎しみに支配されないで生きる彼らに、
心からの尊敬を覚えました。
私は「神の栄光を表す死に方」をできるだろうかと思いました。
私の死によって、人々の心が神さまに向くような、その様な死を経験したいと思いました。
もちろん、それは私自身が見ることはできないのですが・・・。
自分にはどうにもできないことですが・・・。
だから、神さまに助けて頂きたいと思いました。
主よ、
どうかわたしがあなたの守りによって、
あなたの助けによって、
「神の栄光を表す死に方」をすることができますように。
神さま、私を助けてください。
そして、生きている時にも、
もっと神さまの栄光を表すような生き方ができますように。
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