今日は一日雨。
でもその雨が降り出す前、
朝の祈り会は、とてもいい時を持ちました。
牧師として、
やはり1人1人に声をかけて、
その心の声を聞くことの大切さを思わされました。
やはりこのことのために召されている、
このことのために生かされていることを感じました。
たくさんの人の前に立つこともあります。
人々の気持ちを一つにしなければ・・・と走り回ることもあります。
子ども達の前に立ってゲームをしたりするのも大好きです。
事務的な仕事をしたり、
地味な作業をしたりすることも苦にはなりません。
でも、個人的に、または2、3人と語り合い、
心が触れ合うような時を持つ時に、
それを通して、その人の心が神さまに向いていく時に、
いつも、
「ああ、自分はこのために生かされているのかな」と思います。
そして、何よりも、それによって心にパワーをもらっています。
今日の聖書。
今日は使徒の働き12章でした。
その中で心に留ったのが、
「そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。」という12節の言葉。
でも、別に「祈っていたのか、すごいなあ、自分も祈らなければなぁ」とは
今日は思いませんでした。
その後の、人々は祈っていたんだけれども、
いざ、解放を祈っていたペテロが、
戸口に立っていたら、驚き、
「そんなことがある訳がない」と言ったり、
取り次いだ女中さんに「あなたは気が狂ってる」と言い出したり・・・。
思い出した言葉がありました。
「天が地よりも高いように、
私の思いはあなたの思いとは異なっている」
というイザヤ書55章の言葉。
私たちは祈っているんだけれども、
神さまはその私たちの期待を超えて応えてくださる方。
私たちの考えよりも、ずっとずっと大きなことをしてくださるお方。
自分たちの頭ってちっちゃいからね。
自分たちの考えって本当に浅はかだからね。
神さまのしてくださる大きなこと、
楽しみにしていきたいと思いました。
神さま、
今朝の祈り会を感謝します。
どうか、もっともっと私が出ていって、
人々の声に耳を傾けることができますように。
もっともっと心の叫びに聞くことができますように。
そして、あなたの大きな御業を待ち望みます。
私たちの祈り、
私たちの願い、
私たちの考えを遙かに超えて、
すばらしいことをしてくださいますように。
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