もう本当は日付が変わっていますが、
19日分です。
投稿時間を自分で勝手にいじれることを発見した(遅い!)ので、
19日となっていますが、ホントは今12時を回って11分です。
今日は、帰ったのは11時過ぎだったのですが、
なぜかというと、
去年の修養会の講師をして下さった先生の、
奥様が、カーネギーで歌う、ということで、
聖書学院同窓会してました。
10人くらいの方々がカルフォルニアから来られて、
オペラのアリアとか、有名な曲を次々と歌っていく、
というプログラムで、その10人に、その牧師夫人、選ばれたんだそうです。
高校時代「音楽部」という「オペラ部」で、
トロンボーンをやっていたので、
高校時代はオペラ好きでしたねえ。
今、メトとかに行けるところに住んでいるんですが、
なかなか行けません。
12年間で1回だけ?かな。
「トゥーランドット」に行かせて頂きました。
チケット頂いて。
とにかく舞台の大きさ、豪華さに圧倒されました。
高校でやってたのは何だったのか、と・・・当たり前か。
メトの話はいいとして、
今日のコンサートもすばらしかったです。
楽しかったです。
もっと大々的に宣伝して、
JCCNJ軍団で行けばよかったかな。
今日のキッズクラブもたくさんの元気な仲間が集まりました。
今日も30人くらいかな。
この勢いで来週もたくさんみんな来てくれるといいなあ。
で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの14章を読みました。
その中で心に留った言葉、
「 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」23節。
「主にゆだねる」という言葉がここにあります。
私たちがよく使う言葉です。
「主にゆだねよう」と。
でも、ここを読むと、「断食して祈った後」と書かれています。
主にゆだねるのは、決して、軽々しく考えてはいけないことだと思わされました。
自分が主にゆだねようと言う時に、
自分はいったい、断食して祈るほどの真剣さ、
断食して祈るほどの熱心さを持って、
「主にゆだねる」という決断をしているだろうか。
自分で責任を取りたくないから、
何にも考えたくないから、
「主にゆだねよう」といっていることがないだろうかと。
ここでパウロが教会を主にゆだねる、という決断をした時に、
どれほどの大きな決断があったか、
どれほど熱い思いがあったかと思います。
本気で主にゆだねる、その様な経験をしたいと思いました。
また、断食して祈るほど熱心に祈る経験をしたいと思いました。
最後に断食したのはいつだったでしょうか?
主の前に出る真剣さ、熱さを持って歩んでいきたいと思います。
主よ、
本当の「ゆだねる」という経験を与えて下さい。
祈って祈って祈り抜く中に、
「ゆだねる」という経験を持つことができますように。
断食して祈るほどの熱い祈りを捧げさせて下さい。
他のことには熱中して食事をすることを忘れることがあっても、
祈って、食べることさえもどうでもよくなってしまうようなことはあるでしょうか?
そんな祈りへと私を導いて下さい。
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