2009-04-14

これからのTAX。

明日はアメリカではTAXファイルの締め切り。
日本と違って、勤めている人も含めてみんなファイルしなければいけません。


牧師が免税だなんて、無責任なことをのたまわった方もおられますが、
日本でも、アメリカでも「まさか」です。
確かに、一部優遇されているかも・・・というところもありますが、
ちゃんと払っております。


今年は大学のFinancial Aid申請のために早くファイルでしたのですが、
息子が17歳になっていたことを計算に入れていなくて、
かなり後から払わなければいけない羽目になりました。
(16歳までの扶養家族一人当たり1000ドル税が引かれる)

多くの牧師の場合は天引きではなくて、
自分でEstimate Tax(見込み税)を払います。
ですから、見込みが甘いと、ファイルする段階で、
足りない分、たくさん払わなければいけなくなります。


今年は、Education Credit等が、
どうなるのか、わかりませんが、
最低限のものは納めておかなければと、
今日、1-3月分を納めました。


オバマさんになって、どうなるんでしょうか?
16歳までの扶養家族一人当たり1000ドルの税金減額はブッシュさんが始めた時限処置。
これがなくなってしまうと、一気に2000ドルも税金が上がります。
日本のように少子化が問題になっていないアメリカなので、
日本ほど至れり尽くせりになることはないとは思いますが、
何とか配慮してほしいものです。


今朝はそれほど冷えなくて暖かいと感じたのですが、
やはり午後から雨で、ちょっと肌寒く感じます。


明日も雨。


木曜日からは晴れて暖かくなるようです。
いやあ、もう、いいかげん、春らしくなってほしいですよね。


さて、先週木曜日、4月9日の聖書。
4/9はヨハネ19:17-27


「女の方。そこに、あなたの息子がいます」26節。

自分のことで精一杯の人々の中で、
一番、苦しんでおられたイエスが、
母親のことを心に留めて、
母親をヨハネに託した。

イエスはいつも自分のことではなくて、
周りの人々、そう、私たちのことを心に留めていた。

「父よ、彼らをお赦しください」と言った時も。
「すべてが完了した」と言われた時も。

イエスは十字架の上で、人々のことを思っていた。

自分の小ささを思い知らされる。
自分がいかに自分ばかり見つめて、
自分のことばかりを考えているかを。

イエスがそうされたように、
私も人々のことを思い、
人々のために祈り、
人々に仕える者とならせていただきたい。

主イエスよ、
あなたが十字架で祈られた祈りを、
私自身の祈りとさせてください。
あなたが十字架で思っておられたことを、
私自身の思いとさせてください。

2009-04-13

そろそろ復活しないと・・・。

今朝は冷えましたねえ。
氷点下1.8度。
でも、昼間は15度を越えました。
やっぱり春は春なんでしょうねえ。


でも、明日の朝は1度くらいまで下がり、
夕方からはまた冷たい雨になってしまいそうです。


イースターの写真、アップされましたね 。
みんな楽しそうです。
JOYJOYシンガーズもよく撮れています。


で、今日は夜眠れなかったのと、風邪の症状がちょっと出てきたのとで、
週に一度のお休みをいただいていることもあり、
ゆっくり休ませていただきました、というか、
朝、教会に祈りに行って帰ってきてからは、
ずっと休んでいました。5時ごろには復活して夕食の準備。
でも、腰がどーんと痛いです。

今夜は眠くなる風邪薬を飲みました。
粉末になっていて、お湯に溶かして飲むやつ。
おいしかったです。それだけで幸せな気持ちになっています。


さあ、今夜はぐっすり寝て、明日はフルで復活を目指します。


さて、先週の水曜日、4月8日の聖書。
4/8はヨハネ18:39-19:16でした。


「そこで、ピラトはイエスに言った。『あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。』イエスは答えられた。『もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。』」19章10-11節

ピラトは自分が十字架につけることもできるし、赦すこともできる、と思っていました。
しかし、本当はそうではなかった。
イエスを十字架につけるのはピラトではない。
神が御子を十字架につける。
イエスが自ら、十字架への道を歩む。

私も何でもできると思っているかもしれない。
でも、本当はそうではなくて、
神の御手の中に生かされている。
神の赦しの中に、神の愛の中に保たれている。

だから、主に祈ろう、
主に祈って答えをもらおう。
主が私の行く道を守り、
健康を支え、そして、御言葉を語るときに、
聖霊様が一人一人の心に触れてくださることを祈っていこう。

主よ、
あなたに祈ります。
いつの間にか、私がしているつもりになっていたことがありました。
でも、本当はそうじゃない、あなたがしてくださっていた。
そのことに気がつきました。
ですから、これから、もう一度祈り始めます。
あなたの御業がなされますように。
あなたの奇跡がなされますように。

2009-04-12

JOYJOYシンガーズ再び。

今朝はまた、気がついたら8時半。
ものすごいショックでした。
イースターの朝だったのに・・・。
まだ時差ぼけ後遺症で、なんだか、変な時間に眠くなったり、
目がさえたりするみたいです。


もしも、もしも、「今朝はイースターだから6時に教会に行こう」とこられた方が、おられたら、ほんとうにすみませんでした。


朝の気温は1.0度。
何とか氷点下にはならなかったんですね。
でも、今夜はなります。
今、夜の10時過ぎ(もう一回うとうとして起きたところ)で、
2.6度。


明日の朝の予報はどこも-3度くらいを出してきています。
BRRRですね。


お風邪など、お召しになりませんように・・・といいながら、
今朝からのどが痛いです・・・。


で、今日はイースター礼拝。
子供たちを含めると100人以上の方々が集って、
礼拝後の愛餐会を含めて、幸いなひと時となりました。


その中で、JOYJOYシンガーズの第2回目の賛美もあり、
みんな日ごろの成果+αくらいのものが出ました。
どうしてでしょうかねえ、
なぜか、本番に強い。
(教会のサイトの写真はまだみたいです。でも、写真だと、どうしても、シンガーズの生き生きとした様子がちゃんと見えてきません。なんだか、くそまじめに見えすぎちゃう、と思います。その場にいないとなかなかわからないんですねえ、あの楽しさは・・・)


程よい緊張感が普段の練習よりも、
いい出来にするのでしょうか?


大学でブラスをやっていたときもそんなことがありました。


でも、今回2回目で、
次は6月ごろを考えているのですが、
同じレベルでは飽きられてしまう・・・ということで、
(まあ、神様は飽きられないのでしょうが)
レベルアップを狙わなければいけません。


今週すぐに練習を再開して、
より心からの歌を、よりすばらしい音楽をめざして、
また楽しいアイディアも入れながら、
やっていこうと思います。


応援お願いします。


さて、先週火曜日、4月7日の聖書。
ヨハネ18:28-38でした。


「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」37節。

今度は総督ピラトに対して、堂々と答えられるイエスの姿。
イエスは王として来られました。
真理を語る者として。

人の反応に振り回されない強さと芯がありました。

そして、そのイエスのメッセージに確実に答える人々がいました。

それに引き換え、
自分は本当にどこまで揺れやすいんだろうかと思います。
どこまで、人々の反応に合わせやすい人間だろうかと思います。
もっともっと神様からメッセージを頂き、
神様の導きに従って歩むものでありたいと思います。

神様、
今日のイースターの礼拝とその後の愛餐会に感謝します。
来られた方々に、来られなかった方々に、
神様の守りと祝福がありますように。
そして、私の歩みが、いつもいつもあなたの導きに従ったものでありますように。

イースター。

イースターの朝の未明になりました。
説教の原稿を仕上げて、休むところです。


イースターの朝は寒い朝になりそうです。
今、未明の1時40分ですが、3.7度まで下がっています。


夜明け前にイエスの墓に行った女性たちにならって、
多くの教会で早朝礼拝が守られるようです。
Brooklyn Tabernacleの早朝礼拝は6時半とかラジオで言っていました。

早く起きて復活のイエスにお会いする気持ちで新しい一日を迎えたいと思います。


さて、4月6日月曜日の聖書。
4月6日はヨハネ18:12-27。


「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。」20節。

大祭司の前で、堂々と語られたイエス。
イエスはいつも変わらなかった。
人々の前でも、弟子たちと一緒でも。

自分もそのような者でありたいと思う。
人前でも、一人になっても、また近しい人々の中でも、
いつもいつも真実でありたいと思う。

明日の礼拝でも大胆に神様の愛の大きさ、
救いのすばらしさ、イエスの復活の力を、
大胆に語らせていただきたいと思う。

主よ、
あなたの守りの中で、
いつも大胆に生きるものでありますように。
大胆に歩むものでありますように。
いつも正直に語るものでありますように。
いつも恐れずに語るものでありますように。

2009-04-11

Good Friday。

今日は雨の予報でしたが、
一日天気は持って、雨もパラパラ程度。
夜、我が家で集会だったので、
これは助かりました。

明日の午前中は雨の予報です。
でも、レーダーを見る限り、
このまま雨は終わってしまうのではないかと思います。

今日はイエスが十字架にかかったGood Friday。
夜の集会では、
その前の晩にイエスが弟子たちの足を洗ったところを、
読んで、味わいました。

私は特にペテロが「私の足を洗わないでください」といったところと、
自分の心の状態が重なりました。
「大丈夫、私は、あなたを見上げて平安です」と
本当は主に癒して頂かなければいけないところがあるのに、
「私はクリスチャンですから、乗り越えています」
「いやあ、ちゃんと赦していますよ。赦せないなんてことはあるわけないじゃないですか・・・」
「怒ってなんかいませんよ、ただ、正義を守ろうと思っているだけです」
なんて宣言をしながら、
一生懸命自分できれいにして、自分で何とか、取り繕って、
主の前に持っていかないことがどれほどあるだろうか、
と思いました。

主が与えられる癒しと救いの必要を思わされました。

さて、4/5、日曜日の聖書。
日曜日はヨハネ18:1-11。

「イエスが彼らに、『それはわたしです』と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。」6節。

この「それは私です」は「エゴー・エイミ」つまり、神の自己啓示の言葉ですね。
そのイエスの言葉に人々は圧倒されて倒れた。

その方が、その自己啓示をされ、
その自己啓示によって、
人々が圧倒されるような、お方が、
私と共にいてくださる主である、ということの事実に、
本当に励まされました。

この方がすべてを支配しておられる。
この方にとってはわたしたちのように、
自分のコントロールを超えている、ということはない。

そう思うと、
いろいろ「どうして?」ということも、
恐れなくてすむ。

神様の御手の中にあることだから。

どんなことがおこっても、
どんなカオスに投げ込まれても、
この方がおられるから、大丈夫。
そう思わされました。

主よ、
私の手に負えないことも起ってきます。
どうしよう、と思うこともあります。
そして、「どうして?」ということも。
でも、それらもすべてあなたの御許しなしには起らないこと。
あなたの権威と支配の中にあること。
だから、安心して祈ります。
あなたの最善を、あなたの御業を見せてくださいと。


2009-04-10

イエスが弟子たちの足を洗われた夜。

今日は朝は冷えましたが、
とても気持ちよく晴れて、
午後にはずいぶん暖かくなりました。


でも、明日は午後からまた雨のようです。
今日暖かかった分、また底冷えする雨に感じそうです。
そして、土曜日の午前中まで雨が残るようです。


今日は朝、何故か目覚ましが鳴らず、寝過ごしてしまいました。
気がついたら7時半。
「時差ぼけ完全回復宣言」はまだできないみたいです。


最近、6時からの祈りの時は自分一人で守っているので、
今日に限ってこられた方がおられたら、それはまた申し訳ないのですが、
また、明日から、新しくスタートです。


そして、今日はイエスが弟子たちの足を一つ一つ洗われた夜。
明日は十字架の日です。


イエスはどんな思いで足を洗われたのだろうか。
「あなた方も互いに足を洗い合いなさい」と言われた、
その「互いに足を洗う」とはどういうことなんだろうか、
そのことを思わされています。


仕えることの難しい者です。
仕えることの意味を教えて頂きたいと思います。


さて、先週土曜日4月4日の聖書。
4/4はヨハネ17:20-26でした。


「あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。」24節。

「日々のみことば」のコメントに、
あなたは我が子の救いのために、どれだけ真剣に祈りを捧げていますか?
とあります。

それを読みながら、自分はどれだけ、家族のために、
子供たちのために祈ってきただろうか、
どれだけ祈りを捧げてきただろうか、
考えさせられました。

教会の一人一人のために、
場所場所でお会いした方々のために祈る時はあっても、
子供たちのために、家族のために、
必死に真剣に祈ったことがどれだけあっただろうか、
子供たちが、妻が主の栄光を見ることができるように、
どれだけ祈ってきたかと思います。

祈りの課題がまた一つ与えられました。
家族のこと、もう大丈夫、なんて思ってはいけない。
サタンは「ここを突けば一番効果的だ」と
攻撃してくるでしょう。
ですから、祈っていこうと思います。

主よ、
教会の一人一人が守られるように、
ささえられますように祈ります。
それと共に家族のためにも祈ります。
主が守ってくださいますように。

2009-04-08

この世の中で守られる

もう一回更新。

今夜も冷えて、今は夜の12時頃ですが、2.4度まで下がっています。
明日の日中は15度くらい上がって、今週の中で一番穏やかないい天気の日になりそうです。


書いてきませんでしたが、
今週はイエスが十字架への道を歩んだ受難週。
明日は最後の晩餐の日です。
JOYJOYキッズクラブもありますが、
祈りつつ過ごしたいと思います。

4月3日金曜日の聖書。
先週の金曜日はヨハネ17:9-19。


「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。」15節。

わたしたちはこの世で生きるように使命を与えられている。
この世から逃げるのではなく、
気の合った者同士集まって仲良くするのではなくて、
この世に生きる使命を頂いている。

でも、この世に同化するのではない。
この世に埋没するのではない。

でも、それはわたしたちのがんばりによるのではなくて、
かみさまの守りによる。
神様のきよめによる。

だから祈っていこう。
一人一人のために祈っていこう。
今日も、明日も、
教会の一人一人がこの世の中で守られていくように。
この世に埋没するのではなく、
この世から遊離するのでもなく、
この世の中で守られていくように。

神様、
一人一人を守ってください。
あなたが砦となってくださって、
あなたが光となってくださって、
教会の一人一人を守ってください。
明日の一人一人の歩みを守って下さい。

いのち。

今日は(個人的)連休明けのNY Dayです。
朝早く出てきたのですが、
本当に寒かったです。
「久しぶりにパッチもはいて、ベストも着て、スーツで決めて・・・オーバー着た方がいいよねえ・・・でも、マフラーはいらないかな・・・」
これは失敗でした。
NYのビルの谷間は風も強く、
とても寒く感じます。
まあ、考えてみたら、東京の真冬なみ。
山形の雪の夜以来の寒さなんですから、
無理もありません。


風邪引かないようにしないと・・・。


休み中に進むかと思ったのですが、
思いの外、進まず、たくさんたまっているので、
とりあえず、4月2日(木)の聖書。
ヨハネ17:1-8でした。


「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」3節。

永遠のいのちというと、いつまでも生きるとか、
死んだあと、天国に行くとか、考えますが、
ここを読むならば、永遠のいのちは、「神を知り、キリストを知る」ということですよね。

自分はどこまで神様のことを「知っている」か、
いろいろ考えさせられました。

聖書を通して、知識として知っている、
ということも大切です。
信仰において、理性的な、知識がどれほど大切か、
思わされます。

でも、それだけではなくて、
神様のことを自分の経験としてもっともっと知りたい、
もっともっとパーソナルに知りたい、と思います。
神様はわたしにこんなことをしてくださった、と、
そして、日々、神様から聞いて、
神様に訴えて、
神様から答えをもらって、
歩んでいきたいと思います。

主よ、
わたしはもっともっと、
永遠のいのちの豊かさを知りたい。
もっともっと広く、完全に知りたい。
あなたと共に歩く喜びにあふれて歩みたい。
永遠のいのちの豊かさを教えてください。

2009-04-07

いよいよ。

今日はホントに肌寒い一日でした。
朝は、予想ほど冷え込まず、6度くらい。
でも昼間もずっと10度以下でした。
今は夜の10時過ぎですが、既に5.4度。
明日の朝は氷点下の予報が出ていますが、
さて、どうでしょうか。


明日の天気は曇りがち。
来週初めまで、ずっと低めの気温で推移するようです。


今日はもう一日休日を頂いて、
疲れを癒させて頂きました。
家のこともたまっていたので、
ちょっとやったり、
ハジの大学の学費を計算したり・・・。


今、日本の国立はどれくらいかなあ、と思って、
母校のサイトに行って、調べてみると、大体53万円くらい。
あ、それから入学料が28万円くらい。初年度合計で80万円も払うんですね。
ずいぶん高くなりましたね。
自分の時代の2倍近いかな。
(ま、30年近く経っているわけですが・・・)
実際それだけのものを払うのは大変な若者たちもたくさんいると思います。


そんな状況の中で、今回、こちらで大学にやるのは、
決して悪い話ではないんだと思わされています。



こちらの大学の正規の授業料はすごいです。
私学で一年で2万ドルから4万ドル。
それに寮費とか入れると、年間4万ドルから6万ドル。
これが平気で払えてしまう方もおられるそうですから、それはそれでまた驚き。

でも、かなりの学生は奨学金を受けながら、勉強しています。


先日も書いたように、「授業料も寮費もいらないから、是非キミに来てほしい!」みたい話は、残念ながらどこからも来なかったのですが、経済状況を見て、かなり助けてくれる大学はありました。決して楽な話ではないのですが、神様が必要を満たしてくださると信じていこうと思います。


いよいよ、です。本当に神様を信頼して祈っていくことが問われていると思います。

さて、先週水曜日、4月1日の聖書。
4/1はヨハネ16:25ー33でした。


「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」33節。

勇敢であること。
そのことが本当に大切なことだと思わされました。
いろいろな困難があります。
途中で投げ出したくなる時もあります。
ちょっとおとなしくしていた方がいいのかな、ということもあります。

でも、そんな時に、「勇敢でありなさい」といわれる主。

既に勝利を得てくださっているから、
わたしたちは信頼して、大胆になっていい。

主を信じて進んでいくことについては、
大胆であっていい。

勇気を出して、福音を伝えていく者でありたいと思います。

主よ、
明日も、福音を伝えさせてください。
出会いを与えてくださって、
あなたのことを伝えさせてください。
そして、あなたを信頼して歩んでいくことができますように。

2009-04-06

年に一度のケーキ。

年に一度のケーキ作り、
今年は学校が休みだった娘たちが参加。


ま、とりえず合格、というところです。
うちは、「何も言わなくても子供たちが・・・」ということは、
今までのところ、ありません。


他のお宅のそんな話を聞くとちょっとうらやましいですが、
まあ、ないものねだりはよして、
自分が言い出しっぺになって、
できる限り子供たちを巻き込むようにと思っています。


結構がんばってくれました・・・。


のんちも喜んでくれました。
おいしゅうございました。


天気ですが、今日は一日雨で、肌寒かったです。
でも、このあと、ぐっと冷えそうです。
今は夜の11時半頃、外の気温は10度ですが、
明日の朝は3度くらいに下がるようです。
明日はにわか雪がふるかも・・・です。


お風邪などお召しになられませんように。


さて、先週火曜日31日の聖書。
3月31日(火)はヨハネ16章16-24節。


「 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。」22節。


イエスと共に歩んだ3年。
イエスと別れることは、
それも、十字架にイエスを失うことは、
どれほどの悲しみだったかと思う。
でも、イエスはよみがえられた。

そのよみがえりの主の喜びを、わたしはどれだけ知っているだろうか。

十字架のめぐみは「知っている」というと、言い過ぎのような気持ちになるけれど、
ある程度、感じることができている。

でも、イエスの復活の喜びは、
復活の主にお会いした喜びは、本当に経験しているだろうかというと、
まだまだのような気がする。

この、イエスが弟子たちに約束された喜び、
「弟子たち、主を見て喜べり」とヨハネの20章にある弟子たちの喜びを、
復活の主にお会いした喜びを、
もっともっと自分のものとさせて頂きたい。

主よ、
あなたがわたしを救ってくださったこと、
十字架で罪をあがなってくださったことに、
心から感謝します。
でも、復活の主にお会いした喜びも、
味わいたいです。
どうか、わたしに教えてください。
復活の主にお会いした喜びにあふれさせてください。




JOYJOYイースターはすごかった!

何がすごかったって、集まった人数。
たぶんJOYJOYイースター史上最高。きっと。

中高生以上を除いて76人。

でも、自分が子供の頃には、
クリスマスとかだと、小さな教会の建物に100人位の子供たちが
集まってきていました。
あのころはまたすごかったんだなあ、と思います。

でも、この時代にも、決してJOYJOYは負けません。
これからも、テレビ見るよりも、ビデオゲームするよりも、
カラオケやるよりも、麻雀やるよりも、携帯メールするよりも、
教会の方が、ずっとずっと楽しく、ずっとずっとエキサイティングな
プログラムを目指します。

内容も楽しくいい一時でした。
子供たちの楽しそうな顔が一番です。


そして、イエスさまの話を思いっきり、
中高生たちが劇にしてくれました。


今年の秋には何人かが巣立っていきます。
次の世代の若者たちがどんどん育っていきますように。

2009-04-05

この人がこの世に生まれたこと。

今日はのんちの誕生日。
神様が、わたしと共に歩むようにと、
伝道者の道を共に歩むようにと、
導いてくださった、この人を、この地上に送ってくださった日。


感謝。


いのちがけで、絶対に産むんだと、
守ってくれた、義母にも心から感謝。


今日は遅くなったので、明日、何をしようか。


子供たちも学校が休み。
本人は仕事に出てしまうので、
その間に、ちょっと子供たちと一緒に考えてみよう。


今日はいい天気でした。
明日はどうやら雨のようです。


さて、また一日休んだので、
遅れが広がってしまいましたね。

3月30日(月)の聖書。
ヨハネ16:1-15でした。


「 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」7節

イエスが十字架にかかり、よみがえって天に帰っていかれたことは、
弟子たちにとって、どんなに心細いことだっただろうかと思う。
でも、イエスは、「わたしが去ることは良いことなのだ、あなた方にとってプラスなのだ」と言われました。

聖霊様が与えられるからです。
聖霊様が与えられることはそれほどすばらしいこと。
それは本当に幸いなこと。

今日も聖霊様に満たして頂きたい。
聖霊様の導きを頂いて、
聖霊様に喜んで頂いて、
歩んでいきたい。

神様、
わたしを守ってください。
わたしを罪から守り、
あなたの栄光を表す者となしてください。
聖霊様の導きに敏感にならせてください。

2009-04-04

こっちの都合。

今日はすごい雨でした。
何回か雷を伴って激しく降りました。

春ですね。

明日はJOYJOYイースターの日ですが、
はれるかなあ、と思っていたのですが、
今、予報を一通りチェックしたら、
曇りがちのようです。
風も強く、肌寒い日になりそうです。
とにかく雨が降らないでいてほしいです。
外でエッグハントしますから。
中じゃあ、隠すところないですから・・・。

で、何だか今年は時差ぼけがまだひどいです。
朝はスッキリ目覚めるのですが、
夕方は眠いです。
思考能力が停止します。
会話も弾みません。

でも、あるが言っておられたのですが、
元々時差ぼけなんて、人間が造り出したもの、こっちの都合。
カラダの方は普通にそのままリズムを刻もうとしているだけ。
だから無理をしなくていい。

ですよね~。
神様が造られた秩序をちょっと人間が乱しているだけ。
こっちの都合を押しつけてはいけません。
勇気百倍もらって、時差ぼけをもうしばらくEnjoyしようと思います。

今夜は中高生がうちの子たちを入れて(あと大学生も一人入れて)8人お泊まりです。
明日のJOYJOYイースターの準備だそうで、
まだしばらく起きているみたいなので、
わたしも礼拝の準備をしつつ、もう少し時差ぼけを楽しもうと思います。

さて、日曜日、29日の聖書。
29日はヨハネ15:18-27

「あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。」19節。
イエスによって呼び出された者。
世の中にどっぷりつかるのではなくて、
そこから選び出されている。
違う者としてこの世に遣わされている。
世から浮いてしまうのではなくて、
世の中に遣わされている。
だから、いつもいつも主につながっていよう。
そして、いつもいつも主から知恵と力を頂こう。
世に生きるために。
主よ、
どうか、わたしを守ってください。
そして、わたしをこの世に生かしてください。
あなたの証人として生かしてください。
そして、あなたの祝福が流れるポイントとして用いてください。


2009-04-02

互いに愛し合いなさい。

木曜日の夜です。
今日は予報通り、本当に春らしい日になりました。
でも、この天気も今日一日だけ。
明日はまた雨です。
決して冷たい雨ではないのですが、
今日みたいな日の翌日の雨は、
底冷えがしそうです。


今日は我が家での家庭集会の初日。
小さな集まりでしたが、
とても幸いな一時を過ごしました。
人数は決して多くなくていい、
本当に幸いな一時が持てるようにと願っていましたので、
もちろん、一人でも多くの方に聖書の言葉を知って頂きたいのですが、
いいスタートを切ることができたと思います。
毎月第1週と第3週の木曜日です。


それから、ハジの大学の結果が出そろいました。
すべて合格とはいきませんでしたが、
複数の大学から合格を頂きました。
お祈りありがとうございます。


願い通りに行かなかった部分もあるのですが、
(寮費も含めて全額出すから来い!という学校が与えられる・・・という大胆な願い)
親も子も、それも神様からのチャレンジと受け止めて、
歩んでいければと思います。


なんだか、遠いところの大学になりそうです。
今月中に決断をしなければなりませんが、
主が答えを与えてくださいますように。
わたしの大学院の時みたいに一つしか合格がもらえなければ、
もう、どんなに不本意でもそこに進んでいけばいいのですが、
今回、祈らされます。
でも、本人の人生。
本人が神様から答えを頂けるように、祈ります。


さて、3月28日(土)の聖書。
やっとNJに帰ってきてからの分です。
ヨハネ15:9-17。


「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」12節。

何日か前のところにもありましたね。
愛し合うこと。それがイエスの命令。

でも、愛し合うってどういうことなんでしょう。
あのイエスをためそうとした律法学者は、自分の立場を弁護しようとして
「誰が愛すべき相手ですか?」と聞きました。
でも、わたしはためそうなんて考えはないですし、
自分の立場を弁護しようとも思いませんが、
やっぱり純粋に聞きたいです。
「愛する、ってどういうことですか?」

考えることじゃなくて、行動だよ、
と思います。
でも、愛することだと自分で思ったことが、
言ったことが、起こした行動が、
愛として伝わらない時もあります。
反対に怒りを買う時もあります。
誤解を受けることもあります。

それでもいいのでしょうか。

愛だと思って許したことが、
裏目に出ることもあります。

一生求めていくのでしょうか、
一生試行錯誤なのでしょうか?

intentionさえ良いものだったら、
結果はどうなろうとも、それはいいのでしょうか。

うーん、やっぱり考えすぎなのかなあ。
主が教えてくださいますように。

主よ、
愛することを教えてください。
愛を行動にすることができますように。
信じて、行う者とならせてください。

生活を取り戻す。

木曜日の早朝。
昨日の午後からの雨、
結構降りましたね。


今日は朝のうち霧や弱い雨がありますが、
午後には晴れ間も出てくる、暖かい日になりそうです。
でも、この後もちょっと天気はぐずつき気味。
本格的な春はもうちょっと先のようです。


昨日はそれまでの反省で、
早かったですが、最初に眠くなった時に、
眠くなるアレルギーの薬を飲んで寝ました。
そしたら、まあ、眠れました。
早く寝た分、早く起きましたが、
これは計算に入っていたので、爽快です。


もう明日で1週間になりますから、
そろそろ普通の生活に戻したいと思います。


そんなことを考えていたら、
高校時代に初めてスキーをした時に、
教会でスキーのインストラクターをされていた方に、
「スキーに乗られるんじゃなくて、乗るんだぞ」と言われたこと、
車の教習所でL字走行、S字走行に苦労していた時に、
教官に「車をコントロールするんだ、おまえは車に振り回されている」と言われこと、
思い出しました。


私の生活も、生活の中の一つ一つの出来事に振り回され、
それを何とかこなしている、という時もあるように思います。
どんどんスピードが出てしまうスキーの板に
へっぴり腰で何とかついて行っているような、
あっちにぶつかりそうになり、こっちにぶつかりそうになり、
あわててハンドルを切って何とかしのいだと思ったら、
次の縁石に乗り上げそうになって・・・みたいな、そんな感じ。


勿論、神様の御手の中で、ということを忘れてはいけないのでしょうが、
あの教習所の教官が続けて言ってくれたこと「とにかくスピードを落とせ」、
その大切さを思わされます。


さて、先週金曜日、3月27日の聖書。
ヨハネ15章1-8節でした。


「実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」2節

わたしたちは刈り込みをされる時に、
悲鳴を上げます。

「どうして?」
「痛い!」

どうしてこんなことになってしまったんだろう。
ある時は、自分を責めます。
あれがまずかった、これがまずかった、と。
ある時は神様にたてつきます。
「あなたに従ってきたのに・・・」

でも、それはわたしたちがもっと豊かに実を結ぶためだった。
もっともっと豊かに実を結ぶために、わたしたちを主は刈り込まれる。

・・・そうだったんだ。


神様の愛とめぐみを思いました。
神様がわたしたち、わたしを整えて、
豊かに実を結ばせようと期待しておられる。


主の祝福を見ました。


主の祝福が見えてきました。


主よ、
ありがとうございます。
わたしを愛し、わたしたちに期待しておられることに感謝します。
刈り込みを感謝します。
どうか、実を結ぶまで、導いてください。
あなたにつながって実を結ぶ働きをさせてください。

2009-04-01

世が与えるのと異なる。

何だか、調子が出てきたので、
(やっぱり時差ぼけか・・・今2時前)
もう一回分更新。


でも、ここら辺で、眠くなるアレルギーの薬でも飲んでおいて、
眠れるようにしておきます。


さて、3月26日(木)の聖書。
ヨハネ14章25-31節でした。


「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」27節。

イエスが与えてくださる平安は世の中が与えてくれる平安とは違うという。
イエスがみことばによって、語りかけによって、
与えてくれる平安、確信、喜びは、
確かに誰かの励ましとか、状況の好転とか、
そういうものによって与えられる平安とは
質的に違う。

今まで、「もっと大きい平安」と思っていたけれども、
量的な違いではないような気がする。
質的な違い。

勿論、私は状況も良くなるように祈る。
病は癒されるように必死になって祈るし、
必要は満たされるように祈る。

でも、それがその通りになった時の喜び、平安と、
それは願ったとおりにならないんだけれども、
神様から答えを頂くことによって与えられる平安とは、
質的に全く違うもののように思える。

今日もある方と話していて、
お証しさせて頂いたけれども、
自分が聖書学院にはいる時に、
「君は牧師に向いていない」と言われて、
ものすごい不安になった。やめようかとさえ思った。
自分が向いていないことは誰よりも知っていたから。

でも、主がみことばを与えてくださった。
主が確かに語ってくださった。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」と。

その時に与えられた平安は、
人の励ましや、「向いていない」発言を批判する言葉によって、
与えられる気持ちとは全然違う。

神の与えられる平安は違う。

だから、やはり、主の平安を頂きたい。
主の答えを頂いて、
平安の中に歩んでいきたい。

主よ、
あなたの平安を私にください。
状況の好転も求めます。
それも、確かに、欲しいです。
でも、それよりも、あなたの平安が与えられることが必要です。
どうか、あなたの平安で満たしてください。

あなたを捨てない。

日付は変わりました(4月1日!)が、
今は火曜日の夜(水曜日の未明)です。


また何とか挽回しようと、
もう一日分更新しておきます。


3月25日(水)の聖書。
ヨハネ14章15-24節。


「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」18節。

主は私のことを捨てることはない。
この時の弟子たちは、本当に不安だっただろうと思う。
イエスがいてこその自分たち。
なのに、そのイエスが、「私は去っていく、あなたがたは私の行くところにはいけない」というのですから。

捨てられたように感じる、そんな時があります。
これからも一緒に歩んでいくんだろうと、信頼していた誰かが、全く違った方向に歩み始める時。
でも、それは本当は「信頼」ではなくて、「自分勝手な期待」なんでしょうね。
一人一人、神様との関係の中で、決断をして歩んでいく。
本当は捨てたんでも何でもない。

以前、日本から来られた伝道者の方が、
「わたしたちの互いの関係はその間にいつも神様がおられないといけない」といわれていました。
その意味が、だんだん、わかるようになってきました。
一人一人神様との関係の中に生きていく、
その歩みが、同じところに導かれたり、
また別れたりする。
人が人を捨てたり、裏切ったりするのではない。
神様との関係の中に生かされていく。

弟子たちもイエスに対して自分勝手な期待をしていました。
自分たちのリーダー、政治的、軍事的なメシヤ像を期待していました。
でも、イエスは十字架の道を歩まれたのです。
聖霊様に弟子たちを任せて、天に帰って行かれたのです。

決して、捨てたのではない。
そして、今もわたしたちを捨てないで聖霊様を通して共にいてくださる。
世の終わりにはわたしたちのところへもう一度来てくださる。

感謝。

主よ、
あなたがわたしたちを捨てない方であることに、
わたしたちと共に歩んでくださる方であることに、
心から感謝します。
一つ一つの出会いを祝福し、
あなたが同じところに生きることを与えてくださった互いを、
受け入れ、仕えていくことができますように。

2009-03-31

やっぱりです。

今日は気持ちがいい春の日でした。
こちらも花粉の季節が始まったようですね。
私はまだ大丈夫なようですが、
いろんな花が咲き始めています。

明日は午後から雨。
土曜日くらいまでスッキリしない天気が続くようです。
土曜といえば午後3時半から
JOYJOYイースター
過去にはみぞれが降った時もありましたが、
今年はまずまずの天気みたいです。

いやあ、本当にやっぱりでした。
昨日の夜は1時頃に寝たのですが、
目が覚めたので、おそるおそる時計を見たら
3時半!
ばっちり時差ぼけになっているではないですか。
それも、気持ちよい目覚めでしたよ。

いやあ、参りました。
そして、昼頃から夕方がめっちゃねむい。
つまり日本時間の夜の時間帯ですよねえ。

何とか早くこの状況から脱しないといけませんね。

ということで先週火曜日の聖書。
24日(火)はヨハネによる福音書14章1-14節。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。」12節。

イエスがこの地上でなさったことよりも大きなことをわたしたちがする。
そんなことはあり得るのだろうかと思いましたが、
それはまたすごいこと、すばらしい約束だとも思わされました。

わたしたちは胸を張って歩いていい。
イエスがこの地上でなさったことよりも、
もっと大きなことをさせて頂く。
そのように歩ませて頂く。
それは何という幸いだろうか、
何という大きなことだろうかと思います。

それは人々の救いのことであろうと思いますが、
私の人生を通して、多くの方々が、神様のところに導かれていく、
そのような歩みをさせて頂きたく、祈らされます。

主よ、
あなたが私を通して、
大きな御業をなしてくださることを、
心から感謝します。
どうか、教会に連なる一人一人も、
そのことを覚え、
そのことを感謝して歩むことができますように。
そして、それを現実のものとしてください。

2009-03-30

来ましたよ。

今日は朝からスカッと行きましたね。
でも風は強かったです。
今夜は霜が降りるくらい冷えそうです。


明日は晴れて風もおさまり、
暖かな春の日になりそうです。


今日更新をがんばろうと思っていたのですが、
ほぼ1ヶ月ぶりの休日となった今日、
子供たちを学校に送り出した後、
ちょっと昼頃まで横になるかなあ、と思ったら、
「迎えに来て!」という電話で目が覚めました。


5時間くらい寝てしまったようです。
ほっとかれたらどこまで寝ていたのでしょうか?


金、土、日、と夜ちゃんと寝ていたと思うのですが、
まあ1日2-3時間でしたから
カラダは正直です。


今夜ランランと目が覚めないように祈るのみです。


さて、先週の月曜日の聖書。
23日(月)はヨハネ13:31-38でした。


「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」34節。

この、互いに愛し合う、ってどういうことなんでしょうねえ。
だんだん難しいなあって思うようになって来ました。
そんな難しくない、と思っていたころは、
きっとナイーブだったんでしょうねえ。

それも、イエスがわたしたちを愛したように、
ですからね。

でも、頭で「難しいからな」とか、
口で「難しいですよねえ」と言ってばかりいてもしょうがない。
そんなのは逃げでしかない。

これはイエスさまの命令ですから。
だから、難しいけど、「愛する」ということをさせて頂こうと思う。
主の愛を頂いて、主の愛に満たされて、
人を愛する者とならせて頂きたい。

愛することをもっともっと学ばせて頂きたい。

主よ、
愛することを教えてください。
何が人を愛することなのか、
経験させてください。
そして、人々がそれを見て、
「ここに神がおられる」ということがわかるように、
あなたの御業をなしてください。


私のうちに愛を与えてください。
愛することを教えてください。

2009-03-29

4週間ぶり。

今日は一日雨模様でしたが、
特に8時半頃は雷も鳴っていました。
今は11時前ですが、すっかり雨も上がりました。


明日はまだ雲が多いという予報が出ています。


今日は4週間ぶりのNJでの礼拝。
「ああ、帰ってきたなあ」って感じです。


いいですねえ、日本に行っても、「帰ってきたなあ」
NJに戻っても、「帰ってきたなあ」です。


まあ、調子のいいヤツなんでしょう。


今日は金土にお会いしなかった方々は4週間ぶり以上。
本当に久しぶりの方や、
初めて教会に来られた方々もおられて、
たくさんの出会いが与えられていることに感謝する幸いな礼拝となりました。


礼拝後は教会の臨時総会があったので、
ゆっくりお話しする時は持てなかったのは残念ですが、
またこれから、共に祈りながら、歩んでいこうと思います。


そしてその後は、JOYJOYキャンプのテーマ考え大会。
いよいよ、今年もJOYJOYキャンプに向けて走り出します。
今年は8月10-14日。
子供たちの元気な声が教会にあふれますように。


さて、先週の日曜日(!)の聖書。
ああ、もう1週間たまってしまいましたねえ。
今日のところまで読んではいるのですが、
ここにアップするにはそれなりのエネルギーがいります。
明日、がんばらなければ・・・。

先週の日曜日、22日にはヨハネ13:21-30を読みました。


「そのとき、サタンが彼に入った。」27節。

サタンはそれまではユダに影響を与え、
いろんな考えを吹き込んでいたけれども、
ここに来て、ユダの中に入ってしまったという。

恐ろしいことだと思いました。

サタンの考えに迎合していると、
それを受け止めていると、
サタンはやがてわたしたちの中に入ってくるというのです。

自分は大丈夫だろうかと思いました。
また教会は大丈夫だろうか、
教会に連なる一人一人は大丈夫だろうかと思いました。

サタンの攻撃に備えることの大切さ、
サタンが攻めてきたときに、
誘惑してきた時に、
乗っ取ろうとしてきた時に、
それを敏感に感じて、
対策を警戒をする、対策を取る、
サタンを退けることの大切さを思わされました。

主よ、
あなたの守りの中に置いてください。
私の霊的な感性を磨いてください。
サタンの巧妙な誘いや攻撃に対して、
「これはダメだ!」とはっきりとした対策が取れるように。
私個人の生活においても、
教会という神様の与えてくださった集まりにおいても、
サタンのつけいる隙を与えることがありませんように。