2010-10-31

歴史を見る目。

今日は寒いです。
まあ、もう10月も今日で終わりですから、
寒くて当然といえば当然なのですが、
今は夜の10時で6.1度。
明日の朝は0度くらい、という予想が出ています。
Freeze Warning発令中です。


明日も晴れで寒いでしょう。


先週の後半、「日々のみことば」で列王記第一のアハブ王の時代を読みました。
そこで、ちょっと調べ物をしたくて、Wikipediaで「アハブ王」を調べると、先週末現在の記述で(これはいろいろ編集がされるので、またあとで読むと、違うことがまた書いてあるかもしれませんので、リンクは貼りません)、「旧約聖書に基づく事績」と「史実に基づく事績」という2つの項目が出てきます。そして、そこでは、まるで旧約聖書の記述と「史実」がまるで食い違っているかのような記述がされています。ものすごい違和感を感じました。


余り議論を巻き起こすことをこういうところで書くのは好きではないのですが、あまりに偏っていると思うので、思わされたことを書きますが、そういうのが嫌な方は読み飛ばしてください。


いったい、この項目を記述した方は歴史をどんなものだと理解しているんだろうか?
まるで一つの歴史観や世界観をもたない客観的な「史実」というものが存在して、それに対して、聖書は偏った歴史観で書かれているので、「史実」とは対立するかのような書き方だ。


しかし、そんな「史実」を私たちはどこにも見ることはできない。過去に起こった出来事が記述されるときに、それは必ず何らかの歴史観、世界観の中で書かれている。それがない「歴史」というものはこの世に存在するわけはない。確かに聖書は一つの独特の世界観を持って書かれている。アハブ王が神に従わないで、偶像礼拝を他国から導入したということに批判的な立場から書かれている。もちろん、それは「為政者にとって、どんな経済的な利益や軍事的な利益よりも神に従うことの方が大切である」という立場である。そういう視点で聖書は歴史を見ている。私もそうだ。それに対して、この編集者が「史実」だと言っている立場は「国の軍事的、経済的な発展」こそが為政者を評価する基準だという立場である。その2つの立場がぶつかっているだけなのに、その片方をあたかも客観的な事実であるかのような「史実」と呼ぶのはあまりに無邪気であるし、また不公平でもある。


ちなみに、聖書も、アハブ王が多くの功績を上げたことは決して無視はしていない。それを認めている。「アハブのそのほかの事績と、彼がしたすべての事と、その建てた象牙の家と、その建てたすべての町は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。」列王記第一22章39節。


でも、それは聖書にとっては大したことではない。ちょうど、この編集者が「イゼベルの祖国の宗教を持ち込んだ」ことを大したことではないかのように書いているのと何の違いもない。


歴史を見るときに、どんな視点で見るか、それは本当に大切な事である。


そして、それに負けないくらい大切なのは、自分がどのような視点で見ているかを忘れないことである。間違っても、自分の視点こそが「史実」を見る唯一の視点であるかのような勘違いをしないことである。そして、自分の視点では見逃してしまうことがあるのだ、ということをいつも忘れないでいたい。


もしかしたら、これは「歴史」だけじゃなくて、「人間関係」「政治」「科学」すべてを見るときに、いつも大切な事なのかもしれない。


ふう、疲れた。こういう文章を書くのは難しい・・・。


さて、いつものペースで「日々のみことば」から。
今日は列王記第一の22:41−53でした。


「彼は、父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼をこの国から除き去った。」46節。

この「神殿男娼」ってのはいったい・・・という感じがしますが、
聖書はそういう恥ずべき歴史も覆い隠さず書いているんですね。

でも、なかなか、一度生まれたものは取り除くことができない。

どんなにそれが神に喜ばれないものだと分かっていても、
そこに需要があり、そこに自分の身を売るものがいるときに、
そして、何よりも、甘い汁を吸う者がいるときに、
なかなか、それを一掃するのは大変なんだろうと思う。

アサ王はそれができなかった。

でも、アサ王の次のヨシャパテ王はそれを敢行した。

敢行する勇気と、それを達成させてくださる神。

私の心のなかも、取り除くことができないものはない。

主に求めよう。
主に期待しよう。

主が全てを取り除き、一つ一つのものをきよめてくださいますように。

主よ、
どうか、ヨシャパテ王の決意と勇気を与えてください。
そして、あなたが全てをきよめてください。

2010-10-30

感謝と備え。

昨日は9時半頃には半沈していて、
10時半にもう壊れていました。
で、そのままほんとに沈没。
おかげで今朝はすっきり目が覚めました。


というか、4時前には目がさめてしまっていました。
やっぱり5時間睡眠人間になってしまったようです。


寝るの大好きなんだけどなあ・・・。


今日のギョウザバレー大会、こどもと大人と合わせて73人参加。盛況でした。
ま、お子ちゃま入りバレーだったので、本格的に楽しみたかった皆さんには物足りなかったかなあ、大人バレー時間を確保すればよかったなあ、と反省はありますが、楽しかったです。


やっぱ、遊ばなきゃなあ・・・。


でも、明日は日曜日。備えてもう休もうと思います。


今朝は5度くらい。
昼間はそこそこ上がりました。
明日の朝はそれほど冷え込まないかもしれませんね。
今、夜の12時で、9度あります。
天気は晴れ。明日の夜が冷え込むみたいです。


ということで、今日の聖書。
今日は列王記22:29−40でした。


「私は変装して戦いに行こう」30節。

アハブ王は、昨日のところの預言者の言葉に恐れたのか、
変装して戦いに行きます。


でも、


「一人の兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射ぬいた。」34節。


という。


いやあ、本当に虚しいですね。
主が守ってくださらないならば、
人の努力は虚しいですね。


人の姑息な計画、それは何の役にも立ちません。


ただ、主の導きに従っていかなければ・・・。


主よ、
自分は小さいのに、何も分かっていないのに
いろいろ計画を立てます。
ただ、あなたの導きに従いながら、
あなたのみ声を聞きながら、計画を立てる者とならせてください。


さあ、日曜日に備えて・・・。

2010-10-28

聞く耳を持つ。

今日も朝から暖かかったですが、
夕方になってだんだん冷えてきました。


今、夜の12時で、12.8度。
明日の朝は7度くらい。
明日からは12-3度。秋らしい日が続きそうです。


来週前半までは晴れ。
その後、もしかしたら、ちょっとぐずつくかもしれません。
来週後半、子供たちの学校が休みなんだけどなあ・・・。


先週から今週にかけて、
3回、同じ話をしたのですが、
ヨナ書の学び。
本当によかったです。


自分自身、姿勢を正されました。


ヨナが自分の考えにこだわって、
神様のなさることが気に入らなかった、
「もう、死んだほうがましです!」とまで神様に食って掛かっている。
そのことを彼は最後は文章に残すほどまでに砕かれて、
正直に書き残している。


正直さ・・・自分の弱さ、失敗を認めること、
それは特に男性に必要なことだと、
脳科学者の茂木氏も、
そのブログで言っておられるけど、
それはやはり自分の力ではない、神の恵みに生かされているとわかると、
そこらへんも自由になるんでしょうね。
恥とか、そんなに恐れない。
存在自体が受け入れられていると分かっているから、
その自信があるから、平安があるから、
自分の実績とか、自分の偉さとか、自慢する必要もない。


自分が恥をかいても、神様の素晴らしさが自分の人生を通して伝われば、それでOK。というか、OKどころじゃない、それが本望。


聖書の中には自分の弱さを包み隠さない男たちがたくさん出てくる。
アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ、エリヤ、エリシャ、エレミヤ、そして、誰よりも、ペテロ、そしてパウロ・・・。


私もほんとに砕かれて、自分ではなくて、神様がほめられること、神様が崇められることだけを求める者となりますように。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一22:1−14。


「私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。」8節。

アハブ王の周りには「預言者」を自認しながら、
アハブ王の喜ぶことばかりを預言していた人々がいた。
神の言葉を伝えるのが預言者の使命なのに・・・。

王の耳に心地いい言葉だけを語る預言者がいた。

アハブ王もそれを期待して、そこに甘んじていた。

私たちもそうだ。
耳に心地よい言葉を聞きたい。
ほめてくれる言葉、賞賛の声を聞きたい。

でも、本当に自分を生かすのは、
神の言葉だ。

たとえそれが自分の耳に痛いことであっても、
耳障りな言葉であったとしても・・・。

主のことばを聞き、主のことばに従うものでありますように。

主よ、
あなたの言葉を聞き、
あなたの言葉に従うことができますように。
自分に都合のいいことば、
いい気持ちにさせてくれることばに
惑わされることがありませんように。

2010-10-27

神を恐れないと人を恐れることになる。

今日は暑いくらいでした。
朝から20度。
一日雨が降ったりやんだりでしたが、
特に夕方にざあっと降って、
夜になってちょっと涼しくなってきています。


明日の朝は10度くらい。
昼間はまた20度を超えそうです。


そして、金、土は、10月末らしい、
10度ちょっとの日が続きそうです。


ここ10日間くらいの私のテーマ聖句。
「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒20:35)


愛されることよりも愛することを、
理解されることよりも、理解することを、
求めていきたいと思います。


放っておくと、すぐ、理解されること、与えられること、愛されることを期待してしまう自分がいるから。


だから、毎日、「今日、神様が私に愛を表しなさい、と言われるのは誰だろうか」と求めつつ歩もうと思います。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一21:11−29。


「アハブがエリヤに『あなたはまた、私を見つけたのか。わが敵よ。』と言うと、エリヤは答えた。『あなたが裏切って主の目の前に悪を行なったので、私は見つけたのだ。』」20節。

エリヤは王様に対して堂々としている。
一度は弱さに打ちひしがれた、エリヤも、
ここでは、本当に恐れないで王様にモノを言っている。

それは神を恐れたから、
神の前に出たから。

先日の牧師会で、サムエル記のサウル王の姿を読みながら、
ある先生が言われた。「神を恐れないと、人を恐れることになる」

本当にそうだと思う。

神を畏れる者でありたい。
そして、神の前にひれ伏して、
神の前に降参して、
そして、人の前に立つ者となりたい。

主よ、
あなたを畏れる者でありますように。
そして、人を恐れないで、愛する者でありますように。

2010-10-26

Superdry(TM) Paramus進出。

今朝は暖かかったです。
朝から16度。


その中で、10日ぶりのジョギング。




紅葉の真っ盛りの公園も、モヤっていました。


昼間は晴れて暖かくなりました。
この暖かさ木曜日まで続くようで、
今のうちに楽しんでおかなければ・・・です。


今夜これから雨。
明日も雨が降ったりやんだりみたいです。


さて、今日の夜、ちょうど送られてきたクーポンを持って、
しばらく懸案になっていた靴を買いに、近くのショッピングモールに行ったのですが、
靴のサイズを測ってもらったら、「そんな小さいのはない」と言われて、
なんだか、存在を否定されたような気がして(大げさ)、
おもいっきり凹んで、ショッピングモールをぐるぐる徘徊。
気晴らしにSony StyleでVaio Pか、Apple Storeで11in のMacBook Airかを買ってしまうような勢いでしたよ。そしたら、Vaio Pは置いてなくて、MBAは思ったより重くて、もちろん買いませんでしたけどね。いや、そうじゃなくても、予算的に無理でしたが・・・。


でも、そろそろ帰ろうかな、と思ったところで出会ったのが、
この看板。11月の終り頃に開店する、お店の広告でした。




ん?小さい字で「極度乾燥(しなさい)」?
なんだこの命令口調は?これは狙ったボケか、それとも天然か?
中国系の食料品店に並んでいる怪しい日本語入りスナックの仲間か?


ということで、ググッてみたところ、
ヒットするヒットする。イギリスでは各地にあるチェーン店だそうですね。
ヨーロッパ各地にも展開しています。
そして、アメリカでも、マンハッタンに1軒、そして、ウッドベリーのアウトレットに1軒。


だったら、これは絶対「狙ってるんだろう」と思いますよね。


でも、HPに行ったら、「もしかして、狙ったわけじゃないかも・・・」というワケ分からん日本語が氾濫。


「製造所を最作」
「会員証な」
「東京はえ精神」
「日馬車ソフト業務用」

ナゾめいている。
だいたい、カッコいいお兄ちゃん、お姉ちゃんが、大真面目な顔をして、
このTシャツを着てポーズを決めているのが、不思議すぎる。
「極度乾燥(しなさい)」開店が楽しみだ。11月26日。
絶対買わないけど・・・。


ってゆーか、「日馬車ソフト業務用」のTシャツに42ドルは出さないでしょう。ふつう。
80%OFFとかだったら・・・やっぱり買わないな。


ってゆーか、このTシャツいかす(死語?)でしょう!って感じで着てる普通のアメリカ人のお兄ちゃんに「この日本語どういう意味?」って聞かれたら、どうしよう・・・。


さて、今日の聖書。
列王記第一21:1−10。


「アハブは不きげんになり、激しく怒りながら・・・」4節。

実は昨日のところでも、20:43に同じ表現が出てくる。
ちょっと思い通りに行かなかったり、責められたりすると、
不きげんになって、怒ってしまうアハブ。

この姿を見ながら、自分を見ているような気分でした。
(夜の靴屋の対応に不きげんになっている自分にも、またガックリ)

神様の警告を聞いたときに、
また自分の思い通りにことが進まないときに、
不きげんにならないで、主を見上げるものでありたいと思います。

主よ、
私の心を守ってください。
自分はこのアハブを笑えません。
主よ、私が、ただただ、あなたに仕え、
人を愛し、人に仕えることに心を向ける者でありますように。









2010-10-24

どの分野でも。

今日は本当に天気が良かった。
朝ちょっと雨が降ったみたいだし、
夕方も降ったみたいだけど、
ほとんど大丈夫で、暖かかった。


でも、明日からはしばらく雨続きみたいです。
気温はかなり暖かめ。


どんよりの日が多いのですが、
気温が高いのは助かります。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一20:22−34。


「アラムが、主は山の神であって、低地の神でない、と言っているので、わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ主であることを知るであろう。」28節。

アラムの人々が、イスラエルの神は「山の神」だと言ったという。
エル・シャダイ(「全能の神」と訳される言葉)が「山の神」ともとれるから?

でも、主は、全地の主。
すべての分野の王。

心の問題、お金の問題、仕事の問題、健康の問題、人間関係の問題、全てにおいて、私の支配者であられる。

あのペテロが、イエスにお姑さんを癒していただくときには、何も言わずにお願いしたのに、イエスが漁のことに口を出してきたときには、一言言わないではいられなかった。
「私たちは一晩漁をしましたが、何にもとれなかったんですよ・・・」と。

今日もまた「すべての道で主を認めよ」ですね。

主よ、
すべての道で主を認めよ、ですね。
すべての分野であなたが私の主です。
私の導き手です。
すべての分野であなたに主導権をお委ねします。

2010-10-23

やっぱり初霜。

最近、朝がきつい日が続いていて、
とくに明日は日曜日なので、
今夜は早く休みます。


ただ、一言。
今朝は最低気温が2.2度。
初霜が降りました。


去年は11月7日に最低気温-2.3度で
一昨年は10月20日に最低気温0.2度で
3年前は10月29日に最低気温1.6度で


初霜を観測していますので、
まあ、平年並みでしょうか。


まあ、よくも、こうも毎年、「初霜だ!」って騒いでいるなあ、と自分でも笑ってしまう。


今夜は11時で14度以上あります。
明日は暖かい一日なりそうです。


これで終わるのはやっぱり気がひけるので、
今日の聖書。
今日は列王記第一10章13−21節。


「あなたは、私こそ主であることを知ろう。」13節。


アハブ王は神を信じない、偶像礼拝を進める王でしたが、
神様の憐れみで、ここでは敵の包囲から守られます。
その中で、「あなたは私が主であることを知る」と預言者から告げられるのですが、
それでも、神の前にひれ伏そうとはしないのです。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということでしょうか。
ただ、自分が守られたらそれでいいのでしょうか。

先日、ある集会で、どれだけ、自分が神様に感謝をすることをしてこなかったか、思わされるときがありましたが、私たちもこのアハブを非難することはできないのかもしれません。

神様がいろいろな場面で、私を守り、支えてくださっている中で、
主を主として認めて、従っているだろうか、ひれ伏し、感謝し、賛美しているだろうか。

生活のあらゆる側面で主を認める、そのような歩みをさせていただきたい。

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:6。

主よ、
あなたを認めます。
でも、祈りの時、聖書を開くときだけではなくて、生活の一つ一つの側面で、あなたを認める歩みをさせてください。


明日の日曜日も豊かに祝福してくださいますように。

2010-10-22

きっと初霜。

今朝はそれほど冷え込まないで、
初霜はお預けでしたが、
昼間は気温も上がらず、風も強く、
冬を思わせるような天気でした。
今、夜の11時前ですが、外の気温はすでに4度まで下がっています。
明日はほぼ確実に初霜になるでしょう。


でも、明日の昼間は今日より暖かくなって、いい天気で過ごしやすいと思います。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一20:1−12。


「王よ、仰せのとおりです」4節。

これは敵の無理な要求に対するイスラエルの王の言葉。
どうして彼は、そんな無理な要求に対して、
こんなに簡単にYESと答えてしまったのだろうか。

もっとひどい要求を敵に突きつけられたユダのヒゼキヤ王が
神の前にその手紙を広げて「神様、見てください」と言ったのとは、対照的だ。

ひとつひとつのことについて、
自分はどのような判断をしているだろうか?

まず、ひざまずいて神に聞き、
神から答えをいただいて歩んでいこうと思う。

主よ、
日々の歩みの中で、大切な決断をするときに、
あなたの御心を求めて知っていくことができますように。
人の反応や、勢いに流れていくことがありませんように。

2010-10-21

今年の冬は?

NOAAやWeather Channel、そして、Accuweatherなどで、
相次いで今年の冬の天気の予想が出てきている。


注目なのはAccuweather。
ここを見ると、NJはちょうどWintry Battle Zoneになっている。
Accuweatherの今年の冬の天気予報。


09−10の冬はとにかくDCからフィラデルフィアでは雪が多くて、
NJもそこそこ降ったけれども、
今年はもうちょっと北のほう、西の方に大雪の軸が来るみたいだ。
NJは雨だったり、雪が雨に変わったり、Ice Stormだったり、雪だったり、
いろいろなバリエーションが楽しめそう(!?)
とくに11月から12月は冬の訪れが早いみたいです。
寒さには気をつけて。


今日は朝、雨でしたが、昼には上がって晴れてきました。
昨日の予想よりもちょっと雨が早かったみたいですね。
おかげで、雷雨もなく、雨も大したことはありませんでした。


でも、夕方から冷えてくる、というのはあたったようで、
今、夜の12時頃ですが、すでに6.7度まで下がっています。


明日の朝は、この秋一番の冷え込みで、
3度くらい。霜もあるかもですね。


今夜8時頃、突然、携帯が鳴りました。
なんと・・・「FaceTime」と表示されて、相手の顔が出てきています。
おおお、機種変更で購入後3ヶ月にして初FaceTime Callです。
実は昨日のアップル社の発表を受けて、
Mac用のFaceTimeをダウンロードして、
MacとiPhoneの間で、家庭内FaceTimeテストをやってはいましたが、
外から掛かってくるのは初めて。


で、当然何の予告もなく掛かってくるので、
結構慌てて取る。


「お、なんだろう?」というのと
「どうやってやるんだ?」というので、
バタバタしてしまいました。


取ってみると教会の某家族。
やはり昨日発表のMac用FaceTimeを使ってみた、
という感じでした。


コンピューターではSkypeなんかでもう珍しくもなんともないテレビ電話ですが、
携帯でテレビ電話は、うっかり、風呂上りの裸のままで普通の電話と間違えて取ってしまっ
たりするのでは・・・なんて心配をしてしまいましたが、大丈夫なんでしょうか・・・。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一19:1−21。


「エリヤよ。ここで何をしているのか。」9節、13節。

神は今も、私たちに語られている。
「ここで何をしているのか」と。

神の前に立つ。
エリヤは、神が「そうか、大変だったなあ」と言ってくれるのを期待していたのかもしれない。自分だったらそうだろうと思う。

でも、主は「さあ、立ちなさい」と言われる。
そして、自分の道を帰って行きなさいと。

神の前に一人の人間として立つ。
なんだか原点に引き戻されたように思う。

神の答えは、もう一つ、
「あなたは決して一人ではない。あなたには同労者がいる」ということだった。

一人の人として立つから見えてくる、神が備えてくれる仲間。

互いにもたれ合っている中では見えてこないんだろうなあ。

主よ、
あなたの前に立ちます。
あなたから答えをいただき、
あなたとの関係の確立の中で、
周りの人々と共に歩むことを教えてください。


もたれあうのではなくて、
一人ひとりが神との関係に立つからともに歩んでいくことが出来る、その世界を見せてください。

2010-10-20

祭壇を建て直す。

今日も朝は4度くらいまで下がりました。
昼間も雲が多く、それほど気温は上がりませんでした。




ほんとに秋本番ですね。
教会の前のハナミズキもなんだか、この間花を咲かせたような気がするのですが、もう、しっかり紅葉しています。


明日は曇りがちで、昼ごろに雷雨もありそうです。
そして、夕方からはぐんと冷え込んできそうです。


夕方にはNYCに出かけて、7時過ぎからの集会。
今日は順調で1時間くらいで着きましたが、
着いた頃、ちょうど夕焼け空。
でも、マンハッタンは夕焼け空も狭い。




人は「土地の有効利用」と言うのでしょうが、
大切なものを見失ってしまっていないだろうかと思います。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一の18:30−46。


「彼はこわれていた主の祭壇を建て直した。」30節。


私も建て直さなければならない。
主の祭壇を、祈りの祭壇を主の前に建て直さなければならない。

これは今朝、いきなりの先制パンチでしたね。

そう、祈りの祭壇なんですよね。
それが壊れているときに、力がない。

「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい。」その中心は祈り。その祭壇が崩れていると、喜びも感謝も湧いてこない。

まず、それから。

主よ、
私の心のなかのあなたの祭壇を立て直します。
祈りの祭壇を立て直します。
どうか、私の祈りの生活を守り、祝福してください。


明日は午前中に我が家での家庭集会。
主が導いてくださるひとりひとりのために祈りつつ。

2010-10-19

火をもって応える神。

今朝は起きたら雨が降っていました。
でも、朝のうちに上がって、昼には晴れてきて、
またまた過ごしやすい天気。


今夜は5度くらいまで下がりそうですが、
まあ、10月も下旬に入りますから、そんなもんでしょうか。


芝刈り機は結局自分では直せず、入院中。
自分は昨日はまあまあ休んで、何とかリカバリ完了。


今日はハジの年末の帰省のチケットを取った。
そんなに早く予約しなくても・・・と思うし、
まだ学期末テストの予定が未定の部分があるそうだけど、
どんどん上がっていくので、もう待てない。


なんだかものすごい勢いで日々過ぎていく。
今年もあと70日あまり。


ここに来て、教会図書の中の一冊の本に目が留まって、
貸出ノートに記入、そして家に持ち帰った。
貸出ノートには、2008年にも借りている記録がある。
んー、覚えていない・・・。


「キリストに似るものとしてください」という題。
今日の願い。今日の祈り。


今日は早速「日々のみことば」。
今日は列王記第一の18:16−29。


「火をもって答える神、その方が神である。」24節。

火をもって答える。
やはり、ここでは、聖霊の炎のことを思わされた。
祈りに対して、聖霊の炎を持って応えてくださる方、
Fresh Fireをもって応えてくださる方。

私たちの心を砕き、きよめ、整え、強くし、元気を与え、喜びを満たしてくださる聖霊様を与えてくださる方。

だから、求めていこう。

「天の父は求めてくる者に聖霊をくださらないことがあろうか」とイエスが言われたのだから、求めていこう。求めなさい、と言われているのだから、求めていこう。

主よ、
火をもって応えてください。
私の心に火を下してください。
私の家庭に火を下してください。
この教会に火を下してください。

2010-10-17

神と向き合う。

今日も、先週に続いて、
穏やかな気持ちの良い日曜日でした。
明日は雲が増えてきますが、
昼間は天気も持って、先週のような雷雨もなく、
気持ちの良い、秋の一日になりそうです。


ちょっと先週は走り続けた1週間だったので、
明日の一日はしっかり休もうと思います。


でも、芝刈りだけはちゃんとやらないと・・・
多分今年最後の芝刈り。
なんだか、芝刈り機がスタートしなくなってしまったので、
明日はその修理から始まるかも・・・。





6日ぶりにジョギングをした土曜日の朝。
綺麗に色づいていた近所のカエデも、
ずいぶん葉っぱが落ちてきていました。
今年はぐっと冷え込む日が多くないので、
紅葉の具合も今ひとつ。
雨のたびに落葉する木と、まだ青々とした木と、それぞれで、
去年みたいにいろいろな木が一気に色づくことがなくて、
ちょっと物足りないです。


今から16年前、
「今年は特別きれい!」と地元の人達が言っていた、
初めてのNJの秋が懐かしいです。


さて、先週訪問してくださった方の影響で、
この週末、ずっと「神様に向き合う」ということを考えていました。


元々、私は神様が横にいてくださる、という気持ちが強いです。
一緒に同じ方向を見ていく、共に行ってくださる方。
でも、聖書の中には、「神様と向き合う」「神と顔と顔とを合わせて見る」と言う言葉のほうがずっと多く出てきます。


一緒に歩くって、寄り添っているような感じ。
一緒に夕陽を見ながら、語り合っている感じ。
バーのカウンターでちょっと本音トークをしている感じ。(自分はバーに行かないけど・・・)


でも、それはホントは向き合うのが怖いからもしれない。
自分をちょっと隠してもいいような感じるかもしれない。


目と目とをあわせて話すことができない人は、
恐れている、怖がっている、不安なんだ、と言われることがある。
ほんとにそうだと思う。


子どもが嘘を付いているときには、「目を見て話しなさい」と言う。


そう、顔と顔とを合わせて見る、ということは、
ちょっと勇気がいる。
心の底まで見透かされているような気持ちにもなる。


それはほんとに自分が神様に対して、
ちょっと逃げていたからかもしれない。
神様に対して、本当に真剣になっていなかったのかもしれない。


ちょっと試し始めている。
神様は私の方にみ顔を向けておられるのだということを信じて、
歩み始めている。


すべてを知ってもらっていい。
正直になろう、そんな気持ちで歩み始めている。


さて、昨日、土曜日の聖書。
列王記第一17:1−7でした。
いよいよ、エリヤの登場。


「わたしは烏に、あなたを養うように命じた。」4節。


すべてを支配しておられる神のもとで歩める、それはなんという幸いだろうかと思った。カラスさえも、命じたように従う。


そして、本当にそんなことが起こった。


毎日、カラスが食べ物を運んできた、という。


昔、「エリヤのカラスは今もいる」ということをしきりに言っておられた先輩牧師がいた。


本当に印象深く残っている。


本気で神様が必要を満たしてくださることを信じて歩んでいこう。
カラスさえも用いてくださる方だ。
そして、この後は、大金持ちのところでお世話になったのではない、
貧しいやもめのところで、養われた。
そして、彼の存在がその彼女と子供との祝福となっていった。


私は何を当てにしているだろうか?
本当に、全てを支配している神を見上げていこう。


主よ、
私は結局のところ、どこまであなたを信頼しているのでしょうか?
どこまで本気であなたを信頼しているでしょうか?
あなたが全てを支配していることを、
信頼して、あなたの最善を信頼して、歩ませてください。

2010-10-14

早く電子書籍がでればなあ。

今日は朝は天気が良かったけど、
夕方から雨。
でも、恐れていたよりもずっとましなようです。


今は夜11時ですが、
もう峠は越えているようです。


明日は風の強い一日になりそうです。


今年の春頃に話題になっていた「もしドラ」、そろそろ、NYのBOOKOFFにも山積みになっているか、と思って、昨日のNYに行ったので、見てみたのですが、全く見当たりません。KINOKUNIYAで新刊を買うと28ドル。元々日本で1680円の本ですね。
今円高が進んでますます割高感がある日本からの新刊。
誰が買うんだろうか?と思いますが、売れているんでしょうね。商売が成り立っているんですから。


でも、その本が、iPhoneアプリになっていて、アメリカのiTunes Storeで6.99ドルで買えるんですね。日本のアマゾンの古本コーナーでも最低が1280円だったりすることを考えると、回し読みができない(できないですよね、きっと・・・)ことを別にすれば、ほんとに破格です。


18年も住んでいますが、こちらで、ネットや新聞の書評で「これが読みたい」と思っても、日本の本を読もうと思うと大変なことです。ぶらっと立ち寄ったBOOKOFFで、題名を見て「あ、これ読もうかな」というのがせいぜいです。


早くどんどん普及してほしい電子書籍。


もちろん、業界の方々にはいろいろな乗り越えるべき問題があるでしょうが、海外で生活している者にとっては切実です・・・。


「日々のみことば」も「百万人の福音」も「Ministry」も「牧ナビ」(あ、これはタダで送っていただいているんだ・・・)も電子書籍になってほしい!


さて、最近の「日々のみことば」から。
昨日のところですが、


「彼は父の道に歩んだ」列王記第一15:26

このところの「日々のみことば」の解説には「神を恐れぬ信仰は、神の立てた王の権威をも軽んじるという気風を生んだのでした」とあります。「神を恐れぬ信仰」というのは、もちろん、王自身の信仰の姿勢を示しています。

自分が大切にすべき方を大切にしないと、自分も大切にされない。そんな単純化してはいけないのかもしれませんが、本当にそう思います。

神に忠実に歩む、
真摯に神に向かっていく、
その姿勢こそが、
人々の顔色をうかがうことよりも大切な事だと思います。

主よ、まっすぐにあなたのことを見つめて歩むことができますように。
あなたのみ思いを求めて歩むことができますように。

2010-10-13

解放。

いつ頃からだったでしょうか。
とっていた英字ローカル新聞を読まなくなって、
どんどんたまっていきました。


これは無駄だからと、1年くらい前かな、
キャンセルしていたのですが、
つい、2ヶ月ほど前に電話で、「土日だけ年間10ドルでどう?」と言われて、
「じゃあ・・・」と再開。
日本じゃ考えられないこのサービス。
土曜日のニュースには広告やらクーポンやら入ってくるから、
まあ、元がとれるだろうと、とっているわけです。


でも、やっぱり読まない。


でも一昨日の月曜日に「たまには折り込み広告のチェック・・・」と新聞を開いてみました。


一面に出ていたのが、近所の町のLibraryでもたれている、
日本軍の元慰安婦だった人たちの今を絵に描いている人の展覧会が紹介でした。
目が釘付けになりました。


この問題は一筋縄では行かないことは知っています。
歴史資料についていろいろな問題があることも知っています。
学者によって、実際起こったことはなんだったかのか、言うことが違うことも知っています。
でも、あまりにも何も知らなさすぎる自分を恥じました。
強制であろうと、借金の形であろうと、仕事が欲しかったということであろうと、
とそこに連れていかれて、
男たちの相手をしなければならなかった人々がいたということに、
悲しさをおぼえます。


それが自分の娘達だったら、体を張って守りたい。
そんなところに行かせはしないだろう。
でも、男として、自分がその文化、その時代の状況にいたら、どうしていただろうか・・・。
自分は決してそんなところには通わない、などと言えるだろうか。
ましてや、彼女たちの解放のために何かをしただろうか?


昨夜から、チリの鉱山で閉じ込められていた33人の解放に、世界中の人々と共に注目しながら、必死で祈り、心で応援をしながら、もっともっと長い間、人生の暗闇の中に閉じ込められている多くの人々に、いったい自分は何をしてきたか、考えさせられています。


あまり重いテーマや議論を呼びそうなテーマは苦手なのですが、そんなことももう言っていてはいけないかと思いつつ。

2010-10-12

さっき、チリの鉱山に閉じ込められていた33人のうちの最初の一人が救出された。
事故が起こってから、68日目。

最初の2週間、どんな思いで待っていたか、
そして、地上と通じたあとの2ヶ月近くはどんな思いだったか。
地上とつながることの大切さと、
地下のリーダーの大切さ。
いろんなことを思わされる出来事。

でも、今朝はちょっと眠れなくて、
明日も朝からNYCなので、
ただただ、感謝と祈りの中で、早く休むことにします。

今から2人目の救助隊員が降りていきます。
2日間にわたるだろうと言われているこの
救助作業がすべて守られるように、祈りつつ。

2010-10-11

Nor'easter?

昨日の朝は、ぐっと冷え込んで、
最低気温は3.7度。
場所によっては初霜になったんでしょうね。


でも昼間はそこそこ暖かくなりました。
そして、今朝はこんな感じ。



最近は祈りの時間が終わる頃、6:45amくらいが本当にきれいです。
また朝焼けに見とれてしまいました。


今夜は雷雨でしたが、もう峠は越したみたいです。
注目は今週の金曜日。
秋から冬にかけてのアメリカ北東部名物、Nor'esterが来るかもしれません。
そんな季節なんですね。


昨日は一人の姉妹(教会では習慣として、クリスチャン男性のことを「兄弟」、クリスチャン女性のことを「姉妹」と呼びます)が結婚式を挙げられました。
新郎の実家近く、二人が出会った大学のそばで、
日曜日の結婚式だったので、私自身は参列できなかったのですが、
姉妹が中学生の頃から、同じ教会で歩みを共にさせていただいた、
歩みをずっと思い出していました。
ほんと、祈られて祈られて来た姉妹。
神様の守りと導きの中で育ってこられました。


夏のJOYJOYキャンプでは、いつもいい味を出していました。
お二人は新郎の実家近くで新しい生活を始められるので、
私たちは姉妹を送り出します。
こういう形で一人の方を送り出すのは、
私の覚えている範囲で初めてだと思います。
送り出すのはちょっと惜しいですが、
新しい家庭が祝福されることを祈ってやみません。


さて、昨日の聖書。
昨日は列王記第一14:21−31でした。


「レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。それで、レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。」25−27節。

あのソロモンの金の盾。
何のために作ったんだろうという金の盾。
盾の本来の目的のためには最悪であろう、重くて柔らかい金属で作った盾。

その金の盾が、早くもその息子の代には、エジプトの王に奪われた。

本当は、それはレハベアム王にとっては、
何が大切かを見極めるチャンスだったはず。
本当に大切にすべきものを大切にすべきチャンスだったはず。

でも、彼は「代わりのもの」を作った。
青銅の盾を作った。

自分もそう。
自分が大切にしているものが、
取り去られたときに、
どう反応するか。

代わりのものを求めるのか、
目が覚めて、本当に大切なものを求めるのか。

主よ、
私たちがあなたご自身を求めることができますように。
あなた以外のもので心を満たそうと思うことがありませんように。
どうか、聖霊様が私の心を満たしてくださいますように。

2010-10-09

自分を捨てる。

今日もスカッと晴れて、
気持ちのいい一日でした。


でも、夜になって冷えてきて、
今、夜の11時前ですが、10度くらいまで下がってきています。


明日の朝は5度くらい。この秋一番の冷え込みになりそうです。


そんな気持ちのいい天気の中で、
下の娘の学年(4年生)では1台5ドルで洗車をして、
ファンドレイジングをする日でした。


まあ、いつもろくに家の手伝いもしないような子供たちが
車を洗ってくれるわけですから、5ドルでも十分すぎるくらいのようですが、まあ、そこら辺はご愛嬌なんでしょうね。目的は子供たちのためのファンドレイジング。


でも、のんちが気になったのは、
「宣伝が地味すぎる。あれじゃ誰も気がつかない!」
ということだったそうで・・・。
(ちなみに、土曜日ですから、私は礼拝の準備中・・・)


倉庫部屋をごそごそ、
しばらくて、持ってきたのは、
何年か前のハローウィーンのために作った、
ハム太郎の着ぐるみ。


これは頭の部分をサキがかぶっている写真ですが、実際はカラダの部分もあります。


まさか・・・


そのまさかでした。
これを着て、客の呼びこみをするというじゃあありませんか・・・。


1時間後、大ウケだったと喜んで帰ってきました。


イエスは、「わたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従ってきなさい」と言われましたが、「自分の十字架を負って」いるかどうかは、わかりませんが、少なくとも「自分を捨てて」はいますね。この方。ほんと、脱帽です。


ちなみに、この他に、「リボンちゃん」(ハム太郎の友達)「たぬきの親子」「ET」など、いろいろあります。お入用の方は、ご遠慮なくお申しつけください。

さて、昨日の聖書。
昨日は列王記第一13:20−34でした。


「あなたは主のことばにそむき・・・」21節。

そんなこと言ったって、騙したのはあなたでしょう、
と突っ込みたくなりますよね。
そして、その結果、この預言者が死んでしまったときに、
悲しみを覚えて、自分も一緒のところに葬ってほしい、なんて、
矛盾してません?と思ったりもしますが。

でも、この預言者の立場からすると、
やはり、従わなかったのは自分なんですよね。
あの人が悪い、あの人が騙したから・・・なんて言っても、しょうがない。
自分が神様に従うかどうかが、問われている。

他の誰のせいにもしてはいけない。
自分の責任。
自分が神様から聞いていることに、
忠実に従うこと、
決して人のせいにしないで、
自分が神様から語られたことに、
忠実に従うこと、
それが大切なんだと思います。

主よ、
人のせいにはしません。
あなたに従っていくことができますように。
あなたが語られることに、忠実に聞いていくことができますように。

2010-10-08

またまたギフト。

今日の午前中は洗礼準備会。
本当に神様のなさることに感謝。
励まされ、また、これからの働きについて、
神様が新しい展開へと、
神様が招いてくださっていることを感じる。

もっともっと祈って、
もっともっと神様のなさることを見せていただきたい。

PCがふさがっているのて、
「日々のみことば」はまた明日。
こういう時は、bluetooth keyboard が欲しい・・・。

2010-10-07

ギフト。

今日は神様からの幾つものギフト。


朝、教会で祈って外に出ると、
こんなに見事な朝焼け。
神様って芸術家。


しょっちゅう驚かせてくださる。



良いカメラも欲しくなるが、
まあ、いいとしよう。


そんなことを本気では考えなくなっている自分が、
ちょっと楽かな。


今週はこのあと、ずっと晴れ!
神様からのプレゼント。


そして、今日の家庭集会にも
たくさんの新しい出会いを与えてくださって、
感謝。


神様からの大きなギフト。


でも、そんな中でも、
今、一番の神様からのギフトは、
神様が私と時間を共有してくださることを、
喜んでおられるのだと、自然に思えることかな。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一13:11−19。


「そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。」19節。

昨日、清々しいほど、キッパリと、
ヤロブアム王の申し出を断ったこの預言者。

しかし、今日は、あっさりと、
この老預言者の言葉に引っかかってしまう。

自分の使命にどこまで立てるか?ということなんでしょうか。
他の預言者の言葉をどこまで聞くか、ということなんでしょうか。

でも、いくら預言者とはいえ、
見ず知らずの預言者の言葉に振り回されるのは間違いだろう。

自分の為にいつも祈ってくれている人が何と言うか、
それが大切なのではないだろうか?

祈られていることに感謝。
そして、祈ってくれている人の言葉を聞こう。

そして、私も一人ひとりのことを覚えてもっともっと真剣に祈っていこう。

主よ、
祈ってくれている人々のゆえに感謝します。
私も、一人ひとりを覚えて祈る者でありますように。
もっともっと祈ることを教えてください。
祈る喜びを満たしてください。

2010-10-06

自分がしてほしいことを、自分もしなさい。

今日は、ほんとに予報よりも良くなりましたね。
朝から青空が広がって、暖かくなりました。


2日どんよりが続くと、
青空が待ち遠しくなります。


明日も、晴れて暖かくなる予報が出ているのですが、
ほんとにそうなって欲しいところです。


今朝は、起きたときにはそれほど感じなかったのですが、
時間が経つにつれて、だんだん筋肉痛が出てきて、
どうしようかと思ったのですが、
さすがに、1日でギブアップはまずいだろうと、
今日は200Mほど長く、スピードもちょっとだけ上げて。
おかげで、体重も久しぶりに大台を割り込み、
BMIも肥満ラインの25.0まで下がってきました。


でも、走りながら、「高校生の頃は9kmを40分台前半で走っただろう」と思ったのですが、考えてみれば、それは、今の年齢の1/3の頃なんですね。体重も15-20キロくらい少なかった。やっぱり、自分の中で、高校時代なんてホンのさっき、って感じがしているんですが、自分はもうその後、それまでの2倍生きているんですね。無理がきかないわけです。ハイ。


ぼちぼちやろうと思います。


なんて言いながら、
今日もまた一つ、iPhoneアプリに出会ってしまいました。


Fit for Rhythm


筋肉痛と闘いながら、一通りプログラムをやると、
自分がいかにバランス感覚がないか、が分かります。
これでしょうね。自分の運痴な理由。


50歳での運痴脱出を目指して、ちょっと頑張ってみようっと。


今日の2つの集会で、分かち合ったこと。


「自分がしてほしいことを、人にしなさい」というイエスの言葉。


自分がしてほしいことはなんだろうなあ、と思ったら、
「わかってほしい」「理解してほしい」「共感してほしい」かな。


だったら、自分もそうしなさい、というのがイエスの言葉。
人を理解し、共感することを求められているのだろう。


「人を変えようと思わないで、分かろうとしなさい」


これはイエスの言葉ではありませんが、
時々、自分で自分を戒める言葉です。


自分が自分ではない者になることを要求されるのは辛いものです。
牧師の働きをしながら、「あの先生のようになってください」と言われるのは悲しいことです。そして、そのようなことを言われたあとには、しばらく、自分がどのようにしたらいいのか、混乱してしまいます。


でも、自分はどうなのか、
やはり、人を「変えようとしている」ことが多いのではないだろうか?


「自分がしてほしいことを、人にもしなさい。」
今まで、余り心に留めていなかった言葉だけれども、
今、本当に重みを持って、心に迫ってきている。


明日も我が家で集会がある。
新しい方々が何人も来られる。
人を分かろうとすること、
それを実践することができますように。


さて、今日の聖書の言葉。
列王記第一13章1−10節。


「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、あなたといっしょにまいりません。」8節。

神の人に癒してもらって、
神の人をもてなしたいと思ったヤロブアム王。

でも、神の人はそれをキッパリ断った。
それは神の命令があったから。
神が「何も食べたり飲んだりしてはならない」と言われていたから。

王に対して失礼と思われる言葉と行動。
でも、神の人はそれを貫いた。(ここまでは・・・)
神が言われたことだから。

自分はどうだろうか。

主よ、
あなたに従います。
あなたの導きに単純に従うものとならせてください。
恐れにとらわれることがありませんように。
そして、明日の集会でも、
あなたの祝福を満たしてください。
あなたの素晴らしさを大胆に語ることができますように。
あなたが命じられたように、
自分が理解して欲しいように、
自分も人を理解できるものとなれますように。

2010-10-05

神様からの力。

ここのところ、ほんとに雨の日が多い。
今朝もどんより。
一日どんより。で、時々霧雨。
予想より良くなって、明日には、少しずつ、回復始めるようです。


こんな日は気分もどんよりしてくるのですが、
今日は弟子訓練のグループもあり、
気持ちが前に向かっていたのでしょうか、
元気に一日を始めることができました。


何よりも「あしたからマン」にならないで、
今朝からちょっとジョギング。
Jogboyという無料アプリの助けをいただきながら。
15分、2kmでしたけどね。クールダウンのウォーキングを含めて150kcalでしたけどね。
コーラ缶一本分ですけどね。


ま、初日ということで。
三日坊主、という言葉もありますし。


でも、今日の弟子訓練でもほんとに思ったのですが、
自分の力の源はどこにあるんだろうかと。
今日はイエスの十字架がテーマだったのですが、
本当にその十字架の愛に撃たれた喜び、もう一度そこに立ち返る思いがしました。
今からもう27年も前、神の愛が「わかった」その時のあふれた喜びが、
ずっと、自分を生かしてきたのです。


でも、去年1年間、洗礼を受ける方がおられないという痛みの中で、
そして、今年、受洗者が何人か与えられている喜びの中で、
それは本当に嬉しいことなのですし、
決して間違いではないのですが、
いつの間にか、その「神に愛されている喜び」よりも、
「人が救われる喜び」の方に自分の目が移ってきているように感じました。


いや、ほんとに、一人の人が悔い改めて、
イエスを信じる者とされることはとても嬉しいことであり、
それを喜びとすることは何も間違っていないと思います。


でも、それがいつの間にか、わたしの力の源であるはずの、
「神様と共に生きる喜び」「神がわたしのためにひとり子イエスを与えてくださった喜び」よりも、注目されたり、間違っても、「牧師としての成功」みたいなものにすりかわったりしてはいけないのです。


「この水を飲む者はまた渇く」


そう、イエスの与える水以外のもので心を満たそうと思っても、
それはやがてまた渇くのです。


やはり、どこまでいっても、このイエスの十字架のあがない、イエスの十字架の救いに力をいただいて、それを愚直に語っていく者でありたいです。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一12:25−33。


「ヤロブアムは心に言った。『今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。』そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。『もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。』それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。」26−28節。

ヤロブアムが神に背いたきっかけは、「恐れ」だった。
人々が自分から去っていくのではないかという恐れ。

エルサレムに巡礼に行く民が、
いつの間にか、ダビデ王朝についてしまうのではないか、
それを阻むためには、エルサレムに行かなくても礼拝ができる場所を作ることが大切だ、
そのようにヤロブアムは思った、という。

11章28節にはこのような約束がヤロブアムに与えられている。

「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。」

しかし、ヤロブアムはそれに従えなかった。
人々が自分から離れていくのを恐れたから。

自分はどうだろうか?

神に従っているだろうか?

人々の顔色を恐れていないだろうか?

主よ、
あなたを信頼します。
あなたの御言葉を信じます。
どうか、わたしの中から恐れを追い出して、
あなたの愛で満たしてください。
あなたがわたしを愛してくださったように、
私も周りの人々を愛することができますように。

2010-10-04

スポーツの秋?

今日は、朝から冷たい雨が降ったり止んだり。
肌寒い一日でした。

先週、血液センターから、またお願いできますか?と、電話があって、お安い御用で、と行って来ました。

献血前の問診に、「この薬は飲んでいませんか?」「この病気にかかったことはありませんが?」という項目がいくつもあるのですが、それに答えながら、改めて、献血ができるのは、特権なんだなあ、と思いました。

でも、最近、ズボンがきつくて仕方がありません。この運動不足をなんとかしようと、いつも思っているのですが、春は花粉症、夏は暑い、冬は寒い、といろいろ言い訳をしてばかり。

だから、この秋こそが、運動不足解消、体型奪還のチャンス。

まずは、一人でもできるようにと、昨夜は、iPhoneアプリで、ジョギングの励ましになるヤツを物色して、さあ、と思ったら、朝から雨だし、献血後は24時間激しい運動はダメだし。しっかり「あしたからマン」になってしまっています。明日も天気がねえ・・・。



そう、木曜日くらいまで、曇りがちで、雨が降ったりやんだり。
肌寒い日が続きそうです。

さて、今日の「日々のみことば」から。
列王記第一12:12-24。


「わたしがこのようにしむけたのだから。」24節。

先週からずっと思っているのですが、
神様が、敵対する者を起こしておられる、
その事を、神様が、そうされるのなら、いいだろう、と思える自分がいます。

辛くでも、痛くても、悲しくても、
それによって、自分の目が覚まされ、
神様の願われるようになっていくなら、
それでいいだろう、と思える。

そう思えることがまた恵みだなあ、
と感じていました。

それは、やはり、神様のなさることは、
自分のちっぽけな頭では納得できなかったとしても、私の気がつかないところまでご存じの神様がなさっていることだったら、絶対大丈夫、も思えるからです。

信頼しちゃっているみたいです。

そんな思いにさせられていることに感謝。

でも、いざ今まで経験したことのない様な試練がやって来たら、自分の神様に対する信頼なんで、ぶっ飛んでしまうのかもしれませんか、そんな時も、

「信じます。不信仰な私をお助け下さい。」(マルコ9:24)と言うことができます様に。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたの最善を信頼します。
いつもあなたに従って行けますように。
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2010-10-03

雨上がりの朝顔。


またまた日付が変わってしまいましたが、
10月2日分。
最近、夜早く休むと、朝、やたら早く目が覚めます。

昨日の朝は3日ぶりの晴れた朝で、
この朝を待っていたかのように、
朝顔が一斉に花を咲かせていました。
多分、今までで一番沢山の花が咲いていた朝。

7月にサキが町のプログラムでもらってきたもの。
9月になってから花が咲き始め、
暖かい9月だったので、ここまでもちました。

今は朝の4時前ですが、もう10度を切っています。

今日一日晴れ。
月曜日からまた数日ぐずつくみたいです。

あ、「日々のみことば」もアップしようと思ったのですが、
せっかく眠くなってきたので、朝までちょっと一眠りできるか、と思い、行ってきます。

と、ちょっとひと眠りして、教会に行って、
お祈りして戻ってきたら、
今朝は昨日よりもたくさん、15輪くらいの朝顔が咲いていました。
寒くなってきたので、まもなく枯れていくでしょうが、
楽しませていただいています。

この株から取れた種を、来年はもっと早く蒔いて、
大輪を咲かせたい・・・。

さて、昨日の「日々のみことば」から。
昨日は列王記第一11:26−43。

「わたしがあなたを召したなら・・・」37節。

私の人生の主権は主にある。
礼拝の準備をしながら、
神様が私たちの人生の王である、ということを、
語られながら、
自分の人生の主権を本当に主に差し出しているだろうかと、
思わされる。

言葉で言うだけではなく、
本当に自分の人生の王として、主を迎えているだろうか?

そして、もう一つ・・・
主が導かれる道を、どのように見極めていくのだろうか?

自分の勝手な思いを「神様が召してくださいました」と、
振り回すことはないだろうか?

いつもいつも謙遜でありたいと思う。
いや、謙虚でありたい。

主の導きさえ見誤ることもある者であることを、
正直に告白しながら、
自分の願いを、神様の思いにしてほしい、とさえ思ってしまう、
自分の弱さを認めながら、
でも、主を信頼しながら歩んでいきたいと思う。

主よ、
あなたを心の王座にもう一度お迎えします。
どうか、私の人生を導いてください。
あなたを利用するのではなく、
あなたに仕えることの意味を教えてください。

また、わたしが自分のわがままを、あなたのみ思いだと思いたい、
そういう弱さを持っていることも認めます。
どうか、あなたのみ思いを見極める鋭さを与えてください。

そして、あなたの召しを信じたときに、
勇気を持って前進する決断力も与えてください。