2010-02-03

世の中は狭いというか、不思議な導きというか。

先週土曜日は横浜と鎌倉の境目の辺りで家庭集会。
帰国者と関係者全部で17人が集まり、
証をし、賛美をし、楽しいひとときを持ちました。
その後、その集会の場所を提供してくださった方(Aさん)と一緒に、
近くの施設に入所しておられる方(Bさん)をご訪問したのですが、
その話の中で、Aさんのご主人のご両親とお兄さんご夫妻と、
Bさんご一家はすごいご近所で、親しく近所づきあいをしておられたことが判明。

Bさんは、直前にNJに住む息子さん(Pさん)と、
Bさん「Aさんてまさか、近所に住んでいた『A』ってご家族と名前が同じだけど、親戚な何かかねえ。」
B息子「いやあ、まさか。『A』さんだって、たくさんいるでしょう。」
Bさん「そうかねえ」
なんて話をしていたそうです。

スゴーく盛り上がっていました。
一緒に聖書を開いて、お祈りして、帰りました。

2月1日の仙台の夜は雪。
翌朝、道路は凍っていました。
東京も雪が降ったみたいですね。

しっかりコケました。
コケそうになって、慌てて体勢を立てなおそうとして、さらに滑る、という感じ。
NJでも雪には慣れているはずなんですが、かなりビショビショの雪で、勝手が違ったみたいです。

手首が痛いです。折れていることはないとは思いますが・・・。


写真は2月2日仙台の朝。





128日木曜日の聖書。
マタイ11:20-30

「誰でも疲れている者は・・・」28-30節。

いやあ、疲れているか、いないか、と言えば、疲れています。
でも、主の許にいられるのは力ですし、
主の素晴らしい御業を見せていただけると元気が出ます。
ほんとに主に休ませていただいているし、
主から力をいただいて生きるのは楽しいですね。
出会いも、神様から与えられているのだと思います。

正直なところ、私はこれがなかったら、どうやって生きていけるのだろうかと思います。
主の許で休んで、主から力をいただいて歩んで行く、
これからもそこに歩んで生きたいと思います。

主よ、
あなたの許に私の力があります。
あなたの力をください。
あなたの許で休ませてください。
今日もあなたの命に満たしてください。

2010-02-01

凱旋。

主の僕が御許に召されていった。
御言葉と賛美と祈りの中で。

私が知り合ったのは教会のメンバーの父親として。
だから、勢い、父親としての彼の姿が心に留まっている。
娘を思い、婿を思い、孫を思う父の姿。

でも、それはまた信仰者としての姿だった。
信仰者として、子どもたちに何を遺して行くのか。
自分自身の姿勢も正される。

「彼は死んだが、今も信仰によって語っている。」114節。

たまたま・・・いえ、主のお計らいによって、
日本にいて、ちょうど今日お伺いする予定だったので、
前夜式に出席できる特権に預かりました。


素晴らしい式でした。
また改めてお証しします。

127日水曜日の聖書。
マタイ11:11-19

「天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」12節。

天国が激しく攻められている。
どういう事だろうかと思う。
でも、その後に続く言葉がヒントなんだろう。
激しく攻める者たちがそれを奪い取っている。

つまり天国に入ることに対するハングリーな気持ちだろう。
必死に求める思いだろう。
もっと目を開いてください。
もっと語ってください、触れてください、という思いだろう。

飢え渇きであり、貪欲さだと思う。
そう、物質的なものではなくて、
霊的なものに対する貪欲さ。

今日も、主の恵みを求めよう。
主の御業を求めよう。
主が用いてくださいますように。
私を祝福の基として、用いてくださいますように。

主よ、
私をあなたのしもべとして用いてください。
あなたの恵みに満たして用いてください。




2010-01-31

守られています!

日本はホンの1時間ほど前に2月になりました。
日曜日が終わったところです。

日本に着いたのが水曜日の夕方でしたから、
木、金、土、日、と4日あまりが過ぎました。

でも、なんだか、もう10日くらいがたったような気がします。

あまりにたくさんのことがあったので、
文章にまとめるのに、ちょっと時間がかかりそうです。

「日々のみことば」のアップもたまってしまいました。
明日から地方に回ります。
2月号を持っていくのを忘れないようにしないと・・・。

みなさんのお祈りに感謝します。



2010-01-29

使命の再確認。

日本の最初の二日が終わりました。
今は日本時間の29日の夜10時45分。
ああ、いつの間にか今月が終わりかけてる・・・。


9時半頃にメイン宿泊先の木場の実家に戻って、
この最初の2日間を振り返っていました。


そんな中で思わされたこと。
やっぱり子供たちのために神様のメッセージを語ること、
子どもたちと同じ視線で生きること、
無駄になることはない、ということ。


昨日の午後、ちょっと時間ができるので、
訪問したいなあ、と思わされたお宅があった。
お子さんたちはJOYJOYシンガーズのメンバーで、
半年前に日本に帰られて、
私自身が昔住んでいたS玉県T沢市に住んでおられる御一家。
でも、PCの住所録には電話番号がない。
NJののんちに電話をして、
電話番号を探してもらった。
携帯番号。そして、時間は朝の9時半。


こちらは今回の日本ではプリペイド携帯(1分90円)に加えて、
Wifi環境があるところではiPhoneでスカイプを使っている。
こっちは日本でもアメリカでも、1分2円台でかけられる。
ちなみにiPhoneを国際ローミングで使うと、1分1ドル台後半。
あっという間に何千円になってしまう。
だから、今回は基本的にはスカイプで、どうしてもWifiのないところでは、
プリペイド。


で、Wifiのある実家から、その方にスカイプで電話。
・・・後から聞くと、向こうは「携帯宛に非通知」という
めっちゃ怪しい電話だったらしい・・・。


でも、そんな怪しい電話で、
出てみたら、「今日時間ができたんですが、お会いできます?」なんてまた、無理無理な内容だったのですが、ご歓迎いただいて、お伺いしてきました。


で、ちょうど子どもたちが帰っている時間帯に伺ったのですが、
3人のお子さんたちのうち、ご在宅だったのは、
一番下のお子さんだけ。
ですから、あとのお二人は、帰ってこられるところに、中から「お邪魔してまーす」状態。
「えー、どうしているの?」「どうして朝、学校にいく前に言ってくれなかったの?」(うーん、その時はまだ何も決まっていなかったからねえ・・・)


驚かせてしまいましたね。でも、楽しかったです。
あとで、お嬢さんからはメールも頂いてしまいました!


聖書を開いてみんなでお祈りしました。


そして、今日ご訪問したのは、東京のS並区E福町の70台のご婦人。
数年前、NJのお嬢さんを訪ねて来られて、
NJで教会に来られて、
東京に帰られてからも続けて教会にいかれるようになった方ですが、


「私が子供の頃、母の言葉や姿から、また近所の宣教師の方とのつながりから知った教会が今になって、ピタっとつながってきたのです」と言っておられました。
数十年の年月を経て、実を結ぶ、こともあるんですよね。


二つの訪問がひとつの線でピタっとつながりました。


ですから、これからももっともっと、
大人に伝えることに負けないくらい、
一生懸命、子どもたちに神様のことを伝えて行くこと、
励んでいきたいと思います。


「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(第1コリント15章58節)


NJでは木曜日の朝、ちょっと雪が降ったみたいですね。
そして、寒いみたいですね。
こちらは暖かい日が続いています。
助かります。


さて、たまってしまいましたが、
26日(火)の聖書。
火曜日はマタイ11:1−10。
「あなたがたは行って、自分たちが聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。」4節。

こうやってハッキリと言えることは素晴らしいなあと思います。
主がどんなに素晴らしいことをしてくださっているのか、
それを「見てください」と言えるとは・・・。

見えないなかにも主は働いておられます。
私たちが気がつかないところにも主は働いておられます。
それを信頼して歩むのが私たちの信仰です。
でも、どんな人が見ても、
ああ、神様が御業をしてくださっている。
としることができるようなことをしてくださいますように。
それを本気で祈って求めていきたいと思いました。

主が「見たことをそのまま伝えなさい、それによって私が救い主かどうか、分かるでしょう」と言われたように、
私たちの歩みを通して、主の愛と力が伝わっていきますように。

主よ、
あなたの御業をなしてください。
人が見て、
「ああ、主の御業がなされている」と知ることができますように。
明日からの集会、
来週の地方訪問、
豊かに祝福してくださいますように。



2010-01-27

さあ、始まりました。

東京です。今、27日の夜。
暖かかったです。
夕方でも12度ありました。


そして、明日は雨の予報です。


いよいよ2週間あまりの日本滞在が始まりました。
いい出会いが与えられること、
質的にいい時が過ごせますようにと祈ります。


みなさんの祈りに感謝します。


飛行機の中でも、いろんなことを考えさせられていました。
いつもよりは眠れたかもしれませんが、
ゆっくり考える時が与えられたので。
特に自分の心の中の質的な問題。


表面的な問題ではなくて、深い癒しの問題。
いつもはいろんなことに流されて、
そのようなことはあまり見つめないですむのですが、
飛行機の中の映画の内容もあって、
いろいろなことを考えさせられました。


主題だけ挙げると、
・本当のことを分かち合うこと。
・一人ひとり痛みの経験が違う中で、寄り沿うこと。
・家庭と教会を大切にすること。


まあ、ここで分かち合えることがあったら、
またゆっくり消化しながら、分かち合いたいと思います。


さて、とりあえず月曜日25日の聖書。
マタイ10:34−42でした。


「わたしは、平和をもたらすためにではなく、剣をもたらすために来たのです。」34節。


事なかれ主義の平和。
波風のない平和。
そういう平和をイエスは剣で打ち壊す。

自分が陥りやすいところだからこそ、
本当に身につまされる。

そういう勇気を自分は持っているだろうか。
26日に届いた、クリスチャンの歌手の工藤篤子さんのニュースレターで、
http://atsukokudomm.com/
ヒューマニズムの波に飲まれてしまった教会が教会として「復元される」まで7年も8年もかかっているご様子が証されていましたが、本当に大切な事だと思います。

勇気のいることだと思います。

勇気と確信に立つことの大切さを思わされます。

主よ、
あなたの勇気を私に与えてください。
事なかれ主義にまた陥ってしまうことがありませんように。
あなたの確信を私に与えてください。

2010-01-26

今日はこれ。





あと小一時間で搭乗です。
NWでチケットを取ったのですが、DELTAの飛行機です。
合併の進んでいる両者ですが、
これが、帰りはチケットを含めてDELTAになる、と昨日電話がかかって来ました。

帰ってくる時は、もうNWの名前ももうなくなっているのでしょうか?

16日間の訪問です。
私たちの思いを超えて、主が必要だと思われているところに導いてくださいますように。

皆さんのお祈りに感謝しつつ。

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結局・・・。

昨日は一日、出発に備えて頑張る・・・ハズだったのですが、
朝から雨で、出足がくじかれて、
家にいたら、今度は停電はするわ、なかなかリズムが掴めなくて、
あまりがんばれませんでした。
そして、午後、子どもたちが帰ってきてから、やっとエンジンがかかり始め、
今、夜の2時半頃ですが、なんとかめどがついて、まあ、完徹はしなくても済みそうな感じです。というか、朝、起きてからの3時間にすべてをかけることにして、これからちょっと眠ります。

次の更新は空港か、日本かです。

NJ/NYで留守を守ってくださるみなさんに主の守りがありますように!

2010-01-24

祈られて出発。

今日は礼拝後総会があって、
2009年の報告や2010年の方針が話されたのですが、
それよりも、今日はまた日本に行くためにみんなに祈っていただきました。
祈っていただいて、出発出来ること、
みなさんに送り出されていること、
心から感謝しています。


また、今朝急きょ日本に帰られた方もおられます。
ご家族の病のためです。
そのためにも昨日も今日も互いに、また、教会で共に祈りました。
祈り、祈られる、ほんとうの教会がここに建て上げられ始めています。


あと中一日。
泣いても笑っても、
こちらでやっておくべきこと、
後一日です。
明日は休日ではありますが、
やっぱり泣かないですむように、
ちょっと頑張らないと・・・です。


今夜は早く休みます。


さて、今日の聖書。
マタイ10:24-33。


「だから恐れることはありません」(31節)

神様がおられるから。

今日の礼拝でも、勇気の話を語らせていただきました。
勇気は自分がriskを負わなければならい、その時に初めてその真価が問われます。

何も痛みが伴わない時には、
どんなことでも言えます。
どこまでも信仰者であるふりはできます。
でも、自分が主に従おうとするときに、
痛みを伴う時には、
本当の勇気、本当の信仰が問われます。

「恐れることはない」
そのイエスの言葉こそが、
私の支えです。

主よ、
私が恐れないですむように、守ってください。
いつもいつも「おそれることはない』と語ってください。
あなたを信頼して、あなたの守りを信頼して、
risk takerとなります。

ちょっといいんじゃない?

今日は午後から雨。
今夜から明日の朝にかけて、大雨になりそうです。
明日は暖かいのですが、
明日の夜からはまた冬に戻りそうです。


ハジがUrbana 09の公式カメラマンのアルバムに載っている、とリンクが送られてきました。
こちらがリンク。
http://www.wayneyuan.com/darkroom/share/?n=urbana_09_photos#326jpg
こちらがスクリーンショット

修正入っているんじゃないの?ってくらいちょっといい感じですよね。
でも、2万人もの大学生が本当に心から賛美を捧げている姿って、
ちょっと鳥肌たつくらい、いいですよね。


さて、昨日、1月23日の聖書。
マタイ10:16-23。


「彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町に逃れなさい。」23節。

イエスが弟子たちを遣わされたときに、
ある町で上手くいかないときに、こだわらないように、
次の町に進んで行くようにと言われた。

何か、逃げるようで、
自分的にはそのような気持ちにはなかなかなれなれないだろうな、と思う。
でも、それは自分のプライドなのかもしれない。
主が次の町に進んでいけといっておられるのかもしれない。

その一方で「最後まで耐え忍ぶ者は救われます」(22節)とある。

だから、そういうこともすべてオープンにして、
ただ、主の導きを信頼して祈っていきたいと思う。


聖霊様がどのように歩んで行ったらいいか、
どのように歩むべきか、
どのように新しい人々に福音を伝えればいいか、
教えていただきたいと思う。

主よ、
心を開いて、あなたを求めます。
あなたを信頼して、求めます。
どうか、プライドやこだわりから自由にしてくださって、
自由の中で、あなたを伝える者とならせてください。

2010-01-23

おとなしく。

土曜日の夜です。
明日に備えておとなしく沈没します。

一言だけインフォメーション。

今日、H1N1インフルエンザの予防注射に行ってきました。
我が家では、医療関係者、若年層、子供、とみんな優先接種の対象だったのですが、
私だけは当てはまらず、最後まで受けていませんでした。

でも、もう、今は誰でも受けられるようです。
今日も予約なしで、ガラガラでした。

来週の火曜日の夕方にもあるみたいですので、
ここらへんにお住まいの方で、まだの方はご検討ください。
免許証も何も提示を要求されませんでした。
http://www.paramuspost.com/article.php/20100110072504647

まあ、今はもうアチラコチラで有料で受けられるようですが、
ここは無料です。お持ち帰りのプレゼントで手帳まで貰ってしまいました。

さて、礼拝の祝福を祈りつつ。

2010-01-22

平安をもたらす者になる。

今日も穏やかな日でした。
もっとどんよりするか、もっと北風が吹くか、と思っていたのですが、
全然たいしたことはありませんでした。


でも、夜になってまた冷えてきました。
-1.7度。


明日の朝はまた-5度くらいになりそうです。
そして、明日もう一日晴れた後は、ちょっと雨が続きそうです。
先週の日曜日も雨でしたが、
今度の日曜日もまた雨だと思います。


さて、今日の聖書。
今日はマタイ10:1−15。


「その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし・・・」12−13節。


この遣わされた弟子たちは、「平安を運ぶ者」だった。
平安がその家に留まるようにと、祈る者たちだった。

そして、その使命は私たちにも与えられている。
私たちは神の平安を運ぶ僕。

その使命がわかっているだろうか?
「祝福の基」ともつながっていくことだ。
主の与えてくださる祝福、
主の与えてくださる平安、
それによって満たされて、出て行く者とされているのだ。

さあ、その使命を果たさせていただこう。
出会う一人ひとりに、神様からの平安を祈り、
その平安によって満たされる方々が起こされるように、
祈っていこう。

日本まで、あと中3日。


主よ、
一つ一つの予定があなたによって守られますように。
連絡の取れないでいる方々に道が開かれますように。
私があなたの平安を持ち運ぶ器として、
平安を祈り、与える器として、
用いられますように。

2010-01-21

信じること。

今日は穏やかな日でした。
朝はやっぱり寒くて-5度くらいまで下がりましたが、
昼間は穏やかに晴れました。確認していませんが、5度くらいあったのでは。


そして、今は夜12時前ですが、-1.4度。
明日の朝はまた霜をゴシゴシしなければならないと思います。


今朝、よく晴れていたので、星が綺麗でした。
ゆっくり見るのには気温が低すぎましたが、
風もなく、穏やかで、きりっと冷えて、
天体観測にぴったりの朝だったと思います。


でも、明日は雲も出て、北風も吹いて、ちょっと肌寒いのでは・・・。


結局今年も雪の少ない冬になっていますね。
楽ちんですが、ちょっと物足りない・・・かな。
でも、本当に助かります。


来週前半までは気温は高めの日が多いようです。
でも、来週後半から再来週前半、ちょうど私が日本に出発した後の一週間、
ちょっと寒い日が続きそうです。


あと中4日で日本に出発です。
またこれも例年のことなのですが、
日本出発間際になって、いろいろ、皆さんと連絡を取っています。


こちら時間の朝は6時でももう、日本は夜の8時。
あまり連絡が出来る時間がありません。
それで、どうしてもこちらの夜の時間帯に連絡をとることが多くなります。


会社のお仕事で、日本との連絡が多い方々はどんなに大変だろうかなあと思います。


12時、1時に連絡をとったり、
電話会議があったり・・・。


そんな連絡の中で、いろんな方々と安否が問えるのも特別な時です。
私がご訪問することによってご負担になる方もおられるだろうなあと思うのですが、
それでも、「あなたがたは祝福の基となる」という聖書の言葉を単純に信じて、
信頼して、神様の祝福を持ち運ぶ使節として伺わせていただければ、と思います。


さて、今日の聖書。
今日はマタイ9:27−38。


「わたしにそんなことができると信じるのか」28節。
「あなたがたの信仰のとおりになれ」29節。

私たちが信じるように、神様は答えてくださる。
私たちが信じないならば、神様は御業をなされない。
そう言っていいのだろうか?
そういうことなんだろうと思う。

信じたようになる。

自分の信仰がいかにちっぽけで、
常識にとらわれて、
神様のみ力の大きさを信頼していないか、
その愛の大きさ、気前の良さを信頼していないか、
そんなことを思わされています。

今日の朝の集会も、午後のキッズクラブも、
神様は多くの方々を送ってくださいました。

自分はどれだけ、神様を信頼して祈っていただろうか?
神様が祝福してくださると信じていただろうか?

もっともっと信頼して、
もっともっと素晴らしい主の奇跡を経験させていただけますように。

信じます。
不信仰なわたしをおゆるしください。

主よ、
あなたの御業を信頼します。
どうか、あなたが豊かに祝福してくださいますように。
日本訪問も祝福してくださいますように。
信じます。
不信仰なわたしをおゆるしください。

2010-01-20

目が開かれる。

昨日寝るときには3度くらいあった気温、
今日の朝には−3度まで下がっていました。
びっちり霜が降りていました。


明日も晴れですが、今日よりもワンランク寒いかな。


わが目を開きて、さやに見せたまえ。
今まで知らざりし、みふみの真実を。


これは子供の頃からよく耳にしていた讃美歌の一節です。
こうやって改めて書くと、すごい文語体の歌ですよね。
NJ育ちの若い子たちには意味が分からない・・・と思う。


今朝起きて、教会に行こうと思ったら、携帯電話が見当たりません。目覚まし代わりに使っていますので、さっき手に取ったのですが、それを着替えるためにどこかにおいたのですが、どこに置いたのかわからないのです。最近、そういうことがどんどん増えてきて困ります。


子供の頃から、そんな時には、神さまに祈ります。「神様、今、私は○○を探しています。どうか、今、私の目を開いて、見えるようにしてください。どこに置いたか、思い出せるようにしてください。もしも、見つからなかったら、『今は必要なかったんだ』と受け取ります。」と。


そうすると、不思議と、「ああ、あそこに置いたんじゃないか」と記憶がよみがえって、じきに見つかることも多いのです。(今月のJOYJOYキッズクラブではそんな話をしています。)


今朝も、そう祈りながら、自然と口をついて出ていたのが、最初に紹介した讃美歌です。「さあ、神様、お願いします。わたしの目を開いて、携帯電話がどこにあるか見せてください」と。でも、この歌を歌いながら、わたしはハッとしました。ちょうど、昨日、「15年前は携帯電話がなくても普通に生活できていたよね」と、話をしていたのです。「わたしが今、本当に必要としているのは携帯電話なんだろうか、いや、もっと必要なのは心の目が開かれて、神様の見せようとしていることが見えることなんじゃないか。心の耳が開かれて、神様の語ろうとしていることが聞こえるようになることなんじゃないか。人々の必要に目が開かれ、耳が開かれることなんじゃないか。」と。


祈りました。「神様、そうですね。わたしに必要なのは携帯電話が見つかること以上に、わたしの心の目が開かれることなんですね。教えてくださってありがとうございます。」と。


聖書の中でイエスはこういっています。


「今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。」
(ヨハネによる福音書941節)


またパウロも言いました。
「もし人が、自分は何かを知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」 (コリント人への手紙83節)


神様に心の目を開いていただいて、神様がわたしたちに見て欲しいこと、ホントに大切なことを見える者となりたいですね。


そして、夜の集会でそんなことを分かち合いながら、感じました。何よりも、神様の恵みに目が開かれますように。どんなに神様が私を愛してくださっているのか、それに目が開かれますように。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書9:14−26


「新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」17節。


新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたら、
古い皮袋は張り裂けてしまう。
それくらい、新しいぶどう酒にはエネルギーがある。
力がある。


イエスの福音にはそういう力がある。
イエスの救いにはそういう力がある。
それを、自分はカチカチの枠の中に閉じ込めようとしていることはないだろうか?


聖霊様に自由に働いていただきたい。
ご自由に動いていただきたい。
そして、その聖霊様の力を経験させていただきたい。
皮袋を張り裂くような力を経験させていただきたい。


主よ、
イエスの福音の力をもっともっと経験させてください。
イエスの福音の力によって生かしてください。
そして、聖霊様の自由な働きを邪魔することがありませんように。
あなたの力を一杯に経験することができますように。

2010-01-19

イエスの魅力。

今日は一日どんより。
時々小雨がふる天気。
ちょっと肌寒いんだけれども、
朝から晩まで3度くらい。


ちょっと気が重くなるような空模様でした。


明日は晴れそうです。


昨日までのように暖かくはならないとしても、
この先、1月前半のような寒さが続くことはないようで、
ずいぶん助かります。


さて、今日の聖書。
今日はマタイ9:1−13。


「イエスが家で食事の席についておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。」10節。

イエスのところには多くの人々が集まっていた、
このマタイによる福音書を書いたマタイ自身、
この聖書箇所で、イエスに声をかけてもらった取税人。
その彼の紹介だっただろう、たくさんの取税人や罪人が集まってきた。

イエスのもとにはそのような人々が集まってきていた。
イエスはそのような魅力のある人だった。

自分はどうだろうかと思った。
この世で行き詰まっている人々や、
この世で軽んじられている人々が、
集まってきているだろうか?

魅力のあるイエスという宝を与えらえれていながら、
その魅力の輝きの邪魔をしていないだろうか?

どのようにしたらいいでしょうか?
イエス様の周りに人々が集まってくるように、
イエスの弟子である私たちのもとに人々をひきつけるためには、
何が必要なんでしょうか?

主よ、
イエス様の周りにはいろんな人々が集まっていたのに、
キリストの体である教会には、どんな人が集まっているでしょうか?
人々がイエスのもとに来ようとするのを邪魔している部分はないでしょうか?
イエスという宝の輝きがそのままこの世に輝きわたるような
器とならせてください。

2010-01-18

与えられたからだ。与えられた使命。

ことの始まりは、去年の10月28日。
1週間の日本でのセミナーから帰ってきて翌日、
NYで過ごしている時でした。
歩いている時に、左胸の痛みを感じたのです。
なんというのでしょうか、締め付けられるような・・・。


早足で歩いている速さを緩めると、ちょっと楽になり、
その痛みは腕に移っていって、楽になっていきました。


そんなことがそれから何回か起こったので、
12月の初めにうけたチェックアップの時に、
お医者さんにその話をしました。


「じゃあ、念のために、心臓のお医者さんを紹介してあげよう」と、
ちょうど同じ建物の廊下を挟んで向かいにあったドクターを紹介されました。
そして、そこに行ったのが、12月の22日。
そこで、血液検査の結果を見たり、いろいろ話をしたりしたのですが、
話が終わって、ドクターが(このドクター、とても頭脳明晰で説明がわかり易い)、
「君には心臓を病むrisk factorはない。高血圧でもないし、コレステロール値は低いし、喫煙もしない、糖尿病もない。しかし、君の話はとてもscary(こわい)だ。だから、検査をしよう。」となって、看護師を一人呼んで、「彼の心臓の検査をASAPで。」というじゃありませんか。「ASAP」とは、as soon as possibleの略で、こちらではよく聞く表現です。


早速、その場でまず心臓の超音波検査をしました。


その時、心臓から血が送り出される音も聞こえてきました。
ジョワー、ジョワーッて感じで。
聞きながら、ああ、ほぼ半世紀、よく頑張ってくれたね。ありがとう。
そんな気持ちになりました。


そして、その日はそれで終わり、事務の方が、一生懸命保険会社と交渉していましたが、「じゃあ、明日、4時間かかるんだけど、9時頃に来てね。」というじゃありませんか。
「いや、明日はダメなんだ、仕事なんだ、NYに行くんだよ」と言ったのですが、
「DoctorはASAPって言ってたでしょう。とにかく明日来なさい」と諭されてしまいました。


予定をいくつか急にキャンセルして、翌日、オフィスに行くと、
まずは放射性同位元素をちょっと注射。
そして、ランニングマシンで、早足歩きをさせられます。
なかなか異常が出てこなかったので、「もうちょっと早くしてみようか「もうちょっと早くするよ」とどんどんマシンの速さが早くなります。もう、どうにも早足では大変になって、ちょっとジョギングっぽく、走り始めたら、「ああ、だめだめ、歩いてい歩いて・・・」


いやあ、もうほんとにそれはそれはしんどかったです。


そして、しばらく待って、落ち着いたところで、
ドーナツ型の機械に入れられて画像をとられました。
心臓の3D写真をとったんでしょうねえ。


間をあけて、もう一回写真を撮って終わり。


「なにかあったらすぐ連絡するから」と言われて家に帰りました。


1月号のニュースレター(リンクはPDF)に書いたことはその時のことでした。


その後、何も連絡がなかったので、何もなかったんだなあ、と思っていましたが、
今日、ドクターに行って、本当に何も問題がなかったことを確認させていただきました。


「何が痛みの原因かわからないけど、とにかく心臓は大丈夫。」
まあ、多分「気のせい」ってやつでしょうね。
はい、元気です。


クリスマスから新年にかけて、無理のない動きをしていましたが、
丁寧に隅々まで検査していただいて、問題ない、と太鼓判を押されて、
安心して、日本で動くことが出来そうです。


でも、この1ヶ月で学ばされたこと、
本当に大きなことでした。
主が与えてくださっている使命に忠実に歩む者でありますように。

さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書8:23−34。


「神の子よ、いったい私たちに何をしようというのです。」29節。
「そして、イエスに会うと、どうかこの地方を立ち去ってくださいと願った。」34節。

イエスが来られることを嫌がる人々がいる。
イエスに何かをされるのを恐れる人がいる。

どうしてなんだろうと思いながら、
まてよ、でも、自分の中にはそんな部分はひとつもないか?
ということを思わされた。

自分の心の部屋の中には、
イエス様に来られることから逃げようとしている部分はないか、
あなたはすべてのすべての部分で、イエスを歓迎しているか?
そんなことを問われた。

心のなかにある全てを主の前に持ちだそうと思った。
すべてを主の光に照らしていただこうと思った。

主よ、
あなたの前に私の全てを持ちだします。
あなたを迎えます。
あなたが私の生活のすべての側面を支配してくださいますように。

2010-01-17

新しい道。

日本の予定、教会のHPのトップに入れておきました。
お問い合わせは、プロフィールのページからEmailで。


夜の11時になりました。
今日2回目の更新。


外は小雨。
と書いたところで、
屋根に当たる雨の音が聞こえてきた。
レーダーにもあまりハッキリ映っていないんだけど、
雨が本降りになってきたようです。


今日の聖書。
今日はマタイ8:14−22。


「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」17節。

今日はちょっと恐れを感じながら、
自分でメモしたことをそのまま書きます。

「私に今まで大きな病、家族に大きな病が与えられなくて、健康が与えられてきたのには、主の意図があった。主のお考えがあったからなのだ。私にとって病の方々と向きあうということはどういう事なんだろうか?どういう使命が与えられているのだろうか?」

この背景には、自分が牧師として、
そのような病の問題を自分の問題として、経験したことがあまりに少ないことが、ハンディのように感じることがあるからです。
人は、いろんな経験の中で、
特に痛みの経験の中で訓練され、整えられ、
また人の痛みのわかる存在になっていく、
そのように思わされてきました。

だから、自分が健康であることを、
素直に受け入れられないでいた部分があったのです。

ですから、今朝、「そこには神の意図があった」と気がつかされたことは、
自分の今までの歩みを肯定的に受け取ることができたことは、
とても良かったと思います。

そして、今日の礼拝後の交わりの中で、
ある方が言われていたことがまた、心に留まりました。

「自分が周りの人に相談したときに、多くの人は、自分の経験を土台にして、いろいろアドバイスしてくれる。もっと過酷な経験をしている人は『そんなのたいしたことじゃないよ』と言ってくれたりする。でも、牧師は、自分の経験でアドバイスをしない、経験を超えた、ちがった基準、聖書という基準によってアドバイスをする。そういう存在が自分には必要なんだ」そんな意味のことを(含自分の解釈)言われました。

「新しい道」が開かれたように感じました。

牧師の歩みの中で当たり前の事なのかもしれません。

でも、自分はあまりに自分の人間としての経験の貧しさに、こだわっていて、その当たり前のことが見えなくなっていたのだと思います。

「あなたの弱いところに私の力が現れる」と言われた主のみ言葉をも信頼して、「自分の経験の貧しさ」にも神様の力が注がれる、と信頼して、主の与えてくださった使命を果たさせていただきたい、そのように思わされました。

主よ、
今日の御言葉に感謝します。
どうか、あなたのことを指し示す器にならせてください。
私のうちにおられる宝物である、あなたの輝きが、
あなたの慰めが、私のうちから輝きますように、
私のうちから、溢れ流れますように。

生かされているということ。

今日は午後から雨でした。
礼拝中は音を立ててふるほどでしたが、
今はずいぶん収まっているようです。


気温も6時頃に帰宅してから、
ずっと3度前後で変わらないですし、
雪になることはないかもしれませんね。


17日は阪神大震災の15周年。
そして、礼拝のメッセージでも、
ハイチの地震でも、
そして個人的な出来事の中でも、
生かされていることの意味を考えさせられる週末でした。


天災や、戦争、テロ、事故、そして病。
亡くなる方々もたくさんおられる中で、
自分は、今日もまた当たり前のように目が覚めて、
生かされて、守られて、夜を迎えようとしている。


そこには、やはり意味があるんだろうと思います。


自分が此処におかれている、神様の意図が。


それを求めながら、探りながら、一つ一つの出会いに感謝しながら、
歩みたいと思わされました。


さて、昨日、1月16日土曜日の聖書。
昨日はマタイ8:1−13でした。


「ただ、おことばをいただかせてください」8節。

このことば、パワフルですよね。
私たちは、結構実感が欲しい。
実感信仰みたいなものもあります。
「聖霊の働きを感じた」という言葉は、
最近、よく耳にします。

そして、そういうことを感じないとダメなんじゃないかと、
思う方々もおられるように感じます。

それがないから、自分の信仰は情熱がないんだなんて・・・。

でも、このイエスをして驚かせた信仰は、
イエスに「こんな信仰を見たことはない」と言わせた信仰は、
「ただ、お言葉をください。それで大丈夫です」という信仰でした。

そう、主が語られる言葉、
いや、もうすでに語られて、聖書に記された言葉、
それだけでも、もう大丈夫なのではないのでしょうか?

それをバカのように、単純に信頼して歩んで行くのでいいのではないでしょうか?自分がどう感じようと、その「実感」を頼るのではなくて、客観的な、聖書の言葉を頼って、それを単純に信じていけばいいのではないでしょうか?

イエスは「見ないで信じる者は幸いである」と言われました。

現代的に言うと、「感じないでも信じる者は幸いである」ということでしょうか?

単純に、聖書の言葉を信頼して、これからも歩んで行こうと思いました。

主よ、
あなたの平安に感謝します。
あなたの与えてくださった平安に感謝します。
どうか、あなたの平安のうちに歩ませてください。
御言葉を信頼します。
それでいいんですね。感謝します。

2010-01-16

生かされて感謝。

今日も一日生かされて、守られて感謝。
夜の11時ですが、今日は更新を明日に委ねて、休みます。
明日の礼拝が祝福されますように。


今はちょうど0度。
でも、明日は雪ではなくて、雨の予報です。

2010-01-15

あったかいよ。

今日は朝は-5度だったのですが、
昼間はなんと10度まで上がりました。
夜の12時になっても、まだプラスの4度もあります。


明日もう一日暖かいと思います。
そして、日曜日は雨か雪。
メインは雨だと思いますが、
雪も混じるかも。


特に夜から月曜日の朝にかけては雪かもしれません。

さて、今日の聖書。
今日はマタイ7:13-29


「岩の上に建てられていたからです」25節。

今日の朝の集会で、
イエスの言葉の土台にあるものは何か、
そのことを考える時があった。

その集会で読んだのは、
「パーティーをするときには、招き返してくれる人ではなくて、招き返せないような人を招きなさい」というイエスの言葉。

その背後には、やはり、神様がまず、私たちを招いてくださった。神様に返礼なんてできない、そんな私たちを神様は招いてくださっている。その恵みへの感謝が土台にある。

確かな土台。
神様の愛と恵みという確かな土台。
自分のがんばりや、
自分の信仰心、
自分の納得、
そして、気持ちの盛り上がり、
自分の実感、
そういうものではなくて、
確かなもの。
確かな神の愛と恵み、そこを土台にするときに、
嵐がやってきても、堅く立っていくことができる。

確かな土台の上に、
人生を建て上げて行くことができますように。

神様、
あなたが与えてくださっている土台に感謝します。
自分が準備する土台はいかにもろく、頼りないか、つくづく思わされます。
どうか、あなたの恵みの御言葉という土台の上に、
あなたの愛の言葉の土台の上に、
わたしの生涯が建て上げることができますように。

良いものをくださる主。

今日は暖かくなりました。
最高気温はなんと5.8度。
日差しも暖かく、ああ、このまま春になるんじゃないか、
と思わせるような一日でした。


でも、夜はやっぱり寒いです。
今は夜の12時で、-2.4度。


明日の朝はやっぱり-5度とかになるんでしょうか?
昼間は10度近くになる、と天気予報は言ってくれているのですが・・・。


さて、今日は早速聖書。
今日の聖書はマタイ7:1−12。


「天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」11節。

主がくださるものはいつもよいもの。
良いものをくださらないことはない。

朝、祈ったときに思わされたことではないのだけれども、
午前中の祈り会で創世記17章のアブラハムがソドムとゴモラのためにとりなす祈りを読んだときに、アブラハムが最後まで、そこに座っていたことに気がついた。主が語ってくださって、語り終えるまで、アブラハムは座っていた、待っていた。

でも、自分はどうだろうかと。
主は良いものを与えようとしておられるのに、
良いものを与えたいと思っているのに、
私たちはそれを手にしなくても、立ち上がってしまう。
もっともっと私たちと語り合い、共に過ごそうと思っておられる主をそこに残して、
立ち上がって、他のことにとりかかる。

主が良いものを与えてくださるまで、そこに佇む、
主が答えを与えてくださるまで、そこに跪く、
そのような祈りのひとときを、そのような、私たちの人生の中で一番の方とのQuality Timeを持たせていただきたい。

主よ、
あなたがわたしのために準備しておられるよいもの、
それを与えられるまで、あなたを待ちます。
わたしに豊かに与えようと準備しておられるあなたをおいて立ち上がってしまうことがありませんように。

2010-01-13

1ドルの温かいオートミール。

今日の朝は寒かったです。
NYの日だったので、きつかった。
NJではいつも車なので、
寒い中、何分も歩くことはないです。
でもNYの人もこんな日は、ちょっと歩いてはお店に入って、
という感じで、長く歩かないそうです。
ですよね。
今日見ていても、スーツを着ている男の人達は、
ほとんど帽子をかぶっていない。
さぶいですよね。


明日は暖かくなる、って信じているんですが、
どうなんでしょう・・・。
今は夜の12時10分前。-2.6度です。結構冷えてきました。

で、そんな感じでNYを歩いていた私の目に飛び込んできたのが、
jamba juiceというフレッシュジュースの店。
色々なフルーツにアレルギーが出てきてしまった私は、
あまり縁がない店だと思っていました。


でも、2−3日前にEmailで入ってきたニュース。
1月13日から2月3日まで、毎週水曜日、Oatmealが1ドルってありました。
寒い中で歩いていて、それを思い出したら、食べないわけにはいきません。
「1ドルだよねえ」とお店の人に声をかけて、頂きました。





それがすごーい、おいしかったです。
スチールカットのOatmeal、もともと好きなのですが、
とても柔らかく煮えていて美味しかったです。
体も温まるし・・・。


いつもは3ドルくらいするみたいですよ。
他に食べている人はいませんでしたが、
注文しようとしているみんなに「これ1ドルだよ。美味しいよ、温まるよ。」と、教えてあげようかと思っちゃいましたよ。


あと3回の水曜日、街を歩いていてjamba juiceの看板を見たら、ぜひ、トライしてみてください。


Paramus では Garden State Plaza
Edgewater では Wholefoods
にあります。


www.jambajuice.com


さて、今日の聖書。
今日はマタイ6:16−34。


「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」31−32節。

私たちが求めるべきものは、
食べるもの、着るもの、ではなくて、
それよりももっと大切なもの。

必要なものは神様がご存知だから、
与えてくださるから
心配するな、と主は言われるのです。

「異邦人は・・・を求める。でも、あなたがたは、神の国と神の義を求めなさい」というのがイエスのポイントだ。

自分はいったい何を求めているだろうか、
せっかく救われて、
せっかく神を信じるものとされて、
それで、私は何を求めているだろうか?

神様ご自身を求めて、
神様と共に歩んで行く幸いを経験させていただこう。

主よ、
どうか、あなたと共に歩む喜びを満たしてください。
他のものに心を支配されてしまうことがありませんように。
あなたで心が一ぱいになりますように。

私たちに必要なもの。

今日の朝の集会にこられたひとりの方が、
「のだめ」にはまっている(これはすごくよく分かる)、といって、こんな話をされていました。


のだめと合わせることを課題に出された千秋は、
のだめのためだと、一生懸命練習に付き合う。
でも、結局最後はのだめによって、自分の中にある大切なものが引き出されてくるんだよねと。


それが面白いのだと。
そして・・・
これは、クリスチャンが神様から課されることなのではないかと。
「誰かのために」と思いながら、始めるひとつひとつのことが、
結局はその誰かのためではなくて、「自分のため」だったのだと。
一つ一つの出会いによって変わっていくのは、私たちに触れた誰かではなくて、
私たち自身なのではないかと。


本当にそうですよね。


神様が与えてくださる出会いの一つ一つにあって、
私たちは、その方々に、神様のことを伝えたいと思う。
私たちは「祝福の基」として、「神様のメッセンジャー」として、
そこにおかれていると思う。


でも、そのことを通して、変えられていくのは、
本当は私たちなんじゃないか。


それが神様の素晴らしい奇跡なんじゃないかと思うのです。


それにしても、のだめはおもしろい。というか、ためになる。


さて、今日の聖書。
今日はマタイ6:1−15。


「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」8節。

そうなんだ。
神様は、私にとって何が必要なのか、
全部ご存知。

だから、試練も与えられるし、
困難も与えられる。

それがなかったら、自分はダメだから、
自分は傲慢になってしまうから、
神様は必要な訓練を与えれる。

だから、祈るというのは、
神様よりも、私たちが私たち自身の必要を知るために必要なんだろうなあ。

だから、しつこく何度も何度も自分の願いを繰り返すことよりも、
「御国がきますように」「御心が天で行われるように、地でも行われますように」なんだろうな。

神様とつながっていく祈りのひととき。
これからも大切にさせていただこう。

主よ、
あなたが待っていてくださること、
あなたが聞いてくださること、
共に歩んでくださることに感謝します。
どうか、あなたの胸の内を私に分かち合ってください。
そして、私があなたの導きに従っていくことができますように。
あなたのみ声を聞き逃すことがありませんように。

2010-01-12

わくわくとぶるぶる。

寒いですねえ。
日本も寒いみたいですが。
今、夜の12時で-5.5度です。


でも、NJはこれから週末にかけて、
ちょっと寒さが緩みます。
40度(華氏で・・・摂氏は5度)を超える日もあると思います。
はい、これが第一のわくわく。


今日の朝、ハジはアトランタに戻っていきました。
つい、何日か前に、読んだ「小さないのちを守る会」の水谷先生の文章。


命と性の日記1月10日号


本当に私自身にとっても課題だと思いました。
牧師としても、親としても、
一人ひとりが神様につながって、神様から答えをもらって、
歩んでいくことを本気で求めているだろうか?


でも、本当に一人ひとりが神様に取り扱われて、神様から答えをもらって歩んでいくのを見せていただくのはわくわくすることですね。これが2つ目。


そして、今も何人かの日本の方々と電話でお話をしたり、メールをやり取りしたり、してますが、本当にわくわくしてきました。神様は今年はどんな素晴らしいことを見せてくださるでしょうか?これが3つ目。


そして、今朝から、あの元旦に与えられた、「あなたは祝福の基となる」という言葉がもう一度心に響いてきています。私もそうだし、教会の一人ひとりが祝福の基として、このNJの日本語を使う人々の社会に遣わされている。その神様の祝福に心からわくわく。です。


さて、2日分たまってしまいましたね。
まず、昨日、1月11日の聖書。
マタイ5:33−48。


「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。」46節。

いやあ、これはまたチャレンジですね。
自分によくしてくれる人、信頼してくれる人、愛してくれる人、
支えてくれる人、を愛するのはたやすい。
でも、そうではない人を愛するなんて・・・、これは半端なもんではありません。

聖書の基準、イエス様の基準の高さを感じさせられます。

だから、これは自分の力ではどうにもならない。
ただただ、イエスの愛によって、聖霊様の力によって、
そのような愛を与えていただきたいと思います。

多分、イエスがこのように言ってくださらなかったら、
自分も、当たり前のように、「そっちがその気なら、こっちはこの気だ!」となっている人間です。

ですから、ただ、このようにチャレンジを与えてくださった主の恵みと、助けを求めます。チャレンジしてくださった方が、それを行う力をも与えてくださると信じます。

主よ、
私には愛がありません。
自分によくしてくれる人にしか、愛することができない自分がいます。
なんてちっぽけな人間なんだろうかと思います。
どうか、あなたの愛を与えてください。
愛することを教えてください。



ぼちぼち。

今日はハジが大学に戻る前の最後の夜だったので、
ちょっとゆっくり食事をして、いろいろ準備をして、
遅くなりました。

ですから、まあ、更新はまた明日。
ぼちぼちやりましょう。

明日の一日に影響が出ないように休みます。

あ、東京、初雪みたいですね。
というか、「みぞれ」だそうですが。
「みぞれ」でも「初雪」。
あと2週間くらいしたら日本なので、
その頃には日本の寒波もすっかり緩んでいますように!!

2010-01-11

懲りてない。

日付変わっちゃいました。
月曜日の午前1時ですが、
昨日の朝は−11.5度でした!
いやあ、寒かったです。
昼間もあまり上がらなかったと思います。


今は−7.7度。
どうでしょうかね。
朝の気温は昨日ほど下がるでしょうか?


明日はちょっと気温が上がって、プラスになると思います。


さて、土曜日の続きなんですが、
土曜日、OHPのランプが切れたので交換していました。
セットして、コンセントをつないで、
スイッチを入れようと思ったのですが、
そのスイッチが上蓋についていたので、
その上蓋を本体にはめるのが面倒で、
ついつい、そこにあったはさみ(金属)で、
スイッチをつないで、つくかどうかチェックしました。


そしたら、ものすごい明るい光で電球が光ったと思ったら、
ばちっと切れてしまいました。


後で考えたら、ちょっと危ないことをしていたかなあ、という感じ。
ほんと、風車事件で「もう絶対やらない」と思っていたのに、
全然懲りてない・・・。


あちゃあ、電球一発でダメにしてしまった!
と責任を感じて、もう一個探して、買ってきて、
昨日の朝、トライ。
今回は注意深く、絶対にミスはしないぞ!
と、素手で触れないように注意しながら、セットして、
上蓋をしっかりはめて、
そして、スイッチオン。


でも、今度も一瞬で切れてしまいました。


可能性は2つあります。
1)もともと壊れていた。
2)一回目にはさみでスイッチをつないだときに、大切な部品をダメにしてしまった。・・・コッチのほうが責任が大きい。


で、多分、じぶんに都合がいいように、前者だと思っていますが、
後者だったら、大切な教会の備品を壊しちゃいましたねえ。
でも、2)だったら、つかないんじゃないか、つかなかったら電球も無駄にならなかったのにねえ、でも、やっぱり1)なんだろうなあ。


でも、つくづく、「子供の頃から何も変わっていない」と思いました。
やっぱり、どんなに怖い思いをしても、
時間がたつと、やっぱり同じようなことをくりかえすんだなあと。


気をつけようと思いました。


さて、昨日、日曜日の聖書。
マタイ5:21−32。


「しかし、わたしはあなたがたに言います。誰でも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」28節。

これは、ポルノとかへの戒めとしてとられてきました。
ポルノは人格を否定している関係だから問題だ、と、そういう説明を聞いてきました。

確かに、続くイエスの言葉は、「あなたの目が罪を犯させるならば」とありますから、そういうことなのかもしれません。

でも、若いときに、John Whiteという人が書いた本の中に、「写真の中で一糸纏わぬ姿でなまめかしい視線を送る人や、ビーチの美女の姿からの誘惑よりも問題なのは、隣人の妻からの誘惑だ」と書いていたのを読んで、「そんなもんなんだ・・・」と思った覚えがありますが、最近、本当にそうだなあと思います。(あ、別にそういう誘惑で悩んでいるということではないですよ、念のため・・・)
ここでイエスがどのようなことを言いたかったのかは別としても、
本当に私たちにとって大きな問題は、ピンナップの中の女性の裸に心ひかれることよりも、妻以外の生身の女性と生きた心と心が絡み合っていくことです。生きた人格があるが故に、そちらの方がずっと危険であり、ずっと大きな罪、ずっと深刻な誘惑なんだと思わされます。

自分は大丈夫、だなんて思わないで注意していくこと、気をつけていくことの大切さを思わされます。そのような状況を作らないこと、本当に大切です。

この件に関しては、どうしてもわたしは律法的になってしまうのですが、自分に対してはそれでいいのだと思わされています。自分に対して、このことについては厳しすぎるということはない、そう思います。もう一度主から戒めを頂きました。

主よ、
わたしが身を清く守っていくことができますように。
そして、身だけではなくて、心も清く保っていくことができますように。
主よ、守ってください。いつもいつも御言葉によって支えてください。

2010-01-10

好奇心もほどほどに。

今日は寒かったです。
朝は−8度台だったと思います。
そして、今、夜の12時前ですが、
−9度です。


明日の朝はマイナス二桁です。


でも、ほんと、今回の寒気の底です。
これからはちょっと冷え込みの緩む日も出てきそうです。


昨日のGizmodo.jpで、こんな記事を見ました。


豆電球をコンセントにつなげた男の子の話


でも、自慢じゃないですが、
わたしは、風車をコンセントにつっこんだことがあります。
どっかで書いたような・・・と思って検索したら、
(左のコラムの「サイト内検索」で、このブログの記事を検索出来ます)
ありました。3年あまり前。


2006年11月30日の日記


で、今日それに似たようなことがありました・・・が、
そんなことを礼拝の前の晩に丁寧に書けませんので、
また、明日の夜にでも・・・。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の5:13−20でした。


「もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取り戻されようか。」13節。

主に救われた者は、
主を信じた者は、
そのような者として生きる。

せっかく救われたのだから、
せっかく神の子となったのだから、
そこに生きる。
徹底的に神様の救いに感謝して、
そこに生きる。

それがなにかを「する」事よりも大切なんだろうと思う。
悩みながら、迷いながら、
でも、いつもいつも、主が私たちのために命を捨ててくださったことに、
心から、感謝して、
その主が私たちの人生にいつもいつも最高のことをしてくださるんだと、
信じて、信頼して歩んでいく。
試練があっても、それは、すべて私たちを形作っていくもの。
その試練を通して、わたしたちをご自分に近く作ってくださる主を信頼していきたい。

そのように歩みたい。
徹底的に福音に生きる者でありますように。

主よ、
あなたを信頼して歩ませてください。
半端じゃなく、本気で信頼して歩ませてください。
そして、地の塩として歩ませていただけますように。

2010-01-08

何を喜びとするか?

今朝の雪は予想通りの、
「大したことはないが降った」というパターンでした。
2センチくらい降りましたかね。
一日暖かくて2度くらいあったのですが、
今は夜の10時半で、-6.1度です。
どんどん下がってきています。


明日から明後日がこの寒気の底で、
来週後半はぐっと寒さが緩むみたいです。


さて、今日はここで早速「日々のみことば」から。
今日は「山上の説教」と呼ばれるところに入りました。
マタイ5:1-12。


「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜び踊りなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」11-12節。

ああ、自分は何を喜びとしているだろうか。
「ありもしないこと」を言われて、
喜び踊ったりしているだろうか?

だいたい、ホメられたり、信頼されたり、
そういうときに、喜んでいて、
罵られたり、ありもしないことを言われたときには、
「どうして!?」とそれにとらわれて不安になったり、
怒りにとらわれたりしているのではないだろうか?

本当に主に信頼して、
主が受けた痛みを少しでも分かち合っていただけることを、
喜びとして生きていくことはできないのだろうか?

試練、戦い、悩み、すべて主は負われて、
私たちにその足跡を踏んで歩くようにと言われる。

主の恵みによって捉えられて、
主によって生かされて、
この働きを全うしたい。

その中で、罵られたり、ありもしないことを言われても、
主を信頼して、み苦しみを覚えて、歩んでいこう。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたがすべてを支配しておられます。
それに信頼します。
どうか、私の心をいつもいつも守ってください。

2010-01-07

お天気の歌ここで聴けます!



昨日の沈没を挽回して余りある3回目の更新!

昨年のクリスマスに日本の柏で持たれた、Rainbow Music Japanのコンサートのビデオがアップロードされています。

そのビデオの中にあの「お天気の歌」が入っています。
かきごおり牧師も名前だけ登場します。あと潤さんが「見てますか〜」って昔のテレビ番組みたいな呼びかけもしていますが・・・。(笑)

約2時間のビデオですが、「お天気の歌」は1:05です。

お天気の歌については昨年秋のこの記事参照。
http://njotenki.blogspot.com/2008/09/blog-post_05.html

感謝します。
私の歩みの中にも晴れの日もあれば、雨の日もあります。
嵐の中も歩みました。

でも、たとえ見えていなくても、いつも太陽が輝いているように、
主が確かに私たちと共におられる。
感謝。

私たちの都合と主の語りかけ。

ただいま雪雲がペンシルベニア州を通過中。
でも、天気の面白いのは、
雪雲がそのまま東に動いてくるわけではないこと。


多くの場合、今ペンシルベニア州を通過している雲の原因になっている低気圧は衰弱して、新しくニュージャージーの南東海上に低気圧が発生します。地形の影響のようです。


そして海の方から入ってくる水分を含んだ空気と上空の不安定な状態とが、出会って、新しく雪雲が発達します。


ハッキリ言って、日本の天気よりも、このアメリカ東海岸の天気は予想するのが面白いです。意外なことがたくさん起こります。ですから、明日の朝起きたら、「全然雪なんか降らないじゃん」みたいなことも、「すげー雪だ!」みたいなこともあり得ます。


明日の朝を楽しみに眠りにつきましょう。


さて、今日の聖書。
今日はマタイ4:12−25でした。


「彼らはすぐに網を捨てて従った。」19節。
「彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。」22節。

私たちにはいろいろ自分の都合があります。
「私についてきなさい」とイエスが言われているのに、
いろいろ都合があります。
仕事がある時には、忙しいのが当たり前だったり、
忙しいのが仕事が出来る証みたいだったり、
そんな時代、そんな社会の中で、生きている私たちとって、
ちょっと自分の都合が許さない時があります。

でも、このペテロとアンデレ、ヨハネとヤコブ、
みんな都合があったでしょう。

でも、イエスに声をかけられたときに、
彼らはイエスに従って行った。

もちろん、仕事を一生懸命することも、
主イエスに従う道です。

でも、「信仰によらないことは罪」と聖書にあります。

主からの使命感を持って仕事をしているならば、
それは幸いなことです。
でも、自分が不本意ながら仕事に振り回されているならば、
それが本当に神様に従っている道なのか、もう一度祈ってみるべきです。
そして、もしも、主に従っていないならば、
自分の都合よりも、主のCallingに従うことです。

私自身の課題です。
いつもいつも、自分の都合や、人々の期待ではなく、
主の語りかけに、聞いていくことができますように。

主よ、
あなたに聞いて歩みます。
あなたのCallingに従って歩ませてください。
自分の都合ではなくて、
あなたのCallingに従う者でありますように。

祈り。

今日は昨日までに比べるとぐっと寒さは緩んだけれども、
それでも、昼間もまだまだ寒い。
3度くらい。
夜の9時になってもまだプラスの0.8度「も」(!)あります。


今夜はこれから雪。
多分大した事はないと思いますが、
明日の朝はちょっと道が滑りやすいかもしれませんね。


昨日からハジはプリンストンの教会の先生や皆さんが主催されるリーダートレーニングに行っています。親のできることが限られているこの頃、このように他の信頼できるクリスチャンの方々が訓練を与えてくださることに、本当に感謝があふれます。幸せ者だと思います。


またクリスチャンとして出発した青年ももうロンドンに戻っています。


こちらも距離がありますから、ここに居るような形での牧会はできません。
だから、本当に祈らされます。
祈りの必要を感じさせられます。


主が若者たちの中にもっともっと豊かに働き、
多くの若者達が神様から力をもらって歩むことができますように。


さて、昨日、1月6日の聖書。
昨日はマタイによる福音書3:13-4:11。


「『人はパンだけで生きる者ではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」4章4節。

私は何によって生きているのだろうか?
本当に神の言葉によって生きているだろうか?

そして、私が語るときに神の言葉を伝え、その言葉によって一人ひとりが生かされているだろうか?

自分が「御言葉がなければ生きていけない」というところに本当に言葉だけではなくて、本当に生かされているだろうか?

その真剣さの中で、神の言葉を伝えているだろうか?

いろんなことを思わされた。
そして、メモ欄に一言。
「休みが必要」と書かれている。

主のもとにやすらぐこと。
主のもとで休みをいただいて、
力をいただいて立ち上がること、
イエスの足元に座って御言葉を聞いていた、
あのベタニヤのマリヤのように、
主のもとに休むことが今の自分には必要だと思わされた。

主よ、
あなたの御言葉によって生きること、
御言葉によって生かされること、
どういう事なのか、自分の経験として知ることができますように。
私自身が御言葉によって生きることによって、
周りの人々が御言葉によって生きることを知ることができますように。

2010-01-06

言い訳はしないけど、沈没はします。

はい、今年初沈没です。
日本訪問の予定を着々と進めています。
どうしてもこちら時間の夜に電話をすることが多くなるので、
どうしても、こちらのアップが難しくなります。

え、これって沈没の言い訳でしょうか?

確定したものから、順次お知らせしていきます。

教会のHPのトップ、
www.jccofnj.org
をご訪問ください。

では、また明日!

言い訳しない。

今日も寒いです。
夏に「あつい」って言いたくないけど暑い、っていう気持ちになることがありますが、それに近いものがあります。もう言いたくないですが、「寒い」です。
いえ、気温が低いというより、(朝が氷点下10度が珍しい訳ではないですから・・・)息をつく暇がないというか、「今日はあったかいよねえ」という日がなくて、ずっと寒い、そんな寒さに疲れ始めています。
でも、まだ、こんなもんでめげてはいけないんでしょうね。
金曜日からはまたぐっと冷え込みそうです。


金曜日の雪ですが、
降りそうですが、大したことはなさそうです。
今のところ・・・。
今、夜の12時で 3.6度。
最近の夜の中では、冷え込みの弱い方です。


さて、今日であった言葉の中で、心に残った言葉。
「言い訳はするな」。
言い訳、自己弁護、それって自分で言っていて「ああ、これは自己弁護だよな」とわかるし、言われている方もわかる。


アダムが罪を犯したときに、
神様に対して最初にしたのが、
責任転嫁であり、自己弁護だった。


そして、自己弁護は、自分がしているときに感じるよりも、
聞いている方からすると、ずっとずっと、すごい、醜い。
これによって自分の事情を相手がわかってくれるようにと自己弁護をするのだけれども、それによって「そうだったのかあ」と思われることよりも、「何を自己弁護をしているんだろうか?」と思われることの方が多い。


自己弁護はやめよう。自己弁護によって勝ち取れる信頼はない。ただ、忠実に歩んで行こう。誠実に歩んで行こう。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書3:1-12。


「さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところに出て行き、自分の罪を告白して・・・」5-6節。

ここで、神の言葉を語ったヨハネのところには、
人々が集まってきていた。
ヨハネは人々のところに入って行って、
なんとか自分のメッセージを聞いてもらおうと一生懸命に準備して、
語った訳ではなかった、

彼の厳しいメッセージを人々は聞きにきていた。

彼が人々におもねることはなく、
人々が彼のところに集まってきていたのだ。

伝道の何たるかについて考えさせられる。
ヨハネはストレートに神の言葉を語った。
それは「受け入れやすい」メッセージではない。
反対に頭にくるメッセージだった。
でも、その彼のところに人々が救いを求めてやってきていた。

私はどうだろうかと思わされた。
人におもねることをしていないだろうか?
ただ、ただ、神様の御言葉を語ることの集中しているだろうか?

主よ、
NJ日本語キリスト教会を祝福してください。
あなたを信頼して歩ませてください。
人々の耳に心地よい言葉ではなくて、
確かな神の言葉を語らせてください。
人々に聞くことよりも、
あなたに聞くことの方を、
大切にする者でありますように。



2010-01-04

ドラマ。

今日も寒かったです。
もう、今夜も11時で−7度くらいまで下がってきています。
でも、今週末からはもっと寒くなるみたいで、
「もう十分!」って気分です。


金曜日の雪はまたまた「わかりません」状態です。
今日がまだ月曜日ですからね。


今日は朝から、フィラデルフィアでもたれた
地区の日本語教会の牧師会。
片道2時間たっぷり。
フィラの先生方は、こちらの方で牧師会をするときには、
いつもこれだけの時間をかけて来られるのか、
と、ちょっと驚き。
いつも払ってくださっている犠牲に感謝。


ほんと、あちらの方の先生方はとても情熱的です。
その情熱にいつも励まされています。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書2章13−23節でした。


「立って、幼子とその母とを連れ、エジプトに逃げなさい。」13節。

イエスはみ使いのヨセフへのお告げによって、
エジプトに逃げる事ができました。
でも、ヘロデ王はその地域の赤ん坊たちを皆殺しにしてしまいました。

聖書の本流の読み方ではないのでしょうが、
やはり、一人の人間として、他の赤ん坊たちには、
どうして神様は警告をしてくださらなかったんだろうか、
と思います。
他の赤ん坊たちは神様はどうして助けてくださらなかったんだろうか、と。

でも、そのような疑問は私たちの人生の中でたくさんありますよね。
どうして、私が? 
どうして、彼が?
どうして、私が生きていて、彼が亡くなったんだろうか?
そんな問い、私たちの人生の中で、何度訴えてきたでしょうか?

答えはありません。
わかりません。
ただ、主のみ思いの中にある事です。

でも、そんな中で、私たちが受け取るべき事は、
やはり、自分は自分に与えられた使命、
自分に与えられた課題、自分に与えられた人生、
それを生きて行くこと、
それが何よりも大切な事だということです。

自分のドラマを生きる。

そこに私たちは招かれているのだと思います。

でも、それとともに、やはりこれからも
同じ問いを問いながら生きて行くのだと思います。
他の人々のドラマにも寄り添う気持ちを持ちながら。

主よ、
私は私に与えられた使命を生きて行きます。
確かに、いつもいつも、自分はここで何をすべきか、どう応えるべきか、
それを第一に問うて歩んで行きます。


でも、主よ、
やはり他の人々の事に無関心である事はできません。
そこに寄り添う気持ちが生まれてきます。
私にはわからない事が多すぎます。
ですから、主よ、助けてください。
あなたが私の人生に寄り添ってくださったように、
私も歩む事ができますように。

2010-01-03

撒く者も、刈る者も共に喜ぶために。

今朝は寒かったです。
でも、−10度は行かなかったみたいですが。
今、夜の11時過ぎですが、−7度。


また寒い夜です。


ここ数日曇りがちの日が続きましたが、
今週は晴れるようです。


今週のWeather Eventは金曜日です。
南部の方でも雪の可能性があります。
問題はその雪がどこまで北にあがってくるか、
また今週もお天気から目が離せません!


今日の礼拝では洗礼式がありました。





元旦に信仰告白に導かれた兄弟です。
ご両親のおられるNJに帰省中で、
帰省されるたびに個人的にいろいろなお話をしてきました。


今回、本当に心を探られる経験をされて、
信仰へと導かれました。
ロンドンで信仰生活を送られるのですが、
これからの歩みのために祈らされます。


ちょうど、そんな喜びの中にある私のところに、
一人の姉妹からメールをいただきました。


10年前に私のところに私のところにお便りを下さった方だそうです。
申し訳ないのですが、名前にわずかに見覚えがある程度の記憶しかありません。
私がお返事を差し上げて、そして、その中で神様を求める歩みを続けられて、
10年経った、昨年のクリスマスに洗礼を受けられた、という内容でした。


本当にうれしいご連絡でした。


「すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」ヨハネ4章36−38節。



この言葉を信じてきました。
信じる事っていうのは、本当にそのようなことが実現したと見えてこなくても、信じる事ですよね。だから、今回のメールをいただかなくても、「神様はこのように用いてくださる」と信じることは本当に大切だと思います。でも、今回、このメールをいただいて、本当にそういうことが起こっているんだ、という事実を見せていただいて、本当に励まされました。


今回の洗礼式のためにも、多くの「撒く者」がおられたこと思います。共に喜ばせていただけますように。そして、「他の人が苦労したものを刈り取らせていただいた」ことを忘れることがありませんように。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書2章1-12節。


「そして、宝の箱を開けて・・・」11節。

博士たちの宝の箱の中には、
もちろん、宝物がはいっていました。
宝物は、博士たちにとって、とても大切なものだったでしょう。

私たちの心にも宝の箱があるのではないでしょうか?
そして、そこにはとても大切なものが、大切に大切に
しまわれているのです。

私もそうです。
大切なものがあります。
「こだわり」のようなもの。
自分の「使命」だと思っているもの。
家族、子供たち・・・。

でも、主の前に出るときに、
神様を礼拝するときに、
その宝の箱を開けて、そこにはいっているものを、
主のもとに持って行くのです。

そこには喜びがあります。
しかし、そこには痛みもあります。
だから、意味があるんでしょうね。
痛みがない、宝物ではないものを、
使い古しや、いらなくなったもの、
十分遊んで、飽きてしまったゲームみたいなもの、
そのようなものを主のもとに持って行って、
これが礼拝、ではないでしょう。

私の中の宝の箱には何が入っているのでしょう。
それを主の御手にゆだねる勇気と、喜びと、信仰が与えられますように。

主よ、
あなたのもとに何を持って行きましょうか。
あなたに何をおささげしましょうか。
私の宝の箱を開けます。
私の心の宝の箱を開けてあなたのもとにささげます。
主よ、どうか、私の人生全体を、
あなたの思いのままに導いてください。

2010-01-02

神様からの預かりもの。

今日は朝教会にいくときには雪が降っていました。
まあ、雪自体は小雪が舞った、というだけだったのですが、
寒かったです。
というか、どんどん寒くなってきました。
朝起きたときは−2度くらいでしたが、
今、夜の11時で−9度です。
そして強い風が吹いています。
メイン州とか、北の方はひどい事になっているようです。


明日も引き続き寒くて風の強い日が続きそうです。


さて、昨日かえってきたハジですが、
「あれ、やばいよ」って言うくらい良かったみたいです。


クリスチャンの集まりに行って「あれ、やばい」というのは、
「狂信的で心配」って感じでしたけどね、僕らの頃は・・・。
言葉の使い方も変わったものです。


そのハジの話、特にこれからの自分の生き方をどのように考えているかを聞きながら、
神様に預かったこの子を、主の御手に返す時が来たんだなあ、と思いました。
親の希望とか、主義主張とか、そういうことよりも、
神様の導きを知って、それを聞いて、進んで行く。
そういうところに来たんだと。


もうすぐ19歳になりますが、19年の年月を共に歩めた事を主に感謝しました。


これから、もっともっと祈って行かなければ・・・
と思わされました。


そして、自分の使命も再確認させられました。
自分が牧師になる、と言い出したときに、
やはり牧師だった親はどんな事を思ったんだろうかと、
そんな事も思わされました。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書1章18−25節。


「主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ・・・」24節。

1週間くらい前に読んだところだと思いますが、
また読んでみたときに、思わされたのは、
ヨセフの悩みでした。
ヨセフはもう「決心」していたのです。
もう決めていたのです。
でも、「思いめぐらしていた」とあります。
決めたんだけれども、やはり、いろんな事を考えないでいられなかったのです。
頭にどんな思いが巡り巡っていた事でしょうか?

でも、天の使いが語ったときに、
彼は単純に従いました。
神の語りかけがそれほど大きなものであるという事も言えるでしょうし、
それに応えたヨセフの信仰をも思わされます。

主が語ってくださる事はすばらしい事です。
語られたら、応えないではいられない、という事もあるだろうなあと思います。

でも、聖書の記述を読んでいると、
やはり、神様に語られたのに、そこに従えなかった人々の姿も出てきます。

ですから、やはり、語られる事は大きいでしょうが、
それを聞いたときに、従うことの大切さも思わされます。

本当に主に語っていただきたいし、
語られた事に対して、単純にしたがって行く者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの御言葉を与えてください。
そして、そこに従って行くものとならせてください。

2010-01-01

新年のサプライズ!

今日は朝起きたら、すっかり雪はあがり、
うっすらとつもっていただけだったので、
全く問題はありませんでした。
ハジも無事に帰ってきました。
とてもすばらしい経験をしたみたいで、
聞いていても、いろんな事を思わされて、感動ものだったのですが、
それはまた明日にでも・・・。


今は夜の11時前ですが、2.5度です。
明日からは風が強く寒くなりそうです。
時々にわか雪だそうです。


で、今日は朝の11時から元旦礼拝だったのですが、
本当にたくさんの方々がこられました。
そして、その途中にアメリカの教会ではよくあるのですが、
greeting互いに挨拶を交わす時間があります。
大きな教会では、だいたい、席を離れないで5人くらいの人たちと挨拶、
と言われるのですが、
私たちは大きな130人くらい入る会堂に、
子供を入れて50−70人くらいなので、
みんな席を離れて、歩き回ります。
「ちょっと長い」とか苦情が出るくらいですが、
そんな今日のgreetingの時に、
一人の青年が「Happy New Year!」じゃなくて、
「僕クリスチャンになる決心をしました、どうしたらいいですか?」って聞いてきたんですね。うれしいやら、戸惑うやら・・・。
「本当は今ここで、じゃあ祈ろう、と祈って、『みなさ〜ん、今から洗礼式をします!』と言ってもいいんだろうなあ」と思いながら、でも、「じゃあ、礼拝後に話そう」ということになって、礼拝後に信仰告白の祈りをして、3日の礼拝で洗礼式!という事になりました。


ハレルヤ!


去年は洗礼を受ける方が起こされなかったので、
本当に痛みを感じていました。
でも、主は今年は元旦から、このような方を起こしてくださって、
励ましを与えてくださいました。
天使たちの間でも大きな歓声が上がっている事と思います。
本当に感謝です。


さて、今年最初の聖書。
今日から「日々のみことば」はマタイによる福音書です。
1章1-17節。
いやあ、新年早々、いきなり「系図」ですか・・・


「サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを・・・」5節。

私たちは、旧約聖書のおかげで、
ラハブのストーリーも、ルツのストーリーも知っています。
でも、ここに出てくるたくさんの人々のストーリーは知りません。

でも、彼らにも同じように、大切な大切なストーリーがあった。
そしてその存在によって、この神様の計画が導かれてきた。

それを思っているときに、
私自身のためにも、たくさんの方々の人生があった。
たくさんの方々の人生が流れ込んで、今の自分の人生がある。
そんなことを考えさせられていた。

そんな事を思っているときに、聖書のことばが一つ心に浮かんできた。
「あなたは祝福の基となる」
私たちは、私たちの人生につながってくる多くの人々にとって、
祝福の流れ出す拠点となって行く。
その人々の祝福の流入口になる。

その約束を感謝しました。
そのように歩ませていただける喜びを思わされています。

神様、
あなたが私の人生も導いてくださっている事に感謝します。
与えてくださった、多くの人々の存在に感謝します。
そして、私たちも、神様の祝福の流れ出す器として用いてくださる事に感謝します。
どうか、あなたのすばらしさが周りの人々に伝わって行きますように。

謹賀新年。


アメリカの東海岸も2010年になりました。
今年も雪の中の年越しになりました。

まず、神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
マタイ6:33


今年もどうぞよろしくお願いします。