2010-01-18

与えられたからだ。与えられた使命。

ことの始まりは、去年の10月28日。
1週間の日本でのセミナーから帰ってきて翌日、
NYで過ごしている時でした。
歩いている時に、左胸の痛みを感じたのです。
なんというのでしょうか、締め付けられるような・・・。


早足で歩いている速さを緩めると、ちょっと楽になり、
その痛みは腕に移っていって、楽になっていきました。


そんなことがそれから何回か起こったので、
12月の初めにうけたチェックアップの時に、
お医者さんにその話をしました。


「じゃあ、念のために、心臓のお医者さんを紹介してあげよう」と、
ちょうど同じ建物の廊下を挟んで向かいにあったドクターを紹介されました。
そして、そこに行ったのが、12月の22日。
そこで、血液検査の結果を見たり、いろいろ話をしたりしたのですが、
話が終わって、ドクターが(このドクター、とても頭脳明晰で説明がわかり易い)、
「君には心臓を病むrisk factorはない。高血圧でもないし、コレステロール値は低いし、喫煙もしない、糖尿病もない。しかし、君の話はとてもscary(こわい)だ。だから、検査をしよう。」となって、看護師を一人呼んで、「彼の心臓の検査をASAPで。」というじゃありませんか。「ASAP」とは、as soon as possibleの略で、こちらではよく聞く表現です。


早速、その場でまず心臓の超音波検査をしました。


その時、心臓から血が送り出される音も聞こえてきました。
ジョワー、ジョワーッて感じで。
聞きながら、ああ、ほぼ半世紀、よく頑張ってくれたね。ありがとう。
そんな気持ちになりました。


そして、その日はそれで終わり、事務の方が、一生懸命保険会社と交渉していましたが、「じゃあ、明日、4時間かかるんだけど、9時頃に来てね。」というじゃありませんか。
「いや、明日はダメなんだ、仕事なんだ、NYに行くんだよ」と言ったのですが、
「DoctorはASAPって言ってたでしょう。とにかく明日来なさい」と諭されてしまいました。


予定をいくつか急にキャンセルして、翌日、オフィスに行くと、
まずは放射性同位元素をちょっと注射。
そして、ランニングマシンで、早足歩きをさせられます。
なかなか異常が出てこなかったので、「もうちょっと早くしてみようか「もうちょっと早くするよ」とどんどんマシンの速さが早くなります。もう、どうにも早足では大変になって、ちょっとジョギングっぽく、走り始めたら、「ああ、だめだめ、歩いてい歩いて・・・」


いやあ、もうほんとにそれはそれはしんどかったです。


そして、しばらく待って、落ち着いたところで、
ドーナツ型の機械に入れられて画像をとられました。
心臓の3D写真をとったんでしょうねえ。


間をあけて、もう一回写真を撮って終わり。


「なにかあったらすぐ連絡するから」と言われて家に帰りました。


1月号のニュースレター(リンクはPDF)に書いたことはその時のことでした。


その後、何も連絡がなかったので、何もなかったんだなあ、と思っていましたが、
今日、ドクターに行って、本当に何も問題がなかったことを確認させていただきました。


「何が痛みの原因かわからないけど、とにかく心臓は大丈夫。」
まあ、多分「気のせい」ってやつでしょうね。
はい、元気です。


クリスマスから新年にかけて、無理のない動きをしていましたが、
丁寧に隅々まで検査していただいて、問題ない、と太鼓判を押されて、
安心して、日本で動くことが出来そうです。


でも、この1ヶ月で学ばされたこと、
本当に大きなことでした。
主が与えてくださっている使命に忠実に歩む者でありますように。

さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書8:23−34。


「神の子よ、いったい私たちに何をしようというのです。」29節。
「そして、イエスに会うと、どうかこの地方を立ち去ってくださいと願った。」34節。

イエスが来られることを嫌がる人々がいる。
イエスに何かをされるのを恐れる人がいる。

どうしてなんだろうと思いながら、
まてよ、でも、自分の中にはそんな部分はひとつもないか?
ということを思わされた。

自分の心の部屋の中には、
イエス様に来られることから逃げようとしている部分はないか、
あなたはすべてのすべての部分で、イエスを歓迎しているか?
そんなことを問われた。

心のなかにある全てを主の前に持ちだそうと思った。
すべてを主の光に照らしていただこうと思った。

主よ、
あなたの前に私の全てを持ちだします。
あなたを迎えます。
あなたが私の生活のすべての側面を支配してくださいますように。

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