今日は午後から雨でした。
礼拝中は音を立ててふるほどでしたが、
今はずいぶん収まっているようです。
気温も6時頃に帰宅してから、
ずっと3度前後で変わらないですし、
雪になることはないかもしれませんね。
17日は阪神大震災の15周年。
そして、礼拝のメッセージでも、
ハイチの地震でも、
そして個人的な出来事の中でも、
生かされていることの意味を考えさせられる週末でした。
天災や、戦争、テロ、事故、そして病。
亡くなる方々もたくさんおられる中で、
自分は、今日もまた当たり前のように目が覚めて、
生かされて、守られて、夜を迎えようとしている。
そこには、やはり意味があるんだろうと思います。
自分が此処におかれている、神様の意図が。
それを求めながら、探りながら、一つ一つの出会いに感謝しながら、
歩みたいと思わされました。
さて、昨日、1月16日土曜日の聖書。
昨日はマタイ8:1−13でした。
「ただ、おことばをいただかせてください」8節。
このことば、パワフルですよね。
私たちは、結構実感が欲しい。
実感信仰みたいなものもあります。
「聖霊の働きを感じた」という言葉は、
最近、よく耳にします。
そして、そういうことを感じないとダメなんじゃないかと、
思う方々もおられるように感じます。
それがないから、自分の信仰は情熱がないんだなんて・・・。
でも、このイエスをして驚かせた信仰は、
イエスに「こんな信仰を見たことはない」と言わせた信仰は、
「ただ、お言葉をください。それで大丈夫です」という信仰でした。
そう、主が語られる言葉、
いや、もうすでに語られて、聖書に記された言葉、
それだけでも、もう大丈夫なのではないのでしょうか?
それをバカのように、単純に信頼して歩んで行くのでいいのではないでしょうか?自分がどう感じようと、その「実感」を頼るのではなくて、客観的な、聖書の言葉を頼って、それを単純に信じていけばいいのではないでしょうか?
イエスは「見ないで信じる者は幸いである」と言われました。
現代的に言うと、「感じないでも信じる者は幸いである」ということでしょうか?
単純に、聖書の言葉を信頼して、これからも歩んで行こうと思いました。
主よ、
あなたの平安に感謝します。
あなたの与えてくださった平安に感謝します。
どうか、あなたの平安のうちに歩ませてください。
御言葉を信頼します。
それでいいんですね。感謝します。
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