2008-07-04

Fire Alarm騒動。

3日の朝のことでした。
泊まったところはもちろん朝食付きのところ。
それも、マフィンとシリアルとコーヒー・OJだけじゃなくて、
ちゃんとした朝食が付くところをねらいました。

そして、9時すぎに水族館に行くために、
あわてて朝の食事をしていたのですが、
途中で、ピピピ・ピピピと鳴っています。
私「ありゃ、これは誰かが火事を出したのかな、
しょうがないなあ・・・。」
サキ「サキの学校のfire drill(避難訓練)みたい」
のんち「こんな音で大丈夫なのかしら」
私「あんまり迫力ないねえ、Drew大学の寮の時なんか、
ワオン・ワオンで、すごかったよねえ。でも逃げなくていいのかな」
そして、しばらくして「あ、止まったねえ」なんて話していました。

さらにしばらくしたら、マネージャーらしき方が、つかつかと近寄って声をかけてきました。
「あの、406号室にお泊まりですか?」
私「あ、はい」(ちょっとどきっとする)
マネ「先ほどのfire alarmですが、お持ちのvaporizerが煙探知機の下にあったので鳴ってしまいました。場所をずらしておきましたが、くれぐれもご注意ください」
私「あ、そうでしたか、申し訳ありません。・・・」

んー、vaporizer(加湿器)は持ってきていません。冬じゃあるまいし・・・。
じゃなくて、rice cooker(炊飯器)でした。(爆)

かきごおり家はこのような時にはほぼ毎回炊飯器とお米を持って回り、
朝ご飯を炊いて、昼はおにぎりでランチ代を浮かします。

今回も例外ではなく・・・

お米を洗ってスイッチを入れておいたのでした。

でも、こんなことは一度もなかったのですが、
たまたま、おいたところか悪かったみたいですね。

でももちろん、「vaporizerじゃなくてrice cookerですよ」なんて野暮なことは言いませんでした。
やぶ蛇になっても困るので・・・。


教訓・・・ホテルの部屋でご飯を炊くときは煙探知機の場所を確認してからにする。

さて、2日(水)の聖書。
2日はコリント人への第一の手紙1章17節。
「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」17節。

なんだか、もう一度自分の使命を再確認されました。
もちろん、バプテスマを授けること、
そして、クリスチャンの成長のための道のりを共に歩むことも大切な使命だと思っています。
そして、それをどれだけ自分が願っているかと思います。

でも、それが許されないケースもある。
たとえば、福音を伝えたり、救いへの導きをさせて頂いたり、
そこまでは役割を与えられていながら、洗礼は他の方が授けたり、
教会は他の教会に導かれたりすることもある。

それでも一つの使命を果たしたのだと。
そしてそれを感謝しました。

それが本当に大切な使命の一つなのだと。

これからもこの働きを第一にしていきたい、
福音を伝えることを必死にしていきたいと思いました。

主よ、
私も福音を伝えるために遣わされています。
どうか、福音を伝える者としてください。
そして、その後の洗礼や弟子訓練の道が閉ざされたときにも、
あなたの平安が私の心を満たしますように。
すべてをあなたにゆだねることができますように。

Holinessに招かれている!

先日、JCCNJの礼拝にも来てくださり、
我が家にも滞在してくださったはちこさんとぼぼるさんの教会の牧師さんは、
1週間の個人的なリトリートに行かれたと言うことです。

記事はこちら


そして、それが自分の弱さを認めて、
問題が起こる前に、問題が起こりそうになる前に、
整えるべきものを整えるためだと・・・。

本当に大切な姿勢だと思いました。
このような施設が日本語でもあればと思いますが、
英語でもいいから、このような働きのお世話になりたいと思いました。

牧師研修会を昨年から李先生が企画してくださっていますが、
次回は今年ではなく来年だそうです。

それも牧師がたくさん集まり、
励まし合い、共に祈ることもすばらしいことだと思いますが、
個人的にただ自分と神様との関係を問い、
また夫婦の関係を考える時はとても貴重だと思いました。

でも、実際のところ、そのような働きを利用できるのは、
だいたい、子供が大きくなってからですよね。
本当にそのような働きの必要を切実に感じるのは、
子供が小さいときなんですがね・・・。

何とか今の状況の打開のために、
次の世代の働き人のためにも、
私のできることはないだろうかと、
思わされるこのごろです。

さて、火曜日の聖書。
火曜日は新しく、コリント人への第一の手紙を読み始めました。


「To the church of God in Corinth, to those sanctified in Christ Jesus and called to be holy・・・」2節。

いつも新改訳聖書とNew International Versionの対訳の聖書を読んでいるのですが、今回は特に英語の"called to be holy"のフレーズに心が留まりました。

私たちはきよくなるように招かれたのです。
きよい者となるようにと呼ばれているのです。

救われて、それでいいというのではなく、
救われて、きよい者となるようにと招かれている。
そのことが今回は決して重荷ではなく、
わくわくするような、
楽しみになるようなこととして受け止めることができています。

主は私たちをきよくしようとされている。
そのためにいろんなことを与えてくださっている。
それに心から感謝します。

主よ、
あなたの招きに感謝します。
あなたが私をholinessに招いてくださっていることに、
心から感謝します。
どうか、あなたの思いのままに、私をきよめてください。

海に癒される。

3日の敵地は暑い一日でした。
そして夕方には激しい雷雨。

NYは雷雨は免れているようですね。
でも試合の間1回くらいは雨にやられるのでは・・・と思いましたが、
結局大丈夫だったみたいですね。
でも、結果は完敗だったみたいで・・・。

今日は「鯨見物」に行ってきました。
水族館から高速船に乗って1時間あまり。
沖合の鯨が夏を過ごすポイントまで行って、
そこで30分あまり鯨見物。
結構たくさん集まっていました。
あっちこっちで潮を吹いて、顔を出したり、尾を出したり・・・。

なかなか楽しかったです。

でも、向こうの方に見える船の前では、
鯨が全身ジャンプを2回していました。
まるでテレビや写真で見るような見事なジャンプ。
これはホントうらやましかったです。

でもいずれにせよ、行ってよかった!という経験でした。


今回わかったのですが、
私はかなり海が好きみたいです。
船に乗っているとき、
港の桟橋を歩いているとき、
本当に心がリフレッシュされるのを感じました。


元気をもらいました。


さて、月曜日の聖書。
6月の最後の日はサムエル記第一の最後。31章でした。

「サウルは、道具持ちに言った。『おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。』しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。」4節。


サウルは最後まで自分の運命を自分で何とかしようとしたのです。
すべてが神の御手の中にあることを認めようとしないで、
ぺりして人になぶり者にされるのを恐れて、
自ら命を絶ったのです。

自分もどれだけ、自分のこれからのことを、
自分の手の中に納めようとすることが多いかと思わされます。
そんなことをはあり得ないのに、
何とか自分の手の中に納めようとするのです。

本気で主を信頼して、
本気で主がなされることを最高のこととして、
受け入れて歩んでいく者でありたいと思いました。

主よ、
あなたの御手を信頼します。
あなたがいつも最高のことをしてくださることを信頼します。
どうかその気持ちが揺るがないように守ってください。
どこまでもあなたを信頼して歩む者としてください。

敵地視察。

結局一回も更新できませんでしたが、
ネットにつなげられないだけで、
原稿はあるので一気に更新。


3日から宿敵がNYに乗り込んでくるにあたって、
2日から敵地視察に行ってきました。


午後3時半頃には投宿。予定ではもっと早く着くつもりでしたが、
途中大事故があって大渋滞で、1時間くらい余計にかかりました。
たくさんベコベコになった車があって、
大変だなあと思いました。
中にはやはりせっかく休暇を取って来られている方もおられたでしょう。
またその先にはソファーが道の真ん中に落ちていました。

気をつけなければいけないなあ、と思います。

今回ちょっと郊外のホテルがクレジットカードのポイントのプロモーションで取れたので、
ただで泊まって、途中まで車で行って安く駐車。
そこから電車で市の中心地に入りました。

とてもきれいな町並み。
そして、港。
今から10年以上前に、
Cape Codにキャンプをしたときにちょっと寄っただけだったのですが、
そのときはあちらこちら工事中でやたらごみごみしていて、
やたら駐車料金が高かった思い出があるのですが、
今回は一発で好きになってしまいました。

やばいかも・・・。

Quincy Marketでクラムチャウダーを食べ、
港までぶらぶら歩き、すっかり観光客をしてしまいました。

さて、今日は日曜日の聖書。
日曜日はサムエル記第一30:21-31でした。

「兄弟たちよ。【主】が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
・・・戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」23-24節。


主によって与えられたモノを分かち合う心。
その大切さを思わされました。
神様から与えられたのだから・・・。

私たちはすぐ「自分で稼いだのだから・・・」
「自分でがんばったのだから・・・」と思ってしまうんですね。

でも、本当はそうではない。
神様が与えてくださった。
神様が託してくださった。

そう思うと、分かち合うことができる。
もっともっと気楽に分かち合うことができる。

「受けるよりも与える方が幸い」

もっともっとこのことを経験させていただきたいなあと思います。

主よ、
あなたがいつもいつも必要を与えてくださっていることに感謝します。
どうか、あなたの与えてくださったモノを
もっともっと喜んで与えることを経験させてください。
分かち合う喜びを与えてください。

2008-07-01

主によって奮い立つ。

今、夜の11時前。
なんだか、さわやかな風が入ってくるようになりました。
気温は順調に下がってきています。
今、外は22度。熱帯夜だとこの時間でも30度くらいありますからね。
助かります。
明日の朝は15度くらいまで下がって、気持ちのいい朝になりそうです。
さて、今日2回目の更新。
これは土曜日(6月28日)の聖書。
「日々のみことば」は実は今日から新約聖書、コリント人への第一の手紙に入りました。
忘れないうちに・・・と思います。今日は私は英語のNIVのcalled to be holyが心にとまりました。
詳しくは次の次の次の更新で・・・。

さて、土曜日はサムエル記第一30:1-20。

「しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」6節。

落ち込んで泣き、嘆いていたダビデとその部下たち。
でも、ダビデはいつまでもいつまでも嘆いていたのではありませんでした。
決して嘆くことが悪いことではないでしょう。
でも、ダビデはある時点で神様から力をいただいて立ち上がったのです。

神様の励ましをいただいて、
神様の癒しをいただいて、
神様のおしかりをいただいて、
立ち上がることがどれほど私たちにとって力になるでしょうか?

私自身、賛美を歌いながら、立ち上がる経験を何度したことでしょうか?
賛美の中で、語られて、奮い立たせられて、
立ち上がったこと、どれだけあったことかと思います。

みことばによって立ち上がったことも何度もありました。

人の言葉もありがたいモノです。
でも、私自身のことを言うと、
人の言葉で考えさせられたことがあったり、
慰められたことがあったり、
存在自体に励まされたり、
絶対人の存在は必要なんですが、
でも、最終的に「奮い立たせられる」となると、
これはもう聖霊様の働きしかない、
神様が賛美やみことばや祈りの中で語ってくださる、
それしかないなあと思います。

主によって奮い立たせられる、
その経験をもっともっとさせていただきたいです。

主よ、
みことばによって、立たせてください。
賛美の中に語ってください。
聖霊様によって奮い立たせてください。
どうか、あなたの力を経験させてください。

一日が早い・・・。

明日から休暇をいただいていて、
July 4thまで3連休なので、
(ふつうの方は金土日と何もしなくても三連休なんですね・・・)
今日のうちに追いついておこうと思っていたのですが、
あっという間に一日が終わってしまいました。


7月の説教計画を準備していたり、
弟子訓練のテキストを翻訳していたり、
日曜日の説教の準備も・・・と思っていたのですが、
手つかずです。

休み中にちょこちょこ準備していこうと思います。


更新もできる範囲でやっていこうと思います。


夕方、日が傾いてから庭掃除。
ハジに芝刈りと生け垣の刈り込みどっちがいい?と聞いて、
芝刈りを取られたので、刈り込みをしていました。
全然終わらないうちに8時。


ま、それだけ充実していたということで・・・。


天気は暑かったです。
でも、湿度はちょっと下がったかな。


今のdew pointは61度。昨日よりちょっとだけ下がりました。


さて、先週の中高生のキャンプですが、
私自身もいろいろなことを語られました。


今回は講師の李先生がヨセフの生涯から語ってくださいました。
ヨセフは17歳で兄弟たちに売られてエジプトの奴隷となります。
でも、そこで本当に忠実に働いて、
主人に認められます。


でも、彼がいい男だったので、
主人の妻は彼に言い寄ります。
でも彼は断固として拒否。
ある日、二人きりになったときに、強引に彼女は彼に言い寄りますが、
彼に拒否されて、捕まえていた上着を証拠に、
「ヨセフに襲われそうになった」と嘘をつくのです。

ひどいぬれぎぬです。

自分がそんなぬれぎぬを着せられたらどんな気持ちがするだろうか、
どんなに悔しい思いがするだろうかと思います。

その手のぬれぎぬは決して着せられないようにと

細心の注意を払ってきたつもりです。
それと、自分の弱さの中で守られるためにも・・・。


ヨセフもそうだったんだろうと思います。
でも、それでも、着せられた濡れ衣。


主人にもわかってもらえなくて、
今までまじめにやってきたのに、信頼してもらえないのかと、
どんな悔しい思いがしただろうかと思います。


でも、ヨセフは人生を投げなかった。
嘆いて過ごさなかった。


ただ、主の前に真実に歩んだ。


そのような歩みをする者でありたいと思いました。

さて、金曜日(6/27)の聖書。
サムエル記第一29:1-11でした。

「私が何をしたというのでしょうか。」8節。

ダビデはこのとき、嘘をついていました。
うそをついていると、その嘘がばれないように、
また次の嘘をつくようになります。

本当にここのダビデの行動は納得いかないモノがあります。
でも、おそらくそれは自分がダビデを理想化しているのだと思います。

自分がこの状況に置かれたら、
どうだろうかと思うときに、
果たして自分はダビデを批判できるだろうかと思います。

真実に生きたいと思います。
嘘に嘘を重ねるような歩みではなく、
真実な歩みをさせていただきたいです。

主よ、
私の歩みをお守りください。
あなたの前に、また人の前に、
真実な歩みをさせてください。
真実に歩むことができるように、
私の歩みを守ってください。

2008-06-30

音楽の力。

今日も昨日ほどではなかったですが、
まだ蒸し暑かったですね。

この時期暑さをはかるために、
気温の高さと共に大切なのが、
dew pointです。
日本語では露点といいますが、
つまり今の空気を冷やしていった時に結露する気温。
それが空気中の水蒸気量をはかるスケールになります。



昨日の朝はラジオで言っていたのが72度F。
つまり、23度くらいで結露してしまいます。
単純に言ってしまって、
昨日の朝の空気を23度まで冷やすと霧が出るということ。


これはかなり水蒸気量が多い。


今は62度です。

まあまあです。


明日も今日と同じような天気。
ちょっと暑く感じるでしょう。


さて、昨日のHongo Familyをお迎えしてのコンサート。
本当にすばらしかったです。
Mr. Hongoの音楽の才能はまたすばらしいのですが、
それだけのことを超えている人を動かす力があります。


奥様もとても楽しい方。
息子さんはアメリカのトップ3と言われる大学全部から入学許可をもらった
天才児ですが、そんなことは言われなかったら全然そんなことわからない、
穏やかな、楽しい、暖かい、息子さんです。


ホント、私は確信するのですが、
音楽は人の心動かす力があるのですが、
単に整った音楽がそうなのではなくて、
人格に結びついて、その内面から流れ出るモノが人を動かすんだと。


だから、思いきっていってしまうと、
音楽は「手段」なんでしょうね。

その人の内側にあるモノを、周りの人に伝える「手段」。
そしてそこには、言葉が持っている力、アートが持っている力とは、
また違う力がある。


昨日のコンサートは本当にその力を感じた一時でした。

さて、先週木曜日、6月26日の聖書。
聖書箇所はサムエル記第一28章3-25節。


「サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。」 5節 。

サウルは何度も勝利を得ていたのに、
このとき、恐れにとらえられていた。 
それは状況の厳しさ以上に、
神様との関係であったと思う。
そして、神との関係を失ってしまったサウルが頼るのは、
霊媒であり、死んでしまったサムエルの霊だった。


昨日のコンサートでも語られていたのだけれども、
私たちの問題が大きいと感じるとき、
神様が小さく見えてしまうことがある。

でも、本当はそんなことはない。
神様はこの世のどんな問題よりも大きな方。


問題の中でも、そして、問題に出会う前にも、
神様と共に歩んでいく、
神様との関係の中に歩んでいく、
その大切さを思わされる。

主よ、
この世の中にはあなたよりも大きな問題はありません。
でも、私たちはあなたにもどうにもならない問題があるかのように
勘違いしてしまいます。
どうか、あなたの関係の中で、
あなたが共にいてくださる、という平安の中で歩む者としてください。

2008-06-29

晴れましたねえ。

今日はちゃんと晴れました。
野外礼拝もばっちりでした。
子供を入れて100人以上の方々が集まって、
楽しい一時を持ちました。


でも、午後には雨。

私はちょうど夕方からのコンサートのゲストを
迎えに行っていたので、お迎えに行ったJersey Cityで降られて、
ちょうど、お乗せしているときが、

雹混じりの滝のような雨でした。

それから20分後くらいだと思いますが、
野外礼拝の公園も雨にやられました。


野外礼拝の写真はこちらですが、
その最後に雨の中でテントが崩れていく図があります。

皆さんのご奉仕に心から感謝です。


夕方のコンサートのことを含めて、
「日々のみことば」は明日こそ、アップします。

 

無事帰還。

今日、無事帰還しました。
中高生のキャンプは李先生のメッセージには励まされ、
中高生の証には教えられ、
中高生の姿に元気をもらい、

ちょっと、バレーとか、サッカーとか、卓球とか、腕相撲とか、夜更かしとか、
まともに張り合ってしまったので、さすがに疲れました。

2時頃には帰ってきたのですが、
そのまま教会で中高生の集まり。
その後シャワーに帰ってきて、すぐに男の弟子訓練クラススタート。

先ほど一段落して戻りました。

今日は野外礼拝です。

雨も大丈夫だと思います。

「日々のみことば」の更新は今夜・・・できるかな。

2008-06-26

庶民の耳にはモーツアルトがいい。

日付が変わってしまいました。
でも、25日のつもりで書きます。
さっき帰ってきました。

今日の夜は教会のメンバーで指揮者の若者の室内楽のコンサート。
ビバルディーから、モーツアルトから、ショスタコービッチから・・・いろんな曲が楽しめてよかったです。
さすが芸術家、こういうところではホントにpassionateでした。
でも、ショスタコは「わからないだろうなあ」と思っていましたが、やっぱりわかりませんでした。
庶民の私にはやっぱりモーツアルトがいい。

高校の桶に入ったら、それは合唱班と合同でオペラをやるクラブ。
すっかりオペラファンになってしまいました。
今じゃあ、メットがそばにあっても、16年間で1回しか行ったことがありませんが、
やっぱりオペラはいいです。
(そのころはモーツアルトはトロンボーンの出番が少ないので・・・モツレクを除く・・・すきではありませんでした)
モーツアルトは「フィガロ」からだったのですが、
アリアもよかったですが、レチタティーブォがよかったです。
かっこよかったです。

歌手の若い女性も上手だし、きれいだし、これからが楽しみです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一27章~28章2節。

「ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。」1節。

今日の箇所は悩んじゃいましたね。
これ以外に方法がない、って。
今までダビデの信仰はすごい、と思ってきて、
そのように主を信頼する歩みをしたいと思ってきて、
でも、今日の箇所で、ダビデは今までいつも彼を支えてきた神の守りを忘れてしまったかのように、簡単に「これ以外に方法がない」と言う。
そして、彼の歩みは血なまぐさくなり、嘘で固められていく。

自分もどうだろうかと思う。

本当に主に信頼して歩んでいくときに、どこまでもどこまでも、最後まで信頼していけるだろうか?
私も弱い者だ。すぐに失敗をしてしまう者だ。
気をつけていなくては・・・と思った。

主よ、
あなたの御心を求め、
見極める目を与えてください。
恐れることから解放して、
あなたの喜ばれる歩みができますように。

明日から中高生のキャンプで、
携帯も、ネットもない(たぶん)ところに行きますので、
次の更新は土曜日の夜・・・できるかな?

2008-06-25

走っちゃダメかも。

午前中・・・は無理でしたね。
明日から中高生のキャンプなので、
NYの図書館で日曜日の準備をしていました。

もう一つ今日中にやらなければいけないことがあるのですが、
とりあえずここら辺で更新。


お天気的には今日はいい天気で何も言うことがない、
・・・というか、「何も言うことがなくてつまらない」です。


で、気持ちはこの後、木・金・土と続く中高生のキャンプと
日曜日の野外礼拝の天気。

やばいじゃん・・・。

金曜日が降水確率30パーセントなのが救いですが、
90度は暑いですよね。
(2週間前の100度近かったのよりはましですが・・・)

そして、日曜日!74度はいいですが、60パーセント!?
この日は教会の年に一度の「野外礼拝」。

みんな楽しみにしているのに・・・。
この際、天気予報には、思いっきりはずれてもらいましょう!

昨日は午前中は火曜礼拝。
最近では一番たくさんの方が来られましたが、
それは、ある方の日本のご家族が来られたため。
うれしかったです。

そして、礼拝後もっとゆっくりお話ししていたかったのですが、
その後、8月の末にもたれる東海岸の日本語教会合同ファミリーキャンプの会場の下見に行く予定があったため(私はこれで3回目・・・)失礼させていただきました。ちょっと残念。

その後、8人乗りのミニバンに7人が乗って、車を飛ばして、会場へ。
そして、目的を果たして帰ってきたのですが、
行きは私のお薦め(そして、Google Mapsお薦め)の道で高速道路をとばしました。

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ところが、帰り道、ひとりが「こっちから行こう」と一般道を推薦。


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夕方は夕方で予定が入っていた私(ドライバー)は「え~」だったのですが、
ここで天性の「みんながそう言うなら・・・」と答えてしまう性格が出てしまって(笑)、一般道で帰ってきました。そしたら、いきなり、7人乗ったら「え~この坂きつい!」という上り坂。NJで一番高いところを通るルートでした。(といっても標高550メートルですが・・・)

でもその後なだらかな坂を下りながら思いました。

高速道路は楽でいいけど、そんなにあわてなくていいなら、こっちがいいよなあ、と。

周りの景色をゆっくり見ながら、
ちょっと途中の農園かどこかに寄り道しながら、
ドライブした方がいいですね。

ちょっとあわただしく走りすぎているかも・・・。

あんまり走っちゃダメですよね。

さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一26章13-25節を読みました。

「もし私にはむかうようにあなたに誘いかけられたのが主であれば、主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう。しかし、それが人によるのであれば、主の前で彼らがのろわれますように。」19節。

このところ、毎日、ダビデの主を信頼する思いにうならされます。
主の支配のもとに生かされていることを感じて、
実際、ダビデは何度も何度も危機的なところを主に守られて、
生かされている中で、
サウル王を手にかけるチャンスにも、
「彼は主に油を注がれた者だ」と手を下しませんでした。

この信頼、主の御手の中にある感覚、
自分も持ちつつ歩みたいと思います。

「どうして?」と思うこともあります。
でも、主が許されたことであるならば、
最終的には主が責任をとってくださいます。

だから、いつもいつも主の御心を求めて、
どのようにすべきなのか、知恵をもらって進んでいきたいと思います。

神様、
あなたを信頼することを教えてください。
ダビデのようにあなたを信頼させてください。

2008-06-24

また、明日。

今日はまたいろいろなことがありすぎて、
へろへろなので、明日のNYDayに備えて
早めに休みます。

明日の午前中に今日の分、更新できると思います。

ではでは。

2008-06-23

卒業。

今日も時々雨が降ったり、でしたが、
たいしたことはありませんでした。うちのあたりは・・・。

でも、また今夜これから降ってきますね。きっと。

そして、明日は空気が入れ替わって、Dryになると思います。

さて、今日はユキの卒業式。
Middle Schoolの卒業式なのですが、
会場はHigh School。
体育館だったので、とてもオープンな感じで、
明るい卒業式だったのですが、
エアコンがなくて暑い・・・。

でも、幼稚園の頃、みんなで歌を歌っている中で、
ひとり、何もしないでじっと固まっていて、
最後まで、手も足も口も全然動かないで終わったコンサートのことを思い出しながら、
「ああ、ここまで成長したんだ・・・」と感無量でした。
思わず涙が出てきそうになりました。

最近、学校のことを少しずつ自分から話すようになってきて、
今日も友だちと記念撮影をしたり、
ちょっと変わってきたなあと感じています。
当たり前のことができるようになってきたことがうれしくてしかたがありません。

午後には近くのパーティー会場を借り切って、親同伴の卒業パーティー。
3年前のハジのパーティーの時に比べると、かかる音楽が違う。
最近のダンスミュージックはまたちょっと変わってきているようですね。
そして、自分の知っている懐メロが少ない。
ユキも父親と踊ってくれない・・・。
ちょっと乗り切れないパーティーでした。

でも、「最近、子供たちのネタはあるけど、のんちはどうなの?」
という声が寄せられたので、
ちゃんと踊っているのんちのビデオを撮りました。
今日はもう遅いのでまた今度アップしますね。

で、うちに帰ってきたのが夕方5時過ぎ。
高校生からちょっと上の子たちが5人集まっていました。
彼らも今日でテストが終わったり、
仕事をしている子もたまたま休みだったり・・・。
とてもくつろいで、留守番のサキの相手もしてくれていました。

そのままみんなで楽しく大家族の食事。
あっという間に盛りだくさんの一日が終わりました。
ひとりひとりの人生に神様が与えてくださっている、
特別なことに感謝しながら・・・。

今日の聖書。
今日はサムエル記第一26章1-12節。

「私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。」11節。

アビシャイという家来がダビデに言っているように、
これは神様が与えてくださった千載一遇のチャンスにも見えます。
でも、ダビデはそのようには思いませんでした。
神様ご自身が彼を打たれる。
自分は手を下すべきではないと。

同じ状況を見ながら、
ひとりは「神様が彼を私たちの手に渡されたのだ」と感じ、
もうひとりは「神様が私たちがどう判断するかごらんになっている」と感じる。

時々、神様を自分のために利用する、神を持ってきて、自分を正当化する人を見ます。

でも、大切なのは自分の都合よく、神様を利用するのではなく、
神に従うこと、神に聞くこと、自分の都合に神様を合わせるのではなく、
神様の都合に自分を合わせること。

どこまでも謙虚に、神に従っていく者でありたいと思います。
神を利用するのではなくて、
神に従っていく者でありたいと思います。

神様、
今日の一日を感謝します。
ユキの成長を守ってくださっていること、
彼女に与えてくださった人生の故に、感謝します。
どうか、これからも守り導いてください。
若者たち、ひとりひとりの歩みをこれからも守ってください。

私も自分の欲望のために、あなたを利用するのではなく、
あなたの導きに謙虚に従う者でありますように。

2008-06-22

朝の礼拝+夕方牧師就任式。

今日は雷がゴロゴロの一日でした。
午前中の礼拝中にもゴロゴロ。
午後、JOYJOYキャンプのためのミーティングの最中にもゴロゴロ。
そして、たぶん、この後、夜中にもゴロゴロするでしょう。

私は個人的には雷は好きです。
というか、こうゆう派手な天気が好きです。

レーダーで赤いエコーが出てくるとわくわくします。

あ、そういえば、先日シカゴから来られた、ぼぼるさんは、
その道の専門家でおられますが、
ある朝、徹夜で仕事をして、朝の5時に「竜巻が来る」と家族を起こし、
結局のところ、空振りに終わって、ひんしゅくを買ったことがあるとか。

「あの時は家族を起こした自分はヒーローになると思っていたのになあ」とおっしゃっていました。

わかるわかる。(笑)

自分も絶対同じことするだろうなあ、と思います。
ホントに来たら大変ですからね。

明日も蒸し暑く、雷雨があるでしょう。

いやあ、でもやっぱり朝の礼拝いいですねえ。
教会で思わず「こんにちわ~」って言ってしまいましたが、
今日は「おはようございます!」なんですね。

昼には礼拝が終わり、
午後はJOYJOYキャンプの作戦会議。
夕方からは礼拝堂を使わせていただいている教会の牧師就任式でした。

とてもよかったです。

牧師も、教会のメンバーも、
「あなたを牧師として迎えます、あなたのために祈ります」
「私はあなたがたの牧師として神様から使命をいただいて、仕えます」
と約束をしあうのです。

私自身、この8月に任期の更新になります。
そのときに、任期更新礼拝をしようと思っています。
やはり、同じように、
牧師も教会員もそのつとめを果たすことを互いに約束するときです。

教会は馴れ合い所帯ではなくて、契約の共同体。
結婚式の時に互いに「富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも愛します」と誓うように、教会の牧師とメンバーの関係も誓い合い、約束しあう中で愛をはぐくんでいく関係となるようにと願います。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一25章36-44節。

「アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは自分の家で、王の宴会のような宴会を開いていた。」36節。

ああ、今日もまた、このナバルの愚かさに目がとまりました。
自分の立場がわかっていなくて、
何が起こっているのか、全然わかっていなくて、
宴会を開いていたと。
酔っぱらっていたと。

ああ、なんておろかなんだろうかと思いました。

そう思うと、また自分の心に声が聞こえてきます。

「おまえはどうなんだ」と。

ホント、自分はどうなんだろうかと思います。
モノが見えなくなっていたナバル。
では私はどうなんだろうかと。

自分はモノが見えているんだろうか。
そう思うと不安になります。

でも、見えなければいけないのは一つなんでしょうね。
神様がそれをどう見ておられるか。
神様が何をのぞんでおられるのか。
それが見える者になりたいです。

人の心を知ることも大切でしょう。
でも、それ以上に、神様が一つ一つのことについて、
どのように思われているか、それを知ることが大切。

目を開いていただきたいと思います。

主よ、
どうか、私の目を開き、
あなたの見方で見ることができますように。
自分の思いこみにとらわれるのではなくて、
目を開いていただいて、
あなたの見方がわかる者にならせてください。



2008-06-21

朝の礼拝

今夜の雷雨は空振りに終わるかもしれません。
でも、明日はきっと降ります。
明日は蒸し暑く、雷雨がある、そんな不安定な一日になりそうです。
今も夜の12時ごろですが、
気温は20度。湿度もそこそこありますので、
今夜はそれほど冷えないと思います。

さて、明日は朝10時からの礼拝です。
いつもは午後1時半からの礼拝なのですが、
明日は特別です。

それは場所を貸してくださっている英語の教会の牧師就任式。
それを午後4時からやりたいということで、
そして、英語の教会は午前中に礼拝がないということで、
10時からの礼拝となったのでした。

明日の朝はちょっとあわただしくなるかもしれませんが、
とても楽しみです。午前中の礼拝。

大体こちらでも、日本でも教会の礼拝は日曜日の午前中です。

それは日曜日の朝に復活されたイエスを記念して、
「復活のイエスにお会いするために教会に集まろう」という
意味で、日曜日の午前中に礼拝するのです。

一週間の始まり、まず神様にお会いして、
神様と共に歩むということから、一週間のリズムを作っていく、
という意味もあります。
最初に大切なことから始めるということです。

明日の礼拝が祝福されますように。

でも、使用している教会の都合で礼拝時間が変わるのは、
やはり間借り教会の悲しさです。
連絡しても忘れてしまう人や、どうしても連絡から漏れてしまった方が、
1時半に来られるのではないかと思います。

一日も早く、会堂が与えられますように祈ります。

さあ、今日の聖書。
今日はサムエル記第一25章18-35節。

「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。」32節

おろかなナバルを討とうと準備をしていたダビデに和解を乞うたアビガイル。
彼女の言葉に、神様が働いておられることをダビデは感じた。

このころのダビデの歩みの中には、
本当に神様の介入があると思うし、
実際、ダビデもその神様の御手を見ながら歩んでいたんだとと思う。

一つ一つの出来事の中に神様のみ手を見ていく。
そのようなものでありたいと思いました。

一つ一つの出来事、その中には不本意なこともあるでしょう。
どうして・・・ということもあるでしょう。
でも、その中に神様の御手を見ていく、
神様の御業を見ていく、
そして、それを受け入れていく、
そのような視点を与えていただきたいと思います。

主よ、
あなたのみ手を感じて感謝します。
私の生涯の中の、つらいことや痛みの経験さえも、
あなたの御手の中にあると信じます。
不本意なことも、あなたが許されたことと、
受け入れることができますように。

明日の礼拝を祝福してください。

お祈り感謝!

昨日の夜は結構雨降りましたね。
昨日の夜の書き込みの後、ちょっとして寝たのですが、
12時半頃、寝る頃までゴロゴロ言っていたように思います。

今日も蒸し暑いので、
きっとまた夜はゴロゴロでしょう。

今朝はまた6時に教会でお祈りの時を持ちましたが、
10時前には弟子訓練のグループ。
明日の礼拝はお借りしている教会の都合で、
いつも午後にしている礼拝が午前中なので、
説教の通訳の方には原稿を午前中には送らなければ・・・と思って、
そのまま教会で説教の原稿を書きました。

無事に9時過ぎには原稿が完成してお送りすることができました。

お祈りくださった皆さんには心から感謝します。
原稿の準備の途中には安易な道に行こうかと思うところもありました。
でも、そのときに「おまえはそんな方法で何とかしようとしているのか、私に求めなさい」と聖霊様に語られたような思いがしました。きっとどなたかが祈ってくださっていたときだったのだと思います。

あ、でもまだ子供のためのメッセージの準備がある・・・。
どうか、こちらの方もお祈りください。

さて、昨日の聖書。
昨日は朝、教会に祈りに来られた方がいて、
共に聖書を読み、祈りました。

サムエル記第一25章1-17節。

「彼はカルメルで事業をしており、非常に裕福であった。彼は羊三千頭、やぎ一千頭を持っていた。」2節。

いやあ、すごいですね。
イエスが100匹の羊の話をされましたが、
羊が3000頭だって。
数えてたら何時間かかるんだろうか。
「非常に裕福だった」とあるのだから、
きっと、とってもとっても裕福だったんだろうなあと思う。

でも、このナバルという人、傲慢だった。
自分の財産を守るためにダビデとその部下たちがどんなに力になったか、
そのことを知らなかった。
そして、ダビデの部下をののしった。

ここを読むと、馬鹿なやつだと思う。
でも、次の瞬間には、「おまえはどうだ?」と声が聞こえる。

「いや、俺は裕福ではない」と人ごとのように答える。

「何、こんなに与えているのに、裕福ではないと?」

本当に必要は与えられている。
そして、経済的なこと、財産のことではなくて、
どれほどのモノが与えられて、
どれほどの助けが与えられているか、
どれほどの愛が与えられて、
どれほどのサポートと祈りが与えられているか、
忘れてしまいがち。

そして、何かがあると自分の力でやったような気になってしまう。

自分の中のナバルを感じました。

主よ、
わたしのうちのナバルを見せてくださってありがとうございます。
どうか、私のうちのナバルを打ち砕き、
あなたの支え、人の支えに目を開かせてください。
感謝と喜びを満たしてください。

2008-06-20

日曜日に備える明日に備える

今日はさっきまで集会だったので、
更新は明日の午後です。
明日に備えて早めに休みます。

そして、明日は日曜日に備えたいと思います。

説教の原稿まだだし・・・。

2008-06-19

やっぱりキッズクラブが好きだ。

今日も一日過ごしやすい一日でした。
昨日みたいに、「ちょっと寒い」とは違って、
気持ちのいい一日になりました。
夜の気温も、10時半で20度と、ちょうどいい感じ。

明日は今日よりもちょっと天気が不安定になって、
雷雨などもありそうです。

今日は夏休み前の最後のJOYJOYキッズクラブ。
23人の子供たちが集まりました。
楽しく過ごしました。
その前まで、なんだか、ちょっと疲れが抜けない、という感じだったのですが、
子供たちと時間を過ごしていると、
なんだかそんなことも忘れてしまうんですよね。
そして、終わったときに、疲れがとれている、
そんな自分に気がついたわけです。

子供たちに「ありがとう」と言いたいです。
この後、しばらくキッズクラブがお休みだと思うと、
さびしくてさびしくてしかたがありません。

9月の再開が楽しみです!

日曜日の朝(!)、2年半使ってきたプリンタが壊れました。
というか、紙送りがうまくいきません。
結構気に入っていたし、たった2年半というのは悔しいですが、
何度やってもだめみたいで、
こんなのは修理するよりも買った方が安い。

機種によっては、インクを1セット買うよりも、
インクが1セット付属品として入っているプリンタを買った方が安い、
ということもあるようで、
月曜日のお休みを利用して、探しました。
でも、なかなかいいのがありません。
特に今、スキャナがCCDのが少ないんですよね。
CISばかり。CISは本のスキャンなどでちょっとでも浮いてしまうと、うまくいかないので、CCDの方がいい。で、探していて偶然見つけました。CanonのeStoreで一世代前のMP810が150ドルで買える。
一世代前のと言っても、今、だいたい半年から1年たてば一世代前になっちゃいますから、まあ、OK。
今日届いたのですが、大満足です。

でも、2年半前に大苦労して、CDラベルプリントができるようになったのに、今回のは型番が800か810かの違いなのに、CDトレーが変わっている・・・。今持っているCDトレーが使えない。

これeBayで買うか、日本のサービスセンターに電話をして、買うか、どっちかなんですよねえ。

まあ、ゆっくりと考えることにします。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の24章でした。

「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」6節。

ダビデの信仰を見る。
自分も油を注がれた者として、
主が油を注がれると言うことの意味を真剣に考えていた。
そして、自分の身が危なくなっても、
主が守ってくださるなら、守られる、そう信頼していた。

サウル王が自分の身を守ろうと一生懸命になって、
ダビデに手を下そうとしていたのと対照的。

自分はどちらになるか、どちらを選ぶだろうかと考えさせられ、
本当にダビデのような生き方をしたいと思いました。

主が守られるなら、主が守られるなら、大丈夫。
主が与えてくださっている使命なら、
自分がじたばたしなくても大丈夫。

単純に主を信頼して、歩みたいと思いました。

主よ、
あなたの御手を信頼します。
あなたが与えてくださっている使命を感謝します。
どうか、あなたの使命に生きることができますように。
あなたの使命に歩むことができますように。
あなたを見つめて、あなたに聞いて、
それを真実に語る者であることができますように。


2008-06-18

偶然か摂理か

今日はまた涼しかったですねえ。
夕方には雨も降って、それでまた涼しくなりました。
今は夜の11時ですが、気温は14度です。
明日の朝は10度くらいまで下がるでしょう。

今日は10時過ぎに帰ってきて、
それから夕食を食べたので、
ん?そういえば白いご飯は食べてないかも・・・。
でも、いずれにせよ、食べたので、
あんまり早く寝ると体によくない、と思いながら、
眠いです。

もう、贅肉になってもいいから寝ちゃいます。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の23章15-29節。

「サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んだ。」26節。
「そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。」27節。

サウルとダビデが同じ山の反対側にいたこと、
そして、いよいよサウルがダビデに追いつくかというところまで来たときに、
サウルのところに使者が来て、敵が攻めてきたことを知らせたこと、
ある人は偶然と呼ぶかもしれませんが、
そのように呼ぶことも自由でしょうが、ここを私は摂理と呼びます。
主がダビデを守られた。
特別に守られた。

私の人生にも「そりゃ偶然だ」と人が言うことが起こる。
でも、そこにも主の御手を見ていく、
主のお働きを見ていく、
そうしたら、安心だ。

主の御手の中にあると思うと、心配はいらない。
私たちの人生を支配しているのは、偶然なんかじゃないから。

主よ、
あなたの御手を信じます。
一つ一つの出来事が偶然ではなくて、
神様の御手の中にあること。
人の失敗、人の悪意がそれを引き起こしていても、
でも、それも神様が許されなかったら起こらなかった。
そう思うと、安心。
神様がよかれと思われることしか、起こらないから。
この世の出来事は決して偶然ではないから。

2008-06-17

みことばを慕う。

今日は予報通り涼しくなりました。
今は夜の11時前ですが、17度まで下がっています。
かなりからだが楽です。
明日は今日よりもまたもう少し涼しくなって最高気温も
22-3度程度で、湿度も低く気持ちいい一日になりそうです。

昨日の夜思い出した火曜礼拝の説教でしたが、
昨日の夜と、今朝と祈りつつ時間を過ごしていたのですが、
本当に準備ができたのは直前でした。

でも、神様が与えてくださったみことばである以上、
神様が語ってくださる。
それだけが希望であり、期待の根拠です。

「今日、火曜礼拝に行こう」と思ったという方を、
神様が送ってくださって、
それも、本当に今日の聖書箇所が、
その方にとってぴったりだったそうです。

不思議なことを神様がしてくださったなあと思いました。
いや、私の目には不思議でも、
神様の御手の中で導かれたことだと思います。

これからもそのような御業をもっともっと見せていただきたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一23章1-14節。

「神はダビデをサウルの手に渡さなかった。」14節。

最初はケイラの町の人々がダビデに助けてもらいながら、
サウル王が攻めてきたら、あっさりとダビデを渡してしまうということが、
あまりに身勝手な、恩知らずな連中だろうと思っていましたが、
考えてみたら、ダビデは400人の部下しかいない一介の浪人。
それに対して、サウルは一国の王ですからね。

でも、ケイラの人々がダビデのことをサウルに渡そうと思っていても、
神はダビデをサウルの手に渡すことはなさらなかった。

結局はそこなんだなと思います。
神がどうなさるか、そこだけなんだと思います。

そこに自分の使命を感じて、それを受け取っていくこと、
その大切さを思わされます。

主よ、
私は最初はこのケイラの人々がなんてひどい奴らなんだ!と思いました。
そうですよね、でも、自分はこのケイラの人よりも愛があるのか?
自分がこの状況に置かれたら、どうだろうか?と思います。
同じことをしたかもなあ、そして、いろいろ言い訳も・・・。
だから、人は人のことをとやかく言えないんでしょうね。
でも、あなたはダビデを渡さなかった。
それで十分だった。
あなたがそう決められたのだったら。

私の人生の中で、あなたの御手をいつもいつも
見て歩んでいくことができますように。

2008-06-16

聞くこと。

今日はなんだか、蒸し暑かったですよね。
気温はそれほどでもなかったのですが、
湿度が高くて・・・。

でも、夕方に雷雨があって、
ぐっと涼しくなりました。
8時半で17.8度。

そして、この後金曜日くらいまでは涼しいようです。
朝は10度くらいまで下がるようですから、
風邪をひきやすくなります。
お気をつけて。

昨日の礼拝は、カルフォルニアに引っ越される方がメッセージをしてくださいました。
この方は70になって、通信制で神学校で学ばれた方。
忠実に教会のメンバーとして仕えてこられました。
私が留守の時によく礼拝説教をしていただいてきました。

昨日は久しぶりに説教の時間に会衆席にすわって、
メッセージを伺いました。
自分が語るときには、
「この解釈は間違っていないだろうか」とかなり注意しますが、
聞くときには、そんな思いはどこにもなく、
ただただ、神からのメッセージとして聞かせていただきました。
心の中で何度「アーメン、そうです」「感謝します」と叫んだことでしょうか?

私にとって必要な恵みの時でした。

明日は火曜礼拝。
さっき、我が家に滞在している青年に「明日の説教は誰ですか?」と聞かれて、
「そりゃ、私だよ」と答えて、はっとしました。
何話すんだろう?
いつもは日曜礼拝の説教をそのまま火曜礼拝でも語るのですが、
私は日曜日説教していない・・・。

気がついてよかったです。
明日、礼拝が始まってから、
「あれ、何を話すんだったかな・・・」ってことになっていたかもしれませんね。

そういう夢から覚めて、「ああ、よかった夢だった・・・」という経験はいくらでもありますが。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一23章。

「それなのに、おまえたちはみな、私に謀反を企てている。きょうのように、息子がエッサイの子と契約を結んだことも私の耳に入れず、息子が私のあのしもべを私に、はむかわせるようにしたことも、私の耳に入れず、だれも私のことを思って心を痛めない。」8節。

サウルは人々を疑った。
部下たちが自分に謀反を企てていると言い、
また何も知らずにダビデに食糧と武器を提供した祭司の一族を皆殺しにした。

何でも疑ってかかり、
人を信じることのできないあわれな王。
彼の心が何に支配されていたのだろうかと思う。
ねたみであり、嫉妬であり、不安であった。

そういうものにとらわれた人の愚かさを思いました。

人を信じて裏切れたときの悲しさ、ばかばかしさ、それが傷になって、
人を信じることが難しくなることがあります。
正直者が馬鹿を見ることがあります。

でも、今日のサウルの姿を見て、
人を疑って生きることはいやだ、と思いました。
馬鹿を見続けようと思います。
主がすべてをご存じですから。
それでいいかな、と。

主よ、
このサウルの姿は愚かだと思います。
でも、私は自分が同じことをしていても、
なかなか気付けない者です。
どうか、あなたが教えてください。
そして、たとえ馬鹿を見たとしても、
人を信じる者であり続けられますように。

いや、人を信じるよりも、
人の中に働かれるあなたの力を信じる者であることができますように。

2008-06-15

父の日。

今日、昼間は蒸し暑かったのですが、
夕方から涼しくなって、夜になってちょっと冷えてきたように感じます。

明日はまた蒸し暑くなって、雷雨があるかもしれません。
水曜日くらいからは朝の最低気温が10度くらいまで下がるようになります。
暑くなったり、肌寒くなったり、今年の夏は大変かもしれませんね。

さて、今日は父の日。
まずは、日本の親父に電話しました。
向こうは日曜日の礼拝が終わって夜の時間だなあ、と思って・・・
大人の話をしました。

そして、ちゃんといまのうちに断っておきますが、
ここからは親としてデレデレのしょうもない話です。

サキが起きてきて、こんなプレゼントをくれました。


左の絵はハートが野球場になって、あとVサインになっているようです。
そして、マツイのMとまなぶのMが同じなので、バットが二本あるそうです。

そして、ビッグ・ハグをくれました。

のんちの話によると、ずっと前から、楽しみにして準備してきたそうで。

この子もやがて思春期になって、オヤジに見向きもしなくなるんでしょうから、
いまのうちに思いっきりベタベタしてやろうと思います。

5年くらい前まで、そうやってベタベタしてやったユキが
今や、近くに寄ろうともしないので、
きっとサキもそうなるんだろうと覚悟して・・・。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一21章。

「それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい・・・」13節。

このときのダビデはどんな惨めな気持ちだっただろうかと思う。
自分の身元がばれることを恐れて、よだれを垂らしながら歩かなければいけなかった。

神の御手の中にあると思っても、
そのように生きていても、
惨めな気持ちになることはあるだろうと思う。

でも、神は彼を見捨てることはなかった。

神が見捨てない、それだけが私たちの支え。
それがあれば十分。

主よ、
あなたが支えてくださるからありがとうございます。
そこに堅く立っていく者でありますように。
あなたを頼りにできますように。
ほかのものを頼りにすることがありませんように。

2008-06-14

孤独。

今日は蒸し暑かったです。
そして、午後には雨も降ってきました。
夜には雷がすごくて、
一回は地響きを感じるくらい近くに「ドカーン」と落ちました。
停電にならないのが不思議なくらい。

明日は涼しくなってくれると思います。

最近読んでいるMax Lucadoの「心の重荷に別れを告げて」で思わされたこと。
この本、一つの主題と言うよりは、
詩篇23篇からいろんなことを言っているように感じるのですが、

詩篇の23篇4節の「あなたがわたしとともにおられますから」から、
彼がこう言っています。

「もし、人がいることで寂しさが癒されるなら、現代は孤独感は減っているはずだ。だが寂しさはなくならない」
「あふれるほどの教会員に囲まれていてさえ、人は孤独感を抱き得るのだ」

でも、その中で、孤独感を否定的なものとしてしか見ないのは違うのではないかと、彼は言うのです。

「寂しさは呪いではなく、贈り物にならないだろうか。神からの贈り物に」
「ぼくは、寂しさを使って神は僕たちの注意を引こうとしておられるんじゃないかと思うんだ。」

そう、人の中での孤独を感じたときは神が共にいてくださることのすばらしさを感じるチャンスなんだと。

心の中に平安があふれてくるのを感じました。
神様が私と共にいてくださることを、心から感謝します。

「あなたの家族があなたに背を向けることもあるだろう。でも神はそうされない。あなたの友人たちがあなたを裏切るかもしれない。でも神はそんなことはされない。荒野にたったひとりでいるような気持ちになるかもしれないが、あなたはひとりじゃない。主が共にいてくださる。」

孤独が怖くなくなりました。
もちろん、神が与えてくださる友には心から感謝しながら・・・。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一20:24-42

「エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も危うくなるのだ。」31節。

今日もダビデの主へのおそれと、
サウルの人へのおそれを対照的に思いました。

ダビデは、自分の命をねらっていたサウル王の命をねらおうとはしませんでした。
神様が守ってくださることを、知っていたからです。
神様が自分を選んで王として油を注がれている。

だから、自分と同じように油を注がれて王となったサウルに手を下すことは、
自分を選んだ神の御手をも否定することになる。
だから、彼はサウルに手を下さなかった。

でもサウルは、ダビデが生きていたら、自分の王の地位も危ないと思っていました。
でも、それを決められたのは神だったのです。

自分はどうだろうかと思いました。
ただただ、主に目を向けて、
周囲の状況には振り回されない強さがほしいと思います。

主よ、
どうか、私をダビデのように神を恐れる者としてください。
人を恐れることがないように守ってください。
あなたから目を離すことがありませんように。

2008-06-13

ダンパ。

熱波が終わったのですが、

朝はさわやかでしたが、
昼間は結構暑かったですね。



明日はちょっと湿度が上がって、
雷雨もあるでしょう。



今日の夜はユキのMiddle Schoolの卒業ダンスパーティー。
PTAの主催のイベントなんだが、
結構おしゃれをして集まる。



で、ユキもおしゃれをしてみた。
スカート姿なんて、何年ぶりでしょうか。




けっこういいじゃん、と父親は思う。
いつまでも子供だと思っていて、
実際子供なんですが、もうすぐ14歳。

ほどほどのレベルでおしゃれをしてもらいたいもんだ・・・と思う。




さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一20章1-23節。

・・・と書いたところで、10時からの深夜祈祷会に行く時間。
・・・と書いたところで、右側の聖書箇所のところがアップデートされていなかったことに気づく。

帰ってきたら、右の欄をアップデートして、それから聖書箇所について書きますね。

ではでは。




----------------------------
2時間半経過。

いやあ、最近朝が早いので、深夜祈祷会はきついです。
ユキはもう、休んでしまったようですが、
なんだか、とても楽しかったようです。

ちょっとほっとします。

で、今日心にとまった言葉。

「私と死との間には、ただ一歩の隔たりしかありません。」3節。



ダビデはサウル王に命をねらわれている、ということで、
この言葉をヨナタンに言っているが、
実際のところ、私たちはみんなそうなんだと思います。
私はいつも死と隣り合わせ。

でも、ダビデが神によって、いくつもの危機の中で、
命が守られて、王として立てられていったように、
私たちの命も主の御手の中にある。

どんな危機の中でも、生かされる者もある。

そのような中で、私が今生かされているとすれば、
それは神様のお考えがそこにはあるんだと思います。

それに対して、いつも敏感であることができますように。

主よ、
あなたの御手によって生かされていること、
あなたのお考えによって生かされていること、
それをいつもいつも覚えていることができますように。
一日一日をあなたから与えられた日として、
生きることができますように。

2008-06-12

涙。

今日は昨日よりももうワンランク涼しくなった気がします。
今、夜の12時をすぎましたが、外は19度。
明日の朝は13度くらいまで下がる予報がでています。

明日もすかっと晴れて、気持ちがいいでしょう。

今日はゲストがおられて、
うちの家族と、高校生が2人加わって、
13人家族でした。

楽しかったです。
子供たちもなんだか盛り上がっていましたねえ。

大人も、ゆっくりお話しするのは初めてなんですが、
昔からの友人のようにお話ししました。
天気図の話。
翻訳をされてきた本の話。
共通の友人の話。
どのようにしてお二人が出会ったかという話。

でも、やっぱり一番こころが通じるのは、
一人一人が神様に出会ったときの話。
特に、Mrs.が、「結婚を前にしてMr.がクリスチャンになった時の話」をしながら、
涙ぐんでおられた姿には感動しました。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の19章8-24節。

「そこでサウルはダビデを捕らえようと使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が預言しており、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。そのとき、神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。」20節。

この箇所で、なんとしてでもダビデを生かす神の決意を見ました。
ヨナタンはその役割を果たし、またミカルもダビデを逃がします。
神はそのように人を用いられます。
でも、ある時には、このようにご自身で介入されるのです。

神の御手があることを感じました。
神の御手の中で、私たちが生かされていることを覚えます。

朝、一つの祈りの課題を持って教会に行きましたが、
祈りの中で、次々と祈って支えるべき方々が浮かんできました。
愛することを教えていただきたい、経験させていただきたいと思いました。

主よ、
今もあなたは私をあなたの御手の中で生かしてくださっていることに、
こころから感謝します。
あなたの御心が私の生涯を通して表されますように。
私の人生に与えてくださった多くの方々の故に感謝します。
どうか、私に愛することを教えてください。

2008-06-11

友来る。

今日はもっと涼しくなるかと期待したのですが、
期待した分だけ、たいしたことはありませんでしたね。
歩くと暑い、日でした。
まあ、昨日まではじっとしてでも暑かったですが。

今日は一日NYの日。
夜には、ちょうど2月に日本で22年ぶりに
お会いした大学時代の友人にNYで再会。
結婚20周年のご旅行だそうで・・・。

経済の専門家。大学で教えてたりします。
面白い取り合わせですね、
経済の専門家と牧師。
でも、私も牧師の肩書きをおろして、
楽しく話をさせていただきました。
こういう時をもっともっと持つことの大切さをも感じました。

今日の聖書。
今日はサムエル記第一の19章1-7節
「王よ。あなたのしもべダビデについて罪を犯さないでください。」4節。

この言葉を語ったのはサウル王の息子ヨナタン。
このことを父であり、王である人に向かって言うことは
勇気がいったことだろうと思う。
でも、彼はそれが言える立場にいたし、
ダビデのことをも誰よりも知っていたし、
サウル王のこともよく知っていた。

彼は自分の使命を果たしたのだと思う。

自分の使命を果たすことの大切さを思う。
私も自分に与えられたこと、
今自分がここに生かされていることの意味を、
確認しながら、歩んでいこうと思う。
ただ自分の使命を意識するだけではなくて、
それを実行する者でありたいと思いました。

主よ、
私に与えてくださっている使命を
確かに知って、そこに生きる者としてください。
責任を果たすことができますように。

そして一人一人の生かされていることの意味が、
本当に一人一人のうちに示されていきますように。

2008-06-10

あちかった。

いやあ、今日も暑かったです。
最高気温は38.5度でした。
でも、夜になってから雷雨になって、
25度まで下がってきました。
この後、雨が夜半頃まで残って、
その後湿度も下がってきて、明日は
30度くらいはいきますが、湿度が下がって、気温も5度くらい下がるぶん、
ずいぶん過ごしやすいでしょう。

とにかく、この暑いのが終わってくれたかと思うと、
なんだか、とても解放された気持ちです。

今日は今度の金曜日のダンスパーティーと、
再来週の月曜日の卒業式のために、
ユキがドレスを買いに行きました。

いやあ、2ヶ月でNJに来た、あのユキがもう中学校卒業かあ、
と感無量と不安と入り交じった気持ち。

こちらは高校が4年間のために、14歳で中学を出ます。
ユキの場合は8月生れなので、13歳です。

スカートも何年ぶりか?
いつもTシャツにジーンズやジャージ、
サンダルもビーチサンダルしか知らないユキが、
どんな風に変身するのか、ちょっと楽しみです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一18章17-30節。

「こうして、サウルは、主がダビデとともにおられ、サウルの娘ミカルがダビデを愛していることを見、また、知った。 それでサウルは、ますますダビデを恐れた。」28-29節。

サウルは神様がダビデとともにおられることがわかっていた。
そして、ダビデを恐れた。
でも、それ故にこれからはダビデを抹殺することでこころがいっぱいになった。
本当だったら、神様を恐れて、
神様の前に悔い改めるチャンスだったのだと思うけれども、
彼はそれをしないで、ただ、ダビデを抹殺することだけを考えた。

なんておろかなんだろうかと思う。

でも、それはやはり客観的に見ているから。
自分も同じような弱さ、愚かさを持っていないだろうか。
神様を恐れ、自分の使命をしっかりと見つめながら、
歩む者でありたいと思う。

ねたみの落とし穴にはまることがありませんように。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたの御心を知り、
御心に従って歩みたいです。
どうか、私が自分の使命に立ち、
自分の使命に生きる者でありますように。

2008-06-09

あぢい

あぢいでず。
いいたかないげど、あぢいでず。
今日は37.9度まで上がりました。

おかげでエアコンのない、
High SchoolとMiddle Schoolは半ドンでした。
明日もそうみたいです。
一番下だけ一日学校。
エアコンのない学校で半日で終わるのがいいか、
エアコンのある学校で一日勉強する方がいいか。
うーん、難しいですが、お互い「いいなあ」と言い合っております。

でも、もう、ここまで行くと、「体脂肪を燃やす」なんて言ってられません。
昨日、NYである人が、走っていて倒れて意識不明という話を聞きました。
たぶん日本人だろうと。こんな日に走るのは命取りです。
でも、車(教会のやつ)が今朝から修理にでて、
サキの送り迎えには車がなかったので、
あぢいと言いながら、歩いていきました。

明日ももう一日暑いようです。
勘弁してほしいです。
でも、明日で終わると思うと、出口が見えた、という感じで耐えられるかな、とも思いますが。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一の18章1-16節。

「サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。『ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。』」8節。

昨日、あのようなメッセージをしたのですが、
今日も、この聖書箇所の中で、ねたみだとか、願っていたような評価が与えられないことに対する怒りだとか、本当にわかる自分がいます。

このサウルの姿は本当に哀れなのですが、
自分と無縁かというと、自分もそのような者ではないだろうかと思わされるのです。
ねたみは怖いと思います。
本当に気をつけなければと思います。

今日、ほかの本でも出てきました。
情欲とかの誘惑にもびくともしない人が、
他の人が評価されて、自分が評価されない場面で、
こころがぐうっとゆがんでいってしまうことがある。

人の評価ではなく、
あなたの評価に目をとめる者としてください。
そして、それ以上に、あなたとともに歩めること自体に、
あなたの御心に従うこと自体に、
喜びを見いだす者としてください。

主よ、
どうか、私を守ってください。
ねたみから、評価されないことに対する怒りから、
私のこころを守ってください。
あなたご自身を見つめて歩む者としてください。
愛されることよりも、愛することを喜びとする者としてください。


2008-06-08

あちい。

言いたかないですが、
あちいです。
昨日の朝はちょっとひんやりしていましたが、
今日は朝から暑かったです。

そして、昼間はホントに暑かったです。
教会の礼拝堂もなんだかエアコンが効かなくて、
暑かったです。

今日は一人のご婦人が最後の礼拝。
フィラデルフィア近郊に引っ越されます。

「教会は共同体です」と挨拶の中で言われていた言葉が心に残りました。
そうでしたね。この方がJCCNJに来られるようになった時には、
確かにお一人でがんばって信仰を守って来られた、という雰囲気がありました。
でも、祈祷会を愛されて、礼拝を愛されている中で、
人々の愛に、そして、御言葉によって養われて行かれました。

送り出すのは寂しい面もありますが、
また遣わす、という面もあります。
姉妹の存在が神様によって用いられますように。

そして、今日はシカゴから、
ぼぼるさん+はちこさんの6人家族の皆さんが礼拝に来られました。
お客さんが来られるのはうれしいですねえ。

3年前にシカゴに行ったときにお会いしているのですが、
そのときはゆっくりお話しすることもできず、
でも、いつ頃からか、ブログ友状態でした。
ご主人は、お天気の専門家(地球物理学かな?)なので、
なんだか、他人には思えません。かなり図々しいですが・・・。

この5月にハジがシカゴのカンファレンスでお世話になり、
今回初めてゆっくり家族ぐるみでおつきあいできます。

子供たちも、うちの3人と同じ学年の子が3人+10歳、ということで、
これまた珍しいくらいパターンがにている・・・。

今日は私の役員会があったので、時間はありませんでしたが、
木曜日の夜にはゆっくりお話ができそうです。
楽しみです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一17章41-58節でした。

「この戦いは主の戦いだ。」47節。

私たちの戦いは主の戦い。
主が私たちのために戦ってくださる。
私たちが一生懸命がんばらなければならないのではない。
主が戦ってくださるのを信頼して、出て行くのだ。

心から主を信頼して歩んでいきたいと思いました。
日曜日の礼拝のために、
そこで一人一人に主が語ってくださるように、
祈りました。

主よ、
今日の一日を感謝します。
私たちの戦いは主の戦いです。
あなたを信頼します。
あなたが勝利を与えてくださいますように。

あなたを恐れます。

2008-06-07

あつい。

言いたくはないですが、
暑いです。
予想されていたとおりですが、
本当に暑いです。

でも、今朝は6時半にハドソン川沿いだったので、
それはそれは涼しかったです。
長袖が必要でした。

でも、その後、どんどん暑くなって、
ガレージセールだったので、
めちゃくちゃ汗かきました。

で、この先数日間の天気。

月曜日のところは真っ赤な太陽が・・・。
最高気温は98度F。
つまり37度Cです。
体温です・・・。
お体には気をつけて。

Yankeesの試合も熱かったようですね。
12-11で勝ったから、まあ盛り上がったでしょうねえ。
でも、こんな暑い日のデーゲームはホント、大変だったことでしょう。

さて、今日の聖書です。
今日はサムエル第一17章28-40節でした。

「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」39節。

どんなに他の人にとって助けになることでも、
どんなに客観的にそれが防御に意味があるとしても、
自分がなれていなかったら、何の意味もない。
何の役にも立たない。

他人のまわしで相撲は取れない。
自分のなれているのものでなければならない。

御言葉を「消化する」という言葉を使うことがあります。
今日も、明日のために消化することの、大切さを思わされていました。
自分の経験として、
自分が神様から取り扱われたこととして、
備えて、語ること、
どんなにか大切なことかと思います。

借り物の恵みでは勝負はできない。
神様にもっともっと取り扱っていただきたいと思います。

神様、
どうか、私をいつもいつも御言葉によって取り扱ってください。
そして、あなたに語られたことを、
自分が取り扱われたことを、
語る者とならせてください。

明日の礼拝を守り、祝福してください。

2008-06-06

ホントに熱波がくる?

今日は昼過ぎまで曇っていたから、
あまり暑くなりませんでしたが、
明日は35度くらいまで上がる予報がでています。

朝はもやっていて、
「これが暑くなるのか?」と思うかもしれませんが、
朝、もやっているのは暑くなる日なのです。

明日は今年初めての野外早天祈祷会。
ハドソン川のほとりに集まって、祈りの時を持ちます。

その後は、先週のGarage Saleで残ったものと、
うちにあるいろんなものを、
うちの庭でSaleです。

今まで知りませんでしたが、
うちの町でもGarage Saleは許可がいるんですね。
15ドルも町に払わなければいけません。

なんとか、たくさん売れてほしいものです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一17章12-27節。

「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」26節。

どうでもいい話ですが、
私は日本の教会で「なぶさん」と呼ばれていました。
「まなぶ」だったので、「なぶさん」
どうでもいい話ですがね。ハイ。

自分が侮辱されることよりも、
神が侮辱されることに怒るダビデ。

今日はこの感覚を自分は持っているだろうかと、
思わされました。

私たちは自分が侮辱されることにはものすごい怒りを覚えます。
なんだか、「そんな風に言われる筋合いはない」とか、
「そんな風に思われていたのか・・・」なんて感じたりします。
またそんな声を聞くことがあります。

侮辱というのは耐えられない。
自分に対する侮辱はね。

でも、自分に対する侮辱はいい、
侮辱を受けても、それをイエスもうけられたものだから、
と平静に受け止めることはできないだろうか。

かえって、神様に対する侮辱に対して、憤りを覚えるか?

そんなことを思わされました。

自分ではなく、神への侮辱に怒る者でありたいと思います。

神様、
自分に対しての侮辱に耐える力を与えてください。
あなたに対する侮辱に怒る心を与えてください。
熱い思いを与えてください。

2008-06-05

熱波がやってくる。

今日は涼しかったですねえ。
でも、もうすぐ熱波がやってきます。
明日は今日よりぐっと温度が上がりますが、
30度くらいでしょう。
熱波はそのあと、土曜日から月曜日にかけてです。
ばっちり晴れて、最高気温は35度くらい。
いや、37-8度までいくと思います。
夜は熱帯夜ということはなく、22度くらいまで下がりますから、
まあ、大丈夫でしょうけれども、
お体には気をつけて・・・。

昨日というか今日というか、
6月5日の朝日新聞のHPにDVのことが書かれていましたね。
夫から妻への暴力の問題(リンクはすぐに切れると思います。悪しからず)です。
「あなたのせいではない」「がまんしなくていい」
一言一言うなずきながら読みました。

日本でも暴力を使うと刑事事件になるので、
暴力を使わないけれども、虐待を続けるケースが多くなってきたそうです。

牧師としてどのように対応したらいいのか、いろいろ考えさせられます。
「怒らせるおまえが悪い」・・・だから、怒らせないように気をつける。
それが大切だと思ったときもありました。

丸く収めることが使命だと思ったこともあります。
だいたいはご夫人方に我慢を強いてきたと思います。

もちろん、そんな時は「我慢」だなんて言葉は使いません。

「愛」という言葉に置き換えて・・・。

でも、それは本当に「愛」なんだろうか、
「恐れ」じゃないだろうか。

それでは解決しない。
はっきりとした態度をとることの方がずっと大切。
被害者も放っておいたら、虐待に身を捧げてしまう。
優しいときの彼が本当の姿だと思ってしまって、
その彼を逆上させる自分が悪い妻だと思ってしまう。
だから、厳しく思えるようなサポートが大切。
「本人が頼ってくるまで様子を見よう」なんてやったら、手遅れになる。

そして、被害者のサポートが大切だけれども、
その一方で、加害者の癒しへのプロセスも大切。
癒されなければ、また次の被害者がでてしまうだけ。
こちらの方がまた難しい。
これからの時代、こういったことを真剣に学ぶ必要を感じます。

無知は怖い。
丸く収めようとする気持ちも怖い。
「完全な愛はおそれを取り除く」
愛と勇気を与えてほしいと思いました。
アンパンマンのテーマソングはすごい、と思います。
(愛と勇気だけが友だちさ~♪)

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一17:1-11。

「サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。」11節。

ダビデとゴリアテの一騎打ちの箇所の一番最初の部分です。
大きな大きな強そうなゴリアテがやってきたときに、
そして、イスラエルの人々を脅しにかかったときに、
人々はおそれて、意気消沈してしまったのです。

自分も、大きな問題が立ちはだかるときに、
思ったようにことが進まないときに、
逃げたくなります。

でも、その必要はない。逃げなくていい。
戦えばいい。
主に祈って戦えばいい。
主を信頼して戦えばいい。

主よ、
あなたがともにいてくださるから、戦えます。
困難な問題、圧倒されるような状況、
それに対して、恐れないで、戦う者としてください。
明日の集会も祝福してください。
あなたのメッセージを伝えることができますように。

2008-06-04

旅人。

今日は雨がしとしと降る、一日。
肌寒いわけではなく、ちょっと蒸すけど、
蒸し暑い、というのはいいすぎかな、
という微妙な天気でした。

明日も今日と同じような天気が続きそうです。

松尾芭蕉が奥の細道の旅に出た歳になりました。
出発のときに、芭蕉は深川にいましたから、
なんだか、親近感があります。

私たちはこの世では旅人、寄留者。
天のふるさとを目指して歩く者。

この家に住むようになってもう8年。
大人になってから一番長い住まいになりました。
どこにいても、旅人の気持ちを失わないで、
歩いていきたいと思います。

私の存在をその人生の片隅にでも受け入れてくださっている皆さんに心から感謝。

また今日は、日本に帰られた仲間から、
先週、無事男の子を出産されたとのニュースが入りました。
感謝。

新しく生まれてくる子供たちのために
私たちができること、私たちが遺せるもの、
何だろうかなあと思います。

地球にやさしい・・・とはありきたりの言葉ですが、
本当に、もう、できることはなんでもする、
ということが求められていると思います。

そして、信仰。
時代は変わっても、変わらない確かなものを受け継いでいく、
これからの与えられている日の限り、
そのことに情熱をかけていきたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の16章でした。

「主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った」13節。

「激しく下った」とはどういうことだったのだろうか。
やはり熱い思いで立ち上がったのだろうと思う。
この後に出てくる、ゴリアテとの戦いでも、
人々が「どうせだめだ」と思っているところで、
彼は堅く立って戦った。

また聖霊様に満たしていただきたい、激しく下っていただきたいと思わされました。
私のうちにあふれ、教会のうちにあふれ、
周りの人々に伝わっていくような、
聖霊様の「激しく下る」ことを、与えていただきたいと思う。

主よ、
どうか、聖霊様が激しく下る、とはどういうことなのか、
見せてください。
私を強め、私に情熱を与え、
熱い思いであなたのことを伝えていく者としてください。

ここまで、いつも守ってくださってありがとうございます。
一つ一つの出会いに感謝します。
どうか、これからの歩みでも、
次の世代に、確実にあなたの愛と恵みを伝えていく、
そのことに熱い者でありますように。

2008-06-03

神の国の大使

今日は暑くなりました。
32度くらいまで上がりました。
でも夜はすごしやすいです。

12時で22度。

これから雨になるようです。
明日は雨。

ここ3日間くらいちょっと晴れて乾燥してきたので、
ちょうどいいと思います。

今日は最近、いうことを聞かなくなってきたノートブックの
クリーンインストールを1年ぶりくらいにしています。
何が大変って、ソフトのインストールとかアップデートとか・・・。
まだ始まったばかりです。

さて、今日は早速聖書。
今日はサムエル記15:16-35でした。

「あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。」17節。

自分は小さい者に過ぎない、というのは謙遜な感じがするかもしれないけれど、
本当はそうじゃなくて、無責任、責任逃れ、なのかもしれない。
本当は逃げているだけなのかもしれない。

私たちは一人一人が神の国の大使。
神の国の代表として、ここに生かされている。

私個人のことを言えば、牧師としてここに立てられている。
小さき者であることには変わりないけれども、
それとともに主に責任を与えられて、主に従うことを命じられているのだ。

今日も、本気で主に従う者でありたいと思いました。
何でも事なかれ主義で、「いいでしょう」というのではなくて、
一人一人の霊的な状態を心に留めて、
話ができるものでありたいと思います。
逃げないで、人を愛するものでありたいと思いました。

主よ、
どうか、私を守ってください。
あなたに与えられた使命を果たすものでありますように。
あなたに与えられた使命に生きるものでありますように。
日々、それをリマインドしてください。

2008-06-02

「便利」がやがて「支配される」に。

今日もいい天気で暑くなりました。
暑いと言っても湿度がそれほど高くないので、
気持ちがいい暑さです。
30度くらいでした。

明日ももう一日今日のようにいい天気でしょう。

今朝は車で教会に行って祈ってきました。
やはり平日、車が多い時に自転車はコワイかな。
でも、NYとかでは当たり前のように自転車の人いますよね。
怖くないのかなあ。

でも、運転する方も、NYだと、
歩行者や自転車になれているんですよね。
こっちは滅多に見ないから、慣れていない。
人が歩いていたり、自転車が走っていると、
「何だろう?」と不思議に思ったりします。

で、帰りに車のエンジンをかけながら、
本当に「便利」だけど、「支配されている」よなあ、と思いました。
電気もそう。インターネットもそう。
これがなかったら、どうしよう、という生活ですよね。
世界の何割かの人たちは電気なしでもちゃんと生きているのに。

自転車で、まだたった一往復ですが、その時、
「なるったけ荷物を少なくしよう」と思いましたからね。
車で、甘やかされて、荷物も増えて・・・。

今日は私が子供の学校の送り迎えだったのですが、
行きも帰りも、歩きました。
往復で1マイルくらいのたった20分なんですが、
それでも車が楽。時間も往復で5分くらい。
15分が本当になくて大変かというと、そんなことはないはず。
気をつけて時間を作れば、往復20分なんて簡単なはず。

でも、ガソリン燃やして体脂肪燃やさない。
変な社会。それで体脂肪が余ったから、
「ジム」というのが町に溢れ、
そこまで車で行って、
駐車場も一番近くに停めて
機械に乗って・・・その機械もかなりの割合で、電気で動くヤツ。
つまり、何か体脂肪以外の燃料を燃やして作った力で動くヤツ。
その力で体脂肪を燃やして、筋肉を維持しようとしている。

アメリカに来たばかりの頃、
人々を見て、大きな上半身と貧弱な下半身のアンバランスさに驚きましたが、
自分もそうなり始めているのかな、と思います。

運動をやっているハジさえ、ウガンダの子供にかなわなかったといいます。

最低限のことはやらないと!

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一15:1-15。

「サウルはカルメルに行って、もう、自分のために記念碑を立てました。」12節。

サウルはアマレクを破った時に、
自分のために記念碑を建てたという。

その同じサウルが、サムエルに「どうして牛や羊を取っておいた?」と詰問されると、
「民がやったのです」と逃げた。

ああ、みっともない!

手柄は自分のものにして、
失敗は部下の責任にして。
なんてヤツだろうと思いました。

でも、そう思いながら、いや、自分はどうだろうかと思いました。

人のことはよくわかる。
サウルの姿を見て、みっともないと思う。
でも、自分も同じことをやっていないか、
同じことをやってきていないかと問われました。

自分のことってわからないものだと思います。
気がつかないんだなあと思います。

本当に、主の前にへりくだり、
人の間でもへりくだる者でありたいと思います。
無理してそれをするのではなく、
そういう品性を与えて欲しいと思いました。

主よ、
人を見ると、傲慢な人は、
自分の手柄を誇り、人の責任を追及する人は愚かだと思います。
みっともないと思います。
でも、私はどうでしょうか?
私の心を探ってください。
そして、あなたの前に、人々の間で、へりくだった品性を持つ者としてください。



2008-06-01

聖徳太子になりたい。

今朝は一念発起して、というか、
前々から考えていたのですが、
朝の祈りに教会に行く時に、
ガソリンではなく、自分の体脂肪を燃やそうと、
自転車で走ってみました。

5マイルだから、大体8キロ。
たっぷり30分。
結構かかるもんだなあ、のどが渇いたなあ、
脚が痛いなあ・・・と教会に入ろうと思って気がつきました。

あ、・・・鍵がない。

いつも車で来るので、車の鍵と教会の鍵を一緒にしておけば、
こういうことはない、と思っていたのですが、
今日は自転車だったので、うっかりしていました。

自分はホントにいっぺんに一つのことしか考えられない人間みたいです。

人によっては、テレビを見ながら、アイロンをかけながら、みんなと話をする、
ということが出来るといいます。
でも、私は絶対無理。大体一般的に男性はダメみたいですが、
聖徳太子は10人の人に話しかけられても、ちゃんと聞き分けたといいます。

ああ、そんな人間になりたいなあ、と思いました。

そんなことを思いながら、でも、教会の入り口に座り込んで、
聖書を読んでお祈りをしました。

空がとっても青かったです。
それはそれでとってもいい経験でした。

帰りは行きの数倍きつかったです。
やっとの事で家に帰って、また、玄関先で座り込んでいたら・・・
(別に鍵は閉められていませんでした、念のため・・・)
バラがきれいに咲いていました。


ちょっと忘れかけていたものを思い出させてもらったような、
そんな朝でした。
毎朝、これをやったら、絶対やせると思います。
でも、ちょっと自信はありません。

とりあえず、明日はまたガソリンを燃やすことになりそうです。

明日も気持ちよく晴れそうです。

今日、2月に日本で初めてお会いした方が、
信仰告白に導かれたことをお伺いしました。
本当にハレルヤです。
神さまがすべてを御手の中でアレンジしてくださったことを思い出して、
主に感謝しました。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一14:36-52

「しかし祭司は言った。『ここで、われわれは神の前に出ましょう。』」36節。
勢いに乗って、「さあ、追っていこう」と言っていたサウル。
そして、「あなたのいわれることは何でもします」と言った人々。

でも、その時に、祭司は「神の前に出ましょう」と言います。
ある意味、勢いをそぐ一言だったでしょう。
こんなことを言うのには勇気がいったと思います。
でも、そのようにした祭司たち。
そのような勇気に生きる者でありたいと思いました。

人ではなく、神を見る、
神の御心を求めながら歩む、
そんな者でありたいと思いました。

主よ、
いつも御心を求めて歩む者であらせてください。
人ではなく、人々ではなく、
神さまの御声を聞いて歩む者であらせてください。
あなたに目を向けます。
どうか、あなたが答えてください。
わかるように導いてください。