2010-02-21

テントから大邸宅へ

来週の月曜日から水曜日にかけての天気、
雨か雪か、どれくらい降るか、全くわかりません。
でも、たぶん、雨や雪がたっぷり降るんだと思います。
天気予報の奥の深さを思わされます。


でも、その深みにはまって抜けれなくなってしまわないように、
気をつけようと思います。


さて、Purpose Driven Life の4日目「永遠に生きる存在として造られた」。
私たちの目的はこの世ではなくて、
永遠の世界なのだというところです。


心に留まったことばは、
「私たちが今住んでいるテント、私たちのこの地上の体、が壊れても、神は私たちの住む家、永遠に続く、神ご自身が造られた天国の家、を用意してくださっているのです。」


テントなんだ。
この地上での体は。
この地上での生命は、テントの中に住んでいるようなものなんだ。


そして、天国の家は、
他の聖書の箇所では、マンションという英語が使われています。
英語でいうマンションです。
日本語のマンションではなくて・・・。


英語のマンションは日本語では邸宅。
邸宅が準備されている。


この地上の歩みはテント生活。


だとすると、この地上の生涯にしがみつくのは、
滑稽なくらいだ。


そのことが、本当に単に頭の知識ではなくて、
本当なんだなあ、と、思わされたのが、今回、日本で出席した葬儀。
ハッキリと、主のところに迎え入れられたことを思わされました。


テントから邸宅へ。
そう思ったら、この世での歩みも変わってきますね。


さて、2月14日日曜日の聖書。
マタイ15:29-39


「こんなへんぴな所で、こんな大ぜいの人に、十分食べさせるほどたくさんのパンが、どこから手にはいるでしょうか。」33節。

1回目ではない。
前にも同じことが起こっている。
でも、弟子たちは、やっぱり、「無理だ」と感じないではいられなかった。
「無理ですよ」とイエスに言わないではいられなかった。

不信仰だと責めるのは簡単だ。
でも、自分はどうだろうか?

主の御業を何回見ても、
毎回毎回、信仰が問われる。
「信じます、不信仰な私をお赦し下さい」と言わないではいられない。

主の「わたしを信頼しなさい」との語りかけをいただかないと、
堅く立っていけない。

オートマチックじゃない。
いつもいつも主に語っていただいて、
いつもいつもみ言葉に支えられて歩んで行く、
それしかないんだな、と思う。

主よ、
あなたのみ言葉を与えて下さい。
あなたのみ言葉によって生かして下さい。
不信仰なわたしにはあなたのみ言葉しかありません。

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