2009-07-22

日食ってすごい。

22日の日本はどうだったんでしょうか?
こちらは21日はとても涼しくて、
一日中20度以下。
一日雨が降っていました。
かなり本降りの時間が長くて、
場所によっては水が出たところもあるんでしょうね。


明日はずっと気温も上がり、
蒸し暑くなりそうです。


曇り時々晴れで雷雨もある、という不安定な天気になりそうです。


さて、日食の話ですが、
考えてみたら、太陽にすっぽり月がかぶさるって、すごいですよね。
太陽の直径が月の直径の約400倍で、
太陽までの距離が月までの距離の約400倍だから起る、
この不思議な現象。
これってすごいですよねえ。
その大きさがあまりにもぴったりだから、
時によっては月の地球までの距離の関係で、
太陽が月に収まり切らなくて「金環食」になる・・・。


また、それだけじゃなくて、
それが起っているところにまた知的な生物が住んでいて、
それを観察している、ってところがすごい。


子どもの頃、自分がおじいさんになった頃に、
日本でも皆既日食があると、科学漫画で読んだことがあります。


いつかなあと思って調べてみたら、2035年9月2日ですね。
あのころよりも海外旅行が当たり前になってきているので、
必ずしもあと26年待たなくてもいいかもしれませんが、
確かに70代ですね。
結構あのころから楽しみにしていました・・・
あれから、36-7年経っていますから、
あと26年なんてあっという間かも・・・。


でも、その前に、
3年後には5月20日に日本で金環食(太陽がわずかにはみ出る)、
8年後にはサキの16歳の誕生日にアメリカを横断する皆既食があります。
ちょっとそこら辺は見てみたいかな、と思います。


さて、7月17日(金)の聖書。
ルツ記3章1-13節でした。


「朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」13節。

この「主は生きておられる」というのは単なる慣用句で、
「主の前に約束しますよ」という程度の意味だった可能性もありますが、
でも、ここで、その親類がどのような答えをするのか、
それはボアズとルツにとって喜ばしい答えではないかもしれないけれども、
そこに神様の働きを見よう、という姿勢の現われでもあった、と読むことはできないだろうか?

この後に起ること、
彼らのできることには限界があった、
そのもっと近い親類がその役目を引き受けたら、
彼らは一緒になることはできなかった。

でも、彼らはそれをも主の御手にゆだねた。

その神への信頼。

自分の願い通りにならなくても、
そこに主の御手を見ていく信仰。
それを持たせて頂きたいと思います。

主よ、
あなたの御手を信頼します。
私の考えを遙かに超えたあなたのお考えを信頼します。
どうか、これからの歩みも、守り、導いてください。
自分の手の届かないところにも、
あなたの御手を見ていくことができますように。



2009-07-20

40年前の今日。

今日もいい天気でしたね。
それほど暑くもなく、
さすがに朝、芝刈りをしているときは汗だくになりましたが、
その後は、快適な一日でした。


明日は雨。
ちょっと芝生とか、渇き始めていたので、
ちょうどいいでしょう。
気温は25度止まりの涼しい一日となりそうです。


40年前の7月20日は人類が初めて月に降り立った日。
自分は6歳でしたから、幼稚園の年長さんですよね。
うーん、覚えていません。
その後、小学生の時に、月にアポロが行ったときは、
学校の先生がテレビをつけてくれたのを覚えていますが・・・。


あのころ、40年後は月に人が行くのは当たり前になっているのでは・・・
なんて思っていましたが、アポロが終わってから、月には行っていないんですよね。


昨日も、これから10年後どうなっているだろうか?
携帯電話なんて過去のものになって、
埋め込み電話になっているのかなあ、
なんて話をしていましたが、
意外と変わっていないのかも・・・と思います。
そして、それを期待しています。


そして、便利になったり、楽になったりすることがある中で、
いつも変わらないもの、いつも変わらないでそこにあるもの、
それこそを、大切にしていきたいと思いました。


さて、7月16日(木)の聖書。
木曜日はルツ記2:14-23。


「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主」20節。

これはナオミが死別した夫や子供たちのことをさして、
こういっているのだろうなあ、と思います。

でも、これはナオミの境遇の中だけで真理なのではありません。
わたしたちすべてにとって「アーメン」のことです。

生きているものに恵みを与えてくださっている、
でも、それだけではなくて、もうこの世を去った人々のためにも、
主は恵みを注いでくださっている。
先に天に帰って者たちのためにも、
主は恵みを注いでおられる。

わたしたちは自分が生きて、子どもが大きくなるのを見たいし、
次の世代の人々が育っていくことも見ていきたい。
でも、それがかなわなくても、
そこには主の恵みが注がれている。

たとえ自分が子供たちが小さなうちに、
また妻が困るだろうという状況の中で、
先に行かなければいけなかったら、どんなにつらいだろうかと思う。

でも、そんな中でも、自分が手を掛けることができなかったとしても、
自分が先に行かなければならなかったとしても、
その後は主が恵みを注いでくださる。

だから、わたしたちはすべてを主の御手にゆだねよう。
主が守り、養い、育て、生かしてくださるから。

主よ、
わたしたちの生き死にもあなたの御手の中にあることを信じます。
もしも、私が先に行かなければならなくなったとき、
残された者たちのことを心配しないですむことができますように。
あなたの御手が、導いてくださることを信じて、歩むことができますように。

縦列駐車。

今日もさわやかな夏の日でした。
夜になって涼しくなっています。
今、12時前ですが、20度を下回ってきています。
また、明日の朝は15度くらいになりそうです。
昼間は28度くらい。
雷雨の可能性もあります。


この後、今週はほぼ毎日「ところにより一時雷雨」です。
不安定な天気が続きそうです。
でも、今までよりも「蒸し暑い」不安定な天気になりそうです。


さて、18歳になってもう半年近くなるハジですが、
明日、運転免許の試験です。
17歳から取れる免許ですが、1年半も経ってしまいました。
半年間の路上練習で、もう安心して隣に座っていられるのですが、
問題は「縦列駐車」。
ここら辺は日本の免許の試験と同じです。


こちらではNYにでも行かない限り縦列駐車が必要な場面はありません。
ですから、「わざわざ練習する」ということになります。


今から24年前、私が日本で免許を取った時は、
「何本も立っているポールの何本目が後ろの窓のここに来たときに、ハンドルをいっぱいに切る」とか、応用の利かない教え方をされたので(車が変わっただけで、どうしていいかわからない+現実に路上駐車するときにはポールなんて立っていない・・・)、免許を取った後に、途方に暮れた経験があります。


こちらでは、親が教えるので、自分でもほれぼれするほど、上手に教えることができます。
きっと自分で運転するより、隣に乗って教える方が簡単だと思います。


今日は夜10時を過ぎて家に帰ってきてから、練習開始。
もうだいじょうぶ、というところまでやって、明日に備えます。


本人は晴れて免許が取れたら、一人でPrincetonまで(片道1時間半くらい?)行ってくるから!と申しておりますが、親は、それはちょっと心配。


やっと取れる免許、助かるような、怖いような・・・。


さて、7月15日(水)の聖書。
ルツ記2:1-13
「あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主・・・」12節。

主の翼の下に避け所がある。
私の避け所もそうだ。
主のもとこそが、私の避け所。
わかっているのに、そうしていないときもあることに気が付く。

他のところに解決を求めないで、
神様の元に求めていこう。
神様の元で安らいでいこう。
そのように思いました。

問題が起ったときには、
意識して、主からの答えを待ち望みます。
自分の常識によって判断することがありませんように。

主よ、
あなたが私の避け所になってくださることを感謝します。
どうか、次に私に危機が訪れたときに、
そのことを思い出させてください。
他のものにではなく、あなたに助けを求めますように。


2009-07-19

あなたの神は私の神。

今日はまたスカッと晴れて、
湿度が下がった分だけ、気持ちが良かったです。
そして夜はまた涼しくなってきました。
今、夜の12時前ですが、21度。
明日の朝は15度以下に下がると思います。


そして、明日も30度に行かない、気持ちのいい一日でしょう。


さて、7月14日(火)の聖書。
火曜日はルツ記1:15-22。


「あなたの神は私の神です。」16節。

ナオミに襲ってきたのは、本人が言っているように、
苦しみ、痛みでした。
故郷から飢饉を避けて逃げてきたモアブの地で、
夫に先立たれ、そして、2人の子供たちにも先立たれたのです。

そんな不幸が立て続けに起こったナオミを見ながら、
ルツはその神を自分の神として受け入れようとしたのでした。

ルツをして何がそう言わしめたのかなあ、と思います。
3人の男手を天に召された神をどうして、「私の神」としようとしたのでしょうか?

やはりナオミの信仰者としての姿でしょうか?
ナオミがそんな苦しみの中で、それでも神を見上げて生きている姿が、
ルツが子どもの頃から見てきた神々を信じる人々と、
全然違ったのでしょうか?

素直に、「私もこういわれてみたい」と思いました。
「あなたの信じている神を信じたい」
そのようなことを言われてみたいと思いました。

でも、そのように言われることが目標なのではなくて、
やはり、この神様の許に帰る人が一人でも多く起こされますように、
そのように祈らされます。

主よ、
どうか、私をきよめ、私を用いてください。
あなたを指ししめす、あなたのすばらしさを表す器として用いてください。
あなたの素晴らしさだけがほめたたえられますように。

2009-07-17

夏!

いやあ、からだを甘やかせているので、
この、べと~、じと~という感じが、
きついですねえ。


今朝は20度くらいありました。
そして、今、朝の10時前ですが、29度くらいまで上がっています。
今日は30度を超えます。
でも午後から夜はまた雷雨。
それで明日からはまた朝晩15度くらいの
涼しい夏が続きそうです。


そして、来週後半からの予報は以下のようになっています。




これは参りましたね。
未だ先のことなので、全く変わる可能性もあるのですが、
気持ちがどんよりしそうです。


夏があるうちに、夏を楽しみましょう!


さて、7/13(月)の聖書。
7/13からはルツ記を読んでいます。
13日は1:1-14。


「ルツはすがりついていた。」14節。

ユダヤからやってきた一つの家族。
大黒柱を失い、二人の息子が母を支えていた。
その息子の一人、マフロンと結婚したルツ。
彼女はその母と兄弟の信仰の歩みを見て、
神を信じる者となっていた。

その家庭を襲った悲劇。
その兄弟が二人とも亡くなってしまったのだ。
残されたのは何の血のつながりもない女性3人。

当然、母は嫁達に、さあ、あなた方は未だ若い、
家に帰って、自分の人生を歩みなさい、
というわけです。

でも、そこで、ルツはナオミにすがりついていた。

彼女にとって、やはり、もう、この義母が頼るべき、
共に生きるべき、家族だったのだ。

そして、そのことが、この彼女の信仰の歩みの中で、
criticalな出来事になる。

わたしたちの歩みの中で、
ここだけは・・・というcriticalなポイントがあると思う。
それを外さない。
それを見逃さない、
そんな鋭さを持たせて頂きたいと思う。

主よ、
私もあなたを頼ります。
あなたのことを忘れないで、
いつもいつも前に置いて歩ませてください。
そして、ここぞ、というポイントを
見逃すことがありませんように。

2009-07-16

早く休みます。

今日も充実した一日でしたが、
暑かったですね。
31度くらいまで上がりました。
夜の12時ですが、23.5度あります。

明日も暑いみたいです。

土曜日からはまた涼しい夏に戻ります。

何だか、最近朝起きるのがつらいので、
早く休みます。

「日々のみことば」、早く追いつきたいのですが、
また明日、日中に更新しようと思います。

では、夢の国に行って来ます・・・。

2009-07-15

ことばとおんがくとえのさんび。

今日も朝は涼しかったです。
昼間はソコソコ暑くなりました。
でもでも、今年の夏はとて~も過ごしやすいです。


明日は一時雷雨の予報です。
50パーセントを出してきているところもあり、
30パーセントを出してきているところもあり、
正直、わかりませんが、
覚悟は必要みたいですね。


さて、今日は久しぶりのクロッキー教室。
そして、人生初のモデル体験。
爆笑を誘いながら、皆さんに描いて頂きました。
照れますねえ。でも、うれしい。
皆さん、愛をもって描いてくださいました。


その中で話に出た、言葉と音楽とそして、絵で神様を賛美するパフォーマンスのビデオ。


すばらしいです。






本当に神様が与えてくださったすべてをもって賛美ですね。


3年前にアップされたビデオですが、300万回以上再生されています。


さて、7月12日日曜日、哀歌の最後の日です。
哀歌の5:11-22を読みました。


「 主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。」21節。

結局そこですよね。
わたしたちが神様の許に帰る。
神様と共に歩む、
それがわたしたちの望み。
そして、それがわたしたちが一番わたしたちらしい瞬間。

神と共に歩む喜びに生かして頂きたいです。

日曜日の朝に読んだので、
礼拝のことを覚えて祈りました。
本当に主のもとに集う、主の許に帰る、
そんな礼拝となりますようにと。

そして、それが毎日の歩みになりますように。
そして、今度の日曜日の礼拝も、
そのことを実感するときとならせてください。

主よ、
どうか、あなたと共に歩ませてください。
あなたの元でホッと休ませてください。

2009-07-14

進出。

今日も朝は寒かったです。
長袖を着ても、外は寒いくらい。
昼間は夏らしい日でしたが、
夜になってまた冷えてきました。
今は11時前で19度。
明日の朝はまた10度台前半です。


そして、また昼間は晴れて、気持ちのいい晴れの日です。


今日、Fort LeeのNJ日米協会を使わせて頂いて、
聖書の学びのクラスをスタートしました。
予想を遙かに超える13名の方々が集って、
とても楽しい一時を持ちました。


今、NJの日本人人口は地域的に、
おそらく2つの集中している地域があって、
一つは、我が家のあたり。
日本語補習校もあり、
交通の便も便利。
でも、やはり車がないと生活出来ない。


もう一つはGeorge Washington Bridgeから南に広がる川沿いの地域。
MITSUWAという日本のスーパーもあり、
最近の建設ラッシュで、新しいこぎれいなコンドミニアムが並んでいる。


今回、集会をした日米協会は、後者の方にすむ人たちにとっては、
とてもいいところ。
車を運転しない人たちや、Highwayの運転はむり、という人も来ることができる。


だから、新しい方々も来られましたが、
それと共に、いつも教会に来られている方々のうちで、
そちら方面の人たちのうれしそうな顔を見て、
本当に良かったなあ、と思いました。


教会は前者の地域。
この両者は車で15分しか離れていないのですが、
人によっては心理的距離はもっとあるでしょうね。


この道を開いてくださった神様に感謝。
もっともっと主がこの地域の方々に福音を語らせてくださいますように。


「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」イザヤ54:2。


さて、7月11日(土)の聖書。哀歌5章1-10節。


「私たちの先祖は罪を犯しました。」7節。

先祖の罪を認める著者。
そこに自分が連なっていることを告白しています。

「私が悪かったわけではない」
そのように逃げたいのがわたしたちの常です。
「私は未だ生まれていなかった」
「先祖が勝手にやったことだ」と言いたい。
逆に告発することの方が簡単でしょう。

でも、そこに自分が連なる。
自分の罪として悔い改める。
自己保身に走らない。
そんな潔さ。
そんな気持ちをもって歩みたいと思わされました。

主よ、
私は連帯責任を負うことから逃げたい者です。
でも、そこに勇気と真実をもって、
連なることを恐れない者としてください。
先輩の罪、仲間の罪を、自分も負う勇気を与えてください。
いや、自分も状況さえ整えば、同じ罪を犯す弱さを持った者であることを、
自覚させてください。




2009-07-13

サービスは大切。

去年、10年ぶりくらいにりんご社製品を使い始めて、
今日、初めて、サービスを利用したのですが、
とてもいいですね。


いや、Dellのサービスもいいですし、(特にチャット)
KmartやShopriteやHomedepotや、いろんなところのサービスカウンターや、
サービスセンターにお世話になっていますが、
今日はりんごストアで、10か月OLDの愛機を、
新品に交換して頂きました。


1ヶ月ほど前に、iPhoneの一番下のコネクターの裏に長さ1センチ足らずのひびを発見。
そういえば、ちょっと前から、コネクターの決まりが緩いような気がしていたのでした。


で、ネット上で調べたら、そういう症状がよくあって、
その場合、保証期間内だと、新品に代えてもらえる、
という記述もあり、(いや、私は何も保証しません、念のため)
今日、アポイントを取って行ってきました。
そしたら、両腕と肩にバリバリ入れ墨を入れているお姉ちゃんが、
OK、と簡単に無料交換に応じてくれました。
(念のために、水に濡れると反応するセンサーの色が変わっていないか、チェックはしていました)
ついでに、最近、断線しそうになっていた、コネクター用のケーブルの方も無料交換。
9月に1年の保証が切れるので、ぼやぼやしていると、時間切れアウト、もあるかと思って、
時間ができたときに、相談しに行ってよかったです。


細かいことを気にする人間ではないので、
別にひびが入っていてもそれほど支障があるわけではないのですが、
1年近く使っていると電池が弱くなってきています。
ですから、ここで交換してもらえるのは、すごく助かります。
今度のヤツのバッテリーがへたってくる、
来年の今頃には、また次のモデルに切り替わっているでしょうから、
そこまでもってくれればよし、ということで。


そして、帰って、データの復元をしたのですが、
ちょっと手間取り、またものすごい時間がかかっていましたが、無事終了。
ほとんど、今まで使っていたヤツと同じ環境が復元されていました。
これはまたすごい、と思いました。


私はいつもDisneyには感心するのですが、
りんご社のサービスもかな~りのものです。はい。


サービスは大切。
どんなに安く売っても、どんなにたくさん売っても、
いざというときに相談に乗ってくれない、
何もしてくれない、相談に行ったら嫌な気持ちになってしまう、
そんな、ことでは、お客さんはつながらないですよね。


そして、この会社のやり方は、普通の人が使うコンピューターのメーカーとしては、
特別なビジネスモデルですよね。
他のメーカーはWindowsという他の会社が作った共通のOSを走らせるが故に、
自由はいろいろ多い。私なんかでも、いろんな部品を集めて、一つの機械を作れる。
でも、トラブルが起ったときに、どこの責任がよくわからない。


でも、このりんご社製品は、ソフトもハードも両方作り、
そして、その使用条件も厳しくコントロールしている。
だから、トラブルが起ったときに、すべての責任を自分で負う。その潔さがある。


自分の働きのためにも、大切なことを学ばされたように感じました。
自分が責任を負いたくないが故に自由を与えている、ということがないだろうか、
本気でトラブルが起ったときに、その責任を負う準備ができているだろうか、
それほど、真剣に日々の歩みを歩んでいるだろうか、それを思わされました。


さて、今日2回目。
7/10金曜日の聖書。哀歌4:11-22でした。


「私たちの鼻の息である者、主に油そそがれた者までも、彼らの落とし穴で捕らえられた。『この者のおかげで、諸国の民の中でも私たちは生きのびる』と私たちが言った者なのに。」20節。

当てにしていた人、
あの人がいるから大丈夫、と思っていた人が、
穴に陥る、ということがある。

本当に主を信頼することの大切さを思わされます。
人を当てにして、
人に期待して、
あの人がいる限り、何とかなる。
あの人だけは助けてくれる、
そんな思いにとらわれたときは本当に気をつけなければ、
と思います。

人を信じることももちろんすばらしいこと。
でも、もしも人がいなくても主がいるから大丈夫、
人の背後には主がおられて、導いてくださっている、
そのように主を信頼して歩んでいこう。

主よ、
あなたが私を支えてくださる方であることに感謝します。
人ではありません。あなたです。
あなたが私を支えてくださっているから、
私は生きているのです。
どうか、人を信じるときにも、その人の背後におられるあなたご自身を見つめていくことができますように。



父娘水いらず。

今朝はまた冷えましたねえ。
12度くらいまで下がりました。
寒いくらいでした。
でも、昼間はいい天気になって、
またまたさわやかな夏の一日。


夕方からまた涼しくなってきました。
明日の朝も、冷え込みそうです。


ひさ~しぶりの休日。
今年はJuly 4thも土曜日でしたし、
2週間キャンプが続きましたから、
3週間ぶり。


ということで、昨日のうちから、
子供たちに(のんちは仕事DAY・・・)、
「明日は何がしたい?たとえば・・・blueberry pickingとか・・・」
誘導尋問で聞いてきたのですが、
一番下の娘だけが乗ってきたので、
キャンプ疲れの残る高校生は家に残して、
父娘水入らずで行って参りました。


いろいろ調べて、北の方に1時間あまり走ったところにある、
Hodgson's Farm & Garden Center 
に行ってきました。



今シーズン真っ盛りで、
たわわに実っています。
ほんと、「たわわ」って感じ。
ちなみに入園無料。
1パウンド(450グラムくらい)で、3ドルです。


味見は自由です。
昼頃に着いたので、
気持ち悪くなるくらい食べました。

この子の顔はほんとに「ハジそっくり」です。
「ハジ子」と呼んだりします。
自分でも、「ハジのまね」と、顔を突き出します。
なにもしなくても、そっくりなことを自分でも自覚しているようです。


子どもの時に、兄弟の中で一人だけ連れて行ってもらった経験、
親父にどこかに連れて行ってもらった思い出は、残っています。
だから、今年の夏休み、あんまりできないのではありますが、
子供たち一人一人と、「特別な時間」を作りたいな、と思わされています。
でも、可能性のある月曜日もあと4回かな。
一回一回大切に過ごしたいと思いました。


さて、7月9日木曜日の聖書。
7/9は哀歌の4:1-10。


「乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、幼子たちがパンを求めても、それを裂いて彼らにやる者もない。」4節。

こんなことがあるのだろうかということが、
ここには書かれています。
でも、限界状況を経験したことのない私には想像出来ないようなことが、
限界状況では起るのだろうと思います。

自分は根本的に、人の善意を信じたい方です。
でも、そう楽観的に、無邪気に言ってはいられない、
というのが現実なのでしょう。

人の愛の限界、人の愚かさを思わされました。
そしてそれは自分もそう。

ただただ、主の憐れみを慕うのみです。

主よ、
人の愛の限界を忘れることがありませんように。
そして、あなたの愛を見上げ、信じる者とならせてください。
あなたの真実を、信頼しています。

2009-07-12

みっどらいふくらいしす・・・そのご。

今朝、起きたときは、空がどんよりしていましたが、
今、8時半ですが、スカッと晴れています。
行楽礼拝日和です。


気温はソコソコ上がると思いますが、
湿度はそれほど高くなく、さわやかな夏の日になりそうです。(^^)


今年の2月にみっどらいふくらいしすのこと書きましたが、
・・・2/22の記事2/23日の記事・・・
40歳を過ぎた頃から、自分の人生は今までの人生の延長の上にあると思ってきました。
それまでの全能感、そうですね、
「がんばれば何でもできる・・・」みたいな、
「ホントのオレはこんなもんじゃない」みたいな、
そんな感覚から、「自分の人生を受け入れる」みたいな感覚に移ってきたんですね。


でも、またここのところ、何だか、新しいことが起るような、
ワクワク感が生まれてきました。
昨日も書いたように、新しいことに挑戦しようかとか、
神様はどんなことをしてくださるんだろうかとか、
そんな感じがあります。
特別に目が開かれるような経験があったわけではありません。
でも、いろんなことを通して、主が語ってくださっていると思います。
このブログもそうですし、弟子訓練のプログラムもそうですし、
「日々のみことば」もそうです。


もちろん、これで、あっさり、「みっどらいふ・・・」を超えたわけではないと思います。
盛り上がったり、盛り下がったり、いろんなところを通ると思います。
いや、それどころか、これからが本番で、私は今入り口にいるのかもしれません。


でも、ここ数年の中で、このワクワク感は不思議な感覚です。
そして、この先も、主が守り支えてくださることを、安心して信頼出来ます。



先の事どもを思い出すな。
昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しい事をする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。
確かに、わたしは荒野に道を、
荒地に川を設ける。

(イザヤ43章18-19節)

ただただ、主に感謝。

さて、7月8日(水)の聖書。
7月8日は哀歌3:55-66。

私があなたに呼ばわるとき、あなたは近づいて、『恐れるな』と仰せられました。」57節。

主が近づかれる。

主はいつも共におられる、という感じがある。
でも、この聖書の箇所を読むと、
主が近づかれるとあるから、逆を読むと、主が遠ざかれるときもある、ということだろうか。

この著者が、そう勘違いしているのか、
それとも、私が勘違いしているのか・・・。

主がいつも共にいてくださる、それは確か。
でも、その神様との距離は近づいたり、遠ざかったりするのだろうか。
今の自分はどうだろうか?

私の方が神様のことを忘れて、
他のことに心を奪われてしまうことはないだろうか?

でも、わたしたちが神様に目を向けるときに、
神様に叫ぶときに、
主が近づいてくださる。
そして語ってくださる。

「恐れるな」と。

今日も恐れないで歩もう。
恐れが湧いてきたときには、
また主に目を留めよう。
主に向かおう。
主に叫ぼう。
そして、主に語って頂こう。

主よ、
私がどんな気持ちの時にも、
あなたは共にいてくださることに感謝します。
主よ、
どうか、今日も、私をあらゆる恐れから守ってください。
そして、必要な助けを与えてください。

あなたがしてくださる新しいことに感謝し、期待します。

2009-07-11

Fellowshipの喜び。

夜の11時過ぎです。
先ほどから予報通りに雷鳴が聞こえています。
雨も降ってきました。


でも、明日は雨もすっかり上がって、夏の日になるようです。


今日の午後は、ある方のお宅にお伺いして、
しばらくFellowshipの一時。
最後は讃美歌で終わるというとてもいいFellowshipでした。


でも一緒に食事をして、
その後ピアノを聞いて、それから、みんなで賛美なんて、
かきごおり的には夢のようです。
高校の時にピアノが弾けるスポーツマンとか、羨ましく思いましたし、
家族でピアノの周りに集って、娘が弾くピアノで、家族が讃美歌を歌う、とか、
めちゃくちゃあこがれましたが、今日は、ちょっと娘に期待しよう、
というよりも、50の手習いで(未だ早い)、ピアノをやろうかなあ、と半マジで思いました。


最近、ピアノだけじゃなく、
英語をもっとちゃんと話せるようになろう、
コンピューターのプログラムの勉強をしよう、
いやいや、牧師なんだから、もっとすらすらとギリシャ語、ヘブル語が読めるようになろう。
いや、弟子訓練の勉強をもっとしよう、とか、
なんだか、わき出てきてしまっています。
ちゃんと優先順位を決めて、できないことはあきらめる、勇気が必要ですね。
与えられた限られた時間を何に使うか、ちょっと楽しみです。


そして、夜には明日の礼拝説教をしてくださる先生とのFellowship。
アジアに広く目を向けておられる先生のお話は、
とても興味深いものでした。


明日の礼拝がまた楽しみです。


さて、7月7日(火)の聖書。
7/7は哀歌3:40-54。


「私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」41節。

手も心も・・・ということは、
手だけになってしまう・・・形だけ。
心だけになってしまう・・・ホントは何もしてない。
ということの両方に陥らないようにする、ということ。

形だけの礼拝、ただ、形だけ、手を挙げて主に祈っている、主を賛美していることの愚かさをも感じます。でも、反対に、「気持ちはあるんですけど・・・」って言い訳は、例外もあるでしょうが、ほとんどは、気持ちがないことの証拠。気持ちがあるならば、どうしても形に表せないということもあるでしょうが、でも、多くの場合、当然、形に表れてくるべき。当然形に表れる。

だから、本当に言葉だけではなく、
また形だけではなく、
そして、心だけではなく、
具体的に、
主を礼拝し、主を賛美し、主にささげて歩んでいくことの大切さを思わされます。

主よ、
あなたへの礼拝が、
明日のJCCNJの礼拝が、
心からあなたをあがめるものとなりますように。
心からあなたを賛美するものとなりますように。
心も、そして形も、両方とも、主に向かいますように。
明日、この聖書の箇所を思い出させてください。





イエスはパンくずも集められたから・・・。

今日は昨日までよりはちょっと夏らしいでしょうか?
今は午後1時過ぎですが、外は29度。
夜には雷雨の予報ですが、
今、雷雲はペンシルベニア州の一番西の方。
昼間の間は持ちそうです。


土曜日の午前中にほぼ毎週ある「弟子訓練」の集まりがお休みで、
JOYJOYシンガーズも7-8月はお休みで、
明日の礼拝はゲストの先生で・・・ということで、
朝7時半にタイヤ交換に行った後は、
皆さんに連絡をしたり、
いろいろたまっていることをぼちぼち片づけたりしております。


一ヶ月ほど前になるんですが、
1年2ヶ月ぶりに小銭貯金箱がいっぱいになりました。
1年2ヶ月前の記事はこちら。


で、今回もまた会堂献金だ、と思って、小銭を数える機械にもってきました。
あんなに重かったのに、本当に小さな小さな金額でした。


前も書きましたが、
何だか余り物をささげているようで、
ちょっと違うのかなあ、と思いつつ、
でも、5つのパンと2匹の魚で5000人の人々を養われた主は、
少しでも無駄にしないようにとパンくずを集められた、と聖書は記しています。


いろんなささげものがある。


もちろん、いつもいつも最高のものを、まず最初に、
主のもとにもっていくことが大切だと思う。


でも、それと共に、主が示されたときに、主が示されたものを、
それが小さいからって、怖じけることなく、恥ずかしがらず、
もっていくことの大切さを思う。


そして、何よりも大切なのは喜び。
ささげることができる、そこまで与えられているって感謝すべきことですよね。
主にささげることのできる喜びを心から感じながら。


さて、7月5日(日)の聖書。
7/5は哀歌3:1-18でした。


「私は主の激しい怒りのむちを受けて悩みに会った者。」1節。

私が使っている「日々のみことば」には、
「創造主はどのようなお方ですか」という質問に毎日答える欄があります。

5日のところ、それを書いていたら、

怒りのむちを与える
闇を歩ませる
攻める
骨を砕く
苦みと苦難を与える
囲いに入れる
通り道をふさぐ
矢で腎臓を射る

などが出てきました。

怖いなあと思いました。
闇の中を歩まされていることを感じました。

でも・・・

次の7/6(月)は哀歌3:19-39。


「主の救いを黙って待つのは良い。」26節。
「主は、いつまでも見放してはおられない。」31節。
「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」33節。

18節までをずっと思いめぐらし、その闇の中を歩まされることの意味を思いめぐらした後であったからこそ、この御言葉が心に深く深く響いてきました。ものすごい、励ましになり、ああ、「主の救いを黙って待っていよう」という思いが湧いてきました。

主の救いを待とう。
騒がず、静かに主がなしてくださることを待ち望もう。

主よ、
あなたを待ち望みます。
あなたが私に苦しみを味わわせられるときに、
それはあなたのお考えがあることを信頼します。
そして、あなたを待ち望みます。
あなたの救いに感謝します。



2009-07-10

無事に帰着。

今日もさわやかな気持ちのいい一日でした。
明日はちょっと久しぶりの雨。
ずっと雨が続いたので、まだまだ晴れてくれても大丈夫なんですが、
3日おきの雨、くらいがちょうどいいです。

そんないい天気にも守られて、
ユースのキャンプが無事終わりました。
とてもすばらしい一時だったようです。

神様が続けて一人一人の心に語り続けてくださいますように。

ところで、今日は朝9時に出発してLancasterのキャンプ場まで迎えに出ました。
そして、帰宅は6時半。

全部で9時間半だったのですが、どうしてそんなに時間がかかったのかというと、
子供たちがお互い名残惜しくてなかなか出発出来なかったことと、
もう一つ、ちょっとした出来事が・・・。

この写真、わかります?

問題の部分だけを拡大してみると・・・。


はい、スペアタイヤです。
車の大きさに比べてやたら小さいです。
下は取り替えたタイヤ。


帰り道、7人の子供たちと、
その一人4泊分+寝袋という大荷物を満載して走っていたら、
半分くらい走って、高速道路に入ったところで、
何だか大きな音が・・・。


「ああ、これ、周りの他の車じゃなくて、この車から出ているよねえ・・・」
と言うことで路肩に寄って止ってみたら、後の右側のタイヤがパンクしていました。


早速スペアタイヤを引っ張り出して・・・と思ったら、
これがなかなか出てこない。後ろの方の車体の下に取り付けられているので、
冬の融雪剤等のおかげで、金具がさびているようで動かない。


車の下に潜り込んで何とか外そうとしますが、
ここで、お約束の「マフラーに触れてやけどする」ということもやってしまいます。
親子で・・・ハイ。


ちょうどそんな悪戦苦闘をしている時に、
故障車のヘルプのためにパトロールしている人がやってきて、
助けてくださいました。
本格的な工具で、piece of cakeって感じでやってくださいました。


その方も、そのスペアタイヤを取り出すのには苦労しておられましたが・・・。


「このタイヤじゃ50マイルだね。それ以上出して、このタイヤがダメになっちゃったら、目も当てられないからねえ・・・」とおっさんに言われ(もちろん、英語・・・意訳)、その後2時間はみんな70マイルくらい出すところを、50マイルでちんたらちんたら・・・。でも、祈られていたのでしょう。守られました。無事、うちに着いたときには心から感謝しました。


明日、タイヤ交換、いってきます。


また本題以外のことで長くなってしまいましたね。
でも、本当に守られて感謝。

では、先週土曜日、7/4の聖書。


7/4は哀歌2:11-22。


「あなたの預言者たちは、あなたのために、むなしい、ごまかしばかりを預言して、あなたの繁栄を元どおりにするために、あなたの咎をあばこうともせず、あなたのために、むなしい、人を惑わすことばを預言した。」14節。

誰かの罪を指摘するのは楽なことではない。
できるなら避けたい。というか、逃げたい。

「あなたは私を裁くのか?」と言われ、
「あの人は人を裁いている」と言われ、
雰囲気も難しくなり、人間関係もぎくしゃくする。
空気はぴりぴり、関係はぎすぎす。

もちろん、そういうときばかりではありません。
本当に神様が働いてくださった、勇気を出してはっきりと言って良かった、
そんな場面もありました。

でも、どちらかというと、うまくいかないことが多いです。

でも、たとえそうであったとしても、
たとえうまくいかなかったとしても、
恐れないで、使命を果たす者でありたいと思います。

主よ、
預言者の働きをさせてください。
あなたの使命を果たさせてください。
罪を罪としてはっきりと語る勇気と確信を与えてください。
第一とすべきものを第一とさせてください。










2009-07-09

待った待った。

今日もまた涼しかったです。
朝はお約束の14度。
昼間も25度までいきませんでした。
そして、夜になってまた冷えてきて、
今、夜の11時半頃ですが、
もう既に16度まで下がっています。
明日の朝はお約束の14度を下回って、12度くらいまで下がるでしょうか。
もう秋みたいですねえ。


さて、今日は夕方5時に出てNYへ。
でも、バスが来ない来ない。
1時間以上待って、6時25分にやっとバスが来ました。
それも2台まとめて。
2台もいらないよ~、と思っていたのですが、
でも、2台で抜きつ抜かれつで、バス停を一個交代で止まるので、
結構早くつきました。
NYについたのは、7時20分過ぎ。
いつもは5時20分のバスで、7時15分前くらいに着くので、
それを考えると、まあ、早く着いたかな、という感じでしたが、
まあ、長く待たされました。1時間以上とは参りました。


でも、NYからJCCNJに通っておられる方の中には、
それと似たような経験をした方々もおられます。
それも、冬の寒い中。
一人一人が教会を愛し、主を愛しておられる姿に励まされます。


帰りは10時20分のバスで、教会に着いたのが30分後。
さすがに夜は早いです。


さて、明日は往復6時間の運転なので、早く休むようにします。


ということで、7月3日(金)の聖書。
7月3日は、哀歌2:1-10


「預言者にも、主からの幻がない。」9節。

預言者に幻が与えられなかったら、何が残るのだろうか?
預言者に必要なのは豊富な聖書知識ではなくて、
神からの語りかけ。
私自身の働きもそうだ。
もちろん、聖書を誰よりもよく知っていることの大切さも思わされる。
でも、それだけではダメだ。
主からの語りかけを頂いていく、ということが、
今の私の働きのために必要なことだ。
単なる知識、単なる聖書知識ではない。

「主を畏れることが知識のはじめである」
との箴言の言葉をもう一度思い出す。

主よ、
今日も私に語ってください。
あなたのみ声を聞きながら歩ませてください。
あなたが私に語ってください。
そして、語られた喜びと感謝をもって、
あなたと共に歩ませてください。

2009-07-08

母語。

今日はいい天気でした。
でも、7月とは思えない朝晩の涼しさです。
今朝も14度くらい。
今も夜の11時前ですが、18.5度。
明日の朝も14度の予報です。


明日もカラッとよく晴れそうです。


昨日はLancasterの帰りに、
Philadelphia郊外に引っ越された方をご訪問。
Assisted Living Homeに住んでおられるので、
いつもは英語の環境です。


ですから、日本語で話せる一時はどんなに幸いなことでしょう。
自分もそうですからねえ。
英語もコミュニケーションができないわけではないですが、
やっぱり、自由だったり、ほっとするのは、母語。


ちなみに「母語」ってのは「母国語」を間違って書いているんじゃないですよ。
一つの国に一つの言葉だなんて考えるのは偏見です。
一つの国の中でも生まれ育った言葉が違う場合がある。
だから「母国語」じゃなくて、「母語」です。
英語でも「mother tongue」でしょ。
直訳して「母舌」じゃなくて「母語」です。


でも、その母語で、
満州からの引き上げの時の混乱の様子とか
アメリカに来られて、どんな思いで歩んでこられたかとか、
今、どんなことを感じる、とか、
お話を伺って、大切なことを聞いたなあ、と思います。
特に前の戦争の話は、これからますます貴重になってくる生き証人です。


お伺い出来ることはどこまでもお伺いして起きたい、そう思いました。


うちに着いてから、「先生、時計忘れましたよ」とお電話が・・・。


8月のハジのアトランタ行の時に、お寄りすること決定!
ま、通り道ですよね。


さて、7月2日(木)の聖書。
7/2は哀歌1:12-22。


「私が逆らい続けたからです。」20節。

主の裁きを見ながら、エレミヤは背いた人々のことを責めるだけではなくて、
それを自分の罪として受け取った。
ただ、自分だけを正しい者とするのではなくて、
それを預言者である自分の罪として受け取った。

私はどうだろうかと思わされた。
子どもの頃から、何度、自分の責任を認めないで、
逃げてきたことだろうか。

それを大人になってもしてこなかっただろうか。
人の罪も、自分の罪として負う。
自分の罪として責任を認める。
そのような大きさ、そのような強さ、そのような愛を、
与えて頂きたいと思いました。

主よ、
私は何と愛のない者でしょうか?
何と逃げる姿勢の強い人間でしょうか?
逃げないで、人の罪さえも背負う強さ、
大きさを与えてください。

2009-07-07

17年。

今日は午後から雷雨。
でも、たいしたことなかったところも多かったようです。
でも、今頃(夜11時)になって、また雷雲が近づいてきました。


雷雨警報が出ています。


明日はまたスカッと晴れそうです。
いいですね、昼間はそこそこ暑くなって、
でも、朝晩は涼しいって。


このまま猛暑にならないで快適な夏が続いてほしいです。


ずっと、今日だと思っていたのですが、
実は昨日、アメリカに来て17年がたちました。
18年目に突入。


いやあ、いろいろあったような気もするし、
あっという間だったような気もします。
とにかく抱っこして入ったハジが大学行くわけですから、
やっぱりいろいろあったのでしょう。


思いがけず長くなってしまいました。
人生何があるかわかりませんね。


でも、ここまで守られたことに感謝。

今、Lancasterのキャンプ場では、
ユースのキャンプが続いています。
私は今日の昼前に出てきましたが、
熱い先生と、スタッフの皆さんに迎えられて、
本当にこの中高生たちは幸せだと思います。


金曜日まで続きます。
祈って支えてください。


雷が聞こえてきました。
雷雲の本体は北をかすっていきそうです。


一週間分たまってしまいましたね。
さて、先週の水曜日、7月1日の聖書。
7月1日から哀歌です。


哀歌1:1-11を読みました。
「彼女の愛する者は、だれも慰めてくれない。その友もみな彼女を裏切り、彼女の敵となってしまった。」2節。

エルサレムの陥落の様子を嘆いている詩です。
周りの国々を当てにし、頼りにしていたのに、
いざとなったとき、すべての国々が裏切り、敵になったのです。

私も何を頼りにしているだろうかと問われます。
人を頼りにしていることがどれだけあるだろうか。
本当に頼りにすべきなのは神様なのに、
神様だけを頼りにすべきなのに、
それ以外のものを頼りにしていることがどれだけあるでしょうか?

もちろん、人も信じたい。
でも、頼りにするのは、本当に頼りにするのは、

神様。

主を見上げて、歩んで行こうと思いました。

主よ、
あなたを信頼して歩みます。
その中で、あなたが与えてくださる仲間、人々、
信じる心を育ててください。
いつもいつもあなたを中心として歩むことができますように。
17年の歩みを感謝します。
これからの道もあなたが支えてください。

2009-07-05

かぎや~

これはイチゴかい?

ああ、今日も遅くなってしまいましたが、
まあ、1回分は更新しておきましょう。
6月30日(火)の聖書。


出エジプト記の最後40章17-38節


「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。」36-37節。

主の導きにどこまでもついていく。
進むべきときに進むのも、勇気がいることがあるだろうけれども、
気がせいているときに、どうしても雲が上らないときは、
どんな思いだっただろうかと思う。

でも、それも含めて、主に従っていく、
そこに私たちは招かれている。

とどまることのほうが勇気がいることがどれほどあるだろうか。
ただ、主に従って歩んでいくものでありたい。

主よ、
私にも見せてください。
雲の柱と火の柱。
そして、進むべきときも、
とどまるべきときも、
見分けることができますように。


明日は中高生をキャンプ場まで連れて行って、
一泊して、火曜日の朝にメッセージ。
その後、お一人、ご訪問して、
夕方には帰ってきます。
中高生はそのまま金曜日まで。
うちの中高生どもも、金曜日まで留守。
ちょっとゆっくりすごせるでしょうか・・・。

たまや〜

時間が進んでいたので、近くには近づけず、
何年ぶりかに、遠くから見ました。
今年はちょっと不景気の影響もあり、
おとなしめだったように思います。

2009-07-04

どっちが主人?

今日は久しぶりに一日いい天気の気持ちのいい日でした。
特に朝、ハドソン川沿いの公園での祈り会はとても爽快。

青空の下、July 4thの祝日をエンジョイしようと、
朝早くから公園にやってきた方々に混じって、
賛美と御言葉と祈りの集会。
特に今年はハドソン川沿いで大きな花火大会が開かれるせいか、
たくさんの方々が朝早くから詰めかけていました。

そして、夜になってもいい天気。
9時過ぎから、近所の町の花火大会も始まったようです。

私はまだまだ明日の準備があるので、
ここはぐっとこらえて、
明日の夜のParamusの花火大会をたのしみに待つことにします。

明日の礼拝の準備をしながら、思わされたこと。

明日のテーマは、

あなたがイエスのしもべになるのか、
あなたがイエスをしもべにするのか。

ということです。

でも、そんなメッセージを準備しながら、
自分のこの準備の姿勢はどうだろうかと問われたように感じました。
同じことが説教の準備をしている自分に問われている。
自分自身がそのことによって取り扱われなければ、
偽善であり、欺瞞になってしまいます。

自分が聖書の言葉を料理するのか、
自分が聖書の言葉に料理されるのか。

そして、

自分が御言葉を準備するのか、
自分が御言葉に準備されるのか。

このメッセージを準備する、という感覚よりも、
聖書のメッセージに自分が説教をする者として「準備される」という感覚がどれほど大切かと思わされました。

ある程度の経験と知識があると、
説教の準備は何時間かあればできます。
でも、説教者として準備される、というのには、
ものすごい時間が必要だと思わされます。

もっともっと、主によって語られて、備えられて、整えられて、
礼拝の講壇に立つ者でありたいと思わされます。

正直に告白すると、
その礼拝説教の準備の時間、
何だかすごくピリピリしている自分がいました。
他にもいくつかすべきこともある中で、
「時間が限られているのに、まとまらない」
「どのように展開したらいいか、迷いがある」
そんな状態の中で、周りにいる家族に対しても、
とげとげしい言葉が出てきたりしました。

子供たちに対して
「イエスさまによって輝ける!」と語りながら、
自分自身が一番身近な人たちの中で、
とげとげしたものを発してしまう。
それも、一番恵まれているはずの、礼拝の準備の間で。

「あなたは私を主としているか?王としているか?」
と問われたように思いました。
本当に自分を王にしないで、主イエスを王にする。

私のために命を与えてくださったお方を王とする。

その愛と恵みに感謝して生きる。

ああ、一番身近な家族の中で、
一番自分の素顔を知っている家族の中で、
「パパは礼拝の準備をしている時間が一番楽しそう!」
なんて言われる牧師でありたいです。

ずいぶん遅れていますが、6/29(月)の聖書。
29日は出エジプト記40:1-16でした。


「第一の月の一日にあなたは会見の天幕である幕屋を建てなければならない。」(2節)

年の初めにまず神の家を建てたイスラエルの人々。
神様がそれを命じられたのでした。
わたしたちがまずすべきことは何かということを問われているように思いました。

神様を第一とすべきこと、
神様をわたしたちの生活の中心に置くこと。
新しい年の最初にまず神様の前に出ること。

それは一週間の歩みでも、
一日の歩みでもそうですよね。

まず、神様の前に祭壇を整えて、
それから、一日をスタートする、
一週間をスタートする、
そのような歩みをさせて頂きたいと思います。

まず、明日から・・・。

主よ、
あなたを見上げます。
あなたと共に歩むことを教えてください。
あなたと共に歩む喜びを与えてください。
まず、一日を、一週間を、一年をあなたへの礼拝からスタートすることができますように。
明日は一週間のスタートです。
そして来週の火曜日はアメリカに来て18年目のスタートです。
あなたに感謝をささげてスタート出来ますように。

2009-07-03

明日は・・・早朝祈祷会。

明日は独立記念日なのですが、土曜日なので、
今日が振り替えだった人たちも多かったみたいですね。

今週も来週も、月曜日が休日返上なので、
どこかで、休んでおかなければ・・・と思うのですが、
ちょっと難しいです・・・。

ということで、明日はハドソン川沿いの公園での早朝祈祷会なので、
何とか夜早く休むことによって、
体力維持を図りますので、更新はお休み・・・。

では、ごきげんよう!

主が命じられたとおりに。

今日もまたNJ版梅雨空。
時々日がかっと照るのですが、
またどーっとにわか雨が降ります。


明日もまだ不安定な一日になりそうです。
でも、その先はだんだん天気が安定して晴れる日が多くなってくる予報が出ています。
それでも最高気温は20度台の夏らしくない天気になりそうです。
暑すぎないのは助かりますが、プールのシーズンパスを買うかどうか、悩ましいところです。


今朝は、ちょっと失敗があって、凹みましたが、
夜にはJOYJOYシンガーズの感謝会。
日本に帰る子たち、大学に進む子たち、
本当にすばらしい出会いに感謝しました。


最後にはみんなで今まで歌ってきた歌を次々にメドレーで歌いましたが、
子供たちの一生懸命歌う姿に、本当に感動。


自分が子どもの時、中高生の時もそう思ってきましたが、
歌って、みんなの前で聞かせようって時よりも、
みんなで「歌いたい!」という思いで、
空いた時間に、「歌おうよ」と歌った方が、ほんとっぽい。
そういう意味で、感動を新たにした夜でした。


さて、日曜日の聖書。
日曜日は出エジプト記の39:22-43でした。


「こうして、会見の天幕である幕屋の、すべての奉仕が終わった。イスラエル人は、すべて、主がモーセに命じられたとおりにした。そのようにした。彼らは幕屋と天幕、および、そのすべての用具をモーセのところに持って来た。」(32-33節)

この後には、そのもってきた用具のリストが一つ一つ挙げられています。
その一つ一つにどんな思いが込められていたことかと思わされます。
主が命じられたとおりに一つ一つ正確に、丁寧に作っていった職人達。

主が与えられる御霊の実の中に「忠実」というのがあるのを思い出しました。
何事もおおざっぱな私にとって、
この「忠実」というのは大きな課題です。
丁寧に丁寧に、真実を込めて、
忠実に主に仕えていく者でありたいと思いました。

この御霊の実も求めていこう、
自分の力で何とかしていくのではなくて、
主が与えてくださる実を主によって実らせて頂きたい、
そのように思いました。

今回のキャンプでも、その忠実の実を結んでおられる方々の、
支えがあって、このようにできたのだと思わされています。

「よい、忠実な僕だ」と天国に行ったときに言って頂けるように、
主に対して、真実で、誠実で、丁寧に従う者でありたいです。

主よ、
私はあなたから与えられるべき、
忠実の実を軽んじてきたのかもしれません。
自分はそういうのは向いていないと、決めつけて、
求めようともしなかったのかもしれません。
今日、あなたが与えてくださる、と約束された、
「忠実」のという御霊の実を求めます。
どうか、私も忠実な者とならせてください。



2009-07-01

エキサイティングな3日間。

お祈りありがとうございました。
写真だけUPし続けましたが、
おとといから2泊3日のキャンプに行ってきました。

数年前から、子供たちのために、
特に教会に来ている子供たちのために、
キャンプができないか、それも泊まりがけの・・・と
思ってきたのですが、
昨年、ファミリーキャンプの子ども集会で中心的に準備してきたメンバーの中に、
同じ思いが与えられて、
5つの教会から26人の子供たちが参加して、
楽しく、また熱く、また核心に迫る、キャンプをすることができました。

毎年のJOYJOYキャンプでは「教会が初めて」という子たちが、
かなりの割合を占めるので、入口の話だけになりやすいですが、
今回のキャンプでは、かなり深いところまで話すことができました。

帰った子供たちもお父さんやお母さんに、
どんな話をしたか、聞いたか、一生懸命話をしているそうです。

まあ、うちは家族全員参加だったので、
もう、疲れ切って、寝てるヤツがほとんどですが・・・。

感謝。ホントにエキサイティングな3日間でした。
お祈りくださった皆さんに感謝。

「日々のみことば」はもう一日休ませて頂いて、
あしたから、出来るだけ早く追いつけるようにがんばります。

上ると。

ハイキング中。

2009-06-29

キャンプ初日

待ちに待ったキャンプの初日。

子供たちはなんだか、やたら元気です。

早く寝かさないと。

2009-06-28

とりなし。

昨日はまた雨が降りましたが、
今日は一日雨も降らず、どんよりもせず、いい天気でした。
昨日は中高生を連れて、遊園地。
明日からは2泊3日で小学生キャンプです。


よく体が持ちますね、と言われますが、
自分でも不思議なくらい守られています。
でも、無理は禁物。
昨日は更新はギブアップ。
今日も明日に備えて、早く休みます。


さて、昨日、土曜日の聖書。
土曜日は出エジプト記39:1-21。


「これらの宝石は、イスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい、十二個で、十二の部族のために印の彫り物が、一つの名につき一つずつあった。」14節。

これは、祭司が身につけた衣装の宝石についての説明です。
祭司が12部族にちなんで12の宝石を身につけていた、
それも胸に付けていたことに、
祭司の大切な働きである「とりなし」について考えさせられました。

もう以前に書いたことがあったかもしれませんが、
ある方が、一つの集会で、息子さんのことで悩んでおられることを分かち合ってくださいました。
息子さんがいつも学校の帰り、一人で歩いて帰ってくる。
他のお子さんたちが仲間で固まって帰ってくるのに、
彼は一人で帰ってくる。
友だちができないみたいだ、どうしたらいいのか、
そんな悩みを抱えておられました。

その時に、私は「祈りましょう」と言って、
そこで祈りました。
その方にとって、そんな家族のこと、祈ってもらうのは初めて。
なんだか、戸惑う気持ちと共に、
「祈ったって・・・」という気持ちもあったことでしょう。

でも、その日の午後、息子さんが帰ってくる時間に、
いつものように「そろそろかな」と外を見ていたら、
彼がもう一人の少年と一緒に歩いてきたそうです。

その方は、「こわくなった」と言っておられました。
うれしかったというよりも、「こわくなった」と。
祈りが聞かれるって、私も思います、うれしいよりも、畏れを感じると。

そのことを思い出していた、ときに、
自分はどれだけとりなしの祈りを捧げているか、問われているように感じました。
教会のかたがたのことも覚えて祈りました。

そして、祈るべき一人の人のことを思いだました。
「一人の人」ってゆーか、ユキなんですけどね。

その方のお子さんのためにとりなしの祈りをした、
そして、それが聞かれて、ひとりの方が神様との出会いを経験した、
そんな経験を与えられていながら、
自分は自分の娘に本当に波長の合う仲間が与えられるように、祈ってきただろうかと。
けっこう一人でいる時間の多い彼女のために、
共に人生の問題を語り合ったり、
祈り合ったりすることのできる友人ができるように、祈ったことがあっただろうかと。

他の人のために祈ることはあっても、
どうしても家族が後回しになっている自分がいます。

兄妹の中でも一番何も要求しない娘であるが故に、
一番後回しになってしまうヤツです。

祭司が民のために祈ったように、
主イエスが私のために祈ってくださっているように、
私も教会の一人一人のことを、また家族のことを、とりなしていくことができますように。

主よ、
イエスさまが私のためにとりなしをしてくださっていること、
心から感謝します。
私もとりなしの祈りを捧げさせてください。
教会の一人一人のために、
そして、家族のために、
出会いが与えられた一人一人のためにとりなしの祈りを捧げる者とならせてください。


早速、とりなしのお願いです。
明日から2泊3日で教会の小学生のキャンプに行って来ます。
子供たちが、イエスさまをはっきりと知って、救い主として、お迎えすることができるように、お祈りください。

2009-06-27

神様からの知恵を求める。

12時を回ってしまったので、
昨日のことになりますね。
昨日はやっぱり夕方にものすごい雷雨でした。
ほとんど一日、蒸し暑い、どんよりしたり、晴れたり、
という感じでしたが、
5時頃からどーっと暗くなり、
風が吹いてきて、
6時頃には雷と共に土砂降りになりました。


でも、7時半の集会の時間にはすっかり上がって、
ちょっとは蒸し暑さが和らいだでしょうか。


明日は中高生を連れて出かけてきますが、
また雷雨があるかも・・・です。


今日の夜は一つ集会があって、「伝道の書」というのを読んだのですが、
先月は「箴言」を読んで、今月はこの「伝道の書」を読んで、
この二つの書物の性格はずいぶん違うのですが、
中心的なメッセージは一つで、
神様を恐れて、神様からの知恵をもらいなさい、
ということでした。


それを学んでいる中で、
自分の傲慢さを感じ、
いかに自分が、この「神様からの知恵」を求めていなかったか、
「もう知っている、わかっている」という気持ちをもってきたかを、
聖霊様に示されて、悔い改めに導かれました。


そこそこ「お勉強」はできて、
牧師の家庭で育って、ある程度「教会のことも知っている」し、
日本の聖書学院で学び、
アメリカの神学校や、大学の大学院で勉強して、
いろんな知識があるつもりになっていました。
でも、本当に心から祈って、「あなたからの知恵を与えてください」と祈ってきただろうか、
あのソロモンのように、「私は人々をどう導いていったらいいか、わかりません。どうか、あなたの知恵を与えてください」と祈ったことがあっただろうか、と思わされたのです。


そして、本当に自分が神様の知恵を頂いてこなかったことが、
教会の皆さんに対して、また今までであった方々に対して、
申し訳ない、と思いました。


祈ります。
主よあなたの知恵を私に与えてください。
あなたの知恵なしには、私の生涯はむなしいのです。


さて、木曜日と金曜日(6月25・26日)の聖書。
木曜日は出エジプト記38:1-20。
金曜日は出エジプト記38:21-31。


「また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。」8節。
「これを用いて、彼は・・・また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。」30-31節。

木曜日の「日々のみことば」では、
女性達が自分たちの大切な鏡をささげて、
それで、職人が洗盤を造ったことに触れられていました。

でも、私はそれを読みながら、
そのほかの人々のささげもののことに心が向いていました。
この女性達のように、
「この人はこれをささげました」と注目されるささげものもあるでしょう。
そしてその信仰の姿に周りの人たちが励まされることもあるでしょう。

でも、ほとんどのささげものは、主との関係の中だけでささげられ、
誰の注目を浴びることもなく、
誰が何をささげたかも、何もわからず、
誰かに感謝を言われるわけでもなく、
ただ、主に感謝をもってささげられていくのです。

そして、金曜日の聖書の箇所の中で、
青銅がある場合には「釘」として用いられたことが書かれていました。
釘を人々は見ないでしょう。
ほとんどの釘はそのあとにかぶせられる金や銀によって覆われてしまって、
誰の目にも留まりません。
でも、その釘はどうしても必要で、
どうしても、そこになければならなかったのです。

誰からささげられたか記録されて、洗盤に用いられる青銅もあり、
誰がささげたかも記録されずに、そして、釘として用いられる青銅もあり、
でも、どちらも主の働きのためにどうしても必要なもの。

「釘として用いてください」と祈りました。
また、「釘として用いられる青銅にも気が付くものとしてください」と祈りました。

主よ、
あなたのために用いてください。
青銅の釘としてください。
また、表面に張られる金や銀ばかりではなく、
青銅の釘にも気が付く者としてください。

主よ、
あなたの知恵を与えてください。
人々を導いて、教会を建て上げるために、
あなたの知恵を与えてください。
私にはどうしてもあなたの知恵が必要です。

2009-06-26

卒業。

金曜日の朝です。
昨日の夜は、10時前には夢の国に行っていて更新できませんでした。

きのうは天気も守られて、High Schoolの卒業式、無事にFieldで持たれました。
暑さも、恐れたほどではなくて(本人達は日向で暑かったと思いますが、親は日陰)、
倒れる人もなく、とてもよかったです。



日本では、校長や来賓の挨拶が長くて不評を買うことがありますが、
こちらは、卒業生のスピーチが4つ。
ちょっと、長かったなー。
本人たちにとってはいい思い出、いい訓練だったと思うけど。

そして、そのあと300人以上の卒業生の名前が一つ一つ読み上げられて、
Deplomaを受け取ります。


はい、ハジは帽子が小さくて(頭が大きくて)、
ずり落ちそうで、ちょっとうつむき加減。


このあと、お約束の帽子投げがあって、




親も会場に流れ込んで、みんなで記念撮影。
楽しそうでした。


そして、そのあと、子供たちは、
学校と親が協力して準備したall nightのパーティーに。
このまま解散すると、お酒を飲んだり、羽目を外して、
問題になることがあるので、
こちらの高校では、かなりのところで、そのようなプログラムをもっているようです。
親も安心して眠れます。ハイ。


でも、よく頑張りました。


この日、教会のあと2人の高校生も卒業式でした。
ここまで支え、導いてくださった神様に心から感謝。


まあ、まだこれからもう一つ「大学」という大きな山がありますが・・・。


今日は、天気が不安定になって、またにわか雨。
きのうは本当に貴重な晴れの日だったみたいですね。


来週は東海岸の小学生キャンプが2泊3日で持たれるので、
天気がもってほしいのですが、
やっぱりまたにわか雨の予報が・・・。


さて、おととい、水曜日の聖書。
水曜日は出エジプト記の37:17-29。


「彼はまた、調合法にしたがい、聖なるそそぎの油と純粋なかおりの高い香を作った。」29節。


この油と香の調合法は、他では使ってはいけない、
特別にこの聖所で神様を礼拝することのためにだけ、とってある、
そういうものであったことを、思い出しました。

「聖なるもの」というのはやはり大切にしなければいけない、
そのように思わされました。
すべての時間が神様の時間、
すべての働きが神様のため、
すべてのものは神様のもの、
それでありながらなお、
特別に神様のために使う時間、
神様のために使うもの、
神様のための働き、
それらがあるんだ、と思わされました。

それを大切にしていきたい、
聖なるものを聖なるものとして、大切にしていきたい、
そのような場面にはっきりとした態度が取れるようにと祈ります。
また、正しい判断ができるようにと祈ります。

主よ、
あなたが教会の3人の高校生をここまで守ってくださったことに感謝します。
どうか、これから進んでいく道にも、あなたの守りと、祝福がありますように。
大きく用いてくださいますように。


また聖なるもの、を大切にしていくことができますように。
あなたのために、あなたのためだけに使う時間、もの、それらを見極める目を与えてください。

2009-06-24

大胆に求める。

今日は昨日よりもちょっと天気が悪くなって、
曇りがちで、時々霧雨。
気温も低めでした。湿度が高かったので、
ちょっと蒸し暑かったですが。


明日は温暖前線が通過して暑くなります。
天気は安定して雨の心配はないようですが、30度くらいまで上がります。


卒業式は外で、そして暑い。
汗をかきそうです。
倒れる子とか出ないといいのですが・・・。


さて、今夜、NYでの祈り会があったのですが、
その中で、ある方が、出した祈りの課題を聞きながら、
自分がいかに、神様に大胆に求めていないことが多いだろうかと思わされました。


神様は「あなたの口を広く開けよ」と言ってくださっているのに、
自分の方で、「神様はそんな簡単に聞いてくれない、訓練を与えられるのだ」と思って、大胆に求めなくなっていないだろうかと感じたのです。
あなたが信じたようになる、とも聖書は言っています。
自分が神様を信頼して、大きく求めていたら、与えられていたものが、
小さくしか求めないことによって、得られないことがあるのではないかと思います。


神様は全能だと、私たちは信じています。
信じているように、求め続けていこうと思いました。
急にできないかもしれませんが、一歩一歩、考え方を大きくもって、
大胆に主に求める者でありたいと思います。


さて、昨日、6月23日の聖書。
出エジプト記37:1-16


「ついで彼は、純金で「贖いのふた」を作った。」6節。

他のところはアカシア材で、金泊でおおっていたけれども、
贖いの蓋だけは、大きな、重い純金の蓋だった。

この贖いの蓋は、イエスの象徴。
ちょうど、この贖いの蓋のところに、羊の血がふりかけられることによって、
神様の赦しが与えられたように、イエスによって救いの道が開かれた。

この十字架の価値の大きさをこの純金のふたは教えていたのだと思います。

他のものに代えられない、神様の恵みの大きさを感じます。
十字架を軽く考えないように・・・と戒められているように思いました。

主よ、
贖いの蓋よりも、あなたの払われた犠牲は重かった。
贖いの蓋よりも、あなたの犠牲は貴かった。
あなたによって、道が開かれ、あなたを礼拝できることに心から感謝します。


2009-06-23

全体を見る目。

今日はまた朝夕はどんよりしていましたが、
雨はほとんど降らず、
昼間はかなり晴れて、汗ばむ陽気になりました。


明日は今日よりもちょっと天気が不安定なようです。


あさってのハジの卒業式は、蒸し暑い中になりそうです。
雨が降ったら体育館ですから、何とか天気にはもって欲しいものです。


さて、日曜日の礼拝は、
日本で活躍されているゴスペルの指導者、西村あきこさんと伴奏の加藤景子さんが
礼拝の賛美を導いてくださいました。


本当に、神様への礼拝に引き込まれていく、
とてもすばらしい一時となりました。


聞かせる歌ではなく、共に礼拝ができるような歌を、
とお願いしてあったのですが、本当にそれに応えてくださったお二人に心から感謝。


そして、その礼拝のあとに、少しの時間をおいて
JOYJOYシンガーズのコンサートだったのですが、
今回、曲数が5曲だったので、
子供たちも(私も)歌詞を覚えきれず、
教会のプロジェクター用のPCを使って、
プロンプターとして、歌詞を会場の一番後ろに投影する予定にしていました。
しかし、礼拝が終わって、礼拝で使っていたプロジェクターとPCを会場の地下のジムに運ぼうとしたら、何故か、PCが見あたりません。一通り探して、周りの人に、「PC見ませんでした?」と聞いたら、「会計さんが作業に使っているんじゃないですか?」との返事。「あ~!」と思いました。


そうでした。会計さんがそのPCを毎週礼拝後使っていたのをすっかり忘れていたのです。
いつもそうなんですが、なかなか全体が見えないですね。
自分の目先のことだけで精一杯。


教会オフィスのデスクトップを急遽もってきて、
何とか、その場をしのぎましたが、
またまた大反省。


教会全体の動きに目を配りながら、
自分のなすべきことを見極める目を育てていかなければ・・・。


JOYJOYシンガーズのコンサート、
一人のお母さんが、ブログにご紹介くださいました。
大きく取り上げてくださって、とてもうれしいです!
お母さん達も毎週の送り迎えを始め、
たくさんのサポートをしてくださいました。
教会の皆さんも理解して、支えてくださっています。
そんな皆さんに支えられて、神様に力をもらって、8ヶ月。
ビデオで改めて子供たちの輝く顔を見ると、感謝があふれます。


さて、昨日、月曜日の聖書。
昨日は出エジプト記36:20-38でした。


「ついで、天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、刺繍をした幕を作った。」37節。

刺繍の才能がある人たちにとって、
このように主に用いられる日が来るということは
想像できたであろうか?

奴隷の身分で、エジプトの人々のために才能を使い、
荒野の中で、その才能が用いられる場所はあまりなかったのではないかと思う。

でも、ここで神様が刺繍の才能を用いられたことが、
彼らにとって、どんなに大きな喜びだったことでしょうか?

私たちも、この私の才能が、何の役に立つのだろうか、
私のこの才能を生かす場があるのだろうか、ということを感じることがあるかもしれない。
でも、主は、そのような場を与えてくださる。
そのような場を私たちに与えてくださる。
だから、大胆に主に与えられた賜物、才能を、磨いていく者でありたい。
いつ、「あなたのその賜物を用いさせてほしい」といわれても、
喜んで、「はい、承知しました!」と喜びをもって、
応えることができるように、
備えていこう。

主よ、
あなたの与えてくださった賜物は、
意味があって与えられていることを感じます。
どうか、それが用いられる日を待ち望みながら、
準備をしていくことができますように。

重かった~。

今日も時々にわか雨が降りましたが、
でも、かなり晴れ間が広がって暖かくなりました。


これから日に日に暖かくなって、
木曜日には30度を超えます。


その木曜日はハジの卒業式。
暑かったら大変ですよねえ。
雨は大丈夫そうですが・・・。


今日は、あるところで使わなくなったファイルキャビネットを、
教会のためにBronxまで頂きに行ってきました。
それがとてもいいもので、
めちゃくちゃ重い。


ハジと2人でとりに行ったのですが、
ちょっと後悔するくらい重い。
「ちょっとヤバイ」(マジで、かなりせっぱ詰まった口調で)を2人で連発しながら、
載せて、「これどうやって降ろすの?」
「うーん、なんとかなるでしょ。」ってな調子。


それも車のサイズが、いっぺんで運ぶにはぎりぎり小さい。


ということで2往復。


とっても重かったのですが、
それだけしっかりしているということです。


ありがたいことです。


何とか、3時の娘の学校の迎えには間に合わせて、
そのあと中断していた作業を夜、二人でやってきました。


さて、入れものがそろったところで、
片づけをしなければ・・・。


あ、そうそう、JOYJOYシンガーズの写真、教会のHPにアップされました。
左のリンクから、ニュージャージー日本語キリスト教会に行って、
そこの「イベントフォト」から見ることができます。


さて、土曜日、と日曜日、2日分の聖書。
出エジプト記35:30-36:19。


「主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。」35:35
「仕事に携わっている者のうち、心に知恵のある者はみな・・・」36:8

2日とも「知恵」という言葉が心に留まりましたが、
日曜日に、この「知恵」は聖書では、「神を恐れるところから始まる」と言われていることに気が付きました。

何か、その知恵を人に自慢したり、
人が反対に他人の知恵をうらやましがったりする種類のものではなくて、
ただ、主を恐れ、主の支配の下にあることを
受け入れるときに与えられる神様からの知恵。

そのような知恵が与えられている人々がモーセの元には集められてきたのです。

「日々のみことば」の左側のページ(日曜日の分)には、以下のように書かれています。

教会における奉仕は、単に人々が集って協力するサークル活動ではありません。主の仕事には誰もが携わるのではなく、心に知恵のある者でなければなりません。それは、奉仕する働きに対して、神の聖なる働きであることを自覚していること。更に神に召され賜物を頂いている人なのです。

主を畏れながら、主が召してくださり、与えてくださっている働きを見極めて、そこに忠実に誠実に歩んでいく者であることができますように。間違っても、自分を誇るようなことがありませんように。

主よ、
あなたの与えてくださっている働きに対して、
あなたの召しに対して、真実であることができますように。
主に忠実に従う者であることができますように。

2009-06-21

JOYJOYシンガーズの8ヶ月。

今日もまた雨がしとしとの一日でした。
午後から夕方はまだ良かったのですが、
また先ほどから降り始めました。


今日はJOYJOYシンガーズのミニコンサート。
去年11月にスタートしたシンガーズにとって、
初めての「ミニコンサート」。
2曲、3曲、他のプログラムの中で歌っていたのですが、
今回は、5曲。それも、他のプログラムのない、「コンサート」。


どうしても歌詞を覚えられなくて、
プロンプターを使いましたが、
でも、本当に子供たちは楽しそうに、
力いっぱい歌いました。


帰ってからビデオを見ていたのですが、
ビデオを見ると、本番中は気が付かなかった、
一人一人の様子がよくわかります。


7-8月は休んで、9月に再スタートしますが、
もっともっと心から神様を賛美して、
もっともっと音楽的にも完成度を上げて、
ダンスとかも入れて、
いいプログラムをもっていきたいと思います。


目標はWATOTO Singers、
彼らは共同生活とかしながら、
プロの指導者の下で訓練を受けているから、
レベルが違うのはわかるのですが、
あの熱さ、真剣さを目指して行きたいと思います。


さて、先週金曜日の聖書。
先週金曜日、19日は、出エジプト35:20-29。


「感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。」26節。

いい言葉ですね。
主の語られることに感動して、
自分の「知恵」を用いたいと思った人々がいた。
そして、その知恵を用いた。

できることをした。

それも、主に心を動かされて・・・。

主に心を動かされることを行う者でありたいと思いました。
主が私の心を動かしてくださる、それを行う者でありたいと思いました。

主よ、
あなたが心を動かしてくださることに感謝します。
あなたに心を動かされて、行動する者でありますように。
できることをする者でありますように。



夏至+ゲスト+シンガーズ・・・

いやあ、今日はいろいろありましたねえ。
夏至でしたよ。夏至。
一年で一番昼間が長い日。
うっかり、通り過ぎてしまうところでした。

そして、今日は、ゲストの西村あきこさんが礼拝で賛美を導いてくださって、すばらしかった。
あと、JOYJOYシンガーズのミニコンサート。これもすごいよかった。

で、一日あっという間でしたが、
7時には家でゆっくりしているなんて、これはまた、すごいこと。

あとで、ゆっくりいろいろ更新します。