昨日は、気温の高さよりも、
日差しが強くて、暑く感じました。
でも、やはり夜は肌寒く感じるくらい・・・。
今朝の7時の段階で18度。
今日は昨日よりもちょっと涼しく、
明日からはまた一段と涼しくなるようです。
本当に助かります。
昨日の朝は、やっと、ズッキーニ初収穫。
こんな風になります。
昨日の夜、焼いていただきました。
でも、新鮮なのは生でも大丈夫なくらいです。
食べきれなくなるほどできる、
と言われているのですが、雌花はちらほら。
それに、このあと、涼しくなったら、終わりでしょうからね。
あまり期待しないで待つことにします。
さて、昨日はJOYJOY買出しに走り回ったあと、
夜には夏休みで親元にきていた大学生と一緒にごはん。
楽しくて、純粋で、しっかりしている青年。
一生懸命、信仰のことについていろいろ話をしてくれました。
周りの人への感謝と尊敬にあふれた、いまどきっぽくない青年。
私ものんちも、鋭い質問に、
自分の信仰が問われるような気持ちで、
でも、神様のことをたくさん話せる幸いを感じていました。
二つ年下のハジとも、かなり意気投合。
「大学に聖書を持っていこうと思う・・・」と言っていました。
神様が続けて触れてくださるようにと祈ります。
さて、昨日の聖書。
昨日はエステル記の2章19節-3章6節。
「彼らは、毎日そう言ったが、モルデカイが耳を貸さなかった」3章4節。
モルデカイの強さを感じました。
気をつけたほうがいいよ、
という周りの人々も好意で言っていたのだと思います。
きつく言う人もいたでしょうし、
やさしく諭すように言う人もいたでしょう。
でも、モルデカイはその声に耳を貸さなかった。
ハマンにおもねるようなことはしたいと思わなかった。
何度も出てくるテーマですが、
神に従うか、
神を恐れるか、
それとも人の顔色を見て生きるか?
先日、父親を殺してしまった高校生が、
「人の顔色を見て生きるのに疲れた」
と言っていると報道されていますが、
何があったのかはわかりません。
でも、親を殺すまでいかなくても、
そんな思いにとらわれている人はたくさんいるのでは・・・。
その言葉に共感する人はたくさんいるのでは・・・。
そして、普段はそれを、つまり、
「人の顔色を見て生きる」ってことを、
まったく自然に、
何の疑問も持たずにやっていたりする。
でも、どこかで行き詰りますよね。
信仰に生きる。
単なるわがままではなくて、
神への信頼と、
人への愛を持って生きる、
そのような強さを持ちたいと思いました。
神様、
あなたを信頼します。
私を人への恐れから解放し、
あなたを恐れる者としてください。
人を恐れるのではなくて、人を愛する者にしてください。
2008-08-08
2008-08-07
好意を得させるもの。
日付変わってしまいましたね。
でも、6日のつもりで書きます。
今朝はすごい雨でしたね。
車で15分くらい離れた町では、
microburstという現象で、
木がたくさん倒れたそうです。
うちの周りは雨だけでしたが、
道路が冠水しているところもありました。
そう、朝教会にお祈りに行った帰り、
雨は小止みになっていたのですが、
途中、車が渋滞しています。
「あ、事故かなあ」と思ったのですが、
どうやら大きな水溜りを避けて走っていたようです。
こういうときはあの燃費の悪い「SUV」なんかが、いいですよね。
乗用車が「そろそろ」と進むところ、
大きな車は楽勝。
でも、本当は水溜りは
「大丈夫」なんて思っちゃいけないそうですね。
アメリカで洪水の犠牲になる人の多くは、
「車に乗っていて流された人」です。
「大丈夫だ」と思って水の中に入っていって、
でも、途中で意外と深くて立ち往生。
そのまま水位が上がって流されるというパターンです。
ここら辺では流されることはなくても、
エンジンが止まったら、
レッカーで引っ張ってもらわなければいけません。
よく水溜りのできるところは、
雨が降るとレッカー車が待っていると言います。
多少高い値段を吹っかけられても、
助けてもらわなければなりませんから・・・。
あと、今日初収穫が期待されていたズッキーニですが、
16センチまで成長しました。
でも、目標の20センチには届かず、
今日の収穫は断念。
明日の収穫になりそうです。
午前中はクロッキー教室。
2回目なので、
ちょっと「上手に書きたい」という色気が出て、
「まずい、まずい」とブレーキをかけながらの、
練習になりました。
「上手に書こう」と思うと、なんだか、面白くなくなります。
そして、今日は積み木も題材になりましたが、
「幾何学的なのは大丈夫」と思ってなめてかかっていましたが、
それがよくない。
ちゃんと見てみるといろいろ新しい発見があります。
角のほうがちょっとつぶれていたり、
凹みがあったり。
注意深く観察する力、いろんな場面で大切だな、と思いました。
なめちゃいけません。
今日の聖書。
6日はエステル記2章1-18節。
「こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」15節。
9節では宦官ヘガイの好意を受け、
15節では、すべての人から好意を受け、
そして、16節では、王から愛を受ける。
このエステルの魅力は何だったのだろうか?
美しい人だったのだろうけれども、
ここで集められた人はみんな美しい人だっただろう。
そんな中で、このエステルの魅力は何だったのだろうか?
王様にって、宦官にとって、すべての人にとっての決め手は何だったのだろうか?
エステルのほかの美人たちとの決定的な違いは何だったのだろうか?
やはり「品性」だっただろうと思う。
ペテロの手紙の中にも、
アクセサリーや髪を飾ることよりも、
内なる人を飾りなさいと、
書かれています。
私自身、内なる人が輝くように、
そのような品性を身につけることができるようにと祈りました。
主よ、
あなたの輝きを私のうちに与えてください。
内なる人が輝いて、
周りの人に喜びを与えることができるように、
慰めと癒しを与えることができるようにと、
願います。
「品性」の面で、本当に整ええられますように。
でも、6日のつもりで書きます。
今朝はすごい雨でしたね。
車で15分くらい離れた町では、
microburstという現象で、
木がたくさん倒れたそうです。
うちの周りは雨だけでしたが、
道路が冠水しているところもありました。
そう、朝教会にお祈りに行った帰り、
雨は小止みになっていたのですが、
途中、車が渋滞しています。
「あ、事故かなあ」と思ったのですが、
どうやら大きな水溜りを避けて走っていたようです。
こういうときはあの燃費の悪い「SUV」なんかが、いいですよね。
乗用車が「そろそろ」と進むところ、
大きな車は楽勝。
でも、本当は水溜りは
「大丈夫」なんて思っちゃいけないそうですね。
アメリカで洪水の犠牲になる人の多くは、
「車に乗っていて流された人」です。
「大丈夫だ」と思って水の中に入っていって、
でも、途中で意外と深くて立ち往生。
そのまま水位が上がって流されるというパターンです。
ここら辺では流されることはなくても、
エンジンが止まったら、
レッカーで引っ張ってもらわなければいけません。
よく水溜りのできるところは、
雨が降るとレッカー車が待っていると言います。
多少高い値段を吹っかけられても、
助けてもらわなければなりませんから・・・。
あと、今日初収穫が期待されていたズッキーニですが、
16センチまで成長しました。
でも、目標の20センチには届かず、
今日の収穫は断念。
明日の収穫になりそうです。
午前中はクロッキー教室。
2回目なので、
ちょっと「上手に書きたい」という色気が出て、
「まずい、まずい」とブレーキをかけながらの、
練習になりました。
「上手に書こう」と思うと、なんだか、面白くなくなります。
そして、今日は積み木も題材になりましたが、
「幾何学的なのは大丈夫」と思ってなめてかかっていましたが、
それがよくない。
ちゃんと見てみるといろいろ新しい発見があります。
角のほうがちょっとつぶれていたり、
凹みがあったり。
注意深く観察する力、いろんな場面で大切だな、と思いました。
なめちゃいけません。
今日の聖書。
6日はエステル記2章1-18節。
「こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」15節。
9節では宦官ヘガイの好意を受け、
15節では、すべての人から好意を受け、
そして、16節では、王から愛を受ける。
このエステルの魅力は何だったのだろうか?
美しい人だったのだろうけれども、
ここで集められた人はみんな美しい人だっただろう。
そんな中で、このエステルの魅力は何だったのだろうか?
王様にって、宦官にとって、すべての人にとっての決め手は何だったのだろうか?
エステルのほかの美人たちとの決定的な違いは何だったのだろうか?
やはり「品性」だっただろうと思う。
ペテロの手紙の中にも、
アクセサリーや髪を飾ることよりも、
内なる人を飾りなさいと、
書かれています。
私自身、内なる人が輝くように、
そのような品性を身につけることができるようにと祈りました。
主よ、
あなたの輝きを私のうちに与えてください。
内なる人が輝いて、
周りの人に喜びを与えることができるように、
慰めと癒しを与えることができるようにと、
願います。
「品性」の面で、本当に整ええられますように。
2008-08-05
いよいよJOYJOYキャンプモード。
今日は暑くなりました。
そして夜になっても、昨日よりちょっと蒸す感じがします。
気温は夜の10時45分で24度。
決して暑い訳じゃないのですが、やっぱり湿度でしょうね。
今夜はこれから雷雨になるという予報。
そして週末に向かって、涼しくなるようです。
週末から、来週の天気を見ると、
何よりも気温が、いいです。
最高は27度止まり。
そして10度近くまで下がる朝も。
もう、秋の気配ですね。
JOYJOYキャンプ中が暑くならないのは、
本当に助かります!
今日はすっかりJOYJOYキャンプモードで、
使うものを買いに行ったり、
案内や領収書を送ったり、
キッチンの手伝いで、問屋さんに登録に行ったり。
この問屋さん、合羽橋までは行かないですが、
楽しいですよ~。
大きな倉庫に、食材から、トレーから、ゴミ袋から、何でもあり。
それがまた「素人さんお断り」なので、
空いているんですねえ。
あ、私たちも「素人」なんですが、
「教会」というと、ちゃんとメンバーシップを作ってくれました。
最近大きな倉庫に移って、きれいになって、大きくなったようです。
いよいよ、JOYJOYキャンプって感じです。
でも、やはり、それと共に、
毎日の中で、人に会い、人と祈るのが、幸いだと思いました。
今朝の火曜礼拝にも
日曜日来られなかった方々が数名来られて、
共に祈りました。
大きな課題を負っておられる方もおられますが、
主が守ってくださいますように。
明日も、あさっても、お会いする方がおられることに、
心から主に感謝します。
最近、あちらこちらから、「コーディネーター」とか、
「アメリカ東地区のまとめ役」とか、
話があるのですが、祈らされます。
お声をかけて頂けるのはうれしいですし、
必要とされている働きをすることは、
「役に立っている」という気分になりますから、
それ自体は決して悪い気持ちはしないのですが、
いや、だからこそ、
本当に自分がなすべきことは何か、
それを見失わないようにしないといけないと思います。
さて、今日の聖書。
今日からエステル記。
今日はエステル記の1章を読みました。
「 七日目に、王は酒で心が陽気になり、アハシュエロス王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じて、王妃ワシュティに王冠をかぶらせ、彼女を王の前に連れて来るようにと言った。それは、彼女の容姿が美しかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。」10-11節。
この王様、困ったもんですね。
まあ、自分の奥様があまりきれいなもんで、
みんなに自慢したかったって!
カップル同士がすれ違うと、
男は、自分の彼女と、向こうの彼女を比べて、
「勝った!」とか思う傾向があるそうで、
なんだか、男は、女性を持ち物か何かのように考えることが多いようです。
持ち物まで行かなくても、自分の力を誇示するために、「こんなきれいな妻を持っているんだぞ」とやるんでしょうか。この王様、まさにそんな感じだったのでしょう。そして、酒が入っていたから、余計にひどかったんでしょうね。
そして、この後の家来の言葉を読んでも、
「この夫に従わなかった王妃を廃位して、新しい王妃を選ぶなら、世界の女性たちも夫を尊敬するようになるでしょう」なんて、いったい何なんだと思います。そんなわけはないだろうと思います。「夫に従わないとこうなるんだぞ!」と見せしめみたいなことをしたからといって、世の中の女性が「夫を尊敬する」ようなことが起こるなんて、そんなアホなことが起こるでしょうか?
本当に人の愚かさを感じさせられます。
王様、本当はここで、自分のわがままを悔いて、
「愚かなことをしたな・・・」と言うべきなんでしょうね。
でも、でも、です。
その愚かさ故に、エステルが王妃とされて、
イスラエルの救いが与えられたことを思うと、
神様は人の愚かさ、しょうもない、愚かな決断、
そんなものも、用いられる方なんだなあと思いました。
神様のなさることは、私たちの思いを超えている・・・。
主よ、
あなたは人の愚かさも、
私たちの救いのために用いることができるんですね。
私の思いを超えています。
私がいつもいつもあなたの御心に従い、
あなたの御思いを知っていくことができるように。
謙虚な心で歩ませてください。
そして夜になっても、昨日よりちょっと蒸す感じがします。
気温は夜の10時45分で24度。
決して暑い訳じゃないのですが、やっぱり湿度でしょうね。
今夜はこれから雷雨になるという予報。
そして週末に向かって、涼しくなるようです。
週末から、来週の天気を見ると、
何よりも気温が、いいです。
最高は27度止まり。
そして10度近くまで下がる朝も。
もう、秋の気配ですね。
JOYJOYキャンプ中が暑くならないのは、
本当に助かります!
今日はすっかりJOYJOYキャンプモードで、
使うものを買いに行ったり、
案内や領収書を送ったり、
キッチンの手伝いで、問屋さんに登録に行ったり。
この問屋さん、合羽橋までは行かないですが、
楽しいですよ~。
大きな倉庫に、食材から、トレーから、ゴミ袋から、何でもあり。
それがまた「素人さんお断り」なので、
空いているんですねえ。
あ、私たちも「素人」なんですが、
「教会」というと、ちゃんとメンバーシップを作ってくれました。
最近大きな倉庫に移って、きれいになって、大きくなったようです。
いよいよ、JOYJOYキャンプって感じです。
でも、やはり、それと共に、
毎日の中で、人に会い、人と祈るのが、幸いだと思いました。
今朝の火曜礼拝にも
日曜日来られなかった方々が数名来られて、
共に祈りました。
大きな課題を負っておられる方もおられますが、
主が守ってくださいますように。
明日も、あさっても、お会いする方がおられることに、
心から主に感謝します。
最近、あちらこちらから、「コーディネーター」とか、
「アメリカ東地区のまとめ役」とか、
話があるのですが、祈らされます。
お声をかけて頂けるのはうれしいですし、
必要とされている働きをすることは、
「役に立っている」という気分になりますから、
それ自体は決して悪い気持ちはしないのですが、
いや、だからこそ、
本当に自分がなすべきことは何か、
それを見失わないようにしないといけないと思います。
さて、今日の聖書。
今日からエステル記。
今日はエステル記の1章を読みました。
「 七日目に、王は酒で心が陽気になり、アハシュエロス王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じて、王妃ワシュティに王冠をかぶらせ、彼女を王の前に連れて来るようにと言った。それは、彼女の容姿が美しかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。」10-11節。
この王様、困ったもんですね。
まあ、自分の奥様があまりきれいなもんで、
みんなに自慢したかったって!
カップル同士がすれ違うと、
男は、自分の彼女と、向こうの彼女を比べて、
「勝った!」とか思う傾向があるそうで、
なんだか、男は、女性を持ち物か何かのように考えることが多いようです。
持ち物まで行かなくても、自分の力を誇示するために、「こんなきれいな妻を持っているんだぞ」とやるんでしょうか。この王様、まさにそんな感じだったのでしょう。そして、酒が入っていたから、余計にひどかったんでしょうね。
そして、この後の家来の言葉を読んでも、
「この夫に従わなかった王妃を廃位して、新しい王妃を選ぶなら、世界の女性たちも夫を尊敬するようになるでしょう」なんて、いったい何なんだと思います。そんなわけはないだろうと思います。「夫に従わないとこうなるんだぞ!」と見せしめみたいなことをしたからといって、世の中の女性が「夫を尊敬する」ようなことが起こるなんて、そんなアホなことが起こるでしょうか?
本当に人の愚かさを感じさせられます。
王様、本当はここで、自分のわがままを悔いて、
「愚かなことをしたな・・・」と言うべきなんでしょうね。
でも、でも、です。
その愚かさ故に、エステルが王妃とされて、
イスラエルの救いが与えられたことを思うと、
神様は人の愚かさ、しょうもない、愚かな決断、
そんなものも、用いられる方なんだなあと思いました。
神様のなさることは、私たちの思いを超えている・・・。
主よ、
あなたは人の愚かさも、
私たちの救いのために用いることができるんですね。
私の思いを超えています。
私がいつもいつもあなたの御心に従い、
あなたの御思いを知っていくことができるように。
謙虚な心で歩ませてください。
2008-08-04
男らしいって?
さて、今日2回目の更新。
今日はいい天気でした。
最高気温も30度止まり。
夜の10時45分には、22.5度に下がってきています。
明日は今日よりもちょっと暑くなって、
夜には雷雨もあるかもしれません。
ズッキーニも順調です。
今日も予想通り2つ花が咲きましたが、
土曜日に咲いた雌花は、
実が9センチにまで育っています。
水曜日には初収穫となりそうです。
さて、今朝の聖書。
今日は第一コリントの最後です。16章13-24節。
「男らしく、強くありなさい」13節。
「~らしく」ってのは私はあまり好きな言葉でありません。
「クリスチャンらしく」「牧師らしく」そして、この「男らしく」。
そうじゃなくて、内側からわいてくるものが大切。
だから、自分の本質と違う「~らしい」を身につけるのは抵抗があります。
でも、聖書が言っていることは、
自分が好きとか嫌いとか、
得意とか苦手とか、
そんなことはどうでもいいことです。
聖書が言っているんですから、
それは聞くべき言葉だと思いました。
では「男らしく」とはどういうことなんだろうか?
と思って、「日々のみことば」の左のページを見ると、
「男らしく強くなるとは、自分の周りの環境を見て恐れないで勇敢に生きることです。」とあります。
周りの環境を見て恐れない。
確かに聞くべき言葉だと思いました。
何を見ていくか、
本当に主を見つめ、
みことばに聞いていく、
その大切さを思わされます。
キリストにある強さ、
キリストにあって堅く立つ強さ、
与えて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたにある強さを持つ者としてください。
あなたを信頼して、
あなたの導きをはっきり知って、
そこに立つ者としてください。
今日はいい天気でした。
最高気温も30度止まり。
夜の10時45分には、22.5度に下がってきています。
明日は今日よりもちょっと暑くなって、
夜には雷雨もあるかもしれません。
ズッキーニも順調です。
今日も予想通り2つ花が咲きましたが、
土曜日に咲いた雌花は、
実が9センチにまで育っています。
水曜日には初収穫となりそうです。
さて、今朝の聖書。
今日は第一コリントの最後です。16章13-24節。
「男らしく、強くありなさい」13節。
「~らしく」ってのは私はあまり好きな言葉でありません。
「クリスチャンらしく」「牧師らしく」そして、この「男らしく」。
そうじゃなくて、内側からわいてくるものが大切。
だから、自分の本質と違う「~らしい」を身につけるのは抵抗があります。
でも、聖書が言っていることは、
自分が好きとか嫌いとか、
得意とか苦手とか、
そんなことはどうでもいいことです。
聖書が言っているんですから、
それは聞くべき言葉だと思いました。
では「男らしく」とはどういうことなんだろうか?
と思って、「日々のみことば」の左のページを見ると、
「男らしく強くなるとは、自分の周りの環境を見て恐れないで勇敢に生きることです。」とあります。
周りの環境を見て恐れない。
確かに聞くべき言葉だと思いました。
何を見ていくか、
本当に主を見つめ、
みことばに聞いていく、
その大切さを思わされます。
キリストにある強さ、
キリストにあって堅く立つ強さ、
与えて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたにある強さを持つ者としてください。
あなたを信頼して、
あなたの導きをはっきり知って、
そこに立つ者としてください。
祈られている幸い。祈らせて頂く幸い。
午前中に・・・なんて昨日は書いていたのですが、
気がついたら、もう夕方。
一日寝ていたわけではありませんが、
ゆっくり休ませて頂きました。
今朝もとても気持ちのいい朝。
先週修理したAttic Fanのおかげで、
夜も、午前中も、エアコンなしでも家の中は快適です。
昨日の日曜日、
午前中はコネチカット州の日本語教会の礼拝で、
メッセージをさせて頂きました。
自分が牧師をしている教会では、
「その話、50回目・・・」と言われないかと、
気にしているところはあるのですが、
ゲストで迎えられるところでは、
そういう心配をしなくていいですよねえ。
かなり調子に乗って馴れ馴れしくお話ししていたかもしれません・・・。
そして、午後はJCCNJに戻って、2回のメッセージ。
8月から新しい任期なので、
初めてのことでしたが、任期の更新にあたって、
改めて就任式をして頂きました。
教会の皆さんに前に出てきて頂いて、
私のために祈って頂いたのですが、
いつもいつも祈ってくださっていることは知っているのですが、
そのように特別に時を作って頂くと、
心から、それを実感することができます。
祈られている幸いを体いっぱい感じておりました。
ですから、今朝、また教会に行って祈るときに、
「ああ、私はこのためにここに置いて頂いているんだなあ」と
思わされて、お一人ひとりのことを祈らせて頂く幸いを感じました。
むかーし、
親父が、「牧師の幸せは、みんなのために祈らせて頂くことだ」と言っていたことを思い出しました。
20歳そこそこの私には余りよくわかりませんでしたが、ここに来て、やっと、ちょっとわかってきたように思います。
さて、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙16章1-12節。
「しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。」(8-9節)
広い門が開かれていることと、
反対者が大勢いることは、
なんだか正反対のことを言っているようにも思えます。
でも、働きの道が開かれているところでは、
それだけ反対の力も働くということなんでしょうね。
だから、反対者が大勢いるからと、
あきらめてしまったり、
ストレス回避で逃げてしまったりすると、
それは本当に大切な働きのチャンスを逸してしまうことになるんだと思います。
主が導かれるところで、
思いっきり、主を恐れるべきことを語り、
主の恵みと愛とを語る者でありたいと思います。
祈られているから。
主よ、
あなたが与えてくださっている祈り手の故に感謝します。
どうか、私を守り支えてください。
また困難や反対があっても、
すぐにあきらめてしまうことがないように、
逃げてしまうことがないように守ってください。
気がついたら、もう夕方。
一日寝ていたわけではありませんが、
ゆっくり休ませて頂きました。
今朝もとても気持ちのいい朝。
先週修理したAttic Fanのおかげで、
夜も、午前中も、エアコンなしでも家の中は快適です。
昨日の日曜日、
午前中はコネチカット州の日本語教会の礼拝で、
メッセージをさせて頂きました。
自分が牧師をしている教会では、
「その話、50回目・・・」と言われないかと、
気にしているところはあるのですが、
ゲストで迎えられるところでは、
そういう心配をしなくていいですよねえ。
かなり調子に乗って馴れ馴れしくお話ししていたかもしれません・・・。
そして、午後はJCCNJに戻って、2回のメッセージ。
8月から新しい任期なので、
初めてのことでしたが、任期の更新にあたって、
改めて就任式をして頂きました。
教会の皆さんに前に出てきて頂いて、
私のために祈って頂いたのですが、
いつもいつも祈ってくださっていることは知っているのですが、
そのように特別に時を作って頂くと、
心から、それを実感することができます。
祈られている幸いを体いっぱい感じておりました。
ですから、今朝、また教会に行って祈るときに、
「ああ、私はこのためにここに置いて頂いているんだなあ」と
思わされて、お一人ひとりのことを祈らせて頂く幸いを感じました。
むかーし、
親父が、「牧師の幸せは、みんなのために祈らせて頂くことだ」と言っていたことを思い出しました。
20歳そこそこの私には余りよくわかりませんでしたが、ここに来て、やっと、ちょっとわかってきたように思います。
さて、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙16章1-12節。
「しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。」(8-9節)
広い門が開かれていることと、
反対者が大勢いることは、
なんだか正反対のことを言っているようにも思えます。
でも、働きの道が開かれているところでは、
それだけ反対の力も働くということなんでしょうね。
だから、反対者が大勢いるからと、
あきらめてしまったり、
ストレス回避で逃げてしまったりすると、
それは本当に大切な働きのチャンスを逸してしまうことになるんだと思います。
主が導かれるところで、
思いっきり、主を恐れるべきことを語り、
主の恵みと愛とを語る者でありたいと思います。
祈られているから。
主よ、
あなたが与えてくださっている祈り手の故に感謝します。
どうか、私を守り支えてください。
また困難や反対があっても、
すぐにあきらめてしまうことがないように、
逃げてしまうことがないように守ってください。
2008-08-03
ズッキーニ開花。
昨日は朝から夜まで、ずーっとだったので、
更新できませんでした。
ま、そういう日もあり、ということで。
で、昨日は朝だけは気持ちよかったですが、
2回も土砂降りがありました。
そして、今日は気持ちよく晴れました。
今は夜の11時で、22度。
気持ちのいい夜です。
明日もいい天気のようです。
でも気温は高いようです。30度台。
今年は野菜ネタがない!という声(そんなの聞こえてきませんが・・・)に応えて、
今日はズッキーニの話。
いや、本当にネタがなかったんです。
インゲンとキュウリとズッキーニを植えているのですが、
全然できない。
インゲン3本だけ。
あり得ないです。
ちょっとさぼりすぎました。
愛が足りませんでした。
でも、やっと最近大きくなってきて、
やっと雌花が咲きました。
上が雄花。下が雌花。
蜂も飛んでいるのですが、
念のために、人工授粉します。
明日は2つ咲きそうです。
これから食べきれないほど収穫があるのでは、と、
ちょっと期待しております。
昨日の聖書。
昨日は第2コリント15:50-58でした。
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」58節。
私たちの労苦は無駄ではない。
何という励まし、何という慰めかと思います。
私たちの働き一つ一つは本当に無駄ではないんですよね。
時々、「失敗した・・・」と思うこともあります。
また、「どうして成果が上がらないんだろうか」と思うこともあります。
でも、それは自分の勝手な思いこみ、
自分の勝手な決めつけ。
本当は主にあっては何も無駄になるものは何もないんですね。
だから、今日も力を尽くしたいと思いました。
力を尽くして主に従いたい、主に尽くしたいと思いました。
人にもそのようにさせて頂きたいと思います。
でも、その難しさ、独りよがりにならないで
人に尽くしていくことの難しさも思わされます。
主よ、
すべてには無駄がないと。
そのみことばに感謝します。
もっともっと力を尽くして、
あなたに、また人に仕えていくことができますように。
2日分やるのには、ちょっと元気が足りないみたいなので、
明日の午前中にまたアップします。
更新できませんでした。
ま、そういう日もあり、ということで。
で、昨日は朝だけは気持ちよかったですが、
2回も土砂降りがありました。
そして、今日は気持ちよく晴れました。
今は夜の11時で、22度。
気持ちのいい夜です。
明日もいい天気のようです。
でも気温は高いようです。30度台。
今年は野菜ネタがない!という声(そんなの聞こえてきませんが・・・)に応えて、
今日はズッキーニの話。
いや、本当にネタがなかったんです。
インゲンとキュウリとズッキーニを植えているのですが、
全然できない。
インゲン3本だけ。
あり得ないです。
ちょっとさぼりすぎました。
愛が足りませんでした。
でも、やっと最近大きくなってきて、
やっと雌花が咲きました。
上が雄花。下が雌花。
蜂も飛んでいるのですが、
念のために、人工授粉します。
明日は2つ咲きそうです。
これから食べきれないほど収穫があるのでは、と、
ちょっと期待しております。
昨日の聖書。
昨日は第2コリント15:50-58でした。
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」58節。
私たちの労苦は無駄ではない。
何という励まし、何という慰めかと思います。
私たちの働き一つ一つは本当に無駄ではないんですよね。
時々、「失敗した・・・」と思うこともあります。
また、「どうして成果が上がらないんだろうか」と思うこともあります。
でも、それは自分の勝手な思いこみ、
自分の勝手な決めつけ。
本当は主にあっては何も無駄になるものは何もないんですね。
だから、今日も力を尽くしたいと思いました。
力を尽くして主に従いたい、主に尽くしたいと思いました。
人にもそのようにさせて頂きたいと思います。
でも、その難しさ、独りよがりにならないで
人に尽くしていくことの難しさも思わされます。
主よ、
すべてには無駄がないと。
そのみことばに感謝します。
もっともっと力を尽くして、
あなたに、また人に仕えていくことができますように。
2日分やるのには、ちょっと元気が足りないみたいなので、
明日の午前中にまたアップします。
今日は朝と午後。
遅くなりました。
もう日付が変わりましたね。
今日は午前中はグリニッチの教会で礼拝です。
午後はいつものニュージャージーの教会です。
ですから、そろそろ休みます。
そして、更新はたぶん明日の夜、かな。
お祈りください。
もう日付が変わりましたね。
今日は午前中はグリニッチの教会で礼拝です。
午後はいつものニュージャージーの教会です。
ですから、そろそろ休みます。
そして、更新はたぶん明日の夜、かな。
お祈りください。
2008-08-01
このからだ。
今日は昨日と暑さは同じくらいでしたが、
湿度が低く、夜になるとぐっと涼しくなりました。
でも、夜半頃からはあまり下がらないようです。
湿度も上がってきて、
明日は雷雨。
明日は暑さも一服です。
そして、後1週間あまりに迫ったJOYJOYキャンプですが、
なんか、そのころから涼しくなる予報が出てきています。
おおお!
昼間でも25度くらい、
朝晩は10度台に下がるという、
秋の気配を感じさせる一週間になるかもです!
体力的にはめちゃくちゃ楽です。
助かります。
今日は明日に備えて、早速聖書。
コリント第一の手紙15章35-49節。
「卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ・・・」43節。
このじぶんのからだ、十分立派だと思うんですが・・・。
いえいえ、自分の体型が立派だというのではなくて、
この体自体が、神様の傑作だということ。
そりゃ40代も半ばになると、
昔のように行かないことがだんだん出てきます。
ああ、坂道を越えたんだなあ、と思いますね。
でも、それにしても、この体だって、捨てたもんじゃないと思います。
でも、聖書の中では、
このからだは朽ちる、弱い、卑しいもので、
それに対照的に言われている「復活のからだ」は
栄光にあふれた、強い、朽ちない体だというのだ。
それはどんなにすごいだろうかと思います。
私が肉の体に感動しているのに、
天国の体はどんなにすばらしいのだろうかと。
楽しみになってきました。
天国がどんなにすばらしいところなのか。
でも、そうやって天国を見つめながら歩んでいくんですね。
主よ、
あなたのくださったこのからだの故に感謝します。
でも、天国のからだ、復活のからだはもっとすごいんですね。
そのことを楽しみに待たせてください。
いつもいつも天国を見つめながら、楽しみにしながら、歩むものでありたいです。
湿度が低く、夜になるとぐっと涼しくなりました。
でも、夜半頃からはあまり下がらないようです。
湿度も上がってきて、
明日は雷雨。
明日は暑さも一服です。
そして、後1週間あまりに迫ったJOYJOYキャンプですが、
なんか、そのころから涼しくなる予報が出てきています。
おおお!
昼間でも25度くらい、
朝晩は10度台に下がるという、
秋の気配を感じさせる一週間になるかもです!
体力的にはめちゃくちゃ楽です。
助かります。
今日は明日に備えて、早速聖書。
コリント第一の手紙15章35-49節。
「卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ・・・」43節。
このじぶんのからだ、十分立派だと思うんですが・・・。
いえいえ、自分の体型が立派だというのではなくて、
この体自体が、神様の傑作だということ。
そりゃ40代も半ばになると、
昔のように行かないことがだんだん出てきます。
ああ、坂道を越えたんだなあ、と思いますね。
でも、それにしても、この体だって、捨てたもんじゃないと思います。
でも、聖書の中では、
このからだは朽ちる、弱い、卑しいもので、
それに対照的に言われている「復活のからだ」は
栄光にあふれた、強い、朽ちない体だというのだ。
それはどんなにすごいだろうかと思います。
私が肉の体に感動しているのに、
天国の体はどんなにすばらしいのだろうかと。
楽しみになってきました。
天国がどんなにすばらしいところなのか。
でも、そうやって天国を見つめながら歩んでいくんですね。
主よ、
あなたのくださったこのからだの故に感謝します。
でも、天国のからだ、復活のからだはもっとすごいんですね。
そのことを楽しみに待たせてください。
いつもいつも天国を見つめながら、楽しみにしながら、歩むものでありたいです。
2008-07-31
11年・・・そしてこれから。
今日も暑かったです。
昨日よりも暑かったように感じました。
そして夜になっても、まだまだ。
9時をすぎて、26.6度。
明日はちょっと湿度が下がって、
朝も今朝よりは涼しいと思いますが、
昼間の気温は32度くらい。
暑い一日になりそうです。
今日は7月の最後の日。
1997年7月にJCCNJの牧師に就任して、
11年がたちました。
一区切りです。
何日か前にも書きましたが、
「今の自分がいるのは主の恵みによる」って、
牧師としての歩みを振り返ってもそうです。
やっぱり、かなり最近まで、
「自分のやったこと」「成果」にこだわっていたと思います。
それで、他の人と比べて落ち込んだり、
何か数字が出ると、傲慢になったり、
今になってみると、何を見てきたんだろうなあと思います。
子供の頃から数学が好きで、
数字で表されることの方が絶対わかりやすい、
というタイプの人間。
国語が苦手、英語が苦手、
答えが一つじゃないのが、とっても、嫌でした。
だから、国語や英語でも三択問題とかは何とか・・・という感じ。
だから、数字になって出るものがほしかったんですね。
でも、今は本当に、今ここにいること自体が、感謝。
ここに置いて頂けることが感謝。
人と出会えること、
語り合えることが感謝。
もちろん、人が目の前で、イエス様に導かれるのも感謝。
目が開かれて、「すごいですね」と感謝して歩み始めるのもうれしい。
でも、それだけじゃなくて、
私たちが痛みを覚えるときに、
それを分かち合って、共に祈り、共に歩むことができるのも感謝。
答えが出なくてもいい。
いや、答えが出てから、「実は・・・」と話してくださるのもいいけれども、
答えが出る前から、共に祈れる「兄弟姉妹」が感謝。
一歩一歩、この「兄弟姉妹」が広がって、深まっていきますように。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙15章12-34節。
「兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。」31節。
復活の意味を語る中で、
パウロが自らの命がけの歩みを思いながら、言っている言葉です。
復活があるから、命もかけられる、という感じで読みました。
自分はいったい本当にこのように感じているだろうかと、思います。
命かけているだろうかと。
ホント「死」から逃げている。
元々、イエスに従う歩みは命がけだった。
今でも命がけの人々がいる。
でも、今、自分は、命かけなくても「クリスチャン」でいられる、
そんな自分たちは、大切なものを見失っていないだろうかと。
いや、命を奪われることは私たちはないかもしれない、
だから、もっと難しい。
だから、もっと妥協してしまう。
いつもいつも地上では旅人であることを忘れないで、
天を見上げながら歩むものでありたいと思います。
神様、
パウロが「私はいつも死に直面している」と言った時の信仰と、
私の今の信仰は同じでしょうか?
パウロの信仰がわかる者にしてください。
この地上ではいつもいつも旅人であることを、
忘れることがありませんように。
昨日よりも暑かったように感じました。
そして夜になっても、まだまだ。
9時をすぎて、26.6度。
明日はちょっと湿度が下がって、
朝も今朝よりは涼しいと思いますが、
昼間の気温は32度くらい。
暑い一日になりそうです。
今日は7月の最後の日。
1997年7月にJCCNJの牧師に就任して、
11年がたちました。
一区切りです。
何日か前にも書きましたが、
「今の自分がいるのは主の恵みによる」って、
牧師としての歩みを振り返ってもそうです。
やっぱり、かなり最近まで、
「自分のやったこと」「成果」にこだわっていたと思います。
それで、他の人と比べて落ち込んだり、
何か数字が出ると、傲慢になったり、
今になってみると、何を見てきたんだろうなあと思います。
子供の頃から数学が好きで、
数字で表されることの方が絶対わかりやすい、
というタイプの人間。
国語が苦手、英語が苦手、
答えが一つじゃないのが、とっても、嫌でした。
だから、国語や英語でも三択問題とかは何とか・・・という感じ。
だから、数字になって出るものがほしかったんですね。
でも、今は本当に、今ここにいること自体が、感謝。
ここに置いて頂けることが感謝。
人と出会えること、
語り合えることが感謝。
もちろん、人が目の前で、イエス様に導かれるのも感謝。
目が開かれて、「すごいですね」と感謝して歩み始めるのもうれしい。
でも、それだけじゃなくて、
私たちが痛みを覚えるときに、
それを分かち合って、共に祈り、共に歩むことができるのも感謝。
答えが出なくてもいい。
いや、答えが出てから、「実は・・・」と話してくださるのもいいけれども、
答えが出る前から、共に祈れる「兄弟姉妹」が感謝。
一歩一歩、この「兄弟姉妹」が広がって、深まっていきますように。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙15章12-34節。
「兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。」31節。
復活の意味を語る中で、
パウロが自らの命がけの歩みを思いながら、言っている言葉です。
復活があるから、命もかけられる、という感じで読みました。
自分はいったい本当にこのように感じているだろうかと、思います。
命かけているだろうかと。
ホント「死」から逃げている。
元々、イエスに従う歩みは命がけだった。
今でも命がけの人々がいる。
でも、今、自分は、命かけなくても「クリスチャン」でいられる、
そんな自分たちは、大切なものを見失っていないだろうかと。
いや、命を奪われることは私たちはないかもしれない、
だから、もっと難しい。
だから、もっと妥協してしまう。
いつもいつも地上では旅人であることを忘れないで、
天を見上げながら歩むものでありたいと思います。
神様、
パウロが「私はいつも死に直面している」と言った時の信仰と、
私の今の信仰は同じでしょうか?
パウロの信仰がわかる者にしてください。
この地上ではいつもいつも旅人であることを、
忘れることがありませんように。
「単なる希望」じゃあない。
さて、昨夜の続き。
昨日の聖書箇所は、コリント人への第一の手紙15章12-19節。
「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」19節。
単なる希望をキリストに置いているだけだったら、
それは哀れだ、なんてどういうことなんだろうかと思いました。
キリストに希望を置いていいじゃないかと思いました。
どうしてあわれなの?と。
でも、味わっているうちに、
これは自分の「希望」という言葉の意味が、
「キリストにある希望」という意味で使う場合に、
もはや、他の時に「希望」とは異質なものになってしまっている、
キリストにある希望、はもはや、「まれなのぞみ」ではなくて、
「平安と確信を与える土台」になっているんだとわかったのです。
そうですね、「単なる希望」じゃない。
「希望を捨てないでがんばる」というのではなくて、
「イエス様がいるから、大丈夫じゃん」という、
平安になっているんですね。
それをいただいている。
その確信をいただいている。
その根拠が、イエスが死をも打ち破って、今も生きておられる、
人間の最後の敵である死をも打ち破ってくださったんだから、
大丈夫なんだと。
与えられているモノの大きさを再認識しました。
主よ、
与えられているモノがものすごい、すばらしいものなのに、
なかなか気がつかないでいる者です。
ありがとうございます。
あなたにあって抱いている希望が、
ものすごい平安と確信、心の安定を与えてくれています。
感謝します。
その平安が周りの人々をも生かすものとなりますように。
昨日の聖書箇所は、コリント人への第一の手紙15章12-19節。
「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」19節。
単なる希望をキリストに置いているだけだったら、
それは哀れだ、なんてどういうことなんだろうかと思いました。
キリストに希望を置いていいじゃないかと思いました。
どうしてあわれなの?と。
でも、味わっているうちに、
これは自分の「希望」という言葉の意味が、
「キリストにある希望」という意味で使う場合に、
もはや、他の時に「希望」とは異質なものになってしまっている、
キリストにある希望、はもはや、「まれなのぞみ」ではなくて、
「平安と確信を与える土台」になっているんだとわかったのです。
そうですね、「単なる希望」じゃない。
「希望を捨てないでがんばる」というのではなくて、
「イエス様がいるから、大丈夫じゃん」という、
平安になっているんですね。
それをいただいている。
その確信をいただいている。
その根拠が、イエスが死をも打ち破って、今も生きておられる、
人間の最後の敵である死をも打ち破ってくださったんだから、
大丈夫なんだと。
与えられているモノの大きさを再認識しました。
主よ、
与えられているモノがものすごい、すばらしいものなのに、
なかなか気がつかないでいる者です。
ありがとうございます。
あなたにあって抱いている希望が、
ものすごい平安と確信、心の安定を与えてくれています。
感謝します。
その平安が周りの人々をも生かすものとなりますように。
2008-07-30
昔の情熱。
今日は蒸し暑かったです。
雷雨の予報が出ていましたが、
今のところは、ここら辺は素通り。
でも、今夜これから、やってくるでしょう、たぶん。
今、夜中の12時ですが、25度以上あります。
ここ数日の中で、一番蒸し暑い夜です。
明日はまた暑い一日になりそうです。
今日、郵便で荷物が届いていたので、
何だろうと思ったら、先日来られた、シカゴのぼぼるさん。
いや、リンクはこっち(University of Chicagoのスタッフの紹介)を貼るべきなのかも。
で、何だろうかと思って、見てみたら、
気象学の教科書。
Atmospheric Scienceという本。
いやあ、難しそう。
こんな式も出てきます。
何のことか全然わからない。
でも、わからなくても、というか、わからないから、
刺激を受けました。
昔の情熱がよみがえってきます。
ゆっくり勉強してみたいです。
高校の時、もっとちゃんと勉強しておくべきでした・・・。
思わず「気象予報士」の試験の日程とか、確認してしまいました。
やっぱり、NYで受けるとか、できないんですねえ。
ちなみに、このぼぼる先生、アーティストでもあったりします。
で、この表紙の真ん中のイラストはアーティスト・ぼぼるの作品です。
ちゃんと中をめくると、
目次の前のページに、
「Cover Photo Credits」のところにお名前が出てきます。
いつの日にか、この本の「中身」について、
議論ができる日が来ることを願います。
感謝。
すみません、
ここまで書いて、ものすごい睡魔が今襲って来ています。
素直に飲み込まれようと思います。
みことばはまた明日の朝にでも・・・。
雷雨の予報が出ていましたが、
今のところは、ここら辺は素通り。
でも、今夜これから、やってくるでしょう、たぶん。
今、夜中の12時ですが、25度以上あります。
ここ数日の中で、一番蒸し暑い夜です。
明日はまた暑い一日になりそうです。
今日、郵便で荷物が届いていたので、
何だろうと思ったら、先日来られた、シカゴのぼぼるさん。
いや、リンクはこっち(University of Chicagoのスタッフの紹介)を貼るべきなのかも。
で、何だろうかと思って、見てみたら、
気象学の教科書。
Atmospheric Scienceという本。
いやあ、難しそう。
こんな式も出てきます。
何のことか全然わからない。
でも、わからなくても、というか、わからないから、
刺激を受けました。
昔の情熱がよみがえってきます。
ゆっくり勉強してみたいです。
高校の時、もっとちゃんと勉強しておくべきでした・・・。
思わず「気象予報士」の試験の日程とか、確認してしまいました。
やっぱり、NYで受けるとか、できないんですねえ。
ちなみに、このぼぼる先生、アーティストでもあったりします。
で、この表紙の真ん中のイラストはアーティスト・ぼぼるの作品です。
ちゃんと中をめくると、
目次の前のページに、
「Cover Photo Credits」のところにお名前が出てきます。
いつの日にか、この本の「中身」について、
議論ができる日が来ることを願います。
感謝。
すみません、
ここまで書いて、ものすごい睡魔が今襲って来ています。
素直に飲み込まれようと思います。
みことばはまた明日の朝にでも・・・。
2008-07-29
恵みによって今がある。
今日もまた暑かったです。
昨日よりも一段階蒸し暑さがアップして、
ちょっとしんどかったですよね。
今日は昼間に車に乗ることが何回かあったのですが、
毎回、車があつーくなっているのに閉口しました。
アトランタにいた頃なんか、
フロントガラス(ウィンドシールド)のところに、
反射板みたいなのを置いて、ハンドルが熱くならないようにしないと
とてもじゃないけど運転できなかったことを思い出します。
それに比べるとまあ、たいしたことはないのでしょうが、
まあ、熱かったです。
明日はもうワンランク蒸し暑くなって、
雷雨もあるでしょう。
さて、今日は早速聖書。
今日はコリント人への第一の手紙15章1-11節。
「神の恵みによって、私は今の私になりました。」10節。
パウロは、
イエスの十字架と復活こそが福音の中心であることを語るのですが、
その中で、自分が今の自分になったことは、
神様の恵みによるのだ、ということを
本当に心から語っているところを読んだときに、
「私もそうだ!」と心から思いました。
今の私があるのは、
私が今の自分となったのは、
本当に神様の愛であり、
神様の恵みであることを思わされました。
ありがたいと思いましたし、
また本当に原点に引き戻されたような気持ちがしました。
今あるのはただ恵みによる。
自分の力ではなく、
自分の決心ではなく、
ただ、神様に愛されている喜びと、
ありがたさ。
自分のために
命まで捨てた方がおられるという、
そのかたじけなさ。
主よ、
あなたの恵みに感謝します。
また原点に引き戻されました。
あなたは私の弱さや愚かさをご存じで、
自分の偽善性に苦しんでいた私を救ってくださいました。
私のために、一番嫌いなタイプのはずの私のために、
十字架にかかってくださったイエスの愛に感謝します。
どうか、この喜びに生かしてください。
昨日よりも一段階蒸し暑さがアップして、
ちょっとしんどかったですよね。
今日は昼間に車に乗ることが何回かあったのですが、
毎回、車があつーくなっているのに閉口しました。
アトランタにいた頃なんか、
フロントガラス(ウィンドシールド)のところに、
反射板みたいなのを置いて、ハンドルが熱くならないようにしないと
とてもじゃないけど運転できなかったことを思い出します。
それに比べるとまあ、たいしたことはないのでしょうが、
まあ、熱かったです。
明日はもうワンランク蒸し暑くなって、
雷雨もあるでしょう。
さて、今日は早速聖書。
今日はコリント人への第一の手紙15章1-11節。
「神の恵みによって、私は今の私になりました。」10節。
パウロは、
イエスの十字架と復活こそが福音の中心であることを語るのですが、
その中で、自分が今の自分になったことは、
神様の恵みによるのだ、ということを
本当に心から語っているところを読んだときに、
「私もそうだ!」と心から思いました。
今の私があるのは、
私が今の自分となったのは、
本当に神様の愛であり、
神様の恵みであることを思わされました。
ありがたいと思いましたし、
また本当に原点に引き戻されたような気持ちがしました。
今あるのはただ恵みによる。
自分の力ではなく、
自分の決心ではなく、
ただ、神様に愛されている喜びと、
ありがたさ。
自分のために
命まで捨てた方がおられるという、
そのかたじけなさ。
主よ、
あなたの恵みに感謝します。
また原点に引き戻されました。
あなたは私の弱さや愚かさをご存じで、
自分の偽善性に苦しんでいた私を救ってくださいました。
私のために、一番嫌いなタイプのはずの私のために、
十字架にかかってくださったイエスの愛に感謝します。
どうか、この喜びに生かしてください。
2008-07-28
あたりまえ!ですか?
今日は朝18度くらい。
そこそこ涼しくて、昼間も、まあ、30度は超えましたが、
それほど暑く感じませんでした。
そして、夜はまた涼しくなって、
夜の12時で22度。
明日もいい天気になりそうです。
今晩ゲストがあって、楽しく話をしたのですが、
小学生のお子さんに、「夏休みはどうよ」とか、
「宿題やった?」「野球はどこが好き?」とか聞いて、
話をするのですが、
いつの間にか、お子さんから話を取り上げて、
自分の子供の頃の話になっていく、
(って、絶対、すぐ自分の子供時代の話に持っていくのは自分。)
そして、いつの間にか、大人が昭和の話で盛り上がる、
いやあ、楽しかったです。
昔の話をやたら思い出すのはそういう年になってきたのかと思います。
ヤバイですね。
で、夏休みの登校日といえば、
「どじょうつかみ」でしょう。ね。
消防署からポンプ車が来て、
プールの水(たぶん)をくみ取って、校庭にまく。
その中にみんなはいっていく。
そしてそこには生きたドジョウがまかれていて、
それを素手でつかみ取る、という毎年恒例の行事でした。
確か、8月20日頃。
私はかなり下手で、
獲れても1匹。
獲れる子は5匹くらい捕まえたりもします。
もちろん、獲れない子もいます。
獲れなかったら、1匹もらえる。残念賞です。
結果は同じなんですが、
やっぱり「残念賞」でもらえる1匹と、
自分で捕まえた1匹では、
全然価値が違います。
1匹でも獲れた年は、
周りのみんなに自慢して回りたい、そんな気持ちでした。
何でか、上手じゃないのですが、好きでした。
で、ためしに「ドジョウつかみ」でググると結構東京下町系の町や小学校の名前が出てきます。
やっぱり、あれは東京下町系の行事だったのでしょうか?
そして、もひとつためしに、母校の名前を入れて、「ドジョウつかみ、数矢」で入れると、
5件くらいヒットします。
今でも町内会主催等でやっているのが区内にもあるようですが、
母校のドジョウつかみ、なぜか、PTAにとって大切な「行事」だったようで、
昭和45年から52年までの間、46年を除いて、毎年行われていたようです。
ん・・・?
自分の入学が、昭和45年で、卒業が51年ですから、
なんてことはない、自分がいたときしかやっていなかったんですね。
でも、自分が毎年のように経験していると、
「ふつうやるでしょ!」と思ってしまう。
「やるのが小学校というものでしょう。」
「昭和の頃はいつもやっていた。」と言いたくなります。
いやあ、昨日の説教でもお話ししましたが、
自分の「あたりまえ」に閉じこもっていちゃいけませんね。
さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙14章26-40節。
「それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。」33節。
神様は、平和(秩序)をもたらそうとされている。
それにほっとさせられました。
神様は教会に秩序を与えようとされている。
ならば、その神様に従って、
秩序を確立して頂こうと思わされました。
神様がなさることを見せて頂きたい。
神様がなさろうとすることを、信頼して歩んでいきたいです。
混乱ではなくて、
熱心な人たちによる混乱ではなくて、
表面的にはそれほど熱心には見られないような人々による秩序。
それを与えて頂きたいです。
主よ、
あなたに感謝します。
あなたが秩序を愛される方であることに感謝します。
どうか、あなたの作られた秩序に従っていく者でありますように。
あなたが作ろうとされている秩序に敏感で、
あえて、自分を捨てて、それに従っていくことができますように。
そこそこ涼しくて、昼間も、まあ、30度は超えましたが、
それほど暑く感じませんでした。
そして、夜はまた涼しくなって、
夜の12時で22度。
明日もいい天気になりそうです。
今晩ゲストがあって、楽しく話をしたのですが、
小学生のお子さんに、「夏休みはどうよ」とか、
「宿題やった?」「野球はどこが好き?」とか聞いて、
話をするのですが、
いつの間にか、お子さんから話を取り上げて、
自分の子供の頃の話になっていく、
(って、絶対、すぐ自分の子供時代の話に持っていくのは自分。)
そして、いつの間にか、大人が昭和の話で盛り上がる、
いやあ、楽しかったです。
昔の話をやたら思い出すのはそういう年になってきたのかと思います。
ヤバイですね。
で、夏休みの登校日といえば、
「どじょうつかみ」でしょう。ね。
消防署からポンプ車が来て、
プールの水(たぶん)をくみ取って、校庭にまく。
その中にみんなはいっていく。
そしてそこには生きたドジョウがまかれていて、
それを素手でつかみ取る、という毎年恒例の行事でした。
確か、8月20日頃。
私はかなり下手で、
獲れても1匹。
獲れる子は5匹くらい捕まえたりもします。
もちろん、獲れない子もいます。
獲れなかったら、1匹もらえる。残念賞です。
結果は同じなんですが、
やっぱり「残念賞」でもらえる1匹と、
自分で捕まえた1匹では、
全然価値が違います。
1匹でも獲れた年は、
周りのみんなに自慢して回りたい、そんな気持ちでした。
何でか、上手じゃないのですが、好きでした。
で、ためしに「ドジョウつかみ」でググると結構東京下町系の町や小学校の名前が出てきます。
やっぱり、あれは東京下町系の行事だったのでしょうか?
そして、もひとつためしに、母校の名前を入れて、「ドジョウつかみ、数矢」で入れると、
5件くらいヒットします。
今でも町内会主催等でやっているのが区内にもあるようですが、
母校のドジョウつかみ、なぜか、PTAにとって大切な「行事」だったようで、
昭和45年から52年までの間、46年を除いて、毎年行われていたようです。
ん・・・?
自分の入学が、昭和45年で、卒業が51年ですから、
なんてことはない、自分がいたときしかやっていなかったんですね。
でも、自分が毎年のように経験していると、
「ふつうやるでしょ!」と思ってしまう。
「やるのが小学校というものでしょう。」
「昭和の頃はいつもやっていた。」と言いたくなります。
いやあ、昨日の説教でもお話ししましたが、
自分の「あたりまえ」に閉じこもっていちゃいけませんね。
さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙14章26-40節。
「それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。」33節。
神様は、平和(秩序)をもたらそうとされている。
それにほっとさせられました。
神様は教会に秩序を与えようとされている。
ならば、その神様に従って、
秩序を確立して頂こうと思わされました。
神様がなさることを見せて頂きたい。
神様がなさろうとすることを、信頼して歩んでいきたいです。
混乱ではなくて、
熱心な人たちによる混乱ではなくて、
表面的にはそれほど熱心には見られないような人々による秩序。
それを与えて頂きたいです。
主よ、
あなたに感謝します。
あなたが秩序を愛される方であることに感謝します。
どうか、あなたの作られた秩序に従っていく者でありますように。
あなたが作ろうとされている秩序に敏感で、
あえて、自分を捨てて、それに従っていくことができますように。
2008-07-27
祈りの長さ。
今日は雷の音で目が覚めました。
朝5時頃、雷が鳴っていました。
そして、6時に教会に行くときには雨。
でも、45分に教会を出るときには雨はすっかり上がっていました。
教会にいるときにも雨は降ったようですが、
中にいると、よくわかりません。
夜にはすっかり上がっています。
外は湿度はそこそこありますが、
涼しいです。
11時前で21度。
でも、この後はあまり下がらないみたいですね。
明日は30度を超える暑さになりそうです。
この先を見ても、なかなか30度を切る日はなさそうです。
日本の話を伺うたびに、
こちらはましなんだよなあ、と思いますが、
ちょっと涼しくなってほしいなあと思います。
さて、今日はまた一家族、日本にお送りしました。
今年はこれで何家族目でしょうか?
寂しくもありますが、
また日本で豊かに用いられるようにと祈らされます。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙14:13-25
「私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。」15節。
知性で祈る。
祈りは心のありのままをささげるときだから、
知性で祈るという感覚は私にもあまりありませんでした。
でも、「霊で祈る」というのも、
ちょっと違うかなと。
でも、頭を使って祈っていいんだと、
今日は思いました。
そして、時々、「異言で祈ると2時間でも3時間でも祈れる」という人の言葉を聞くと、
それが自分の経験の中ではないことがとてもコンプレックスでした。
でも、きょう、このみことばによって、吹っ切れたように思います。
いいんだと。何時間祈ったかは、神様にとっては問題ではない。
知性において15分祈ったら、30分祈ったら、それでいいじゃないかと。
そして、神に祈れることを心から感謝しました。
そうしたら、本当に元気が出てきました。
とってもいい気分で教会を後にしました。
これからも5分でもいいから、15分でもいいから、ただ、主を愛して、
人々を愛して祈るものでありたいと思いました。
主よ、
今日、あなたが目を開いてくださってありがとうございます。
時間の長さが問題なのではない。
時間の長さが、神に祈っているかどうかのものさしではない。
心から、一つ一つの課題について、
心を注ぎだして、
愛を持ってあなたの前に祈っていく者とならせてください。
朝5時頃、雷が鳴っていました。
そして、6時に教会に行くときには雨。
でも、45分に教会を出るときには雨はすっかり上がっていました。
教会にいるときにも雨は降ったようですが、
中にいると、よくわかりません。
夜にはすっかり上がっています。
外は湿度はそこそこありますが、
涼しいです。
11時前で21度。
でも、この後はあまり下がらないみたいですね。
明日は30度を超える暑さになりそうです。
この先を見ても、なかなか30度を切る日はなさそうです。
日本の話を伺うたびに、
こちらはましなんだよなあ、と思いますが、
ちょっと涼しくなってほしいなあと思います。
さて、今日はまた一家族、日本にお送りしました。
今年はこれで何家族目でしょうか?
寂しくもありますが、
また日本で豊かに用いられるようにと祈らされます。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙14:13-25
「私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。」15節。
知性で祈る。
祈りは心のありのままをささげるときだから、
知性で祈るという感覚は私にもあまりありませんでした。
でも、「霊で祈る」というのも、
ちょっと違うかなと。
でも、頭を使って祈っていいんだと、
今日は思いました。
そして、時々、「異言で祈ると2時間でも3時間でも祈れる」という人の言葉を聞くと、
それが自分の経験の中ではないことがとてもコンプレックスでした。
でも、きょう、このみことばによって、吹っ切れたように思います。
いいんだと。何時間祈ったかは、神様にとっては問題ではない。
知性において15分祈ったら、30分祈ったら、それでいいじゃないかと。
そして、神に祈れることを心から感謝しました。
そうしたら、本当に元気が出てきました。
とってもいい気分で教会を後にしました。
これからも5分でもいいから、15分でもいいから、ただ、主を愛して、
人々を愛して祈るものでありたいと思いました。
主よ、
今日、あなたが目を開いてくださってありがとうございます。
時間の長さが問題なのではない。
時間の長さが、神に祈っているかどうかのものさしではない。
心から、一つ一つの課題について、
心を注ぎだして、
愛を持ってあなたの前に祈っていく者とならせてください。
2008-07-26
徳を高める言葉。
今日は昨日よりも一段階蒸し暑くなりました。
気温も33度くらいまで上がって、
湿度も上がって、
何よりも夜の気温が高いです。
10時半で、25.4度でした。
明日はもっと蒸し暑くなって、
雷雨もあるでしょう。
あと1週間くらいはこんな感じのようですね。
毎年JOYJOYキャンプの頃になると、
ちょっと暑さも和らぐのですが、
今年はどうでしょうか?
あと2週間!
涼しくなってほしいものです。
今日は早速聖書。
今日はコリント人への第一の手紙14章1-12節。
「 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。」3節。
自分に預言の賜物があるとは思わない。
でも、人の徳を高め、勧めをなし、慰めを与える働きの大切さは
今日、本当に強く教えられた。
いったい、自分はどれだけその働きをしているだろうか。
自分はどれだけ人のひとりひとりとお話をするときに、
徳を高める話をしているだろうか。
勧めをしているだろうか、
慰めを与えているだろうか。
そのような働きをさせてくださいと、
この方に対しても、
この方に対しても、
そのような働きをさせてくださいと祈らされました。
自分のことではなく、
人の徳を高めるような、
働きをさせて頂きたいと思います。
主よ、
どうか、あなたの言葉を与えてください。
人の徳を高め、
勧めをなし、
慰めを与えるような、
働きをする者とならせてください。
今日も言葉を与えてください。
また明日の礼拝を祝福し、
心からの礼拝をささげることができますように。
気温も33度くらいまで上がって、
湿度も上がって、
何よりも夜の気温が高いです。
10時半で、25.4度でした。
明日はもっと蒸し暑くなって、
雷雨もあるでしょう。
あと1週間くらいはこんな感じのようですね。
毎年JOYJOYキャンプの頃になると、
ちょっと暑さも和らぐのですが、
今年はどうでしょうか?
あと2週間!
涼しくなってほしいものです。
今日は早速聖書。
今日はコリント人への第一の手紙14章1-12節。
「 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。」3節。
自分に預言の賜物があるとは思わない。
でも、人の徳を高め、勧めをなし、慰めを与える働きの大切さは
今日、本当に強く教えられた。
いったい、自分はどれだけその働きをしているだろうか。
自分はどれだけ人のひとりひとりとお話をするときに、
徳を高める話をしているだろうか。
勧めをしているだろうか、
慰めを与えているだろうか。
そのような働きをさせてくださいと、
この方に対しても、
この方に対しても、
そのような働きをさせてくださいと祈らされました。
自分のことではなく、
人の徳を高めるような、
働きをさせて頂きたいと思います。
主よ、
どうか、あなたの言葉を与えてください。
人の徳を高め、
勧めをなし、
慰めを与えるような、
働きをする者とならせてください。
今日も言葉を与えてください。
また明日の礼拝を祝福し、
心からの礼拝をささげることができますように。
2008-07-25
賛美で勝つ!
今日は朝は18度くらいまで下がり、
とても気持ちのいい朝でした。
昼間も気温は30度を超えましたが、
過ごしやすく、気持ちのいい一日でした。
今夜も過ごしやすいです。
10時20分頃で22度。
明日も20度切りますね。
明日までは晴れますが、
日曜日はまた雷雨がありそうです。
今年の夏は日曜日の雷雨多すぎ。
さて、今日もYankeesは宿敵を破り7連勝で気分がいいですが、
野球観戦は7回からで、その前は、教会でメンバーのための学び会。
今は、旧約聖書を書巻ごとに学んでいます。
今回は歴代志。
歴代志ってあんまり読まないですよねえ。
通読では読みますけど、最初の10章くらいは読み飛ばします。
トピック的にも教会学校とかで取り上げるものは少ないです。
でも、今回学んで、私はとてもいい学びになりました。
王たちが戦いを前にして、何よりも神の前に出ることを大切にしたこと、
そのときに、自分が戦いに出なくても、
神様が戦ってくださって、勝利を与えられたこと。
特に下の20章に出てくるヨシャパテという王様が、
賛美をしながら、前進していったときに、
敵が勝手に同士討ちをして勝利を与えられてしまったというところ。
自分の力で戦おうとするのではなくて、
自分は神様を礼拝し、神様を第一としていくときに、
勝利は向こうから与えられる、ということ、
本当に自分はそのように戦いたいと思います。
自分にとっても本当に大切なことだと思いました。
ただただ、真実に主に仕え、主の前に出て、
主の勝利を見せて頂きたいと思いました。
さて、今日の聖書は、コリント第一の手紙の13章。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」4-7節。
愛の賛歌と呼ばれるところです。
ここを読みながら、自分はいったい、人を愛したことはあるのだろうかと思いました。
うーん、そういう言い方をすると、なんか恋愛のことを言っているように聞こえてしまうかな。
そうじゃなくて、人として愛を持っているだろうかと。
ここに出てくるような意味で、
自分は愛を持って人に接しているだろうかと。
ひとりひとりを愛しているだろうかと。
ですから、今日は愛することを教えてください、
愛させてください、と祈りました。
教会のひとりひとり、心に浮かぶひとりひとりを覚えながら、
このひとりひとりを愛することをさせてください、と。
待っているのではなく、
攻めていく愛・・・これも恋愛みたいに聞こえちゃうでしょうか、
そうじゃなくて、でも、待っているのではなく、
こちらから進んで近づいていく愛、
それを持たせてください、と祈りました。
主よ、
あなたの愛に感謝します。
自分の中に愛がないことを思います。
どうか、あなたの愛を注ぎ続けてください。
そして、愛することを一つ一つ経験していくことができますように。
とても気持ちのいい朝でした。
昼間も気温は30度を超えましたが、
過ごしやすく、気持ちのいい一日でした。
今夜も過ごしやすいです。
10時20分頃で22度。
明日も20度切りますね。
明日までは晴れますが、
日曜日はまた雷雨がありそうです。
今年の夏は日曜日の雷雨多すぎ。
さて、今日もYankeesは宿敵を破り7連勝で気分がいいですが、
野球観戦は7回からで、その前は、教会でメンバーのための学び会。
今は、旧約聖書を書巻ごとに学んでいます。
今回は歴代志。
歴代志ってあんまり読まないですよねえ。
通読では読みますけど、最初の10章くらいは読み飛ばします。
トピック的にも教会学校とかで取り上げるものは少ないです。
でも、今回学んで、私はとてもいい学びになりました。
王たちが戦いを前にして、何よりも神の前に出ることを大切にしたこと、
そのときに、自分が戦いに出なくても、
神様が戦ってくださって、勝利を与えられたこと。
特に下の20章に出てくるヨシャパテという王様が、
賛美をしながら、前進していったときに、
敵が勝手に同士討ちをして勝利を与えられてしまったというところ。
自分の力で戦おうとするのではなくて、
自分は神様を礼拝し、神様を第一としていくときに、
勝利は向こうから与えられる、ということ、
本当に自分はそのように戦いたいと思います。
自分にとっても本当に大切なことだと思いました。
ただただ、真実に主に仕え、主の前に出て、
主の勝利を見せて頂きたいと思いました。
さて、今日の聖書は、コリント第一の手紙の13章。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」4-7節。
愛の賛歌と呼ばれるところです。
ここを読みながら、自分はいったい、人を愛したことはあるのだろうかと思いました。
うーん、そういう言い方をすると、なんか恋愛のことを言っているように聞こえてしまうかな。
そうじゃなくて、人として愛を持っているだろうかと。
ここに出てくるような意味で、
自分は愛を持って人に接しているだろうかと。
ひとりひとりを愛しているだろうかと。
ですから、今日は愛することを教えてください、
愛させてください、と祈りました。
教会のひとりひとり、心に浮かぶひとりひとりを覚えながら、
このひとりひとりを愛することをさせてください、と。
待っているのではなく、
攻めていく愛・・・これも恋愛みたいに聞こえちゃうでしょうか、
そうじゃなくて、でも、待っているのではなく、
こちらから進んで近づいていく愛、
それを持たせてください、と祈りました。
主よ、
あなたの愛に感謝します。
自分の中に愛がないことを思います。
どうか、あなたの愛を注ぎ続けてください。
そして、愛することを一つ一つ経験していくことができますように。
2008-07-24
信頼。
今日は朝は雨でしたが、
予想されていたよりも早く上がって、
いい天気となりました。
そして、気温も割合低く、過ごしやすい夜になっています。
今は10時20分ですが、21度!
このところの蒸し暑さを考えると、
ちょっと信じられないくらい、涼しいですね。
ある方が犬を2匹飼っていて、
そのうちの一匹は由緒正しい、
ペットショップで手に入れた犬で、こちらをAくんとしましょう。
もう一匹は虐待されて保護されて、
譲り受けてきた犬。こちらはBくん。
私は雄か雌かも存じ上げませんが、まあ、AくんとBくん。
Bくんは結構人間不信で、
なかなかなつかなかったそうです。
今でも時々言うことを聞かなかったりする。
Aくんは本当に「育ちがいい」って感じだそうです。
で、時々、飼い主さんがわざと隠れて、見ていると、
Bくんはあわてて、飼い主さんを捜し回るそうです。
ところが、Aくんは、「どうせそこら辺にいるだろう」と、
のんびり構えているそうです。
Aくんもかわいいけれども、
本当にいとおしい、と思うのはBくんだそうで。
でも、本当に2匹とも愛しておられるのが、
お話ししていても伝わってきます。
で、その話を伺ったときに思わされたのですが、
これって、人間と神様との関係についても言えるんじゃないかって。
私はAくん型かな。
神様が見えなくなっても、
「大丈夫、確かにいてくださっているから」
とのんきに構えている。
時には問題も見えていなくて、
「君は何にもわかっていない」と言われたりする。
でも、Bくん型の方もおられる。
「神様が見えない!」「信じられない!」って、
本当に悩まれて、苦しまれる。
でも、神様の方からすると、
どっちも大切な存在だし、
どっちも愛しておられる。
それが一番信頼していいこと。
神様が私たちに「信頼しろよ」と言われるポイントだと思う。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙12章12-31節。
「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。」31節。
教会は一つなんだけど、多様性があって、
多様性があるんだけど、一つなんだ。
それを認めることが大切なんだ、
でも、それと共に自分がもっと優れた賜物を与えられるように、
祈ることへと招かれていると思いました。
私も与えられたいと思っている賜物があります。
人を励ます賜物、コミュニケーションの賜物、そして、癒しの賜物。
求めていいんだ、求め続けていいのだ、と思いました。
熱心に求めて、主が与えてくださることを期待して、
求めていいんだと思いました。
具体的に、「この賜物を与えてください」と祈り、
熱心にそれを求めようと思いました。
主よ、
あなたの賜物を求めます。
私によりすぐれた賜物を与えてください。
もしも自分が気がついていない、
すでに与えてくださっている賜物があるならば、
それを教えてください。
そして、それをあなたのために、また人々のために、
用いることができますように
予想されていたよりも早く上がって、
いい天気となりました。
そして、気温も割合低く、過ごしやすい夜になっています。
今は10時20分ですが、21度!
このところの蒸し暑さを考えると、
ちょっと信じられないくらい、涼しいですね。
ある方が犬を2匹飼っていて、
そのうちの一匹は由緒正しい、
ペットショップで手に入れた犬で、こちらをAくんとしましょう。
もう一匹は虐待されて保護されて、
譲り受けてきた犬。こちらはBくん。
私は雄か雌かも存じ上げませんが、まあ、AくんとBくん。
Bくんは結構人間不信で、
なかなかなつかなかったそうです。
今でも時々言うことを聞かなかったりする。
Aくんは本当に「育ちがいい」って感じだそうです。
で、時々、飼い主さんがわざと隠れて、見ていると、
Bくんはあわてて、飼い主さんを捜し回るそうです。
ところが、Aくんは、「どうせそこら辺にいるだろう」と、
のんびり構えているそうです。
Aくんもかわいいけれども、
本当にいとおしい、と思うのはBくんだそうで。
でも、本当に2匹とも愛しておられるのが、
お話ししていても伝わってきます。
で、その話を伺ったときに思わされたのですが、
これって、人間と神様との関係についても言えるんじゃないかって。
私はAくん型かな。
神様が見えなくなっても、
「大丈夫、確かにいてくださっているから」
とのんきに構えている。
時には問題も見えていなくて、
「君は何にもわかっていない」と言われたりする。
でも、Bくん型の方もおられる。
「神様が見えない!」「信じられない!」って、
本当に悩まれて、苦しまれる。
でも、神様の方からすると、
どっちも大切な存在だし、
どっちも愛しておられる。
それが一番信頼していいこと。
神様が私たちに「信頼しろよ」と言われるポイントだと思う。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙12章12-31節。
「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。」31節。
教会は一つなんだけど、多様性があって、
多様性があるんだけど、一つなんだ。
それを認めることが大切なんだ、
でも、それと共に自分がもっと優れた賜物を与えられるように、
祈ることへと招かれていると思いました。
私も与えられたいと思っている賜物があります。
人を励ます賜物、コミュニケーションの賜物、そして、癒しの賜物。
求めていいんだ、求め続けていいのだ、と思いました。
熱心に求めて、主が与えてくださることを期待して、
求めていいんだと思いました。
具体的に、「この賜物を与えてください」と祈り、
熱心にそれを求めようと思いました。
主よ、
あなたの賜物を求めます。
私によりすぐれた賜物を与えてください。
もしも自分が気がついていない、
すでに与えてくださっている賜物があるならば、
それを教えてください。
そして、それをあなたのために、また人々のために、
用いることができますように
2008-07-23
大雨だあ。
今日はホントに暑さは一服でしたね。
でも、雨がすごい。
朝起きたら、土砂降り。
でも、NYに行く頃にはあがって、昼間は大丈夫でした。
そして、また夜10時過ぎに帰ってきたら、土砂降り。
それから夜は雷がすごい。
なんだか、絶え間なく稲光がひらめいていました。
これから明日まで、ずっと雨のようです。
100ミリを超す大雨になりそうです。
今日はひとりの方がイエス様を心に受け入れるお祈りをしました。
ハレルヤ!
生まれたばかりの神の子の命が成長していきますように。
神様がこれからもその方の心に語り続けてくださいますように。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙の12章1-11節。
「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。」7節。
聖霊様は私たちがイエスを信じるときに
そこにいてくださる。
クリスチャンとしてのスタートのところから共にいてくださる。
そして、その歩みの中で、私たちに賜物を与えてくださる。
それはいろいろな賜物がある。
でも、それはあくまでも「みなの益となるため」。
どこまでもみんなのためなんだ。
そんなことを思いながら、
じゃあ、自分の賜物は何だろうかと思った。
「何にもない」というのが一番簡単。
考えなくてもいいし、責任も負わなくていい。
でも、それは「一タラントを土の中に埋めておいた僕」と同じだ。
だいたい、神様からいただいているものを「何にもない」なんてひどい。
だったら、自分の賜物は何だろうか?
いろいろ思わされた。
人の賜物はわかるもの。
ああ、この人はこんな賜物があるんだなあと。
でも、自分のはホントに難しい。
でも、ちゃんと受け止めて、
「あなたの賜物は何ですか?」と聞かれたときに、
すぐに答えられるほどに、自分の賜物を知って、
それを用いていきたい。
主よ、
あなたが私に与えてくださっている賜物の故に感謝します。
どうか、私がそれを用いることができますように。
あなたのために、また皆の益のために、それを用いることができますように。
でも、雨がすごい。
朝起きたら、土砂降り。
でも、NYに行く頃にはあがって、昼間は大丈夫でした。
そして、また夜10時過ぎに帰ってきたら、土砂降り。
それから夜は雷がすごい。
なんだか、絶え間なく稲光がひらめいていました。
これから明日まで、ずっと雨のようです。
100ミリを超す大雨になりそうです。
今日はひとりの方がイエス様を心に受け入れるお祈りをしました。
ハレルヤ!
生まれたばかりの神の子の命が成長していきますように。
神様がこれからもその方の心に語り続けてくださいますように。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙の12章1-11節。
「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。」7節。
聖霊様は私たちがイエスを信じるときに
そこにいてくださる。
クリスチャンとしてのスタートのところから共にいてくださる。
そして、その歩みの中で、私たちに賜物を与えてくださる。
それはいろいろな賜物がある。
でも、それはあくまでも「みなの益となるため」。
どこまでもみんなのためなんだ。
そんなことを思いながら、
じゃあ、自分の賜物は何だろうかと思った。
「何にもない」というのが一番簡単。
考えなくてもいいし、責任も負わなくていい。
でも、それは「一タラントを土の中に埋めておいた僕」と同じだ。
だいたい、神様からいただいているものを「何にもない」なんてひどい。
だったら、自分の賜物は何だろうか?
いろいろ思わされた。
人の賜物はわかるもの。
ああ、この人はこんな賜物があるんだなあと。
でも、自分のはホントに難しい。
でも、ちゃんと受け止めて、
「あなたの賜物は何ですか?」と聞かれたときに、
すぐに答えられるほどに、自分の賜物を知って、
それを用いていきたい。
主よ、
あなたが私に与えてくださっている賜物の故に感謝します。
どうか、私がそれを用いることができますように。
あなたのために、また皆の益のために、それを用いることができますように。
2008-07-22
暑さ一服か?
今日も暑くなりました。
でも、朝のうち雲が多かったせいもあって、
昨日までほどではなかったと思います。
今、夜の11時過ぎですが、外はもう25度を切っています。
今日は雨が降るかと期待していたのですが、
午前中にぱらぱら程度。
明日はもうちょっと雷雨の可能性が高くなるようです。
暑さも一段落となってくれるのでは・・・。
日本の「チーム森田の天気で斬る」に、
日本では毎年200-400人が熱中症で亡くなっているとありました。
これって大変なことですね。
ハジとか、毎日のように暑い中、サッカーの練習をしていますが、
ほんと、大丈夫なんだろうかと思います。
高校球児なんかも、考えてみたら、命がけですよね。
今年も母校は1回しか勝てなくて、
早々と姿を消しましたが、
(あ、去年は2回勝ちました!)
まあ、半分の高校が1回も勝てないわけですから、
まあ、良しとしなければいけないのでしょうか。
東東京の優勝候補の筆頭だった帝京も一回しか勝てなくて、敗退。
厳しい世界です・・・。
暑さの中ですが、皆さんが守られますように。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙11章17-34節。
「わたしを覚えて、これを行いなさい。」25節。
今日の聖書箇所は「聖餐式」を定めた言葉が書かれているところです。
よく読むところと言うか、聖餐式の時にはほとんど必ず読むところなのですが、
今日は特にそのコンテキスト、
つまり、この聖餐を定めた言葉が、「教会内の分派」の問題を扱っているところに、
出てくることの意味を考えさせられました。
そして、その聖餐がどこまでも、
イエスの死、つまり十字架の福音を伝えるものであったことを思うときに、
教会の一致はどこまで行っても、
この福音における一致、
このイエスの十字架以外に救いはない、
このイエスの十字架こそが救いなのだ、
という福音の根本にしっかり立っていくことが、
一致のためには大切なんだと思わされました。
どこまでも福音に深く深く根ざし、
福音に感謝して、
歩んでいきたいと思いました。
主よ、
あなたの与えてくださった福音の故に感謝します。
そこに根ざしていくことによる一致。
それを主よ、あなたが与えてください。
そこをいい加減にした一致ではなく、
そこに徹底した一致を与えてください。
でも、朝のうち雲が多かったせいもあって、
昨日までほどではなかったと思います。
今、夜の11時過ぎですが、外はもう25度を切っています。
今日は雨が降るかと期待していたのですが、
午前中にぱらぱら程度。
明日はもうちょっと雷雨の可能性が高くなるようです。
暑さも一段落となってくれるのでは・・・。
日本の「チーム森田の天気で斬る」に、
日本では毎年200-400人が熱中症で亡くなっているとありました。
これって大変なことですね。
ハジとか、毎日のように暑い中、サッカーの練習をしていますが、
ほんと、大丈夫なんだろうかと思います。
高校球児なんかも、考えてみたら、命がけですよね。
今年も母校は1回しか勝てなくて、
早々と姿を消しましたが、
(あ、去年は2回勝ちました!)
まあ、半分の高校が1回も勝てないわけですから、
まあ、良しとしなければいけないのでしょうか。
東東京の優勝候補の筆頭だった帝京も一回しか勝てなくて、敗退。
厳しい世界です・・・。
暑さの中ですが、皆さんが守られますように。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙11章17-34節。
「わたしを覚えて、これを行いなさい。」25節。
今日の聖書箇所は「聖餐式」を定めた言葉が書かれているところです。
よく読むところと言うか、聖餐式の時にはほとんど必ず読むところなのですが、
今日は特にそのコンテキスト、
つまり、この聖餐を定めた言葉が、「教会内の分派」の問題を扱っているところに、
出てくることの意味を考えさせられました。
そして、その聖餐がどこまでも、
イエスの死、つまり十字架の福音を伝えるものであったことを思うときに、
教会の一致はどこまで行っても、
この福音における一致、
このイエスの十字架以外に救いはない、
このイエスの十字架こそが救いなのだ、
という福音の根本にしっかり立っていくことが、
一致のためには大切なんだと思わされました。
どこまでも福音に深く深く根ざし、
福音に感謝して、
歩んでいきたいと思いました。
主よ、
あなたの与えてくださった福音の故に感謝します。
そこに根ざしていくことによる一致。
それを主よ、あなたが与えてください。
そこをいい加減にした一致ではなく、
そこに徹底した一致を与えてください。
2008-07-21
男と女。
今日は少しは過ごしやすくなるかなあ、というのが
昨日の夜の期待でした。
今朝、起きたときは、22度。
「お、いけるかな」と思ったのですが、
教会に行く車の中で聞く天気予報は、「今日も暑い」。
結局・・・
プロの天気予報が当りました。
でも、昨日みたいに37度とかは行かないで、
33度くらい。
そして、夜も割合早く27度まで下がりました。
でも、その後停滞。
今、夜の11時半ですが、26.1度。
明日もう一日暑いみたいです。
今朝は教会の鍵を忘れました。
ですから、車を駐車場に停めて、
車の中で祈りの一時。
これもよかったですねえ。
見ているといろんな鳥がえさをついばんでいます。
雀が一生懸命えさを食べていました。
しばらく、見とれていたのですが、
どこからともなく、一回り大きな、
尾の長い小鳥が飛んできて、一緒にえさを食べていました。
いつまで、一緒にできるのかなあ、喧嘩しないのかなあ、
と思って見ていたのですが、
しばらくすると案の定、後からきた尾の長い鳥が、
雀を威嚇してきます。
雀はひるみながらも、えさを食べます。
雀の方はどんなに脅かされても、
ひるむことはひるむんですが、反撃もしないで、
ただ、ただ、えさを食べようとするのです。
ところが攻撃を仕掛けてきた方は、
食べるのを止めて、ただ雀を追い払うことに一生懸命になります。
そして、雀があきらめて、その場を離れても、
しばらく、周りを伺って、自分のなわばりを犯す鳥がいないか、
そっちの方に一生懸命になっていました。
なんだか、人間みたい・・・。
今朝、日本の方と電話でお話ししたのですが、
ベーさんが来られる7月29日の横浜での「ラブソナタ」、
もう会場はあふれてしまっているそうです。
ルカによる福音書の5章1節の言葉を思い出しました。
「さて、群衆が神の言葉を聞こうとして押し寄せてきたとき・・・」
すばらしい集まりになりますように。
今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙11:2-16でした。
「 主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。」11-12節。
なるほど、と思いました。
確かに私たちは女から生まれたわけですよね。
子供の頃は、男は父親から生まれると思っていました。
でも、ホントはそういうことはなくて、男も女もみんな女から生まれた。
だから、神様が女を男から作ったということでバランスが取れている。
そんな中で、神の創造の秩序の中での男と女ということについて、
いろんなことを思わされました。
男性のあばら骨から造られた女性。
「これこそ私の骨の骨、肉の肉」とアダムはエバを呼びましたが、
私もそのような思いで妻を見ているだろうかと、
そのように愛し、仕え、尊敬し、守り、導き、尊んでいるだろうかと、
思わされました。
そして、夫としてのリーダーシップを身につけているだろうかということも・・・。
祝福を祈りました。
神様、
あなたの創造のご計画の中に生きる者としてください。
本来いるべきところにいることができますように。
どうか、私たち夫婦を祝福してください。
教会に連なる一つ一つの夫婦を祝福してください。
伴侶が与えられるように祈っているひとりひとりも、
今、祝福してください。
昨日の夜の期待でした。
今朝、起きたときは、22度。
「お、いけるかな」と思ったのですが、
教会に行く車の中で聞く天気予報は、「今日も暑い」。
結局・・・
プロの天気予報が当りました。
でも、昨日みたいに37度とかは行かないで、
33度くらい。
そして、夜も割合早く27度まで下がりました。
でも、その後停滞。
今、夜の11時半ですが、26.1度。
明日もう一日暑いみたいです。
今朝は教会の鍵を忘れました。
ですから、車を駐車場に停めて、
車の中で祈りの一時。
これもよかったですねえ。
見ているといろんな鳥がえさをついばんでいます。
雀が一生懸命えさを食べていました。
しばらく、見とれていたのですが、
どこからともなく、一回り大きな、
尾の長い小鳥が飛んできて、一緒にえさを食べていました。
いつまで、一緒にできるのかなあ、喧嘩しないのかなあ、
と思って見ていたのですが、
しばらくすると案の定、後からきた尾の長い鳥が、
雀を威嚇してきます。
雀はひるみながらも、えさを食べます。
雀の方はどんなに脅かされても、
ひるむことはひるむんですが、反撃もしないで、
ただ、ただ、えさを食べようとするのです。
ところが攻撃を仕掛けてきた方は、
食べるのを止めて、ただ雀を追い払うことに一生懸命になります。
そして、雀があきらめて、その場を離れても、
しばらく、周りを伺って、自分のなわばりを犯す鳥がいないか、
そっちの方に一生懸命になっていました。
なんだか、人間みたい・・・。
今朝、日本の方と電話でお話ししたのですが、
ベーさんが来られる7月29日の横浜での「ラブソナタ」、
もう会場はあふれてしまっているそうです。
ルカによる福音書の5章1節の言葉を思い出しました。
「さて、群衆が神の言葉を聞こうとして押し寄せてきたとき・・・」
すばらしい集まりになりますように。
今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙11:2-16でした。
「 主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。」11-12節。
なるほど、と思いました。
確かに私たちは女から生まれたわけですよね。
子供の頃は、男は父親から生まれると思っていました。
でも、ホントはそういうことはなくて、男も女もみんな女から生まれた。
だから、神様が女を男から作ったということでバランスが取れている。
そんな中で、神の創造の秩序の中での男と女ということについて、
いろんなことを思わされました。
男性のあばら骨から造られた女性。
「これこそ私の骨の骨、肉の肉」とアダムはエバを呼びましたが、
私もそのような思いで妻を見ているだろうかと、
そのように愛し、仕え、尊敬し、守り、導き、尊んでいるだろうかと、
思わされました。
そして、夫としてのリーダーシップを身につけているだろうかということも・・・。
祝福を祈りました。
神様、
あなたの創造のご計画の中に生きる者としてください。
本来いるべきところにいることができますように。
どうか、私たち夫婦を祝福してください。
教会に連なる一つ一つの夫婦を祝福してください。
伴侶が与えられるように祈っているひとりひとりも、
今、祝福してください。
2008-07-20
雷雨よ来い!
今日は暑かったです。
午後、我が家でJOYJOYキャンプの作戦会議があったので、
よけい暑く感じました。
でも、ホントに暑くて、
昼間の最高が37度くらい。
今10時40分ですが、
30度あります。
こんな日は雷雨がざっと降って、
暑さを和らげてほしいものです。
で、8時半にレーダーを見ると、
おおお、いいじゃないですか。
赤い太い線がペンシルベニアからニュージャージーに向かって動いています。
これが9時30分
強い雷雨はすっかり南の方に行ってしまったようです。
これでは涼しくなる、ということはあり得ません。
・・・とここまで書いて、外を見たら、やっと雨が降ってきたようです。
10時50分には気温も29度に下がりましたから、
10分で1度下がったことになります。
明日はちょっとだけ、暑さが和らぐようです。
32度くらい。
勘弁してほしいです・・・。
昨日書いた、ベーさんのこと。
輪嶋さんの言葉で、
「2年以上舞台に立たなかったべーさんですが、いまでも歌手としての根幹は、やせるどころか、更に太く、大きくなっている、私は、彼の声の向こうに聞こえて くる何かに、心からそう思わされました。だとすると、この病気は、べーさんにとって、大きな困難ではあったけれど、不幸ではなかった・・・、人間の精神 に、一種の奇跡を見た気がしました。ひょっとして、私の人生の中で最も純粋で美しい音楽の一つを聴いた瞬間だったのかもしれません。歌い手として、人間と しての彼の姿を通して、私はお金で買うことのできない、尊いものを再び彼からもらったのだと思います。」Link
というのがあります。
それを読みながら、
またテレビでその言葉を聞きながら、
自分はどうだろうかと思いました。
自分の根幹に、根っこに、
人の心に届くものがあるだろうか。
表現のしかたはいろいろあるだろう。
でも、自分の内側に太いものがなければ、
どんなに表現方法を磨いても、
むなしいのではないだろうかと思います。
そして、水曜日、一日そんなことを考えていました。
自分の中の「これがある」というものがあるだろうか。
そして、行き着いた聖書の言葉がこれでした。
「 神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」コリント第2の手紙4章6-7節。
私は気の利いた話ができない人間だなあといつも思います。
「いつも十字架の話ばかりで、その先がない」ということを耳にしても、平安でいられるほど人間はできていません。心理学や哲学を駆使した説教や、深い人間理解に根ざした暖かな説教を聞くと、「すげえなあ」と思い、マネをしたくなります。
でも、悔しいけれども、自分の中には、それしかないのです。
自分は土の器でしかない。
でも、私のうちにはキリストの救いという宝物がある。
イエスの十字架の福音という宝物がある。
それだけでいいんだなあと。
今日で、ニュージャージー日本語キリスト教会の牧師として就任してちょうど11年。
これからもやっぱりこの福音に立って、歩んでいこうと思わされています。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙10章23節-11章1節。
「だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。」10章24節。
今日は幸いな祈りの時を持ちました。
主に起こされて、4時半頃に起きました。
そしていつもよりも早めに教会に行って祈りました。
聖書を読んでいる中で、
この言葉が与えられました。
そして、
自分は自分をわかってもらいたいと思う以上に
人のことをわかりたいと思っているだろうか。
問われました。
そして、教会に連なるひとりひとりの名前を挙げて、
ひとりひとりのために、その家族のために、
その課題のために祈りました。
もっとお一人ひとりのことをわからせてください、と祈りました。
先日書いたように、私の祈りの時は時々、
ただ神様と共に時間を過ごす、というQuality Timeです。
他人から見たら、「ただ、ぼーっとしているだけじゃないの?」と言われてしまうかもしれません。それでもいいと思っています。
でも、今日はたくさん言葉を交わしました。
言葉にして祈っている中で、自分の心の思いが深められていくように感じました。
愛を与えて頂きたいと思いました。
人の利益を求めることが負担になるのではない、喜びとなる愛を私の内側に与えて頂きたいと思いました。
主よ、
どうかわたしが、
このみことば通り歩めますように。
自分の利益を求めないで、
人々の利益を求める生き方ができますように。
それが我慢や無理や恐れでするのではなくて、
心からの愛で、わかってもらうよりも、
わかることを求める者とならせてください。
こうやって書いているうちに雨はすっかり上がりました。
夜の11時半ですが、気温は25.6度です。
雨の50分で4.4度も下がりました。
明日は今日よりもずっと過ごしやすくなってくれるような、
そんな期待が高まってきました。
午後、我が家でJOYJOYキャンプの作戦会議があったので、
よけい暑く感じました。
でも、ホントに暑くて、
昼間の最高が37度くらい。
今10時40分ですが、
30度あります。
こんな日は雷雨がざっと降って、
暑さを和らげてほしいものです。
で、8時半にレーダーを見ると、
おおお、いいじゃないですか。
赤い太い線がペンシルベニアからニュージャージーに向かって動いています。
これが9時30分
近づいてきました。
でも、ニュージャージーの一番北の方でちょっと弱くなっているのが気になります。
で、10時30分。
さあ、外は雨が降っているだろうと出てみるのですが、
全く降っていません。
こういうときは上空ではちょっと雨が降っていても、
途中で蒸発してしまう、ということのようです。
これでは涼しくなる、ということはあり得ません。
・・・とここまで書いて、外を見たら、やっと雨が降ってきたようです。
10時50分には気温も29度に下がりましたから、
10分で1度下がったことになります。
明日はちょっとだけ、暑さが和らぐようです。
32度くらい。
勘弁してほしいです・・・。
昨日書いた、ベーさんのこと。
輪嶋さんの言葉で、
「2年以上舞台に立たなかったべーさんですが、いまでも歌手としての根幹は、やせるどころか、更に太く、大きくなっている、私は、彼の声の向こうに聞こえて くる何かに、心からそう思わされました。だとすると、この病気は、べーさんにとって、大きな困難ではあったけれど、不幸ではなかった・・・、人間の精神 に、一種の奇跡を見た気がしました。ひょっとして、私の人生の中で最も純粋で美しい音楽の一つを聴いた瞬間だったのかもしれません。歌い手として、人間と しての彼の姿を通して、私はお金で買うことのできない、尊いものを再び彼からもらったのだと思います。」Link
というのがあります。
それを読みながら、
またテレビでその言葉を聞きながら、
自分はどうだろうかと思いました。
自分の根幹に、根っこに、
人の心に届くものがあるだろうか。
表現のしかたはいろいろあるだろう。
でも、自分の内側に太いものがなければ、
どんなに表現方法を磨いても、
むなしいのではないだろうかと思います。
そして、水曜日、一日そんなことを考えていました。
自分の中の「これがある」というものがあるだろうか。
そして、行き着いた聖書の言葉がこれでした。
「 神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」コリント第2の手紙4章6-7節。
私は気の利いた話ができない人間だなあといつも思います。
「いつも十字架の話ばかりで、その先がない」ということを耳にしても、平安でいられるほど人間はできていません。心理学や哲学を駆使した説教や、深い人間理解に根ざした暖かな説教を聞くと、「すげえなあ」と思い、マネをしたくなります。
でも、悔しいけれども、自分の中には、それしかないのです。
自分は土の器でしかない。
でも、私のうちにはキリストの救いという宝物がある。
イエスの十字架の福音という宝物がある。
それだけでいいんだなあと。
今日で、ニュージャージー日本語キリスト教会の牧師として就任してちょうど11年。
これからもやっぱりこの福音に立って、歩んでいこうと思わされています。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙10章23節-11章1節。
「だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。」10章24節。
今日は幸いな祈りの時を持ちました。
主に起こされて、4時半頃に起きました。
そしていつもよりも早めに教会に行って祈りました。
聖書を読んでいる中で、
この言葉が与えられました。
そして、
自分は自分をわかってもらいたいと思う以上に
人のことをわかりたいと思っているだろうか。
問われました。
そして、教会に連なるひとりひとりの名前を挙げて、
ひとりひとりのために、その家族のために、
その課題のために祈りました。
もっとお一人ひとりのことをわからせてください、と祈りました。
先日書いたように、私の祈りの時は時々、
ただ神様と共に時間を過ごす、というQuality Timeです。
他人から見たら、「ただ、ぼーっとしているだけじゃないの?」と言われてしまうかもしれません。それでもいいと思っています。
でも、今日はたくさん言葉を交わしました。
言葉にして祈っている中で、自分の心の思いが深められていくように感じました。
愛を与えて頂きたいと思いました。
人の利益を求めることが負担になるのではない、喜びとなる愛を私の内側に与えて頂きたいと思いました。
主よ、
どうかわたしが、
このみことば通り歩めますように。
自分の利益を求めないで、
人々の利益を求める生き方ができますように。
それが我慢や無理や恐れでするのではなくて、
心からの愛で、わかってもらうよりも、
わかることを求める者とならせてください。
こうやって書いているうちに雨はすっかり上がりました。
夜の11時半ですが、気温は25.6度です。
雨の50分で4.4度も下がりました。
明日は今日よりもずっと過ごしやすくなってくれるような、
そんな期待が高まってきました。
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