2006-05-06

誰が造ったのか

今日も暖かな一日でした。
でも、夕方から風が出て、
今はもう10度を切りそうな勢いです。
明日の朝は冷え込みそうです。
キュウリの苗を家の中に入れておこうかな。
今本葉が2枚。
あと1週間くらいポットで育てて、
その後植えようと思っています。

それから家の前の街路樹のoak treeがたくさんの花をつけていたのですが、
今日の午後の風でガンガン落ちています。
ほとんど「積っている」という感じです。
これが大変なんですよね。
掃除も大変です。
これを片づけていると、花粉症にならない人がいること自体が不思議なくらいです。
oak treeの花粉症は日本ではシラカバ花粉症と言われていて、
これとフルーツアレルギーは因果関係がある様なんですね。

この街路樹何とかして欲しいです。マジで。

でも、今年もトンネルの出口が見えてきました。

で、JOYJOYキャンプ申し込み受付中。
現在のところ、申し込み殺到。11名。
「申し込み少ないじゃん。大丈夫、入れるじゃん」と思っている皆さん。
まだまだこれからですよ。
まだ申込書を送っていないみなさん、20日必着。遅れないでくださいね。

で、聖書。
今日はエゼキエル書の22-29章を読みました。
考えさせられたのは29章の9節の言葉。
エジプト人の言葉で
「ナイル川は私のもの、私が造ったものだ」という言葉です。
日本人だったら、やっぱ、富士山でしょうかねえ。
本当に誇りに思います。
アメリカだとどこでしょう。
グランドキャニオン?ヨセミテ?ナイアガラ?
でも、それは私たちが造ったものではない。
たまたま、本当にたまたま、自分がそこに生まれただけ。
誇りに思うのはいいんだけど、自分がエライのでも何でもない。
どちらかというと、自分がそこに生を与えられたことを、
神様に感謝したらいい。
仕事だってそう。才能だってそう。
与えられていることを感謝したらいい。
よくスポーツで活躍している人とかが、
「夢を捨てないで欲しい」なんてことを言ってくれたりします。
いいことだと思います。子ども達へのすばらしいメッセージだと思います。
でも、それと共に、あまのじゃくな私は思います。
その活躍、その名声の陰に、
たくさんの「夢をかなえられなかった人たち」がいることを。
「自分は夢を捨てなかったから、ここまで来れた」と思うのもいいでしょう。
でも、それだけではなくて、そのような才能が与えられたことを、健康が与えられたことを、
いいコーチや家族、仲間が与えられてきたことを、感謝したらいい、と思います。
神様に感謝したらいい、と思います。

そうだよ、自分。
そうだね、感謝。

主よ、
あなたに感謝します。
今この場が当たられていることを、
教会が与えられていることを、
仲間が与えられていることを、
家族が与えられていることを、
祈ってくださる方々が与えられていることを。
感謝します。

2006-05-05

どちらが正しい?

今日もJOYJOYキャンプ受付中
今年は例年よりも1週間早いので、
都合が悪くなる方も多いかも。
逆に都合がよくなる方もね・・・。

今日は午前中、人にお会いして、聖書を学び祈りました。
午後は生まれたばかりのベビーを訪問。
その合間を縫って、印刷屋に行ったり、
デスクワークをしたり、
電話をしたり。
でも、こういう個人的な働きが本当に大切だと思います。
「集会」も大切。
でも、それだけではなく、個人的にお会いして、
いろんな話をする中で見えてくることもあります。

今朝は12.5度、
昼間は28.5度。
とても暖かな一日でした。
そして、今晩はanniversaryの私たちは二人で出かけました。
本当に久しぶりです。
でも、息子が大きいので、
もう子ども達だけで留守番もできます。
詳しくは書きませんが、
ウケたのは、食べに行ったレストランで勧められたデザートの数々。
いっぱい食べたあとに、
これは無理でしょう、というものばかり。
チョコレートの固まりの様なケーキや
ピーナッツバターの固まりの様なケーキ。

公立学校で、ソーダが売られなくなるとニュースで言っていましたが、
うーん、この国、ちょっと食生活狂ってるかなあ。

14年も住んでると、こっちのケーキの甘さにも慣れて、
日本のケーキが物足りなく感じたりするんですけどね。
それでも、今日のデザートの数々にはウケた。

花粉症、きっと峠を越えたのだと思います。
きっと。
でも、いろいろ考えさせられます。
花粉症は「もう少しで、終わる」という先が見えているもんですよね。
これが、先が見えなかったらどうなんだろうと思います。
今日は一日「目の玉を出して洗いたい」って感じです。
でも、こんな程度じゃない、本当につらい体の不調が、
「先が見えない」「どんどん進行する」ような病気だったら・・・。
病の方々のことを思わされます。祈らされます。

今日はエゼキエル書の17-21章を読みました。
心に残ったのは18章29節の言葉です。
私たちは「神は不公平だ」「神がいるならどうしてこんなことが・・・」と言うけれども、
それが身勝手なのではないか、正しくないのは私たちの方ではないか、との言葉です。
私も、いろいろな出来事の中で、
納得のいかないことがあります。
「こんなに祈ったのに・・・」ということもあります。
神様が何を考えておられるのか、わからない時があります。
でも、それでいいのかな、と思います。
わかったら、私たちの頭でわかったら、神様もその程度のお方ということでしょう。
私たちにはわからない様なお考えがあるのだろうと思います。
ただただ、謙虚に歩んでいきたいと思います。

主よ、
あなたの思いは私の思いを超えています。
それを受け止める謙虚さを与えて下さい。
それを受け入れる強さを与えて下さい。
そして、あなたの御心を求める熱さを与えて下さい。

今日はもう休みます。
明日は6時半から教会で祈り会。

2006-05-04

本当の平和

今日もJOYJOYキャンプ受付中
そして、元ヤクザの牧師が教会に来るまであと3日。
日曜日の午後1時半からです。

今日の朝の集まりもたくさんの方々が来られました。
新しい方々、いつも大歓迎です。
みんな最初は「初めて」です。
「ずっと来てます」みたいな顔をしている方々も、最初はやっぱり「初めて」でした。
私たちにもとても刺激になります。
うれしいです。

で、明日はとくに集会はありませんが、
個人的にお会いする方や、訪問するところ、行くところ、とかいろいろです。

そして、16回目の私たち夫婦のanniversaryです。
「こどもの日でしょ」と一番下は申しておりましたが、
我が家はこどもの日ではなく、夫婦の日です。
主役は子供ではなく、夫婦です。

やっと16年という感じです。
今年、教会には50周年の方がおられましたが、
「16年の3倍かぁ、どんなんだろうねえ」と、カミさんとしみじみしていました。

で、今日は今年初めて30度記念日でした。
我が家の温度計で最低が10度、最高が30度ちょうど。
昼夜の差がちょうど20度。
明日も暖かいようです。
でもそれも明日までで、
また涼しくなるみたいです。


庭でイチゴが咲いていました。

この花の真ん中の部分がイチゴになるんですよね。
そして、そこに付いているぶつぶつしているのが、
イチゴの実についているぶつぶつになるってわけ。
このイチゴ、4年くらい前に苗を買って、植えて、それが増え広がったもので、
ろくに手入れもしていませんが、厳しい冬を生き延びて、毎年5月にはプチイチゴ狩りができます。
今年は結構花芽がついているかな。

で、今日の聖書。
今日はエゼキエル書の12-16章を読みました。
心に留ったのは13章の「偽りの預言者が平和ではないのに平和だと言っている」という神の言葉です。
平和って何だろうと思いました。
あの9/11の朝のことを、それに続く日々のことを思い出していました。
私もあの朝、「平和」な朝だと思っていました。
他の多くの人々と同じように、そう思っていました。
でも、本当は平和なんかじゃなかった。
表面的には平和に見えたけれども、
世界の多くの人々の中に憎しみが満ちていた。
富める国の人々への憎しみが満ちていた。
自分たちの文化を一方的に輸出してきた人々に対する怒りが、
人々の中に満ちていた。
そして、ほんの一部だったかもしれないけれども、
その怒りを、憎しみを、人々を無差別に殺すことによって、
表そうとしていた人々がいた。
何年もかけて準備した計画を実行しようとしていた人々がいた。

それでも、私は「平和」だと思っていた。
もし、あの「終身刑」を言い渡された被告が、
計画を当局に自白していたら、
そして、FBIとCIAが、テロの計画を未然に防いでいたら、
今も、たぶん、私は何も知らずに「平和」だと思っているだろう。

平和って何だろうと思う。

ホントに。

人間関係だってそう。
自分の夫婦関係だってそう。
一方に無理強いをして、
黙らせて、
ある時には大きな声を出して、
ある時には理屈で説き伏せて、
平和な家庭に見えるものを作っているなら、
それは何だろうと思う。

ホントの平和を求めていきたい。

平和でもないのに、「平和だ」と言うのはやめよう。

主よ、
あなたが与えてくださる平和。
あなたが与えようとしてくださる平和。
それを教えてください。
それを経験させてください。
無理矢理の平和。
人を黙らせての平和。
一部の人だけが自分の願い通りに物事を進められる平和。

・・・ではなく、本当に喜びの溢れる平和を与えてください。
明日の一日が喜びに溢れた日となります様に。

2006-05-03

新しく力を与えられて

JOYJOYキャンプ受付中
今度の日曜日は元ヤクザの牧師さんがJCCNJに来られる。
そして、その次の週の火曜日、16日はリサイタル@カーネギーホール
僕がやる訳じゃないけど・・・。あたりまえか。
でもいろいろある。
楽しくもあり、また、追われるのは心配でもあり・・・。
うっかりしていることがあって、「あっ」と焦ったりすることもあったりする。
生まれつきの(・・・って責任逃れ?)泥縄性格なので、しょうもない。

今日の朝も一つ集会。
そして、そのあと、一つ学び会。
明日はまた朝に一つ集会。
午後はキッズクラブの作戦会議。
今月も楽しくするぞおってやつ。
「脱力系」牧師を目指しているのだから、あんまり気合いを入れてはいけないんだが、
どうしても、子供向けプログラムでは、肩に力が入る。いかんいかん。
子供の肩をつかんで「これでも楽しくないかぁ!」みたいな感じになってはいかん。

そういえば、去年の秋には、
「来年こそ、JOYJOYお茶のみ『まったり』系キャンプにするぞ」
と思ったものだが、つい、力が入ってしまいそうだ。
ま、いいか。

今日は朝も10度、昼は23度、そして夜にはパラパラ雨が降ってきた。
ひさしぶりの雨。
もっともっと降って、花粉を全部流してしまえばいいのに。
明日は暖かい日になりそうです。
それで、かなり花粉が飛びそうです。
そうそう、どんどんとばして早く花粉の季節を終わらせて欲しいものです。

今日から聖書はエゼキエル書に入りました。
1-11章を読みました。
これはまた難解な書物ですよね。
わからないことだらけです。
そんな中でほっとする言葉がいくつかあります。
11:19には「わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける」
という言葉がありました。
新しい霊。新しい内実ってことでしょうか。
新しい力ということでしょうか。
私たちに与えられると。
内側から新しくされて、
燃やされて、立ち上がる、そのような歩みをさせて頂きたいです。
この御言葉通りに私の中に、教会の中に、
「新しい霊」が注がれるようにと願います。
今まで通り、いつもそのようにやってきたから、
これが慣例だから・・・ということではなく、
freshな思いで歩んでいきたいと思います。

神様、
私に新しい力を与えてください。
新しい思いを、
新しい情熱を与えてください。
そして、あなたの力をいただいて、
立ち上がっていくことができますように。
明日の集会で出会う方々にも祝福があります様に。

2006-05-02

心を挙げよう

ちょっと雲が多かったですが、
それでも23度まで上がりました。
朝は6.7度。高原の朝の様でした。

今日は気をつけて、
花粉に実をさらさない様に一日おとなしくしておりましたが、
ずいぶんましになりました。

どんどんいろんな花が咲きます。
一気に咲いています。
まだチューリップがいくつか残っているのに、
もうツツジが満開になっています。


あと、アスパラガスがお約束の2週間になってしまいました。
昨日2本収穫して合計21本でした。
うーん、先週ちょっと寒い日も多かったので、
これから!という感じですが、まあ、おとなしく、マニュアルに従いましょう。
夏に新しい芽が出てきたらそれをいただくことにして・・・。

あと、ナスが発芽している様なんですが、
まあ、どれがナスでどれがピーマンかわからない状態なんです。
それで、本葉が出てこないことにはどうにもなりません。

で、あのナスはやっぱりかなり高温が必要な様で、
それも温度変化も必要な様で、
夜が20度、昼が30度がいいようです。
今頃昼間日に当てて、夜は中に取り込むと、
ちょうどそんな感じなんでしょう。

今日の聖書。
今日は哀歌を読みました。
エルサレムが新バビロニア帝国によって滅ぼされてしまう中で、
エレミヤが嘆いて祈った言葉です。
特に心に留ったのは、3章41節の言葉です。
「天にいます神に向かって、両手を上げ心も挙げて言おう。」
御言葉通りに手を上げて祈りました。
声を挙げて祈りました。
心を挙げて祈りました。
いつもは頭を垂れて祈るので、
いつの間にか、神様が下の方にいるかの様な祈り方をしていた様に思います。
でも、手を上に挙げると、神様が上におられる様な思いになります。
形から入るのではないのでしょうが、
手を上げるのは、心も挙げる助けになりますね。
神様が聞いてくださることを思い出す助けになります。
特に大きな問題があって、
神様に訴えなければいけないことがある時には、
そうなります。

神様、
私はいつも手を組んで祈っています。
頭を垂れて祈っています。
でも、時には手を挙げて祈りたい。
どうしても手を上げないではいられない。
今日もあなたに手を挙げます。
どうかわたしの挙げた手が清い手であります様に。
心から祈ることができます様に。
そして、主よ、あなたが祈りにこたえてくださいます様に。

2006-05-01

うわさを恐れるな

いやあ、きついです。
花粉症。
今日の夕方ちょっと水まきしただけなんですがねえ。
それからガンガン来ています。
まずいかも・・・。

今日はまた暖かかったです。
温度計の設定を忘れていたので、
最高はわかりませんでしたが・・・。
でも、夜はまた涼しいです。

今日は我が家で地区の日本語教会の牧師が集まりました。
ミーティングもよかったのですが、
その後の、語り合いが、本当に励まされるものでした。
みんな、教会を愛し、人々を愛しているんだなあ、と思いました。

いよいよJOYJOYキャンプの申し込み受付が始まりました。
ここに申込書があります。
「早い者勝ち」というのもむずかしいので、
今回は申し込み多数の場合は、「抽選」と考えました。
賛否あるでしょうが、
「電話を1時間かけ続ける」というのはなくなったので、
ちょっと負担が軽くなったかな・・・と。

目がかゆくて、鼻が詰まっているので、
今日はあっさりと聖書へ。
エレミヤ50-52章を読みました。
51:46には、「噂を恐れるな」という言葉があります。
私たちは噂に振り回されることもあります。
「みんな言ってたよ」・・・これは怖い言葉ですね。
大体、そういうことを誰かが言う時には、
その人自身の意見なんでしょうが、
自分でその言葉に責任を負うことが恐いので、
「みんなが言っているよ」と言ってしまうのだと思います。
大体3人くらいから「みんな」が始まるのでしょうが、
その3つくらいのルートをたどっていくと、
結局は一人の人に行き着いてしまう時もあります。

頭で考えるのは簡単なんですが、
やっぱり私たちはいろんな言葉に振り回されやすい。
だから、神様にしっかりと目を向けていきたいと思います。
聖書の言葉から学んでいきたいと思います。

神様、
どうか、私の心を守ってください。
噂を恐れることがありません様に。
振り回されることがありません様に。
花粉症、楽にしてください。
また、いろんな病気で苦しんでいる方のことを
考える時としてください。

2006-04-30

神の王座

今朝は昨日より冷え込んで、2.7度。
東京だったら、冬だね。
さすがに昼間の暖かさは助かるけど。
今日は24度。
昼夜の温度差が摂氏で20度を超えた。
今晩もそこそこ冷えそう。
今12時前で8.8度。

今日の日曜日、
出張中の方、旅行中の方、遠足の中高生、が多くて
ちょっと寂しかったかな。
でも、みんな守られているので感謝。

夜は元ヤクザの牧師さんがお話しされたのを聞きに行ってきました。
よかったですよ。
私みたいな「牧師の子供に生まれた」というのも、
守られているなあ、と思いますが、
ああやって、世の中の闇の部分を見てこられた方が
話される言葉にはまた迫力があります。
とってもパワフルでした。
だいたい、歯を見せて笑ってはいけないヤクザさんが、
今は牧師になって、ニコニコして穏やかな顔でお話をされている、

それだけで、まさに奇跡です。
神様のなさることはすごいって思います。

そして急遽、5月7日、私たちの教会の礼拝で説教をしてくださることになりました。
是非是非、たくさんの方々においでいただきたいです。
なかなか聞けないお話です。
5月7日、日曜日の午後1時半からです。

今日の聖書。
今日はエレミヤ書の44-49章を読みました。
その中で心に留った言葉は、49:38の「そこに私の王座をすえる」という言葉です。
主は私たちの心の中でも、
邪魔なものを取り去って、
ご自分の王座をすえてくださる方なんだと思いました。
そして、「王座」という言葉についてずっと思いめぐらしていました。
何日か前にもあったでしょうか?
自分の心の王座は何が占めているだろうかと、考えました。

昨夜遅く、今朝早く、ちょっと目がしょぼしょぼしてきたので、
老眼の入ってきたオヤジはこのくらいで今夜は休みます。

主よ、
あなたが私の心の王座を占めてくださいます様に。
お休みなさい。
明日また新しい力に満たされます様に。



聞き従うことの難しさ

いやあ、昨日中に更新出来ませんでしたね。
とうとう1日穴が空いてしまいました。
今日は教会の子ども達もたくさん出演するダンス・チームの発表会がありました。
すごくよかったです。刺激を受けました。
こんなまとまったことを私自身も「やりたい」と思いました。
いえ、ダンスじゃないですよ。ダンスじゃなくても、どんなことでも、
いいもの、を提供していきたいなあ、と思ったわけです。
ま、「シルバー・ダンス・チーム」もいいですけどね。

今朝は「霜」までは行きませんでしたが、3.4度Cまで下がりました。
そして、昼間はやっぱり20度。何で?と思う昼と夜の温度差です。
そして、今午前2時ですが、4.8度で、今も下がり続けています。
今夜は「霜」かも。

で、今日はあっさりと聖書に入ります。
今日読んだのはエレミヤ書39-43章です。
その中で42章21節の言葉にどきっとしました。
「あなたがたが神の言葉を聞かせてくれと言ったのに、それを聞いても、従おうとはしない」とエレミヤが人々を責めている言葉です。
私たち、人に意見を求めても、それが自分の考えと違ったら、それは聞き流して、自分の考えをサポートしてくれる人々の言葉を聞きたくなるものです。
私たちはしばしば、神様に対しても同じことをしているのではないでしょうか?
神様の言葉を求めておきながら、
実際神様の言葉を聞いた時には、従うことができない。
自分の考えと違う時に、その前にひれ伏すことができない。
でも、自分の考えを超えているから、自分の考えと違うから、
神の言葉には意味があるのではないだろうか?
本当に神の言葉の前にひれ伏すものでありたいと思った。
神の前に謙虚になって出たいと思った。

神様、
どうかわたしが本当にあなたの前に
謙遜になって出ることのできる者としてください。
あなたの御言葉に聞き従うことのできる者としてください。
御言葉をお語りください。
私は聞きます。
従うことを教えてください。

2006-04-28

神が隠される

今朝はそれほど冷えなかったですね。
7度くらい。でも、午前中は風が冷たかったです。
昼間は19度まで上がりました。
そして、今、夜の11時にもう9度まで下がっています。
今夜は霜が降りるかも、と言っていましたね。
まあ、そうかもなあと思います。
風が止んで、天気がよくて、
湿度もそこそこ低い。霜もあり得るでしょう。
キュウリ、ナス、ピーマンなど寒さに弱いものは夜は家の中です。
でも、来週には朝の冷え込みも終わって、
また春らしい日が続くみたいです。

どんどん暖かくなって、早く、花粉が終わって欲しいものです。
今、車の窓が黄色になるくらい、花粉が降っています。
うん、花粉が飛んでるのではなくて、「降っている」という感じです。

今日は午前中集会があって、午後はたまっていたいろんな仕事をやっていました。
その中に、5月のニュースレターの原稿ってのがあって、
今度の日曜日に出るんですが、
いろいろ考えさせられました。
教会ってなんだろうって。
いや、牧師が、改めて考えていること自体が、
日頃のプロ意識が足りない、ということなんでしょうが、
ホント、日々のプログラムに追われて、
大切なことが見えなくなってしまっていないかって、思うことがよくあります。
いつもいつも「教会が教会であるように」ってことを考えて歩んでいきたいと思います。

で、聖書。
今日はエレミヤ書の33-38章を読みました。
その中で目が留った言葉が、
36:26の、「しかし、主は二人を隠された」という言葉。
神の言葉をストレートに語るエレミヤ。
彼は王様にも「負けます」「滅びます」と語るから、
とても嫌がられる。
タダ嫌がられるだけではなく、
時にはいのちをねらわれる。
これはそんな時のこと、
神様は彼ともう一人の彼と共に歩んでいた者を守られた。
王様の権力も、軍事力も、
届かないところ、それが神の守りの中。
神様が「渡さない」と決められたら、
大丈夫なんだ。

だから、何度も出てきているテーマだけど、
すべては神の御手の中。
どんなことも、神のみ許しなしには、起こりえない。
だから、じたばたしなくていい。
私たちが気が付かないだけで、神様のなさることは最善なんだから。

主よ、
すべてはあなたの御手の中にあります。
いろんなことに振り回されることもあります。
でも、それもあなたの許されていることの範囲の中。
恐れないで、歩んでいくことができますように。
明日の土曜日も、
その次の日曜日も一つ一つのこと、
お守り下さい。

2006-04-27

主の力の及ばないところはない!

今日も遅くなってしまいました。
でも、今日も更新出来ます。感謝。

昨日の夜は遅くまでNYにいました。
空いた時間には日曜日の準備をしたり、
また、人と会って共に祈り合ったり、
幸いな一日でした。
16000歩、歩きました。
やっぱり健康のためにはそれくらい必要でしょうね。
それも感謝。

今朝は3度まで冷え込みました。
昼間は25度くらいまで上がりました。
花粉、満開です。
でも、今年は例年より楽かな。
今晩も霜が降りるくらい冷え込むと言っていましたが、どうでしょうか?
今はまだ14度あります。
天気は来週初めまでは晴れ!
一気に花粉が終わって欲しいです。

今朝、アスパラ5本収穫。太いのも2本ありました。
甘かったです。累計19本。(^_^)
まあまあですね。
ホントは一遍に10本くらい収穫出来るといいのでしょうが・・・。

それから、ピーマンとなすの種がやっと発芽。
うーん、やっぱり温度管理が難しいですね。
ホントは5月には苗にしておきたかったのですが・・・。
そして、ものによっては、先になすの種をまいていたところに、
「ダメだこりゃ」と思って、ピーマンの種を蒔いたので、
どっちが生えてきたのかわからない!
双葉じゃわかりません。
トマトは蒔いていないけど(好きなんですが、アレルギーが・・・)、
トマトも同じですよね。
本葉が出てきたらわかるでしょう。ゆっくり待ちます。

今日の午前中は祈り会。
午後はキッズクラブでした。
Leoniaです。
新しい方々も来られ、常連も定着して、
いい感じです。15人くらいだったかな。

で、今日の聖書。
エレミヤ書の24-32章を読みました。
32章の27節の言葉が心に留りました。
「私の力の及ばないところが、一つでもあるだろうか」
ノックアウトですね。参りました。
じたばたしなくていい。
恐れなくていい。
八方手を尽くして走り回らなくていい。
すべては主の御手の中にあるのです。
祈りましょう。
ゆだねましょう。
そして、本気で主を信頼しましょう。
言葉だけではなく、
本気で信頼しましょう。

主よ、
今日も、もう休みます。
あなたを信頼します。
あなたがすべてを御手の中に収めておられることを、
本気で信頼します。
お休みなさい。また明日、新しい力に満たして、用いてください。






2006-04-26

「休む」ということについて思い知らされたこと。

昨日のところで(書いたのは今日だけれども・・・)
「仕事をしたい」と思うほどリフレッシュされるのがいい休暇・・・という話を紹介した。

でも、今、日曜日の礼拝の準備をしていて、思った。
やはり今でも自分の中に、
「休暇」に対する後ろめたい思いみたいなのがあって、
「牧師としての働きのために役に立つんだから許して・・・」
みたいな気持ちが働いているのか、と思い知らされた。
「牧師は365日、24時間です」みたいな先輩の言葉がある。
確かに、そうだと思う。いつでも、連絡があったら動く。
いつでも心にかかる人がいたら動く。
でも、それは牧師だけではないだろう。
どんな人でも、「今とても大変なことが起ったんだ、すぐ来てくれ」と言われたら、
昼も夜もない。
心にかかる人がいたら、休みの日でも動く。いや、仕事が休みの日にこそ動く。
だから、それはどんな仕事をしていても、勉強をしている学生でも、主婦でも、親でも、
みんな365日、24時間態勢なんだと思う。

でも、思わされたのは、
やっぱり人間、「自分はこんなにやっています、認めてください」みたいな世界に生きている。
そして、やっていないように見られるのは怖い。
あの牧師暇なんじゃない?と思われるのは怖い。
スケジュールが詰まっていることが、自分の存在価値を支えているような。

でも、それって聖書のメッセージの真逆じゃないのか!
ある本で読んだ。本当にそう思った。
安息の日、それは
「仕事をしている時だけではなくて、
何もしていない自分にも価値があることをエンジョイする時」なんだと。
一週間の初めの日に、その「恵み」から出発するんだと。
今や休暇も「もっといい仕事ができるためにリフレッシュする時」になっている。
それはやっぱり仕事中心主義。

「何かをする」ことによって生きている日常から離れて、
「聞く」こと、「与えられる」ことによって生きていく、
そのような時なんだと思う。

しっかり休ませて頂きました。(^_^)v

神様、
あなたが語ってくださってありがとうございます。
気が付かせてくださってありがとうございます。
あなたに「そのままで、存在自体」受け入れられていること、感謝します。
神様、あなたの「恵み」を語る者としてください。

御言葉が語られて

今日は朝からNYの日です。
いやあ、4月の初めに朝が1時間早くなったはずなんですが、
6時過ぎで、もう明るい明るい。
いいですねえ。
もう1時間早くしたらどうかなあ、と思います。
朝はちょっと涼しかったです。
3度くらい。
でも、寒いとは思いませんでした。
パッチ履いてたけどね。

基本的にNYみたいなコンクリートに囲まれたところ、
いいみたいです。
子供の頃、下町に住んでいたからでしょうか?
全然OK。
花粉が少なくて助かります。

でも、初めてお昼のアポイントがなくて、
自分で「どこで食べよかな」と思って、
1時頃出てみたら、まあ、すごい人。
さすがに、「やーめた。2時か3時頃にしよ。」と思いました。
皆さんどうしているんでしょうか?お弁当?
あ、お弁当を売りに来るという話も聞きましたね。

話は変わって、今朝歩きながら思ったんですが、
野菜とか育てていると、
水をいっぱいやりたいですよね。
さるかに合戦のカニのように、まだ芽が出ないかなあって。
でも、種類によってはやってはいけないのもある。
そして、いずれにしろ、やりすぎないことによって、
水を求めて根が張るようになる。
そして上も立派になると、聞いたことがあります。

自分はどうかな、と。
昨日読んだ「生ける水の源」という言葉と一緒に思いめぐらしていました。
自分は深く深く、御言葉から味わっているだろうかと。
自分で神様の前に御言葉を求めて、頂いているだろうかと。
ともすると、手っ取り早い説明書や、他の方の証し、他の方の説教を頼っていないかと。
自分で御言葉をいただいて、語られて立ち上がる、そのような歩みをしたいと思いました。
渇きを覚える、そのような中で、もっともっと深く取り扱われるような経験が必要だと思います。
手っ取り早いのは、根をダメにしてしまうんだなあ、と思いました。

そして、今日は目が疲れていたので、
バスの中では聖書を読まないで、
図書館に来てから読みました。
エレミヤ書の18-23章を読みました。
そこにもありました。
「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、
主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。
わたしの負けです。」
20章9節の言葉です。
ああ、私はこのように御言葉を語られて、
「黙っていられない」という思いで、
毎週講壇に立っているだろうか?
そう問われる思いがしました。
やはり御言葉を味わうこと、本当に深く深く根を張る木のように、
主の恵みの中に生かして頂いて、
時には「水が断たれているんだろうか」と思うほどに渇きを覚える経験をする中で、
主に深く深く触れて頂きたい、深く深く恵みを味わわせて頂きたい、
そのように思いました。

神様、
あなたを求めます。
あなたが語ってください。
あなたの御言葉を与えてください。
心の深みまで、私を取り扱ってください。
そして、恵みの深みまで私を連れて行ってください。
いのちを与えてください。


2006-04-25

生ける水の源

今日は休暇をいただいた2日目。
今日の午後と夜とそれぞれ出かけて、
ゆっくり過ごさせて頂きました。
聖書も読んだのですが、
今日はもう休みます。
明日また朝早く出てNYの早朝祈祷会です。

NYで時間があれば図書館からアップデートします。

ではでは。

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ということで、ここから、MidtownのNew York Public Libraryから。

某牧師のブログにあったのですが、
その先生にとって休暇がいい休暇だったかどうかの指標は、
そのバケーションの終わりが近づくにつれてどれだけ
「仕事に戻りたい」という気持ちが高まってきているか、ということだそうです。
なるほど、と思います。

そういう風に考えると、ホンの2日でしたが、
いい休暇だったんですねこれが・・・。

というのは昨日の午後、念願の「お風呂」に行ってきました。
裸でみんなと風呂に入るのが嫌なお年頃の息子と、
病み上がりの長女と
年齢制限で入れない次女の3人を置いて、
カミさんと2人で行きました。
何もせっかく子供が学校休みの時に行かなくても・・・と思いつつ、
行きましたよ。

女風呂は混んでいて大変だったようですが、
平日の日中と言うことで、男風呂はがらがら。
めちゃめちゃリフレッシュしました。
まさに「非日常」空間でしたよ。
旅行したってなかなか味わえないですね。
肩までつかって足をのばすなんて、
3年前の伊豆大島の温泉以来かな。

これは、是非とも「非日常」のまま取っておきたいと思いました。
それでいいんだと思います。それがいいんだと思います。
だから、しばらくは行くまい、と思いました。マジで。

そして、夜は男2人と女3人で分れてお出かけ。
そして、それぞれ楽しかったです。Let's Go Nets!

そして聖書。
25日はエレミヤ書の17章。
13節の「生ける水の源」という言葉が心に留りました。
実は25日の朝は「神様、今日も助けてください」との祈りで目が覚めました。
やはり、私もこの方にしっかりつながっていないと自分の中が涸れてきてしまうんだ、
と思います。
そして、それはバケーションをとることによって解決するものではないと思わされました。
もちろん、多くの場合、バケーションの中で、ただ、一人の人間として、
神の前に出て、祈らされて、そして、立ち上がる、そういう時が与えられる、
だから、本当に必要な時だと思います。
でも、いくら時間があっても、自分が神様の前に出なければ、
神様の前に出て、生ける水の源である方からいのちをいただかなければ、
やっぱり時間は無為に過ぎていく。
だから、忙しくても、時間がたっぷりあっても、
この方につながって、この方からいのちの泉をいただいて、
歩んでいきたいと思いました。
感謝。

神様、
2日間の時をありがとうございます。
これからの歩みの中でこの2日間が生かされていきますように。
その分内容の濃い週の後半となりますように。

2006-04-24

神の言葉を伝える者

やっぱり家におります。大事をとって。
娘に至っては先週の水曜日から6日連続家の中で過ごしています。
だいぶいいんですけど、まだまだ咳が止らず、ハスキーボイスです。
でもゆっくり過ごさせて頂いております。
明日ももう一日お休み。
感謝、感謝。

今日は午前中は雨、
午後は雨も上がり少し日も出ました。
暖かくなりました。
17度まで上がりました。
明日は反対に午前中がいいみたいです。
午後はまた雨。

そして、その後は天気がいいのですが、朝晩は5度くらいまで下がりそうです。
キュウリの芽が出て苗になりかけているのですが、
寒さにあまり強くないということで、
朝晩が冷えると中に取り込む、という日が続きそうです。

今朝は3日ぶりのアスパラガス1本。(全部で14本)
2年目の収穫は2週間、ということですので、あと1週間くらいです。
3年目からはどんどん穫っていいということです。
早く来年にならないかなってか。

で、今日はさっそく聖書。
エレミヤ書の12-16章を読みました。
15章の19節が心に留りました。
特にその真ん中へん、
「もし、あなたが軽率に言葉を吐かず、熟慮して語るなら、
わたしはあなたを、私の口とする。」
という言葉です。
神の言葉を語る者とされている、そのことの畏れおおさ、
その大切な働きを託されていることの深刻さを思わされました。
熟慮して語る。そのような者になりたいと思わされました。

主よ、
あなたの御言葉を語る者としてくださったその恵みに感謝します。
その恵みにふさわしく、熟慮して語る者としてください。
おやすみなさい、神様。


2006-04-23

主を知ることを誇る

今日も雨でした。
特に教会に行く時間帯、めちゃくちゃ降っていましたね。

でも、感謝なことに、たくさんの方々が来られました。
いつもはイースターの次の日曜日は100人から50人に半減するのですが、
今回は80人から65人とちょっと減。
イースターは教会で守って、
イースターが終わってから旅行に行く、出張に行く、という方が多いのでそうなるんですが、
今日はたくさんの方々と共に礼拝を守れました。
聖書でも、イースターの日にイエスさまに会えなかったトマスは
イースターの次の日曜日にイエスさまに会えました。
来週はまた休暇明けで帰ってこられる方々もおられるでしょう。楽しみです。

明日もまだ雷雨だそうです。

で、月火と休暇で出かけられるかな、と思っていたのですが、
娘が体調を崩して、やっとよくなってきたかな、と言うところなので、
難しいでしょう。
11歳なんですが、とってもハスキーないい声になってしまいました。
ということで家でゆっくり休暇を取ります。
天気も不安定みたいだし・・・。
でも、その日になって「行くか」みたいなことをいつもしているので、
明日更新がなければ、「行ったんだなあ」と思ってください。

今日は私たちがお借りしているアメリカの教会の会堂が建って50周年。
記念集会でした。
立派なパイプオルガンがあって、
そして、すごいオルガニストが来て、
すごかったです。
長かったです(3時間以上)が、すごかったです。
よかったです。
そして改めて、貸して頂いていることのありがたさを感じました。
集会の後のお茶の時間に、50年前のことを知っておられる方と話しました。
お金を貯めて、建てた時の苦労、もちろん、その方もそのころまだ大学生で、
あまりわからなかったかもしれませんが、でも、一生懸命ささげたことをお話ししてくださいました。
そのささげ物によって、私たちの教会も存在していることを忘れないようにと思います。

今日の聖書。
今日はエレミヤ書の7-11章を読みました。
9章の23節が心に留りました。
知恵や力や富を誇るのではなく、
神を知ることを誇れ、という言葉です。
神を知ること、
それは自分の小ささを知ることでもあり、
自分の弱さを知ることでもあり、
自分の愚かさを知ることでもあると思います。
なぜなら、神の前に立つ時に、神だけが見えるのではなくて、
自分も見えてくるからです。
イザヤという預言者が神の栄光を見た時に、
ああ、私は滅びるばかりだと言いました。
神様がわかると、自分がわかる、
そう思います。
でも、その神様が私たちを赦し、受け入れてくださることがわかる時に、
イエスの十字架によって赦されることが本当に心の底でわかった時に、
今度は自分のことはどうでもよくなり、神様のすばらしさ、
神様の愛の大きさに目が留るようになります。
これは私自身の経験でもありました。
神様に愛されていることに気が付くと、
今度は自分の弱さ、愚かさ、小ささ、そういうものばかり見る必要はなくなるのです。
神様の愛のありがたさ、かたじけなさ、
そればかりに目が留るようになりました。
だから、その神様の愛のゆえに、私は神を誇ります。
神を知っていることを、神の愛を知っていることを誇りに思います。
そして、語っていきたいと思います。
どう受け取られるかは二の次の問題です。

主よ、
あなたに愛されていることを、
それを知らされていることを、
心から感謝します。
あなたの愛を伝える者としてください。
あなたの愛を誇りとして、
語る者としてください。

2006-04-22

立ち帰れ

今日は寒い一日でした。
雨も降りました。
特に夜は運転していてヒヤッとするほど、降りましたね。
温度は5度まで下がり、
今、夜の11時半ですが、少しずつ上がっています。
明日は今日よりずっと暖かくなるようです。

ということで今日の収穫はなし。
でも、雨の後ですから、来週が楽しみです。

今日の夕方は中学生、高校生の集まり、
いつも彼らのエネルギーと、熱い思いには感心させられます。
教会にいつも来ているのは10人前後なのですが、
この月1回の土曜日の集まりは大体20人以上集まります。
そして、ほとんど大人は任せっぱなし。
一応スーパーバイザーなんですが、
まあ、正直、オブザーバーですね。

今週は、3年ぶりにめがねを新しくしました。
韓国人の眼医者さんなんですが、
「ちょっと近視、進みましたね、乱視も・・・そして、ちょっと老眼・・・」と、
いつも英語なのに、診断を出す時は日本語が混じります。
「ちょっとろうがん」
ああ、自覚はしていたのですが、
やっぱりそうか、と思いました。
できあがっためがねは遠近両用ではないようですが・・・。
40を超えて、さすがに「鍛えればのびる」という感覚はなくなりました。
「どうしたら、何とか衰えをゆっくりにできるか・・・」ですね。

でも、内なる人はますます豊かになる、そう信じて楽しみにしています。
主の御業を信頼して・・・

今日の聖書。
エレミヤ書の1-6章を読みました。
心に留ったのは3章に繰り返される、
「立ち帰れ」という言葉。
自分自身、主の元に帰って、
主から命と力とをいただいて歩んでいきたいと思います。
また、教会も主の元に帰って行くことができるようにと祈ります。
「教会はいつも楽しいところ」そう信じています。
それは単なる表面的な楽しさではなく、
心の深みにまで届く楽しさ、
心の底まで解放される楽しさ、を与えてくれることを期待しています。
そのためには教会が、礼拝が、一人一人が、また牧師である私自身が、
神様のもとに、命の泉を見いだしていくこと、
他の何かではなく、神様ご自身に語って頂くこと、
それが必要なんだなあ、と思います。

主よ、
あなたの元に帰ります。
私自身、先頭に立って帰ります。
主よ、もう一度新しくしてください。
新しい命を与えてください。
そして、主にある喜び、主にある楽しさ、を満たしてください。
私の人生の中に満たしてください。
私たちの家庭の中に、
私たちの教会の中に満たしてください。

2006-04-21

御言葉におののく

今日ももっと涼しい日になるかもと思っていましたが、
結構暖かく20度くらい。
朝も9度くらいでした。
でも今夜から雨で、明日は肌寒いみたいです。


最近、カミさんがCostcoで、サラダ菜を買ってきます。
とっても新鮮で、柔らかいです。
それもそのはず、根っこがついているんです。
そこで、食べた後、根っこの着いた芯を植えてみました。
これが植えたばかりのやつ。

3,4日経っているかな。少し芽が伸びていますね。
植えた時は、てっぺんが真っ平らだったんです。
そして、下の写真が、2週間くらい前に植えたもの。
こんなに大きくなりました。

でも、まあ、食べるにはもう後1週間くらいかかるかな。
でも、1週間おきに、「買って食べて植える」「育ったのを食べる」「買って食べたのを植える」「育ったのを植える」とか繰り返せば、ちょっと節約?

今日もアスパラ2本収穫。夕方にはもう一本大きくなっていました。
明日の朝は冷たい雨でしょうが、果たして収穫出来ますでしょうか?
2本、親指よりも太いのがのびてきています。
楽しみです。

今日は朝が祈り会。
夜は我が家で集会がある予定だったのですが、娘が熱が出ているので、お休み。

祈り会って、教会に来られたことのない方や来られて間もない方にとっては、
「どんなことやるの?」みたいな怖さがあるかもしれません。
でも、本当に大切な集まり+私の好きな集まりです。
いろんな生活の中での課題、教会の中での課題を出し合って、
語り合い、聖書に聞き、そして、心にあるままを祈る時です。
人の祈っているのを聞く、というのも意味のあることです。
私の好きなBTでは、祈り会はERのようなものだと言っています。
緊急の助けが必要な人がそこで神に出会って、生かされていく、そんなところだと言います。
私たちの祈り会も、お互いが新しく力をいただいて、立ち上がっていくような集まりになるように願っています。

で、今日の聖書。
今日はイザヤ書の61-66章を読みました。
イザヤ書が終わってしまいました。
心に留ったのは66章5節の言葉です。
「御言葉におののく人々よ」という神からの語りかけです。
自分は御言葉におののいているだろうか、と思わされました。
ストレートに問われました。
自分は御言葉を研究したり、意味を考えたり、説明したり、
それも大切な働きだけれども、
御言葉におののいているだろうか、と。
御言葉におののく者でありたいと思った。
その前にひれ伏し、そこに立ちつくし、
それに聞いて、従う、そのような姿勢を絶対に失わないようにしようと思った。
研究者になってはいけない、御言葉に従う者になりたい。
聖書の言葉を宣伝する者になってはいけない、
聖書の言葉に聞いて、そこに生きる者になりたい。

主よ、
御言葉に感謝します。
私の姿勢を正してくださったことに感謝します。
御言葉の前に立ちます。
御言葉を語ってください。
そして、そこに生きる者としてください。

2006-04-20

光を照らされて

ああ、今日はあと5分。
また間際の更新です。
昨日の鼻の話。誰からも「私も見えなかった!」という話がありませんねえ。
やっぱり私だけなのでしょうか?

今日は朝から家庭集会、その後キッズクラブと飛び回っておりました。
夜は金魚のために買い物と、水道の水がポタポタとたれるやつの修理。

そう、実は金魚を買い始めたのでした。
というのは、イースターの日曜日のエッグハントの景品で、
娘が「金魚鉢」をゲット。
大喜びだったので、親バカさんは、金魚を買ってあげたのでした。

で、金魚鉢はタダ。
金魚は一匹19セント。
3匹で57セントですよ。
すごい安い。

でも、でもですよ。
まず、水道水をそのまま入れられないので、塩素を抜く薬3ドルくらい。
それから、えさ、2ドルくらい。
それから、やっぱり金魚が酸素が足りないみたいで水面でパクパクはじめたので、
ポンプが12ドルくらい。
なんだか、安く買ったプリンターのインクが高くて大変なのと同じじゃん、て感じです。
タダで譲ってもらったコンピューターのためにソフトを買って大変になったり、みんな同じシステム。

そして、2人の娘達が大喜びでガンガンえさをあげまくっているので、
毎日のように水を換えなければいけなくなってしまっています。
フィルターが必要になるかも・・・。
で、今度はもっと大きな水槽が欲しい、熱帯魚がいいねえ、そのためにはヒーターも・・・
なんて話になるんではないかと恐ろしく思っております。

今朝、アスパラ5本。
暖かいので、すごい勢いで伸びました。
早くのびた分、柔らかく、おいしかったです。

キッズクラブはRidgewoodにしては少なめの20人くらい。
今日はみんな静かにお話を聞いてくれました。
でも、本当に子ども達に接していると、幸せな気持ちになってきますね。
あ、もちろん、大人の皆さんもそうですよ。
マジで、人と会うのは大好きです。
自分からどんどん話題を出して盛り上がるっていう人間ではないんですがね。

花粉症、始まったかもです。
かなり飛んでますよね。
でも、明日から急に涼しくなって、
土日は雨も降るので、楽になるでしょう。

ということで、聖書。
今日はイザヤ書の51-60章を読みました。
心に留ったのは60章の2節の言葉。
どんなに闇が地を覆っていても、
あなたには光が与えられているのだから、
その光をもって、世を照らしなさい、という言葉。
傲慢だと思われるかもしれない。
でも、あえて誤解を恐れないで、
照らされた光を輝かせる使命を果たしていきたいと思う。
光は私の中にあるのではない。
私が輝いているのではない。
ただ、私を照らしてくださる方がいる。
私を輝かせてくださる方がいる。
その方を指し示す働きをしたいと思う。

今日も、子ども達にお話をしながら、
本当にこの子ども達が、孤独を感じた時や、
いじめられて、もう生きるのが嫌になった時に、
大人になって行き詰まった時に、
思い出して欲しいと思った。
「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と言われた方がいることを。
そのことを伝えることが使命なんだと思った。
今すぐに答えが出なくてもいい。
何か目に見える成果がなくてもいい。

私を照らしてくださる光を紹介したいと思った。

神様、
あなたが与えてくださる光を感謝します。
あなたが照らしてくださることに感謝します。
あなたを指し示す道具として、私を使ってください。
そして、一人の人の人生に光を与える働きをさせてください。





2006-04-19

水がほとばしる

いやあ、今日もあと20分で終わりです。
遅くなりました。
めちゃくちゃ忙しい一日という訳ではなかったのですが、
タイミングが難しかったですね。

今朝は8度、そして、晴れて風の強い日でした。
暖かく23度まで上がりました。
でも、穏やかと言うより、渇いた熱風に近い風が吹く一日でした。
夕方には「バチバチ」と電気が切れる
「瞬間停電」みたいになりました。

明日はもっと暖かいようです。
そしてあさってからはぐんと肌寒くなるようです。
そして週末は雨。
来週初めは休暇なんですが、
天気はどうなんでしょう。
ぽかぽか陽気になって欲しいのですが、
それは無理かも・・・。

今朝、またアスパラガスを2本収穫。
一本は細かったのですが、
もう一本はまずまずの太さ、鉛筆くらいかな。
まあ、おいしかったです。
でも、本当に「おいしかったあ!」となるためには
一遍に10本くらい収穫出来ないとねえ。
ちょっとせこいですよね。

今日はまたうれしいことがありました。
夜のNYの集会で、一人の方が、「洗礼を受けますよ、私は」宣言。
以前一緒にお祈りして、キリストを救い主として受け入れておられたので、
その後どうなっちゃったのかなあ、と思っておりましたが、
今日また、「私はイエスを信じております」ときっぱり。
いいですねえ。月曜日といい、今日といい、
日々、信仰をもつ方が起こされていくのはうれしいです。

朝は隣の教会のプログラムの最初に15分の入門コース・ショートメッセージ。
「私たちは神様に造られたんだ!」とお話ししました。
お話ししながら、子供の時のことを思い出して、紹介しました。
皆さん、鼻の頭っていつから見えるようになりました?
小学校の3年生くらいの時に、女の子に、
「ベビー(これ、当時の私のあだ名)、自分の鼻見えないだろう?」って言われました。
私は、「何いってんだこいつ、見えないのが当たり前だろ」と思いました。
中学生くらいの時に、だんだん鼻が大きくなって(高くなって・・・じゃなくてね)、
ちょびっと見えるようになった時、初めてその女の子が何を言っていたのかわかりました。
皆さんはどうでした?
自分の鼻って見えますか?いつから?

今日の聖書はイザヤ書48-50章。
ここもいろんな言葉が心に留る中で、
あんまり進めません。
特に48章の21節の「岩が裂け、水がほとばしる」という言葉に、
目が釘付けになりました。
神様は砂漠の中で、岩を裂いてくださる、
厳しい状況の中で、一番大きな障害、その大きな障害自体から、
水をほとばしらせてくださる。
涙は賛美の泉、と歌うけれども
自分はやっぱり苦しみは苦手だ。
逃げたくなるし、ため息が出てくる。
でも、そこがまた泉のわくところとなるのだ。
今度、次に砂漠の中の岩に出会う時に、
涙の谷を行く時に、
そのことを思い出して祈ろう。
そのことを感謝して祈ろう。
それが本当なんだと、経験させて頂こう。

神様、
今日の一日を感謝します。
今日も一人の方が、洗礼を決意されたことに心から感謝します。
更に信仰に導かれる方々を起こしてください。
強制ではなく、喜んでそのようにする方々を起こしてください。
そして、次に私の人生の砂漠を通る時に、
岩にぶち当たる時に、そこが泉のわくところとなることを、
経験させてください。
この御言葉を思い出させてください。



2006-04-18

私を造った方

昨日の興奮冷めやらないうちに、
今日になりました。
今日は朝から集会がありました。

いつもは金曜日なんですが、
子ども達の学校の都合もあり、今回は火曜日。
とてもいい集まりでした。
今ここに生かされていることの意味をもう一度思わされています。
誰かと出会うために、ここに生かされているんだなあと思います。

今朝は、8度くらい。
ずいぶん冷え込みは弱くなりました。

そして昼は22度。
どんどん花が咲いています。
薬は飲んではいるのですが、
今年は今のところ花粉症がひどくならないで済んでいます。
まだこれからかもしれませんが・・・。

あした、あさってとどんどん暖かくなる予報。

そしてとうとうアスパラガスの初収穫してしまいました。
写真はあまりよく撮れませんでしたが、一応それっぽいですよね。
でも、「細い!」
4本中一番太いのでも鉛筆くらい。
さっそくいただきましたが、
もうちょっと太くないと、「おいしい!」とは言えないですね。

でも、これから伸びてくる芽は、ちょっと太めのがいくつかあります。
これから・・・そして、来年以降に期待。
でも、教会は会堂買いたいので、あんまりいつまでもこの家に住むとは考えていないのですが、
まあ、その時はその時、掘り返して、持っていきましょう。

今日の聖書、
今日はイザヤ書の43章から47章を読みました。
いきなり43章の最初の言葉が心を捕らえました。
「あなたを創造した主」。
私は主によって作られた。
そしたら、主が私の人生に意味を与えて下さる、
必要とされて造られた存在なんだ、
と思わされました。
使命が与えられている、
出会いが与えられている、
そのように思いました。
一つ一つの出会いや出来事が、
与えられて、そして、その中で、自分の役割があるんだと思いました。
自分の内側を見ると、落ち込むこともあります。
でも、聖書を読むと、もう一度、立ち上がる力を与えられます。

主よ、
今日も朝から、このように元気が与えられていること、
感謝します。
どうか、自分の内側を見ることばかりに縛られないで、
あなたの語って下さることを聞くことができますように。
自分は弱い者です。
でも、あなたには力がある。
そして、あなたはわたしに使命を与えた。
使命を果たす力をも注いで下さい。
一つ一つの出会いに感謝しつつ。


2006-04-17

一番の喜び

今日はうれしいことがありました。
野菜の収穫じゃないですよ。
もっとすばらしいこと。

そう、一人の方がイエス・キリストを救い主として信じてスタートされました!
ハレルヤ!!!

「一人の人が悔い改めるなら、天では大きな喜びがあるだろう」とイエスは言われましたが、
その喜びにあずかることができて、本当にうれしい日でした。
喜んでおられるご本人のゆえにまた感謝。
ホント感謝、感謝、大感謝!
教会が用いられていること、
一人一人が用いられていることをも感謝しました。
自分を見たら、弱いし、失敗ばかり。でも、主は用いてくださるんですね。

チューリップ2号、3号が喜びを共にしてくれました。

昨日のイースターは80人くらいの大人(中学生以上)、
30人くらいの子どもたちが集まって、
楽しいイースターとなりました。
初めての方々もたくさん来られて、にぎやかでした。
大人だけで100人を超えることもあったので、
今年はいつもより少なかったかもしれません。
でも、内容はいつもにまさって、充実していたと思います。

朝は4度まで下がり、暖房が入るほどでした。
でも昼間は18度。昨日も19度ですから、
快適な気候です。

今晩も同じくらい冷えるようです。

あと、庭に生えてきたニラも初収穫。

こちらは食べたいなあ、と思うたびに収穫してもまたのびてきます。

アスパラは明日までお預け。基準の27センチに達したのが一本。
あと、もう少しなのが2,3本。なので明日まとめて収穫しようかなあ、なんて思っています。

今日の聖書はイザヤ40-42章を読みました。
ここら辺は内容が濃くて、一気に読み進むことなどできません。
やっと3章読みました。
40:8が一番心に留りました。

どんなに魅力的な、力のある存在があっても、
それが一つの国であっても、会社であっても、団体であっても、
「やがて草は枯れ、花はしぼむ」
でも、「神の言葉はとこしえに変わることがない」

本当にすごい約束だと思いました。

そして、戒めだと思いました。
神様を信頼していこう、土台にしていこうと思いました。
他のものをあてにしないで、神様をあてにしていこうと思いました。

神様、
あなたを信頼して、
あなたを、あなたの御言葉を信頼して歩みます。
他のものが魅力的に感じる時に、
あなたのところに引き戻してください。
他のものではなく、あなたを信頼して歩むことができますように。
御言葉の確かさを教えてください。
今日はすばらしい出来事に感謝します。
更に信仰に導かれる方々が起こされていきますように。


2006-04-16

熱い神

Happy Easter!
今日もいい天気ですね。
朝は10度くらい。今10時半で15度です。
昨日はなんと27度まで行って、初夏のようでしたが、
今日は普通の春の日です。
ちょっとだけ風があるようですね。
さわやかな朝です。これから教会でイースターの礼拝です。

昨日の夜、教会での祈り会の後、帰ろうと思って車に乗ったら、
なんか、おかしい、まさか、と思いつつ出てみると、
右の前輪がパンクしているではありませんか・・・。
でも、雨でもなく、寒くもなく、暑くもなく、
駐車場でそこそこ明るく、
おまけに車の中にはそこそこ頼りになる高校生の男が2人。
今まで経験したパンクの中で一番楽勝のパターンでした。
「君たちがこれから、車を運転するようになったときに困らないように、
タイヤ交換を経験させてあげよう!」と言いながら、3人で交換しました。
スペアタイヤのちっちゃいこと。それに空気もイマイチ抜けてたし・・・。
でも、無事交換して、近所のガソリンスタンドで空気入れて、
無事帰りました。
水曜日のミラーはかきごおり家の車だったのですが、
今回は教会の車、金曜日の夜は携帯電話のアンテナが「ポロッ」と取れるし、
いろんなことが続きますが、守られていることは感謝。感謝。

でも、タイヤにはスペアがあっていいですよね。
これがなかったら、ホントに困ると思います。
備えあって憂いなし。
でも、人生にはスペアがない。
いつからでも、もう一度やりなおしはきく。でも、リセットはできない。
与えられた時を、大切にしたいと思う。

やり直しで思い出した。
元ヤクザの牧師さんがまたNY/NJに来る。
うちの教会には来られないんだけれども、是非、お話を聞いてみたい。


今日はさっそく聖書。
今日はイザヤ書の34-39章を読みました。
今日は37章35節の言葉、
「わたしはこの都を守り抜いて救う」
という神様の言葉に心が留りました。
32節には「主の情熱」と言う言葉があります。
主は、「何としてでも守る!」という熱い思いを持っておられたのです。

その神様の熱さは、イエスの十字架のうちに頂点に達します。
そう、神様の熱い思いは、イエスの十字架のうちに一番表されているのです。
今も、私に対して、主は熱い思いを持っていてくださる。
主は熱い思いを持っていてくださる。
私に対して。
それを今日は感じました。
「断固として守る!」と今日の私にも語られているのだと思います。
感謝しました。

主よ、
あなたの愛を感謝します。
あなたの熱さを感謝します。
あなたの情熱を思わされました。
私もあなたに対して、
教会の一人一人に対して、
そして、出会う一人一人の方々に対して、
そのような熱さを持つことができますように。


2006-04-15

目が開かれますように

昨日はよく雨が降りましたね。
おかげで芝生に蒔いた種も目を出し始めました。
今日はまたいい天気で、
暖かくなりそうです。
朝は12度、深い霧でした。

そして、今は11時21分、21.6度です。

今日は教会のある方のために、
みんなで祈る日です。
病気の癒しのために、
朝6時から夜12時までみんな20分ずつ手分けして、
一日中誰かが祈っている日です。
「連鎖祈祷」と呼んでいます。

本当は私は夕方の4時20分からと40分からの2ユニットだったのですが、
4時40分からの20分は家に泊まっている高校生に譲って、
そして、朝11時からの方から「代って欲しい」と連絡があったので、
交代したので、11時から先ほどまでお祈りしていました。
賛美を歌ったり、聖書を読んだり、お祈りしたり、
その中で、お祈りしたのは、
その方の病が癒されることと、このことを通して、
神様がその方の心にもっともっと深く触れてくださること。


そんなことを祈っている中で、
その方のことを祈りながら、
また自分自身のことも思わされました。
「私のspiritualなvisionは見えているだろうか?」と。
ある人が、北アメリカの教会の牧師の多くが、
あまりに「企業経営者」「商店経営者」になっている、と書いていた。
どうしたら、顧客が喜ぶパッケージを提供できるか、
顧客を競争相手の店から自分の店に引き寄せるか、

そんなことに心を奪われている、と。

自分はそんなことに支配されていない、
と自分では思っている。
でも、本当にそうだろうか?と思った。
数日前に毎月500人の子供達に神様の話をしたい、
とうことを書いた。
祈り始めた時は、本当にそんなにたくさんの子供達がいるんだから、
という思いで祈り始めた。
JOYJOYキャンプに迎えられるのはせいぜい50人。

こんなにたくさん、「キャンプに送りたい」という声がありながら、
「ごめんなさい、もういっぱいです」と言わなければいけない。
ならば、そのプログラムを少しでも、多くの子ども達にと思って、
キッズクラブを始めた。

でも、毎月のプログラムを持ちながら、
またいつの間にか、人数に捕らわれていないだろうか?と反省させられた。

もう20年前になる。
聖書学院に入って、最初の派遣教会が、
東京の山の手にある立地も抜群、建物も立派な教会。
でも、教会学校には2人の子どもが、
ちょこんと座っていただけだった。
それもミッションスクールの課題で「出なければいけない」
子ども達。
別に楽しそうでもない。
そこで、「何とかして欲しい」と頼まれて、
必死に子ども達に接した。
「あやしいお兄ちゃん」と思われたらどうしよう、なんてそんなことも考えずに、
街に、公園に、出ていって教会の案内をした。
そして、楽しい子供会を何回もやった。
スタッフの皆さんと祈りあい、励まし合い、
1年終わる頃には20人の子ども達が毎週集うようになっていた。

その最後に、
元々来ていた、2人の子ども達に話しかけた。
「たくさんの友達が来るようになってよかったね」
もちろん、「うん!」という元気な答えが返ってくることを期待して・・・。
でも、その子達の反応は意外なものだった。
「前の方がよかった・・・今は、多すぎて、先生も遊んでくれない・・・」
自分は何にもわかっていなかった。

今、自分は同じ過ちを繰り返しているのではないかと思わされた。
年齢がほぼ2倍になっているのに、何にも変わってやしない。

人数を求めるのをやめよう。
ただ、ただ、神様に聞き、神様の声に耳を傾けよう。
子どもたち、一人一人を愛して、その声に耳を傾けよう。
数はその結果だけでいい。

さあ、明日はイースター。
イエスの復活の力に満たされる礼拝となりますように。

で、我が家のチューリップ1号
黄色でした。
アスパラ君達も順調に成長。
この暖かさだと月曜日には初収穫かな。
キュウリ、レタス、さやえんどう、ブロッコリー発芽。
なすはやっぱりもっと暖かくなければダメなのかな。
家の中で20度はキープしていたと思うのですが、
25度くらいをキープしなければいけないのでしょうか、発芽せず。
日本のなすの苗は結構高いからねえ。
もしも、どこかでお買い得の苗があったら教えてください。

で、聖書。
今日はイザヤ書の29-33章を読みました。
心に留ったのは30章15節。
「安らかに信頼していることにこそ力がある」
主を信頼していく中にこそ私たちの力がある。
あわてるんだよね。
昨日の聖書の箇所にもあったけど。
あわてて、どうしよう、どうしようと走り回るんだよね。
でも、主を信頼して、どっしり構えていること、
なすべきことはなすべきだけど、
神様に祈りつつ、答えをもらいつつ進んでいく、
それが大切なんだろう。
今日も祈りつつ、静まりつつ過ごしたい。
主が与えてくださった時を、大切に使いながら。

主よ、
この日をありがとうございます。
とてもいい天気をありがとうございます。
あなたを信頼して、
私の人生をあなたの御手におゆだねして
歩みます。
導いてください。
平安と喜びを日々満たしてください。
今日の夜の祈り会。
そして、明日のイースターの礼拝とその後のパーティーを祝福してください。



2006-04-14

あわてることはない

今朝は6時前に起きて、
ちょっと庭に出ました。
キツツキが木をつつく音。
何種類もの野鳥の声。
7度というちょっとひんやりした気温。
ちょうど日の出の頃で、
高原のキャンプ場にでもいるかのようでした。
静かな、朝の一時でした。
これからの季節、ちょっと着込んで、
時には朝の祈りを外でするのもいいかも、と思いました。

今日はGood Friday。
イエスが十字架にかけられた日です。
朝9時に十字架にかけられたといいますから、
ちょうど今頃です。
イエスの十字架に思いを馳せながら、
でも、夜は牧師館で集会ですから、
片づけも視野に入れつつ、
一日を過ごしていきたいと思います。

ところで、昨日はMaundy Thursdayでした。
ついこのあいだ、この言葉について、質問されたのですが、
その時は知りませんでした。
アメリカで迎える14回目のMaundy Thursdayなのでしたが、
始めて辞書を開いて意味を調べました。
そしたら、Maundyとは最後の晩餐の時に
イエスが弟子たちの足を洗った出来事のことを指すんですね。
ですから、直訳すると「洗足の木曜日」。

足を洗い合う日。
最後の晩餐の時にイエスが無言で立ち上がり、
弟子たちの足を一つ一つ洗われました。
一人一人への愛を込めて、
もうその段階で裏切っていたユダの足も。
でも、そこで、「イエスさま、私の足は洗わないで下さい」と
申し訳ない思いで満たされて、言った男がいました。
私の好きなペテロです。
いろんな失敗をしますが、失敗を通して、神の愛、イエスの力を経験していく男です。
そのペテロに、イエスは
「もしもわたしがあなたを洗わなければあなたはわたしと何の関わりもなくなる」
と言うのです。
「足を洗う」
「足を洗ってもらう」
このことの意味の深さを思わされます。

もしも、今晩の集まりで、「じゃあ、ここでお互いの足を洗いましょう」
と私が言い出したらどうでしょうか?
「そんな集まりには行けない」
「きれいにしておけば良かった」
「私は日頃手入れしているから大丈夫」

私たちの心もそうなんですよね。
きれいな部分だけ見せてもいい。
もう少しきれいになったら、もう少し立派になったら教会にも行けるけど・・・。
ここまでは見られたくない・・・。

本当のことを言うと、
「足を洗う」ことよりも、「足を洗ってもらう」ことの方が、ずっと勇気がいって、
ずっと相手に対する信頼がいるかって思います。

だから、私たちはイエスに「足を洗ってもらう」ことが大切なんではないかと。
足を洗い合うことのできるような友がいたらどんなに支えられるかと。

さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書13章から28章まで一気に行ってしまいました。
あんまり引っかからなかったから、ここまで行ったと言うこともできるでしょう。
そして、最後に心に留ったのは、28章の16節。
「信じる者はあわてることはない」
最近、自分の怠慢で押せ押せになっていることがあって、
そして、あてにしていた当てが外れて、
「ああ、神様には他の計画があったんだなあ」と思っていることがあるのですが、
ちょっと焦ってはおります。
でも、今日、この聖書の言葉を読んで、
神様が他の計画をお持ちならば、必ずいいタイミングで道が開かれる、
そのように感じました。
信じる者はあわてることがない。
もちろん、自分の怠慢は反省しますし、
恥じておるのですが、
あわてなくても大丈夫。神様が必ず最善の道を備えて下さるから・・・。
そのように信じています。

神様、
あなたを信頼します。
あなたがすべてを御手の中に収めておられること、
あなたの御許しの中に、
すべてがあること、
どうして・・・と思うようなことさえ、
あなたのみ許しなしにはあり得ないこと、覚えます。
ですから、信頼します。
あなたがすべてを最善に導いて下さいますように。
すべてをお守り下さいますように。
道を開いて下さいますように。



2006-04-13

何を頼るか・・・

今日は暖かな日だった。
最高気温が26.6度。
朝も10度以上あった。
いやあ、こんな日が続くといいなあ、
と思う一日。
夕方には一雨あって、
芝生に水をやらなくてもいいし。

昨日、妻が店(某チャイニーズのお店)で買い物をしている間に、

右のサイドミラーが割れていた・・・と。
そんなのあり?

ありえなくない?
だって、右のミラーを他の車でぶつけるなんてないでしょう。
その車にとっては左のミラーなんだぜ。

だから、いたずらかな?
ということで、

自分で交換。
近くのホンダのディーラーでパーツを18ドルで買って、
交換。パーツって、鏡だけ。
交換の仕方知らなかったから、って、普通換えないよね。
それで、悪戦苦闘30分。
でも、無事完了。工賃節約。
ホント言うと、ちょっと失敗して、部品の一部が欠けてしまって、

もしかしたら頼んだ方が安かったかも・・・ということになりそうだったけれども、
なんとかOK。よかったよかった。

で、午後はJOYJOYキッズクラブ in Maywood.
Maywood史上最高の27名かな。
30枚あった御言葉カードが3枚しか残らなかったから。

たくさん来たよー。

目標は毎月全部で500人の子供達に神様の話をする、っていうのだから、
この調子で行けば、今3カ所だから、目標の15パーセントくらいクリアかな。

で、先週の今頃芽が出始めたアスパラガス。
少しずつ大きくなって、今5センチくらい。写真のは4センチ足らず。
色もほんのり緑になってきて、
グリーンアスパラっぽくなってきました。
ちなみにここには最初はイチゴが植わっていました。
その後、トマトが植わったこともありました。
でも、今やイチゴも、トマトも、アレルギーでのどがかゆくなるようになってしまって、
食べられません。両方好きだったのになあ。
アスパラガスはさすがに大丈夫だろうと思っておりますが・・・。

さあ、そろそろ本題の聖書です。
今日はイザヤ書の7-12章を読みました。
心に残ったのは8章の5節からの預言の言葉です。
その中に「あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを何一つ同盟と呼んではならない」
という言葉があります。
他の国と同盟を結んでそれで的から身を守ろうと思ってはいけない、
ただ、神を信頼しなさい。
他の国を信頼するより、
神を信頼しなさい、
そのようにイザヤは神からメッセージを聞いて、語っているのです。

今朝は私はこの言葉を教会堂のことと重ね合わせて読みました。
本当にこのことにおいて私たちは神様を第一としているだろうか、
神様に本気で求め、神様を本気で信頼しているだろうか、
それが問われているような気がしました。
一つ一つ祈って進んでいきたいと思います。
一つ一つ確認しながら前に進みたいと思います。
神様の願われる道、認めてくださる道、
それを歩んでいきたいと思います。

主よ、
あなたは、私たちの教会にどんなことを願っておられるのでしょうか?
会堂について、どんな道を備えておられるのでしょうか?
どうか、私たちがあなたを信頼して、あなただけを信頼して、
歩んでいくことができますように。
求めていくことができますように。
いつでもあなたを中心にして、
あなたを第一にして、
教会堂を求めていくことができますように。
先ず、外側の教会堂の前に、
内側の教会自体を建て上げさせて下さい。


2006-04-12

わたしがここにおります

今日も暖かい日。
朝は5度くらい。午後は22.5度まで行った。
でもだんだん曇ってきましたね。
今夜から明日の朝にかけては一時雨。
土曜日にみぞれが降ってから降っていないので、ちょうどいいでしょう。
そして、明日は西風なのでもっと暖かくなると思います。
西風はここら辺では山を降ってくる風。
どこでもそうなんですが、山を風が降ってくる時に、
空気は暖かくなります。
断熱膨張の反対なので、断熱圧縮?
標高が低くなると気圧が上がるので、
その空気は圧縮されるので、温度は上がる。
いわゆるフェーン現象です。

日本で有名なフェーン現象は、
夏とか秋に強い低気圧や台風が日本海にはいると、
その低気圧に向かって南から風が入って、
フェーン現象が日本海側で起って気温が上がります。

新潟や山形で40度近くまで行くのは、この場合が多いようです。

で、聖書。
今日からイザヤ書です。
今朝はイザヤ書1-6章を読みました。
心に留ったのはやはり6章。今回は8節の「ここにわたしがおります」
というイザヤの言葉。
すごいなあ、と思う。
尻込みしなかったのだろうか、
自分で大丈夫だろうかと思わなかったのだろうか?

でも、神様の前に立って、
自分の姿を見せつけられて、
それで、神様に触れてもらったイザヤ。
どんなにありがたいなあ、うれしいなあ、
と思っただろうかと思う。
だから、すぐに「私がここにおります」と言えたのだろうか?

私もこのように言いたいと思った。
誰がじゃなくて、神様が声をかけてくださる時に、
「私がここにおります」
と言いたいと思った。

神様が声をかけてくださるから、
イエスが私たちのために命を投げ出してくださったら、
「私がここにおります」そのように言いたいと思った。
受難週。明日が、いよいよ洗足の夜。
晩餐の夜。
ゲッセマネの夜。
イエスがどのような思いで迎えられたか、思いながら過ごそう。

主よ、
あなたが私にも声をかけてくださって、
あなたのものとしてくださったことを心から感謝します。
どうか私を用いてください。
私のようなものもあなたのために用いてください。
あなたの栄光のために、
ただ、あなたの栄光のために用いてください。

2006-04-11

愛を支配するなんて

何か最近、夜の更新が当たり前になってしまいました。
でも、夜が一番時間がゆっくり取れるというのは確かですね。
聖書を読むのは朝なんですが、
ここにそれをアップするのは、夜の方が落ち着きます。

今朝は1.6度Cまで下がりましたが、
昼間は久しぶりの20度以上。
22.3度まで上がりました。
暖かな一日でした。

午後集会があったので、午前中は聖書を読んで、
集会の準備、日曜日の残務、
午後、集会で、帰ってきてから、もの探しと、
夕方は庭掃除・・・。
あっという間の一日でした。
明日も多分あっという間でしょう。
でも、こんな天気の時は本当に気持ちがいいですね。
なんだか、今日も花粉は大丈夫。
このまま一気に花粉の季節が終わって、
「いい天気でいいなあ」という気持ちに影を落とすものが、
なくなってくれればいいと思います。

でも、ホント、人間、つらい時の気持ちは、
つらくない時にはわからない。忘れている。
天気のことで一喜一憂するなんて、
脳天気な日々を送っている、ということなんだろうか・・・。
それとも、本当は悩むべきことを、
神様が忘れさせてくださっているのか・・・。

いずれにせよ、今日の日を感謝して過ごしたいと思いました。
与えられているものに感謝して歩みたいと思いました。
体が動くこと自体、すごい特権なんだなあ、と思います。
そんな今だからできることをしたい、させて頂きたいと思います。

今日読んだのは雅歌5-8章でした。
とっても熱い恋歌ですね。
その最後の8章7節にはこのようにあります。
「愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば、その人は必ずさげすまれる」
「愛を支配する」・・・そんなことを考えること自体、
おかしなことです。
愛が私たちを支配するならわかります。
でも、私たちが愛を支配しようなんて、
それもお金や財産で支配しようなんて。
それでなんか心に引っかかりました。
愛を支配する、
うーん、やっぱりなんだかよくわかりません。
でも、愛に支配される、
うん、これはしっくり来る、と思います。
それでいいんだな、と。
そう、この「愛」は神様の愛。
神様の愛に支配されている、
そうだな、と。
でも、本当にそうか?と自分の心に聞いてみたくなりました。
それこそ、自分の心、状況や環境や、
人の言葉や、人の反応にどんなに簡単に反応するか、
そう思うと、本当に自分は神様の愛に支配されているか?
それが問われているような感じがしました。

パウロはピリピ人への手紙の中で、
「私はキリストに捕らえられているから・・・」と言っています。
そう、イエスさまの愛を思うと、十字架を思うと、
ああ、そうだなあ、と思わされます。
そう、今週は受難週。
イエスの十字架の愛を思いながら、
愛に支配されているってこういうことなんだなあ、と思いながら過ごしたい、と思います。

神様、
愛を支配しようというのではなく、
愛に支配されたい、と思えることに感謝します。
あなたの愛に満たされたいです。
あなたに愛されている喜びに溢れて、
それが私の行動を支配している、
そんな日々を送りたいです。
どうか、あなたの愛を日ごとに、より深く、
今日より明日の方が、もうちょっと深く、
感じることができますように。


2006-04-10

主を慕って

今日は月曜日。
毎週月曜日は原則お休みをいただいております。
時々返上するんですが、まあ、それはどんなお仕事でもそうでしょうが、
今日は、しっかり、ゆっくり過ごさせて頂きました。
返事すべきメールにもろくに返事せずに、
あれー?と思っておられる方もいるかも・・・。

でも、本当に暖かな日でした。
穏やかな日でした。
朝は0.8度C。
午後は18.5度C。
一日の温度差が本当に大きいです。
でも、本当に春らしくなって、
花盛りです。
全く手入れしていない庭のチューリップ、
4年くらい前に植えて、そのままのチューリップが
つぼみをふくらませています。
あさってくらいには咲くでしょう。

植えた年は、植えたそばからリスにほじくり返されて、
頭に来たものです。
で、翌年からは、新しく植えてもまたほじくり返されるのは
頭に来るので、ストレスになるので、
もう、そのまま放ったままです。
どんどん分球するので立派な花は咲かないのですが、
それでも、ストレスも感じさせずに花を咲かせてくれるので、
ありがたく感じています。

ガンガン花が咲いていますが、
今年はまだ花粉症はひどくなっていません。
このまま5月までいってくれるといいのですが・・・。

今日は、雅歌の1-4章を読みました。
新共同訳になって、雅歌がますますなまめかしくなって、
こまるかなあ、と思いましたが、どうしてどうして、
自分と神様の関係に置き換えてみると、ああそうだなあ、という感じがします。
特に心に留ったのは、最初の言葉。
「どうかあの方が、その口のくちづけをもって、わたしにくちづけしてくださるように」
この言葉を読んだ時に、心の底から、
ああ、神様に対して、自分もこんな思いを持っている、と感じました。
共感するものが心の中にありました。
神様に近くありたい。
神様に触れて頂きたい。
そのように思います。
包まれて、守られて、いたい。
そのように感じました。
語って頂いて、手を取って頂いて、
抱きしめて頂きたい。
そう思いました。

神様、
あなたが愛してくださっていること、
イエスを与えるほど愛してくださっていること、
心から感謝します。
どうか、あなたの愛をもっともっと感じる、
そういう経験をお与え下さい。
あなたの愛の中に包まれる、
語られて、平安をいただいて、立ち上がる、
そういう経験を与えてください。

2006-04-09

神を畏れ、その戒めを守れ

今日は朝から役員会、午後も役員会。
そして、帰ってきて、ちょっとTV観て、
その後うっかり娘を寝かしながら寝てしまいそうになったけど、
ちょっとやることがあって、
やっていたら、
あ、更新忘れてる!
みたいな感じで、2日連続夜の更新です。
娘?もう一人で寝てしまいました。

聖書は朝読んで、祈ったのですが、
ここにアップするのには気持ちの余裕がありませんでした。
それでいいのだと思っています。
先ず、神様の前に出る。
神様に祈る。
アップするのはまた時間が与えられた時。
それでいいんだと思っています。

今日の朝は1.2度C。昼間は15度まで上がりました。
今は夜の10時で8.4度Cです。
いよいよ、今度こそ春です。
明日から、この先しばらく毎日15度以上まで上がります。
20度以上の日もあるでしょう。

今日読んだのは旧約聖書・コヘレトの言葉7-12章です。
心に留ったのは最後の言葉「神を畏れ、そのすべての戒めを守れ」です。
とにかく、神を畏れること、
神の前に出ること、
それが今日、自分に与えられていることだと信じました。
人の声を聞くことと、
自分が神の前に出て感じた、聞いたことを重んじること、
その狭間で、揺れることがたくさんあります。
決して、「自分は神にこれを語られた」と人の声を聞かない人間にはなりたくないと思います。
でも、また、決して、人の顔色を見て、人の意見に振り回される人間にはなりたくないと思います。
自分はわがままかな、それとも自分は優柔不断なのかな、と思います。
だから、一つ一つの聖書の言葉が毎日毎日意味があるんだと思います。

主よ、あなたに感謝します。
あなたが語ってくださっていることに感謝します。
どうか、御言葉によって生かされ、支えられていることを
実感出来ますように。

あなたの前に静まります。
あなたご自身が私を導いてください。

2006-04-08

静まる

今日は朝は10度くらいで雨が降っていましたが、
気温はどんどん下がって、
午後にはみぞれ。
午後の最低気温は3.1度でした。
今、夜の8時半ですが、
4.3度(も)あります。

きょうのJOYJOYイースター予報は
「すかっと晴れて、いい天気」
のはずだったのですが・・・無理やり。

激みぞれの中、
JOYJOYイースターやりました。
51人の元気な子供達が集まりました!
さすがにこの天気もあり、
去年よりちょっと減ったかな。
でも、プログラムはますます充実。
楽しい集会でした。・・・よね。
個人的には某パパの「らっこ」のまねが最優秀賞でしょう。

そして、なんと、「絶対このみぞれはもうすぐ上がる」と断言していた、
「かきごおり流その場で天気予報」は、見事に当たり、
(って、本当は2時頃上がることを期待していたのですが・・・)
3時半には上がり、4時50分からのエッグハントは無事、外でできました!
(^^)/

めでたし、めでたし。

やっぱ、エッグハントは庭でやらなきゃねえ。

ということで、明日からは天気も回復して、
だんだん春らしくなっていきます。

あと、今期待しているのは、
去年植えたアスパラ。
今年は2年目なので、ぼちぼちなのでしょうが、
もう小さな芽が出始めています。
暖かくなったら、どんどんかなあ。
あれは、トウモロコシと同じで、
とってからすぐ食べたらいいんだそうです。

さあ、明日のために祈りつつ。

今日の聖書は伝道の書、もとい、新共同訳を読んでいるので、
「コヘレトの言葉」1-6章を読みました。
共同訳だと、口語訳で「主のなさることは時にかなって美しい」と訳されている言葉も、
後の「それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることはできない」という結論の前言となっていて、わかりやすいです。
つまり、神様はすべての時を美しく作られたとわかっているし、私たちは永遠を思う思いを持っている。でも、それでも、私たちは、神様のなさることをすべて納得出来るわけではない、ととてもわかりやすい話になるんですね。
だって、どんなに神様は最善をなしてくださるって頭でわかっていても、
本当にそうだと思えない時もあるから・・・人間の限界として。
でも、今日心に留ったのはここではなくて、5章1節の
「焦って口を開き、心せいて神の前に言葉を出そうとするな。
神は天にいまし、あなたは地上にいる。言葉数を少なくせよ。」
という言葉です。
祈る時に、自分は何を祈ろうかと一生懸命になっていたりする。
でも、静まって、神の前に、天の神の前に、
この世界を造られた神の前に、口を閉じている、
それがどれほど大切か、
そのことを思わされました。
静まっていること。
神の前に静まっていること。
ただ、口を閉じて静まっていること、
自分にとってどれほど大切なことかと思わされました。

神様。



今日の一日を感謝します。
明日のために、溢れるばかりの喜びと、
ほーっとさせるあなたの平安を満たしてください。

感謝。


2006-04-07

若いライオンのように

今朝は意外と冷えたんですね。
朝の最低気温は0.3度、
確認はしませんでしたが、遅霜が降りたでしょうか?
昼間はまあまあの13度。
今も上がり続けています。
雨も降って、助かります。
明日のJOYJOYイースターですが、
きっと、午前中雨が残っても、
午後は上がるでしょう。ハイ。

昨日の夜は真ん中の娘と妻が夜出かけたので、
一番下の娘(4歳)を風呂に入れて寝かす、ということをしました。
なかなか一人で寝ない。
長男の時には1歳くらいから、
「いいから一人で寝なさい」と寝かしたもんですが、
40近くになって生まれた末っ子には、それほど強く出られない。
どういう訳か・・・。

そして、いつの間にか自分も爆睡。
11時前に二人が帰ってきた時にはちょっと起きましたが、すぐ寝てしまいました。
でも、一緒に寝ていた娘、垂直に回転してけっ飛ばしてくるんですね。
夜中に何回起きたことか・・・。
世のお母さん方のご苦労を少しはわかった夜でした。

不思議なんですが、別々に寝ている時も、
夜中に泣き出した時に気がつくのはいつも妻の方。
私は翌朝「そんなことあったの?」みたいな感じです。

何でもそうなんですが、
いつでも「自分の方が苦労している」と思う私たちです。
人の痛みはなかなかわからない。
自分で経験してみないとわからない。
もちろん、経験したくてもできないものもたくさんありますが、
それを自分で経験していないのだから、勝手に決めない大きさを持ちたいと思わされます。
自分、ちっちゃいから。

今日の聖書は箴言の24-31章でした。
心に留った言葉いくつかあったのですが、
ここでご紹介したいのは、
28章1節。
「神に逆らう者は追う者もないのに逃げる。
神に従う人は若いライオンのように自信がある。」
若いライオンに対するあこがれのようなものを感じました。
でも、それを私も持つことができる、それは、
「がんばろう」じゃなくて、
「そうなるように強くなろう」じゃなくて、
「神に従おう」だと。
自分の中に迷いがあったり、
自分の中に恐れがある時は、
やっぱり神様との関係がちょっとおかしくなっている、
そんな時だと感じます。
いいんだ、神様に従ってゆけば・・・、
みたいな確信を持って歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの平安、
あなたによる自信、
それを私に与えてください。
今日も、
明日も、
日曜日も、
あなたと共に歩んでいる喜び、力、平安、
与えてください。
満たされて歩んでいくことができますように。
何かをして満たされていくのではなくて、
あなたご自身のゆえに満たされて歩んでいくことができますように。

2006-04-06

何に心を燃やすか?

今朝は思ったほど寒くならないで、3度くらい。
それで、明るかったので、すごく暖かくなるかと思ったら、
そうでもなく12度くらい。
で、まあ、良くもなく、悪くもない、
穏やかな春の日です。
お天気的にはなんてことはない日です。
でも、こんな日が一番いいなあ、と思うのは、
寒い冬に疲れ始めてきたからでしょうか?

老後はハワイで、カルフォルニアで、フロリダで、
という方が多いのが、この北東部。
隣のおじいちゃんおばあちゃんは、
我が家との間の垣根が伸びすぎているとしょっちゅう言ってくる、
クレーマーさん、いえいえ、私の怠慢が悪いんですが・・・とにかくそのご夫妻、
ユダヤ人のご夫妻で、奥さんの方だけかな、強制収容所にもいたことがある、
というお方。
でも、冬の間はフロリダなんですねえ。
春になると帰ってこられるので、
あ、垣根をそろえとかなければ・・・と思ったりする今日のこのごろなのです。

そんなことを思い出して、みんな、やはり冬の厳しさには閉口して避寒するのかなあ、
なんて思ったわけです。

それから、ちょっと時間がある時に、
友人の在外日本人伝道をしている牧師達の様子を見に行ってきて、
オーストラリアのKばけん先生とか、
サンディエゴのOくら先生とか、
おもしろい!と感心してしまいました。

Oくら先生は5月のメモリアルデーウィークエンドに、JCFNのCentral Conferenceの講師ですね。
昨年、私も講師としてお招き頂いて、中西部の皆さんの熱い思いに、励まされてきました。
充電のために、私もこのような集会に今度は「一参加者」としていきたいなあ、と思っております。
でも、今年は無理かな。

で、今日の聖書。
今日は箴言18-23章を読みました。
心に留った言葉は23:17。
「主を畏れることに心を燃やすがよい。」
「伝道のために心を燃やす」というのはとてもよくわかります。
脱力牧師を自認している私にはそのような瞬間がたくさんあるようには思えないのですが、
そうなっている時もあるでしょう。
でも、「主を畏れることに心を燃やす」ということは、ちょっとよくわかりません。
新鮮です。
ですから、経験したいと思いました。
「主の前に主の聖さを覚えてただずむ」ことでしょうか。
やはり祈りのことでしょうか。
神を神とすること、主を主としてあがめること、
なんでしょうか。
ちょっと課題。

神様、
あなたの前に畏れること、
教えてください。
そのことに心を燃やす、
切に求める、
そのような者としてください。
人前に出ていく前に、
あなたから、メッセージをいただいて、
あなたに出会って、それから出ていく者としてください。

2006-04-05

富よりも愛

いろいろあって更新はまた夜になってしまいました。
今日は降りましたねえ、雪。
雪を写真に撮るって難しいですね。
今回みたいに時間が限られていると、
慣れてないと、全然ダメ。
でも、降ってるのわかりますよね。
これは今日の昼過ぎ12時半頃です。
もちろん、「うっすら」ともなりませんでした。
これ、大体3度くらいで降っていました。
今も夜10時前ですが、やはり3度くらい。
明日の朝は0度前後に下がりそうです。

明日は少し晴れるでしょうが、
あさってから土曜日はまた雨。
でも、土曜日JOYJOYイースターの時(午後3時頃)はすかっといい天気になるでしょう。
きっと。

来週からはまた春、再スタートです。

今日の聖書は箴言の12-17章。
15章の17節の言葉に心が留りました。
豊かな生活をしながら憎しみ合うより、
貧しい歩みの中でも愛がある方がいい。
本当にそう思います。
誰でもそう思うと思います。
でも、現実は、なかなかそうも行きません。
やはり富の方に心をとられてしまいやすいのだと思います。
それが幸せにつながると思うのです。
富よりも愛だ、とわかっているのですが、
それでも、富というのは魅力です。
また、愛は簡単にはぐくむことができません。
でも、富はそれに比べるとずっと手っ取り早く手にすることができます。
愛はどんなに注いでも、それが報われるかどうかわかりません。
でも、富を得ることも、決して簡単ではないでしょうが、
ある程度計算をすることもできます。

愛をはぐくむ。
単純なことではないことだと思うので、
これを大切にしていきたいと思います。

主よ、
愛することを教えてください。
愛することを、
与えることを、
理解することを
教えてください。
人を変えようとするのではなく、
人をわかろうとすることができますように。
愛することが私にもわかりますように。
愛するということがどういうことか、
自分の経験として、
自分のものとして、
わかりますように。

2006-04-04

とてもパーソナルな祈り

今朝から涼しくなりました。
最低は5.5度とあまり冷え込んだわけではないのですが、
その後温度があまり上がらずに、
昼前で7度。
明日いっぱいは寒いようです。
そして、その後も来週にはいるまでは肌寒い日が多いようです。

もう一つ、今夜から明日の朝にかけて
雪が降るか、という問題ですが、
私は降るかなあ、と思っております。
どうして、って、
「何となく・・・」です。
真面目に調べていると他のことが何もできなくなってしまいます。
ですから、「何となく・・・」今年最後の雪が降るかなあ、と思っております。
日曜日あたりも???なんですが。

それから、
今週土曜日のJOYJOYイースターですが、
そうですね。
とってもいい天気になるでしょう。
どの天気予報もそんなことを言っていないのですが、
いい天気になるように祈っております。
だから、いい天気になるでしょう。

今日の聖書。
今日は箴言の5-11章を読みました。
個人的に神様から語られたことはあったのですが、
今日はあまりにパーソナルなことなので、
ここには書きません。
主が語ってくださったことに、
心から感謝しました。
今日は教会のオフィスでの祈り会だったのですが、
一人でお祈りしました。
教会のお一人一人の今日の歩みのために、
魂の守りのために祈りました。

神様、
今日の一日も守ってください。
私の歩みを支え、
あなたの恵みの中に生かしてください。
教会の一人一人の歩みを、
またその方々につながる一人一人の歩みを、
守ってくださいますように。
心を守ってくださりますように。

2006-04-03

自分の心を守れ

今朝は2.7度C。
昨日までに比べるとぐっと肌寒い日になりました。
最高も12度くらい。
でも、時々雨が降る恵みの雨の日となりました。
そして、長袖を着て、ジャケットを着れば、
「春雨じゃ・・・」みたいな気持ちにならせてくれる雨です。

明日は、また、雨。
それで、夜は雪も降るかもです。
降ったら「なごり雪」ですね。

ブロッコリーとレタスは芽が出ました。
徒長するといやなので、外に出してありますが、
今晩から水曜日くらいまで家の中に入れなければ・・・です。

あとサヤエンドウも発芽率50パーセントほどですが、芽を出しました。

今日は箴言に進んで箴言1-4章を読みました。
そして、「語られた」言葉は、
「何を守るより、自分の心を守れ。そこに命の源がある」という言葉です。
本当にそうだなあ、と思います。
自分自身の心が守られていること、
支えられていること、
それが本当に大切だと思いました。

そして、祈られていることも感じました。
夢うつつの中に、
一人の大人と、一人の子供が、
私の心に水をかけてくれている情景を見ました。
おばさんだったのか、おじさんだったのか、
子供も、男の子だったのか、女の子だったのか、
わかりません。
わからない方がいいんでしょうね。
神様がそのようにして下さったんだと思います。

その時に、何とも言えない暖かいモノを感じました。
そして、祈られていることを感じました。

そして、わたしも祈りたいと思いましたし、
人の心に触れたいと思いました。

神様、
私の心を守って下さってありがとうございます。
わたしを遣わしてくださり、
あなたからの癒しをいただくことができるように、
人々の心に触れる働きができますように。
視線が神様から離れることがありませんように。
またそのようになっている方々のところに、
わたしを遣わしてくださって、
神様を向くための助けの働きをさせてください。


2006-04-02

主のご計画は・・・

一日が終わりました。
祈らされますが、
神様が私たち一人一人の日々を、
御心の中に守って下さっていると、
信頼しています。

祈ること、
神様の前に出ること、
神様の前に跪くこと、
それが大切だと思わされます。

人間の頭で、
正しいことなんてわかると思ってはいけない、
本当にそう思わされています。
だから、いつも聞く耳を持つこと、
人の声に耳を傾けること、
そして、神の前にひれ伏すことの大切さを思わされます。

今朝は7.6度。午後は19.7度まで上がりました。
明日は寒い日になると予報が出ていますが、
どうなるでしょうか?
何といっても大陸ですから、
冷え込む時は冷え込みます。
火曜日の夜には雪が舞うかも、と予想されています。

で、聖書。
今日は詩篇137-150篇。
とうとう詩篇が終わってしまいました。
で、心に留ったのが139:17
私たちのこの人生の一日一日、
神様のご計画の中にあって、
神様の守りの中にあって、
あるということです。
「あなたの御計らいは、わたしにとっていかに貴いことか」
この言葉がわたしの今日の一日も支えてくれたように思います。
主がきょうの一日も、
納得いかない出来事も、
守りの中において下さっている、
そのことを心から感謝しました。

今日からサマータイムで明日の朝はちょっときついかもしれませんが、
祈りを持って始められますように。

主よ、
あなたの御名をほめたたえます。
どんなに心騒ぐ時にも、
あなたはいつも私たちに最善のことをして下さる方であることを
感謝します。
どうか、私の心をいつも守り、
あなたの導きを信じて歩んでいくことができますように。
今日の一日のいろいろな出来事もあなたの御手に
ゆだねます。
今晩も一人一人を訪れて下さいますように。

2006-04-01

主が建てられるのでなければ

昨日は24度。
今日は25度まで行きました。
朝も12度。
本当に暖かかったです。

そして、昼頃に雨。
ざーっと降って、あっという間に終わってしまいました。
もう終わりみたいですね。
今午後3時半。
明日も暖かいようです。
でも、昨日、今日みたいにはならないと思いますが・・・。
そして、火曜日はまた寒い日が帰って来るみたいです。
お気をつけて。

あ、明日からサマータイム。
今夜は1時間短いですね。
みんな礼拝に遅れなければいいけど。

で、聖書。
今日は詩篇120-136篇を読みました。
その中で心に留ったのは、127篇1節の言葉。
「主が建てられるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」という言葉です。
主が建てられるからこそ、
主がその中心だからこそ、
それがすばらしい、ということ。
最近、どこかで読んだのか聞いたのか、
それとも夢に出てきたのか、
会堂を建てることよりも、
教会を建てることを大切にしよう、
ということを思わされています。
建物のためにももっともっと祈りたいと思います。
でも、それだけではなく、
いやそれ以上に
教会を建てあげていくことに心を配っていきたいと思います。
教会が教会である、
つまりキリストを頭とした一つの体として、
立てあげられていくために心を砕きたいと思います。
主がそれを守ってくださるように、
主がそれをささえて下さるように祈っていきたいと思います。

主よ、
教会を守ってください。
あなたの体として育ててください。
キリストの体としてください。
一つの体として、
血の通った体として
建て上げて下さい。
そして、教会堂を与えて下さい。
あなたが私たちの教会に会堂を与えて下さい。
あなたのご栄光を表し、
人々に仕えていくための、
人々に福音を伝えていくための
会堂を与えて下さい。

2006-03-31

御言葉が開かれる

いやあ、ほんとうに、NJに春が到来ですねー。
今日は最低気温が3度。
最高気温が24度でした。
昨日の最高が22度ですから、
ホントぽかぽかです。
家の中よりも外の方が暖かいです。

この調子で地面も暖かくなって、
水も温かくなってくれるといいですね。
ガス代。

この間芝生の種を部分的に蒔いた時に、
水をやっていて思ったのですが、
この時期の水道って、本当に冷たい。
種がびっくりするでしょうって。

そして、この冷たい水を温めて、
シャワーとか浴びているんだから、
ガス代かかるよなあ、って。

だから、早く水が温かくなって欲しいと思います。

今晩から明日はにわか雨や雷雨。
1週間ぶりの雨、
何週間ぶりかのまとまった雨でしょう。

雨の前には芝生の種を蒔くこと。
あんまりじゃーじゃー降っちゃうと流れちゃうから微妙なんですが、
今回は大丈夫でしょう。

で、聖書。
今日はお約束の詩篇119篇です。
この詩は詩篇の中でダントツに長い詩です。
176節まであります。
その中で今日、私の心に留ったのは、
130節の言葉です。

「御言葉が開かれると、光を放つ」

神様が御言葉を語ってくださる時に、
それは私たちの光となって、
私たちの目を開き、
私たちに希望を与えてくれます。
また生きる力を与えてくれます。
喜びを与えてくれます。

だから、もっともっと、
「御言葉が開かれる」
「御言葉が語られる」
「目が開かれる」
そのような経験をさせて頂きたいと思います。
そのためにもっともっとゆっくりと御言葉を味わって、
祈る時を持ちたいと思います。
時を聖別して、
待ち望んで、
語って頂いて、
立ち上がっていきたいと思いました。

主よ、
あなたが語ってください。
いつも聞く耳を持っていることができますように。
そして、時を聖別して、
聖書を開いて、
待ち望んで、
祈って過ごす時をもっともっと持つことができますように。
語る前に、
行動する前に、
とにかく聞く者としてください。




2006-03-30

隅の親石

今朝も冷え込みました。
0.7度でした。
まだ霜の危険がありますね。
でも、10時前で15度もあります。
昨日は19度まで行きましたが、
今日は20度超えるのは確実でしょう。
一気に木が芽吹いてきます。

でも、3月は雨が少なかったですね。
芝生を少しひっかいて新しく蒔く種が地面に届きやすくなるようにしたら、
はげているところはもう砂埃が立ちます。
このままもう遅霜はないと信じて、
芝生の種も蒔いてしまいます。
そして水まきです。

では、今日の聖書。
詩篇の115-118篇を読みました。
もう少し読みたい勢いだったのですが、
119篇にはいるとなかなか終わらないので、
明日にとっておきます。
心に留ったのは、
118:22の「家作りらの捨てた石が、隅の親石になった」という言葉。
新約聖書にもイエスのことを預言した言葉として、引用されている言葉だけれども、
それと共に、神様の目と私たちの目がいかに違うか、
ということを思わされた。
私たちの目で見て、役に立たないと思うようなものも、
主は用いてくださる。
自分の目で、自分などは役に立たないと思ったとしても、
主は用いてくださる。
主は私たちを用いて御業を行ってくださる。
だから、それを信じて、
大きく、大きく用いて頂きたいと思った。
大胆に用いて頂きたいと思った。
そして、私も大工の立場になったときに、
そのような目で人々が用いられていくのを期待していきたいと思った。
主の御業を見せて頂きたいと思った。
自分の目や、社会常識の目、そのようなものによって見ていくのではなく、
神様の目で見せて頂きたいと思った。

主よ、
私にあなたの目を与えてください。
あなたがごらんになっているように、社会を見る目を、
自分を見る目を、そして人々を見る目を与えてください。
そして、あなたの大きな御業を見る者としてください。
用いてください。
私を用いてください。
私の家族を用いてください。
教会の一人一人を用いてください。
一人一人につながっている多くの人々を用いてください。

2006-03-29

岩から流れ出す水

今朝は久しぶりの氷点下。
-0.4度まで下がりました。
でも、8時には6.3度。
15度を超えて、暖かい日になりそうです。

いろんなものが芽吹いてきました。
少しずつ花も咲いています。

おととい、昨日と、
レタス、なす、えんどう、ブロッコリーなどなど、
いろいろ種を蒔いて、
苗を作ろうとしていますが、
今年一番乗りで、芽を出した野菜が、
上の写真です。
これは何でしょう?
引っ越して来た時から自生していました。
もちろん、前に住んでいた方が、育てていたのでしょうが、
もう5年も毎年毎年芽を出します。
種が飛び散って広がってきているようにも見えます。
今年もたくさんお世話になることでしょう。

で、聖書。
朝が明るいので、
早く起きるのが全然苦ではありません。
でも、こんなことが言えるのは今週だけ。
今度の日曜日から、時間が1時間先に進んでいくので、
今の6時は5時ですよね。
来週は結構きつそうです。
で、今日読んだのは、詩篇の104-114篇。
114篇の最後の言葉が心に留りました。
「岩から水が流れる」
岩のような、水が出てくるわけがない、と見えるところから、
水が流れ出てくる。
私たちの歩みの中でも、
どうしてこんなことが起るのだろうという状況の中に、
本当の泉はあるのではないだろうかと思いました。
本当に豊かな泉というのは、
涙の中にあるのではないかと、
痛みの中にあるのではないかと。
でも、痛みの真ん中にいる時には、
「どうか、神様これを取りのけてください」
「早くトンネルを抜けさせてください」
と一生懸命なんですが。
でも、そのような祈りの中にこそ、
そのような真実な祈りの中にこそ、
ホンモノがあるのではないかと思います。
人間弱いもので、物事が順調な時には、
なかなか本気で祈らないんですよね。

問題が出てきた時に、
岩が前に立ちふさがった時に、
神様に本気で祈る。
本気でぶつかっていく。
そこで本当の私たちの命の泉である方に生かされることを経験する、
そうなんだと思います。

今、祈りの課題があります。
そのこと自体に感謝して、いきたいと思います。

主よ、
あなたを求めます。
あなたを待ち望みます。
あなたに祈れることを感謝します。
あなたが私の泉です。
私の喜びの源です。
どうか、私を満たしてください。
私を生かしてください。
あなたの喜びに、
あなたの与えてくださる豊かな命の水に、
生かされる者としてください。
私の祈りに答え、御業をなしてください。

2006-03-28

賛美する存在

今朝も朝は2度くらいまで下がったけれども、
もう朝の9時には10度近くまで上がっています。

昨日は結局あまりはかどりませんでしたが、
芝生の一部に生い茂った苔をはがして、
隅っこの方にたまった落ち葉を片づけて、
芝生の種まきの準備しました。

苔の庭とかもいいと思うのですが、
やはり周りから見ると、
「ちゃんと手入れしていない」となってしまうのでしょうか?
いや、苔もちゃんときれいに生やかそうとするなら、
やっぱりちゃんと手入れしなければいけないのでしょう。

今日の夕方も一仕事です。

これからの季節は夕方できた時間とか、
月曜日とかは、庭仕事かなあ。
と、いい夫を宣言して、自分にプレッシャーをかけておく。

で、今日の聖書は詩篇の93-104篇
その中で、心に留った言葉は102篇の19節(共同訳)
口語訳では18節なんだけれども、
訳され方はずいぶん違います。
ですからものすごく新鮮に感じたのだと思います。
私たちは賛美するために造られた。
神様をほめたたえるために造られた。
私を愛し、私のためにすべてを与えてくださった方を
賛美するために、
今も私と共に歩んでくださる方を賛美するために私は今も生かされている。

賛美は天国に行ってからも続くと言われます。
説教も祈りも天国に行ったらもうしない、
伝道もしない、
ただ、神様のすばらしさを賛美するのだといいます。

だから、この地上にあっても、
もっともっと賛美することを覚えたいと思います。
賛美することのすばらしさを知っていきたいと思います。
そのために造られたのですから。

主よ、
今日もあなたを賛美する者としてください。
あなたへの賛美が口をついて出てくるような歩みをさせてください。
あなたと共に歩む喜びを満たしてください。
喜びに溢れさせてください。
無理して賛美しなくても、
心から賛美が溢れてくるような者に、
私をしてください。

2006-03-27

主を賛美することは楽しい

今日は最低気温は2度くらいまで下がったけれども、
8時にはもう7度。
すっかり春です。

もう、何も言うことはありません。
今週は日ごとに暖かくなっていきます。

庭の手入れ日和です。
花粉、ホコリ対策をしっかりして、「やらなければ・・・」です。

今日は詩篇の88-92篇を読みました。
92篇の最初の言葉がいいですね。
「何と楽しいことであろうか、主に感謝をささげることは!」
日々、戦いがあります。
悩むこともあります。
でも、主に向かう時に、
主に目を向ける時に、
平安が与えられ、
目が開かれ、
立ち上がり、進んでいけます。
感謝が沸いてきます。
賛美が沸いてきます。

今までの歩みの中で、
落ち込んだ時に、
苦しい時に、
どれほど賛美で救われたことだろうか。
どれほど祈りの中で解決が与えられたことだろうか。
だから、やはり自分の日々の歩みの中で、
神に感謝をささげたり、
賛美をささげたりすることが、
本当に大切なことであり、
力であるかということを思わされます。

主よ、
今日もこのようにあなたに目を向けることができたことを、
あなたに賛美をささげ、感謝をささげることのすばらしさを
確認することができたことを、
感謝します。
あなたが今日も守ってください。
私は今日も支えられています。
どうか、弱さを覚えておられる方々、
祈る力や賛美する力さえ失ってしまった方々を、
どうか、守ってください。


2006-03-26

命の源

ここのところ、ちょっと更新の時間が遅いですね。
明日から、平常に戻します。

今日もやはり予想より暖かかったです。
11度くらいまでは行きました。
今も6度。
まあまあです。

これから先、どんどん、お天気ネタは、
なくなっていきます。
やはりお天気がエキサイトするのは、
冬ですよ。
春から秋は、まあね、という感じです。
Thunder stormは好きですが、
南部にいた時のようなエキサイトな感じはありません。
東京の方がワイルドでしょう。
バケツをひっくり返したような・・・というのがありますから・・・。

でも、今週はとにかく春めいてきます。
特に土曜日雨が降りますが、その前に南風が入って、
20度くらいまでいくと思います。

芝生の手入れはやはり明日だろうなあ。

今日の聖書は
詩篇の73-87編でした。
87編の最後の言葉、
「私の源はすべてあなたの中にある」
日本語として、あまり美しくはありませんが、
心に留る言葉です。
私の力の源、生きる元気の源は、
神様にある。
神様のうちにある。
他のものではなくて、
神様のうちにある。
他のものを喜びの源とするのではなくて、
神様を源とする歩み。

時々、自分も軸がずれていると感じる時があります。
正直なところ。
そんな時はやはりわかります。
自分でわかります。

そして、軸が戻された時、
神様が元気の源になった時、
ああ、ここに帰ってきたなあ、と思う。

神様、
あなたを人生の軸にして、
元気の源にして、
歩むことができることに心から感謝します。
どうか、あなたの命に、
あなたの元気に生かしてください。

私の軸をいつもいつもあなたに置くことができますように。
いつもあなたに立ち返ることができますように。

2006-03-25

日付が変わらないうちに・・・

元旦から、続けている毎日アップデートがとぎれないように、
12時前にスタートします。
今日もなかなかゆっくり更新することができませんで、
夜になってしまいました。

昨日も今日も予報よりも暖かかったですね。
昨日も13度、今日も11度まで行きました。
今も6度くらいあります。

これからもこの調子で、いい方に天気予報が外れて欲しいものです。
来週の後半には本当に春めいてくるでしょう!

今日の聖書は詩篇の63-72篇。
63篇の7節、「床につく時にも、御名を唱え、祈りを口ずさんで夜を過ごす」
という言葉が心に留りました。
夜、今晩も、この夜も、祈りながら休みたいと思いました。
主が休みを与えてくださる。
眠りを与えてくださる、
だから、祈りながら、過ごしたい、
そう思いました。
皆さんによく言うのですが、
夜中に目が覚めたら、それは
神様があなたを祈るために起こされたのだと、思ってください、と。
不眠症で苦しんでいる人には、
きつく感じられるかもしれません。
でも、やはりそうだと思います。
丸い地球で、
今、昼間を過ごしているあの人のために祈って欲しい、
今、夜を過ごしている、あの人のために祈って欲しい、と
主は私たちを起こされるのだと信じています。

主よ、
今日の一日を感謝します。
今日の祝福を感謝します。
どうか、今夜もあなたの守りの中で
あなたへの祈りの中に休ませてください。
あなたが起こしてくださった時に、
すぐ、祈ることができますように。
すぐ、あなたの思いがわかりますように。

2006-03-24

沈黙して神に向かう

昨日はちょっと疲れがたまっていたようで、
早く休んでしまいました。
今朝は5時に起床。
早寝早起きの方がいいですね。
日本にも電話しやすいし・・・。

今朝は1度くらいまで下がったでしょうか?
でも、朝の8時でもう7度もあります。
このまま晴れてくれたら、暖かくなるのでしょうが、
このあと曇って、肌寒い予報です。

でも、2週間先までの予報モデルを見ていると、
結構希望がわいてきます。
4月の初めに少し雪の可能性があるのですが、
それを過ぎると、何か春らしくなってきそうな感じです。
今、レタスの種を蒔くと、
ちょうど暖かくなった頃に苗ができて・・・
なんて考え始めています。
次に時間ができた時には園芸オヤジになっているかも。
でも、芝生の手入れも始めなければ・・・

また長くなる前に、聖書の話しに行きましょう。
今日は詩篇の47-62篇を読みました。
心に留ったのが62編に繰り返し出てくる言葉、
「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ」です。
沈黙して・・・。
大体こんなところで文字にしていること自体が、
神の前に「沈黙して」ということと矛盾しています。
だから、とにかく静まること。
あれやこれや考えること、
動き回ること、
対策を講じること、
それよりも、まず、神様の前に出て、
静まって、
神様が助けてくださる、
ささえて下さる、
ということを信頼していくことだと思います。
静かに祈りたい、静かに祈る時を持ちたい、
そのように思います。
自分ががなり立てるような祈りではなく、
主を待ち望むような祈りを捧げたいと思います。

主よ、
どうかわたしの心を守ってください。
あなたの前に歩むことができますように。
あなたを待ち望んで、
あなたから答えをいただいて、歩むことができますように。
小さなことも、あなたに祈り、答えをいただくことができますように。
主よ、お語り下さい。
わたしは口を閉じて、あなたを待ちます。


2006-03-23

力を捨てよ

いやあ、
今日はまた朝から走り回っていて、
更新の時間がありませんでした。

でも暖かかったですね。
気持ちのいい春の日でした。
12度まで上がりました。
そしてちょっと出先で時間ができた時に、

車の中で5分くらいウトウトしたのですが、
とても暖かくて気持ちよかったです。

今日の午後はLeoniaのJOYJOY Kids Club。
お借りしている教会の入り口にあるレンギョウの花です。


満開でした。

この先の天気ですが、
こんな天気のいいのは今日まで。
明日から日曜日までは肌寒い日が続くみたいです。

そして、にわか雨やにわか雪。
積るようなことはないでしょうけれども、
春が待ち遠しい天気となるでしょう。
月曜日には、またいい天気ですが、
風が冷たいみたいです。

昨日も今日も朝は6時前に目が覚めましたが、
ホント明るいですね。
でも、4月2日からはサマータイム。
今の朝6時が7時になってしまいます。

今日の聖書の箇所。
詩篇の36-46編を読みました。
特に心に留ったのは46編の「力を捨てよ」という言葉。
口語訳では「静まって」と訳されていますが、
新共同訳の言葉もいいですね。
もっと積極的に「力を捨てよ」というわけです。
私たちは力を持っている、力にしがみついている。
だから、意識的に、意志的に「力を捨てる」という経験が、必要なのではないか、
と思いました。

私にとっての力とは何か、
才能?周りの人の助け?自信?
それらを捨てて、
神様を一番に頼りにしていく、
それが自分の課題なんだろうと思います。
「私こそ神であることを知れ」
口語訳で慣れ親しんだ言葉です。
神が神であって、
神がすべてを支配しておられる力強い方であることを知ること、
私にとってとても大切なことだと思います。

主よ、
力を捨てよ、という言葉、
とても心に深く留りました。
捨てるべきモノが私にはまだまだたくさんあります。
あなたよりも他のモノをあてにしやすい者です。
どうか、あなたを、あなただけを見上げていく者としてください。
あなただけを信頼していく者としてください。




2006-03-22

どんな時にも

今日は月に1度のNY Dayです。
今日は朝は昨日よりぐっと冷え込みはゆるんで-2度でしたが、
すごく寒く感じました。

2つの理由でしょう。
1)風がある
2)自分が朝早くから外に出た+バスに乗り遅れて25分くらい待った。

まあ、主に2)の方ですね。
1月から始めた月に1度のNY Dayですが、
1月、2月より寒いみたいです。

で、今日はいつもよりバスが一本遅れたこともあるかもしれませんが、
先月もしたピープルウォッチ・帽子編ですが、
結構帽子かぶっている人多かったですね。
寒い時には帽子に限る、って本当だと思います。
ホテルのドアマンなんかはロシアの人がかぶるような、
ふわふわの帽子をかぶっていました。

でも、やはりスーツに帽子の人は少なかったかな。

天気予報ですが、
今日は天気がいいですが、
このあと週末にかけて、
雲が多く、
雨や雪もぱらぱらと降るかも、です。

なかなか暖かくなりそうにありません。
本格的な春は4月に入ってしばらくしてからでしょう。

で、今日の聖書。
今日はバスの中で、
詩篇26-35編を読みました。
心に留ったのは34編の最初のことば、
「わたしはどんな時にも主をたたえる」
どんな時にも・・・。
本当にどんな時にも主をたたえるって、言うのは簡単だけれども、
大変なことだと思う。
表題によるとダビデがサウル王を避けて、
アビメレクのところで、気が狂ったふりをした時の詩だというが、
そんな状況の中で、主をたたえる、って自分はできるだろうか?

今、自分は主を心からたたえているだろうか?
いろんな心配事がある中で、
心を痛めるようなことがある中で、
私自身は主をたたえているだろうか?
苦しい時、つらい時、痛い時、
主をたたえているだろうか?

たたえるような者となりたいと思う。
主を心からたたえるような者となりたいと思う。

昨日はほぼ1年ぶりに
BTのPrayer Meetingに行ってきました。
祈ること、大切ですね。
自分、ホントに神様の前に「牧師」という立場も何もなく、
一人の人間として出られるあの時は特別な時です。
今回はかみさんも一緒。
二人並んで神様の前に出られたのも良かったです。

で、Prayer Meetingの中で賛美した曲に
Here I am to Worshipという曲があったのですが、
その中で "Here I am to worship, here I am to bow down..."というくだりがあります。
その「私は神の前にひれ伏すために来ました」という言葉が、心に留りました。
私たちはみんな神様の前にひれ伏すために教会に来ている。
この姿勢が本当に大切だと思いました。

誰かが教会をコントロールしようとするのではない、
主の前にみんなひれ伏す。

主よ、
いつでもあなたをほめたたえることができますように。
痛みの中で、悩みの中でも、
あなたのすばらしさを知ることができますように。
無理をしてではなく、
心からあなたをほめたたえることができますように。

2006-03-21

自分の力ではなく神の力

今日の雪はやはりありませんでしたねー。
それよりも今朝の冷え込み。
-6度くらいまで下がりましたね。
寒かったです。
11時になっても3度くらいしかありません。
そして、この先を見ても、
今ほど寒いのはないと思いますが、
結構肌寒い日が多いみたいです。

今度の週末は少しにわか雨やにわか雪が降るかもしれません。
上空の低気圧、ってやつです。

日本では21日が春分でしたが、
こちらでは、時差の関係で20日でした。
でも、こちらでは春分と呼ばないで、
the first day of springなんですね。
春が昨日始まったんです。
実感的にはそうですよね。
日本の立春は2月の初め、一番寒い「寒中」を過ぎた時。
でも、2月の初めはまだまだ春って感じではないですから・・・。

ま、とにかく、早く暖かくなってくれ、と。

今日は詩篇16-25編を読みました。
特に心に留ったのは20編8節(新共同訳)。
馬を誇る者、戦車を誇る者、そういう人たちもいる。
でも、私たちは神を、神ご自身を誇る。
神ご自身の御力を待ち望む。
私たちの教会はこの地域では一目置かれるような、
マンパワーを持っているかもしれない。
でも、それが教会の力ではない。
それが教会のほこりになってはいけない。
ただ、主が、主の力が教会の中心で、
主の御業が教会の誇り、
主によって支えられている人々、
主によって造りかえられた人々、
それが、ただ、主の御業であることを、
感謝して喜んで、告白して止まない人々、
それが教会の力だ。

主よ、
どうかあなたの御業を拝させてください。
あなたの御力を見せてください。
もっともっとあなたによって造りかえられる方々を
起こしてください。
そして、あなたのすばらしい御業が
人々の目にも示されるほどに、
明らかにされるほどにしてください。

私はあなたを誇りとします。

あなただけを誇りとします。


2006-03-20

主の与える平安

今日も最低気温は-2度。
10時半になっても2.4度Cしかありません。
結構寒いですよね。
でも、ここ一両日が底で、
週末にかけて寒さもゆるんでくるでしょう。
そして来週後半くらいには春らしくなってくるのでは・・・。

火曜日の雪ですが、
今度はNAMから消えて、
GFSの方で少しかかってきています。
各社の予報でも20パーセントくらい。
だから、多分降らないだろうけど・・・、
という感じだと思います。
私もそう思っています。
多分降らないだろうけど、降ったらゴメン、みたいな。

いやあ、天気予報の仕事って大変だと思います。
基本的に悪い方に予想しておくべきだと思いますが、
(よい方に外れて言われる文句より、悪い方に外れて言われる文句の方がきついでしょう)
今朝も日本のニュースで冬山の遭難が相次いでいる、と言っていましたが、
海や山の方にとっては命が関わっていますから・・・。
都会人のように「降ったらゴメン」で済む話ではないですからね。

で、今日の聖書。
今日から詩篇に入りました。
詩篇、この通読が一気に終わってしまったら、
また一つずつ、丁寧に読みたいと思いました。
でも、今回は一気に1-15編。
心に留ったのは4編の最後の言葉。
(口語訳、新改訳と、新共同訳では節の付け方が少し違うので、とにかく最後の言葉)
あなたによって、私は平安の内に眠ることができる、
という言葉。

神様の与えて下さる平安、ということを思いめぐらしました。
神様が平安を与えて下さるから休むことができる、
これほどの幸いはないと思いました。
安心して眠れる。
それは本当にすばらしことだと思います。
今、自分は平安で眠れることが多い。
でも、いろんなことが起ってくると、
自分は眠れなくなる人間だということは経験から知っている。
だから、そんな中でも眠ることができるような主の与えて下さる平安、
状況に左右されない主の平安をいただきたいと思いました。

主よ、
あなたの平安を与えて下さい。
何も問題がないから休める平安を超えて、
問題の中でも与えられる、
状況に左右されない平安を私に与えて下さい。
どうか、あなたの平安で私を満たして下さい。

教会の一人一人にもその平安を与えて下さい。
主よ、あなたの平安を与えて下さい。

2006-03-19

聞くこと

昨日の記録をクリアすることを忘れていて、
今朝の最低気温はわからないのですが、
それほど冷え込みませんでしたね。
やはり-2度くらいかな。

今9時半ですが、2.3度C。
あまり高くは上がらないでしょう。
そして、火曜日の雪ですが、
まだGFSとNAMでは意見が分れていますが、
NAMでも、雪の量はたいしたことないと予想しています。
同じ低気圧の影響で、
今日から明日にかけて、
ネブラスカの方では60センチくらいの雪になりそうとか。
春の雪は降る時は降りますからねえ。

こっちもまだわかりません。

今日はヨブ記を最後まで読みました。
38-42章です。
神様がヨブに声をかけられるところです。
42章4節の神様の言葉が心に留りました。
「聞け、私が話す」
神様に聞くこと、
自分が語るのではなく、
自分が話すのではなく、
自分の思いを言って回るのではなく、
神様に聞くこと、
それが大切なことなんだと思いました。
何か、私に向かって語られているように思いました。
「聞け、わたしが話す」

主よ、
あなたに聞きます。
私が語るのではなく、
あなたに聞きます。
どうか、あなたの御声を聞かせてください。
あなたの語りかけを与えてください。
そして、あなたの語ってくださったこと、
私に語ってくださったことを、
分ち合うことができますように。

今日の礼拝も祝福してください。
一人一人を励まして送って下さい。
そして、あなたを中心とした、
御言葉に聞く、礼拝として下さい。

2006-03-18

神を信じているのに・・・

今朝は-2.5度C。
東京だったら十分真冬ですね。
昼頃でも4.5度Cです。
でも、とにかく太陽が明るい!
それだけで十分、ってかんじです。

で、来週の火曜日の雪ですが、
GFSでは昨日同様、寒くて晴れ。
低気圧は南にそれる予報です。
NAMがその低気圧がこちらの方に上がってきて、
少し雪を降らせる予報を出しています。

どっちをとるか?
春の雪も楽しいでしょうが、
やはりいろいろ大変なので、
南にそれて欲しいです。

今日の聖書はヨブ記32-37章。
エリフの言葉です。
このエリフは最後に神様に「間違ったことを言った」と言われた
3人とは別にされているので、このエリフの言ったことをどのように評価したらいいのか、
わからない部分があるのですが、
私自身は読んでいて、やはりこのエリフも他の3人と同じレベルのことを言っているように感じました。
逆にエリフが引用しているヨブの言葉に心が留りました。
34章9節の「神に喜ばれようとしても何の益もない」です。
もちろん、これは間違った言葉です。
でも、これはヨブの心からの本心の叫びだったのではないでしょうか?
気軽にこんなことを言うのは間違いでしょう。
でも、ヨブは真剣に神に従い、
1章でも2章でも、苦しみも神様が与えるものとして受け取っていたのです。
真剣に神にいつも祈っていたのです。
真実に歩んでいたのです。
その中でのこの苦しみ。
真剣に従ったことがなければ、
これは不遜な言葉でしょう。
でも、ヨブは本当に神に喜ばれる歩みをしたのです。
神がサタンに自慢するほどヨブを喜んでおられたのです。

「私は神に従っているのに、どうしてこんなことに出会うのだろうか」
この叫びはまさに主に真実に歩んでいる者たちが挙げる時に、
初めて意味のある言葉になるのではないでしょうか?

それほど真実に主に従いたいと思いました。

主よ、
私があなたの前に真実に歩めますように。
あなたの前に誠実に歩めますように。
こころから、
「私は主の前に歩んでいるのに、どうして・・・」と
心に一点の曇りもなく、
後ろめたい気持ちもなく、
心から叫ぶことができますように、
私の歩みを導いてください。
私をきよめ、
あなたの御心を行う者としてください。

2006-03-17

私から神が見えなくても、神から私は見えている

今朝は久々の氷点下。
-1.5度Cでした。
昼間はそこそこ上がって、
8度くらいだったでしょうか?
本当に明るくなりましたね。
窓の外を見るとああ春だなあ、と思います。
また日の当たっているところを歩くと、
気温ほど寒く感じません。

実際、もうこれから最低一週間は10度以上には行かないでしょうから、
これが当たり前だと思った方がいいですね。
accuweather.comでは15日間の予報・・・これ当たらないですが、
17日午後4時現在の予報で、ずっと10度以下です。

「先週末の暖かさをもう一度」なんて思わないことですよね。
大体、6-8月は暑い日が多いんですから。

あと、ずっと寒くて、一気に暖かくなった方が、
花粉症の期間が短くていいかも、
なんて楽観的な期待もしています。

突然、という感じですが、
来週火曜日に次の雪の可能性が出てきたみたいです。
これもあまり期待しないで注目していきましょう。

今日の聖書はヨブ記の22-31章です。
ヨブの友人達の言葉は乱暴な、短い言葉になってきます。
そんな中で、一つ一つ答えていくヨブの言葉の中で印象的だったのが、
23:10の言葉でした。
ヨブは自分から神様のことは見えなくなってしまっていたかもしれない、
神様のことがわからなくなっていたかもしれない。
でも、神様が自分をご覧になっておられることは、
自分の歩む道を見ておられることは
確信していたのです。

本当にそうだなあと思いました、。
私も自分の方から神様が見えなくなる時がある、
神様がわからなくなることがある。
どう祈ったらいいのか、
どう聞いたらいいのか、
わからなくなる時がある。
でも、そんな時も、神様の方は私のことをずっと見ていてくださる。
いつでもわかっていてくださる。
だから、安心していいんだ、と思いました。
この時だって、
「ヨブの信仰がおかしくなった」わけではないのだと思います。
でも、私たちは、神様のことがわからなくなると、
「自分の信仰がおかしくなった」と思うものです。
でも、主が確かに私のことを見ていてくださる、
それを信頼するのが私たちの歩み。

神様、
あなたがいつもいつも、
私があなたのことがわからなくなる時も、
共にいてくださること、
共に歩んでくださること、
私のことを見ていてくださること、
信頼して感謝します。
あなたを信頼する思い、
そこに生かしてください。
私の目を開いて、
あなたを見せてください。

今日、これからの集会を祝福してください。
あなたが共にいて下さることに、
私たちの目を開いてください。


2006-03-16

神が私を弁護してくださる

寒いですねー。
今朝の最低は0.0度。
ちょうどぴったり0度でした。
いやあ、一度暖かさを経験してしまうともうダメですね。
でも、これから数日、この寒さです。
というか、週末はもっと寒いと思います。

金曜日の雪の予報はすっかりなくなりました。
低気圧が南にそれて、
弱くなる、という予想に変わり、
なくなってしまいました。

次の可能性は、来週の後半ですね。
それまでは、大体晴れ。
それで朝は氷点下、
昼も10度以下の毎日です。
ここはじっと我慢ですね。

今日の聖書は
ヨブ記の15-21章です。
ヨブの友人達がヨブに
「何か罪があるのではないか、神を責める資格があるか?」
と責めるのですが、ヨブは、かえって、
「神様ご自身が私の味方になって下さる」
という思いに導かれていくのです。
特に16:19-20が心に留りました。
誰が味方になってくれなくても、
神が味方になってくれる、
それだけでいい、
ヨブは苦しみの中で、
自分を理解してくれない友の言葉に
傷つきながら、そのように思わされるのです。

私はどうかと思いました。
人がわかってくれることを求めて、
神の導きよりも、人の言葉に振り回されることのいかに多いことか。

神の前に真実に歩むことを本当に真剣に求めているだろうか、
そこに生きているだろうか、
そのように問われました。

それでいい、主が味方であればそれでいい。
もちろん、人もわかってくださる方々が与えられている、
でも、第一に神様に聞き、
神様の導かれるところに歩んでいく者でありたいと思いました。

神様、
いつも、あなたのみ声を聞いて歩む者として下さい。
あなたが味方してくださることに
感謝しながら、あなたの御心を求めて歩ませてください。
人のサポートを感謝すると共に、
人の顔色に支配されることがありませんように。

2006-03-15

神を信じるからこそ

今日はサーバーの調子が悪かったようで、
やっとアップデート出来ます。

今朝は久しぶりの1.5度。

明日の朝はもっと冷えて、
多分氷点下でしょう。

風が冷たくて、
昼間の温度も7度くらいまで。
冬に逆戻りですね。

風は今日で収まるでしょうが、
これくらいの気温、しばらく続くようです。


昨日は思ったよりも暖かくなって、
17度くらいまで行きました。
そして、クロッカスも全開しました。


これからどんどんいろんな花が咲いてくるのでしょう。
楽しみ楽しみ。

今日の聖書は、ヨブ記の8-14章を読みました。
ここら辺になると、ヨブの友人達の議論もあまりにも乱暴に思えてきます。
そして、ヨブの言葉の中に、きらりと光る言葉が出てきます。
今日は13:16が心に留りました。
神を信じているからこそ、苦しむ時に悩む。
神を信じていなかったら、
悩まないのかもしれない。
ただ、偶然重なったとか、
運が悪かったとか。
でも、神を信じるから、
神の力と神の愛を信じるから、
神の最善を信じるから、
私たちは悩むのではないだろうかと思う。

そして、愛しているから、
自分を愛し、
友人を愛し、
仲間を愛し、
家族を愛し、
周りの人々を愛して、
また尊いいのちを愛しているから、
「どうしてこんなことが・・・」
と思うのではないだろうか?

ヨブ記、自分には深すぎると思う。
本当に苦しみにあった時に、読んだら、
どんな風に感じるだろうかと思った。

神様、
あなたを信じ、
あなたと共に歩む幸いを感謝します。
あなたと共に歩んでいる中で、
感じる疑問、葛藤、
ごまかさないで、
あなたにぶつけていく勇気と力を与えてください。
苦しみの中を歩む時があったならば、
どうか、この聖書の言葉を思い出させてください。
苦しみの中で聖書を読む力さえも失ってしまうことがあったら、
どうか、このヨブの苦しみの中での叫びを思い出させてください。
そして、彼をあわれんで、
答えを下さったあなたのことを
思い出させてください。

2006-03-14

わかっているけど・・・と思うほどつらい時

今朝は暖かくてやはり10度以上。
今9時半ですが、やはり13度くらいあります。
でも、今日はこれ以上、上がりません。
逆に下がっていきます。
そして、夜には0度くらいに下がるようです。

しばらくは「忍耐」です。
4月になって、急に暖かくなって、
一気に花が満開になるのを待ちましょう。

こちらでは、
「3月はライオンのようにやってきて、羊のように去っていく」
という言葉があります。

天気のことだと思います。
3月の初めの頃はまだまだ冷たい空気が支配的な中に、
暖かい空気が無理矢理入ってこようとする、
それで、雷や竜巻が起りやすい。
また雪が降ったりすることも多い。
でも、終わる頃には、ずいぶん空気が混じってきて、
冷たい空気が弱くなって、安定してくる、
という意味です。

ここ数日、北東部は暖かくて、
lambの日みたいでしたが、
全米レベルで見ると、
たくさんの竜巻の被害があって、
まさにlionの日々でした。
そして、このあと数日は冷え込みますが、
全米レベルで見ると、ずいぶん安定した日が続くようです。

今日の聖書。
今日はヨブ記の3-7章。
2章まで模範生のようだったヨブが、
友人達の出現によって、
荒れるんです。
そして、読んでいると、
友人達の言葉の方が
「うーん、そうだよな」と納得する部分が多いのです。
そして、ヨブの方はというと、
「自分は生まれなければよかった」
「もう死んだ方がましだ」という表現が続きます。

どうなってしまったんだろうと思いますが、
それは多分、今、自分に痛みが与えられていないからかもしれません。
本当につらい中で、苦しんでいる中で、
感じることと、
日常生活が守られている中で感じることとは、
全く違うんだなあと思います。

だから、
7章16節のヨブの「いつまでも生きていたくない」
という言葉に、
「そんなこと言うなよ」
なんて簡単に言えないような気がします。

消えてしまいたい、
死んでしまいたい、

そのように感じるほどにつらい時、というのが、
私たちにはあるんじゃないかと思います。
そして、そんな時に、
紋切り型の通り一遍の言葉が届かない時、
ってあるんじゃないかと・・・。

神様、
今苦しんでいる人たち、
人の言葉も、
励ましの言葉も、
届かないほどの
痛みの中にある人たちに、
主よ、あなたが触れてください。
私たちに愛を与えてください。
その方々に届くほどの愛を与えてください。
届かない時に、それを受け止める愛を与えてください。

愛を与えてください。


2006-03-13

幸いをも災いをも

昨日の国際飢餓対策機構の先生をお迎えしての
礼拝と礼拝後の報告会、
本当にすばらしかったです。
短い時間でしたが、飢餓対策機構が
どんなに人々のことを愛し、考えて活動されているかが、よく分かりました。


そして、自分もそういう生き方がしたいと、
単純にそう思いました。

そして、先生達を無事、空港にお送りして・・・。

帰ってきたら、

庭でクロッカスが咲いていました。
昼間は開いていたのですが、
夕方にはしっかりつぼんでいます。


このクロッカス、
前から植わっていて、
毎年同じところに花を咲かせます。

明日また開くでしょうか?

今日は暖かい一日でした。
20度くらいまで行きましたね。また。
でも、party is overです。
明日からは現実に引き戻されます。
寒くなりますよー。
お気をつけて。
金曜日、雪の可能性あり。

たいしたことはないでしょうが・・・。

今日からヨブ記に進みます。
今日は1-2章を読みました。
急にすべてを失ったヨブ。
最後に残ったのは自分のいのちと妻の存在。
でも、その妻には冷たい言葉を受けます。
その中で、彼は
「主が幸いをも与えてくださるのだから、災いをも受けるべきだ」と
妻に語るのです。

今日は、単純に、
この言葉を自分もそのまま受け取りたい、
そのまま語りたいと思いました。
自分がそのような立場に置かれるのはいつか分かりません。
また、自分がその立場に置かれたら、
すぐにこの言葉が出てくるかどうか分かりません。
でも、このような生き方をしたいと思いました。
主はいろんなものを与えてくださっているのだから、
奪われるもの、失うものがあっても、
それも主の御手の中にあること、
と受け取ることができるようにと願います。

神様、
あなたの与えてくださっているたくさんのもの、
感謝します。
どうか、私の心に感謝を与えてください。
感謝を満たしてください。
どうか、あなたへの感謝を満たしてください。
そして、もしも、それを失うことがあっても、
悲しみ、痛みの中でも、
それを受け止める力を与えてください。

2006-03-12

人の思惑と神のみわざ

今日の朝も10度。
うーんいいですね。
でも、この暖かさ、うれしすぎて、
あさってから帰ってくる冬にちょっと恐れを感じています。

昨日も先生をお迎えするために準備をしつつ、
家族で春を感じていました。
解放感を感じていました。
でも、また寒くなると、体が縮こまるんですよね。

3月後半、ホントに寒くなりそうです。
覚悟しましょう。
でも、外は明るいですから、それが救いでしょう。

今日は暖かくて、午後は雷雨があるかもです。

今日の聖書はエステル記の後半、5-10章です。
ハマンのたくらみ、エステルの苦悩、モルデカイの期待、
そして、一番何も分かっていなかった王様。
いろいろな思惑が交錯しています。
また、ハマンは自分が王様に重んじられていることを喜んで、
6章では、王様はモルデカイに栄誉を与えようとしているのに、
それを自分に与えようとしているのだと勘違いをしています。
いろんな考えがみんなすれ違っているのです。

教会でもあります。
いろんな考えがすれ違っていきます。
同じクリスチャンだからと、
同じ教会のメンバーだからと、
みんな当たり前のように自分と同じ考えを持っていると思いこみます。
それが少しずれたりすると、
すれ違ったりすると、
それは本当は当たり前のことなんですが、
どういうわけか、「信じられない・・・」なんてことになります。

・・・甘えです。

教会でいうならば、お互いの声を聞くこと、
お互いの考えを表すこと、
それが大切なんだと思います。

エステル記でも、
最終的には「神の御心だけが堅く立つ」ということも
感じます。
でも、エステルが勇気を出して、
祈りつつ、自分の願いを王に表したこと、
それがターニングポイントになりました。

神の御心を信じて祈りつつ、
でも、その御心の中で、私のなすべきことは何かと、
問いつつ、進んでいきたい、そう思わされました。

主よ、
人にはいろいろな思惑があります。
それがすれ違ったり、
ぶつかったり。
私たちはそんな中で、あなたの御心だけが堅く立つ、
ということを知っています。
でも、その御心の中で、私のなすべきことが何か、
私は何をなすべきなのかを教えてください。
エステルが勇気をふるって、
王の前に出て行ったように、
私もある時には自分の存在をかけて、
対決する勇気を与えてください。

今日の礼拝にあなたのご臨在を表してください。
あなたの御力を拝させてください。