小学生以下の数は前の週と同じ5人。
でも中高生が5人になったので、
すごくにぎやかになって、華やかになって、
前の週に練習した子もちゃんと歌えるし、
先週よりも3倍くらい、良くなりました。
この調子で毎回3倍良くなっていけば、
来週は最初の9倍、その次は27倍、その次は81倍、その次は243倍、
その次は・・・すごいたくさん・・・と良くなって、
来年のクリスマスの頃には、
ウィーン少年合唱団もびっくり!になるでしょう。
もうカーネギーホールも夢ではありません。
ミラノのスカラ座でミュージカルをやることになるかもしれません。
(スカラ座はオペラかな?)
こんな楽しいことをやっていいのだろうか?っていうくらい楽しいです。
やばいですねえ。
あ、でも何ヶ月かやっていると、
きっと、野球選手の「2年目のスランプ」みたいになって、
壁にぶち当たって、
「俺たちって才能ないよねえ」「ここまでは順調に来たけれども、どうして?」
「これ以上上達しないのだろうか!?」とか悩むんでしょうねえ。
そして、その壁を乗り越えた先に、飛躍がある!って感じ?
ああ、考えているとわくわくしまくり。
でも、気をつけて「あの牧師は子供たちのことばっかり考えている」って言われないようにしないと。ホント、大人のために使っている時間の方が何倍も多いんですが、こうやってはしゃぎすぎると誤解されちゃいますよねえ。そうそう、来年の教会の歩み、全体にわくわくしてきた今日この頃です。
さて、日曜日の聖書。
日曜日は、ピリピ4:1-9でした。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」6-7節。
人のすべての考えにまさる神の平安、という言葉が心に留まりました。
私たちが神さまから与えられる平安は、人間の想像が及ばないもの、
ほかのところで経験しようと思っても経験できないようなもの。
その平安が私たちに与えられている。
私たちに与えられる。
どんどん実行しなければ、ですね。
昨日も役員会で来年度の予算案がまとまりましたが、
やっぱり収入的にはタイトな中で、
これはやらせて頂きたい、ということを出していくと、
どうしても支出は大きくなっていきます。
「思い煩わないで、祈りなさい!」
足下の一歩目から、始めようと思わされました。
主よ、
これは実行しないとダメですよね。
思い煩う暇があったら祈る。
思い煩いが襲ってきたら、神の前に自分の願いを見てもらう。
そのときに与えられる平安、それを経験したいです。
この世のものではない平安、もっともっと経験したいです。
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