風邪と言っても、たいしたことないんですけど、
すぐ大騒ぎをしてしまう性格なんで・・・。
のんちの場合は、「なんか、ちょっと調子悪いねえ・・・」という時は、38-9度台です。
でも、たとえば、私は37度をちょっとでも超えたら、「わー、熱だ~!もうだめだ~」と騒いで、薬を飲んで寝てしまうわけです。
昨夜の場合はその37度もない。
だから、普通の生活をちょっと「無理しない」程度でやっています。
とにかく、日曜日に万全の体調で臨めるようにお祈りください。
さて、昨日の聖書。
昨日の聖書箇所はハガイ書の最後、2章10-23節。
「『もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか。』祭司たちは答えて『否』と言った。」12節。
「日々のみことば」の解説には、
「きよさは伝染しないが、汚れは伝染する」と書かれていました。
あまり意識していなかった対照です。
汚れ、というか、罪や信仰的な妥協はほんとうに簡単に伝染します。
でも、きよさもまた広がっていくモノだと思っていました。
でも、ここではっきりと、聖なるものが汚れたものに触れても、
汚れたものは聖とはならない。聖なるものが汚れたものになる。
だから、やはり聖の源である神さまのきよさに触れることなんでしょうね。
誰かのきよさをもらうのではなくて、人に期待するのではなくて、
神さまのきよさに自分で直接触れる。
自分と神との関係が大切なんだと思いました。
マタイによる福音書の25章に出てくる、
10人のおとめの話を思い出しました。
花婿が来た時に、5人のおとめたちは、油の準備ができていなくて、
準備のできていた5人に「分けてください」とお願いするのですが、
「あなたがたの分までは足りません」と断られてしまう。
「なんで?」と思います。
協力、助け合いの大切さを知っている私たちは、
どうして?そんなこといわないで分けてあげればいいのに?
と思います。
実生活ではそうかもしれませんが、
神さまの前では、他人のきよさをもらって、
自分がきよくなることはできません。
誰かの功徳を分けてもらうことはできないのです。
一人一人がちゃんと神さまとつながらないと、いけないのです。
神さま、
きよさは人から分けてもらえるのではない、
一人一人が神さまとの関係に生きることの大切さを思います。
どうか、きよさを与えてください。
そして、周りの一人一人も神さまにきよさを求めるようになりますように。
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