2008-04-15

送り出す。

今朝も冷えました。0.6度。
でも昼間はまあまあ上がって16度。

今は夜の9時過ぎですが、9度まで下がってきています。
このままどんどん下がって、
明日の朝も1度前後です。

そして、いよいよ明日は20度です!

さて、今度の日曜日が最後で日本に帰られる方が教会に3人。
いやあ、ほんとうに今年はどんどん帰られます。
そして、6月には高校生が一人日本へ、またカルフォルニアに引っ越されるご夫妻もおられます。

で、今年は引っ越してこられる方はいないなあ、と思っていたら、
今日、一件お電話が入って、日本から来られた方。
是非、今度の日曜日に・・・ということでした。

お送りする時に、
ほんとうに祈り続けること、
ただ、一言祈って「行ってらっしゃい」ではなくて、
ずっとずっと、帰られた方々のために祈り続けることの
大切さを思わされます。

そして、新しく来られた方々と歩幅や歩くペースをそろえること、
ほんとうに大切なことだと思います。

昔から、自分のペースですたすたと歩いて、
かみさんを顧みないで、気がついたら、10メートルも15メートルも離れていたり、
たくさんの荷物をかかえて苦労していることに気がつかなかったり・・・。
これ、牧師としての歩みにも通じてしまっているかもしれない・・・。

反省。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記13章21-36節。

「だれも家の戸口から外に出てはならない。」22節。

過越のことが書かれています。
英語ではPassover。
ちょうど、今月ユダヤ人のお祭りとして守られているところです。
その過越の祭りが祝われるようになった始まりのところ。
その夜、エジプトの初子がみな死んでいく中で、
家のかもいに犠牲の羊の血が塗られていた家の前は
御使いが通り過ぎていったから、「過越」。

そして、必ずその家の中にいないといけなかった。

これは今で言うならば、イエスの十字架のこと。
イエスの十字架の恵みの中にいないと、
その力は働かない。
その効果はない。

その戸口の中にいることが
どれほど大切なことだろうか。

いつもいつも主の恵みの守りの中に歩みたいと思いました。
その守りの中で、支えられて、助けられて、
歩んでいくのだと思いました。

列王紀下の6章14-18節を思い出させられました。
周りを敵の軍隊に包囲されていたエリシャ。
でも、エリシャはそこでも主の御手を見ていました。
主の守りを見ていました。

でも、召使いにはそれが見えていませんでした。
それで恐れました。
目が開かれること、主が守って下さっていることに
目が開かれること、大切だと思いました。

主よ、
いつも十字架の下にいます。
いつもあなたの導きの中にいます。
そこが一番安全です。
そこが一番平安です。

あなたの守りの中に歩んでいきます。
どうか、守り支えて下さい。

私の目を開いて、
あなたがわたしを守っていて下さることに
気がつかせて下さい。

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