2008-03-29

人を信じるということ

いやあ、今日も晴れたのですが、
寒かったです。
風も強く、気温も7度止まり。
夜の10時ですが、1度まで下がってきました。

明日の朝は氷点下5度くらいの予想で、
昼間も晴れますが、一ケタでしょう。

その後も気温は低め。
火曜日だけ天気はあまりよくないですが、
15度くらいまで上がりそうです。

この間の月曜日までやっていた、横田めぐみさんの写真展は、
残念ながら、どうしてもいけませんでしたが、
今日、めぐみさんの事件の25分のアニメが
日本政府のサイトで見れるということで、
見てみました。

私なんかと同世代。
そして、拉致されたのが今の真ん中の娘の年齢。

かなり見るのがつらかったです。

そして、率直な感想は、
「人はこんなに残酷になれるんだろうか」ということでした。

見ず知らずの中学生にこんなことをするなんて・・・。
想像のつかないことです。

子供の時から、あまり人を疑わないで生きてきました。
疑いたくない、信じたいと思って、
いろいろな事情で自分に対して怒りを覚えたり、
不信感を持つ人はいたとしても、
それはそれなりの事情があるわけで、
話せばわかる、説明すればわかってもらえると、
どうしてもわからなければ、それはしょうがない、
でも最終的には悪意があってそうなってしまうのではない、
そのように思ってきました。

ずっと。

だから、こういうことが、私と同じような一人の人に、
その家族に、起こったのだということが、
本当に信じられません。

人はどこまで残酷になれるのでしょうか?
どこまで冷酷になれるのでしょうか。

特別な事件だ、日常の中にはあり得ない、
とわたしたちは自分の心を説得します。

でも、この一家にとっては、本当に日常の中に、
こんなことが起こったのです。

人を信じることは大切なこと、
でも、それと共に人の中にはこのような残酷な、冷酷な面もあるのだということを、忘れないでいること、大切なんでしょうか。いろいろ考えさせられてしまいました。
なんとか、奇跡が起こって、多くの人々が解放されるように祈らされます。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記の3章1-12節を読みました。

「今、行け。」10節。

40年前、人々に受け入れられなかったモーセ。
彼にとって、パロのところに行くなんて、考えられなかっただろうと思います。
でも、神様は、彼にただ「今、行け」と言われました。
そして、モーセは従うことを要求されたのです。

怖かっただろうなあと思います。
逃げ出したかっただろうと・・・
この後の神様とモーセとのやりとりはもちろん知っていますが、
知らなかったとしても、
モーセはつらかっただろうと、想像出来ます。
人々に拒否された記憶がそんなに簡単に消せるでしょうか?

冗談じゃない、私はいやです・・・。
もう二度とあんな経験したくない、と。
それが本心だったでしょう。

でも、神様は「行け」と言われました。
そして、実際、モーセが従った時にも、
「おまえがリーダーだなんて思っていない」とか
「余計なことをしてくれるな」とか、
いう人々がいたのでした。

主に従うことの意味を思わされました。
やはり主との交わりに生きていないと、
本当に主の御声を聞いてないと、
できないことだと思います。

いつもいつも主と共に歩む者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたのみ声を聞かせてください。
あなたの御心を読み間違うことがないように、
いつもいつもあなたの御心を教えてください。
いつもいつもあなたとの交わりの中に生かしてください。
あらゆる人間的な恐れが消え去るまで、
あなたの御声に聞く者とならせてください。

明日の礼拝の祝福をお願いします。

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