今日は暖かい一日でした。
最高気温は15.5度。
今は夜の12時前ですが、5.5度まで下がってきています。
でも、これ以上は余り下がらないでしょう。
明日は17度くらい行きます。
Enjoy the 「暖波」。
いつまでも続きませんから・・・。
そして一回こういう暖かさを経験してしまうと、
次に寒くなった時に身にしみます・・・。
今夜のGFSを見ると、
明後日の朝くらいが一番暖かくて、
そのあと、下がっていって、
日曜日くらいから氷点下に戻るようです。
さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書2章1-20節。
クリスマスのところです。
「これが、あなたがたのためのしるしです。」12節。
この「しるし」というのは、
「徴」であって、この救い主は「飼い葉桶の中に寝かされてあるような救い主だよ」
という意味だといわれています。
しかし、今日、ここを読んでいて、
「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので・・・」
という言葉と一緒に考えると、
このしるし、とは、
「私の言っていることが本当だ」という「しるし」なのかも、
と思わされました。
聖書の中にそのようなしるしがたくさん出てきます。
代表的なのは、モーセの杖が蛇になる、という奇跡で、
それが「神がモーセと共にいる」というしるしでした。
私の心の中に「しるし」を求めてはいけないような気持ちがあります。
「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」という言葉が、コリント第1の手紙の1章にありますし、イエスも、「しるしを与えてください」と言われた時に、それに対して、「おまえたちはそう言うけど・・・」と答えられたので、しるしを求めることはいけないような気がしているのです。
でも、とにかく求めてみようと思いました。
「ダメだ」と神様に言われたらその時はその時だ。
とにかくどのように応えてくださるか、求めようと思いました。
神様が共にいて下さるというしるし、
神様が導いてくださっているのだというしるし、
今進もうとしている方向が正しいのだというしるし、
主に与えて頂きたいと思いました。
そして、祈りました。
一つ、与えられた答えは、
「私が共にいるしるしは、イエスの十字架だ」ということです。
イエスの十字架の中に、イエスが人としてきて下さったことの中に、
神様が共にいて下さるしるしがあるのだと、答えが与えられました。
まさに、今日の「飼い葉桶のしるし」に通じるしるしです。
続けて答えを求めていきたいと思います。
主よ、
しるしを与えてください。
あなたがわたしと共にいるしるしを、
あなたが導いてくださるのだというしるしを、
私に与えてください。
もしも、悔い改めるべきことがあるならば、
それも教えてください。
かきごおり先生
ReplyDelete\(◎o◎)/!こちらよりNJ暖かいですね
こちらも最高気温は2桁
3月の陽気だそうです
少しの外出ならコートなしでOK
今日の聖書
クリスマスのところ、
年末に映画「マリア」を見たので
聖書を読んでいても映画の画像がちらつきます
映画を見ているときは、自分の思っている聖書の世界とはちょっと違うかも・・・と思っていたのに
いつの間にか、映画の画像に感化されています・・・
視覚ってある面怖いですね・・・
「しるし」深く考えて読んでいませんでした
12節の前後を一緒に読んでいるので
「その方こそ救い主そのもの」としか解釈していませんでした
確かに、先生の仰ることもアーメンです
今日は、学びの会で、イザヤ 1:2-3を読みました
3節の牛は飼い主を、ロバは持ち主の飼い葉おけを知っている。
それなのに、イスラエルは知らない。
私の民は悟らない。
神様の御心とは違う方向に
ドンドン進んでいる世の中を考えました
罪が溢れ、それが日常化している
救われるべき魂をどうか神様救ってくださいと祈りました
クリスチャンの友達からのメールで
「飢餓に苦しむ国への食糧需給を手厚くすると国連で決まったらしいが、果たして食べ物だけど送れば解決する問題だろうか?」
これを読んで、先生が、前に紹介してくださった
中国のクリスチャンの「強めてくださいと祈ってください」の言葉を思い出しました
もう一つは、ハジ兄の証
食料や金銭援助だけでなく、神様を通した心のケアーも大切だと感じました
暖かい日々をしばしお楽しみ下さい^^
旧ジャージーさん、
ReplyDeleteホント暖かいです。
こちらは何月だったのかなあ。
えっと今調べたら、だいたい4月くらいの陽気ですね。少しの外出なら、半袖でも大丈夫!?って私は無理ですが、子供たちはそうみたいです。
>いつの間にか、映画の画像に感化されています・・・
ですよね。確かに気をつけなければ・・・。
>神様の御心とは違う方向にドンドン進んでいる世の中を考えました
これも、本当にそう思います。特にテレビなどは、影響大きいから本当に気をつけなければ・・・と思います。最近、娘たちが、こっちの若い子たちが見る番組を結構見るようになってきました。日本語だったら、「どんなのだろう?」と監視できるのですが、英語の番組はお手上げです。
>「果たして食べ物だけど送れば解決する問題だろうか?」
私が大学生くらいの時には、「伝道だけしていて、実際的な必要には無関心でいるクリスチャンはそれでいいのだろうか」という疑問を投げかけている仲間がいましたが、今はそれとは反対の危険があるのでしょうか。
それと共に、私の心の中でも、年に2回の「飢餓献金」で、その問題についての「免罪符」をもらっているような気持ちになっている所がないだろうかと考えさせられます。見せかけだけではない愛を持ちたいと思いました。