セミナー3日目。
ちょっとおなかいっぱい。
食べるものもリッチでおなかいっぱいだし、
セミナーも本当に豊かで消化に時間がかかりそうです。
毎日書いているかもしれませんが、
今までこのような機会がなかったことが残念。
もしも、もっと早くこういう機会を見つけていたならば、
今までの牧師としての働きも、ぜんぜん違うものになっていたのではないかと思う。
あ、ここまで書いてから、
去年、佐藤彰先生が来られた時に、1泊だけ、研修会をしてくださったことを思い出しました。それも、すばらしかったです。
でも、今回は本当にリッチです。
今日、ちょっと大きなことがありました。
インドネシアで宣教師をされていた先生が、朝の集会でお話をしてくださったのですが、その中で、暴動に巻き込まれた時ことを話してくださいました。家の窓ガラスが割られ、鉄パイプが投げ込まれたり、石が落ちてきたりという中で、真っ暗な中、子供たちを抱きしめながら、小さくなって、ぶるぶる震えておられたそうです。
その話を聞きながら、突然、小学生だったか、中学生だったか、30年くらい前の出来事が頭の中によみがえってきました。下町の都営住宅に住んでいた私たちの近所にアル中のおじさんがいました。そして、時々、酔っぱらっては「アーメン、ソーメン、いるのはわかっているぞ、でてこい」とうちのドアを思いっきりたたいて、騒ぐのです。ある夜、家族で食事をしている時にやってきて、騒ぎ始めました。あわてて家中の電気を消して、みんなでがたがた震えていました。最後はどなたかが通報して、警官がやってきたのですが、そのときの不安が心の中にいっぱいになって、セミナーの途中だったのですが、危なく声を上げてしまうところでした。
講師の先生が経験された身の危険とは全然レベルが違うじゃないか、それから、自分は親が一緒にいたじゃないか、今まで出会った方々の中には、その親こそが問題で苦しんできた方もいるんだぞ、と思いながら、どうしても、ふるえが止まらない自分がいました。
そして、それがもしかしたら、私が、人生のいろんな困難に出会った時の反応なのかもしれない、と思いました。ただただ、その酔っぱらいのおじさんが去っていくのを黙って待つ、警察が来てくれるのを待つ、そんな感じで、ただただ、我慢をしている、それが今までの生き方だったのかもしれないと。
祈りました。
どうか、扉をあけて、あの酔っぱらいのおじさんに話をする勇気を与えてください、と。
そして、決意しました。
これからは、あの酔っぱらいのおじさんにちゃんと話をしようと。
さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの5章。
「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。」
11節です。
これが私たちの教会にはあるだろうか。
神様に対する恐れ。
神様にごまかしをすることに対する厳しさ。
旧約聖書の話ではない。
罪の赦しが大胆に語られていた教会の中で、
神様を欺くような行為に対する神様ご自身の厳しい裁き、
また神様に対する恐れ。
ただ、誠実でありたいと思いました。
ただ、真実でありたいと思いました。
主を恐れて歩みたいと思いました。
主よ、
あなたを恐れます。
私の生活の一瞬一瞬があなたの御前に生きるような、
そんな日々となりますように。
あなたを恐れて歩むものであり続けることができますように。
あなたが共にいてくださることを示してください。
かきごおり先生
ReplyDeleteお帰りなさいませ
神様からたくさん収穫を頂いたようでよかったですね(*^_^*)
先生の教会に駆けつけたいくらいです
寒いです
夜は、ジャケットを着ていても寒く感じます
11月中旬の気温だそうです
ブルブル((+_+))
早速、通読箇所
やはり、この節を選ばれましたね
読みながら、先生はここだろうな~~~なんて思っておりました
私もこの章では、ここが留まりました
今週の勉強会で、悔い改めの話になって
悔い改めれば、簡単に赦されると思っていはいないだろうか?と言う話になりました
「神様は、赦してくださる、でも、罪が嫌いな清い方だという事を忘れてはならない」と
牧師先生が仰いました
この時、主を恐れて歩まねばと心に強く思いました
旧ジャージーさん、
ReplyDelete世界中の方々が私たちの教会のために、私のために祈ってくださっていることを感じます。
大きな励ましであり、ありがたいことです。
11月中旬の気候ですか、
それは本当に秋本番ですね。
>主を恐れて歩まねばと
主を恐れるから、悔い改めが真実なものになって、主の愛がどれくらい大きなものか、わかってくるんだと思います。だからもっともっと恵みがわかってくるんですよね。もっともっと、そのことを主から教えて頂きたいですね。