2007-07-03

主の羊

昨日11時頃休んだおかげで、
今朝は5時半にはぱっちり目が覚めて、
また新しい気持ちで教会に行ってお祈りしてきました。

どこででも祈ることはできるのですが、
やはり、あそこに行くと、祈れる、心が神さまの方に向く、
という場所があるんだろうと思います。

今日もさわやかな一日となるようです。

でも、この天気も今日まで、
明日からは「一時雷雨」の予報が金曜日まで続いてきます。
来週は暑い、「プール日和」になるようです。

昨日、ちょっと書きましたが、
コンサートの緊張感、
練習の時よりもいい感じがしました。
とても懐かしい感じでした。

人々の前に立って神さまの話をする時にも、
「緊張感」があります。
どちらかというと、「責任」とか「大切さ」の面では、
そちらの方が大きいと思います。
でも、やはり使命感もあると思いますし、
神さまが特別な助けを与えてくださるのでしょう、
喜びと、力が与えられるのだと思います。

でも、トロンボーンの場合は、
まだ本番で「楽しい」と言えるほど吹き込んでいないせいでしょうか、
ものすごい「緊張感」があります。
トロンボーンは3人だったのですが、
1stトロンボーンのご婦人はとても上手な方、
そして、Bass トロンボーンの人は昨日だけ頼まれた助っ人。
もちろん上手。
その間に挟まれて、びびりましたよ。
ハーモニーを造るところなんかは、ちょっとしたピッチのずれが、
3人のバランスを崩したりします。
音を外すなんて問題外です。(何度もありましたが・・・)
その緊張感がまた懐かしかったです。

でも、やっぱり音楽自体を「楽しい」と思えるほどできたらいいなあ、
と思った昨日のコンサートでした。

さてさて、昨日の聖書。
昨日は詩篇の100篇を読みました。

「私たちは主のもの、主の民、 その牧場の羊である。」
3節の言葉です。

今朝ももう一度読み直しました。
そして、昨日よりももっと深くいろんなことを思いめぐらしていました。
特に「私たちは主の羊である」ということ。

イエスがヨハネによる福音書の10章で、
「わたしはよい羊飼である」と話された時に、
「羊は羊飼の行くところ、どこへでもついて行く」
と言われたことを、思い出しました。

わたしは主の行かれるところ、どこへでもついて行っているだろうか?
おとといの日曜日に礼拝で語ったことが、
自分自身に問われているように感じました。
主の御声を聞かせて頂きたい、
主の導きを知りたい。それに忠実に従っていく者でありたい、
そのように思いました。

もっともっと貪欲に主の御声を聞かせてください、と祈る、
そのような者でありたいと思います。

主よ、
あなたの御声を聞かせてください。
あなたが語ってください。
聖書を開く時、祈る時、
主よ、あなたがわたしに語り、
あなたがわたしに教えてください。
そして、それに対して忠実に、従順に従っていく者でありますように。

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