2009-11-07

バリ霜。

いやあ、今朝は家を出ようとしたら、
フロントガラスがバリバリに凍っていました。


初霜なんてもんじゃない。
って、別に初霜がバリバリでも何の不思議もないんですが。


ほんと、ガリガリに凍っていました。
で、今、最低気温を確認したら、
なんと-2.3度。
東京だったら、何年かに一回の冷え込みですよね。


今夜はそこまでは冷えないようです。


そして、明日は暖かくなるそうです。


昨日から読んでいる「舟から出て、水の上を歩いて・・・」から。


「私が成長する限り、恐れは決して、消え去らない」


成長するためには、恐れを感じないではいられないようなところに、
あえて、足を踏み出していくことが大切なんだということだと思う。
恐れなんてなくなるのでは・・・と思っていた。
でも、恐れは成長している限り、成長をする歩みをしている限り、
決して消え去らない・・・と。
そうなのか。では、恐れないで、恐れを感じるようなところに踏みだしていこう。


さて、11月3日(火)の聖書。
ヤコブ1:19-27


「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」22節。

御言葉を実行する。
それはある意味、その御言葉に一日支配されることだ。
ずっと支配されることだ。

丁度鏡を見て、そこを離れたら、自分の顔を忘れてしまう人のように、
「あれ、今朝はどんなことを思わされたんだっけ?」
という風になってしまうのではなくて、
その御言葉が一日中自分の心を支配しているような状態。

そのように生かして頂きたいと思います。
今日も、そのように歩ませて頂きたい、
明日もそのように歩ませて頂きたい。
そして月曜日も・・・。

主よ、
御言葉を実行する者とならせてください。
あなたの御言葉に一日中支配されているような、
そのような歩みをさせてください。
あなたの愛が、今夜も、明日も、明日の夜も、
そして、月曜日も、支配し続けますように。

2009-11-06

絶対マイ初霜宣言。

自分でも何をこだわっているのかと思いますが、
今朝もマイ初霜はありませんでした。
朝は2.8度。
ちょっと風もあったので霜もおりませんでした。


霜は風があると降りません。
だから、お茶の産地など、春に遅霜が心配される時には、
巨大扇風機を回して風を送り、霜が降りないようにします。


どうしてか?どうして風が吹くと霜が降りないのか?
今朝みたいな温度だと、風が吹いていないと、地表の熱はどんどん奪われ、
地表あたりの温度だけぐっと下がるので、氷点下になるので霜が降りる。


では、真冬のように空気全体が氷点下の時はどうか?


やっぱり風があると霜はできにくい。
空気中の水蒸気が急激に冷やされて昇華して、氷の結晶を作るのが霜だから、
風があるとそれがなかなかできないんですよね。


そこら辺のメカニズムはちょっとわからなくなっていくので、
余りいい加減なことは書かないようにしておきますが、
とにかく、「風があると霜は降りにくい」です。


で、今夜は冷えて、風も弱まりますから、
明日の朝は、絶対マイ初霜です。


今は10時前ですが、既に1.3度まで下がっています。
もう、明日の朝はマイ初霜に加えて、マイ初氷も確実な勢いです!


昼間は晴れますが、気温は低いでしょう。


でも、日曜日からは暖かくなるみたいですよ。


日本での携帯電話の請求書、
今日インターネットで確認出来ました。
やはりデータ通信は「日割り」なんですね。
ですから、請求金額も半分くらいならば、
それに含まれるデータ通信の許容量も半分くらい。
結局50MBの契約を半月したことになるので、
27MBしか使っていないのに、ちょっとオーバーで、
15ドルくらい超過料金を払うことになりました。


そして、電話は、アメリカにかけるのも、
日本にかけるのも国際電話料金はかからないみたいです。
ただ、ローミング料金は1分$1.69かかるので、
ちりも積もれば・・・で、けっこうな金額になりました。


テキストだとローミングだと1本50セントで、一見そっちの方が安く感じますが、
これも、1会話で4回のやりとり、それがたとえば「OK」だけでも、
1回50セントで、全部で2ドルだとすると、それも決して得ではありませんからね。


さて、11月2日(月)の聖書。
月曜日はヤコブ1:12-18。


「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」12節。

またまた「忍耐」なんですよね。
本当に大切なことだと思う。

そして、本当に自分にとって必要なことだと思う。

堅く立っていく。
主が与えてくださっている試練の中で、
堅く立っていく。

我慢をするのではなくて、
下を向いてじっとしているのではなくて、
主を信頼して忍耐をしていく。

これは強いことなんだ、
これは勇気がいることなんだ、
そう思う。
でも、それと共に、とても楽なことなんだ、
とても、自由なことなんだ、
それも思う。

忍耐が自分の品性の一つになるほどまでに、
そこにこだわっていきたい。

主よ、
あなたのことを信頼します。
信頼して忍耐します。
どうか、あなたの守りの中で生かしてください。

2009-11-05

ここに導かれて。

今日は寒くなりました。
特に夕方ちょっと雨が降って、
その後ぐっと冷えています。
今、10時半で5度。
どんどん下がっているので、
明日の朝こそ、My初霜になりそうです。


明日は晴れますが、寒い一日でしょう。
土曜日も冷えて、暖かくなるのは日曜日。
これから暖かくなったり、冷え込んだりを繰り返して、
今月末には雪が降るようになると思います。
今年の冬は、ズバリ、寒い冬だと思います。


覚悟しておきましょう。


さて、今日は我が家での家庭集会の日。
聖書を読む前に、皆さんがアメリカに来ることになった時のこと、
そして、実際に来てからの歩み、
少しずつ伺いました。


今日の参加者の皆さんは割合、来たかった方々が多かったみたいで、
皆さん積極的な発言が多かったのですが、
私自身も来ることにはためらいもありましたが、
ここにいること、特にこのNJにいることの中に、
神様の特別なお計らいを感じます。


でも、今日は余り出てこなかった、
痛みの部分、「こんなはずじゃなかった」という部分も、
誰にでも必ずあるはず。
でも、それも、すべて主の御手の中で、
「神の御業があらわれるため」だということが、
見えてくるんだ、それがわたしたちの癒しだし、救いだと思います。


私も集会のために聖書を読んで準備しながら、
心にあるこだわりがまた少し溶かされていくのを感じました。


さて、11月1日(日)の聖書。
ヤコブの手紙1:1-11。


「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」2-3節。

信仰が試されると忍耐を生じる。
忍耐が問われる場面がいろいろあると思わされます。

ヘブル人への手紙の10章にも、「あなた方に必要なのは忍耐だ」と言われています。

自分にもどれほど忍耐が必要だろうかと思います。
そのために主は試練に会わせてくださるのだと思います。
そしてもっと祈るようにと招いておられるのだと思います。

私のような人間はものごとがうまく進むと祈らなくなってしまうでしょう。
そして、祈らなくてもものごとが進んでいくように勘違いしてしまうでしょう。
背後にどれほどの祈りが積まれているのかも、気がつかないで・・・。

ですから、試練はやはり必要だし、ありがたいものだと思います。

もちろん、もっと厳しい試練がやってきた時に、
「ありがたいものだ」と言い続けることができるかどうかは、
また別ですが・・・。

「この上もない喜び」とまではなかなか行かなくても、
やはり試練は必要なんだと思います。

それが「この上もない喜び」になりますように。

主よ、
私が試練に出会う時に、
それを「この上もない喜び」と思うことができますように。
あなたが与えてくださるすべてのものを感謝して受け取ることができますように。
もっと厳しい試練がやってきた時にも、同じように、
「感謝します」と言うことができますように。






自立。

元気なので、もう一つ。
先日紹介した「Ministry」第3号から。


記事の中で懐かしい名前を見つけました。
太田和功一さん。
大学の時に、大学を超えたクリスチャンの集まりで
お世話になりました。
個人的にもいろいろお話をするチャンスをもらいました。


今は特に牧師のためにサポートをする働きをされているんですね。
太田和さんのような方がそのような働きをされているのは心強いです。
このような働きの深さを思うと、日本はいいなあと思います。
アメリカはもちろん、もっと進んでいるのでしょうが、
日本語でそのようなケアをしてもらえる場はまずありません。
書きながら、そのようなことの必要を感じている自分が立ち上がることが必要なのか、と思わされています。


とにかく、記事で紹介されている氏の言葉。


「寄りかかる甘えの『依存』ではなく、誰にも頼らない『独立』でもなく、それぞれが自分の責任を負うという意味での『自立』を互いに支え合う、相互依存の関係。」


教会は「キリストのからだ」。


今まで、「自分と神様のとの関係」という言葉のもとに、
信仰があまりに個人主義的になっていたのではないかと思います。
もっともっと心を開いて、支え合う関係が必要なんですよね。
それも、土足で人の心に上がり込むようなのではなくて、
互いの自立を尊重しながらの、信頼関係の中の自己開示の関係。
信頼関係の中で、心の中に「お茶でもどうぞ」と相手を迎える。
そんな関係の深みへと導いて頂きたいです。


さて、10月31日(土)の聖書。
ユダの手紙17-25節。


「 疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。」22-23節。

ある人々を「火の中から救い」
ある人々を「下着さえ忌み嫌う」
でも、どうやってそれを見極めるのでしょうか?

むずかしい・・・。

どちらをしても「これでよかったのだろうか?」と思うのではないだろうか?

ただただ、祈らされました。
見極める目を与えてくださいと。

事なかれ主義に陥ってしまうことがないようにと。

いずれに対しても「憐れみ」という言葉が出てきます。
いつもいつも愛を与えてくださいと。

主よ、
どうか、私に人を見る目を与えてください。
霊を見分ける賜物を与えてください。
そして、愛を持って、憐れみを持って、
人に接することができますように。
事なかれ主義や、逃げの姿勢に入ってしまうことがありませんように。
愛を持って真実を語ることができますように。


やったね!

日付は変わってしまいましたが、
Yankees勝ちましたね!
マツイは今日の活躍で、MVP。
ワールドシリーズの通算打率が6割以上ですから、
すごいですね。
特に昨日までの3試合は代打でしか出番がなくて、
でも、出たらきっちり仕事をする・・・。
たまたま調子がよい時と重なった、
という意地悪な言い方もあるかと思いますが、
でも、自分の役割をしっかりと知っていることの素晴らしさを感じました。


9年前を経験している何人かの選手達も、
初めて経験するたくさんの選手達もみんな嬉しそうでした。


さて、10月30日(金)の聖書。
ユダの手紙1-16でした。


「愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。」2節。

戦うこと。
主の与えてくださった信仰のために戦うこと、
その大切さを思います。

いい顔をしたくなったり、
波風が立つのを恐れたり、
そんなことがどれだけあるかと思います。

でも、戦うべき時に戦う。
大胆に戦う。
はっきりとした態度で戦う。
真剣に戦う。

戦う男達の真剣さを今日も見ましたが、
信仰の戦いを戦う自分たちはもっともっと真剣でなければと思います。

パウロが言ったように、
競技に出る者たちが勝つためにすべてを犠牲にするように、
いや、それ以上に、わたしたちは真剣に戦うのです。

そして、この間の礼拝で話したように、
祈りの中で力を頂いて戦う。

そう、この戦いは自分の力で勝てるようなものではない。
厳しい戦いだからこそ、
主の力を頂いて、戦う。

主よ、
戦わせてください。
そして、勝利を与えてください。
あなたによる勝利を経験させてください。
恐れを取り除き、真剣な愛を与えてください。

2009-11-04

棲んでた。

今日はマツイデーですね。
ここまで3打席で6打点。
明日の家庭集会のためにタマネギ炒めながら、しびれてました。

さて、今朝のMy初霜予告は見事に外れました。
最低気温は2.8度。霜を見ることはできませんでした。


でも、今朝は、朝が1時間遅くなって初めてスカッと晴れたので、
朝6時がここまで明るくなっていると初めて知りました。
薄暮って言うんでしょうか?
ん?「暮」っていうのは夕方?
・・・調べる・・・ですね。


では朝の薄明るくなってくるのは・・・
薄明?・・・あった。
でも、これは日没後にも使うんですね。
黎明?・・・これかな?


6時45分に教会を出る時にはすっかり朝になっています。


今夜はこれから少し雨が降るようですが・・・
どうなるでしょうか?


さて、昨日屋根裏で探した生物ですが、
やはり、リスでした。
今日、また「ガサゴソ」と音がしたので、
すかさず屋根裏に上って懐中電灯で照らしたら、
しっぽが見えました。
昨日、窓から中をのぞいていたリスかどうかは、
しっぽだけではわかりませんが、
昨日の表情からするときっとそうです。


メインの入り口の他にもう一つ、ここがあやしい・・・というところがあるので、
明日、外に出たのところを見計らって、そこもふさいでしまうことにします。


さて、10月29日(木)の聖書。
ピレモン17-25。


「私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。」21節。

「従順」ですね。
これは私もものすごい試されることです。
自分は大人になってから、「従順」に生きたことがあっただろうか、
それを具体的に実行したことがあっただろうかと、
思わされます。

神様に対して、また上の秩序に対して・・・。

神様に対する従順も難しい課題ですが、
人に対する従順は更に難しい課題です。

心から従うこと、
喜んで従うこと、
それを経験すると共に、
その時に与えられる恵みを経験したいです。

主よ、
私のために準備してある従順の訓練に、
正面からぶつかっていくことができますように。
あなたに従い、また権威に従う者でありますように。

2009-11-03

かきごおりのおっちゃん。

今、夜の10時ですが、よく晴れています。
月が冷たい空で凛としています。


外の気温は8.6度。
まだまだ高めですが、この2時間で2度下がりました。
明日の朝は霜の降りる寒さです。


日本で手に入れた雑誌に、
「Ministry」というのがあります。
今年の初め頃に創刊された、
教会のミニストリーのための雑誌です。
キリスト新聞社からだされている、
新鮮な切り口からのこれからの教会を考える記事が多く掲載されています。


ネット上、あちらこちらで話題になっていたので、
是非、創刊号から読んでみたいと思いました。
夫婦ではまっています。


季刊なので、最新号は第3号。
ここには、我らがコバ先生も大きく取り上げられています。
特集は「牧師館からのSOS」。
決して新しい話ではないですが、
燃え尽きてしまう牧師の問題を主に取り扱っているみたいです。
そんな中で、ミーハーな私が最初に読みたいと思ったのが、
売れっ子の精神科医・香山リカさんが編集長と対談している文章。


最近知ったのですが、この方、高校の先輩だったみたいで、
いえ、全く接点はないのですが、
ただ、それだけで、親しみを感じてしまいます。
クリスチャンではないのですが、子供の頃、教会学校に行っていたり、
今でも友人に誘われて、礼拝に出席したり。
そんな立場からの発言、おもしろかったり、つっこみたかったり・・・。


その中の言葉。
「町を歩いている時も、『先生』よりも、『おっちゃん』の方が楽じゃないですか、牧師ではない匿名の人として扱われることって、ある種の解放感を伴うと思うのですが・・・。」


はい、必ずしも「匿名」でなくてもいいのですが、というか、名前はいつも持っていたいのですが、「おっちゃん」になるのは好きです。


最近は余り言われないのですが、
子供が小さい頃は近所の子供たちに、
「ハジんちのおっちゃん」と呼ばれたこともありました。
それがとてもすわりがよくて、気に入っていました。


これからももっともっと「かきごおりのおっちゃん」になっていきたいと思います。


さて、今日2回目の更新。
10月28日(水)の聖書。


久しぶりの新約聖書で、ピレモンへの手紙1-16。


「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。」15節。

神様はそういうこともなさる。
この「彼」つまりオネシモの行為は、
決して正当化されるものではない。

どんなにピレモンを傷つけ、苦しめ、怒らせたことだろうか。
その事実は決して変わらない。

でも、神様はその痛みの中で、
オネシモを悔い改めに導き、
それまでの「主人ー奴隷」という関係よりも、
もっともっと深い「主にある兄弟」という関係へと導かれようとしている。

引き離されることは痛い。
でも、それを通して、もっとよい意味で、
もっと長く、彼と共に歩むことができるようにしてくださった。

神様を信頼したくなる。
主を信頼して、じたばたしなくてよくなる。
主を信頼して、安心して歩める。
この聖書箇所が与えてくれた平安は大きい。

主よ、
あなたの御手の中にあっては、
悪も善に変えられます。
あなたにはそれがおできになるから、
安心して、あなたにゆだねます。
あなたが素晴らしいことをしてくださいますように。

何が棲みついているのか。

今朝は寒かったです。
最低気温は測っていませんが、
3度くらいだったでしょうか?


そして、昼間はまあまあ暖かかったのですが、
午後から風も出てきて、冷えてきました。
今夜は霜が降りると思います。
もうホントの初霜かどうかはわかりませんが、
My初霜になりそうです。


しばらく前から課題になっていたのですが、
家の屋根裏には何かが棲んでいます。
がさごそがさごそ音がします。
どうやら生き物みたいです。


で、今日、屋根裏に上りました。
昼間、たぶん外に出ていたので、もぬけの殻でした。


そして、屋根裏の壁に動物の入れそうな穴を発見。
周りには動物の毛が落ちているし、
周りを壊したような跡もあるし、
怪しい。
それで、とりあえずパテで穴を埋めて様子を見ることに・・・。


その後、ガサゴソ言わなくなってので、
どうやら作戦は成功だったようだ。
その後、鍵のかかったデッキの窓には、恨めしそうに家の中をのぞくリスの姿が。


・・・きっと犯人はコイツだと思う。


網戸に手を掛けたまま、こっちを見ています。
目が訴えているんですよね。
「僕の入り口、なくなちゃったんだよね・・・ここから入っちゃダメ?」って。
思わず、「いいよ、入りなよ」と言いたくなってしまいました。


でも、ここはぐっと心を鬼にして、
「君は新しい道を自分で切り開いて行かなきゃダメだよ」と
励まして送り出してあげました。


これでよかったんですよね・・・。きっと。


でも、ここら辺はもう、住宅地なんですが、
いろんな動物がいます。
前の牧師館には、
アライグマが棲みつきました。
ここでも、オポッサムやスカンクがわなにかかったことがあります。
野菜を荒らすグランドホッグは何匹捕まえたことか・・・。


鹿は何度か見ましたし、
熊が迷い込んできてニュースになったこともあります。


元々彼らの棲んでいたところに、
わたしたちが間借りしているんですよね。
謙虚でありたいと思います。


さて、10月27日(火)の聖書。
エレミヤ25:30-38。


「聞け。牧者たちの叫び、群れのあるじたちの泣き声を。」36節。

聖書全体から見ると、
やはりこの聖書の箇所は、
「イエスがおられなかったら、当然私にも与えられる裁き」を語っている。
本来、自分はこのように裁かれてもおかしくなかった。

こういう聖書箇所を読むとつらくなります。
どうして、こんなことが・・・と。
でも、本当はわたしたちはこの裁きを受けても何の文句も言えなかったはず。
いつの間にか、自分がこんな目に遭うはずがないと、
そこまで悪くないと、勝手に思い込んでいるのかもしれません。

いつの間にか、イエスを十字架から引き下ろし、
自分が神に認められる者だと、傲慢になっているのかもしれません。

主の憐れみをもう一度覚えたいと思います。

主よ、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
もう一度教えてくださってありがとうございます。
あなたの恵みの中に生きる者でありますように。
恵みに感謝して生きる者でありますように。

2009-11-02

ここにも目を留められる主。

今日は休みの日だから、ちょっとは追いつけるかと思いましたが、
なんだかんだで、結局1日分。


今朝も、雲があったせいか、それほど冷え込まず、
7度くらいでした。
今夜は今10時半ですが、6.2度。
たぶん、明日の朝は今朝よりは冷えると思います。


そして、明日は曇りがちですが、
夜には晴れて冷え込んでくるようです。


書いている最中に、
ハジから電話。
「マフラー送って」だって。
アトランタがもっと暖かいと思っていたらしい。
あんなに言ったのに・・・。


そして、12月の帰省の相談。
あと1ヶ月半。もう半分以上来たんですね。
飛行機の予定を見ていたのですが、
どうしても「ニューアーク発」を探してしまいます。(笑)
素直に楽しみにしています。


さて、今日はすぐに聖書。
先週の月曜日、10月26日は、
エレミヤ25:15-29でした。


「主が私を遣わされたすべての国々・・・」17節。

この聖書の言葉は「すべての国々へのさばき」。
神様が全世界を治める主であることを覚えます。

私も主の支配の下に置かれていること、
今も、主は私にも目を留めておかれていることを、
畏れと共に喜びをもって、受け取らされます。

この大きな世界の中で、
この大きな宇宙の中で、私にも目を留めておられること、
本当に感謝します。

でも、襟を正させられるような気持ちもあります。
主の前に真実に歩むことができますように。

主よ、
あなたが私にも目を留めていてくださることに、
心から感謝します。
あなたがいてくださるから、
あなたが気にしていてくださるからありがとうございます。
私もあなたを忘れることがないように、守ってください。

2009-11-01

その1時間を・・・

今朝はそれほど冷え込みませんでしたが、
夕方からはだんだん寒くなってきました。
今は夜の10時ですが、6.6度まで下がっています。


明日からはだんだん晩秋らしい雰囲気になってくるでしょう。
今日からは夕方が暗いですからね。


昨日、更新をした後、「さあ休もう」と思ったのですが、
それと同時に「今夜は1時間長いんだよねえ」と思いながら、ベッドに入りました。


でも、正直なところ、
日曜日のメッセージのために何だか祈り足りないような気持ちがしていました。
それも、メッセージの結論は「イエスは祈りによって支えられていたのだ」という話。
その時、「その1時間を私と共に過ごさないか?」「その1時間を私にくれ」と神様に招かれたような気持ちがしました。
ちょうど、昨日の午前中、弟子訓練で兄弟達と「祈り」について語り合っていました。
その中で、「祈りは神の御手を動かすか?」という問いがありました。
私の答えは、「動かす」。
そのことを思い出しながら、
もしも、そのように信じているのなら、どうしてもっと祈らない?
もしも、私が祈ることによって、礼拝がもっと祝福されるなら、
礼拝で一人一人が更に豊かに取り扱われるならば、
祈りのリバイバルが起こるならば、
どうして、もっともっと主に求めない?と迫られたのです。


そして、悔い改めて、しばし、祈りの時を持ちました。
礼拝の祝福を祈りながら、
一人一人が礼拝に導かれることを祈りながら。


幸いな、楽しい、エキサイティングな一時でした。


さて、10月25日(日)の聖書。
エレミヤ25:1-14。


「わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて・・・」9節。

バビロンの王も神の僕。
神を信じる者ではないと思うのですが、
それでも、本人は気がついていないとしても、
神の支配の中にある。

すべてのことが神の支配の中にあることを、
もう一度思い出させられました。

そうなんだなあと、
主の御手の中にあるんだなあと。
だから、信頼して歩んでいこうと思います。
主のなさる最善のことを信頼して歩んでいこうと思います。

この一週間も神様が素晴らしいことをしてくださる、
主が素晴らしいことを与えてくださる、
それを信頼して、進んでいこうと思いました。

神様、
あなたのなさる、素晴らしいことを信頼して歩んでいきます。
すべてがあなたのみ許しなしにはあり得ないことを、
あなたの御手の中にあることを信頼します。
不安や恐れに支配されることがありませんように。

2009-10-31

神様のTreat

今日は本当になま暖かい天気でした。
そして、時々雨となりました。
風も強く、木々がどんどん葉っぱを落としていきます。


明日は雨も上がり、気温も今日よりは落ち着きそうです。
でも、火曜日くらいまでは暖かめの日が続きそうです。
助かります。


今夜は年に1回の1時間長い夜。
助かります。
調子に乗って夜更かししたら元も子もないのですが、
明日の朝が1時間遅いのは本当に嬉しいです。
毎日が25時間だったらいいのになあ・・・。


さて、今日は、Treat & Treat Party。
ハローウィンは元々、
「聖人の日」である11月1日の前の夜に、
次の日はおとなしくしていないといけない悪霊どもが、
最後の夜に大騒ぎをする、みたいな感覚の日。


なので、教会では時々、その代わりになる、
安心して楽しめるプログラムを考えます。


今年は、土曜日に練習のあるJOYJOYシンガーズの父兄の有志が発案。
私も準備の1週間日本にいたので、
完全お任せモードで楽しませて頂きました。


急に決まった企画だったこともあり、
決していつものJOYJOYプログラムと比べても、
参加者は多くなかったのですが、
楽しい集まりでした。


でも、trick or treatという決まり文句をもじった
このネーミングいいですね。


神様はいつもいつもわたしたちを豊かにTreatしてくださる!


さて、相変わらず1週間遅れですが、
先週土曜日、10月24日の聖書。
エレミヤ24:1-10。


「わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。」6節。

バビロンに連れて行かれたイスラエルの人々。
それは本当に屈辱的であり、
また悲しいことであっただろう。
きついことであり、
神に見捨てられた、と感じたことがどれだけあっただろうか?

しかし、神は見捨てられていなかった。
いや、かえってバビロンに連れて行かれた者たちこそが
守られ、支えられ、その後に回復を与えられたのだ。

回復の約束が与えられている。

自分が経験する試練、痛み、困難、
このイスラエルの人々が経験した困難に比べると、
どれほど小さいかと思う。
でも、同じように、「どうして・・・」と思う。

主を信頼することを教えて頂きたい。
主を信頼して、回復を与えてくださることを、信頼して、
歩んでいこう。

主よ、
どうか、私が困難や試練の中でも、
あなたを信頼して歩むことができますように。
あなたの意図を信頼して、お任せして歩むことができますように。

2009-10-30

忠実であること。

今日はまあまあのいい天気でした。
10月の末ですから、寒くても全然文句は言えないのですが、
ちょっとジャケットを羽織れば大丈夫な、天気。


でも、これも後数日のようです。
明日は南風が入って暖かなにわか雨。


そして、来週の後半からはぐっと冷え込みそうです。


ここは「お金に糸目はつけない!」という人には関係ないのですし、
「だいたい、そんなのは使わない」という方にも関係ないのですが、
検索しても、完全に同じようなケースは少なかったし、
私も経験しないとわからないこともあったので、
自分の備忘録を兼ねて記録。
「関係ない!」と思う人は黒い字までスキップ。


さて、今回、1週間という短い滞在、そして、滞在先でEmailがどれほど見れるか、わからない状態だったので、AT&Tで契約している米国のiPhoneを日本で使ってみることにしてみました。


そうです。これは、アメリカで契約しても日本で使える便利なものなのです。
日本の電話番号にも、アメリカの電話番号にも国際電話であることを意識しないで電話することができます。(011)とか使わなくていいのです。
それにデータ通信もできますから、メールもネットもし放題です。
道に迷っても地図で自分の居場所がわかりますし、電車で行く時も、どこで乗り換えて、何時に着くか、簡単に調べられます。すごい、便利です。
でも、そこには恐ろしい落とし穴があります。


日本語でも「iPhone 高額請求」でググれば、たくさ~んヒットするのですが、
英語でも、このような記事があります。あとこちらは画像付き


そう、海外で使えるので、「便利、便利」と丸腰で使うと、あっとゆうまに何十万円(何千ドル)の請求書が来ることになります。交渉次第では減額してもらえることもあるようですが、それでもかなりの出費になります。


もちろん、電話でも長電話をしたらアウトです。
丸腰だと1分2ドル以上、少し安くなるサービス(有料)をお願いしても1分1ドル70セント取られます。
でも、そんなのはまだ序の口。


1時間話しても100ドル台です。


何千ドルにもなってしまうのは、データ通信をしてしまうから。
アメリカでは30ドル払ってデータ通信し放題。
そんな中で生活していますから、海外でも、同じノリで使ってしまう方がおられるんでしょうね。
地図を見ても、メールを読んでも、かな~りの量のデータ通信をします。
メールも文字だけならいいですが、
いろんな図が入っているメールとか、
また、ビデオ見たり、音楽をダウンロードなんかしたら、
大変なことです。


ですから、何千ドルだろうが、何万ドルだろうが、そんなの全然OK!というあなたは別として、
基本的に、海外に行く時には「データローミング」はオフ。
電話も受けない、住所録だけという時には「フライトモード」が基本で、
Wifiだけは使いたいなあという場合はWifiだけをオンにします。
(今年の3月の日本訪問の際はそのようにしました)
どうしても電話を使う時だけ、フライトモードをオフにすることになります。


でも、今回は、もうちょっと積極的に使おうと思っていたので、
電話のローミングが安くなるプランに入り、
またデータローミングのプランも検討しました。


4つのプランがあります。




  • $24.99/month: 20 MB 
  • $59.99/month: 50 MB 
  • $119.99/month: 100 MB 
  • $199.99/month: 200 MB 


それで、いろいろ自分の使い方を検討して、メールの受け取りは「手動」(これは絶対)、メールも「画像オフ」になるようにして、ちょっと高いと思いましたが、1週間で50MBあれば、あまり神経質にならないで使えるかな、と思い、それで契約をしました。


しかし、契約をしてわかったのは、契約は「月割り」ではなくて、「日割り」だったのです。
19日に契約をしたのですが、月の半ばだったので、金額も約半分ならば、データが使えるのも約半分。23MBしか使えません。23MBを超える分はもちろん、ものすごく高くなりますから、気軽には使えなくなります。帰ってきて、すぐに解約したら、また「日割り」になって、もっと少なくなってしまうでしょうね。ですから、今月の締めの日(11月5日くらいだったかな)までは、解約しないで待っています。でも、また締めの日にかちっと解約しないと来月分がまた請求されてしまう・・・ということなんだと思います。こんなことになるのだったら、もう一つ上の契約で、19日出発直前契約~27日帰国後即解約にしておくんだった・・・


でも、ホントにどんなことになっているかは請求書を見てみないと・・・です。来たら報告します。「え~!?」ということになっていなければいいのですが・・・。


あ、くれぐれも、すべては自己責任と言うことで・・・「あなたのブログを見て、こういう契約をしたけど、こんだけ請求された。コレはあなたのせいだ」みたいな話はなしにして下さい。念のため。



さて、先週金曜日、10月23日の聖書。
エレミヤ23:23-40。


「夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。」28節。


神様の言葉を忠実に語る。
主が導かれたように、主が語られたように語る。


派手に語りたいという誘惑もあるだろう。
反対に、人々の顔色が怖くて、はっきりと語れない時もあるだろう。
だから、だからこそ、忠実さが問われているんだと思う。
何の誘惑も、何の恐れもないような状況の中では、
忠実さなんて、そんな問題にもならない。


でも、わたしたちの歩みの中で、
いや、わたしたちと言うよりも、私自身の歩みの中で、
どれだけ誘惑があり、
どれだけ恐れるような場面があるか、
性格的に、何の誘惑にも揺るがない、
何の恐れも感じない者だったら、
「忠実さ」なんてのは、当然のことだっただろう。


でも、そこに闘いを感じる者だから、
そこに闘いを感じる状況だから、
「忠実さ」が問われているのだと思う。


ここ一番の御言葉に対する忠実さ、
持ちなさい、と言われているように感じました。


主よ、
あなたの御言葉に忠実な者とならせて下さい。
あなたが語られたことを勇気をもって誠実に語らせて下さい。
恐れを感じる時にこそ、誘惑を感じる時にこそ、
「忠実」という言葉を思い出させて下さい。





    2009-10-29

    政治ってのは難しいんだろうなあ。


    今日はいい天気になりました。
    やっぱり太陽の光は嬉しいものです。


    そういえば、今度の日曜日にDaylight Saving Timeが終わります。
    1時間時計を戻します。
    つまり、今の7時が、日曜日からの6時。
    夕方が暗くなるのが早いですが、
    朝が明るくなるのは嬉しいです。


    明日も晴れて気持ちのいい天気になりそうです。


    昨日はマンハッタンの日米合同教会の地下で持たれている
    原爆展を見に行きました。
    このようなものをNJの教会でもできればいいのですが、
    さすがに借りている教会では難しいだろうなあと思います。


    主にその悲惨さをアピールするものだったのですが、
    いろいろな記述の中には、
    アメリカの立場も書かれていました。


    つまり、
    開発の段階・・・研究で先を進んでいたナチス・ドイツの手で開発される前に。
    使用の段階・・・戦後の日本にソ連の影響力が及ぶようになる前に。
    やむを得ない決断だったのだ・・・


    ということがあったようです。
    また、「沖縄戦に決着がついた段階でもポツダム宣言を受諾しない日本に対して、原爆を用いないと日本本土での地上戦に進み、日米双方に大きな犠牲を産むことになりかねない」という懸念もあったというのもよく聞きます。沖縄戦の悲惨さを考えると、それもあながち杞憂ではなかったのでは・・・と思わされます。


    政治家は本当に難しい判断を迫られる場面があるんだと思います。
    単なるPopulismではどうにもならない、
    嫌われようが、非難されようが、決断しなければならない時がある。


    でも、その一方で、その政治的な決断の狭間で、
    何十万人の人が、今の自分たちと本質的には余り変わらない生活をしていた、
    もちろん「アメリカが攻めてきたら竹槍で応戦する」と息巻いていた人々もいたでしょうが、それは、また日本の政治家達にそのように教えられてきたわけで、本質的にはわたしたちと変わらないそんな人々があっという間に命を落とした、そのことの大きさにも心が痛みます。


    でも、ここの国に住んでいると、
    あまりに知らされていなさすぎる。


    ちょうど、日本で、日本軍がどれほどのことをアジアの国々の人々にしてきたかということが余り知られていないように、ここでも、同じことが起こっているように思います。数年前に最後に家族で日本に行った時には子供たちもみんな連れて、広島に行って来ました。アメリカで子育てをしているからこそ、どうしても彼らを連れて行かなければいけないと思ったのです。


    別に日本で生まれ育った私には原爆故にアメリカを恨んだりすることは考えられません。戦争の悲惨さは感じますが、「どうしてこんな兵器を使ったんだ」と怒りを感じたことはありません。反対に、ここまでアメリカの国がやらなければならないほど、日本は愚かだったのか、という風に感じることが多かったです。(そういう感じ方が正しいのかどうかはわかりませんが・・・)


    だから、価値判断は別として、誰に責任が・・・みたいな話は別として、とにかく、どんなことがその原爆が落とされたところでは起こったのか、知って欲しいと思います。


    世界が小さくなったこの時代、もっともっといろいろな情報が、スムーズに流れたらいいのに、もっと規模の大きな展示ができればいいのに・・・あまりにも来訪する人々が少ない(私がそこにいた30分くらいの間に他に一人の日本の方が来られただけでした)会場でそんなことを思わされました。


    11月8日まで。
    1:00-5:00pm
    但し火曜日は休み。
    だそうです。


    でも、それでは余りに来れる人が限られているのでは、
    という話で、もう少し夕方の時間が延びるかもしれません。


    長くなりましたが、10月22日(木)の聖書。
    エレミヤ23:9-22でした。


    「もし彼らがわたしの会議に連なったのなら、彼らはわたしの民にわたしのことばを聞かせ、民をその悪の道から、その悪い行いから立ち返らせたであろうに。」22節。

    趙先生も礼拝メッセージの中で言われていましたが、
    わたしたちが神様との会議に出席することの大切さ、
    つまり、祈りの生活の大切さを思わされました。

    人間同士の会議は延々とするわたしたち。
    でも、主との会議は「起きられなかった」「眠くなった」「そんな気にならなかった」「忙しかった」といとも簡単にキャンセルしてしまうことがどれほど多いことでしょうか?

    でも、人間同士の会議をちょっと休んででも、
    神様の会議に出席しなければならないことがどれほどあるかと思います。

    主の前に、人間同士の会議を持ち出さなければいけないと思います。
    主の会議の素晴らしさを知ることができますように。

    主よ、
    あなたとの会議を何度も何度もすっぽかしてごめんなさい。
    どうか、あなたとの会議で決めなければならないこと、
    そこで決めることができますように。
    あなたのみ思いを知ることができますように。

    2009-10-28

    銀杏。

    今日は一日雨でしたねえ。
    夕方止んだのですが、また夜に降ってきました。
    でも、明日は大丈夫でしょう。
    たぶんいい天気になると思います。


    今日はNYの日だったので、
    朝から夜までNYに出ていました。
    PCを持ち歩くのはちょっとしんどいので、
    今日はPCなし・・・。
    で、更新が遅くなりました。


    今週から来週いっぱいのNYでの原爆展、行ってきたのですが、
    また明日にでもゆっくり書きます。


    今日の午後は、珍しいことなのですが、
    Brooklynに用事があって行ってきました。
    そして、駅までの帰り道、
    雨の中で、持っていたものをうっかり落として、
    ついでにそれを自分で踏んづけるという、
    ありがちな、「踏んだり蹴ったり」のへまをやらかしたところが、
    なんと、アメリカでは滅多に出会わない、銀杏の木の下。
    折しも秋10月末、芳香を放つ銀杏の実が落ちているところ。
    思いっきり臭くなりました。


    「泣き面に蜂」というか、「弱り目に祟り目」というか、
    広いNYで、確率的にあり得ないだろう・・・みたいなことがあるんですよねえ。


    雨の日+銀杏+手に持っているものを落とす+自分でそれを踏む
    なんて、すごいですよね。
    でも、思いっきり飛躍しますが、
    だいたい、自分の存在自体が、ものすごい低い確率なのに、
    ここに存在していることがすごい。
    両親が出会う確率。
    そして、両親の中にある二つの自分の元になる遺伝子が合体する確率。
    「金八先生」みたいですが、
    本当に特別な特別な者として、ここにいることに、心から感謝します。


    でも・・・これで、たとえば車で来ていたら、
    銀杏の実を拾って帰って、
    「ただでは転ばない」という根性を見せたかったのですが、
    さすがに、銀杏拾ってNYの地下鉄に乗る勇気もございませんで。


    でも、いいことを知りました。
    今度行く時は是非、車で、それもビニール袋持参で参りましょう。


    さて、昨日うっかりとばした先週の火曜日、20日の聖書。
    20日はエレミヤ22:20-30。


    「あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。」21節。

    すべてが順調に思えたころ、
    神に聞くことが少なかった。
    今ほど真剣に聞いてはいなかったように思う。

    問題が起こって、初めて、神様の声を必死で聞く。
    困った時の神頼みは、決して、クリスチャンも無縁ではない。

    苦しみにあったことは、私にとってとてもよいことでした。
    そのように詩篇の119篇を歌った人は言っています。
    本当にそうだなあと思います。

    苦しみがなかったら、
    こんなに人生に対して真剣だっただろうか?
    神様に対して真剣だっただろうか?
    周りの人に対して真剣だっただろうか?

    だから、これから襲ってくるだろう、もっとシビアな、
    もっと重大な苦しみに対しても、
    同じように言える者でありたい。

    そして、平安がある時にも、
    いつもいつも主に聞いて歩んでいく者でありたい。

    主よ、
    あなたの試練に感謝します。
    あなたが与えてくださる苦しみの故に、
    私はあなたに対して、
    人生に対して、
    周りの人に対して、
    真剣に歩めるのだと思います。
    どうか、いつもいつもあなたの声を聞いて歩む者でありますように。

    2009-10-27

    縁もゆかりも・・・。

    台風一過の青空の東京を後にして、
    雨のNJに帰ってきました。
    明日も一日雨のようです。
    最高気温も10度止まり。
    寒いくらいの一日になりそうです。


    今回、燃料費が加算されるタイミングの問題で、
    ものすごい久しぶりにJALを使いました。
    よかったですよ。
    Landingも見事でしたし、
    サービスも気持ちよかったですし・・・。


    そして、機内映画、今は一人一人
    タイミングを自分で決めてみることができるのですが、
    日本語での選択の幅が広いですね。
    行きは眠れなくて、何本も見てしまいました。


    その中で、やばかったのが、
    「ALWAYS・三丁目の夕日」。
    飛行機の中にもかかわらず、
    危なく嗚咽を漏らしそうになりました。


    いえ、私が知っている東京よりも10年以上古いんで、
    「ああ、そうだったよねえ」みたいなのは、
    都電くらい(自分の頃は20円だったと思う)です。
    「テレビが来る」と大騒ぎしたこともないですし、
    ナマの力道山も知りません。
    SLが走っていたのはもう地方だけだったような・・・。


    でも、DR. コトーでおなじみの吉岡君の
    「縁もゆかりも・・・」のセリフにはぐっと来ました。
    「やばい、制作者のねらいにはまっている・・・」と思いながら、
    声が出るのを押さえるのに必死でした。


    主がわたしたちを愛してくださっていること、
    受け入れてくださっていること、
    それはどれほど大きなことなのかと思います。
    わたしたちは神様に造られ、生かされているのですから。


    今度「続」も見なきゃ、です。


    さて、先週火曜日、21日の聖書。
    エレミヤ23:1-8。


    「しかし、わたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての国から集め、もとの牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んでふえよう。わたしは彼らの上に牧者たちを立て、彼らを牧させる。彼らは二度と恐れることなく、おののくことなく、失われることもない。」3-4節。

    主の与えてくださる回復。
    それは恐れることもない、おののくこともない、失われることもない回復。
    主の守りの中に入れられて、
    支えられ、生かされる回復。
    それが与えられていること、
    約束されていることがどれほど幸いなことかと思う。

    確かに、自分はこれが与えられていると思う。
    そのように言うことができる。
    主が支えてくださっているから、生きていける、歩んでいける。
    いろいろな悩みや痛みの中でも、
    立っていくことができる。
    その幸いにもっともっと生きていこうと思う。

    主よ、
    あなたがいてくださるから、
    あなたが守ってくださるから、
    あなたが支えてくださるから、
    ありがとうございます。
    そこに立っていくことができますように。
    これからもずっと立っていくことができますように。


    それを証していく者でありますように。

    2009-10-26

    台風一過。

    昨日は台風が南海上を通ったので、一日雨でしたが、今日はすかっと晴れ
    ていい天気になりました。

    あと一時間ほどで、飛行機です。

    今回は、本当にあっという間の一週間でした。

    守ってくださった主に感謝。

    かきごおり

    2009-10-25

    人を愛することと神を愛すること。

    いつから通常の更新に戻れるかわかりませんが、
    とりあえず、少しずつ追いかけていこうと思います。

    土曜日の夜から昨日の昼頃までは雨。
    そして、今日も雨です。
    南海上を台風20号が駆け抜けていきますので、
    時々、雨脚が強くなると思います。


    NJも戻る火曜日は雨みたいですね。
    そして、翌水曜日は一日NYですが、その日の予報も雨。
    一週間守られた分だけ、雨が着いてきそうです。


    さて、先週月曜日、19日の聖書。
    エレミヤ書22:10-19。


    「彼はしいたげられた人、貧しい人の訴えをさばき、そのとき、彼は幸福だった。それが、わたしを知ることではなかったのか。」16節。

    人を愛すること、
    声を挙げられない人の叫びを聞くこと、
    それが神を知ることなのだとエレミヤは言うのです。

    わたしたちは神を愛することと人を愛することを、
    対立的に受け止めることがあります。
    もちろん、人ばかりに目がいって、神様が見えなくなってしまう危険はあるでしょう。
    昨日のメッセージのように、
    人と話し合うことばかりに時間と精力を使って、
    神様と語り合うことをおろそかにしてはいけないと思います。

    しかし、ここでは、人を愛することが神を知ることなのだと言われるのです。

    やはり人のいないところでは神を知ることはできない、
    人との関係を大切にしない中で、神様を経験することはできない。

    もっともっと人を愛し、人と関わることを大切にしたいと思いました。

    主よ、
    人を大切にする者でありますように。
    人に仕える者となれますように。
    その中であなたとの関係がもっともっと豊かにされますように。

    今日の礼拝から。

    「人との会議を大切にして、神との会議(祈りの一時)をキャンセルしていないか?」(趙南洙師)

    無事終了。

    皆さんのお祈りに感謝します。
    5日間のセミナーを終えてほっと一息です。

    主がここに導いてくださったことを思わされます。

    特に、今日の礼拝後、ひとりの方とお茶を飲みながら、
    お話ししたこと、伺ったお証し、
    伝道者としての歩みにものすごいインパクトを与えるものでした。

    NJに戻るのが本当に楽しみです。

    2009-10-24