2007-06-24

神が我がとりで

日付が変わってしまいました。
今朝、6時に家を出た時には11度。
どこが夏なんだかわかりません。
でも昼間はそこそこさわやかな晴天、という感じでした。

明日はもう一歩夏らしくなると思います。

来週は30度を超える日も何日かあるようです。
やはり夏はそうじゃなきゃ。

さて、もう遅いので早速聖書。
今朝は、詩篇の91篇を読みました。

「私は主に申し上げよう。 『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神』と。」
2節の言葉です。

私は今朝はこの言葉をこのまま何度も自分の祈りとしてささげました。
主を信頼しようと。
主が御業をなされるのを信頼していこうと。

今朝も、とにかく、私自身が満たされて、
主を本気で信頼できるようにと祈らされました。
他の誰かではなく、
誰よりも自分自身が信仰者として、
本当に主を信頼することを、
経験させて頂きたいと祈りました。

主よ、
あなたはわたしの避け所です。
私の盾です。
私の砦です。
私はあなたを信頼します。
あなたが御業をなしてくださることを信頼します。
自分でがたがたすることではなくて、
あなたが御業を進めてくださることを、
本気で信頼していきます。
安心してついて行きます。
どうか、「確かに、大丈夫だ」という経験を次々と与えてください。

2007-06-22

朝にあなたの恵みを

今日はスカッと晴れてさわやかな一日でした
とても気持ちよかったです。
でも夜になって、冷え込んできました。
今、夜の11時で17度まで下がっています。
明日の朝は10度くらいまで下がるみたいです。
明日、もう一日涼しいようです。


今年は野菜ネタが少ない、との指摘がありました。
確かに、今年はそれほど気合いは入っていません。
それに去年よりも春が遅かったせいか、
成長もゆっくりです。

たとえばナス
まだ、3センチくらいの苗が3つ。




インゲンは一番成長がいいです。
「つるなしインゲン」の方はどんどん花が咲いています。


つるありの方はつるがどんどん伸びています。



よく見ると、真ん中下の方に、インゲンの赤ちゃんができてきています。



そして、本命は今年もキュウリ。
ばっちりネットで囲って、グランドホッグの襲撃に備えています。

少しずつ雌花が着いています。

インゲンもキュウリもあと1-2週間で収穫が始まると思います。
楽しみ楽しみ。


今日の聖書。
今日は詩篇の90篇を読みました。

「どうか、朝には、あなたの恵みで  私たちを満ち足らせ、  
私たちのすべての日に、喜び歌い、  楽しむようにしてください。」
14節の言葉です。

今日も、朝祈りながら、「まず、自分自身が満たされること」を求めていました。
他の誰かではなくて、
とにかく自分が満たされて、
神さまの愛と恵みに満たされて、
歩み始めること、
それが大切であることを思わされています。

みんなで並んで横一列で、
「いっせいのーせっ」で満たされることを求めるのではなくて、
とにかく、自分一人でも、
とにかく主の前に出て、力をいただいて、
恵みをいただいて満たされたいと思いました。

主よ、
今朝も、あなたが触れてくださったこと、
あなたを求めて祈ることができたこと、
あなたから力をいただいて歩み始めることができたことを感謝します。
どうか、私からreviveしてください。
燃やしてください。

満たされて歩むことができますように。

2007-06-21

いつまでですか

今日は夏至。
こちらでは「夏の始まり」です。
5歳の娘が、「今日からsummerだね」としきりに言っていましたが、
考えてみれば、これからだんだん日が短くなっていくんですね。
ちょっとさびしい感じもします。

今日はさわやかな一日かと思ったら、
夕方、6時頃に一雨。
そしてまた夜の8時半頃に一雨。

ちょっとまとまった雨になりました。
庭の水やりをしなくてすむのは、助かりますね。

今夜からまた冷え込んで、
明日から日曜日くらいはカラッとした、涼しい日が続くようです。
夏がちょっとお預けのようです。

今日はキッズクラブに20人くらいのお友達が来てくれました。
でも、その中の5人はこの夏にお引っ越し。
今日が最後のキッズクラブ。

今月は聖書の「入り口」の話ではなくて、
本当に大切な「悔い改め」「十字架」の話をしています。
もしかしたら、これが数少ない聖書に触れるチャンスだったとするならば、
「入り口」の話よりも、
本当に伝えたい本質的な話をしたい、
そんな気持ちが最近強くされています。

ここにいると、お別れはもうつきものなのですが、
慣れるものではありません。これは。
それぞれのところで、またすばらしい神さまとの出会いがありますように。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の89篇でした。
「いつまでですか。主よ。」
46節の言葉です。

「いつまで」と言っていた人々の目には、
とても長い長い時間だっただろうと思う。

でも、今の時代に生きる私から見ると、
主は答えて、解放してくださったではないか、と感じる。

今私が「いつまでですか主よ」と聞くような問題でも、
後の時代から見るならば、「聞かれたじゃないですか」と見えるんだろうと思わされました。
だから、自分の近視眼的な見方に縛られないことの大切さを思わされました。

自分の目には、「とてつもない長い間忍耐した」と思うかも知れない。
「あまりにトンネルの出口が見えないので、つらい」ということもあるだろう。
でも、主の目で見たら、
神さまのご計画の大きさの中で見たら、
あまりに小さいこと、あまりに一時的なことに捕らわれているのかも知れません。

本当に大きな視野を持って歩んでいきたいと思います。

主よ、
私の近視眼的な目を開いて、
あなたがこの世界を見ておられる見方を、
教えてください。
時間という枠に縛られて、見えないことを、
信仰の目で見ることができますように。

大きな大きなあなたのご計画を信頼して、
歩んでいくことができますように。

今日最後で引っ越していく子供たちの心に、
今日のお話が残って、
悔い改めてイエスさまを信じる子供たちが起されますように。

2007-06-20

友さえも・・・

午前中はちょっと雨。
そして午後からは晴れてからっとしてきました。
こんな夜は冷え込みます。
窓を開けたまま寝て、
お風邪など召しませんように。
今は11時前で、まだ20度あります。

でも、明朝は12度くらいまで下がるでしょう。

明日は今日よりちょっと暑くなって28度くらい。

先週書いた、Dellのコンピューターのゴムの足の話。

今日になって、Invoiceというものが来ました。
ゴムを20個送ってきて、
代金が何と$235.18。
「請求書」?「納品書」?
請求書はbill?
いずれにせよ、金額にびっくり。
あわてて連絡を取りました。
今一番安いノートブックコンピューターが400ドルくらいで買えるのに、
ゴムだけで235ドル?

結局「disregard(無視)していいよ」という話だったのですが、
だったら、最初から送らないで欲しいですねえ。
せっかく先週はいいサポート態勢だなあ、と喜んだのですが、
あわてさせられたこと、時間をとられたことにちょっと不満。
ちょっとしたことの大切さをもう一度感じました。

今日の聖書。
今日は詩篇の88篇でした。
「あなたは私から愛する者や友を 遠ざけてしまわれました。」18節。

信仰の自立、ということを考えさせられました。
神さまは信仰の友を与えてくださって、
私たちは信徒の交わりの中に生かされていることを感じます。
でも、また、しばしば、私たちの信仰が真に自立したものとなるために、
その友との関係を見直す時を与えられるのだと思います。

人をあてにして、人を頼っていく時に、
そうじゃない、私を頼るのだと、主が語られることがあるのだと思います。

信仰的に自立した者同士の励まし合い、
つまり、主との関係がしっかりとできた者同士の励まし合いが
主が与えようとしておられるものなのだと思います。

今日も、本当にあなたを頼りにすることを教えてください、と祈りました。

主よ、
あなたを見上げます。
あなたが友を取り上げようとなさる時に、
それは必ず何かの意味があることを感じます。
どうか、あなたとの関係の中に生き、
人との関係の中で本当の自立を得ることができますように。
もっともっと祈ることを教えてください。
もっともっと熱く祈る者としてください。

2007-06-19

泉を持つ者

今日は蒸し暑かったです。
33度くらいまで上がりました。
そして、夜になってから、雷雨です。
でも、なかなか温度は下がりません。
レーダーを見ても、
まだまだ雨雲が西の方まで広がっています。

つまり、雨が上がってDryな空気が入ってくるのは、
明日の朝ということでしょう。

明日からは今日までに比べるとぐっと涼しくなります。
助かります。

今日、オケの2回目の練習。
トロンボーンの首席奏者の方も来て、
よかったよかった、と思ったのもつかの間、
終わった後、何ともう一人の人(70代かなあいうおじいさん)が、
当日来れないとのこと・・・。

え、二人?

ますます、いい楽器がレンタルでもいいから、欲しくなりました(^^)/

本番は7月2日(月)午後7時半。
ParamusのPublic Libraryの裏の野外音楽堂。

この日は懐かしいポップス系の曲。
Beatlesとか、Carpentersとか、Billy Joelとか、S & Gとか、
あとアメリカの有名な曲。

雨が降ったら3日。

そして、次に7月17日がクラッシックの名曲の日。
場所は同じだけど、雨が降ったらどこか屋内に変更だそうです。

是非、みなさん、冷やかしに来てください。

本番まで後練習3回!?足りない・・・きっと。

さてさて、
今日は詩篇の87篇を読みました。
「 踊りながら歌う者は、 『私の泉はことごとく、あなたにある』と言おう。」
7節の言葉です。

これは神さまに対する言葉ではなく、
エルサレムに対する言葉です。

そう、神さま御自身が泉であってくださるだけではなくて、
神さまの祝福を受ける者は泉を持つのだというのです。

自分のことを考えました。
自分は自分の家に泉を持っているだろうかと。
私の存在を誰かが泉としているだろうかと。
自分が誰かの泉となっているだろうかと。

本当に主に泉を与えて欲しいと、
私自身を満たして欲しいと、
私を輝かせて欲しいと祈りました。

教会で祈り始めてちょうど2週間。
自分の中で何かが動き始めていることを感じます。
それと共に、これはいつもいつも神さまから命の供給をいただき続けないといけないことを、
感じさせられます。

主よ、
どうか、私の心をあなたが、あなた御自身が満たしてください。
いつも満たし続けてください。
そして、私の存在が誰かにとっての泉となりますように。

2007-06-18

神を前に置いて

今日も暑かったです。
でも昨日ほどは行かなくて、
31度くらい。

今夜もまだまだ熱気がさめないで、
まだ24度あります。

明日は今日より蒸し暑くなって、
33度くらいの予想。
そして、明日の夜雷雨があって、
そのあと、週末にかけて涼しいようです。

今日、来年の合同修養会の会場候補地を見てきました。
どうなるかわかりませんが、とてもきれいなところでした。
隣の日本語教会の牧師と車中いろいろ話をして、楽しく過ごしました。

来年は8月末から9月の初めの連休に、
ハーベストタイムという、こちらでも放送しているテレビ番組で
ホスト役をしておられる中川健一先生がメインスピーカーの予定です。
大学の大先輩。

前回の昨年はボストンからワシントンまで350人くらいの方々が来られました。
来年も楽しみです。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の86篇を読みました。

「神よ。高ぶる者どもは私に逆らって立ち、  
横暴な者の群れは私のいのちを求めます。  
彼らは、あなたを自分の前に置いていません。」
14節。

「高ぶっている人」→「神を自分の前においていない」
じゃあ、「神を自分の前に置いている」→謙遜な人、
ってことでしょうね。

神を自分の前におく。
神に心を向けている人、
神に向かっている人、ということでしょうか。

自分もどうかなあと思います。
やはり、このように祈る時がポイントだと思います。

いつの間にかいろんなことに振り回されて、
何を自分の前に置いて、判断をしているのか、
進んでいるのか、わからなくなることがあります。
だから、いつもいつも主を前に置いて進んでいくことの大切さを思わされます。
そのために朝、祈ること、
聖書から聞くこと、
神に求めること、
自分の心を探って頂くこと、
続けていこうと思います。

そのような思いにさせてくださったことに感謝。

主よ、
今日もあなたが私に語り、
あなたに目を向けさせてくださってありがとうございます。
どうか、あなたのことをいつもいつも、
私の前に置かせてください。
そのような生き方させてください。

主よお語りください。

昨日の野外礼拝はいい天気に恵まれ、
たくさんの方々と楽しいひとときとなりました。
写真はこちら。

もっと暑くなるかと心配していましたが、
木陰は意外と涼しくて、快適でした。

33度くらいでしたかね。

昨日更新できなかったのですが、
それはなんと9時に寝てしまったからです。

ちょっと言い訳。

片づけを終えて、帰ったのが4時前。
さあ、シャワーを浴びてすっきりして、ちょっと休もうかなあ、
と思ったところで、5歳の娘の「プール行きたい」の一言。
「え゛~」と思いつつ、
まあ、汗を流すのにほてりを冷ますのにちょうどいいかな、
ということで、行ってきました。
深さ30センチくらいのおこちゃまプールに入って、
「これじゃなあ・・・」と思っていたのですが、
なんと、娘の同級生の男の子たちで、JOYJOYキッズクラブの常連もそこにいて、
強がりの言い合いの1時間半。
「深いプールも入れるよ」
「ホントは入れるけど、冷たいから、こっちがいい」
「中ぐらいのはいやだけど、深いプールは大丈夫、でも今はこの浅いプールがいい」

最後にやっとみんなで深いプールに行きました。
行ったら行ったで、不安そうにしながら、一生懸命泳ぎの練習をしていました。

で、帰ってきたのが6時半。

テレビで野球観戦だ!と思っていたのですが、
3回も持たずにソファで沈没。
おとなしくベッドに行って、
今朝5時半まで爆睡してしまいました。

今日も暑くなるみたいです。

で、昨日の聖書。
昨日は詩篇の85篇を読みました。
「 私は、主であられる神の仰せを聞きたい。」
8節の言葉が自分の祈りとなりました。

本当に神さまに語って頂くこと、
神さまに触れて頂くことがいかに自分の歩みのために必要なことか、
状況が変わらなくても、
主が語ってくださったら、もう大丈夫、
そのような歩みをさせて頂きたいと思いました。

あのサムエルの祈りの言葉を思い出します。

「しもべは聞きます、主よ、お語りください」

教会で30分くらい祈った後、
野外礼拝の場所に行って祈ろうと思ったら、
なんと、まだ「車は入るな」という意味なのかなあという柵が立ててあって、
まだダメか、車で周りを回りながらお祈りしよう、公園の周りを一周しました。

車を外に止めて、歩いて中に入ろうかとも思いましたが、

でも、考えてみたら、もう日は高く上がっているし、
怒られたら、謝ろう。

で、中に入ったら、なんてことはない、
他にも何台も車は入っているじゃないですか、
Securityの車とすれ違ってもとがめられることもなく、
公園のベンチに手を置いて祈る時を持つことができました。

でも、とっても気持ちがよかったです。
これから、朝祈るのは、時にはこういう公園もいいかな、と。

主よ、
昨日の野外礼拝に感謝します。
集われた方々に、今も語り続けてください。
集うことのできなかった方々、
直接教会に導いてください。

主よ、
あなたが日々語ってください。
あなたの語りかけによる解決、
あなたの御言葉による導きを示してください。

2007-06-16

どんな状況でも神のそばに

今日は暑くなりました。
日陰だったら、それほどでもなかったのですが、
日差しが厳しかったです。

そして、午後は待望の雨。
雷も鳴って、5歳の娘が、ちょっとびびっていました。
おへそとられるかも知れないからって。
で「5歳の女の子のおへそが一番好きなんだって・・・」と追い打ちをかけておきました。
固まっていました・・・。

割合まとまって降ったと思います。
芝生も野菜も大喜び、って、結局水まきをしなくていい、自分が大喜び。

明日は暑い一日になるようです。
そして、午後は雷雨もあるかも・・・。
でも、「野外礼拝」は大丈夫です。

今日の聖書。
今日はちょっと6時すぎてしまったし、朝のうちにやることもたくさんたまっていたので、
久しぶりに家で聖書を読んで祈りました。

「私は悪の天幕に住むよりは むしろ神の宮の門口に立ちたいのです。」10節。

大好きな聖書の箇所の一つがこの84篇です。
今日は、その中の最後の方のこの言葉が心に留まり、祈らされました。

「住む」のと「門口に立つ」のでは全然違います。
でも、状況がどうであったとしても、
立たされるような、それも玄関先に立たされるような、
そんな状況であっても、
主と共にある、その歩みがどれほどすばらしいかと思わされました。

肩身が狭くてもいい、
物質的にきびしくてもいい、
ただ、主と共に歩むことができるのが、
一番の幸いだと思います。

明日の野外礼拝でもそのことを御分かちしたいと思います。
昨日も、今日も「行きますよ」という声を聞くことができて、
とてもうれしいです。

福音をお伝えするチャンスが与えられますように。

主よ、
今日もあなたが共にいてくださることに感謝します。
どうか、あなたと共に歩む喜びをもっともっと味わわせてください。
どんな状況でも耐える力をください。
神さまに従っていれば、万事は思い通りに行く、わけではない、ことを教えてくださって、
ありがとうございます。
万事が順調に進むことよりも、
あなたに取り扱われて、あなたにきよめられて歩むことを求めます。

明日の野外礼拝が、人々があなたのすばらしさを感じるひとときとなりますように。

2007-06-15

神の超越

今日も割合涼しい一日で25度くらい。
昨日みたいに肌寒くはなく、
日が照るとそれなりに暑いですが、
でも、日陰に入ったら、長袖が欲しいくらい。

とても気持ちのいい一日でした。
夜、今は11時半ごろですが、

17度くらいまで下がっています。

明日の朝はまた冷えるみたいです。


今、ラップトップのコンピューターを使っているのですが、
最近、ちょっといらいらすることが・・・。
その一つは、コンピューターの裏についているゴムの足。


こういうのが、私の今使っているのでは5個、裏についています。
こんなのあんまり気にしないものですが、
一個でも外れると、傾いてしまいますし、熱を逃がすのもあまりうまくいかなくなってしまうような気がします。
そして、何よりも、滑る。
ちょっとした部品なんですが、
大切な部品なんだと思いました。
その一つが紛失、そして、もう一つはすぐ外れる。
何とかならないかと思い検索。

laptop rubber leg でググると、売っていたり、オークションで出ていたりします。

でも、そんな中で、「取れた、と苦情を言ったら、タダで送ってくれた」という報告を見て、
早速カスタマーサービスとチャット。
これ、前にも使ったことがありますが、
電話よりもいいかも・・・。
発音が悪くて聞き返されることもなく、
向こうの発音がなまっていて、ききとれないという心配もなく、
待たされるのもあまり大変じゃないし・・・。

それが昨日のことだったのですが、
「すぐ送るよ~」との答えに、満足。
(まあ、保証期間中だったこともあるかも知れません)

そして、今日届きました。大満足。
そして、早速つけました。超大満足。

メーカーはDellですが、ちょっとしたことですが、
こういうことで、満足度は上がります。
ちょっとしたことが大切なんだなあと思わされました。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の83篇を読みました。

「彼らが恥を見、いつまでも恐れおののきますように。
彼らがはずかしめを受け、滅びますように。
こうして彼らが知りますように。
その名、主であるあなただけが、
全地の上にいますいと高き方であることを。」
17-18節。

この詩も、また敵が恥を受けるようにという祈り。
ちょっと抵抗を感じたりする。
でも、この最後の言葉でノックアウト。

それは自分の復讐心を満たすためではなくて、
その人々が神さまだけがいと高き方であることを知るため、
つまり謙遜になるためだったのだ。

もしも、その恥を受けなかったら、
そんなことも知らないまま、自分のしたことの正しさを信じて、進んでいくのだろう。
でも、そうでない時には、自分の心を探られ、
何か間違っていたのだろうかと、自分に問いかける、
私たちはそのような者だ。

だから、この祈りも正しい祈りなんだと思いました。
正しい裁きの中で、
神の正しい裁きの中で、
私たちが自分の姿を省みることができる。

だから、恥を負うことは決して悲しいことではなく、
人が恥を負うようにと祈ることは、決して恐ろしい復讐の鬼の態度ではないのだ。
ただ、一人の人がそれによって神の前にへりくだることができるように、
祈ることの大切さをも思わされました。


主よ、
必要なら、私に恥をお与えください。
主よ、
もし必要なら、あなたに従わない人々に、
恥をお与えください。
それによってあなたの元に返ってくることができますように。
何よりも、私たちが「キリストの形がなるまで」整えられていきますように。

2007-06-14

顔を立てる

今日は本当に涼しい、というか、肌寒い一日でした。
特に午前中は体が冷えてしまうほどでした。

でも、明日からはまた、週末にむかって、
どんどん暖かくなり、
日曜日から来週前半は夏になるようですね。

今年も野外礼拝は大丈夫です。

昨日、突然、お誘いを受けて、
今日から、町のオーケストラに参加することにしました。
今日の夕方まで迷っていたのですが、
行ってみたら、

「やばい。はまってしまうかも・・・」と思うくらい楽しい。

23年ぶりにちょっとマジにトロンボーンをやるわけですが、
結構いけるかも。

惜しむらくは、日本を離れる時に、Bachの42B GLを手放してしまったこと。
今は学生用のを譲り受けて、使っています。
考えてみれば、学生の方がうまいのですから、「学生用」でいいんでしょうが、
本気で部活をやるような学生は、大体Student Modelは使いません。
一番いいのを買います。アルバイトしたり、生活費削ったりして・・・。

新しいのが欲しくなったらどうしよう・・・
って練習初日ですでに症状が少し出てきています。
eBayとかで検索を始めてしまっています。
でも、楽器というのは、「このメーカーのこの型番のがいい」というものでもなくて、一本一本、吹いてみないとわからないから、ネットオークションというわけにはいかないんでしょうね。

さてさて、
今日の聖書。
今日は詩篇の82篇を読みました。

「いつまでおまえたちは、不正なさばきを行い、 悪者どもの顔を立てるのか。」2節。

別に不正な裁きをしてはいませんし、
悪い人たちに接しているとも思いませんが、

「顔を立てる」という言葉に心が留まりました。

「あの人の顔を立てるとか」「あいつに顔をつぶされた」なんてことを言うことがありますが、
そういうことが心を支配してしまうことがあってはいけないですね。
そこまで行かなくても、実際に「配慮」という名目で、
そのようなことに気を遣う人がいい人、できる人、成功する秘訣、だったりすることもあります。
どうなのかな?と思います。

なぜなら、「顔を立てる」という言葉の背後には、
「本当ならば、重んじる必要がない、本質的なことを言うと、そんなことを気にする必要はない、でも人間関係を円滑に持っていくために、大切にしておこう、注目される役を与えよう、話を通しておこう」というような考え方があるからです。

本当にすべきことができない。
それは「恐れ」に縛られているからでしょう。

本気で大切にすべきことを、大切にする者になりたいと、
そのために神さま、力を与えてください、と祈りました。

主よ、
本気で大切にすべきことを大切にすることができますように。
「あの人の顔が立たない」とか、そんなことに振り回されない強さをください。
あなた御自身から力をいただいて、語っていくことができますように。
筋を通していくことができますように。


2007-06-13

岩の上の蜜

今日はぐっと涼しくなりました。
ずっとNYだったので、NYのことしかわかりませんが、
どんよりとして、涼しかったです。

今夜、NJに帰っても、今、10時半で15度くらい。
あさは、12度くらいみたいです。
ちょっと極端ですね。

明日も20度くらいまでしかあがらない、涼しい日になるようです。

やはり、日曜日から暑くなるようで、
野外礼拝は暑さ対策が必要みたい。

今日、シカゴ郊外にあるウィロークリーク教会のビル・ハイベルスの「教会の再発見」を読んでいる中で、
今まで、自分は「いい人」「聖書をいいものだと思っている人々」が洗礼を受けるところまで導く、ということをしてきたように感じる。
彼がしてきたように、「無関心な人を熱烈なイエスの弟子にする」「無神論者を宣教師にする」という大胆な発想を自分はしてきただろうか、と。
そのことを祈ってきただろうかと。
つまり無神論者をゼロ、宣教師を10、洗礼を受けることを5とすると、
4から6に導けばいい、と思ってきたのではないだろうか?

大胆に求めようと思いました。
ただ、一人の人が洗礼を受けてそれだけで満足してしまうのではなく、
主に忠実な、教会を愛するキリストの弟子に育て上げさせてくださいと。

それも、必ずしも「教会の働きに理解のある人」だけではなく、
「え、この人が?」という人も主に導かれるように、祈ろうと思いました。

さて、今日の聖書。
今日も早く目が覚めた主に起されたのですが、
今日はNYに行く日だったので、シャワーを浴びたり身支度をしていたら、
6時をすぎてしまったので、教会で祈るのは断念。
代わりにバスの中で祈り、また7時半からの祈り会のあと、図書館で祈りました。


今日は詩篇の81篇を読みました。
「わたしは岩の上にできる蜜で、  あなたを満ち足らせよう。」  16節の言葉です。

最高の蜜は岩の上にできる。

ごつごつした、岩の上に。

整えられたテーブルの上ではない。
ごつごつした岩の上に最高の蜜はできる。

谷間に泉が湧くように、
岩の上に蜜ができるのだ。
それはやはり岩でなければいけない。
ふかふかのソファーであってはいけないのだ。

主が訓練を与えてくださるとは何という幸いだろうか?
私は傲慢だった。
伝道牧会がうまくいっているかのような勘違いをしていた。
いや、本当は何かが違うことはうすうす感じていた。
わかっていた。

だから、自分の責任ではある。

でも、主がこのような時を与えてくださって、
立て直しのチャンスを与えてくださっていることは、
また私自身が伝道牧会のなんたるかを学び直していることは、
本当にすばらしい恵み。

毎朝、「さあ、起きろよ、来いよ、一緒に時を過ごそう」と言ってくださる神さまがおられることに、
本当に心から愛されている喜びを覚える。

主よ、
今日の一日を感謝します。
あなたが今朝も招いてくださったことに、心から感謝します。
あなたと共に時を過ごすことのできる幸いを感謝します。
どうか、もっともっとあなたと共にある幸いを経験することができますように。

明日のJOYJOYキッズクラブでも、
大胆にあなたの愛のなんたるかを語ることができますように。

2007-06-12

主が育ててくださる教会

昨日の夜は暑かったですねえ。
今朝になってみると、結構涼しいのですが・・・。

そして、今日も暑くなりました。
30度くらい。
そして、午後からは時々にわか雨や雷雨。
そして、夜は昨日ほどではないですが、やはり蒸し暑いです。

明日あたりから、結構ドライになってくるようです。
明日のにわか雨の確率は30-40パーセント。
その後は10パーセントに下がります。
朝晩は涼しいくらいでしょう。

でも、日曜日、「野外礼拝」の時は30度を超えて暑くなりそうです。
屋根がありますから、大丈夫でしょうが・・・。

さてさて、今日は早速、朝読んだところから・・・。
「教会で朝、ゆっくり祈ろう」と思わされてからちょうど一週間。
今朝も、5時半に目が覚めて、感謝しつつ教会に行きました。

今日は詩篇の80篇を読みました。

「そして、このぶどうの木を育ててください。 また、あなたの右の手が植えた苗と、ご自分のために強くされた枝とを。」14-15節。

このブドウの木は、この詩人にとってはイスラエルの民を指していました。
クリスチャンにとっては、これは「教会」を指します。

教会は神さまが育ててくださる。
そのことを思わされました。
そして祈っている中で、昨日ちょっと悶々としていたのですが、
力が与えられました。
そして、ただただ、主に「この詩人のように祈ります。教会を育ててください。あなたが植えてくださった苗です」という祈りに導かれました。

昨日の、

「主よ。あなたをそしった、そのそしりの七倍を、 私たちの隣人らの胸に返してください。」(詩篇79:12)も、「胸に返してください」ですから、単なる復讐を祈る祈りではなく、人々が神を侮辱したのだから、それにふさわしい「罪の認識」を与えてください。ということなのではないかと思いました。

そして、とにかくリバイバル(信仰の復興)を祈りました。
表面的な元気さや、調子がよくいっている感覚よりも、
もっともっと大切な、神に砕かれ、神を信頼して歩み始める、本当に深いところまで取り扱われることが、
教会の一人一人の中に、そして、第一に私の中に起されますように祈りました。

今、私たちの教会は教会堂が与えられるように祈っていますが、
それはそのリバイバルの延長上にあるのだということを、思わされました。

主よ、
あなたを求めます。
聖霊様が私のうちに、
わたしたちのうちに、あふれてくださいますように。
どこの誰が見ても、ああ、あそこには神の特別な働きがある、と
見えるような、感じさせられるような、そんな教会としてください。

明日の一つ一つの出会いを祝福してくださり、
まず私が聖霊様に満たされ、その喜びと力をいただいて、
出て行くことができますように、助けてください。

2007-06-11

主の裁き

今日はまた蒸し暑かったですねえ。
朝のうちは涼しかったですが、
午後から30度を超えて、湿度も高くなりました。

雨もパラパラしか降りませんでした。
もっと降ってくれると助かるのですが・・・。

今夜は蒸し暑い夜になっています。
今10時半前で25度あります。

でも、間もなく雨が降ってくるようです。

明日もなんだか今日と同じような天気で、
蒸し暑くて、雨も降る、そんな一日になりそうです。

今日は、朝から成分献血に行ってきました。
花粉症の季節も終わって、薬も飲んでいないので、大丈夫。
そして、今回のおまけは前立腺ガンのマーカーの血液検査付き。
それはお医者さんに行ってやってもらえばいいから、
野球のチケットとかの方がよかったのですが、
まあ、おまけですから、しょうがありません。
何かがあった場合には、ここで見つけておけば、そんな感謝なことはないわけですし・・・。

最初に問診票があって、
いろんなことを聞かれます。
一つ一つ読んでいると、「ああ、これに当てはまる人は献血はできない、できる自分は何と健康に恵まれているんだろうか」と思いました。そしていつか、この質問でひっかかって、献血できなくなる時がきっとやってくる、だから、今のうちにやっておこう、そして、できなくなった時、また自分自身がどなたかの血をいただかなければいけなくなった時に、今まで、献血をしたくてもできなかった人々の痛み、受ける側に回った時の気持ち、それを謙虚に教えてもらおう、と思いました。

ちなみに前回2月にトライした時には、上手に血管に針が入らなくて、
結局両腕ともうまくいかなかった・・・と話したのですが、
前回の記録を見て、「まあとにかくやってみましょう」ということになり、
今回は血小板1ユニット、赤血球1ユニットに挑戦。

しかし・・・
今回は20分くらい進んだ(1時間かかる中で)ところで、やっぱりアウト。
どうやら、成分を抜いてもう一度血を戻す時に、静脈がその圧力に耐えられないとか・・・。
大丈夫か、自分の血管。

コレステロール値は超優良なので、動脈硬化の心配はあまりないのですが、
静脈の根性がない・・・というのは何なんでしょうか・・・。
ということで、1時間半使って、むなしく、ジュースだけいただいて、帰ってきました。

「次回からは『whole blood』にしてね・・・」と言われました。
whole bloodだったら、もう一度戻すプロセスが必要なくなるから、
大丈夫なんでしょうね。
だから、最初に「前回はうまくいかなかったんだよねえ」と言っておいたのですが・・・。
でも、成分献血の方がずっと効率がいいみたいです。だから、成分献血を勧められるんだと思いますが・・・。

ちなみにO型の血液の不足はcritialな状態だそうです。
よろしく。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の79篇を読みました。

「主よ。あなたをそしった、そのそしりの七倍を、 私たちの隣人らの胸に返してください。」12節。

この言葉が「心に留まった」というよりは、「心に引っかかった」という感じでした。
自分はこういう風には祈れないなあ、と。
こんな風に、「7倍にして報いてください」なんて祈るなんて、とてもできません。
で、悶々としていました。
突き抜けない思いで、いました。

旧約聖書なので、イエスの「7たびを70倍するまで赦しなさい」という言葉を、知らない詩人が書いた言葉です。
だから、このような神の正しい裁きを祈る祈りが間違っていないのかも知れません。
ひどい目にあった人が、正しい裁きがなされるように祈るのは間違っていないのかも知れません。
また「自分」ではなくて、「神さま」を冒涜する人々に対してだから、こういう祈りをしていいんでしょうか?

どうなんだろうかなあ、と思って祈っていました。

その中で、どうつながるのか、まだ消化し切れていないのですが、
一つの聖書の言葉が心に響いてきました。

「絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」

あわてて、その場所を開いてみました。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」
テモテ第2の手紙の4章2-5節の言葉です。

しばらく時間をかけて消化していきたいと思いますが、
まず、自分は都合のよい話を語るのは止めよう、と思いました。
自分のつとめはそこにあると思わされました。
自分に対してもそうです。
自分に対して都合のよいところばかりを聖書の中から拾うことはすまい、と思いました。
都合の悪いことこそ、耳を傾けるべきだと。

主の裁き、正しい裁きを祈ろうと思いました。
そして、それ故に、自分も神の前に立つことができない故に、
キリストの十字架を信じることの大切さをもう一度思わされました。

主よ、
あなたの御言葉を私に語ってください。
自分に都合のいいところを拾うのではなく、
御言葉をそのまま受け取ることができますように。
そして、私が人々にとって都合のいい説教者になってしまうことがないように、守ってください。
自分の責任である、「責め、戒め、教える」ことから逃げない強さを与えてください。

2007-06-10

すべてを持っておられる主

今日は涼しくなりました。
夜になって、益々涼しくなって、
今11時過ぎですが、19度くらいです。
助かります。

明日はもうちょっと蒸し暑くなるでしょう。
雷雨もあるかも知れません。

今日はあさから、JOYJOYキャンプの作戦会議。
エンジンが掛かり始めたところでしょうか。
まだまだこれからです。
「ワンダー博士の大冒険」ですが、
その「大冒険」をどんな冒険にするか、大変です。

「ワンダー博士の実験室」にしておけばよかったと、
思いますが、それもちょっと「わくわく感」に欠けるかな、
ということで、「大冒険」にしたのですが、
かなり首を絞めたかも。
でも今までの経験からすると、直前にぐっと気持ちが盛り上がるんで、
それを期待しつつ。

今朝の聖書。
今朝は詩篇の78篇を読みました。

「神は荒野の中で食事を備えることができようか。 確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て  流れがあふれた。  だが、神は、パンをも与えることができようか。  ご自分の民に肉を備えることができようか。」19-20節。

これはイスラエルの人々が神を信じられないで言った言葉です。
「神さまにはここまではできるだろう、でもさすがにここまでは無理だろう」
なんてことを自分で勝手に決めていることがどれほど多いだろうかと思いました。

それも、「御心だけがなるから・・・」と自分の不信仰をごまかすために、
心の中で、言い訳をしていることもあるのではないだろうかと。

具体的なことを一つ示されました。
その具体的なことについて、
自分がいかにそれを願っていながら、熱く願っていながら、
「これは無理ですよね」と言っていることがあるかと、
思わされました。

御心でなければそれでいい。
ただ、単純に祈ること、願うことが大切であることを思わされています。
御心でなければ、その時に教えられることもある。
ただ、願うこと、熱く感じることを、主のもとに持っていこうと思い、
今朝は、そのような祈りを捧げました。
「主よ、あの土地を私にください」と。

主よ、
最高のものをください。
あなたのことを伝えるために、最高のものをください。
あなたのことを証するために、
あなたのすばらしさをまだ、それを知らない方々に伝えるために、
それをください。
それはあなたのものですよね。
あなたの御手の中にあるんですよね。
あなたにとってそれは難しいことではありませんよね。
それをください。
それが許されないなら、その理由を教えてください。
あなたを心から信頼しています。

今日、このことを教えてくださったあなたに感謝します。

2007-06-09

解放する主の力

今日は思ったより蒸し暑かったですね。
30度くらいまで行きました。
でも、夕方からは涼しくなってきました。

明日はもっと涼しくなって、過ごしやすいでしょう。

25度までも行かない予想が出ています。

今日は午後からひたすらJOYJOYキャンプのために
工作の試作品を作っていました。
子供の頃、工作は苦手で、夏休みの工作とかつらかったですねえ。

見かねて親が手を出して、
自分の作品でなくなってしまったこともしばしば・・・。

でも、今では不器用ながらも、工作が好きになりました。
動く工作、遊べる工作が特に好きです。

夢中になって作っていたのですが、

気がついたら、玄関に荷物が・・・。
Senseoのコーヒーメーカー

何でこんなの、かというと、タダで、送料15ドルのみ。
Amazonでは65ドルくらいするようです。
日本では15000円くらいするみたいです。

それが15ドルなんですから、
まあ、いいかと。
以前は送料もいらない、というプロモーションがあったようですが・・・。
こちらから申し込んだわけです。

回し者ではありません。

プリンターを安く売って、インクカートリッジでもうけるように、
ゲーム機を安く売って、ソフトのライセンスでもうけるように、
これ、専用のpodというのがいります。
一杯25セントくらいみたいですね。
それがたくさん売れたら、儲かるんでしょうね。
いろんなフレーバーがあります。

15ドルで送っても、たくさん飲んでくれて、
それから宣伝してくれたらいいということなんでしょう。
まんまとその手にはまってしまっているわけです。


でもまあ、お手軽に飲めるのがいいのでしょう。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の77篇でした。

「私は、主のみわざを思い起こそう。  まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。」11節の言葉です。

今朝も5時半には目が覚めて、教会に行って祈ったのですが、
さすがに昨夜は1時過ぎだったこともあり、
半分ぼーっと過ごしていました。

途中から、オフィスの片づけを始めたりしていたのですが、
「何のために今、自分はここに来ているんだ!?」と思って、
もう一度聖書をゆっくり読んでいると、
この言葉が心に留まりました。

そして、「自分の人生の中の不思議なこと」だけではなくて、
歴史の中の不思議なことに心が向いていきました。
そして、この詩人は何を言っているかというと、

イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放されて、
今のイスラエルに向かっていく中で、紅海が前に広がっていた。
後ろからは解放したことを後悔したエジプトの王。

その時に、前の海が分かれて、乾いた地が現れた。
神さまはそんな不思議なことをしてくださる。

私たちの人生にとっても、
私たちの教会の歩みにとっても、
紅海が分かれるような奇跡を行ってくださるお方なのだ。

その神さまの力を信頼して歩んでいくようにと、
私の人生の紅海も開かれていくように、
主は導いてくださっている、
それを信じることができました。

そして、また祈りに導かれました。感謝。

主よ、
あなたの奇跡の故に感謝します。
どうか、私の人生にも紅海が分かれるような奇跡を起こしてください。
また教会の歩みの中にも紅海が分かれるような奇跡を起こしてください。
あなたの御業を待ち望みます。

2007-06-08

主の怒り

今日は本当に暑かったです。NJは。
35度くらいまで行きました。
でも、こういう日は、海に近い方は結構涼しいものなのです。
たとえば、JFK Airport。
南側が海に面しています。


これは今日の午後4時の天気ですが、
私の住んでいるところに近いのは、下から4番目のTeterboroですが、
ここでは、85度とあります。Fなので、Cに直すと、大体30度です。
実際、我が家の庭は33度くらいありました。

でも、同じ時間に、一番上、マンハッタンのCetnral Parkは77度。Cに直すと、25度。
そして、JFK Airportは上から3番目のKennedy Intlで、70度。Cに直すと22度くらいです。

どうしてこうなるのかというと、
SとかSEとかという字が目立ちますが、
南風が吹いていたのです。

この時期、まだ、大西洋の水は冷たく、15度そこそこ。
その上を吹いてきた風なので、南風でも、内陸の温度よりもずっと冷たい風なのです。

ちょっとワンダー?

でも、JOYJOYキャンプには使えないよねえ。こんな話しても、子供たち聞いてないよねえ。

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と、ここまでが、深夜祈祷会前。

ここからが帰ってきてから。

で、今日の夜の雷雨はどうなったかというと、
今、夜の12時過ぎですが、
この先1時間以内に始まると思います。
どれくらいひどいかわかりませんが、
たぶん大したことないと思います。

そして、明日からはぐっと涼しくなるでしょう。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の76篇を読みました。

「あなたは、あなたは、恐ろしい方。あなたが怒られたら、だれが御前に立ちえましょう。」7節の言葉です。

主が怒られるというのは、本当に怖いと思う。

いや、自分の心の中を見てみると、いつもいつも、怒られるのは怖いと思っている自分がいる。当たり前か。どんな人でも、怒らせてしまうのは自分にとってものすごい恐れなんだなあと思う。でも、それ故に失敗してきたこともたくさんある。怒らせるのを恐れるが故に、怒った人を見て恐れたが故に、犯した失敗もたくさんあると思った。
だから、人を怒らせることを恐れてはいけないと思うようになってきた。
もちろん、ことさら怒るようなことをしているわけではないですが・・・。

でも、それはそれとして、主が怒られると本当に恐ろしいと思う。
しかし、その、本来自分が受けなければいけない神の怒り、怒りを異常なほど恐れやすい自分に対する神の怒りをも、イエスが十字架の上で負ってくださった、受けてくださった、その大きさをもう一度思わされた。

だから、今も自分は恐れないで主の前に出ることができる。

感謝しつつ、恐れつつも恐れないで主の前に出ることができるようになった。

主よ、
感謝します。
イエスが私のために神の怒りをすべて受けてくださったことに、心から感謝します。
その大きさに心から感謝します。

その重みを教えてください。
本来受けるべきだった怒りの大きさを忘れることがないように。
もっともっとそのことを知ることができますように。

2007-06-07

柱を堅く立てる主

今日の朝は昨日より冷え込んで、
9度くらいまで下がりました。
でも、昼間は昨日より暑く感じました。

今、夜の10時半で、18.4度。
涼しい夜です。

明日は蒸し暑くなるようです。
35度くらい。そして、夜は雷雨。

最近、とにかく朝が早く目が覚めます。
5時頃に目が覚めることもしばしば。
それで、水、木と、6時には教会に行って祈るようにしています。
早く、自分たちの教会が与えられて、
「この会堂を祝福してください」と祈りたいのですが、
とにかく、オフィスでお一人一人のことを覚えて祈るようにしています。

そんな中で思わされること。
今まで、一人一人の具体的な状況について祈っていました。
それも大切なことだと思いますが、
最近、良く導かれる祈りが、
そのような具体的な状況を超えて、
「聖霊を満たしてください」とか
「御言葉によって取り扱ってください。」という祈りです。
実際、本当に教会に連なる一人一人に必要なのは、
「仕事が祝福されること」「健康が与えられること」にまさって、
「聖霊に満たされること」であり、
「御言葉によって取り扱われることなんですよね。

神さまがお一人一人の心に深く深く触れてくださいますように。

ただ、朝早く目が覚めるので、
夜は10時頃から眠いです。
明日の夜は深夜祈祷会。
かなりきつそうです。

今日の聖書。
今日は詩篇の75篇でした。

「地とこれに住むすべての者が揺らぐとき、わたしは地の柱を堅く立てる。」3節の言葉が心に語られました。主から語られました。

主が御自身で「柱」を立ててくださる。
地がふるわれる時、
そして、そこに住む人がふるわれる時に、
主がそこに柱を立ててくださる。

これを私は今日個人的な語りかけとして聞きました。
私たちがふるわれる時に、
主が、主ご自身が柱を立ててくださる。
「柱を立てなさい」と言われるのではなくて、
主が柱を立ててくださる。
それを信頼して歩みたいと思いました。
ただ、主を信頼して歩みたいと思いました。
柱を大切にしていきたいと思いました。

主よ、
感謝します。
あなた御自身が柱を立ててくださる。
それに心から感謝します。
どうか、そのあなたが立ててくださる柱を大切にさせてください。
あなたの御業を見せてください。

2007-06-06

谷と泉

今日はさわやかな一日でした。
朝は12度くらい。
昼間も23-4度でした。

今夜は冷えそうです。
今、9時ですが、すでに16.7度まで下がっています。

大ニュース!
2時45分に電話がかかってきて、
息子が、高校まで迎えに来て欲しいとのこと。
こっちは面談中で、ちょっと待っていろ、と言ったのですが、
理由は言わずに、どうしても、すぐ来て欲しい、ということで、
のんちが迎えに行くと、

「初孫」。

なんだか、高校のクラスの中に、
Child Developmentという選択の授業があって、
その一環で、人形のBabyを連れて帰る、というのがあるそうな。

さすがにこの子を連れてSchool Busには乗れないようで、
プラス、男の子で、これを実習するのは息子だけのようで、
からかわれていたそうです。(^_^)

でも、この人形、なかなかたいしたもので、
何時間かおきに泣いて、時々世話をしてやらなければいけません。
そして、それが内蔵のコンピューターに記録されて、
成績にも反映されるみたいです。
1泊だけだそうですが、
なかなかおもしろい実習ですね。

のんちに言わせると、「1泊じゃね」「おむつも替えなくていいし・・・」だそうですが・・・。

さてさて、
今日の聖書。
今日は詩篇の74篇を読みました。

「 あなたは泉と谷を切り開き、絶えず流れる川をからされました。」15節の言葉です。

主が泉と谷を造られた。
神さまがすべてを造られた。それは当たり前のことですが、今回は、
「泉と谷」ということに目が留まりました。

以前、翻訳に関わった本で、「谷間の泉」という本がありました。
その意味がわかりました。
「谷間でもそこに泉がある」ではなくて、
「谷間だからこそ、そこに泉がある」なんですね。

谷間はいやなものです。
なんとか早くそこを抜け出したいと思うものです。
でも、そのようなところにこそ、湧く泉がある。
だとすると、その谷間の中でも、主の恵みをもっともっと求めていいんだと思いました。

主よ、
私のためにあなたが準備してくださった、
人生の谷間の故に、感謝します。
そこにこそ、泉が湧く、という真理を教えてくださって感謝します。
あなたの泉を知ることができますように。
その豊かさを十分に味わうことができますように。

2007-06-05

平安をゆるがすもの

今日は結局雨は降りませんでした。
昼間は蒸し暑かったですが、
夜には涼しくなってきました。

今、夜の10時過ぎで22度くらい。
明日の朝の予想気温は10度くらいです。
風邪などお召しになりませんように。

明日とあさっては涼しいようですが、
また金曜日だけは35度くらいまで行くようです。

なんだかねえ。

昨日雨だったので、
今日やっとあの折れた大枝を撤去にTree Serviceの人たちが来ました。
クレーンやロープや、チェーンソーを持ってきて、
大男たちが、3-4人がかりで、数時間かけて、片づけていきました。
枝一本でそんなですからね。
でも、すっきりしました。

日曜日の礼拝の中でもお話ししたのですが、
その枝は本当に立派な枝で、
水曜日の朝、落ちたばかりの時は、
本当に青々としていました。
でも、日に日に、葉はしおれ、緑色はくすんでいきました。
それがどんなの大きな枝でも、
どんなに青々を茂っていても、
どんなに立派でも、
幹から離れてしまっては、
やがて枯れていくのです。

反対にどんなに細い枝でも、
ちゃんと幹につながっていれば、実を結ぶようになるんですね。

一時的な見てくれで判断してはいけないんです。

イエスが言われました。
「私はまことのブドウの木、あなた方はその枝である」と。

しっかりと幹につながった枝でありたいと思いました。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の73篇を読みました。
「しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。」
2-3節の言葉です。

主が共にいてくださるから大丈夫だ、
そのようにこの詩人は言っていました。
でも、彼が周りの人々を見て、
周りの人々が神に従わないのに、
幸せそうに見えることに、
妬みを覚えて、
心が乱されてしまったのでした。
その時に、彼の足は滑ってしまいました。

やはり、神さまに目をしっかりと固定して、
他のものに惑わされない強さ、確かさを持っていることの大切さを思います。

私と主との関係、
それをしっかりと持って、動かされないものを持っていきたいと思いました。

今日は教会のオフィスで祈りを持ちましたが、
主が深く語ってくださいました。
これからも朝、できる限り朝に教会に行って祈る時を持ちたいと思いました。
どこで祈っても同じという人もいるでしょう。
でも、教会に行って、一人一人のことを覚えながら、
主との時を持ちたいと思いました。

主よ、
今朝の祝福を感謝します。
あなたに目を向けることができること、
大きな幸いです。
一日の力の源です。
人と比べるのではなく、
あなたが私に与えてくださった、使命、
しっかりとになって歩むことができますように。

2007-06-04

奇跡

今日の午前中まではかなり雨が降っていました。
気温もずいぶん下がって、20度前後。
肌寒いくらいでした。

でも、また明日はちょっと蒸し暑くなりそうです。
30度くらい。
そして、夕方には雷雨。
その後は、涼しい日が続くようです。
水曜日、木曜日の朝は、10度くらい、との予報が出ています。

44歳になりました。
なんだか、このところ、実感がありません。
というか、なんだか、数え切れなくなりました。
まあ、いくつでもいいかな、というか。

これって、悟ったということでしょうか。
それとも、ただ、めんどくさくなった、ということでしょうか。

去年の今日は、「祝ってもらう」のではなくて、
「感謝を表す」誕生日の大切さを感じていたことを、
今日になって思い出しました。

私の存在を、ご自分の人生の片隅に受け入れてくださった、
皆さん一人一人に心から感謝します。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の72篇でした。

「ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。」
18節の言葉が心に留まりました。

神さまは、不思議なことをしてくださる、
神さまは奇跡を行ってくださる。
それを本気で信じているか。

なんとか、常識の範囲内で考えられるところに、
神さまを縛り付けていないだろうか?

主は奇跡をすることがおできになるのだ。
その力を持っておられるのだ。

だから、大胆に求めようと思います。
だから、主を信頼して求めようと思います。
それが、神さまの喜ばれることでなかったら、
止められるかも知れない。
それでもいい。
とにかく主の奇跡を待ち望みつつ、
信じて歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの与えてくださった命の故に感謝します。
今日も、一日生かされたことに感謝します。
どうか、あなたの奇跡を拝させてください。
あなたが奇跡を行ってくださることを、
信頼して待つ者であらせてください。

今年の野外礼拝に新しい方々を送ってください。
多くの方々と共に礼拝を守ることができますように。

2007-06-03

恥からの守り

今日も朝は蒸し暑かったですが、
午後からは雨で、涼しくなってきました。
今は17度。

明日も雨が残りそうです。

先週学校の土壌汚染で休みが続いた上の娘も、
明日から、場所を近くの大学のキャンパスに移してのクラス再開ですが、
雨のスタート。
大丈夫かなあ、と心配です。

JOYJOYキャンプの申し込みは締め切りました。
申し込みは47名。
去年よりはずいぶん少ないですが、
定員以内なので、皆さんを受け入れることになります。

あと2ヶ月を切りました。

これからガンガン準備をしていかなければいけません。
楽しみです。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の71篇を読みました。

「私が決して恥を見ないようにしてください。」1節の言葉です。

自分は、恥なんてそんなに気にしない方の人間だと思っています。
ですから、そんなに「恥をかかせないでください」
と祈ったことはないように思います。

でも、ここを読んで、祈っていいんだなあ、と思いました。
今日、祈りました。
私に恥をかかせないでください、と。

今でも、自分にとってのpriorityはそれほど高くない、
祈りだと思いますが、
祈っていいんだということだけでも全然違うんだと思います。

どのように聞かれるかはわからない。
でも、少なくても、祈っていい。
だから、これからも大胆に祈っていこうと思います。

その一方で、思わされたのは、
イエスは、恥を負われた。
あの十字架への道で、十字架の上で、
究極的な恥を経験した。

だから、私も恥をもいとわない思いも持ち続けたいと思わされました。

主よ、
私が恥をかきませんように。
一つ一つの出来事の中で、
守ってください。

でも、やはり、もっと大切なことがあるような気がします。
どうか、私を整えてください。
恥を受けてもいいです。それを通してでも、
私があなたに近づけられるなら、それでいいです。

そして、どうか、教会の一人一人が、
あなたによって生かされ、
御言葉によって取り扱われ、整えられますように。

JOYJOYキャンプを祝福してください。

2007-06-02

主を慕い求める人

今日は暑い日でした。
ホントに暑かったし、今もめちゃくちゃ蒸し暑いです。

昼間は35度くらいまで上がって、
夜も25度あります。
明日からは気温は昼間で25度くらい。
夜は15度くらいまで下がるようになるみたいです。

肌寒く感じるかも知れません。
明日も雷雨があるかも。
そして、明日の夜から明後日の朝は
Tropical Storm Barry崩れの低気圧のおかげで、
結構まとまった雨になるようです。

今日の朝の祈り会。
ちょっといつもより小さな集まりになってしまいましたが、
その中で、私自身、いろいろなことを教えられました。
こころのどこかで、「神さまに従えば、万事順調」と思っています。
でも、今日読んだ出エジプト記の4章の後半では、
「神に従っても、エジプトの王は聞いてくれない」と書いてあります。

そう、だから、何かがうまくいかなかったり、
問題が起こったりしても、
それで「神さまに従っていなかったのかなあ」と思う必要もないんですよね。
(もちろん、「本当に神さまに従ってきたかなあ」という反省はあるでしょうが・・・)
それと共に、神さまに従う時に、すべてが順風満帆で行くわけではないことを、
覚悟していなければいけないと思いました。

そして、夕方には今度は、中高生の祈り会。
彼らの祈っている姿の中に、
本当に真実に祈っている姿に、
励まされました。
ただ、盛り上がることだけではなく、
心から祈る、ことの大切さを感じます。

今日の聖書。
今日は詩篇の70篇。

「あなたを慕い求める人」
4節の言葉が心に留まりました。

私は主を慕っているだろうか?
他のものを慕っていないだろうか?

主を慕うというのはどういうことなのだろうか?

主を慕って祈ろうと思いました。
いろいろな出来事の中で、
思いがけないことも起こってくる中で、
主を本当に慕うこと、
その大切さを思わされました。
他の誰かではなく、
他の何かではなく、
主を慕って歩もうと思いました。

主よ、
あなたをしたいます。
あなたをしたい求めます。
他の何ものでもなく、
ただ、あなたをしたい求めます。

2007-06-01

私はあなたに祈ります

今日は暑かったです。
35度くらいまで行きました。
真夏のようです。
そして夜になってもかなり蒸し暑いです。
場所によっては雷雨もあったようですが、
うちのあたりは、パラパラでした。

明日も今日と同じような天気のようです。
暑くて、湿度もそこそこあって、そして雷雨もありかな、みたいです。
その後はしばらく暑さは一服。
ちょうど2週間後の野外礼拝の頃に次の暑さが来るみたいです。

今日は幼稚園の娘の学校の「コンサート」。
上の子たちのは結構行きましたが、この子のコンサートは初めてかも・・・。

ちょっとはにかみながら、一生懸命歌っていました。

心に留まったのは、1年生の子たちの歌。
指揮者の先生が、楽しそうに指揮をしていて、
子供たちも本当に明るく楽しく歌っていました。
そして、他の学年に比べても、声もそろっていたと思いました。

教会でもこんなのができればなあ、と思います。
以前、「子供聖歌隊」なるものがありましたが、
それとはちょっと毛色の違う、
音楽はあんまりわからなくても、とにかく楽しく歌える、
そんな子供たちの賛美のグループをやりたいなあ、と思いました。

ちょっと一人でわくわくしてきています。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の69篇を読みました。
この詩も周りの人々の無理解の中で、
敵の攻撃の中で、孤独になっている詩人の詩です。

「しかし主よ。この私は、あなたに祈ります。」12節の言葉です。

この詩人にとって、唯一開かれていたのが、
神との関係です。
人との関係ではなく、神との関係が彼の解決の出発点でした。

そのチャンネルをしっかりと持っていたいと思います。
どんな中でも、主に目を上げて、主から解決をもらって、
歩んでいく者でありたいと思います。

主よ、
私も、あなたに祈ります。
あなたが、開かれているチャンネルです。
解決の糸口です。
どうか、あなたから解決と癒しをいただいて、
進んでいくことができますように。

明日の祈り会を祝福してくださり、
心からの祈りを捧げることのできる集まりとなりますように。

2007-05-31

主が重荷を負われる

5月の最後の日、今日も暑い一日でした。
34度までいきました。
でも夜はすごしやすいです。
今、夜の10時半ですが、
20度を切るくらいです。

今夜も場所によっては雷雨になるようですが、
明日のほうがもう一歩雷雨が降りやすいようです。

今日の夜は、娘の学校の土壌汚染問題で、
来週から臨時の場所に移る話があるというので行ってきました。
テレビカメラもたくさん来ていました。
大きな問題になっているんですね。

でも、最初の1時間は、
この問題をちゃんと取り扱わないできた責任者の糾弾でした。
会場にあふれるくらいの人が来ていて、
今回の集まりの目的は
来週からの学校再開の件について説明を聞く、という話だったのですが、
なんだか、父兄とかではない、野次馬や、「一言言いたい」という人たちもたくさん集まって、
かなり混乱していました。

そして、責任者の人が、この汚染物質が、どこにでもあるもので、別に危なくない、みたいな調子で説明していたので、もう、「冗談じゃない、あなたは信頼できない、辞めろ」の大合唱でした。まあ、見つかってから半年も汚染された土の山を放っておいたんですから、まあ、責められるべきでしょう。でも、糾弾者の中にはかなりヒステリックな人たちもいて、閉口しました。

本題にはいるまで1時間。
本題に入ったら、スムーズに進んで、
近所の大学の教室をいくつか借りて月曜日から授業再開だそうです。
ほっとしました。

でも、本当に危機管理は迅速に・・・ですね。

「人の振り見て、わが振り直せ」
小学校の時に先生から聞いて覚えた言葉ですが、
心に留めたいと思います。
危機管理は迅速に、
「様子を見よう」と言うのはよっぽど気をつけて・・・。

では、今日の聖書。
今日は詩篇の68篇でした。

「ほむべきかな。日々、私たちのために、
 重荷をになわれる主。」
19節の言葉です。

私たちの重荷を負ってくださる主。
それも「日々」負ってくださると。

主が負ってくださるんだから、
安心して歩んでいけばいい。
心配なこと、心乱れること、
いろいろあるけれども、
主が私の重荷を「日々」負ってくださる。
ありがたいことだと思いました。

今日も、3日前の、
「もしも私の心にいだく不義があるなら、
 主は聞き入れてくださらない。」
の御言葉を覚えて、まず、主の前に、自分の心を点検してください、
問題があったら、聖霊様が教えてください、
と祈りつつ、祈ります。

主よ、
どうか、今日の一つ一つの問題、痛み、悩みを、
あなたが負ってください。
あなたが負ってくださるから感謝します。
祈りに答えて、御業を表してください。
どうか、あなたのすばらしさ、祈りの力を知ることができますように。
まず、私をきよめ、私の心を整えてください。

マツイ記念日特集

ちょっとした時間を見つけては、
写真を集めて、ちまちま書いてきました。
そしたら、なんだか、とても長くなってしまいました。

今から4年前、2003年5月26日。
メモリアルデーの月曜日。
教会のとある方から、野球のチケットをいただきました。
もちろん、NY Yankees。

カミさんは高校野球の時代からのマツイファンでしたから、
もう、それは楽しみ楽しみ。
私はそのころはまだアトランタ時代のブレーブスの応援の楽しさを引きずっていましたから、どちらかというとブレーブスファン。Yankeesの上品な応援にちょっと物足りないものを感じていました。その前、日本では、今はなき、近鉄を泥臭く応援していましたから、なおさらです。Yankeesの試合もこれが2回目。(1回目はもちろん、イチローが来た時のマリナーズ戦です)

すごくいい席です。
それを4枚。
5人家族ですが、まあ、チビがまだ2歳でしたから、
4人分で5人入れるだろうということで、
家族で行ってきました。

雨がしとしと降る日。
中止かなあ、え?2時間遅れ!?
ということで、出発を遅らせ、駐車場で昼ご飯を食べて、
スタジアムに。

どんなにいい席だったかというと、
こんな写真が撮れるくらいいい席。


一番右で首だけ見えるのがマツイ君ですよね。

ちなみに、こちらはこんな服装。


そう、雨が降って、寒いんです。
息子は地味めですが、
女性陣はピンクに赤に黄色。かなり派手です。
でも、この結構派手な色がテレビに映ると目立つんですよね。

試合はこの天気のように「どよ~ん」とした内容でした。
Red Sox戦だったのですが、
Wakefieldのナックルボールがまた「どよ~ん」「どよ~ん」と決まるんですね。
我らがマツイ君も全然打てない。
先発は、今や、間もなく復帰戦のClemens。
その時は300勝がかかった試合でした。
でも、Clemensは打たれるし、
寒いし、Yankeesはぱっとしないし、9回の表が終わった段階で8-4。
お客さんもかなり帰ってしまっていました。

でも、9回の裏に、我らがマツイ君に打順が回ってくるのに、
ここで帰るわけにはいきません。

先頭バッターが倒れて、1アウトランナーなし。
ここで、マツイ君登場です。
でも、なんだか打てそうにない。
2-3(アメリカ流では3-2)からの6球目。

マツイ君の振ったバットが空を切って、
あ~三振。と思ったその瞬間、
手が滑ってバットがマツイ君の手を離れてすっ飛びました。
そのバットがヘリコプターのようにパタパタと回り、
どこかでワンバウンドして、私と息子の手の中にストンと入ってきたのです。

その瞬間のテレビ映像。


マツイ君の頭のあたりの黄色いカッパを着て赤い服の母親に抱かれているのが下の娘。
上の娘はピンクを着て、その隣で気分が悪くなって寝ています。
傘の上に背後霊のように顔が写っているのが、息子。
その左でフードを頭にかぶっているのが私です。

何とか、その時のビデオをアップしたいのですが、
どうでしょうか?


あ、でも著作権とかでクレームが付いたりするんでしょうか?こういうのは・・・。

後で見てみると、ああ、どうして、あの時、
もっと「やったーっ」とポーズを決めなかったのか、残念です。
次回は(ってあるのかい?)、ばっちり決めたいと思います。

すぐにセキュリティーの人が来て、
私も、当然返すもんだと思ったので返したのですが、
とたんにブーイングの嵐。

「おまえ、どうして返すんだ?」
「今、追いかけてきてもらってこい」
まわりの声に励まされて、
追いかけていって、「これ、もらえないんですか?」
と聞いたら、「試合が終わったら来い」と。

試合、すぐに終わりましたよ、すでに9回裏2アウトだったんですから・・・。

そして、言われたところに行ったら、
「はい」と渡してくれました。
ちょっと拍子抜け。
裏の方に連れて行かれて、
一緒に写真とか撮らせてもらえるかなあ、な~んてずうずうしいこと思っていましたから・・・。

テレビのアナウンサーは「ファンがバットをおみやげにもらいましたねえ」と言っていましたね。やっぱりこちらでは、ふつうにもらえるもんなんでしょうか?日本ではファールボールも返してましたからね。あれ、今でも返すんでしたっけ?

熱狂的マツイファンの家内は「サインもらおうよ」と外で待つことを主張したのですが、
サインペンもなく、雨も降っていて、娘も調子が悪く、
まあ、とにかく大喜びでそのまま帰ることにしました。

湿っていた試合の内容なんてもうどうでもよくなって、大興奮。

そして、車に戻って、携帯電話をチェックしたら、またまたびっくり。
5つもメッセージが入っているではないですか。
みんな、休日で家でゆっくりテレビを見てた教会の人たち。
まあ、5つのうちの3つは同一人物でしたがね。
ちなみに自宅にも2つメッセージが残っていました。

その後、その3つのメッセージの主のお宅におじゃまして、
みんなで記念撮影。
無難なところで、息子と私の写真。
グリップエンドには、NY55と、上にAなのか、4なのか、そして、下にMの文字。


いろいろ調べてみると、その年のちょうど5月にメープル材に変えたみたいですから、MapleのMでしょうか?上のAか4か、は何なんでしょうね。
そして、その後、あるつてを通して、サインをいただきました。


家宝です・・・。

日本で副牧師をしていた学院教会には、
彫刻家の方がおられました。
その方の作品で、「見つけたり!」というのがありました。
新約聖書のルカによる福音書15章に出てくる、
探していた羊を見つけた羊飼いの喜びの様子を表した彫像です。
バットが飛んできて、私たちは大興奮でしたが、
神さまは私たちを見つけて、大興奮してくださる。
神さまは本当に喜んでくださるんだろうなあ、と思いました。

その後、次にYankee Studiumに野球を見に行った時に改めて思いました。
「よくもまあ、これだけ大きなスタジアムで、これだけたくさんの人がいる中で、自分のところに飛んできたなあ」と。

私たちが神さまに拾ってもらったことも、そういうことなのかと。

感謝。

2007-05-30

何のために

今朝起きてみたら、
庭になんだか大きなこんもりとした茂みができています。


何だろうと外に出てみると、
大きな枝が落ちています。

直径30センチくらい。


どこから落ちたのかなあ、と、上を見上げると、
5メートルくらいの高さから落ちたみたいです。
裏の家の巨木に大きな穴があいています。


こんな枝、もしも誰かがいるところに落ちてきたら、もうひとたまりもありません。

なんと、のんちによると夜中の2時か3時頃に、
メリメリ、がらがら、ザワザワと大きな音がして飛び起きたそうです。
家中の本棚を見て回って、
庭のデッキが壊れたのかと思ってチェックして、
でも、どこでもないし、「空耳かなあ、でもあんな空耳・・・」と自分の精神状態を心配して、
しばらく眠れなかったそうです。
でも、そんな空耳だってしょうがない、と気持ちを切り替えて、寝たそうです。

私?な~んにも気がつきませんでした。
「メリメリ、がらがら、ザワザワ」にも、
のんちが家中を歩き回っているのにも・・・。

裏の人が「Tree Serviceを手配しているから・・・」というメモを
ポストに残していってくださいました。
前から気になっていたんですね。この木。ちょこちょこ中ぐらいの枝が落ちて、
大きな枝が落ちたり、木が倒れたりしなければいいけどなあ、と思っていました。

でも、何よりも誰もけが人がいなくてよかったです。

昨日の聖書の言葉、
心に留まっています。
今日も一日、そのことを何度も思い出して、
「主よ、私の心を探ってください、私のうちにある罪を示してください。」と祈りました。

そして、そのように歩んでいると、
個人的にお話しする一人一人に、
はっきりと「罪の問題」を語ることができます。
主の助けをひしひしと感じる一日でした。

今日も午後から結構暑くなりましたが、
明日はまたワンランク暑くなるようです。
下の娘は遠足です。倒れるほど熱くなりませんように。
上の娘は学校の環境の問題で臨時休校が続いています。
問題が解決しますように。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の67篇。

それは、あなたの道が地の上に、
 あなたの御救いが
 すべての国々の間に知られるためです。」
2節の言葉です。

きょう、ふと、私は何のために福音を語っているんだろうか、
私は何のために伝道しているのだろうか、と思わされた。

人に語りながら、勉強をするために机に向かいながら、
「自分は何のために伝道しているのだろうか」と。

牧師としての成功とか、見栄とか?
教会を大きくするため?

もちろん、誘惑や落とし穴はあるだろう、
気をつけなければいけないと思う。

でも、それは今、目的にはなっていないだろうなと思う。
では?
一人の人が作り替えられて、
永遠の命を持つようになるため?
その喜びなんだろうと思う。

そして、人が神をたたえるようになっていく、それを見せて頂けるのは、
賛美を心からささげる一人の人を見るのは、
本当に大きな幸いだと思う。

主よ、
人が救われるのは、
何とすばらしいことでしょうか?
人が喜びにあふれて、主をほめたたえる者と作り替えられるのを見るのは、
何とうれしいことでしょうか?
今年も、もっともっと多くの方々に、あなたのことを伝えさせてください。
今年も、キリストにあって、新しいスタートをして、
感謝にあふれて歩み始める方が起こされますように。
そして、そこで安心しないで、
お導きを続けることができるように。
主よ、用いてください。
あなたの目で人を見ていくことができますように。


2007-05-29

祈りが聞かれるために

今日は昨日までよりもずっと過ごしやすい、
からっとした天気でした。
でも、それなりに気温は上がったようです。
30度近くまで行ったのでは・・・。

夜は過ごしやすいです。

そして、明日は今日よりもワンランクまた蒸し暑い感じが帰ってくるようです。

なんだか、例年よりもかなり早く夏が来たみたいです。

今日の聖書。
今日は詩篇の66篇を読みました。

「もしも私の心にいだく不義があるなら、
 主は聞き入れてくださらない。」
18節の言葉です。

何年か前に著名な先生が来られた時に、
この箇所について、
「『罪があったら祈りが聞かれない』と、伝統的にここから言われていたけれども、
それはまちがいだ」みたいなことを言われて、どうしてかなあ、と思ったのを思い出します。

そして、今日もう一度ここにぶつかって、
やはり、この聖書の箇所はこの通りに読むべきだ、と示されています。

確かに、神経質すぎる人が、
「こんな罪深い私の祈りは聞かれるはずがない」と思ってしまうのは、問題だと思います。
でも、「こんなに私は罪深い」と思っている人の祈りは聞かれるのです。
イエスがそのことをはっきり言っています。

でも、問題は、「私は結構いい線行っている」という時です。

私の場合は、やはり、そんなときに、この御言葉にであうと、
「そうだ、一つ一つ心をきよめて頂いて、悔い改めて、主の前に出よう」と思います。
やはり悔い改めに、自分の心の点検に心が向くのです。
この御言葉がなければ、気がつかないことに、気がつかされるのです。

今日も、ここを読んでいて、悔い改めるべきことを悔い改めたい、という思いになりました。
そして、「義人の祈りは大いに力がある」ということを経験させて頂きたいと思いました。

主よ、
人の言葉ではなく、あなたの御言葉の力を感じました。
人の言葉は、あなたの御言葉を骨抜きにします。
人の言葉は、あなたの御言葉の受け入れがたい部分を
迂回して、受け入れやすいものに変えようとします。

私の心を探り、
悔い改めるべきことを教えてください。
そして、私の祈りが「聞かれる祈り」になりますように。

2007-05-28

神の前の静けさ

今日も暑かったです。32度くらいまで上がりました。
メモリアルデーの休日。

「何がしたい?」という問いかけに、
「古本屋でマンガを買いたい」という娘の提案で、
ミツワとその隣の古本屋さんに行きました。

ミツワで、まあ休日ということもあり、にぎやかでしたが、
3組の知り合いに会いました。
これだけ日本人の人がいて、
知り合いが3組だけというのも、ちょっとネットワークを広げなければ・・・と思いました。

あと、入ってすぐのところに、「キュウリの苗」。
何と$4.99で売っているではないですか。
それも小さな苗。
うーん、ちょっと商売を始めようかなあ、と思うくらいです。
残念ながら、今年は、3-4本しか苗が作れなかったので、
自分の分しかないのですが・・・。

車の中でいろいろあって・・・
そう、いろいろあって、
帰ってから、
ちょっと休んで、その後、庭掃除をしました。
だいぶ進んだかな。

部屋の掃除もしなくては・・・。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の65篇を読みました。

「 神よ。あなたの御前には静けさがあり、
 シオンには賛美があります。」
1節です。

神さまの前に「静けさ」がある。
この「静けさ」が自分にどれほど必要なことか。
ばたばた走り回ったり、
いろんなことに振り回されたりしている中で、
主の前の静けさの中に身を置くことがどれほど大切なことか。

たぶん、何か興奮しなくていいんだと思います。
大騒ぎをしなくていいんだと思います。
静けさの中に身を置いていくこと。
それが大切なんだろうと思います。

生活の中にちょっとだけ、場所を作って、
時間の中に、ちょっとだけ特別なスペースを作って、
その時を、ただただ、主の前に座る、ということだけのために使う。
他のことに捕らわれるのではなくて、
主と私だけのために・・・。

主よ、
あなたをしたい求めます。
あなたと私だけの関係、その時を、
大切にさせてください。
そこに生きる喜びを味わわせてください。

そして、そこでいただいた豊かさを持って、
人々の中に出て行くことができますように。


2007-05-27

人の心の深さ

いやあ、今日も暑くなりました。
午前中はそれほどでもなかったと思いますが、
午後からは暑くて、
夜になってもいつまでも蒸し暑いです。

夜の11時過ぎで23度もあります。

今日は教会から帰ってきたのが、
6時前。
すごい早い。

そして、その後、明日は子供たちも学校が休みなので、
家族でゆっくり過ごしました。
5歳から4×歳まで、一緒にトランプをやったり、
真剣勝負の親子卓球対決をやったり(1勝2敗で敗れました)、
久しぶりに家族をしてしまいました。

JOYJOYキャンプ参加申し込み、受付中。
本日現在の申し込みは42名。
あと6日です。

今月の「百万人の福音」、そう、5月号。昨日届きました。
今回のはまたいいですねえ。
特集の最初に出てくるご婦人の手記ですが、
印象深く読みました。
というのは、まだJCCNJの牧師になりたてのころ、
10年くらい前、
この方の記事を新聞で読んで、
スクラップしていたことを思い出したからです。

そこに「アメリカで教会の人たちと出会い・・・」とあったので、
「この方はクリスチャンになられたのだろうか・・・」と、ずっと思っていました。
今回、その方がクリスチャンになられたこと、
大きな経験をされたことを読んで、本当にうれしかったです。

「ゆるす」「ゆるしなさい」なんてこと、簡単に言ってはいけない、
そう思いました。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の64篇でした。

「人の内側のものと心とは、深いものです。」
6節。

この言葉の「人間の心の深さ」は
決して積極的な意味ではなくて、
negativeな意味です。

どちらかというと、
自分はそれほど人は悪いものではないと思って生きてきたのだと思います。
でも、それはまた甘いのかも知れません。

最近、「放蕩息子」のたとえ話で、
また新しいことを感じました。

私は今まで、お父さんに喜んで迎えられた弟息子は、
翌日から、一生懸命働くものだと信じていました。

でも、ある新聞記事で、
本当に放蕩息子をして、でも、親に受け入れられた
一人の少年が、聖書の「放蕩息子」のたとえを読んで、
弟息子のことを「こいつ、また親を裏切るな・・・」と思ったというのを読んで、
ちょっとショックでした。

でも、もしかしたら、このお父さんは、
そんなこと百も承知で、
そのリスクをちゃんとわかっていて、
この息子を迎えたのではないか、
そんなことを感じたのです。

だから、私もそのようなものでありたいと思いました。
ただの「お人好し」ではなくて、
人の弱さ、罪深さを甘く見るのではなくて、
必要以上に人の善意を期待するのではなくて、
リスクをちゃんとわかっていて、
でも、やっぱり、人を受け入れる、そんな者になれないだろうか、
そう思いました。

主よ、
わたしはまだまだ、人間の弱さ、罪深さが
わかっていないのかも知れません。
どうか、それを知る者としてください。
わかった上で、受け入れる勇気をください。
どうか、あなたの恵みをもっと教えてください。
あなたがどんなリスクを覚悟で、わたしを救ってくださったか、
心の深いところで知ることができますように。

2007-05-26

満ち足りる心

今日も暑い日でした。
でも、昨日のように34度までは行かなかったようです。
30度くらい。

明日も暑くなるようです。
でも一時雨もあるかも知れないようです。
補習校の運動会もある日なので、
まあ、晴れて欲しいですが、
あまり暑いのも大変だろうということで、
ほどほどであって欲しいものです。

Google Calenderを使ってみています。
なんだか、いろんな情報がGoogleに集まっていくのはどうなんだろうかと思いますが、
まあ、大丈夫でしょう。

左側のサイドバーの「予定表」からジャンプできます。
教会の集会の予定はPublic扱い。
他の個人的にいろんな方にお会いするのは、
Private扱いです。ただ「Busy」と出ます。

さてさて、
今日の聖書。
今日は詩篇の63篇を読みました。

「私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、
 私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。」
5節の言葉です。

満ち足りる心、
それをこの詩人は脂肪と髄とに満ち足りる、という言葉を使っています。
栄養たっぷり、エネルギーの源になるようなもので満たしてくださるというのです。

このところ、私の心はそのような栄養で満たされているだろうかと、
振り返りました。
そして、とにかく、そのような満たしに与りたいと思いました。
私の魂の奥深いところまで、
誰か人との関係で満たされていくことではなくて、
主ご自身との関係の中で、
満たされていきたいと思いました。

満たして頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、私を満たしてください。
私の魂をあなたの恵みと命で満たしてください。
そして、あなたの与えてくださる喜びであふれさせてください。
満たされた喜びがあふれて、周りの人々にも力となっていきますように。


2007-05-25

心を注ぎ出す

今日はまた暑かったですねえ。
34度まで行きました。
でも湿度は日本のことを考えるとめちゃくちゃ低い20パーセント台。
Wild Fireとかも起きているくらいです。

明日もまた暑い一日のようです。

ここで、今年のJOYJOYキャンプ受付状況。
今日までに申込書をいただいたのが39名。
定員まであと11名です。
あと、一週間ですが、やっぱりちょっと超えるでしょうか・・・。

明日は4周年のマツイ記念日です。
ちょっと時間のある時に、当時の写真とかビデオとか掘り出してみます。
日本の親父は写真を掲載しているスポーツ新聞を見つけ、
新聞社にかけあって、その写真を焼き増ししてもらったそうな・・・。

ではでは、今日の聖書。
今日は詩篇の62篇でした。

「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。」
8節の言葉です。

心を注ぎ出す。
どんな感じなのでしょうか?
心にあることを、すべて主の前に出していく。
自分の存在のすべて。
自分で認めたくないところ、
自分でもう乗り越えたと思っているけど、
実際は未だ苦しんでいるところ・・・。
他の人にはなかなか言えないこと、
それをすべて注ぎだして、
主にわかって頂く、
そして、主が自分の心にふれてくださることを、
待ち望んでいくことなのだろう。

苦しいことも、
自分が情けなく思ってしまうところ、
自分が自分で赦せなく思っていることも・・・。

主よ、
心を注ぎ出す祈り、
時間もかかるでしょう。
表面的な祈りではなく、
言葉だけの祈りではなく、
心からの祈りを捧げる、
そのような時が、必要だと思います。
どうか、祈らせてください。
祈ります。
主よ、
あなたに心のすべてを注ぎだして、祈る喜び、平安、
味わわせてください。

2007-05-24

衰え果てる時

お祈りありがとうございます。
娘もすっかり元気になりました。

今日のキッズクラブの帰りの車の中での父と娘の会話。

「ねえ、パパとママと、○○と、
○○と、○○と(家族の名前を全部言う)、
みんな一緒に死んだ方がいいね・・・」

「え?」

「だって、一人ずつはさびしいじゃん・・・」

「さびしいけどさ、でも、神様は助けてくれるんだよ」

「スーパーマンみたいに?」

「・・・・そうじゃなくって・・・、一人でも、神様のところに行くから大丈夫だよ」

「でもさ、神様は死なないの?」

「神様は死なないよ。」

「ずるいなあ神様。」

「・・・・いやあ、神様死んじゃったら天国はさびしくなっちゃうでしょ・・・」

いろいろ考えているんですね。
最近、時々口にするんですよね。「死」ということ。

4月のカミさんの誕生日には
「ママ、4×歳になったんだ。やだな、もうすぐ死んじゃうの・・・」
・・・オイオイ・・・ちょっと違うんですが・・・。

私も5歳くらいの時、
よく怖い夢を見ました。

だからいろいろ感じる頃なんだろうと思います。
でも、時期的なことだけですませないで、
神さまと共に歩む平安を知って欲しいと思います。

26歳の時、
2回目の交通事故に遭いました。

夜、教会の集会が終わった後、
坂道のてっぺんから後ろ向きで降りてきた車を誘導していました。
でも、愚かなことに、その車の真後ろで「オーライ」とか言っていたのです。

そして、運転しておられた方が、クラッチを切って、
そのまま、ブレーキが踏めないで、「スー」っと加速して降りてきたのです。
「ストップ、ストップ、ブレーキ!」と叫びながら、
車の後ろをたたいたのですが、
運転しておられた方もパニックを起こされて、
そのまま、車は塀に激突。
塀と車の間にはさまれそうだった私ですが、
間一髪、身をひらりとかわして、逃げたつもり。
でも、どこかで頭を打ったらしく、頭には血がべったりでした。

すぐ病院に連れて行かれました。
意識もはっきりしていましたし、
そんなに激しく打った訳ではないことはわかっていましたから、
そんなに心配していませんでした。
実際、レントゲンの結果も、「大丈夫」でした。

でも、帰りに一枚の紙を渡されました。
そこには「頭を打った時には、そのときは大丈夫でも、
あとになって、脳に障害が出たり、命にかかわることもありますので、
以下のような症状が出たら、すぐに病院に連絡して、救急においでください。
・・・・
手足のしびれ、頭の痛み、吐き気、・・・」

人間、弱いもので、それを読んだら、
急に手足がしびれてきたような気がして、
頭が痛くなってきたような気がして、
吐き気がするような気がして・・・。

その時、思いました。
もしも、本当に自分にこのような症状が出てきて、
もしものことがあったら、
その時、死の川波を渡っていくのは、
自分一人なのだ。
どんなに誰かが「大丈夫だよ」と言ってくれても、
「私がここにいるよ」と、手を握ってくれても、
この世を去っていくのは、私一人なのだ、
そう思ったら、怖くて、さびしくて、悲しくて仕方がありませんでした。

「今夜は一人で寝ないように」と言われた私は、
ある方にお世話になりました。
入眠剤までもらって、夜、ベッドに入って、天井の模様をながめていました。
しばらく、悶々としながら、時間を過ごした後、
一つの聖書の言葉が私の心に響いてきました。

「たとい、死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたが私と共におられるからです」
詩篇の23篇の言葉です。

大丈夫だ、もし何かがあっても、
私は一人ではない、私と共に死の向こう側にも共に行ってくださる方がおられる。

そう思った時に、心に大きな平安が与えられました。
そして、
入眠剤なしでも、いつの間にか、眠りについていました。

今日は32度くらいまで行きました。
明日も暑い日になりそうです。
というか、今日よりももう一段暑くなるようです。
夏、到来となるでしょうか?

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の61篇を読みました。

「私の心が衰え果てるとき・・・」
2節の言葉です。

いつでも、「勝利です」と言いたい。
いつでも輝いていたい。
いつでもはつらつとしていたい。
そう思います。

でも、この詩篇を読んで、
この言葉に出会った時に、
「そういうこともあるよね」と思いました。
「心が衰え果てる時・・・」
でも、そんなときに、叫び声を上げることのできる方がおられるのは、
本当に慰めですし、励ましです。

自分の弱さや、「衰え果てる」ことを否定する必要もない、
でも、そんな中でも、私の希望であり、
私の力の源である方がおられる。

その主に今日も目を上げて、
今日も目を向けて歩みたいと思いました。

主よ、
今日の祈り会に感謝します。
共に祈る喜びを与えてくださったことに感謝します。
どうか、ペンテコステの日曜日に、
豊かな聖霊様の満たしを与えてください。
あなたが私の希望です。
どうかあなたの御業をなしてください。

人の力と神の力

日付は変わってしまいましたが、
2回目の更新。

下の娘も、なんとか、食べられるようになったみたいです。
帰ったら、夕食食べていました。
なんか新鮮でした。食べている風景。
まあ、ほっと一息です。って、何にもしていませんが・・・私は。

水曜日はまた気持ちのいい日でした。
木曜日はもうちょっと暑くなるようですね。
30度くらいまで行くみたいです。
先週の金曜日は10度くらいでしたよね。

なんだか、夏だったり冬だったりです。

水曜日の聖書。
水曜日は詩篇の60篇を読みました。

「どうか、敵から私たちを助けてください。
 まことに、人の救いはむなしいものです。」
11節の言葉です。

戦いの中で、神の助けを祈る歌です。
何が私たちの力かが問われているように思いました。

自分は人の助けをどれだけ求めているだろうか。
神の助けをどれだけ求めているだろうか?

日曜日の説教の準備をしながら、
また「祈りの人」になりたいと思いました。
かけ声だけではなく、
祈る人になりたいと思いました。
主は私たちを祈りに招いていてくださる。
祈る人になりたいと思いました。

主よ、
祈ることを教えてください。
祈りに招いてくださってありがとうございます。
人の力ではなく、あなたの力をあてにする者とならせてください。

2007-05-23

神の超越

今日はNYDayです。
こんな時間に時間ができたので、
一回目の更新。
夜、帰ってから元気があれば、やっと「一日一篇」が追いつきます。

今日も野菜の苗を紹介しましょう。
こちらインゲンです。


インゲンには「つるあり」と「つるなし」があります。
これは「つるあり」です。
「つるあり」はものすごい勢いでつるが伸びます。
放っておいたら何メートルまで伸びるんでしょうか?
わからないくらいです。
そして、次々と花が咲いて実がなります。
「つるなし」は30センチくらいで、どんどん花が咲いて実がなります。

長持ちは「つるあり」、
短期決戦は「つるなし」です。

今年も両方苗が育ちました。

「ニンゲン」はどうか?
「短期決戦」「長く次々と・・・」それぞれの持ち味ですね。

私は「つるあり」の方に魅力を感じますが、
いずれにせよ、「実を結ぶ」者となりたいと思います。

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制・・・」

さて、昨日、火曜日の聖書。
詩篇の59篇でした。

「しかし主よ。あなたは、彼らを笑い、
 すべての国々を、あざけられます。」
8節の言葉です。

困難の中で、敵の攻撃の中で、
詩人は、主の支配を信じます。

主がすべてを超えておられることを見るのです。

本当に主の支配を信じている人は何と幸いなことでしょうか?

自分でじたばたする必要がないのです。
大騒ぎをする必要がないのです。

そのような主への絶対的な信頼を持っていたいと思いました。
主を信頼して、安心して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの守りを信頼します。
あなたがすべてを支配の元においておられることを信頼します。
どうか、私の信頼が
嵐の中でも守られますように。

2007-05-22

さばく神が地におられる

下の娘の調子の悪いのが5日目に突入。
でも、夕方からちょっとよくなってきた感じでもあります。

今日もまぶしいくらいのいい天気。
明日もまた今日と同じようないい天気のようです。

今年は野菜ネタが少ないのですが、
いくつかはやはり苗を育てています。

たとえば、これはキュウリ。


日本とアメリカで全然違う野菜の一つです。
去年はそれまで毎年やられていたグランドホッグとの戦いに勝利し、
100本以上収穫しましたが、
今年はどうでしょうか?
苗作りも去年よりもずっと遅れています。
去年は今頃もう定植していますが、
今年はまだ本葉がやっと顔を出したところです。

昨日、月曜日の聖書。
昨日は詩篇の58篇でした。

その最後の言葉。
「まことに、さばく神が、地におられる。」
11節の言葉が心にとまりました。

神様は正しい裁きをしてくださる。
その神様は天で私たちを見下ろしているのではなくて、
この地におられると。

この主に信頼していこうと思いました。
主が正しいことをしてくださるから、
主が正しい裁きをしてくださるから、
そこに委ねていこうと・・・。

だから、真実に、誠実に自分の働きを全うすればいい。
そのように思います。

主よ、
あなたがおられることを、
あなたはいつも正しい方であることを、
信頼します。
すべてをあなたの御手に委ねます。
あなたがすばらしいことをしてくださいますように。

2007-05-21

主の元に身を避ける

今日は朝はちょっとひんやりでしたが、
また昼間は暖かくなりました。
今週は日に日に5月らしい暖かさになるようです。

アスパラガスも、もう食べたくなるようなのが出てこないので、
しばらく収穫を止めて、のばすようにします。
秋口にはまた出てくるかと思います。

良く聞かれるのですが、
あの食べるアスパラガスと、
フラワーアレンジや観葉植物につかうアスパラガスは、
「同じ」です。

先っぽが開いて、ふわふわ~という感じになります。

今日もテレビ観戦ですが、
まあ、安心してみていられる感じです。
我らがマツイ君は今日はダメですが・・・。

あと、娘の腹下しは4日目に突入。
朝のうちは、今日はもう元気になったかなあ、と思ったら、
また午後からダウン。
まあ、焦らないことでしょう。
でもやっぱり痛々しいものです。

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は詩篇の57篇でした。

「神よ。私をあわれんでください。
 私をあわれんでください。
 私のたましいはあなたに身を避けていますから。
 まことに、滅びが過ぎ去るまで、
 私は御翼の陰に身を避けます。」
1節の言葉です。

この詩の標題が「滅ぼすな」の調べに合わせて、ということで、
あのダビデが未だ王になる前に、
自分のいのちをねらっていた当時の王のサウルを、
討つチャンスがあったのに、
「彼は神に選ばれた王だから・・・」と自ら手を下そうとしなかった事件を
思いながら歌われた詩だと言うことでしょう。

だとすると、
この「神に身を避ける」と言うことの意味の深さを思わされます。
自分が手を下すチャンスがありながら、
「私は主に委ねます」と主を信頼しているのです。

主を信じる、ということの壮絶さを思わされます。

主よ、
私もあなたを信じます。
あなたを信頼します。
あなたがなしてくださることを信頼します。
あなたの義をあらわしてください。

2007-05-20

みことばをほめたたえる

今日は午後から暖かくなりました。
そして、夜、久しぶりのテレビ観戦ですが、
久しぶりにスカッとした試合運びです。
未だ終わっていませんが、このまま勝ってくれることでしょう。

もっともっとこういう横綱相撲を取って欲しいもんです。
もちろん、相撲ではなくて、野球の話題ですが・・・。

あと、先週の週末は私が調子悪かったですが、
今週は一番下の子が同じような感じです。
でも、自分ではないぶんだけ、痛々しいです。

早く元気になって欲しいです。

今日の礼拝はまた幸いな礼拝でした。
教会が教会としてしっかり立っていくことができるようにと、
再出発できるようにと願います。

さてさて、昨日土曜日の聖書です。
昨日は詩篇の56篇を読みました。

「神にあって、私はみことばをほめたたえます。
 主にあって、私はみことばをほめたたえます。」
10節の言葉です。

御言葉をほめたたえる。
それはやはり御言葉の力を知るから。
御言葉がどれだけ力あるものかを知るから。

御言葉がその通りになることを知るから。
御言葉が私たちを探り、
私たちをきよめ、戒め、正しい道に導くことを知っているから。

主よ、
あなたの御言葉をほめたたえます。
御言葉の力の故に感謝します。
これからも、あなたの御言葉に従って歩んでいくことができますように。
あなたの御言葉を聞きながら歩んでいくことができますように。
教会を教会として整え、守り、成長させてください。