2007-05-27

人の心の深さ

いやあ、今日も暑くなりました。
午前中はそれほどでもなかったと思いますが、
午後からは暑くて、
夜になってもいつまでも蒸し暑いです。

夜の11時過ぎで23度もあります。

今日は教会から帰ってきたのが、
6時前。
すごい早い。

そして、その後、明日は子供たちも学校が休みなので、
家族でゆっくり過ごしました。
5歳から4×歳まで、一緒にトランプをやったり、
真剣勝負の親子卓球対決をやったり(1勝2敗で敗れました)、
久しぶりに家族をしてしまいました。

JOYJOYキャンプ参加申し込み、受付中。
本日現在の申し込みは42名。
あと6日です。

今月の「百万人の福音」、そう、5月号。昨日届きました。
今回のはまたいいですねえ。
特集の最初に出てくるご婦人の手記ですが、
印象深く読みました。
というのは、まだJCCNJの牧師になりたてのころ、
10年くらい前、
この方の記事を新聞で読んで、
スクラップしていたことを思い出したからです。

そこに「アメリカで教会の人たちと出会い・・・」とあったので、
「この方はクリスチャンになられたのだろうか・・・」と、ずっと思っていました。
今回、その方がクリスチャンになられたこと、
大きな経験をされたことを読んで、本当にうれしかったです。

「ゆるす」「ゆるしなさい」なんてこと、簡単に言ってはいけない、
そう思いました。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の64篇でした。

「人の内側のものと心とは、深いものです。」
6節。

この言葉の「人間の心の深さ」は
決して積極的な意味ではなくて、
negativeな意味です。

どちらかというと、
自分はそれほど人は悪いものではないと思って生きてきたのだと思います。
でも、それはまた甘いのかも知れません。

最近、「放蕩息子」のたとえ話で、
また新しいことを感じました。

私は今まで、お父さんに喜んで迎えられた弟息子は、
翌日から、一生懸命働くものだと信じていました。

でも、ある新聞記事で、
本当に放蕩息子をして、でも、親に受け入れられた
一人の少年が、聖書の「放蕩息子」のたとえを読んで、
弟息子のことを「こいつ、また親を裏切るな・・・」と思ったというのを読んで、
ちょっとショックでした。

でも、もしかしたら、このお父さんは、
そんなこと百も承知で、
そのリスクをちゃんとわかっていて、
この息子を迎えたのではないか、
そんなことを感じたのです。

だから、私もそのようなものでありたいと思いました。
ただの「お人好し」ではなくて、
人の弱さ、罪深さを甘く見るのではなくて、
必要以上に人の善意を期待するのではなくて、
リスクをちゃんとわかっていて、
でも、やっぱり、人を受け入れる、そんな者になれないだろうか、
そう思いました。

主よ、
わたしはまだまだ、人間の弱さ、罪深さが
わかっていないのかも知れません。
どうか、それを知る者としてください。
わかった上で、受け入れる勇気をください。
どうか、あなたの恵みをもっと教えてください。
あなたがどんなリスクを覚悟で、わたしを救ってくださったか、
心の深いところで知ることができますように。

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