2007-05-29

祈りが聞かれるために

今日は昨日までよりもずっと過ごしやすい、
からっとした天気でした。
でも、それなりに気温は上がったようです。
30度近くまで行ったのでは・・・。

夜は過ごしやすいです。

そして、明日は今日よりもワンランクまた蒸し暑い感じが帰ってくるようです。

なんだか、例年よりもかなり早く夏が来たみたいです。

今日の聖書。
今日は詩篇の66篇を読みました。

「もしも私の心にいだく不義があるなら、
 主は聞き入れてくださらない。」
18節の言葉です。

何年か前に著名な先生が来られた時に、
この箇所について、
「『罪があったら祈りが聞かれない』と、伝統的にここから言われていたけれども、
それはまちがいだ」みたいなことを言われて、どうしてかなあ、と思ったのを思い出します。

そして、今日もう一度ここにぶつかって、
やはり、この聖書の箇所はこの通りに読むべきだ、と示されています。

確かに、神経質すぎる人が、
「こんな罪深い私の祈りは聞かれるはずがない」と思ってしまうのは、問題だと思います。
でも、「こんなに私は罪深い」と思っている人の祈りは聞かれるのです。
イエスがそのことをはっきり言っています。

でも、問題は、「私は結構いい線行っている」という時です。

私の場合は、やはり、そんなときに、この御言葉にであうと、
「そうだ、一つ一つ心をきよめて頂いて、悔い改めて、主の前に出よう」と思います。
やはり悔い改めに、自分の心の点検に心が向くのです。
この御言葉がなければ、気がつかないことに、気がつかされるのです。

今日も、ここを読んでいて、悔い改めるべきことを悔い改めたい、という思いになりました。
そして、「義人の祈りは大いに力がある」ということを経験させて頂きたいと思いました。

主よ、
人の言葉ではなく、あなたの御言葉の力を感じました。
人の言葉は、あなたの御言葉を骨抜きにします。
人の言葉は、あなたの御言葉の受け入れがたい部分を
迂回して、受け入れやすいものに変えようとします。

私の心を探り、
悔い改めるべきことを教えてください。
そして、私の祈りが「聞かれる祈り」になりますように。

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