2011-04-16

はちこさんのブログから

はちこさんのところで私のツイートを取り上げていただいたので、
そこにコメントを・・・と思ったら長ーくなってしまったので、
自分のブログの方に載せます・・・誘導みたいでもありますが・・・(笑)

はちこさんの4月15日の記事


自分の場合は、人の期待に応えることに喜びを感じていたんだと思います。あまりよくない意味で・・・。そして、ある時にはそれに反発して真逆の決断をしたことも。でも、それもまたある意味、人の期待に振り回されていたんだと思います。
毎年レントの期間の毎週金曜日の夜に学び会を持っているのですが、今年のテーマを考えているときに、「イエスは十字架にまっすぐ進んで行った、その時にいろんな人々、いろんな考え、当時の常識、人々の期待、そんなものと対決していった」ということに気づかされたのです。その一つの大きなテーマとして、はちこさんの触れている、「軍事的政治的な意味でユダヤ人の王となってほしい」という期待もありました。それらのものと対決して、十字架への道を歩んで行った、その愛の大きさ、深さ、強さに目が留ったのです。そして、それを味わってきました。そして見えてきたのは、それが福音の土台である、ということが一番大切でありながら、わたしたちも、そのような生き方に招かれている、ということです。

ほんとうに愛のある人、ほんとうに優しい人は、みんなそうだと思うのですが、単に人々の期待に応えて生きている人ではないですよね。人の顔色を見て生きている人ではないですよね。そこには芯があると思うんですよ。それがクリスチャンであるならば、神様との関係による芯なのかな、と。

「完全な愛は恐れをとり除く」というヨハネ第一の手紙の4章の言葉を、ここでも思い出します。

人の期待に応える時に、自分の中にあるのは、私の場合は「愛」じゃなくて、「恐れ」だったんじゃないかと。

だから、そういう私のような人間が、気がついて、「そうだ、人の期待じゃないんだ、神様が何を望んでいるかなんだ」と思って歩み始める時に、それが独りよがりにならないで、人々への「愛」になるのにはまたいろいろな課題を感じます。生き方として「愛する」ことに慣れていないので、気持ちとして「愛」があっても、それをどのように伝えたらいいのか、どのような行動が愛なのかが、数十年の歩みの中で、身に付いてこないでしまったので・・・。

「愛することを教えてください」っていうのが祈りです、と天に召された梶日出男先生が書いておられましたが、私もいつも祈らされています。

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