2007-08-31

満たされている中で

今日は一日どんよりとして、
気温もまあまあ涼しく、27度くらい。
夜になったら、また一段と涼しくなってきました。
今、夜の11時半になるところですが、20度を切るところまで下がってきています。

明日はすかっと、さわやかに晴れそうです。

いよいよ夏休みもあと数日。
新学期のための宿題の追い込みや、
買い物や書類の準備もばたばた始まっていますが、

そんな中で、まだウガンダモードの余韻が残っています。

水、木、と書いている中で、
よかった部分ばかり書いてきたかもしれませんが、
やはり衛生状態や、
環境はかなり厳しいものがあったようです。

村に一つの井戸まで1キロ歩くとか、
一人80-160Kgの水を子供たちが運ぶとか、
シャワーが一人3リットルまでとか・・・つまり、おけ2杯。
ひねるとジャーと水が出ることが当たり前になっているのが、
いいことなのでしょうか。
もちろん電気もない、そんなところだそうです。
もちろん都市は違うようですが・・・。
その恩恵を忘れてしまって、当たり前になってしまっているのが、
本当にいいのかなあ、と思います。
身体能力も全然違うみたいです。
そりゃそうです。
体を動かすのは楽しいスポーツしかない日本やアメリカの子供たちと、
農作業を手伝い、毎日水汲みで何十キロから百何十キロの水を運んでいる向こうの子供たちと、
そりゃ精神的にも、肉体的にも全然違うでしょうね。

でも、また何時間もかけて学校に通っても、
別にたくさんのお金が入ってくるようになるのでもない。
もう通うことが面倒になって、
手軽にお金が手に入る売春に身をゆだねる若い女の子もいるそうです。

また北部の反政府ゲリラが活動する地域では、
誘拐されて兵士にされたり、性的虐待を受ける子供たちもいるそうです。
その人たちが解放されたり、逃げてきたり、しても、心の傷は深く、
リハビリがなかなか難しいそうです。

だから、その厳しい環境が、絶対肯定されるべきだとは思わないです。
でも、今の私たちのようなすべてが与えられている環境が本当にいいのかわからなくなってきます。
水も電気も、ガスも、電話も、何でも、すぐ手に届くところにある。
あるのがあたりまえ。

あるのに我慢して使わないとか、それも変だし・・・。なにより、これがまたきつい。
でも、せめてシャワーの水は「3リットル」までは行かなくても、できるだけ、節約しよう、
なんてちょっとだけ思っています。

どうすればいいんでしょう・・・。

さてさて、今日の聖書。
今日は箴言の10章でした。

「正しい者のくちびるは多くの人を養い・・・」
21節の言葉です。

この章は「言葉」についてですよね。
言葉に出さなければいいかというと、
そうでもないようで、

18節には
「憎しみを隠す者は偽りのくちびるを持ち、  
そしりを口に出す者は愚かな者である。」
とあります。

口に出さなければ偽りの唇で、
口に出せば愚かな者だ、

というのですから、どちらにしても、心に抱いた段階で、
それは愚かなことなのだというのでしょう。

だったら、やはり、最終的には、
口の問題ではなくて、
心の問題ですよね。

がんばって言わないようにしようとか、
そういうことではなくて、
心がそういう憎しみとか、そしりに支配されてしまうことがないようにという、
そのような戒めなんだろうと思います。

心を守ってください、と祈らされます。

主よ、
私の唇を守ってください。
でも、それよりも何よりも、
私の心を守ってください。
いつもあなたが見ておられるように、
人を見ることができますように。
怒り、憎しみ、そしり、そういうものから、
私の心をいつもいつも守ってくださいますように。

3 comments:

  1. かきごおり先生。

    箴言10章。

    >この章は「言葉」についてですよね。
    ↑なるほど。先生の着眼点から1節~32節までじっくりと観察しました。一節一節が対になっていことに気づかされました。

    知恵のある子⇔愚かな子(1節)
    正義⇔不義(2節)
    正しいもの⇔悪者(3節・6節・7節・11節・他)
    勤勉な者⇔無精者(4節)
    愛⇔憎しみ(12節)
    悟りのある者⇔思慮に欠けた者(13節)
    富む者⇔貧民(15節)
    主の祝福⇔人の労苦(22節)

    そして、前者がもたらす御言葉たちを集めてみると、
    喜び・救い・富む・祝福・ほめたたえ・安全・いのち・知恵・堅固な城・養い・礎・とりで・実らせるなど。

    後者の御言葉たちは、
    悲しみ・役に立たない・飢え・貧乏・朽ち果てる・罪・滅び・貧困・迷い・死ぬ・消えうせるなど。

    この点に注目して、再度読み返したら、両者の違いが浮き彫りになり、この章が立体的になりました。

    ウガンダの厳しい環境とアメリカや日本のすべてが与えられている環境。これもまさに対極ですね。どちらが良いのか分かりませんが、自分の置かれた環境に先ずは感謝することからですかね。

    とは言うものの荒浜と紐育では、荒浜はキツイかも…そろそろ宜しいんじゃないですかねぇ~。


    J兄

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  2. かきごおり先生
    >貧しさや厳しい環境を美化してはいけないと思いますが、物質的な豊かさが、人にとっていったい助けになっているのか、考えさせられますね。
        ↓
    先生と一緒で、私も都会育ちで、便利さの中で成長しました
    貧しく厳しい環境を美化してはいけないと私も思っています
    神様が、この便利な日本の地に私を産み落としてくださったこと、感謝の気持ちで一杯です
    しかし、色々な面で考え込んでしまいます

    友人が、アフリカの無政府の国で学校を建てるボランティア活動をしています
    水汲みの状況も子供たちの劣悪とも思える環境も
    ご子息の行かれたウガンダと大差がないと思います
    男尊女卑の思想が残る中、女性が自立し、売春などに身を落とさないためには
    教育が必要だと学校を作っています
    しかし、ゲリラ達に折角作った学校が焼き討ちにあったりしている状況です
    日本にあっては、ありえない世界です
    学校に行きたくない子供が、日本ではドンドン増えていますが
    地球の裏側では、学校に行きたくてもいけない環境があるという事を忘れてはいけないなと思っています
    友人が、日本の子供の1人でも2人でも実際にアフリカに来て
    アフリカの実情を知って貰えたら
    その子達の人生観は、きっと変わるだろうなと言っていました
    ご子息は、この夏休み、実にいい経験をされたと思います

    我が家のエコ対策
    この10年、生ゴミをゴミに出していません
    庭(と、言ってもネコの額10坪)に、穴を掘って埋めています
    そして、庭では、夏野菜を作ります
    (冬は、土を休ませるので、何も作りません)
    今年もきゅうりやトマトが大豊作でした^^
    毎日きゅうりが追いかけてくるって感じでしたよ^^
    日々の糧をお与えいただいて、感謝ですね^^

    涼しくなったら、詩篇からスタートします^^
    今日からつくつく法師が鳴き出したので、秋も間近のようです^^

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  3. j兄

    >自分の置かれた環境にまず感謝すること・・・
    本当にそうですよね。そこから出発ですよね。

    >荒浜はキツイかも・・・
    是非、是非、紐育へのカムバックの未知が開かれますように。

    旧ジャージーさん、

    ご友人の話、ご紹介頂きありがとうございます。本当に「知る」ことからスタートするんだと思います。だから、今回は息子がfirst handの経験をすることができたのですが、それを聞いた、周りの人たちにも、影響があることを思うと、少しずつのことが、大きなうねりになるのだとも思います。

    野菜の話、すごい!「キュウリが追いかけてくる」っていいですね。これから、気をつけて、生ゴミで、土壌改良、やってみようかと思います。

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