2007-08-30

本当に必要なものは

今日は蒸し暑かったですね。
32度くらいまで上がりました。
そして、夜になっても昨日までとは違って、
温度も余り下がらず、
また湿気も多くて、べたべたします。

でも、11時で23度くらいですから、
まあ、文句は言えませんね!荒浜のJ兄?

レーダーを見ると、雷雲すぐそこまで来ています。
おそらく12時か1時頃には雷雨になるのでは・・・。

明日からはまた涼しくなるようです。
月曜日のLabor Dayだけはちょっと暑くなるようですが・・・。

今日の朝は教会の祈り会。
そこで、息子がウガンダの話をいろいろしてくれました。
昨日すでに聞いていた話も多かったのですが、
改めて、いろんなことを思わされました。

私がその中で一番心動かされたのは、
「本当に必要なものはそれほど多くないのではないか」
ということでした。
お金もない、家族もいない、孤児の言葉の中に、
その表情の中に、息子はそんなことを思わされたそうです。
そんな中でも、神様を信じて、自分は恵まれている、と語る孤児の子の姿に、
神様がここにもおられると感じたそうです。

先日の礼拝の聖書箇所の、
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」という
イエスの言葉がもう一度心に語られました。

シンプルライフもかけ声だけじゃダメですよね。
新しく、具体的に、そのように生きたいと思いました。

今日の聖書。
今日は箴言の9章。

「あざける者を責めるな。  
おそらく、彼はあなたを憎むだろう。  
知恵のある者を責めよ。  
そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。」
8節の言葉です。

な~るほど、と思いました。
と共に、自分はどちらだろうかと思いました。
責められたときに、責める人を憎むか、
それとも、責める人を愛するか。

ちょっと読んだとき、
自分を「責める」側の立場において読みました。
そして、「責めてもそれを受け止めることのできない人」は
おろかなんだなあ、と、
そして、「責めたときに、それを受け止める人は、すばらしいよなあ」と思ったりしました。
でも、思いめぐらしている中で、
自分が責められたときに、どう反応しているか、問われているように感じました。

それを受け止められる、
責める人に感謝して、愛することのできる、
そういう者になりたいと思いました。

責める人は・・・いろんなケースがあるでしょうが、
でも、まともな人の場合、
よっぽど悩んで、迷って、祈って、
それで相手のことを考えて責めるわけで、
本当は感謝すべきなんですよね。

お店にクレームをつけに来る人は、
対応してくれることを期待して、
もっと言うならば、もっとよい商売をすることを期待して、
言いに来てくれる。
そして、そのときに、クレームをつけられた方が、
クレームをつけてきた人に対して、誠実な対応をするならば、
その誠実な対応の方が相手の心に残って、
周りの人にも、そのことを話す。

でも、不満があるのに直接クレームをつけに来ない人は、
他のところで、その不満をこぼす。

だから、お店にとって、ありがたいのは
直接クレームをつけに来てくれる人なんだ、

そんな話を聞いたことがあります。

「知恵のある者」になりたいと思います。

主よ、
人に責めてもらえるような、
「知恵のある者」にならせてください。
そして、それを愛を持って受け取ることができる、
感謝を持って受け取ることができる「知恵のある者」にならせてください。
なかなか、難しいです。
だから、あなたが助けてください。

3 comments:

  1. かきごおり先生、

    本日は昨日ような天気でした。午前中は晴れ~正午過ぎに曇り~夕刻前に雨。最高気温は32度。明日も同じような天候のようです。

    >私がその中で一番心動かされたの、
    ↑青年H兄のお言葉に心を動かされる先生のお姿を想像して、素晴らしいなと思いました。負うた子に教えられ、ですかね。


    箴言9章。

    ①知恵と愚かさの招きですね。(1節・13節)
    ②知恵も愚かさも同じ所から告げられる。(3節・14節)
    ③知恵も愚かさも同じ者に言われる。(4節・16節)④知恵は励ましを、愚かさは誘惑ですね。(6節・17節)
    ⑤結論はこの章のド真ん中。(10節)

    誘惑でなく励ましを頂きたいものです。誘惑されたところにこそ、主の助けがある…それならば…。

    J兄

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  2. かきごおり先生
    雨が止んだら涼しくなるかと思ったら
    湿気が高くなり
    却って蒸し暑くなりました

    >私がその中で一番心動かされた・・・の箇所を読み
    私の脳裏に浮かんだのは、マザーテレサの言葉でした
     人は一切れのパンではなく
     愛に、小さな微笑に飢えているのです
     誰からも受け入れられず
     誰からも愛されず
     必要とされないという悲しみ
     これこそ本当の飢えなのです
     愛を与え
     愛を受け取る事を知らない人は
     貧しい人の中でも最も貧しい人です
    ウガンダの子たちは、物質的、金銭的には貧しくても
    神様のを愛を受けている
    逆に、日本はどうでしょうか?
    金銭的、物質的には、恵まれていても
    それは、心からの平安ではないと思います

    今日の知恵あるもの
    責められてもそれを素直に受け止め、感謝できる知恵ある自分になりたいです
    でも、全く出来ていません
    分ってはいても出来ていません
    主からのお助けがあるように祈ります

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  3. j兄、

    今日あたりから涼しくなったでしょうか?
    涼しくなるとは言っていましたが・・・。

    箴言9章の分析、見事です。

    そうなんですね、見事なパラレルになっているんですね。

    >誘惑されたところにこそ主の助けが・・・

    本当に主に守って頂きたいです。


    旧ジャージーさん、

    日本も蒸し暑いでしょうか。
    お体大切に~。

    マザーの言葉はインドのど真ん中で人々と共に生きている中で語られているところにすごい深みを感じます。貧しさや厳しい環境を美化してはいけないと思いますが、物質的な豊かさが、人にとっていったい助けになっているのか、考えさせられますね。

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