今日は快適な一日でした。
天気もまあまあ、
気温も29度くらい。
湿度も高くなく、気持ちのいい一日でした。
夜になって、また涼しくなって、
20度くらいまで下がってきています。
明日も引き続き、さわやかな一日となりそうです。
実は、今日の朝、
ワークをしていた村から、
町に戻っているだろうという息子の携帯に、
テキストメッセージを送りました。
「何もなかったら何にも連絡しなくていいから・・・」
と言っていたのですが、
ちょっとこっちが我慢できませんでしたね。ちょっとくやしい。
「元気?」
と。
しばらくして返事が届きました。
そう、携帯の電波の届く範囲にいたんですね。
元気みたいです。
皆さんのお祈りに心から感謝します。
いい経験をたくさんもらって、
「2週間じゃ短い~」という感じだそうです。
だろうなあ、と思います。
その中に、
「今のうちに言っておくけど、カメラを落として壊れた。だから、写真は余り撮れてない。ごめん。」とありました。
カメラは100ドルもしないヤツで、全然いいんですが、
写真はちょっと期待してたからなあ。ちょっと残念。
でも、思いました。
自分が経験して、頭の中に、いろんなことを焼き付けておくこと、
それが写真を撮ることよりもずっと大切なこと。
わたしも、時々、これ、写真に撮りたいけど、このタイミングでカメラを出すのは、
何かもったいない、と感じることがあります。
カメラを落としたのはたぶん本人の不注意だと思いますが、
でも、それを許された神様には何か他の意図があったのでしょう。
たくさんのことを、心に焼き付けて帰ってきてくれたらいいな、と思います。
もう20時間後くらいには機上の人になって、
あさってには帰ってきます。
土産話が楽しみです。
さてさて、今日の聖書。
今日は箴言の6章。
「主の憎むものが六つある。
いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。
高ぶる目、偽りの舌・・・」
16-17節です。
「高ぶる目」と言うことをもう一度思わされました。
「唇」「態度」じゃないんですね。
高ぶりは「目」に出る。
ものの見方、
見え方が変わってくる。
そして、人を見る目が変わってくる。
そして、目つきが変わってくる。
本当に注意したいと思いました。
自分がいつもいつも高ぶりの罪に近い存在であることを、
思わされます。
それでどれだけ失敗をしてきたかも、
思い知らされます。
だから、高ぶりの罪から、守って頂きたいと思います。
私の目が守られますように。
主よ、
私の目を守ってください。
私が高ぶりの目を持つことがありませんように。
そのような目で物事を見たり、
人のことを見たりすることがありませんように。
もしもそのようなところに陥りそうになったときには、
どうか、教えてください。
示してください。
戒めてください。
あなたの警告に、従順でありますように。
かきごおり先生、
ReplyDeleteこちら荒浜は本日、曇りがちな空模様でした。とぎれた雲の間から射す陽射しはまだまだ強いです。
明日も曇り先行空模様。多少は涼しく感じるかな?というところでしょう。
>でも、それを許された神様には何か他の意図があったのでしょう。
↑このお言葉、ちょっぴり心に沁みました。
>そして、目つきが変わってくる。
↑このお言葉にはドキリです。
箴言6章。
ズバリ、6節でした。はい、蟻のところへ行って参ります。
J兄
何年か前に、友人が、カメラのバインダーを覗いている間に起きる瞬間があるから
ReplyDelete自分は、写真を撮らずに、自分の脳裏にその場面を焼き付けるって言った事があったんです
それを聞いた時、確かに、写真を撮ったことに満足して
大切な事を見失っていることがあるとわが身を反省したことがあります
ご子息のカメラの故障も神様のご計画の上だなとつくづく思いました
写真が残ることによって得ることもあるので
表裏一体ではあると思いますが、
ないことで得るものもたくさんあると感じています
今日、個人的には、パッチワークの講習会に出かけ(日本では、かなり著名な先生です)
講師の先生の謙虚さに触れ、そして、旅行中のその先生に訪れた
素敵な祝福のお話(神の祝福だ!!って私は思いました)をお聞きし、凄く、癒されました
そして、家に着いて、PCを開き、かきごおり先生のメッセージが
タイムリーなメッセージで、嬉しくなりました(^^♪
高ぶる目を持つ事のないように守って下さいと祈りました
そして、先生のご子息の無事のご帰還を祈りました
v>J兄、
ReplyDelete荒浜もやっと暑さ一服でしょうか。
こちらは夜はめっきり秋の感じです。
確か、13年前にNJに引っ越してきたのも、ちょうど今頃。
8月11日に生まれた娘と3歳の息子、出産直後の妻を日本に残し、アトランタからトラックに荷物を積んで、一人で運転して来ました。
大学の寮の部屋に荷物を積み上げて、一人で迎えた朝、ちょうど、こんな感じだったと思います。
私も、ありとキリギリスの話を思い出しながら6節を読みました。
「主を信頼している」とうそぶきながら、キリギリスになってしまっていないかと思います。誠実、勤勉でありたいです。
>旧ジャージーさん、
たぶん、一番写真を楽しみにしているのは、送り出した家族の方なんでしょうね。でも、やっぱり直接自分の経験として味わうこととは違うわけで・・・。いつか、私も味わってみたいと思います。
パッチワークの先生のお話もありがとうございます。「私も謙虚な人間と言われたい」と思った瞬間に、それは「謙虚」とは正反対の、「どう見られるか」にとらわれている生き方になってしまうんですね。純粋な謙虚さ、教えて頂きたいものです。