2006-03-06

安息の時

昨日は暖かくなって、
プラスの7度くらいまで行きました。
雪もすっかり融けました。
で、今朝の最低気温も-2.4度C。
冬の最後のあがきでしょうか?
もう一あがきあるんでしょうか?
この先10日間の予報を見てみると、
冷たい空気は主にアメリカの西半分に流れ込むみたいです。

東京では「春一番」が吹いたようですが、
これは立春の後に最初に吹く暖かい南風。
アメリカ北東部では、おそらく今度の土曜日あたり、
そんな日になるのでは・・・。

それで思い出しましたが、
東京とニューヨーク、
寒さの厳しさは大きく違いますが、
同じ「大陸の東側」にあって、
結構気候的に似ている+東京の天気が1週間遅れでNYでも起る、
という、考え方があります。
これ、teleconnectionといって、
本当に専門家が言っていたりします。
さて、今度の週末、ニュージャージー版「春一番」は吹くでしょうか?

で、今日の聖書。
今日は歴代誌下の29-36章を読みました。
ヒゼキヤの生涯から、エルサレムの滅亡まで、
歴代誌の最後まで行ってしまいました。
歴代誌の最後のところ、
エルサレムがバビロンのネブカデネザル王によって滅ぼされてしまった時、
その地は「安息を得た」という言葉が心に留りました。
心に留る、と言うよりは最初には「ひっかかった」と言ったらいいでしょうか?
何が安息なんだろう、と思いました。
神の裁きによって滅ぼされた王国、
征服されてしまった地、
何が「安息」なんだろうか、と思いました。
でも、その言葉を思いめぐらし、
いくつかの本を読んでいる中で、
神様がパレスチナ=イスラエルの地に無理矢理にでも「安息」を与えられたのでは?
そんな思いが与えられました。
私たちには本当に「安息」が必要なんだ、
安息の中に生きることが必要なんだ、
と思いました。

今日、私は安息日です。
いろんなことがありますが、
それでも安息日です。
「今日は返上かなあ」と思いつつ、
でも、「やっぱり安息日」と思いました。

何時間かでも、
ただ、主と共に歩むことだけを思い、
主の許に休らい、
出かける時にも、リラックスした集まりに参加して、
主の許で安らぎたいと思いました。

安息日は「何もしていない自分」にも価値を見いだしていく日、
「何もしていない自分」も主は愛し受け入れてくださっていることを、
感謝する日。
心から感謝しました。

主よ、
あなたが私に安息日を与えてくださっていることに心から感謝します。
今日の一日を感謝します。
あなたの平安を覚える者としてください。
自分の存在自体を受け入れてくださっていること、
何かをしている、あなたのために何かをしている私ではなく、
私の存在自体を受け入れてくださっていることに、
心から感謝します。

今日の一日をあなたの喜びと平安で満たしてください。

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