2009-02-26

はい、わかりません。



いやあ、今週末のStormですが、
本当にわかりません。


でも、2段階攻撃(「日曜日」と「月曜日の夜」)の可能性が
昨日よりも強まったように見えます。


そして、1段階目はNothingかもしれません。


そうだと助かるのですが・・・。


今夜は冷え込みはすっかりゆるんで・・・と思ったのですが、
今、夜の11時過ぎで0.8度。
最低気温5度くらい、とか言ってなかったかなあ・・・。

でも、明日は10度を超えて暖かくなるようです。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の69篇1-12節。


「私が、断食して、わが身を泣き悲しむと、それが私へのそしりとなりました。私が荒布を自分の着物とすると、私は彼らの物笑いの種となりました。門にすわる者たちは私のうわさ話をしています。私は酔いどれの歌になりました。」10-12節。

詩人の「何をしても悪く言われる」痛みを感じました。

詩人は何をしてもそしられ、笑われています。
そして、自分の噂が酒の席での肴になっているのです。

こんなひどい話があっていいのだろうかと思います。
こんなひどい目にあったら、どんな気持ちがするのだろうかと、
想像もできません。

でも、この詩は「メシヤの苦難の歌」と言われるように、
イエスの十字架の苦しみを預言した歌でもあります。

主はそのようなところを通ってくださった。
私たちが同じようなところを通る時には、
「主のみ苦しみをShareしてもらえる」ことでもある。

イエスの痛み苦しみを教えて頂くための
「苦しみ」というと病の苦しみとか、
経済的な困難であるとかを、
考えることが多いです。

そして、人間関係のトラブルは自分に問題があるんだから、
イエスの苦しみとは関係ない、と思いがちです。

でも、そうではなかった。
イエスもあの十字架への道の中で、
侮辱と、非難の嵐の中を耐えられた。

だから、私たちが人間関係の問題で痛みを覚える時に、
主は私たちの痛みをわかってくださる。
その痛みを通して、十字架の痛みがほんの少しでもわかる。

どんな中でも主を見上げていきたいと思いました。

主よ、
イエスさまの十字架の苦しみを覚えます。
この侮辱を耐えられる姿を覚えます。
どうか、私たちを痛みの中で、苦しみの中で、
あなたのすばらしさを知ることができますように。
あなたの解放を経験することができますように。

2009-02-25

心触れあう時。


今日も暖かい、ところまではいきませんでしたね。
でも6度まで上がりました。
そして、夜になっても昨日までよりはずっと冷え込みがゆるんでいます。

今、夜の12時半ですが、-0.6度。

この後もそれほど冷えないでしょう。

そして、週末のStormですが、
もう、なにがあるか、わかりません。
今夜のGFSは日曜日は雨ですが、
その後、月曜日の夜から火曜日にかけて雪の予報が出ています。

昨日は日曜日の夜から月曜日の朝が雪の予報でしたから、
大きく変わったことになりますが、
まあ、本当にこれはあと2日間くらい、あっちいったりこっちいったり、
予報がどんどん変わるんでしょうね。

さて、今日ある方とお話ししている中で、
「愛」について、また考えさせられました。

その中で、心が触れあうような瞬間の感覚を思い出していたのですが、
その時そこにあるのは、「今、ここで、心を開いても大丈夫」と思わせる空気を持ちながら、
そこにいる一人の人の存在、だったりするわけです。

そのような空気を持ちながら、そこにいる、
というのが、一つの愛の姿なのではないだろうかと思ったのです。

勿論、この定義が愛のすべてをいっているわけではないのですが、
今、自分がぶち当たっている問題への答えなのかなあ、と思わされました。

そして、神さまもある時には、そのような存在として、そこにおられる。

そのようなかたちで私たちに愛を注いでくださっている時が、あるのではないだろうかと思いました。

さて、今日の聖書。
今日は伝道者の書の結論、第12章。

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」13節。

いろんなことを語りながら、
でも、最後は「いつも聞いていることだと思うけど」という結論。
神さまを恐れること。

それこそが、私たちの本分。
それこそが、人間が一番人間らしい時。
人間として生きるすべて。

そして、それを知るのは早ければ早いほうがいい。
「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ」と1節にあるように。

だから、これからもどんどん子供たちや中高生たちや、
若い人々や、それから、すべての人々に、
福音を伝えていく、神さまの愛を伝えていく使命を果たしていきたいと思いました。

最近、信仰のDNAの継承ということを考えさせられています。
信仰の姿勢という点でDNAを伝えていくことが、
何よりも、私たちの生かされている使命ではないだろうかと、
感じさせられています。

主よ、
どうか、あなたを恐れる思いを、私に与えてください。
そして、それを伝えていく、継承していく、
その使命を果たさせてください。
何のためらいもなく、
信仰のDNAを継承させてください。

2009-02-24

無駄に見えることも。



今日2回目の更新。
これで何とか追いつきます。


今12時前ですが-4度くらいまで下がってきています。
今朝より、風が弱い分、冷えて、-8度から10度くらいまでいくのではないでしょうか。


明日の昼間はまたちょっとだけ寒さがゆるみそうです。5度くらい。


また、今週の週末は雪の可能性が・・・
何度はずれているかわかりませんが、
今度も大雪かもしれないし、何もないかもしれない、
というまだよくわからない状態です。


でも、夜のGFSでは、雨から雪に変わって、
吹雪状態になる天気図が出てきています。


さて、早速今日の聖書。(いい響きですね・・・「今日の聖書」)
今日は伝道の書11章でした。


「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」1節。

「日々のみことば」には、
「神さまの御手に委ねる」ということが触れられていましたが、
ここには、やはり「無駄に見えることも」というニュアンスがあると思います。

それは後半の言葉の意味との整合性の問題です。

つまり、ずっと後の日になって見出すのだから、
伝道の種まきのことや、
子供たちのための働きは、
無駄のように見えてもいい。
無駄のように見えても、無駄ではない。
やがて芽を出し実を結んでいくという。

だから、どんどん無駄に思えることをやろう。
無駄に思えることも恐れないで、やっていこう。
すぐに芽が出なくても、
すぐに結果が出なくても、
いいじゃないか。

焦る必要はない。
短期的な結果に踊ったり、がっかりしたりする必要はない。

ただ、主を信頼して、
主のなさることを信頼して、
自分のなすべき「無駄に思えること」をやっていこう。

主よ、
すぐに結果が出るかでないかで、
決めてしまうことがないように守ってください。
すぐに結果が出ないからと言って、
投げ出してしまったり、落ち込んでしまったりすることが
ありませんように。


どんどん水の上にパンを投げ続けることができますように。




心の底から。



今朝は寒かったです。
-10度まではいきませんでしたが、
-6.7度まで下がりました。


昼間は2.7度。
やっぱりまだ冬は終わっていません。
そして、このあと2週間くらいのコンピューター予想を見ても、
「ぐっと暖かくなる」という感じもなく、
「真冬じゃないけど・・・」というそこそこ寒い日が多いようです。
自分は日本に行くのですが、
自分がいない時だからこそ、天気がどうなるか、気になるところです。


今は午後7時で-0.7度。
今夜も冷えます。
風が弱くなった分だけ、
より冷え込みそうです。


今日は午後の集会では、
自分を愛することと、隣人を愛することの関係を考えさせられました。


本当に自分を愛せなければ、
自分を受け入れられなければ、
人を受けいれられない、人を愛せない、
よく言われてきたことですが、
最近、本当にその通りだなあと思わされています。


勉強したわけではないので、
上手に説明できないのですが、
自分で自分を受け入れられない人は、
人に受け入れられなければ、生きていけない。
自分が生きていっていい、という肯定を、
自分自身ではなく、誰か他のものに求める。


だから、人を恐れて、人に合わせてしまう。


それは人を愛することでもなくて、
人を受け入れることでもない。


ただ、人を恐れているだけ。


「完全な愛は恐れを取り除く」


恐れと愛とは別物。
おそらく、恐れを取り除いて、
恐れるのをやめて、人に合わせることをやめた時に出てくるのは、
恨みだったり、怒りだったり・・・


それも醜いものだけれども、
そこまで来れば、恐れに縛られて、
合わせているよりずっといい。
一歩前進。


でも、そこでとどまっていないで、
愛に満たされますように、と祈る。


「完全な愛は恐れを取り除く」
の究極の完全な愛は、神さまの愛だから。


神さまの愛に満たされることこそ、
恐れからの解放への道。


神さまの愛に満たされることこそが、
愛することへの勇気を与えてくれる。

神さま、愛することを教えてください。


さて、昨日、月曜日の聖書。
昨日は伝道者の書12章12-20節。


「王をのろおうと、ひそかに思ってはならない。寝室でも富む者をのろってはならない。なぜなら、空の鳥がその声を持ち運び、翼のあるものがそのことを告げるからだ。」20節。

隠れたところで言ったことも、
やがて伝わっていくからねえ、
やめなさいよ、悪口を言うのは・・・。
というところなんでしょうが、

最近、思わされていること・・・表面的なところを繕ってもダメだよ、
心の底から、きよめられないと・・・ということを考えると、
やっぱり、呪うような言葉を思い浮かばないような心を与えて頂きたいと思いました。
心はいろいろ呪いたいような気持ちなんだけど、
それを表には出さないで、なんてのではなくて、
心の底から、人の弱さのために祈り、
普通だったら呪いが出てくるような人間関係でも、
そこに祈りと愛があふれるような
そんな心を与えて頂きたいと思いました。

そうですよね、
たとえ言葉に出さなくても、
そのような思いをもっていたら、
それはやがて伝わっていく。

誰もうわさ話をしなくても、
雰囲気で伝わっていく。

だから、本当に心の底からの愛を与えて頂きたいと思いました。

主よ、
私の心をあなたの愛で満たしてください。
ただの事なかれ主義ではなくて、
人の反応を恐れるのではなくて、
心の底からの愛と、祈りを与えてください。

2009-02-23

GMの次はShopriteにもの申す。



電球交換のための工具を買いに行く時に、
ついでだから・・・と牛乳とトマトの注文を受けましたんで、
がたがた震えながら車の電球を無事交換した後に、


「ああ、さむい~」と車の中で一人で騒ぎながら、
Shopriteへ。


注文された牛乳とトマトを買った後、
日本の親父から注文が良くはいる、Skippyというピーナツバターを見にいくと、
お、安くなっている・・・。
そして、更に同じメーカー(Unilever)の指定された製品を7個買うと、
次の買い物に使える5ドルの割引券+エコバッグ引換券がもらえる、
という表示が出ていました。


よし・・・と決断。


日持ちのするものをまとめて買って、7つ。
「なかなかいい買い物できたなあ~♪」とチェックアウト。


でも、「あれ?」です。


5ドルの割引券も、エコバッグの引換券もくれません。


あれ~?何か間違えたかなあ、と思いつつも店の外に出ましたが、
やっぱりこれは確認しないと・・・ともう一度店内に。


そして、今週の広告で、プロモーションの確認。
すると、なんと「9個買えば5ドルの割引券+・・・」とかいてあるじゃあ、ありませんか。
えー?最近自分は勘違いをすることも多いし、物忘れもひどい、でも9個を7個と読み間違えるなんて・・・と思って、もう一度商品の棚に・・・。


すると、やっぱり「7個買うと・・・」って書いてあるじゃないですか!


勇気百倍、クレーマーかきごおりのスイッチが入ってしまいました。


で、カスタマーサービスにいって、
「あの、これ7個買ったら・・・って棚のところに書いてあったから、買ったのに、5ドル引きの商品券くれなかったよ・・・でもこの広告は9個ってあるよねえ。どういうこと?」と聞いたら、意外な答え。「そうなのよ、わかってるわ」だって。
どうしてわかっているのに直さない!ですよね。


私みたいに確認をする人は本当に一部だと思います。
ほとんどの人たちは「まあ、いいか」でしょう。


7つ買えばいいものだと思って、
いつもよりも多めに買って、
何ももらえない、だったら、
ただ、お店にとって「おいしい」話なだけじゃないですか!


何考えているんでしょうか?
間違いに気がついたら、一人でも二人でも、その担当になって、
訂正して回ればいいじゃないですか。


お客さんの立場を全く考えていません。
クレームに対する対処は迅速で、
いいと思いますが、
(ちゃんと、5ドル引き券とエコバッグ券をくれましたし・・・)
クレームが付いたら、表示を直すべきでしょう!


さて、心を静めて日々のみことばです。
日曜日の聖書。伝道者の書10:1-11


「死んだはえは、調合した香油を臭くし、発酵させる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。」1節。

土曜日の聖書箇所と同じようなメッセージです、というか、
土曜日の聖書箇所と日曜日の聖書箇所はつながっている、
続いているのです。

小さな愚かさが、
大きな大きな結果をもたらしてしまう。
気をつけていたいと思います。
主よ、
小さなことが大きな結果に至ります。
罪を甘く見ることがないように、
私の心を守ってください。

教会の一人一人の心を守り、
サタンの働きから守ってください。

ホント、再建がんばって。



今、夜の10時半。
-5度。


この寒さの中、車のブレーキランプ、交換しました。
もう、死ぬかと思いました。(大げさですが・・・)


だいたい、ブレーキランプを交換するのは、
普通は、ちょっとどこかを開けて、手を突っ込んで電球を取り替えられるようになっているんじゃないんですか?今まで、いくつも車乗ってきましたが、こんなに面倒な車は初めてです。


星形のねじ回しを買って、
後ろのランプのユニットを外そうと思っても、どっちに引っ張ったらいいかわからない。
結局、まっすぐ引き出せば良かったのですが、
それも固くてなかなか出てくれない。


やっと出せたところで、そのふたを開けるのが一苦労。
寒い中でぶるぶる震えながら、やっているから、
手も痛くなるし、逃げ出したくなる。


やっと外しても、4つ電球がある中で
どれがブレーキランプかわからない。
もういい加減にしてくれ~、でした。


英語での説明はここで見ることができます。
http://wiki.answers.com/Q/How_do_you_change_the_brake_light_bulb_on_a_Chevy_Venture



それも、うっかり、ブレーキランプがつかない方の車で、
工具を買いにいってしまったので(何のためにもう一台の車の帰りを待っていたんだ!?)、
Home Depotの駐車場で電球交換を決断。(捕まりたくないし・・・)


だから、終わっても直ったかどうか、確認できない。
後ろの車に反射する光で確認していました。
駐車場なので、吹きさらしで、風は冷たいし、
泣きそうでした。(はい、半べそかいていました)


あ、それで、家に帰る途中、右のウインカーの挙動がおかしい。
着いてから、確認したら、やっぱり右の後ろのウインカーが切れていました。
もう、しらない。もういやだあ。とにかくまた明日電球買ってきて、
今日と同じ作業、もう一度ですね。ふう。


いやあ、GMさんの再建。
もっと簡単に電球が変えられる車を作るって、大切なんじゃないでしょうか。
もっともっと消費者サイド、運転して、大切に自分でメンテナンスをしようとしている人の立場に立った車を作って欲しいと思います。ハイ。応援しています。(きっと自分ではGMの車、買わないけど・・・ね。)


さて、土曜日の聖書。
土曜日は伝道者の書9章11-18節。


「ひとりの罪人は多くの良いことを打ちこわす。」18節。


ほんとにそうだなあと思います。
だから、小さなことにも気をつけていようと思います。
まず、自分自身がきよめられなければ・・・と思います。

どれだけ、多くの良いことが打ち壊されてきたか。
私たちの罪故に・・・。
私たちが神さまに従わなかったが故に・・・。

主に対して真実に従っていきたいと思いました。
罪に対して、はっきりとした態度で歩もうと思いました。

主よ、
どうか私をきよめてください。
私の罪故に、あなたの働きが止められることがありませんように。
多くの良いことが打ち壊されることがありませんように。

クライシスの中での傲慢さ。



今日は寒いですねえ。
さっき車を運転していて、信号で止まったら、
後ろの車の人が、つかつかと歩いてきて、
「ブレーキランプが両方消えてるよ」と、
すごいことを教えてくれました。


あわてて、電球を買ったのですが、
自分で取り付けようと、切れた電球を外そうと思ったら、
特別なドライバーが必要なことがわかって、一時断念。
そんな車で工具を買いに行くのもチケットが怖くていけません。


「電球切れているの知っているけど、今工具を買いに行くところだから・・・」と言えば、
見逃してくれるでしょうかねえ、ParamusのPoliceは・・・。


で、何が言いたかったかというと、そんな作業をしている時に、
ちょー寒かった、ということ。


今、夜の7時前。
外の気温は、-3度です。
今夜は、本当に冷えそうです。


もう一台の車が帰ってきたら、そっちの車で工具を買いに行こうと思います。


で、昨日書いた、みっどらいふくらいしす云々ですが、
今日、もう一回、そんなことを考えている時に、
思わされたのは、
「自分の人生を受け入れる」というのは、
確かに大切なのですが、
40代半ばの人間にとっては、
「まだまだ、わからないことがたくさんあるから、人生まだまだ未知数」
という思いを失ってはいけない、ということです。


「自分の人生を受け入れる」という時に、
もしも、それが「人生なんてのはこんなもんだ」なんて、
わかったような気になってしまったら、ものすごい傲慢なんじゃないかと。


今日も、先週の「プロフェッショナル」を見ていて、
日本では2月10日放送の分だったようですが、
メキシコで遺跡の発掘をしている考古学の先生の姿 を見ながら、
自分はまだまだチャレンジャーなんだと思わされました。


さて、金曜日の聖書。
金曜日は伝道者の書9章1-10節でした。


「というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。」1節。

神の御手の中にある。
今、神の御手の中に置かれている。
神の御手の中に生かされている。

そのことを感謝します。
そして、そのことを、単に言葉だけではなく、
本当にそうだ、と実感をもって歩ませて頂きたいです。
闘いもあり、痛みもあるでしょう。
でも、その中で、確かに主が守ってくださっている、
そのことを経験させて頂きたいです。

主よ、
あなたの御手の中に置かれていることに感謝します。
どうか、あなたの御手の中で歩ませて頂いていること、
あなたの御手の中にいることを、
もっともっと、肌で感じることができますように。



2009-02-22

リスク分散も必要?

もう一ついっちゃいましょう。
11時になりますが、気温は-0.5度。
下がり方が鈍くなりましたね。
風が強いと、体感温度は下がるのですが、
冷え込み自体は弱くなります。


風が弱い時の方が放射冷却が効く。


どうして?


うーん、知りません。


で、調べてみました。
どうやら、同じように放射冷却は起る。
それは地表の熱が宇宙に逃げていく現象。
風がない時は、冷えた地面に冷やされた空気が
地表にとどまるために、地表近くの気温は下がる。


でも、風で、冷えた空気がすぐに攪拌されてしまうので、
空気自体はそれほど冷えない。


ってなところでしょうか?


もうちょっと勉強しようかな、このテーマも、
「みっどらいふくらいしす」と「放射冷却」2つの宿題です。


今朝、お祈りの後、教会でいろいろ仕事して、
9時頃に家に帰ったのですが、
電話が通じない、という。
で、なんと、インターネットも通じない。
テレビも映らない。


そう、Cablevisionで電話とテレビとインターネット、3つのサービスにはいると、
2年間は合わせて月100ドル以内ですむ。
(+1年間のTV Japan付き)
で、去年の秋に契約しているので、
全部Cablevisionなんですね。


で、一気に何もなくなると、すごい不安になる。


幸い、携帯電話は不通に使えたので、
連絡はできたのですが、
Cablevisionに電話するのにも、
一々連絡先を保管していない。


「どうせ、インターネットで探せばすぐ見つかるから・・・」


その理由の一言に尽きます。
紙で取っておいてもそれで探すのは一苦労。
だから、インターネットで探すから・・・といろんなインフォーメーションを捨てているんですよね。


でも、そのインターネットがダウンすると、
もう、どうしていいのかわからない。


ちょっとしたOutageでしたが、
すごく不安になりました。


ちょっとリスクの分散を検討したいです。


さて、木曜日の聖書。
木曜日は伝道者の書8章9-17節。


「しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。」12節。

なにがしあわせなんだろうか?
神と共に歩むこと。
平安の中に歩むこと。

幸せな歩みを与えられている、と思う。

主がおられるから。
ただ、主がいてくださって、
私に時間を与えてくださっているから。
その時をどのように用いるか、
それだけを考えて生きていけばいいから。

感謝。

主よ、
どうか、あなたと共に歩む喜びに生かしてください。
幸せな歩みを感謝します。
あなたと共に歩むことのすばらしさを伝えるすべを与えてください。

みっどらいふくらいしす?



10時を過ぎました。
気温は-0.2度。
どんどん気温は下がってきています。


そう、表題の言葉、最近よく聞きます。
自分に関係があるから、気がつくようになったのか、
最近、よく使われるから耳にするのか、
どちらなのか、よくわからない部分もあるのですが、
とにかく、人ごとでなく、感じています。
中年期の危機。


ホルモンバランスよりも、
どちらかというと、
自分の人生を受け入れる、という意味で、
通ってきているかなあと思います。


20代はもちろん、30代の頃までは、
何でも可能なような気がしている。
男なんてのはそんなもんです。
自分の人生ではなくて、
「坂本龍馬の人生」・・・それも「司馬遼太郎が書いたような」坂本龍馬あたりを描いていたりする。
(まあ、実際龍馬は31歳で暗殺されるわけで、みっどらいふくらいしすもへったくれもないんですがね。)
でも、40代も半ばになり、いや後半になると、
逆にリミットを感じるというか、
それよりも、リミットを受け入れることが、
平安に過ごす秘訣であるかのように感じることが多い。


逆に、この時に、「こんなはずじゃない」と、
背伸びをして、強行突破する方も多いという。


人生の先輩から、「40代後半は一番いい時でしょう」といわれて、
もうちょっと無理しようかなあ、と思ったりもするのですが、
たぶん、「一番いい時」にするためには、
龍馬の人生じゃなくて、
自分の人生を受け入れる、リミットを受け入れる、
そのプロセスをちゃんと通ることかなあ、と思っています。


いろいろ葛藤はありますが、
たぶん、平和に受け入れつつある方かなあ、と思います。
このテーマ、これからちょこちょこ考えていきたいと思っています。


さて、水曜日の聖書。
水曜日は伝道者の書8章1-8節。


「風を支配し、風を止めることのできる人はいない。死の日も支配することはできない。この戦いから放免される者はいない。」8節。

そうですよねえ。
自分でコントロールできるものがどれだけあるか?
自分でどうにもならないこともどれだけあるだろうかと思います。
それを受け入れて、
主の支配の中に生かされていくことが、
どれほど大切なことだろうかと思います。

じぶんもそう。
いつの間にか、いろんなことを自分の手で支配しようとしているのかもしれません。

風がどこからきてどこへ行くのかわからない。
今、ちょうどゴミを出しに外に出た時に、
強い風が吹いていました。
その風がどこから吹いてきて、最後はどこに行き着くのか、わからない。
それと同じように、神さまのなさることも、
私たちはどこから始まって、どこへ行くのか、わからない。

だから、主の最善を信じて、
歩んでいこうと思います。

主よ、
あなたの支配の中に生きていることに、感謝します。
あなたに身を委ね、あなたの導かれるところに歩む者とならせてください。
あなたの御業を見せてください。

雪降りませんでした。

日曜日の夕方。
6時過ぎです。
この時間に更新ができるなんて、
すごすぎます。


今日の雪は完璧に外れましたね。
雨がちょっと降っただけです。


今、6時過ぎに帰ってきたら、ちらほらと小雪が舞っていましたが・・・。


こういう天気の予報は本当に難しいです。


明日からは晴れますが、すごく寒くなりそうです。
最低気温は氷点下10度くらいまで下がって、最高気温も0度くらいまでしか上がりません。


木曜日からは暖かくなるようです。


今夜はちょっとまとめて更新しないと、と思っています。
まずは、火曜日の聖書。

火曜日は伝道者の書7章15-29節。

「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。」21節。

これは悪意のある悪口のようなものを心に留めるな、ということであって、
何にも聞かないで耳をふさげ、ということではないことは明らか。

本当にそうだなあと思う。
勿論、謙虚に耳を傾けるべき言葉はある。
大切なことがある。
でも、それと共に、
気に留めてはいけない言葉もたくさんある。

そこをきちんと見分けて、
思い煩わないで、
聞くべき言葉を聞き、
忘れるべき言葉を忘れる、
そのことによって前進していきたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたの知恵を与えてください。
聞くべき言葉を聞く謙虚さを与え、
忘れるべき言葉を忘れる強さを与えてください。
それを見分ける知恵を与えてください。

2009-02-20

日曜日は雪?



いやあ、ここに来て、日曜日の雪が、
どうなるかわからなくなってきました。
気温が高めだと思うので、
積もらないかもしれませんが、
結構「降りしきる」という時間帯があるかもしれません。


皆さんがちゃんと教会に来られるようにと、
行き帰りも守られますようにと祈らされます。


今日は早速聖書。
ずいぶんBehindになってしまいました。

今日は月曜日に読んだ分の更新。
時間が経つと感じたこと、思わされたこと、
忘れてしまうこともあります。

でも月曜日の伝道の書の7章1-14節では、
いろいろ考えさせられたことがあるので、
よく覚えています。


「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」2節。

自分は楽しいことの方が好きです。
そして、伝道もいつも「楽しくなければ・・・」と思います。
でも、月曜日の聖書の箇所の中では、
その自分の足りない部分を見せつけられたように思います。

痛みの中にある人、
悲しみの中にある人に、
寄り添っている中で見えてくるもの、
それがもっともっと大切なのではないだろうかと。

それが人としてとても大切なのではないだろうかと。

祈らされました。
悲しみの中にある人に近づいていくことができますようにと。
痛みの中にある人の傍らにたたずむことができますようにと。

主よ、
私の心を守り、
あなたの愛を満たしてください。
あなたが私を愛した愛、
あなたが人々を、軽んじられた人々を愛された愛を、
私にも与えてください。

日進月歩。


今朝は5度くらいあって、暖かかったですが、
夜になってぐっと冷えてきました。
今は夜中の12時頃ですが、-4.4度。

明日の朝はかなり寒くなりそうです。
そして、明日一日氷点下の寒い日でしょう。

週末の雪の予報ですが、
まあうっすらと雪化粧、というところのようです。
一部にはBig Surpriseを期待する向きもありますが、
週末ですから、私的にはまあ、勘弁して欲しいです・・・。

さて、今日はPCの話題ですが、
最近、あちらこちらで評判になっている
「Dropbox」 を使い始めました。

オンラインで2GBもファイルを置いておけるスペースがもらえます。
そして、そこに自動でアクセスして、ファイルを更新したら、
自動でアップデートしてくれる、という優れもののサービスです。

たとえば、家のコンピューターで週報の原稿を打って、
それをDropboxに入れておくと、教会のコンピューターを開く時に、
そのファイルが自動的に教会のコンピューターにあらわれるのです。
そして、教会のコンピューターで中身を書き換えて、
また家に帰ると、家のコンピューターでも書き換えた内容が最新版になって出てくるのです。

説明下手なんですが、これはとっても便利。
昔はフロッピーディスク(といっても私は3.5インチからしか知りませんが・・・)で、
800KBのディスクを持ち運んで、データの交換をしていました。
その後1.4MBのフロッピーが出て、
100MBのZipDiskとかも出て、
CDに焼いたり、DVDに焼いたりしましたが、
最近は普通で2GBとか、大きいのでは64GBまであるUSBメモリーとかに、
入れてデータを持ち歩く、ということもあるでしょう。

でも、これがあると、もうそういう「持ち歩くもの」はいらなくなる。

それもコンピューター1の中にあるファイルと
コンピューター2の中にあるファイルと、
ネット上のファイルと、どれが一番最新版だ?
なんてことは考えなくてもいい。

ちょっと編集前のデータが見たくても、
簡単に引っ張ってこられる。

特にこの10年くらいはものすごいスピードで変わっていますね。

恩恵を受けるのはありがたいことですが、
何か踊らされているのではと不安になったりします。
これがなくても、ちゃんと生きていけるはずなのに、
いつのまにか、「これがなかったら、自分はどうなるんだろう」という風に思ったりします。

大切なことを見失ってしまうことがないようにと、
心から祈らされます。

さて、日曜日の聖書。
伝道者の書6章でした。

「彼が千年の倍も生きても、──しあわせな目に会わなければ──両者とも同じ所に行くのではないか。
」6節。

そうですよねえ。
本当にそう思います。
だから、自分がもしもキリストに出会ってなかったら、
どんな厭世的な歩みをしていただろうかなあと思います。

または、そういうことにはとりあえず目をつむって、
日々に楽しいことを求めて生きていっただろうかと。

神によって、
この世に生かされていることの意味を知って、
この世で与えられた使命を果たして、
主の許に帰っていく、
その幸いを思わされます。

生かされていることの喜びを感じます。

決して無駄じゃない、無益じゃない、
自分の歩み。
失敗ばかり、周りの人に迷惑をかけてばかりですが、
生かされていることが間違いではない、
ということを知っていることはどれほどの力だろうかと思います。

主よ、
感謝します。
あなたがいてくださること、
あなたが私を生かしてくださっていること。
私が生きることがあなたの御思いの中にあることを、
覚えて感謝します。

どうか、あなたの使命に生きることができますように。
明日も、一つ一つの出会いを祝福してくださいますように。

あした、スペシャルゲストが来られます。
楽しみ、楽しみ。

2009-02-18

いのちがけ。

今朝は寒かったです。
といっても-5度くらいですが・・・。


夜、また氷点下に下がってきています。
夜の12時頃で-3度。


明日は午後雪が降るようですが、
夜には雨に変わって、積もることはないようです。


週末にもう一度雪の可能性があります。
そして、次の週末にも・・・。


でも、いずれにせよ、春の雪。
1月の寒さが厳しかったので、
これからは寒くなっても、
「まあ、こんなもんか・・・」です。


昨日、夕方には、航空・宇宙博物館に。
そこでハジは「ライト兄弟」の物理の計算にいたく驚いていたようですが、
私は、子供の頃、わくわくしながら見ていた「アポロ」を一生懸命見ていました。


すごろくみたいな「アポロゲーム」で遊んだ記憶があります。


でも、今見ると、いかにも「ソ連」との覇権争いですよね。
月に「星条旗」立てちゃうんだから。
「ここ、俺たちの領土だよ」みたいな。


でも、飛行士たちは命がけだった。
いま考えると原始的な機材と、技術で宇宙に飛び立っていった。


その時培った技術に、今、どれほどお世話になっているのかは、
よくわかりませんが、
天気予報なんかは特に恩恵を受けているんでしょうね。

先人たちのいのちをかけた働き。
どれだけ恩恵を受けているのでしょうか?


信仰者たちもそうだった時代もありました。
信仰を守ることは命がけだった時代。


忘れないでいたいと思います。


さて、今日2回目。土曜日の聖書。
土曜日は伝道者の書5章8-20節。


「母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。これも痛ましいことだ。」15-16節。


この間、教会でヨブ記を読んだから、
この落差に驚く。
「裸で来て、裸で帰っていく、主が与え、主が取られる、主の御名はほむべきかな」というヨブの言葉とどれほど違うことでしょうか?

神さまの御手を信じていくことの力、
その主を信頼して歩むことの力を、感じさせられました。

一生懸命働いて、
それにこだわって、それを握りしめていたら、
それを持っていけないことがわかった時に、
どんなに痛ましい思いがするのか、

最初から、預けられているもの、
まかされたもの、
いつかはお返しするものとして、
持っていることの大切さを思わされます。

主がまかせてくださったものだから、
大切にして、大切にして、
感謝してお返しする、
そのような思いを持っていきたいと思います。

主よ、
あなたが、私に任せてくださっている、
多くものに感謝します。
あなたが、私に任せてくださっている、
多くの人々の存在に感謝します。
大切にすることを教えてください。

2009-02-17

知っていました?


17日の朝です。
末娘のたっての希望で実現したショットガン式のワシントン訪問。
でも、今回、私自身いろんなことを考えさせられました。


思っていたよりも、ただの「記念館」というよりも、
リンカーンの巨像の前に花が手向けられているなど、宗教色の強い「記念堂」だったことは意外でしたが、「アメリカの宗教はキリスト教ではなくて”Civil Religion”だ」と言われるのがわかるような気がしました。
でも、厳粛な思いにされる場でした。


何よりも、彼の演説や一つ一つの言葉にあふれ出てくる、
人々に対する献身の姿勢に心を打たれました。
大統領の働きに使命を感じて、人々にとって、国にとって何が大切なのかを
いつもいつも見据えていた姿を見させられて、
自分自身の使命と献身についても考えさせられました。


でも、それと共に、
アメリカがどうして南北戦争を遂行したのか、
特に北側がどうして戦争をしたのか、
考えさせられました。


「奴隷解放」
「国の統一」


この二つの大きな理由があるのだと思いますが
(あ、勉強していないので、ここから間違っているかもしれません、でも、リンカーン記念堂に書かれていることはそういう大義名分を思わせるものでした)
どちらも、戦争をしてまで守るべきなものなのでしょうか?
もちろん、一人の人間の尊厳を奪ってしまう奴隷制が容認されるべきではありません。


でも、


正義のための戦争、
一致のための戦争、


どちらも「自己矛盾」ではないだろうか、そんな気持ちになります。

命をかけてでも守る、というものがあるのはわかります。
でも、その一方で、敵の命を奪ってでも守るものがある、
というのは考え込んでしまいます。
強盗が入った時はそうかもしれません。
誰かの命が危機に瀕している時はそうなのでしょう。
でも、そのほかの時はどうなんだろうか・・・。
でも、この国は、国の独立を勝ち取った時から、
それを肯定してきたんですよね。
この国で生きることについて、いろいろ考えさせられました。


で、知ってました?


このリンカーン記念堂、
ペニー(1セント玉)の裏面(どっちが表か知りませんが・・・)に、
刻印されています。


こんな感じ。




で、よーく見ると、
真ん中にリンカーンがいます。


ほら。


知ってました?
ちなみに我が家は5人とも知りませんでした。


さて、ずっと遡って、金曜日の聖書。
ちょっとたまってしまいました。
あとで、まとめて更新しますが、
とりあえず1日分。

金曜日は伝道者の書5章1-7節。
「神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。」2節。

これは本当に大切なことだと思いました。
主を畏れて、主の前にひざまずいて、
主の答えを待ち望むことの大切さを思いました。

自分はどうだろうか?
自分は本当に主の前にひざまずいているだろうか。
主に聞くことに熱心だろうか?

人に対しても、神に対しても、
軽々しく言葉を発していることが多くないだろうか?

聞くことに心と時間を使う、
特に神さまに聞いていく、神さまに従っていく、
そのことに心を時間を使って行こうと思わされました。

主よ、
あなたの声を聞かせてください。
あなたが主であり、私はあなたに従う者であることを、
忘れないように、守り、導いてください。

2009-02-16

Presidents Dayだからね。

月曜日の未明。
Columbia, MDで書いています。
 
日曜日、全部終わった後、7時半頃出発。
2時間くらい、NJ州内をハジが運転して、
そのあと、州外に出る直前に交代したんですが、
 
宿まであと10分のところで、ポリスに止められました。
 
はい、お約束のあれで・・・。
 
でも、丁寧に、Politeに「Yes, Sir」で対応していたら、
警告だけで見逃してくださいました。
 
ずっと65マイル道路だったところから、
55マイル道路に変わったところだったので、
注意しなさい、ということだったんでしょう。
 
でも、時々警告必要ですね。
 
気をつけます。
 
で、今回はPresident Dayということで、
うちのオバマニアのたっての希望で、
オバマくんを励ましに行ってきます。
 
今日の夜までにはまたNJに戻り、
大人は平常の生活、子供たちは1週間のお休みです。
 
今日、早く目が覚めてしまって手持ち無沙汰だったら、
更新しますが、そうじゃなければ、深夜か火曜日に。

2009-02-14

与えられた時。

今日もどちらかというと暖かい一日でしたが、
夜になって、久々の氷点下。
今は11時半ですが、-1.6度。


明日の朝は-5度くらいまで下がりそうです。


で、しばらくは晴れ。


ついこの間までの寒さを考えれば大したことはありませんが、
一度暖かいのを経験した身としては、
ちょっと冷えるかも・・・。


昨日の飛行機事故、
やはり自分が生かされているのは、
当たり前ではないんだと、思わされる出来事でした。


昨年の新年には、
聖書学院時代にお世話になった先輩が、
半年前に急に天に召されていたことを知りました。
・・・緑の牧場教会 


そして、そのころ、同じ聖書学院時代の同窓生の同世代の姉妹が、
命の危機を経験されました。本当に祈らされました。
そして、主はまた命を与えてくださっていることをお読みしました。
・・・Servants ミュージックミニストリー 



同じ仲間で、10年前NJの教会にも来て頂いた先生も
今闘病生活を送っておられます。
闘いの中で生まれた賛美は心に響きます。
・・・ハワイでハレルヤ! 


先生方のために祈りながら、
神さまの癒しを祈りながら、
そして、支えてくださっている神さまの恵みを見ながら、


振り返って自分の姿を見つめてみると、
本当に与えられた命、
与えられている健康、
当たり前ではなくて、
与えられた時間、
特別なことであることを思わされます。


神さまに託された時間。
ちゃんと正しく使っているか、
反省させられています。


さて、昨日の聖書。
昨日は伝道者の書4章4-16節。


「三つ撚りの糸は簡単には切れない。」12節。

何でここで三つよりなのか、
二つじゃなくて、三つなのか、
直前には、困難にも2人なら立ち向かえる、とあるのに、
何でここで三つよりなのか。

それはおそらく、三つよりには、
神さまという糸も撚られている、ということなんだろう。

私と誰かではなく、
そこには必ず、神さまという存在が、共にいてくださる。
その神さまと共に歩んでいく。

それによって強くされる。
その恵みを感じました。
主が共にいてくださるから大丈夫。

主がそこに共に歩んでくださるから。

主よ、
三つよりの糸はたやすく切れない。
それを本当に経験させてください。
もう、既に与えてくださっていることに、
私の目を開いてください。

2009-02-13

ろくむし。

日付変わっちゃいましたが、
12日(木曜日)の記録。


いやあ、今日はすごい風でしたねえ。
寒さの面で現実にはまだ引き戻されていないようですが、
とにかく風がすごかったです。


あちらこちらで枝が落ちてきて、3人の亡くなった方がおられたようです。


さて、明日からはホントに現実が待っています。
朝は0度くらい。昼間も5度くらい。
夜はバリバリ氷点下です。


今日はJOYJOYキッズクラブだったのですが、
始まる前、人数がそろうまでの間、「ろくむし」をやりました。


どんな遊びかというと、
こんな遊び。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/boxbox/rokumushi.html


いまだに「ろくむし、やったよねえ」という方にはお会いしたことはないのですが、
ググルと結構たくさんヒットするので、全国区だったみたいですね。
そして、この手のゲームによくある地方ルールがいっぱい。
私が知っているのは基本ルールだけです。


いやあ、ちょっとやっただけなんですが、
汗をかきました。
パッチはいていて後悔しました。


でも、つくづく思いましたが、
やっぱり体を動かすっていいですね。
自分の中で眠っていた何かが動き出すのを感じました。


帰る時に、ある男の子が「ろくむし、またやりたい」と言っていました。

はい、またやります。
JOYJOYシンガーズでもやろうかな。


からだを動かすのは今の子供たちにホントに必要だから、
JOYJOY体を動かすクラブとか、
もっと思い切って、
JOYJOYろくむしクラブ、みたいな、ニッチな活動もいいかも。


もっとオヤジっぽく、
JOYJOY「俺は子供の頃、こんなことして遊んだぞ」クラブとか。


聖書のメッセージと共に、「遊び」を伝承していくのも大切な使命かも・・・。


さて、昨日(11日)の聖書。
11日は伝道者の書3:16-4:3でした。


「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」3:18

神さまが与えられる試練にはどんな意味があるか、わからない。
いろんな可能性がある。意味がわからない場合もある。

でも、ある時には、自分の真相が見せつけられる。
普段はもっといい人間だと思っていたのに、
本当はとんでもない自己中心的な、
醜い思いを持った存在かということを見せつけられることもある。

そして、そっちの方が本当であることに愕然とする。

でも、それも、私たちが神さまに出会うための第一歩。
ほんとうの姿を知ることこそ、
ほんものになるための第一歩。

本当の自分を押さえ込むのではなくて、
認めていく中で、主が取り扱ってくださるのです。

主よ、
あなたが与えてくださる試練の中で、
本当の姿を見せつけられること、
とてもきついことです。
でも、それが恵みでもあります。
いつもいつも、つらくても、
自分の本当の姿を直視して、
そこからあなたを見上げていく者とならせてください。


今、
飛行機の事故のニュースが入ってきました。
前回はみんな助かりましたが、
今回は炎に包まれている映像が流れています。
どうか、犠牲になられた方々、家族の皆様に、
慰めと癒しを与えてください。


もう一度、私が今生かされているのは、
当たり前ではないことを、忘れないように守ってください。

2009-02-11

ご~じゃすな一日。

いや、特別なことがあったわけではありません、念のため。
いえ、ホントは毎日が特別な日ですが・・・。


でも、本当に暖かかったですね。
朝NYに行くバスの中では着るものを暖かくしていたので、
よく眠れた・・・という感じで、
初めて、NYに着いて、周りのお客さんが降りていくので、その物音で起きた、
という経験をしました。
(うーん、次は「お客さん!終点ですよ!」と運転手さんに起こされる or いつの間にか車庫に入っている、だろうと思います。)


でも、その重装備が後になっては「暑くてしょうがない」状態。
特にNYの図書館はめちゃくちゃ暑かったです。
帰りのバスは冷房かけていたかも・・・。


家に帰って見たら、今日のかきごおり家の庭の最高気温は17.8度。
これは4月下旬並の陽気です。


でも、夕方から順調に気温が下がって、今は11時過ぎですが、
6.8度。
今、まさに雨雲が来ています。
気温が下がってきているので、それほどではないと思いますが、
雷が鳴るかもしれません。


明日は現実に戻ります。
気温はまあまあ、高めだと思いますが、
風が強い一日になりそうです。


今日は早速聖書。
昨日、火曜日の聖書は伝道者の書3章1-15節。


「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」11節。

多くの人に愛されている言葉。
でも、それは前半だけ。
でも、本当にこの人が言いたかったことは、
この後半なんだろうと思う。

後半が私たちの実感に寄り添う。
前半は信仰の告白。

わからないことはある。
でも、主のなさることはいつも最善。
それをバカのように、単純に信頼して、
そこに身を委ねて歩んでいく。

それでいいんだと思う。
わからないことがあっていいんだと。
でも、主の最善を信頼して、ついていく。
それが大切なんだと思います。

主よ、
あなたを信頼して歩みます。
いつもすばらしいことをしてくださるあなたを。
どうか、私の心が揺らぐことがないように守ってください。



一人の人として。



日付が変わって、水曜日になってしまった。
火曜日の夜は8時頃からTaxのファイルから、
ハジの大学のFinancial Aidの書類の準備まで、どーっと進めた。
今週いっぱいにファイルしなければいけないところがいくつかあって、
水曜日、木曜日と時間が取れないので、
もう絶対今日やらないとまずい・・・と必死に進めた。


何だか頭が痛い。
いや、気持ちの問題じゃなくて、physicalに。


どういう訳か、自分のW-2が見つからなくて、
1時間くらい探していた。
数字はわかっていたのだけれども、
2つの大学がW-2のコピーを送れ!というので、
結構必死に探した。


他のTAX関係の書類と一緒に置いておいたつもりだったのだけれども、
去年のレシートに紛れてShoe Boxに入っていた。


自分の整理力のなさにつくづくあきれる。


でも、まあ、見つかったんだから、ましな方かな。
机の上に積み上がっている資料の中じゃなくて、
一応「家計に関するものが入っている箱」の中に入っていたんだから・・・。


月曜日はハジの誕生日祝いで外に食べに行ったのですが、
「行き帰り運転するか?」と聞いたら、
「する」というので、ほぼ2週間ぶりにハジの運転に乗せてもらった。


結構いけるかも・・・。


時々助手席側を縁石ぎりぎりまで寄せるので、
ちょっと怖いこともあったけど、のんちに言わせると、わたしもそうらしい。


ほんと、こういう一つ一つのことの中に、
ああ、もう旅立っていくんだなあ、と思わされる。


それ以上に、言うこと、態度など、一つ一つ、
親の願い通りにして欲しい、と思っている自分の気持ちの方を見せつけられる。


本人に任せること、
そして神さまに任せること、
その大切さを思わされます。


正直なところ、
わたし自身の子供の頃満たされなかったことを、
たくさん投影してきたと思います。
そして、それにハジは答えてくれてきたと思います。


特に、スポーツができなくて悔しい思いをした
自分は、息子が生まれた時に、
とにかくスポーツをやって欲しいと思いました。


別に親の期待がどうと言うことがあったかどうかわかりませんが、
一生懸命スポーツをやってくれました。


それが一番大きなことでしたが、
それだけではなくて、
たくさんたくさん、いろんなこと、
期待に応えてきたと思います。


大学を選ぶ時にも、少し、そんな感じもあるのかもしれません。


決してプレッシャーをかけてはいないと思いますし、
口に出して「ここに行け!」とか、
「こういう仕事に就け!」と言ったことはありません。


でも、結構、無言の期待を鋭く察知する方なのかもしれません。
いい選択をしていると思います。


神さまがハジの人生にとって最高の道を開いてくださいますように。


火曜日、ちょっと肌寒かったですが、
プラスの8度くらい。
今は水曜日の午前1時過ぎですが、4.5度。
夜になってからずっとこれくらいで一定しています。


今日は15度くらいまで上がって、
「ゴージャス」な日になるみたいですよ。
ラジオで言っていました。
「水曜日はゴージャスな日」だって。
でも、夜には雷雨があって、
木曜日は気温は高いけど、風が冷たくなってきて、
夜からはまた冬に戻るみたいです。


ゴージャスな一日を楽しみたいですね。


ということで、月曜日の聖書箇所。
月曜日は伝道者の書2:18-26


「どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。」21節。

正直言って、この感覚はわからない。

「自分の分け前」が本当に大きなものだったら、
そんなことをも思うのだろうか?

自分の働きが自分だけで終わらない、ってなんてすばらしいことだろうか?って逆に思うんですよね。

次の世代に手渡していけるものは何か?
次の世代に何を伝えていくのか?

これからもこれにこだわっていくのだと思います。
時には「うまく伝わらない」と苦しみながら。
こんなはずじゃないのに・・・と思うこともあるでしょうね。

でも、それでいい、
私たちが種を蒔けば、
誰か他の人が刈り取ってもいい。

いや、刈り取ってもらえれば本当にうれしい。

そのことに気がつけばうれしいけど、
最後までそれを知らないでいるかもしれない。

それでもいい。

神さまからもらった自分の使命を果たせばいいのだ。

主よ、
あなたを知っていることが、
生きるためにどれほど力になっているか、
「伝道者の書」を読んでいて、本当に深く知らされます。
感謝します。
あなたの与えてくださっている使命に歩ませてください。

2009-02-09

プライド。

今日の朝は-2.4度。
まあ、思ったほどは冷えませんでした。
そして、昼間もそこそこ暖かくなり、
庭に残っていた雪も一気に消えました。
日陰や雪かきをしてたまったところだけに残っています。


今夜もそれほど冷えていません。


明日はまた暖かくなるようです。
週末まで冷え込みはゆるんだままみたいです。


今日はひとりの同労の牧師が訪問してくださり、
共に祈る一時を持ちました。


語り合い、祈り合う中に、
自分自身の問題が明らかにされていきました。


最終的にはプライドなのでしょう。
それでどれだけ時間や労力を使っている部分があるかと思います。
簡単な話が複雑になることもどれだけ多いかと思います。


本当に祈らされます。
やっぱり主に期待して、主に祈って、
主が教会(教会堂じゃなくて教会)を建ててくださるんだ、ということを
信頼していくことの大切さを思わされます。


教会の土台はイエスであり、信仰です。
「この教会は音楽がすばらしい」とか、
「この教会は盛り上がっている」とか、
そういうことが教会に集うことの決め手になる時に、
そこでは、教会の土台がキリストではなくなり、
違う何かになってしまっています。


盛り上がっていようがいまいが、
賛美の時に手を挙げようが挙げまいが、
神さまがイエスを私たちのために十字架にかけて、
救いの道を開いてくださった事実は何にも変わらない。


自分の祈りが自分の願ったように聞かれようとも、
願ったようにはならなくても、
神さまの私たちへの愛は全然変わらない。


私たちが神さまの愛を感じようが、感じまいが、
神さまが私たちを愛してくださったという事実には、何の変わりはない。


主を見上げていこうと思いました。


昨日、日曜日の聖書。
昨日は伝道者の書2:12-18


「事実、知恵ある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。」16節。

何日か前の聖書箇所でも同じようなことを感じましたが、
死んだ後も、人々の心の中に生き続ける、
それを信じている人々がどれだけいるでしょうか?

イエスの復活さえ、「イエスは弟子たちの心の中によみがえった」なんて、
噴飯ものの解釈をする人もいるくらいです。

信じていると言うよりは、それを支えにしている、
つまり、誰かに覚えてもらっているから、淋しくない。
誰かの心の中に生き続けることが生きたことの証、みたいな。

だって、神さまを信じなかったら、
どうやって死の問題に折り合いをつけて生きていくのか、
わたしにはどうしても想像できません。

よく聞く一つの解決が、
その「人の心の中に生き続ける」という論理です。

でも、この「伝道者」は思いっきり否定するのです。
「すぐに忘れられる」と、
善人も悪人も同じように、
勤勉な人も怠惰な人も同じように、
忘れられていくのだと。

でも「日々のみことば」にあったように、
主は忘れない。
主は私たちのことを心に留めていてくださる。

主との関係があるから、
神さまが心に留めていてくださるから、
生きる使命を与えてくださっているから、
私たちは生きることができる。

主よ、
あなたがいてくださるから。
あなたがわたしを心に留めていてくださるから感謝します。
あなたが与えてくださっている使命に生かしてください。