今回の修養会の講師は、パスターマック。
自分的には不本意なところでも、
納得いかない道でも、
遠回りに思えるところでも、
神様の視点で見ると、それが一本の線につながって見える。
いろんなこと考えさせられて、
自分の歩んで来た道は、今もまだ一本の線にはつながっていなくて、
ちょっとゆっくり時間をかけて、消化させていただこうかと思っています。
今から15年くらい前、大学院の学びの中で、
一回、そのような実習をしたことがありました。
そして、自分の人生を肯定する経験もしました。
それからだいぶ経って、またいろいろ失敗もして、
もう、子供の時のように何でも親や環境のせいにできるわけがなく、
何かが起こったら、すべては自分の責任、という立場で、
その結果をどう受け取っていいのだろうか、という思いでいます。
ホントは修養会中に、そんな時も持てればよかったのですが、
修養会中は楽しくて、エキサイティングで、
皆さんと話をしていたら、あっという間に時間がなくなって・・・。
でも、今日もパスターマックと話をしていましたが、
牧師自身が、自分の時間を作って、自分の問題に向き合っていくって、
教会にとって、とても大切なことだろうな、と思っています。
なんだか最近、「またゆっくり考えてみます」的な問題が多すぎて、
消化不良っぽい感じもするので、ちゃんと集中しないと。
さて、先週金土の聖書から。
先週の金/土で、列王紀第2の1章を読みました。
「あなたが人をやって、エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。」6節。
修養会の開会礼拝で、お話しさせていただいたのですが、
私はこの言葉を金曜日に読んだ時に、
「神様は自分の思いを伝えたいと思っておられる」と感じました。
神様はご自分の思いをシェアしたいと思っているのに、
私は神に求めているだろうか?
神に聞いているだろうか?
解決を神以外のものから得ようとしていないだろうか?
私たちが神以外のものに答えを求める時に、
神は悲しまれる、怒られる。
求めよう。神様がシェアしてくださる思いを聞こう。
主よ、
あなたの情熱を感謝します。
あなたの言葉を聞かせてください。
日々、あなたに聞いていくことができますように。
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