さっき、Accuweather.comを見たら、
Fayが「Tropical Rainstorm Fay」と書かれていました。
いやあ、初めて聞きました。
こちらで14年間、天気を追っていますが、
たとえば、Freezing Rainとか、
Subtropical Stormとか、
いろいろな新しい言葉や気象状況を聞いてきましたが、
このTropical Rainstormという言葉は初めてです。
あ、もちろん、そういう気象状況があり得るというのはわかるのですが、
そこにFayという固有名詞がついて、
つまり日本で言う「台風23号」「伊勢湾台風」というような意味で、
つまり、ハリケーン崩れの(この場合は、一度もハリケーンになりませんでしたが・・・)低気圧のことを、「Tropical Rainstorm」と呼ぶのは初めて聞きました。
思わず、フジテレビのニュースはどのような表現をするのだろうかと、
ちょっと楽しみになってきました。
「熱帯性雨嵐フェイ」とか呼ぶんでしょうか?
また飯を噴かしてもらえるかと思うと、ちょっと楽しみです。
今日は礼拝の中で二人の方の転入会式。
日本で信仰生活を送っておられて、
アメリカに来て1年あまり。
私たちの教会の存在を知られて、
集っておられる方々です。
他の地で信仰を守っておられる方々が、
ここに引っ越してこられたときに、
すぐに教会の存在を知ることがない方々もおられます。
知っても、なかなか集うことができなかったり、
集うことができても、なじめなかったり、
そんな中で、教会に集うことを喜びとして、
おいでくださる方々にとても励まされます。
そして、来週はファミリーキャンプの会場で、
洗礼式をいたします。
本当にこれは一番の喜びです。
主が、豊かにこの日を祝福してくださいますように。
天気も守られますように。
今のところ大丈夫なようです・・・。
さて、今日の聖書。
今日はテモテ第一の手紙5章1-16節。
「年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。」1-2節。
今日はこの言葉を読んで、
兄弟姉妹の交わりを与えてください、と祈りました。
本当に兄弟として、姉妹として、
よき関係を教会の中に与えてくださいと。
そして、それが神さまを中心とした関係、
神さまの前に頭を共に垂れるような関係、
そこに生かして頂きたいと思いました。
そのような祈り合いがもたれるように。
そして、そこで心を開いた分かち合いがなされるように、
そのように祈り願いました。
主はその祈りをすぐに聞いてくださいました。
本当に一歩一歩だと思いますが、
「あ、あそこには本当の主にある交わりがある」と言われるような、
「楽しいけれども中身がない」とか、そういうものではなく、
真実な主への叫びが上げられるような、
そのような交わりに導いて頂きたいと思いました。
主よ、
本当の兄弟姉妹としてください。
その交わりの中に生かしてください。
あなたの前に頭を垂れ、
共に笑い、共に泣き、共に祈る
そのような交わりの中に、生かしてください。
あなたに感謝します。
かきごおり先生、
ReplyDelete>つまり日本で言う「台風23号」「伊勢湾台風」というような意味で
↑伊勢湾台風とはかなり古いですね。ウィキペディアで調べてみると国際名があるとのこと。ヴェラ(Vera)ですって。有名な台風23号は昭和40年がShirleyで、昭和46年がTrixでした。
テモテ第一の手紙第5章1節~16節。今日は全体を通して見てみたいと思います。
先ず、先生が今回注目された1節~2節。この二節は今日の聖書箇所の前フリだと考えられました。「父親に、兄弟に、母親に、姉妹に対するように」と人への接し方は家族が基本になっていること、つまり、家族の大切さを説いておられますね。
そして、3節「ほんとうのやもめを敬いなさい」と。ほんとうのやもめって何かな?と思いNIV英語訳を参照しました。widows who are really in needと書かれてありました。なるほど、ほんとうに必要を必要としているやもめですね。
具体的な例としてやもめが挙げられていますが、やもめを「ほんとうに困っている立場の弱い人」と置換えたらもっと広い視野で捉えることができるのではないでしょうか。
4節以降、やもめでもいろいろあるのですね。子どもか孫がいるやもめ、自堕落な生活をしているやもめ、若いやもめ、ある婦人の身内のやもめ。みなそれぞれに事情があるようです。
その中で8節に目が留まりました。1節~2節の前フリがここで響いています。パウロが強調する家族の大切さを「…不信者よりも悪い」の中に読むことができます。
また「家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう」というテモテ第一の手紙3章5節にリンクしました。家族の大切さ、家庭を治めることの意味を改めて諭されます。
そして、16節。ここで教会の役割が明確化されていることに気づきます。
「そうすれば、教会はほんとうのやもめを助けることができます。」「そうすれば」というのはそれまでの節から以下のことだと分かります。
①子どもか孫がいるやもめ→家族が助ける
②自堕落な生活をしているやもめ→親族・家族が助ける
③わかいやもめ→結婚して夫・家族が助ける
④ある婦人の身内のやもめ→身内が助ける
つまり、家族の役割ですね。
もう少し突っ込んで観察してみると個人の役割も明確化されています。5節です。望みを神に置いて、昼も夜も絶えず神に願いと祈りをささげる。
ここで整理します。
①教会の役割→ほんとうのやもめ(=必要を必要としている人)を助ける
②家族の役割→家族・親族を顧みる、敬愛を示す
③個人の役割→望みを神に置き、祈りを捧げる
もう一歩突っ込みます。これら各役割の土台になっている神様の役割を見過ごすことはできません。
④神様の役割→祈りをきかれる、全てを見ておられる
神様、個人、家族、教会が各々の役割を自覚し全うすることで御国が建設されていくのですね。
J兄
J兄、
ReplyDeleteなんだか、コメント、私の「日々のみことば」の何倍もありますねえ。完全に脱帽です。
特に最後の神さまが何をしてくださっているか、本当にそこにまで目をとめられたのには、教えられました。
神さまが私たちの愛を支え、励ましてくださっているんですね。心から感謝。