きょうのGustavは、
ハイチとジャマイカの間をゆっくり西に進みました。
そして、ますます弱くなって、もうぼろぼろ、と思った夜11時から、
どんどん勢力を増しています。
この後やっぱりハリケーンになりそうです。
そして、カトリーナで大きな被害にあった、
ニューオーリンズもターゲットになっています。
あんなに大変なことがもう二度と起こらないようにと願います。
本当に今週は「兄弟姉妹の交わりを与えてください」との祈りを捧げたら、
主は毎日それに答えて、心を開いた交わりの時を与えてくださっています。
今日も夜、NYでお話をした後、
家に帰ったら、2人のお客さんがおられました。
そしてちょうどお祈りの最中。
痛みも涙も共に味わい、祈っている中に神さまがおられるなあ、と思わされました。
さて、今日の聖書。
今日はテモテ第一の手紙の最後、
6章11-21節。
「テモテよ。ゆだねられたものを守りなさい。」20節。
私たちはよく「神さまに委ねなさい」と言います。
でも、ここではそれとは反対に「神さまがゆだねられたもの」があるというのです。
そして、それを守っていく使命が私たちにはあるのです。
私自身、「神さまに委ねる」ということの方ばっかり強調して、
また自分自身の生活でも神さまに委ねる方ばかり意識しています。
でも、神さまが私たちに委ねたものがあって、
私たちはそれを守るのが使命だと。
たとえば、健康。
今日は本当にそのことを考えました。
いつもは何も気にしないで好きなもの食べて、
運動不足だろうが、メタボだろうが、あんまり気にしないで、
「神さまが迎えに来るときに天国に行くのだから・・・」と言っていました。
でも、このからだも、与えられている健康も
神さまが私に委ねてくださったもの、
大切にしようと本当に思いました。
そして時間。
今日たまたま、この記事を読みました。
「時間の管理ができない人は、時間を大切なものだと思っていない」、
というところ、本当にどきっとしました。
神さまが与えてくださって、そして、いつまでもあるわけではない時間。
与えられた時間を大切にして、
限りがあることを覚悟して、
やるべきことをやること。
本当に大切なことに時間を使うこと。
委ねられているものを大切にしよう、その通り、まさにその通り思わされました。
神さま、
あなたがたくさんのものを私に任せてくださっていることに感謝します。
どうか、それを正しく守っていくことができますように。
あなたが委ねてくださっていること受け取り、
私があなたに委ねるべきものを明け渡すことができますように。
そして、委ねられたものをしっかり守っていくことができますように。
かきごおり先生、
ReplyDelete>ここではそれとは反対に「神さまがゆだねられたもの」があるというのです。
↑なるほどです!神さまがゆだねられたものですか…。これからはその視点も持ち合わせて物事を見てゆきたいと思います。
テモテ第一の手紙第6章11節~21節。目に留まったのは12節です。
「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠の命を獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」
「信仰の戦い」この聖句から常に導かれるのはヨハネの第一の手紙5章4節~5節です。
「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。(5章4節)
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(同5節)」
僕たちは既に勝利を収めている者でなのすね。しかしながら、戦っています。つまり、勝ち戦(いくさ)を続けなければならないということではないでしょうか。
主にある勝ち戦を続けていくことが、信仰の戦いであるとも言えるのではないでしょうか。
信仰の戦いもまた「神さまがゆだねられたもの」ですね。
J兄
J兄、
ReplyDelete>僕たちは既に勝利を収めている者でなのすね。しかしながら、戦っています。
本当にそうだと思います。もう勝ちなのですが、でも、それを戦い続ける。それも「主にある勝ち戦」なんですね。
>信仰の戦いもまた「神さまがゆだねられたもの」ですね。
これは、また新しくActs918です。感謝。それも神さまが私たちに「さあ、勇気を持って踏み出して行きなさい」と委ねてくださっているんですね。