2010-05-07

「モンスター」にされないために。

今日は爽やかないい天気でした。
でも、今夜これから、天気は急速に下り坂。
明日の朝は激しい雷雨の可能性があります。


午後には晴れてくるみたいですが、今度は風が強くなりそうです。
日曜日は先週とは打って変わっての肌寒い風の強い日になるみたいです。


最近読んでいるBill Hybelsの本の中の一節。


「誰かとの人間関係が断絶した場合、すぐに対応しないとしたら、それは相手を串に突き刺すようなものです。あなたは何度も何度も串を回転させ、そのうち怒りの火が燃え上がるようになる。あなたはその人の悪いところを次から次へと考え出す。怒りの火であぶり続け、気づいたら、相手は変わり果てた姿になっているのです。この時点では和解することなど、全く考えられません。そう、これは殺人です。ここまで来ると、謙虚になって相手を赦すことなどできない、ということになるのです」


彼はそう言って、早く対応することを勧めている。


これは幸せなことなんだろうけれども、
私は人間が根本的にいいヤツばかりだと思っている。
ちょっと困ってしまうような人がいたとしても、
それはその人がそうせざるを得なかった事情があるわけで、
そんな悪いヤツはこの世にいないと思っている。
まあ、脳天気な人間だ。


でも、この文章を読んだ時に、
「自分は誰かをモンスターにしてしまうことはないかもしれないけれども、もしかしたら、自分は誰かにとって、とんでもないモンスターになってしまっているかもしれない」と思わされたのだ。


誰かが私を串に刺して、怒りの火であぶり続けているかもしれない、
そう思ったら、なんて、自分はうかつだったのだろうかと思った。


自分が「結局はみんないいヤツだ」と思っているから、
いつの間にか、「みんなも自分のことをそんなひどいヤツだなんて思うわけがない」とたかをくくっていたのだ。


でも、それはとんでもない思い込みで、自分はモンスターにされてしまうかもしれない、ということに気がついたのだ。


自分が誰かをモンスターにしてしまわないようにしよう、そのようにいつも思っている。でも、それと共に、私自身も誰かの心のなかでモンスターに化けているようなことがないようにしなければいけないのだ。そして、それはその人の心をしばり、蝕んで行く。


そのような事にならないように、自分の方から、心を配っていくこと、感情的なわだかまりがある時に自分の方から、「誤解されていないか」とわびていくこと。コミュニケーションをとっていくこと、そして、私であれ、他の誰かであれ、串刺しにして、火で炙っている人がいたら、「早くそこから抜け出せるように、行動を起こしなさい」と勧めていかなければ、そして、そういうことに囚われたときに相談したくなるようなオーラを発していかなければ・・・。


大切な事だと思わされました。


さて、今日の聖書。
今日は42:1-14。


「どうぞ、私たちの願いを聞いてください。私たちのため、この残った者みなのために、あなたの神、主に、祈ってください。ご覧のとおり、私たちは多くの者の中からごくわずかだけ残ったのです。あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように。」2-3節。

この人達は、このとき、どこまで本気だったのだろうか?
どこまで、神様に真実に従うつもりだったのだろうか?
もう少しストレートに言うと、
どこまで、エレミヤが言う神様のメッセージに聞くつもりだったのだろうか?

結果として、彼らはエレミヤを通して語られる神の言葉に聞くことができなかった。

でも、それはこの人達が最初から、いい加減な気持ちだったことを表しているのだろうか?それとも、彼らはこの時点では、本気で従うつもりだったのだろうか?

私はこの後者のような気がしている。

それなりに真剣だった。
でも、現実に自分が願う道が閉ざされて、違う道が開かれた場合、
そこに進むようにと語られたときに、従うことができなくなってしまった。
そうなのではないだろうか?

そして、それは私たちの人生にありがちなことではないだろうか?

本気であることは大切なこと。
でも、それに負けないくらい、じゃなくて、それとは全く違うレベルで、
自分の弱さを知っている、自分の弱さに泣いている、
それがもっともっと大切な事だと思う。

「信じます。不信仰な私をゆるしてください!」と悪霊につかれた少年のお父さんはイエスに懇願しています。

私はそれこそ、信仰なのだと思います。

信仰という最高のものの中にも自分の弱さを見せつけられるのです。
でも、そこにこそ、自分の弱さを知ったところにこそ、
神様の御業がなされていくのです。

主よ、
私の中にある弱さをあなたはご存じです。
それをも用いて、あなたのご栄光が表されますように。
従えない私を赦してください。

2010-05-06

20年目の再出発。

昨日は私達が結婚して20年目の記念日でした。
本当に赦され、支えられてきたことを思わされました。


そして、昨年の夏に日本から持ってきていただいた
「ファイアーストーム」見ましたよ。とうとう。
もともとは、はちこさんのところで、Fireproofという英語の題で紹介されていて
その後、日本語版が出たと、でも、題が何故か「ファイアーストーム」となってしまったと、紹介されていて、見たいと思っていました。そしたら、集会にこられていた方が何の気なしに図書館で借りたらそのDVDだった、とても感動したと、言っておられました。


ウチの場合、英語版だと自分も不完全だし、のんちは、絶対寝ちゃうから、日本語版じゃないと・・・ということで、去年、わざわざ日本のアマゾンから日本の知り合いのところに送ってもらって、JOYJOYキャンプのヘルプのために来るときに、持ってきていただいていたのでした。でも、何故か、日本のDVDが見れる機械が見当たらない。どうしても見つからない、ということで、のびのびになっていたのでした。


この機会を逃してはいけない、と、PCを1つ日本のDVD専用にしてしまう決意で、PCの前に二人で座って見ましたよ。


よかったですねえ。
特に最初の二人の言い合いの場面。
あるある〜と互いに心が痛みながら、苦笑いしながら見ていました。


もうひとつは、主人公が限界のところに来た場面かな。


本当にイエスの恵みを思わされました。


そして、主の前に、再出発を祈り合って、今日の朝を迎えました。


今日は我が家での家庭集会、先月一回休んだので1ヶ月ぶり。
祈りつつ、楽しみに待ち望んでいました。
でも、連絡する方が次々と「ちょっと用事が・・・」なんですよね。


でも、小さな集まりでも、主が送ってくださる方は、特別に祝福してくださるから、と祈って時間を迎えたのですが、なんと、どなたも来られない。


いつも楽しみにしておられる方々が数人おられるので、少なくても5-6人にはなるのですが、今朝は二人で始めることに。


でも、祈っていましたから、平安がありました。
いろんな理由はあるでしょうし、私自身の問題もあるかもしれませんが、でも、すべての背後には主がおられて、その主が今日はどなたも来られなかったということは、特別に二人で集会を持ちなさい、特別な時を持ちなさい、と言われていることを感じました。


そして、本当に幸いな時となりました。
主の前に、普段できない話も沢山して、賛美もして、聖書を共に読んで、立ち上がりました。


ここから教会を育ててくださる。
この二人の関係から教会を建て上げさせてくださる。
そのことを思わされました。


日曜日からずっと一直線につながっているように思います。


主がすこしずつ、その心のなかにあることを、私に分かち合ってくださっている喜びを感じています。


さて、昨日から今日の聖書。
エレミヤ40-41章。
実は、昨日も「この後どうなるんだろう」と思ったら、止まらなくて、日曜日のところまで読んでしまいました。もう何回も読んで知っているところなんですが、毎回ハラハラさせられます。

「そんなことをしてはならない。あなたこそ、イシュマエルについて偽りを語っているのだ」40:16。

ゲダルヤは、「あなたのことを暗殺しようとしている者がいる」と忠告する人がいても、「何を言っているんだ?」と取り合わなかった。それだけではなくて、彼を守ろうという人達に「あなたは偽りを言っている」と語っている。

でも、実際にゲダルヤはイシュマエルに殺されてしまう。

人を信じたい自分。

いつでもひとを信じていていたい。バカを見てもいいから、裏切られてもいいから、ひとを信じていたい、そう思っている。

それが正しいとさえ思っている。

でも、今日の聖書箇所を読むと、現実に目を背けて、実際の人の心を見ないことは、やはり愚かなことなのかなあ、と思います。

逃げているのかもしれない。
わかっているのに、目をそらして、ちゃんと正しく対決したり、誤解を解いたり、そういうことをしないのは、やはり不誠実なんだろうと思う。

何度も書いているテーマだけれど、
アンパンマンと同じで「愛と勇気」は本当に大切だと思わされた。

主よ、
ありがとうございます。
20年目の再出発を感謝します。
もっともっと愛することを教えてください。
また逃げない愛を与えてください。

2010-05-05

立ち上がる前に。

朝になりました。
涼しい、爽やかな朝です。


今日は一日綺麗に晴れそうです。


昨日の朝、夢を見ました。
「私はあなたにこれから私の心の中を明かす」と神様に言われる夢でした。
それと同時に目覚ましがなりました。


ですから、すかっと目覚めて、「夢だしなあ・・・」「でも、神様が何か特別なお考えがあって、あんな夢を・・・」と思い巡らしながら、わくわくしながら教会に向かいました。


ちょうど、神様の導きを祈っていることが幾つかあったので、ビジョンが与えられることを願いながら。


でも、向かっている車の中で、与えられた思いは「悔い改めなさい」だったのです。


日曜日は子どもたちと大人と一緒にメッセージを聞く、という礼拝でした。難しさを感じながらも、子どもたちにも我慢させないで、でも、それと共に大人の一人ひとりが神の声を聞くことができるようにと祈りながら、語らせていただきました。


説教題は「さあ立ち上がろう」
聖書箇所はマタイ28:16−20。
復活のイエスが弟子たちに使命を与えて派遣するところ。


その中で、復活のイエスの前にひれ伏した弟子たちの姿に触れながら、「立ち上がるためには、普通は座っているところから立ち上がるんだけれども、神様のために立ち上がるときには、主の前にひれ伏して立ち上がる」「それまでもイエスの前にひれ伏した人たちはいたけれども、みんな『助けてください』ということでイエスの前にひれ伏した。でも、この時の弟子たちは、イエスを神として、人生の王として、その前にひれ伏したのだ」と自分が語られたことを分かち合ったのでした。


それが、昨日の朝、心に響いてきて、本当にまさに、自分自身こそが、まず、主の前にひれ伏さなければ、主の前に悔い改めるべきことを悔い改めることなければ、主は用いてくださらない、そのことを思わされ、悔い改めに導かれました。


それこそが、主の御思いの中心なんだと思います。
でも、もっともっと御心を開いてくださることを楽しみにしています。


さて、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ39:11−18でした。


「それは、あなたがわたしに信頼したからだ。」18節。

王に進言してエリヤを助けたエベデ・メレク。
主はその神への信頼に、特別な守りをもって報いてくださった。

主を信頼するものは慌てることがない、と。

私たちが神様に頼るのを忘れて、
人を恐れると、失敗をする。

主を信頼して、risk takingをしよう。

主がなしてくださることを見せていただきたい。

主よ、
あなたの事を信頼して、なすべきことをなす者とならせて下さい。
あなたの語りかけに感謝します。
続けて、あなたがみこころを示してくださいますように。


今日の一日がお一人ひとりにとって、幸いな一日となりますように!

2010-05-04

また明日。

今日は朝から、分かち合いたいことがあったのですが、
プライベートの方で、
ちょっと母の日(父の日も兼ねる)用に作業をしていたら
12時前になったので、もう休みます。
10年分の写真のデータの中から百数十枚をピックアップ。

では、また明日。

皆さんにとって、明日が、素晴らしい一日となりますように。

2010-05-03

寄り沿う。

今日は朝と夕方に一回ずつ激しい雨。
でも、その他の時間は穏やかな一日でした。
昨日ほども暑くなく、
夜になったら、昨日ほど蒸し暑くもありません。


明日はもう少しいい天気です。


にわか雨もあるかもしれませんが、
それほど心配ありません。


まだ薬は飲んでいますが、
先週とは全然体調が違います。
そして、何よりも頭と心がスカッとしています。


なんだったんだろうと思います。


パウロが自分の肉体の刺をとっていただけるようにと3回祈ったとありますが、私もアレルギーを取り去っていただけるように祈ろうかと思います。これからの季節、いちごやさくらんぼ、桃、梨など、大好きなフルーツがほとんど食べれないのも辛いですが、でも、この春の花粉の季節の厳しさ、取り去っていただきたいです。


でも、先週思わされたことがありました。
先週の金曜日、いろいろな仕事が溜まっている中でしたが、
迫りを感じて、ある方を訪問してきました。


90代のおばあちゃん。
いつもそうなんですが、
最初は「初めてですよね」と言われてしまいます。
(「博士の愛した数式」みたいだ)
そして、何度も「子供は何人?」「男、女?」「何歳?」と聞かれます。
同じことを何度もお話します。


でも、だんだん、だんだん、話が合ってきます。
話が広がってきます。
そして、だんだん会話になっていくんですよね。
これって、すごい、と思いました。


いつもほとんど日本語を使う場面がないおばあちゃんなので、
それもあるんでしょうが、日本語を使っていくと、
どんどんいろんなことを思い出してくる。


30分くらい話をしたあとで、
聖書を開いてお祈りをしようとしました。


でも、目も細かい字は良く見えませんし、
耳も、日本語、英語、中国語、みんなごっちゃになるのでしょうか、
それとも、私の発音の問題でしょうか、余り聞きとってもらえません。


何とか聖書を読もうと思って開きかけたところが、
昨日の礼拝の聖書箇所。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
というマタイ28:20にあるイエスの言葉。


でも、その時に思わされたのです。


「ユダヤ人にはユダヤ人のように、異邦人には異邦人のように」というパウロの言葉。コリント第2の手紙(5月4日訂正・第1の手紙でした)です。


聖書の言葉が通じているか通じていないか、とにかく伝えて行く事の大切さも知っています。その力をも信じていますし、何度も経験させられました。でも、ここでは、自分がイエスの代わりにはなれないけれども、少なくとも、自分があと30分、ここでおばあちゃんと一緒にいることの方が、ここで一つの聖書を開いて帰るよりも、正しいと思ったのです。


聖書をそこにおいて、膝をついて、おばあちゃんに話しかけました。


「今日はおばあちゃんと一緒にいられて、ほんとに嬉しい。」と。
毎朝、わたしが祈りの中で、主に言っていただく言葉を思いながら。


だから、「とげ」があった方がいいのかな。
(言葉のとげ、じゃないですよ、肉体の弱さの方です)
トンネルの中では、「もう、何とかして欲しい!」と思うんですけどね。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ39章1−10節。


「ユダの王ゼデキヤとその全ての戦士は、彼らを見て逃げ・・・」4節。

神のみ思いを知っていながら、従えなかったゼデキヤ。
最後、彼はイザという時には、民を捨てて逃げてしまったのでした。

ネブカドネザル王によって滅ぼされることは、
エレミヤの予言で知っていたのに、
そこに従えなくて、最後は逃げ出す。

なんなんだろうかと思います。

でも、昨日も書きましたが、
人を責めるのは簡単ですが、自分はどうだろうかと思います。

本当に主に御声に従い、
最後まで逃げないで、自分の使命を果たす、
そのように歩みたいと、思います。
このことをイザという時に思い出して、
主に従い、責任を果たせますように。

主よ、
どうか、逃げることがありませんように。
主の導きに従い、主の与えてくださる使命に生きる者とならせて下さい。
あなたの使命を見極める目、聞き分ける耳を与えて下さい。

2010-05-02

JOYJOYキャンプ申し込み開始!

今年もこの季節がやってきました!
いよいよJOYJOYキャンプの申し込みの開始です!


上の画像をクリックしても大丈夫ですが、
コチラのPDFファイルの方が綺麗なプリントアウトが出来ます。
今年のテーマは「おどろき!!なぞ解き、探偵団」です。
みんなで「なぞ解き」に挑戦です。


締め切りは5月29日!
たくさんのみなさんの申し込みをお待ちしています!


今日は本当に暑かったです。
お約束の雷雨は・・・どうなったんでしょうか?


ペンシルベニアではかなり降っているようですが・・・。


でも、本当に昨日あたりから花粉症は楽になってきました。
今週はすこしずつ本調子になってくるでしょうか、楽しみです。


さて、昨日から今日にかけては、エレミヤ38章。


「イスラエルの神、万軍の神、主は、こう仰せられる。『もし、あなたがバビロンの王の首長たちに降伏するなら、あなたのいのちは助かり、この町も火で焼かれず、あなたも、あなたの家族も生きのびる。』」17節。

「石橋を叩いてもわたらない」という題が「日々のみことば」にはついています。
この章に出てくるゼデキヤ王は本当にそんな感じです。
神様の答えを聞きたい。
でも、実際聞いたら、そこに従うことはできない。

実際のところ、もうエレミヤの言うことはわかっている。

そう、もうわかっていたのです。

でも、何度も何度もエレミヤを呼び出して聞くのです。
そして、実際に聞くと、そのとおりに行動できるかと言うとできない。

エレミヤの言葉を受け入れるのには、
それなりのリスクがあったのです。
一番大きなのは反対する人々の存在でした。
そして、結局、エレミヤを保護しながら、
また彼が神の僕であることを認めながら、
彼の言葉に従うことができなかったのです。

愚かなことです。

でも、他人のそのような姿はわかりやすいけれども、
自分の姿は分からないのです。

私もどうだろうかと思います。
主の導きを見分け、
そして、そこに勇気を持って進んで行く、
そのような従順さを持ちたいと思います。

主よ、
あなたのみ声を聞くことができますように。
そしてそこに勇気と従順さをもって進んでいくことができますように。
それが人気がないことであっても、主がみちびかれるならば、それに従っていくことができますように。

2010-05-01

出口は近い?

今日は暑かったです。30度を楽に超えました。
明日も楽に超えそうです。湿度も高くなります。
そして、雷雨のおまけ付き。


たぶん、夏みたいな天気になるでしょう。


いよいよ、花粉症も出口に差し掛かってきたと思います。
今日はずいぶん楽に感じました。
ここ数日は普通の2倍量の薬を飲んでいたのですが、
今日から普通の量に戻しました。


さて、29−30日はエレミヤ37章でした。
「どうか、私たちのために、私たちの神、主に祈ってください。」3節。

このゼデキヤ王ですが、なにか中途半端な感じがします。
前にも「奴隷解放」を宣言しておきながら、
またそれを取り消してしまったり、

ここで、エレミヤに「祈って下さい」と願うのですが、
神に自分の願いを聞いてもらうだけで、自分がそれに従う、という感じはない。
悔い改めて神の前に出る、という感じではない。

そして、後半でも、
エレミヤを助けようとするのでしょうが、
本気ではない。
人を恐れている。

主に従うことは、そこに徹底すること。
単純に従うこと。

自分もいろいろ考えて、
主に従いきれていないことはないだろうか?

主に本気で従い、
従い抜くものであることができますように。

主よ、
半端な人間になってしまうことがないように、
あなたに従うときに、本気で従うものでありますように。
単純に従うことができますように。

2010-04-30

美しいもの。

ここのところ、花粉症とそれを抑える薬との関係で、
まとまった文章を書くことができないのですが、
ひとことだけ。

聖書と信仰書とに混じって、
最近手にした本。

「博士の愛した数式」

何年か前に話題になった本ですよね。

まだ途中ですが、

美しいものの前に厳粛になる思い、

私達が神様の前に立たされる時に感じる思いと、どこかで通じているのだと思います。

そう、数学も主が造られたこの世界を表すものの一つだから。

2010-04-28

涙の谷も泉わくところに!

今日は寒かったです。
明日の朝も冷え込みます。
今は夜の11時過ぎですが、10度を割り込んで、
どんどん冷え込み中。


風も止んだので、明日の朝は遅霜かも・・・。


昨日は更新出来ませんでしたが、
とにかく花粉症でエネルギーを吸い取られます。
家の前には、Oak Flower Ballsとでもいうべき、
oakの木の雄しべが落ちて、風で吹かれて集まって丸まって、
団子状のものが溢れています。


今日はNYの日だったので、
NYにいるときはまだ良かったのですが、
NJに帰ってきたら、速攻で目が痒くなってきました。
涙が止まりません。


文字通り「涙の谷」です。


でも、そんな中でも主は励ましを与えてくださいます。
2週間ほど前、「嬉しいニュースがありました。実現したら、お知らせします」と書いたのですが、2年前の日本訪問の時に初めて日本でお会いした方が、その後、地元の教会に続けて集われて、この前の日曜日にそちらの教会で、多くの人々に囲まれて、洗礼を受けられました。


「刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。」ヨハネ4:36−37


その言葉を思い出しました。
近いうちに月報でお証もご紹介する予定です。


これからの信仰の歩みが豊かに祝福されますように。


昨日、今日はエレミヤ書36章でした。


「エホデが三段か四段を読むと、王は小刀をもってそれを切り取り、炉の火に投げいれ、ついに巻物全部を炉の火で焼きつくした。」23節。

主が語られる言葉に我慢できなかった王は、それを切り刻んでもやしてしまった。
でも、神の言葉はどんなに切っても、燃やしても、その内実を失うわけではない。
主が語られた言葉は必ず成る。

それを無視する人もいるだろう、
それを攻撃する人もいるだろう。
でも、たしかに御言葉は必ずなる。

その前にはその攻撃も虚しい。

だから、心配しないで主を信頼して、
御言葉に従おう。御言葉を証ししていこう。
御言葉を語っていこう。

主がおられるから。

主よ、
あなたの御言葉の力を信頼します。
私の力は弱いですが、あなたの御言葉には力があります。
どうか、あなたの御力を見せてください。

2010-04-26

神様のCalling。

今日は一日雨でしたね。
予報よりも雨が多くなったようです。


明日から少しずつ回復。


後半はかなり暖かな陽気になりそうです。


今日は地区の牧師会。
とてもいい集まりでした。


そのあと、ある牧師と個人的に話しをしながら、
自分が神様から与えられた、ひとつの経験を思い出していました。


もう3年も前に書いた証し。


第11章


第12章


今も、私の弱いところに、主が働いてくださる、という約束、有効なんだと、もう一度示されたように思いました。主がそのことをしてくださる、それを信頼して行こうと思います。


神様から御言葉を語られて、踏み出すこと、
私達の人生にとってどれほど大きなことでしょうか。
多くの方々が、この「御言葉が与えられる」という経験を与えられますように。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ35章。


「 私たちは天幕に住み、すべて先祖ヨナダブが私たちに命じたとおりに、聞いて行ってきました。」10節。

神様のメッセージを単純に大胆に、忠実に守ってきたレカブびとたち。
預言者であるエレミヤの誘いも、神様が忠実さを試される目的でした。

時々、そういうことを感じる時があります。
私がどのように反応するか、神様から試されていると。

物事を正しく判断する賢さを与えていただきたいと思います。
そして、何よりも忠実に主に従う者でありたいと思います。


主よ、
あなたの御言葉による約束に感謝します。
それを信頼して、従って行く者とならせて下さい。

2010-04-25

こころのうた。

今日は雨の一日。
でも、教会の一日ですから、雨が降っても大丈夫。


明日も肌寒い雨の一日です。


聖書学院(牧師になるための訓練と修養と勉強の学校)時代一緒に学んだ仲間にはいろんな経歴の方がおられますが、この方は元プロのミュージッシャン。


人生は10年くらい先輩ですが、
人生経験を積んでクリスチャンになられて、
聖書学院に来られたので、そちらではわたしの方が1年上。


でも、なんだか一緒に過ごしたという感じがします。
もうその頃はパパになっていたので、
僕らは「パパさん」と呼んでいました。


そして、パパさんはわたしに専門のベースを教えてくれて、
パパさんのギターと一緒に奉仕をしたこともあります。


本当に腰の低い、暖かいパパさんでした。


今はハワイにおられて、12年前にはNJまでご夫妻で来て下ったことあります。


そのパパさんが、1年半前に病を負われて、こちらの教会でも祈っておりましたが、
本当に闘いに次ぐ闘い、「こんどこそ、普通の生活に戻れる」と期待しても、
再入院、を繰り返しておられました。どんなに厳しい戦いだったかと思います。
でも、今年になってから、すこしずつ力が与えられて、
先日はUstreamでハワイから世界に向けてメッセージの発信を始められました。


その第1回がこちら。
30分番組なんで、それなりに時間がかかりますが、
私たちは夫婦で釘付けになってしまいました。


痛みや闘いの中から生まれた歌と言葉には力があります。



東海岸時間の金曜日の真夜中の12時から生放送みたいです。
ちょっときつい時間帯なので、たぶん、毎週録画を見せていただくことになりそうです。でも、楽しみにしています。


パパさんのブログはこちら。


ハワイでハレルヤ!

さて、今日の聖書。
今日はエレミヤの34:8−22


「それなのにあなたがたは心を翻して・・・」16節。

奴隷を7年に1回すべて解放するのが神様のおきて。
でも、実際にそれは実行されていなかったと言う。

どうしてだろうかと思う。
それは純粋に、力をもっている人々が損をするから。
つまり、彼らにとっては、
神の言葉よりも、経済的な効果のほうが大切だった。

ヨベルの年というのが聖書に書かれている。

50年に1回、借金のかたに取られた土地が、
元の持ち主に戻される、という神様のおきて。

でも、これも実際に守られなかった、のではなかったかと思う。
そんな話を聞いたことがある。

やはり、経済的な秩序を考えたら、
これは実行されないだろうなと思う。

そう、経済の問題の方が、神様のおきてよりも大切。

私達はどうだろうか?

高校時代に「経済学部」を希望していた友人にその理由を聞いたことがある。
彼が言っていたのは、「だって、この世の中は結局経済が一番大切でしょう」ということ。
若かった自分はそのことばに、驚いたことを覚えている。
「こいつは、そんなことを考えていたのか・・・」と。
ごく普通の友人が、そんなことを言うのかと。
今、自分はその言葉の意味の大きさを感じさせられている。

本当に神様を本気で第一にしているだろうか?

主よ、
あなたを第一として歩む者として下さい。
経済的な問題は、大きいです。
でも、それが神様、あなたよりも大切になることがありませんように。

2010-04-24

輝き。

今日はスカッと晴れました。
朝はやっぱり5度くらいでしたが、昼間はまた暖かくなりました。

でも、夜になってから雨が降ってきたようです。
明日は肌寒い雨。

雨の中心は今夜から明日にかけてのようですが、
火曜日くらいまですっきりしない天気になりそうです。

今日のJOYJOYシンガーズの練習は素晴らしかったです。
何が素晴らしかったかって、子どもたちの表情。
もう、なんども涙があふれそうになりました。

子どもたちは、力いっぱい賛美します。
本当に声を張り上げるようにして、
もちろん、音楽のことを言うならば、
張り上げない方がいい。
でも、あまり「指導」みたいなことをして、
あの輝きを失いたくない。
悩まされるところです。

私達が子どもたちに見習うこと、沢山あると思います。

さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ34:1−7でした。

「あなたは剣で死ぬことはない。あなたは安らかに死んで・・・」4−5節。

私達の命は主の御手の中にある。
そのことを改めて思わされました。

今朝、昨日のEarth Day、
DNAを調べるキットが安かったみたいですね。


DNAでいろいろ調べて、どんな病気にかかりやすいか、
どんなことに注意すべきなのか、わかることがあるみたいです。

これから研究を進めて行けば、もっといろんなことが見えてくるんでしょうね。

でも、それでも、私達の命は、神様のみ手の中にある。
主が与えてくださっている命を、
主が望まれるように生きていく、
そのように歩みたいと思います。

主よ、
あなたの与えてくださっているこの命に感謝します。
どうか、あなたの与えられている使命に歩ませて下さい。
あなたの与えられる使命に生きる者として下さい。

2010-04-23

理解を超えた大いなること。

今朝も、寒かったんですよねえ。
5度切りましたから。
それがちょっとしんどいかなあ、昼間そこそこ暖かくなるから、
余計、朝「カラダが冷える〜」って感じです。


今夜もまた冷えて、明日は晴れて暖かいでしょう。
でも、明日の夜は雨。そして火曜日くらいまで雨で、
肌寒くなりそうです。


その先もずっと見てみると、もう寒いのはないかなあと思ったのですが、
5月になっても、暖かい日と、肌寒い日が交互にやってきそうです。


あ、今日集会のあったお宅には藤の花が咲いていました。
早いですよねえ。まだ4月です。






昨日は久しぶりのJOYJOYキッズクラブでした。
先月は最近で最大の29人が参加したMaywoodでのキッズクラブでしたが、
今月はなんだか、みなさん花粉症の影響か、風邪が流行っていたのか、
ぐっと少ない12人でした。


でも、毎回子どもたちの一生懸命な姿には励まされます。


先日から読んでいるエレミヤ書。
日曜日からの32章では、「将来への投資」がテーマでした。
それは常識的に見たら、やめた方が良い投資であり、
70年先に返ってくる、ということを考えたら、
自分がいきている間にリターンがあるわけではない投資です。


ただ、神に従った投資であり、
また自分のための投資ではなく、次の世代のための投資です。


やはり、子どもたちのための働きがどれだけ大切だろうかと思わされます。


経済的な意味でも、また労力の面でも、
次の多世代のための投資をもっともっと主に導かれていると感じます。


さて、昨日、今日はエレミヤの33章。
「あなたの知らない、理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう」3節。

「日々のみことば」のところには、
「理解を超えた大いになること」とは「囲いがあって立ち入ることのできない」ところ、
という意味の言葉だと書かれています。

神様の世界は私達が知ることができない。
私達が自分から、そこに立ち入ることができない。
でも、主がそこを開かれるときに、
私たちはそれを知ることができる。


そのために私達に求められているのは、
「私を求めなさい」ということ。

「私たちは本来、神のみ思いを知ることができない」という主の前の恐れと、
「それを主は明らかにしようと、私達が求めるのを待っておられる」という確信と、
両方をもって、主の前に出よう。


主は待っておられる。

主よ、
あなたのみ思いを知らせていただけるなんて、
なんて素晴らしいことでしょうか?
あなたと時間を共にすることにもっと喜びを満たし、
あなたから、み思いを知らせていただける関係を築いていくことができますように。

いつも太陽が・・・。

昨日はここ数日の連日3-4時間睡眠がたたって、
「沈没宣言」もできずに、10時前にはもう夢の国に旅立っておりました。

そして、花粉症の真っ最中のカラダは、
朝起きたら、スカッと言うわけにも行かず、
グズグズです。

でも、嵐の時にも雲の上には太陽が輝いています。
そうなんですよね、忘れてしまうんですが、
今朝も「神様、勘弁してください」と祈ったのですが、
雲の上には太陽が輝いているんですよね。

Junさんのブログには、通称「お天気の歌」=「いつも太陽が」を聴かれた方の声が紹介されています。

Rainbow Music Japan Official Blog: いつも太陽が。

今日の一日のみなさんの歩みも主によって支えられますように!

2010-04-21

存在を喜ぶ。

今朝も、寒かったです。
なんだか、ほんとに。


今夜はそれほどでもないようですが・・・。


明日は曇りですが、暖かく、雷雨もあるかも。


先日から、「理解されることよりも理解することを」ということを
思わされていますが、今日はまさに「ああ、このためだったのか」と思わされることがありました。
お話をしながら、「理解してもらおうと思うよりも、相手を変えようと思うことよりも、理解しよう」と思いながらお話を伺っていました。「互いに理解する」とか、「心が通じる」という所までは程遠いのですが、ああ、こういう事なんだろうなあ、お話をさせていただいて、一歩前に進んだような気がします。


愛されることを求めるよりも、愛することを学ばせていただきたいです。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ32章の最後、36-44節です。


「彼らをわたしの喜びとし」41節。

新共同訳ではちょっとニュアンスが違うのですが、
「主が私達を喜んでくださる」んですよね。

これはすごいなあと思います。

昔、ローマ人への手紙の5章11節にある「主を喜ぶ」ということばが、「どういう意味?」って感じでわかりませんでした。

「主がこういう事をしてくださったことを喜ぶ」とか、「主がこういう方だからそれを喜ぶ」とか、そうならわかるのですが、「主を喜ぶ」ってわからなかったです。

でも、最近「主の存在自体を喜ぶんだなあ」と分かり始めています。
それはまず、主が私のことを、わたしの存在自体を喜んでくださっている、とわかったから。

主がわたしを喜んでくださっている。
存在自体を。
だから、わたしも主を喜ぶ。

主よ、
今日も守って下さり、
私の心を支えて下さって感謝します。
一瞬一瞬、語ってくださっていますから感謝します。
どうか、あなたに喜ばれている平安の中で、
私達もあなたを喜ぶ者とならせて下さい。

2010-04-20

「男の料理なんて・・・」

今朝も寒かった。
4度くらいまで下がりました。


でも、昼間は20度を超えました。


明日は朝もそれほど冷えず、昼間も暖かく、
今週の中では一番穏やかな日かな、と思います。


父と娘ふたりの生活も今日まで。
「のんちさんがいなくて大変でしょう」と言われると、
まあ、ほんとうにそのとおりです。
つくづく感謝しなければと思います。


でも、でもですよ、まだ人間出来ていないですから,
どうしても、「結構頑張ってんだよ〜」って言っちゃうんですよね。
「そうですよねえ」で終わらせとけばいいのに・・・。


「料理も大変ですね」・・・これは1時間でも時間があれば、それは感じないです。
いつもはしないんですが、正直、好きなんでしょうね。
でも、自分でも余計だなあ、と思うのですが、
娘たちに「うまいよねえ」ってしつこい。


そう、やっぱり「おいしい」って言わせたいですよね。
反省。明日の夕食までは私の担当ですが、そのあとは、ちゃんと「うまい!」と反応する夫になろうとプチ決心。


ちなみに今日は一口ヒレカツ。




はい、うまかったです。


でも、「男の料理なんて・・・」ってのが幾つかありますよね。


たとえば・・・


1. それだけお金をかければ・・・


今日、Shopriteで、豚ヒレ肉、1パウンド1.99ドルでした。100グラム40円とか。それを1パウンドくらいだから、今日の夕食、しめて3ドルくらいかな。


2. それだけ時間をかければ・・・


まあ、そういう時もありますが、今日は準備30分、揚げるのに30分。5時半から6時に準備して、その後、一仕事して、8時から8時半に揚げている間に、ユキに味噌汁を作らせて、サキにサラダをつけて、ヒレカツ定食。


3. 肉ばっかり・・・


はい、お言葉通りです。
今日も、のんちが出発する前に買っておいてくれたナスをつかって、ナスの肉味噌炒めを作ろうと思って、買い物に行ったら、「ヒレカツ定食」になってしまったわけで・・・。さあ、ナスをどうしよう・・・。出る前に買ったのがそのままあったら、びっくりするだろうなあ・・・。


4. やりっ放しで片付けない。


はい、明日の朝やります・・・。


11日の「龍馬伝」から。


「男の人て、どうして熱くなるんだろう。みんな『日本を救いたい』と言うのに、自分の生き方はなかなか変えられない」


わお・・・これって、教会にそのまま当てはまる。


「クリスチャンってどうして熱くなるんだろう。みんな『神様のために』『日本を救いたい』というのに、自分の生き方はなかなか変えられない・・・」


「日々のみことば」は昨日書いた通り、32章全体を通して、
御言葉に従うこと、常識を超えて主を信頼すること、教えられています。

主よ、
愛されることよりも愛することを、もとめることできますように。
明日も、あなたがいつもいつも共にいてくださること、
私が気がつかない時も、あなたが共にいてくださることを、
忘れることがありませんように。

2010-04-19

主のなさることすべてへの同意。

今朝は寒かったですが、昼間はいい天気で暖かくなりました。
明日はもっと暖かくなりそうです。


花粉の季節はもうすぐ峠を越えます。


大学時代の友人、25年くらい前に夜を徹して語り合った友人が、
今、大学生のクリスチャンの団体のための働きをしています。
最近、すれ違いで、なかなか日本に行っても会えないでいるのですが、
彼が自身のブログにこんなことを書いておられました。


「同意書から考えたこと」


考えさせられました。
私たちはいったい、神様に何を期待し、
どのように主を信頼しているだろうか。


自分の願いを実現するために主を信頼し、福音に同意しているのか?
自分は伝道者として、こんな言い方は本当にみじめで、プライドが許さないと言うか、使うこと自体に嫌悪感をおぼえるのだけれど、本当のところ、「牧師としての成功」みたいなことを期待してきたのではないだろうかと、主の与えられることは何でも受け取ろうとしてきただろうかと、問われたような気がします。


「自分に死ぬ」という言葉がありますが、
今、それが問われていると思いました。


さて、「日々のみことば」から。
昨日から、エレミヤ書32章を読んでいます。
実は昨日から始まって、明後日まで、ずっとエレミヤ32章です。
全部つながっている話なので、
昨日も、今日も、どうしてもその日の部分だけでやめられなくて、
32章全体を読んでしまいます。


その中で、昨日、今日と思わされていること。
「私は、それが主のことばであると知った」8節。

ユダ王国はバビロンに滅ぼされると、エレミヤは知っていた。
でも、そこで畑を買え、と言われた。
そんな無駄になるようなことを、そんな常識はずれなことを、
どうして主はお求めになるんだろうか、
そのようにエレミヤも思ったのではないだろうか?

でも、彼は、「それが主のことばであると知った。」
苦難に継ぐ苦難を経験してきたエレミヤが経済的に豊かな生活をしていたとは思えない。
でも、彼は身銭を切って、主に従って、その畑を買った。

今日の「日々のみことば」では、
「あなたは、主にささげた後、現実を見ながら、後悔することはありませんか」と書かれていました。

それで思いめぐらしていました。

右の手のしたことを左の手に知らせるな、というイエス様の命令に逆らってしまいますが、献金はいつも痛みがあったほうがいいと思っています。でも、2回ほど、痛みどころじゃない、「どうするの?」というささげものを主のもとに持っていったことがあります。でも、それがどのように用いられたかということがそれほど気になったことはありません。これは見栄もなく、肩に力も入れず、言いますが、それは本当に「主の導きに従った」という平安があるんでしょうね。主にささげたものは主にささげたもの、どのように用いられても、わたしが何かを言う必要はない、と思っています。そこは本当にそうなんです。そして、生活も日々守られています。

後悔しないでいられる平安を与えられていること、主に感謝します。

主よ、
あなたのみことばに従うことのできる平安を感謝します。
どうか、どこまでも、あなたに信頼して、あなたのなさることに、
身を委ねていくことができますように。
信頼することをもっともっと教えてください。

発作。

1週間前に検診のあった心臓の先生は、「君の心臓は大丈夫!50までは来ないでいいよ!」って言ってくれて、無事放免となったのですが、

時々、持病の「自己弁護」病と、「わかってほしい」病の発作がおきます。

普段は自分の家で発作が起こるので、
ま、ちょっとしたバトルになったり、
「困ったパパだ」という空気が流れるのですが、
他の人間関係でも、発作が起こることがあるので、参ります。

今日はフランチェスコの祈りと言われる「平和の祈り」を思い出していました。
Wikiを見ると、これはアッシジのフランチェスコ自身が書いたものではない、ということですが、まあ、よく「フランチェスコの祈り」と言われますよね。
その中で




ああ、主よ、わたしに求めさせてください……
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。


という部分があります。

本当にそうだなあ、と祈らされました。
「理解されるよりも理解すること」。

「相手を『変えよう』と思わないで、『わかろう』としなさい」とも言われます。

そのように心に留めながら歩こうと思います。

でも、わたしだけではなくて、この祈りや勧めを作った人も、
そういう発作で悩み、苦しんでいたんでしょうね。


2010-04-18

一週間が守られますように。

教会の一人ひとりの歩みが祝福されますように。
明日も、主があなたとともにおられること、
あなたが気がつかないときにも、主は共にいてくださることを、
御言葉によって信頼していくことができますように。

職場でのあなたの一日が、学校でのあなたの一日が、家庭や地域社会、人間関係の中での一日が、守られますように。
理解出来ないこと、頭に来ること、がっかりさせられたり、傷つけられたりすることがあっても、そんな時にこそ、主が共におられることに目が開かれますように。

朝、セミナー参加のため日本に行っていたのんちから電話あり。
行く時とはぜんぜん違う、声の弾みようにこちらまで元気が出てきた。


弾む声は、また誰かを元気にする力がある、そんなことを思わされた。


主よ、
新しい力に満たし、新しい一週間を守って下さい。

2010-04-17

それぞれの働き。

これは日付が変わって、17日の午前12時30分位に書いていますが、
東京では17日に雪やミゾレが降ったみたいですね。
4月17日というのは昭和44年以来、遅い雪のタイ記録だそうです。
昭和44年というのは幼稚園だったわけで、
たぶん、覚えていると思いますよ。
「もう4月なのに雪が降って・・・」って幼稚園の時に、話していたような。
その頃からのお天気バカです。


NJも16日から寒いですが、まあ、雪はないでしょう。


今日の夜の集会は、いつもの半分以下の人数でしたが、
その分、いろんな話をしました。
一人ひとり強いところが違う。
「数字にめっぽう強い人」がいれば、
「社交的で友達のたくさんいる人」もいる。
「楽譜通りピアノが弾ける人」がいれば、
「楽譜は読めないけれども、聞くだけで歌える人」もいる。


自分は右手と左手で違うことをするのはすごい苦手だけれども、
最近は、サキがピアノで右手と左手でどんどん違うことを弾き始めている。


本当に神様は私達に一人ひとりに違う才能を与えられた。


そういえば、水曜日にお会いした人ともそんな話をしました。
イチローみたいな「努力する才能」を持った人もいます。
いや、本人は「才能じゃない」と言いたいでしょうが、
「努力できるのも才能の一つ」というのが私の勝手な持論です。
そんな話をしていました。


さっき、テレビで、
砂漠に咲く花の話をしていました。


いろんな花があります。
蜂のメスの形を真似たり、フェロモンを出したりして、
オスの蜂を呼び寄せて受粉する花とか・・・
最後の方に出てきた花は、地下に咲く花。
そんなのありか?と思います。


SMAPの歌も思い出しますが、
神様のなさることはレベルが違います。
もう、すごすぎます。


違ってていいんですよね。ハイ。


さて、「日々のみことば」から。
エレミヤ31章を読んでいます。
15日のところに出てきた、6節の言葉。


「エフライムの山では見張る者たちが、『さあ、シオンに上って、私たちの神、主のもとに行こう。』と呼ばれる日が来るからだ。」

エフライム、というのは北王国の一つの部族。
ずっと神に背いて歩んできた人々、
そして、エレミヤの時代にはもう滅びて100年以上経ってしまっていた。
そのエフライムが神のもとに帰ってくる時が来る。

その預言に本当にはげまされた。
主が招き返されるときがくる。
神から離れてしまった者たちも、
神のもとに帰ってくる日が来る。

それを信じて、信頼して歩んで行こうと思った。
主を信頼すること、もっともっと味わわせていただきたい。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたが人々を招き返される時がくる。
それを信頼して、待ち続けます。
安心して待ち望みます。