2010-05-19

回復を願う主。

朝になりました。
たまには朝の更新。
昨日は一日冷たい雨でしたが、
今日もなかなか雲が取れない一日なりそうです。
明日からは回復して、また「半袖」の陽気になりそうです。


JOY JOY Camp 2010「おどろき!なぞ解き、探偵団。」申し込み殺到中。
来週の土曜日が受付の締め切りです。


火曜日から水曜日の聖書。
エレミヤ書48章の後半でした。


「しかし終わりの日に、わたしはモアブの捕われ人を帰らせる。」47節。

傲慢で、イスラエルを笑いものにしたゆえにさばかれるモアブ。
しかし、主はモアブの回復を約束された。

「ひびみこ」にはこのように書かれている。
「あなたに対して高ぶり、あなたの悪口を言ってやまない人がいるでしょうか。その人の救いのために祈ることができるように、愛を主に求めましょう。」

もしもそんなことがあったら、祈れるだろうか。

主の恵みの深さを思わされるとともに、
主の基準の高さに圧倒される。

今日も主を見上げて歩んでいきたい。

今日も、一人ひとりがそれぞれの場所にあって、
主を礼拝する歩みへ導かれますように。

主よ、
あなたの基準はあまりにも高くて、
圧倒されます。
どうか、そこまで私を導いて下さい。
自分の力ではなく、聖霊様によって愛を与えられて歩むことができますように。
今日も教会の一人ひとり、ここに連なる一人ひとりがあなたを見上げて歩めますように。
人間関係の中だけに埋もれてしまうことがありませんように。

二つほど。

また日付が変わってしまいましたが、
今日は寝てたわけではなくて、
ほんのさっき帰ってきたから。


早く休みますが、
忘れないうちに思わされたことを2つほど。


一つは「博士の愛した数式」から。


直線は紙に書いたときには、直線ではない、
最初があって最後があるのは「線分」であって、直線ではない。
そして、紙にかかれた線はどんなに細く書いても、それには太さがあるから、
厳密な意味で、直線ではない。


完全な直線は、私達の心の中にだけある。


そういう意味の記述がありました。
何かとても神聖なものに触れたような気がしました。
完全な直線は書かれた瞬間に完全な直線ではなくなる。


本当だ。


じゃあ、教会や神様はどうだろうかと思いました。


教会もこの世に置かれた瞬間に、
それは完全なものではなくなる。


神様も「こんな方だ」と説明された瞬間に、
神様ではなくなる。


さて、本当の神様は「心のなかにおられる」となると、
それもまた本当ではなくなる。
私たちの心の中に縛られた瞬間に神様ではなくなる。
神様は私たちのちっぽけな頭やちっぽけな心には入りきらない大きな方。


じゃあ、教会は?
そう、教会は反対に心のなかにある教会、というのは、
実は本当の教会じゃない。
本当の教会は、いつでもこの世に存在する不完全な存在。
その不完全な教会を、聖書は「キリストのからだ」であると言う。


とてもおそれおおい話だと思う。
不完全な教会を「わたしのからだ」と呼んでくださることの恵みを感じる。


もうひとつは日付が変わったので昨日になりましたが、お会いしたある方がいわれていたことば。
「信じることの恐ろしさ・・・」
これは本当に深い言葉だと思いました。


ほんとに信じるとは恐ろしいこと。
それが人生を決め、歩みを決め、生活を決め、
お金や時間の使い方を決めていく。
いや、人生自体の使い方を決めていく。


信仰者として、そして、また信仰者を励ます者として、
信仰への招きを語る者として、
決して忘れてはいけない言葉だと思いました。

2010-05-18

守られて感謝。

月曜日のために祈って下さい、
と思い切って、お願いして、
心は守られて、支えられて、ああ、祈られたんだなあという一日でした。
朝飯前には祈った後、庭掃除から一日をはじめるという
なんだか、日本にいるかのような気持ちのいい一日のスタート、
そして、のんちが帰ってくる夕飯も6時にはもう出来ている、という、
心的には健康な一日でした。


ありがとうございます。


日付は変わってしまいましたが、
昨日は、医者の予定(両方チェックだけ)が2つ入っていて、
2個目、午後行った方、オフィスが鬼のように寒くて、
それでおかしくなったんでしょうか、
せっかく心が元気なのに、カラダが変調をきたし、
夕方から頭痛が始まって、9時前にはもうダウンしておりました。


夜中の1時前にモゾモゾ起き始めて活動開始、
でも、余り長い間起きていると、朝がきついので・・・
と思いながら更新しております。


さて、日曜日からはエレミヤ書48章のモアブについての預言のところです。
月曜日までの1-25節の中で心に留まったのは、7節。


「おまえは自分の作った物や財宝に拠り頼んだので・・・」

繰返し繰返し語られることですが、
「あなたは何を頼りにしていますか?」と問いかけられる。

本来道具であるはずのお金やモノにいつの間にか支配されていないだろうか?
「これがあなたを生かしている」と思わされていないか。

ネットもそうだ。

PCもインターネットも、タダの便利な道具なのに、いつの間にかそれに支配されてしまっていないだろうか?

20年前はPCを持っている人は本当に特別な人だった。
日本では、「ワープロ」までだった。
24年前の大学の卒論までは手書きだった。

つい最近出てきたばかりの道具であったPCが
今や私達を支配しようとしている。
一日繋がらないと「大切な情報をミスしていないか」と不安になったり、
陸の孤島に取り残されたような気になったり・・・。

「あなたは何を頼りにしていますか?」

本当は私たちは私達を創造された主を頼りにしていくべき者であるのに、
何を頼りにしているだろうか?

いや、一般論としての「わたしたち」ではなくて、「わたし」はいったい、何を頼りにしているだろうか。

やはり自分?健康?誰か信頼できる人?

主を信頼しよう。
主との関係の中に生きよう。

主よ、
あなたの守りを感謝します。
祈って下さる方々が与えられていることに感謝します。
あなたを頼ります。
あなたを頼る者を祝福してくださることを、弱いわたしに経験させて下さい。


夜中の2時半。
今日はこの後、雨のようです。
またひと休みして、朝に備えます。

2010-05-16

月曜日のために乞祈祷。

みなさんは月曜日をどのように迎えられるでしょうか?
日曜日にいただいた恵みに溢れてスタートされるでしょうか?
仕事や学校が始まることに重い心を抱えて始められるでしょうか?

私はいつも日曜日の礼拝の後、チャレンジを受けます。
そして、月曜日に一番サタンの攻撃を受けると思います。
ですから、私もみなさんのために祈らせていただきますので、
このサイトを訪問されたみなさん、
私の月曜日のために祈って下さい。

闘いとしての礼拝。そして、礼拝のための闘い。

今回のWorship Seminarで学んだことはこれでした。


創世記4章で、最初の礼拝の中に忍び込んできた、「妬み」「怒り」、そして、最後には「殺人」。礼拝を台無しにしようという力がそこには働いている。


礼拝は、
キリストの主権を宣言すること。
神を神としてその前にひれ伏すこと。
主の臨在、神の愛を信頼して歩むこと。


それは自分の気持とはかかわりなく、です。


それを否定しようという力が働きます。
お金が私達を生かしているかのように思い込ませたり、
病が私達を支配しているように思わせたり、
神の愛を否定したり、
不信感を互いの中に植えつけたり。
でも、その中で、ハッキリと主の主権、主の支配、主の最善を告白し、
そこに生きていくのです。


毎日が「礼拝」というのもそのコンテキストで考えるとクリアに見えてきます。


そのような生き方を、社会生活でも、家庭生活でもしていく、ということなのです。


それは闘い。


だから、礼拝は闘い。
そして、そこで勝利するために、
礼拝のための闘いがある。


礼拝をリードする使命をいただいてる者として、
そこに焦点を当てて歩んで行こうと思わされました。


本当に幸いな3日間でした。


知らない曲ばかりだったのですが、
「魂」が喜んでいることが分かりました。


主を喜ぶときに、私たちは力が与えられるって、
本当ですね。


JCCNJの礼拝が、
各地の教会の礼拝が、
さらに祝福されますように。


みなさんの一週間が主の支配の中に守られていることを、
一人ひとりが経験することができますように。


さて、1週間の「ひびみこ」で語られたこと。


昨日まででエレミヤ47章まで来ました。
その中で一番心に残ったことば。


「エジプトはかわいい雌の子牛。・・・その中にいた傭兵も、肥えた子牛のようだった。」46:20-21。

戦いのために備えの出来ていない者たちの姿。
それがミジメで、滑稽なくらいだ。

最近また「龍馬伝」がたまってきてしまっているが、
ずいぶん前に見たエピソードの中で、
黒船が来たときに、
武士たちが刀や鎧を探しに古道具屋に殺到する場面があった。

徳川時代の二百数十年の平和な時代の中で、
武士が戦うことを忘れてしまった。

私たちは武力で戦うことはないかもしれないし、
そのことを願うけれども、
霊的には戦いがある。
礼拝が「戦い」だ、ということだったけれども、
本当にそうだ。

その戦いに備えが出来ていないということはないだろうか?
霊的な平和ボケというか。
いや、平和であるかのようにボケてしまっていることはないだろうか?
戦うべき時に戦わないで来たときに、戦えないものになってしまっていた、ということはないだろうか?主の力を知らない者になっていた、ということはないだろうか?

戦いの備えをしていく者でありたい。

主よ、
霊的な戦いの備えをさせて下さい。
そして、そこで勝利をいただくことができますように。
勝利を得ることができますように。
物事の本質を見ぬくことができる者でありますように。

2010-05-14

無事到着、お祈り感謝。

予定通り、今朝は8時に出て、
夜の8時40分くらいに着きました。

あちらこちら、雷雨があったようですが、
私たちはちょうど激しいのはよけて行ってくれたみたいで、
「向こうの方で稲光が光っている」とか、
「雹が降った後で、芝生の上に積もっている」とか、
「雹と風で木の葉っぱが全部落ちている」とか、
そういうのを見ながら走りましたが、
「ひどい雨で大変だった」というのはありませんでした。

祈りに守られました。
車の調子も最後まで大丈夫でした。

車の中では、ハジのMP3 Playerに入っている、
賛美の歌を中心に歌って帰ってきました。
ワーシップセミナーの続き。

でも、もう一つ絶叫したのは、
自分が中高生の時に世の中で普通に流行っていた歌です。
30年も前の歌ですよね。
それを二人で車の中で大声で歌っているというのは、
ヘンな親子かもしれませんが、
仲間になったような不思議な感覚です。

自分の心が喜んでいるのを感じました。

感謝。

また「日々のみことば」とセミナーのことは
ちょっと落ち着いて時間を作って書きます。

2010-05-13

感謝!続けて乞祈祷。

NJに戻る前に一言感謝。

今日でWorship Seminar終わりました。
本当に主がここに導かれたことを感謝しつつ、
時間を過ごしています。

みなさんに祈られている幸いを感じます。

報告はまた改めて。

Seminarが昼で終わり、
その後、会場のそばに住んでおられる日本人クリスチャンのご夫妻をご訪問して、
昨日合流したハジと、4人で幸いな主にある交わりの一時を持たせていただきました。

明日は朝8時に出発して、12時間一気に走ります。
お祈り下さい。

皆さんにとって明日の一日が主の恵みと愛とで満ちあふれた一日であることに、お一人ひとりの目が開かれますように!

2010-05-11

お祈り感謝。

無事にセミナーの会場につきました。
みなさんにお祈りしていただいて、良かったなあと思います。
半分くらい雨の中、ちょっと霧の中もありましたが、
守られました。

そして、霊的にも、今朝、主から示されたこともあり、
守られています。楽しみにしています。

では、次の更新はもしかしたらNJに戻ってからかもしれませんが・・・。

みなさんの一週間も守られますように!

2010-05-10

乞祈祷。

目的地までの半分ちょっとで投宿。
今日一日守られましたが、
あと半分の道のりも、守られますようにお祈り下さい。

また明日の夕方からのセミナーの祝福も、
私自身の霊的な状態(うーん、もろクリスチャン用語かなあ、どう言えばいいんだろう、「心の状態」?)も守られますようにお祈り下さい。

今朝は、予報ほどは下がらず、4度でした。
今夜も寒いみたいですね。


NJは今夜も「凍結警報」です。
今夜の方が風がない分、冷え込みます。
霜の恐れもあります。
0度くらい。


私の滞在先はもう少し暖かく、4度くらい。
雲も広がって、こちらは雨の中のドライブになりそうです。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ44:1-14。


「わたしは、寄留しにエジプトの国に行こうと決心したユダの残りの者を取り除く」12節。


彼らがエジプトに行こうと思った理由はエジプトに行くことによって救われる、と思ったからだろう。そこに救いがある、そこに生き残る道がある。そう思ったのだろうと思う。

でも、それは神の道ではなかった。
神はエレミヤを通して、違う道を準備しておられることをなんどもなんども語った。

常識的には、確かに「降伏」よりも「エジプトを頼ろう」の方が救いがありそうに見えたのだろうと思う。

何が神の願われる道なのだろうか?
何が神のみ思いなのだろうか?

徹底的にそこに従っていくこと、
常識ではなくて、見た目の当然ではなくて、
主の願われることを見極めることのできる者とならせていただきたい。

簡単なことではないだろう。
簡単に見極められることではないだろう。
だから、一瞬一瞬主に目を向けながら、
歩んでいきたい。

主よ、
常識ではなく、計算ではなく、
あなたのみ思いを求めていくことができますように。
あなたのみ思いを知ることができますように。

2010-05-09

導きを感じて。

さっきのポストで書きたりなかったのですが、
そのThe Coveで検索したときに、
Billy Grahamのセミナー施設にヒットして、
それがNCの知り合いの方の住んでおられるところにそばで、
そして、そこにHillsong ChurchのWorship Leaderが来られると知って,
これは特別な神様の導きではないかと祈ってきました。

決して、偶然ではない。

主がこのことを導いてくださっていると信じて行ってきます。

お祈り下さい。

南へ!

今日は本当に寒いくらいの一日でしたね。
そして、昨日からの強い風、
昨日の夕方はあちらこちらで木が倒れていました。
やっと風も弱まってきたでしょうか?


でも、そこで、また問題になるのは、
冷え込みです。


今夜はFreeze Warningが出ています。
つまり「凍結警報」です。


春も早かったですが、寒さも遅くまで続く、
寒暖の差の大きいここ数ヶ月。
農家の方々も大変だろうと思います。


今は夜の10時半で6.9度。
明日の朝の最低気温は0度くらいの予想です。


その寒さから逃れるために、ではないですが、
明日から南の方にドライブして行きます。


目的地は、Ashevelle, NC。
ビリー・グラハムの研修センターでのWorship Seminar。
オーストラリアのHillsong Churchで礼拝リードの牧師として、奉仕されていた、
(今は立場は違いますが、やはりその教会で奉仕されています)
DARLENE ZSCHECH(子音ばっかりで読めない)さんが講師で、セミナーがあります。



実は今年のアカデミー賞のニュースの中で、
The Coveという日本の捕鯨を題材にしたドキュメンタリー映画の受賞がありましたよね。その時に、「何だそりゃ」と調べていたときに、このセミナーにヒットしたのでした。


というのも、この研修センターの名前が「The Cove」なんですよね。


楽しみにしています。


明日はフィラデルフィアの郊外に住んでおられる方をご訪問して、
その後、バージニアまで走ります。


昨日と今日の聖書。
昨日から今日のところは、エレミヤ42章15節から、43章にかけて。


「あなたは偽りを語っている。私たちの神、主は『エジプトに行って寄留してはならない』と言わせるために、あなたを遣わされたのではない。ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデヤ人の手に渡して、私たちを死なせ、また、私たちをバビロンへ引いて行かせようとしているのだ。」43:2-3


ひどい話ですよね。
何でも神様の語られることを話して下さい、
と言っておきながら、
実際、エレミヤが語ることが、
自分たちの考えと正反対のことであったときに、
「そんなことは神様のメッセージであるはずがない」
「バルクにそそのかされたのだ」と
いちゃもんをつけるんですよね。
なんくせをつけるんです。
それも、「あなたがたは私に悪を企んでる」とまで言われてしまうんですよね。
ああ、悲しい。

なんなんだろうなあ、と思います。

エレミヤの苦悩を思わされます。

私達が神様に従っているかどうかは、
人が喜ぶかどうかということと全く関係ないんですよね。
ある時は正反対だったりすることもある。

振り回されないで、
誠実に主に聞き、主に導かれる歩みをさせていただきたいと思います。

私自身も主の導きが自分の願いと正反対の時にも、
主に従うことができますように。

主よ、
あなたの導きを示して下さい。
あなたの導きに従って歩む者とならせて下さい。
自分の願い、人の願いにふりまわされない、
確かなあなたの導きに従う者とならせて下さい。

2010-05-07

「モンスター」にされないために。

今日は爽やかないい天気でした。
でも、今夜これから、天気は急速に下り坂。
明日の朝は激しい雷雨の可能性があります。


午後には晴れてくるみたいですが、今度は風が強くなりそうです。
日曜日は先週とは打って変わっての肌寒い風の強い日になるみたいです。


最近読んでいるBill Hybelsの本の中の一節。


「誰かとの人間関係が断絶した場合、すぐに対応しないとしたら、それは相手を串に突き刺すようなものです。あなたは何度も何度も串を回転させ、そのうち怒りの火が燃え上がるようになる。あなたはその人の悪いところを次から次へと考え出す。怒りの火であぶり続け、気づいたら、相手は変わり果てた姿になっているのです。この時点では和解することなど、全く考えられません。そう、これは殺人です。ここまで来ると、謙虚になって相手を赦すことなどできない、ということになるのです」


彼はそう言って、早く対応することを勧めている。


これは幸せなことなんだろうけれども、
私は人間が根本的にいいヤツばかりだと思っている。
ちょっと困ってしまうような人がいたとしても、
それはその人がそうせざるを得なかった事情があるわけで、
そんな悪いヤツはこの世にいないと思っている。
まあ、脳天気な人間だ。


でも、この文章を読んだ時に、
「自分は誰かをモンスターにしてしまうことはないかもしれないけれども、もしかしたら、自分は誰かにとって、とんでもないモンスターになってしまっているかもしれない」と思わされたのだ。


誰かが私を串に刺して、怒りの火であぶり続けているかもしれない、
そう思ったら、なんて、自分はうかつだったのだろうかと思った。


自分が「結局はみんないいヤツだ」と思っているから、
いつの間にか、「みんなも自分のことをそんなひどいヤツだなんて思うわけがない」とたかをくくっていたのだ。


でも、それはとんでもない思い込みで、自分はモンスターにされてしまうかもしれない、ということに気がついたのだ。


自分が誰かをモンスターにしてしまわないようにしよう、そのようにいつも思っている。でも、それと共に、私自身も誰かの心のなかでモンスターに化けているようなことがないようにしなければいけないのだ。そして、それはその人の心をしばり、蝕んで行く。


そのような事にならないように、自分の方から、心を配っていくこと、感情的なわだかまりがある時に自分の方から、「誤解されていないか」とわびていくこと。コミュニケーションをとっていくこと、そして、私であれ、他の誰かであれ、串刺しにして、火で炙っている人がいたら、「早くそこから抜け出せるように、行動を起こしなさい」と勧めていかなければ、そして、そういうことに囚われたときに相談したくなるようなオーラを発していかなければ・・・。


大切な事だと思わされました。


さて、今日の聖書。
今日は42:1-14。


「どうぞ、私たちの願いを聞いてください。私たちのため、この残った者みなのために、あなたの神、主に、祈ってください。ご覧のとおり、私たちは多くの者の中からごくわずかだけ残ったのです。あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように。」2-3節。

この人達は、このとき、どこまで本気だったのだろうか?
どこまで、神様に真実に従うつもりだったのだろうか?
もう少しストレートに言うと、
どこまで、エレミヤが言う神様のメッセージに聞くつもりだったのだろうか?

結果として、彼らはエレミヤを通して語られる神の言葉に聞くことができなかった。

でも、それはこの人達が最初から、いい加減な気持ちだったことを表しているのだろうか?それとも、彼らはこの時点では、本気で従うつもりだったのだろうか?

私はこの後者のような気がしている。

それなりに真剣だった。
でも、現実に自分が願う道が閉ざされて、違う道が開かれた場合、
そこに進むようにと語られたときに、従うことができなくなってしまった。
そうなのではないだろうか?

そして、それは私たちの人生にありがちなことではないだろうか?

本気であることは大切なこと。
でも、それに負けないくらい、じゃなくて、それとは全く違うレベルで、
自分の弱さを知っている、自分の弱さに泣いている、
それがもっともっと大切な事だと思う。

「信じます。不信仰な私をゆるしてください!」と悪霊につかれた少年のお父さんはイエスに懇願しています。

私はそれこそ、信仰なのだと思います。

信仰という最高のものの中にも自分の弱さを見せつけられるのです。
でも、そこにこそ、自分の弱さを知ったところにこそ、
神様の御業がなされていくのです。

主よ、
私の中にある弱さをあなたはご存じです。
それをも用いて、あなたのご栄光が表されますように。
従えない私を赦してください。

2010-05-06

20年目の再出発。

昨日は私達が結婚して20年目の記念日でした。
本当に赦され、支えられてきたことを思わされました。


そして、昨年の夏に日本から持ってきていただいた
「ファイアーストーム」見ましたよ。とうとう。
もともとは、はちこさんのところで、Fireproofという英語の題で紹介されていて
その後、日本語版が出たと、でも、題が何故か「ファイアーストーム」となってしまったと、紹介されていて、見たいと思っていました。そしたら、集会にこられていた方が何の気なしに図書館で借りたらそのDVDだった、とても感動したと、言っておられました。


ウチの場合、英語版だと自分も不完全だし、のんちは、絶対寝ちゃうから、日本語版じゃないと・・・ということで、去年、わざわざ日本のアマゾンから日本の知り合いのところに送ってもらって、JOYJOYキャンプのヘルプのために来るときに、持ってきていただいていたのでした。でも、何故か、日本のDVDが見れる機械が見当たらない。どうしても見つからない、ということで、のびのびになっていたのでした。


この機会を逃してはいけない、と、PCを1つ日本のDVD専用にしてしまう決意で、PCの前に二人で座って見ましたよ。


よかったですねえ。
特に最初の二人の言い合いの場面。
あるある〜と互いに心が痛みながら、苦笑いしながら見ていました。


もうひとつは、主人公が限界のところに来た場面かな。


本当にイエスの恵みを思わされました。


そして、主の前に、再出発を祈り合って、今日の朝を迎えました。


今日は我が家での家庭集会、先月一回休んだので1ヶ月ぶり。
祈りつつ、楽しみに待ち望んでいました。
でも、連絡する方が次々と「ちょっと用事が・・・」なんですよね。


でも、小さな集まりでも、主が送ってくださる方は、特別に祝福してくださるから、と祈って時間を迎えたのですが、なんと、どなたも来られない。


いつも楽しみにしておられる方々が数人おられるので、少なくても5-6人にはなるのですが、今朝は二人で始めることに。


でも、祈っていましたから、平安がありました。
いろんな理由はあるでしょうし、私自身の問題もあるかもしれませんが、でも、すべての背後には主がおられて、その主が今日はどなたも来られなかったということは、特別に二人で集会を持ちなさい、特別な時を持ちなさい、と言われていることを感じました。


そして、本当に幸いな時となりました。
主の前に、普段できない話も沢山して、賛美もして、聖書を共に読んで、立ち上がりました。


ここから教会を育ててくださる。
この二人の関係から教会を建て上げさせてくださる。
そのことを思わされました。


日曜日からずっと一直線につながっているように思います。


主がすこしずつ、その心のなかにあることを、私に分かち合ってくださっている喜びを感じています。


さて、昨日から今日の聖書。
エレミヤ40-41章。
実は、昨日も「この後どうなるんだろう」と思ったら、止まらなくて、日曜日のところまで読んでしまいました。もう何回も読んで知っているところなんですが、毎回ハラハラさせられます。

「そんなことをしてはならない。あなたこそ、イシュマエルについて偽りを語っているのだ」40:16。

ゲダルヤは、「あなたのことを暗殺しようとしている者がいる」と忠告する人がいても、「何を言っているんだ?」と取り合わなかった。それだけではなくて、彼を守ろうという人達に「あなたは偽りを言っている」と語っている。

でも、実際にゲダルヤはイシュマエルに殺されてしまう。

人を信じたい自分。

いつでもひとを信じていていたい。バカを見てもいいから、裏切られてもいいから、ひとを信じていたい、そう思っている。

それが正しいとさえ思っている。

でも、今日の聖書箇所を読むと、現実に目を背けて、実際の人の心を見ないことは、やはり愚かなことなのかなあ、と思います。

逃げているのかもしれない。
わかっているのに、目をそらして、ちゃんと正しく対決したり、誤解を解いたり、そういうことをしないのは、やはり不誠実なんだろうと思う。

何度も書いているテーマだけれど、
アンパンマンと同じで「愛と勇気」は本当に大切だと思わされた。

主よ、
ありがとうございます。
20年目の再出発を感謝します。
もっともっと愛することを教えてください。
また逃げない愛を与えてください。

2010-05-05

立ち上がる前に。

朝になりました。
涼しい、爽やかな朝です。


今日は一日綺麗に晴れそうです。


昨日の朝、夢を見ました。
「私はあなたにこれから私の心の中を明かす」と神様に言われる夢でした。
それと同時に目覚ましがなりました。


ですから、すかっと目覚めて、「夢だしなあ・・・」「でも、神様が何か特別なお考えがあって、あんな夢を・・・」と思い巡らしながら、わくわくしながら教会に向かいました。


ちょうど、神様の導きを祈っていることが幾つかあったので、ビジョンが与えられることを願いながら。


でも、向かっている車の中で、与えられた思いは「悔い改めなさい」だったのです。


日曜日は子どもたちと大人と一緒にメッセージを聞く、という礼拝でした。難しさを感じながらも、子どもたちにも我慢させないで、でも、それと共に大人の一人ひとりが神の声を聞くことができるようにと祈りながら、語らせていただきました。


説教題は「さあ立ち上がろう」
聖書箇所はマタイ28:16−20。
復活のイエスが弟子たちに使命を与えて派遣するところ。


その中で、復活のイエスの前にひれ伏した弟子たちの姿に触れながら、「立ち上がるためには、普通は座っているところから立ち上がるんだけれども、神様のために立ち上がるときには、主の前にひれ伏して立ち上がる」「それまでもイエスの前にひれ伏した人たちはいたけれども、みんな『助けてください』ということでイエスの前にひれ伏した。でも、この時の弟子たちは、イエスを神として、人生の王として、その前にひれ伏したのだ」と自分が語られたことを分かち合ったのでした。


それが、昨日の朝、心に響いてきて、本当にまさに、自分自身こそが、まず、主の前にひれ伏さなければ、主の前に悔い改めるべきことを悔い改めることなければ、主は用いてくださらない、そのことを思わされ、悔い改めに導かれました。


それこそが、主の御思いの中心なんだと思います。
でも、もっともっと御心を開いてくださることを楽しみにしています。


さて、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ39:11−18でした。


「それは、あなたがわたしに信頼したからだ。」18節。

王に進言してエリヤを助けたエベデ・メレク。
主はその神への信頼に、特別な守りをもって報いてくださった。

主を信頼するものは慌てることがない、と。

私たちが神様に頼るのを忘れて、
人を恐れると、失敗をする。

主を信頼して、risk takingをしよう。

主がなしてくださることを見せていただきたい。

主よ、
あなたの事を信頼して、なすべきことをなす者とならせて下さい。
あなたの語りかけに感謝します。
続けて、あなたがみこころを示してくださいますように。


今日の一日がお一人ひとりにとって、幸いな一日となりますように!

2010-05-04

また明日。

今日は朝から、分かち合いたいことがあったのですが、
プライベートの方で、
ちょっと母の日(父の日も兼ねる)用に作業をしていたら
12時前になったので、もう休みます。
10年分の写真のデータの中から百数十枚をピックアップ。

では、また明日。

皆さんにとって、明日が、素晴らしい一日となりますように。

2010-05-03

寄り沿う。

今日は朝と夕方に一回ずつ激しい雨。
でも、その他の時間は穏やかな一日でした。
昨日ほども暑くなく、
夜になったら、昨日ほど蒸し暑くもありません。


明日はもう少しいい天気です。


にわか雨もあるかもしれませんが、
それほど心配ありません。


まだ薬は飲んでいますが、
先週とは全然体調が違います。
そして、何よりも頭と心がスカッとしています。


なんだったんだろうと思います。


パウロが自分の肉体の刺をとっていただけるようにと3回祈ったとありますが、私もアレルギーを取り去っていただけるように祈ろうかと思います。これからの季節、いちごやさくらんぼ、桃、梨など、大好きなフルーツがほとんど食べれないのも辛いですが、でも、この春の花粉の季節の厳しさ、取り去っていただきたいです。


でも、先週思わされたことがありました。
先週の金曜日、いろいろな仕事が溜まっている中でしたが、
迫りを感じて、ある方を訪問してきました。


90代のおばあちゃん。
いつもそうなんですが、
最初は「初めてですよね」と言われてしまいます。
(「博士の愛した数式」みたいだ)
そして、何度も「子供は何人?」「男、女?」「何歳?」と聞かれます。
同じことを何度もお話します。


でも、だんだん、だんだん、話が合ってきます。
話が広がってきます。
そして、だんだん会話になっていくんですよね。
これって、すごい、と思いました。


いつもほとんど日本語を使う場面がないおばあちゃんなので、
それもあるんでしょうが、日本語を使っていくと、
どんどんいろんなことを思い出してくる。


30分くらい話をしたあとで、
聖書を開いてお祈りをしようとしました。


でも、目も細かい字は良く見えませんし、
耳も、日本語、英語、中国語、みんなごっちゃになるのでしょうか、
それとも、私の発音の問題でしょうか、余り聞きとってもらえません。


何とか聖書を読もうと思って開きかけたところが、
昨日の礼拝の聖書箇所。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
というマタイ28:20にあるイエスの言葉。


でも、その時に思わされたのです。


「ユダヤ人にはユダヤ人のように、異邦人には異邦人のように」というパウロの言葉。コリント第2の手紙(5月4日訂正・第1の手紙でした)です。


聖書の言葉が通じているか通じていないか、とにかく伝えて行く事の大切さも知っています。その力をも信じていますし、何度も経験させられました。でも、ここでは、自分がイエスの代わりにはなれないけれども、少なくとも、自分があと30分、ここでおばあちゃんと一緒にいることの方が、ここで一つの聖書を開いて帰るよりも、正しいと思ったのです。


聖書をそこにおいて、膝をついて、おばあちゃんに話しかけました。


「今日はおばあちゃんと一緒にいられて、ほんとに嬉しい。」と。
毎朝、わたしが祈りの中で、主に言っていただく言葉を思いながら。


だから、「とげ」があった方がいいのかな。
(言葉のとげ、じゃないですよ、肉体の弱さの方です)
トンネルの中では、「もう、何とかして欲しい!」と思うんですけどね。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ39章1−10節。


「ユダの王ゼデキヤとその全ての戦士は、彼らを見て逃げ・・・」4節。

神のみ思いを知っていながら、従えなかったゼデキヤ。
最後、彼はイザという時には、民を捨てて逃げてしまったのでした。

ネブカドネザル王によって滅ぼされることは、
エレミヤの予言で知っていたのに、
そこに従えなくて、最後は逃げ出す。

なんなんだろうかと思います。

でも、昨日も書きましたが、
人を責めるのは簡単ですが、自分はどうだろうかと思います。

本当に主に御声に従い、
最後まで逃げないで、自分の使命を果たす、
そのように歩みたいと、思います。
このことをイザという時に思い出して、
主に従い、責任を果たせますように。

主よ、
どうか、逃げることがありませんように。
主の導きに従い、主の与えてくださる使命に生きる者とならせて下さい。
あなたの使命を見極める目、聞き分ける耳を与えて下さい。

2010-05-02

JOYJOYキャンプ申し込み開始!

今年もこの季節がやってきました!
いよいよJOYJOYキャンプの申し込みの開始です!


上の画像をクリックしても大丈夫ですが、
コチラのPDFファイルの方が綺麗なプリントアウトが出来ます。
今年のテーマは「おどろき!!なぞ解き、探偵団」です。
みんなで「なぞ解き」に挑戦です。


締め切りは5月29日!
たくさんのみなさんの申し込みをお待ちしています!


今日は本当に暑かったです。
お約束の雷雨は・・・どうなったんでしょうか?


ペンシルベニアではかなり降っているようですが・・・。


でも、本当に昨日あたりから花粉症は楽になってきました。
今週はすこしずつ本調子になってくるでしょうか、楽しみです。


さて、昨日から今日にかけては、エレミヤ38章。


「イスラエルの神、万軍の神、主は、こう仰せられる。『もし、あなたがバビロンの王の首長たちに降伏するなら、あなたのいのちは助かり、この町も火で焼かれず、あなたも、あなたの家族も生きのびる。』」17節。

「石橋を叩いてもわたらない」という題が「日々のみことば」にはついています。
この章に出てくるゼデキヤ王は本当にそんな感じです。
神様の答えを聞きたい。
でも、実際聞いたら、そこに従うことはできない。

実際のところ、もうエレミヤの言うことはわかっている。

そう、もうわかっていたのです。

でも、何度も何度もエレミヤを呼び出して聞くのです。
そして、実際に聞くと、そのとおりに行動できるかと言うとできない。

エレミヤの言葉を受け入れるのには、
それなりのリスクがあったのです。
一番大きなのは反対する人々の存在でした。
そして、結局、エレミヤを保護しながら、
また彼が神の僕であることを認めながら、
彼の言葉に従うことができなかったのです。

愚かなことです。

でも、他人のそのような姿はわかりやすいけれども、
自分の姿は分からないのです。

私もどうだろうかと思います。
主の導きを見分け、
そして、そこに勇気を持って進んで行く、
そのような従順さを持ちたいと思います。

主よ、
あなたのみ声を聞くことができますように。
そしてそこに勇気と従順さをもって進んでいくことができますように。
それが人気がないことであっても、主がみちびかれるならば、それに従っていくことができますように。

2010-05-01

出口は近い?

今日は暑かったです。30度を楽に超えました。
明日も楽に超えそうです。湿度も高くなります。
そして、雷雨のおまけ付き。


たぶん、夏みたいな天気になるでしょう。


いよいよ、花粉症も出口に差し掛かってきたと思います。
今日はずいぶん楽に感じました。
ここ数日は普通の2倍量の薬を飲んでいたのですが、
今日から普通の量に戻しました。


さて、29−30日はエレミヤ37章でした。
「どうか、私たちのために、私たちの神、主に祈ってください。」3節。

このゼデキヤ王ですが、なにか中途半端な感じがします。
前にも「奴隷解放」を宣言しておきながら、
またそれを取り消してしまったり、

ここで、エレミヤに「祈って下さい」と願うのですが、
神に自分の願いを聞いてもらうだけで、自分がそれに従う、という感じはない。
悔い改めて神の前に出る、という感じではない。

そして、後半でも、
エレミヤを助けようとするのでしょうが、
本気ではない。
人を恐れている。

主に従うことは、そこに徹底すること。
単純に従うこと。

自分もいろいろ考えて、
主に従いきれていないことはないだろうか?

主に本気で従い、
従い抜くものであることができますように。

主よ、
半端な人間になってしまうことがないように、
あなたに従うときに、本気で従うものでありますように。
単純に従うことができますように。

2010-04-30

美しいもの。

ここのところ、花粉症とそれを抑える薬との関係で、
まとまった文章を書くことができないのですが、
ひとことだけ。

聖書と信仰書とに混じって、
最近手にした本。

「博士の愛した数式」

何年か前に話題になった本ですよね。

まだ途中ですが、

美しいものの前に厳粛になる思い、

私達が神様の前に立たされる時に感じる思いと、どこかで通じているのだと思います。

そう、数学も主が造られたこの世界を表すものの一つだから。

2010-04-28

涙の谷も泉わくところに!

今日は寒かったです。
明日の朝も冷え込みます。
今は夜の11時過ぎですが、10度を割り込んで、
どんどん冷え込み中。


風も止んだので、明日の朝は遅霜かも・・・。


昨日は更新出来ませんでしたが、
とにかく花粉症でエネルギーを吸い取られます。
家の前には、Oak Flower Ballsとでもいうべき、
oakの木の雄しべが落ちて、風で吹かれて集まって丸まって、
団子状のものが溢れています。


今日はNYの日だったので、
NYにいるときはまだ良かったのですが、
NJに帰ってきたら、速攻で目が痒くなってきました。
涙が止まりません。


文字通り「涙の谷」です。


でも、そんな中でも主は励ましを与えてくださいます。
2週間ほど前、「嬉しいニュースがありました。実現したら、お知らせします」と書いたのですが、2年前の日本訪問の時に初めて日本でお会いした方が、その後、地元の教会に続けて集われて、この前の日曜日にそちらの教会で、多くの人々に囲まれて、洗礼を受けられました。


「刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。」ヨハネ4:36−37


その言葉を思い出しました。
近いうちに月報でお証もご紹介する予定です。


これからの信仰の歩みが豊かに祝福されますように。


昨日、今日はエレミヤ書36章でした。


「エホデが三段か四段を読むと、王は小刀をもってそれを切り取り、炉の火に投げいれ、ついに巻物全部を炉の火で焼きつくした。」23節。

主が語られる言葉に我慢できなかった王は、それを切り刻んでもやしてしまった。
でも、神の言葉はどんなに切っても、燃やしても、その内実を失うわけではない。
主が語られた言葉は必ず成る。

それを無視する人もいるだろう、
それを攻撃する人もいるだろう。
でも、たしかに御言葉は必ずなる。

その前にはその攻撃も虚しい。

だから、心配しないで主を信頼して、
御言葉に従おう。御言葉を証ししていこう。
御言葉を語っていこう。

主がおられるから。

主よ、
あなたの御言葉の力を信頼します。
私の力は弱いですが、あなたの御言葉には力があります。
どうか、あなたの御力を見せてください。

2010-04-26

神様のCalling。

今日は一日雨でしたね。
予報よりも雨が多くなったようです。


明日から少しずつ回復。


後半はかなり暖かな陽気になりそうです。


今日は地区の牧師会。
とてもいい集まりでした。


そのあと、ある牧師と個人的に話しをしながら、
自分が神様から与えられた、ひとつの経験を思い出していました。


もう3年も前に書いた証し。


第11章


第12章


今も、私の弱いところに、主が働いてくださる、という約束、有効なんだと、もう一度示されたように思いました。主がそのことをしてくださる、それを信頼して行こうと思います。


神様から御言葉を語られて、踏み出すこと、
私達の人生にとってどれほど大きなことでしょうか。
多くの方々が、この「御言葉が与えられる」という経験を与えられますように。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ35章。


「 私たちは天幕に住み、すべて先祖ヨナダブが私たちに命じたとおりに、聞いて行ってきました。」10節。

神様のメッセージを単純に大胆に、忠実に守ってきたレカブびとたち。
預言者であるエレミヤの誘いも、神様が忠実さを試される目的でした。

時々、そういうことを感じる時があります。
私がどのように反応するか、神様から試されていると。

物事を正しく判断する賢さを与えていただきたいと思います。
そして、何よりも忠実に主に従う者でありたいと思います。


主よ、
あなたの御言葉による約束に感謝します。
それを信頼して、従って行く者とならせて下さい。

2010-04-25

こころのうた。

今日は雨の一日。
でも、教会の一日ですから、雨が降っても大丈夫。


明日も肌寒い雨の一日です。


聖書学院(牧師になるための訓練と修養と勉強の学校)時代一緒に学んだ仲間にはいろんな経歴の方がおられますが、この方は元プロのミュージッシャン。


人生は10年くらい先輩ですが、
人生経験を積んでクリスチャンになられて、
聖書学院に来られたので、そちらではわたしの方が1年上。


でも、なんだか一緒に過ごしたという感じがします。
もうその頃はパパになっていたので、
僕らは「パパさん」と呼んでいました。


そして、パパさんはわたしに専門のベースを教えてくれて、
パパさんのギターと一緒に奉仕をしたこともあります。


本当に腰の低い、暖かいパパさんでした。


今はハワイにおられて、12年前にはNJまでご夫妻で来て下ったことあります。


そのパパさんが、1年半前に病を負われて、こちらの教会でも祈っておりましたが、
本当に闘いに次ぐ闘い、「こんどこそ、普通の生活に戻れる」と期待しても、
再入院、を繰り返しておられました。どんなに厳しい戦いだったかと思います。
でも、今年になってから、すこしずつ力が与えられて、
先日はUstreamでハワイから世界に向けてメッセージの発信を始められました。


その第1回がこちら。
30分番組なんで、それなりに時間がかかりますが、
私たちは夫婦で釘付けになってしまいました。


痛みや闘いの中から生まれた歌と言葉には力があります。



東海岸時間の金曜日の真夜中の12時から生放送みたいです。
ちょっときつい時間帯なので、たぶん、毎週録画を見せていただくことになりそうです。でも、楽しみにしています。


パパさんのブログはこちら。


ハワイでハレルヤ!

さて、今日の聖書。
今日はエレミヤの34:8−22


「それなのにあなたがたは心を翻して・・・」16節。

奴隷を7年に1回すべて解放するのが神様のおきて。
でも、実際にそれは実行されていなかったと言う。

どうしてだろうかと思う。
それは純粋に、力をもっている人々が損をするから。
つまり、彼らにとっては、
神の言葉よりも、経済的な効果のほうが大切だった。

ヨベルの年というのが聖書に書かれている。

50年に1回、借金のかたに取られた土地が、
元の持ち主に戻される、という神様のおきて。

でも、これも実際に守られなかった、のではなかったかと思う。
そんな話を聞いたことがある。

やはり、経済的な秩序を考えたら、
これは実行されないだろうなと思う。

そう、経済の問題の方が、神様のおきてよりも大切。

私達はどうだろうか?

高校時代に「経済学部」を希望していた友人にその理由を聞いたことがある。
彼が言っていたのは、「だって、この世の中は結局経済が一番大切でしょう」ということ。
若かった自分はそのことばに、驚いたことを覚えている。
「こいつは、そんなことを考えていたのか・・・」と。
ごく普通の友人が、そんなことを言うのかと。
今、自分はその言葉の意味の大きさを感じさせられている。

本当に神様を本気で第一にしているだろうか?

主よ、
あなたを第一として歩む者として下さい。
経済的な問題は、大きいです。
でも、それが神様、あなたよりも大切になることがありませんように。

2010-04-24

輝き。

今日はスカッと晴れました。
朝はやっぱり5度くらいでしたが、昼間はまた暖かくなりました。

でも、夜になってから雨が降ってきたようです。
明日は肌寒い雨。

雨の中心は今夜から明日にかけてのようですが、
火曜日くらいまですっきりしない天気になりそうです。

今日のJOYJOYシンガーズの練習は素晴らしかったです。
何が素晴らしかったかって、子どもたちの表情。
もう、なんども涙があふれそうになりました。

子どもたちは、力いっぱい賛美します。
本当に声を張り上げるようにして、
もちろん、音楽のことを言うならば、
張り上げない方がいい。
でも、あまり「指導」みたいなことをして、
あの輝きを失いたくない。
悩まされるところです。

私達が子どもたちに見習うこと、沢山あると思います。

さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ34:1−7でした。

「あなたは剣で死ぬことはない。あなたは安らかに死んで・・・」4−5節。

私達の命は主の御手の中にある。
そのことを改めて思わされました。

今朝、昨日のEarth Day、
DNAを調べるキットが安かったみたいですね。


DNAでいろいろ調べて、どんな病気にかかりやすいか、
どんなことに注意すべきなのか、わかることがあるみたいです。

これから研究を進めて行けば、もっといろんなことが見えてくるんでしょうね。

でも、それでも、私達の命は、神様のみ手の中にある。
主が与えてくださっている命を、
主が望まれるように生きていく、
そのように歩みたいと思います。

主よ、
あなたの与えてくださっているこの命に感謝します。
どうか、あなたの与えられている使命に歩ませて下さい。
あなたの与えられる使命に生きる者として下さい。

2010-04-23

理解を超えた大いなること。

今朝も、寒かったんですよねえ。
5度切りましたから。
それがちょっとしんどいかなあ、昼間そこそこ暖かくなるから、
余計、朝「カラダが冷える〜」って感じです。


今夜もまた冷えて、明日は晴れて暖かいでしょう。
でも、明日の夜は雨。そして火曜日くらいまで雨で、
肌寒くなりそうです。


その先もずっと見てみると、もう寒いのはないかなあと思ったのですが、
5月になっても、暖かい日と、肌寒い日が交互にやってきそうです。


あ、今日集会のあったお宅には藤の花が咲いていました。
早いですよねえ。まだ4月です。






昨日は久しぶりのJOYJOYキッズクラブでした。
先月は最近で最大の29人が参加したMaywoodでのキッズクラブでしたが、
今月はなんだか、みなさん花粉症の影響か、風邪が流行っていたのか、
ぐっと少ない12人でした。


でも、毎回子どもたちの一生懸命な姿には励まされます。


先日から読んでいるエレミヤ書。
日曜日からの32章では、「将来への投資」がテーマでした。
それは常識的に見たら、やめた方が良い投資であり、
70年先に返ってくる、ということを考えたら、
自分がいきている間にリターンがあるわけではない投資です。


ただ、神に従った投資であり、
また自分のための投資ではなく、次の世代のための投資です。


やはり、子どもたちのための働きがどれだけ大切だろうかと思わされます。


経済的な意味でも、また労力の面でも、
次の多世代のための投資をもっともっと主に導かれていると感じます。


さて、昨日、今日はエレミヤの33章。
「あなたの知らない、理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう」3節。

「日々のみことば」のところには、
「理解を超えた大いになること」とは「囲いがあって立ち入ることのできない」ところ、
という意味の言葉だと書かれています。

神様の世界は私達が知ることができない。
私達が自分から、そこに立ち入ることができない。
でも、主がそこを開かれるときに、
私たちはそれを知ることができる。


そのために私達に求められているのは、
「私を求めなさい」ということ。

「私たちは本来、神のみ思いを知ることができない」という主の前の恐れと、
「それを主は明らかにしようと、私達が求めるのを待っておられる」という確信と、
両方をもって、主の前に出よう。


主は待っておられる。

主よ、
あなたのみ思いを知らせていただけるなんて、
なんて素晴らしいことでしょうか?
あなたと時間を共にすることにもっと喜びを満たし、
あなたから、み思いを知らせていただける関係を築いていくことができますように。

いつも太陽が・・・。

昨日はここ数日の連日3-4時間睡眠がたたって、
「沈没宣言」もできずに、10時前にはもう夢の国に旅立っておりました。

そして、花粉症の真っ最中のカラダは、
朝起きたら、スカッと言うわけにも行かず、
グズグズです。

でも、嵐の時にも雲の上には太陽が輝いています。
そうなんですよね、忘れてしまうんですが、
今朝も「神様、勘弁してください」と祈ったのですが、
雲の上には太陽が輝いているんですよね。

Junさんのブログには、通称「お天気の歌」=「いつも太陽が」を聴かれた方の声が紹介されています。

Rainbow Music Japan Official Blog: いつも太陽が。

今日の一日のみなさんの歩みも主によって支えられますように!

2010-04-21

存在を喜ぶ。

今朝も、寒かったです。
なんだか、ほんとに。


今夜はそれほどでもないようですが・・・。


明日は曇りですが、暖かく、雷雨もあるかも。


先日から、「理解されることよりも理解することを」ということを
思わされていますが、今日はまさに「ああ、このためだったのか」と思わされることがありました。
お話をしながら、「理解してもらおうと思うよりも、相手を変えようと思うことよりも、理解しよう」と思いながらお話を伺っていました。「互いに理解する」とか、「心が通じる」という所までは程遠いのですが、ああ、こういう事なんだろうなあ、お話をさせていただいて、一歩前に進んだような気がします。


愛されることを求めるよりも、愛することを学ばせていただきたいです。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ32章の最後、36-44節です。


「彼らをわたしの喜びとし」41節。

新共同訳ではちょっとニュアンスが違うのですが、
「主が私達を喜んでくださる」んですよね。

これはすごいなあと思います。

昔、ローマ人への手紙の5章11節にある「主を喜ぶ」ということばが、「どういう意味?」って感じでわかりませんでした。

「主がこういう事をしてくださったことを喜ぶ」とか、「主がこういう方だからそれを喜ぶ」とか、そうならわかるのですが、「主を喜ぶ」ってわからなかったです。

でも、最近「主の存在自体を喜ぶんだなあ」と分かり始めています。
それはまず、主が私のことを、わたしの存在自体を喜んでくださっている、とわかったから。

主がわたしを喜んでくださっている。
存在自体を。
だから、わたしも主を喜ぶ。

主よ、
今日も守って下さり、
私の心を支えて下さって感謝します。
一瞬一瞬、語ってくださっていますから感謝します。
どうか、あなたに喜ばれている平安の中で、
私達もあなたを喜ぶ者とならせて下さい。

2010-04-20

「男の料理なんて・・・」

今朝も寒かった。
4度くらいまで下がりました。


でも、昼間は20度を超えました。


明日は朝もそれほど冷えず、昼間も暖かく、
今週の中では一番穏やかな日かな、と思います。


父と娘ふたりの生活も今日まで。
「のんちさんがいなくて大変でしょう」と言われると、
まあ、ほんとうにそのとおりです。
つくづく感謝しなければと思います。


でも、でもですよ、まだ人間出来ていないですから,
どうしても、「結構頑張ってんだよ〜」って言っちゃうんですよね。
「そうですよねえ」で終わらせとけばいいのに・・・。


「料理も大変ですね」・・・これは1時間でも時間があれば、それは感じないです。
いつもはしないんですが、正直、好きなんでしょうね。
でも、自分でも余計だなあ、と思うのですが、
娘たちに「うまいよねえ」ってしつこい。


そう、やっぱり「おいしい」って言わせたいですよね。
反省。明日の夕食までは私の担当ですが、そのあとは、ちゃんと「うまい!」と反応する夫になろうとプチ決心。


ちなみに今日は一口ヒレカツ。




はい、うまかったです。


でも、「男の料理なんて・・・」ってのが幾つかありますよね。


たとえば・・・


1. それだけお金をかければ・・・


今日、Shopriteで、豚ヒレ肉、1パウンド1.99ドルでした。100グラム40円とか。それを1パウンドくらいだから、今日の夕食、しめて3ドルくらいかな。


2. それだけ時間をかければ・・・


まあ、そういう時もありますが、今日は準備30分、揚げるのに30分。5時半から6時に準備して、その後、一仕事して、8時から8時半に揚げている間に、ユキに味噌汁を作らせて、サキにサラダをつけて、ヒレカツ定食。


3. 肉ばっかり・・・


はい、お言葉通りです。
今日も、のんちが出発する前に買っておいてくれたナスをつかって、ナスの肉味噌炒めを作ろうと思って、買い物に行ったら、「ヒレカツ定食」になってしまったわけで・・・。さあ、ナスをどうしよう・・・。出る前に買ったのがそのままあったら、びっくりするだろうなあ・・・。


4. やりっ放しで片付けない。


はい、明日の朝やります・・・。


11日の「龍馬伝」から。


「男の人て、どうして熱くなるんだろう。みんな『日本を救いたい』と言うのに、自分の生き方はなかなか変えられない」


わお・・・これって、教会にそのまま当てはまる。


「クリスチャンってどうして熱くなるんだろう。みんな『神様のために』『日本を救いたい』というのに、自分の生き方はなかなか変えられない・・・」


「日々のみことば」は昨日書いた通り、32章全体を通して、
御言葉に従うこと、常識を超えて主を信頼すること、教えられています。

主よ、
愛されることよりも愛することを、もとめることできますように。
明日も、あなたがいつもいつも共にいてくださること、
私が気がつかない時も、あなたが共にいてくださることを、
忘れることがありませんように。

2010-04-19

主のなさることすべてへの同意。

今朝は寒かったですが、昼間はいい天気で暖かくなりました。
明日はもっと暖かくなりそうです。


花粉の季節はもうすぐ峠を越えます。


大学時代の友人、25年くらい前に夜を徹して語り合った友人が、
今、大学生のクリスチャンの団体のための働きをしています。
最近、すれ違いで、なかなか日本に行っても会えないでいるのですが、
彼が自身のブログにこんなことを書いておられました。


「同意書から考えたこと」


考えさせられました。
私たちはいったい、神様に何を期待し、
どのように主を信頼しているだろうか。


自分の願いを実現するために主を信頼し、福音に同意しているのか?
自分は伝道者として、こんな言い方は本当にみじめで、プライドが許さないと言うか、使うこと自体に嫌悪感をおぼえるのだけれど、本当のところ、「牧師としての成功」みたいなことを期待してきたのではないだろうかと、主の与えられることは何でも受け取ろうとしてきただろうかと、問われたような気がします。


「自分に死ぬ」という言葉がありますが、
今、それが問われていると思いました。


さて、「日々のみことば」から。
昨日から、エレミヤ書32章を読んでいます。
実は昨日から始まって、明後日まで、ずっとエレミヤ32章です。
全部つながっている話なので、
昨日も、今日も、どうしてもその日の部分だけでやめられなくて、
32章全体を読んでしまいます。


その中で、昨日、今日と思わされていること。
「私は、それが主のことばであると知った」8節。

ユダ王国はバビロンに滅ぼされると、エレミヤは知っていた。
でも、そこで畑を買え、と言われた。
そんな無駄になるようなことを、そんな常識はずれなことを、
どうして主はお求めになるんだろうか、
そのようにエレミヤも思ったのではないだろうか?

でも、彼は、「それが主のことばであると知った。」
苦難に継ぐ苦難を経験してきたエレミヤが経済的に豊かな生活をしていたとは思えない。
でも、彼は身銭を切って、主に従って、その畑を買った。

今日の「日々のみことば」では、
「あなたは、主にささげた後、現実を見ながら、後悔することはありませんか」と書かれていました。

それで思いめぐらしていました。

右の手のしたことを左の手に知らせるな、というイエス様の命令に逆らってしまいますが、献金はいつも痛みがあったほうがいいと思っています。でも、2回ほど、痛みどころじゃない、「どうするの?」というささげものを主のもとに持っていったことがあります。でも、それがどのように用いられたかということがそれほど気になったことはありません。これは見栄もなく、肩に力も入れず、言いますが、それは本当に「主の導きに従った」という平安があるんでしょうね。主にささげたものは主にささげたもの、どのように用いられても、わたしが何かを言う必要はない、と思っています。そこは本当にそうなんです。そして、生活も日々守られています。

後悔しないでいられる平安を与えられていること、主に感謝します。

主よ、
あなたのみことばに従うことのできる平安を感謝します。
どうか、どこまでも、あなたに信頼して、あなたのなさることに、
身を委ねていくことができますように。
信頼することをもっともっと教えてください。

発作。

1週間前に検診のあった心臓の先生は、「君の心臓は大丈夫!50までは来ないでいいよ!」って言ってくれて、無事放免となったのですが、

時々、持病の「自己弁護」病と、「わかってほしい」病の発作がおきます。

普段は自分の家で発作が起こるので、
ま、ちょっとしたバトルになったり、
「困ったパパだ」という空気が流れるのですが、
他の人間関係でも、発作が起こることがあるので、参ります。

今日はフランチェスコの祈りと言われる「平和の祈り」を思い出していました。
Wikiを見ると、これはアッシジのフランチェスコ自身が書いたものではない、ということですが、まあ、よく「フランチェスコの祈り」と言われますよね。
その中で




ああ、主よ、わたしに求めさせてください……
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。


という部分があります。

本当にそうだなあ、と祈らされました。
「理解されるよりも理解すること」。

「相手を『変えよう』と思わないで、『わかろう』としなさい」とも言われます。

そのように心に留めながら歩こうと思います。

でも、わたしだけではなくて、この祈りや勧めを作った人も、
そういう発作で悩み、苦しんでいたんでしょうね。


2010-04-18

一週間が守られますように。

教会の一人ひとりの歩みが祝福されますように。
明日も、主があなたとともにおられること、
あなたが気がつかないときにも、主は共にいてくださることを、
御言葉によって信頼していくことができますように。

職場でのあなたの一日が、学校でのあなたの一日が、家庭や地域社会、人間関係の中での一日が、守られますように。
理解出来ないこと、頭に来ること、がっかりさせられたり、傷つけられたりすることがあっても、そんな時にこそ、主が共におられることに目が開かれますように。

朝、セミナー参加のため日本に行っていたのんちから電話あり。
行く時とはぜんぜん違う、声の弾みようにこちらまで元気が出てきた。


弾む声は、また誰かを元気にする力がある、そんなことを思わされた。


主よ、
新しい力に満たし、新しい一週間を守って下さい。

2010-04-17

それぞれの働き。

これは日付が変わって、17日の午前12時30分位に書いていますが、
東京では17日に雪やミゾレが降ったみたいですね。
4月17日というのは昭和44年以来、遅い雪のタイ記録だそうです。
昭和44年というのは幼稚園だったわけで、
たぶん、覚えていると思いますよ。
「もう4月なのに雪が降って・・・」って幼稚園の時に、話していたような。
その頃からのお天気バカです。


NJも16日から寒いですが、まあ、雪はないでしょう。


今日の夜の集会は、いつもの半分以下の人数でしたが、
その分、いろんな話をしました。
一人ひとり強いところが違う。
「数字にめっぽう強い人」がいれば、
「社交的で友達のたくさんいる人」もいる。
「楽譜通りピアノが弾ける人」がいれば、
「楽譜は読めないけれども、聞くだけで歌える人」もいる。


自分は右手と左手で違うことをするのはすごい苦手だけれども、
最近は、サキがピアノで右手と左手でどんどん違うことを弾き始めている。


本当に神様は私達に一人ひとりに違う才能を与えられた。


そういえば、水曜日にお会いした人ともそんな話をしました。
イチローみたいな「努力する才能」を持った人もいます。
いや、本人は「才能じゃない」と言いたいでしょうが、
「努力できるのも才能の一つ」というのが私の勝手な持論です。
そんな話をしていました。


さっき、テレビで、
砂漠に咲く花の話をしていました。


いろんな花があります。
蜂のメスの形を真似たり、フェロモンを出したりして、
オスの蜂を呼び寄せて受粉する花とか・・・
最後の方に出てきた花は、地下に咲く花。
そんなのありか?と思います。


SMAPの歌も思い出しますが、
神様のなさることはレベルが違います。
もう、すごすぎます。


違ってていいんですよね。ハイ。


さて、「日々のみことば」から。
エレミヤ31章を読んでいます。
15日のところに出てきた、6節の言葉。


「エフライムの山では見張る者たちが、『さあ、シオンに上って、私たちの神、主のもとに行こう。』と呼ばれる日が来るからだ。」

エフライム、というのは北王国の一つの部族。
ずっと神に背いて歩んできた人々、
そして、エレミヤの時代にはもう滅びて100年以上経ってしまっていた。
そのエフライムが神のもとに帰ってくる時が来る。

その預言に本当にはげまされた。
主が招き返されるときがくる。
神から離れてしまった者たちも、
神のもとに帰ってくる日が来る。

それを信じて、信頼して歩んで行こうと思った。
主を信頼すること、もっともっと味わわせていただきたい。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたが人々を招き返される時がくる。
それを信頼して、待ち続けます。
安心して待ち望みます。

2010-04-16

勝ったよ!

マツイくんのHR以外はAngelsも見せ場はなくて、
ちょっと一方的な試合になってしまいましたが、
JeterやCanoもHRを打ったし、
最後はJobaもMarianoも出てきたので、
よしとしないといけませんね。

とにかく勝ったし。

娘たちは・・・さて・・・怖くて聞けない・・・。

最初は半袖でも大丈夫でしたが、
最後は寒いくらいでした。

行く時には周りの人と比べて、
「うちは、大げさだったかねえ」というほど
防寒対策を準備しておいたのですが、
正解でした。

2010-04-15

今日はみんな背番号42。

さっき気がついたんだけど、マツイもJeterもA-Rodもみんな背番号42。
Jackie Robinsonの日だそうだ。

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高いけど。

高い席です。
物理的に。

遠くはよく見えるので、いいのですが、細かいものや、動いているものが見えなくなって来ているので、時々打球を見失います。

でも、旗のはためき方でわかるように風も強くなり、雨も降って来たので、屋根があって、風も当たらない席で守られています。



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マツイ君いきなりHR。

悲鳴と歓声と。
敵の選手にしては、意外と歓声が多い。

ちゃんと、全身固めて。

Capもt-shirtsも新調。




奥のユキの方、シャツの色が敵の色。

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めぐみ。

昼は、勝手に生えてくるものを収穫して、ごはん。ニラもうまいけど、とにかくアスパラが甘い。地面からこんなに甘いものが生えてくるのか,全くもって不思議。


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暖かくなりそうです。

春休み中の娘たち、昨日は放っておいたので、今日は急遽お休みを頂いて、一緒に過ごします。



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2010-04-14

神が癒される。

今朝、寒かったです。
霜が降りていました。


でも、夜は暖かいです。
明日は20度を超えて暖かくなりそうです。


今日は早速「日々のみことば」。
今日はエレミヤ30:12−24。


「わたしがあなたの傷を直し、あなたの打ち傷をいやすからだ。」17節。

他のところに癒しを求めて、
求めて歩きます。
でも、本当に癒されるのは主。

そうなんですよね。
でも、ついつい他のところに癒しを求めてしまう。
だから、何度も何度も語られることが大切。

主よ、
あなたが語ってくださることに感謝します。
あなたご自身がわたしの傷を癒してくださるんですね。
そのことを忘れることなく、
あなたにいつもいつも目を向けていくことができますように。

目の玉を洗いたい。

今日はNY DAYですが、こっちの方がNJよりましでありますように。


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2010-04-13

共有。

昨日はそうでもなかったのですが、
今日は肌寒かったですね。
昼過ぎまで、曇っていましたし。


でも、また明日、明後日は、
晴れて暖かくなるようです。


そして、週末はまたどんよりとした
肌寒い日が続きそうです。


昨日から娘たちは春休み。
訳あって、この休みは、わたしが子どもたちと過ごします。
昨日は庭仕事を一緒にしたのですが、
(ホントは2人でやって欲しいのですが、なかなか難しいです・・・)
今日は夕方、時間ができたので、
何年かぶりに映画を見に行きました。


実は、Cablevisionでケーブルテレビとインターネットと電話3つ全部お世話になると割引料金の上、毎週火曜日2枚映画のチケットがタダになります。


知ってはいたのですが、なかなか火曜日に映画に行くのも難しく(と言うか他の曜日でも同じなんですが・・・)、1年半、全く使っていませんでした。今日は子どもたちの休みにかこつけて、行ってきました。How to Train Your Dragon 3D。はい、娘たちと一緒に行くのにぴったりのお子様向け娯楽映画。ハッピーエンド。敵だと思った相手も、触れ合ってみると、仲間になれるかも、というとても暖かい映画で、3Dも疲れないかなあ、と思いましたが、大丈夫でした。子どもたちもかなり満足。ただ、3Dの料金分は「タダ」にならなかったみたいで、3人で10ドルは超えてしまいましたが、でもこれくらいなら、ちょくちょく行けるかも・・・。


自分も子どもの頃、日曜日はもちろん、祝日にも教会関係の行事が入って、どこかに連れていってくれるという事のできなかった父が、僕らの開校記念日で、特別な休みが入ったときに、潮干狩りに連れていってくれたことが、とてもいい思い出で残っているので、とにかく何でもいいから「時間の共有」ができればと思っています。


次のイベントは、木曜日の夜。
今度は、こっちの趣味に子どもたちを付き合わせる・・・って感じかも。上の娘は「えー・・・」って言っていましたが、下の子はちょっと楽しみにしているようです・・・。


さて、昨日、今日の聖書。
エレミヤ書の29章後半から30章前半。

正直なところ、日曜日御言葉によって心が燃えた後、2日間、砂を噛むような感じです。「わかったような気になるな」ということでしょうか?どんな意味があるとしても、とにかくこれも主の御手の中にあることだと信頼しています。何年か前までの自分だったら、自分の「霊的な貧しさ」を憂いていたと思いますが・・・。

そして、主との「時間の共有」は楽しんでいます。

そんな中で、日曜日の御言葉がまだ心に響いています。
月曜日の箇所にももう一度、敵によってエレミヤの予言が引用されます。
「彼はバビロンの私達のところに使いをよことして、それは長く続く。家を建てて住みつき、畑を作ってその実を食べなさい、と言わせたのです。」29:28。

でも、それは29章11節に言われていたように、わざわいを与えようとするものではなく、平安と希望を与えるものだった。

私達の考えと神様の考えとの違いの大きさに愕然とします。
神様の考え、神様のなさることを信頼して歩んでいく、
その信頼感の中に歩み続けたいです。

主よ、
今日の一日もありがとうございます。
花粉症はきついです・・・。
でも、それもあなたのみ手の中にあり、
イエスを復活させたあなたにとっては、
わたしの花粉症なんて屁でもないはずです。
でも、それを取り去らない、あなたにはお考えがあるのだと信頼します。
どうか、あなたを信頼し続け、あなたの御手を見続けるものでありますように。


きょうは日本からとても嬉しいニュースがありました。
それについてはまたそれが実現したときに・・・。

2010-04-12

ダウン中。

今日は昼間に庭仕事をしたので、
夜はもう何もできません。

今朝のフジテレビのニュースで、
花粉は朝5時から10時まで、と言う話を聞いて、
2時から3時半に作業をしたのですが、
どうなんでしょう。

今までは、「午前中が勝負(一番少ない)」だと思っていたのですが。

ではでは。

2010-04-11

心が燃えた!

今日はまた暖かい日でした。
でも、おかげで、花粉が飛びまくり。
車のフロントもまっ黄色になっています。
ここ2週間が花粉症のキツイところとなりそうです。


さて、今日は礼拝後、
JOYJOYキャンプのテーマ決め会議第1回。
今年もわくわくしてきました。
今年も楽しいですよー。
テーマはひみつです。


でも、日程だけは発表しておくと、
8月9日(月)−13日(金)。
申し込み受付はおそらく5月になると思います。


さて、心が燃えたのは、そのミーティングの話ではなくて、
朝読んだ聖書。
今日はエレミヤ29:1−14。


「わたしがあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主の御告げ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがに将来と希望を与えるためのものだ」11節。

教会ではよく開かれる言葉だけれども、
この言葉の背景を余り理解していなかった。
ただ、バビロンに捕囚に連れていかれるけれども、
やがて帰ってくるのだ、わたしはその計画を立てている、
そのような言葉だと単純に理解していました。

でも、今朝、聖書を読んでいる中で、
「バビロンで繁栄せよ!」という言葉が目に止まって、
それに続いて、「わたしは平安と将来と希望を与える計画を持っている」と語られているのです。

正直言って、その11節の言葉は知っていましたが、
今日、読んでいる中で、登場するとは考えてもいませんでした。

ですから、嬉しい驚きでした。

エルサレムに帰ろう、帰ろうという生き方よりも、
与えられたバビロンという場で、
そこに生きよ、といわれているように感じました。

そして、わたしが良い計画を持っているから、
与えられたところで生きなさい、心配しないで、
与えられた場所であゆみなさい、といわれているように思いました。

その中で「御言葉によって心が燃えた」という経験をさせていただいたのです。

その勢いで祈りも燃えましたが、
祈った後に「ああ、祈った」みたいな充実感を感じたときに、
「ん?これは違うぞ・・・主によってここのところ教えていただいてきた、主のもとに安らぐ、という平安とは違うぞ、主よ、『自分は祈った』みたいな充実感は違いますよね、自己満足ですよね。そうじゃなくて、あなたの許に安らぐことができますように」と祈るおまけ付き。

幸いな一時でした。

主よ、
あなたがわたしの心を御言葉で燃やして下さってありがとうございます。
どうか、あなたと共にいる喜び、あなたに支えられている平安でわたしを満たして下さい。
そして、もっともっと、御言葉で心が燃やされる経験を与えて下さい。