2009-10-07

とにかく願い事を主の前に。

今日は雨は朝のうちだけだったのですが、
風がすごかったです。
木が倒れたり、電線に枝が引っかかったりで、
あちらこちらで通行止め。


そして、停電もありました。


日本は台風が通過中のようですね。
予想の紀伊半島上陸ではありませんでしたが、
やはり紀伊半島の東側では雨量が300ミリを超えた、とありました。
もうしばらく警戒が必要だと思います。


明日は、また晴れ、
朝は冷えて、昼間は暖かい、例のパターンです。
でも、来週は昼間も寒くなりそうですから、
今のうちにこの陽気をエンジョイしておかないと、です。


今日は無事にヤンキースがプレーオフの初戦に勝ちましたが、
その後、祈りの課題を持っての訪問者。


「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」ピリピ4章6-7節の言葉を開いて、共に祈る時を持ちました。


わたし自身が実行していることなんですが、
まず、とにかく、自分の願いを祈る。
自分の願いがわからない時は、コイントスをして、
表が出たらA、裏が出たらBと決める。
表が出た時に、自分がどう思うか、もしも、「ああ、そうか(ちょっとがっかり)」だったら、自分はBを願っている。もしも、「ああ、よかった(ホッ)」だったら、自分はAを願っている。
そして、自分の心の願いをそのまま、神様に祈る。
というか、文字通り「知っていただく」。


その時に、今まで見えていなかった、自分の心の本質、
見えてくることがある。
ある時には「ああ、自分のわがままだったんだなあ」とわかる。
またある時には「ああ、これは神様が与えてくださった思いなんだ」とわかる。


だから、とにかく、いろいろ考えないで、祈ること。
とにかく、いい子チャンにならないで、自分の願いを神様にぶつけること、
それが本当に大切だと思わされました。


また、朝にはご主人のお母さんが危篤になられて、飛行機で飛ばれた方もおられました。
祈らされます。主がすべてを守ってくださいますように。


さて、今日、10月7日の聖書。
エレミヤ16:1-13。


「あなたがた自身、あなたがたの先祖以上に悪事を働き、しかも、おのおの悪い、かたくなな心のままに歩み、わたしに聞き従わないので・・・」12節。

今朝は「かたくなな心」という言葉に心が留まり、
思いめぐらされました。

かたくなな心って、「頑固」なこと?
神に聞こうとしない心、
神によって御言葉によって、取り扱われようとしない心。
自分は変わらなくていい、という心。
プライド。

自分はどうだろうかとまた思わされました。
自分は「かたくなな心」を持っていないだろうか?
神に教えられ、取り扱われ、
変わることを受け入れているだろうか?

人に言われることを受け入れ、
それに聞く耳を持っているだろうか?

「あんたに言われたくない」みたいな気持ちはないだろうか?

主よ、
私の心はかたくなでしょうか?
かたくなな時はないでしょうか?
主よ、どうか、柔らかい心で、
あなたの御言葉を聞き、また人の言葉を聞くことができますように。

2009-10-06

人を受け入れること。

今朝は寒かったです。
というか、昼間暖かい分だけ、朝の冷え込みが身にしみるというか、
朝は7.5度、昼間は20.2度。
今夜はこれから雨みたいです。
明日も雨。


でも、気温はほどほどに暖かいようです。


日本は強い台風が上陸しそうです。
特に南東の風がもろに当る紀伊半島東側は
大雨や高潮、暴風みんな心配です。
那智勝浦に帰られたご一家もあり、
「自然が豊かで海の幸山の幸いろいろいいじゃないですか」とお送りしたのですが、
このような時にはまた慣れない地で大変だと思います。


伊勢湾台風との比較があちらこちらでされていますが、
確かに伊勢湾台風は猛烈な台風だったようで、
今回の台風はそこまでは行かないと思いますが、
大きな被害にならないように祈らされます。


先日の英語の礼拝。
メッセージでは直接の言及はなかったと思うのですが、
聖書朗読の中で「夫婦についての教え」の聖書箇所が2カ所読まれました。


それを聞いている中で、


結構「自分の心の中だけにいる妻」「自分の心の中の理想の夫」に恋をしている、という段階ってあるよなあ、と思わされていました。つまり、相手を自分の心の中で理想化して、その心の中の相手と結婚してしまって、ホントの相手をそのまま受け入れられない、という感覚。


だいたいの場合は、結婚前とか、最初の何ヶ月かかもしれませんが、ホントのその人に向き合うことができなくて、心の中で感じている、というか、勝手に思い込んでいる「この人はこういう人だから好き」とか、そういうものに恋をしてしまう。本当のその人を受け入れられない。本当はそれからが本番なのに・・・。
不倫などを繰り返す人は、たぶん、そういう幻想を一生追い続けているんでしょうか。自分の心の中で理想化した愛人を好きになって、それこそが「夫婦という制度に縛られたところにはない本当の愛」だなんてトンデモな勘違いをしている。あ、たぶんもちろん、単なる肉欲に振り回されているレベルのお方もおられるとは思いますが・・・。


本当はホントの相手を受け入れていく。「え~?こんな人だったの?」みたいな人を愛していく、受け入れていく、そこに結婚の醍醐味があるはず、そこからが夫婦になっていく歩みを始めるはずなんですが、やはりエネルギーはいりますからね。神様と「制度」そして「誓い」の助けが必要なんだと思います。


(あ、でも、これは決して夫婦関係だけじゃなくて、すべての人間関係にあてはまるのかも・・・。牧師である私も、教会の方々との関係の中で、「この人はこういう方だ」と勝手に思い込んで、その方の心の叫びを聞こうとしないで、私の心の中のその方と対話しているだけなのに、その方自身と対話しているつもりになって満足している・・・みたいな)


結婚してからも、魅力的な人はいくらでも現われてくるでしょうし、相性の合う人もいるかもしれない。自分の「愛」なんて、そんなもの(っていうか、素晴らしいもんなんですが、感情的な「愛」って感覚)に土台をおいていたら、とっかえひっかえ・・・となってしまうと思います。でも、私は妻との間に、誰も入り込ませない、それを神と人との前に誓って、そこから出発する。その大切さを思わされています。


私自身の、教会の皆さんの、一つ一つの結婚が祝福されますように。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ15:10-21。


「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ、私にはあなたの名がつけられているからです。」16節。

そう、御言葉が与えられるって嬉しいですよね。
本当に自分に語られた、という経験。

それは楽しいし、喜び。
もっともっとそれを求めていきたいと思いました。
毎日毎日、語られて、ここに書くことが与えられることは
喜びです。
でも、もっともっと強烈に、
「私にこの言葉が与えられて、支えられている」という思い。
それを求めていきたいと思いました。

それは私にも神様の名前が付けられているから。
私の魂に神様の形が刻みつけられているから。
私は神様によってしか満たされない空洞を心に持っているから。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが私に語ってくださるからありがとうございます。
どうか、御言葉を語ってください。
しもべは聞きます。
どうか、私の心を御言葉によって揺り動かし、
あなたに従って生きる者としてください。

2009-10-05

ダメ押し。

今日も朝は10度を切ったのですが、
昼間はまた暖かくなりました。
明日も同じような天気です。


暖かくなりそうです。


さて、今日は私一人が休日で、
子供たちは学校、のんちは仕事の月曜日だったので、
久しぶりにクッキングデーになりました。


最近すっかり定番になった「チキン南蛮」と、
秋になって久しぶりに挑戦の「ビーフカレー」。
いつもはどっちかですが、
今日は来客があったので、2品に挑戦。


喜んでいただきました。


で、今日、夕食に来てくださった方々の中の一人はスペイン語圏から来られた方。
話の中で、今、サキもユキもスペイン語をやっているということで、
ひとしきりスペイン語講座。


私が一生懸命練習していたら、ユキがぼそっと一言。


「でも、まず英語やった方がいいんじゃない?」


・・・だよね~。


昨日の話のダメ押しをされてしまいました。


留学前は一生懸命勉強しましたし、
留学中は、話す方は別としても、
ペーパーを書く時には、必ず先輩や友人が英語を直してくれました。
そして、そうやって、英語を覚えていきました。


でも、今、そうやってチェックしてくれる人がいませんん。
「その言い方おかしい・・・」
「普通はこういう風に言うよ」
と、意見してくれる人が必要だなあと思います。


いや、でも、とにかくもっともっと大胆に、
もっともっと頻繁に英語の世界に入っていこうと思います。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ15:1-9


「たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても・・・」1節。

今日の聖書箇所の中心テーマではないのですが、
モーセとサムエルと「かきごおり」とが・・・と言われたいなあと思いました。

私も時と場合によっては「私はこの人達の中には入れないなあ」感じることがあります。
たとえば、ハイソな方々の会話。あと、スポーツが得意な人たちの同好会。
あと、さっきの「英語が得意な人たち」の間のJOKE。などなど。
元々「絵の上手な人たちの輪」というのもありましたが、
こちらは絵の師匠のおかげで、ずいぶん、そういう気持ちがなくなってきました。

でも、時と場合によってはずうずうしく「この人達の中に入りたい」と思うのです。
それが今日の「モーセとサムエル」。
自分の名前もそこに並んで呼ばれないだろうか、
そのようなとりなし手にならせていただきたい。

そのように思わされたのです。

いやあ、書きながらずうずうしいと思います。
でも、今朝、この聖書を読みながら、本当にそう思わされたのです。

そのために、主ともっともっと親しい関係に入れていただきたいと思いました。
主と共に過ごす時間が祝福されますように、と祈らされました。
心がきよめられますように。
生活がきよめられますように、と祈らされました。

主よ、
モーセとあなたの関係、
サムエルとあなたの関係に、
私も導き入れてください。
そのために必要な訓練、必要な経験
あなたが与えてください。
モーセやサムエルと同じような、とりなし手とならせてください。

2009-10-04

英語ちゃんとしゃべれるように・・・。

今日もまた暖かかったです。
朝は霧も出ていました。
たぶん空気は暖かくてしめっていたのですが、
放射で熱が奪われて、霧になったのでは・・・と思います。


最高は24.2度まで上がりました。
そして、今は15.2度。
明日の朝は10度くらいまで下がる予報が出ています。


そして、明日も晴れで暖かい。
この後もこのパターンみたいですね。
朝晩はソコソコ冷える。
でも、昼間は暖かい。


助かります。


今日の朝は英語の教会の礼拝に出席。
礼拝のプログラムの違いに戸惑いながら、
「これが初めて教会に来る方々の気持ちなんだろうなあ」と思っておりました。
いつも来ている人には全然、普通なんでしょうが、
私のように何年かに1回参加する者にとっては、
わからないことだらけ・・・。


この気持ちを忘れないように・・・と思いました。


そして、その後のパーティーでは突然の指名でスピーチ。
いやあ、そういうこともあるかと思っておりましたが、
準備していませんでした。
で、日本語でお話しして、英語に通訳していただきましたが、
もう16年もいるんですから、
こういう時にちゃんと英語で話せるようにしておかないといけないですね。
先週のルーマニアの先生もちゃんとルーマニア語話せるし、
修養会の韓国人の先生も日本語ばっちりだし、
いろいろ刺激を受けて、ちゃんと英語が話せるようになろう、
とマジで考え始めています。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ14:13-22。


「あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは、偽りの幻と、むなしい占いと、自分の心の偽りごとを、あなたがたに預言しているのだ。」14節。

エレミヤも見抜けなかった、偽預言者の偽りの預言。
自分だったら見抜けるだろうかと思いました。

そのためにはエレミヤも最終的には神様からそれを教えていただいたように、
やっぱり神様との関係の中で、答えを頂いていくことの大切さを思わされます。

霊的な判断はやはり牧師の責任が大きいと思います。
どのように判断するのか、周りの人に大きな影響を与えることなのに、
私自身が神様との関係が確立していなくて、
ちゃんと判断出来なくて、
周りの声に振り回されたり、
他の人の判断に動かされたり、
そんなことにならないようにと、
ちゃんと神様との関係の中に歩ませていただくことの大切さを思います。

主よ、
どうか、私の霊の目を開いてください。
あなたのことを、あなたのなさることを、
見せてください。
そして、正しい判断をすることができますように。

2009-10-03

なまぬるい。

今日は生ぬるい一日だった。
昨日までの冷え込みがウソのよう。
朝から20度近くあって、昼間は21.9度。
今、夜の10時を過ぎても、まだ18度もある。


午後、うちの東側では雷雨もあったよう。
(特にコネチカット方面)
でも、うちのあたりはほとんど何も降らず。
でも、レーダーを見ると、とても「細い」雷雲が西から接近中。
だから、たぶん、今夜、一瞬雷雨だと思う。


明日はまた20度を超えるみたい。
でも、朝晩は冷えそうです。


明日は教会堂を使わせていただいている教会の創立110年礼拝。
2年半ほど前に、このザイオン教会の歴史を調べてアップしたことがありました。


それを再録。


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そんなことで、
私たちに会堂を貸して下さっているザイオン教会の歴史を見てました。
1899
年に創立。
1903
年に土地購入。住宅2軒分の敷地。
1904
年に建物完成。・・・ちなみにこれは今お借りしている建物ではなくて、教会の裏の坂道を上がった右側の建物です。土地と建物で2340ドル。そのうち、教団からの無利子の借り入れが620ドル、教会債が500ドル、その他が積み立てですから、計算すると1220ドル。
5
年で、初めての会堂です。この町の2軒分のロットは決して大きくありません。最初は礼拝を守れるだけのスペースだったのでしょう。でも現在、同じことをしようと考えると最低でも60万ドルくらいはかかるんでしょう。

そして少しずつ少しずつ周りの土地を買い足していったようですね。
今から50年くらい前に今の土地の半分を買って移転。
それから10年ほどして、残りの半分を取得。駐車場としたようです。
それからまた10年後、今から30年前ですが、入って右側の部分、ジムとロビー、オフィス、コワイアルーム、キッチンあたりを造ったそうです。それも、78年に計画が始まって完成は82年。いくらかかったかはもう少し調べないと分りませんが、工事が遅れてよけいにかかったお金だけで約40万ドル。

今はかなり人数も減っていますが、10年前は2回の礼拝をしていましたし、200人以上の方々が集っていた教会。その教会が100年かけて造ってきた教会堂、それを何だか当たり前のように使わせて頂いて、もっともっと、感謝すべきだなあと思いました。



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もしもわたしたちが会堂を持とうと思うと、
やっぱり、今お借りしているところを基準に考えてしまいますよね。


今のように体育館があって、
礼拝堂がきれいで、
駐車場が十分あって・・・。


でも、今、わたしたちのためにこの場を提供してくださっているこの教会も、
最初からこの建物があったわけではない、
本当に多くの汗と涙と経済的な犠牲と献身と、
たくさんの議論と、その中で傷ついた人と、
建築許可を得るためのたくさんの交渉、
ああでもない、こうでもない、という話し合いの時間。
いろんないろんな犠牲の上に、この建物があって、
それをわたしたちは当たり前のように使わせていただいている。
110年と言えば、私の今までの人生の2倍半。
JCCNJの歴史の5倍半。
その年月の中でこの教会のために仕えてこられた方々は何千人規模になると思います。
その方々の愛を軽く見てはいけないですね。


今日の天気のように生ぬるい自分の考え方を反省させられます。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ14:1-12。


「私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、主よ、あなたの御名のために事をなしてください。」7節。

わたしたちの救いは、ただただ、恵み。
わたしたちの主に対する忠実さゆえではなく、
神が神であられるがゆえ。
その御名のゆえ。

わたしたちが祈ったから、
わたしたちが献げたから、
わたしたちが忠実だから、
ではなくて、

わたしたちが祈る前から、
わたしたちがささげるべきものが何もない時から、
わたしたちが神様に背を向けておられる時から、
主はわたしたちを愛して、
わたしたちに目を留めて、
救いの御業をしてくださった。

それに感謝して祈る。
それに感謝してささげる。
それに感謝して、従う。

それでいい。

それがいい。

ただただ、恵みの中に歩んでいきたい。

主よ、
あなたの恵みに感謝します。
私の何かではなく、
私の忠実さや一生懸命さではなく、
あなたの恵みがあるから感謝します。
すべての勘違いから守ってください。
恵みの中に歩む者とならせてください。


2009-10-02

主を依り頼む。

さて、いい加減に追いついておきたいので、
もう一日分、更新。

今日の聖書はエレミヤ13章20-27節。


「あなたがわたしを忘れ、偽りに拠り頼んだためだ。」25節。

何度も何度も自分に問いかけられる言葉。
「私はいったい、何を頼りにしているのだろうか?」

信頼できる人?経済力?

もちろん、それも神様が与えてくださっているもの。
でも、自分の傾向として、
いつの間にか、神様ご自身よりも、
神様が与えてくださっているものの方を頼りにしてしまう。

だから、時々、神様ご自身を信頼することを学ぶことができるように、
主がチャンスを与えてくださる。
それは痛い経験だったりする。

本当に、主ご自身を信頼することを教えて頂きたい。
他のものではなく、主が与えてくださったものでもなく、
主ご自身を本気で信頼して歩んでいきたい。

主よ、
もう一度引き戻してくださってありがとうございます。
あなたの与えてくださっているものではなくて、
あなたご自身を信頼することを教えてください。
あなたご自身を信頼します。

週末のためにあなたの導きを待ち望みます。
あなたが御言葉を与え、力を与え、喜びを与えてくださいますように。

暖房・・・どうしようか。

今朝の最低気温は4.4度。
もう、晩秋なみですね。


うちの中は、何とか17度くらいですから、
真冬の暖房が18度に設定してあることを考えると、
まあ、もう少しがんばれるかなあ、というところ。
でも、底冷えします。


夕方、人が増えて、料理で火を使うようになって、
なんとか、20度くらいまで上がってきました。
今夜は余り冷え込まないみたいです。
そして、明日は南風が入って、暖かくなるそうです。


ですから、今回はなんとか暖房なしでしのいだ、って感じでしょうか?


次の波は来週の後半に来そうです。
そこまでは未だ暖房は必要なさそうです。


さて、今日の朝の集会は、「締め切りのある仕事と、ない仕事どっちが好き?」という話。
私は圧倒的に、ある仕事が好きです。
というか、ない仕事は・・・いつまでたってもできない方です。
でも、今日の皆さんの結論は、「締め切りのない仕事なんて、ホントは何もない」ということでした。


・・・ですよね。


わたしたちの人生自体、自分は知らないだけで、必ず終わりが来る。
いつでも、その備えができていないといけない。
イエスはそのように言われています。


だから、いつでも、毎日が締め切りのようなつもりで、
一日一日、「まだ時間がある」なんて考えないで、
準備していかなければいけませんね。


さて、昨日、10月1日の聖書。
昨日はエレミヤの13章12-19節。


「もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。」17節。

今日はこのエレミヤの姿から、エレミヤの愛を感じた。
高ぶっている人々のために泣いたエレミヤ。

自分はこのような愛を持っていただろうかと、思わされた。
自分は彼のように、高ぶる人々のために泣いてきただろうかと。
悩んでこなかったかというと、悩んできたと思う。
何とかならないかと、祈ってきたかというと、祈ってきたと思う。
でも、泣いてきただろうか?

その行く末を案じて、泣いてきただろうか、
その信仰の歩みを心配して泣いてきただろうか?

ああ、自分には愛がないなあと思わされた。

無関心でいたかというと、そうではないだろう。
でも、彼のような愛があったかと言ったら、
愛がなかったんだなあと思う。
逃げてきたのかもしれない。

高ぶる人々のことを心配するだけではなく、
その人々のために祈るだけでもなく、
彼らのために泣くほどの愛をもって愛していけますように。

主よ、
あなたの愛を与えてください。
エレミヤの愛を与えてください。
高ぶる者のために泣ける者とならせてください。

2009-10-01

お迎えする喜びと・・・。

今日は本当に底冷えする一日でした。
最高気温は13.5度。
そして、今、夜の10時半ですが、もう9度まで下がっています。
明日の朝は今朝より冷えるかなあと思います。
ズバリ、5度と見ました。


明日はもうちょっと暖かくなる予報が出ています。


さて、今日の午後から夜に掛けては、
サキのお友達が帰国になるので、
同じ学校やそのほか、近くの方々、
子供たちとお母さん達が大集合。
子供たちは学校が終わってすぐ、
お母さん達も5時頃には集合しました。


子供が22人、大人が10人。(写真を撮った段階で・・・)


ホント愛されていたご家族です。
わたしたちもとても楽しく過ごさせて頂いたご家族。


そして、皆さんが持ち寄ってくださったお食事、
見事だったので写真をぱちり。





で、本当に楽しく過ごさせて頂きました。
というか、今回は奥様方の集まりだったので、
私はおとなしくしておりましたが(たぶん)、
でも嬉しかったです。


そう、人をお迎えするのは本当に大好きです。
まあ、といっても、大体、私はあまり何もしないで、のんちが一生懸命なのですが・・・。


でも、今日の朝は我が家で家庭集会があり、
その中で、イエスをもてなすために一生懸命だったマルタという女の人が、そんな忙しい中、イエスの足下に座り込んで話を聞いていた妹のマリヤを許せなくて、「イエスさま、私ばっかりこんなに一生懸命で、あなたからも、妹に何とか言ってやってください!」と切れてしまう話を読みました。


いろんなことを語り合ったのですが、やはり最終的には、イエスは「聞くこと」を求められたのだ、と、他の何をも置いて、まず、静まること、聞くことを求められたのだと、そこに行き着きました。人をお迎えするのは大好きですが、やはり、その中で、いつもいつも主に聞いていくこと、主に満たされていくこと、それを見失わないようにしないとなあ、と思わされました。


でも、本当に一つ一つの素晴らしい出会いを与えてくださっている主に感謝。


さて、9月30日、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ13:1-11でした。


「私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。」7節。

この腐った帯は当時のユダヤ民族の姿を表している。
ということは、やはりわたしたちへの警告なのだ。

私はどうだろうかと、やはり思いめぐらさせられた。

何も役に立たない腐った帯になってはいないだろうかと。
そんなことを言われたら、悲しいでしょうが、
本当にそうなっていないだろうかと、いろんなことを思いめぐらさせられました。

もしも、主からそのように言われたならば、
素直に、悔い改めることができますように、
そして、主の回復と、恵みと、圧倒的な力を頂きたいと、
「あなたの弱いところに表れる」主の力を見せて頂きたいと、
本当に思います。

主よ、
私はこの腐った帯のように、何の役にも立たないものになっていないでしょうか?
主の恵みの流れる器になっていないでしょうか?
主の愛をつたえるものとされていないでしょうか?
どうか、主よ、もしも、私がこの腐った帯のような者になっているなら、
それをはっきりと教えてください。
そして、もしも、そうだったのなら、素直に悔い改める心をお与え下さい。

爽快な朝。

昨日は、前の晩DVD作成に半徹していたので、
もう早い時間から前後不覚で、休んでしまいました。
夜中に起きて更新するつもりが、
目が覚めても起きあがれず、朝まで寝てました。


で、今朝は気分爽快。


幸いな祈りの時を持ちました。
今朝も、一つのことを主にささげるように導かれて、
祈って再出発しました。


弟子訓練のテキストに、
「朝のデボーションの勝負は前の晩についてる」という一文がありましたが、本当にそうだなあと思います。夜でなければできないこともありますが、朝のために生活を整理する必要を感じました。


今朝は5.8度まで下がっています。
今日は天気はいいと思うのですが、気温も上がらず、
15度止まりのようです。
三寒四温の反対の状態なんですが、
言葉はないんでしょうかね。
秋が一歩一歩深まっていくのを感じます。


足が冷えるのは閉口しますが、
私の場合は秋は花粉症がないので、
一年で一番好きな季節です。


さて、火曜日、9月29日の聖書。
エレミヤ12:7-17。


「もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、『主は生きておられる』と誓うなら、彼らは、わたしの民のうちに建てられよう。」16節。

聖書の中に何回も出てくる、
この「主は生きておられる」という誓う時に使う言葉。
火曜日は、この言葉について、いろいろ思いめぐらされました。

どうして、彼らはこの言葉で誓ったんだろうか?
神様が生きている限り、私はこれをします!
神様が生きているから、私はこれができます!
神様が生きておられることと同じくらいの確実性で、私はこれをします!

自分的には真ん中の気持ちがあります。
本当のところは、もっと一生懸命いろんな本を引っ張り出してきて、
調べなければいけないのでしょうが、
当時の人々もいろんな気持ちでこの誓いの言葉を使ったでしょうから、
もしかしたら、そんな気持ちで使った信仰者がいたかも、ということで。

主が生きておられるから、
主がおられるから、
だから、わたしは一つの決意を持って進んでいくことができる。
主が導いてくださっていると信じるから、
そこに進んでいくことができる。

主がおられるから、って最近本当にありがたく思います。
宇宙を造られた大きな神様が、私のことを心にかけてくださっているから、
私のためにご自分を与えてくださったと知っているから。
だから、勇気を持って進んでいける、
それを心から感謝します。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが私と共に歩んでくださると決意してくださったから、感謝します。
どうか、私が進む道を教えてください。
決断と勇気を持って前進することができますように。

2009-09-30

ビデオ編集中。

今日もまたあっという間に日付が変わってしまいました。
9月の最後の日、30日になっています。
でも、ホントに日が短くなりました。
朝家を出るときはまだ暗いし、
夕方もあっという間に暗くなります。


鳩山首相が温室効果ガス1990年比25パーセント減を表明したのを受けて、
私もマジになって、家中の電気を消して回っているのですが、
あんまり消してばっかりいると、何だか、家の中が暗くてしょうがありません。


それに「現在に比べて」じゃなくて、1990年に比べて、ですから大変です。


1990年なんて、たとえばかきごおり家の電気の使用量は何分の一だったかと思います。


一番少なかったのは文句なしに1992年だったとは思いますがね。
ハジを連れて、留学のためにアメリカに来た年。
ただただ、貯金が減らないようにと必死で、
月の電気料金、10ドルとか、15ドルだったような・・・。


まあ、そこまでは無理だとしても、
本当に無駄のないようにと思わされます。


明日の朝はまた一ケタ。
昼間も気温は上がらず涼しい一日でしょう。


夜は時間ができたので、
ずーっと気になっていた、6月のJOYJOYシンガーズのビデオの編集とDVD作成に取りかかっています。
こんなこともできるようにと、6年前にプチモンスターマシンを自分で組み立てたのですが、今や、格安のノートブックなみの性能で、何だかものすごく時間を掛けて処理をしているようです。
でも、とにかく今夜きっと終わると思うので、そうしたら、次はいよいよJOYJOYキャンプのビデオ編集です。なんとかみんなが「ああ、そんなこともあったなあ」と思うようになる前には完成させようと思います。


さて、月曜日、9月28日の聖書。
エレミヤ11:18-12:6


「主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。」12:1

本当にエレミヤの苦しみはいかばかりだっただろうかと思う。
神様から使命を頂いて、忠実に働いているのに、
忠実に主のメッセージを語っているのに、
何故、自分は苦しむのか、
それに対して裏切るものが安らかで、栄えているのか?

本当にどんなにやるせない思いだっただろうかと思う。
どんなに悔しい思いをしただろうかと思う。

でも、「日々のみことば」の祈りにあるように、
わたしたちは『まだですか』と即答を求めすぎているのではないだろうか?
日曜日にも語れたことですが、
わたしたちは自分の感覚で答えをもらうことを求めている。
答えをもらえて当然だと思っている。

でも、主のご計画はわたしたちの時間の感覚を超えている。
イザヤも700年も先の救いを見せられた。
「いつまでですか?」と聞かないではいられなかった。
今の状態がいつまで続くのか、どこまで忍耐しなければいけないのか、
それを主に聞いたときに、その答えはイザヤの生きている間ではないことが示された。

私もそれくらい長い目で、
私の目ではなくて、主の目で物事を見ることができればと思う。

主を心から信頼して、
必ず、正義をなしてくださると信頼して、
歩んでいきたいと思う。

主よ、
どうか、あなたの御業を見せてください。
私の時間感覚で物事を見ていくのではなくて、
あなたの時間感覚を信頼して、
大きなスパンでものを見て、
そこに参加する喜びに歩ませてください。

2009-09-28

子連れNYC DAY


今日は晴れていい天気でしたが、
夕方から雨。
予報にあったような雷雨もありませんでしたし、
シカゴのように竜巻警報も出ませんでした。


明日からはどんどん秋が深まっていきそうです。
朝は一ケタ、昼間は20度以下の日が続きそうです。
そろそろ暖房も欲しい日が出てきそうですね。


さて、今日は子供たちはユダヤ人の祝日のために休み。
学校は休みだけれども、領事館は開いている、というなかなか貴重な日。
今日しかない、とユキのパスポートをとりにNYCに行っていました。
私も週休の日、のんちは仕事なので、私が二人を連れて行くことになります。


せっかく行くので、子供たちのお目当てはBook Off。
そう、日本の古本屋さんがあるので、そこははずせません。
そして、ZAIYAでおやつタイムをして、
観覧車のあるTimes SquareのToys-R-Usに行って、
帰りは2週間連続のMITSUWAでのんちと待ち合わせ。
フードコートで夕食をすませて、しっかり休日を楽しませて頂きました、
というか、休日で疲れた・・・って感じもありますが・・・。


実は先週の後半、YankeesがRed Soxに2勝1敗だったら、
今日、Yankeesの優勝決定の試合になるかと思って、
チケットを探していたのですが、
「まあ、いいや」と見送っていました。


結果的には正解。


結局3連勝で昨日優勝決定。そして、今日は雨で、試合開始が2時間遅れ。
消化試合に自腹切って、子連れで行って、風邪引いて、子供は寝不足・・・なんてことになりかねないところでした。でも、テレビ見ていると、かなりお客さん入っているみたいです。ご苦労様です。


さて、昨日、日曜日の聖書。
エレミヤ11:9-17。


「ユダの人、エルサレムの住民の間に、謀反がある。」17節。

大河ドラマなんか見ているからかもしれませんが、
「謀反」なんて言葉を見ると、ぎょっとします。
謀反なんて言われたら、大変なことです。
もう、それで、政治生命を絶たれたようなものです。
ダビデ王家が長く続いた国の中で、この言葉はどれほど大きな意味があっただろうかと思います。

それを、その言葉を自分が受けるほどのことを神様に対してしている、と人々はわかっていたのでしょうか?

自分が罪を犯すときに、それをそれほど深刻なものとして、
ちゃんとわかっているでしょうか?

つみのおそろしさ、神を神としないことの恐ろしさを、
軽く見ることがありませんように。

主よ、
あなたに対して、謀反を犯すことがありませんように。
あなたを神としないことがどれほど大きな罪であるか、
忘れることがありませんように。


2009-09-27

信仰って。

今日は一日雨でしたね。
今、夜の10時過ぎで、もう上がっているようですが・・・。
明日は暖かくなるようです。
そして、午後には雷雨も。


明日はユダヤ人の祝日(大贖罪日)なので、
子供たちは学校が休み。
私は教会から頂いている週1日のお休みの日。
ユキのパスポートをピックアップにNYCに出てきます。
雷雨に遭いませんように。


今日はルーマニアで伝道している、
「かわいかったろう」川井勝太郎先生が、
初めてNJの教会をご訪問下さり、メッセージを語ってくださいました。
メッセージの録音はこちら
http://www.jccofnj.org/main/message_mp3/Kawai_K_092709_1b.mp3


ものすごいインパクトがありました。
神様がこの先生を送ってくださったことの中に、
神様がわたしたちの教会に目を留めてくださって、
必要なメッセージを伝えてくださったんだなあ、と思わされました。


共産主義政権の中で迫害されて、苦闘していた教会。
その祈りが応えられて、自由が与えられ、リバイバルを経験する。
わたしたちはこのリバイバルの方に注目しやすいけれども、
その背後に長い間、忍耐を持って祈り続けた教会がある。


主の真実を信頼して祈り続けることの大切さを思わされました。
神様を信頼して祈り続けようと思います。


生ぬるい自分の信仰を建て直させて頂きたいと思いました。


さて、昨日、9月26日(土)の聖書。
エレミヤ11:1-8。


「そうすれば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」4節。

神に従えば、神の民となる。
でも、これはやはり旧約の話。
エレミヤがのちに語るようになる新約の世界は、
そして、私が生かされている新約の世界はそれを超えた恵みの世界。

わたしたちが神様に背を向けているときから、
神はわたしたちを愛して、わたしたちのためにひとり子イエスが、
十字架で死んでくださいました。

だから、わたしたちがイエスの恵みを信じるだけで、
その十字架の愛を信じるだけで、
わたしたちは神の民となる。

その恵みに生かされていることに感謝。

土曜日のあさ、オリオン座が夜空にその姿を見せていた。
そのベルトの三つ星の下に縦に短剣のような三つ星がある。
その真ん中がぼやっとしている。
それがオリオン大星雲。
それについていろいろ調べながら、
たとえば、地球からの距離が1600光年だとか、直径が33光年だとか、
ちょっと頭では直感的には理解出来ない宇宙の大きさを感じていた。

つまり、1秒間に地球を7回半回る光が33年かかって、その星雲の端から端まで届く。
今、わたしたちが「オリオン座の短剣の真ん中の星」として、見ている光は、
今から1600年も前、つまり
直江兼続よりも、豊臣秀吉よりも、
いやいや、もっともっと、牛若丸よりも、
いやもっともっと、大化の改新よりも、聖徳太子よりも、
もっともっと前に出た光なんだ、と考えるとホントに気が遠くなる。

でも、その宇宙を造られた神がわたしたちに目を留め、
興味を持ってくださり、そして、わたしたちのところに来てくださった。
そのすごさを、思わされる。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが熱い思いを持ってわたしたちのところに来てくださりますからありがとうございます。
イエスさまの十字架故に、本当は神の民になり得ないものでありながら、
神の民とされることに感謝します。
どうか、その喜びの中に歩ませてください。

Happiness。

日付が変わってしまいました。
1時前です。
今、外は雨が降っています。
ちょっとまとまった雨になりそうです。
ずいぶん雨が降っていなかったので、
ちょうどいいかな、という感じです。


今日の午前中まで雨が残りますが、
午後からは回復するようです。


昨日は中高生の集会。
最後の方に来たユキの友だちを含めて、
高校生3人にスタッフ2人。


でも、その中で、高校生の一人が、
「幸せの方程式」を紹介してくれてなかなかおもしろかったです。
BBCの記事に載っているのですが、


それは
Happiness=P+5E+3H。


P stands for Personal Characteristics, including outlook on life, adaptability and resilience.
・・・性格、って訳していいんでしょうか?人生についての見方とか、適応性、立ち直りの早さ。
E stands for Existence and relates to health, financial stability and friendships.
・・・生存、なんでしょうか?健康、経済的安定、友人関係。
Hは Higher Order needs, and covers self-esteem, expectations, ambitions and sense of humour.
・・・もっと高度な必要ですね。セルフエスティームや将来への期待、冒険心やユーモア。


で、4つの質問をされました。これに1-10で答えます。1が全然。10が激しく同意。
1. Are you outgoing, energetic, flexible and open to change?
・・・あなたは外向的で、エネルギーがあり、フレキシブルで、変化に対応出来ますか?

2. Do you have a positive outlook, bounce back quickly from setbacks and feel that you are in control of your life?

・・・あなたはものごとに対して積極的な見方をしていて、挫折から素早く立ち直ることができますか?生活のコントロールができているように感じますか?

3. Are your basic life needs met, in relation to personal health, finance, safety, freedom of choice and sense of community?

・・・あなたの生活のための必要は満たされていますか?健康、経済、安全、選択の自由、コミュニティーの一員であること。

4. Can you call on the support of people close to you, immerse yourself in what you are doing, meet your expectations and engage in activities that give you a sense of purpose?

・・・あなたは親しい人たちからのサポートを求めることができますか?自分のしていることに熱中出来ますか?自分の願ったようにすることができますか?目的意識を持ってできる活動に関わっていますか?


これで、1+2=P、3=E、4=Hだそうです。


ちなみに100点満点で、自分は91点でした。
いやあ、幸せもんですね。


答えが「自分がどう感じるか」ですから、
めちゃくちゃ主観的なことですが、
結局、幸せを感じるかどうか、って本当に主観的。
人がうらやむような生活、絵に描いたような順調な人生で、
それでも、不幸の固まりのような方もあれば、
本当に苦労されているんだろうなあ、という中で、すごく幸せに見える方もいる。


他の人が「あんたこれ、そんなに高くないだろ!」とつっこみを入れたくなるところでも、
本人が激しく同意!、と思っていたら、それは幸せなんですよね。


でも、その高校生の子が言っていたけれども、
この方程式は科学者がみんなで話し合って出したものだけれども、
わたしたちが、神様を計算に入れるときに、
無限の神様を計算に入れるときに、
この方程式を超えていくと。
全く激しく同意!!!


Happiness=God・・・knowing Godですよね。


さて、9月25日(金)の聖書。
エレミヤ10:17-25。


「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。」23節。


人の歩みを神様の見ておられるような視点で見る。
神が見ておられるように見る。


わたしたちが神がこう願われていると決めつけるのではなく、
わたしたちの見方を神に押しつけるのではなく、
神が見ておられる見方を受け入れる。


人を、単に表面的なことだけで見ていくのではなくて、
人の魂の状態で見る。
人の言葉だけを聞くのではなくて、
その心の叫びの方に耳を傾ける。


そのような人の知り方をしたいと思う。


神様が導かれる人生、
神様が与えられる人生、
わたしたちがどのように受け止めるのか、
人々にどのように受け止めることを願っていくのか、
本当に表面的なことにばかり目がいくことがありませんように。


神様の見方を教えてもらうことができますように。


神様、
あなたの見方を教えてください。
あなたが私を、そして、人々をどのように見ておられるのか、
その将来に何を見ておられるのか、教えてください。
そして、そのように、私も人を、将来を見ていくことができますように。





2009-09-25

聖なる神の情熱。


今日は昨日までよりもずっと涼しくなりました。
夜には寒いくらいになっています。
今、夜の11時過ぎですが、12.3度。
明日の朝は一ケタに下がります。


明日はまた晴れるようですが、
夜には雨です。


昨日の朝と今日の夜は同じ内容だったのですが、
イザヤ書全体を1回で学ぶ、というチャレンジングな学び。


でも、その中で、
聖なる神様が、人間を遙かに超越して、
人間の罪をそのまま受け入れることができないきよい神様が、
熱い思いを持って、人間と共に歩むことを決意されている姿に
心震える思いがしました。


この神様の熱い思いを、
私も分けて欲しいと思いました。
その神様の熱さに動かされて、
私も熱く仕えていきたいです。


さて、昨日、9月24日(木)の聖書。
エレミヤ10:1-16。


「ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の主である。」16節。

「こんなものではない」っていい響きですね。
わたしたちが神様から与えられるものはこんなものではない。

この方は、世界を造られた方。
ナイアガラフォールズも、
グランドキャニオンも、
ブライスキャニオンも、
イエローストーンも、
ヨセミテも、
富士山も、
チョモランマも、
モンブランも、
みんな造られた方。

いや、それらは、地球の大きさに比べると、
タマゴの殻の表面のざらざら程度だと言われる。
でも、その地球が太陽には100万個も入る。
その太陽も宇宙の中ではホントに小さな小さな一つの星に過ぎない。

その宇宙を造られた神様が、
私の必要をご存じで、
必要なものを与えてくださる。

だから、安心していこう。
主がいつもいつも必要なものを与えてくださるから。

主よ、
あなたが満たしてくださる方ですから、感謝します。
あなたを信頼して歩ませてください。
こんなものではない、主の豊かさを味わわせてください。

祈る喜び。

朝9時です。
今日の朝の祈りの一時は本当に幸いなときとなりました。
時間が来て、そこから立ち上がるのがもったいない、と思うようでした。


若い頃、「祈り抜いた!」と思って、立ち上がった、
幸いな祈りの時を経験したときとは全く違う喜びでした。
そう、たぶん、そのころは、「祈り抜いた自分」に焦点が当っていたんだと思います。
いわゆる「何かをやり遂げた充実感」みたいなものだったのでは。


でも、今朝は違いました。
主と時間を過ごす幸い、
いろんなことを相談して、主の考えを聞きたい、という思い。


それが単なる独り言や、自分の心の中だけで巡っている思い、
ではなくて、確かに主はここにいてくださって、
答えを与えてくださるんだ、という感覚。


決して今日初めてではないのだと思います。
以前にも同じようなことを書いていると思います。


でも、今日、またそこに連れて行ってもらいました。


教会の一人一人、私の周りの一人一人の方々のことを覚えて祈るときに、
仕事のこととか、家庭のこととか、健康のこととか、経済のこととか、
それらよりも、一人一人の霊的な状態というか、魂の状態というか、
神様との関係、神様にどんな思いで歩んでいるか、とか、
そちらの方に心が向いている自分がいました。


ああ、もっともっと神様と時間をシェアしたい。
もっともっと私の気持ちもシェアしたいし、
神様が一人一人のことをどのようにご覧になっているかを
シェアして頂きたい。


でも、教会の帰りの車の中でも、
決して、聖霊様を教会に置き去りにして帰ってきている感じはしませんでした。
聖霊様と一緒に車を運転して家に向かっているんだ、と思いました。


陳情団が一生懸命「そこを何とか・・・」とか言っている、
そんな祈りから、一つの書類を一緒に見ながら、
「これはどうなんでしょうねえ」なんて相談してるような、
そんな祈りに導かれているように感じます。


さて、おととい、9月23日(水)の聖書。
エレミヤ9:17-26でした。


「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。」24節。

今朝も、Max Lucadoの"Fearless"の2章を読んでいたのですが、
何かを誇らなければいけない、ということは、
やはり、自分が不安なんだと思います。

自分が自分であることが不安。
自分が自分であることに自信が持てない。

自分もいばりんぼうですから、
本当によくわかります。
そんなもので自分を飾らないと、
自分の存在意義を保っていることができない。

でも、本当に神様に愛されていることを
何かをする前に、何かがなかったとしても、
神様に愛され、認められていることを本当に深く知っていくときに、
自分自身で、平安でいられるんだろうと思います。

ただ、神様を知っている、
もっと言うならば、神様のわたしたちに注がれている愛を知っている、
そのすばらしさ、その意味の深さをもっともっと自分の一部として、
経験していきたいと思わされました。

主よ、
あなたを知っている幸いを感謝します。
あなたがどんな方か、あなたがどんなに大きな愛をもって、
私の人生を導いてくださっているか、
教えてくださって感謝します。
もっともっと、そのことが私の身になりますように。
私の一部になりますように。
その喜びに生かしてくださいますように。
言われなくても、「私の誇りは主です」
「私の誇りは神様に愛されていることです」と、
高らかに宣言して、生きる者としてくださいますように。

日曜日だけではなく・・・

今日はホントに暑かったですね。
最高気温は29度。
でも、夜になって、昨日よりもずっと涼しくなっています。
今、12時前で17度。


明日の朝はちょっと肌寒いくらいになりそうです。
昼間も晴れますが、涼しいでしょう。


私が尊敬しているサンディエゴの牧師さんが、
いつの頃からか、というか、4月頃から、
日曜日の礼拝の内容を「テイクアウト」で、
お持ち帰り用の質問を準備されるようになりました。


それをまねして、私も8月から、テイクアウトQuestionを準備しています。
いいです。
やっぱり日曜日の礼拝説教に何度も何度も引き戻されて、
それで、やっと身になっていく。
そんな感じがします。
御言葉を日曜日教会においていかないで、
日々の歩みの中で反芻していく。生きていく。
その助けになれば・・・と思います。


20日の日曜日の礼拝説教の内容はこんなんです。







ルカ22:31-34
「わたしたちを支える主」

序)最後の晩餐・・・新しい時代の始まりを予告する。
  新しい秩序には新しい人々が必要。・・・弟子達。
  イエスはその弟子達のために祈られた

1)あなたのために祈られるイエス
サタンのたくらみ・・・用いられようとする者への攻撃
イエスの祈り・・・試練がなくなるより、そこで守られること。
←→ペテロは自分が祈られなければならない者であることを認めてもいなかった。「自分がイエスを守る!」

2)他の人々を励ます使命
クリスチャンの励まし・・・耳(聞くこと)・口(言葉、でも、単なる気休めではなく、神の支配と肯定へと目を向けさせる言葉、聖書の御言葉)・ひざ(祈り)
イエスの十字架による救いとゆるしを頂いて、それによって人を励ます者となる。

そして、最初のQuestionはこちら。

誰かがあなたのために「祈ります」と言ってくれるときに、「いえ、結構です」と思うときはないですか?それはどんな時ですか?

これは、私の場合はありますねえ。
自分の場合は何が問題かってやっぱり「プライド」。
本当に祈ってもらうって砕かれないとできないと思います。
この時のペテロの「私があなたを守るんです!」みたいな気持ち、
とってもよくわかります。

でも、以前も書きましたが、
今回の修養会で、本当に祈られる幸いを経験しました。
もっともっと祈って支えて頂きたいと思います。

今夜は近所の男の子二人の兄弟が、
夜、Back to School Nightのために、
お母さんがお出かけになるために、
遊びに来てくれました。

本当に楽しかったです。

もう、うちの子にしてしまいたいくらいでした。

いや、女の子が遊びに来てくれても嬉しいのですが、
なんだか、男の子が遊びに来てくれるのが、
とても新鮮で、一緒にゲームとかしてしまいました・・・。

女の子が遊びに来るときには、ちょっと遠慮があるかな?
「怪しいおじさんにならないように注意しよう・・・」ってね。
「『寒い』と思われたらどうしよう」とか・・・。
でも、男の子が遊びに来てくれるときには、
ずうずうしく、いろいろ話しかけたり、
冗談を言ったりできてしまいます。
「寒い」と思われても、全然大丈夫です。
相手が男の子だったら・・・。
でも、サキの友だち(女の子)とかに、
「サキちゃんのパパ、寒い・・・」とか、絶対思われたくないです。ハイ。

まあ、子供の頃、家の中に女は母だけでしたからねえ。
ちょっと女の子に対してはどうしていいのか、わからない、ってところありますね。

帰りに「もうウチの子になってしまいなさい」と冗談で話していたのですが、
告白しますが、心の底の方に、ちょっとだけマジが混ざっていました・・・。

次の目標は「女の子の前でも自然体でいよう」ですね。(笑)

さて、9月22日(火)の聖書。
エレミヤ9:3-16

「 これらのために、わたしは彼らを罰しないだろうか。」9節。

神様は不義に対して、不信仰に対して、
それを罰せないではおられない方。
本当はそう。

徹底的にそう。
本当に神様は罪を罰せないではいられない方。

それが徹底的にわかるときに、
赦されない罪を持っていることがわかるときに、
それが他の誰かのことを言っているのではなくて、
まさに自分自身であることがわかる時に、
神様はその愛をわたしたちに与えてくださったことがわかる。

罪が深刻であればあるほど、十字架が輝く。
その救いはまさに聖書にあるんだと、知って欲しい。

神様はなあなあで罪を赦す方ではない。
厳しい方。罪を罰せないではおられない。

そのことがわかるときに、かみさまのめぐみがわかる。

主よ、
あなたが罪をいい加減にできない方であると、わかりました。
そのあなたがわたしたちに目を留め、招いていてくださることに感謝します。
続けて、あなたのことを証するチャンスを時間を与えてください。
そして、その時、(今だ!)という感覚がわかりますように。
あなたの御思いをわかる者とならせてください。


2009-09-24

恐れるな。



昨日は悪い方に外れましたが、
今日はこんどはいい方に外れました。
結構晴れて、本当に蒸し暑くなりました。
夜の12時になっても23.7度もあります。


今夜、雨がパラパラ降っていました。
また、雷雲も発生しています。


明日は・・・もうわかりません。
ただ、もう一日蒸し暑い日になりそうです。


今夜も10時半頃になったので、
昨日の夕方家を出てから、サキには会っていません。
ユキも会ったような会っていないような・・・。
よく、「子供に会うのは週末だけ・・・」というお父さんがいるという話を聞きますが、
これが毎日になって、慣れてしまうんでしょうね。


明日はキッズクラブもありますので、
2日ぶりに会えそうです。


今日の朝、Amazon.comから着たメールで、
こんな本はどう?という推薦に「Fearless」というMax Lucadoの本を見つけ、
8月に発行された本なのですが、かなりの評価。
私も「恐れ」の問題は人ごとではありません。
早速、初めてKindle for iPhoneをためすのを兼ねて、購入。
ハードコピーよりも割安で、思い立ったときに、すぐに買って読み始められる。
何よりもこれがうれしい。
Amazonは買ってから手元に来るまでが、問題。
特に英語の本は、その間に盛り上がった気持ちがしぼんでしまうこともあるので。


Kindleは持っていませんが、
iPhoneで読めるのはお手軽でいいです。
問題は辞書もiPhoneに入っているので、
わからない単語をすぐに引けない・・・
辞書を引くためには、Kindleを閉じなければいけない。


うーん、わからない単語をタッチすると日本語で意味が出てくる、
とか、そういう機能を入れて欲しい・・・。


でも、まだ1章しか、読んでいませんが、楽しみです。


1章で教えられたこと。
イエスの命令の中で一番多いのは
「愛しなさい」ではなくて、


「恐れるな」。


嵐の中で船の中で寝ていたイエスの平安。


ゆっくり、でも、着実に読んでいきたいです。


さて、9月21日(月)の聖書。
エレミヤ8:18-9:3。


「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。」9:1。

ここまで悲しむ。
ここまで愛する。
ここまで熱くなる。

そのような心が自分にあるか、
そこまでの思いがあるか?
そこまで人々を愛しているか、
いろいろ考えさせられます。

今、これを打っている最中、
テレビJAPANでは佐野元春と小田和正が対談しています。
この2人、私は結構好きですが、
特に「生まれくる子供たちのために」を出したときの話を、
小田さんが話しています。
日本が好きだと。

私も日本が好きです。
日本のためには泣きます。

でも、本当に次の世代のために、
わたしたちは、いや、私は神様から何を託されているでしょうか。
日本のために、そしてこの、アメリカのために。
今、目の前に与えられている教会の一人一人のために。

本気で使命果たさせて頂きたいです。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが私を生かしてくださっています。
あなたの私に与えてくださっている使命を果たさせてください。
愛と情熱を与えてください。

2009-09-23

Time Management...

今日もいい天気で暖かい、というのは外れましたね。
今日はどんよりで、気温も機能に比べるとやや低め。
明日も天気は余りよくないですが、
どちらかというと蒸し暑い日、になると思います。


今日は、1ヶ月前にNCに行ったときに、
ビデオに収めてきたお世話になったご夫妻のお証の
原稿おこし。
ビデオを見ながら、神様の不思議な御業をあがめていました。
ご本人の承諾が頂いて、10月号のニュースレターに掲載予定。


そして、4時半頃には家を出て、NYへ。
Citicorpビルの地下のホールの片隅で学びをしました。
そしたら、隣でも4人の女性が祈っています。
どうやら韓国の若いクリスチャンの姉妹方のようでした。


考えてみたらそうですよね。
NYで集る場所をみんなさがしている。
なかなか自由に使える場所がない中で、
みんなそのような学びができる場所を、
ただで借りられる場所を探しているんですよね。


そういう学びがあちらこちら、NY中にあふれますようにと、
祈らされました。


帰ってきたのは11時前。そして、明日は5時半には家を出て、
一日NYです。
ジャパニーズ・ビジネスマンみたいです。
私はスケジュールはしょっちゅうあるわけではないんですが、
皆さん大変な日々を送っておられるんですね。
守られますように。


これから週末にかけて注意深いTime Managementが必要です。
主から任された時間、日々を、正しく主に喜ばれるように用いさせてください。


さて、9月20日(日)の聖書。
エレミヤ8:4-17。


「見よ。主のことばを退けたからには、彼らに何の知恵があろう。」9節。

主の言葉に聞くことこそ、知恵の始まり。
主を恐れて、主の言葉に従っていくことこそ、
知恵のはじめ。

なのに、わたしたちはその知恵の世界を
聖書の世界や、信仰の世界、神の支配される世界と
引き離そうとしてしまっている。

そう、神のない知恵は本当の知恵ではない。
知恵が神への信仰を失ってしまったら、
もうそれは知恵ではないのだ。

神の御言葉を信頼しよう。
そこに自分の人生をかけていこう。
そして、主がしてくださる御業を共に見ていこう。

本当の知恵を得て、主からの知恵を頂いて、
立ち上がっていこう。
恐れる必要はない、
ひるむ必要はない。
本当の知恵はこちらにこそあるのだから。

主よ、
今週のTime Managementのためにもどうか知恵をください。
そして、あなたの知恵に従って歩んでいくことができますように。
あなたを閉め出して、「こちらこそ本当の学問だ」と言っている者たちに、
それが間違っていることを示してくださいますように。
明日も支えてください。

2009-09-21

試練の中で守られますように。

今日は本当に暖かくなりました。
夕方ちょっと庭仕事をしたのですが、
あっという間に汗をかきました。


今は夜の11時ですが、16度あります。
今朝までは一ケタまで下がりましたが、
明日の朝は12度くらいでしょうか。


明日もまたいい天気で暖かくなりますように。


昨日の礼拝では、最後の晩餐の中で、
イエスが新しい時代のために、
「新しい契約」「新しい秩序」を宣言されたのに続いて、
弟子達を「新しい人々」として立てられたことを語らせて頂きました。


主がその新しい時代を担うわたしたちのために今も祈ってとりなしておられるのです。


サタン(悪魔)はこれから用いられようとしている人々、
用いられようとしている教会を攻撃してきます。


大体、メッセージを語った後には、
その内容について、自分自身が問われるものですが、
今日もそれを感じていました。


朝から心が騒ぐようなことがあり、
午後にも攻撃を感じました。
落ち込ませようとする攻撃を感じました。


その中で、ただただ、イエスが祈っていてくださること、
そのような試練の中でも守られるように祈ってくださること、
それが支えです。


今日は休日。
すっかり食欲も戻って、
順調にリバウンド中です。(笑)
週末、「今日は無理・・・」と、ずっとお預けになっていた
「ゲームをしよう・・・」というサキの誘いに
やっと答えて、今日はカードゲームをしました。
はい、もちろん手加減なしです。
これはハジの子供の頃からの、私の主義です。
「大人げない」と言われてもかまいません。
私が本気でも勝てない子供を育てようということで・・・。


17年前、日本を出てくる直前のこと、
主任牧師の7歳くらいのお嬢さん相手に、マジでやってしまって
泣かれてしまったときには、さすがに、ちょっとやりすぎたかな、と反省しましたが、
自分の子供だとそれは容赦はしません。


はい、今日ももちろん圧勝でした。v(^^)
問題は、負けてばかりで、本人のやる気が続くかどうかですが・・・。


ちなみに、ハジはウルトラ負けず嫌いな大人になってしまいました。
そして、ユキはこちらが誘っても、決して遊んでくれません。


・・・ん?これって、私の「子供相手でも本気でやる」という主義が間違っていた、ってこと?


さて、土曜日、9/19の聖書。
エレミヤ7:29-8:3。


「それらを、彼らが愛し、仕え、従い、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象の前にさらす。それらは集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。」2節。

私は、子供の頃から教会で育って、
日の出を拝むとか、大木や立派な滝や
そういうものに神が宿る、とか、そういう感覚は全くないのですが、
でも、そのようなものに畏れを感じると言う感覚はちょっとわかります。

ですから、大きな木にしめ縄がつけられていても、
立派な滝の前に神社があっても、
「そういう気持ちになるよなあ」というのは思います。

でも、この聖書の箇所は、そんな態度にもNOと言っています。
どうしてなんだろうなあと思います。

そのような人間を超えたモノ、それが自然界の中のものであっても、
神ではないものであって、見当違いであったとしても、
自分より大きな存在の中で、膝をかがめたくなる気持ちは、
神様は尊重してくださらないのかなあと。

でも、それほど、神以外のものを神とすることが、
深刻な罪なのだ、ということを聖書は語っているんですよね。
その見当違いがたいへんな結果を生み出してしまうのだ、ということなんだと思います。

自分よりも大きな存在がすべて神で、・・・つまり神々がたくさんいる、
というのではなくて、
本当にわたしたちが拝み、膝をかがめ、礼拝すべきなのは、
祈りを捧げるべきなのは、この天地を造られ支配されている主、
お一人なんだと、もう一度主の前にひざまずかせられました。

主よ、
あなたを、あなただけをあがめるものでありますように。
人や、能力や、力や、お金や他のものを拝むことがありませんように。
何よりも自分を主とすることがありませんように。

発想の転換中。


今朝の最低気温は8度。
でも昼間は24度まで上がりました。
あたたかな一日でした。


明日はもっと暖かくなるみたいです。
9月の下旬にこの陽気はありがたいですね。
あさって以降は朝の冷え込みも弱く、
今週いっぱいは暖かいようです。


しっかりエンジョイしておきましょう。


今日の礼拝も祝福されました。
久しぶりの方や初めての方も来られました。
そして、何よりも、
語りながら、自由を感じていました。
みことばが一人一人の内にとどまり、
一週間の歩みを通して、みことばが消化されますように。


今日は6時にはすべてが終わったので、
NYへの送りの車の奉仕があったのんちと
今日まで「大北海道展」なるものをやっていた、
ミツワのフードコートで食事ということで、待ち合わせ。
絶対、電話で打ち合わせをしたときには、
自分たちの方が早く着くだろうなあ、と思っていましたが、
なんと、駐車場でばったり会えるくらいのグッドタイミング。


家族で入ったとたんに「のんち(ホントはここは本名)さ~ん!」と呼ぶ声。
のんちの元同僚が「大北海道展」の売り子をしていて、もう完売間近の片づけ中。
「これでさいごだよ~」の元気なかけ声に、
勢いで買ってしまいました。コロッケ。
おいしゅうございました。


私自身は久しぶりの本格的な食事で、
ご飯は残したのですが、
ちょっと食べ過ぎたかな、って感じ。
でも、ここまで元気になって大感謝。


帰り道、車2台だったので、
私の運転の車は下の子のサキが乗ることに。
帰りの車の中で、試しに
「Yankeesの試合行きたい?」と聞いたら、
「行きたい!行きたい!途中で寝るかもしれないけど、行きたい!」
と、ビミョーな部分もありながら、とりあえず嬉しいお返事。
そこに続けて出てきた言葉。
「ジーターとマツイとポサダしか知らないけど・・・」
その瞬間、この子を野球のわかる女の子に育てようと決心したのでした・・・。
いや、ただ「わかる」だけじゃなくて、父親と野球の話で盛り上がる娘に育てようと・・・。


そう、発想の転換進行中。
「スポーツのことは男の子だよなあ(偏見ですか?)」→「自分が女の子に合わせて、会話を弾ませなければ・・・(結構難しい・・・ちょっとうっとうしいと思われているかも・・・)」→「スポーツのことがわかる女の子を育てればいい(これだ!)」
という段階まで進んでいます。


そして、調子に乗って、じゃあ、上の子は天気予報の話ができる女の子に育てようかなあ、とたくらんでいるオヤジなのでした。(嫌われるでしょうか・・・)


帰ってから、明日NCで手術を受けられる方にお電話。
神様が守ってくださいますように。
聖書学院で共に学んだこちらの先生も明日手術。
主が守ってくださるように祈っています。


さて、9月18日(金)の聖書。
金曜日はエレミヤ7:16-28。


「 あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。」16節。

神様がこの言葉を語られた意図を考えたときに、
「今は、私に祈るのではなくて、彼らに語るべき時です」と言われているように感じました。
本当はエレミヤは預言者として、神のメッセージを語るべき時だったのに、
それを恐れたのかもしれません。
人々が神の裁きの言葉や、譴責に言葉に反発をすることを恐れたのかもしれません。
神にとりなしの祈りをしていました。

それを神は許されませんでした。
今は彼らに語るべき時です、とエレミヤに言われたのではないでしょうか?

民の罪の姿を指摘して、悔い改めを迫るべき時だと。

そんなことを思いながら、
自分の弱さを思い知らされています。

本当は罪を責めるべき時、
本当は問題を指摘すべき時、
その人の前では、ひるんでしまって、
主の前に、状況を述べてとりなしの祈りをする。

祈りが大切だから・・・ということで、
言うべきことも言わない。

自分が今までそうやって逃げてきた部分はないだろうか、
そのように思わされました。

主のしもべとして、主のメッセージを語る器として、
主に従っていきたい。
一人の人が悔い改めて主の許に帰ってくるための
働きをさせて頂きたい、そのように思い、祈らされました。

主よ、
私の使命を果たさせてください。
それ、「楽しいこと」ばかりではないという覚悟を忘れることがありませんように。
恐れを取り除いてください。恐れを乗り越えさせてください。
あなたのメッセージを語る者としてください。

2009-09-20

形に頼るな。

また12時を過ぎて日付が変わってしまいました。
あ、今日は野球じゃないですよ、
日曜日の準備が遅くまでかかってしまっています。


昨日もいい天気でした。
でも、夜になって冷えてきています。
今、夜の1時過ぎですが、10度まで下がってきています。
この後、朝の最低気温は10度を大きく下回って、
6度くらいまで下がると思います。


寒いくらいですね。


でも、明日もいい天気で暖かくなるでしょう。


さて、木曜日17日の聖書。
エレミヤ7:1-15でした。


「しかも、あなたがたは盗み、殺し、姦通し、偽って誓い、バアルのためにいけにえを焼き、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。それなのに、あなたがたは、わたしの名がつけられているこの家のわたしの前にやって来て立ち、『私たちは救われている』と言う。」9-10節。

神は形式だけに陥っていた人々に、
厳しい言葉を掛けられた。
自分はひどいことをしていたのに、
この神殿があるから大丈夫、
この神殿の中に神がいるから、
そこで祈ると聞かれるから、大丈夫、と、
そこに安住していた。
そこにあぐらをかいていた。

でも、神は、ご自身に従うことを求められている。

わたしたちも、「洗礼を受けているから大丈夫」
「教会に行っているから大丈夫」
「奉仕をしているから大丈夫」
「人のために尽くしているから大丈夫」
そんな形式主義に陥っていることはないだろうか?

本気で神に従う者、
本気で神を信じる者でありたい。

形だけに陥ってしまうことがありませんように。

主よ、
私が形でやっているかのように勘違いすることがありませんように、
ただ、ただ、あなたの導かれるところに従うことができますように。
あなたの「しなさい」ということに従って歩むことができますように。