2009-07-30

不思議。

今日はとってもいい天気でした。
ソコソコ蒸し暑くはありましたが、
汗をかきながらも、スカッと晴れるのは
気持ちがいいですね。


でも、明日は一日雷雨。
夜まで続きそうです。
また落雷や雹、突風、洪水などに注意が必要です。


さて、昨日思いっきり文句を言わせていただいた、
こちらの町役場ですが、
コメント欄にも書きましたが、
皆さんのお祈りが答えられて、
今朝1番で行ったら、担当の方が、笑顔で迎えてくださいました。
ちょっと「えっ」と思うくらい、の変わりよう。
その後も、終始笑顔で、10分ほどで許可証を出してくださり、
最後は「Enjoyしてね」とまで言われて、
ちょっと「きつねにつままれた」状態です。


いやあ、昨日、あんな事書いて申し訳なかったなあ、
もう町の名前まで出して、世界に発信してしまって、
当事者はたぶん、読んでいないだろうけれども、
何か申し訳ない気持ちになるくらい、今日はすばらしい対応でした。


でも、それでこっちの気持ちも、全然違うんですから、
自分も気をつけなければなあ、と思いました。


笑顔は周りの人を元気にする・・・。
周りの人の一日をHappyにする。
大切なことですね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の73:1-16でした。


「見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。」12節。

これだけ読むと、へえ~、聖書にはそんなこと書いてあるの?と思われるでしょうが、この詩人は苦しみの中で、自分を苦しめる人々が社会的にも成功しているように見えることを、嘆いているのです。

これはまたきついだろうなあと思います。
こんなことがあると、
間違っているのは向こうではなくて、自分なのではないかと思ってしまいます。

でも、主は真実な方、慈しみ深い方、
そのようなときは長くは続かないのです。

でも、わたしたちは近視眼的にしかものが見えません。
なかなか、長い目で物事を見ることができないのです。

だから、主を見上げて、主を信じて歩むのです。
主がいてくださる、主がすべてを見ていてくださる。
だから、主がいつも最善のことをしてくださるから、
そのことを信頼して、歩んでいこうと思います。

私の身にも同じことが起るのではないかと思います。
でも、そんな時にも動かされない、振り回されない、
不安になったりしないで、まっすぐに進んでいく、
そのために、みことばを信頼し、主を信頼して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
状況に振り回されない強さをください。
落ち込んだり、不安になったりすることがありませんように。
いつもあなたを見上げて、あなたを信頼して歩んでいけますように。

2009-07-29

こっちのお役所は・・・

今日は朝から、エアコンのあるところ(たとえば車)から外に出ると、
めがねが曇る、蒸し風呂状態。
本当に何度も何度も大粒の雨が降り、
何度も何度も、雷がゴロゴロしていました。


今は夜の10時半で、ちょっと雨の止み間に入っています。
でも、また12時過ぎから降り出すでしょう。
明日の朝までゴロゴロしていると思います。


そして明日の昼頃からは晴れ間も出て、
夏らしい暑い日になりそうです。


ここ2週間以上悩まされているのは、
Maywoodの町役場の、公園の使用許可を出す係の人。
JOYJOYキャンプのサッカーのために、公園のサッカーフィールドを貸してくれ、
と申し込んでいるのです。
年によっては、誰も使っていないし、勝手に使っているらしい人もいるし、
誰もチェックに来ないし、別にいいのかも、と思うのですが、
トラブルはまずいので、必ず許可を取るようにしています。


例年、余り問題なく、書類を出して、すぐ許可が出ていたのですが、
去年は場所が空いていない・・・と却下。
急遽、私の住んでいる町の学校を貸してもらいました。
で、今年は早め早めに準備を進めているつもりだったのですが、
大体この人オフィスにいないし、メッセージを残しても、電話してこない。
更に、書類を出す前から、「この日空いていますか?可能性はありますか?」と聞いても、
「そんなの書類書いてもらわなければ、わからない」とにべもない。
書類の書き方も、今までとは何だかいろいろ違って、こうしないとダメを小出しに出してくる。
何度足を運んだことだろうか。


先週水曜日にやっと書類をそろえて出したら、
金曜日になって、「保険の限度額が小さい」と言ってこられた。
2日間、机の上に置きっぱなしだったんでしょうね。
そして、この週末、保険の限度額を上げて、今日、持っていったら、
「もう帰った・・・」と。午後3時半ですよ。マジかい!


明日は8時半には出勤しているそうなんで、
明日、朝一で提出して、許可をもらわないと・・・。
ってか、普通、今日、窓口で、「あずかっておきますよ」とか言わないのかな。


最後に日本の役場に行ったのは、もう13年前かな。
東京都江東区役所。
あまりの丁寧さに感涙にむせんだ覚えがあります。
「お役所仕事」などと融通が利かないと、
悪く言われることもありますが、とんでもない話。
こっちのお役所に比べれば、もう、天地の差ですよ。
融通以前の、頼むからちゃんと仕事をしてください、って感じ。


いや、みんながみんなそういうわけではないのでしょうが、
大体、日本のサービスはすごい。


さて、昨日と今日は2日間に渡って、
詩篇の72篇を読みました。(やっと追いついた!)


「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。」18-19節。

この詩は王のための詩、
王のために祈る詩でありながら、
やはり最後は、神様のことがほめたたえられている。

わたしたちも互いのために祈る。
互いのことを祈る。
でも、やはり、それは最終的には、
神がほめたたえられることを求める祈り。

私の祈りの姿勢はどうだろうかと思わされた。
神様を自分の願ったように動いてもらおうとしている祈りになっていないだろうか?

ただただ、主の栄光を求める生き方、
主がほめたたえられることを願う生き方、
させて頂きたいと思った。

主よ、
あなたをほめたたえます。
あなたの栄光を求めます。
あなたをほめたたえる人々がこの地に満ちますように。
そのために私もあなたの力になれるでしょうか。
そんなことを考えるのは傲慢でしょうか。
あなたのみ思いのままに生かしてください。




2009-07-28

宇治金時。

はい、見事に逆光ですが、
暑いので、夕食後はかきごおり宇治金時です。


7月26日(日)ー27日(月)は2日に渡って、詩篇71篇です。


「あなたこそ私の巌、私のとりでです。」3節。
「神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。」5節。
「あなたが、私の力強い避け所だからです。」7節。
「神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。」12節。
「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」20節。

この詩人は、いろいろな苦しみの中でも、
どこまでも、神様に目を注いで、神に助けを求めて、
神を避け所として歩んでいる。
これもまた、一つ一つ私の祈り。
神こそが、とりで。
神こそが避け所。

そういいながら、自分は何を頼り、どこを避け所としているだろうか?

もう一度、焦点を合わせ、
もう一度、主にチューニングを合わせたい。

主よ、
あなたが私の避け所です。
あなたこそが、私の砦です。
今日も、私を守ってください。

赦す・・・こと・・・。

今日もまた本当に蒸し暑かったです。
夜になって気温は25度を切っていますが、
湿度は相変わらず高いです。


東京の夜はこれで30度近くありましたから、
どうしていたんだろうか、と思わされます。


今日もちょっと雷雨がありましたが、
明日はもっと雷雨がありそうです。


もう何週間か前のTV JapanのProfessional枠で、
番組変更で、ルワンダの再建の一つの取り組みが紹介されている番組が録画されていました。


http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/081127.html


日本ではもう一年近く前の放送ですが、
ものすごい衝撃を受けました。


家族がみんな目の前で虐殺された人々が、
加害者を赦せるか、
赦せた人の解放された姿、
赦せない人の苦しみ。
「赦せない自分が罪人であるように感じる」という
家族を虐殺された人。


「赦す」ということを、
簡単に口にできない、
ましてや「赦しなさい」となんていうことは
とてもとても口にできない、
そう思いました。


でも、あえてそれを言う人がいる。
聖書がそういっているから・・・ということで、
あえてそれを言う人がいる。


被害者は、言われて、初めて、「赦せない」ということに悩む。
そして、何とか、和解の道を造ろうという人がいる。
そして、そこで何かが変わっていく。
もちろん、加害者も変わっていく。
何もしなかったときとは確かに違う、何かが起っていく。


自分自身に対する神様からのチャレンジを感じました。


7月25日(土)の聖書。
テトスへの手紙が終わって、この日から詩篇に戻って70篇。


「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめよう』と、いつも言いますように。」4節。

これは私の祈りでもあります。
主に従う者がバカを見ることがありませんように。
主に従う者たちが、喜び楽しみますように。

牧師になったばかりの頃、
私は大きな教会の副牧師として奉仕をしていましたが、
その教会の主任牧師はいつも、社会で働く人々のために、
そのように祈っていました。

「主に従う者たちが、社会の中でも、決して『バカを見る』ようなことがありませんように」と。

今、私も祈ります。
主を主としない、人々が我が物顔に社会を支配することがありませんように。
主に従う者たちが、喜びと感謝にあふれて、歩むことができますように。
教会という場においても、社会という場においても。

主よ、
どうか、あわれんでください。
あなたを慕い求める人たちが、みな、
あなたにあった楽しみ、喜びますように。

2009-07-27

福音から出るよいわざ

今日は、お天気ネタで大きなのを書いたので、こっち↓
ここでは、おとなしく、早速「日々のみことば」

7月24日(金)の聖書。
テトスの3:8-15でした。


「それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」8節。


その前の日のところとセットで読むべきですね。
福音のことが書かれていて、
それによって、良い業に励むことを心がけるようになる、
のだというのです。

福音は福音だけでは終わらない。
福音があるから、別に何をしてもかまわない、
というのではなくて、
福音があるから、
神の愛があるから、
わたしたちは良い業に励む。

原動力は福音と聖霊様によってあたえられているのですから、
方向性が整えられることが大切。
みことばにいつも聞きながら、
みことばによって、歩ませて頂こう。

主よ、
福音が与えられていること、
イエスの福音が私に与えられていることに感謝します。
どうか、この福音に立って、
感謝して、良き業に励むことができますように。
明日の集会にもあなたの祝福を与えてください。
あたらしい地に進んでいく方々を守ってください。
弱さを覚えておられる方々に、慰めと癒しを与えてください。

なぜ、夏に氷が降るのか?

昨日の雷雨なんですが、6時頃にも一回大きな雷雲が通っていきました。
そのころにNYに帰って行かれた方から、
雹が降っていましたよ。でも、どうして、夏に氷が降るんだろう?
というコメントを昨夜の記事に頂きました。


そこで、お天気キチガイ魂に火がついて、
知っていることと、想像で思うことと、調べたこととをまとめて、
かきごおり版、どうして夏に氷・・・雹・・・が降るんだろう、
ということを書いてみようと思います。想像も少しはありますが、
大筋間違っていないと思います。
何か間違いがあったことに気が付いたお天気フリークの方、
専門家の方は、コメント欄に書き込んでください。


雷雨や雹をもたらす雲は「積乱雲」といいます。
積乱雲ができる原因は上昇気流です。
上昇気流が起る理由は、
いろいろありますが、
夏に多いのは地面が太陽に熱せられて、
地表付近の空気の温度が上がることによります。
温度が高い空気は軽い。そして空に高く上がっていく。
それを利用するのが「熱気球」ですよね。


上昇気流が起るときには、断熱膨張が起こります。


ここで、断熱膨張を説明しましょう。
普通空気が膨張するのは、空気を暖めたときです。
でも、もう一つ、気圧が下がったときです。
熱を加えないのに空気が膨張するのが、
「断熱膨張」です。


「上昇気流」で、高いところに空気が昇っていったときに、
気圧が下がるのです。
その時に、「断熱膨張」で空気の温度が下がるのですが、
そして、空気の温度が下がると、保てる水分が減ってしまって、
限界を超えた水分が水滴になるのです。それが雲です。


雲の中には水滴がたくさんあります。
大きな水滴、小さな水滴。
水滴は重力に引っ張られて落ちようとします。
しかし、上昇気流に押し戻されて、
落ちてきません。
または下に落ちてくるときに、
温度が高くなったり、
乾燥した空気の中を通って、
蒸発してしまうこともあります。


しかし、水滴が大きくなると、重さに耐えられなくなって、
雨となって降ってきます。


でも、その水滴の重さよりも、上昇気流が強いと、
雨粒は雲の中で上の方に押し戻されてしまいます。


そんな上昇気流の強い夏の積乱雲から降る雨は、
大粒の雨だったりするのです。


で、その積乱雲の中で、雨粒が落ちたり上がったりする中で、
ぶつかり合ったりする時に起きる静電気で雷が起きます。


そして、本題の雹ですが、
地表から1万メートルくらいまでは、
気温は1000メートル上がるたびに6.5度下がります。


地表が25度くらいの夏でも、
標高3776メートルの富士山で冬に雪が降るのも、
決して不思議なことではありません。


積乱雲は上昇気流が強いときは、
10000メートルくらいまで成長します。
単純計算して、積乱雲のてっぺんは地表よりも、
65度も低いことになります。


そのそこで冷やされた氷の粒が降ってくるのです。
もちろん、まっすぐ落ちてくるのではなくて、
途中で他の氷の粒とくっついたり、
また上昇気流で上の方に押し戻されたり、
だんだん大きくなって、だんだん重くなって、
とうとうその上昇気流よりも重力が勝ったときに、
雹となって降ってくるのです。


だから、上昇気流の強くなりやすい夏の方が大きな粒が降りやすいのです。
時々、Baseballサイズとか、Softballサイズとか、ニュースで聞きます。
それほど上昇気流が強くない冬は、降っても、5mm以下の「あられ」になります。


何だか長くなってしまいましたね。
最後の「本題の雹ですが・・・」からでも良かったかも。
でも、書いていてエキサイティングでした。


自分も子どもの頃から、
どうして夏に氷が降るんだろう、
どうして夏の方が大きな粒になりやすいんだろう、
と思っていたことに答えが出たみたいで。


また、懲りずに質問してください!

語ったことが問われる。

昨夜の雨がウソのように、
今日は朝からいい天気です。
昨日ほどは蒸し暑くもないのでしょうか?


でも、少し歩き回ると汗が噴き出しそうです。


外では、少し蝉も鳴いています。


NJでは17年ゼミ以外は、それほど蝉はいないので、
日本のように毎年蝉時雨の中で夏を過ごすと言うことはないのですが、
やっぱり、夏は蝉が鳴くべきですよね。


今日も、午後には雷雨があるかもしれません。


いつものことですが、
日曜日、礼拝で語ったことはすぐに自分に問われてきます。
もちろん、準備している間にも、
自分はどうだろうかと思わされるのですが、
終わってからの方が、「問われる」という感じがします。


余ったものを主のもとに持っていくのではなくて、
生活全体を主の支配にゆだねる。


昨日の夜の時間、
今日の朝の時間、
主の支配の中に生かされていることを覚えていただろうか、
主に愛されている喜びの中に歩んでいただろうか、


礼拝後の勉強会の中でも、
「夫の体は妻のもの、妻の体は夫のもの」という言葉を引きながら、
こういうみことばは要求するために用いるのではなくて、
与えるために用いるのだ、と言いながら、
自分はどのように歩んでいるか、問われていることを感じました。


今日は週に一度の休日。
本当に休日も主のもとで休むことを経験させて頂きたいと思いました。


さて、7月23日(木)の聖書。
23日はテトス3:1-7でした。


「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」5-6節。

テトスの手紙の中には、
いろいろなアドバイスが書かれています。
人々の模範になりなさいとか、
このように生活しなさいとか、
下手をすると「律法的な生き方」、
つまり、外側ばかり、気にする生き方に陥ってしまう、
という危険性があります。

でも、やっぱり、ここを見ると、
わたしたちが救われたのは、
神の恵みであり、わたしたちの行いではないんだ、
決してわたしたちの行いによるのではないんだ、
ということを思わされます。

そのことをいつもいつも忘れないで、
主の恵みの中に生きる、福音に生きる、
赦されている恵みにあふれて生きる、
そのように歩みたいと思います。

主よ、
赦されている恵み、
愛されている喜び、
そこに生きる者とならせてください。
律法ではなく、恵みに生きるものとしてください。


2009-07-26

雷雨の夜。

昨日の夜も、その前もそうでしたが、
今日の夜も雷雨です。

夜10時前のレーダーの図を二つ並べます。
左側が9時25分。右側が9時50分です。
大きな雨雲の固まりがうちの町(緑の矢印)に向かって、
進んできているのがわかります。
もっと大きな範囲のレーダーを見ると、
その南西にもう一つ雷雲が映っています。
しばらくは雷雨が続きそうです。

今日はずっと教会を支えてこられたご夫妻が最後の礼拝。
ハワイに引っ越されます。
個人的には明日もお会いする用事があるのですが、
最後の礼拝ということで、いろんなことを考えさせられました。
大切な方々が移られるのは痛みですが、
それと共に、あたらし地で用いられることも、すばらしいこと。
また自分のことを言えば、「頼りになる方々」が取り去られるのは、
神様だけを頼りにして、祈っていくきっかけになります。
(もちろん、これ以上また取り去られたらどうしよう・・・とは思いますが・・・)

祈りの中でリスクを負って、主の栄光を拝していくことができますように。

7月22日(水)の聖書。
22日はテトスの手紙の2:1-15。

「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。」15節。

いま、すごいのきました。雷。10時43分頃・・・。
一瞬電気消えました。
雷鳴が花火みたいに、何発も連続して聞こえました。

権威って、振り回すもんじゃないですよね。
権威って、「権威を持って」って持てるかというとそうじゃないですよね。
嫌われるだけだったり。
でも、権威のある人っている。
やっぱり内側からあふれてくるものだろうか。

イエスもそうだったと言うことが聖書のに書かれていますが、
内側にあふれる自信と平安故に、
柔和になることができるような、
謙遜になれるような、権威。

権威を持って、神の僕としての権威を持って、
語れる者とならせて頂きたい。
内側から、そのような者とならせて頂きたい。

主よ、
あなたの僕としての権威を与えてください。
振り回す権威ではなく、内側からあふれ出る権威。
謙虚に歩む者とならせてください。

2009-07-25

みっどらいふくらいしす・・・もっと。

今日は蒸し暑いです。
午後はずっと外だったのですが、
本当に暑かったです。


そして、夕方になって雨も降ったのですが、
それでも蒸し暑いです。


気温よりも湿度でしょうね。


今年の夏は楽な方でしょうが、
楽な分、ちょっと蒸し暑くなっただけでも、
かなりからだがつらいです。


明日もまた蒸し暑い日になります。
雷雨もありそうです。
というか、今夜のうちに雷雨になりそうです。


今日の午後は、私がアドバイザーをしている
JCFN-NYの集まり。
これは特に海外で信仰を持った方々が、
日本でも教会につながり、信仰を持ち続けるために働いている団体の、
NY支部。


実際のところ、今は、
若いクリスチャンの皆さんが互いに励まし合っている場になっています。
そんな集まりで、ある方がミッドライフクライシスをカミングアウト。
前から知っている方ですが、もうそんな年なんだ~、って感じ。
でも、お話を聞きながら、
この分野において、教会の持っている答えって、
ものすごく役に立つと思いました。


いろんな側面があると思いますが、
一つの大きなことは、自分の人生の先がある程度見えてくる中で、
若いときに見ていたような夢が実現しないことも、
同じくらいの年齢で活躍している人たちとは、
自分は違うのだという事実も、
受け入れなければいけない。


でも、その中で、主がわたしたちを愛し受け入れてくださっている、
というのは、ものすごい支えになるし、根本的な平安感、の土台になると思う。


もっともっと、この世代の男性と関わりを持つことの大切さを思います。
そのような場が与えられますように。


さて、7月21日(火)の聖書。
火曜日はテトス1:10-16でした。


「彼らの口を封じなければいけません。」11節。

これはすごい言葉ですね。
単に迫害する人、ではなくて、
似て非なるものを伝える人ですよね。
クリスチャンのふりをして、違う教えを伝える人。

その人達の口を封じなさい、だなんて。

火に油を注いでしまうような気もします。

どのようにして、口を封じることができるのでしょうか?
・・・わかりません。

でも、具体的にどういうことができるのか、ということよりも、
自分にそのような強さがあるか、
そのようなことをしようとする強さや確信があるか、
やはり問われているように思います。

なんだか、仲良し子よしでやりたい気持ちがあるんでしょうね。
波風を立てたくないと言うか、
でも、それが裏目裏目に出ることが多い。

主が与えられた責任をはっきりと果たす、
強さを与えて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたの私に与えられた責任を果たさせてください。
そのために波風を立てないように逃げるのではなく、
間違いに対してはConfrontできる強さを与えてください。
そして、愛を持ってそれをすることができる者とならせてください。

2009-07-24

御言葉に生きる。

今日は夜10時頃に帰ってきた頃から急に雷雨。
かなり激しく雨が降り、雷が鳴っていました。
雨雲自体はそれほど大きくなかったので、
「え、そんなことあったの?」という方もおられたと思います。


日本の大雨も大変ですね。
山の遭難や、崖崩れなど・・・。
気象関係のお仕事をされている方々も、
ストレスのたまる日が続いていると思います。
自然の大きさに謙虚でありながら、
どこまでも正確な予報にチャレンジする努力が、
豊かな実を結びますように。


さて、7/20(月)の聖書。
月曜日はテトス1:1-9でした。


「教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。」9節。

この言葉は本当に心に響きました。
自分がちゃんと御言葉をもっともっと学ぶことの大切さ、
そして、励ましをする思いやりと愛、
そして、反対する人たちを正す愛と勇気。
主にある謙虚さと自信。

どうなんだろうか、
迷い、というのは一生なくならないのだろうか。
もちろん、イエスの十字架の救い、
神の愛、教会の大切さ、
それらのことは迷いはない。
でも、一つの「それは違うんじゃないか」と直感的に感じることについて、
上手に説明出来なくて、
今ははっきり「それは違うと思う」と言わない方がいいのか、
という迷い。

平安と確信の中で、「励まし」や「戒め」「矯正」、
そのような働きができる日が来るのだろうか?

あってもなくても、
とにかく自分にできることは、
祈りつつ、御言葉を読むこと、御言葉に聞いていくこと。

主が愛と勇気と決断力を与えてくださいますように。

主よ、
私は迷ってばかりです。
どうか、御言葉によって、教えてください。
天からの知恵を与えてください。
そして、わかってもらう努力をする謙虚さを与えてください。
あなたが語ってくださったことについて、
大胆に、恐れないで語り、従っていく勇気と力を与えてください。

アレルギーと魅力。

今日は一日どんより。
そして、夕方には一時雨。
気温は高くなかったのですが、
湿度が高くて、もわっとした、
蒸し暑い・・・というのではなく、
でも、蒸し涼しい・・・というのでもなく・・・という感じかな。


でも、雨は東に行くほどひどかったようで、
夕方、のんちが帰ってくるときに電話くれたのですが、
のんちのいるところは「雨がひどい」って感じだったのですが、
こちらは全然大丈夫。


もっと東のQueensやBrooklynやLong Islandの方はひどかったようですね。
ちょっとお天気の方あまり注意深く見ていなかったのですが、
東海上に低気圧が発生して、かすっていったようです。


明日は天気も持ち直して、また蒸し暑い+雷雨のようです。


何日か前のコメントに
日本人は宗教アレルギーってこと、
書き込んでくださった方がおられますが、
本当にそうみたいですね。
難しいです。


でも、私は何を隠そう、果物アレルギー。
バラ科の果物がほとんど全滅。
http://ja.wikipedia.org/wiki/バラ科


うちの前に白樺科のOak Treeがあって、
その花粉症の関係で、食べられなくなってしまったようです。
http://allabout.co.jp/health/familymedicine/closeup/CU20030625/index2.htm


で、バラ科の果物は、
いちご、サクランボ、もも、プラム、梨、りんご、などなど、
いろいろあるんですが、みんな好きな果物です。
特にイチゴとももと梨。


で、アレルギーでのどがかゆくなったりするのですが、
どうしても、食べたいときがあります。
それくらい魅力を感じるときがあります。


そんなときは水を準備して、口の中にあまり長い時間滞在しないように、
さっと流し込みます。
そうしてでも、何としても、イチゴやサクランボを食べたくなる時があります。
(もちろん、ショック症状とかを経験したことがないので、できることですが・・・)


だから、宗教アレルギーも、
それに負けないくらい、教会が魅力あるところなることが、
一つ大切かなあ、と思ったんです。


今から2000年前の最初の教会も、そうでした。
教会の集まりに行くのは、命がけだったときもありました。
人々の理解はありませんでした。


でも、彼らは周りに合わせようとしませんでした。
何とかうまくやっていこう、とは思っていませんでした。
そうではなくて、ただ、自分たちが神様に与えられた喜び、
その救いの価値、それを大胆に生き、伝えていったのです。


命を失う人たちもいました。
でも、その時代の教会は何とか、生き延びるために、
妥協をしようとはしませんでした。


宗教アレルギー・・・というレベルではなかったと思います。


そんな時代を生き抜き、耐えたのではなくて、社会に影響を与え、
そして、300年の時間がかかりましたが、
ローマ帝国が国として、イエスを主としてあがめるようになりました。


自分はアレルギーあるけど、
それに負けないくらいの魅力がある、
そう人に言わしめるようなイエスの魅力を、
人々に表させて頂きたいと思います。


さて、7月19日(日)の聖書。
ルツ4:7-22です。


「彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。」17節。

ルツがボアズと結婚して、そこに生まれた子供が、
ダビデの祖父になったという。
マタイによるとイエスの系図の中にもルツが登場する。

ルツがナオミを慕って、その信じる神を信じて、
また、ナオミに仕えていった。
ボアズがルツの求婚を受け止めて、
でも、神にすべてをゆだねて、信頼して、
そして、犠牲を覚悟で、ルツを受け止めた。
その一つ一つの神への応答が、
神の不思議な導きへとつながっていった。

ルツ記の1章で、誰がそれを予想しただろうか?
ナオミが「神様は私にひどいことをする」といってたときに、
ナオミにはこの4章が予想出来ただろうか?

私たちは時間と空間に閉じこめられた存在。

見えないことはたくさんある。

だから、嘆くときもある。
でも、そんな時にも、ただ、主を信頼して、
歩んでいくときに、神がなさること、それを見させて頂きたい。

今も、私も、来年が見えない、再来年が見えない。
いや、明日も本当はわからないのだ。
だから、一つ一つのことに一喜一憂しないで、
神の御手を信頼して、歩んでいこう。

神様、
私にはあなたの計画がわかりません。
だから、時には「どうして!?」と思ってしまいます。
でも守ってください。
あなたを信頼します。
どうか、あなたのみこころを実現してください。
そのあなたの御業を見ることのできる者でありますように。
そして、そこに参加する者としてください。

2009-07-23

祈りが聞かれる?

ねぶい。
もう日付が変わってしまった。
昨日は、暑かったです。
ホントはそれほどでもなかったのだと思いますが、
涼しさになれたカラダには暑かったです。


でも、夜は涼しいです。
明日もまた涼しくなりそうです。
午後から雨です。


このあと、ちょっと長いですから、「日々のみことば」が目当ての方は、
緑の字をぐーっととばして、黒字のところに飛んでください。


・・・では行きます。


先日のユースのキャンプではこんなことがあったそうです。
ナイトハイクの最中に、
一人の子のめがねのネジが落ちたそうです。
めがねのネジですよ。あの小さなネジ。
そして、真っ暗な中。
みんなで探したけど、見つからなかったそうです。
でも、その時、メッセンジャーの先生が、
「祈ろう!」と言って祈ったそうです。


そして、祈った後に探したら、何とそのネジが見つかった!というのです。


私もよく捜し物をして見つからないときには祈ります。
そして、祈った後、不思議に見つかることが多いのです。
たとえば、祈った後に、どこに置いたか、思い出すとか・・・。


だけど、そのめがねのネジには驚きました。


そんな話を週末に聞いた、一昨日の夕方のこと、
出かける前にシャワーを浴びようと、
ぎりぎりになってからシャワーを浴びました。
そして、シャワーから出て、めがねを掛けようとしたら、
つるが一つ取れてしまいました。
そうです、ネジが落ちてしまったのです。


でも、確かに今日はめがねがちょっと違和感あるなあ、って感じだったのです。


ネジが落ちてもすぐには外れない設計になっているみたいで、
ずっと前に落ちていたんですね。


それで、周りを一生懸命探してもネジはない。


途方に暮れました。
大体、元々、めがねがなかったら、何も見えないですから、
何と言っても、朝一番大変なのが「めがねをさがす」という作業なくらい、
目が悪いですから、途方に暮れるわけですよ。


で、出かける時間は刻々と近づいてくる。
出かけた先で合う予定だった人は、携帯忘れて外回りをしている、というし、
もう絶望的な気持ちでした。
セロテープでも貼って、出かけるか?
と思ったその時に、そのユースキャンプの出来事を思い出して、
お祈りしたのです。


「神様、ユースキャンプでは、
真っ暗なところでネジが見つかるようにしてくださったのですから、
私にもそれを経験させてください」と。


そして祈り終わったときに、思い出したのです。
自分は歴代のめがねを大体後生大事に持っている・・・ということを。


そう、前のめがねのネジがもしかしたら使えるかもしれない!


そして、また、めがねなしに昔のめがねを探す、という絶望的なことはすぐにあきらめて、のんちの助けを求めて、昔のめがねを発見。そして、ネジを見てみたら、何だか同じサイズっぽい。


その後、その昔のめがねを掛けて、精密ドライバーを捜して、
見つけた精密ドライバーで、昔のめがねからネジを外して、
今のめがねにつけてみたら、「おおおお!」と声を挙げたくなるほど、ばっちり。


無事、めがねを掛けて、出発。
いつもはバスを使うところ、教会の車でNYで行くことによって、
時間にも間に合うことができました。


「昔のめがねがあるじゃないか!」そのことを思い出させてくださった神様に感謝。
「車で行けばいいじゃないか!」と気持ちの切り替えを助けてくださった神様に感謝。
神様はすごい!と思っためがねのネジ事件でした。


さて、7月18日(土)の聖書。
ルツ3:14-4:6。


「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。」6節。

この人が自分の相続地を損なう可能性があるとしたら、
ボアズはどうだったのだろうか?
ボアズは自分の相続地を失う心配はなかったのだろうか?

愛もそうだし、信仰もそう。
リスクを負うもの。

それができないのは信仰でもなければ、愛でもない。

リスクを負うことを恐れないようにしよう。
大胆にリスクを負おう。
それが自分にとって不利なことであっても、
神様に信頼して、従っていくときに、
すべては益に変えられる。
すべては益とされる。

それを信頼してリスクを負う者となろう。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたを信頼してリスクを負うことを恐れない者でありますように。
主が守り、支えてくださることを経験させてください。
これからも、あなたのなさることを見ていくことができますように。

2009-07-22

日食ってすごい。

22日の日本はどうだったんでしょうか?
こちらは21日はとても涼しくて、
一日中20度以下。
一日雨が降っていました。
かなり本降りの時間が長くて、
場所によっては水が出たところもあるんでしょうね。


明日はずっと気温も上がり、
蒸し暑くなりそうです。


曇り時々晴れで雷雨もある、という不安定な天気になりそうです。


さて、日食の話ですが、
考えてみたら、太陽にすっぽり月がかぶさるって、すごいですよね。
太陽の直径が月の直径の約400倍で、
太陽までの距離が月までの距離の約400倍だから起る、
この不思議な現象。
これってすごいですよねえ。
その大きさがあまりにもぴったりだから、
時によっては月の地球までの距離の関係で、
太陽が月に収まり切らなくて「金環食」になる・・・。


また、それだけじゃなくて、
それが起っているところにまた知的な生物が住んでいて、
それを観察している、ってところがすごい。


子どもの頃、自分がおじいさんになった頃に、
日本でも皆既日食があると、科学漫画で読んだことがあります。


いつかなあと思って調べてみたら、2035年9月2日ですね。
あのころよりも海外旅行が当たり前になってきているので、
必ずしもあと26年待たなくてもいいかもしれませんが、
確かに70代ですね。
結構あのころから楽しみにしていました・・・
あれから、36-7年経っていますから、
あと26年なんてあっという間かも・・・。


でも、その前に、
3年後には5月20日に日本で金環食(太陽がわずかにはみ出る)、
8年後にはサキの16歳の誕生日にアメリカを横断する皆既食があります。
ちょっとそこら辺は見てみたいかな、と思います。


さて、7月17日(金)の聖書。
ルツ記3章1-13節でした。


「朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」13節。

この「主は生きておられる」というのは単なる慣用句で、
「主の前に約束しますよ」という程度の意味だった可能性もありますが、
でも、ここで、その親類がどのような答えをするのか、
それはボアズとルツにとって喜ばしい答えではないかもしれないけれども、
そこに神様の働きを見よう、という姿勢の現われでもあった、と読むことはできないだろうか?

この後に起ること、
彼らのできることには限界があった、
そのもっと近い親類がその役目を引き受けたら、
彼らは一緒になることはできなかった。

でも、彼らはそれをも主の御手にゆだねた。

その神への信頼。

自分の願い通りにならなくても、
そこに主の御手を見ていく信仰。
それを持たせて頂きたいと思います。

主よ、
あなたの御手を信頼します。
私の考えを遙かに超えたあなたのお考えを信頼します。
どうか、これからの歩みも、守り、導いてください。
自分の手の届かないところにも、
あなたの御手を見ていくことができますように。



2009-07-20

40年前の今日。

今日もいい天気でしたね。
それほど暑くもなく、
さすがに朝、芝刈りをしているときは汗だくになりましたが、
その後は、快適な一日でした。


明日は雨。
ちょっと芝生とか、渇き始めていたので、
ちょうどいいでしょう。
気温は25度止まりの涼しい一日となりそうです。


40年前の7月20日は人類が初めて月に降り立った日。
自分は6歳でしたから、幼稚園の年長さんですよね。
うーん、覚えていません。
その後、小学生の時に、月にアポロが行ったときは、
学校の先生がテレビをつけてくれたのを覚えていますが・・・。


あのころ、40年後は月に人が行くのは当たり前になっているのでは・・・
なんて思っていましたが、アポロが終わってから、月には行っていないんですよね。


昨日も、これから10年後どうなっているだろうか?
携帯電話なんて過去のものになって、
埋め込み電話になっているのかなあ、
なんて話をしていましたが、
意外と変わっていないのかも・・・と思います。
そして、それを期待しています。


そして、便利になったり、楽になったりすることがある中で、
いつも変わらないもの、いつも変わらないでそこにあるもの、
それこそを、大切にしていきたいと思いました。


さて、7月16日(木)の聖書。
木曜日はルツ記2:14-23。


「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主」20節。

これはナオミが死別した夫や子供たちのことをさして、
こういっているのだろうなあ、と思います。

でも、これはナオミの境遇の中だけで真理なのではありません。
わたしたちすべてにとって「アーメン」のことです。

生きているものに恵みを与えてくださっている、
でも、それだけではなくて、もうこの世を去った人々のためにも、
主は恵みを注いでくださっている。
先に天に帰って者たちのためにも、
主は恵みを注いでおられる。

わたしたちは自分が生きて、子どもが大きくなるのを見たいし、
次の世代の人々が育っていくことも見ていきたい。
でも、それがかなわなくても、
そこには主の恵みが注がれている。

たとえ自分が子供たちが小さなうちに、
また妻が困るだろうという状況の中で、
先に行かなければいけなかったら、どんなにつらいだろうかと思う。

でも、そんな中でも、自分が手を掛けることができなかったとしても、
自分が先に行かなければならなかったとしても、
その後は主が恵みを注いでくださる。

だから、わたしたちはすべてを主の御手にゆだねよう。
主が守り、養い、育て、生かしてくださるから。

主よ、
わたしたちの生き死にもあなたの御手の中にあることを信じます。
もしも、私が先に行かなければならなくなったとき、
残された者たちのことを心配しないですむことができますように。
あなたの御手が、導いてくださることを信じて、歩むことができますように。

縦列駐車。

今日もさわやかな夏の日でした。
夜になって涼しくなっています。
今、12時前ですが、20度を下回ってきています。
また、明日の朝は15度くらいになりそうです。
昼間は28度くらい。
雷雨の可能性もあります。


この後、今週はほぼ毎日「ところにより一時雷雨」です。
不安定な天気が続きそうです。
でも、今までよりも「蒸し暑い」不安定な天気になりそうです。


さて、18歳になってもう半年近くなるハジですが、
明日、運転免許の試験です。
17歳から取れる免許ですが、1年半も経ってしまいました。
半年間の路上練習で、もう安心して隣に座っていられるのですが、
問題は「縦列駐車」。
ここら辺は日本の免許の試験と同じです。


こちらではNYにでも行かない限り縦列駐車が必要な場面はありません。
ですから、「わざわざ練習する」ということになります。


今から24年前、私が日本で免許を取った時は、
「何本も立っているポールの何本目が後ろの窓のここに来たときに、ハンドルをいっぱいに切る」とか、応用の利かない教え方をされたので(車が変わっただけで、どうしていいかわからない+現実に路上駐車するときにはポールなんて立っていない・・・)、免許を取った後に、途方に暮れた経験があります。


こちらでは、親が教えるので、自分でもほれぼれするほど、上手に教えることができます。
きっと自分で運転するより、隣に乗って教える方が簡単だと思います。


今日は夜10時を過ぎて家に帰ってきてから、練習開始。
もうだいじょうぶ、というところまでやって、明日に備えます。


本人は晴れて免許が取れたら、一人でPrincetonまで(片道1時間半くらい?)行ってくるから!と申しておりますが、親は、それはちょっと心配。


やっと取れる免許、助かるような、怖いような・・・。


さて、7月15日(水)の聖書。
ルツ記2:1-13
「あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主・・・」12節。

主の翼の下に避け所がある。
私の避け所もそうだ。
主のもとこそが、私の避け所。
わかっているのに、そうしていないときもあることに気が付く。

他のところに解決を求めないで、
神様の元に求めていこう。
神様の元で安らいでいこう。
そのように思いました。

問題が起ったときには、
意識して、主からの答えを待ち望みます。
自分の常識によって判断することがありませんように。

主よ、
あなたが私の避け所になってくださることを感謝します。
どうか、次に私に危機が訪れたときに、
そのことを思い出させてください。
他のものにではなく、あなたに助けを求めますように。


2009-07-19

あなたの神は私の神。

今日はまたスカッと晴れて、
湿度が下がった分だけ、気持ちが良かったです。
そして夜はまた涼しくなってきました。
今、夜の12時前ですが、21度。
明日の朝は15度以下に下がると思います。


そして、明日も30度に行かない、気持ちのいい一日でしょう。


さて、7月14日(火)の聖書。
火曜日はルツ記1:15-22。


「あなたの神は私の神です。」16節。

ナオミに襲ってきたのは、本人が言っているように、
苦しみ、痛みでした。
故郷から飢饉を避けて逃げてきたモアブの地で、
夫に先立たれ、そして、2人の子供たちにも先立たれたのです。

そんな不幸が立て続けに起こったナオミを見ながら、
ルツはその神を自分の神として受け入れようとしたのでした。

ルツをして何がそう言わしめたのかなあ、と思います。
3人の男手を天に召された神をどうして、「私の神」としようとしたのでしょうか?

やはりナオミの信仰者としての姿でしょうか?
ナオミがそんな苦しみの中で、それでも神を見上げて生きている姿が、
ルツが子どもの頃から見てきた神々を信じる人々と、
全然違ったのでしょうか?

素直に、「私もこういわれてみたい」と思いました。
「あなたの信じている神を信じたい」
そのようなことを言われてみたいと思いました。

でも、そのように言われることが目標なのではなくて、
やはり、この神様の許に帰る人が一人でも多く起こされますように、
そのように祈らされます。

主よ、
どうか、私をきよめ、私を用いてください。
あなたを指ししめす、あなたのすばらしさを表す器として用いてください。
あなたの素晴らしさだけがほめたたえられますように。

2009-07-17

夏!

いやあ、からだを甘やかせているので、
この、べと~、じと~という感じが、
きついですねえ。


今朝は20度くらいありました。
そして、今、朝の10時前ですが、29度くらいまで上がっています。
今日は30度を超えます。
でも午後から夜はまた雷雨。
それで明日からはまた朝晩15度くらいの
涼しい夏が続きそうです。


そして、来週後半からの予報は以下のようになっています。




これは参りましたね。
未だ先のことなので、全く変わる可能性もあるのですが、
気持ちがどんよりしそうです。


夏があるうちに、夏を楽しみましょう!


さて、7/13(月)の聖書。
7/13からはルツ記を読んでいます。
13日は1:1-14。


「ルツはすがりついていた。」14節。

ユダヤからやってきた一つの家族。
大黒柱を失い、二人の息子が母を支えていた。
その息子の一人、マフロンと結婚したルツ。
彼女はその母と兄弟の信仰の歩みを見て、
神を信じる者となっていた。

その家庭を襲った悲劇。
その兄弟が二人とも亡くなってしまったのだ。
残されたのは何の血のつながりもない女性3人。

当然、母は嫁達に、さあ、あなた方は未だ若い、
家に帰って、自分の人生を歩みなさい、
というわけです。

でも、そこで、ルツはナオミにすがりついていた。

彼女にとって、やはり、もう、この義母が頼るべき、
共に生きるべき、家族だったのだ。

そして、そのことが、この彼女の信仰の歩みの中で、
criticalな出来事になる。

わたしたちの歩みの中で、
ここだけは・・・というcriticalなポイントがあると思う。
それを外さない。
それを見逃さない、
そんな鋭さを持たせて頂きたいと思う。

主よ、
私もあなたを頼ります。
あなたのことを忘れないで、
いつもいつも前に置いて歩ませてください。
そして、ここぞ、というポイントを
見逃すことがありませんように。

2009-07-16

早く休みます。

今日も充実した一日でしたが、
暑かったですね。
31度くらいまで上がりました。
夜の12時ですが、23.5度あります。

明日も暑いみたいです。

土曜日からはまた涼しい夏に戻ります。

何だか、最近朝起きるのがつらいので、
早く休みます。

「日々のみことば」、早く追いつきたいのですが、
また明日、日中に更新しようと思います。

では、夢の国に行って来ます・・・。

2009-07-15

ことばとおんがくとえのさんび。

今日も朝は涼しかったです。
昼間はソコソコ暑くなりました。
でもでも、今年の夏はとて~も過ごしやすいです。


明日は一時雷雨の予報です。
50パーセントを出してきているところもあり、
30パーセントを出してきているところもあり、
正直、わかりませんが、
覚悟は必要みたいですね。


さて、今日は久しぶりのクロッキー教室。
そして、人生初のモデル体験。
爆笑を誘いながら、皆さんに描いて頂きました。
照れますねえ。でも、うれしい。
皆さん、愛をもって描いてくださいました。


その中で話に出た、言葉と音楽とそして、絵で神様を賛美するパフォーマンスのビデオ。


すばらしいです。






本当に神様が与えてくださったすべてをもって賛美ですね。


3年前にアップされたビデオですが、300万回以上再生されています。


さて、7月12日日曜日、哀歌の最後の日です。
哀歌の5:11-22を読みました。


「 主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。」21節。

結局そこですよね。
わたしたちが神様の許に帰る。
神様と共に歩む、
それがわたしたちの望み。
そして、それがわたしたちが一番わたしたちらしい瞬間。

神と共に歩む喜びに生かして頂きたいです。

日曜日の朝に読んだので、
礼拝のことを覚えて祈りました。
本当に主のもとに集う、主の許に帰る、
そんな礼拝となりますようにと。

そして、それが毎日の歩みになりますように。
そして、今度の日曜日の礼拝も、
そのことを実感するときとならせてください。

主よ、
どうか、あなたと共に歩ませてください。
あなたの元でホッと休ませてください。

2009-07-14

進出。

今日も朝は寒かったです。
長袖を着ても、外は寒いくらい。
昼間は夏らしい日でしたが、
夜になってまた冷えてきました。
今は11時前で19度。
明日の朝はまた10度台前半です。


そして、また昼間は晴れて、気持ちのいい晴れの日です。


今日、Fort LeeのNJ日米協会を使わせて頂いて、
聖書の学びのクラスをスタートしました。
予想を遙かに超える13名の方々が集って、
とても楽しい一時を持ちました。


今、NJの日本人人口は地域的に、
おそらく2つの集中している地域があって、
一つは、我が家のあたり。
日本語補習校もあり、
交通の便も便利。
でも、やはり車がないと生活出来ない。


もう一つはGeorge Washington Bridgeから南に広がる川沿いの地域。
MITSUWAという日本のスーパーもあり、
最近の建設ラッシュで、新しいこぎれいなコンドミニアムが並んでいる。


今回、集会をした日米協会は、後者の方にすむ人たちにとっては、
とてもいいところ。
車を運転しない人たちや、Highwayの運転はむり、という人も来ることができる。


だから、新しい方々も来られましたが、
それと共に、いつも教会に来られている方々のうちで、
そちら方面の人たちのうれしそうな顔を見て、
本当に良かったなあ、と思いました。


教会は前者の地域。
この両者は車で15分しか離れていないのですが、
人によっては心理的距離はもっとあるでしょうね。


この道を開いてくださった神様に感謝。
もっともっと主がこの地域の方々に福音を語らせてくださいますように。


「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」イザヤ54:2。


さて、7月11日(土)の聖書。哀歌5章1-10節。


「私たちの先祖は罪を犯しました。」7節。

先祖の罪を認める著者。
そこに自分が連なっていることを告白しています。

「私が悪かったわけではない」
そのように逃げたいのがわたしたちの常です。
「私は未だ生まれていなかった」
「先祖が勝手にやったことだ」と言いたい。
逆に告発することの方が簡単でしょう。

でも、そこに自分が連なる。
自分の罪として悔い改める。
自己保身に走らない。
そんな潔さ。
そんな気持ちをもって歩みたいと思わされました。

主よ、
私は連帯責任を負うことから逃げたい者です。
でも、そこに勇気と真実をもって、
連なることを恐れない者としてください。
先輩の罪、仲間の罪を、自分も負う勇気を与えてください。
いや、自分も状況さえ整えば、同じ罪を犯す弱さを持った者であることを、
自覚させてください。




2009-07-13

サービスは大切。

去年、10年ぶりくらいにりんご社製品を使い始めて、
今日、初めて、サービスを利用したのですが、
とてもいいですね。


いや、Dellのサービスもいいですし、(特にチャット)
KmartやShopriteやHomedepotや、いろんなところのサービスカウンターや、
サービスセンターにお世話になっていますが、
今日はりんごストアで、10か月OLDの愛機を、
新品に交換して頂きました。


1ヶ月ほど前に、iPhoneの一番下のコネクターの裏に長さ1センチ足らずのひびを発見。
そういえば、ちょっと前から、コネクターの決まりが緩いような気がしていたのでした。


で、ネット上で調べたら、そういう症状がよくあって、
その場合、保証期間内だと、新品に代えてもらえる、
という記述もあり、(いや、私は何も保証しません、念のため)
今日、アポイントを取って行ってきました。
そしたら、両腕と肩にバリバリ入れ墨を入れているお姉ちゃんが、
OK、と簡単に無料交換に応じてくれました。
(念のために、水に濡れると反応するセンサーの色が変わっていないか、チェックはしていました)
ついでに、最近、断線しそうになっていた、コネクター用のケーブルの方も無料交換。
9月に1年の保証が切れるので、ぼやぼやしていると、時間切れアウト、もあるかと思って、
時間ができたときに、相談しに行ってよかったです。


細かいことを気にする人間ではないので、
別にひびが入っていてもそれほど支障があるわけではないのですが、
1年近く使っていると電池が弱くなってきています。
ですから、ここで交換してもらえるのは、すごく助かります。
今度のヤツのバッテリーがへたってくる、
来年の今頃には、また次のモデルに切り替わっているでしょうから、
そこまでもってくれればよし、ということで。


そして、帰って、データの復元をしたのですが、
ちょっと手間取り、またものすごい時間がかかっていましたが、無事終了。
ほとんど、今まで使っていたヤツと同じ環境が復元されていました。
これはまたすごい、と思いました。


私はいつもDisneyには感心するのですが、
りんご社のサービスもかな~りのものです。はい。


サービスは大切。
どんなに安く売っても、どんなにたくさん売っても、
いざというときに相談に乗ってくれない、
何もしてくれない、相談に行ったら嫌な気持ちになってしまう、
そんな、ことでは、お客さんはつながらないですよね。


そして、この会社のやり方は、普通の人が使うコンピューターのメーカーとしては、
特別なビジネスモデルですよね。
他のメーカーはWindowsという他の会社が作った共通のOSを走らせるが故に、
自由はいろいろ多い。私なんかでも、いろんな部品を集めて、一つの機械を作れる。
でも、トラブルが起ったときに、どこの責任がよくわからない。


でも、このりんご社製品は、ソフトもハードも両方作り、
そして、その使用条件も厳しくコントロールしている。
だから、トラブルが起ったときに、すべての責任を自分で負う。その潔さがある。


自分の働きのためにも、大切なことを学ばされたように感じました。
自分が責任を負いたくないが故に自由を与えている、ということがないだろうか、
本気でトラブルが起ったときに、その責任を負う準備ができているだろうか、
それほど、真剣に日々の歩みを歩んでいるだろうか、それを思わされました。


さて、今日2回目。
7/10金曜日の聖書。哀歌4:11-22でした。


「私たちの鼻の息である者、主に油そそがれた者までも、彼らの落とし穴で捕らえられた。『この者のおかげで、諸国の民の中でも私たちは生きのびる』と私たちが言った者なのに。」20節。

当てにしていた人、
あの人がいるから大丈夫、と思っていた人が、
穴に陥る、ということがある。

本当に主を信頼することの大切さを思わされます。
人を当てにして、
人に期待して、
あの人がいる限り、何とかなる。
あの人だけは助けてくれる、
そんな思いにとらわれたときは本当に気をつけなければ、
と思います。

人を信じることももちろんすばらしいこと。
でも、もしも人がいなくても主がいるから大丈夫、
人の背後には主がおられて、導いてくださっている、
そのように主を信頼して歩んでいこう。

主よ、
あなたが私を支えてくださる方であることに感謝します。
人ではありません。あなたです。
あなたが私を支えてくださっているから、
私は生きているのです。
どうか、人を信じるときにも、その人の背後におられるあなたご自身を見つめていくことができますように。



父娘水いらず。

今朝はまた冷えましたねえ。
12度くらいまで下がりました。
寒いくらいでした。
でも、昼間はいい天気になって、
またまたさわやかな夏の一日。


夕方からまた涼しくなってきました。
明日の朝も、冷え込みそうです。


ひさ~しぶりの休日。
今年はJuly 4thも土曜日でしたし、
2週間キャンプが続きましたから、
3週間ぶり。


ということで、昨日のうちから、
子供たちに(のんちは仕事DAY・・・)、
「明日は何がしたい?たとえば・・・blueberry pickingとか・・・」
誘導尋問で聞いてきたのですが、
一番下の娘だけが乗ってきたので、
キャンプ疲れの残る高校生は家に残して、
父娘水入らずで行って参りました。


いろいろ調べて、北の方に1時間あまり走ったところにある、
Hodgson's Farm & Garden Center 
に行ってきました。



今シーズン真っ盛りで、
たわわに実っています。
ほんと、「たわわ」って感じ。
ちなみに入園無料。
1パウンド(450グラムくらい)で、3ドルです。


味見は自由です。
昼頃に着いたので、
気持ち悪くなるくらい食べました。

この子の顔はほんとに「ハジそっくり」です。
「ハジ子」と呼んだりします。
自分でも、「ハジのまね」と、顔を突き出します。
なにもしなくても、そっくりなことを自分でも自覚しているようです。


子どもの時に、兄弟の中で一人だけ連れて行ってもらった経験、
親父にどこかに連れて行ってもらった思い出は、残っています。
だから、今年の夏休み、あんまりできないのではありますが、
子供たち一人一人と、「特別な時間」を作りたいな、と思わされています。
でも、可能性のある月曜日もあと4回かな。
一回一回大切に過ごしたいと思いました。


さて、7月9日木曜日の聖書。
7/9は哀歌の4:1-10。


「乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、幼子たちがパンを求めても、それを裂いて彼らにやる者もない。」4節。

こんなことがあるのだろうかということが、
ここには書かれています。
でも、限界状況を経験したことのない私には想像出来ないようなことが、
限界状況では起るのだろうと思います。

自分は根本的に、人の善意を信じたい方です。
でも、そう楽観的に、無邪気に言ってはいられない、
というのが現実なのでしょう。

人の愛の限界、人の愚かさを思わされました。
そしてそれは自分もそう。

ただただ、主の憐れみを慕うのみです。

主よ、
人の愛の限界を忘れることがありませんように。
そして、あなたの愛を見上げ、信じる者とならせてください。
あなたの真実を、信頼しています。

2009-07-12

みっどらいふくらいしす・・・そのご。

今朝、起きたときは、空がどんよりしていましたが、
今、8時半ですが、スカッと晴れています。
行楽礼拝日和です。


気温はソコソコ上がると思いますが、
湿度はそれほど高くなく、さわやかな夏の日になりそうです。(^^)


今年の2月にみっどらいふくらいしすのこと書きましたが、
・・・2/22の記事2/23日の記事・・・
40歳を過ぎた頃から、自分の人生は今までの人生の延長の上にあると思ってきました。
それまでの全能感、そうですね、
「がんばれば何でもできる・・・」みたいな、
「ホントのオレはこんなもんじゃない」みたいな、
そんな感覚から、「自分の人生を受け入れる」みたいな感覚に移ってきたんですね。


でも、またここのところ、何だか、新しいことが起るような、
ワクワク感が生まれてきました。
昨日も書いたように、新しいことに挑戦しようかとか、
神様はどんなことをしてくださるんだろうかとか、
そんな感じがあります。
特別に目が開かれるような経験があったわけではありません。
でも、いろんなことを通して、主が語ってくださっていると思います。
このブログもそうですし、弟子訓練のプログラムもそうですし、
「日々のみことば」もそうです。


もちろん、これで、あっさり、「みっどらいふ・・・」を超えたわけではないと思います。
盛り上がったり、盛り下がったり、いろんなところを通ると思います。
いや、それどころか、これからが本番で、私は今入り口にいるのかもしれません。


でも、ここ数年の中で、このワクワク感は不思議な感覚です。
そして、この先も、主が守り支えてくださることを、安心して信頼出来ます。



先の事どもを思い出すな。
昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しい事をする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。
確かに、わたしは荒野に道を、
荒地に川を設ける。

(イザヤ43章18-19節)

ただただ、主に感謝。

さて、7月8日(水)の聖書。
7月8日は哀歌3:55-66。

私があなたに呼ばわるとき、あなたは近づいて、『恐れるな』と仰せられました。」57節。

主が近づかれる。

主はいつも共におられる、という感じがある。
でも、この聖書の箇所を読むと、
主が近づかれるとあるから、逆を読むと、主が遠ざかれるときもある、ということだろうか。

この著者が、そう勘違いしているのか、
それとも、私が勘違いしているのか・・・。

主がいつも共にいてくださる、それは確か。
でも、その神様との距離は近づいたり、遠ざかったりするのだろうか。
今の自分はどうだろうか?

私の方が神様のことを忘れて、
他のことに心を奪われてしまうことはないだろうか?

でも、わたしたちが神様に目を向けるときに、
神様に叫ぶときに、
主が近づいてくださる。
そして語ってくださる。

「恐れるな」と。

今日も恐れないで歩もう。
恐れが湧いてきたときには、
また主に目を留めよう。
主に向かおう。
主に叫ぼう。
そして、主に語って頂こう。

主よ、
私がどんな気持ちの時にも、
あなたは共にいてくださることに感謝します。
主よ、
どうか、今日も、私をあらゆる恐れから守ってください。
そして、必要な助けを与えてください。

あなたがしてくださる新しいことに感謝し、期待します。

2009-07-11

Fellowshipの喜び。

夜の11時過ぎです。
先ほどから予報通りに雷鳴が聞こえています。
雨も降ってきました。


でも、明日は雨もすっかり上がって、夏の日になるようです。


今日の午後は、ある方のお宅にお伺いして、
しばらくFellowshipの一時。
最後は讃美歌で終わるというとてもいいFellowshipでした。


でも一緒に食事をして、
その後ピアノを聞いて、それから、みんなで賛美なんて、
かきごおり的には夢のようです。
高校の時にピアノが弾けるスポーツマンとか、羨ましく思いましたし、
家族でピアノの周りに集って、娘が弾くピアノで、家族が讃美歌を歌う、とか、
めちゃくちゃあこがれましたが、今日は、ちょっと娘に期待しよう、
というよりも、50の手習いで(未だ早い)、ピアノをやろうかなあ、と半マジで思いました。


最近、ピアノだけじゃなく、
英語をもっとちゃんと話せるようになろう、
コンピューターのプログラムの勉強をしよう、
いやいや、牧師なんだから、もっとすらすらとギリシャ語、ヘブル語が読めるようになろう。
いや、弟子訓練の勉強をもっとしよう、とか、
なんだか、わき出てきてしまっています。
ちゃんと優先順位を決めて、できないことはあきらめる、勇気が必要ですね。
与えられた限られた時間を何に使うか、ちょっと楽しみです。


そして、夜には明日の礼拝説教をしてくださる先生とのFellowship。
アジアに広く目を向けておられる先生のお話は、
とても興味深いものでした。


明日の礼拝がまた楽しみです。


さて、7月7日(火)の聖書。
7/7は哀歌3:40-54。


「私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」41節。

手も心も・・・ということは、
手だけになってしまう・・・形だけ。
心だけになってしまう・・・ホントは何もしてない。
ということの両方に陥らないようにする、ということ。

形だけの礼拝、ただ、形だけ、手を挙げて主に祈っている、主を賛美していることの愚かさをも感じます。でも、反対に、「気持ちはあるんですけど・・・」って言い訳は、例外もあるでしょうが、ほとんどは、気持ちがないことの証拠。気持ちがあるならば、どうしても形に表せないということもあるでしょうが、でも、多くの場合、当然、形に表れてくるべき。当然形に表れる。

だから、本当に言葉だけではなく、
また形だけではなく、
そして、心だけではなく、
具体的に、
主を礼拝し、主を賛美し、主にささげて歩んでいくことの大切さを思わされます。

主よ、
あなたへの礼拝が、
明日のJCCNJの礼拝が、
心からあなたをあがめるものとなりますように。
心からあなたを賛美するものとなりますように。
心も、そして形も、両方とも、主に向かいますように。
明日、この聖書の箇所を思い出させてください。





イエスはパンくずも集められたから・・・。

今日は昨日までよりはちょっと夏らしいでしょうか?
今は午後1時過ぎですが、外は29度。
夜には雷雨の予報ですが、
今、雷雲はペンシルベニア州の一番西の方。
昼間の間は持ちそうです。


土曜日の午前中にほぼ毎週ある「弟子訓練」の集まりがお休みで、
JOYJOYシンガーズも7-8月はお休みで、
明日の礼拝はゲストの先生で・・・ということで、
朝7時半にタイヤ交換に行った後は、
皆さんに連絡をしたり、
いろいろたまっていることをぼちぼち片づけたりしております。


一ヶ月ほど前になるんですが、
1年2ヶ月ぶりに小銭貯金箱がいっぱいになりました。
1年2ヶ月前の記事はこちら。


で、今回もまた会堂献金だ、と思って、小銭を数える機械にもってきました。
あんなに重かったのに、本当に小さな小さな金額でした。


前も書きましたが、
何だか余り物をささげているようで、
ちょっと違うのかなあ、と思いつつ、
でも、5つのパンと2匹の魚で5000人の人々を養われた主は、
少しでも無駄にしないようにとパンくずを集められた、と聖書は記しています。


いろんなささげものがある。


もちろん、いつもいつも最高のものを、まず最初に、
主のもとにもっていくことが大切だと思う。


でも、それと共に、主が示されたときに、主が示されたものを、
それが小さいからって、怖じけることなく、恥ずかしがらず、
もっていくことの大切さを思う。


そして、何よりも大切なのは喜び。
ささげることができる、そこまで与えられているって感謝すべきことですよね。
主にささげることのできる喜びを心から感じながら。


さて、7月5日(日)の聖書。
7/5は哀歌3:1-18でした。


「私は主の激しい怒りのむちを受けて悩みに会った者。」1節。

私が使っている「日々のみことば」には、
「創造主はどのようなお方ですか」という質問に毎日答える欄があります。

5日のところ、それを書いていたら、

怒りのむちを与える
闇を歩ませる
攻める
骨を砕く
苦みと苦難を与える
囲いに入れる
通り道をふさぐ
矢で腎臓を射る

などが出てきました。

怖いなあと思いました。
闇の中を歩まされていることを感じました。

でも・・・

次の7/6(月)は哀歌3:19-39。


「主の救いを黙って待つのは良い。」26節。
「主は、いつまでも見放してはおられない。」31節。
「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」33節。

18節までをずっと思いめぐらし、その闇の中を歩まされることの意味を思いめぐらした後であったからこそ、この御言葉が心に深く深く響いてきました。ものすごい、励ましになり、ああ、「主の救いを黙って待っていよう」という思いが湧いてきました。

主の救いを待とう。
騒がず、静かに主がなしてくださることを待ち望もう。

主よ、
あなたを待ち望みます。
あなたが私に苦しみを味わわせられるときに、
それはあなたのお考えがあることを信頼します。
そして、あなたを待ち望みます。
あなたの救いに感謝します。



2009-07-10

無事に帰着。

今日もさわやかな気持ちのいい一日でした。
明日はちょっと久しぶりの雨。
ずっと雨が続いたので、まだまだ晴れてくれても大丈夫なんですが、
3日おきの雨、くらいがちょうどいいです。

そんないい天気にも守られて、
ユースのキャンプが無事終わりました。
とてもすばらしい一時だったようです。

神様が続けて一人一人の心に語り続けてくださいますように。

ところで、今日は朝9時に出発してLancasterのキャンプ場まで迎えに出ました。
そして、帰宅は6時半。

全部で9時間半だったのですが、どうしてそんなに時間がかかったのかというと、
子供たちがお互い名残惜しくてなかなか出発出来なかったことと、
もう一つ、ちょっとした出来事が・・・。

この写真、わかります?

問題の部分だけを拡大してみると・・・。


はい、スペアタイヤです。
車の大きさに比べてやたら小さいです。
下は取り替えたタイヤ。


帰り道、7人の子供たちと、
その一人4泊分+寝袋という大荷物を満載して走っていたら、
半分くらい走って、高速道路に入ったところで、
何だか大きな音が・・・。


「ああ、これ、周りの他の車じゃなくて、この車から出ているよねえ・・・」
と言うことで路肩に寄って止ってみたら、後の右側のタイヤがパンクしていました。


早速スペアタイヤを引っ張り出して・・・と思ったら、
これがなかなか出てこない。後ろの方の車体の下に取り付けられているので、
冬の融雪剤等のおかげで、金具がさびているようで動かない。


車の下に潜り込んで何とか外そうとしますが、
ここで、お約束の「マフラーに触れてやけどする」ということもやってしまいます。
親子で・・・ハイ。


ちょうどそんな悪戦苦闘をしている時に、
故障車のヘルプのためにパトロールしている人がやってきて、
助けてくださいました。
本格的な工具で、piece of cakeって感じでやってくださいました。


その方も、そのスペアタイヤを取り出すのには苦労しておられましたが・・・。


「このタイヤじゃ50マイルだね。それ以上出して、このタイヤがダメになっちゃったら、目も当てられないからねえ・・・」とおっさんに言われ(もちろん、英語・・・意訳)、その後2時間はみんな70マイルくらい出すところを、50マイルでちんたらちんたら・・・。でも、祈られていたのでしょう。守られました。無事、うちに着いたときには心から感謝しました。


明日、タイヤ交換、いってきます。


また本題以外のことで長くなってしまいましたね。
でも、本当に守られて感謝。

では、先週土曜日、7/4の聖書。


7/4は哀歌2:11-22。


「あなたの預言者たちは、あなたのために、むなしい、ごまかしばかりを預言して、あなたの繁栄を元どおりにするために、あなたの咎をあばこうともせず、あなたのために、むなしい、人を惑わすことばを預言した。」14節。

誰かの罪を指摘するのは楽なことではない。
できるなら避けたい。というか、逃げたい。

「あなたは私を裁くのか?」と言われ、
「あの人は人を裁いている」と言われ、
雰囲気も難しくなり、人間関係もぎくしゃくする。
空気はぴりぴり、関係はぎすぎす。

もちろん、そういうときばかりではありません。
本当に神様が働いてくださった、勇気を出してはっきりと言って良かった、
そんな場面もありました。

でも、どちらかというと、うまくいかないことが多いです。

でも、たとえそうであったとしても、
たとえうまくいかなかったとしても、
恐れないで、使命を果たす者でありたいと思います。

主よ、
預言者の働きをさせてください。
あなたの使命を果たさせてください。
罪を罪としてはっきりと語る勇気と確信を与えてください。
第一とすべきものを第一とさせてください。










2009-07-09

待った待った。

今日もまた涼しかったです。
朝はお約束の14度。
昼間も25度までいきませんでした。
そして、夜になってまた冷えてきて、
今、夜の11時半頃ですが、
もう既に16度まで下がっています。
明日の朝はお約束の14度を下回って、12度くらいまで下がるでしょうか。
もう秋みたいですねえ。


さて、今日は夕方5時に出てNYへ。
でも、バスが来ない来ない。
1時間以上待って、6時25分にやっとバスが来ました。
それも2台まとめて。
2台もいらないよ~、と思っていたのですが、
でも、2台で抜きつ抜かれつで、バス停を一個交代で止まるので、
結構早くつきました。
NYについたのは、7時20分過ぎ。
いつもは5時20分のバスで、7時15分前くらいに着くので、
それを考えると、まあ、早く着いたかな、という感じでしたが、
まあ、長く待たされました。1時間以上とは参りました。


でも、NYからJCCNJに通っておられる方の中には、
それと似たような経験をした方々もおられます。
それも、冬の寒い中。
一人一人が教会を愛し、主を愛しておられる姿に励まされます。


帰りは10時20分のバスで、教会に着いたのが30分後。
さすがに夜は早いです。


さて、明日は往復6時間の運転なので、早く休むようにします。


ということで、7月3日(金)の聖書。
7月3日は、哀歌2:1-10


「預言者にも、主からの幻がない。」9節。

預言者に幻が与えられなかったら、何が残るのだろうか?
預言者に必要なのは豊富な聖書知識ではなくて、
神からの語りかけ。
私自身の働きもそうだ。
もちろん、聖書を誰よりもよく知っていることの大切さも思わされる。
でも、それだけではダメだ。
主からの語りかけを頂いていく、ということが、
今の私の働きのために必要なことだ。
単なる知識、単なる聖書知識ではない。

「主を畏れることが知識のはじめである」
との箴言の言葉をもう一度思い出す。

主よ、
今日も私に語ってください。
あなたのみ声を聞きながら歩ませてください。
あなたが私に語ってください。
そして、語られた喜びと感謝をもって、
あなたと共に歩ませてください。

2009-07-08

母語。

今日はいい天気でした。
でも、7月とは思えない朝晩の涼しさです。
今朝も14度くらい。
今も夜の11時前ですが、18.5度。
明日の朝も14度の予報です。


明日もカラッとよく晴れそうです。


昨日はLancasterの帰りに、
Philadelphia郊外に引っ越された方をご訪問。
Assisted Living Homeに住んでおられるので、
いつもは英語の環境です。


ですから、日本語で話せる一時はどんなに幸いなことでしょう。
自分もそうですからねえ。
英語もコミュニケーションができないわけではないですが、
やっぱり、自由だったり、ほっとするのは、母語。


ちなみに「母語」ってのは「母国語」を間違って書いているんじゃないですよ。
一つの国に一つの言葉だなんて考えるのは偏見です。
一つの国の中でも生まれ育った言葉が違う場合がある。
だから「母国語」じゃなくて、「母語」です。
英語でも「mother tongue」でしょ。
直訳して「母舌」じゃなくて「母語」です。


でも、その母語で、
満州からの引き上げの時の混乱の様子とか
アメリカに来られて、どんな思いで歩んでこられたかとか、
今、どんなことを感じる、とか、
お話を伺って、大切なことを聞いたなあ、と思います。
特に前の戦争の話は、これからますます貴重になってくる生き証人です。


お伺い出来ることはどこまでもお伺いして起きたい、そう思いました。


うちに着いてから、「先生、時計忘れましたよ」とお電話が・・・。


8月のハジのアトランタ行の時に、お寄りすること決定!
ま、通り道ですよね。


さて、7月2日(木)の聖書。
7/2は哀歌1:12-22。


「私が逆らい続けたからです。」20節。

主の裁きを見ながら、エレミヤは背いた人々のことを責めるだけではなくて、
それを自分の罪として受け取った。
ただ、自分だけを正しい者とするのではなくて、
それを預言者である自分の罪として受け取った。

私はどうだろうかと思わされた。
子どもの頃から、何度、自分の責任を認めないで、
逃げてきたことだろうか。

それを大人になってもしてこなかっただろうか。
人の罪も、自分の罪として負う。
自分の罪として責任を認める。
そのような大きさ、そのような強さ、そのような愛を、
与えて頂きたいと思いました。

主よ、
私は何と愛のない者でしょうか?
何と逃げる姿勢の強い人間でしょうか?
逃げないで、人の罪さえも背負う強さ、
大きさを与えてください。

2009-07-07

17年。

今日は午後から雷雨。
でも、たいしたことなかったところも多かったようです。
でも、今頃(夜11時)になって、また雷雲が近づいてきました。


雷雨警報が出ています。


明日はまたスカッと晴れそうです。
いいですね、昼間はそこそこ暑くなって、
でも、朝晩は涼しいって。


このまま猛暑にならないで快適な夏が続いてほしいです。


ずっと、今日だと思っていたのですが、
実は昨日、アメリカに来て17年がたちました。
18年目に突入。


いやあ、いろいろあったような気もするし、
あっという間だったような気もします。
とにかく抱っこして入ったハジが大学行くわけですから、
やっぱりいろいろあったのでしょう。


思いがけず長くなってしまいました。
人生何があるかわかりませんね。


でも、ここまで守られたことに感謝。

今、Lancasterのキャンプ場では、
ユースのキャンプが続いています。
私は今日の昼前に出てきましたが、
熱い先生と、スタッフの皆さんに迎えられて、
本当にこの中高生たちは幸せだと思います。


金曜日まで続きます。
祈って支えてください。


雷が聞こえてきました。
雷雲の本体は北をかすっていきそうです。


一週間分たまってしまいましたね。
さて、先週の水曜日、7月1日の聖書。
7月1日から哀歌です。


哀歌1:1-11を読みました。
「彼女の愛する者は、だれも慰めてくれない。その友もみな彼女を裏切り、彼女の敵となってしまった。」2節。

エルサレムの陥落の様子を嘆いている詩です。
周りの国々を当てにし、頼りにしていたのに、
いざとなったとき、すべての国々が裏切り、敵になったのです。

私も何を頼りにしているだろうかと問われます。
人を頼りにしていることがどれだけあるだろうか。
本当に頼りにすべきなのは神様なのに、
神様だけを頼りにすべきなのに、
それ以外のものを頼りにしていることがどれだけあるでしょうか?

もちろん、人も信じたい。
でも、頼りにするのは、本当に頼りにするのは、

神様。

主を見上げて、歩んで行こうと思いました。

主よ、
あなたを信頼して歩みます。
その中で、あなたが与えてくださる仲間、人々、
信じる心を育ててください。
いつもいつもあなたを中心として歩むことができますように。
17年の歩みを感謝します。
これからの道もあなたが支えてください。

2009-07-05

かぎや~

これはイチゴかい?

ああ、今日も遅くなってしまいましたが、
まあ、1回分は更新しておきましょう。
6月30日(火)の聖書。


出エジプト記の最後40章17-38節


「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。」36-37節。

主の導きにどこまでもついていく。
進むべきときに進むのも、勇気がいることがあるだろうけれども、
気がせいているときに、どうしても雲が上らないときは、
どんな思いだっただろうかと思う。

でも、それも含めて、主に従っていく、
そこに私たちは招かれている。

とどまることのほうが勇気がいることがどれほどあるだろうか。
ただ、主に従って歩んでいくものでありたい。

主よ、
私にも見せてください。
雲の柱と火の柱。
そして、進むべきときも、
とどまるべきときも、
見分けることができますように。


明日は中高生をキャンプ場まで連れて行って、
一泊して、火曜日の朝にメッセージ。
その後、お一人、ご訪問して、
夕方には帰ってきます。
中高生はそのまま金曜日まで。
うちの中高生どもも、金曜日まで留守。
ちょっとゆっくりすごせるでしょうか・・・。

たまや〜

時間が進んでいたので、近くには近づけず、
何年ぶりかに、遠くから見ました。
今年はちょっと不景気の影響もあり、
おとなしめだったように思います。