2007-12-22
闇と光
昨日は一日どんよりした天気で、
気温も1度から2度くらいをうろうろ・・・。
今朝も1度です。
今日はもう少し暖かくなるようですが、
やはりどんよりした一日のようです。
そして明日の日曜日は雨。
今回は雪の心配は全くありません。
でも、雷が鳴るかもしれないようです。
クリスマスが近づくにつれて、
クリスマスの意味をいろいろ考えさせられます。
その中でここ2-3日思わされているのは、
「いつから、クリスマスは『幸せ』な人の祭りになったんだろうか」
ということです。
今朝、読んでいたインタビューの中で、
三浦綾子さんのご主人の光世さんが、こんな話をしておられました。
三浦家では40年以上、子供クリスマス会をして来られたそうです。
(その記事は5年くらい前のでしたので、今はどうされているかわかりませんが)
綾子さんが亡くなった年、1999年のことです。
10月になくなられたのですが、
「今年は子供クリスマス会はしませんよね、あんなことがあったから」
と言ってくださった方がおられるそうです。
もちろん、その方は光世さんを心配して言われたのだと思いますが、
やはり、身内に不幸があると、新年の挨拶と同じで、
クリスマスの祝いもするもんじゃないという感覚が
私たちのうちにあるかもしれません。
でも、イエスは平和な、家族がみんな元気な、
「幸せな」人たちに歓迎されるために、
来られたのではありませんでした。
暗闇に輝く光として来られたのでした。
そんなことを考えていると、教会のあり方も、
問われているように感じます。
痛みや悲しみの中にいる方々に届くクリスマスとなりますように。
ちなみに、光世さんはその年もクリスマス会をされさそうです・・・。
さて、昨日の聖書。
昨日はテトスの手紙2章11-15節でした。
「良いわざに熱心なご自分の民」14節。
イエスがこの世に来られたのは、
私たちを救うためだったけれども、
私たちが救われた後も、好き勝手に生きるためではなくて、
「良いわざに熱心な者」として生きるために、
来られたのだと、
もう一度思わされました。
そして、自分はそうだろうかと・・・。
良いわざに「熱心」だろうかと思わされます。
「縁があれば・・・」「出会いがあれば・・・」
そして、
「時間があれば・・・」と。
「熱心」とはほど遠いように思います。
行いよりも信仰だと、私たちは言います。
「私は良いわざをしている」と、
傲慢になってはいけないと思います。
「いい子」になってはいけないと思います。
でも、それが良いわざに熱心であることを
妨げてはいけないと思いました。
そして言い訳に使ってもいけないと・・・。
主よ、
あなたが私たちの所に来てくださって、
ありがとうございます。
あなたの愛を味わって、
熱い思いを持って、
人々の所に行くことができますように。
出会いを見つけ、
機会を見つけ、
時間を見つけて、
良いわざに熱心な者とならせてください。
2007-12-21
また明日。
たくさんの初めて会う方も来られて、
良かったです。
で、明日の朝、ちゃんと起きたいので、
今日はもう休みます。
アドベント期間中、「翌朝に・・・」はなかったと思うのですが、
明日の朝、ゆっくり書こうと思います。
ではでは~。
2007-12-20
祈られていること
でも、またこれくらいの温度が、つるつる滑るんですよね。
昨日の夜ちょっと降った雨が凍って、つるつるしているところがたくさんありました。
昼間は7度くらいまで行ったでしょうか。
ほんと、だんだん寒さはゆるんでいますが、
それでも、底冷えのする一日でした。
今は夜の11時半ですが、1度です。
明日の朝は-2度くらいでしょうか。
「寒さがゆるむ」のも一段落。
風はないですが、昼間も2度くらいの寒い一日になるようです。
クリスマスがあと5日に迫ってきて、
クリスマスカードやレターが届くのですが
また自分たちも住所録の整理をしています。
普段、ちゃんとやってればいいのですが、
毎年、この時に「・・・この人引っ越したよねえ」「結婚したんじゃなかったっけ」と、
一生懸命Eメールの山を探して、「ああ、そうだった、そうだった」という再発見があります。
そんな風にして、クリスマスのお便りだけではなくて、
一年間のいろんな方々のお便りやEmailをもう一度読む中で、
多くの方々に自分は祈られているんだ、
NJの教会は祈られているんだ、と感じます。
忘れているんですよね。普段は。
でも、本当に多くの方々が愛してくださって、
祈ってくださって、
それで守られている教会であり、
自分なんだと思います。
普段も、忘れないでいたいと思いました。
いつの間にか、自分のがんばりとか、
自分の努力や能力とか、
そんなものでやってきている様なつもりになっていることが、
どれだけあるだろうかと。
とにかく、感謝。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙8章1-15節を読みました。
「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」
9節の言葉です。
この言葉を思いめぐらしている中で、
イエスが言われた、「富んでいる者が神の国にはいるのはなんと難しいことか」という言葉と、
それに対して「じゃあ、誰が救われるのでしょう?」と驚いた弟子たちに対して、
「神には何でもできる」というイエスの答えが心に浮かんできました。
まさにイエスが自分を与えられたことも、
また「なんと難しいことか」と言わなければいけないことだったのだと思わされたのです。
イエスが富んでおられたのに、つまり天国で富んでおられたのに、
私たちのために人となって、貧しさを味わってくださった。
それはとても難しいこと、とてもあり得ないことなんだけれども、
神様には不可能はないんだと、そのことをイエスの生涯全部が語っているのだと、
そう思わされたのです。
神様には不可能はない。
私はこの社会の中では決して「富んでいる」と言うほどではない。
でも、必要はいつも与えられている。
そして、世界全体を見るならば、
やはり、自分は「富んでいる」者なんだろう。
私ももっともっと主の力によって、神の力によって、
貧しい歩みをさせて頂きたいと思わされました。
人の力ではなくて、がんばりではなくて、
主の奇跡によって、主の力によって、
もっともっといろいろなことから解放されて、
自由にされたいと思います。
節約のことばかり考えていて、
そのことに捕らわれてはいけないと思います。
そうではなくて、イエスさまがそのようにされたように、
その足跡を歩みたいのです。
清貧が理想なのではない、と最近の教会ではよく言われます。
でも、本当に必要なものは決して多くない、
そのように思わされました。
主よ、
あなたは私たちのために貧しくなって下さいました。
それは神であるあなたが人となり
人から侮辱され、ののしられて、
捨てられたことの中に表されています。
私はそのような歩みに耐えられるのか、
全く自信はありません。
ですから、あなたの奇跡が必要です。
物も、プライドもささげる勇気を下さい。
あなたの奇跡で生かしてください。
捨てる自由、ささげる自由を与えてください。
2007-12-19
車の中で凍えた
朝は-2度くらい。
昼間は5度くらいまで上がりました。
今、夜の12時前で0.6度あります。
明日の朝は0度くらい。
週末に向けて、どんどん寒さはゆるみそうです。
大歓迎。
で、今日は夜NYで集会があって行ってきたのですが、
なんだか、車がおかしい。
とにかく寒い。
いつも車で動いているので、
スーツを着たら、もうオーバーも持たないで、車に乗って、
目的地に着いたら、そのまま走って建物の中に入るという生活をしています。
でも、今日はもしかしたら、近くに車を止められないかもしれない、と、
出かける間際になって、オーバーとマフラーを手に取って、車の中に積み込みました。
それが正解。
というか、もしも、これを持ってきていなかったらどうなっていただろうと思うとゾッとします。
とにかくヒーターを入れても全然暖かくならない。
エアコンを入れても涼しくならない・・・だったらまだわかるのですが、
ヒーターを入れても暖かくならないのは初体験。
でも、なんだか早く走ると暖かくなってくる。
たぶん、ラジエーターのファンが回っていないんですねえ。
で、渋滞にはまって、ノロノロ走っていると、
車の中は寒くなってくる+ラジエーターの水温が上がってくる。
走り始めるとラジエーターの水温がみるみる下がる+車の中が暖かくなる。
ということで、とにかく、行きが渋滞に次ぐ渋滞で、
凍えながら走りました。
マフラーを巻いてオーバーにくるまって、運転していました。
帰りは最初やっぱりどうなるかと思いましたが、
途中からすいすいになって、暖かくなりました。
明日の朝にでも車やさんに見てもらわなければ・・・と思います。
それから、これからは、冬、車に乗る時は、何かがあっても大丈夫なように、
ちゃんと暖かい格好をしようと思いました。
今の格好じゃあ、パンク一つで凍えてしまいますからね。
さて、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙2章1-11節でした。
「死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
8節。
徹底的に父なる神に従った、イエスの姿を見ました。
主に従うことが難しいこともあります。
でも、従わないでいるのは、つらいです。
自分は人とうまくやっていこうと思う気持ちが
強すぎるように感じることが多いです。
それも、その「うまくやっていこう」というのが、
しばしば、人を思う気持ちではなくて、
自分を守る気持ちだったりするので、また問題です。
本当に主に従う者でありたいと思います。
主を信頼して主に従う者でありたいと思います。
このところずっと、
マリヤの信仰に学ばされています。
ヨセフの理解が与えられたから神様に従ったわけではなかった。
反対に、マリヤが主に従った時に、
ヨセフの理解が与えられた。
でも、マリヤはヨセフを失うことをも覚悟で、主に従った。
結果として、ヨセフは良き理解者となってくれたのだが、
そうなる前にマリヤは神に従ったのだ。
もしも理解されなくても、主に従ったのだ。
主よ、
わたしもあなたに従いたい。
あなたに従って歩みたい。
どうか、マリヤの様な信仰を持って歩めますように。
2007-12-18
国際電話
でも、風がなかったので、
「ぴーんと空気の澄んだ気持ちいい寒さ」でした。
そして、昼間は3度くらいまで上がりました。
おかげでドライブウェーの氷割りはほぼ終わりました。
昨日とは大変さが大違い。
こんなに違うなら、昨日何もしないで休んでいれば良かった、
なんて思ってしまいます。
(なんて考えていると、春まで放っておこうか、って気分になってきます・・・)
あ、ちなみに、あの氷を割るヤツは、
メーカーのサイトを見ると、
"Ice Scraper"になっていますね。
感覚としては「scrape」しているって感じじゃないんだけどねえ。
まあ、いいですけど。
今夜は今10時半ですが、-1度くらい。
そして、明日の朝も-3度くらいでしょう。
ぐっと寒さがゆるみます。
そして、昼間は5度を超えてくれるようです。
氷はどんどん融けてくれることでしょう。
さて、そうやって昼間氷割りに2時間くらい使ったおかげで、
夜、やるべきことがたくさんたまっています。
で、まず電話。
今夜は気になっていた日本の方々何人かに連絡をしました。
でも、今から15年前、日本から来た時は、
ふつうにかけたら、一分間1ドル半くらいしたでしょうか?
そして、プロモーションで安い時間帯とかあって、
「何時から何時まではなんと1分間75セント!」という宣伝があったような。
今、いつかけても一分間4セントとか、5セントですもんね。
Skypeとか使ったら、テレビ電話でもタダでできてしまう。
さっき書いたメールへの返事がすぐ来てしまう。
ちょっと「楽しみに待つ」というのがないのが残念ですがね・・・。
ですから、この季節、クリスマスカードや年賀状を「楽しみに待つ」って感じ、いいですよね。
さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書1章を読みました。
「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。」
20節。
一昨日も書きましたが、
マリヤが従った時に、
神様はヨセフにまで手を回してくださっている。
マリヤがどんなに説明しても、
たぶんヨセフは納得しなかっただろうし、
説得されなかっただろう。
マリヤがどんなに自分の正しさを、
自分の身の潔白を主張しても、
信じてもらえなくて、傷つく一方だっただろうと思う。
だから、神はヨセフに直接語られた、
そして、ヨセフが翌朝、すぐに行動したような、
はっきりとした確信を与えるような仕方で語ってくださった。
この神様を信頼して歩んでいきたいと思いました。
この神様の信じて、
ヨセフにも語ってくださった神様を信頼して、
自分自身が神様に従って歩んでいきたいと思いました。
主よ、
平安と確信を感謝します。
あなたはわたしがあなたに従うことを求めておられることがわかりました。
他の誰かではなくて、
わたし自身があなたに従うことの大切さを教えられました。
従います。
あなたを見上げて歩んでいきます。
導いてください。
2007-12-17
雪割り
風も強くてホント寒かったです。
昼間も1度くらい。
昨日のシャーベットはがちがちに凍って、
今日も余り気温が上がらなかったので、
ぼちぼち雪割り。
凍ってしまった雪を割るための専用の、
なんて言うんでしょうねえ、勝手にice breakerと呼んでいるのですが、
それで検索すると「雰囲気を和ませるために・・・」というのばかり出てきます。
「雪割り」とか「雪割りバール」
「氷割り」とか「アイスピッケル」とか
「スノーカッター」とか、
日本語ではいろいろな呼び方が出てきます。
まあ、ガンガンやってもまだまだ途中なのですが、
握力がなくなったので止めました。
で、コンピューターのキーボードも打ちづらい・・・。
明日の朝はもっと冷え込みそうです。
-6度くらい。
今11時過ぎでもう-3.3度まで下がっています。
昨日はJOYJOYクリスマスがあったので、
帰ってから重いシャーベットをかく元気がなかったですが、
やっぱり降った日にかいておく、これ、鉄則ですよね・・・。
さて、今日の聖書。
今日はルカ1章57-80節。
「すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。」
64節。
ザカリヤは口がきけるようになって最初に出てきた言葉が、賛美だった。
神をほめたたえる言葉だった。
自分はどうだろうかと思わされました。
人は心にあることが口に出てくる。
心を守って頂きたい。
心を聖霊様に満たして頂きたいと思いました。
そして祈りました。
とにかくわたし自身を聖霊様の支配の中に守って頂きたい。
そして、一人、また一人と、聖霊様の支配の中に入れられていく人々を
起こしてください、と祈りました。
私たちの心がどこに向いているか、
自分の心が何に満たされているか、
賛美があふれ、祈りに導かれる日々を過ごしたいと願います。
主よ、
わたしの心があなたへの賛美であふれますように。
わたしの心が聖霊様に満たされますように。
そして、一人、また一人と、聖霊様によって導いてくださいますように。
マリヤのために、ヨセフに夢まで使って語ってくださった主が、
今日も、お一人一人の心にみことばを通して語ってくださいますように。
2007-12-16
教会のクリスマス
大雪になることなく、
道が大変になることなく、
JOYJOYクリスマスが持てました。
帰ってきたら、ドライブウェーはシャーベット状で
グジャグジャでしたが・・・。
とにかく守られて、感謝。
今は夜の10時過ぎですが、
まだ0.8度あります。
明日、ドライブウェーの除雪をすることを考えると、
あんまり冷え込んでほしくないのですが・・・。
さて、今日の礼拝。
中学生以上の人数で80人以上の方々が集まりました。
子供が40人近かったと思いますから、
全部で120人くらいだったでしょうか。
年によっては、礼拝後のJOYJOYクリスマスに間に合うように
来られる方々がほとんど、と言う年もあるのですが、
今年は礼拝から来られる方々が多かったです。
そして、洗礼式。
本当にうれしいですよね。
一人の人が悔い改める時に、
天国ではものすごい歓声が上がっている、と言いますが、
今日も、本当にうれしかったです。
洗礼を受けられたのはご婦人だったのですが、
ご家族で礼拝に来られました。
そして、礼拝後のJOYJOYクリスマスは子供だけで約50人。
自分が子供の頃は、小さな教会堂に100人すし詰めでしたから、
まだまだだなあと思いますが、
JOYJOYキャンプやキッズクラブで会ったことのある子たちを中心に、
たくさんの子供たちが集まってくれて、
そこで中高生たちが、ストレートに福音を伝える劇をやってくれる、
という理想的な展開でした。
自分たちで考えて台本を作って、演出もやって・・・
練習は大人はほとんどノータッチ。
頼りになります。
そして、彼らがやるとまたいいんですね。
子供たちも、親も、またしーんと見ている。
以前、教会学校の子供たちに劇をやってもらったことがありました。
学芸会か、発表会みたいな感じで・・・。
でも、それをやると、ビデオカメラが並ぶんですよねえ。
誰のためにやっているのかなあ、という感じになる。
いまいち子供の声も小さくて、はっきりと聞こえない、と言うこともありました。
でも、ここ3年くらい中高生がやってくれると、
始めてきてくれた子供たちへのメッセージにもなる。
そして、その中には「自分たちも中高生になったら、ああいう風に劇をやるんだ!」と
楽しみになってくる子もいる。
本当のクリスマスの意味は・・・というテーマで、
主人公の二人組が、クリスマスを台無しにしてやろうと、
みんなのたいせつにしているものを盗んでいく、
プレゼントとか、食べ物とか、音楽とか、お店の品物とか・・・
でも、そんなことでクリスマスの喜びは台無しになんかならない。
みんな喜びにあふれている。
なぜならば・・・という展開なのです。
子供たちの心に聖書の言葉が留まって、
芽を出して、実を結びますように。
さあ、今日の聖書です。
今日はルカによる福音書1章39-56節です。
「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
45節。
この「信じきった」という言葉が心に留まりました。
どうしてこういう言葉を訳す人が使ったんだろうか、
「信じた」ではなくて「信じきった」なのだろうかと、
原典を見てみました。
「ピスチューササ」と「アオリスト分詞」が使われています。
アオリストが過去に1回の出来事として起こったこと、を表すので、
マリヤが「だんだん信じられるようになった」とか、「いつの間にか信じていた」とか
「何度も信じる決断をしてきた」ということではなくて、
「決定的な信じる決断をした」ということなのだと思います。
信じるって、ある時はそうなんだと思います。
一つの決断であって、「信じよう、信頼しよう」と決心することなのだと思います。
私たちは信じた後も「やっぱりなあ」と心が揺れてしまうことがあります。
でも、マリヤはここで、本当に主が信頼できる方だと、本当に信じた。
わたしも今朝、そのように主を信じようと思いました。
そして、今日礼拝でお話ししながら、
「マリヤが信じて従った時に、神様はエリサベツを備え、また一番の懸念であっただろうヨセフにも夢で現れるまでしてくださって、道を整えてくださった。」ということに目が開かれました。
わたしもそのように信じて、人の心にも働いて道を備えてくださる主を信頼して、
そう、「たとえそうでなくても」・・・つまりマリヤの立場だったら、ヨセフが信頼してくれなくて、ヨセフを失うことになったとしても・・・主を信頼して歩んでいきたいと思いました。
主よ、
わたしもあなたを信頼します。
マリヤの信頼を持ちたいと思います。
ヨセフの理解を得る前から、
神様を信頼したマリヤの信仰を持ちたいと思います。
どうか、あなたが導いてください。
勇気を与えてください。
氷点下脱出
7時半 -1.7度
という気温の上がり方だったので、
すぐにでも雨になるかと思っていたら、
その後、雪に変わって、
しばらく気温は上がりませんでした。
でも、10時に無事に氷点下脱出。
皆さん無事に教会においでになれますように。
storm峠を越える
正直、朝起きて温度計を見てびっくりしました。
朝にはもう温度が上がっている、と予想されていたのに、
昨日の夜12時よりも下がっていたので・・・。
で、激しくSleetが降っていました。
路面も真っ白。
冒険を楽しみながらアドベントの朝の祈りに教会に行って来ました。
でも、7時半に帰ってくる時にはSleetも小雪に変わり、
路面も主要道路は全く問題ありませんでした。
朝の7時半で-1.7度。
昨日の夜の予想では今朝の6時から9時が一番激しく降る、と言っていたのですが、
どうやら予想よりも早く峠を越えたようです。
多くの皆さんと教会でお会いできますように。
2007-12-15
さて。
一つはStorm。
今11時過ぎですが、-2.7度で、ちらほらと小雪が舞っています。
12時頃までには本格的に降り始めるでしょう。
でも、明日の朝には雨に変わるようです。
NY州ののずっと北の方とかは50センチくらいの雪、
それも吹雪になるかもだそうです。
こちらは祈りが聞かれたのでしょうか、雨が中心で、
「この雨が全部行きだったら大変だろうなあ」という感じのヤツです。
そして、2つ目はJOYJOYクリスマス。
いよいよ明日です。
たくさんの仲間に来てほしいです。
そして、楽しくて、
でも、それだけじゃなくて、神様に心が向く、
クリスマスとなるようにと願います。
もう一つは洗礼式。
今年3回目です。
ハレルヤ!
本当にうれしいです。
さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の1章26-38節。
「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
38節です。
明日の説教の所でもあるので、
深く読んだのですが、
このマリヤの言葉の原語の表現は、誇張して言うと、
「ご覧下さい、このわたしは主のはしためです。どうか、あなたが言われたとおりのことがわたしの人生に起こりますように」という積極的に、
神様の前に自分を差し出す表現です。
「あなたのご自由に・・・」という感じではなく、
「是非、わたしを使ってください。あなたのお役に立たせてください」という積極的な姿勢です。
是非、使って頂きたいと思いました。
そして、どこまでも、あくまでも、神の「しもべ」として。
神様が使いやすい、神様から見て、頼みやすい、そのような器になりたいと思います。
自分の好きなことをするのではなくて、
主の僕として生きたいと思いました。
主よ、
わたしもあなたのプロジェクトチームの一員にしてください。
でも、わたしが好きなことをするのではなくて、
あなたの願われるように、
あなたの僕として、用いられますように。
2007-12-14
神様の真実さ
「帰ってきてから更新」はちょっとしんどいので、
今のうちに・・・。
今日の朝はちょうど0度くらいでした。
それほど冷え込まなかったんですね。
でも、集会があってFort Leeの方に行ったら、
我が家の周辺よりもFreezing Rainの時間が長かったようで、
電線にはつららが下がり、
木々は太陽にきらきら光って、とてもきれいでした。
そして、昼間は暖かくなって8度くらい。
今、夜の9時前ですが、まだ、2.6度あります。
明日の朝は-5度くらいまで下がるという予報をどこでも出していますが、
どうなんでしょうか?
これから冷えてくるのでしょうか。
そして、明日の夜には雪が降り始めますが、
すぐにSleetに変わり、Freezing Rainに変わり、
日曜日の朝には雨に変わるようです。
多くても10センチ。
日曜日の教会は大丈夫でしょう。
日曜日はJOYJOYクリスマスです。
たくさんの子供たち、お父さん、お母さんたちがおいでになれますように。
お一人一人の心に神様が触れてくださいますように。
さて、今日の聖書。
今日は新約聖書にはいって、ルカ1:5-25。
「私のことばは、その時が来れば実現します。」
20節の言葉が心に留まりました。
ザカリヤにとって、その言葉が本当に実現することを信じることは、
どれほど難しいことだったかと思います。
そして、私たちにとって信じることが難しい言葉はどれほどたくさんあるでしょうか。
でも、神様を信じるって、
そういうことなんでしょうね。
人間の力の限界の向こう側が勝負っていうか、
当たり前のことではないんでしょうね。
そして、それを信じるのは、
私たちの決断よりも何よりも、
それを約束してくださった方の真実が土台だと思わされました。
その主の真実を信頼して歩んでいきたいと思わされました。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」
詩篇46篇8節。
主よ、
あなたを信頼します。
あなたがなさることを信頼します。
あなたの約束を信頼します。
あなたのわたしに対する愛を信頼します。
どうか、わたしをきよめ、
あなたと共に歩んでいる平安の中で生かしてください。
2007-12-13
留守番。
午後は「凍雨」。
Wikipediaでは「凍雨」は「Ice Pellets」の訳といわれていますが、
こちらでは、ice pelletsと言う言葉を使うこともありますが、
日常的にはSleetを使います。
透明な氷の粒がたくさん降りました。
そして、最後はFreezing Rain・・・こちらはウヒョー!と覚えやすい、「雨氷」。
これは少しだけだったら、木の枝がきらきらと光ってきれいです。
2-3日前にはオクラホマとかの方で、これがたくさん降って、
木が倒れたりして、大変だそうです。
停電して暖房が使えず、困っている方も多いそうです。
でも、こちらは雪から凍雨、そして雨氷と変わりましたから
大して積もりませんでした。
だいたい3センチくらい。
でも、結構、道路はシャーベット状態でした。
で、午前中の祈祷会はもちろんやりましたが、
午後のJOYJOYキッズクラブは休み。
残念。
でも、私は個人的には、こういう時も、
必ず教会で留守番をしたいのです。
皆さんに連絡をして、「お休みですよ~」とお知らせしましたが、
それでも、留守番は必要だろうと思っています。
自分が聖書学院の一年生の時、
北海道のある小さな町の小さな教会に派遣されました。
この教会、長屋の一軒を使ってやっていた教会で、
2-3人の方が集まっていました。
夏の間に、2人の男の子と仲良しになり、
彼らはいつも教会に来るようになりました。
山田君と小沼君。
小学校6年生だったと思います。
今から21年前ですから、今33歳くらいですね。
で、この教会、いつもは牧師がいなくて、近くの都市の教会の牧師さんが
1時間かけて通っておられました。
彼らのうち小沼君は私が東京に帰った後も、
その牧師さんが来て、お話をしてくれるのが楽しみで、
毎週教会に通っていたそうです。
でも、ここは北海道でも寒さの一番厳しい地域。
ある日曜日猛吹雪で、さすがにその牧師さんも
あの「塩狩峠」をこえてその町の教会に行くことができなかったそうです。
吹雪が収まった後、その牧師さんがその町の教会に行った時、
一つの足跡が教会の入り口まで続いていたそうです。
そして、その次の週から、彼は教会に来なかったと、その牧師さんは私に話してくださいました。
雪の降る地域に住むようになって、
何年かに1回やってくる大雪、
1度だけ経験した(1996年)吹雪、
その大変さを知ると、1時間山を越えてその町に行くのは無理だったとわかります。
でも、できるだけ、教会の集会を中止する時も、
教会の留守番をしたい、そのように思わされています。
そして、実際に礼拝を中止した何年か前の日曜日、
教会の皆さんに電話をしてそのことをお伝えしたのですが、
近くの韓国の教会に行かれている日本語のわかる韓国人の方が、
ひょっこり教会に現れました。
留守番をしていた私はその方と一緒にお祈りをして礼拝を守りました。
だから・・・私は留守番が大好きです。
今度の日曜日。
なんだか、雪も降るようですが、どちらかというと雨がメインになる見たいです。
雪は積もっても5センチくらい。・・・かも。
でも、もう、あんまり心配していないで、
ここで「だいじょうぶ宣言」をしてしまいましょう。
きっと、今度の日曜日は大丈夫!
・・・たぶん・・・ね。
今日の聖書です。
今日はイザヤ書の43章14-21節。
「先の事どもを思い出すな。 昔の事どもを考えるな。」
18節の言葉が心に留まりました。
神様が新しいことをしてくださる。
それを待ち望んでいます。
そして、昔のことに捕らわれてはいけない、
そう思います。
でも、今日、ここを読んだら、
この「思い出してはいけない」といわれている「昔のこと」は、
悪い思い出、つらい思い出、ではなくて、
神様の救いの思い出なんですよね。
だから、神様のしてくださったすばらしいことさえ、
神様がこれからなそうとしてくださっている、
「新しいこと」を縛ってしまってはいけないのだと気づかされました。
そう、私たちは神様が過去にしてくださったすばらしいこと、
それさえも、神様がこれからしてくださることを制限するものとして、
使ってしまっていることもあるんですね。
神様は過去のことを超えてすばらしいことをしてくださる。
今まで経験した最高にすばらしいことをも超えて、
神様はすばらしいことをしてくださる。
その神様の力を信頼して歩んでいきたいと思いました。
主よ、
あなたの大きさを制限するすべてのもの、
あなたがなそうとしている新しいことを
押し込めてしまう枠となるすべてものを、
私は捨てます。
あなたがなしてくださる新しいことを
信頼します。
自分のちっぽけな経験に閉じこもったりすることがありませんように。
2007-12-12
うーん、危うし・・・。
昼間もまあまあ良かったのですが、
夜になってからぐーんと冷えてきました。
今、夜の11時過ぎで、-0.4度です。
明日の朝は-4度くらいまで下がりそうです。
そして、明日の昼過ぎから雪。
キッズクラブの日なんですけどね・・・。
昨日は10センチくらいという「ちょい雪」の予報でしたが、
今日になってから15-25センチの予報。
そうなると、ちょっとキツイです。
出足が鈍りそうです。
で、問題の日曜日。
今夜のGFSでは、降り出しは15日の夜中で雪。
そして、16日の明け方には雨に変わって、
お昼頃には雪に変わる・・・ダメじゃん。
でも、このパターンだと60センチはありません。
でも、まだ水曜日。
わかってくるのは金曜日くらいです。
とにかく低気圧の通るところが
海岸に近くなるか、ちょっと離れるかで、
全然違ってきます。
もしも低気圧が海岸に近く進んできた場合、
海からの比較的に暖かな空気が入ってくるので、
雨に変わります。
今回の場合、特にカリブの方に発生した
「半熱帯低気圧」(造語)のエネルギーを取り込むので、
特に暖かな空気が入ってくる可能性があります。
なんとか、余りひどいことにならないようにと願います。
さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書の40章1-11節。
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
8節の言葉です。
すべてのものは変わっていく、
でも、神の言葉は変わらない。
それが私たちの平安の基盤です。
希望の根拠です。
イザヤが預言をした対象は、
アッシリアであり、バビロンでした。
イスラエルから見るならば、超大国。
でも、その超大国の滅亡も見えていたのです。
ソ連の崩壊は私の世代にとっては大きなことでした。
ロシアがまた台頭してきましたが・・・。
これからも「あの国が・・・」という国も衰えてくるかもしれません。
でも、どんなに時代が変わっても、
変わらないものがある。
どんなに不安なことが起こっても、
私たちを支えるものがある。
それが神の言葉だとイザヤは言うのです。
それをいただいていることはなんという幸いだろうかと思います。
主よ、
あなたのみことばが頼りです。
あなたのみことばが力です。
どうか、みことばに信頼する者たちの祝福を経験させてください。
2007-12-11
いいところと問題と。
2度。
そして、昼頃にはちょっと日も差しました。
それだけでもずいぶん暖かく感じます。
でも、3時頃から雨。
温度は高めで今、夜の10時半ですが、5.4度。
明日の朝にかけてもう少し気温は上がるようです。
今週はずっとこのまま暖かめで行くのかなあと思っていましたが、
どうやら明日の夜には冷えてきて、
あさっての午後には雪になるようです。
10センチくらいの、ちょっとした雪でしょう。
で、週末ですが、
どうやらStormが来るのは来るようですね。
60センチは最大のパターンのようで、
「15センチくらいで、朝のうちに終わる」とか、
「始めと終わりは雪だけれども、大部分は雨」とか、
そんな可能性もあります。
昨日だったのですが、
お休みで、ちょっとあっちこっち遊びに行っていたのですが、
ミラノにも遊びに行きました。
このuttie宣教師ご夫妻、
去年の日本訪問の時に、偶然お会いして、
10月の牧師セミナーで1年ぶりの再会。
今回は少しゆっくりお話しするチャンスがありました。
で、沖縄に行かれていた時の記事の一文が、
ちょっと心に留まりました。
「人々のエゴを受け止めながらも、どこか力強い島」
読みながら、この言葉が締めに出てきたことに、
ちょっと意表をつかれたのでした。
「こんな美しい島に、開発の波が及んで・・・」みたいな、
問題を考えさせられて終わるのかと思いきや、
「それでも強い島」という締めは、とっても前向きにさせられる感じがしました。
自分はどちらかというと、問題を見てしまう方かもしれません。
問題を見ないでいることがまずいかのような、
「わかっていない」と思われるんじゃないかというような、
そんな気持ちがしているのかもしれません。
そうして「わかっているんだよ」と自己弁護をしているような。
でも、そんな必要ないんですよね。
問題なんてあるのは決まっている。
でも、その中で、神様が与えてくださっている良いことを見ていく、
主が与えてくださった、良いことを数えていく、
そのような歩みをしたいと思いました。
uttie先生に感謝。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇の24篇。
「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。」1節。
もう最初から、私は主のものなんですよね。
そのことを、今朝、ここを読んで、ドーンと、語られました。
自分の自発的な気持ちで、主に従うことが大切
それは思います。
でも、それが当たり前じゃない。
本当は、私たちは元々、主のもの。
主を受け入れることも、
主を自分の人生の王とすることも
主に従って歩むことも、
すべてをおささげすることも、
なんてことはない、
当たり前のことなんですよね。
ちょっと勘違いをして、
何かをしたつもりになってはいけないなあと思います。
主のために何かをしたような気になってはいけないなあと思います。
主よ、
私自身もあなたのものであることを、
忘れることがありませんように。
感謝します。
あなたのものであることを。
あなたのものであることのすばらしさを
もっともっと味わうことができますように。
2007-12-10
危うし!JOYJOYクリスマス。
昼間も5度くらいまで上がったのですが、
なんといっても、どんよりした一日でしたので、
「底冷え」という感じでした。
何年かぶりに「こたつ」を出しました。
はまっています。
今は夜の10時で3.4度。
この後、空が晴れてくるので、
氷点下に冷えそうです。
そう、昼間は晴れている時の方が暖かいかもしれませんが、
夜は晴れている時の方が冷え込みます。
雲が毛布のような役割をするので、
それがないと冷えてしまうんです。
で、表題ですが、
今日の夕方のGFS(Global Forcast System)の計算で、
こんな天気図が出てきました。

アメリカ東部の地表の天気図なんですが、
これは2007年12月16日午後1時の予想図なんです。
そう、ちょうどJOYJOYクリスマスの始まろうという時の天気予想図なんです。見てわかりますか?これはヤバイです。まずいです。これが本当に起こってしまうと、60センチです。Blizzardです。
いつもはこういう天気図を見るとわくわくしてしまうのですが、JOYJOYクリスマスにぶつかるとは・・・。
過去に1回ありました。JOYJOYクリスマスの日に大雪で中止だったこと。自分たちの予定がある時だけ、外れてほしいというのはあまりにもわがままなような気もするんですが、なんとか、外れてほしいものです・・・。神様はいつも最高のことをしてくださると信じますが・・・。
まだ6日後のことですから、いつものように、「わかってくるのは2日前」の法則に従って、あまりパニックを起さないで祈りつつ待ちたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日はミカ書5章1-4節でした。
「彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。」
4節の言葉です。
イエスによって、私たちが「安らかに住まう」という言葉が心に留まりました。
神様によって、イエスによって与えられる平安。
ありがたいと思いました。
私たちはまた他のものによって平安を得ようとすることがいかに多いことかと思います。平安を得るために一生懸命人と話をしたり、賛成を得ようとしたり、わかってくれる人を得ようと思います。でも、それによって得られる平安は、ちょっとした安心感というものは、主が与えてくださる平安とはレベルが違います。それを私たちはどれほど多くの場合に、「主が与えてくださる平安」と思いこんでしまっているだろうかと思います。また、違うとわかっていても目に見える人の言葉に頼ってしまうことがどれほど多いことでしょうか?
本当に主の平安を経験していこうと思いました。
主の平安によって生かされていきたいと思いました。
教会の中にもそのような平安によって歩んでいく喜びがあふれるようにと思います。
主よ、
あなたの与えてくださる平安に感謝します。
その平安を求めます。
その平安に期待します。
人との関係によって与えられる平安で満足することがありませんように。
そこでスタートしても、そこに留まることがありませんように。
あなたの平安で守ってください。
2007-12-09
主にかばわれて
雨も降りました。
朝も1度くらいでしたが、
今、夜の10時20分で1.5度。
今夜から明日にかけても雨。
火曜日も水曜日も木曜日もずっと一時雨。
ちょっとスッキリしない日が続くみたいです。
でも、こういう時は、余り冷え込まないので、助かります。
今日は9日。
今度の日曜日はJOYJOYクリスマスです。
今年も楽しいプログラムになりそうです。
それと共に、クリスマスの「礼拝」の意味を今日の礼拝で思わされました。
楽しいこともたくさんあっていい。楽しいこと大好きです。
でも、いつでも中心は神様の前にひれ伏すことでありたいと思います。
クリスマスまであと16日。
クリスマスの意味を深く思いながら過ごしたいと思いました。
今日の聖書。
今日はエゼキエル書の37章24-28節でした。
「わたしは彼らをかばい・・・」
27節の言葉です。
口語訳では「祝福し・・・」と訳されていますが、
新改訳では「かばい・・・」です。
主が私のことをかばってくださる。
なんだか、それだけで力が湧いてきました。
私たち一人一人のことをかばってくださる、
なんとうれしいことだろうかと、
思います。
主よ、
感謝します。
あなたがかばってくださるから。
それだけで十分です。
どうか、私があなたにかばわれたように、
ひとをかばうことのできるものとならせてください。
2007-12-08
心に留めない
昼間も7度くらいまで行きました。
でも、今は夜の10時で-0.8度。
冷えてきました。
明日の朝は-2度くらい。
そして、午後からは雨になりそうです。
ちょっとSleetが混じるかもしれません。
このSleetは透明の氷の粒で、日本語では「凍雨」というらしい。
あられだと思っていたけれども、Wikipediaで調べていたら、
そう言う言葉が出てきた。
初めて聞いた。
変換候補にも出てこなかった。
知らなかったということ自体が、
・・・かなりくやしい。
そして、Freezing Rainのことを、
雨氷というらしい。
これは「うひょう」と呼ぶらしい。
これは一発で変換された。
または、「あめごおり」と読むこともあるらしい。
ちょっと親近感。
これは氷点下の中で雨が降って、
過冷却された水が、落ちた瞬間に凍る現象。
ふつうは-1度とかで、起こるのですが、
時々-5度くらいでも、起こることがあります。
それはホント大変です。
歩道がスケートリンクになります。
もちろん、車道もそうですが、
車が通るとでこぼこになります。
でも、NJの歩道は人が余り通らないので、
みごとにスケートリンクになります。
そうなると、ほとんど歩けません。
いつだったか、朝教会に祈りに行って、そういうことがありました。
1998年1月のモントリオールからオタワでのFreezing Rainは7日間に渡って降り続き、
最大で12センチの厚さの氷のシートができたらしい。
枝につくと、単純計算で、直径24センチ。
ほぼ、足のサイズ。
ウヒョー!
さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ書の31章31-34節。
「再び彼らの罪に心を留めることはない。」
34節の言葉です。
主の赦しの恵みは、
私の罪を「心に留めない」ほどなんだと、うれしくなりました。
私たちは、人の過ちを赦しても心には留めておくものです。
なかなか忘れられないものです。
忘れるもんか、なんて思うこともあります。
忘れてやるもんか、絶対忘れない・・・と。
でも、主は私の罪をもう心に留めないでくださる。
自分ではいつまでもいじいじしているかもしれない。
でも、主は心に留めないでいてくださる。
なんとありがたいことでしょうか。
主よ、
あなたがわたしの罪を心に留めないでいてくださることに、
心から感謝します。
あなたの赦しの恵みに感謝します。
そこに感謝して、歩む者としてください。
喜びにあふれて歩む者としてください。
主は待っておられる
7日のつもりで書きます。
今日の朝は冷え込んで-6.4度。
昼間も1.4度までしか上がりませんでした。
そして、2時半頃から雪。
またうっすらと雪化粧しました。
でも、今夜は冷え込みがゆるんで、
今、夜の12時過ぎですが、0.7度と0度を超えています。
明日はこのところの寒さからするとずいぶん暖かくなりそうです。
でも、10度までは行かないでしょう。
やっぱり冬ですから・・・。
で、数日前に、
winter is over(冬は終わった)と言っていた、天気予報のおじさんが、
「冬の寒さが厳しくない、ということは、暖かい空気と、冷たい空気がぶつかるので、
雪が多いかもしれない・・・」なんて言い出しました。
ずるい・・・。
でも、確かにそれは一理あります。
東京の雪が2月に多いのも、同じことなんですが、
冬の寒さが厳しいと、南の海上を低気圧が通ることが少ない、
こちらでも、冬の寒さが余り厳しいと、東の海上を低気圧が通ることが少ない・・・のかなあ。
でも、1995年11月から1996年2月の雪の多さは、
厳しい寒さの中を、東の海上を低気圧が通ったからで、
やっぱり寒さの厳しい冬の方が、雪が多いように思いますが・・・
まあ、どうなることでしょうか。
個人的には今日みたいなうっすら雪化粧、みたいな雪の降り方が、
風情があっていいと思うのですが・・・。
さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書の30章8-17節でした。
昨日見た、QT基礎セミナーの学びを生かして、
「何か適用を見つけよう」と一生懸命になるのではなく、
神様と共に時間を過ごし、神様に話しかけながら、読みました。
「それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。」
17節です。
アドベントです。
自分が神様を待ち望んでいるかのように思っていました。
自分が祈りながら、クリスマスを待ち望んでいるつもりでした。
でも、主が私のことを待っていてくださる。
毎朝、毎朝、主が私が主のもとに行くのを待っていてくださる。
私が主の胸に飛び込むのを、
ずっと待っていてくださった。
ちょうど、放蕩息子のお父さんが、
お兄さん息子を待っていたように。
自分の胸に飛び込んでくるのを待っていたように。
そう、お兄さん息子の方。
主が待っていてくださることに感謝しました。
努力してそのことを思い出そう、というよりも、
一日の歩みの中で、
「ああ、主は今も私を待っていてくださるんだなあ」と何度も思いました。
「私たちに正しいことを預言するな。私たちの気に入ることを語り、偽りの預言をせよ。」
という人々の預言者に対する言葉、10節の言葉も心にぐさっと来ました。
主の語られることに、
主が語られることに、
主が命じられることに、
忠実に聞いていくものでありたいと思います。
主よ、
待っていてくださるあなたに感謝します。
待っていてくださるから感謝します。
どうか、語ってください。
そして、あなたに語られたこと、
大胆に語る者とならせてください。
2007-12-06
ハワイで吹雪
朝の最低気温は-7.2度。
昼間も、何とか0度は超えましたが、
1.5度止まり。
今は、夜の9時半を回ったところですが、
-4度まで下がってきています。
明日の朝も-6度くらいでしょう。
ハワイで吹雪だそうです。
Big Islandにある二つの高い山は富士山級。
とゆうか、富士山より200メートルくらい高い。
で、今2100メートル以上の所は雪になっているようです。
こちらでもなかなか出ないBlizzard Warningが出ています。
下の方は大雨だそうです。
そちら方面の方、お気をつけて。
今日は子供のプログラムのために、
材料を探しに、模型やさんに行ってきました。
Ramsey, NJの17号線沿いにあるHi-Way Hobby.
鉄道模型や、プラモデルなどいろいろあります。
日本にはたくさんあるこの手の店をこちらで探すのは、
結構大変です。
日本ではおもちゃ屋さんでもプラモデルは売っていますが、
こっちはそんなのありません。
で、結構見入ってしまいました。
TAMIYAのプラモデルや、
モーターのセットとか、
そうそう、何年か前に「モーター」をさがして、
(これも子供のプログラムのため)
やっぱりなかなかなくて、何時間もかけて1個見つけた覚えがありますが、
ここにはあります。
「ガンダム」のプラモデルもいろいろあります。
小学生の頃、友達の誕生日に呼ばれたら、
「戦車のプラモデル」を持っていくのが定番でした。
戦車には余り興味はなかったですが、
それでもいくつか作りました。
そのころは、「リモコン」の戦車のプラモデルもありましたが、
今日は見あたらなかったですね。
でも、ちょっとはまってしまうかもしれません。
プラモデルの世界。
あ、あと、アメリカらしいのでは、
「ノアの箱舟」のモデルもありました。
プラモデルじゃなくて、木でできたキット。
探していた材料は見つからなかったのですが、
後学のためにかなり勉強になりました。
いつか紹介したCGNTV。
(右にもリンクを貼りました)
今日、ちょっと時間を作って、
QT基礎セミナーのQTの分かち合いと証し(1)を見ました。
こちらが前半。(リンクをクリックすると音が出ます。注意)
こちらが後半。(リンクをクリックすると音が出ます。注意)
本当に良い内容です。
韓国語に日本語の字幕なので、
ずっとコンピューターの前に座っていなければいけないのが、
結構大変なのですが、その価値はあります。
QTとはQuiet Timeの略で、
クリスチャンの人が、聖書を開いて祈って過ごす一時のことです。
この方は、本当に神様と過ごす一時を楽しんでおられると感じました。
そして、それが生活の一部になり、生活にimpactを与えているんですね。
そのような神様との一時を持てるようにと願いました。
さて、今日のわたし自身のQTから。
今日はイザヤ書の42章を読みました。
「彼は衰えず、くじけない。」4節。
イエスは私たちのために忍耐して、歩まれた。
そして、十字架の勝利を得られた。
そのことを思わされました。
今のわたしにもどれだけ忍耐してくださっているだろうかと思いました。
どれだけ、耐えて、待っていてくださるだろうかと。
歩みの遅いわたしのために、
失敗ばかりで、
試行錯誤ばかりで、
あっち行って、失敗して、
こっち行って、失敗しているわたしのために、
どれだけ忍耐してくださっているか。
でも、あきらめないで待っていてくださる。
十字架の道を開いて、
今も待っていてくださる。
そのことに心から感謝しました。
主よ、
あなたの忍耐に感謝します。
あなたがわたしのことを見捨てないでいてくださることに、
心から感謝します。
どうか、これからも、よろしく、一緒に歩んでください。
あなたがいてくださることに、心から感謝します。
2007-12-05
何を求めるか
朝は-5度。
最高気温も2度止まり。
夕方にはちらほら雪が降ってきて、
うっすら雪化粧です。
今は夜の11時ですが、-2.4度。
明日の朝は今朝と同じくらいかもっと冷え込むかもしれません。
昼間もまた2度止まりでしょう。
金曜日にはまたちょっと雪の可能性があります。
もうすぐ読み終わる「天国の人」。
中国のブラザー・ユンの自伝です。
最後の方まで来て、ずっと中国の「家の教会」で信仰を守ってきた彼が
エスタブリッシュメントである西洋の教会に触れるあたりが、
またものすごいチャレンジングです。
そして、この言葉にうならされました。
「迫害を止めるように祈ることは止めてほしい!重荷を軽くしてほしいと祈るのではなく、それに耐える背骨を強くしてほしいと祈るべきである」
何十回も逮捕され、何度も死にそうになるくらいの拷問を受け、3度の長い投獄生活を送っていた彼の言葉であるゆえの重み。そして、西洋の教会の眠っている状況を目の当たりにした彼の言葉の重み。
自分はいつも共産圏やイスラム圏のクリスチャンのために祈る時には、迫害からの解放を求めていました。でも、それが必ずしもその人々の祝福になっていかないことを教えられました。必ずしも彼らの願いではないことを教えられました。
私たちの歩みもそうだと思わされました。必ずしも試練が取り除かれることが祝福ではない。主への祈りがあり、主の臨在があるところが祝福なのです。
わたしはいったい今何を求めているだろうか。快適さ、comfortableであること、便利であること、お金の心配をしなくていいこと、祈り支えてくれる人々、心の通じ合う仲間、平和な家庭・・・でも、何よりも主を、主の臨在を求めているだろうか・・・。
今日の聖書。
今日はイザヤ書35章。
「主に贖われた者たちは帰って来る。」10節。
贖われる・・・買い取られる、買い戻される、ということだとよく説明される。
わたしは主に買い戻された者。
どれほど幸いなことだろうかと思いました。
どれほど恵まれているだろうかと思いました。
それと共に、自分は神様のものなのだと思いました。
自分のものではなくて、
神様のもの。
イエスの血潮という代価を払って買い取られた神様のもの。
時間を神様の喜ばれるように使っているだろうか、
与えられた財を神様の御心に従って使っているだろうか。
人生自体を神様の為に使っているだろうか。
神様の導きに忠実に従っているだろうか。
一つ一つ問われました。
感謝をどのように生きているだろうか。
言葉だけの感謝で終わっていないだろうか。
心が探られました。
主よ、
わたしを買い取ってくださって、
買い戻してくださって、
あなたのものとしてくださったことを感謝します。
あなたのものとされていることに感謝します。
どうか、あなたの使命に生きるものとしてください。
あなたの与えられた、わたしのために準備された
使命に生きる者としてください。
自分の好き勝手にすべてを使いたい、
自分の好き勝手に生きたい、
という誘惑から、わたしを守ってください。
2007-12-04
冬もあとすこし
朝は-2度くらいまでしか下がりませんでしたが、
その後、小雪が舞って、最高も2度止まり。
今、夜の9時半ですが、
-2.2度まで下がってきています。
明日の朝は-5度くらいでしょうか。
そして、また明日も小雪が舞う天気になりそうです。
息子のいっている高校では、
「明日は雪だ!No Schoolだ!」なんて、噂が流れていたそうですが、
休校になるようなことは決してありません。
残念でしたねえ・・・。
でも、今日みたいにちらほら降る雪を見るとなんだか、
冬なんだなあと思います。
朝のニュースでやっていましたが、
湯たんぽ、欲しいなあと思います。
しかし・・・。
天気予報の世界では、なんと、
東海岸の寒さは、今週が峠、という話が盛り上がってきています。
来週からは5度以上の日が多くなって、
降っても雪よりも雨が多いようです。
その傾向が2月頃まで続くので、
「今年の冬は今週が峠」だそうです。
わたしの中では、「これ、結構あたるかも」と期待しているのですが、
さて、どうなることでしょう。
今日は、早速聖書。
今日はイザヤ書11章1-9節でした。
「主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」
9節の言葉です。
今朝、この聖書の箇所を読みながら祈りながらいたのですが、
この情景が目に浮かぶようで、
楽しみになってきました。
最近、中国のクリスチャンの経験を書いた本を読んでいるので、
よけいそう思うのかもしれませんが、
神を求める人々、信じる人々が海のようにこの地に満ちる、
そのようなことが約束されているのが、
とても楽しみになってきました。
今は人々は無関心に見えても、
今は人口の1パーセント以下と言われても、
海のように地に満ちる時が来る、
単純に「そうなんだあ」と思ったら、
本当に楽しみになってきました。
現実は現実としてある。
でも、現実に縛られる必要はない。
いつまでも今の現実が続くと思う必要もない。
この聖書の言葉の通りにして頂きたいと思いました。
中国のクリスチャンが経験したような、
すばらしい神様の御業を経験したいと思わされました。
そこには迫害があり、犠牲を払う場面があったことを思うと、
気軽に言えないことですが、
それも含めて、主に奇跡を見せて頂きたいと思います。
神様、
あなたの約束を信じます。
この地に、私たちの同胞の中に、
「海のように」主を知る者たちが満ちる時を、
待ち望みます。
どうか、この幻を、現実のものとしてください。
現実に落胆しない自由を与えてください。
2007-12-03
いのちを前にして
今日は朝起きたら1.1度。
氷点下ではなかったので、安心して、車に乗れました。
氷点下で雨が降るFreezing Rainはほんとうに、怖いですから・・・。
で、昼間は9度まで上がりましたが、
午後、パラパラと雨が降ってきて、急に冷えてきました。
今は夜の10時過ぎですが、2度。
このあとも、どんどん冷えて、明日の朝は-3~-4度。
ちらほらと小雪が舞う日が続きそうです。
さて、先週の「医龍2」(第5話)からの名言。
「いのちを前にして、おびえのないヤツはいない」
もちろん、ドラマの中で、手術室の中での言葉なのですが、
自分に置き換えて、「永遠の命を前にして、おびえのないヤツはいない」
と思うと、本当にそこには「正当な恐れ」があることを思わされました。
本当に、自分の働きの重さを思うと、本当に恐れがあります。
それは単なる恐れではなく、やはり「畏敬」という言葉で表すべきものなのだと思います。
逆に、それを、その「恐れ」をなくしてしまったら、牧師としての働きは失格なのでしょう。
「いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。」(コリント第2の手紙2:16)
時に、それに「おびえ」、逃げ出したくなることもあるでしょう。
このドラマの中ではその「おびえ」を乗り越えるための「チーム」が強調され、
「支え合うみんながいるんだ」ということで、歩んでいけることがアピールされています。
わたしもその「チーム」ということにものすごい魅力を感じるのですが、
それ以前に、「主が共にいて下さるが故の力」を思わされます。
「チーム」にも魅力を感じますが、もしも、「チーム」を作ることが許されるならば、
わたしは、あくまでも「主の力を信じる」という信仰で一致できるところで、
チーム作りをしたいと思わされています。
さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書9:1-7でした。
「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。 死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」2節。
光を見たのは「闇の中を歩んでいた民」でした。
光が照らしたのは「死の陰の地に住んでいた者たち」でした。
そのような中で、歩んでいる時に、
私たちは「光が照る」のを想像できるでしょうか。
神は私たちを見捨てた、と思ってしまうのではないでしょうか。
でも、主はそのような人々の所に光を照らされました。
自分がつらい中を通っている時に、
なかなかそれを信じられません。
自分がトンネルの出口が見えない時に、
「あなたのことを光が照らすんだよ」と言われても、
実感は湧きません。
そんな言葉を聞いても、「自分が順調だから、そんなこと言えるんだ」
と思うこともあるでしょう。
でも、主はそんな状態に歩んでいる者にこそ、
光を照らそうとしておられるのです。
暗闇の中こそ、光の力を感じるチャンスなのです。
主よ、
あなたの光を感謝します。
あなたの光が必要です。
あなたからの光が必要です。
どうか、わたしを照らしてください。
アドベント聖書日課
2007-12-02
恵まれた環境での信仰
朝は「外れた!」と思ったのですが、
朝3センチくらい雪が降った他は、
午後は結構雪が上がっている時間が長かったし、
今、夜の10時過ぎですが、これから雨が降ってくるようですが、
結局は、「朝の雪が終わったあとは、『降り始めが遅くてほとんど雨』」ということで、
まんざら外れたわけではないと。
ちょっと負け惜しみ・・・、ですが・・・。
気温は今-1.2度。
どんどん気温が上がって来ますから、
結局Freezing Rainからふつうの雨に変わりそうです。
今日は礼拝の後、
中国に伝道に行ったご婦人のお話をお伺いしました。
最近、本も読んでいるので、
厳しい状況の中で、
人々が熱い信仰を持って、
主に真実に従う姿に心動かされます。
自分はどうだろうかと思います。
黙示録に出てくるラオデキヤの教会へのメッセージが心に響きます。
「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(3:15-20)
私たちのような社会の中で、どのように信仰を守っていけばいいのでしょうか。考えさせられます。
さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ書の29章10-14節です。
「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」11節。
主が準備してくださっている計画。
その中心はもちろん、イエスによる救いだけれども、
わたしの人生にも計画を持っていてくださる。
平安と将来と希望を与える計画。
それを信頼していこうと思いました。
本気で信頼していこうと思いました。
ユダヤの人々は、絶望的な状況にあったのです。
でも、ただ、神様の言葉だけを信頼して待ち望みました。
状況と神の言葉、どちらを取るでしょうか?
状況の方がずっと大切なような気がするのです。
神の言葉を信頼する者としてください。
主よ、
あなたのみことばを信頼することを教えてください。
状況の厳しい中で、あなたを信頼することを教えてください。
将来と希望と平安を与えてくださる、あなたの計画を信頼する者としてください。
アドベント聖書日課
2007-12-01
前進するように言え。
朝5時半過ぎに起きた時は1度くらいあったのですが、
その後どんどん気温は下がって、最低気温は-1.5度。
昼間の最高は2.2度
そして、今、夜中の12時ですが、-4.4度です。
まだ下がっています。
そして、明日なんですが、
まあ、雪が1-3インチ積もるなんていっている天気予報もありますが、
そんなの信じません。
「あれ」ってくらい降らないで、
やっぱり降り出してちょっと雪だけど、すぐに雨に変わる
と読んでいます。
くれぐれもあてにしないで下さい。
あたるとおもうけど・・・。
でも、天気予報って、絶対悪い方に予報しておいた方がいい。
悪い予報を出しておいて、外れても、「外れたじゃん」ですみますが、
良い予報出しておいて、外れたら、ヤバイもん。
だから、きっと、みんな悪い方に出していると思う。
だから、きっと、実際はそんなに悪くないと思う。
そんなことを根拠にしちゃいけないんでしょうが・・・。
さて、今朝、早朝祈祷会、いつも来られる方々が、
風邪を引かれたり、都合が悪かったりで、
本当に小さな集まりでしたが、
主に語られてしまいました。
「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。」
出エジプト記の14章15節。
興味のある方は是非前後も読んでください。
主に向かって求めて祈る時と、
主の導きに従って行動する時があるのだ、と思わされました。
つまり自分の願いを主に祈る時と、
祈りの中で示されて、行動する時と。
「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。」(ヨシュア記1章3節)
もう約束されているところも、自分の足の裏で踏まなければいけないということ。
正直、もう主に「どうしたらいいのですか」と聞くのが怖くなってしまいました。
モーセと同じことを言われそうで・・・。
さて、今日の聖書。
今日はアドベントを前に創世記の3章に導かれました。
明日の礼拝の聖書箇所です。
「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」
21節の言葉です。
明日の礼拝説教でも中心的なメッセージになると思いますが、
主がどれほど憐れみ深い方であるか、
そして、人の罪がどれほど深刻なものか、
思わされました。
動物がそこでは犠牲にならなければいけなかった。
そして、エデンの園から追放されなければならなかった。
それまで、彼らは自分の罪を深刻に受け止めていただろうか、
いや、自分自身、そこまで深刻に受け止めていただろうか。
そして、この殺された動物は、後のイエスによる救いを表す預言的な存在となったのです。
神様はそこまでして、わたしを救おうとされた。
わたしに赦しを与えようとした、
わたしの恥を隠そうとした。
わたしもこの皮の衣を与えられていることに感謝しました。
主よ、
世の初めから、わたしのために、
救いの計画が進められていたことに、
心から感謝します。
イエスによる赦しが与えられていることに感謝します。
この赦しを安っぽく考えることがありませんように。
この赦しに感謝して歩んでいく者でありますように。
明日からはオリジナルのアドベントの聖書日課に沿って読んでいきます。
2007-11-30
大丈夫。きっと。
降り始めが遅くなる+最初だけちょっと雪でほとんどが雨、と読みました。
今日は寒かったですし、夜になってまた冷えています。
今1.2度ですが、この気温は数時間ほとんど変わっていません。
それは今南風が入っているからで、
明日の明け方前には北風に変わり、
それがかなり強い寒気なので、明日の明け方は-5度くらいまで下がります。
そして昼間も寒くて、3-4度止まり。
明日の夜は-10度くらいまで下がるかもしれません。
ですから、降り始めが早ければ雪なのですが、
たぶん、日曜日の午後まで降り出さないでしょう。
そのころには南風も入って、温度が上がっているので、
たぶん雨、と読みました。
って、ここに13年住んでの直感と、
(考えてみれば、日本で天気予報に凝っていたのも、
6歳から22歳なので、まあ同じくらいになってきましたね。)
コンピューターモデルを見比べて、
こんなもんかな、程度の話なんで、
全然あてにならないんですが、
あと、日曜日、ふつうに過ごせるようにという願いを込めて・・・。
ズバリ「降り出しが遅くて雨。」
あ、でも、これ、くれぐれも「山登り」「遠出」とかの参考にしないで下さいね。
これ読んで、山登って遭難した、なんて困りますから・・・そんな人いないでしょうが・・・。
さあ、どうなることか。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章でした。
「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」
11節の言葉です。
どういうわけか、最近、このような聖書箇所が心に留まります。
主が語ってくださっているのだと思います。
わたしは元々、「律法的な」生き方をしてきたと思います。
どういうことかというと、「まじめにやらなければ・・・」と思って歩んできました。
でも、それはとても窮屈な生き方だったり、
人目にどう見えるかを気にする生き方でした。
「クリスチャンらしく見える」ことを大切にしてきたのだと思います。
でも、大学生の時に、キリストがわたしのために十字架にかかってくださった、
と言うことを本当に深く知り、
喜びにあふれて歩み始めました。
それまでは人目を気にして、「みんなはどう思うだろうか」を大切にして生きてきましたが、
それからは、この感謝をどのように生きようか、と思うようになりました。
でも、それまでの生き方の反動だったのだと思いますが、
「~らしく」・・・つまり「クリスチャンらしく」とか「牧師らしく」ということに
妙な反発を感じてしまっていました。
でも、ここに来て、主が「聖さ」に招いておられることを
聖書の言葉から、びんびん感じます。
特にヘブル人への手紙の12章の10節の
「 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。」
という言葉にものすごい魅力を感じます。
神様はご自分のHolinessを私たちにshareしようとしておられると。
だったら、本当に訓練して、聖くして頂きたいと思います。
それは誰がどう思うか以上に、
主がそこに招いてくださっているなら、
そこに行きたいと、単純に思うのです。
主よ、
どうか、わたしを聖くしてください。
あなたのご性質を、Shareしてください。
試練はそんなにうれしくないですが、
でも、必要なら、与えてください。
でも、その中でもいつもいつも、あなたを見失うことがありませんように。
日曜日、天気が守られて、
皆さんと礼拝を守ることができますように。
明日は日曜礼拝の聖書箇所、創世記3章を読みます。
日曜日からは今準備しているアドベント聖書日課で読んでいきます。
(土曜日中にはアップロードします)
2007-11-29
Shining Like a Star
夜になって冷えてきました。
でも、夜の12時でまだ3.1度あります。
明日の朝は-1度くらい。
昼間は5度くらいと、また寒くなります。
土曜日はもっと寒くなって、
日曜日は、やはり雪→雨かなあ、という感じです。
でも、日曜日の夜までは降り出さなくて、
降り始めだけちょっと雪、という可能性も出ています。
まあ、かなり正確にわかってくるのは、
土曜日になってからでしょう。
今日は真ん中の子、8年生のユキの先生との面談に行ってきました。
今年の先生との相性がいいのか、
本当に有能な先生なのか、
それとも友達関係の変化なのか、
今年のユキは去年とは全然違います。
ですから、そんな成長を先生と一緒に喜んでいました。
その先生、親に対しても、子供をめちゃくちゃほめる先生で、
「先生、それはほめ過ぎ」って、何度思ったでしょうか。
でも、おもしろい先生で、
ユキのことを、Stealth Yuki と呼んでいる、
と言っておられました。
授業の準備をしていると、静かに入ってきて、
いつの間にか、そこにいる、という感じだそうです。
確かに、あの子は気配を消します。
そんなユキへのそんな先生の名言。
"She is shining like a star."
「先生、それほめすぎ」とつっこもうと思ったら、
そんなこっちの気持ちを読みとったのか、
「静かなんだけど、確かにそこで輝いている星のよう」だって。
うーん、そう言う言い方もあるか、と、うなってしまいました。
確かに星って、静かに光っているもんなぁ。
さて、今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
「主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し・・・」
9節の言葉です。
誘惑の多い中に生かされていて、
「クリスチャンにも誘惑がある」
「熱心になれば、サタンもそれだけ一生懸命になるから・・・」
「牧師には牧師への特別な攻撃がある」
と思って、また言われてきた中で、
今日はこの聖書の箇所を読んで、
「ああ、本当はもっと誘惑にさらされていてもおかしくないのに、主が守ってくださっているのだ」と感じました。主の恵みと守りを思わされました。
今でも十分、いろいろな誘惑の怖さを感じていますが、
でも、もしも神様の守りがなければ、この戦いはもっと厳しいのかもしれない、
もっともっと多くの誘惑にさらされるのかもしれない。
「我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」と主の祈りを祈りますが、
その祈りに応えて、神様がどれほどの助けを与えてくださっているのか、
忘れてはいけないと思わされました。
主よ、
あなたの守りに、あなたが守ってくださっていることに、
私の目を開いてくださったことに感謝します。
どうか、続けて守ってください。
たくさんの誘惑があります。
どうか、身を清く保つことができますように。
知らないうちにサタンの罠にはまっていることがないように、
あなたが守ってください。
2007-11-28
聖霊の助けで聖書を読む。
個人的にはバスに遅れないように、ちょっと家から走ったので、
寒さは感じませんでしたが、ちょうど0度くらいだったのでしょうか。
昼間はやはり7度くらい。
そして、今は南風が入ってきていますので、
余り冷えなくて、4.9度。
まあ、明日の朝は3-4度でしょう。
週末のStormですが、日曜日の朝に降り始めそうですが、
初めは雪で、後から雨に変わる、というパターンになりそうです。
日曜日の朝、というのが気になるところ。
礼拝が始まる頃には雨に変わっているでしょうが、
「行くかどうかを決める」時間帯に雪だとちょっと出足が鈍りますね。
中、長期予報のコンピューターモデルの代表的なモノに、
GFSというのがあります。
これによると低気圧の進路がちょっとまた変わってきていて、
もしかしたら、もっと雪にシフトするかもしれません。
そうなると、礼拝どころではなくなってしまいます。
そんなことにならないようにと、願いつつ。
まだ4日もありますから・・・。
そして、来週はちょっと寒さが厳しくなりそうです。
さて、今日はすぐに聖書。
今日はペテロの第2の手紙の1章を読みました。
「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」
20-21節の言葉です。
何が「私的解釈」で、何がそうでないかは難しい気がしますが、
とにかく、ここを読みながら、「聖霊様、教えてください」と祈らされました。
聖霊様が聖書の言葉を書かせたなら、
そして、「私的解釈をしないように」と言われているなら、
それは「聖霊様に教えて頂かないと・・・」と思ったわけです。
ここでも聖霊様の働きが本当に大切なんですね。
今日も、何回もいろんな誘惑や、
神様に喜ばれない考えが浮かんできた時に、
「聖霊様助けてください」と何度祈ったことでしょうか?
私たちはちょっと隙があると、
すぐにつけ込まれるなあと思います。
いつもいつも聖霊様が心に住んで、
心を守り続けてくださらないと、
ダメだと思います。
でも、そんな戦いの中だけではなくて、
聖書を読んでいる中で、どれほど聖霊様の助けが必要かと、
教えられました。
祈りつつ、求めつつ、聖霊様に聞きつつ、
聖書を読んでいきたい、聖書に聞いていきたいと思いました。
主よ、
どうか、私が聖書を開く時、
自分勝手な読み方、
自分に都合のいい読み方から、守ってください。
あなたが語ってください。
聖霊様が教えてください。
私の目を開いて、
聖書の言葉のくすしきことを見せてください。
2007-11-27
充電。
って気温はまだ5.8度Cもありますが、
朝から13度くらいありましたから、
そこから下がってくると、寒く感じます。
そして、風もあります。だからよけい寒く感じます。
明日の朝も0度くらいみたいです。
明日は朝からNYの日なので、あまり寒くならないで欲しいのですが・・・。
で、問題は週末から月曜日にかけてのStormです。
せいぜい木曜日くらいにならないと見えてこないと思いますが、
今のところ、こちらは雨が中心になりそうで、
雪の可能性もありますが、
中西部も北の方から、カナダにかけての方がインパクト大きそうです。
今日はたぶんほぼ1年ぶりでしょうか、
Brooklyn TabernacleのPrayer Meetingに行ってきました。
今日はPastor Cymbalaがおられてリードされましたが、
私は今から10年前にJCCNJの牧会を始める時に、
著書の"Fresh Wind, Fresh Fire"を読んで、
心震われて、何度か祈祷会にお邪魔しています。
今日は15分ほど遅れて入ったのですが、
Pastor Cymbalaが、
「皆さんはフットボールやバスケットボールや野球のひいきのチームが
いいプレーをした時には、どうですか?大喜びするでしょう。
主を喜ぶことは、もっと大きな喜びであるべきです。
さあ、手をたたきましょう。声を上げましょう。」
と言っておられました。
ちなみにPastor Cymbalaは大学まではバスケットをやっておられたそうです。
私はというと決して熱狂的な方ではないと思いますが、
今は野球のYankeesとバスケのNetsのファンです。
で、やっぱり、いいプレーが出た時は立ち上がって、
手をたたいて、大きな声を出して喜びます。
それを思って、
本当に手をたたいて、声を出して、
「神様、あなたはイエスさまを与えてくださいました。
イエスさま、あなたは十字架の上で私の罪を代わりに負ってくださいました!」
と叫んでいたら、本当に心が熱くなってくるんですね。
不思議な経験でした。
ですよね。
ひいきのチームのプレーを喜ぶのよりも、
もっと大きく喜びを表したい、そのように思いました。
そして、なんと、祈り会の中で結婚式。
教会の会場係の奉仕を通して知り合い、導かれたそうです。
私も今日はのんちも是非行きたい!ということで、
私たち二人も並んで賛美をして、並んで祈ったのですが、
至福の時でした。
いつも私は前に立ち、のんちは礼拝に来られている方々に心を配っているので、
自分たち夫婦が一緒になって、養われ、満たされることを求めて主の前に出る、
それは貴重な一時でした。
そして、聖霊様の満たしを求めて、
共に祈りました。
この間の日曜日の説教で語ったことが、
本当に大切だと思いました。
イエスさまに、聖霊様に守って頂かなければ、
サタンは私たちの心に、いろいろな攻撃をしてきます。
憎しみや不信や誤解、恨みなどの気持ちを、
私たちの心に植え付けて回ります。
いつもいつも聖霊様に満たされ続けることの大切さを感じ、祈らされました。
でも、本当に幸いな充電の時でした。
感謝。
さて、長くなりました。
今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の5章を読みました。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
7節の言葉です。
今日はとにかく、
「主が心配してくださる」
ということに慰めをいただきました。
私なんかが心配してもしょうがないこと、
でも、心配になってしまうことがあります。
そんな私の心配事も、
主が心配してくださるから、大丈夫、と思わされました。
それも、こんな小さな小さな者の心の中にある、
心配事も、主が心にかけてくださっている。
どれほど大きな慰めになったことでしょうか?
そして振り返ってみた時に、
今、考えると「ああ、あのとき、あそこで主が働いてくださった、御業を示してくださった」
ということがあるんですね。
だから、いろいろ考えるのはやめまよう、
見るべき方をしっかり見つめて歩こう、と思います。
主よ、
あなたのみことば、
みことばによる慰めに感謝します。
「私が心配しているから、大丈夫」と言ってくださって、
ありがとうございます。
どうか、私の心を守ってください。
私の心を聖霊様によって満たしてくださり、
悪しき思いが入ってこないように、
守ってください。
2007-11-26
さあクリスマス!
一日中7度くらいでしたが、
寒くは感じない、穏やかな雨でした。
夜になってから、ちょっと本降りになってきたでしょうか。
明日の明け方にかけて雨で、
西風が強く、朝は10度以上ある気温が、
午後にはだんだん下がってくるでしょう。
その後、週末にかけてそこそこ寒いようですが、
日曜日から月曜日、雪の可能性も出てきています。
ま、例の「一週間先はわかるわけがない」の法則がありますので、
何とも言えませんが・・・。
久しぶりの何もない月曜日。
教会のクリスマスのチラシを貼りにミツワと大道さんへ、
ついでに買い物。
どっちが「ついでに」かわかりませんが・・・。
11月は月曜から木曜はMitsuwa JCBのカードを使えば、
全品10パーセントOFFの月ですからねえ。
来週はもう12月。月曜日としては今日がラストチャンス。
もちろん、セールの品をねらって、+10パーセントOffで、
Han Ah Reumよりも安いかどうか、考えながらの買い物です。
そこそこの戦果があったと思います。
で、帰ってきたら、ポストに12月5日(水)は全品20パーセントOFFの葉書が・・・。
微妙・・・。
でも、今日の目的はチラシ貼りでしたから・・・ま、いいか。
でも、チラシとか貼りに行くと、
本当にクリスマスがやってくるんだなあ、と思います。
毎週の礼拝説教の予定を祈りつつ準備しながら、
イエスが来られた恵みをお話しできるかと思うと、
本当にわくわくしてきます。
たくさんの新しい方々に教会に足を運んで頂ければいいなあと思います。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の4章でした。
「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。」
12-13節です。
ペテロの時代は信仰を持っているというだけで迫害されたこともありました。
まさに「火の試練」というものだったと思います。
それに備えていなさい、というメッセージです。
自分が出会う試練はそれに比べると甘いのかもしれません。
でも、やはり試練に出会うと、「どうして・・・」と思います。
試練のまっただ中で、喜べるかというと、やはり喜べない自分がいます。
試練に出会うと、早くそこから抜け出したいと思います。
早く時間に進んで欲しいと思います。
逃げ出したいです。
泣き言を言いたくなります。
「喜びなさい」と言われても、「そう言われても・・・」と感じる自分がいます。
でも、もし「試練のただ中で喜びなさい」と言われなかったら、
そのような世界があることも知らなかったでしょう。
そのような生き方があることもしれなかったでしょう。
そのような神の恵み、神の力があることも知らなかったでしょう。
だから、「試練のただ中で喜びなさい」と語られてよかったと思います。
そのような生き方をしたいです。
試練の中で喜ぶ生き方をしたいです。
そのような生き方をする人々と共に歩みたいです。
試練の中にこの世の天国があること、本当に経験したいと思いました。
主よ、
どうかあなたの力を与えてください。
あなたが、「試練の中でも喜びなさい」と言われているのですから、
そのような生き方ができますように。
喜びを日々与えてくださいますように。
私が水の上に踏み出したその時から、
嵐が来ることはわかっていました。
嵐の中で嵐に驚いて戸惑うことから守ってください。
嵐の中でもあなただけを見つめて歩むことができますように。
2007-11-25
祝福を受け継ぐ者
最近の寒さに慣れた体には、
暖かく感じるくらいでした。
そして、今は夜の10時半で2.2度。
これから雨のようですが、
南西の風が入ってきていますので、
これ以上温度が下がって雪になるということはなさそうです。
明日は雨の一日となりそうです。
今日の礼拝、
聖霊様を求めるチャレンジをしました。
そのように祈り始めた方々もおられると思います。
主が応えてくださいますように。
主が一人一人の上に、
教会の上に、聖霊様を与えてくださいますように。
総会も守られて感謝。
多くの祈りに支えられていることを思います。
それと共に、いろいろな課題があります。
でも、一つ一つ、主によって乗り越えさせて頂けるかと思うと、
主がこれからどんなことをしてくださるのか、楽しみです。
期待しつつ。
さて、今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙の3章でした。
「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」
9節の言葉です。
祝福を受け継ぐ者とされていること、
その意味を考えさせられます。
自分が祝福されるならば、
祝福することは簡単でしょう。
でも、侮辱されている中で、
祝福を与えることができるとはどんなことでしょうか?
神様にはその力がある、と語られました。
神様にはその力がある。
自分にはないけれども、
神様にはある。
神様の力を信頼します。
祝福を受け継ぐ使命をいただいているとは、
何という幸いかと思います。
このみことばを、次に人間関係で悲しい思いをした時に、
思い出すことができますように。
そして、無理ではなくて、
主の奇跡によって、祝福を与えることができますように。
主よ、
私のような者を、
祝福を受け継ぐ者としてくださったことに
感謝します。
この祝福を、周りの人々に、
それも、侮辱をする人々にも、
与えることができるとは、何という幸いでしょうか。
どうか、このみことばの通りに生かしてください。