2007-12-03

いのちを前にして

昨日12時過ぎに寝る頃に、0度を超えて、
今日は朝起きたら1.1度。
氷点下ではなかったので、安心して、車に乗れました。

氷点下で雨が降るFreezing Rainはほんとうに、怖いですから・・・。

で、昼間は9度まで上がりましたが、
午後、パラパラと雨が降ってきて、急に冷えてきました。
今は夜の10時過ぎですが、2度。
このあとも、どんどん冷えて、明日の朝は-3~-4度。

ちらほらと小雪が舞う日が続きそうです。

さて、先週の「医龍2」(第5話)からの名言。

「いのちを前にして、おびえのないヤツはいない」

もちろん、ドラマの中で、手術室の中での言葉なのですが、
自分に置き換えて、「永遠の命を前にして、おびえのないヤツはいない」
と思うと、本当にそこには「正当な恐れ」があることを思わされました。
本当に、自分の働きの重さを思うと、本当に恐れがあります。
それは単なる恐れではなく、やはり「畏敬」という言葉で表すべきものなのだと思います。
逆に、それを、その「恐れ」をなくしてしまったら、牧師としての働きは失格なのでしょう。
「いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。」(コリント第2の手紙2:16)

時に、それに「おびえ」、逃げ出したくなることもあるでしょう。

このドラマの中ではその「おびえ」を乗り越えるための「チーム」が強調され、
「支え合うみんながいるんだ」ということで、歩んでいけることがアピールされています。

わたしもその「チーム」ということにものすごい魅力を感じるのですが、
それ以前に、「主が共にいて下さるが故の力」を思わされます。

「チーム」にも魅力を感じますが、もしも、「チーム」を作ることが許されるならば、
わたしは、あくまでも「主の力を信じる」という信仰で一致できるところで、
チーム作りをしたいと思わされています。

さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書9:1-7でした。

「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。 死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」2節。

光を見たのは「闇の中を歩んでいた民」でした。
光が照らしたのは「死の陰の地に住んでいた者たち」でした。

そのような中で、歩んでいる時に、
私たちは「光が照る」のを想像できるでしょうか。
神は私たちを見捨てた、と思ってしまうのではないでしょうか。

でも、主はそのような人々の所に光を照らされました。

自分がつらい中を通っている時に、
なかなかそれを信じられません。
自分がトンネルの出口が見えない時に、
「あなたのことを光が照らすんだよ」と言われても、
実感は湧きません。

そんな言葉を聞いても、「自分が順調だから、そんなこと言えるんだ」
と思うこともあるでしょう。

でも、主はそんな状態に歩んでいる者にこそ、
光を照らそうとしておられるのです。

暗闇の中こそ、光の力を感じるチャンスなのです。

主よ、
あなたの光を感謝します。
あなたの光が必要です。
あなたからの光が必要です。

どうか、わたしを照らしてください。


アドベント聖書日課

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